本稿ではスマートフォン向けアプリゲーム『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(以下KOFGとも)』の感想やらなにやらを書いていきます。
よって、ネタバレなどを多分に含みます。また、『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(KOFG)』がもうサービス終了しちゃったこともどうぞご承知のうえでお読みください。つまり「オッこのゲームおもしろそうだな!」と思っても、もう誰もプレイできないのに書くという時すでに遅すぎて悲しみしか生まないかもしれん記事です。
せめて「オッおもしろそうだな」と思った方は「KOFGコンシューマーでやりたいな」「KOFG新作欲しいな」といった感じのことを記事引用でつぶやいていただけると未来がなんかアレでコレでどうにかこうにか(工作活動)……
KOFGって何?
『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS(KOFG)』、ざ・きんぐおぶふぁいたーず・ふぉーがーるず……とは、格闘ゲームの老舗「SNK」の各種ゲームのキャラが集まるオールスターゲームとして有名、かつ歴史のある『THE KING OF FIGHTERS(通称KOF)』という格闘ゲームシリーズの人気男性キャラクターたちを、乙女向け恋愛シミュレーションゲームの題材としたSNK公式のスマートフォンアプリゲームです。2019年11月にサービスを開始、先日2021年3月末をもってサービスを終了しました。
つまりバリバリの男性向け格ゲーのキャラで公式が乙女ゲーをやったというたいへん挑戦的なこころみだったわけです。
つまりこれが↑
↑こうなったということです。
メインキャラのセレクト(第一部の実装は15人、かなり多めですね!)が、もとから女性プレイヤーにも人気のあった若くてシュッとしたタイプの男性中心になるのはもちろん、さわやかですっきりした絵柄に落とし込まれています。ゲームのインターフェースもスポーティーでシンプルながら「ピンクと水色」をテーマカラーとしており、石鹸の香りのような甘すぎない清潔感が重視されています。
さらに、KOFのメインキャラクター草薙京くんや八神庵氏などにはもともとヒロイン格の女性キャラやプロフィール上の彼女の存在があったりもするのですが、そこらへんの設定は慎重に更地にされています。親切安心。格ゲーの設定というものはキャラの味付けスパイスなので中核的なストーリー以外はけっこう作品によって違うことも多く、本作もそのキャラクター並行世界的にとらえることができます。
それにしても、似た構図で「テニスもののスポーツ少年マンガ」からのちに「(女性向け)恋愛シミュレーションゲーム」をいくつか出すにいたった『テニスの王子様』などは、もともと絵柄がシュッとしてるめだったりもともと女の子の絡み少なめだったりしたこともあって、ここまで根性のキマった変化を打ち出してくることはありませんでした。KOFGは「格闘×恋愛」を押し出すためにかなり気合いの入ったプロジェクトだったのです。
格闘×恋愛
KOFはもともと女性プレイヤーや、男性キャラクターへの女性人気も一定数あったとはいえ、やはり現在も格ゲーや「格闘技」じたい男性プレイヤーや男性ファンが中心的なジャンルです。今では「パチスロ」とかより男性に偏った趣味かもしれません。それをフォーガールズにするという難しさと珍しさ。KOFGの挑戦的なところ、話題性のあるところはまずそういうところです。
ファンの性別傾向が現にある、というだけではなく、内容にしても挑戦的です。筋骨隆々の人たちが汗や血を流して物理的に傷つけ合い、痛みを与え合い、どちらかを動けなくさせるという格闘技の性質はどうしたって暴力性を含みますし、痛みや傷に対する恐怖、争いごとや激しい競争をきらう平和主義をもった人に向いた趣味とはいえません。
女性は男性に比べてそういう「勝利する強さより優しさを」という規範や教育を格段にたくさん受けていますし、そもそも女性身体は男性身体より小さく繊細に育つことが多いわけですから、「格闘家」という戦いの権化に対して「カッコいい」という気持ちのほかに「怖い」「ムサい」「自分はそんなふうに戦えないのでついていけない」という気持ちをもっても仕方ありません。
事実、KOFGに登場するファイターたちと対等に物理的なファイトを繰り広げられるような現実の女性はほぼいないでしょう。現実の男性にもほぼいないですけど。あいつら火とかビームとか出すし。そして、多くの女性が「恋愛」をするということには、たとえ二次元が相手であっても安心感が必要であり(二次元にはモラハラされればされるほど燃える、という嗜好も存在します)、「コイツ相手だと、力関係的にあっちが一方的に強いので殴られる可能性が十分に考えられるし、殴られたら死ぬわいな」という心配が強い相手に心おきなくときめくことはなかなか難しいのではないでしょうか。だから素手とかの現実の暴力に近いスタイルで戦う「格闘家」たちを乙女ゲーの恋愛対象にすることは、けっこうミスマッチでリスキーな物珍しさがあり、KOFGは公開時「エッ!?」ていうイロモノ的な目でも見られました。『無双』シリーズの男性武将たちが乙女ゲームの恋愛対象になるとかのほうがまだ自然なレベルかもしれません。
そんな、一見食い合わせが悪い「格闘×恋愛」をキャッチフレーズとして大々的にウリにしてきたKOFGは、みごとそれに向き合いマリアージュさせてみせたのですぜ!!
「たをやめ」の視点
先述のとおり、「格闘家はカッコいいけど怖いし、自分がついていけるかな」「肉弾戦の争いごとはちょっと……」というのが乙女の、というか現実的な一般人の視点なわけですが、KOFGはその不安を主人公(ヒロイン)がしっかりと丁寧に、マジ丁寧に回収してくれます。
主人公はそれまで全く格闘技と関りのなかった一般女性で、メイン格の草薙京くんチームのいる道場に職業としての住み込み管理人の仕事をしにやってきます。就職です就職。この距離感が導入としていい。格闘技に興味や知識がなくても、仕事なら自分の役割として、責任もって職場の人たちと関わっていこうという第一歩になりますからね。
さらに、主人公は一般女性なので、格闘家の野郎どもが息をするように殴ったり蹴ったりし合うことにも耐性がなく平和主義的です。「できれば穏便に……」「殺すとかそういうのはやめてください」「戦わなくて済む道はないんでしょうか?」といった感性をもち、しかし、それをファイターたちに一生懸命ちゃんと伝え、相手の考えも聞こうと努力します。
格闘家や格ゲーというのは強い男の「ますらをぶり」の世界、それに対して一般市民の平和主義や恋愛や「弱さ」に対する繊細な感性は「たをやめぶり」の世界です。それらはあまりにも違うので、「相容れないからこっちはこっちで好きにするわ」となりがちなのですが、主人公は「たをやめ」の側から「ますらを」たちを見つめ、可能な限りいい影響を与え合おうと向き合う、誠実な人柄や言行に描かれています。その描き方がまたバツグンに丁寧なんだな。
優しさや目に見えない力をもっているが物理的な力をもたない「弱い」ヒロインが、「暴力はやめてー!」とか「相手には相手の事情が……」とかやることって、よくあるようですがけっこう難しいんですよね。難しいっていうか、「覚悟のない奴はすっこんでろ!!」「力で解決しなかったらさらに被害が拡大するかもしれないことに責任持てるんかコイツ!?」「考えなしに場をかき乱すだけで結局力で助けられてやんの」というヘイトを集めてしまいがちだからです。そしてこの物語の都合上無責任をふりまいてしまうヒロインは男性ファンよりむしろ女性ファンからウッてなられがちなんですよね。男性の幻想に合うかわいい女性を見たい気持ちが女性にもあったりもするとおもうのですが、いくらなんでもそんな無責任なアホちゃうわと。
でも、特定の作品がどうこうじゃなくてこういうのは「争いをやめてほしいと願う気持ち」「弱さや繊細さの意味」についての掘り下げが足りないまま「暴力はやめてー」を出してしまうと必ず起こるコケなんですよ。KOFGはそこんところを丁寧に考え、主人公(ヒロイン)の思考や葛藤や覚悟を描写したり、社会人の女性としての落ち着きや責任感でおさえるところをおさえたりしています。そうすることで、「プレイヤーが移入するストレスのない、強者でも聖人でもないが好ましい人格者である主人公」と「ファイターたちが納得するのも理解できる、説得力のある主人公とのコミュニケーション」を実現できていたのです。
「ますらを」と「たをやめ」、性質の違うものどうしは惹かれ合うものではありますが、それらがお互いに向き合って認め合うコミュニケーションをとるのは実はすごく難しいことです。しかし、違うものや弱さと誠実に向き合う姿はそれ自体がキャラクターの大きな魅力となります。同じ素材のキャラクターでも、なんかようわからん理由でこのキャラを好きになってたらしいな、知らんけど……となるより、説得力のある人間対人間のコミュニケーションを見せてくれた方が魅力の深さは倍増します。
KOFGが「たをやめ」である一般女性主人公を丁寧に描ききってくれたことには、
「『ますらを』である格闘家が恋愛対象の乙女ゲームとして、『強くない』プレイヤーにもとても親切な歩み寄り方だった」
だけでなく、
「『ますらを』である格闘家たちが、自分と違うものや自分の弱さと誠実に向き合う『真の強さ』を示す物語を描けて、キャラクターの魅力がさらに増した」
という素晴らしさがありました。格闘的な強さになじみにくい乙女視点にも入り込みやすくしたことで、誰にとっても入り込みやすくより丁寧に魅力を描き出すことになったのですね。ユニバーサルデザイン賞や~~。
「マネージャー」であること
「マネージャーさん!」と真吾くん(CV子安武人)は人懐っこくプレイヤーに呼びかけてくれます(超カワイ~~~~)。プレイヤーは大門道場の管理人として就職したことで、チームの「マネージャー」としての業務も行っていくことになりました。
この「マネージャー」という立ち位置、KOFのように超次元的な力を発揮するパねぇスポーツ男(すぽーつお)たちがゴロゴロ転がっている少年・男性系の作品に、女性視点のキャラクターを華として搭載したり、ファンの二次創作として後乗せしたりするときにドドドドド定番の、親しみのある王道なんですよね。スラダンとかミスフルとか。
確かに、スポーツの第一線で戦う男性たちと別に超絶スポーツパーソンではない女性がいっしょにいるとすると、日本では「マネージャー」という肩書が一番それらしいということになります。
でもこの「日本の運動部とかにおける『マネージャー』という言葉」、実はちょっと特殊な使われ方で。日本の運動部とかで「マネージャー」と言った場合、多くは「女子マネージャー」がイメージされ、プレイング以外で選手を支える雑事――記録をとったり事務をしたり、洗濯をしたり、飲み物食べ物を供給したり――を担当する、家庭の中で軽視されがちな「おかあさんの仕事」のようなことをする女の子をさしたりしますよね。しかし「マネージャー」のする「マネジメント」とは本来、「組織に成果を上げさせるための総合的管理や、その責任者であること」を意味するのです。野球部ならさきほどの「女子マネ」よりも、どちらかというと「カントク」に近いような言葉だということです。『もしドラ』的な。
2014年に実際におこったことですが、甲子園をめざす野球部の「女子マネ」が高校生活を通して選手のためのおにぎりをにぎりまくりその数なんと二万個以上、その献身のためにか難関校受験の選抜クラスから普通クラスに転籍もした……というニュースが物議をかもしたことがありました。女性が「直接栄光を浴びない、ケア的献身」に人生のキャリアを捧げることはいまの時代にすごい美談とか、「女子マネ」「華」というフェチとかとして称揚・消費されていいのか? 「マネジメント」ってそういうものなのか? ……「女性マネージャー」というのはそういう文脈をもった言葉です。
KOFGの「マネージャーさん」もその例に漏れず、最初はよう食う格闘家たちのためにメシを作ったりよう汗かく格闘家たちの服を洗濯したり道場の掃除したりといった、「おかあさん」「おさんどん(下女)」的な仕事をすればいいんだよね、と思ってがんばることになります。その実際的な仕事内容はずっと変わらないのですが、しかし、だんだんと彼女の役割には変化ができてきます。
物語が始まり、ワケのわからん巨悪との戦いに巻き込まれた主人公は、最初は「自分は言いつけられた雑用をやるだけだと思っていたので、自分が戦ったり、主体的選択をしたりするとは考えていなかった」わけなので、当然優柔不断な態度を示します。それを何事にも果断なタイプの草薙京くんにハッキリしろよと言われたり、強くあらねばという覚悟の強いリョウさんに覚悟が足りん奴についてこられても困ると叱られたりしながら、だんだんと「自分もできることをしてみんなを守りたい、運命と向き合って戦いたいという主体的な覚悟」を固めていき、ついには主人公の覚悟や意思が格闘家たちの覚悟や意思を動かす核となっていくのです。
単にメインに華をそえるための「かわいい雑役婦」から始まったマネージャーさんが、格闘家たちとの関わりを通して、みんなのメンタルを「マネジメント」するメイン級の真なるマネージャーさんに成長するという、KOFGはそういう「伝統の女子マネと、新しいマネージャーの物語」でもあったのです。
それでこそ、「強さ」の道を追求する格ゲーキャラのゲームの面目躍如です。主体的な強さにもいろんな強さがある。
その運命を、愛しぬけ
「強さ」を追求する格ゲーキャラのゲームとして、KOFGが表現した「強さ」はテーマ・キャッチフレーズの「その運命を、愛しぬけ」に一言で表されています。
「愛する」というだけでない、「愛しぬく」という言葉、しかも命令形には、覚悟し、受け止め、何があっても貫きとおせ、という心の強さ、たくましさを奨励するニュアンスがこめられています。重い言葉です。
「運命の恋」という言葉や「運命を変える」という言葉はポジティブなイメージでよく使われますから、それとの対比も目立ちます。つまり「その運命を、愛しぬけ」は過酷な運命を受け入れて、流されるのではなく愛することをあえて選んでいけという意味ですよね。
KOFGの物語は、この「つらい運命をひっくり返すのではなく、受け止めて向き合い、最後まで付き合う」というテーマが強調されています。「運命を変える力」を描いた『遙かなる時空の中で3』の裏側で「変えられない過酷な運命の中での戦い」を描いた『遙かなる時空の中で4』が「神にあらがい、恋を貫く——その想いが、伝説になる」というキャッチフレーズだったのともよく似ています。(↓『遙か』ナンバリングごとのテーマの流れはこちらの記事で↓)
運命を切り拓いていくのはいいことです。ただそれは、「運命を否定する」こととは違います。どうしようもない宿命や、生まれた家や生まれつきの才能、起こってしまった何年も前のアクシデント、これまでの生き方は、変えられないだけでなく「変えてしまってはいけない」のです。それがどんなに悲痛なことであれ、その運命があった上に今のわれわれは生きてしまっているからです。
主人公やプレイヤーたちとファイターたちとの間に、とても超えられないような圧倒的強さの壁がある、ということもその運命のひとつです。強い人に憧れ、自分もなにかしらで強くなりたいと思い努力するのは素晴らしいことですが、「自分も強く生まれていたら」「強くなる人生を送っていたら」と人生を書き換えようとするのは不毛なことです。なぜなら、そんな傷や迷いの多い人生を送ってきた今のこの自分だからこそ、この心で彼らに惹かれ、彼らを好きになったからです。「今生きている気持ち」は、「今ここにある愛」は、どんなに完全無欠の人生でもあがなうことができないからです。
KOFGの描く「運命を愛しぬく強さ」とは、人に惹かれ人を想う心を通してこの自分そのものを受け入れて対峙すること、ただ運命に流されるだけの弱さを超越することなのです。
for GIRLSオリジナル要素
他にも、乙女ゲーム化するにあたり追加されているまったく新しい要素もありました。オリジナルキャラクター二人です。
これの左下のビリーちゅわん以外の二人、上の「ナギ」さんと右下の「ヨミ」さんですね。この二人がKOFGオリジナルのファイターとしてデザインされました。
『遙かなる時空の中で』じゃん
(源頼忠じゃん)(遙かなる時空の中で2)
デザインだけでなく名前も伊邪那岐大神や月読命がモチーフ。そして主人公は実は伊邪那美大神の生まれ変わりの魂をもつ女性で、イザナギ神その人であるナギ氏に「ヒメ」と呼ばれてつけ狙われたり、瘴気を浄化する能力に目覚めたりします。アクラムに狙われる白龍の神子じゃん。
登場キャラの中で最も高名な『餓狼伝説』のテリー・ボガードのイメージもあって、わりかしアメリカンな雰囲気の格ゲーのように思われていたKOFに現れた突然の和風ファンタジー要素に戸惑いを隠せなかったのですが、よくよく考えてみたらKOFって実はそういう要素のあるストーリーなんですよね。そういう要素っていうのは日本神話から続く神々のチカラがどうでこうでというロマンや、KOFに乗じてそれを狙い利用しようとする陰謀を皆で阻止してなんやかんや……という筋書きのことです。ストーリーのワクワク要素まで原作に揃えてくれるっていうのもKOFGの根性のキマりっぷりです。
たとえば、KOFの主人公格の草薙京くんのおうち、日本古武術の「草薙家」は日本神話に語られる「草薙の剣」が実は「草薙の拳(けん)」のことであったというお家柄で、武術と炎を操る力を継承しています。京くん自身は家の伝統とかめんどくせーっていう唯我独尊タイプなんですけど、そういうわけで京チームは太陽の炎をシンボルとしています。
THE KING OF FANTASY 八神庵の異世界無双 月を見るたび思い出せ! 2 (ヒューコミックス)
- 作者:蒼木 雅彦,おぐら えいすけ(SNK)
- 発売日: 2020/10/02
- メディア: Kindle版
一方京くんのライバルである意味京くんより有名(↑とか参照)なKOGの名物キャラ八神庵氏はその昔京くんのおうちといっしょにヤマタノオロチ(と呼ばれる地球のエネルギーの噴出体)を封印したもののオロチを神として自らの血筋の力として取り込もうとしたおうちの出身で、そのエネルギーの暴走のせいで長生きできなかったり京くんと殺し合う宿命にあったりします。そう、宿命のパワーと重みがけっこう強いんですよね、KOF。だからこそ「その運命を、愛しぬけ」。ここらへんとタイマン張るのですからイザナギとかイザナミとか和風ファンタジックなこと言い出すのもなるほど納得なのです。
なもんで、追加キャラクター2人は「乙女ゲー化にあたって作られたファンタジックなルックスのイケメン」であるにもかかわらず、ストレートにロマンティックな甘さを醸し出してくるのはせいぜいナギが「ヒメ」って呼んでこっちをなぜか好いてくることぐらいで、あとはどシリアスなストーリーの中心人物だったのです!!!! 頼忠(ヨミです)、個人ストーリーのエピローグ以外は常にこっちを敵意めの視線で睨んできて、まったく目に見えたデレがないよー!!!!
硬派でいい……。
(なんでも褒めるのか?)
(個人ストーリーはシリアス、甘さはカードストーリーがあるのがガチャ式乙女ゲーの強みだからいいんだよ)
というわけで乙女ゲー追加部分さえもストーリー部分がけっこう骨太でありまして、格闘の強い男キャラカッコいいぜ!と思う人はこの通り乙女でなくてもみんな楽しめます。ました。
ファイターたちとの「暮らし」
KOFGの挑戦的で素晴らしいところはまだ他にもある(熱川温泉コラボとか……)のですが、現代の乙女ゲー的だしドキドキ感があるな~!となったのが、ファイターたちと「暮らしている」リアル感でした。
ストーリー的にも主人公は大門道場の管理人として京くんたちといわゆる「一つ屋根の下」状態にあるわけですが、他チームのファイターたちも道場に泊まったり合同トレーニングしたりすることがあるよ、連絡も取り合うよ、ということから、常にファイターたちとの「交流」が行えるメニューがあります。これが、ホーム画面カスタマイズで持っているカードのキャラクターをいつも眺められるとかつつくとボイスが聞けるとか……よりもさらにインパクトがあるものだったのです!
途中から実装された要素ですが、「交流」画面は「道場の中の畳の部屋」のアットホームな雰囲気を背景にLive2D?っていうのあれ?のキャラクターが息してまばたきして動いてしゃべって笑うのです!! いや、そんなん今時よくあることですけど、キャラクターデザインがたいへん肉感的で肩とか胸とかの筋肉が超いいので、息してるだけでもうメロメロなんですよね(※効果には個人差があります)しかも背景が畳の部屋ですよ畳の個室!!エロい(※効果には個人差があります)とにかく、キャラクターがそこにいるかのような、しかも自分がその暮らしと地続きにいるような日常的リアリティを醸し出していました。
この京くんの首の筋肉ときたらさあ……(※フェチには個人差があります)
さらには、これも現代の乙女ゲーにはよくあることかもですが、「キャラクターとのLINEみたいなSNS風交流」の楽しみも用意されていました。もちろん中の人がいるわけではないので「プレイヤーが送る一定の選択肢のスタンプにキャラが決まった返事をする」という方式ではあるのですが、その返答もかなりリアルな「暮らし」的なユルさがあり、オフの彼らの人となりを知れたり、何より「なんとなく連絡してみた」ができるような親密な関係性が味わえたりしたのです。「夜中にいきなりさいつ空いてるのってLINE」じゃんこんなの。
これが普通の学生モノや仕事仲間みたいな人間関係のゲームだったらLINEみたいなSNSでやりとりをするのは今や当たり前みたいなことですが、『ペルソナ5』ですら「喜多川、おまえLINEとかすんの!?!?」とドギマギしたほどです。八神庵がおれのスタンプに返事してくれるなんてことある!?!? すごい時代だよ。
なにせもともとが「格闘家」たちなので、SNSでどうでもいいようなやりとりができるということ自体に多大なるギャップ萌えがあるんだよな……。真吾くんがスマホ持ってるって萌えじゃないですか……? 高校生じゃんそんなの(高校生です)……。
個人ルート
KOFGの乙女ゲーム的な「キャラごとの個別恋愛イベント」は、プレイヤーレベルに応じて解放される「メインストーリー」の時系列の裏側で起こっていた「サイドストーリー」として描写されます。そういうわけでキャラクターと主人公の二人の物語の本筋はかなりシリアスで、明確にラブな感じのことになるのはサイドストーリーの終盤になります。萌えというより燃え的な、お互いの葛藤に寄り添い、運命に二人で立ち向かっていく……!というアツい展開で心のつながりを感じたいタイプの人には最適です。一方、イベントなどで排出されるレアカードについているカードストーリーは甘い感じのものも多いですから、ちょっと糖度が欲しいナってなっても安心。
個人ストーリーの解放条件も通常の乙女ゲームなら「親密度」が条件になっていることが多いところを、「キャラクターのレベル」、すなわちどれだけ彼が強くなったか、どれだけ彼のトレーニングやファイトに付き合ったかを条件にしているところがまた、テーマに合っていてシビレます。ちなみに親密度は親密度で存在し、差し入れをしたりファイトで応援をしたりすることで上げられてボイスなどの解放条件になっています。分け方がうまい。
……と、長くなってきたのでここいらでいったんお開きにして、
次回は、全キャラのサブストーリーをクリアしたわけじゃないのですが、思い出深かったものについて感想を記録していこうとおもいます。
【追記】↓共通と個人ストーリーの感想、京チームまで更新しました。↓
↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです