湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

【Ⅵ 恋人たち】聖セスリーンの紋章―FE風花雪月とアルカナの元型⑥

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「聖セスリーンの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅵ 恋人たち」のカード、キャラクター「リンハルト=フォン=ヘヴリング」「フレン」との対応について考察していきます。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。

以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。

 

 

 『風花雪月』の紋章がタロット大アルカナ22枚のカードに対応している作中の根拠とざっくりしたタロットの説明、各アルカナへの目次はこちら↓です。

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紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。「タロットカード同梱版」と「書籍のみ版」のご注文をいただけます。(品切れの場合は数か月お待たせしますが増刷予定あります)

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 前回グロスタールの記事もたくさんの方に読んでいただけて感謝です。当方の進みが銀雪→同盟→帝国→いま王国ルートで、前回で金鹿の学級の生徒の紋章の記事が終わりましたので今回から黒鷲の学級の生徒の紋章をみていきます。

聖セイロスの紋章はあとに回すとして、今回はツイッターでおこなったアンケートの結果、もっとも得票の多かった「聖セスリーンの紋章」とアルカナの対応関係を解説していきます。今回も二人なのでゴリゴリ長いよ。

 

紋章、四聖人セスリーン。

対応するアルカナは恋人たち(恋人、恋愛などとも)、

対応するキャラはリンハルト=フォン=ヘヴリングフレンです。

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り、リンハルトが「ラヴァーズ」??? このドロテアさんの前で自尊心も魅力も不要と言う睡眠野郎が???

まあまあ、「恋人たち」アルカナはラヴロマンスだけをあらわすわけじゃないから聞いていってくださいよ先生(CV堀江瞬)

 

 

「恋人たち」の元型

 まず「聖セスリーンの紋章」と対応する「恋人たち」アルカナのカードの中心的意味を拾ってみましょう。

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 「Ⅵ 恋人たち(恋人、恋愛とも)」のカードです。

このカードにはおおむね二種類の絵柄の型があります。ウェイト版は「蛇」「リンゴ」「天上で見守る神」「向こうに広がる荒野」など「アダムとイブ」をあらわしていることが明らかな「男女ふたり」を描き、マルセイユ版は「個性の違うふたりの女性」「挟まれたひとりの男性」という「三人」の恋模様に「キューピッドが介入」しようとしているさまを描いています。

いずれにせよ「性質の違うものどうしの恋愛」を描いたカードです。その「恋愛」というのは大きな比喩であり、「恋人たち」のアルカナが中心的にあらわすのは

「保護者から価値観を教わるのではなく、

 自分の好きなものを自分だけの選択でえらびとる」

という段階です。以下、恋人たちアルカナの意味は赤字であらわします。

ここまでの1~5のアルカナには神話的な人物像が描かれており、それぞれ「親」であったり「先生」であったりが教えてくれることをあらわしていましたが、6番の「恋人たち」アルカナでは偉大な人物がガチ神くらいしかいなくなり、やっと本人の自我が出てきます。「恋愛」が比喩しているのは「自分の好きな人やものを自分の意思で選ぶ」ということ全般なのです。だからマルセイユ版には女性がふたりいて「選択」が強調されてるんですね。ウェイト版は選択っぽく見えないかもしれませんが「アダムとイブが知恵の実を食べて楽園を追放された」というモチーフが描かれており、これは恋人たちアルカナの「選択」におおいに関係のあることです。このへん詳しくはあとで書きますね。

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 聖セスリーンの紋章の模様は概形としてハート型をあらわしており、これが愛や心やトキメキや癒しをあらわすことには疑いの余地はありません。ハート型の概形の中に描かれている線も心臓の大きな血管や、左右の心房・心室を思わせます。

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別件で模写したペルソナ3、4のタロットでも「恋人たち」アルカナではハート型がメインモチーフとして使われています。

またセスリーンの紋章を形成している線はすべて左右対称な二股の道であり、人生の選択が折り重なっているようす、そして相手の人生と交わるようすをあらわしてるんじゃないのって個人的にはおもいます。人間はいちど自我をもったなら、どちらが正解かわからない道をたえず選び続け、他者と出会い続けていくしかないのです。

 

フレンの「恋人たち」―ふたり並んで

 フレンのことをしゃべるには、メチャクソネタバレが入るので覚悟してほしいのですが、フレンはその出生の秘密、セイロス聖教会の実はものすごい要人であることに反して、そのペアエンドはほぼすべて、拍子抜けするほど、ただの「愛のある家庭」(完)です。当方は青獅子まだクリアしてないんですけどディミトリとドゥドゥーとの支援もたぶん結末はそういうやつでしょ……。末永く爆発……。

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物議をかもしている同じ紋章の睡眠野郎とのコレも、彼らの紋章のあらわす「二者の結婚」を強くあらわしています。「結婚」というのはまた錬金術・化学反応的な異質なふたつのものの合一をさす概念的な言葉でもあり、これは水素と酸素が出会って水ができた!とかもですし、まったく異なる分野の人間どうしが奇跡のコラボ!というのもそうです。食材で「マリアージュ」(フランス語で結婚)っていうやつみたいなことですね。

変人のことは置いておくと、作中でも抜きんでて少女漫画展開にぶっ飛ばしていたフェルディナントとのペアエンドに描かれているように「いつも愛する人と隣に連れ立っている」ことがフレンがたどり着くべきかたちです。対につくられたひな人形のように、二者が並ぶことを「恋人たち」はあらわしています。

また、フレン(および釣り好きのリンハルト)の好きな「お魚さん」というのも、人の心をあらわす象徴です。人の心や魂をあらわす動物は鳥や蝶などもいますが、水という無意識の領域に住むお魚さんはとりわけ「ときめく心」や「本当の気持ち」をあらわすものです。そのへんは『夜明け告げるルーのうた』と↓この記事↓を見るんだ。

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大人になる少女

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 フレンは、見た目こそ15か16くらいの少女の姿ですが、さまざまな匂わせやセテスとの支援会話の最後でのバラしから、かつてネメシスの軍勢と戦った「聖セスリーン」本人であることが示されており、じつに1000年くらい前から生きています。しかし、レアのようにずっとフォドラを見守ってきたわけではなく途切れ途切れに「起きて」いるため最近の世間の常識を知らず、成長も長命種にしても遅いのだか止まっているのだかしていて、少女なのか、大人の女性なのか、どっちともいえる状態です。

フレンは「慈愛」をあらわす聖セスリーンであり、同時に「恋愛話」を好むフレンでもあります。慈愛と恋愛というのが違うもので、ときには相反するものでさえあることは誰にでもなんとなく感じ取れます。同じ「愛」とつくものなのに、慈愛とは雨のごとく皆にひとしく降るもので、恋愛とは誰かを選び誰かを選ばないことだからです。

ときには「私だけの選択であなたを選ぶ」だけでなく「私だけのあなたであってほしい」という嫉妬までも生むのが恋愛です。「誰にでもやさしい女の子」が恋を知ったならば、だれにでもやさしいばかりではいられなくなります。そういう葛藤に直面することが、大人になっていくということです。フレンは恋愛話によってその段階を夢想し、「聖女でないわたくし」についても好意的で前向きです。

こうした普通の人間の15-16歳くらいのオンナノコがもつ思春期から青年期のはざまの性質、「恋人たち」の表す時期は、ふつう一瞬に通り過ぎてしまうスパークのような瞬間ですが、フレンはそれが少なくとも今までは半永久的に保存されてきた存在なのです。永遠のJK

 

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 フレンたち女神の眷属、FE用語でいうマムクート(竜種)が極端に長命であるにしても、なぜフレンのコイバナをきゃっきゃと好む女学生性がこんなに保存されてきているのかにはいくつか理由があります。

主なひとつには、兄こと父であるセテスがいつまでも彼女を子供だと大事に大事にしているから。ふたつめには、彼女がネメシスとのタルティーン会戦で無理をしたあとのほとんどの時間を眠って過ごしてきたために、彼女の心身だけ時間が止まっていた状態が長かったからです。

この「眠り」というキーワードが、聖セスリーンの紋章をもつふたりに最も大きな共通要素だとおもわれる方も多いでしょう。フレンの異名は「眠り姫」、睡眠を怖がり眠ったらずっと起きないのではないかという不安を口にし、「眠れる紋章学者」リンハルトが睡眠野郎であることはご存知の通りです。フレンの場合は無理をした後遺症という事実があるとはいえ、聖セスリーンの紋章はよく眠ります。

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ほとんど寝てなくて(7時間)……とかじゃないだろうな

(ええっ、どのくらい寝たいのかは人それぞれじゃないですか)(CV堀江瞬)

「眠り」というものが「恋人たち」アルカナの示す段階にどう関係があるかを話すためには、二人の「眠り姫」「眠れる紋章学者」という異名から誰もが想起する『眠れる森の美女』のことを引いてみましょう。フレンの「眠っているあいだ本人に時間の経過がなく、長い時ののちそのままの姿で目覚める」という性質は『眠れる森の美女』と一致しています。

このおはなしは寓話としては何をあらわしているのでしょうか?

 

眠り姫

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 まず『眠れる森の美女』および『野ばら姫』とか『ねむり姫』とか呼ばれる、もともとはペローの手による童話のあらすじをさらっておきます(以下超訳)。

長く子供をほしがっていた王様とお妃さまのもとへカエルがやってきて、姫君の誕生を予言。お妃さまは姫君を生み、王様は祝いの宴に国内の高名な魔女13人を招いて姫君に祝福をしてもらおうと考えましたが、黄金の皿が12枚しかなかったので、一人ハブに。

祝いの宴で魔女が11人めまで祝福をしたあたりでハブられた13人めの魔女が入ってきて「お姫様は15歳になると糸つむぎの紡錘に刺されて死ぬ!」と呪いをかけていきました。12人めの魔女はまだ祝福をしていなかったので、できるだけ呪いをやわらげ「お姫様は死ぬのではなく百年のあいだ眠るだけ」としてくれました。

それから王様は姫君を害さないように国中の糸つむぎ機をすべて焼き、姫君は授けられた祝福のとおり非の打ち所がない女の子に成長していきました。しかし姫君が15歳になったとき、お城を探検して鍵のかかった戸を開けると、なぜかそこには糸つむぎをするおばあさんが! はじめて見る糸つむぎを面白がった姫君は紡錘に触ってしまい、そのとたんに眠ってしまいました。

姫君の眠りはお城じゅうのすべてを眠らせ、うわさをきいた若者たちが冒険にくるのですがみんな死に、姫君は眠り続けました。やっと百年ののちやってきた王子様は姫君の眠る部屋までたどり着き、王子様が姫君にキスすると姫君は目覚めて、城の者たちも皆目覚め、王子様と姫君は結ばれて幸せにくらしたのでした。 めでたしめでたし

 ……とまあこんな感じのお話だったのですが。

心理学者ベッテルハイムなど、昔からの寓話に心理学的な分析をくわえる定石では、『カエルの王子様』などにもみられるようにカエルはとりわけ性的な成熟への不快感や忌避感成長にともなって変化がおこることを意味するモチーフです。王子様のキスという「異性との友好的な出会い」によって円満に変化が結実するこうした物語はまさに「恋人たち」アルカナの段階を示しています。フレンの異名「眠り姫」の物語とはそういう思春期についての物語だと示唆されています。

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「15歳」とか「16歳」というフレンの肉体年齢がちょうどそのくらいである女性の年頃とは「大人の女性に変わる」年代であり、そこには第二次性徴(声変りや月経)がどうしてもついてまわります。性になんらかの違和を感じているすべての子どもは第二次性徴がきそうになると時よ止まれ~!と思ったりします。しかし変化の時は止まらずに流れ、戻ることはできません。イグナーツ坊ちゃんほどでないにせよリンハルトも女の子のようだった学生時代と5年後の成人男性らしさの差が印象的です。

そういうたえざる選択や変化をよくわかっている「恋人たち」アルカナは過去にとらわれず、「今」「このわたしと目の前のあなた」を本気で見つめます。「過去なんかどうでもいい」「死んだ途端人を褒めるとかキモい」みたいにかなりハッキリ言うリンハルトにもこの性質はあらわれています。

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 話を『眠り姫』に戻して。

現代では15歳は初潮年齢としては遅めな感じがしますが昔にはおおむね普通です。「紡錘で指を突いて(血とか出て)死ぬ」というのはさっき言った「月経(男女問わず第二次性徴)がきて、体のようすが大規模に変化する」ということを暗示します。15歳ぐらいになったらそういう「呪い」が発動することは、べつに13人めの魔女に言語化されなくとも人間にはもとから運命づけられてるようなものなのです。

子どもが、この物語を聞いて無意識的にまず連想するのは、性交ではなく、むしろ、月経である。もとは聖書からきているのだが、curse(呪い)ということばは、ごく一般的に、月経の意味に使われる。

―ベッテルハイム

昔話の魔力

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姫君を危険から遠ざけようとして、すなわち姫君を大人にさせまいとして国中の糸つむぎ機を焼いてしまう王様は過保護な親セテスであり、こういうことはべつに眠り姫のお話じゃなくてもどこにでもあることですよね。子どもはいつか大人になっていく好奇心によって、フレンの好きなことである「知識の獲得」に向かって、勝手に危険なところに行ってしまい、大人の扉の鍵を自分で開けていく

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そういう、親の手を離れるべき時期が来ているのが「恋人たち」アルカナの段階です。フレンは眠るときに四聖人の「棺」を使っていることが作中で匂わされています。『少女革命ウテナ』でも棺は死んだような意志の眠りをあらわすモチーフとして使われますが、大人の女性になるダイナミックなメタモルフォーゼ(変身)をする「さなぎ」としてフレンは棺に包まれて眠り、目覚めるのです。女児アニメの「変身バンク」のシーンみたいな力がそこにあります。

誰が「ねむり姫」を救ったか

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ブリュンヒルデのロマンス

 厳しい父性であるセテスの、最愛の「正しい娘」であることに、恋をして大人の女性になっていくことで反抗するかたちになるフレンは有名な類型だと「オーディンの娘ブリュンヒルデ」にも似ています。

崖の上のポニョ [DVD]

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北欧神話の主神オーディンとその娘ワルキューレたちの長女ブリュンヒルデは、『崖の上のポニョ』のフジモトとポニョ(本名ブリュンヒルデ)でも引用された「父神のルールを打破して自我をもつ、恋する娘」の世界的に知られたモチーフです。ブリュンヒルデはまた、恋人となるシグルドがやって来るまで眠り続けていた「眠り姫」のプロトタイプでもあります。

フレンの支援会話相手は性別不定の主人公と母親にちょっと似ているらしいマヌエラを除き全員!!男子!!であり、もはや乙女ゲーです。これは単純に「恋人たち」アルカナ的な恋愛だけの問題ではなく、彼女にとってこれまでセテスに遠ざけられてきた年頃の異性とのかかわりがいかに革命的なものであるか、フレンの主軸が父からの卒業と自分だけのものを選ぶことにあることを示しています。ま!

VSセテス氏

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 フレンが聖セスリーン本人であるようにセテスはその父聖キッホル本人であり、「聖キッホルの紋章」が対応するのは「正義」のアルカナです。また個別記事(たぶん次です)でも述べますが正義のアルカナは「親と子」の関係の中で子に大人の分別を身につけさせることもあらわしています。ただし親の心子知らず、子の心親知らずと言うように、親子間のなんやかんやはたとえ思い合っていてもうまくいくものではありません。

「親離れ」の時期ともなるとそれはなおさらのことです! セテスはフレンの交友関係、ことに男子を殺しそうな勢いで監視・指導しようとします。JKがそんなお父さんをウザがってもキレてもそれは当然だし、娘が嫌がっているのになおもそれを続けたセテスはやや娘の人権を無視しかけています。

セテスの身になってみればフレンの交友関係、つまり「フレンの身に外界から入ってくる対等な他者」というのは非常に危険な存在です。教えを授けてくれる正しい大人は安全ですが、対等なコミュニケーションとは何が起こるかわからないからコミュニケーションなのです。特に他者とのコミュニケーションの極みである「異性との恋愛」などといえばもうそれは「姫君を傷つける紡錘」そのものであり、そんなん残らず焼き尽くしてしまいますよ。

しかし、物語が示すように、親が子から危険を遠ざけてもそれが効果的で必要なのは15歳の朝まで、少年少女期の終わりまで。その時が来れば少年少女は自分で選んでタブーに触れに行ってしまうのです。

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「その時」が来ているのに自分の作ったベビーベッドの柵の中に子供を閉じ込めようとする親は、自分の足で立ち、自分の行きたいところに歩き出そうとしている子の幸せを阻害するものにしかなりません。このタイミングはむずかしく、またどうやっても寂しいものです。「恋人たち」アルカナの選択の痛みは本人だけではなく、親の胸にも痛み、反抗期のパワーはあらゆる周囲のものを破壊しつくすかもしれません。子育て、難しいよなー! セテス

しかも同じ聖キッホルの性質をもつフェルディナントとフレンはスーパー少女漫画展開のちラブラブ夫婦になったりもし、たとえ結婚相手が父親に似ているとしても、娘は父親から卒業すること自体に意味があるってことだよ、落ち込まないで再婚とかしてセテス。

 

VSフェリクスくん

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 これもまたツンタイプの王道少女漫画か?

この、愛らしい少女にもズバズバといっさい遠慮がないフェリクス。フラルダリウスの紋章は男性原理そのもののような鉄剣の理性をあらわす「皇帝」アルカナに対応し、フェリクスはフレン雛のお内裏様となりうる男子の中でも最も「柔らかくて弱い女? 俺には関りない、どいてろ」というけんもほろろなタイプです。しかもこれ実は弱さを隠していて…とかツンデレ…とかじゃなくて天然でこれだからな。

おなじ「理の剣による切り分け」を意味する皇帝アルカナと正義アルカナ、フェリクスとセテスの支援会話は支援全体の中でも随一の理性ぶりです。

剣は、人を斬るための武器だ。
薪は鉈で割ればいい。
果物や野菜は包丁で切ればいい。

そのフェリクスのズバズバの剣、「剣⇔敵を斬り殺す」という手段と目的の必要十分一致に研ぎ澄まされた剣を、フレンは薪や果物を曲芸のように切るという完全に目的外のことに使わせて喜びます。さらには「フェリクスさんは、薪を切るより、人を斬るほうが好きなんですの? わたくしは、人を斬るための剣よりも薪や果物を切る剣のほうが好きですわ」とか言う。

フレンが言っているのは「I like 〇〇 better than ▲▲!」みたいなことであり、そういう文法に対してフェリクスは

「It's おめでたい考え.
 →Because 人を斬る剣なくして,勝ちは得られない.
  →Because 弱い者は,何も得られずに死ぬ.
   →Because 生き残るのは常に勝者であり,強者だ. Q.E.D.

という数学の証明かみたいなスーパーダンガンロンパを畳みかけます。フェリクスの話す言葉を観察するとこの特徴がよくみられます。フェリクスの剣はこうした隙のない「〇〇→▲▲→××」という数学的ロジックの流れであり、確かにそれは強いのですが、ロジックの当然の帰結が行き着いた果てにフェリクスが何を望むのかということになるとフェリクスはあまりに無力で、自分の気持ちを見つめ取り扱うのが苦手なことは先生との支援にもあらわれています。

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 フェリクスの「俺は剣でしかなく、剣は人を斬るものでしかない」という余地のない論理の世界に、フレンは「わたくしは剣を薪とか果物とかを切るのに使うほうが好きですわ」という自分の好き嫌いの世界をぶつけて攪乱し、結果それはフェリクスが論理の剣を振るう=生きている「目的」である戦場やディミトリをなくした後でも、彼が剣を振るう=生きている「動機」をくれるものになったのです。彼の嫌いな「名誉のため」「国のため」「騎士道のため」とかいうのとも違う、めちゃくちゃで愉快な動機を。

 

リンハルトの「恋人たち」―猶予期間

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 ここまで話してくると、リンハルトがなぜ聖セスリーンの紋章の「恋人たち」アルカナなのかなんとなくわかっていただけたかとおもいます。リンハルトは「今」「自分の好きなこと」「自分の本音」を迷わず最優先にし、他人を見てもなぜみんな自分の好き嫌いを最優先にしないんだろうなーと不思議に思ったりしています。それが彼のサイコがパスっているのではと思われがちな原因ですが、単に彼的には当たり前にやっていることが日本人の常識感覚に合わないというだけです。つまり「周りに合わせる」とか「過去の積み重ねを大事に」とかのことですよ。

この「僕は僕の、君は君の好きなことを」というリンハルトの考え方は全体に個人主義的な黒鷲の学級の個人主義味の決め手となっており、よって黒鷲の学級、帝国全体の傾向の話にもなってきます。

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 キーワードは彼も序盤に言っている「社会的な猶予期間」です。

カタカナ語でいうとモラトリアム。

無罪モラトリアム

無罪モラトリアム

  • アーティスト:椎名林檎
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椎名林檎ほかレミオロメンとか内田真礼とかによく歌われがち

 

好き、嫌い、好き

 モラトリアムというのは語義的には「一時停止」です。すなわち刑の執行猶予や借金の返済猶予など、すべての一人前の社会成員としての義務をちょっと先延ばしにしていいよ~という時間が与えられることで、日本でカタカナ語として使われるときはとくにリンハルトが言うような「一人前の大人として活動すること」の一歩手前で猶予されている期間のことをさします。

これはマルセイユ版タロットの絵柄の「ふたりの女性からどちらを選ぶか迷っている男性」がゆるされているシンキングタイムのことです。結婚することは社会的大人として一人前になることであり、「恋人たち」アルカナは「選択」自体だけでなく選択するための岐路に立ち止まる時間のことも意味しているのです。

リンハルトは心優しいというより「血が苦手」と言います。これはフレンの項で述べた『眠り姫』と思春期の話でいうと、彼の体が男性であり月経がくるというより性によって相手に血を流させる、紡錘を刺す加害側となりうることを厭う、意中の女性を選択し安易に「大人になる」ことへの忌避感でもあります(痛くないかはちょっと自信がない)。男性が女性に果敢に挑み「男になる」ことはしばしば敵の砦へ攻撃をしかける勇ましさと同一視され、「肉食」みたいに言われますが、リンハルトはそういう男子ではないということです。

モラトリアム人間の時代 (中公文庫)

モラトリアム人間の時代 (中公文庫)

 

 さて、心理学的にいうモラトリアムという言葉はもともとフロイトによって「人間は動物の中で特異に長い期間親に依存し、それによって世代間の文化継承をしている」というかんじで唱えられました。そのあと弟子のエリクソンが人間の13~19歳くらいを「心理社会的モラトリアム」と呼んで先述のとおり「大人になる猶予期間」としたのが現代の教育・発達心理学では有名です。これがまさにリンハルトという眠り姫が眠る百年の時間、大人へと変わるための時間(起きるとは言ってないですよ)です。

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要~~~~は「親のスネかじってられる余裕があるから『自分って何だろう』『自分の好きなこと』とか甘えたこと言ってられんだよ」ということで、確かに、当然ながら親をなくし食うにも困っていたアッシュやドロテアが自分の「好き」とか「嫌い」とかにかかわらず盗みや物乞いをしなければならなかったように余裕のない社会では好き嫌いを言う精神性は育たないわけで、リンハルトが「好きなことだけやって暮らしたい!」と言い張るのは彼が帝国貴族の豊かで余裕のある家に生まれ育ったたまものといえるのです。これは生まれたときからシステマティックに役割を決められ、考える余地余裕のない王国貴族とは違う社会的空気でしょう。

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よく「贅沢な金持ちは悪」とか「親のスネをなくしたらそんなこと言ってられないくせに」とか言いますし、リンハルトの言うことは赤ちゃんのわがままのように見えることもあります。しかし、好きとか嫌いとかでものを考えてられる潤沢な余裕がある環境だからリンハルトのような人間が育ったということでもあるのです。リンハルトは極端な例であるにしても、他の帝国貴族の面々も「皇帝」「従者」「宰相」「武官」など自分の進路を「どんな皇帝(ほか)になるのか、自分の意思で能動的に選ぶ」というスタンスをとっています。

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苦手なものを積極的に克服しようとかしない!!(withお肉食べたいラファエル)

そういういろんな個性、いろんな文化を宿した人間を育むのが、本来人間の親が子を長く保護することの機能だといえるわけで、文明的な人間としては本当はみんな子供に帝国貴族みたいな余裕をあげられるといいねっていう話です。そしてまた、貴族的な余剰によってリンハルトのような変人が問題なく生きられることは社会全体に長期的な利益を与えます

特にそれを無視してはならないのは、学問の分野です。

 

学究の本質

 昨今、大学や研究者への助成……ようは学問への資金的な援助……をめぐって、「役に立たない研究」に食わすカネはニー!、みたいなことが日本ではよく聞かれます。ノーベル賞をとるような研究者の先生も研究費をクラウドファンディングしなければならなかったり、理系研究では定期的に「成果」を出さなければ研究費がアレする…という事情もあってナントカ細胞はあります!という結果ありきの論文を作ってしまったりという事件ですね。

事件にならなくても、まさに若者が遊んでるみたいなモラトリアム期間を過ごしてるかに見える大学の文系学部を「もっと実際に役立つことを教える機関にすべき」「卒業後職にありつけるような勉強をすべき」とかいう理念で改革していこうぜという風潮はずっと続いています。これは一見合理的なようですがたいへん危機的な考えです。大学は学問をする機関であって、専門学校や職業訓練校ではないからです。「学問」は役に立つとか立たないとかだけですることではないからです。そういう大事なことをリンハルトは示しています。

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 リンハルトは自分の研究の「用途」を気にしません。先ほどのフェリクスの剣に対するフレンみたいなもので、研究したいからしてる。それがハンネマンの研究姿勢との違いといえます。

当然、ハンネマンのように目的があって研究することもいいことなのですが、「目的が達成されない研究に意味はない」までいくとそれは本末転倒になってしまいます。ハンネマンの研究人生だってまだ目的は達成されてませんけど、それに近付くためにトライアンドエラーしてきた数々の研究に意味がないわけがありません。

リンハルトがはたから見たら「そんなのなんの役に立つの!?」という研究をしていても、リンハルトは「子守歌になるかもしれませんしー」みたいに言って気にしません。彼の言う通り学問というのは将来的には何がどこでどう役に立つのかわからないもので、研究者はそれを限定する必要はないし、だから好きなことを研究するのがいいし、わけわかんないことをする余裕が学問の発展には必要不可欠なのです。

  「必ず当たる馬券」を買う方法が存在しないのと同様に、「必ず成果を出せる研究」も存在しない。選択と集中に対するこうした批判は、非常に的を射ていると言えよう。
 ある政府関係者も「失敗もあり得るハイリスクな課題に挑戦しながら実用化も目指すというのは、そもそも矛盾している」と吐露する。
 ところが、政府は「選択と集中」をさらに強力に推し進めている。

―毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班『誰が科学を殺すのか』

誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃

誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃

 

「選択と集中」っていうのは王国の状況のように実用的な紋章貴族にリソースを集中させて無力な民を統治するギリギリモデルのような効率化を自由経済の中でやろうぜ(そして当たり券がいっぱい買えて最大限ウハウハ)っていう考え方ですけど、でもそれぞれの研究者が何を選択するのかがてんでバラバラじゃないと、そもそも学問って意味をなさないよねということです。

上皇陛下もハゼの基礎研究をしていらっしゃるように、明治大正とかから鳥とか生き物の基礎研究は実利がなくてお金がかかるばっかの「貴族の学問」みたいに言われてきました。でもそういう基礎研究っていつ役に立つかわからず、今の社会が意味を見いだせてないだけ、そういうストックがたくさんあるということが社会における学問の豊かな機能です。リンハルトをはじめ教会や社会の規範から自由な帝国の学者たちが科学や近代的思想を発達させていることがそれを示しています。エーデルガルトがリンハルトを抱えようとした理念はじつにいい感じです。

 

眠れる知恵の袋

 そんなかんじでリンハルトはただの知恵の「袋」であることに意味があり、そこには「なんのために使うべき」みたいな指向性はありません。リンハルトという袋は彼が好きで考えたことのストックであり、社会における学問と同じ存在です。

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リンハルトの知恵どう使ったらええねん、と困りはてていた状況から、最終的に『真・三國無双4』の諸葛亮・月英夫婦のようなことを言い出し「諸葛亮」リンハルトの知恵で国策を発明していくペトラです。

真・三國無双4

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  • 発売日: 2005/02/24
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だから彼はソロエンドでは「眠れる紋章学者」として知恵を眠らせたまま後世に残し、ペアエンドでは彼と生きることになった誰かが「袋」からぽとぽと落とされる知恵を活用して「穴の開いた知恵袋」になるのです。

VSフェルディナントくん

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 出たーーーーッ

(いつも出る)(さっきからちょっとずつ出続けてる)

 

 カスパルよりもリンハルトと対照的に見えるフェルディナント=フォン=エーギルです。フェルディナントとリンハルトは紋章の対応上聖キッホル聖セスリーン、つまりセテスとフレンにあたります。「〇〇すべき」と正しき貴族の道を「教育」しようとするフェルディナントにリンハルトは「君に比べたら僕は赤子同然さ」と言い、「親と子」の関係性が繰り返されています。

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この(娘ではない)がモーレツな(父ではない)のことを別に嫌ってはいないのがおもしろいところです。この娘は自分の好きなもの嫌いなものがとてもはっきりしているので、他人のありようを自分とスパッと切り離して好ましく思うことができます。自分のことと向き合えてないから自分と他人をウェットに混同して無意識に投影してしまうって、よくありますよね。自分と違いすぎる価値観って悪いものでなくてもウワッと思っちゃったり。まあそういうのも共感能力ってやつかもしれないんですけど、リンハルトそういうことしない。

そういう父ディナントが迫るモラトリアムの終了勧告に対して、社会が「大人になれ」と言ってくることに対してリンハルトはおとなしく大人としての責務を果たしていくのか? というのがもう一つのこの支援会話の見どころです。全力で迫ってくる、もはやのらりくらりとかわせなくなった義務ディナントに「じゃあ僕も全力で応えなきゃね」と言ったリンハルトは、

「さよならー」(全力ダッシュ)

全力で嫌なことから逃げた

そう、リンハルトは全力で疲れることから逃げる、これは矛盾したことのように聞こえるかもしれませんが、彼は頭がいいので「どっちがよりマシ(嫌なことから逃げられる)か」ということを冷静に判断してそっちを選んでいるにすぎないのです。フェルディナントの訓練から逃げ切れる勝算があったからダッシュで逃げた。

学生時代に家を継ぐしかないのかなー(その前の猶予期間だと思ってたのに)と考えているのも、その時点では家から出奔する方が面倒が多そうだと判断していたのでしょう。明日寝るために今日は殺すしかない。

 

VSドロテアくん

 フェルディナントが「社会に対して為すべきこと」ベースである点でリンハルトと対照的ならば、「他者」「過去」ベースである点で対照的なのがドロテアです。

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リンハルトは「積み重ねからくる自尊心も、人をひきつける魅力も、ないほうがいい」と言ってドロテアを驚かせます。リンハルト的には「自分の好きなようにしていること」が最大の価値なので、確かにこういう社会的人間としてあきらかにおかしなことを言っても筋が通っています。

しかし孤児として物乞いをし、歌姫としても同じようにひいきの客に援助されてきたドロテアにとっては、過去は捨てようにも捨てられない嫌いな自分との葛藤であり、魅力は生きていく唯一の術でした。ドロテアは他者に望まれなければ生きていくことができないと思っており、そんな自分が嫌いでも、リンハルトが言うような「筋」がこの世にあるなど考えたこともなかったのです。

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ドロテアはリンハルトと交流し、「自分の人生、今の自分の気持ちは、過去の積み重ねや他者にかかわらず存在するのかもしれない」と知ります。

知ったところでドロテアはリンハルトのようにはなれません。それでいいのです。リンハルトのようにほぼ全然気にしねえ人間はまれですし、みんながそうなる必要はないどころか、こんなんばっかになったら社会が成り立ちません。ドロテアは他者を気にするからこそ社会に参画でき、歌を歌い芝居ができ、人を助けることができます。コミュニケーションができます。

ドロテアとリンハルトのペアエンドで、よくわかんない研究をドロテアが民衆に役立つものとして拾い上げることで、はじめてリンハルトは「穴の開いた知恵袋」のままで領主として社会に参画しました。それはまさにまったく違う二者どうしが出会う「恋人たち」アルカナの姿でした。

 

運命の果実をいっしょに食べよう

 さきほどリンハルトの項でたびたび述べたように、「恋人たち」アルカナの示す「自分だけのものを選ぶ」意思が正しく大人になっていくために必要だとはいえ、「選択の余地のない過酷な運命」というものはどうしても存在します。マルセイユ版の男性はふたりの女性に万力のように挟まれており、「どちらも選ばない」こととかは選択できないのかもしれません

フェルディナントが宰相になるのみと教育されたことや、カスパルに家を継ぐ選択肢がないのは事実です。「何になるのも自由だ」と言われながら、実際は生まれた時代や環境で未来の明るさがだいぶ制限されているというのは現代社会的な問題でもあります。

しかし、ヒューベルトが親にエーデルガルトに仕えるように選択肢なく言われたからといって、彼の人生が一択だったからといって、彼がエーデルガルトを自分で選んでいないと言えるでしょうか?

「人生を選ぶ」ということの本質は、選択肢が無限にあって無制限に選べることや、最優の選択肢を探せることを意味しません。生まれ育つ家族や隣近所の人間関係を自由に選ぶことができなくとも、ヒューベルトは親に言われてエーデルガルトと過ごす時間の中で、自分でエーデルガルトを選んだのです。呪いとも呼べるような先天的な強制、そうするしかなかった事情の中でも、夫婦とか恋とかでなくても、人は「だれと、どんな生を、どんな呪いを分かち合っていくか」を自分で選ぶことができる。

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そういう帝国キャラクターたちの運命に対する決断的な主体性が、ウェイト版タロットの「恋人たち」に描かれている「知恵の実を食べて楽園を追われるアダムとイブ」です。自分一人で好きなことを好きなようにやるのが第一であったリンハルトは「大事な人」を選び、大事な人を伴侶としたときについてくる面倒ごとをともに引き受けることを選びます。「選択」し、「大人になる」ことで人は単純に幸せになるのではなく罪と呪いを背負いますが、その「運命の呪い」を分かち合っていく誰かを選ぶことが、家族になるということなのです。

それがおまえたちのピングドラムだ

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運命の果実をいっしょに食べていこうな、リンハルト……

リンハルトが伴侶な照二朗=アイスナーでした(本当にこの名前でプレイしてるんだよ)。

 

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