湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

【Ⅶ 戦車】ダフネルの紋章―FE風花雪月とアルカナの元型⑪

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「ダフネルの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅶ 戦車」のカード、キャラクター「イングリット=ブランドル=ガラテア」との対応について考察していきます。

以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。

 

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紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。「タロットカード同梱版」と「書籍のみ版」のご注文をいただけます。(品切れの場合は数か月お待たせしますが増刷予定あります)

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 もうすっかり春なので湖底冬のファーガス祭を名乗るのはやめましょう。春といえば白い皿のパン祭、パン祭といえばイングリットです

そんな食いしんぼイングリットが表紙を飾る、『いただき!ガルグ=マクめし』の副読本『フォドラ食物語』を頒布中です! 

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表紙は『いただき! ガルグ=マクめし』から引き続きマルオ先生。小説には梓川サヤ先生、新たに佐治つやこ先生をゲストにお招き。なんとコイツ照二朗も小説を4本も書き(小説書くんですよ……)、作中や後日のフォドラを舞台に、いろんなキャラたちと食べ物の関わるひと幕を8篇くらいの小説短編集にしたものです。通販リンク先にはマヌエラ先生とカトリーヌの酒飲み旅の話のサンプルがありますので見てみてねです。

 

というわけで、青獅子の学級生徒の紋章解説、第三段はイングリットくんの紋章です。

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紋章、十傑ダフネル。

対応するアルカナは戦車

対応するキャラはイングリット=ブランドル=ガラテアです。

 

戦車女子か……。

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(そういう話ではない)

 ガルパンは置いておくとして、「戦車」アルカナは一般的には男性というか、向こう見ずで猪突猛進なダンスィに当てられるのが一般的なイメージです。明確にタロット大アルカナをキャラクターデザインのモチーフとして打ち出している『ペルソナ』シリーズの「戦車」アルカナの代表的なキャラメイクが、下の坂本竜司くんです。不良!粗野!

確かにイングリットはあまり女の子らしい行動をせず少年のようなところがありますが、「戦車」にはそれよりもっと粗野めな中高生ダンスィ的な印象があり、それと清廉潔白なイングリットがどうマッチしているのか、なかなかおもしろいものがあります。

 

 

「戦車」の元型

 まず「ダフネルの紋章」と対応する「戦車」アルカナのカードの中心的意味をみていきましょう。

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「戦車」のカードです。

カードに象徴として描いてあるモチーフは、「4本の柱に支えられた天蓋付きのりっぱな戦車」「ひとりで」乗った、「輝く冠と鎧をつけ、バトンを持った若者」「戦車を引く対照的な二頭の馬またはスフィンクス」。地には「植物」が茂り、しばしば若者や戦車は「星」「翼」で飾られています。

下がダフネルの紋章のカタチですが、「戦車」の絵柄と同じく中央に「冠」をつけていることと「左右対称、二頭立ての馬車」であることがみてとれますね。イングリットがペガサス乗りの適性があることから、どことなく一対の翼のついた馬のようにもみえます。

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これは出征、あるいは凱旋の場面のようにみられます。どちらにせよ若者は誇らしげで晴れがましい様子です。きっと名のある騎士や貴族の優秀な跡継ぎ息子、あるいは彗星のごとく現れた英雄で、将来を嘱望されているのでしょう。4つの柱に象徴される四大元素や、白と黒の馬、左右一対の翼は彼の中にこの世のいろいろな要素がそなわり、バランスよく活用できていることを意味します。「均整の取れていることの強さ」という意味では「Ⅺ 正義」のキッホルの紋章にも通じます。

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それもそのはず、このカードは「Ⅶ」番、タロットカードの「愚者」以外の21枚を大きく3段階に分けた最初の7枚のサイクルの最後に位置します。最初の1~5枚めでは人生の旅を始めたばかりの子供が神話的な偉大な人物像に出会い価値観を学習し、ひとつ前の「Ⅵ 恋人たち」でやっと学習した価値観の中からはじめての自分だけの選択をした、というところです。つまり、その次の7番めのカードでは、はじめての選択に対してはじめての成功体験が返ってくるはずです。「戦車」のアルカナが中心的に表すのは、

「学んだことを適切に操作することによって、

 成長したり勝利したりできる」

という自己効力感をもつ段階です。第一部、完――!! 以下、戦車アルカナの意味は赤字であらわします。

愚者を除く21枚のタロットを区切るのにも使っている、この「戦車」の「7」という数字は、東西を問わず「区切り」「ひとまずの完結」を表しています。聖書の神がとりま世界を創造したとされる一連のお仕事も7日で区切りがつき、現在の一週間のリズムに採用されています。ずっと一週間が採用されているということは、人間にとっても合ったリズムだということで、たとえば人間がいちどに短期記憶できる数字のまとまりは7ケタまでがよいと言われています。また、漢数字の「七」はもとは「切る」という意味を持っていた字です。↓数の意味の話はこっちでもしてます。同じコーエーテクモゲームス作品なのでだいぶつくりに通じるところがあります。

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「七」はまた、神や宇宙や自然に対する「人間」「人為」を表す数でもあります。上の記事で話しているように風花雪月の兄弟作的な『遙かなる時空の中で7』も神からみずからを切り離し自立して歩いていく人間の力を描いていて、それは風花雪月全体のテーマでもあり、特にエーデルガルトルートに強くあらわれていますよね。エーデルガルトルート(紅花の章)を象徴する四大元素はもちろん「火」、対応する道具は「棒」。そう、戦車に乗っている若者が持っている、武器ではなくバトンみたいなやつのことです。また、7は「ラッキーセブン」や「サイコロの対面を足すと常に7」のようにのるかそるかの勝負をあらわす数字でもあります。

だから「戦車」アルカナは「自然や、運命をコントロールして勝とうとする人間の努力」をあらわすカードなのですよね。そういった意味で「皇帝」のカードとも通じるものがありますが、あっちは自然をスパッと切る理論の力、こっちはなんとか手綱をとろう、とにかく挑もうとするバカ正直な挑戦の力と言いましょうか。

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 先述した『ペルソナ』シリーズの「戦車」アルカナのキャラクター造形は「バカ正直」の「バカ」のほうというか、「考えるより行動」「自分の頭で考えるのは苦手」のほうに振ることが多いためですが、「バカ正直」の「正直」のほうに振れば「真面目で規律にうるさい、体育会系マッチョ」にもなるカードです。要するに何か信じてるものや自分の直感に愚直に従い、脇目をふらずにすべてをなぎ倒して駆け抜けるパワーが「戦車」の重さとスピードなのです。ベルナデッタの部屋の扉がイングリットに轢かれて壊れた。

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(この後扉さん死亡)

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『ペルソナ3』のマスコットにしてヒロインのアイギスも「戦車」です。パワータイプで堅い。「戦車」お決まりのスキルは「体当たり」系。

 

イングリットの「戦車」―希望の輝き

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 おそらく作中時点のフォドラで正式な系図上のダフネルの紋章を持っているのはイングリットだけということになります。本家であるダフネル家は何代も紋章持ちが出ず、イングリットの父親の代やきょうだいの代にも出なかったということです。

ダフネル家の場合は、同盟は紋章とか信仰とかより政治力や経済力が重視される社会状況になっているため、円卓会議の常任理事をエドマンド家に譲ったとしてもいまだ名門としての力は健在です。しかしイングリットの実家ガラテア家は戦士個人の力や伝統的権威、独立した領主としての国力がいまだ問題となっている中世らし~い国であるファーガスの文化に属しているため、紋章持ちの人間がいない……土地が貧しい……というのはものすごいジリ貧な状況です。

そんなジリ貧のガラテア家、もはや貴族やってる方が損、騎士は食わねど高楊枝、父祖伝来の英雄の遺産も使えない、みたいな状況だったところに、たった一人生まれてきた紋章持ちの子供。それがイングリットでした。「紋章を持つ私は、父から『希望』と呼ばれてきました」とイングリットは吐露します。彼女は傾いた家を持ち直すための一縷の希望強く輝く星の光として嘱望されました。ラッキーセブンのように、一発逆転勝利を狙える強い出目だったのです。

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そのことを語るイングリットは苦しげです。父に悪気はなく、そうでなければイングリットがこのように健やかに育つことができなかったとはいえ、イングリットは人生を家のために「使う」ことを望まれて大事にされてきたのです。そこには彼女が進みたい道かどうかもなにもありません。まあ、それはイングリットに限った話ではなく、シルヴァンやメルセデス、ファーガスに生きる人々に共通した葛藤なのですが。

イングリットのダフネルの紋章には、「自分で決めた道に進撃する」という「戦車」の性質があります。それなのに、その紋章を持って生まれたがために進む道が制限されるというパラドックスにイングリットはとらわれています。

しかし、そのパラドックス、アンビバレンツさえも、「戦車」のヒーローが背負う数奇な宿命なのかもしれず……?

 

私は、もっと強くなる…

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 騎士の王となるディミトリをして「下手な騎士よりも騎士らしい」と言わしめるイングリットは、英雄物語のすばらしいヒーローそのものとしてドロテアやアッシュから愛されます。しかも、「女だからと軽んじられないように誰よりも騎士らしく」とかそういうつらいことを考えてではなく、ふつうに誰よりも騎士に憧れて騎士道を体現してきた、というまっすぐさ。「戦車」に描かれている人物は少年マンガの王道主人公的な人物像です。明るく、素直で、善良で、強靭で、才気があり、人にまっすぐ接し、期待され、そして何より、どんどん成長していきます

「私は、もっと強くなる…」というレベルアップの言葉が示しているように、イングリットの自己イメージは「現在研鑽する私」「未来にもっと強く、騎士として格好よくなっている私」という、高揚して高い空に羽ばたくようなものです。イングリットの基本職であるペガサスナイトは「翼の生えた馬に乗った騎士」ですから、強烈に「戦車」の性質を表しています。FEシリーズ伝統の職種でこんな表現をしてくるとは技アリですよ。

成長期の健康な少年の概念であるため、イングリットが「戦車」を進撃させるためには大量の飼い葉―すなわち、たくさんの食べ物―が必要です。中高生の運動部男子とかを思い浮かべてもらえればいいとおもいます。

 

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 イングリットが真面目なのは、真面目に努力し、挑戦したことが成功を収めてきたからです。騎士物語やグレンに憧れ、剣や槍や馬術を鍛錬し、少しずつできることが増えてきたからです。目指すすばらしい目標をもち、努力し、勝利する……『巨人の星』的な昭和の少年マンガの世界、健全な青少年の育成ってヤツがそこにあります。目指したい何かをもつ前にいろいろできてしまい、妬みや憎しみや欲望の対象となってきたシルヴァンが不真面目を演じるようになった悲劇とはちょうど真逆のことです。

この「できない→修行パート→新必殺技→勝利」みたいな週刊少年イングリットで初陣に勝利し、挫折しても努力して勝利を重ねるスポ根成功体験を繰り返すことで、人には自己効力感というものが生まれます。この「自己効力感」が戦車アルカナとイングリットのカギなのですが、これとよく似た話題を実はすでに別のアルカナの解説でしていました。それが、

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獣の紋章、「悪魔」アルカナです。この記事の中で「学習性無力感」という言葉を説明しました。ざっくり言うと、「この行動をしても何も変わらない」という「学習」をたくさん重ねてしまった動物は「自分が動いてもいいことは起こらない」という偽物の法則を身につけてしまい、自分の力でできることでももはややろうとしなくなる……ということです。これがサーカスの象さんが逃げないこととか、マリアンヌの卑屈さのしくみです。「戦車」にあらわされる「成功体験」による「自己効力感」とはまさにこれの真逆、「自分が行動すれば何かができる」という「学習」を重ねた状態なのです。

これはいいことずくめのように思えますし、実際、子供に勉学や技能を教え活用させてみるときにはこの自己効力感をもたせるということがすごーく重要になってきます。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ(山本五十六)」とも申します。子供に健やかに育ってほしいという願いをこめたメディアは多かれ少なかれみんな意識しているポイントでしょう。だから週刊少年イングリットなのです。しかし、それはあくまでも、少年の成功。表面的で一時的なものです。少年マンガにもときに複雑でどうにもならないような展開はおとずれ、走ってきた少年は不可解な壁にぶちあたります。

そう、イングリットの翼を阻む天井、戦車のパラドクスです。

「未来にもっと強く、騎士として格好よくなっている私」という、イングリットの未来像は、途中でブチリと途切れていたからです。

 

引き裂かれる心

 これは作中の時間からしても昔話になりますが、もともとガラテア家は同盟の名門で十傑ダフネルの直系であるダフネル家から分かれたものでした。同盟の標章にもダフネルの紋章を意匠化した絵が右上を占めています。

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みんなの話やアビスの書庫などの内容をまとめるに、その昔ダフネル家に小紋章持ちと大紋章持ちの双子の男子が生まれ育ったそうな。二人は同じ顔をしていて(ちなみにこれは一卵性らしき双子でも紋章への適合具合は違うことを示すエピソードでもあります)、やがて小紋章持ちのほうが跡継ぎに指名されると、大紋章持ちのほうが(何者かにそそのかされたか?)英雄の遺産を持って家を割り出奔! 小紋章持ちのほうの人と恋仲であったリーガン公女は大紋章持ちのほうの人からの度重なる求婚にも耳を貸さず、小紋章持ちのほうの人と結ばれ今のダフネル家の先祖に。英雄の遺産と大紋章をひっさげて王国に帰順したほうはファーガス王家から領地と伯爵位を賜り、今のガラテア家の先祖になった、という経緯のようです。

複雑な過去です。なんでかってったら、この話だけ聞くと大紋章持ちのほうが跡継ぎになれなかった嫉妬と野心で盗んだ家宝で走り出した勝手なヤツ(マイクラン的な)のようですが、もっと元をたどればダフネル家が属するレスター諸侯同盟じたいが王国から豊かな土地を「盗んで」独立したようなもので、ガラテア家の祖はそれを「勝ち取って」王国に「凱旋した」英雄のようでもあるからです。しかも、おそらくダフネルお家騒動にも同盟独立にもそれこそ王国の独立にすら、闇に蠢く者たちが介入しているのです。も~~~~わけわからんな。知らんがな。

この「知らんがな」な感じに放り出したくなるほどパッカリと2つに割れてアンビバレントに交錯する、ダフネル家とガラテア家の「性質の違う左右対称の双子」、「2つの家の全く違う運命」、「相対的な勝利と敗北」が、「戦車」アルカナとダフネルの紋章に描かれている「二頭の馬」なのです。少年は勝利を重ねることによって、「ただ勝利する」ためのやられ役だけではない、「対立する概念」「相容れない別の正義」がこの世にあることに気付きます

 

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 イングリットは希少な紋章持ちの家の跡継ぎとして、親同士の決め事で幼い頃にグレンと婚約を結びました。イングリットは女性ですが、彼女が結婚結婚言われることはメルセデスのような「弱い立場にある女性の不自由」というよりも、「強い立場にある家長の不自由」に近く、イングリットは「田舎のでかい農家の長男」であると以前にも述べたことがあります。

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少なくとも上流階級や騎士・戦士層では女性の地位が低くないフォドラですから、イングリットは現実世界でいう「貴族の跡継ぎの男子」のように育ちました。騎士の国で一目置かれるため、いざというとき領地とお国を守るため、英雄の遺産の槍も使えなければなりません。彼女自身の気質としても、着飾ったり裁縫をしたりするよりも野山を駆けまわり騎士物語を読み外で鍛錬するほうを好みます。だから婚約者であるグレンのことも、イングリットは小姓の少年が主人の騎士に憧れるように「理想のカッコいい騎士」「あんなふうになりたい」と見上げて愛しました。

しかし、イングリットが槍の腕を磨き、騎士として高潔な精神や作法を褒められてきたのは、「騎士」になるためではなかったのです。いずれ「家長」となり、「領主」となり、家を盛り立てていくためです。この「騎士」と「家長」という相反する方向に走り出す馬にイングリットは引き裂かれます。

 

 同盟のダフネル家の家長・ダフネルの烈女ジュディットが自軍に参陣するルートにイングリットがいた場合、イングリットはでジュディットの立派さを尊敬し、自分とは全然違う、と言います。ガラテア家はダフネル家から奪ってしまった負い目というか昔の確執があることは先ほどお話しましたが、その結果現在ではガラテア家はたいへん貧しいし、頼みの綱のイングリットは家を継ぐのを先延ばしにして従軍してるしで、一方でジュディットは紋章も英雄の遺産もなくても同盟の重鎮として貴族の当主らしくしています。イングリットはジュディットというダフネルの片割れ、同じ強い女性騎士に、「自分のもう片方」を見て苦しんだのです。

「私も早く騎士の夢を諦め、権勢のある夫を迎えて家を継いでいれば、ジュディット様のように生まれの責任を立派に果たせるかもしれないのに。私は中途半端だ……。
 なぜ自分の心を制御できないんだろう……」
と。

ジュディットが結婚してるかとか子供産んでるかとかは描かれていませんが、立派な貴族当主として描かれていることは確かです。いずれにせよイングリットが家長として、領主としての役割を果たそうとすれば領地と家族に縛られることになります。さらにイングリットはジュディットと違って紋章の血を残さなければならないという重圧も受けています。「騎士の青年」に憧れて立派に育ったのに、その結果、騎士ができなくなるという矛盾。なぜならイングリットは家長になるうえ女性であり、女性差別のあまりない世界でも、生殖するために女性の体と時間が消費されることはどうしても動かしがたいからです。グレンが生きていたとしてもイングリットはこの矛盾に引き裂かれたでしょう。きっとイングリットはガラテアの家長として家に残り、領地を経営し、紋章を引き継ぐため子を産み、ディミトリに騎士として付き従うグレンを見送ることになったはずです。

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騎士のグレンに憧れながら、それに付いていくことができない……。家族を愛していることも、騎士の道に進みたいことも、どちらも正しい……。たくさん食べたくさん成長し進撃したいのに、領地は食べ物が貧しい……。ああ……どうしたら……。

 

 この、イングリットの戦車の白と黒の馬、「二つに引き裂かれた、対称なのに対照的に進むもの」はダフネル家とガラテア家、イングリットとジュディットのほかにもあります。イングリットとアッシュです。作中ではそういうこと言われてはいませんが、青獅子の学級においてこの二人はセットで「戦車」だなあと当方はおもっています。黒鷲の学級においてはフェルディナントとカスパルが「正義」の両皿だったようなものですね。

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イングリットとアッシュの支援会話は他に類を見ないほどC段階でメチャクチャに意気投合します。二人は高潔で正しくカッコいい騎士の物語に憧れる同志であり、アッシュはイングリットが既に騎士道の体現者として輝いていることを尊敬し、イングリットもまた生まれのハンディを乗り越えて健気に努力するアッシュに騎士になる者の気高さや自由さを感じています。

しかし、生まれが貧民で紋章もなく将来騎士として認められるかわからないアッシュの「どん底からの可能性の広さ」と、家や紋章といった生まれの力が強いイングリットの「強いからこそ途絶した夢」とはまったく逆に交差した運命です。かつて騎士物語の本を金目のものとして盗もうとしたアッシュには騎士の道が開けているかもしれず、誰よりも騎士らしいイングリットが騎士の夢を諦めねばと思っているのです。なんて皮肉で、そして誰も悪くない、どうにもならないことなのでしょう。

 

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 成長し、晴れやかで決然とした顔をしていることが多い5年後の生徒たちの立ち絵の中で、イングリットの立ち絵はよく苦悩の表情をしていることもあいまってやや沈鬱な方向です。それは「家族を大事にして家を継ぐか、夢を叶えて騎士として生きるか」という二つの理想の、どっちが勝っても苦しいどうしようもない対立にギザギザのビリビリに引き裂かれる岐路にいよいよ立たされているからです。

しかし、少年マンガでも明らかなやられ役をやっつけたり健やかに成長したりの「少年の成功」の後には、「どちらも正しいかもしれない」「そっちにも譲れないものがある」という展開が待っているものです。白と黒、過去と未来、愛と信念、両立しないかに見える大事なもの……。

それらの相反する力をまるごと抱えて手綱を取り、前に進もうとするとき、少年は大人へと踏み出していきます。イングリットはまさにそういう成長をしたのです。

 

女騎士

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 イングリットの固有スキル「女騎士」の効果は配下の騎士団を使った計略のダメージを上げるもので、イングリットのもつ騎士らしいカッコよさとは部隊を効果的に統制する、部隊長としての力なのだということがわかります。部下に尊敬され、自他に厳しく規律を守らせ、きっちりとフォーメーションを組んで戦術を行い成果を上げるというタイプのカリスマ性です。「統制」「操縦」「成果」こそは戦車のカードの真骨頂です。

イングリットは配下の戦士たちにとってはよき隊長、よき指導者であるはずです。効果的に統制され訓練され運用され激励されることが、部隊長でない雑兵にとってはいちばん安全で成果が上がりメンタル的にもありがたいことだからです。「こうやって鍛えればできるはずです」「いつもがんばってくれていますね。助かっています」「ここで日ごろの成果を出すのです!」「できるできる絶対できる! 今日から君は! 富士山だーーッ!!」(松岡イングリット)

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イングリットの世界観では「鍛える→制御できる→自他に勝てる」というのが基本法則になっています。修造=ブランドル=ガラテアに指導された部隊は縦横無尽にみごとに動き、敵に有効打を与えます。しかし、確かにそれはスポーツマンの基礎的な心得としてはすごく正しいのですが、非活動的な人間にいきなり高濃度の修造を投与するとショック症状がおこる(松岡氏も対面なら相手に合わせて指導するでしょうし)こともあります。参考例はベルナデッタ。

そしてなにより、世界には「制御しきれない」「どうしようもない」ものごとや、個々人の状況があります。

「公正世界仮説」という考え方があります。「すべての正義と悪には、必ず報いが来るのであって、起こっているすべては善悪の結果である」という考え方です。これは「小さい子供に伝える教訓」としてはいいのかもしれませんが、反面、「つらい状況に置かれている人は悪いことをした報いでそうなったのだ」「失敗したのは絶対に自分に悪いところがあったからに違いない」という危険な、間違った考えにつながってしまいます。「がんばったらいい結果が返ってくる」「そう努めれば状況は制御できる」というイングリットの考え方のクセはそれに近いものがあります。健やかなイングリット少年には、どうしようもない悲運や人の弱さがどうにも理解しづらいのです

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イングリットがダスカー人差別を行っていたことはよくネガティブな話題になりますが、それもこの性質に関連しているとおもいます。「悪く言われている人たちは、悪いことをしたのだ」というわけです。しかしそれは、イングリット自身のどうしようもない悲しみのしわ寄せを彼らに押しつけて理不尽を合理化しただけです。このように、成功した少年の未熟な正義感が無理解と差別を生んでしまうことは現代の格差社会でも往々にしておこります。

「理解したくなかった」と言ったほうがいいかもしれません。「制御しきれない」弱さは、イングリット自身の中にもずっとあったのですから。

 

VSディミトリくん

 ディミトリとイングリットは表面上の印象が似ているどうしです。金髪を切りそろえた輝くような立派な若武者であり、質実剛健で規律正しく、弱者を保護する義務や対人関係に誠実です。ふたりは幼馴染ですが、イングリットには騎士として貴人に仕えたいという意識があるのでディミトリを貴び従います。だから、基本的にはふたりの意向が(ディミトリに対するフェリクスやシルヴァンのようには)対立することはありません。

そんなふたりの意見が真っ向から葛藤したのは、ふたりを結ぶ悲しみの絆ともいえる、「グレンの死」の解釈の違いのことでです。

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ディミトリはグレンの死を無惨で悲痛なばかりのものだと思い、イングリットにも誰にもあんなふうに死んでほしくはないと言いました。基本的にディミトリに面と向かって意を唱えないイングリットはそのときばかりはまなじりを決し、殿下にそんなふうに言ってほしくない、彼は誇り高い騎士として主君を守りぬき、讃えられるべき最後を迎えたのだと言い譲りませんでした。

ディミトリのほうも死者の託した信念を考慮に入れられてなかったところはありますが、ここでも、イングリットが「起こったことはすべて公正な報い」という考えの中で「グレンの死」という大きな悲しみと理不尽を受け止めきれず、なんとか合理化しようとしてきたことがわかります。「誰より立派な騎士であるグレンが、なんの意味もなく無念のうちに死んでしまうはずがない」「彼の死はきっと美しく意義あるものだったんだ」「私もそのように騎士として死にたい」――と。

しかしディミトリは、死に美しさを求めてはいけない、国や王家のためといった美しい物語のために命を投げ出そうとしてはいけない、それはグレンに向き合うことにならない、というようなことを、イングリットに伝えたかったのです。自分もそのどうしようもなさに今でも誰よりも痛み苦しみ、どう言葉にしたものか難しく思いながら。

力を制御する努力の後にあるのは、「どうしようもないこと」と向き合い続けていく忍耐と愛と理性です。イングリットの紋章の「戦車」と、直後のアルカナであるディミトリの紋章の「力」のアルカナのことです。

鋭く何物をも切る理の剣である「皇帝」のフェリクスと、忍耐と愛の努力である「力」のディミトリの間にあるのが、制御と人為の根性のイングリットだといえるかもしれません。

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VSドロテアくん

 イングリットの「こう努力すれば、このような勝利がある!」はドロテアとの支援の話題である「美しく着飾ること」でもトンチンカンに炸裂します。ドロテアの他にもベルナデッタやメルセデスなど「どうしようもない過去や環境」に縛られた中でどっこい生きようとする者との支援ではイングリットのストレートボールがトンチンカンなことになりがちです。

ドロテアは、高潔で誠実な白馬の王子様のような騎士でありながら自分を「女」としてではなく個人として見てくれて、女性どうしであるために自分も嫌悪や構えをもたなくてすむイングリットを気に入っています。イングリットには化粧やおしゃれが足りなくてもったいないし、彼女を楽しく飾ってガールズトークし仲良くなりたい、とドロテアは「大人として認められるためには周りに見せる見映えが大切」という方便でイングリットを誘いました。それでイングリットはドロテアの口八丁を真に受け、「なるほど、騎士も場にふさわしい装備で美しくすればより強くなれるというわけですね!」みたいな納得をしたのです。

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これはリンハルト支援の「魅力なんかない方が他人に邪魔されずに済むよ」という考え方と同じように、ドロテアにはない考え方でした。ドロテア(や、弱い立場にある女性の大多数)にとって身を磨き飾るのは切実な生存戦略であり、「モテ女として強くなる」ということであり、それまでの人生の基本でした。言い換えれば、ドロテア自身にはなんの責任もないどうしようもない生まれのために、強者である男性を魅了することなしには這い上がってこられなかった、という苦しみです。

ドロテアはそんな自分を卑小で嫌なものだと思っていますが、これまたイングリットと同じように自分の価値観を無意識に他人にもあてはめ、「誰だってそんなようなものだ」と思ってもいます。しかし、イングリットはドロテアのもちかける「女磨き」を「成果の出る、大人としての強さの研鑽」だとなんのてらいもなく信じたのです。

貴族の跡取りの少年として生きてきたイングリットと、裏通りのストリートチルドレンから這い上がってきたドロテアでは、同じ女性でも見えている世界がまるで違います。そこにはお互いへの理解の足りなさは当然ありますが、それでよかった。ドロテアは生まれ育ちの麗しい貴族の男たちに対するように怒ったりせず、ますますイングリットのラブリーさへの愛を深めました。

あまりに違うお互いと出会い、ドロテアはイングリットに自由で気高くてまっすぐで強い、女性の美しさの可能性の翼を見たのかもしれません。どこかよしながふみ『大奥』の、「男に愛されねば、という呪いを受けて怪物化した綱吉が、美しくなくても自分を好む者はいると言うのちの吉宗に出会って吹っ切れる」シーンを思い出すような二人でした。

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ぬかるむ轍の先に

 イングリットは春の若葉のようにすこやかに伸びゆき、やがて少年時代は終わり、「家族か、騎士の夢か」という大人としての岐路に立たされます。別の方向に行こうとするどうしようもない馬をなんとかかんとか操縦してイングリットは進んでいきます。

イングリットは「家を継ぐ」進路の場合は領地の農業を改革し食糧事情を改善させます。「人為の行動と成長、みなぎる若き生命力」を意味する「戦車」はまた、「春の農耕」を象徴します。「どちらも大事な対立概念」を知った7番の「戦車」の若者は、8番から14番のカードでさまざまな対立構造に揺れ動き苦悩していくことになります。イングリットの行く手にはこれからも困難や苦しい判断が立ちふさがっていくでしょう。そして彼女が苦心して操縦した戦車の重い轍が、農地を耕す犂行となるのです。

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 ところで、タロット大アルカナには意味的に「対となるカード」という考え方があります。「高尚なる精神世界の教え」を意味する法王と、「堕落した偽の神への隷従」を意味する悪魔が対となっている、みたいな。それでいうと「戦車」のカードの対は「死神」、そう、ゴーティエの紋章、シルヴァンに相当します。

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この2つのカードはわかりやすく「みなぎる動的な生と、途絶する静的な死」「疾走と限界」「朝と夕」などを表して対となっているだけでなく、「若芽伸びゆく春」「収穫の秋」を意味する対でもあります。畑を耕し芽を育てることと、紅葉の中果実を収穫すること(だから鎌を持っているのです)の対です。二人の価値観がすれ違いながらどこまで行っても縁があるのはなるほどです。そしてこれはそう、「緑」「赤」の季節のことを言ってもいるのです。FE伝統の「赤緑騎士」を秀逸にやってのけたなー!とシリーズファンとしてもニコニコ。

 

 イングリットにはその「農耕」をやっていく進路もあるし、「騎士」をやっていく進路もあります。どちらも、「戦車」の若者らしい。しかしどちらかを選んだイングリットはもう片方を無価値なもの、選ぶに値しないものと切り捨てたのではなく、「その可能性があった」「選ばなかった素晴らしいものがあった」ということを、その辛さをのみこんで、そのうえで自分の道をゆくと信じたのです。

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どちらを選んでもつらい。それがイングリットが学んだ、それでも愛すべき、大人になるということ。

それを選んで信じられたなら、どちらの道を選んだとしてもきっとイングリットの輝かしい勝利なのです。

 

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