湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「ネオロマンス」ブランドと主人公のあり方 序文

 本稿は、スマートフォン向けソーシャルゲーム『金色のコルダ スターライトオーケストラ』とその属するブランド「ネオロマンスシリーズ」「ルビーパーティー」、それらをとりまく「女性向けゲーム」界や「コンピュータゲーム」界の歴史における「主人公の性別の自由度」について、背景と論点を整理していく記事の序文です。

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金色のコルダ スターライトオーケストラ

金色のコルダ スターライトオーケストラ

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この記事シリーズの概要

 結論までが遠くてわかりづらい話です。ここを読むと「ああそういう話なのね」とざっくりつかんでいただけます。5000字程度あります。

この記事の中の「全体の流れを要約すると?」まで読んでいただくと、だいたい全部読んだも同然です。

あとの長い話は「じっくり考えたいとき用」なので、そういうときの気まぐれに読んでいただくくらいのために、ゆ~っくりまとめていこうとおもいます。あと、この記事シリーズは中間発表会みたいな感じなので、途中だと足りない観点もめちゃくちゃあります。そして中間発表会みたいな感じなので、「まだ途中なんだから文句言うなよ!」ということではなく、「この観点もほしい」「この記述は間違ってない?」とういうような具体的なご意見は大歓迎です! コルダファンのよりよい未来のために!

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Q.つまりなんの話?

A.

 「『スタオケ』に男性主人公も欲しいって言ってる人がいるぞ」という噂が物議をかもしたとき(2021/02/24~)、噂に反応した多くの人たちがそれぞれ違った背景から「それは嫌だ」「あってもいいのかも」などの意見を言いました。

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「金色のコルダ スターライトオーケストラ」をApp Storeで より引用

その意見の「前提となる常識、条件」「どうしてアリ/ナシと思うのか(理由)」「そう思うから、何がどうなってほしいのか(希望)」などはそれぞれ千差万別でした。しかし、「ナシだよね」寄りの人は「ナシだよね」寄りの意見を見ると安心し、「アリだよね」寄りの意見には警戒してセンシティブになってしまう(逆もまたしかり)、という状態が多く見られました。「アリ/ナシ」の中でもなんの話をしているかは千差万別で、逆に「アリ/ナシ」が違うように見えても似たことを考えていることもあるにもかかわらず、なんとなく「敵味方」のようなきな臭さが漂ったのです。

この記事は、

「この話題は『二つの陣営』の話ではなく、いろんな前提や理由、いろんな希望が関わっている話なので、『敵か味方かのみ』という考え方をやめよう」

「でも、みんなが『おまえは敵か!?』と警戒してしまうのにも、仕方のない現在までの背景があるんだよ」

という話です。

『遙か7』の宗矩ルートや大和ルートで描かれた、マイノリティの苦しみみたいなテーマです。

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Q.筆者の意見はどうなの?

A.

 「アリ派」か「ナシ派」かという2つだけで言うなら、当方は「『スタオケ』に男主人公はナシ」側ということになります。

しかし、「どういう意味でナシなのか」「だから何がどうなってほしいのか」には自分の中だけでもいろいろあり、まったくあらゆる意味でナシだから少しでもアリかもと思う奴はスタオケから消えるかすみっこで縮こまってろ!と思っているのではありません。そしておそらく、「ナシだよな……」と思う人の中にも、そういう気持ちの人は多いのではないかとおもいます。

いろいろな理由や希望を分解していくのが目的なので、筆者の感情はどうでもいいオマケだからな……と思って①の記事には筆者のスタンスを入れなかったんですね。加えて、①の記事で出した最初のタイトル『『金色のコルダ スターライトオーケストラ』に男性主人公は可能なのか?』が、「コルダに男性主人公ができる可能性があるなんて……!」という不安を煽ることがあったらしく、それによって「この記事書いたやつ、乙女ゲームに男主人公を入れるのがいいと思ってるな!? それで男主人公を入れるべき理由をぐだぐだ挙げてるんだろう」という誤解も招いてしまいました。

「敵か味方か」みたいな話にしないために書く記事とはいえ、やっぱり「こいつは敵なんじゃないか!?」という疑念をもったままどっちかハッキリしない文を読むのって非常にツラいですよね。ハッキリと敵側だ!ってわかったほうが断然気楽なくらいです。「こいつは敵なんじゃないか!?」状態を発生させてしまったことは当方の失策でした。同じものを好きなコミュニティの中に疑心暗鬼を生じさせるのはよくないですね。

ただ今度は「じゃあこの記事書いたやつ、女性向けゲームに性別選択の自由があることに断固反対してるな!?」と逆の極端に思われても困るわけですが。なのでもうちょっと細かく言うと、

今回の『スタオケ』に男性主人公を入れることには、
 商業的、作品テーマ的、社会的にメリットよりデメリットが大きいので、
 制作側には女性主人公のみで今後も制作を進めてほしい」

「感想は自由だし、シリーズの糧ともなるので、消費者側にはどのようなものであれ自分の希望を言ってほしい。
 ルビーパーティーは消費者の需要をフィルターなしで叶えるのではなく、作品テーマ的、社会的に適切なかたちで作品に昇華してくれると信じている

という意見を筆者はもっていて、記事の中でその理由を折々話していきます。

 

Q.なんで長い話になるの? 複雑な背景って何?

A.

 もちろん複雑なので一言で言いにくいのですが、この話の何がどうして複雑なのかというと、「女性や、女性向け文化が受け続けてきた差別や抑圧、軽視」と深い関わりがあるからです。

ちょうど先日、女性が「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と話す『報道ステーション』のCMが流され、多方面で問題視されました。日々の生活の中では、「自分にとってあたりまえになっていること」が、ちょっと前の時代でも当たり前であるように思ってしまうことがあります。たとえばこのジェンダーの問題でいえば、「自分の好きな人と結婚できる」「女性が大学で学べる」という現在のあたりまえのようなことも、おじいちゃん、おばあちゃんの世代にはあたりまえではなく、そして「ましになってきて日が浅い」問題というのは、今でも社会のあちこちで人を苦しめている「まだまだ続いている問題」なのです。

www.huffingtonpost.jp

記事の話題である『スタオケ』が属している「主人公が活躍する物語ゲーム」のジャンルでいえば、実はそういうゲームを女性がプレイするという想定じたいが、ゲームの歴史の中ではかなり新しいものです。つまり、主人公が活躍する物語ゲームは男性がプレイするものであり、それをプレイする女性もいるかもしんないけど、別にあまり気にしなくていいやとみなされてきたということです。

また、「女性が自由な恋愛を楽しむ」ということさえ、ほんの50年くらい前には進歩的なことでした。現在でも「女性は恋愛に受け身なほうが望ましい」「アイドルやキャラクターとの恋愛を妄想するなんてはしたない、図々しい」という社会の価値観は広く根強く残っています。そういう女性規範と、それ以外にもいろいろな問題があり、まだまだ女性が自由な恋愛を楽しむことには多くの枷があります

そういう、女性や女性向け文化にとってまだまだ不自由な状況の中で、「乙女ゲーム」や「女性主人公」が果たせる役割は大切なものです。そして、実は「性別が選択できる女性向けゲーム」にもその状況の中で果たせる大切な役割があり、それら二つはちょっとずつ違っていて、どっちもあるべきなのです。そういう話が全体の中でもけっこう長くなります。

 

Q.全体の流れを要約すると?

A.

 細かい言葉は変わってくるとおもうのですが、こんなことを話します。

 

◆ことのおこり

 今回の話題の発端について。
 スタオケに「性別を選べるようにしてほしい」というレビューが寄せられたことでさまざまな意見が飛び交ったが、ことは複雑だと思い、関係する論点やネオロマンス、コルダの特性について整理してみようと決めた。

 

◆問題の背景

 「コルダに男性主人公」に関わる複数の観点の整理。

①個人の好み

 個人の好みも「女の子/男の子が主人公として活躍するのを見たい」「女の子/男の子のほうが操作キャラとして移入しやすい」などいろいろな好みに分解でき、それらは「こっちのほうが好き」「こうじゃなきゃ嫌」の中でもそれぞれ別のもの。また、好みに関してはどうしても感情的になりやすいが、自分の好みで他人の好みを否定することはしてはいけないため、「こうであるべきだ」のような論調のときには好み以外の理由をはっきりさせて話すべきだ。

②似た客層のゲームの現況

 女性向け全体やネオロマンスの客層がもっている常識や、プレイしてきたゲームの違いによって、女性だけが主人公である/主人公の性別が選択できることの慣れが違う。かつての家庭用ゲームソフトや、スマホゲームアプリの中でもドラマアドベンチャー型のものでは主人公の性別で「乙女ゲーム」「BLゲーム」に分かれていることが一般的。一方、『スタオケ』と似た客層とゲームシステムだが主人公の性別が選択可能あるいは不明なゲームが現在は多く、花形となっている。

③ゲーム的・開発的・市場的に成立するか

 好みや状況や是非とは別に、『スタオケ』が男性主人公を選択可能にすることは「技術的に可能なのか」。用意する差分などのコストに見合う利益が出せないとは必ずしも言えないが、それにコストを割くことで「乙女ゲー」として『コルダ』として現在持っている魅力が変質したり、顧客にそう思われたりすることのリスクが高いと考えられ、制作側の利益にとってそこまでオイシイ変更ではない。

④「ネオロマンス」および『コルダ』のテーマとの整合

 「ネオロマンス」のテーマは「人と人が、それぞれ違う強さを対等に尊敬し合う物語」だと筆者は考える。そこに性別は関係ない。しかし、「性別を問わないからこそ、これまで性別を理由に尊敬し合う人間関係から遠ざけられてきた『男性以外』が参加することができる」のだといえる。そのテーマを描くためには強い女性の主要登場人物が強い男性の主要登場人物と関わる描写を積極的にする必要がある。『金色のコルダ』のテーマである「音楽の絆」も、性別を問わず熱いライバル関係や共闘を実現することのできる特別な舞台である。

⑤「いわゆる乙女ゲーム」でなくなる危惧

 「乙女ゲームで男性主人公を選択可能にしたらそれはBLゲームである」という主張がある。しかし、乙女向けとBL好き向けの違いは主人公の性別だけとは言い切れない。それぞれのジャンルはこれまでに独自のカラーを築き上げてきている。とはいえ、男性主人公を選択可能にする判断の結果、その主人公の性別以外の「乙女向け」要素らしいカラーまでも変質する方向に向かってしまう危険性は高い。

 

◆ネオロマンスの特性

 『金色のコルダ』およびネオロマンスブランドのカラーとテーマについて、上記の④の内容を深めていく。過去のネオロマンスブランド、ルビーパーティーの作品の歩みをふりかえる。女性の社会参画や、性別を問わない対等で美的な人間関係が社会に広がっていくために、ネオロマンスは幅広い年齢・性別の人にますますプレイされるべきである。ネオロマンスブランドには独自性のある希望がある。

 

◆「女性向け」の役割

 「女性向け」文化およびネオロマンスブランドが果たしてきた役割と展望、男性主人公が選択できないことがもつプラスの意義について。女性向けゲームには「女子大」のような役割をもったものがあり、ネオロマンスシリーズはその代表である。まだまだ支援が必要な女性という生まれや女性ジェンダー的なものに、社会で公平に扱われて生きていくための特別な学び舎を用意することには大きな意義がある。「性別なんてどうでもいい」と言えるようになるまでには過渡期が必要であり、乙女ゲームもBLもそれぞれ過渡期として機能することは共通している。

 また、「選択の自由」はどんな場合でも無欠にすばらしいものではなく、自由に選択できることで見過ごされてしまう重要な問題もありうる。ネオロマンスの内容で男性主人公を選択することは、「女性として生まれた/女性として生きる人でも、強く気高く自由に生きることができる」という強いメッセージを伝えるチャンスをかき消してしまう。

 

◆「女性向け」とコルダ

 女性や女性向け文化がおかれてきた/現在おかれている状況の中で、特に現代ものである『金色のコルダ』は非常によく考えられた時代性のあるテーマの作品である。「音楽」ことにヴァイオリンは筋力など性別の違いの間にある覆しづらい先天的なものに左右されず全性別がまじって活躍している領域だからだ。

しかしながら、ジェンダーギャップは先天的な特徴だけに由来しているわけではなく、性別によって受ける教育や社会規範、社会に進出したときの扱い(いわゆるガラスの天井)などが少しずつ違っている積み重ねによって大きくなるもので、『金色のコルダ』シリーズは作品全体で「音楽」というメタファーを使って現代を生きる女性を縛る見えにくい鎖を描き、エンパワメントしている。『スタオケ』には特にその特徴が大きく打ち出されていると筆者は感じ、期待を寄せている。

 

 ……とまあこんな感じの話です。詳しいことを長く書く(詳しいことを長く書きたい性分なので…)のはゆっくりやっていこうとおもいます。スタオケは好調なので書いてるあいだに失速するということはないでしょう。ない。なかれ(命令形)。

 

 

楽しもうスタオケ

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 何はともあれ、この全体的に質のよいスタオケが、いい物語、いいソシャゲとしてこれからも展開していくといいですね。そしてファンが増え、ファンの中でネオロマンスが伝えてくれるものに勇気づけられる人、成長する人がどんどん増えていくといいです。当方はまだ推しキャラっていう推しキャラはわからないのですが、ネオロマンスはだいたいいつも箱推しなので最初からすごい楽しいです。このPVまじ泣いちゃうよな……。

当方はわりとバカ舌っていうか、けっこうなんにでも「すげー!」「たーのしー!」ってなってしまいがちなのですが、今回みなさんのアプリレビューや感想を見て「容量デカすぎ」「アニメ微妙」「ランキングイベントはちょっと」「ストーリーのここ唐突に感じました」など「ほぁぁ確かにそういう見方もあるのか……!」と勉強になりました。当方はスタオケを作ってる人ではありませんが、やっぱりレビューや感想って貴重なものですよね。

思うことをなるべくはっきりとさせてレビューや感想をネオロマに送る人の助けに、この記事がなるといいなあと思って書いていきます。

 

というわけで本論①です。

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あわせて読んでよ

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守護聖デザインと9サクリア③―水と炎のサクリア

 本稿では『アンジェリーク』シリーズの9つの宇宙的属性、「サクリア」の象徴するもの、なかでも「水のサクリア、水の守護聖」「炎のサクリア、炎の守護聖」の対立軸について整理・考察していきます。

無印~エトワール、および「神鳥の宇宙の守護聖」「聖獣の宇宙の守護聖」のキャラクターエピソードを例に出すことがあり、ネタバレを含みます。

↓『アンジェリーク』シリーズと「サクリア」についての基本の論はこちらから↓

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 サクリア総論の記事では、『アンジェリーク』シリーズの9つのサクリアが「宇宙を構成するすべての要素や概念を9つに分けたもの」であり、毎度の守護聖の紹介順序は「文明が成長し、構成されていくさま」をあらわしていると述べました。

サクリアは基本的に、相反する2つの属性の対立軸が4本あり、その中央に風のサクリアが位置するという構成になっています。前回は「光と闇」の対立軸について、今回は第二番めの対立である、「」の対立軸について述べていきます。新作『アンジェリーク ルミナライズ』の守護聖達のキャラクター理解の一助ともなれば幸いです。

 

 

水と炎の軸―母の胸、父の背中

 また時代がかったCDジャケットかという感じですが、代表トップ2である光と闇に比べて二人がいっしょに写ってるショットというものがなくて……。これからみんなそうですが。

このアルバムジャケットの左上と中央右下の縦長のカット、髪の赤いのが神鳥の炎の守護聖オスカー水色のが神鳥の水の守護聖リュミエールです。個人についてはまたあとで話すのですが、これだけでマッチョでギャングな男性性女性と見まごうばかりの慎ましさたおやかさが一目でわかることとおもいます。

宇宙が開闢し、光の時間と闇の時間が繰り返されることによって、世界には「温度の循環」の秩序が生まれます。地軸の傾きによって時期ごとに日の当たり方が偏り、時間経過とともに熱い季節や寒い季節が生まれるようにです。

「オンとオフ」「昼と夜」というあまりに基本的で宇宙的なお空のクソデカ概念だった「光と闇」のサクリア対立軸の次の「水と炎」の対立軸は、やっと観点が「地上の基本」まで降りてきます。すなわち、「生命」や「季節」「家族」という文明活動の基本となる象徴、「寒冷と温熱」「母性と父性」です。

 

 水が母であり、炎は父であるということになります。守護聖は全員男性であり、女王は宇宙の皆の母のようなものですが、「母性的なる概念」「父性的なる概念」は女性にだけ、男性にだけ宿っているわけではありませんし、「心の性別」みたいなものがあったとしてもそれとも関係ありません。

たとえば「光と闇」の対立軸で述べた、サクリアの位置関係は光と闇の水平線を境に「上のサクリア」と「下のサクリア」に分けられているという話。「上のサクリア」の表す「意識的で活動的な人為」は父性や男性性の方向で炎のサクリアも属しています。「下のサクリア」の表す「無意識下の受動的な自然の土台」は母性や女性性の方向で水のサクリアも属しています。こういった広い概念は物理的に男性である女性であるに関わりなく誰の中にもあります。ですから、男性の中で水のサクリアに愛された人を探すのも宇宙規模でみたら難しいことではないでしょう。

 

 母性と父性、と言っても、特に父性に関してはどういった役割なのかピンとこない方も多いかもしれません。

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↑同じコーエーテクモゲームスの制作の『FE風花雪月』の中で父性を表す象徴であるタロット「皇帝」のモチーフを当てられたキャラクター造形の解説記事を先日書いたので、興味があればそちらも参考にしていただきたいのですが、「父性的な親役割」とはざっくり言って「否定、批判、評価」です。この言葉だけ見ると、炎の守護聖たちとどう関係があるのかいまいちわかりづらいのですが、つまり父親的存在が子に教えるのは勝敗がある世界」、勝利する強さだということです。強さは母性があらわす無条件に愛される世界」とは真逆のものです。

優れているか劣っているかに関わらず平等に愛し認め、むしろ状況が悪いほど手厚くお世話をして見返りを求めない原初にして永遠のものが母性。それに対して勝ち負け、つまり強い者と弱い者、手に入れるものと失うものがある厳しい世界で、強くふるまえ、戦って勝利せよと教え、勝利する姿を見せ、いずれは子に越えられてゆくのが父性です。

 

 水と炎のサクリアが、どうしてこの水→炎という紹介順なのかと疑問に感じたり、どちらが先だったっけと迷ったことはありませんか? 同じように母性と父性の象徴カードがあるタロット大アルカナでもこれとほぼ同じことがおこっています。現代の社会の文化はまだ男性が中心で、「男女」「父母」「ヒーロー的なものとヒロイン的なもの」の順番なのが一般的なのに、母性をあらわす「女帝」のアルカナは父性をあらわす「皇帝」のアルカナの前にあるのです。

これは、「母性」が「自然」に近いもので「父性」が「人間の文明」に近いことと関係があります。さきほど述べた「下のサクリア」と「上のサクリア」の関係ですね。自然と無意識の土台が先にあって、その上に人間は技術や意識を積み上げます。これは「水と炎」の次の対立軸である「緑と鋼」でも繰り返されている構造です。

人間の成長過程をみても、まずは保護者の母的な側面に「無償の愛」「無条件の肯定」を与えられて豊かな心をはぐくみ、その後で父的な側面に「しつけ」や「あれはいい、これはだめ」という評価を与えられて人間としての価値観や善悪、理性を学んでいくことになります。「たとえだめでも自分は愛されている」という愛と、「あの人に愛されるためにちゃんとしなければ」という愛は別のものだということです。

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↑上2つ、コーエーテクモゲームスによる「父性」の象徴の記事です。「母性」のほうの記事は『FE風花雪月』のほうは次に書く予定。

 

水のサクリア―オアシスの調べ

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神鳥/聖獣での役割:「優しさを司る」/「涼やぎを与える」

トゥルージェム位置:下部左

自然物:水、海、液体状態、魚、低温、低速、冷涼、寒色、水色の宝石など

概念:平等、節度、慈悲、寛容、女性原理、互助や公助、文治政治、持続可能な社会、自然への畏敬

人間:母性、活動量の低下、体液循環、静かな音楽、鎮静状態、共産主義の理想、菜食、非戦闘員(文民)、ケア役割、芸術鑑賞

 

 水のサクリアの中心的なイメージは「無償の愛に、ゆったりとくつろぐ」ことです。

リュミエールがクラヴィスに付き従っているように、「リラクゼーション」との近さの点では闇のサクリアととても親和性があります。また、「活動のペースダウン」を表す点では鈍重を表す地のサクリアとも親和性があります。トゥルージェムの配置でも水のサクリアはそのふたつの中間に位置しています。

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 水と炎の対立において、水が母性と女性原理、炎が父性と男性原理をあらわしているのには「水や海は生命の母」であるイメージが関わっているみたいなことをさきほど言いました。それにプラスして、「優しさを司る」と「涼やぎを与える」というふたつのサクリア表現にどう関連があるのかも乗っかってきます。なんで突然エアコンのCMになったんだ?って思いません? き〜り〜ヶ〜〜峰〜

聖獣の宇宙の水のサクリアの表現「涼やぎを与える」というのは、情緒のない言い方をすると「高温のものや空間の温度を下げる」ということになります。温度が低くなる、ということは、科学的に理解するならば「物質の運動が低速になる」ということです。能動的・積極的・行動的・活動的だったすごいレベルの高いeスポーツみたいな目にもとまらぬ動きを、スローダウンさせて受動的で品のあるもの、他者を受け入れる余裕のあるものに変える力が水のサクリアです。ゆえに、母性の寛容と水のあらわす低温でやわらかな流れは関りが深いというわけです。外に戦いに出てなりふり構わず勝利するだけでは、優美さや気配り、弱者への優しさは生まれません。

『遙か』シリーズでいえば「天の玄武」「地の朱雀」と似た属性となります。

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優しさを司る水の守護聖・リュミエール
アンジェリーク(6)凍る夜の水音 (あすかコミックスDX)
 

 初代アンジェリークの守護聖の中である意味もっとも謎めいたというか、解釈の難しい要素がいろいろブッこまれたキャラクターが彼、神鳥の水の守護聖リュミエールです。

まず、彼は一貫して女性的なデザインをされています。女性に間違われたり女性のようだと思われることもある、という描写もあります。ハープを奏で、水彩画を描き、草花を育て、私服まで見ても話し方や仕草も「とっても上品なお姉さま」のようです。上のコミックス表紙も一見百合です。しかし、「女性的」といっても夢の守護聖オリヴィエのようにピンクに着飾って化粧をしているわけでもなければ、女性ものの様式の服を着ているわけでもありません。本人も女性だと思われることには困惑しており、「私(わたくし)は男性ですよ(せせらぎのような声)」というスタンス。混乱する。

混乱しますが、これが「女性的な性質は女性だけに宿っているものではない」「まぎれもなく男性であることと、女性的な性質を持っていることとは関係がなく両立する」ということの表現になっています。これは男女を逆にしても同様のことであり、「社会に出て働き、人の心を積極的につかみ、勝利し、しかるべき地位につく」という従来男性的と考えられてきた行動を女性主人公がする『アンジェリーク』の女性エンパワメントのテーマに裏地をつけているともいえます。

 

 それでいて、リュミエールはかなりの長身で脱いだらスゴイ系男性でもあります。そんなことが重要に絡んでくるイベントは特にないのに実は怪力の持ち主という、ちょっと一瞬引いてしまうようなたくましさ。海ィンのォ~~~男にゃァよォオオ~~~~じゃん。

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり

  • アーティスト:北島三郎
  • 発売日: 2003/07/24
  • メディア: CD
 

かなり意外で「女性的に見えますけど頼りがいのある強い殿方なんですよ☆」という意図だけでは片付けられない謎の凄みのようなものを感じる設定ですが、これも「水」「母なる海」のもつ性質をリュミエールが強く宿している証です。

同様に「自然」を表しているサクリアでも、のサクリアが「自然の恵み、豊かな実り」を表すのに対し「自然の大いなる、畏怖すべき力」を表すという違いがあります。世界をめぐる大いなる水の力は悪意や意思がなくとも「ただそこにある」巨大な力であり、時として命や地形をも呑み込みます。このような母なる自然の「呑み込む力」「巨大さ」はユング心理学において「グレートマザー」のマイナス側面「テリブルマザー」と呼ばれ、それを古来から人間はドラゴンのような怪物や龍神、人食いの魔女や山姥として描いてきました。

アンジェリークでもギャグ4コマ二次創作などでリュミエールが「怒るとヤバい」「底知れない」キャラクターとして描かれがちだったのは、「水」の気配が正しく読み取られているということともいえますね。

 

涼やぎを与える水の守護聖・ティムカ

 聖獣の水の守護聖ティムカは、『アンジェリーク2』で初めて登場した際は「品位の教官ティムカ」でした。当時の彼は14歳の素直で利発な少年で、この世界でいえばインドなど南アジア風の上質な衣装と装飾品をまとい、年上の女王候補に品位のなんたるかを教え、ヘタしたらジュリアスとかより器がデカいさまを見せつけました。

それもそのはず、彼は「白亜宮の惑星」の非の打ち所のない王太子として将来を嘱望される立場にありました(14歳の彼と恋愛エンディングをした際には将来のお嫁さん(王妃様)としてお持ち帰りされます)。守護聖としてスカウトされたときには既に即位し、立派な名君として立っていました。それを引っこ抜いてくるとは宇宙もヤバいことするよな。

実は、宇宙がそのようにヤバい人選をしたのは前作までの攻略キャラクターをみんな守護聖にしないといけないからよォという大人の都合的な理由ばかりではなく、「品位」と「水のサクリア」に大きな関りがあるからというちゃんとした理由もあります(と当方は思っている)。

 

 『アンジェリーク2』『アンジェリーク トロワ』で3人の教官たちがアンジェリークに教える女王としての資質・心構えは「精神」「感性」「品位」の3つに分けられます。メンタルの強さを鍛える「精神」や感受性とセンスを高める「感性」は何を勉学するのかおぼろげながらわかりますし、確かに宇宙の女王には必要だわなとなるのですが、それに比べると「品位」はちょっと意味がボンヤリしています。そりゃあもちろん宇宙の女王には宇宙のトップたる品格を持っていてほしいものですが、ただ礼儀作法の教養を学ぶことが目的…とも思えません。

そんな「品位」についてインタビューされた際、ティムカ様(14歳)はなんとお答えになったかといえば、「品位というのは、ものごとに向き合うとき心の余裕をもつことだと思うんです」とのお言葉。

これを見た十数年前もうおれはハハァーーッ(五体投地)ってなったね。

ティムカ様(もう様づけを隠さないよ)は女王候補に宇宙共通レベルの礼儀作法を教えるだけでなく、それを通して王たる者の静かなる構え、節度と落ち着きと余裕の精神を教えるためにふさわしい存在として全宇宙から選出されたというわけです。

 この静かな構え、節度、余裕、ゆったりとした「品位」……というものが「水」のサクリアのもたらす「涼やぎ」、活動量を下げるという概念なのです。光のサクリアや炎のサクリアも王侯にふさわしい性質がありますが、それは戦って勝利し、正義をあまねく示す「帝王」の性質です。それに対して水のサクリア的な王侯は、優しく広く慈悲深く民を助ける「名君」の性質をもつといえるでしょう。

 

現実世界での水のサクリア

 水のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明は異質な他者や弱者に対して寛容で、断絶を回復し、自然の循環を尊ぶ方向に向かっていきます。よって社会的平等の実現やインフラ整備、持続可能(サステナブル)な社会へのとりくみなどには水のサクリアが必要だといえます。SDGsです。

水のサクリアが不足すると人は余裕や気遣いをなくし、他者や弱者に不寛容になるだけでなく自分をケアし養うことにも関心がなくなってセルフネグレクト状態になります。逆に水のサクリアばかりが過剰な人が多いと、社会は発展や上昇の意欲を忘れ、競争や淘汰が減った結果平等に停滞するでしょう。

 こうした性質から、水のサクリアは人間の役割でいえば「ケアサービス」「環境保全」にあたります。

かつてアンジェリークシリーズには『ラブラブ天使様』というソシャゲがあってのう、守護聖たちが現代人だったら……という設定でプロフィールが再構築されておったんじゃよ。そこではティムカ様は元のとおりさる国の若き王、リュミエールはピアニストという設定でした。「アーティスト」の性質をもつサクリアや登場人物は『アンジェリーク』シリーズには他にもいますが、リュミエールの音楽は荒んだ心の慰撫や鎮静をもたらすものとして扱われています。

 

 

炎のサクリアー鉄火場の薔薇

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神鳥/聖獣の宇宙での役割:「強さを司る」「熱さを与える」

トゥルージェム位置:右上

自然物:炎、火山、気体・プラズマ状態、肉食動物、高温、高速、温暖、暖色、赤い宝石など

概念:競争、破壊、上昇志向、華美、果断、攻撃、男性原理、自力救済、経済成長、自然の利用

人間:父性、活動量の上昇、筋力、ロックやポップス、興奮状態、資本主義の理想、肉食、戦士(軍人)、結果を出す剛腕


 炎のサクリアの中心的イメージは「打ち破り、追い越し、勝利する」です。来た! 見た! 勝った!(ジュリアス・シーザー)

父性・男性原理に対応する炎のサクリアは水のサクリアとは反対に、弱くても保護するのではなく強くなるよう叱咤激励します。ここでいう強さとは物理的肉体的な強さだけではなく、抽象的にいえば「価値」のようなものです。なんでも無条件に愛される段階を超えて、より価値あるもの、よりカッコいいもの、他より優れているものを目指さんとする上昇志向が炎のサクリアの基本です。光のサクリアが正義を示して後ろを照らすのと同様に、カッコつけた背中で美学を魅せる、それがマッチョな男というもの……。

男には 自分の世界がある たとえるなら
空を駆ける ひとすじの流れ星
孤独な笑みを 夕陽にさらして
背中で泣いてる 男の美学

――大野雄二作詞『ルパン三世のテーマ』より

「父性・男性原理」が「背中」を示してくることに関しては同コーエーテクモゲームス制作の『FE風花雪月』のタロット皇帝アルカナの記事もご参考にどうぞ。

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 炎、つまり高温の気体は水のサクリアの低温とは逆にさかんに運動し、そして果てしなく上昇しようとするものです。ヨーロッパの四大元素「地水火風」でも火の元素は上昇志向や、技術革新、どんどん時を先に進めようと活動して羽ばたいていこうとする人間性を意味しています。

この炎のサクリアの特徴は、いわゆる織田信長の一般的イメージみたいな性質です。同コーエーテクモゲームス制作の『信長の野望』『戦国無双』シリーズや、ネオロマンスでも『下天の華』『遙かなる時空の中で7』に描かれた織田信長像は、古く形骸化したものを破壊し、革新し、世の時を進め、新たな世を創造していく風雲児としての姿です。炎のサクリアは意識的で活動的な点は光のサクリアに近く、新しく美しい理想を目指す点では夢のサクリアに近い性質があります。また、「進む」という意味で風のサクリアとも親和性があるといえ、風の守護聖ランディが炎の守護聖オスカーを剣の師匠として尊敬しているのもうなずけます。

 

 自然の土台に対する人為、人工をあらわす光・炎・夢・鋼ら「上のサクリア」の中でも、炎のサクリアは「勝ち負けがある」「自他を傷つけるかもしれない」という、概念的にいえば血が流れる状況においても果敢に決定し、挑戦していく、そしてみごと勝つという覇気の強さをあらわしています。勝利の美酒があるためは、敗北するかもしれないリスクや自分がうち負かした敗者の屍が「必要とされる」のです。「正しさ」というより「勝つこと」が重要になる局面――つまり、鉄火場――で輝きます。

『遙か』シリーズでいえば天の朱雀、それに地の青龍と地の白虎ちょっとずつを混ぜた感じです。

 

強さを司る炎の守護聖・オスカー
アンジェリーク(7)闇の森の少女 (あすかコミックスDX)
 

 神鳥の炎の守護聖オスカーは、対立関係にある水の守護聖リュミエールよりもだいぶハッキリとした、一見してわかりやすいキャラクターの味付けです。このコミックス表紙の強引なティーンズラブやハーレクインの相手役男性的な構図からもわかるように、「情熱の色男」。じつに炎の男らしい概観です。ファイヤーッ

しかしこのオスカーの中にも、「硬派な軍人然とした、上司や仕事に忠実なマッチョな姿」「軟派に多くの女性を口説く、プライベートの姿」という相反する属性の絶妙なバランスが隠されています。まあ『アンジェリーク』が発売されるさらにひと昔くらい前のホモソーシャル(いわゆる男社会)では、この両方を備えている男こそが脂ののった真の強い男……というモンだったのですが。オスカーはジェームズ・ボンドのような、強さとワルさとギラリズムをもった男っぽい男の代表です。女性的で油っこくなくてサラサラのリュミエールとはまさに魅力の方向性が真逆。スチル見ただけでヘアワックスといかにも男物の香水のにおいする。

オスカーは強くてイケイケの男なのに、上司のように仰ぐジュリアスや女王陛下への忠誠心は猟犬のごとく高いです。これも男社会には当たり前のことのようですが、「強さ」「価値の高さ」を重視する炎のサクリア的には、既に勝利していて勢いさかんなものには「力こそ正義」とばかりにしっかりと従います。強くても明らかに間違ってるものとかは近いうちに滅びるのでダメですが、「勝ってるもの」にはそれなりの妥当性があるはずと見る自由主義(新自由主義か?)的な態度です。

また「プライベートで女いっぱい口説く」という個性については、たんにオスカーの性欲が旺盛でとかそういう問題ではなく、「節操がない」ことじたいが、炎のサクリアの性質であるともいえます。炎のサクリアの示す「熱」とは物質の運動が激しいことであり、オスカーはミツバチのごとく周囲の女性たちに寄っては離れすることで彼女たちに情熱のおすそ分けをしているのです。そういうせわしない短気さや直接的さ、攻撃性を身上とするオスカーが節度や寛容やオブラートのリュミエールとウマが合わないのは江戸っ子と京都人の対立みたいなもんといえるでしょう。そりゃ根深いわ。

 

熱さを与える炎の守護聖・チャーリー
アンジェリークSpecial2 協力者コレクション4 チャーリー

アンジェリークSpecial2 協力者コレクション4 チャーリー

  • 発売日: 2017/06/28
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 また脱いだ。よう脱ぐな炎の守護聖は(この時点ではまだ炎の守護聖ではありませんでした)。

聖獣の炎の守護聖チャーリー、本名をチャールズ・ウォン。彼もティムカ同様に最初は守護聖ではない役回りで登場し、のちに守護聖として宇宙に選ばれた人間です。

さきほど炎と水のサクリアの対立を江戸っ子と京都人と言いましたが、ある意味では大阪人と京都人の対立とみることもできます。そのあたりのイメージの理解を深めてくれる要素として、チャーリーは関西弁と標準語が混じったような言葉を話し、おもろうてちゃっかりしてもうかりまっか?な大阪商人の見本のような性格です。チャーリーは女王試験時期の公園をにぎやかす屋台の兄ちゃん、「謎の商人」として最初は登場しました。

大阪商人のようなっていうか、事実として彼はアンジェリーク宇宙における「日本でいえば大阪」のような商業とビジネスの惑星出身で、全宇宙をまたにかける大商社グループ「ウォン財閥」の総帥その人だったのです。公園の屋台、豪華すぎる。

『アンジェリーク2』ではうろんなテキ屋の兄ちゃんの格好をしていましたが、正体がわかった『アンジェリーク トロワ』では財閥総帥の色男らしいハデで高そうなスーツ姿で髪とかビシーッとキメてきました。つまりチャーリーがもつ「炎」とはビジネス的な強さなのです。そして「商業」「経済」というものは、強い力であるだけでなく非常に「炎」的な性質をもっている

 

 ここで、もう「昔『ラブラブ天使様』というソシャゲが、現代パロでのう」の話をしてしまうのですが、現代の地球風にアレンジされたチャーリーの立場は「シンガポールの多国籍企業グループのトップで、F1レーサーでもある」というものでした。情報が……情報がうるさい

「商業惑星」が「シンガポール」に置き換わってることもおもしろいですが、まず「シンガポールに本拠を置く多国籍企業グループ」ということと彼の「チャールズ・ウォン」という名前の語感からそれとなく感じられることとして、彼の「全宇宙に散らばった商業経営者の大財閥」というのはシンガポール華僑のようなものだったのか、というのがあります。華僑は古くから商業ビジネス的な移民として各国に渡りいわゆる「中華街」のネットワークを全世界に形成してきた中華系の人々です。『花咲ける青少年』とかを読むべし。

「ウォン」という彼の姓(つまり、財閥の家名)は中国語でかなり一般的な「王さん」「黄さん」「翁さん」といった姓の読み方でもあり、炎のサクリアの表す「勝ち取る」という意味の英単語「Win」の過去形「Won」を想起させたりおまけに現在の韓国の通貨の名前でもあるという、たいへん景気のいい音をしています。

「中華街」ときいて思い出すイメージが赤を中心とした派手やかな景気のいい街の様子であるように、華僑の人々が全世界にネットワークを張り巡らせること、船や航空機でビュンビュン商業することは「拡散」や「移動」というエネルギッシュな景気のよさです。「景気がいい」つまり「経済の成長」というものの本質は、「価値がぐるぐると回ること」です。物質が運動し、速度を増すことこそが、すなわち熱であり、チャーリーが「熱さを与える」炎の守護聖になったのは暑苦しいという意味ではなく「価値をぐるぐる回す」力によるものです。まあせわしなく利益を求めていく商人のようすはときに「ガツガツしてる」などと言われて、やや品がなく暑苦しいことも事実ですけど、それはもう経済成長というもの自体が熱いもんなんだ、ということです。

 そして、経済がグルングルン回って給料も物価も上昇していくことを「インフレーション」と呼び、バトルマンガとかで主人公と敵の強さの水準が果てしなく上がりまくることもインフレと呼ぶように、炎のサクリアはそういった「加速」を煽ることを意味しています。(こういうとこも「風」のサクリアと似ていますが、その微妙で重要な違いはまた風のサクリアの記事で。)だからチャーリーが社長業のかたわらF1レーサーもやっているのはよくできています。

「レーシング」こそはまさに炎のサクリアの表す「競争」の最も純化された姿のひとつです。『Fate Grand Order』の過去の水着イベントでレーシングが扱われたときの主催者は「美と愛と戦いの女神イシュタル」でした。そのレーシングに速さだけでなく「美しさと強さを競う」ことも盛り込まれていたことは象徴的です。イシュタル的な、F1的な美とは「みんなちがってみんないい」美ではなく「競い、なんらかの勝敗がつく価値」である美なのです。すべてのものはオンリーワンであるとはいえ、商業的価値にはどうあれ値段がつくものです。

 

現実世界での炎のサクリア

 炎のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明は上昇志向や美学をもち、旧体制を変革し、経済を活性化させる方向に向かっていきます。よって停滞の打破や資本主義的な経済成長などには炎のサクリアが必要だといえます。天災からの復興などには水と炎両方のサクリアが必要とされるでしょう。

炎のサクリアが不足すると人は向上心や競争意欲、いわゆる覇気をなくし、負け癖がつき自己効力感のない状態になります。スピリチュアル系をうたった詐欺とかにもひっかかりやすくなるでしょう。逆に炎のサクリアばかりが過剰な人が多いと、社会は誰にでも強く価値あるものであることを求めブレーキをなくし、優生思想や戦争に向かうでしょう。

 こうした性質から、炎のサクリアは人間の役割でいえば「戦士」「ビジネスパーソン」にあたります。

かつてアンジェリークシリーズには『ラブラブ天使様』というソシャゲがあってのう、守護聖たちが現代人だったら……という設定でプロフィールが再構築されておったんじゃよ。もうチャーリーの話はしましたが、オスカーはもともとの前職である「軍人(の家系)」というのから大幅チェンジして「アメリカの弁護士」になっていました。「戦って勝利する」という炎のサクリアの性質は物理的な戦いに限りません。現代の戦士とはまさしく「訴訟で勝つ」弁護士であり、弁護士は政治家や裁判官とは違い「正しいことを遂行する」のではなく「目標条件を勝ち取る」ための仕事です。しかも訴訟の国・アメリカであるのがまたいい感じですね。デモと訴訟はロスの華ってところです(マスクはしたほうがいいよ)

 

 

 次回は「緑と鋼のサクリア」をお届けします。

9つのサクリア総論・目次記事にもどる

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あわせて読んでよ(ヨーロッパ四大元素「地水火風」に関する記事です)

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守護聖デザインと9サクリア②―光と闇のサクリア

 本稿では『アンジェリーク』シリーズの9つの宇宙的属性、「サクリア」の象徴するもの、なかでも「光のサクリア、光の守護聖」「闇のサクリア、闇の守護聖」の対立軸について整理・考察していきます。

無印~エトワール、および「神鳥の宇宙の守護聖」「聖獣の宇宙の守護聖」のキャラクターエピソードを例に出すことがあり、ネタバレを含みます。

↓『アンジェリーク』シリーズと「サクリア」についての基本の論はこちらから↓

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 サクリア総論の記事では、『アンジェリーク』シリーズの9つのサクリアが「宇宙を構成するすべての要素や概念を9つに分けたもの」であり、毎度の守護聖の紹介順序は「文明が成長し、構成されていくさま」をあらわしていると述べました。

サクリアは基本的に、相反する2つの属性の対立軸が4本あり、その中央に風のサクリアが位置するという構成になっています。今回は第一番めの対立である、「」の対立軸について述べていきます。新作『アンジェリーク ルミナライズ』の守護聖達のキャラクター理解の一助ともなれば幸いです。

 

 

光と闇の軸―陽は沈み、また昇る

由羅カイリ画集 ~アンジェリーク 20th Anniversary~

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 いかなる作品においても、また「陽キャ」「陰キャ」などという言葉でも事物や人の性格を真っ先に二つに分けるもの、それが「光属性」「闇属性」、「白と黒」です。「太陽と月」ともいいますね。

『アンジェリーク』シリーズもその例に漏れず、世界観やキャラクターたちを紹介する際のキャッチフレーズ的に「輝く光と、安らぎをもたらす闇と――」と書かれています。まず、光の守護聖と闇の守護聖がある。

 

 そのキャッチフレーズからもわかる通り、『アンジェリーク』シリーズにおける「闇」とはしばしば他作品で「邪悪」や「怨の気」と結びつけられているような闇ではなく、善なる役割をもったパワーです。

さきほど「まず最初に天地開闢の光と闇が生まれ」となにげなく述べました。聖書にいわく、

はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

――旧約聖書『創世記』より

つまり宇宙の暗闇に天と地らしきものが創造された時点ではまだ世界はモニャモニャ混沌としており、まず光が生まれたことで「光の部分」と「闇の部分」の二者が生じて「昼」と「夜」という時間が生まれたとヤハウェの神の神話では言われているのです。『スーパービックリマン』のオープニングなど、まず「光あれ」ってやって光と闇が分かれたことでうんちゃらかんちゃら……という世界観は創世神話に普遍的なものです。

youtu.be

昼と夜という循環がない闇だけの世界は、ある意味時間が流れていないのとも同じことです。そして昼間の光と夜の暗闇は自然界には両方が必要なものです。日照時間と暗闇の時間が一定以上ずつないと開かない花のように、朝と夜が巡り、交互に時間が流れることで世界は変質し、成長していきます。

『アンジェリーク エトワール』において、サクリアを貯蔵するトゥルージェム(以下の図)の位置関係では中央の左右の水平ラインで対立しており、「水平線」によって夜明けと日暮れを境界とすることが表されています。

 

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闇は左、光は右の水平線に位置しています。左は象徴的に過去やマイナス方向を、右は未来やプラス方向を表しています。加えて、一般的な東西南北の見方において左は日の沈む西の方角を、右は日が昇る東の方角を表します。まあ上が太陽の南中をあらわしてるとすると東西南北の上下が逆なんだけどそこは概念としてさ……。

この光-闇のホリゾントラインはここを境にして「上のサクリア」「下のサクリア」は光寄りと闇寄りの意味に分かれていると言っていいでしょう。ざっくり言って、「上のサクリア」である「炎」「夢」「鋼」は意識的で活動的な人為をあらわし、「下のサクリア」である「水」「地」「緑」は無意識下の受動的な自然の土台をあらわします。

特に右から昇って左に沈む反時計回りの巡り順で見ると、「光」に最も近しいのは「炎」、「闇」に最も近しいのは「水」となり、これは神鳥の宇宙の人間関係の対立のベースとなる「ジュリアス様・クラヴィス様とゆかいな腰ぎんちゃくたち」ですね。

 

 そんなイメージで、光と闇の対立軸は原初的(プリミティブ)というよりもっと以前の、宇宙的なものです。聖地の人間関係は光の守護聖と闇の守護聖を対極として、その二人の性格が合わなすぎてまともなケンカにさえならんケンカを軸とすることが多いです。光と闇の守護聖が出てきたらもうそれは大河ドラマに織田信長と明智光秀が出てきたようなもんであり、新作の光と闇の守護聖の関係か今回はどうくるか楽しみなものです。

今日もまた 朝が生まれ 新しい光が
昨日の その悩み 生きる力へと変える

優しく時間は積もり 夕闇降りれば
疲れた その魂 癒すために夜が来る

――速水奨/塩沢兼人(光の守護聖ジュリアス/闇の守護聖クラヴィス)『陽は沈み、また昇る』より

 今回の織田信長と明智光秀です

 

光のサクリアー白昼の自負

「アンジェリーク」守護聖コレクション(1)~ジュリアス(速水奨)
 

神鳥/聖獣での役割:「誇りを司る」/「目覚めをもたらす」

トゥルージェム位置:水平右

自然物:日光、朝、日中、恒星、咲く花、明るい色のもの、黄金など

概念:生、健康体、誇り、誓い、責任、地位、政治、リーダーシップ

人間:意識、起床、覚醒状態、交感神経優位、緊張状態、礼装、王侯

 

 いきなりずいぶんと時代がかったCDジャケットをお見せしましたが(シングルCDなんだよこれ)、光のサクリアを象徴するような一枚なのでぜひにとおもって……。

光のサクリアのイメージは「明るい光によって、目覚めている自意識」です。

「光あれ」によって世界に時間や万物の分離が始まっていった順序からか、サクリアのもつ性質からか、光の守護聖は女王のもと対等な関係である守護聖の中でも「首座の守護聖」とさだめられています。覚醒している、ビシッとしている、自覚的である、矜持があり、心の気高さとカリスマ性をもっている光の守護聖は確かにリーダーにふさわしい個性だとさだめられているようなものです。人の下についておとなしくしているタマではないでしょう。

『遙か』シリーズでいえば「天の白虎」と似た属性となります。

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誇りを司る光の守護聖・ジュリアス

神鳥の宇宙の光の守護聖はジュリアス。さっきの時代がかった縦に長いCDジャケットの金髪ロン毛です。CDジャケットのようなスーツ姿やオフの服でも見るからに上質で高級なものを完全に着こなしており、庶民には一生話しかけられなさそうな雲上人のオーラを放出。実際にゲームで出てくる執務服にいたっては上のようにギリシャとかの神じゃんって感じのたっぷりした純白の布と金細工の大ぶりなアクセサリーをつけています。古代ローマの貴族の長大なトーガがそうであったように、絶対使用人がいないと着られないやつ。

さもあらん、ジュリアス様はお生まれも女王や守護聖を輩出してきた名門貴族であり、なんと守護聖の仕事は肉体年齢で6~7歳のころから。守護聖に選出されたときにも自他ともに驚くにあたらないとばかりに堂々と聖地入りしたそうです。神だよもう。このランクの人には永田町行っても出会えないよ。なんて話しかけたらいいんだよ。この「メチャクチャ緊張する」「覚悟ができてないと話しかけちゃいけないんじゃないのか」というのがもう、ジュリアスのもつ「光」のサクリアの力です。

光のサクリアは「意識」「自覚」をもたらします。とにかく自分は自分の人生を踏み出して生きていくのだ、というカッと見開いた目力(めぢから)です。ジュリアスはたいへん仕事熱心で真面目一徹カミナリオヤジであり、定番セリフは「女王候補としての心構えがなっていないのではないか」。怖い。ジュリアスが怖いことで人は気が引き締まり、場が厳粛になります

 

目覚めをもたらす光の守護聖・レオナード

 しかしながら光のサクリアは「上質」「真面目」「ガンコジジイ」を表すものというわけでもありません。それを彫り出しているのが聖獣の宇宙の光の守護聖、レオナードです。

レオナードの生まれはジュリアスとはまったく対照的に人心の荒廃した都市の裏通りの孤児です。お育ちの上質さも、真面目で公明正大でいられるようなまともな話の通じる環境も、望むべくもありません。レオナードはその歌舞伎町のヤバめの通りの地下のバーでコワめの客層相手にバーテンダーなどして、危ない橋を渡りながら小銭を稼いでいました。

一見パツキン以外どこにも光輝などなく、ジュリアスと共通の言語をしゃべれるのかも微妙そうに見えたレオナードですが、実は彼には薄汚れた猥雑な街の中でも曇らぬ信念がありました。危ない橋を渡りながら稼いだ小銭をば、自分が育った孤児院の院長先生や子供たちのために渡していたのです。

よろしくない環境に身を置いていながらなかなかに明晰な男ですから、そんなことをしたって焼け石に水、街のよろしくない環境自体が根本的に解決しないことはわかっています。それでも、無駄だからと目標を失うことはしない。自分がやるしかないことを自分がやるのだ、と自負し続ける。どんな環境にあろうと、すべてを失っても、このはっきりした気力こそが光のサクリアの表す「誇り」であり「目覚め」なのです。

 

現実世界での光のサクリア

 光のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明はよりそれぞれの社会的責任に自覚的で意志的な方向に向かっていきます。民主化運動(デモクラシー)などには光のサクリアが必要だといえます。

光のサクリアが不足すると人は誇りや、自分がほかならぬ自分であることを忘れ、日々の生活に埋没して妥協していくことになるでしょう。逆に光のサクリアばかりが過剰な人が多いと、正しく前に進むことばかりで「あそび」や「ゆるみ」のない社会となり、強靭な心身の人間しか生き残れず自滅的になるでしょう。

 こうした性質から、光のサクリアは人間の役割でいえば「王侯」「政治家」にあたります。

かつてアンジェリークシリーズには『ラブラブ天使様』というソシャゲがあってのう、守護聖たちが現代人だったら……という設定でプロフィールが再構築されておったんじゃよ。そこではジュリアスはアメリカの名門出身の政治家(議員)、レオナードはアラブの国王の傍系で外交官という設定でした。

 

 

闇のサクリア―遠き山に日は落ちて

神鳥/聖獣での役割:「安らぎを司る」/「眠りをもたらす」

トゥルージェム位置:水平左

自然物:闇、光、夜間、暗所、閉じる花、紫や暗い色のもの、水晶など

概念:死、病気、休息、忘却、回避、回復、治癒、心理学、浄化、リラクゼーション

人間:無意識、睡眠状態、副交感神経優位、弛緩状態、オフ、カウンセラー

 

 闇のサクリアのイメージは、「暗く低刺激な環境で、休んで回復する眠り」です。

 上の画集の二人の身につけている布、ジュリアス(右)の昼間の晴天の空色の布に対するクラヴィス(左)の夜の星空の暗青色の布はなんとも美しく光と闇のサクリアのイメージを表しています。光、つまり日中が意識と誇りで外に出て活動する時間ならば、闇、つまり夜間はいったん何もかも忘れ無意識の領域に休む時間です。

「光」と「目覚め」はとかく善なるものとして意識されがちですが、「闇」と「眠り」もぜったいに必要なものです。「交感神経と副交感神経」という対立でもあらわしましたが、人間の体の中の自律神経は交感神経(活動モード)のときさかんに拍動し筋肉や思考活動を覚醒状態にしますが、いっぽうで消化吸収や体の修復・成長、老廃物の処理などのはたらきを弱めてしまいます。それら、疲れを癒し心と体を整理しメンテナンスするはたらきを担っているのが副交感神経(休息モード)です

特に現代人は働き方やマスメディア、ソーシャルネットワークなどの変化によって「社会と繋がっているオンの時間」、よく「ブルーライトによる目や脳へのストレス」が話題になるように「光の時間」が増大しまくり、そういった「オン」のストレスによって体が副交感神経優位の休息モードに入りづらくなっていることが社会問題になっています。眠ろうとしても眠れず、眠っても熟眠できず、力を入れているつもりのない筋肉も緊張しっぱなし……。

こうしたアンバランスな社会状況の中で、人は「癒し」にすがっています。都会に行けば行くほど街角のリラクゼーションマッサージ店は増え、占いやヒーリングの新しい方法にみんなどんどんとびついていきます。これらは『アンジェリーク』的にいえば闇のサクリアの欠乏によるものだといえるでしょう。先日の『麒麟がくる』最終回でも頂点を極めんとする信長が言っていましたね(また信長と光秀の話か)、「二人で茶でも飲んで暮らさないか。夜もゆっくり眠りたい。明日の戦のことを考えず、子供のころのように長く眠ってみたい」……。

この言葉が示すように、「癒し」というのは本当は仕事の残業帰りに30分マッサージを受けたり占いやカウンセリングで一時的にわかってもらった気分になったりするだけでは得られないもの、何も仕事とかせず暮らし、何も考えずにゆっくりと長く眠る「時間の量」がなければ得られないものなのです。

「夜」は緯度がスゲー高い地方でもなければ、世界の半分を占めています。人間の心身は眠っている間にその日働いたすべてのツケを処理し、新しい体細胞をさかんに生み出します。体質的に連続して長時間眠れない人というのもいますが、そうでもないのに睡眠時間が3~4時間で働いているのが常態になっている人は本当は眠気がとれているだけであり、体をしっかりリセットするためには6時間以上のぶっ続け睡眠、しかも眠る前後にしっかりリラックスする準備時間をとるならばマジで一日の約半分がオフタイムとして必要とされます。

本当に心身が癒される「眠り」をとるためには、光や音の刺激の少ない環境……すなわち「静かな闇」が必要となります。静かな闇の中で眠ることで、人の脳というか心というかは記憶を整理し、適切に忘却し、それによってストレスを浄化します。体の疲労物質や老廃物についても同じです。人間の心身という町がうまく回るには地上のビルや仕事やコミュニケーションだけでなく、その下を人知れず流れる下水道のはたらきが不可欠なのです。

人生の時間は限られていますから、半分を休息に使うというのはもどかしいかもしれませんが、そうでなければ明日踏み出す効率がダウンするということです。あるいは、休む時間は毎日きっかり半分半分ということでなくても、長い休暇や休職期間というかたちをとることもあるでしょう。どうあれずっと目覚めて無理ばかりしていれば心身を壊し、なんらかのかたちで「強制的に休む」ことになり、そうなるよりはこまめに休んでいた方が人生全体の価値は高くなるのですから。

遠き山に日は落ちて
星は空をちりばめぬ
きょうのわざをなしおえて
心かろく やすらえば
風はすずし この夕べ
いざや楽し まどいせん

やみに燃えし かがり火は
炎 今は 静まりて
眠れやすく いこえよと
さそうごとく 消えゆけば
やすき み手に 守られて
いざや楽し 夢を見ん

――堀内敬三 作詞『遠き山に日は落ちて』

 『遙か』シリーズでいえば「天の玄武」と似た属性となります。天の玄武もまた時間帯としては真夜中を意味します。

 

安らぎを司る闇の守護聖・クラヴィス

 『アンジェリーク』は90年代に作られたゲームのため、そのころのファンタジー系美形キャラクターデザインのトレンドを反映して現代からみるとビックリするほどロン毛男子が多いのですが、その中でもさらに驚愕の対象であった超スーパーロン毛が、神鳥の闇の守護聖クラヴィスです。上のCDジャケット絵でも十分に長いのですが、なんと最初期の作品では床に届かんばかりの平安女性髪をしていました。同じいまどき見ないスーパーロン毛でも、光そのもののように輝くジュリアスの鷹揚で軽やかな黄金の巻き毛に対して黒曜石でできた滝のようにまっすぐ重く垂れ落ちるクラヴィスの黒い髪はお互いの違いをパッと見で主張してきます。

髪が長く伸びるのには(そもそも現実には男性はホルモンの関係で一定以上髪が長く伸ばせないという問題もあるのですが)、当然ながら時間を必要とします。細胞が作られ伸長する、休眠の時間が。途方もない夜の時間以外の何も、途方もなく長いクラヴィスの髪をあがなえるものはありません。長い髪はただ時間そのものの蓄積であり、それゆえに一昔前までは「女が長い髪を短く切るのは失恋を思いきるためだ」などと言われたのです。その逆に、クラヴィスは失われた恋の傷を思い、癒す長い時間のぶん、髪を伸ばしていました

クラヴィスの人生は喪失の傷多いものでした。ジュリアスと同じくらい幼い頃に守護聖に選出され、ただ一人の肉親である母を下界に置いて聖地へ連れてこられました。物静かで人と関りをもとうとしないクラヴィスは同年代の友となるべきだったジュリアスとの出会いで不幸にもトラブり、ますます心を閉ざしました。そして少年時代、初代『アンジェリーク』の前の女王が女王候補であった時代に彼女と惹かれ合い、心を開きかけましたが、彼女はクラヴィスと一緒になる道を選ばずクラヴィスと共に宇宙を守る女王となる道を選んだのです。女王は宇宙の母であり、誰のものにもならない。

彼女の選んだ道は立派なものであり、ある種の愛でもあり、クラヴィスも責めたりはしませんでしたが、恋の約束は叶えられることなく破れました。以来クラヴィスはますます他人と関わろうとしなくなり、仕事態度も消極的となり(一応やるべき仕事はしてます)、いつもジュリアスに守護聖たる自覚がなっとらんコラーッてどやされては無視してひきこもるようになったのでした。その間、ずーーーっと髪を長く長く伸ばして……。

 

 筋書きだけを見るとこのクラヴィスの物語はただただ悲しく陰鬱ですが、彼自身の中ではただのバッドエンドではなく、闇のサクリア的にも悪いばかりのことではないのが深遠なみどころです。

私の胸の奥暗い淵に沈む小さな水晶の針
朽ちることなくそこに存在する痛み…
彼女のくれたものはこの痛みさえ愛しい思い出
すべて私のもの
別れを選んだのは彼女…そして私
そう私は自分で選んだのだ
この甘く苦い痛みとともに

――由羅カイリ『アンジェリーク』第35話より

アンジェリーク(10)白き光の挿話 (あすかコミックスDX)
 

人生のすごろくは「進め」ばかりではありません。不幸もあれば、止まらざるをえない状況もある、思わぬアクシデントも、何をしても前に進まないときもある。そんなとき最善のものは、「休息する時間」です。誰も悪くない大きな傷を癒す、暗くて静かで何もない大きな時間の中で、クラヴィスの精神は上質の酒のように醸成されていきました。

「悩み」や「病」を単なるネガティブなものだとしてすぐに除去してしまおうという姿勢からは、「内的成長」も生まれない。私たちは自分自身を「癒す」力を持っている。そしてその「癒す」力とは、病むべきときに「病む」ことができる能力、「病」に気づく能力を含んでいる。「病」への、現実への「違和感」への感受性を持っているからこそ、癒しや成長が可能になるのである。

――上田敬之『生きる意味』より

 「真の休息」「真の癒し」とは、世俗のゴチャついた社会生活を回避しつつも、自分の中の傷や病からは決して目を背けず、それもまた自分自身なのだと向き合うところにあります。傷や病、痛みや不具合を認め、自分のものとしてある種、愛することから治癒や折り合いははじまります。われわれはみな傷跡を含んだ自分を生き、そしていつか光と音が消えるように永遠の眠りにつくほかはないのですから。

 

眠りをもたらす闇の守護聖・フランシス

 闇のサクリアは「寡黙」で「外に出ず」「他人とコミュニケートしない」という性質かというと、そういうわけでもありません、というのが聖獣の闇の守護聖フランシスです。

フランシスは守護聖になる前、まさにさきほど述べた「心の傷を癒す」ことを専門とするサイコドクター、セラピスト……日本語で通りよくいえば「精神科医」「心療内科医」にあたる仕事をしていました。フランシスが住んでいた霧の惑星の「シティ」は暮らしていくにじゅうぶんに豊かで文化的にも爛熟し、しかし全体的に漠然とした憂鬱と退廃感に支配されているような都市でした。フランシスもまた富裕層の出身で社交界のマダムたちの漠然とした心の澱みをカウンセリングする、華やかで退屈な牢獄にとらわれたような暮らしをしていました。

フランシス自体もパッと見で明らかにヤバい、いわゆるヤンデレ、こいつ大丈夫か? という話し方と精神不安定さをぶちかましてきます。病気に病気をぶつけて治す、バケモンにはバケモンをぶつけんだよ(貞子VS伽椰子)方式なのかと当時騒然となったものですが、真面目な話をすると実際に精神医学を志す人には精神的変調に悩んだ経験がある人がかなり多いのです。クラヴィスの項で述べたとおり、病や傷を癒すためには病や傷に対する感受性が必要だからです。病んだことのある人とは病に気付いたことがある人であり、気付かなければ病はないことになったままどんどん首を絞めてきます。

フランシスは都会的で文化的な社交界においてカウンセリングを仕事にしていたので、口も回るし相手に気持ちよく話をさせるのもうまい、立派な男性の姿をしていながら女性的で受動的で、美しいお人形に悩みを打ち明けるように人々はフランシスに吸い寄せられました。望みを投影する人形としてのアイドルの役割を演じていたともいえるでしょう。そういった人の弱さ、欺瞞、いつも意志的で輝いてはいられない人間の影の部分をフランシスは許すのです。逃避的な娯楽もまた、闇のサクリアが表すものです。

 フランシスは意思を強く持ち自分の手を引っ張り上げる勇者のようなプレイヤーに惚れこんで守護聖となります。仲良くなると彼は静かな暗さの私室に毎日プレイヤーのための薔薇と紅茶を用意し、訪問を待つようになります。輝いて飛び回る天使が、いつでも役目を忘れて羽根を休められる場所になれるように。

Ma Cherie(マ シェリ)忘れて
何もかも 明日のことさえ
夜の魔法に乾杯を そして酔いしれて
たゆたって 踊りましょう
うたかたのオペラのように

――杉田智和(フランシス)『うたかたのオペラ』より

うたかたのオペラ

うたかたのオペラ

  • 発売日: 2004/12/01
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現実世界での闇のサクリア

 闇のサクリアが人間の暮らしている共同体に注がれた場合、その共同体の文明はスローな休息や心身と向き合う時間の重要性に気付き、ペースダウン、質のよいスケールダウンをする方向に向かっていきます。急激に大きくなりすぎてしまった国や事業をゆるやかに整えるときなどには闇のサクリアが必要だといえます。

闇のサクリアが不足すると人は自他の不調に鈍感となって生活習慣病やうつ病などの時限爆弾を育て、精神世界や目に見えない無意識とのつながりを失い心貧しくなるでしょう。逆に闇のサクリアばかりが過剰な人が多いと、まあみんな怠けるわ新しいことに感動しなくなるわデカダン酔いしれるわでまともな社会らしく進歩しなくなります。

 こうした性質から、闇のサクリアは人間の役割でいえば「不労所得者」「医師」「ヒーラー、カウンセラー」にあたります。クラヴィスはいかにも占い師っぽい(母の形見の)水晶玉を持っていたりトランプやタロットのようなカード占いをしていたりするシーンがありますが、無意識や神秘の領域と交流する「占い」もこれにあたります。

かつてアンジェリークシリーズには『ラブラブ天使様』というソシャゲがあってのう、守護聖たちが現代人だったら……という設定でプロフィールが再構築されておったんじゃよ。そこではフランシスが元のとおり地主富裕層(ジェントリ)が道楽でやってる精神科医であるだけでなく、クラヴィスにも「天才脳外科医」という肩書きがついていました。

脳は物理的なモノでありながら解き明かしきれない深遠な人間の精神活動のありか、大いなる謎の海です。闇のサクリアは「謎の眠る神経細胞の集合体」である脳と親和的です。麻酔状態や眠りとは脳が覚醒時とは違う無意識のはたらきをする時間であり、眠りがずっと醒めないことは主観的には死と似たものであると古来から『いばら姫』などにも描かれてきたのですから。

 

 

 次回は順番通りなら「風のサクリア」ですが、これは対立軸がない特別なサクリアであるため、対立軸を理解してから最後に回すかたちにしたいとおもうので「水と炎のサクリア」をまずお出ししたいとおもいます。

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守護聖デザインと9サクリア①―宇宙をめぐる概念

本稿では、ゲーム『アンジェリーク』シリーズの「守護聖」のキャラクターデザインにみられる「9つのサクリア」の解釈について考察してしゃべります。こちらは総論・目次記事となります。

無印~エトワール、および「神鳥の宇宙の守護聖」「聖獣の宇宙の守護聖」のキャラクターエピソードを例に出すことがあり、ネタバレを含みます。

 

KOEI The Best アンジェリーク エトワール

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  • 発売日: 2006/08/10
  • メディア: Video Game
 

 

『アンジェリーク サクリア占い』読めばたぶん全部書いてあるんじゃねえかなというようなことをしゃべるので、絶版でプレミアついてますがそれ買って読むのもいいです。

(当方は十数年前にチラッと立ち読みしただけで手に入れられませんでした、絶版してるけど買おうかな……)

アンジェリーク サクリア占い

アンジェリーク サクリア占い

  • 発売日: 2004/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

『アンジェリーク』とは

アンジェリークスペシャル

アンジェリークスペシャル

  • 発売日: 1996/03/29
  • メディア: Video Game
 

 『アンジェリーク』は1994年に光栄(現在のコーエーテクモゲームス)から発売された「ネオロマンス」というジャンルのゲームです。上の商品はプレステですが最初はスーファミでした。

ひらたく言うと「女性向け恋愛ゲーム」すなわち現在「乙女ゲーム」と呼ばれるものの世界初の例であったとして記念碑的作品であり、現在もシリーズが続いて今度新作が出るビッグタイトルです。正確には「ネオロマンス」は「恋愛ゲーム」ともちょっと違うのですが、そのへんについて語り出すと照二朗はクソうるせえので、興味ある方はネオロマンス最新作『遙かなる時空の中で7』の紹介記事の「ネオロマンスについて」の項をご覧ください。

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 「アンジェリーク」とは「天使」の意味をもった本作の主人公の少女のデフォルトネームであり、物語は彼女が次の「宇宙の女王」の候補に選ばれたことから始まります。

ハイ、わかりましたね、SFです。舞台となる世界はキャラクターデザイン的には一見近世~近代のややファンタジーな少女マンガっぽい西洋世界のように見えますが、科学テクノロジーによる星間移動や宇宙の観測・管理がなされ、そのうえで宇宙の女王とその手足となる大幹部「守護聖」の神話的な超常パワーによってバランスを保たれているクソデカスケールの世界なのです。

主人公とライバルは宇宙の女王としての手腕を学び、適性をはかるために、人類の文明が未発達な大陸の育成、すなわち政治を行っていくことになります。その試行錯誤のすえに女王となるもよし、はたまた出会ったステキな男性と絆をはぐくみ結ばれるもよし。シリーズを通してこの構造はおおむね共通です。どちらにせよメインの大前提となるのは女王としての政務をがんばることであり、女性の輝く社会進出を応援する現コーエテクモホールディングス会長・女傑襟川恵子氏の啓蒙パワーを感じる気合い入ったゲームとなっています。

↓初代のリメイクはこちら。↓

アンジェリーク ルトゥール - PS Vita

アンジェリーク ルトゥール - PS Vita

  • 発売日: 2015/12/17
  • メディア: Video Game
 

このビジュアルで政治ゲーである。

あいさつ回りや顔の広い有力者との個人的コネ作りが有効な戦術だったりする(マジで選挙活動だな)

ついでに恋愛っぽいシミュレーションのていをとった「マジで選挙活動」なゲームといえば↓これら↓も超オススメ

パレドゥレーヌ

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  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: Video Game
 
ネクストキング 恋の千年王国 初回限定版

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  • 発売日: 1997/06/27
  • メディア: Video Game
 

 

「サクリア」とは

 『アンジェリーク』のゲームシステムの基幹となるこの「育成」は簡単なものではありますが、『信長の野望』など光栄のお家芸である「育成戦略シミュレーション」です。

大陸の育成っつっても具体的に何するんかっちゅうと、『信長の野望』の内政モードにも「治水」とか「往来」とか「治安」とかのパラメータがあるようにそれぞれ人類の文明に必要な属性のパラを高めていくことになります。このパラはその分野に金を割り振るとかではなく特定の属性のエネルギーとして直接注入することができ、そのエネルギーのことを『アンジェリーク』世界の言葉では「サクリア」という用語で呼びます。

んで、そんな特定の属性のエネルギーなんてどっからこんこんと湧いてくるのかといったら、それが宇宙の女王に仕える9人の男性「守護聖」なんですね。彼らは生身の人間ですが、ギリシャ神話の神々のように女王と同じ聖地に住み、下界と時の流れを異にし下界に対してその身のうちに宿る特定パラのエネルギー(サクリア)を注入する仕事をしています。定期的に代替わりし、そのたびに宇宙の意思によってその特定パラの代行者として選出されるのです。「神様の力の依り代として選ばれた存在」みたいな感じです。

(まあ「次代の神様として突然選ばれ人間界と違う悠久の時を生きることになる」とかけっこうエグい物語なんですけどそのエグさについてもちゃんと描いてるゲームなんですよね…)

 

 「9つのサクリア」は、その「人類の文明、宇宙のバランスを保つエネルギー」という性質上、この世のすべての概念が、使用上9つの性質に分かれたものといえます。すべてのサクリアは世界のすべての場所に遍在し、そのパラによって土地の発展の個性はなんとなく決まっていくわけです。

当然、特定のサクリアの申し子として選ばれた守護聖のみなさんはそれぞれの性質を色濃く宿しているからそうなったわけで、9人の守護聖には全員違いまくる個性が集結して大ゲンカとなります。なんせ宇宙は広いので年齢や性格や前職が違うどころか出身身分も違う、生まれた星の環境も文化も違うという、グローバルを超えたユニヴァーサル。確かに必然的にユニヴァーサルな個性が女王のもとに集うことは宇宙を治めるうえで非常に有用なことです。

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この構造は『遙かなる時空の中で』の八葉選出でも同じであり、作品をつくるうえでは社会や歴史をさまざまな観点から描写して見せるのにうってつけですし、乙女ゲーとしてさまざまな好みに合った個性をお出しすることにも合ったシステムです。

 

 前置きが長くなりましたが、今回の記事ではその9つのサクリアの象徴する事物と、過去作品のキャラクターにおける表れ方を整理・解説していきたいとおもいます。これから発売になる完全新作『アンジェリーク ルミナライズ』の新しい宇宙の守護聖たちの個性を見る際の参考にもなれば幸いです。

 ただ『ネオアンジェリーク』については無印しかプレイしていないので、Specialの追加キャラクターでたぶん揃ったであろう9つのサクリアの配役については全く知らんのですよね。あしからずご了承ください。

 

9つのサクリア

 東洋の八卦に対応した『遙かなる時空の中で』シリーズの八葉の表現は、青龍・朱雀・白虎・玄武の「四神」に属性が分かれてその中でも天地がある、という感覚です。それに対して『アンジェリーク』シリーズのサクリアの分け方の感覚は「二者の対立軸」を基本とします。「光と闇」「水と炎」のような関係性ですね。それが4ペアあり、4本の対立軸が車輪の中の放射状の直径、スポークとなった中心に特殊なサクリアがひとつあって2×4+1=9となっているイメージです。それが作中でも視覚的に表現されたものが……コレや!!

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『アンジェリーク エトワール』に登場する、サクリアを集め放出するためのデバイス「トゥルージェム」です。サクリアを貯蔵したジェム(宝石)が並んでいます。2つほど欠席が出てますが、左の黒紫のが闇のサクリア、右の金色のが光のサクリアですね。円の中で反対席に向かい合っているものどうしが対立関係をなしています。

当方が初めてアンジェリークシリーズをプレイしたときには、守護聖の担当するサクリアを見て光の守護聖闇の守護聖まではわかるけどよ『鋼』とか『夢』とか妙な属性だな、ネタが切れたんか?」とおもっていましたが、さにあらず。「この対立軸だからその属性の名前になるのか!」と、恥ずかしながら『エトワール』でやっと理解したんですよね。

(あるいは、2や4や8を基本の数とする東洋の世界観と異なりアンジェリークの洋風世界では「3人の教官」「3人の協力者」というふうに西洋世界で重視される「3」のバランスを基本として、3×3=9とみることもでき、特にシリーズの「3」である『アンジェリーク トロワ』ではその構図が採用されています。この記事ではサクリアの象徴イメージを理解しやすくするため、2×4+1=9の構図について述べていきます)

 

対立軸は以下の4つです。

の軸

の軸

の軸

の軸

そして、対立軸に属さないのサクリア」がある、という感じです。

アンジェリークシリーズをご存知の方は気付いておいでかもしれません、この対立軸は、光と闇の後に風を挿入すれば守護聖紹介の毎回の順序と一致しているということ。

実は守護聖を並べる際のおなじみの順序にも意味がありまして。まず最初に天地開闢の光と闇が生まれ、世界が生まれたことで世界をめぐる風が生まれ、時の循環によって水と炎が生まれ……というふうに、実はサクリアは守護聖紹介の順番にだんだん概念が高度になっていくというか、文明の発展のサイクルの順番をあらわしているのです。そのあたりについても整理していきますね。

しかしそういったサクリアの性質、作中でなんとな~くわかるように体系的に語られたのは『エトワール』でやっとこさでしたが、当然守護聖の紹介順は最初期からいっさい変わっていないわけで、こうした世界観の整理や理解は作り手側には最初からあったことになります。光栄ってそういう土台の世界観や作り込みをガッツリ深遠にやっておきながらまるで主張しないんですよね……。(名作『ジルオ-ル』や『FE風花雪月』もいい例です)主張しすぎてももちろんウルセーでしょうが、商売をしろ商売を……。

 

各サクリア記事へ

光と闇のサクリアはこちら

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水と炎のサクリア

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緑と鋼のサクリア

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夢と地のサクリア(近日更新予定)

風のサクリア(近日更新予定)

 

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罪の川をこえてこい―遙か7兼続ルート感想

本稿では『遙かなる時空の中で7』の「直江兼続」個人ルートについて感想を言ったり考察したり八葉「地の白虎」の解釈をみたりしていきます。

 

遙かなる時空の中で7 通常版

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  • 発売日: 2020/06/18
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 未プレイの方向けに『遙か7』をオススメする記事はこちら

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 『遙か』シリーズの中での『遙か7』のテーマ位置づけについてはこちら

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 『遙か』シリーズ全体で「八葉」に共通する核となるイメージについてはこちら

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 4周目は兼続にしました。当方は兼続のもともとのホームである越後、ことに彼の尊敬する大殿様・軍神上杉謙信公のおひざもと出身なのでちょっと思い入れの関わる話になりそうだし、案の定なったしで本当は後にとっとこうと思ったのですが、他にもとっときたいルートしかねえため泣く泣くプレイしました。

利いたふうな口をきくな~~~~~~!!(花の慶次)

 「3人ぶんぐらいの人間のシナリオテーマを1ルートにぶっこんである」でおなじみの『遙かなる時空の中で7』ですが、この直江兼続ルートは昨年発売でいまだ評価冷めやらぬ同コーエーテクモゲームス制作の『FE風花雪月』(今なんかスゲー安いらしい とも燃えポイントで共通項が多く、どっちかのファンにはどっちもやってほしいが満載です。もちろん『戦国無双』ことに『戦国無双2』ファンにはいうにおよばずです。

 

要するに前回の宗矩に続いて書くことがメチャクチャ多いので、目次を上手に使って読んでいただければと……。

 

 

兼続のキャラクターデザイン

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 「直江兼続」という武将はそれなりに有名ではありますが、同じ白虎の「黒田長政」と同様親世代や上役(上杉謙信や黒田官兵衛)と比べると知名度やメディアミックスの機会において劣っていることは事実で、よって「真田幸村」とか「宮本武蔵」とかに比べて見た目のイメージが確立していません。ある中でもまあ有名なメディアミックス(上に張った大河ドラマの妻夫木聡)や、有能で勉強家で清廉な執政官のイメージから、わりかしおとなしくインテリジェントな紳士的外見がしいて言えばイメージされているといえます。

今回の兼続のデザインの大枠の印象はそれにのっとっていて、いつもの地の白虎の「水も滴るようなしどけないチョイ悪セクシースタイル」とは違うシルエットに仕上がっています。いつもよりneatにまとまったかたちです。これは「いつもの天の白虎よりダーティ」な長政とバランスをとるかたちでもありますね。色合い的には『無印』の友雅以来の地の白虎らしい雅な「白緑」が重んじられているのもポイント激高。

 上の甲冑フィギュアには直江兼続としてデザインに入れるといいモチーフがだいたい入ってる(一点、兼続の愛刀は『遙か7』作中で示されているとおり太刀拵えのほうが適切なので刃が下向きのほうがよい)んですけど、今回の兼続の上品なデザインの中にはこのハデちきりんなモチーフがうまいこと組み込んであってスゴいんですよね~~。

まず直江といえば最も有名な「愛の前立ての兜」。社会的地位のある大人やそうなっていこうとする真面目な青年をあらわす白虎の八葉らしく、長政には武将としてのトレード・マークである兜飾りが顔の周りにツノのアクセサリーとしてデザインされていました。それと同様に、兼続にもこの兜が頭周りにデザインされています。兼続を「立場のある、頭のいい、そしてオシャレな大人」のイメージにしている小さなお帽子です。

一見、強烈すぎる「愛の前立ての兜」とは全く違う落ち着いたデザインですが、もともとこの「愛」の字、天に夢を……人に愛を……とかのストレートな意味のLoveではなく、兼続が信仰していた「愛宕山(兼続の出身地の近くにもあります)」あるいは「愛染明王」をあらわすものです。兼続のお帽子にデザインされている梵字は愛染明王の加護を得る「ウン」という字です。

「鬼神は敬してこれを遠ざく 智というべし」を初登場で引用してくるだけあって本編中では兼続は自分の守り神仏のことに言及しませんし、対応してデザインもずいぶんひかえめなものになっていますが、この時代の武将はなんかしらの守り神仏をもっているのがふつうであり、兼続の尊敬する育ての親のような上杉謙信公も「軍神毘沙門天」と同一視されていることで有名です。ほかにも兼続は数珠感のある首飾りをときおり指でもてあそんでおり、神仏と付き合ういい程度の距離感を主張しています。また、「愛染明王」は人の愛や情という断ち切りがたい執着を消すのではなく昇華することを司る仏であり、これがまた今回の兼続ルートのお話に合っているんだよなあ。

冠や烏帽子などきれいなお帽子をかぶっていることは、能の仮面にもみられるように日本古来の「身なりのいい貴公子」の記号であり、また博士帽や軍帽を連想させ、髪形ともあいまってコーエーテクモが大好きなヤン・ウェンリーを彷彿とさせます。兼続はヤンより大幅にシュッとしてますけど。

 服のほうには直江兼続の使用した家紋として通説に言われている「三つ盛亀甲に三つ葉」だか「三つ盛亀甲に花菱」だかのとにかく三つの亀甲を組み合わせたカタチが多用されています。このへんは諸説あるんですが、直江兼続の旗印もまた「三つ山」という同じ形をトライアングル状に反復するデザインであり、戒名も「達三全智居士」というようにこの「三」の使い方は「完全性」「調和する美」を意味します。まさしく「天・地・人」というわけです。

 ベルトなど、小物にチラチラッとついてるサブ柄の↓こんなかんじ↓の文様は「雪輪」、今でいう雪の結晶柄と同じ雪の六つ花をあらわす日本の古典文様です。カワイイ。

もちろん雪深く寒い新潟県~東北地方をあらわすモチーフでもありますし、雪は別名に「五穀の精」ともいわれ、雪解け水で土地を豊かにうるおし五穀豊穣をもたらすという吉祥紋でもあります。

 

 さらに個人ルートのメッセージウィンドウの地模様の笹か竹の葉は、漢文や古歌を引用することが多い兼続らしく古の中国や日本の万葉の時代から愛されてきた伝統植物「しの」であり、実質的に「上杉ルート」ともいえる兼続ルートの上杉家の家紋とのつながりや、七夕伝説までまとめたモチーフです。よくできてるなあ。

 兼続の武器は刀であり、衣装の中の佩き方や戦闘画面からそれが「太刀」らしく描かれていることがわかります。刃が下にきて、長い陣羽織の後ろの方がチョイッて持ち上がるような刀の吊り下げ方をしていますよね。

『刀剣乱舞』のおかげで太刀と打刀の違いはよく知られることになりました。打刀(と脇差のセット)は武士がもっぱら徒歩の腰(袴などの帯)にブッ刺して歩くようになった江戸時代以降のもので、それより前の刀はヒラの民草のもつテキトーな長ドスみたいなやつと太刀に分かれました。でかい剣でも、今回のパーティには「剣士」キャラが二人いるわけですが、そいつらは背中に刀をかついでますよね。これが剣術者のふつうの長剣の持ち方で、腰に差してはいませんでした。兼続のような立場のある将は徒歩というより馬上をメインとして刀やそれを吊り下げる豪華な装備を拵えることになるので、太刀拵えはいいスーツにあわせるロレックスの腕時計のようなもの、社会的地位をバンバン示してくるぜェ。

ゼロからわかるロレックス 3 /改訂版 (CARTOPMOOK)

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  • 発売日: 2020/08/31
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兼続のシナリオ描写

 兼続のストーリーの柱は、なんかいろいろ盛り込まれていて怒涛のようなんですけども、「愛別離苦」「神的な運命に情理を尽くして立ち向かう人間」と、そして「未来への希望」です。

上の三本の柱をつなぐ地盤として、越後や米沢や会津の東北の地があり、そしてを流れる天の川、七夕伝説、龍神の力があります。直江兼続の大河ドラマ小説のタイトルでもある「天地人」とはFate/Grand Orderなどで知られるこの世を形成する三属性であるだけでなく、「天の時、地の利、人の和」という戦略が成功するファクターのことを表す言葉でもあります。どうにもしがたい神の力、縛られた土地の厳しい制約、それに果敢に挑む人間である兼続……という、まさしく「天地人」がそろったきわめて直江兼続的な「三」の均整の取れたコーエーテクモ御中の面目躍如的シナリオ。

 「戦国武将」がメインの作品だけあって、「社会参画する大人」をあらわす天地白虎はいつにも増してキチンと作られています。さらに『遙か7』は全体のテーマとして「神からへその緒を切り離されて歩き出す人間」を描いています。長政ルートは「運命を自力でつかみ、歩き出せ! 自ら輝け!」と、人間でありながら「天の父」でもある長政がプレイヤーを見張り激励する構図でしたが、兼続ルートは前半(個人ルート分岐前)はプレイヤーが兼続を口説き落とし、そして後半は龍神の申し子、天女であるプレイヤーに対して兼続という人間の代表のような男が人事を尽くす姿を見せるという構図になっています。

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 さらに、兼続ルートには今はやりの異世界チート要素も盛り込まれています。龍神の神子、過去の歴史ものにトリップしたゲームプレイヤーというのはマジで異世界チート転生者みたいなものであり、しかも今作はゲームシステム上でも「現代のアイテムを戦国の世に持ち込む」というギミックが採用されています。

異世界チート転生の定石ともいえる「貧しい土地へのジャガイモの導入」、「現代の知恵やアイテムを利用した戦術で戦況をひっくり返す」という展開が大きく描かれており、明らかに異世界転生ものを意識して作られています。それでいて「チート」というような身も蓋もなさではなく、かなり堅実なことが描かれているので、「歴ゲーの光栄が本気で異世界チート無双してみた」みたいなことになっており、地味に見ごたえがすごい。

 

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 そんな感じで既存の直江兼続イメージや越後東北地方のイメージと今作のシナリオが絡み合っているだけでも最強面白いのですが、さらにどんぶりからハミ出るチャーシューとして、コーエーテクモゲームス往年の名作ゲーム『戦国無双2』のリフレインまで乗っかっています。

戦国無双2 with 猛将伝 & Empires HD Version - PS3

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  • 発売日: 2013/10/24
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『戦国無双2』は『遙か7』と同じく関ヶ原の戦いをメインとした無双ナンバリングで、他作品と比べたとき(この商品画像にはいないんですけど)石田三成の比重が大きく、実質的な主人公という雰囲気でした。『遙か7』でも重要キャラクターである石田三成と『遙か7』では八葉となっている真田幸村、直江兼続の間には同じ「義」を志す知遇であるという特別な友情関係が結ばれ、ファンからも人気を博しました。特に無双シリーズの兼続はなかなか強烈なキャラクターで、三成からも「義ィ義ィうるさい」とウザがられるなどネタにもこと欠きません。

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この『戦国無双』の石田三成、実は今作で兼続を担当している竹本英史氏が声を当てており(無双シリーズとネオロマンスシリーズはけっこう声優さんが共通しているのでカブり自体は珍しいことではないのですがここまでの組み合わせは初めてです)、このことは発売前から話題でした。無双シリーズと違って、『遙か』は伝統的に運命を変えたとしても歴史の流れを大きく変えることはありません。歴史の敗者である石田三成を救おうとして、石田三成の声をした直江兼続が奮闘するという胸熱くなったらいいのか面白がったらいいのかわからん状況が演じられ、戦国無双2の義トリオにハマッていた方には兼続ルートだけでもやる価値ありですよ。しかも無双シリーズ以外にも『花の慶次』『義風堂々』でも描かれている兼続と前田慶次との友情も何気なく盛り込まれており、ヤサイマシマシチョモランマ。

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 史実の話をすれば、(同じ西軍方とはいえ)直江兼続と真田幸村と石田三成が特に仲のいいトリオだったという史料はありませんし、前田慶次にいたっては本当は親子ほど年が離れてたので、上記のような文脈は創作上のものです。しかし、実際の歴史を改変するのではなく、歴史創作に心を重ねてきた現実に生きるわれわれの心を動かすという、コーエーテクモゲームスが歴史ifを描くときに重視しているスタンスが兼続ルートにはよくあらわれているとおもいます。「最近はやりの異世界チート要素」なども、われわれの心にある物語文脈を拾っています。兼続のクセである「古歌漢籍を引用する」ということじたい、人間が「創作」「ことば」を介して世界や自分たちの心と関わってきた歴史を示すものです。こうした「文化、文脈の力」「世界のきらめきに動かされる文化的な人の心」……すなわち、一言にすれば教養と呼ばれるようなよさみが、兼続ルートにはちりばめられています。

 

『遙か』シリーズでいえば天真、友雅、勝真、翡翠、弁慶、ヒノエ、柊、夕霧、小松、サトウ、秋兵、村雨のシナリオが好きな方にはいいなと思います。洒脱で斜に構えながらもアツい男です。他ネオロマでいうと『アンジェリーク』のオスカーやオリヴィエ、ルヴァ(この三人並ぶってすごいな)、チャーリー、『金色のコルダ』の柚木、加地、金澤、吉羅、大地、八木沢(大地と八木沢が並ぶってのもすごいな……)が好きな方に。あとだいぶ昔の作品ですが『学園祭の王子様』で女と初デートだってのにインテリうんちくをかましてくる中学生野郎どもとかが好きな人にはうってつけかと……。

兼続のシナリオに燃えたかたには『戦国無双2』『戦国無双3』だけでなく『パレドゥレーヌ』のエヴァンジルや宰相ディクトール、ロドヴィックのストーリーもおすすめです。

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豊かに生きるということ

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 兼続は初登場シーンからして言葉の魔力で人を翻弄するずるい大人であることを示してきます。いきなり竹生島の天女伝説や『論語』を引用してくるわ、「君を案内したいところがあるだけだ、なんの危険もない(のちに兼続もこんなんなるとは……と反省はしていたが実際はけっこうヤバかった)」と誘ってくるわ、地の白虎のもつ「誘い、惑わし、楽しませる」「危険な魅力」の個性をドーン!!

その後は兼続は八葉として主人公に協力することには長政と同様厳しいツラをし、かわいい少女だからといって無条件にちやほやと守ったりオトナなラブシーンやったりしないぜ、応援はするから強く自立してみせなさいよという令和のグッドな大人しぐさをみせてきます。兼続の場合その令和大人しぐさにプラスして、「俺の協力を得たきゃ、俺に君が欲しいと思わせてみな」という令和の地白虎色男・最新スタイルまでご披露。口説かれる前に、みずから口説き落とせと。こいつはやりがいのある仕事だぜーッ。序盤~中盤の兼続はかなり意識して親密度を上げなければ早々にイベントがストップするつくりになっており、彼の言葉どおりプレイヤーががんばって自己アピールしなければ「欲しい」と思ってはくれません。

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 プレイヤーの自己アピール手段はいっしょに戦闘を重ねることのほか、会話イベントで矢継ぎ早に教養と機智(ウィット)のキャッチボールをすることなども数回ありました。和歌や文化の基礎知識や繊細な感性、文脈をおさえた当意即妙な返し、文化人と渡り合う度胸と素直さ……。これらを示すと兼続は感心し、とても興味を持ってくれます。もちろんプレイヤーには選択肢が見えているとはいえ、『遙か3』でヒノエの策に応答したときと比べてさえスゲー頭のいい会話を要求されます。ヤバい。

しかし戦国時代の有力武士が身を立て、都や大阪の教養人たちとつなぎを作っていくためにはこうした素養が不可欠でした。作中でもあったお食事会や茶席では教養と品位がアピれますし、歌合せや連歌の会などは教養ウィットラップバトルみたいなものです。史実でも直江兼続は特にそういう頭の強さで有名だった将で、天敵伊達政宗をディスる文句のうまさ、天下の名文と呼ばれる『直江状』での徳川家康長文ディスは現代でも有名です(ディスばっかやないか)。

兼続のウィットのきいた言葉の目的はディスばっかではないので、主人公と古歌の応答で遊んだり、「鐘の音をみる」「香をきく」という古くからの言葉の示す感性をともに味わったりして楽しみます。これらの兼続の雅な教養イベントには「五感を楽しませる美物」という地の白虎の「兌」の卦の卦象があらわされています。兼続ルートのキーパーソンであり、史実から直江兼続と教養文化人としての親交が深かった「西笑承兌」和尚のお名前にも「兌」の字が入っていますしなんとも地白虎と関りのある字面ですね……。

 

 「世界を楽しむ」「きらめきときめき」という「兌」の卦のテーマが、兼続のあり方にはよくあらわれています。序盤にはわりと自分を見せずに距離をとってくる兼続が、こちらに見せてくる「夢」や「理想」は、「たくさんの書物を集めて学校を開きたい」、そして「腹いっぱいの握り飯(を領民に食わせてやりたい)」というふたつです。

「学校を開きたい」というこの夢、『遙か』シリーズファンには思い出されることがあります。ついひとつ前のナンバリングである『遙か6』で、対の八葉である天の白虎ルードハーネ先輩が、教育の道に進んだということです。天の白虎は「地道なボトムアップ的努力で世界をよくしていく」ことをあらわすので、まさしく教育者になるのにドンピシャだったんですよね。

しかし、そうなると常に天の白虎に比べて不真面目な校則違反野郎である地の白虎が「学校」とか言うのは不似合いにも思えます。ここでアレッと思うことで、「ルードハーネ(天の白虎)の教育」と「兼続(地の白虎)の教育」のちがいが浮かび上がってくるようになっており、個人的に当方は教育関係者のためニクいつくりをしているな~っておもいます。教育とは政治の裏拍であり、未来を生きるものたちに文明を手渡すことであり、白虎のあらわす「人間らしい大人」がすべき仕事です。「破邪顕正」をあらわす天の白虎ルードの教育が「正しく生きる」ことを教えるためのものであるのに対し、「人生の楽しみ」をあらわす地の白虎兼続の教育は「豊かに生きる」ことを教えるためのものなのです。

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この「豊かさ」とは地の白虎の示す「うるおい」であり、食べるものに困らなくてすむということ、そして日々の生活に汲々として狭い視野の中で一生を終えるのではなく、「たくさんの書物」という古今東西無限の世界に心を遊ばせ、自由で余裕と風雅と誇りある人生を送ろう、ということです。これもまた、天の白虎の「正しさの光」だけでは語れない、教育や学問のもつすばらしい意義です。たとえ四方を敵に囲まれていても、優雅に琴を弾く……。

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龍神の神子としての使命についても、「やる気と才覚ねえならいても邪魔、悪いこと言わんから帰れや」と「正しく力あるものが役割を全うする」式のスパルタ教育長政と比べて、兼続は「俺に君を欲しいと思わせてみな」「君はこの世界をもっと好きになったほうがいい」と言い、「世界や人間の美しいところを知り、心から愛し助けたいと思う」ことを重視します。知ること、学ぶことは豊かさであり、兼続が学びを通してプレイヤーや領民たちにあげたいものはきらめく愛情なのです。

 

希望の轍

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 豊かさを求める兼続は、現在の新潟県である越後に生まれ育ち、会津に移封になった主君とともにより北へ移り住み、現在の山形県である米沢に領地をもちました。これはまったく史実通りです。作中でもつばきが説明してくれる通り、これらは冬が厳しく雪は深く、田畑の実りが少ない土地です。これを書いているいま現在も、窓の外の越後の地にはどっさり雪が降っています。もっとドカ雪降ると移動もままならず、自然の運命を人間にはどうすることもできません。強制的にステイホームです。新型コロナウィルス感染症流行の今年、おこもりのためのおうち食糧、本や映画やゲームをみんなこぞって買ったように、そういう土壌で才覚のある兼続が「実際的に腹が膨れること」と「文化に心を遊ばせること」を重視するようになったのは自然の流れです。

これは作中の説明の繰り返しになりますが、直江兼続は冬に田畑を使えない時間を有効活用するために謙信公の時代から有名な特産品であった商品作物・青苧(あおそ、からむし)、それを使った越後布や雪染めの増産を推進、越後の国をより金持ちにしました。当時の越後の国は現在の新潟県と違い、おいしい米育つは育つけど、トレードマークの「コシヒカリ」などの豊かな米の実りをもちません。量が全然少ない。これは現在山形県(「はえぬき」米の名産地)である米沢や福島県(「ひとめぼれ」米の名産地)である会津でも事情はだいたい同じです。だから兼続は邸の生け垣さえ食べられる実用植物(うこぎ)にしたりして(これも史実です)、泥臭く使えるものはなんでも使い、厳しい環境で民を生かしていくことに余念がありません。

作中の説明に補足すると、現代でさえ北から吹く夏の冷たい風による冷害で米が不作になっちゃったりもするこれらの土地では、低めの気温でもたくさんの米粒を実らせる「品種」じたいがこの時代には存在しなかったのです。新潟や東北地方、あまつさえ北海道からもいいお米を全国に流通させている現代日本社会からはちょっと考えられない、今とはまったく違う状況です。新潟も米沢もかつてはなんもないドベドベの寒い湿地でしたし、なんとそもそも日本という国じたいが、コメの原産である東南アジアなどと比べると全体的に稲作には向いていないんですよね。

 

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 今とはまったく違うので、社会科の資料集を見て「この整然とした一面の稲穂の海はなんだ!? 一体どこなんだ?」と驚く兼続に主人公は「えっ、新潟県とか東北地方の代表的な景色ですけど何か……?」って感じの噛み合わぬリアクション。この会話はたいへんリアルです。現代人のほとんどが、北陸地方や東北地方はずーーーっと米どころで酒どころだと思っているからです。

そんな感じで、家に武器の備えがないことや、食べ物や調理法が豊富なこと、寒い土地でも豊かな米が実ることなどを「令和の世ではこれがふつうですよ」とキョトンとしている「豊かな」「ずっと未来の時代の」主人公を見て、兼続は「てめえ恵まれてるな」とムカつくのではなく、「よかった」と涙ぐむのです。「俺たちが努力を重ねた先には、いつかこの稲穂の海が広がってるんだな。誰も飢える心配をしなくていい、君が平和に生きていられるような世界がいつかくるんだな」と。

「令和の、新しい時代のネオロマンス」としての描写を意識されている今作では、「新しい時代の、新しい倫理観、正しさや優しさ」が何かと示されます。この兼続の感動もそのひとつです。「新しい世代」の若者たちに、苦労してきた大人はなにかと「苦労知らずのくせに」「甘えたことを言っていられるのは恵まれた環境のおかげだ」「自分たちのころはもっと苦しくて」と言い、最終的には「おまえたちも自分たちと同じ苦労を味わうべきだ」という、もはや悪意のマドハンドに染まってしまうことさえあります。宗矩ルートで描かれた「被差別者どうしで争うようにしむける差別側の社会」のように、あらゆる社会問題でこういうことはおこります。

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しかし、現在ある倫理や社会の明るさは、たとえば白人以外も人間であるという認識や、一定年齢以上のだれでも性別や生まれや納税額をとわず選挙権をもつ普通選挙法などのように、ぜんぶ先人たちが営々と苦労と努力を積み重ねてやっと勝ち取り、だんだんと当たり前になってきたものです。

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個人として尊重されて、学びたいことを学べて、職業を選べて、好きな人と結婚できて、住んでいる場所の政治に意見ができる。これらはずっと昔の人からしたらすべて非現実的な甘っちょろい夢でしかなかったことですし、そしてまだ完全に叶っていることでもありません。前の世代より今、今より次の世代の子供たちに、自分の苦労をそのまま渡さないために、もっと良くて「当たり前」になるように、「そんな時代あったの? ばっかみたい」とか笑い飛ばしてもらえるようにがんばるのが、大人というものです。兼続は大人として、先の時代の主人公たちが笑って豊かに暮らしていてくれていることが、すごくうれしくて希望なのです。

 

 その「豊かさが当たり前になった世界への希望」の象徴として兼続ルートに出てくるキーアイテムこそが、ポテトチップス、「ぽてち」です!! も……ポテチがこんなことの象徴になること自体なんか……感動して泣いちゃうよな……。ポテチだぜ……。

兼続のイベントに登場するラクトアイスやポテチは「食糧」というよりどう考えてもジャンクな嗜好品おやつであり、地の白虎の司る「人生の楽しみ、うるおい」を表しています。食糧の量を確保するだけでなく、豊かさを兼続は目指しているということです。

そしてもちろん「量」の潤沢さ的にも、ジャガイモは東北地方の寒冷さや米不足を救う救世主です! ジャガイモは16世紀ごろにアメリカ大陸からヨーロッパへ、その後流れ流れてジャカルタから日本へ輸入された新しい(おれの基準では500年は新しい)作物です。中世ヨーロッパ風の世界を舞台とすることが多い異世界モノで食糧事情や農業を改善しようとするときの定石のひとつがジャガイモ栽培で、というのも中世ヨーロッパで「麦が育ちづらい」って困っている多くは寒冷でやせた土地で、ジャガイモはそういう土地でも育つからです。詳しくは↑『まおゆう魔王勇者』↑を読もう。このへんのことについて『遙か7』の兄弟作ともいえる『ファイアーエムブレム風花雪月』の舞台を解説した記事は↓こちら。↓

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そんで「『主食が育ちづらい』って困ってる寒冷でやせた土地」っていう中世北ヨーロッパの状況って、まんま戦国の東北地方でも同じなんですよね。ここがナーロッパか……。兼続は天女ことプレイヤーから授かった奇跡の食べ物ジャガイモを米沢に植え、そして、それをすぐに食べずにまた来年の種イモにまわす……というふうに、先の世のために努力を積み重ねます。

先の世のために、今の自分が苦労をしても、投資が実ることを信じてがんばるというのは、越後ではくしくも直江氏の本拠近くである長岡藩の故事(幕末~明治時代)で「米百俵の精神」と呼ばれています。2001年に当時の小泉首相が所信表明演説に引用したことで流行語にもなった、地元のキーワードです。逸話にいわく、戊辰戦争で負けて減俸され食うや食わずの生活をしていた長岡藩士たちのもとに、無事だったご近所から百俵の米が届けられました。ヤッター米を食えるー!!と喜ぶ藩士たちでしたが、藩の家老的存在が米を売っぱらってその金で学校を作っちゃったのです。驚き怒る藩士たちに、家老はこう毅然と言って通しました。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と……。

教育というのは、種芋を食べないで植えるというのは、気長な精神力のいる事業です。未来にそれが何倍にもなって実るだろうことが頭ではわかっていても、先が見えなくて、つらくひもじく、本当に実るんだろうか、こんなことをして何になると何度も不安におそわれ、イライラし、刹那的になりそうになります。それでも種をまき、我慢強く時期を待つ以外に未来を変えるすべはありません。

そんな終わらない地味な戦いに身をおく者にとって、「未来はこんなふうによくなるんだよ!」と、目に見える姿を見せてくれる未来がもしあったなら、勇気は百倍、一万倍となります。それがあるだけで全然全然違います。だって目の前が真っ暗ではなくなるのですから。どれだけ遠くても、光があっちにあると知っているのですから! それが、兼続が主人公に感謝する、「君は俺に希望を見せてくれた」ということです。

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 「コシヒカリ」(現在のコシヒカリはちょっと違う品種ですが)は、「水稲農林1号」という品種を親に持ちます。これはそれまでの稲に比べ東北地方の冷害に強く収量が多いことが特徴で、北に住むたくさんの人を飢えから救いました。やがてコシヒカリは新潟県や東北地方で広く育てられ、重い稲穂を一面に実らせることになりました。兼続の夢が叶ったのです。それは、なんと昭和初期から第二次世界大戦後になってからのことです。積み重ねられてきた品種改良、飢えに倒れた先人たちのうえに、今のコシヒカリ、「越の光」があります。

歩く道が寒く、暗く、ぬかるんでいても、そのずっとずっと先のどこかの未来の誰かへ、わだちが続いているならば、それを信じられる光が胸にあれば、……主人公や、若者にはもしかしたら兼続が言うようにまだわからないかもしれません、それはもう、何より嬉しくて、生きて死ぬ力になる希望なのです。

 

愛の罪

 兼続ルートにおいて、鮮烈さの面でいえば主人公との愛のゆくえ以上のクライマックスといえるのが、親友三成を救出するシーンです。

いうまでもなく石田三成と直江兼続、真田幸村(ついでに言えば織田秀信ら織田一門)は、関ヶ原の戦いにはじまる天下分け目の歴史の敗者です。日本人は判官びいきなので負けた側のもしもを語ることにはロマンがありますが、それにしても、先に述べた通り『遙か』シリーズは大きな歴史の流れを変えない硬派さが伝統です。

今作の、兼続による三成救出の顛末もその例に漏れません。未来人であり兼続やその友を助けたいと思っているプレイヤーや、龍穴の力などを使い、兼続は一時は関ヶ原の負け戦から三成を助け出します。ズタボロの三成を担ぎ、意識を失わないようつとめて明るくべらべらとしゃべりながら、追っ手がかかる中夜の山を必死で逃げのびるスチルはいつも余裕でスマートな兼続が歯をむいて走っています。

「秀頼様を守るんだろう!? 太閤殿下の恩義に応えるって、誓ったんだろう!?」

「俺の腹に入ってる八葉の証の龍の宝玉を、腹をかっさばいて、取り出して、三成に埋め込んだら三成が八葉にならないか!?」

と叫ぶ、『戦国無双』で石田三成を演じ敗死し続けている竹本英史氏の声の演技は痛ましく必死です。スタッフ勢も竹本氏と三成に関する扱いや距離感にはたいそう慎重に気を使っていたと聞きます。ゲーム本編ではないメタな話にはなりますが、ゲームのセリフの収録というのは基本的に一人で全台本の収録を数日かけてやりますから、一人三成救出と別れと向き合って収録した竹本氏のことを考えると……。

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戦国無双関係なくても今作の三成もとても意識して好ましいキーキャラクターに作られており、「じゃあ、どうしたら三成は助かる!!」……というのはプレイヤーたちの心にもある思いです。これは今まで無双シリーズや光栄ゲームをはじめとしてあらゆるメディアで敗れ去っていった石田三成の無限回の死への、どうしても変わらない悲しい歴史そのものへの、確認と哀悼の叫びでもあります。

しかし、兼続の必死の努力と強い友愛にもかかわらず、二人はお互いの役目を果たすために別れ、そして三成はかえって史実よりも無惨ともいえる死を迎えます。シリーズの伝統である、歴史に向き合うならば現代人の都合でホイホイ変えまくるべきではないという重い歴史観があるのはもちろんですが、ここには「兼続(そして三成に生きてほしいわれわれ)が運命をねじ曲げて三成を助けようとしたから、罰が下ったのではないか?」とおもわれるようなとこがあります。

もちろん実行犯は天罰とかではなくカピタンなんですけど、延命したことで三成の苦しみが追加されたことは事実ですし、三成絶対助けてえ!!と思ったことで兼続が東奔西走大わらわしてよけいにたくさん悲しんだこともまた事実です。関ヶ原で「見なかったことにしといたるから領地の戦に帰ってやることやれや!」と言ってきた「正しき天の父」天の白虎の長政のように、「それが運命だ」「自分の役割を正しく果たすのみ」と思って粛々といられたなら、ここまでの苦しみ大爆発はなかったのです。情があるから、正しく清らかでいられない。愛があるから、苦しみが増える。これはまさしく、愛染明王の「愛染」の煩悩です。

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 主人公との間柄に関しては、兼続ルートでは「天女」という言葉の多用や、七夕伝説の引用など、いわゆる「羽衣伝説」の類型がモチーフとされています。ちなみに龍神の神子を「天女」と呼ぶことにかけては『遙か2』の彰紋東宮という先人がいますし、「その世界から見たら夢のような文明をもつまったく異なる常識の世界から来た、超常的な力を持ち浮世離れした人」という意味では確かにマジで龍神の神子=運命を操作する力を持ったプレイヤーは天女で間違いありません。今作では特に、共通ストーリーからして主人公(プレイヤー)が「かぐや姫」になぞらえられています。かぐや姫という天人が老夫婦のもとに授かり、「羽衣」をかけられると人ではない天人に戻ってしまい恋しく思う男たちを残して月へ帰っていく『竹取物語』もまた「羽衣伝説」のひとつです。

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「羽衣伝説」とはそういった「その地のふつうの人間ではない女」である天女が登場し、地上のふつうの人間に幸や豊穣をもたらすが、だいたいは離れ離れとなったりして悲しい結末に終わるという、日本だけでなくアジア全域に広く伝わっている物語類型です。「羽衣」は天人の証であり、奪われると天に帰れなくなりふつうの人間とあまり変わらなくなってしまうものです。『遙か7』で兼続にとっての主人公がそうであるようにこの天女は五穀豊穣(お米をはじめとするたべものの豊かさ)の化身とされ、天女が地上のふつうの男と恋をして一時的な幸をもたらすお話は『俺の屍を越えてゆけ』の物語の発端ともなっていて、日本の文化に深く根付いた類型といえます。

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「羽衣伝説」において天女は幸であり、豊穣であり、パターンによっては地上の男の最愛の妻ですが、天女が天に帰ってしまったり離れ離れとなって嘆き暮らしたりする展開とセットです。地上の人間は天女と出会う前は特別不幸せでもなかったのですが、天女がいなくなると、天女が来る前の状態に戻っただけのことなのに、悲しい思いをするはめになります。好きにならなければそんな悲しいことはなかったのに。

兼続ルートで特に引用されている「七夕伝説」もそうです。おなじみの物語ですがあらすじをさらっておきますね。

働き者の天女の機織りお姫様(織女・おりひめ)と同じく働き者の人間の牛飼い男(牽牛・ひこぼし)が、なんやかんやで(経緯諸説あり)結婚することになりました。天の父(天帝)は基本的に神と人との結婚を禁じてるのですが、しぶしぶ認めます。

しかし結婚してラブラブなふたりは仕事を怠けるようになったなど、義務をおこたったかどで天の怒りを買い、なんやかんやで(経緯諸説あり)川幅のすごい天の川の両岸に離れ離れになりました。ふたりは川をはさんで見つめ合うばかりで、一年に一度巨大カササギが橋になってくれる七夕の日以外は触れ合うことができなくなったのでした……。

夢の天の川のシーンなど、明らかに引用されているのがわかると思います。直江兼続と七夕伝説にはたぶん直接のかかわりはないのですが、七月を「文月」と呼ぶように七夕には日本古来たくさんの歌が詠みかわされる伝統がありますから、主人公が「天女」であるというだけでなく雅な文化人である兼続にも関わりがあります。もう一個このギミックの意味がみいだせるのですが、それは次の項目で話します。

話の筋としては、兼続とプレイヤーは「仕事を怠けて」なんていないという違いがあります。ここがちょっとポイントです。プレイヤーや三成(おわかりのプレイヤーもいるとおもいますが、実は三成もまた「天人」のひとりともいえます)といった愛する人と離れ離れになって苦しい思いをする「天罰」を受けたり、「天の父」の役割をもつ長政にクギを刺されたりする「人間の男」兼続がどんな「罪」をおかしたというのでしょうか?

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主な罪状としてまず考えられるのは、さきほども見た「親友三成の運命をねじ曲げて助けようとしたこと」、それと相似に「婚約者(主人公)の生家の負け戦をひっくり返そうとしたこと」でしょう。このために兼続は自分がいるべきお家の戦場をいっときほっぽり出してきており、織姫彦星のように「愛する人のそばにいるために、義務をおこたっている」ともいえる状態にあります。これは「天の父」長政にもわかりやすく指摘されています。

その前にプレイヤーと天の川で隔てられたのはなんの罪に対する罰でしょう? ……羽衣伝説に依拠して挙げるならば、「天女の力(現代から持ち帰ったプレイヤーそのものやジャガイモや知識、龍穴など)を地上の生活に私的利用したこと」とか「天女を愛し、彼女が羽衣(令和の世に帰るすべ)を失ったとこに電光石火でつけこんで妻にしたこと」あたりということになります。羽衣は異世界チートです。兼続はチートの罪の報いを受けているともいえます。

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しかし、天の羽衣だろうがチートだろうが、兼続は「使えるものはなんでも使う」というだけです。必死なだけです。確かに地上の倫理でも、使ったら法に触れる手段というのはバッチリあります。でも「自分の領民に腹いっぱいメシを食わせたい」「愛する人と幸せになりたい」「大好きな友に生きていてほしい」という願いのために犯す罪は、ただの悪といえるでしょうか。それは罪であっても、兼続が愛の男だから生まれる罪なのです。

彦星は、織姫を愛さなければ働き者のままで、別離の苦しみを味わうこともありませんでした。兼続も、プレイヤーにいったん惚れこんでしまうと長政のスパルタとは違って「安全なところにいてほしい」「大事に守りたい」という気持ちにどうしようもなくとらわれてしまいます。愛がなければそこに罪はなく、正しく義務がおこなわれ、執着やしがらみによる苦しみがいたずらに増えることもありません。愛ゆえに罪が犯されるというよりは、愛することそのものが罪であり、愛したそのときにすでに罰である苦しみは始まっているのです。出会ったのも罪? 恋したのも罰? 私という存在(Buzy)

鯨

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 この愛執の罪、煩悩は、しかし、消し去ってしまえればいいものなのでしょうか? 心を大きく動かすこともなく、特定の何かに強く執着することもなく、したがって強い苦しみもなく、正しく生きていけるようになれれば(メガテンⅢシジマルート)……。

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そんなことはない、と言うのが兼続ルートです。三成を失った苦しみや直江状偽造、敗者の運命にダバダバになりながらも。

誰かを愛し、天に背く罪を犯し川に隔てられて悲しいのは、人が懸命に生きているということ、そのものなのだと。

潮騒 (新潮文庫)

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東北地方を襲った東日本大震災を扱ったドラマ『あまちゃん』の劇中歌『潮騒のメモリー』に「来てよその火を乗り越えて」と歌われます。この歌詞は「その日(震災のあった2011年3月11日)を乗り越えてきてほしい」という意味と、「天女」のようにヨソから突然現れたお嬢さんと漁師の若者が障害を乗り越えて結ばれる三島由紀夫の名作『潮騒』の「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら(私たちは抱き合い、結ばれよう)という有名なセリフを合わせたものです。つらい過去と現在を越えること、他者を愛することはそれ自体罪であり罰であり、焚き火を飛び越えるように熱く、川を渡るように冷たく、決意と勇気がいる。

それが、われわれが身を置いている人生という戦なのだと兼続ルートは言うのです。使えるものはなんでも使い、髪を振り乱し、燃えさかる火をこえて、ずぶぬれになっても罪と罰の川を越えて、愛する人へ愛を届けるのだと。かささぎの橋なんか、自分でかけてやるのだと。

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(『遙か7』の兄弟作(ということにおれがした)『ファイアーエムブレム風花雪月』の中の1ルートの「人が生まれて生きていくということは、世界から何かを奪う罪を犯していくことだ」というテーマについて書いた記事です)

 

天と地と、そして人

 「米百俵」と並んで直江氏ゆかりの新潟県中越地方でよく使われている、もうひとつのご当地歴史ワードが直江兼続の大河ドラマからの「天地人」です。

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ところで、兼続ルート上の「いい方」のハイライトは岐阜城防衛の一連のイベントです(つらい方は三成救出)。ここで兼続は知恵をいかして異世界アイテムでチート無双する!……という流れではあるのですが、内容自体はけっこう地味で堅実です。この内容が面白い。

兼続がとった、現代(一部五月の能力)チート新戦法はおおむね以下の三点です。

①式神を使った早連絡

②たくさんの時計によるタイムテーブル統一によって、一定の間隔で前線の交代を行う

③オペラグラス、防犯カメラによる戦場の状況把握、戦力の配分

これに加えて、龍神の神子と協力した超常的な力

④天と意識を通じさせ、天の川の水を水不足の井戸に引く

というところ。

①の式神メールシステムは他のルートでも活用されていますからこまけえことは五月のときにでも話すとしますが、連絡手段が少なく時間がかかったこの時代にほとんど即時的に連絡ができることは実は一番チートです。これによって人と人の行き違いがものすごく少なくなり、話し合いができ、心と力を合わせることができるようになります。「天地人」のうち「人の和」が二重マル!です。

②の時計を使ったシフト式前線勤務、これは地味で現代人にはわかりにくいことなんですけど、兵の疲弊による兵力消耗を最低限におさえ、効率よく回復してもらうためにはとても有効な手段です。籠城戦は長丁場ですから、少しの消耗も重なればジリ貧に向かいます。指揮官ごとにバラバラで基準がないとキッチリ回すことはできません。このタイムスケジュール管理が「天地人」のうち「天の時」をつかむことです。

そして③の防犯カメラは3つの攻め口の戦場の状況を正確に把握するということです。地の利には地理的条件だけでなく城の作りなども入ってきます。岐阜城にもある「天守」という城の部位は物見櫓が進化してしだいに権威的な役割を強めていったものですが、「戦場の状況が安全・正確・総合的にわかる設備をもった城」なんつうのはスーパー「地の利」のある城だといえます。

兼続の岐阜城防衛線は戦力的には負けててもこの「天の時、地の利、人の和」、天地人すべてをおさえた備えだったわけです。

 

 しかしだ、異世界チートがあったとしても、そもそもの岐阜城に与えられた条件である「湧き水がねえ、井戸水も少ねえ」という地の運、「雨雲も近くにねえ」という天の運はどうしようもなく「ある」わけです。それを前にして、兼続は「龍神の神子を介して、天上の川から水を引く」という超常現象をおこしてみようとチャレンジします。

実はこれ、現代人としてのわれわれが「えーそんな都合よく…」とおもうほどトンデモな展開でもなく。その前に五月がマジに効果のある霊力による雨乞いをしたり、『遙か3』で神子が願って聞き届けられれば雨が降ったり、そういう雨の降らせ方はあると古来から信じられてきました。引用されているとおり干ばつの折に歌仙・小野小町が「ちはやぶる神も見まさば立ちさわぎ天の戸川の樋口あけたまへ」と詠うとたちまち大雨が降ったという伝説があります。

このように(しばしば龍の)神に水や雨のことを人が願って聞き届けられることと直江兼続にはおおいに関係があります。直江兼続の愛刀として知られる太刀「水神切兼光」は彼が水神とハナシをつけて洪水を治めた、という伝説が「水神を斬った」という名前になって残ったものです(神の力も過ぎれば災いになる、という兼続のセリフもこのあたりを連想させますね)。直江兼続はきわめて実際的・人間的な人物でありながら、神とハナシをつける人物でもある。

 神や利害を異にする他者とハナシをつける方法として、古来日本ではどんな方法がとられてきたかっていったら、それこそが「歌」なのです。有名な日本最古の歌論、紀貫之による『古今和歌集仮名序』にいわく、

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける

世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり

花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり

古来日本においては「歌とは、人の心を種として自然に生い育った万の葉(万葉)」「この世に生きる花鳥風月のすべてが、概念的な歌を歌っている」という精神があるというのです。この「歌」こそは「力を入れることもなく天地を動かし、目に見えない死者、神、自然の精といった人外のものの心も動かし、男女の仲をつなぎ、荒々しい武士の心をも慰撫する」という絶大で玄妙な力をもっています。だから小野小町はくだんの歌の力で神の心を動かし、雨ごいに成功した(と説得力をもって信じられた)のですね。三成との別れのときの『贈別』の歌も、いつまでも別れを惜しんでいることのできない人間の代わりに蝋燭が長い涙を流してくれる、という、ままならぬ現実の中でも風雅の世界、文学の世界が心をつないでくれるという引用です。

つまり歌は天地、神と人、男と女、暴力と文化、古と未来といった隔たったものの間をつなぐ力であり、「天地人」の「人」にあたるものなのです。『NARUTO』の中忍試験編でも「天の巻物」「地の巻物」をそろえると「人」という字で表される「下忍と上忍の間の存在」中忍のイルカ先生が口寄せされていましたね。

NARUTO -ナルト- 8 (ジャンプコミックス)

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  • 作者:岸本 斉史
  • 発売日: 2001/08/03
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兼続は天の運命と地の制約に翻弄されるちっぽけな存在でありながら、それらとどっこい交渉し、よりよく生きる道を切り開いていく「人」の代表です。そして「人」が強大なものを動かす手段のひとつとして、一見無力で役に立たないかにおもえる「歌」がある。

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「ちはやぶる神も見まさば立ちさわぎ天の戸川の樋口あけたまへ」の歌は、兼続に教えられた主人公の口から出てきました。これは兼続のもつ「歌の文化の力」が龍神の化身の心を動かしたということであり、実はこの時点ですでに「水神を斬る」ことに成功しているといえます。主人公の神力と地上の井戸とあいだに言葉とイマジネーションでパスをつなぎ、兼続は男と女のあいだ、古と未来のあいだ、神と人のあいだ、プレイヤーと自分のあいだにある天の川を、文(ふみ)の力で越えて利用さえしてみせたのです。

 「天の時、地の利、人の和」という戦略が成る三条件は、『孟子』にいわく「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」ともあり、運命やタイミングがよくても戦場の条件が整っていることには及ばず、戦場の条件がよいとしても人と人の連携がとれていることには及ばないとされます。

「人事を尽くして天命を待つ」「天は自ら助くる者を助く」の言葉どおり、人ががんばっている姿を示してこその天の助けです。未来はどうなるかわかりませんし、自分の生きてる間に変わる保証もありませんが、信じて動くことで、周りの心が少しずつ動き、環境が変わり、それは未来に実ります。兼続は自ら必死で動き、言葉をフルに使っている姿を見せ、神の側であるプレイヤーの心を動かしました。いわば「情理を尽くしたコミュニケーション」によって、兼続は岐阜城を守ってのけ、本質的には天に帰るべき天女である主人公を繋ぎ止めたのです。

見えぬ人の愛と義を信じ、遠い未来を信じ、情理を尽くす。

それこそが、われわれ人のもつ、黄金の力だということです。

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希望の轍

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  • 発売日: 2018/08/06
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そんな「時代の運命」と「土地の制約」に縛られた中でけなげにごはんを食べる、『ファイアーエムブレム風花雪月』の中世ヨーロッパ風世界のみんなの食事解説本(おれが書きました)、好評発売中だよ!!!!

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あと兼続ルートの「越後」というへんぴな寒くて豪雪な土地でどっこい生きてるおれたちに興味がわいた方々にはこちらもオススメ!

2万光年翔んで新潟 (小学館クリエイティブ単行本)

2万光年翔んで新潟 (小学館クリエイティブ単行本)

  • 作者:魔夜 峰央
  • 発売日: 2020/10/16
  • メディア: コミック
 

越後こと新潟県は現在は米どころとなっただけでなく「漫画家の名産地」でもあることをご存知でしょうか? 上の『翔んで埼玉』『パタリロ!』の魔夜峰央先生以外にも、『天才バカボン』『おそ松くん』の赤塚不二夫先生、『ドカベン』の水島新司先生、『うる星やつら』『犬夜叉』の高橋留美子先生、『るろうに剣心』『武装錬金』の和月伸宏先生などなど人口密度の低さのわりに有名漫画家の出身密度がやたら高いんですよね。

コシヒカリができたとはいえ寒さや豪雪という「天地」の条件が変わるわけではなく、そんな制約の中で人はインドアな娯楽文化に心の自由をはばたかせるのでしょう。たとえ四方を敵に囲まれたって、敗者側になったって、優雅に琴を弾く。ドカ雪だって、田舎社会だって、車がなくちゃ生活できなくたって、心の豊かさだけは、自由。そうおもって当方もこのブログを書いています。

 

 次は大和ルートいきます!

 

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↑「自然の制約が厳しい中、人による治水で運命を切り開くこと」や「3」のことについて書いています。