※この記事は2013年ころに書きだした『遙かなる時空の中で』論『「和風」ネオロマンス 遙かなる時空の中で~怨霊・穢れ・浄化~』の序文と一章冒頭を合わせて少々の加筆修正をしたものです。
だいぶ前の文章でお恥ずかしいのですが日本的自然観・宗教観の参考としたく引っ張ってきました。
ざっくり言うと「日本人一般の無意識の宗教感覚(=「日本教」ともいうべきもの)には古代から現代まで一貫した信仰がある」という話を、『遙かなる時空の中で』シリーズの描写と史実を引きながらしゃべっています。
はじめに――彼らが背負う歴史
和風、とはなんでしょう。日本らしい、とはどういうことでしょうか。
ことばでしょうか? 服飾品でしょうか? それとも神々などの、人知を越えた力に注目すればいいのでしょうか?
これから語ろうと思う、『遙かなる時空の中で(以下『遙か』)』は和風ファンタジー世界観のネオロマンス(日本最初の乙女ゲームのブランド名)ゲームです。
その「和風」であるということは、コンセプトの中でもいちばん重要な欠かすことのできないものだと、おそらく『遙か』を知っている人のほとんどは思うのではないでしょうか。わたしもそう思います。
しかもネオロマンスシリーズを制作している光栄(現コーエーテクモホールディングス)は、『三国志』『信長の野望』『太閤立志伝』で知られる、ひじょうに歴史に強いゲームメーカーです。『遙か』や同じネオロマンスシリーズの『金色のコルダ』の特徴のひとつに「セリフの中の用語の解説を□ボタンでいちいち見られる」というものがあります。つまり歴史用語についていちいち正確で簡潔な説明が入っているということで、その造詣の深さがうかがえます。
『無双』シリーズなどのキャラクターデザインを見ても、どんなにぶっとんだアクションや演出があっても武将やストーリーのコンセプト自体は本質をとらえたものであるというのが、大方の評価です。
つまり『遙か』は、日本の歴史が好きで、知識的にも本質をとらえる感覚的にも優れた場にはぐくまれた、和風ファンタジーだということです。
ただ和風ってなんか萌えだからとか、それまで西洋ファンタジーか学園ものがメインであった恋愛アドベンチャーの毛色を変えるエッセンスにだとか、そういうレベルの「和風」ではないということです。
それはなにも、歴史に強いんだからちゃんと史実どおりのものを作ってるはずだとかの予測ではありません。実際に『遙か』には日本の歴史に対する深い意識を感じさせるキーワードの使い方がたくさんあります。
「封印」のニュアンスの差異
たとえば、「怨霊」を「封印」するということ。
これをわたしは昔不思議に思ったことがあります。たとえば剣と魔法のRPG世界で「魔王を封印した」とか言った場合、それは「魔王を倒す(消滅させる、二度と悪さができないようにする)」ということができない場合などの「次善の策」として描かれている場合が多いからです。しかし「遙か」では、この「封印」が怨霊にとっての救い、つまり清らかな浄化と同じ意味合いで使われている。
もうひとつ。「封印」は「白龍の神子」にしかできないということ。
これもなんだかおかしいと思いませんか? 「白龍の神子」は、また後述しますが「進む力(陽の気)」を持った存在です。「進む力」が「封じる力」だなんて、一見矛盾しています。
しかしこれにはちゃんと意味があるのです(とわたしは考えています)。意味があるから、わたしたちはそれをなんとなく自然なこととして受け入れている。それこそがわたしたちが「日本人だ」ということなのだと思うのです。その意味を、空気のように普段意識できていないのですから。
感覚の源泉
わたしたちが「なんとなく」感覚的によいものであると了解している「白龍の神子が八葉と協力し、怨霊や穢れを浄化して(異世界の)日本を正常に導く」という『遙か』のシナリオには、日本のエッセンスが詰まっています。主眼となる八葉や関連キャラクターとの物語も、その様々な側面を象徴しています。
「日本の歴史のことは別に知りたくない」とか「キャラは何かの象徴じゃなくそのキャラそのものだ」とか思われるかもしれないのですが、物語やキャラクターの「背景」について考えることは愛をそこなうようなものではなく、むしろもっともっと関連する全てごと愛しくなるような気持ちです。『遙か3』の九郎が源氏を代表するプレッシャーにはりつめているように、誰もが、本人が知らなくても、何かを背負っています。何かを背負った代表として、彼らはあなたの手に辿り着いた。
その疲れた背を見て、よしよしと抱いたり、ときには蹴っ飛ばして喝を入れたり、ひと押ししてまた一緒に歩き出したりする、『遙か』はそういうゲームだとわたしは思います。
どこから来て、何を背負い、何と戦い、どこへ向かうのか。
わたしたちをひきつける『遙か』の「和風」とはなんなのか。
『遙か』キーワードの考察が、そんなようなことを考える参考になったら幸いです。
<宗教観>龍のおはする葦原中津―龍・怨霊・御仏―
法親王永泉
『遙か』世界の「宗教観」に疑問をもつべき矛盾は実は本当にしょっぱな、『無印』のときから堂々と存在していました。プレイ時当方もそれを気にも留めておらず、それこそが『遙か』に表されている「私たちの宗教観」だということなのでしょう。
それはメインキャラクターの一人「法親王」永泉が「龍神の神子」に仕える八葉だということです。
あまりにもしょっぱなの常識ですね。これのどこがおかしいのでしょう。
永泉は出家しています。それが権力争いを避けるためであり、兄帝から還俗可能性を捨てないように望まれて髪を落としていない仮スタイルであっても、本人は「御仏の教えにすがりたい」という悩める平安殿上人らしいことを考えています。また、後継である『2』の泉水も御仏の教えに興味をもちいつか仏に帰依することを望んでいます。永泉が「御仏の教え」の中に属していることは明らかです。
一方「龍神」という文言は仏教の中に存在しないではありませんが、意味合い的には仏教がヒンズー教を統合したため入ってきたナーガ(龍族)のことなので、ほぼ別物です。
したがって永泉は自分の属する教えと「異教」の力を授けられていることになります。
「唯一神ヤハウェの教えに生きるキリスト教の修道士が突然ゾロアスター教のアフラ・マズダの使徒に任命されて――!?」なんてラノベでもびっくりだよ。
しかも永泉はさらにややこしいことに「帝」になったかもしれない親王でもあるのです。平安時代(たぶん今も)、帝は普通仏教に帰依してはいけないのを知っていますか? 天皇家はご存知の通り天照大御神の直系の子孫であるという設定のもと国を治めていますから、神道の祭祀のトップであり、法要とかやっちゃいけないのです。だから『2』の院や『3』の後白河上皇に代表される「出家して位を譲った」法皇というものが出てくるわけですね。
でも、昨日までひとつの大きな宗教のトップだった人が――昨日までローマ法王をつとめていた人が、引退したといって明日から寺の住職に着任します、とか言われたら、意味不明です。同様に永泉も帝に担ぎ上げられていた身から出家し、そして今は僧籍の身で帝に親しく拝謁するのです。このフランクさは一体。
御霊信仰
「それが日本人の宗教観なんだよ、神も仏も似たようなものってことだよ」と言うべきなのでしょうか?
『遙か』に表れているその答えについて話す前に、次は『遙か』と日本に古来からある信仰を「龍神」「神道」「仏教」のほかにもう一つ紹介しておきましょう。
それは「怨霊」です。
神道の裏側面としてもいいかもしれません。この『遙か』シリーズおなじみのキーワードは実は「御霊信仰」と呼ばれる日本古来の信仰からの言葉なのです。『2』にも実際「御霊」という言葉が登場していますね。
御霊信仰とは、世にわざわいをなす怨霊をなぐさめ、鎮めるというかたちの宗教です。『4』でも「荒魂」を「鎮める」という言い方がされていました。でも「霊を鎮める」とか「除霊」とかと聞くと、『遙か』はおいといて何か別の手段を連想しませんか?
そう、「お経」「僧侶」ですよ。
あれ? おかしいですね。「仏教」は『4』の「荒魂」よりずっと後の時代(飛鳥時代)になって日本に入ってきたはずなのに……。
そして「経文(=仏の教え)」が「魑魅魍魎を祓う」なんてルールは実は日本以外には存在しないのです。考えたら当然ですよね、経文つまりお釈迦様の名言を写した教科書に除霊パワーがあったら『論語』とかでもかなりの結界を張れそうです。
一体日本の仏教に何が起こったのでしょうか?
奈良のみやこ都構想
結論から言えば「仏教は龍神信仰と御霊信仰の中に取り入れられた」のです。
それなら永泉の立場は矛盾していません。仏教の世界観の中に龍神があるとかないとかではなく、『遙か』と日本においては「龍神の世界観の中に仏教がある」のです。それで、取り入れられたとは一体どういうことか?
先ほど「天皇は仏教に帰依しない」と述べましたが、日本の仏教流入期には最初期に仏教を大陸の進んだ学問として取り入れようとした用明天皇・聖徳太子親子以外にも、大きな大きな例外があります。「奈良の大仏」を建立したのは誰でしたか?
聖武「天皇」ですね。
歴史の授業のときにはフーンそうなのかと暗記していましたが、考えてみるとなんてことするんでしょう。ローマ法王シヴァ神像建てちゃった。しかも東大寺と全国の国分寺つきで。
当時、世はわざわいに見舞われていました。というか、災害や天候や、天皇が世継ぎに恵まれなかったり、そんなことはよくある話なのですが、昔の人はそれを怨霊や穢れのしわざだと考えるわけです。『遙か』では「怨霊」と「穢れ」はよく同種のものとして語られますね。「怨霊の振り撒く穢れにあたって病になった」とか。『源氏物語』など中古時代の古典の中にも病気にかかって加持祈祷をするシーンはよく出てきます。あれは修験者――当時流行していた「仏教」の形態のひとつ「密教」の僧と山岳信仰が結びついたような存在です。
古代の人々は死と穢れを非常に恐れていました。その証として大和朝廷の初期、奈良県近辺の大王(おおきみ)の宮は幾度もさまようように場所を変えています。「長岡京」とか「恭仁京」とか耳にしたことはないでしょうか。規模は小さいとはいえ「平安京」と同じような祭祀と政治の中心地が、ほとんど大王の死による代替わりのたびにホイホイ移動するのです。これは大王の死があった宮を喪の場とするため朝廷の場所を変えているのですが、いくら大王の死という大いなる不祝儀から逃れるためとはいえ、そんな効率の悪いことをいつまでも続けていたくはないはずです。そこでも有効にはたらいたのが仏教でした。
仏教のスタンスをものすごくかいつまんで説明すると「諸行無常が宇宙の真理であることを悟って、悪しき執着から解き放たれましょう」です。「御仏」は無常を納得してあるべき場所に流れていこうと説得してくれるシンボルです。すべてのものは移り変わっていくのが正しい、陰謀に散った恨みも、大王の栄華も死の穢れも。
つまり、聖武天皇は大仏と国分寺で溜まり溜まった国のわざわいを流し、おびえ惑う国のかたちを留めようとしたのです。
水の力
滞る穢れを「流し」、絶望に落ちんとするものを「留める」。その後日本人がナムアミダブツを怨霊退散に唱えるイメージを持つにいたったのは、仏教を流しまた留めるものであると了解して腑に落ちたからではないでしょうか。
腑に落ちるポイントというのは「感覚的に理解できた瞬間」です。日本以外の国でも仏教はさまざまな感覚で信仰され、それは各土地の風土に影響を受けています。日本人はこの感覚を既に知っていて、それに「仏教」というカタチ、力ある具体的な言葉を「組み込めた」ので納得したのです。
「罪を水に流す」という言葉があります。「絶望の淵」とか。日本は山の頂からす早く流れ、海へかえり、また雨となって恵む水に富んでいます。罪穢れは大量の水で薄まり流れる水はすべてを清め、また流れていくはずの水が深く遅く滞ると腐り、これはマイナスの意味をもちます。
これが日本の風土による日本人の感覚です。水は清く豊かで、水田を実らせて、ときに荒れ狂い、溜められなくても困り、流れ去らなくても困る。ある程度御することができるようでいて、思うままにならなくて、その強大な力に人は祈り感謝するしかない。
これが「豊葦原を守護する龍神」です。
龍神とは「水の力」のことなのです。アジアにおいて、龍や蛇は水神、自然の力による命の創造を表します。ヒンドゥー教の川の女神も蛇身であることが多いですし、『千と千尋の神隠し』もそういうオチでしたね。なにより東洋の龍の体そのものが「川」であることを表すかたちをしています。
『4』の「禍日神」は常世の状況をみるに旱(ひでり)の神といえるでしょう。神と対立すること、神に異常事態が起こることは直接的に「雨が降らない」あるいは「川が氾濫する」ことをもたらします。
『4』は龍以外でもそのような問題が「荒魂」としてそこここで勃発してる世界観なのです。すると、自然をなだめること=神と和することは自然の中での人間の位置がまだ小さいあの王朝で何より重要なことでしょう。だから古代文明は常に風土に即した祭祀とともにあるのです。
日本という水豊かにたたえた土地の、
○「罪穢れも自然の恵みも流し運び常に回り続ける」パワーは、白龍。
●「のどをうるおし実りをもたらし傷跡を慰撫する」パワーは、黒龍。
そういう「穢れ」を流し癒す「水の力」の感覚をもともと持っていた日本人だから、仏教という先進文化を得て、「そうそうコレが言いたかったんだ!」となったのです。だから日本の一般的な仏教観は『遙か』的に言うと「龍神教」なのです。クリスマスも除夜の鐘も初詣もやっちゃうのはそれが「水の流れ」の中にすべて取り入れられると思われたからではないでしょうか。
まとめ
・『遙か』には複数の信仰があるが龍神信仰の感覚のもとに調和している。
・仏教は御霊信仰と龍神信仰に取り入れられた。
・龍神とは水が「流れる」「留まる」力である。
↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます
↑ドラクエ11も日本的龍神信仰的な世界観にもとづいているって話
↑黒龍の神子の役割の話