湖底より愛とかこめて

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守護聖デザインと9サクリア④―緑と鋼のサクリア

 本稿では『アンジェリーク』シリーズの9つの宇宙的属性、「サクリア」の象徴するもの、なかでも「緑のサクリア、緑の守護聖」「鋼のサクリア、鋼の守護聖」の対立軸について整理・考察していきます。

無印~エトワール、および「神鳥の宇宙の守護聖」「聖獣の宇宙の守護聖」のキャラクターエピソードを例に出すことがあり、ネタバレを含みます。

↓『アンジェリーク』シリーズと「サクリア」についての基本の論はこちらから↓

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 サクリア総論の記事では、『アンジェリーク』シリーズの9つのサクリアが「宇宙を構成するすべての要素や概念を9つに分けたもの」であり、毎度の守護聖の紹介順序は「文明が成長し、構成されていくさま」をあらわしていると述べました。

サクリアは基本的に、相反する2つの属性の対立軸が4本あり、その中央に風のサクリアが位置するという構成になっています。「光と闇」の対立軸について「水と炎」の対立軸について前回までに読解してきました。今回は第三番めの対立である、「緑と鋼」の対立軸について述べていきます。新作『アンジェリーク ルミナライズ』の守護聖達のキャラクター理解の一助ともなれば幸いです。

 

 

緑と鋼の軸―繁栄のタペストリー

 このジャケットの左上の二人、金髪の少年が神鳥の緑の守護聖マルセル銀髪で褐色の肌の少年が神鳥の鋼の守護聖ゼフェルです。このジャケットは珍しく、「人間関係が近しい席順」というか仲がいいあるいは絡みの多い者がおおむね隣接しており(集合写真か?)、実際マルセルとゼフェルは仲がよいです。

これまでに見てきた「光と闇」「水と炎」という対立概念サクリアの守護聖が神鳥の宇宙では主義主張が相反しすぎてかなり仲がよろしくなかったことを考えると、対立する緑と鋼が仲がいいことは意外なことです。歳が近い少年どうしなせいなのかな、と考えることもできますが、仲のよい守護聖の組み合わせが神鳥の宇宙とほぼ同じように設定されている新作『アンミナ』の緑と鋼の守護聖は歳が離れていても仲がよく設定されています。そしてこの対立守護聖どうしの仲が良い傾向(聖獣の宇宙だけは少し変則です)は「緑と鋼」だけでなく第四の対立「夢と地」でも同様になっています。つまり、前半の対立はそりが合わず、後半の対立はうまくやっているように分かれているということです。

もちろん聖獣の宇宙は少し違いますし、個人の性格のバランスもありますが、ここにはただの個人対個人の相性だけではないサクリアの性質上の意味もあります。

 

 9つのサクリアの紹介順序は「文明が成長し、構成されていくさま」の1サイクルをあらわしているとこれまでにも述べてきました。光が生じたことで天地や意識が開闢し昼と夜とが生まれ(光と闇)、昼と夜が生まれたことで大気や時間の流れが生まれ(風)、昼と夜の時間が繰り返していくことで寒冷と温熱の二極、母性と父性が生まれて家族が育まれ(水と炎)……というところまでが前回です。ここまでの前半の世界観はプリミティブ(原初的)な空と海の神話の世界でした。

ギリシア神話

多くの多神教では、まず宇宙の原初に大きな大きな神格である天空神や天体神、大地や水の神があり、その子供たち孫たちの代になって「農」や「工」の神が具体化・細分化されてあらわれてきます。ギリシャ神話でいえば、ウラノスやガイアのころから代を重ね神々の性質がより人間っぽくなっていき、葡萄酒の神ディオニュソスや鍛冶の神ヘパイストスに至ります。聖書においても、ヤハウェの神がことばを発し、昼と夜を作り、海と大地を作り、なんやかんや世界が完成したのちアダムとイブという男女を作り、その満ち足りた神話の楽園を追放されてから、彼ら家族には「農耕」のカインと「牧畜」のアベルが授かるのです。この「農」や「工」、すなわち「文明の発生」の段階こそが「緑と鋼」のサクリアの段階であり、そして「文明の発生」とは「緑」「鋼」幸せな結婚のことなのです。

 緑と鋼の「幸せな結婚」とはどういう意味の言葉かっていうと。まず「水と炎」の対立も「女と男」「母と父」という夫婦関係を意味しているって前回述べましたよね。水と炎の夫婦性ってのは、激しく惹かれ合うけれども激しく反目しあい、ときには憎しみ合い滅ぼし合うようなやつです。それに対して、「緑と鋼」はドラマティックで激しいロマンス性があるのではありません。そうじゃなくて、そもそも人類の文明につきものな「農耕」や「都市」というものじたいが、緑と鋼がともに働き、楽しいダンスのように結びつかなければ成立しないということです。

人類文明発祥の地メソポタミアは豊かな土壌の流れ込むティグリス・ユーフラテス川の流域に人類が麦を育て始めたことから始まります。緑のサクリアの代名詞のようにも思える「麦の豊穣」ですが、麦がたくさん収穫できることのために必要なのは肥沃な大地や雨など自然の恵みだけでしょうか? 「採集」だけでなく「農耕」と呼べる状態になったならば、それは計画を立て、農具や暦を作り、効率を上げるためのさまざまな工夫をしはじめた、ということです。

そして麦がたくさん実ると、食べ物があるので人は未来への繁栄の展望、すなわち欲望をもち、どんどん人口を殖やします。人口が増えれば集落が大規模化していき、住みよい都市や神殿が建設されます。都市文明の中で多くの人が出会いともに働くようになると「あれがほしい、これがほしい」という潜在需要は高まり多様化し、その需要を満たしさらに喚起していくような商品や仕事が考えられ、提供されます。このように「緑と鋼」の対立する力は終わりなきコール&レスポンスをデュエットし、資源技術」「需要供給」「達成挑戦縦糸と横糸となって文明という色とりどりの織物を織りあげていくのです。

 

 もちろん、緑と鋼の縦糸と横糸の織りあげる文明のタペストリーの中には、凄惨な戦争やキツい過ち、「人間の醜悪さ」と呼ばれるようなすべても描きだされています。欲望や成功は嫉妬やむさぼりを招き、技術や挑戦は倫理にそむく取り返しのつかない暴力を生み出すことがあります。神々の時代は終わり、物質文明は使うものの心しだいであり、最も「暴走」に具体的な懸念があるペアといえるかもしれません。そう考えると初代のキャタクターデザインがそこに「未成年の少年」ふたりを配したのはうまくできていますわ。ハァーッ。

 

 

緑のサクリアー約束の地

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神鳥/聖獣での役割:「豊かさをもたらす」/「生命をはぐくむ」

トゥルージェム位置:下部右

自然物:有機物、燃料、肥えた動植物、肥沃な水や土地、微生物、穀物、葡萄、食糧、緑色、野生の花など

概念:自然、ありのままの本質、増殖、豊穣、自然の代謝、収穫、幸運、欲望、快適、資源、余剰、アナログ、霊感(インスピレーション)

人間:願いが叶う、貯蓄、人脈、美しい肌や髪、健康優良、天賦の才、天然素材、飲食物、農業従事者、気前のよい資産家、芸術を生み出す

 

 緑のサクリアの中心的なイメージは「無限に繁茂し実る生命のエネルギー」です。

人間が手を加える以前からある偉大なる自然のパワー、人間が普段意識していない自らの本質に眠るパワー、ただそこに存在するなみなみとした資源を表すので、トゥルージェムの位置は自然や無意識や実存を表す下側です。

人間にとっての、ていうか「生物全般にとっての」豊かさの根源は、「生きていくための資源がある」「共同体の規模を大きくできる(生殖)」ことですから、「豊かさをもたらす」神鳥の緑のサクリアと「生命をはぐくむ」聖獣の緑のサクリアのリンクは比較的わかりやすいです。聖獣のほうは今まさに始まったベンチャー宇宙なので、よりそもそも論的な言い方になっていますね。それは鋼のサクリアも同様です。あとでまた話しますね。

 

 緑のサクリアは成長すること以上に「収穫する」ハーヴェストを意味しますから、「夢が叶う」「富や名声や幸福を手にする」力です。実力だけでなく謎のラッキーや天に愛されているとしかいいようのない成功も含まれます。ちょうど新作『アンミナ』の緑の守護聖ミランも幼い頃から緑のサクリアがダダ漏れになっており「神」とあがめられていました。マルセルもセイランも少なくとも彼らの人生観においてはじゅうぶんに満たされ恵まれた、完成された豊かな核となる何かをもっています。

こう言うと万能のスーパーパワーのようにも聞こえますが、富や成功や才能のお膳立てが快適に授けられたら、それが人間的な人生の幸せなのかというと微妙なところです。

インドの神話物語『マハーバーラタ』の代表的な英雄のひとりであるアルジュナは『Fate』のキャラクターとしての異名を「授かりの英雄」といい、原典からしてあらゆる才能と美しさと善良さと幸運と富名声をほうぼうから授かりまくるタイプのヒーローです。『Fate』では彼はその人生において授かるものにふさわしく完璧に優れてあろうとし、またそれをバッチリできちゃう能力も運も授かっていたがために、「自分だけが望むものを、間違ったり羨んだりしながら掴みにいく」ということだけはイマイチできなかった、という渇きをもったキャラクターとして描かれています。

水も、肥沃な土地も、富も、才能も、美も、それがあってもただ「ありのままに、ある」だけ。あって、数や量が増えていくだけ。なきゃ困ることは確かでも、「ある」ことに意味を見出すのは人間の意思や行いであり、それは「緑」の神的な力の先(つまり、鋼のサクリアのほう)にあることです。だから緑のサクリアには人間の力の及ばない巨大な蛇や魚や、『もののけ姫』のシシ神様とかが目の前でジッ……としているような怖さ、畏れ多さもあります。

同コーエーテクモゲームス制作協力の『FE風花雪月』のキャラクター名前由来読解の記事などで、「ディミトリ」というキャラクターの名前が豊穣神デメテルに由来していること、彼の豊かな優しさと荒れ狂う怪物性のバランスの話をしたりしてますが、それもまた緑のサクリアやね

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『遙か』シリーズでいえば「地の朱雀」と似た属性です。

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豊かさをもたらす緑の守護聖・マルセル

 この完璧な美少女が神鳥の緑の守護聖・マルセル様だ~~ッ この守護聖にめったに様をつけないおれも思わず様付け。

 ↑こっちの絵も美極まってるからオススメ

 美少女絵について話しにきたんじゃなかったわ、このマルセル様、明らかに主人公以上の美少女とみまごうビジュアルにたがわず素直で天真爛漫で泣き虫で甘えん坊な末っ子気質(マジで生まれは大農園の末っ子ちゃんでした)、唯一主人公より年下で当然守護聖達の中でも新米で、そのラブリーさを愛され育てられている……までは見た目通りなのですが、そのマイペースさ「芯の強さ」とかを超えた肝の太さたるや、リュミエールをしのぐほど。『白い翼のメモワール』などは特にマルセルのストロングさを鑑賞するOVAですね。

彼は守護聖という役目として・人間としてはまだまだ未熟な少年であると描かれているにもかかわらず、ラブリーな小さな体にデッケェ自然の真理パワーを当然のように宿しており、「豊かさ」という概念がどういうものなのかについては迷うことがありません。たくさんの家族、たくさんの家畜、たくさんの実り、たくさんの愛情、たくさんの幸福に生まれたときからずっと囲まれて育ったから感じとれる「何か」の結晶を、マルセルは持っています。

 

 マルセルの「緑」的パーソナリティをあらわす面白い特性のひとつが、「食べ物の好み」です。彼は小鳥の「チュピ」ちゃんを友達としていつも連れていますし、生き物全般に優しいのでさすがにこいつにフライドチキン食わせたらヤバそうだなということは予想がつくのですが、よくよく好みを見てみると、別にマルセルはヴィーガンだとか目の前で肉食うと必ず悲しい顔するとかそういうことはないのです(ちなみにフライドチキンが本格的に苦手なのはルヴァです。おっとりしているので骨付き肉が食べづらく、しかも本を読むので油っこいフィンガーフードは勘弁だからです)。

じゃあマルセルはいったい何肉が苦手なのかというと、「まだ小さい子供の動物を食べるのはかわいそう……」という基準なのですよね。いうまでもなく仔羊のナントカや仔牛のカントカは高級な西洋料理にはお決まりのメニューであり、光の守護聖ジュリアスや『アンミナ』のロレンツォなど上流階級のキャラクターの好む上質な食材です。つまり逆に言えば、マルセルは「命をとるな」ではなく「生まれた命をいただくならば、ちゃんと適切に肥育してから食べるべし」という主義をもっているということです。

「緑」は収穫の鎌なくして人間の益になることはありません。マルセルは天真爛漫で子供っぽさを残しながらも、そういった「生きているだけで何かを害する」加害性に自然な覚悟をもった、心深き少年なのです。

 

生命をはぐくむ緑の守護聖・セイラン

 この『Twinコレクション』というシリーズは、ツインという名のとおり一本につき2キャラをピックアップしたビデオシリーズでありまして、ほとんどの巻でそのキャラ好きな人が同じ要領でこのキャラも好きってことはまずないやろというみごとな結局いっぱい買わせる作戦、もとい、キャラクターの魅力の絶妙な組み合わせの闇鍋がおこなわれていたのでした。オスカー&オリヴィエとクラヴィス&アリオスくらいだったんじゃないか、方向性が似てるペア。

この巻のジャケットもホラ……わかるだろ……このリモート収録の合成画像みたいな空気感の違いがサ……。

元気でハッピーでカワユい!マルセル様の隣にいながら、なんだこのスーパーすました磁器製の人形は……彼がのちに聖獣の緑の守護聖となるセイラン、芸術家です。エラい違うな! 光~炎までの前半では、レオナードの前職のようなビックリはあってもおおむねまとうオーラとしては神鳥と聖獣で大きく違うことはありませんでしたから、それも後半のサクリアのおもしろいところですね。

 

 セイランは初登場時19歳とかでありながら宇宙の主星に名が知れるほどの気鋭の芸術家であり、その作品ジャンルは絵画、造形、詩文など多岐に渡り芸術的感性そのものが服着て歩いてるみたいなやつです。服の中からあふれる芸術的感性が買われ、新しい宇宙の女王の「感性」を鍛える教官として女王試験に招聘されました。

「芸術」というのは当然美的な分野なので、どちらかというと夢のサクリアの領分のようにも思えるかもしれません。しかし、「感性」というワードが実はポイントになっています。感性とは世界から「感じとる」「感じたものを表現する」という力であり、あらかじめある美しい花の種と豊かな土から花を咲かせるようなもの。無から有を作り出したり、存在しないものを思い描いたりすることではありません。あくまで、「ある」ものの美しさを取り出して見せるというだけ。セイランの芸術性というのはおそらく、一本の木材の中に眠っている仏様を発見して彫り出す感覚の仏師さんのような、自然の植物の一見無秩序な曲線に美を見出すような、かなり有機的なものなのです。

また、高尚な言葉遣いをするキャラクターが多い『アンジェリーク』シリーズの中でも、セイランは特別な話し方をします。ものッすごい頻度で皮肉を飛ばしてくるんですよね。この皮肉がまた「素直じゃない」とかそういうレベルのものではなく、むしろセイラン自身は非常に自分の気持ちに素直であっけらかんとしたタイプ。周囲の人に衝撃を与えたり偉い人や温和な人にも容赦がなかったりするので、彼には「人間嫌い」のような評判がついてまわりますが、セイランが嫌いなのは人間の欺瞞や取り繕った虚飾であり、人間そのもののことはむしろ(美しい自然と同じように)好きです。彼自身が芸術品のような美形なのにいろいろなファッションに着飾ることには興味がなく、都会の喧騒を避けたところにアトリエをかまえて隠者のような生活をしているのは、本質的な美を感じ取るためでしょう。

セイランの皮肉は人間社会の当たり前の衣を取り去り、その人本来の姿を見出すためのものです。「人間の本性」というと一般的には醜いもののように思われがちですが、きっとセイランにとっては人間の飾らない本質は美しいものなのでしょう。だって、生命は生きてることじたいが美しいのですから。

 

現実世界での緑のサクリア

 緑のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明は幸福な結実や、社会成員みんなに富や幸を分け与えること、オーガニックでていねいで満足感のある暮らし向きを尊ぶ方向に向かっていきます。よって企画事業の円満なグランドフィナーレや富の再分配、科学技術と適切な距離をとることなどには緑のサクリアが必要だといえます。

「金持ち喧嘩せず」という言葉の逆で、緑のサクリアが不足すると人は満ち足りる感覚や心の余裕をなくし、常に満たされぬ飢餓感にガツガツを空転させたり、人から奪ったり奪われたり、自分や他人に嘘をついたりと「心が貧しく」なります。逆に緑のサクリアばかりが過剰な人が多いと、社会からは工夫や分業やスキルアップの機運がだんだんと失われ、非文明化方向に逆走するでしょう。

 こうした性質から、緑のサクリアは人間の役割でいえば「社会奉仕する名士」「精神的指導者」にあたります。「湧き上がるものを与える」というのがキーワードになります。スピリチュアル系やアート系の能力は、緑のサクリアと夢のサクリアのどちらにもちょっと違うかたちで含まれているかんじですね。

 

鋼のサクリアー荒野の開拓者

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神鳥/聖獣での役割:「器用さをもたらす」/「存在を創り出す」

トゥルージェム位置:上部左

自然物:無機物、鉱物、金属、やせた土地、極端な気候、硬いもの、鉱山、火薬、金属光沢、建築物、雷電、車輪、自然界にないものなど

概念:人工物、人為的、創造、工夫、システム、技術、仕事、効率、逆境、不屈、欠乏、合成、デジタル、都市

人間:不遇、アイデア、都会人、ハングリー精神、反骨心、栄養補助食品、エンジニア、科学者、建築家、イノベーション

 

 鋼のサクリアの中心的なイメージは「環境を変え、なかったものを生み出す創意」です。

さきほど緑のサクリアのセイランの項で、セイランの芸術性とは「すでにある」「あふれ出る」ものを感じ取ってお出しするものであって「無から有を作り出したり、存在しないものを思い描いたりすることではない」と言いましたが、この「無から有を作り出す」ことが鋼のサクリアのほうの概念になります(ちなみに「存在しないものを思い描く」のは夢のサクリア)。これが、先程「ベンチャー宇宙である聖獣の宇宙ではよりそもそも論的な言い方になっている」といったアレで、「存在を創り出す」鋼のサクリアって言ってますね。

より正確に言えば、「無から有を作り出す」の「無」というのは物理学あるいは化学的に想定されたマジモンの無の空間とかではなく概念的なものです。緑のサクリアが司るのは「増殖」であるため、生物の種があって、葉っぱが増えて、受精して、実が増えて、という感じで「同じものが増えていく」「遺伝的につながって増える」という網目状の生産形態でした。それに対して鋼のサクリアは、「この木の棒と石を組み合わせて斧を作ったぜ!」とか、「AとBを化合させてAともBとも性質の違う物質Cを作ったぜ!」とかみたいな、ほっといたらとてもそうはならんやろという大変化をおこすということです。そこには革命があり、思春期の少年少女が反抗期のカオスから無限の可能性へ飛躍するダイナマイト的パワーがあります。

 

 人類らしい文明の物質側面を作るのは、とにかく鋼のサクリアです。「鋼」という言葉だとどうにも産業革命以後のシステマティックな大量生産の工場だとか、そうでなくても文字通りの鉄の鍛冶技術とかを想像してしまいますけど、産業革命が250年前なのに対して人類の歴史は4万年とか、それ以前にあった連綿とした「緑」(人の手の入らない自然の命)の世界は36億年とかですから、「鋼」があらわすのはもっと概念的なことです。

緑のサクリアで実り多き土地にたくさんのごはんが手に入れられたら、よりみんなのためになる農具や調理器具や建物を作る人が出てきます。食べ物を直接ゲットする狩人や採集者だけではなく、間接的に誰かの役に立ってありがとうや対価をもらう「仕事」というものが生まれ、建物は集まって村や都市を形成し、世界のしくみを利用する輸送船や風車のようなシステムが開発されます。

これら、鋼のサクリアの作り出す「技術」はまた、緑のサクリアの司るシャーマンのような特殊な天才の力とは違い、学べば誰にでも用いることができるように設計されるのも特徴です。開発する人には才能が必要であっても、普遍的に皆に使えるルールとして作られるのです。数式のように。ともすれば非人間的な冷血ロボのようにも思われがちな鋼の力ですが、そこには不器用な人間愛があります。Love...

 

 はじめは「もっと皆を幸せにできるように」と使われだす技術ですが、文明が繫栄すると、人口はあふれ、集落の間の争いがおこり、技術は人を傷つけるためにもジャンジャカ使われるようになります。そして争いに敗れたり争いを避けた人々は、緑の恵み多くない新しい土地を切り拓いてそこに住むようになりますね。敵がいないもんだから。ニッチってやつだ。ここがまた、鋼のアイデアぢからの活かされるところです。

地球全体を見ると、特にがんばらなくても水や魚や木の実が手に入り、凍え死ぬこともないような豊かな土地では「技術」が興隆しない傾向にあります。そもそも農業らしい農業をする必要もないし、でかくてツヤツヤな葉っぱがあればそれを皿にも鍋にもできるので陶器や鍋釜を作る必要はないし、堅牢な建築を作る必要もありません。「必要は発明の母」という言葉もあるように、不便や足りないものが多いからこそ人は創意工夫する、疑問があるからこそ研究をする、そういうあくなきハングリー精神こそが人類を荒野や砂漠や極寒の地や宇宙にまで前進させてきたのです。

上のフィクション作品の中の架空のことわざですが、当方が好きな言葉のひとつに「英雄は荒野からやってくる」というものがあります。何も持たないからこそ、持たざる者の気持ちを知り、すべてを掴もうとする、全力で策を練り力を磨く、イノベーションをおこすのだと。

緑のサクリアの項ですべての才知と善と幸運を持った「授かりの英雄」アルジュナの話をしましたが、そのライバルには母に棄てられ奴隷の身分ながらも気高く人に与え続け最高の戦士へと身を立てた「施しの英雄」カルナがいます。苦境の時こそ試される真価、すべてを失い削ぎ落とされた逆境で、光り輝く鋭い眼光。

生まれつき豊かな人脈も、運命の幸運も、勝手にやってくるハッピーエンドもない、だから自分で自分の納得できる人生を道路工事したるワイ!という意識と人為こそが鋼のサクリアです。だから目覚めた意識と人為をあらわす上位置にメチャクチャふさわしい! 『ファイアーエムブレム風花雪月』の紅花ルートもそういう感じですよね。ヨーロッパの「地水火風」の四属性哲学においては「技術」「人為」は紅花ルートに対応する火の属性にあたります。

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『遙か』シリーズでいえば「地の青龍」「天の白虎」と似た属性です。

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器用さをもたらす鋼の守護聖・ゼフェル

 時代がかったCDジャケット集の中でもひときわカッコいい、90年代の時代のセンスに合致してファッショナブルだゼ。ヒップでグランジでありながらゴージャスな、神鳥の鋼の守護聖ゼフェルです。

全体的に欧風でファンタジー系な神鳥の守護聖の服装の中でも現代的あるいはSF的なモチーフが取り入れられ、作品によってはB系っぽいファッションもあったりで彼の「技術力」「反骨」「少年らしさ」という鋼っぷりがよく表されています。新作『アンミナ』のゼノもそうですが、鋼の守護聖の少年というのはグレーやガンメタルという近代的でアーバンなおしゃれさの色を基調とすることもあって、テクノのエッセンスの入ったファッションで楽しいんですよね。(ゼノの場合、キーカラーの鮮やかなピンクがネオンカラーや合成染料的な発色でまた「鋼」みがあります)

 

 ゼフェルは新作『アンミナ』で急に家族や友達と引き離され守護聖のお役目につかされて苦しむ水の守護聖カナタの話題でもよく引き合いに出されたキャラクターです。彼こそは、急な守護聖交代のてんまつによって傷つき、仕事に対して反抗的な気持ちを持っている守護聖の元祖です(いやもっと元祖はクラヴィスなのか?)。

ゼフェルは機械文明の発達した惑星で技術者になる夢をもち毎日機械いじりをしている普通の16かそこらの少年だったのですが、前任の守護聖のサクリアの急激な減少によってすみやかに聖地に連れてこられ、しかも前任の守護聖がひそかに女王補佐官とイイ仲であったりもしたため不安定になった彼に当たられろくな引継ぎもできずに守護聖になりました。ちなみに、マルセルの場合は前任の守護聖とたいへん円満な関係を築いて理想的な引継ぎができたということです。この運の差もまた「緑と鋼」的ですね。

ただ、カナタとゼフェルの仕事への反抗は意味合いというか心持ちが違います。カナタの場合は「順応に時間をかける」「十分に悲しむ」という水のサクリアの性質が出たものであると考えられますが、ゼフェルは女王試験を経て十分に仕事に対する意識ができてからも相変わらずなにかと反抗的なのです。これは「鋼」の性質じたいが反抗期というか、「世界に疑問をさしはさむ問い」を含んでいるからです。知恵の実を食べろとそそのかすエデンの園の蛇といったところでしょうか。

同じように話しぶりにツンとした棘があるのが先ほど紹介したセイランですが、もちろん二人の司るサクリアは真逆、ここの対比もおもしろいところです。セイランの禅問答のような皮肉が世界の「ほんとう」の芯のエッセンスを搾り出そうとするものだったのに対し、ゼフェルの反骨精神は「本当に世界はそうであるしかないのか?」「他にどうにかやりようがあるんじゃないのか?」という批判的知性の爆薬なのです。

 

存在を創りだす鋼の守護聖・エルンスト

 まーたTwinコレクションで一緒になっていやがる……。

先ほどセイランの項でも話しました通り、このTwinコレクションなるビデオシリーズはあんま好きな層がかぶらなさそうで普通セットにならなそうなキャラを二人一組にバラけさせたおもしろ企画だったのですよね。マルセルとセイランに続き、のちに鋼の守護聖となるエルンストもまたゼフェルとTwinコレクションだったのです。

見てくれよこの違いを。マジで人間性としては共通点がないように見える。ヒップなゼフェルとスクウェアなエルンスト。

 

 エルンストは10歳で主星の王立研究院付属大学的なものを飛び級で最年少卒業したエリート中のエリートで、王立研究院の主任研究員でした。新作『アンミナ』でいうタイラーや「あいつ」と同じような立ち位置ですが、段違いに人間離れした研究オタク。人生全体の中でも人間より研究対象と向き合っている時間のほうが圧倒的に長く、対人関係は四角四面です。登場時プレイヤーによく呼ばれていたあだ名はロボ。栄養補助食品を食べる。今にして思えば、「科学の研究」「四角四面さ」「サプリメントや合成食品」もばっちり鋼の領分ですね。

それでいて、このロボは命令されたことだけをやってるのではなく、飛び級しまくって20代から主星の研究院主任とかやっててプライベートってなにそれおいしいの?という生活を誰に言われるわけでもなく続けているわけですから、そのハートには尋常でない情熱が宿っているのです。宇宙の謎を解き明かしたい! 宇宙が誕生し事物が変化していくさまを観測したい! という、少年のままの純粋無垢な情熱です。『宇宙兄弟』読みたくなってきたな……。

「宇宙」という研究分野は、一見連続性のない、無から有が生まれるような不可思議な現象の宝庫、まさに最上級の「荒野」です。キッチリした四角い服しか着ない銀縁メガネのエルンストは、宇宙という荒野を永遠に冒険し開拓するロマンティックな少年なのです。

 

現実世界での鋼のサクリア

 鋼のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明はいま以上の利便性や活動範囲拡大のための工夫をこらすことや、夢の技術を実現させること、新しい仕事の創出を尊ぶ方向に向かっていきます。よって企画事業のイノベーションや最新鋭のトガッたニッチ産業、科学技術の発展などには鋼のサクリアが必要だといえます。共同体や企業をデカく強くするなら光・炎・夢・鋼の「上のサクリア」、堅実で身近なものにするなら闇・水・地・緑の「下のサクリア」といったところ。

鋼のサクリアが不足すると人は批判的知性をなくし、よくない現状でも異を唱えず惰性や同調圧力に負けがちになります。逆に鋼のサクリアばかりが過剰な人が多いと、社会は心の豊かさや幸福感を置いてけぼりにして技術や新しい商品を先鋭化させまくっていくことになり、自然界や人間自体の中の自然の生き物としてのやわらかい部分を無視してしまいます。。

 こうした性質から、鋼のサクリアは人間の役割でいえば「発明家・起業家」「抵抗組織(レジスタンス、カウンターカルチャー)」にあたります。「現状を変える」というのがキーワードになりますから、職業としてはいろんな仕事の人に必要な能力です。逆に言えば「何も勉学や仕事をしていない」状態とは相反するものという感じですね。「常に覚醒している」光のサクリアや「常に高速移動している」炎のサクリアともまた違ったワーカホリック性があります。鋼のサクリアは「常に何かを変える仕事をしている」のです。止まらない歯車のように。

 

 

 

次回は「夢と地のサクリア」をお届けします。

9つのサクリア総論・目次記事にもどる

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あわせて読んでよ

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照二朗のアンミナプレイ雑感①

 今回は「本稿では~」とかいうアレではなく、ふつうにプレイしてて雑感があふれだしたので書きとめておくものです。日記です。途中までの恋愛イベントのネタバレは含みますが、まあ全員適当な段階で今のところ止めてますから核心はぜんぜん見てません。

『アンジェリーク ルミナライズ』一周目に女王エンドを迎え、いま二周目にチョコっと入ったとこなので、まあ『アンジェ』プレイしてる方ならわかるとおもうんですけど、ゲームはまさにこっからといったところです。

アンジェリーク ルミナライズ

アンジェリーク ルミナライズ

  • 発売日: 2021/05/20
  • メディア: Video Game
 

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しかし、『風花雪月』のときも一周目の前半から全体のテーマ表現がバシバシだったように、コーエーテクモゲームス制作のよくできたゲームらしく、プロローグから、体験版範囲からすでにほとばしるテーマ感。案の定また体験版だけでフライングレビュー書いた

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もう期待と信頼でドキがムネムネになり、まだどの恋愛エンディングもなんもしてないのに進めるのがもったいないモードになってしまったので、ここらでいっちょ「アンジェリークシリーズとアンミナと照二朗」みたいなワンマンショーを開催、ガス抜きをしようという寸法です。ワンマンショーにお付き合いいただける方は笑ってやってください。

 

 

「仕事」というテーマ性

 本作のテーマは一言でいうと「あなたらしく輝くこと」です。UIなどのデザインコンセプトには宝石のカッティングによる色とりどりの輝きが意識され、「あなた=主人公やプレイヤー、そしてそれぞれのキャラクターたち」という宝石の原石が、いかにカットされ輝きを発揮していくか……というテーマを示しています。

その「カッティング」にあたるもの、どういうアクションで原石を切り出し磨いていくのかという方法のひとつとして、本作では「選択」という行為がフィーチャーされているのだと、体験版範囲のレビューでは書きました

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未来を想い描き自らの意思で個性的な「選択」をしていくのは『エルシャダイ』の有名なPVでもロレンツォの声の人に言われている、人間のもつとくべつな力です。「宇宙」などという尺度でみたとき、「人間」にその王たる資格があるとは限らないのではないか……と『アンジェリーク』シリーズについてこれまでぼんやりと思ってきましたが、「選択」をすることが女王の力であると言われれば、守護聖や女王が人間であることにも妥当性が感じられます。

そして、「選択」が周りに効果や影響を及ぼしたり、その積み重ねにやりがいを感じたりするという本作のシステムのテーマは、そのまま「ビデオゲーム」というものの独自の特徴であり、存在意義でもあります。「女性によって作られた女性向けの商品」としては初めてビデオゲーム界へ切り込んでいった『アンジェリーク』というシリーズが、大げさのようですが「社会を変える役割をもった」力を、今も変わらず発し続けているという面目躍如です。

 

女性と仕事

 で、「あなたらしさ」の宝石を輝かせるカッティングのポイントは「選択」と、そして「仕事」であると、体験版範囲から先を遊んでみて感じました(もちろん、その先に「恋」もあるのでしょう)。これはすなわち、主人公を「社会人」の25歳に設定した意義のひとつでもあります。

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女王候補となることを「転職」とうたったセンセーショナルな広報方法にもみてとれますが、本作は「仕事をして生きていくこと」を見つめることに重点が置かれています。守護聖の価値観について知っていくなかでも、「守護聖という仕事との関わり方」「社会人としていかにあろうとしているか」という色合いがかなり出てくるのです。守護聖の中でただ一人しっかりした社会人経験のあるロレンツォの言う通り、仕事は人生の中心的な時期の大きな時間を占めるものであり、それは結局「生き方」全体とつよくリンクすることになります。「ワークライフバランス」という言葉には「たかがワークの分際でなにライフ全体と対等ヅラしとんねん」とおもうところもあるのですが、じっさいワークのしかたが合わなかった結果ライフを失ってしまう人さえ多くおり、働き方改革は生き方の改革なのです。

初代『アンジェリーク』が制作された時期は、まだ「女性が働く」ということに対してはなんというか、「『キャリアウーマン』以外は結婚するまでの腰かけ、あるいは子供がある程度手を離れてから、働きたい人が働く」みたいな社会の状況でした。その時代に「若い女性が宇宙を導くトップ・リーダーとなる」という作品を出したのは本当に途方もなく挑戦的でした。そして今はいくぶんか状況が進み、「女性が働く」ことも「一生自分の仕事で身を立てていく女性」もそんなに珍しいことではなくなりました。そのぶんプレイヤーにも「仕事と自分の生き方」をリンクさせて考えられる素地が作られたといえるでしょう。

 

仕事と「じぶん」の不可避関係

学生の就職活動の様子を見ていても、世の中には自分だけにしかできない「唯一無二の」適職がどこかにある、という幻想を刷り込まれていますね。これは恋愛幻想と同じ構造になっている。仕事をする前に自分の適性や適職なんかわかるはずないのに、そういうものがあらかじめ自分の中に初期設定で組み込まれていると思っている。だから、何かを始める前に、「本当の自分らしさって何だろう?」と自問したままその場に凍り付いている。でも、個性というのは、まさにインターディペンデントな関係の中で、その人が何らかの役割や業績を果たしたときに、「あなたはこういう能力があり、こういうことに適性があった」ということを周囲から承認されるというかたちで知るわけですよね。

――内田樹『大人のいない国 (文春文庫)』より

自分の生き方を問ううえで、仕事というものは特別な役割をもっています。なぜならば、「自分探し」は自分の内面をただひたすら見つめることでかなうものではなく、誰かに求められそれに応え評価されることで、それを積み重ねることでだんだんと達成されるものだからです。つまり、「天職」がどこかにあるはずだと探してもどうしようもなく、とりあえずある仕事、頼まれた仕事をやってみて、やっていくことで、自分が何者で社会に対して何ができるのかが見えてくるのだ、ということです。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』でも主人公バスティアンは自分のほんとうの望みに行き着くまでにさまざまなことを試し失敗を重ねました。「あなたは、何がしたかったですか?」というサイラスの問いかけに答えられる主人公になるためには、自分だけで沈思黙考することではなく、仕事をして他者・社会と何かを与え合い、健全な評価のキャッチボールをしていく必要があるのです。

 

 そしてこの「仕事」というものは「賃金を得るもの」という定義のものではありません。「他者・社会と何かを与え合い、評価のキャッチボールをするべきもの」です。

「女性活躍推進法」などの、「女性(あるいは社会的に就職不利である他の属性の人々)がもっと社会に出られるように、その力を活用できるように」という目的の立法とかがありますが、そこでいう「女性(とか)」の多くは家事や家族のケアなどの無賃労働に従事していたり、している仕事が社会に仕事であると認められていなかったりするのであって、「賃金や社会的地位がない」ことは「仕事をしていない」ことを表しません。賃金が払われていなかろうと、現在の社会でNEETとみなされていようと、あなたが自分の責任において生き、社会に何かを与えようとし、影響を与え合っているのならば、それは「社会人」だってことなのだとおもうのです。それはもっと評価されていい。

話がそれましたが、アンミナにおいて「仕事」は、人が何者であるか、その生き方を切り出していくための舞台であり、試練の刃であると描かれているってことです。女王候補としての飛空都市にはおカネを介した経済がありません。「日々の糧を得る」っていうふだん意識せざるをえない仕事の目的から離れることで、仕事の本来の力である「自分を自分にする」ということにとりくむことになるのです。

 

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 「仕事」はどこかにある天職を探せるものではないと言った通り、自分としてはピンとこない、不本意なものから始まることもままあり、それは何も悪いこと不自然なことではありません。

「守護聖」という仕事のシステムじたいがもともとそういうとこあったのですが、それをガチで追ってカメラの中央にとらえたのが、本作のカナタです

高校3年生になるところの彼は特になりたいものが決まっているわけでもなく、しかし、大人になれば自分が何をしてどう生きていくべきかわかるのではないか……と漠然と思っていました。当方は彼と同じくらいの歳の生徒を教えているので、彼のその意識はごく一般的な、というかやや恵まれた幸せな高校生のものだなあと実感できます。

彼のあたりまえの生活、友達、家族が突然はるか遠くに引き離され、長く勤める「仕事」が強制的に決められてしまったことは、彼のSNSアカウントを見守っていたアンミナの見込み顧客たちに大きな衝撃と悲しみ、ときに憤りを与えました。当方は、「未成年の日常アカウントを、しかも彼の運命の重大なことを知っている無関係の大人が一方的に見て楽しむというのはよくない」とフィクションと現実の境目を無視したことを思い、リアルタイムで追ってはいなかったのですが……。もちろん広報作品として作られていたアカウントですから楽しくドキドキ見ていた人に罪があるわけではぜんぜんありませんよ。むしろいいことです。当方のは職業倫理っていうか職業病?みたいなとこですね。

カナタのことはドラマティックな悲しい衝撃だったのですが、しかし、ことを「宇宙」とかよりスケールダウンさせるならば、この「あたりまえの幸せが続くと思っていた、将来について覚悟しているわけでもない学生が、突然進路を決定されることになる」という状況じたいは、残念ながらっていうのかどうなのか、どこにでもありうること……でもあります。つまり、突然の家庭の事情により進学をあきらめ思ってもみなかったところに働きに出ることになった18歳や、いきなり自分や家族が難しい病気になりそれまでの人生プランが真っ白になってしまった18歳や……、そういった18歳を当方は何人も知っています。そして、もっと小さければ当然社会的に保護されるべきですが、18歳だから、高校に保護されない限り大人と勘定され、そこからは自分で泳いでいきなさい、たとえ自分の選んだ水でなくとも、と言われることになる。

自分の選んだ水でなくとも、「こんなの自分がやりたいって思ったことじゃないのに」とうなりながらそこを泳ぎ、たどり着いた岸でしか、自分の生き方に出会うことはできない。そうやってカナタが生きるべき自分を形作っていけるように願います。

 

 そして「仕事」はまた、自分一人でできるものではありません。「優れたことをなす」ことよりも、「他者・社会と関わっていく」ことのほうが、実は仕事の本質だからです。

フェリクスの初期のイベントは、彼の「ヘラヘラしてれば誰かが助けてくれるというのは美しくない、自分の力でやることが美しさ」という考えに対して、「他者の心を無視し仕事仲間との協力を軽視するのって仕事ができる人とはいえないと思うけど~!?」とバトっていく展開が軸になります。そう、「他者を無視しても問題ない超人」は「仕事ができる人」とはいえないのです。

われわれはどうしても、できる人になろう、強くなろう、と思うと、「一人でも生きていけるように」「助けを借りずに仕事をこなせるように」ということを「一人前」になることだと思っていまいがちです。でもそれは、少なくとも「仕事」という概念においては、強さではありません。なぜなら人類の「仕事」とか「労働」とかっていうのは個人の強さからではなく、むしろ弱さから発生したものといえるからです。

仕事は求める人がいて、応えて、評価されるから成立するものだと先に述べました。たとえば狩りが不得意な人がいて、狩ってきた肉を渡して、喜ばれる。ここには狩人という仕事が発生していますが、これは「狩りが不得意な人」が存在するから起こったことであり、そうでなければ狩りが得意な人が自分のために肉を狩って食べて終わりです。それは野生動物とおなじで仕事とはいわないですよね。

つまり、人によって得意不得意が違い、不得意な人が得意な人を頼ってくれることによってのみ仕事が生まれ、経済の流れが生まれ、経済の流れは1と1の交換によって豊かさを3にも4にも増やしていくことになります。こうして、人間は「仕事」の結びつきによる「社会」を形成してきたのです。だから、「自分一人でなんでもやろうとする人」は人間社会が発展してきた原理に背いている……ともいえるわけです。

フェリクスから見て主人公が「仲間とか友情とかに依存する情けないヤツ」であることは、最初は主人公が自立心をあまり持てていなかったということを表しています。しかし、意志的になってきた主人公は逆に、自分でできないことについて得意な人を頼ることこそが仕事なのだとフェリクスに示していくことになります。守護聖たちの「仕事」を結ぶ要である女王は、「自分でなんでもできる完璧な女性」である必要はない。むしろ、人間はそういう完璧なものではないということを知っている女性こそが……。

そしてこの、「お互いの足りないところを、お互いの余っているもので埋めていくことで、幸せになる」という仕事の性質は、そのまま恋愛を含む深い人間関係の性質でもあるではありませんか。

 

尖った選択肢

 さっき言ったようにフェリクスと仕事のやり方についてバトるなど、今作は選択肢が尖っているというか力強いです。

一周目はある程度のところで積極的にフラグを折りにいっていたのですが、そうでなくても、今回は「まあまあ無難な答えなのに不正解な選択肢」「こっちが正解そうなのにかなりキツいこと言う選択肢」がけっこうみられるのです。これはアンジュという女がものを言うタイプの女であるというより、バシバシ言っていけと選択肢にしむけられているのですよね。

これはけっこう、プレイヤーによってはストレスになることだとおもいます。当方ですらストレスなんですから。かつ、そのストレスは制作側が意図して与えてきているものだというところもポイントです。ルビーパーティーは言っている、ぶつかり稽古しろと(エルシャダイ構文)。なぜかといえば、人と対等に仕事をしながら尊敬し合う人間関係を築いていくためには、意見を戦わせることを恐れてはいけないし、それを人格否定的などちらかを屈服させる戦いだと思ってもいけないからです。

女性が家庭の中に閉じ込められなくなってきた近年でも、やはり女性の多くはまだ「意見を戦わせること」について不慣れであると感じます。それは、意見を戦わせることが怖くて障りのない会話をしがちだというだけでなく、逆に意見を戦わせたら最後親の仇のようにいわゆる「天敵」「地雷」のように不倶戴天の敵となってしまうというのも根本的には同じことです。女性を含めわれわれは、世界を生きる仲間としての他者と価値観を交流させるための葛藤にもっと慣れ、それとの距離感をつかんでいくべきです。

 

 そして、その「他者との葛藤をもっとカジュアルにすること」に付随して恋愛進行不可のパリーンもけっこうカジュアルにおこります。これも素晴らしい。

コルダのパリーンより軽めというか、さらりと行き違い、このルートではだめでした、となるのがまたリアリティがあるというか、恋愛がそのタイミングでは不可になっても人間関係は続いていくという感触が、大人らしいですし、人生らしい、とおもいます。旧作でジュリアスとかをフッたときの爆発ぶりはすごかったですからね……。それにクラヴィスというキャラクターじたいがそういう女王候補との恋愛の行き違い恋愛不可から長年の傷を抱えまくっていた造形でもあったし、なんていうか時代変わったなっていい意味で感じます。

 

照二朗とアンジェリーク

 と、なんで恋愛不可パリーンした後の流れを評価してたかっていうとそれが当方の楽しみポイントだからです。照二朗のこれまでの『アンジェ』楽しみどころを挙げますと

 

・定期審査の人気投票を親密な守護聖に「こんなに支持されてるのか……俺以外の奴から……」みたいに思わせる感じで見せつけるのがやりがい

相手が超盛り上がってるところで振るのがテンション上がる

・フラグが折れた相手と微妙な雰囲気なのに親密なデートするのが味わい深い

・『エトワール』で告白を断って親密度をガン下げした後、また親密度を上げて奥の間に通される仲になるのが超エロい(エトワールにはすごく高い親密度になると執務室の奥の私室に迎えられるというシステムがあります)

・エンディングできるフラグが林立してるところで寸止め女王エンドすると未練を残した祝福の言葉を言ってくれるのが最高に興味深い栄養

 

……といった感じで……。あっ引いてますか? でもこのように魔性の女のようなプレイングをして、正規の恋愛エンディングとは違うその後の物語や行間を想像できるのもまた、飛空都市や聖地に暮らして日々の仕事を積み重ねるタイプの『アンジェリーク』だからこその醍醐味というものですよ! こういう行間読みの味わい深さとエロさ、ファイアーエムブレムシリーズにも通じますね。もちろん正規の恋愛エンディングも全力で楽しみますとも。

このような感じの楽しみ方が、今のところアンミナでもけっこうできていて満足感があります! フラグ折りがより繊細な味わい深さになっていますし、フラグが折れててもネックレスをプレゼントしてくれたり、逆にフラグが折れていると女王になったときに未練なくちゃんと吹っ切った祝福をしてくれて逆に感動しましたね、あそこで道が分かれてから彼の中で整理をつけて、人間として尊敬できる仕事仲間として認めてくれたんだって……。女性として守護聖の男性たちを好きっていう入り込み方じゃない自分の問題も大きいですが、やはり恋が折れても友愛を育めるっていうのが何よりうれしいんですよね。

あと今一番最高マイブームなのはフラグが折れた後の森の湖デートのうすく悲痛で微妙な雰囲気! フラグが折れた後の自室デートもエロくていいですね! 別れた恋人的な存在と部屋でダラダラ他愛ない遊びするのって超楽しくてうれしくないですか!? おれだけ!? フラグ折れてもすごい仲いいシュリと部屋でいっしょに筋トレすんのめちゃくちゃ興奮しましたけど

 

現時点での守護聖雑感

ユエ

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 まず「おまえのようなガサツなつくりの光の守護聖があるか」って思ってアンミナのいちばんの不安要素だとおもって見てたんですけど、それが戦略っていうか、意図された構成である感じがわかってきてやはりルビパには脱帽ですね。こいつ、主人公にとって最初「何も考えてないように見えるダメ上司」と重なりつつ、「人の上に立って責任ある仕事をするということ」に目を開かせていく役割をもたされるためにガサツに作られてません!?

 あとこの自己評価高い高い芸とか生きとし生けるもの愛すムーヴがすごく見覚えありますね、主に鏡の中で

 

ノア

 カナタも心配というか関わるときには大人と傷つきまくった新社会人というパワーバランスに十分注意して慎重に関わらねば……とおもうのですが、ノアもたいがいやばいですね。年齢こそ大人ですが公式にも「年齢より幼い」と言われてますし、社会に生きる人間としての教育を受け生きる力を身につけてきたかという意味では、カナタよりよほど保護されなければならない子供だということになります。心にある欠落とともに生きる、という意味ではクラヴィスもフランシスも同じなのですが、二人は陰鬱に見えて案外ある程度自分と折り合いをつけられている大人だったので……。

そこらへんを安んじてから、そのうえで恋愛っぽい話になっていくとはおもうのですが、今は……ただ……心配だしかわいいベイビーちゃんだな(仕事はちゃんとしてくれてえらい大人である)……という感じ。

 

ヴァージル

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 ヴァージルを見ていてつくづく思ったのが「コーエーテクモゲームスは『風』という実体のないものをキャラクターに表現するのがすごくうまい……」ということです。

サクリアの性質についての分析記事でまたいずれ風のサクリアの話もするのですが、風のサクリアは『遙か』では天の青龍や、白龍の神子の性質に該当します。

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「風」というのは実体もないし性質の二極でもない、ただ「動いている」という概念です。天の青龍は「己をむなしくして(生々しい我欲に生きず)」忠や義のためにさわやかに駆け抜ける風であり、「真田幸村」という人物の伝説が愛されてきた魅力そのものです。また、風のサクリアの「勇気」「変化」という性質は「先へ進む力」すなわち陽の気の極致で、八葉を動かし突破と創造を司る白龍の神子にあたります。コーエーテクモゲームスは『戦国無双』シリーズの真田幸村を含め、この「吹き過ぎる変化の風」のせつないまでの美しさ、ロマンを描くのがほんと得意なんですよね。つかみどころのない風は表現するの難しいですよ。

その通りヴァージルは「つかみどころのない」「見ていると寂しく切なくなるような」魅力を発散していてパッと見から見事です。これまでのランディやユーイといった風の守護聖は「素直で伸びやかな少年」という造形であったため、ヴァージルはかなり異質なアプローチです。どういう中身からこの切ない魅力が出てるのかと思ったら、ヴァージルの「風」とは「戦うこと」だったのです。それも、炎のサクリアの性質のように情熱や勝敗によって戦うのではなく、戦わねばならないときに一瞬で戦う体勢になれるそこに恨みや憎しみはない弱点や死角を相手にさらさない間合いを保つ、という徹底したドライさです。それこそがサバイバル、生き抜くということです。

このドライな風の軽やかさと瞬発力は彼の異常なまでのエクササイズ好きにもあらわれています。これも風のサクリア的なことに彼自身は自分の心の中身や他人の心との違いを客観的に意識する性格ではないのですが、彼と運動の関わり方には「常に自分の体を精細かつ抵抗ゼロでコントロールしたい」という感覚が見えます。これはタロットでいう「戦車」アルカナ的な性質でもありますね。

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ヴァージルは敵を退ける実用に最適化された小型の拳銃、研ぎ澄まされて紙のように空気抵抗理論値ゼロとなったナイフであり、そういう空虚なまでに磨き抜かれた武器に人間は、そら恐ろしさや畏敬だけでなく優美な魅力を感じるものです。美しい数式に対するように。案の定、銃や刀剣に魅入られるがごとくフラフラとヴァージルにハマっているプレイヤーも多いようです。

また、ヴァージルが「大事な身内を箱に入れて守りたいタイプ」だというのもまた、秀逸な「風」の表現です。歴代の天の青龍(特に瞬とか)もそういう傾向がありましたが、それより強い出方です。「風」のサクリアの「逆位置」的な性質だといってもいいかもしれませんね。ヴァージルの世界観では何もかもが不確かで容易に奪い去られてしまうものであるがゆえに、彼は大事なものが傷つけられることには過敏にならざるを得ません。そして重要なことに、彼は自分のその気持ちがどういう機序で表に出てくるのか、ぜんぜん制御できません。ふだん意識していないわけですからね。体や頭を冴えさせることにはほとんど完璧でも、心はそうではない。アスリートの筋肉のつき方や動き方が競技によって違ってくるように、人間の心の動きってそれぞれさまざまなんだな、ということがよくわかる、変わったかたちをした心のいとおしさです。

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そんでこの自分の心の八つ当たりの機序が自分でもよくわかってない不思議な混乱と、意識していない心の独自のかたち、それを柔和ですかした外見や人当たりに入れてるとこが、なんか木原音瀬のBL小説に出てきそうなキャラ

アオイトリ (ビーボーイノベルズ)

アオイトリ (ビーボーイノベルズ)

  • 作者:木原 音瀬
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: 新書
 

一周目は適当なところでフラグを折っておいたのですが、「木原音瀬はじまったな……」という感じでめちゃくちゃよかったです。木原音瀬だったらそこからいろいろヤバしんど展開のすれ違いラブストーリーが始まるのでこのゲームが全年齢だったことを幸いに思え(そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え)

恋愛進めるの楽しみなキャラです。

 

カナタ

 超かわいいですよね。残念ながら先述の職業病的なアレで超かわいいというだけでは「深く傷ついた新社会人と大人のパワーバランスを……」みたいに慎重になってしまい今後の展開にも警戒がありますが、基本好みのノンケ(※)です(※カナタは恋人がいたことがないしまだあまり考えたことがないはずなので性指向は本人にもわからんとこからのスタートで、ここでいう「ノンケ」は雰囲気語です)

でも恋愛状態に陥るかどうかは今のところの考えではパワーバランス優先です。フィクションを全力楽しみたいのでかなり現実に寄せて考えてしまうんですよね……。年下をかわいいと思わないのではなく、かわいいと思ったとしても倫理として当たり前にストップをかける、っていうのは「目の前にある商品が好きでも万引きはしない」くらいの感じのアレで……。

でもぜったいエロいと思うのでもし照二朗が進めなくてもみなさん楽しんでください。

 

シュリ

 めちゃくちゃ好みの武骨男ですね(クソデカ早口)

照二朗こういう武骨系の雄(ゆう)には「自分にないものを持ってる男……」てハワンワしてしまいめっちゃ大興奮なんですよね。

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またさー「女王の代替わりに宇宙が不安定になるとかクソじゃね? 女王なしで回るならそのほうがいいのにって思ったことある」というシュリの発言がサイコーに「炎」のもつ男性原理の表現でよくできてるんですよね。つまり「女性」という本質的に不安定で波のある存在を王に戴くことの是非、守護聖すなわち「男性」のオンオフがはっきりした力で全部白黒ついたほうがいいっていうコントロール主義(しかしそれはうまくいかなかったという挫折つき)です。「炎」の強さは母性に対する父性、女性原理に対する男性原理、ファジーさではなくはっきりした勝敗を司る力なんです。詳しくは下の水と炎のサクリアの分析記事で。

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ミラン

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 ヴァージルが今までの素直少年系風の守護聖からの新しい切り込み方だったのに対し、ミランの「緑」へのアプローチは今までの二人の守護聖の位置取りからすると妥当でバランスのとれた配置です。「農耕の豊かな実り、清らかで素朴な大地の力」というデメテル的な力を表していたマルセル、「生命の息吹そのものが萌えいづる有機的な美である」というプシュケ的な力を表していたセイランに対し、ミランは「欲望を喚起し、充足させることによる幸福」というラクシュミー的な力をもっています。

彼もまたノアと同様に幼いころからサクリアがドバドバ出てた超常能力者だったようで、彼が踊るとそれを見た人は心のうちの望み、つまり欲望が整理され、それによって夢を叶え幸せになることができるということで、なんか新興宗教の神子様のように祭り上げられていたみたいです。こいつもなにげに幼少期にまともな保護と教育を受けられてねえじゃねえか!! まあ社会との折り合いという意味では問題あるわけじゃないのでいいですけど……。

「豊かに生きる」という緑のサクリアのテーマについて「欲望」を中心に持ってきたのはさすがです。マルセルやセイランもそれぞれにさすがでしたが、ミランはよりプレイヤーに緑のサクリアの性質について理解してもらいやすいですね。「もっと豊かになりたい」という欲望こそが幸せを増やす原動力であり、人間社会が農耕や貯蓄、資産運用といった緑のサクリアの領分を拡大させてきた根本です。そして「扇情的」という言葉が示すように「欲望」はきらめきときめきや愉しみによって喚起されるもの。それがミランのちょっとセクシーできらびやかなダンスで浮かび上がってくるというのはよくできてるじゃないですか。この「ときめききらめく豊かさや欲のエネルギー」という性質は、『遙か』の八葉でいう地の白虎に相当します。

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そして、ヴァージルと同じくミランには緑の「逆位置」が含まれていますね。彼が欲望を喚起する踊りそのものなので、いろんな欲望を見通すばかりで彼自身の欲望についてよくわからなくなり、乾いています。人と話しながら外食するのは楽しいけど自分だけなら適当に済ませちゃう……というの、わかるなァ。

 あと、初期相性だとミランがレイナと勝手にラブラブになるようになってるのもうまいなと思います。ミランってノリが軽いから嫌われてもショックじゃないタイプじゃないですか? いや好みはいろいろだと思うんですけど仕事仲間としての関わり方としてさ……。いきなりカナタに嫌われたらショックが大きいでしょ。

 

ゼノ

 服のデザインがめっちゃオシャレでかわいい。鋼のガンメタルカラーにピンクを合わせるってのがいかしてますよね。ゼフェルとエルンストが硬質な色使いだったのでこれはオシャポイント高いですわ。チャーミングだ。

ゼノはミランと逆というか対応関係で、「欲望を喚起してきた」ミランと「誰かの役に立ちたい」ゼノという極になっています。一見これらはあんまり対応してる感じしないですが、自然の恵みをあらわす「緑」と人工の技術をあらわす「鋼」のサクリアはもともと対のものだということに根差していてよくできてるなーと思います。

「光と闇」「水と炎」の前半の対のサクリアは仲が悪くてなかなか相容れない感じですが、「緑と鋼」「夢と地」の後半の対のサクリアは初代も今作も仲がいいんですよね。これは、人間の文明が発展していく過程で対極のものが結び合わされることを表してもいます。たとえば「緑と鋼」を結ぶものは「農耕」です。自然の実りと人為の技術の間には、犂や鍬などの農具、荷車や水車などの幸せな結婚が発生し、お互いを高め合ってきました。だから、「もっと幸せになりたい」という湧き上がる欲望の逆側にあるのは、「もっと人の役に立ちたい」という渇望や試行錯誤で、それらの間の相互作用こそが、さっき話した「仕事」という人間らしさなのです。

カナタが自分の生き方をみつけるのは「仕事」を通してにほかならないと言いましたが、ゼノにはその反対側ともいえる「やみくもに仕事をしていても自分に向き合うことにならない」という、これまた「仕事」に関する普遍的な問題が表現されています。裏付け表現がすごい、厚みがある。「誰かの役に立ちたい」というのは仕事の本質ですが、ゼノの場合自分に向き合うことを避けたいがため人の役に立つことにやっきになっていた面があり、その証拠に「仕事をして他者に認められても自分の価値を認められないゼノ」の空転が表現されています。

「鋼」の器用さのサクリアは人間らしい「仕事」に最も近い性質があって、そこでこれをやるのはほんとうまいなって思います。まさしく歯車が空転するように、ゼノは周りからの評価のキャッチボールをちゃんと受け取れないまま仕事をしようとしてきたのです。それは本当の仕事ではないということです。

 あとなんかその空転ぶりを含めた独特のエロさが『真・三國無双』の徐庶に似てる。

真・三國無双6 Empires - PS3

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  • 発売日: 2012/11/08
  • メディア: Video Game
 

 

フェリクス

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 夢の守護聖で「華やかな見た目に反して意外と常識人」って完全にオリヴィエを彷彿とさせる意図を感じますね。オリヴィエと比べたときの違いがひきたつキャラです。

初代では夢の守護聖オリヴィエが唯一の社会人経験者で今回のロレンツォ的な位置にあたりました。それゆえに現実的な世の中を知った常識人だったのですが、今回のフェリクスはほんの少年時代に守護聖として召し上げられ、聖地時間で十何年も守護聖専業でやってきた純粋培養夢の守護聖です。フェリクスにおける「常識人」というのはオリヴィエの酸いも甘いも噛み分けたうえでのものとは違い、美しい生き方として「バランスのとれた、弱点のない個人」を追求しているがゆえのもののようです。

フェリクスの生き方に現れている「夢」のサクリアの性質は、「理想」「完全」です。さきほど「仕事」は個人が完璧ではないから生まれるんだという話をしました。皮肉にもフェリクスのサクリアは「完璧な個人という理想は絵空事だ」という出方をしていておもしろいんですよね。アンジェリーク世界での「夢」属性とは現実に存在しないもの、思い描くしかないものを意味しています。

しかし、「現実的ではない」ということがそのまま「悪いこと」だとは思いませんし、その価値こそが夢のサクリアの存在意義です。フェリクスの母が女優だったように、フェリクスのイベントで小説が登場するように、フィクションを想うことは人に理想を示してきました。「そらごと」の物語を共有することができるのは、人間に固有の力です。フェリクスのイベントでそのあたりがどのように描かれていくのかとても楽しみです。

 

ロレンツォ

 人間の容姿が(武骨カッコいい雄(ゆう)以外は)よくわからないのでプレイ前は特に何も思ってなかったのですが、たいへん波長が合うし「地」のサクリアの性質の表現としても実に丁寧で大好きですね。コクがある味わい。

もともと「地」のサクリアの「知識」「知恵」の側面が好きでルヴァ様も波長が合って大好きでして、アンジェリークシリーズに入ったのもルヴァ様からでした。ロレンツォの地の性質はルヴァ様の変奏といった感じですね。かなりおおっぴらに怖い人になってるのももちろん変化ですが、より「知恵」について表現の解像度を高くしてきています。ルビーパーティーはプレイヤーを信頼して愛してくれているなあ。

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ロレンツォの考え方がよく表れてた細かいところでうまいなと思ったのは、「サプリメントのたぐいは好きじゃない」というところです。アンジェリークに限らず極度に知性的なキャラクターや合理的でクールなキャラクターは、特にエルンストのようなロボ系とか、食事を栄養摂取とみなしあまり時間をかけて楽しもうとはしなかったり、栄養補助食品ですませたりすることもよくあるとおもうのですが、それとは印象をずらす少々意外な描写です。

ロレンツォがサプリを好まないのは、食事は目で見たり味や文化を楽しんだりする統合的(ホリスティック)なものとして機能していると考えているからです。サプリメントは「不足しがちな栄養素を補う」ためにはたいへん有用なもので当方もおおいに利用していますが、栄養補助食品や完全栄養食などで「食事を簡便化しようとする」ことには実は落とし穴があります。なぜなら、現在の栄養学で人間に必要な栄養素だとわかっているもの以外にも、われわれの知らない栄養素がまだまだこの世にはあり、通常の食材の中から知らず知らずに摂取しているのかもしれないからです。

サプリでじゅうぶんに体を整えられるのはお金がある人だと思われることもありますが、むしろ本当の富裕層は日々の食事の中でバランスよく栄養をとることができるのでサプリをとる必要がないし、食事という文化と時間そのものを統合的に味わうオーガニックだったり伝統的だったりな料理を好む……という傾向があるんですよね。サプリメントはむしろ、それができない人がコスパよく不足を補うためのものだと考えるべきでしょう。地球でいうビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ的な存在だったロレンツォは本物の富裕層なんてレベルじゃねーぞ!なので、替えがきくただの栄養素なんかを効率的にとる必要はないのです。

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このように、ロレンツォは「まだわかっていないもの」への感受性、アンテナを張ることを重視しています。「無知の知」という言葉があるように、知性とは「知っていること」ではなく「知らないことがあると認識していること」に担保されています。幽霊とか現在オカルトとされているようなことも、現在の科学で解明されていないだけで原理が存在するのかもしれません。そういうこと。「知らないことがある」ということを意識するのは脳にとって負荷(ストレス)であり、「これについてはまだわからないことがある」というのを留保するのは思考体力を使います。その思考体力においてロレンツォは突出しており、むしろ持て余しているということです。このへん、最近のコーエーテクモキャラでは『FE風花雪月』のクロードによく似ていますね。

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 「替えがきくものを効率的に得る必要がない」「思考体力を持て余している」ロレンツォが求めるのは、効率の反対側です。それが「人間の心のゆらぎ」とかの、「まだよくわかっていない細部のファジーさ」というわけですね。

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昨今の日本の基礎研究軽視の話を↑の記事の同じくコーエーの最近の知性キャラであるリンハルトの項でもしましたが、「なんの役に立つのかわからないもの」にもとにかく未知で興味深ければロレンツォは関心を示します。「なんの役に立つのかわからないもの」もまた、「現在の人間には価値がわからない」ものにすぎず、それをマジで無価値であると断じてしまうのは「自分のわかっている世界こそすべてである」という反知性的な考え方なのです。「世界の中の、自分にはわからない価値」に貪欲に興味を示すロレンツォは「知性とは何か」について強く示してくれます。

『風花雪月』を遊んだ人にはロレンツォは「クロードとリンハルトとジョブズを混ぜたやつ」と伝えたいですね。キャラデザもなぜかクロードとリンハルトの要素あるし……。

リンハルトにもある部分ですが、この人の知への貪欲さと裏表というかこれも逆位置的要素の「対象への飽き」がどう描かれていくのか、自分事としても楽しみな気持ちですね。

 

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てな感じで、これから二周目進めま~す。

 

↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

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唯一絶対の「選択」の力―『アンミナ』体験版レビュー

本稿では『アンジェリーク ルミナライズ』(以下『アンミナ』とも)の序盤、体験版プレイ範囲時点でのプレイ感、コンセプト、ゲームデザイン、シリーズ上の位置づけ等のレビューをしていきます。

※序盤のネタバレや「予想」も含まれますのであしからずご了承ください。

 

 

主に「プレイするかどうか迷っている」「始めたばかり」の方に向けて、ゲームの傾向が向いているかどうかだとか、どういう楽しみどころがあるのかだとかを知っていただく一助になればという目的です。

ちなみに当方は『アンジェリーク』シリーズのナンバリングタイトルは『初代Special』、『2』、『トロワ』、『エトワール』、『ネオアン』をプレイしています。「アンジェはやったことない」方「昔やったことあるけどアンジェに触れるのはずいぶん久し振り」の方にも参考にしていただければ幸いです。

 

 

3分でわかる!『アンミナ』の長所と短所

 いつも光栄のゲームは要素が多いので↓『遙か7』の紹介を軽くまとめるのはなかなか骨が折れましたが、今回は要素としては案外とさっぱりしたつくりです。

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まず厳しいところいいところを短くまとめますと、

厳しいところ(´・_・`)

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俺が最近Twitterで失踪してニュースになった男子高校生カナタ!

automaton-media.com

とまあこのような感じで、

・ちょっとダサくてシュールな「マンガ的表現」が多用される

・絵柄の趣が旧作の『アンジェ』とは大きく異なる

・キャラの口調や性格などのデザインも、旧作に比べ軽めの趣

・「育成シミュレーション」に要素が多く、慣れるまで難しい

・育成が大半を占めるため物語部分を主に読みたい人には不向き

・ややユーザーインターフェースが使いづらい

というところが短所となりえそうです。

絵柄に関しては見りゃわかるのでヨッシャ!と思った人だけがやることでしょうが、従来の「ジャケットやキャラクターデザインイラストとエンディングスチルを由羅先生が描き、立ち絵はまた別のゲームグラフィック上の絵柄」であったシリーズとは異なり、今時はCG絵なので「ジャケットやキャラクターデザインイラストとほぼ同様の絵柄でゲームが進行する」という方式のため、そこは要チェックや。

 

いいところ(^u^)

・疲れた女性を応援する、奥深く優しいテーマ性

・庶民的で親しみやすい主人公

・親しみやすくなったが、より価値観を出してくる守護聖たち

・「宇宙の危機」「守護聖」など荒唐無稽なキーワードへの解像度を丁寧に上げるシナリオ

・育成シミュレーションのやりがいが大幅アップ!

・作品テーマと育成シミュレーションのリンク

・面倒な育成も一応すっ飛ばせる機能あり

粗削り的なところや、育成の難しさというか面倒さはありますが、この作品には「制作側が、プレイヤーに伝えたいこと、感じてほしい気持ち」がギュッと詰まっていると感じました。

それがセリフやモノローグからだけではなく、ゲームシステム全体やちょっとしたところからもジワジワと感じられるのがまた、ゲームらしくて良いところ。とにかく、旧作の『アンジェ』をやっていた感覚からすると、身が入りまくる育成システムになっています。育成システムについてはまた後述します。

 

ゲームの概要

アンジェリーク ルトゥール - PS Vita

アンジェリーク ルトゥール - PS Vita

  • 発売日: 2015/12/17
  • メディア: Video Game
 

 『アンジェリーク』は、1994年に発売された女性向け・男性キャラとの恋愛を目指すシミュレーションゲーム(現在の言葉でいうところの「乙女ゲー」)として世界初であったタイトルです。そこからしばらく『アンジェリーク』シリーズを旗艦とする「ネオロマンス」ブランドは女性向け恋愛ゲーム界を牽引しつづけ、2000年代後半にPSPで「オトメイト」等のブランドによる乙女ゲームタイトル大爆発がおこるまでは業界の代名詞的存在でした。

派生別シリーズとされている『ネオアンジェーリーク』やリメイク等を除けば、その『アンジェリーク』シリーズの完全新規タイトルとしてはじつに18年ぶりのものとな……じゅ!? エ!? じゅうは!???? となるのが……近日発売する『アンジェリーク ルミナライズ』……です……(呆然)…………。

 

 気を取り直しまして

 「アンジェリーク」とは「天使」の意味をもった本作の主人公の少女のデフォルトネームであり、物語は彼女が次の「宇宙の女王」の候補に選ばれたことから始まります。『エトワール』だけは女王になる物語ではないのですが、これはシリーズ作品に共通したプロットです。今回の『アンミナ』もその例に漏れず女王候補となる主人公の名は「アンジュ」、日本人名でありながらも過去作品とのつながりはバッチリです。

そういうわけで主人公は「宇宙」というスケールのデカすぎる舞台で「天使」としてデッケェ仕事をしていくことになり、宇宙の女王に仕える役割の「神の化身」めいた個性豊かなメンズたち……「守護聖」と関わり力を借り、やがて彼らを束ねていくこととなります。女性の輝く社会進出を応援し女性クリエイターによる制作チーム「ルビーパーティ」を苦心して作り上げた、現コーエテクモホールディングス会長・女傑襟川恵子氏の「らしさ」あふれるコンセプトです。白馬の王子様の夢も仕事のリーダーシップも両方やったるワイ!という葛藤とパワフルさのあるゲームなんですよね。

そういうわけで、ゲーム上でやることの大半を占めるのは「育てるべき世界を管理する」というシミュレーション、信長の野望となります。そうした「仕事の関係」を通じて守護聖たちとの個人的人間関係は育まれていき、恋愛関係に陥ったりその前に「あんたが女王!ヨッ!大統領!」てなってしまったりする、というわけです。

この「仕事をしながら攻略対象と仲を深めていく」システムがプレイヤーによっては吉と出るか凶と出るか、「攻略しがい」を見出せるかどうかはマジでプレイしてみないとわからないものがあるので、ぜひ無料体験版をプレイしてみてください。体験版範囲でもまったく合わないかちょっと楽しいかは見えてくると思いますよ。

 

主な注目要素

 ここからは個人的に、目を引くおもしろ特徴、あるいはぜひここ見てくださいよ!というポイントをいくつか挙げてレビューしていきます。

マンガ的表現

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 「アンジェ、さすがに時代が時代だしキャラの感じ変わったな…」というのの急先鋒的存在、女王候補付きおもしろ執事のサイラスです。「通販」ってこれキャラソンの曲名だぜ。アンジェリークの世界にこんな表立ってシュールなキャラ入れてもよかったのか(今までは客観的に見ておもしろいことになっていても本人たちはいたってマジメだった)

「はじめから」を選んだゲームのオープニングはこいつに怪しげな転職案件をあっせんされ、疲れとヤケクソで冗談かと思い女王候補となる契約書にサインしてしまう……という筋書きで始まります。そのこと自体は、広報の初期段階からわかっていたのですが、このオープニングなんと、ムービーではなく「マンガ」から始まるのです。そう、ちょうどwebマンガアプリの広告のようなノリで。

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こんな感じでさらに色が白黒のコマ割りが流れ、集中線やベタフラッシュが多用され、え……な……なにこれ……おれの年収、低すぎ……? アンジェリークじゃなくてノリがフルハウスキスやんかこんなの……。

フルハウスキス

フルハウスキス

  • 発売日: 2004/07/22
  • メディア: Video Game
 

ドタバタでたくましいラブコメ少女マンガ的表現を取り入れたのがジャケットからもわかる往年の名乙女ゲーム、『フルハウスキス』です。

なんか最初に出てくる光の守護聖・ユエ氏がフルキスを彷彿とさせる人物造形なのもあいまって当方は演出の随所からフルキスを感じまくってしまうのですが、たしかにマンガ的表現はキャッチーでわかりやすいですし、疲れてボヘーッとしていてもベタフラッシュがくると「あっ今なんかガーンってするとこだったんだな」と感情を鮮烈に引っ張ってくれます(大丈夫か?)。いまどき見ない『聖闘士星矢』くらいの勢いのベタフラッシュなんだよ。

「疲れた人もひきつける」という意味では、マンガアプリ広告っぽい手法というのは今作のターゲット向けには有効な演出かもしれません。そう、メインターゲットは「現代社会に疲れた女性」たちなのです。

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ところで「ゼフェルとレオナード以外に『クソッ』とか言う守護聖いんのかよ!?」っておもった おまけに「おい、女」だぜ!? とばしてんな!

 

「過渡期」というテーマ

 ネオロマンスの中での今作の特異性は、なんといっても「主人公の年齢」でしょう。

女性の年齢をどうこう言うのは気が引けるのですが……ネオロマンスのゲームの主人公は一貫して16~18歳の高校生世代(これは少女マンガの主人公の代表的年齢でもありますね)であり、しかも『アンミナ』の主人公は「社会人」というだけでなく「25歳」とはっきりと示されているというのがまた、主張を感じさせます。

アンジュとレイナの年齢である「25歳」はネオロマンスが25周年であること、歴戦のファンがそのぶん年齢を重ねてきたことにもかかっていますが、「25歳」はちょうどその『アンジェリーク』が産声をあげたころの時代の日本では「クリスマスケーキ理論」などといわれてきた数字でもあります。お若い方はご存知ないかもですが、「25歳を超えても独身の女性は、まるで12月25日を迎えたクリスマスケーキのように『価値が下がる』」と、当たり前のことのように言われていたのです。

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今の令和の世でそんなことを大っぴらに言おうものならボコスカに叩かれるわけですが、その価値観じたいがもうすっかり消えてしまったのかといえば、残念ながらまだそうではないでしょう。アンジュのこれまでの生活の沈鬱なイメージの中にも、「同年代の女性の結婚式が次々と行われる中、『次はアンジュ先輩ですね』と言われる」ということが漠然とした不安や疑問として描かれています。アンジュもまた、自分はクリスマスケーキなのではないか…とうっすら思わされているところのある現代日本の女性なのです。

 

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 レイナはまた、この25歳という自分たちの年齢を「過渡期」だと表現します。もう新人として甘えることはできないが、確かな立場を持っているわけでもない……。やれるはずだと期待はされるが、それに足る経験はない……。そのどっちつかずの微妙な苦しみに消耗する世代なのだと。そして「過渡期」は運命の分かれ道でもあります。子供のような何も知らない自由はもはやなく、しかし選ぶ道が一つしかないわけでもない……。それが「大人女子」であるということなのではないでしょうか(知らんけど)?

そしてこの「過渡期」性って25歳女性に限ったことではなく、実は普遍的な時代性でもあるとおもうんですよね。アンジェリークが最初に出て25年経ちましたけど、それより前の時代から女性は「活躍する男性と同じように強く優秀になれ」「女性らしく美しい良妻賢母となれ」というどっちつかずの過渡に引き裂かれてきて、たぶんまだ川岸にたどり着けていません。ネオロマンスが出て25年経ったけど、主人公は17歳から25歳に8歳年をとったくらいの感覚の、じわじわとした進歩はありますが。

ていうか、たぶんその過渡期性を一番感じているのは女性だとはおもうので乙女ゲーでやるべきなんですが、本質的には女性にかぎった話ですらないんですよ。現代日本ではみんな自由な仕事に就けるけど、派遣や非正規など仕事を転々とする状況にじわじわ追い込まれたら自己責任とか言われて先がない……。恋愛や結婚が自由になったのはいいけど、その自由がステキなパートナーを運んできてくれるわけじゃない……。なんでもできる時代って言われるけど、どこへも行けない……先が見えない……。

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 この「疲れ」はダラダラ休めば回復するっていうものではないような気が、確かにします。「自分が何をしたいのか考え、自由に行動する」ことでしか解放されない疲れ……。『アンミナ』はそんな、「もう大人だけど(あるいはこれから大人になっていくけど)、状況に流されることしかできてないのかもしれない」われわれを受け入れ、ひとたび立ち止まって人生について、大局について考える時間を与えて人生をリフレッシュさせてくれる体験として作られています。

いまを生きるプレイヤーへの愛と希望を感じるじゃないですか。

 

主人公の構造

 ネオロマンスゲームで当方がいつもスゲーなと評価しているのが、「ゲームのプレイヤーキャラとしての主人公女性のつくりのうまさ」です。ネオロマの主人公女性はみんな絵的にも爽やかでニュートラルで品がよくとてもキュートですし、物語への主人公の関わり方も無理のないものなので「ヒロインのファン」も多いです。でも今回はそれとは違ってキャラとしての魅力とは別に、プレイヤーがゲーム世界を体験するためのデバイスとして優れているっていう点を推したい。『アンミナ』もそのうまいバランスには目をみはるものがあります!

 

 まず今回の主人公アンジュの描写で「入り込みやすさ」になっているのが、「疲れていたので冗談だと思って契約書にサインしてしまった」という基本の筋書きです。

これだけ見ると「不注意な女だな…大丈夫かよ…」となるかもしれませんが、それ以前に考えてみてくださいよ、「宇宙の女王になるために女王試験をがんばろう!」なんて自発的に考えるやつには大多数の人間、ことに女性はとても共感できないでしょう。今までのように17歳の元気な学生が「使命です!」ってお上から言われ家族からも祝福されればそういうもんなのかと思えましょうが、今回は25歳社会人女性なのです。たとえ自分を変えたい、何かビッグなチャレンジをしてみたいとちょっと思っていても、「いやいや自分がそんな……」と一歩譲るのがもののわかった日本人。あまりいい性質ではないのも確かですけど。

そんな慎ましやかでわきまえすぎる同調圧力の中で暮らしている日本人女性がドラマに入り込んでいくために使われるのが、「一体私、これからどうなっちゃうの~!?」と呼ばれる(?)手法です。すなわち、「仕方なく巻き込まれた」「強引なカレに無理矢理決定され…」というように不可抗力によって物語が始まってくれれば、「大人の女性として慎まなきゃ…」「自分から活躍や恋愛を求めにいくなんてはしたないと思われるかも…」と思ってしまう、前に出ていかないタイプの人もドラマの中にすんなりと身を置くことができるって寸法です。

アンジュは契約書に名前を書いてしまった手前、しかも自分の住んでいた場所にも現実的な危機が迫っているとあって、女王候補の仕事を「しなければならない」と思うようになります。最初から自分の能力や魅力を信頼し自らの意思で行動を起こしていく女性は、残念ながらまだまだ「出しゃばり」「かわいくない」と遠ざけられることが多くあるのではないでしょうか? 「はじまりは決して自分の意思ではない」という予防線というかエクスキューズによって、プレイヤーは世界最大のリーダーシップ「宇宙の女王」を目指すというアメリカ大統領選立候補の万倍すごい出しゃばり行為に無理なくスムーズに搭乗することができるのです。

 かつ、主人公は大人の女性の常識として「残してきた仕事」や「周囲の人間関係」や「あまりに現実離れした状況」のことをちゃんと認識して心配してみせます。「書かされた契約書」に関しても「あの状況ではまともに説明を受けたとはいえない、その契約は無効なのでは」というクーリング・オフ的なことをちゃんとサイラスに言い出しており、アンポンタンな不注意女ではないことがさりげなくアピールされています。「出しゃばり」だけでなく「自分勝手で常識のない女性」にもまた社会とプレイヤーの目は厳しいものですから、そこをうまく解除しつつ導入が進むのはストレス管理です。

(また、主人公は現代の大人女子らしくなんと守護聖たちを呼び捨てで話していくことになります。確かに攻略対象全員を「様」呼びとかいまどきなんなのって感じだものな。そうして親しみをもたせつつの、レイナのほうは「昔から女王信仰の伝説に興味があって憧れていたから」という理由から様呼びと敬語を継続すると選択。初代からのプレイヤーの中にはレイナのような感覚の人もいることでしょうから、古式ゆかしいレイナがいることで「近頃の若い子のフランクさにはまったくついていけないわ……」と放り投げなくてもすむようになっています)

 

 ところが、そんな「自分の意思で参加を選ばなくていい」という受動的な女性に配慮の行き届いた導入でありながら、プレイヤーはゲームのあらゆるシーンを通して「選択すること」に慣れていくようにしむけられます。「教育」というか「トレーニング」というか、丁寧に段階を踏んだ選択のレッスンのようにゲーム全体が作られています。

飛空都市にペガサスでさらわれてきて気絶コンボまでかました後の主人公は、サイラスに「アンケートのようなもの」と言われて6つの質問に答えることになります。「選択肢式アンケート」から始まるというのが実にうまい。現代日本人は自分で選択することを忌避しながらも、質問に選択式で答えるアンケートは大大大好きなのです。これはマーケティング的にも事実です。

心理テストとかみんな好きですよね。出しゃばって自分から話して傷つきたくはないけれど、誰だって自分のことを聞いてほしいしわかってほしい……、確固たる自分は持ててないけど、本当の自分を探したい……、というわけです。その質問の答えが積み重なって「自分がどういう人間か」がかたちづくられ、他人との関係性の相性が決まっていくというのはまるっきり「占い」のカウンセリングを受けるときと同じ心地よさがあります。そして「プレイヤーの選択の入力に対して、適切でなんらかの楽しみのある出力が返される」ということこそが、ビデオゲームという文化の本質なのです。

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サイラスのアンケートの後にも、主人公は「大陸の民をどのように導くかあなたが選択していく」と言われてチュートリアルをしたり、守護聖の価値観に関する話題に反応を返し自分の価値観を表明したりといった「自分らしさの絶えざる選択」を簡単操作で行い、適切な反応を返されていくことになります。

『アンミナ』と主人公アンジュは、「自分が何を望んで行動しても、どうせ何も変わらない」といううっすらとした無力感に覆われた今の社会に生きる、自己効力感の低下したプレイヤーにもう一度望む人生を選ぶ筋力を取り戻させる、いわば「リハビリ施設」として設計されているのです。

 

深化した育成システム

「人が持つ唯一絶対の力。それは自らの意志で進むべき道を選択することだ。
 お前は常に人にとって最良の未来を思い、自由に選択していけ」

……『アンミナ』の誰のセリフかって? 竹内良太さんの声だからロレンツォですね……嘘です。これは『エルシャダイ』のルシフェル(CVは本当に竹内良太さん)のセリフです。

El Shaddai ASCENSION OF THE METATRON - PS3

El Shaddai ASCENSION OF THE METATRON - PS3

  • 発売日: 2011/04/28
  • メディア: Video Game
 

主人公は別にすごい人間でなくても、エルシャダイでイーノックが神に愛されたように宇宙意志になぜか愛され、「自分らしい選択をしていく人間」の代表として大陸の未来のために毎日の最適解を探し、道を選択していくことになります。

『アンミナ』には初代アンジェリークを彷彿とさせる要素が多く、明らかに意識されています。性格は違えどレイナの生まれながらのエリートぶりやカラーリングはロザリアを思わせますし、大陸を育成するという課題は初代と同じ、きわめつけに主人公の育成する大陸のデフォルト名前「エリューシオン」も初代のコミカライズなどでアンジェリークが育てた大陸のデフォルト名と同じなのです。

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そしてダメ押しにこのセルフパロディをかましてくるしまつ。

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(『アンジェリーク』(ゲームボーイアドバンス版)より)

この大陸の神官くんが↑こういうこと言ったんです。

そんなふうに初代アンジェリークを思いながら育成を始めてみて何を思ったかというと、「これ、初代のコミカライズで見たやつだ!」です。「初代のゲームで見た」ではないところがミソ。

宇宙には9つのサクリアのバランスというものが存在します。コミカライズの『アンジェリーク』ではアンジェリークがバランスを失した育成をしたせいで大陸の民に苦労をさせてしまったり、「民の心が技術や文化に追いつかない」「民の望みを叶えてばかりで良いとは限らない」というようなことを守護聖たちにアドバイスを受けて悩んだり、女王の力の衰えとともにバランスを崩しつつある宇宙の問題に守護聖たちが緊迫し目を光らせていたり、はたまた守護聖交代や女王就任にともなう切ない恋や別れのエピソードがあったり……という「宇宙の女王になること」のドラマ性がふんだんに描かれていました。

しかし、初代アンジェには当時の開発の限界もあり、そういうドラマティックなことは「設定としてある」「匂わされる」レベルにとどまりゲーム上の表現としては盛り込まれてなかったんです。だから極端な話仲良くしてる2~3人の守護聖の力ばかりがバカスカ贈られても問題なく建物が増え、そんで女王になるというそんなんでいいのか宇宙の女王って!?というようなことも、極端とは言ったもののスゲーざらにあるプレイ状況だったのです。闇と水の力ばっか送り込まれ眠りと癒しにしか興味のない大陸や、緑と鋼の力だけのものすごい即物的な物質文明とかができてもなんの問題もない育成システムだったんですよね。だからコミカライズを読んでは、「実際はこういうことが起こっていて、あれはゲームの容量上のデフォルメだったんだなあ」と胸をときめかせていたものです(政治歴史経済に胸がときめくタイプ)。

そんなわけで、物語上の心としては大陸の民のことが心配で見に行きたくても、システム上は大陸の民草どもが何を求めてるかなんて関係ねえガハハ!式だったため、「土の曜日の視察」というのもぶっちゃけ「なんか知らんが行かんとならんらしいから行ってる」「パスハとかエルンストがコエーから行く」にすぎなくも思えてしまうところがあり、場合によっては女王候補の仕事の予定を平然と邪魔してくる曜日のわからない守護聖の訪問があれば部屋デートで一日をつぶしたりするよくわからん半ドン(死語)の日だったのです。

 

 それがどうだ、今作ではコミカライズ『アンジェリーク』に描かれ本編では省略されていたあの「刻一刻と変化する民の望みと心の成長」「大陸の力のバランス」「力のバランスが崩れた際の問題解決」というドラマと考えがいのある政治要素がシステムとして取り入れられている。アンジェの世界だ!アンジェの世界にいるんだおれは~!

そしてその結果、あの義務的な存在だった土の曜日の視察で手に入る情報のなんと貴重でありがたく感じられることか! 王立研究院、最高! 情報は最強の武器! そういう「女王として当然の感覚をゲーム性を通じて持たせてくれるシステム」に大感謝!!

 

 どんな力でもとにかく量を送れば大陸が発展し勝てちゃうのではなく、毎日変わる民の望み、力のバランス、民の心の成長、今日、明日、送り込みやすい力があり、プレイヤーは自然とタブレットとにらめっこをしたり王立研究員に積極的に通ったりして毎日の行動を選択していくことになるでしょう。

そこでは「何をしたって変わらない」などということは絶対になく、われわれはさまざまに悩みます。しかし、何をしても取り返しのつかない間違いというわけではなく、あなたの選択はたとえ失敗しても周りの人に支えられ、宇宙に祝福されています。「あなたがあなたらしくある」ことで、宇宙は救われる。

「あなたらしくある」というのは欲望のままにダラダラ過ごすということではなく、「他人からの不当な圧力を受けない環境で自分なりにせいいっぱい考え、自分の選択で仕事を進められる」ということだったのです。

 

ルミナライズ マイライフ

 プレイヤーであるあなたは『アンミナ』において無数の選択をし、それはすべて「あなたはどんな人なのか」「何を望んで、世界にどう関わっていきたいのか」の意思表示を形成していきます。

ところで、『アンミナ』は初代アンジェリークを意識して作られているとさきほども話しましたが、初代と似た特徴のひとつに「守護聖どうしの仲の良い相手の組み合わせが同じ」があります。ジュリアスとオスカーが仲が良かったようにユエとシュリはお互いに信頼できる守護聖と思っており、ロレンツォがルヴァのように鋼や緑や夢の守護聖と相性がよさそうなところまで同じです。

そして、初代アンジェリークでの「選択」といえば、おなじみ「公園デートでの質問」の悪夢です。そこでは育成状況から価値観までさまざまな二択クイズに答えさせられ、その答えがそいつのお気に召さなかったらそのデートはそこでおじゃん、気分を害されて帰宅だったのです。つまり具体的に言えば、ジュリアスに「クラヴィスとオスカー、そなたならどちらを信ずるに足ると思う?」とか聞かれたら全く心にもなくても「オスカー様です!」と元気よく答えてご機嫌をとらなければそこでその日は終了していたということです。それ以外にも、選択肢は基本「相手の価値観に合わせる」というのが当たり前でした。圧迫面接かよ! パワハラだよ!

「相手の価値観に合わせた答えで攻略する」のなんて、恋愛ゲームなんだから常識ともいえるかもしれません。ときメモガールズサイドとかのコナミゲーもそれで容赦なくデート失敗しますしね。しかし、ゲームじゃなくて人間関係だと考えてみるとそれって不自然でパワやモラがハラった関係性なんですよね。人と人との関係って、日々少しずつ関わり合い、お互いの違いを知ったり影響を与え合ったりして、合わないところがあっても親愛の情を深めながら折り合えるポイントを探していくものだと当方はおもいます。

そうした意味で『アンミナ』が革新的なのは、「相手の価値観に異を唱える選択をしても、人間関係としてそれもアリアリ」だということがシステムで表現されているという点です。『アンミナ』の中で繰り返される選択の中には、守護聖の価値観を少しずつ散発的に知っていくイベントで「首を振る(異議)」「黙って聞く(傾聴)」「うなずく(同意)」の3つのうちから態度を選択する、というものがあります。従来の作品であれば基本戦略は「同意」だったわけですが、このようにして3つのアクションを常に提示されると「うなずくだけってのもなんかおかしいな……」と気付きます。そして何より、「異議」の態度をとってもアンジュは感じ悪い反論ヤローになるとかではなく「私は〇〇だから、そうではなくて△△です」と異議なりのコミュニケーションをとってくれて、守護聖はそれに「そういう考え方もあるのか」と「興味」を示す状態にシフトしたことが表示されるのです。ちなみに同意すると「共感」にシフトします。

違う価値観の相手に「興味」をもつのも、似た価値観の相手に「共感」をもつのも、どちらもポジティブなイメージの言葉選びですし、どちらも恋を育みそうなキーワードではありませんか。われわれプレイヤーは、自分の価値観を、自分らしい魅力を、自由に選択していいのです。それがあなたのすばらしさであり、ずっと相手の顔色をうかがって嘘をついたり、本当のことを言ったら嫌われるのではと抑圧したりする必要はない、ただ自分を一生懸命生きればいい――と、『アンミナ』はプレイヤーの背中を翼となって押してくれるのです。だってそれが、人と人が出会って関わり合うということだから。

 

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 『アンミナ』のオープニングはマンガアプリのプロモーションみたいな「疲れて先が見えない生活……」「突然の異世界転移!」「私どうなっちゃうの~!?」から始まりました。白黒マンガだった世界は、女王候補の契約書にサインしユエがペガサスに乗って迎えに来た瞬間、宝石の輝きのようにあざやかな色にあふれ、カラーになりました。白黒の世界は主人公の漠然とした不安や疑問や閉塞感や、「自分自身を生きられていない」ことに気付いてさえいなかった世界だったのです。

今作のインターフェースは(やや操作性と統一感が微妙ではありますが)、「宝石のカッティング」をコンセプトとしたデザインが随所にちりばめられています。主人公が大人らしい女性に羽化する年齢であることにもジュエリーは似つかわしいですし、ともすれば魔法少女みたいになりそうなコンパクトタブレットの本物の化粧品のようなカッティングデザインもいい。9人9色のバラバラのカラーやデザインをもつ守護聖たちがとっちらかりがちなのを「色とりどりの宝石」のようにまとめるコンセプトとしてもいい感じです。

そして、主人公・プレイヤーという「灰色だった原石」は、たったひとつのユニークな宝石です。それは価値観や行動をプレイヤーが「選択」していくことで輪郭をカットされ、カッティングの果てに虹色の光を放つ宇宙に一つしかないジュエルとして輝くでしょう。

『ルミナライズ』――とは、英語発音ですが英語的にはあまり聞き慣れない言葉に感じます。常識的に考えれば「luminary(ルミナリー、光輝くもの)」に「-ize(~化する)」という動詞形をつけたものでしょう。

「光り輝くものに変える」――そう、主人公アンジュの人生を、プレイヤーであるあなたを!

 

  「ルミナリー」は物理的に発光するものという意味だけでなく、「輝くばかりの指導者、著名人」というニュアンスも含まれて使われます。最近のゲームでは上の、ドラクエ11の主人公「勇者」を表す英語のコトバとして選択されたことが印象深いです。

さあ、あなたの中のあなたらしい色、眠れる偉大なリーダーシップを切り出すカッティングは、ほかならぬあなたの選択。飛空都市という行き届いた宝石工房で、ひとつ自分だけのハートを磨いた輝きで身を飾り、恋をしたったろうじゃないですか!

 

【追記】買って一周目女王エンドしてみたよ雑記

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愛するチカラ・京チーム編ーTHE KING OF FIGHTERS for GIRLSの思い出

 本稿ではスマートフォン向けアプリゲーム『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(以下KOFGとも)』の感想やらなにやらを書いていきます。前回はゲーム全体の話、今回は個人ルートの感想です。「共通ルートのまとめ」と「京チーム」まで話していきます。これと庵の感想、書いたのに一回全部消えたので超応援してください……。

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よって、ネタバレなどを多分に含みます。また、『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(KOFG)』がもうサービス終了しちゃったこともどうぞご承知のうえでお読みください。つまり「オッこのゲームおもしろそうだな!」と思っても、もう誰もプレイできないのに書くという時すでに遅すぎて悲しみしか生まないかもしれん記事です。

せめて「オッおもしろそうだな」と思った方は「KOFGコンシューマーでやりたいな」「KOFG新作欲しいな」といった感じのことを記事引用でつぶやいていただけると未来がなんかアレでコレでどうにかこうにか(工作活動)……

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共通ルート(メインストーリー)

 「ハ!?『KOF』の『G』って何!?」という方は前回の記事を読んでくださいな。

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 個人ルートの感想の前に、おおまかなメインストーリーについてあらすじをさらっておきましょう。

主人公ちゃんはごくふつうの成人女性。突然勤めていた会社がつぶれ就職活動したところ、住み込みで働ける大門道場の管理人に採用されます。そこは世界的格闘イベント「KOF」にも出場する格闘チームの道場で、さっそく新しいKOFの招待状が届きチームのマネージャーをつとめることに。しかし、一般女性であり引っ越したばかりの主人公にもなぜかKOFの招待状が届きます

いざKOFが開催されてみると、格闘に怖いイメージをもっていた主人公もファイターたちの輝くような戦いや観客が活力を湧かせるさまを見て、お祭としてKOFっていいものだな……と思うようになります。それもつかのま、KOF会場に不穏な動きが。正気を失ったような暴徒が複数暴れ出し、お祭どころではなくなって皆が逃げ惑う事態になったのです。そんな中、今回の大会の主催者であるという「ナギ」という謎めいた人物が主人公に目をつけ、あやしく微笑みかけてきます。

なんとか道場に帰り着いた主人公たちですが、一般市民の暴徒化や格闘家たちまでも洗脳されたように正気を失う事態がどんどん頻発するようになります。しかし、主人公にだけはなぜか正気を失った人間を元に戻す「浄化」の力があることがわかり、主人公は格闘家たちとともにKOFの裏にひそむ陰謀に立ち向かっていくことになります。最初は自分の力やとんでもない運命を受け止めきれずに戸惑った主人公ですが、格闘家たちと協力し影響を与え合う中で成長し、自らの運命を受け入れ命を燃やしてできることをしていく強さを身につけます

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その道中では一般市民の「弱さ」と事態解決のために動く格闘家たちの「強さ」の間にある溝が疑心暗鬼を生み、無益な争いが生まれることもありました。事態の黒幕であるナギの正体は日本を生み出したイザナギ神であり、愛する妻であるイザナミ神を失ってからずっと人間の「弱さ」がひきおこす愚かな争いを一人で見続けて辟易し、この世界を更地にして「弱さ」のない「強い」世界を新しく作り直そうとしていたのです。彼に「ヒメ」と呼ばれてつけ狙われている主人公こそは、ナギの失ったナミ、イザナミ神の生まれ変わりの魂をもつものでした。

ナギは弱さもつらい運命の苦しみもない世界に主人公を連れていき、愛する人を失って孤独に過ごした自分の運命をすっかりなかったことにすることを目指していました。しかし、つらい運命も受け入れ、今このようである自分を肯定してできることをしよう、という「運命を愛しぬく」強さを身につけた主人公たちはその解決法にノーを突きつけ、なんやかんやと戦いまして、かくして世界は崩壊をまぬがれ、ナギも主人公が新しい答えを見せてくれたこの世界を愛し、自分の人生を生きていくことにしたのでした。

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 ……とまあこんな感じの話です。ファイターたちと乙女が接するゲームならではの「強さと弱さ」「弱さがなくなればいいというものではない」ということにガッツリ取り組んだテーマ、そして「愛する気持ちがあるからこそ、今の自分の心を作った過去のどんなつらい出来事も、未来のどんな宿命も否定せず、受け入れる」という、「恋や愛をテーマとするからこそたどり着ける強さ」を描いた、秀逸なシナリオでした。

 

個人ルート(サイドストーリー)

 さて、いよいよ乙女ゲームシナリオ部分の話です。

KOFGの乙女ゲーム的な「キャラごとの個別恋愛イベント」は、プレイヤーレベルに応じて解放される「メインストーリー」の時系列の裏側で起こっていた「サイドストーリー」として描写されます。そういうわけでキャラクターと主人公の二人の物語の本筋はかなりシリアスで、明確にラブな感じのことになるのはサイドストーリーの終盤になります。萌えというより燃え的な、お互いの葛藤に寄り添い、運命に二人で立ち向かっていく……!というアツい展開で心のつながりを感じたいタイプの人には最適です。一方、イベントなどで排出されるレアカードについているカードストーリーは甘い感じのものも多いですから、ちょっと糖度が欲しいナってなっても安心。

個人ストーリーの解放条件も通常の乙女ゲームなら「親密度」が条件になっていることが多いところを、「キャラクターのレベル」、すなわちどれだけ彼が強くなったか、どれだけ彼のトレーニングやファイトに付き合ったかを条件にしているところがまた、テーマに合っていてシビレます。ちなみに親密度は親密度で存在し、差し入れをしたりファイトで応援をしたりすることで上げられてボイスなどの解放条件になっています。分け方がうまい。

全キャラのサイドストーリーをクリアしたわけじゃないのですが、思い出深かったものについて感想を記録していきます。

 

草薙京

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 筆者の推しです。

 草薙京くんはKOFシリーズ通してのメイン主人公です。ちなみに当方は「京くん」って呼んでますがそれはKOFシリーズでは高校生であったイメージが強いため、「あの京くんが一緒にお酒なんて飲めるようになって……クゥッ……」という近所の知らんオッサン目線で呼んでいるだけで、KOFGの主人公ちゃんは「京さん」って呼びます。強そうで偉そうな成人男性なので。

京くんは炎を操ることのできる特殊な古武術の継承者で格闘家としてかなりの実力者であり、姿の美しさ以上に不思議なオーラやカリスマ性をもつ「男にモテる」みたいなタイプ。自信家で傲岸不遜で愛想とかないし面倒くさがりのため、格闘家でもなんでもないふつうの柔和な女性である主人公は最初は「失敗したら怒られそう(;'∀')」「迷惑かけないようにしなきゃ(;'∀')」とちょっと怖がるというか、畏怖の念をもつことになります。子鹿がオオカミに出会ったようなものです。

しかし、京くんは強いからといってべつに攻撃的な性格をしているわけではありませんでした。自分が生来心身ともに強いから「優しさを示す」とかの繊細なことに不慣れで不器用なだけで、他人が弱かろうが強かろうが等しくさっぱりとしていて面倒見がいい、天衣無縫の親分肌なのです。それが女性には当たりの強さやぶっきらぼうさとしてうつることもある、という感じです。京くんは「強い格闘家」と「やわらかな乙女」のギャップの大きな出会い、というKOFGのテーマのひとつを代表するキャラクターです。

 

 京くんのサイドストーリーの核となったのは、「草薙京はヒメにとって危険だ」とナギに再三の警告を受けるということです。

他のサイドストーリーでも、主人公と支え合い親密になろうとするファイターたちにナギ側から何かしらの障害がもたらされることになるのですが、京くんのサイドストーリーでのナギの警告は「草薙京は特別ヤバい」という深刻さの強いものでした。これは、明言されてませんが主人公の魂の前世的な存在である「イザナミ神」の神話に関係します。日本神話伝奇ロマンをワクワク要素とするKOFの主人公ならではのストーリーラインです。

日本神話、古事記にも語られていますし本編中でもなにげなく描写されているのですが、ナギ(イザナギ神)が最愛の妻であるナミ(イザナミ神)を失った「運命」の分岐点は、イザナミ神が「炎」を生みだしたことです。炎産みによってイザナミ神は焼き尽くされて死んでしまい、冥府に住むことになりました。「炎」は京くんを象徴する力であり、だからナギは京くんを特別主人公に近付けたくないと警戒するのです。

ナギは主人公が「炎」に近付いて傷つくかもしれないことを否定します。「炎」に、すなわち強さや技術や前へ進もうとするエネルギーに近付いたせいで傷ついたり死んだり取り返しのつかないことになることは、イザナミ神だけでなく「人間の運命」といってもいいでしょう。ナギは「人間の運命」を否定し更地にすることで、永遠に渇望や苦しみのない楽園を作ろうとします。

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京くんの気持ちのいい気性に守られたり、燃えるような強い瞳に見据えられたり、「あんたわりと根性あるな」と認められたりするうちに、主人公は京くんの強さに憧れを抱き、自分も心を強くもたなきゃ、京さんのように果断に行動していきたい、と思うようになります。京くんのカリスマ性とは「炎のように、人に光と熱さを与える力」です。しかし、京くんの強さに憧れるほどに、主人公は自分の弱さや、浄化を進めるたびに瘴気を溜め込んでいく体に苦しむことになります。京くんはムリすんな寝てろ、と守ってくれようとするのですが、京くんに熱さを与えられた主人公はかばわれてばかりではいられなくなるのです。これがナギが警戒する「炎の力」というわけです。

「炎へのあこがれ」なんてなければ、安寧に守られて過ごせるのかもしれません。しかし主人公はナギではなく京くんの手をとり、「京さんの熱さのように、京さんの隣で生きていきたい」と願いました。炎の熱さにさいなまれる苦しみのない世界では、京くんの強さを愛した心も、その熱い瞳に正面から見つめられたことも、すべてなかったことになってしまうからです。

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『ペルソナ4』では逆にイザナギ神のペルソナをもつ主人公がイザナミ神に突きつけた言葉ですが、主人公が京と生きてみせることは、「もうナミは炎に焼かれてもすぐ死んだりしない」「人の可能性を見せてやる」とナギに伝えてあげる力強い大丈夫メッセージでもあったかもしれません。

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二階堂紅丸

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 KOFのキザなイケメン代表、紅様です。見てのとおりオンのときは気合いの入ったすごすぎるヘアセットをしていますが、別にネタとかではなく、美意識。今作は格ゲーではないのでオフのときのサラサラダウンスタイルもちょくちょく見ることができ、ギャップでも魅せてきます。まあ髪の毛の概形がマックポテトでも紅様は似合ってるしスタイル抜群だし大胆なファッションも華麗なふるまいもキマッてます。憧れる。

紅丸は格闘家でありながら大金持ちの御曹司でモデルも兼業、おまけに女性に優しくてサービス精神旺盛ときた。主人公とひとつ屋根の下暮らす大門道場のメンツの中でも、ぶっきらぼうで偉そうな京くんと対照的に主人公にも最初から甘々に接してきて、乙女ゲーとしてのつかみはバッチリ担当です。硬派担当の京くん、軟派担当の紅丸。女性を愛し表現やサービスの豊かな紅丸らしく、全20話のサイドストーリーでみんな最後の2話くらいしかまともにラブい接近をしないところを紅丸はなんと14話くらいで主人公との関係性を深めてきます。まさに電光石火。雷靭拳。

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 紅丸のサイドストーリーの核となったのは、「主人公を守るために、接近しないようにする」ということの是非です。

京くんのサイドストーリーでもナギからの警告がありましたが、紅丸の場合あまりに主人公と親密な様子に「ハァ~?」となったナギが「ヒメにそれ以上ベタベタしたらヒメがどうなるかわかってんだろうね」的脅迫をかましたのです。そしてこれは「紅様のカッコいいエスコートに神も嫉妬」「もどかしいすれ違い」を描くだけでなく、実は紅丸の性質をよく表現する展開でもありました。

第一に、紅丸はすべての女性に優しく、ファンの女性たちにも惜しみなく甘い言葉を捧げます。主人公のことも可愛い一生懸命な女性として最初から褒めてもくれるしエスコートしてくれます。だから、物語として波風がないともいえますし、また、それだけでは紅丸の特別な女性になったことにはならないともいえます。紅丸が女性にサービスしたい気持ちに嘘はありませんが、恋愛のシナリオとしてはやっぱり「この人をこそ大事にする」と踏み出すための、段差のような展開が必要となります。これはナンパキャラの宿命ともいえますね。

第二に、京くんが「男だろうが女だろうが周りの人間に強さと熱さを与える」カリスマ男モテであるのに対して、紅丸は「女性やか弱いものをスマートに守りかばう」女モテなタイプだという点です。スマートでエレガントで社会的に強い男としては、守るべき対象を安全なところに逃がし、火の粉ひとつもかからないようにしてあげて、「キミのためならなんてことなかったよ…」とか言いながら身なりを整えた姿だけを見せたいものです。女性をフワフワキラキラに包んであげて、苦労をさせず平穏に笑って暮らせるようにしてあげるのが、男の甲斐性、美意識、というのが紅丸の考えでした。これもまた、京の一見ぶっきらぼうに見える態度と同じく、紅丸が強くてデッカい心を持った男だからこその考え方です。

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しかし、強い男に安全に守られていればいいとは思わない、紅丸を心から想いいっしょに進みたいと願う主人公に対しては、その紅丸のポリシーは裏目に出ました。紅丸は主人公を守るにあたり、主人公を悩ませる必要はない、自分一人が我慢し己を律すれば済むことだとスッと距離をとりました。こういう展開にありがちな「わざとつらくあたる」みたいな必要以上に不器用なこともなく、スマートに自然にスッ……と。しかし、主人公はそんな紅丸の水臭さにぶつかっていき、なんでも受け止めるから話してくれや!ワシらはチームじゃけぇ!と一生懸命伝えたのです。紅丸は主人公の心の強さにうたれ、それからは問題を共有するようになり、マジ惚れを深くしました。

 

 その紅丸のテーマを象徴する展開、実は中盤にも織り込まれていました。乙女ゲーにおけるこういうラグジュアリーな男には、そいつの属するラグジュアリーな上流の世界へのいざないイベントがセットなものです。そういう場には慣れてないので……と委縮するヒロインちゃんに、心配ないよ俺がエスコートしてあげるから…みたいなやつです。紅丸にもその王道展開が盛り込まれていたのですが、そのアレンジがさりげなくテーマに沿ったもので技アリだったんですよ。この後の記事でも書くロバートも似たステータスの男で、その表れ方に違いがあるのもまたナイスでした。

紅丸のサイドストーリーの中で、ナギも出席するであろうKOF出資者のためのパーティーに潜入する展開がありました。紅丸は大金持ちのツテでスマートに招待状をゲットし、やはり俺たちが行ってくるからキミは安全なところで休んでいてよ、と主人公にすすめるのですが、主人公は自分のことなのだから自分で行って情報収集したいと主張します。それに対してウーンとなった紅丸は条件を出します。「パーティーのマナーを身につけられたらいいよ」と。

紅丸は役得のように主人公とのパーティー準備デートを組み、行きつけの高級服飾店に行って「この子にとびきり素敵なドレスアップをさせてほしいんだ」みたいな王道展開をかまします。そして、王道展開のきらびやかさの影で、一生懸命知識やマナーやダンスを身につけようと食らいついてくる主人公を見て、「この子、なかなか骨があるな……」と認めていたのですよね。守られて美しいお人形さんとして座っているだけではない、紅丸の隣で自分の運命を戦うために立ち上がる、とくべつすばらしい女性として……。

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矢吹真吾

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 真吾くんです。「~っす!」という純朴なスポーツ少年らしいしゃべり方をする、本家KOFでも京くんの初々しいワンコ系ヘタレ弟子として愛されている高校生です。声は子安武人。(またかわいいんだこれが…)

高校生なもんですから(学校のことは気にするな)、主人公にとっては年下の男の子です。とてもいい子なので、戦う男としてか弱い女性である主人公のことを守ってあげたいという正義感で一生懸命です。主人公と「ひとつ屋根の下」なドキドキ展開にいちばん赤面する純情少年(うめえうめえ)(純朴少年の赤面をしゃぶる妖怪)ですが、女きょうだいがいるからなのか、わりと女性への気配りみたいなことはきちんとしています。

真吾くんは京くんの戦いっぷりの強さカッコよさに惚れて無理矢理弟子入りし、格闘スタイルもひたむきに京くんの真似をしていて、まだまだ発展途上です。性格もちょっと弱音を吐きぎみのヘタレでコメディ担当(オレって進歩ねぇ~!)みたいなところがあり、京くんには「パシリみたいなもん」と言われています。「一般人に近い、親近感のもてるキャラ」なのです。そのもともとのキャラクターの魅力がKOFGのシナリオにも活かされています。なぜなら、真吾くんの「京の強さに憧れる、弱気になることもある未熟な一般人」という立ち位置は、主人公の立場にとてもよく似ているからです(主人公はパシリじゃなく給料もらって仕事してますけど)。

 

 真吾くんのサイドストーリーの核となったのは、「弱気になって迷った結果、過ちを犯してしまう」という展開です。

真吾くんは、ナギのあまりの強大さに「自分たちで本当に歯が立つんだろうか」「自分にもっと力があれば……解決法があれば……」と弱気になります。これは、主人公が自分の力や運命に戸惑って受け止めきれずにいたころとほぼタイミングを同じくします。真吾くんが不安になり迷ったのは、彼が物理的に弱いからではありません。ナギに実際問題として全然かなわないのは他の格闘家たちも、京にしたって同じだからです。全然かなわないかもしれない相手にでも立ち向かっていく闘志を湧かせることができるか、できないかです。それが最初はうまくできなかった、という点で、真吾くんと主人公の迷いは同じでした。

真吾くんはそんな不安と迷いにつけこまれ、ナギの「他の皆には内緒でヒメに会わせてくれたら悪いようにはしないよ、君にも草薙京のような強い力をあげるよ」という甘言に乗ってしまいます。よく考えてみればそんなことで事態が解決することはないし、ポッと他人に与えられた力は自分の力とはいえないのに、弱気になると一足飛びにすべてが解消するまやかしにすがりたくなります。運命から逃避したくなってしまったのです。

真吾くんの手引きであわやナギに主人公が連れ去られるかの事態になってしまい、その場は皆の協力でことなきを得ました。真吾くんは私を守ろうとしてくれたんだもんね、迷っちゃうことって私もあるけどいっしょに頑張っていこう、という感じの主人公の赦しを得て、落ち込んでいた真吾くんはもう迷わないぞ、罪滅ぼしのためにもオレはオレにできることをしてマネージャーさんを支えるんだ! と決意します。そして、ナギとの戦いの大ピンチ局面で皆が心折れそうになったとき、真吾くんは主人公にエールを送ったのです。「人間は弱くて間違いを犯すこともある、負けることもある、間違ったときに叱咤してくれる誰かがいれば立ち上がれるし、挽回することもできるんだ」と。だからマネージャーさんが間違った自分を立ち上がらせてくれたように、自分がマネージャーさんを励ます!と……。

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人はいきなり強くなることはできないですが、それを含めてその人の運命です。自分がまだ望む強さを持てていないこともまた、否定すべきではないし、ヘタレを消すことはできません。そんなの真吾くんではありませんし、今ここにいるわれわれでもないのです。まだ弱い人間も、まだ弱いことを受け入れ、支え合って正し合って一緒に生きていくことができる。そこにしかない強さがある。

真吾くんと主人公がつないだ手が示したものもまた、京くんの強さと歩む主人公が示したのとは別の角度からの、ナギに対する「人間は大丈夫だ」「人の可能性を見せてやる」という強いメッセージとなったかもしれません。

 

 

……と、今日はここまでにして、次回は京チーム以外の感想をメモっていきたいとおもいます。ゲームログがないので早く書いとかないと忘れちゃうからな。

別の記事もやってるので少し時間はかかりますが、読みたいと思ってくださる方はブクマなどいただいておいて、KOFGの思い出や移植欲しいよのことなどをお話していてくださると、われわれも運命に対してできることをやれて公式もアレでコレでどうにかこうにか(工作活動)……。

 

↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

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↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます。『八神庵の異世界無双』って勉強用の本に入りますよね?

 

あわせて読んでよ

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格闘×恋愛、「強さ」と「乙女」―THE KING OF FIGHTERS for GIRLSの思い出

 本稿ではスマートフォン向けアプリゲーム『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(以下KOFGとも)』の感想やらなにやらを書いていきます。

よって、ネタバレなどを多分に含みます。また、『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(KOFG)』がもうサービス終了しちゃったこともどうぞご承知のうえでお読みください。つまり「オッこのゲームおもしろそうだな!」と思っても、もう誰もプレイできないのに書くという時すでに遅すぎて悲しみしか生まないかもしれん記事です。

せめて「オッおもしろそうだな」と思った方は「KOFGコンシューマーでやりたいな」「KOFG新作欲しいな」といった感じのことを記事引用でつぶやいていただけると未来がなんかアレでコレでどうにかこうにか(工作活動)……

youtu.be

 

 

KOFGって何?

kofg.net

 『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(KOFG)』、ざ・きんぐおぶふぁいたーず・ふぉーがーるず……とは、格闘ゲームの老舗「SNK」の各種ゲームのキャラが集まるオールスターゲームとして有名、かつ歴史のある『THE KING OF FIGHTERS(通称KOF)』という格闘ゲームシリーズの人気男性キャラクターたちを、乙女向け恋愛シミュレーションゲームの題材としたSNK公式のスマートフォンアプリゲームです。2019年11月にサービスを開始、先日2021年3月末をもってサービスを終了しました。

つまりバリバリの男性向け格ゲーのキャラで公式が乙女ゲーをやったというたいへん挑戦的なこころみだったわけです。

THE KING OF FIGHTERS XIV - PS4

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つまりこれが↑

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↑こうなったということです。

メインキャラのセレクト(第一部の実装は15人、かなり多めですね!)が、もとから女性プレイヤーにも人気のあった若くてシュッとしたタイプの男性中心になるのはもちろん、さわやかですっきりした絵柄に落とし込まれています。ゲームのインターフェースもスポーティーでシンプルながら「ピンクと水色」をテーマカラーとしており、石鹸の香りのような甘すぎない清潔感が重視されています。

さらに、KOFのメインキャラクター草薙京くんや八神庵氏などにはもともとヒロイン格の女性キャラやプロフィール上の彼女の存在があったりもするのですが、そこらへんの設定は慎重に更地にされています。親切安心。格ゲーの設定というものはキャラの味付けスパイスなので中核的なストーリー以外はけっこう作品によって違うことも多く、本作もそのキャラクター並行世界的にとらえることができます。

テニスの王子様 RUSH&DREAM!(初回生産版)

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それにしても、似た構図で「テニスもののスポーツ少年マンガ」からのちに「(女性向け)恋愛シミュレーションゲーム」をいくつか出すにいたった『テニスの王子様』などは、もともと絵柄がシュッとしてるめだったりもともと女の子の絡み少なめだったりしたこともあって、ここまで根性のキマった変化を打ち出してくることはありませんでした。KOFGは「格闘×恋愛」を押し出すためにかなり気合いの入ったプロジェクトだったのです。

 

格闘×恋愛

 KOFはもともと女性プレイヤーや、男性キャラクターへの女性人気も一定数あったとはいえ、やはり現在も格ゲーや「格闘技」じたい男性プレイヤーや男性ファンが中心的なジャンルです。今では「パチスロ」とかより男性に偏った趣味かもしれません。それをフォーガールズにするという難しさと珍しさ。KOFGの挑戦的なところ、話題性のあるところはまずそういうところです。

ファンの性別傾向が現にある、というだけではなく、内容にしても挑戦的です。筋骨隆々の人たちが汗や血を流して物理的に傷つけ合い、痛みを与え合い、どちらかを動けなくさせるという格闘技の性質はどうしたって暴力性を含みますし、痛みや傷に対する恐怖、争いごとや激しい競争をきらう平和主義をもった人に向いた趣味とはいえません。

女性は男性に比べてそういう「勝利する強さより優しさを」という規範や教育を格段にたくさん受けていますし、そもそも女性身体は男性身体より小さく繊細に育つことが多いわけですから、「格闘家」という戦いの権化に対して「カッコいい」という気持ちのほかに「怖い」「ムサい」「自分はそんなふうに戦えないのでついていけない」という気持ちをもっても仕方ありません。

事実、KOFGに登場するファイターたちと対等に物理的なファイトを繰り広げられるような現実の女性はほぼいないでしょう。現実の男性にもほぼいないですけど。あいつら火とかビームとか出すし。そして、多くの女性が「恋愛」をするということには、たとえ二次元が相手であっても安心感が必要であり(二次元にはモラハラされればされるほど燃える、という嗜好も存在します)、「コイツ相手だと、力関係的にあっちが一方的に強いので殴られる可能性が十分に考えられるし、殴られたら死ぬわいな」という心配が強い相手に心おきなくときめくことはなかなか難しいのではないでしょうか。だから素手とかの現実の暴力に近いスタイルで戦う「格闘家」たちを乙女ゲーの恋愛対象にすることは、けっこうミスマッチでリスキーな物珍しさがあり、KOFGは公開時「エッ!?」ていうイロモノ的な目でも見られました。『無双』シリーズの男性武将たちが乙女ゲームの恋愛対象になるとかのほうがまだ自然なレベルかもしれません。

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 そんな、一見食い合わせが悪い「格闘×恋愛」をキャッチフレーズとして大々的にウリにしてきたKOFGは、みごとそれに向き合いマリアージュさせてみせたのですぜ!!

 

「たをやめ」の視点

 先述のとおり、「格闘家はカッコいいけど怖いし、自分がついていけるかな」「肉弾戦の争いごとはちょっと……」というのが乙女の、というか現実的な一般人の視点なわけですが、KOFGはその不安を主人公(ヒロイン)がしっかりと丁寧に、マジ丁寧に回収してくれます

主人公はそれまで全く格闘技と関りのなかった一般女性で、メイン格の草薙京くんチームのいる道場に職業としての住み込み管理人の仕事をしにやってきます。就職です就職。この距離感が導入としていい。格闘技に興味や知識がなくても、仕事なら自分の役割として、責任もって職場の人たちと関わっていこうという第一歩になりますからね

さらに、主人公は一般女性なので、格闘家の野郎どもが息をするように殴ったり蹴ったりし合うことにも耐性がなく平和主義的です。「できれば穏便に……」「殺すとかそういうのはやめてください」「戦わなくて済む道はないんでしょうか?」といった感性をもち、しかし、それをファイターたちに一生懸命ちゃんと伝え、相手の考えも聞こうと努力します

格闘家や格ゲーというのは強い男の「ますらをぶり」の世界、それに対して一般市民の平和主義や恋愛や「弱さ」に対する繊細な感性は「たをやめぶり」の世界です。それらはあまりにも違うので、「相容れないからこっちはこっちで好きにするわ」となりがちなのですが、主人公は「たをやめ」の側から「ますらを」たちを見つめ、可能な限りいい影響を与え合おうと向き合う、誠実な人柄や言行に描かれています。その描き方がまたバツグンに丁寧なんだな。

優しさや目に見えない力をもっているが物理的な力をもたない「弱い」ヒロインが、「暴力はやめてー!」とか「相手には相手の事情が……」とかやることって、よくあるようですがけっこう難しいんですよね。難しいっていうか、「覚悟のない奴はすっこんでろ!!」「力で解決しなかったらさらに被害が拡大するかもしれないことに責任持てるんかコイツ!?」「考えなしに場をかき乱すだけで結局力で助けられてやんの」というヘイトを集めてしまいがちだからです。そしてこの物語の都合上無責任をふりまいてしまうヒロインは男性ファンよりむしろ女性ファンからウッてなられがちなんですよね。男性の幻想に合うかわいい女性を見たい気持ちが女性にもあったりもするとおもうのですが、いくらなんでもそんな無責任なアホちゃうわと。

でも、特定の作品がどうこうじゃなくてこういうのは「争いをやめてほしいと願う気持ち」「弱さや繊細さの意味」についての掘り下げが足りないまま「暴力はやめてー」を出してしまうと必ず起こるコケなんですよ。KOFGはそこんところを丁寧に考え、主人公(ヒロイン)の思考や葛藤や覚悟を描写したり、社会人の女性としての落ち着きや責任感でおさえるところをおさえたりしています。そうすることで、「プレイヤーが移入するストレスのない、強者でも聖人でもないが好ましい人格者である主人公」「ファイターたちが納得するのも理解できる、説得力のある主人公とのコミュニケーション」を実現できていたのです。

「ますらを」と「たをやめ」、性質の違うものどうしは惹かれ合うものではありますが、それらがお互いに向き合って認め合うコミュニケーションをとるのは実はすごく難しいことです。しかし、違うものや弱さと誠実に向き合う姿はそれ自体がキャラクターの大きな魅力となります。同じ素材のキャラクターでも、なんかようわからん理由でこのキャラを好きになってたらしいな、知らんけど……となるより、説得力のある人間対人間のコミュニケーションを見せてくれた方が魅力の深さは倍増します。

KOFGが「たをやめ」である一般女性主人公を丁寧に描ききってくれたことには、

「『ますらを』である格闘家が恋愛対象の乙女ゲームとして、『強くない』プレイヤーにもとても親切な歩み寄り方だった」

だけでなく、

「『ますらを』である格闘家たちが、自分と違うものや自分の弱さと誠実に向き合う『真の強さ』を示す物語を描けて、キャラクターの魅力がさらに増した」

という素晴らしさがありました。格闘的な強さになじみにくい乙女視点にも入り込みやすくしたことで、誰にとっても入り込みやすくより丁寧に魅力を描き出すことになったのですね。ユニバーサルデザイン賞や~~。

 

「マネージャー」であること

 「マネージャーさん!」と真吾くん(CV子安武人)は人懐っこくプレイヤーに呼びかけてくれます(超カワイ~~~~)。プレイヤーは大門道場の管理人として就職したことで、チームの「マネージャー」としての業務も行っていくことになりました。

この「マネージャー」という立ち位置、KOFのように超次元的な力を発揮するパねぇスポーツ男(すぽーつお)たちがゴロゴロ転がっている少年・男性系の作品に、女性視点のキャラクターを華として搭載したり、ファンの二次創作として後乗せしたりするときにドドドドド定番の、親しみのある王道なんですよね。スラダンとかミスフルとか。

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確かに、スポーツの第一線で戦う男性たちと別に超絶スポーツパーソンではない女性がいっしょにいるとすると、日本では「マネージャー」という肩書が一番それらしいということになります。

でもこの「日本の運動部とかにおける『マネージャー』という言葉」、実はちょっと特殊な使われ方で。日本の運動部とかで「マネージャー」と言った場合、多くは「女子マネージャー」がイメージされ、プレイング以外で選手を支える雑事――記録をとったり事務をしたり、洗濯をしたり、飲み物食べ物を供給したり――を担当する、家庭の中で軽視されがちな「おかあさんの仕事」のようなことをする女の子をさしたりしますよね。しかし「マネージャー」のする「マネジメント」とは本来、「組織に成果を上げさせるための総合的管理や、その責任者であること」を意味するのです。野球部ならさきほどの「女子マネ」よりも、どちらかというと「カントク」に近いような言葉だということです。『もしドラ』的な。

2014年に実際におこったことですが、甲子園をめざす野球部の「女子マネ」が高校生活を通して選手のためのおにぎりをにぎりまくりその数なんと二万個以上、その献身のためにか難関校受験の選抜クラスから普通クラスに転籍もした……というニュースが物議をかもしたことがありました。女性が「直接栄光を浴びない、ケア的献身」に人生のキャリアを捧げることはいまの時代にすごい美談とか、「女子マネ」「華」というフェチとかとして称揚・消費されていいのか? 「マネジメント」ってそういうものなのか? ……「女性マネージャー」というのはそういう文脈をもった言葉です。

 

 KOFGの「マネージャーさん」もその例に漏れず、最初はよう食う格闘家たちのためにメシを作ったりよう汗かく格闘家たちの服を洗濯したり道場の掃除したりといった、「おかあさん」「おさんどん(下女)」的な仕事をすればいいんだよね、と思ってがんばることになります。その実際的な仕事内容はずっと変わらないのですが、しかし、だんだんと彼女の役割には変化ができてきます

物語が始まり、ワケのわからん巨悪との戦いに巻き込まれた主人公は、最初は「自分は言いつけられた雑用をやるだけだと思っていたので、自分が戦ったり、主体的選択をしたりするとは考えていなかった」わけなので、当然優柔不断な態度を示します。それを何事にも果断なタイプの草薙京くんにハッキリしろよと言われたり、強くあらねばという覚悟の強いリョウさんに覚悟が足りん奴についてこられても困ると叱られたりしながら、だんだんと「自分もできることをしてみんなを守りたい、運命と向き合って戦いたいという主体的な覚悟」を固めていき、ついには主人公の覚悟や意思が格闘家たちの覚悟や意思を動かす核となっていくのです。

単にメインに華をそえるための「かわいい雑役婦」から始まったマネージャーさんが、格闘家たちとの関わりを通して、みんなのメンタルを「マネジメント」するメイン級の真なるマネージャーさんに成長するという、KOFGはそういう「伝統の女子マネと、新しいマネージャーの物語」でもあったのです。

それでこそ、「強さ」の道を追求する格ゲーキャラのゲームの面目躍如です。主体的な強さにもいろんな強さがある。

 

その運命を、愛しぬけ

 「強さ」を追求する格ゲーキャラのゲームとして、KOFGが表現した「強さ」はテーマ・キャッチフレーズの「その運命を、愛しぬけ」に一言で表されています。

「愛する」というだけでない、「愛しぬく」という言葉、しかも命令形には、覚悟し、受け止め、何があっても貫きとおせ、という心の強さ、たくましさを奨励するニュアンスがこめられています。重い言葉です。

「運命の恋」という言葉や「運命を変える」という言葉はポジティブなイメージでよく使われますから、それとの対比も目立ちます。つまり「その運命を、愛しぬけ」は過酷な運命を受け入れて、流されるのではなく愛することをあえて選んでいけという意味ですよね。

KOFGの物語は、この「つらい運命をひっくり返すのではなく、受け止めて向き合い、最後まで付き合う」というテーマが強調されています。「運命を変える力」を描いた『遙かなる時空の中で3』の裏側で「変えられない過酷な運命の中での戦い」を描いた『遙かなる時空の中で4』が「神にあらがい、恋を貫く——その想いが、伝説になる」というキャッチフレーズだったのともよく似ています。(↓『遙か』ナンバリングごとのテーマの流れはこちらの記事で↓)

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運命を切り拓いていくのはいいことです。ただそれは、「運命を否定する」こととは違います。どうしようもない宿命や、生まれた家や生まれつきの才能、起こってしまった何年も前のアクシデント、これまでの生き方は、変えられないだけでなく「変えてしまってはいけない」のです。それがどんなに悲痛なことであれ、その運命があった上に今のわれわれは生きてしまっているからです。

主人公やプレイヤーたちとファイターたちとの間に、とても超えられないような圧倒的強さの壁がある、ということもその運命のひとつです。強い人に憧れ、自分もなにかしらで強くなりたいと思い努力するのは素晴らしいことですが、「自分も強く生まれていたら」「強くなる人生を送っていたら」と人生を書き換えようとするのは不毛なことです。なぜなら、そんな傷や迷いの多い人生を送ってきた今のこの自分だからこそ、この心で彼らに惹かれ、彼らを好きになったからです。「今生きている気持ち」は、「今ここにある愛」は、どんなに完全無欠の人生でもあがなうことができないからです。

KOFGの描く「運命を愛しぬく強さ」とは、人に惹かれ人を想う心を通してこの自分そのものを受け入れて対峙すること、ただ運命に流されるだけの弱さを超越することなのです。

 

for GIRLSオリジナル要素

 他にも、乙女ゲーム化するにあたり追加されているまったく新しい要素もありました。オリジナルキャラクター二人です。

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これの左下のビリーちゅわん以外の二人、上の「ナギ」さんと右下の「ヨミ」さんですね。この二人がKOFGオリジナルのファイターとしてデザインされました。

『遙かなる時空の中で』じゃん

(源頼忠じゃん)(遙かなる時空の中で2)

コーエー定番シリーズ 遙かなる時空の中で2 - PSP

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  • 発売日: 2006/11/09
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デザインだけでなく名前も伊邪那岐大神や月読命がモチーフ。そして主人公は実は伊邪那美大神の生まれ変わりの魂をもつ女性で、イザナギ神その人であるナギ氏に「ヒメ」と呼ばれてつけ狙われたり、瘴気を浄化する能力に目覚めたりします。アクラムに狙われる白龍の神子じゃん。

登場キャラの中で最も高名な『餓狼伝説』のテリー・ボガードのイメージもあって、わりかしアメリカンな雰囲気の格ゲーのように思われていたKOFに現れた突然の和風ファンタジー要素に戸惑いを隠せなかったのですが、よくよく考えてみたらKOFって実はそういう要素のあるストーリーなんですよね。そういう要素っていうのは日本神話から続く神々のチカラがどうでこうでというロマンや、KOFに乗じてそれを狙い利用しようとする陰謀を皆で阻止してなんやかんや……という筋書きのことです。ストーリーのワクワク要素まで原作に揃えてくれるっていうのもKOFGの根性のキマりっぷりです。

たとえば、KOFの主人公格の草薙京くんのおうち、日本古武術の「草薙家」は日本神話に語られる「草薙の剣」が実は「草薙の拳(けん)」のことであったというお家柄で、武術と炎を操る力を継承しています。京くん自身は家の伝統とかめんどくせーっていう唯我独尊タイプなんですけど、そういうわけで京チームは太陽の炎をシンボルとしています。

一方京くんのライバルである意味京くんより有名(↑とか参照)なKOGの名物キャラ八神庵氏はその昔京くんのおうちといっしょにヤマタノオロチ(と呼ばれる地球のエネルギーの噴出体)を封印したもののオロチを神として自らの血筋の力として取り込もうとしたおうちの出身で、そのエネルギーの暴走のせいで長生きできなかったり京くんと殺し合う宿命にあったりします。そう、宿命のパワーと重みがけっこう強いんですよね、KOF。だからこそ「その運命を、愛しぬけ」。ここらへんとタイマン張るのですからイザナギとかイザナミとか和風ファンタジックなこと言い出すのもなるほど納得なのです。

なもんで、追加キャラクター2人は「乙女ゲー化にあたって作られたファンタジックなルックスのイケメン」であるにもかかわらず、ストレートにロマンティックな甘さを醸し出してくるのはせいぜいナギが「ヒメ」って呼んでこっちをなぜか好いてくることぐらいで、あとはどシリアスなストーリーの中心人物だったのです!!!! 頼忠(ヨミです)、個人ストーリーのエピローグ以外は常にこっちを敵意めの視線で睨んできて、まったく目に見えたデレがないよー!!!!

硬派でいい……。

(なんでも褒めるのか?)

(個人ストーリーはシリアス、甘さはカードストーリーがあるのがガチャ式乙女ゲーの強みだからいいんだよ)

というわけで乙女ゲー追加部分さえもストーリー部分がけっこう骨太でありまして、格闘の強い男キャラカッコいいぜ!と思う人はこの通り乙女でなくてもみんな楽しめます。ました。

 

ファイターたちとの「暮らし」

 KOFGの挑戦的で素晴らしいところはまだ他にもある(熱川温泉コラボとか……)のですが、現代の乙女ゲー的だしドキドキ感があるな~!となったのが、ファイターたちと「暮らしている」リアル感でした。

ストーリー的にも主人公は大門道場の管理人として京くんたちといわゆる「一つ屋根の下」状態にあるわけですが、他チームのファイターたちも道場に泊まったり合同トレーニングしたりすることがあるよ、連絡も取り合うよ、ということから、常にファイターたちとの「交流」が行えるメニューがあります。これが、ホーム画面カスタマイズで持っているカードのキャラクターをいつも眺められるとかつつくとボイスが聞けるとか……よりもさらにインパクトがあるものだったのです!

途中から実装された要素ですが、「交流」画面は「道場の中の畳の部屋」のアットホームな雰囲気を背景にLive2D?っていうのあれ?のキャラクターが息してまばたきして動いてしゃべって笑うのです!! いや、そんなん今時よくあることですけど、キャラクターデザインがたいへん肉感的で肩とか胸とかの筋肉が超いいので、息してるだけでもうメロメロなんですよね(※効果には個人差があります)しかも背景が畳の部屋ですよ畳の個室!!エロい(※効果には個人差があります)とにかく、キャラクターがそこにいるかのような、しかも自分がその暮らしと地続きにいるような日常的リアリティを醸し出していました。

KING OF FIRE (通常盤)(特典はつきません)

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この京くんの首の筋肉ときたらさあ……(※フェチには個人差があります)

 

 さらには、これも現代の乙女ゲーにはよくあることかもですが、「キャラクターとのLINEみたいなSNS風交流」の楽しみも用意されていました。もちろん中の人がいるわけではないので「プレイヤーが送る一定の選択肢のスタンプにキャラが決まった返事をする」という方式ではあるのですが、その返答もかなりリアルな「暮らし」的なユルさがあり、オフの彼らの人となりを知れたり、何より「なんとなく連絡してみた」ができるような親密な関係性が味わえたりしたのです。「夜中にいきなりさいつ空いてるのってLINE」じゃんこんなの。

香水

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これが普通の学生モノや仕事仲間みたいな人間関係のゲームだったらLINEみたいなSNSでやりとりをするのは今や当たり前みたいなことですが、『ペルソナ5』ですら「喜多川、おまえLINEとかすんの!?!?」とドギマギしたほどです。八神庵がおれのスタンプに返事してくれるなんてことある!?!? すごい時代だよ。

なにせもともとが「格闘家」たちなので、SNSでどうでもいいようなやりとりができるということ自体に多大なるギャップ萌えがあるんだよな……。真吾くんがスマホ持ってるって萌えじゃないですか……? 高校生じゃんそんなの(高校生です)……。

ペルソナ5 ザ・ロイヤル - PS4

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個人ルート

 KOFGの乙女ゲーム的な「キャラごとの個別恋愛イベント」は、プレイヤーレベルに応じて解放される「メインストーリー」の時系列の裏側で起こっていた「サイドストーリー」として描写されます。そういうわけでキャラクターと主人公の二人の物語の本筋はかなりシリアスで、明確にラブな感じのことになるのはサイドストーリーの終盤になります。萌えというより燃え的な、お互いの葛藤に寄り添い、運命に二人で立ち向かっていく……!というアツい展開で心のつながりを感じたいタイプの人には最適です。一方、イベントなどで排出されるレアカードについているカードストーリーは甘い感じのものも多いですから、ちょっと糖度が欲しいナってなっても安心。

個人ストーリーの解放条件も通常の乙女ゲームなら「親密度」が条件になっていることが多いところを、「キャラクターのレベル」、すなわちどれだけ彼が強くなったか、どれだけ彼のトレーニングやファイトに付き合ったかを条件にしているところがまた、テーマに合っていてシビレます。ちなみに親密度は親密度で存在し、差し入れをしたりファイトで応援をしたりすることで上げられてボイスなどの解放条件になっています。分け方がうまい。

……と、長くなってきたのでここいらでいったんお開きにして、

次回は、全キャラのサブストーリーをクリアしたわけじゃないのですが、思い出深かったものについて感想を記録していこうとおもいます。

【追記】↓共通と個人ストーリーの感想、京チームまで更新しました。↓

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