湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

月の裏側 無双クロードは「何だったのか」〔3〕ランドルフ見殺し編―FE風花雪月考察覚書⑨

本稿では『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』(以下「無双」とも)におけるキャラクター「クロード=フォン=リーガン」および「黄燎の章」に注目した作中の経緯・『ファイアーエムブレム風花雪月』(以下「本編」とも)との差異の整理と、考察と感慨を展開します。

『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』全体の流れや「黄燎の章」ラストまでのネタバレを含みます。また、本記事は「無双のクロードについて謎なところひっかかったところ等について理解を深めたい人向け」の書き方のため、なんかクロードと制作チームをかばってるっぽい文章になっちゃうので、無双全体および無双のクロードのつくりや描写についてかなり低評価だぜ!許しがたい!とすでに判断をしている方は、数年が経ち……なんか許せそうな気がする……になってから読むようお願いいたします。

 以下、タロット大アルカナの寓意や四大元素についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参照し独自に解釈したものです。

 

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約一年半前に展開していたこちらの記事シリーズ、3部制くらいに分けるわ~と言ってページ1ページ2をお出ししてたいへん好評をいただいたはいいものの、

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ページ3があまりにも話すことが多くてホゲってしまったため、永遠に未完かとおもわれたのですが、きたる2024年5月5日、『無双』風花雪月の同人オンリーイベントが開催される(東7ホールC44bにスペースいただきました)ってんで、じゃあいっちょ本にして完結させっか~!!

とはりきって書いてたら加筆や書下ろしが半分以上になって100ページ本になった。

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お届けは少し先ですが通販予約できます。

これは、その100ページ中の10ページを占める「ランドルフ見殺し作戦」の読解との戦いの記録である……。

(読みやすいようにブログ用の編集をくわえています。書籍では他にも「連邦国と同盟の違い」「なぜ侵略に加担するのか」「王都急襲の謎」など盛りだくさんでお届けします)

 

ランドルフ見殺し作戦

 目的に対する最適解だから帝国に味方して戦うことを決めたのだとしても、なんかすごいモヤる消化不良な描き方になっているのが煉獄の谷アリルでの帝国との共同戦線におけるランドルフ見殺し作戦です。このへんからショッキング超えて胃もたれ。

これはクロード自身がこの作戦にはモヤっているというか、いつもと違う目の死に方をしているしシェズをはじめ将たちもいいのコレ⁉ と反応しているのでプレイヤーがおいおいと心配になるのはちゃんと狙った流れで正解です。

ただ、結局みんなを代表してシェズとジュディットにコラーッ! って叱られたクロードが目の死に方がパッと見はもとに戻ったことが、いったい何を叱られてどうクロードの心持ちが変わったのかいまいちわかりにくい描き方をされています。シェズとジュディット以外の将のみんなだってハァ? と思っているだろうことも流され気味。

「なんか叱られて殊勝に心を入れ替えたようなツラにごまかされ、
 以降やり方を妥協したクロードにみんな本音を言ってもらえなくなっただけなのではないか?」

と気持ち悪く思うのも無理からぬことです。実際シェズとジュディットに叱られるシーンはシェズもクロードも殊勝でキモいと当方も思った。あらゆる作品で起こりがちなことですが、尺や演出力が足らんと人は殊勝になってしまうのです。自分も気を付けよう。

 

 なぜクロードはいつもと違う目の死に方をしてまでランドルフ見殺し作戦を決行し、俺やジュディットは主に何について怒り、クロードは何を反省してその後どう方針を変更したのか?

いまいち味が出きらなかったテーマを読み解いていきます。

 

作戦の経緯

 まず、ランドルフ見殺し作戦にいたるまでの重要な経緯や要素を整理しておきます。

 ランドルフ見殺し作戦とは基本、撃破すべき中央教会勢力の工作部隊の指揮官がよりによってカトリーヌだったせいで、

 

「あ、こりゃ帝国勢を助けながらだと連邦国のみんなにけっこうな犠牲が出るわ、まずい、そんな博打は嫌だぞ」

「ランドルフ隊が攻撃されてる隙をついてカトリーヌの部隊を叩けばみんな無事ですむし、むしろ全員死んどいてくれたほうが死人に口なしで『最善を尽くして助けようとしたんですけどランドルフ将軍には残念なことでェ……』ってことにできるじゃん」

 

という戦法をクロードが選択したものです。みんなにそう伝えちゃうとゴチャゴチャしちゃって危険だからとりあえずみんなには秘密で動いてもらって、結果的にみんなを守って勝利をもたらせればヨシ! ってことであとでみんなわかってくれるよね、という胸算用でした。

「死人に口なし殺法」については、盟約を結ぶ際に先にエーデルガルトが「帝国はアケロン子爵が臣従すると言ったから求めに応じただけよ、彼は残念ながら死んじゃったけど同盟領内に兵を駐留させるもやむなしよね」とうまいことアケロンを侵攻の政治的口実に仕立ててきたことのお返しでもあります。

 

 他の連邦国の将兵たちとしては「同じ側で戦う仲間は大事! 仲良くやっていきたい!」という自然な気持ちになっていたところだったのでクロードにハァ? になったのですが、クロードは帝国と盟約を結んだ最初からこういう事態になれば帝国兵を痛くないシッポとして処分するつもりだったことになります。戦闘中のセリフからして、そのときの状況を見てランドルフを切り捨てて最大限犠牲を利用しようと判断したことがわかります。

ちょうどそういう運の悪いタイミングにいたのがいつもかわいそうな役回りのランドルフ(愛情深い妹の復讐もお得なセットでついてくる!)だっただけで、死んだのがフェルディナントとかカスパルとかであった可能性も十分にあります。

 こういう冷たい心づもりの帝国との盟約にいたるまでに、クロードの気持ちに何が起こっていたのでしょうか。

 

残念だよ、きょうだい

 『無双』黄燎ルートの第一部は、決死の覚悟のフェルディナント侵攻とかベルグリーズ伯とホルストさんの激突キングコング戦争とか、無双戦記ものとしてどアツい見せ場は続いていたもののやっていたことは防戦。クロードはウダウダと保守的で利己的な同盟諸侯との話し合いにうんざりしながらも、マインドセット的には受け身でのらりくらりと対応していられました。それに変化を迫られたのが、第一部最後のシナリオマップである二度目のシャハド撃退です。

 

 本編のクロードは、先生や他の君主たちがみんな親が悲劇的なめにあって死んでいるのに一人だけ両親健在で仲もよくジュディットやナデルの庇護まで持っています。友達の少ない少年時代ではあったでしょうが、身内の大人には恵まれており、おまけに「先生」もいたとなれば、彼が自由闊達なトリックスターだったのはある意味「子供」でいられたからだといえます。これはいい意味で。

それが「子供」ではいられなくなった、青春時代の幕引きが、『無双』でのシャハド殺しです。

同じようにエーデルガルトは強大な後見役であった伯父様に刃を向けて自立することで、ディミトリは仇の一人であることがわかったが唯一の肉親でもあったリュファスの首を刎ねることで大人になるさまが描かれていることからも、「身内殺し」が大人の君主として覚醒するイベントであることがわかります。ましてパルミラのモデルとなった中央~西アジアの騎馬民族では、次代のリーダーを決める際にはしばしば殺し合いがおこるのですから。(パルミラの感覚については以下の記事で)

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エーデルガルトとディミトリが士官学校編でバッサリ大人になっているのに対し、クロードが大人になるのには戦争編第一部の終わりまで待たなければいけないのは特徴的です。本編のクロードが結局子供の自由を持ったまま王者となったことでわかるように、そういうウーパールーパーみたいな大人だか子供だかわからないあいまいさがタロットの「月」のアルカナに表されるクロードらしさでもあるからです。

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一方で「月」のアルカナは脱皮で大きくなり水から這い出るザリガニに描かれているように成長する際の不安定さを表しているカードでもあります。これがランドルフ見殺し作戦まわりに表れている新しいクロードらしさです。新メニュー・脱皮したてのソフトシェルクロード(殻まで食べられる)。

 

 シャハドを殺したことが、「クロードの内面にとっては」どんな意味があったのか改めて読み解きましょう。

シャハドを殺さないとならないのかも……という局面にいたり、クロードはつらそうな顔をしました。このつらみは、例えばディミトリが人を殺さなければならないときの悲しみとは意味が違います

クロードは人殺しを深く悲しんでいるわけでも、肉親を殺すのがつらいわけでも、実はシャハドのことを人間的に好きだと思っているのでもありません。ふつうに兄弟として仲良くしたいと思っているのだったらちゃんと頭も下げてほしいですからね、こんな差別しまくってきた奴。

たぶん個人的な親愛ゲージで言えば、クロード→シャハドのゲージはディミトリ→リュファスほどもなくてマイナスだと思いますよ。クロードはただ「シャハドと自分は協力し合えるはず」とずっと思ってきた、それを永遠に諦めることになるのが何よりもつらかったのです。

 

 クロードのもつ「土」のテーマのゲンキンさの特徴は、理想や信念や恨みつらみ的に相容れないはずの相手とも、利害が一致して手を組めば一緒にメシを食って笑い合えるというところにあります。だから自分を憎み蔑みイジメてくるばかりだった、個人的に言えば人生で一番の敵とさえいえるシャハドとさえ協力し合えないかと手を差し伸べることができる。

そういう身もフタも節操もないヘラヘラしたことはエーデルガルトやディミトリにはできません。エーデルガルトはレアが降伏してきたらメタメタにする必要はないと言いますが手を取り合おうとまでは思いませんし、ディミトリは敵ともあくまで対話しようとしますが深刻な苦痛や恩讐はぼやけさせるわけにはいきません。もちろんレアは一番怖い顔で憎い仇をボッコボコにします。

そもそも信条が異なる相手と軽率に手を取り合うというのはシリアスな物語の本筋としてもいかがなものかと思われるので、クロードの節操のなさはエーデルガルトとディミトリが真面目に戦うテーマを担当してくれているからこそ描ける第三の道です。そして今まで見てきたように、Win-Winになる利用し合いはクロードにとって善意ですし、そうやって手を取り合えることは目指す社会像ですらあります。

本編でクロードは担任になった「先生」のことを「きょうだい」と呼びます。そして本編でも『無双』でも、黄ルートでは最も長年戦ってきた敵同士であるはずのナデルとホルストは義兄弟の杯を交わします。生まれも育ちも感覚も違う敵だった人ともなんやかんやで手を組んで一緒にメシを食って活動するうちに意気投合できることを、クロードは「きょうだい」と呼んで愛したかった。

個人的には嫌な思い出しかない自分を憎むシャハドと、脅してでも利益で釣ってでもいいからいつか手を組んじゃうことは、クロードにとって象徴的な大きな目標だったはずです。それができたら、きっと誰とだって手を取り合い利害調整できるってことだから。

 

 しかしシャハドは応じてくれませんでした。

クロードが「これは俺がやらなきゃならない……」とパルミラ大王を継ぐ者としてのケジメをつけようと決意すると、シャハドはまるで勝ち誇ったようにあざ笑いました。このエピソードのタイトルは『真の王は』。つまり、ここでクロードはパルミラの次の大王の座をめぐる戦いには勝ったけれど、「真の王の流儀」をめぐる戦いでシャハドに負けたのです。あの見下した笑いは、

「戦わずに手を取り合おうなどというおまえの甘っちょろい臆病者のやり方では何もできまい、結局勝者であるおまえはすべての戦いを自分一人で決め、敗者から奪うのだ。王になるならパルミラの戦士の流儀に従え!」

と告げていたということです。

 

 「残念だよ、きょうだい」。クロードはシャハドと手を組めないまま永遠に失ったことによって、異なる主義主張の人たちと協力し合って「きょうだい」になるという大事な夢の限界にぶち当たりました。

シャハドがダメだっただけで世界にはいっぱい協力できそうな人間がいるんだから次だ次だ~と思えればよかったのですが、やはり長年の仮想敵を崖っぷちまで追い込んで手を差し伸べてもダメなんかいというのはクロードを挫折させるに足る威力を持っていたのでしょう。

どうせもう「きょうだい」を殺してしまった。異質な他者とも利害調整してワハハと「きょうだい」になる未来を自分で断ち切ってしまったのだから、もうそんな甘い夢は区切りをつけるしかない……。居直ったクロードがやったことは、「部族の命と利益を守るために部族のすべてを号令一下で指揮して戦う」という中央アジア(パルミラ)の王者のやり方でした。中央アジア遊牧騎馬部族の王者は生き残りをかけた電光石火の戦いや部族移動について長々とみんなの意見を聞いたりしません。結果としてみんなの利益になればよし、勝てばよしの大雑把。

そんなパルミラ流に、「いのちをだいじに」なクロード元来の臆病さが合わさった「大人」に変わろうとしていたのが、シャハドを撃退してから連邦国を設立、帝国と共同戦線の盟約を結んだあたりまでのクロードの心理状態だったのだと思います。命惜しさ、傷つく怖さ、身近な人に痛い思いをしてほしくない優しさで信条を捨てることもまた同盟とクロードの「土」の元素の表す状態であり、ナイショで勝手に話を進めることやごまかしも「月」アルカナの領分ですから、この挫折の仕方はクロードにふさわしいものではあります。

(こうした「土」元素の挫折、ダウナーな面は『ペルソナ5ロイヤル』の三学期ボスでも表現されています)

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でもそんなの、クロードがやりたかったことじゃないし、君主の中でクロードだけは、深刻な顔でやりたくもねえことを義務でやるようなやつではなかったはずです。そういうのはエーデルガルトやディミトリにまかせておこうとさっき述べたはず。

レスターのみんながとりあえずついていこうと思ったクロードはもっと自由で多様でフニャフニャで、自分の生き方も、他人の生き方も好きなようにしていこうぜって危険な誘惑をする笛吹き男のはずです!

 

行きて戻りし、愛しの不安定

 いくら大事に守ろうとされていても自分の意志のない駒同然に扱われることをレスターの将兵は好まないでしょう。気弱なイグナーツやマリアンヌすら、「自分の未来に責任を持ちたい」「もう逃げたくない」という理由で戦おうとし、弱小領主でも自分の意見を円卓会議で出してもらえないのはヤダと思うような国柄ですよ。

ランドルフ見殺し作戦でからがらカトリーヌを討ったあと、シェズは「今日の戦いはなんだ? 初めから帝国軍を見殺しにするつもりだったのか?」と仮にも雇い主でもあるクロードを𠮟ります。

雇用条件的に騙されていたわけではありませんし、シェズはプロ傭兵なのでだまし討ち的な奇襲や皆殺しは戦士の道にもとるぜ! とか言っているのでもありません。

また、状況に応じた変幻自在な判断や敵を欺くために味方もとりあえず欺いてやっちゃうのはクロードの持ち味であるとみんな承知の上でついていっていますから、何事も連絡して同意をとってからやれよな! という意味でもないのもポイントです。レスター流の臨機応変しないといけない戦場では合意形成してる場合じゃないこともそりゃあるよ。

だからこれは、「クロードと共に戦いたいと思っている友達として」の怒りです。クロードが信条を曲げまくってまで仲間を一方的に守ろうとしており、自分たちのことをそれぞれの力と意思を持った人間として信頼に値しないと思っていることにシェズは怒ったのです。俺たちはそんなに頼りないか! バカにしてんのか! おまえらしくないだろ!

王として大人にならなきゃとがんばって眉間にしわを寄せたクロードは、「……仕方がなかったさ」とちょっと言葉を迷います。内心「そ、そういえばこいつらは羊とかじゃなくて仲間で……友達で……。いや、俺は王として全部を一人で守んなきゃだから……」と戸惑い途方に暮れる気持ちだったでしょう。

シェズが「他にもやりようはあっただろう」とけっこう力強く断言するように、普段のクロードならもうちょっとうまいやり方を思いつくはずだし余裕もあるはず。たとえ一時的に騙されキツネにつままれることがあったとしても、そういうところを将兵たちは信頼しています。

クロードはもう味方を失いたくなくてガチガチに硬直してしまったことで、視野の広さと柔軟さという彼ならではの強みをなくしてしまっていたのです。もしフルパワーのクロードの知恵をしぼって周りを頼ってもマジでそのときはそれしか方法がなさそうなら、みんなそれぞれの覚悟で腹をくくるわい。でも今回は全然そうじゃなかっただろと。

シェズの「もっと俺たちを信じろよ。でなきゃ俺たちも、おまえを信じられないぞ」という言葉には、レスターが異質な他者どうしの信頼の交換取引で成り立っているというだけでなくおまえが俺たち将を信じられてないとおまえのINTの値が低下しちゃうから君主として信ずるに足りないだろうがという意味も含まれていると思います。実際、「信頼」とは人を自由闊達にし余裕を生む(自由と余裕こそがクロードの知性です)ものなのですからそれも当然でしょう。

「お前のおかげで、少し心が軽くなった。その礼だよ。ランドルフを死なせちまったあと、お前とジュディットが俺を叱ってくれたろ?
 それで俺も、凝り固まってた考えを捨てて、みんなに相談することができた」

 

 クロードがガチガチになって持ち味を殺してしまったのにはもう一つのテーマ的に重要な理由もあります。実は、ここでのクロードは自分の一番大切な信条を見失っていたのです。

ショッキングなできごとが次々とおこっているのに紛れがちですが、クロードの本来の信条、野望を思い出してみてください。「利害一致して一緒に行動すれば思想の違うやつや憎み合ったことがあるやつとだっていつの間にかうやむやに仲良くなれる」というのが彼の野望だったはずです。クロードの本来の信条からすればランドルフはバリバリの仲間、せっかくこれから仲良くなっていけるチャンスを得た存在なのに、皮肉にも自分でそれをぶち壊すようなことをしたことになります。

そのせいで襲い掛かってくることになったフレーチェだって、本当はあんな恐ろしい形相で捨て身になったりすることなく仲良くやれるはずのいい娘さんだったのに。何より、ネームドキャラの死ではないのでプレイヤーには実感しにくいですが、死人に口なし戦法を確実にするために帝国軍も教団兵もぺんぺん草も残らないように死なせと指示しているのが一番クロードらしくなくて怖かったところです。

 

 シェズは「助けられたかもしれない人を犠牲にして勝ったって、それに何の価値がある」と一見優等生みてえな言葉で説いていますが、これはシェズが突然ディミトリ的な道徳に目覚めたとかではなくクロードの本来の信条を思い出せよという感覚なのだと思います。

クロードは本来、敵だってなるべく殺さないで協力しよう、いつか手を組んで利用しようとする人間だとシェズはそばにいて知っています。レスターの諸侯や将兵も、クロードとそういう気持ちを共有しているからなんだかんだ言いながらともに戦っている。それなのになんで手を組めたやつを殺す策なんか選ぶんだよ。俺たちが手をとり合うべき人間の範囲ってそんな狭かったか?

敵対したり、身近な人を殺されたり、信条が違ったりしても、いつかなんとか協力できることもあります。シェズが「灰色の悪魔」と協力する道もあるように。しかしひどい方法で人を切り捨てるとそういう取り返しはつきません。方法のひどさ加減というより、「ひどい手を使うと口封じのためや報復を防ぐためにたくさん人を消さなければならなくなる」というところがクロードの野望から見たら自殺行為です。たとえ身内の命は守れても、フレーチェがそうであったように、仲良くなれるかもしれない人がどんどん減っていきます。

ジュディットが「皆がついてきてくれる戦をしなきゃいけないよ」「あんたは一人で戦ってるんじゃない。皆で戦ってるんだ」と言うのも、ここまで読み解いてくると両義的な言葉です。このときのクロードは「皆」に誰一人欠けずに損をさせずについてきてほしいがために、今と将来手を組めるはずの皆の心が離れていくようなことをしてしまったのですから。

本当にこのくだりは皮肉ばっかりですが、マジで皮肉なことに、

「一人一人の心や可能性を信じず、尊重せずに、身内と判断した小さな民たちを一方的に守ろうとする」

「そのために切り捨てる戦術的犠牲には冷徹」

というのは、クロードの嫌いなレアのやり方とそっくり同じになってしまうのです。まるで愛する母の心臓を奪い返す復讐に利用するために帝国の祖たちや王国軍を死地に扇動し、自分を信奉するフェルディアの民をも焼いたレアのダークサイド。

そんなガラに合わないまねをしているクロードにレスターの皆がついてくるような魅力があるわけありません。レスター地方の領主はビジネス経営者だから魅力がないと落ち目なんだよ。自分で自分のチャームポイントを全部大破壊していることにこのときクロードは自分だけ気付いていなかったということです。

 

でもクロードはレアのように他者に冷徹にはなれないから、戦いが終わったとき心底メンタルにきたようすでゲッソリと「きついな」とつぶやきました。フレーチェを撃退した後の「ランドルフの妹には申し訳なかったが……とにかく前に進まないと」というセリフの「……」の部分の吐息にもめちゃくちゃつらそうな万感がこもっています。それこそがクロードの魅力ではないですか。

尺がもっとあったら、フレーチェが襲ってくる前に級友をはじめとした連邦国の主な将兵みんなに「ついていけなさそう」って三行半を叩きつけられたクロードがみんなに謝ったり言いたいことを言い合ったりしながら殴り合って回るドタバタマップが挿入されていたりしたらすごくレスターらしい雰囲気だし、納得感が爆上がったとも思うんですけどね。

 

 二人に叱られた後、クロードはいまいち腑に落ちない様子で、「皆で戦ってるって考えてみるけど……それでおまえたちが望む答えが出るとは限んないからな! 決めるのは俺だし!」的なことを言い、次の節からは将たちとの意見交換会をもうけるようになりました。

これも、叱られクロードのブーたれた様子もあって、「一応みんなの不満へのエクスキューズとして意見は交換してるって形式だけ作ったんじゃないの?」と心閉ざしムーヴのようにも見えてしまいますが、意見交換の際クロードはこのように言います。

「そのために、みんなの知恵も借りたい、どう動くのが、俺たちにとって一番か……」

「今まで以上に、仲間の力を当てにすべきなのかと思ってな(困り顔)」

「俺のやり方に意見があれば言ってほしい。協力してくれ、頼む」

このあたりのクロードの口調は普段からするとかなり一生懸命というか、朴訥なくらい不器用な感じで真摯に話しています。

普段口八丁で味方も騙し秘密ごまかしの多いやつなので、こんなふうに「俺は全部を一人で守れる王様にはなれない、弱いから助けてくれ! 頼らせてくれ!」みたいな内容を真正面から言うのはクロードにとっては慣れない、裸を見せるようにいたたまれなくて恥ずかしいことだったと思います。身内を殺してしまって覚悟を決めて、決然とした顔でオトナの王様になろうとしたのに結局それじゃダメだった。俺はジュディットの言う通り坊やでバブちゃんだよと。

クロードがそんなふうに恥をしのんで気づいたこと何でも言ってくれ~い! と言ったそばからラファエルが「オデは腹が減ってることに気づいたぞ!」と発言してズッコケさせるのも実は象徴的です。レスターらしく多様なみんなに頼ると混沌としてしまって、王のコントロール下で確実にみんなを守ることは難しくなる。そこはやっぱりトレードオフです。だからエーデルガルトやディミトリやレアは自分の責任においてみんなを指揮して守り、戦いによって生まれるすべての報いも怨恨も自分一人で受けるつもりでいます。

叱られクロードくんがしぶしぶ「皆で戦ってると考えてみるが、それでおまえたちの望む答えが出るとは限らないからな」と言ったのは、

「おまえたちの意見聞いてやってみるけど、それだとおまえたちのこと守りきれなくてみんな不利益になっちゃうかも。そうなったら何言っても無視するから! おまえたちだって俺を助けたり一緒に考える責任を持つのが嫌になるかもよ?」

という予想にもとづくブーたれ言葉でした。しかし、このクロードのブーたれ予想はいい意味で裏切られることになりました。

 

適当に頼む

 セイロス騎士団やイングリットの部隊のように統制がとれていること、帝国のようにエーデルガルトのカリスマに皆が突き動かされることばかりが将兵の能力を引き出す方法ではありません。

黄燎ラストバトルでクロードは「やり方は知らないが……適当に頼む!」というヤバ号令を発しますが、これがなんとかなっちゃうのです。「適当に頼むわ~!」という混沌な裁量に任せまくった弱いタイプのリーダーシップで、平民なのに強いレオニーさんのようなみんなが「もう世話が焼けるな~クロードは」と言いながらそれぞれがんばる。罪も責任も報いも、みんなで受け持つ。

それが、レスターのみんなが一番力を発揮できる自己実現的なあり方だったのでした。方向がとっちらかって不安定なことはそれと一体で、切り離すことができない。

 

 人は人を信頼し、信頼されたときに心が自由になります。自由な心は頭と体のパフォーマンスを上げ、限界以上の成果を出すものです。理想のために命を燃料にしたり、青ざめた唇をやせがまんで食いしばって立ち往生したりすることで120%奮闘するのも戦記物としてカッコいいことですが、「自由に、適当に」やったことで力が出るのも、なんかいいじゃないですか。そうやって生きていきたいよ。

一時の信条の挫折を経て、自分が本当に頼りにすべき力に気付いて再出発した……、それが、黄燎ルートのランドルフ見殺し事件の顛末です。

本編では他の君主に比べてクロードや同盟のあり方の挫折どころがちゃんと描かれることはありませんでした(そのぶんディミトリが終始ド派手にくじけ続けていた)。その軽妙さもクロードや同盟の個性ではありましたが、こうして挫折と歩みなおしが描かれるのも物語としてアツいことではないでしょうか。

 

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5月5日ビッグサイトのイベントもせっかくの風花無双オンリー盛り上がってほしいので来られる方はぜひお運びください。オモロそうな本いっぱいあるよ。当方のスペースは「東7ホール」の「C44b」ね。

 

なんかもうこの機に無双やってない人もやってクロードに混乱するといいよね(呪いではない)(マジおもれ~よ!)

 

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