本稿では『アンジェリーク ルミナライズ』(以下『アンミナ』とも)の序盤、体験版プレイ範囲時点でのプレイ感、コンセプト、ゲームデザイン、シリーズ上の位置づけ等のレビューをしていきます。
※序盤のネタバレや「予想」も含まれますのであしからずご了承ください。
主に「プレイするかどうか迷っている」「始めたばかり」の方に向けて、ゲームの傾向が向いているかどうかだとか、どういう楽しみどころがあるのかだとかを知っていただく一助になればという目的です。
ちなみに当方は『アンジェリーク』シリーズのナンバリングタイトルは『初代Special』、『2』、『トロワ』、『エトワール』、『ネオアン』をプレイしています。「アンジェはやったことない」方や「昔やったことあるけどアンジェに触れるのはずいぶん久し振り」の方にも参考にしていただければ幸いです。
3分でわかる!『アンミナ』の長所と短所
いつも光栄のゲームは要素が多いので↓『遙か7』の紹介を軽くまとめるのはなかなか骨が折れましたが、今回は要素としては案外とさっぱりしたつくりです。
まず厳しいところといいところを短くまとめますと、
厳しいところ(´・_・`)
俺が最近Twitterで失踪してニュースになった男子高校生カナタ!
とまあこのような感じで、
・ちょっとダサくてシュールな「マンガ的表現」が多用される
・絵柄の趣が旧作の『アンジェ』とは大きく異なる
・キャラの口調や性格などのデザインも、旧作に比べ軽めの趣
・「育成シミュレーション」に要素が多く、慣れるまで難しい
・育成が大半を占めるため物語部分を主に読みたい人には不向き
・ややユーザーインターフェースが使いづらい
というところが短所となりえそうです。
絵柄に関しては見りゃわかるのでヨッシャ!と思った人だけがやることでしょうが、従来の「ジャケットやキャラクターデザインイラストとエンディングスチルを由羅先生が描き、立ち絵はまた別のゲームグラフィック上の絵柄」であったシリーズとは異なり、今時はCG絵なので「ジャケットやキャラクターデザインイラストとほぼ同様の絵柄でゲームが進行する」という方式のため、そこは要チェックや。
いいところ(^u^)
・疲れた女性を応援する、奥深く優しいテーマ性
・庶民的で親しみやすい主人公
・親しみやすくなったが、より価値観を出してくる守護聖たち
・「宇宙の危機」「守護聖」など荒唐無稽なキーワードへの解像度を丁寧に上げるシナリオ
・育成シミュレーションのやりがいが大幅アップ!
・作品テーマと育成シミュレーションのリンク
・面倒な育成も一応すっ飛ばせる機能あり
粗削り的なところや、育成の難しさというか面倒さはありますが、この作品には「制作側が、プレイヤーに伝えたいこと、感じてほしい気持ち」がギュッと詰まっていると感じました。
それがセリフやモノローグからだけではなく、ゲームシステム全体やちょっとしたところからもジワジワと感じられるのがまた、ゲームらしくて良いところ。とにかく、旧作の『アンジェ』をやっていた感覚からすると、身が入りまくる育成システムになっています。育成システムについてはまた後述します。
ゲームの概要
『アンジェリーク』は、1994年に発売された女性向け・男性キャラとの恋愛を目指すシミュレーションゲーム(現在の言葉でいうところの「乙女ゲー」)として世界初であったタイトルです。そこからしばらく『アンジェリーク』シリーズを旗艦とする「ネオロマンス」ブランドは女性向け恋愛ゲーム界を牽引しつづけ、2000年代後半にPSPで「オトメイト」等のブランドによる乙女ゲームタイトル大爆発がおこるまでは業界の代名詞的存在でした。
派生別シリーズとされている『ネオアンジェーリーク』やリメイク等を除けば、その『アンジェリーク』シリーズの完全新規タイトルとしてはじつに18年ぶりのものとな……じゅ!? エ!? じゅうは!???? となるのが……近日発売する『アンジェリーク ルミナライズ』……です……(呆然)…………。
気を取り直しまして
「アンジェリーク」とは「天使」の意味をもった本作の主人公の少女のデフォルトネームであり、物語は彼女が次の「宇宙の女王」の候補に選ばれたことから始まります。『エトワール』だけは女王になる物語ではないのですが、これはシリーズ作品に共通したプロットです。今回の『アンミナ』もその例に漏れず女王候補となる主人公の名は「アンジュ」、日本人名でありながらも過去作品とのつながりはバッチリです。
そういうわけで主人公は「宇宙」というスケールのデカすぎる舞台で「天使」としてデッケェ仕事をしていくことになり、宇宙の女王に仕える役割の「神の化身」めいた個性豊かなメンズたち……「守護聖」と関わり力を借り、やがて彼らを束ねていくこととなります。女性の輝く社会進出を応援し女性クリエイターによる制作チーム「ルビーパーティ」を苦心して作り上げた、現コーエテクモホールディングス会長・女傑襟川恵子氏の「らしさ」あふれるコンセプトです。白馬の王子様の夢も仕事のリーダーシップも両方やったるワイ!という葛藤とパワフルさのあるゲームなんですよね。
そういうわけで、ゲーム上でやることの大半を占めるのは「育てるべき世界を管理する」というシミュレーション、信長の野望となります。そうした「仕事の関係」を通じて守護聖たちとの個人的人間関係は育まれていき、恋愛関係に陥ったりその前に「あんたが女王!ヨッ!大統領!」てなってしまったりする、というわけです。
この「仕事をしながら攻略対象と仲を深めていく」システムがプレイヤーによっては吉と出るか凶と出るか、「攻略しがい」を見出せるかどうかはマジでプレイしてみないとわからないものがあるので、ぜひ無料体験版をプレイしてみてください。体験版範囲でもまったく合わないかちょっと楽しいかは見えてくると思いますよ。
主な注目要素
ここからは個人的に、目を引くおもしろ特徴、あるいはぜひここ見てくださいよ!というポイントをいくつか挙げてレビューしていきます。
マンガ的表現
「アンジェ、さすがに時代が時代だしキャラの感じ変わったな…」というのの急先鋒的存在、女王候補付きおもしろ執事のサイラスです。「通販」ってこれキャラソンの曲名だぜ。アンジェリークの世界にこんな表立ってシュールなキャラ入れてもよかったのか(今までは客観的に見ておもしろいことになっていても本人たちはいたってマジメだった)。
「はじめから」を選んだゲームのオープニングはこいつに怪しげな転職案件をあっせんされ、疲れとヤケクソで冗談かと思い女王候補となる契約書にサインしてしまう……という筋書きで始まります。そのこと自体は、広報の初期段階からわかっていたのですが、このオープニングなんと、ムービーではなく「マンガ」から始まるのです。そう、ちょうどwebマンガアプリの広告のようなノリで。
こんな感じでさらに色が白黒のコマ割りが流れ、集中線やベタフラッシュが多用され、え……な……なにこれ……おれの年収、低すぎ……? アンジェリークじゃなくてノリがフルハウスキスやんかこんなの……。
ドタバタでたくましいラブコメ少女マンガ的表現を取り入れたのがジャケットからもわかる往年の名乙女ゲーム、『フルハウスキス』です。
なんか最初に出てくる光の守護聖・ユエ氏がフルキスを彷彿とさせる人物造形なのもあいまって当方は演出の随所からフルキスを感じまくってしまうのですが、たしかにマンガ的表現はキャッチーでわかりやすいですし、疲れてボヘーッとしていてもベタフラッシュがくると「あっ今なんかガーンってするとこだったんだな」と感情を鮮烈に引っ張ってくれます(大丈夫か?)。いまどき見ない『聖闘士星矢』くらいの勢いのベタフラッシュなんだよ。
「疲れた人もひきつける」という意味では、マンガアプリ広告っぽい手法というのは今作のターゲット向けには有効な演出かもしれません。そう、メインターゲットは「現代社会に疲れた女性」たちなのです。
ところで「ゼフェルとレオナード以外に『クソッ』とか言う守護聖いんのかよ!?」っておもった おまけに「おい、女」だぜ!? とばしてんな!
「過渡期」というテーマ
ネオロマンスの中での今作の特異性は、なんといっても「主人公の年齢」でしょう。
女性の年齢をどうこう言うのは気が引けるのですが……ネオロマンスのゲームの主人公は一貫して16~18歳の高校生世代(これは少女マンガの主人公の代表的年齢でもありますね)であり、しかも『アンミナ』の主人公は「社会人」というだけでなく「25歳」とはっきりと示されているというのがまた、主張を感じさせます。
アンジュとレイナの年齢である「25歳」はネオロマンスが25周年であること、歴戦のファンがそのぶん年齢を重ねてきたことにもかかっていますが、「25歳」はちょうどその『アンジェリーク』が産声をあげたころの時代の日本では「クリスマスケーキ理論」などといわれてきた数字でもあります。お若い方はご存知ないかもですが、「25歳を超えても独身の女性は、まるで12月25日を迎えたクリスマスケーキのように『価値が下がる』」と、当たり前のことのように言われていたのです。
今の令和の世でそんなことを大っぴらに言おうものならボコスカに叩かれるわけですが、その価値観じたいがもうすっかり消えてしまったのかといえば、残念ながらまだそうではないでしょう。アンジュのこれまでの生活の沈鬱なイメージの中にも、「同年代の女性の結婚式が次々と行われる中、『次はアンジュ先輩ですね』と言われる」ということが漠然とした不安や疑問として描かれています。アンジュもまた、自分はクリスマスケーキなのではないか…とうっすら思わされているところのある現代日本の女性なのです。
レイナはまた、この25歳という自分たちの年齢を「過渡期」だと表現します。もう新人として甘えることはできないが、確かな立場を持っているわけでもない……。やれるはずだと期待はされるが、それに足る経験はない……。そのどっちつかずの微妙な苦しみに消耗する世代なのだと。そして「過渡期」は運命の分かれ道でもあります。子供のような何も知らない自由はもはやなく、しかし選ぶ道が一つしかないわけでもない……。それが「大人女子」であるということなのではないでしょうか(知らんけど)?
そしてこの「過渡期」性って25歳女性に限ったことではなく、実は普遍的な時代性でもあるとおもうんですよね。アンジェリークが最初に出て25年経ちましたけど、それより前の時代から女性は「活躍する男性と同じように強く優秀になれ」「女性らしく美しい良妻賢母となれ」というどっちつかずの過渡に引き裂かれてきて、たぶんまだ川岸にたどり着けていません。ネオロマンスが出て25年経ったけど、主人公は17歳から25歳に8歳年をとったくらいの感覚の、じわじわとした進歩はありますが。
ていうか、たぶんその過渡期性を一番感じているのは女性だとはおもうので乙女ゲーでやるべきなんですが、本質的には女性にかぎった話ですらないんですよ。現代日本ではみんな自由な仕事に就けるけど、派遣や非正規など仕事を転々とする状況にじわじわ追い込まれたら自己責任とか言われて先がない……。恋愛や結婚が自由になったのはいいけど、その自由がステキなパートナーを運んできてくれるわけじゃない……。なんでもできる時代って言われるけど、どこへも行けない……先が見えない……。
この「疲れ」はダラダラ休めば回復するっていうものではないような気が、確かにします。「自分が何をしたいのか考え、自由に行動する」ことでしか解放されない疲れ……。『アンミナ』はそんな、「もう大人だけど(あるいはこれから大人になっていくけど)、状況に流されることしかできてないのかもしれない」われわれを受け入れ、ひとたび立ち止まって人生について、大局について考える時間を与えて人生をリフレッシュさせてくれる体験として作られています。
いまを生きるプレイヤーへの愛と希望を感じるじゃないですか。
主人公の構造
ネオロマンスゲームで当方がいつもスゲーなと評価しているのが、「ゲームのプレイヤーキャラとしての主人公女性のつくりのうまさ」です。ネオロマの主人公女性はみんな絵的にも爽やかでニュートラルで品がよくとてもキュートですし、物語への主人公の関わり方も無理のないものなので「ヒロインのファン」も多いです。でも今回はそれとは違ってキャラとしての魅力とは別に、プレイヤーがゲーム世界を体験するためのデバイスとして優れているっていう点を推したい。『アンミナ』もそのうまいバランスには目をみはるものがあります!
まず今回の主人公アンジュの描写で「入り込みやすさ」になっているのが、「疲れていたので冗談だと思って契約書にサインしてしまった」という基本の筋書きです。
これだけ見ると「不注意な女だな…大丈夫かよ…」となるかもしれませんが、それ以前に考えてみてくださいよ、「宇宙の女王になるために女王試験をがんばろう!」なんて自発的に考えるやつには大多数の人間、ことに女性はとても共感できないでしょう。今までのように17歳の元気な学生が「使命です!」ってお上から言われ家族からも祝福されればそういうもんなのかと思えましょうが、今回は25歳社会人女性なのです。たとえ自分を変えたい、何かビッグなチャレンジをしてみたいとちょっと思っていても、「いやいや自分がそんな……」と一歩譲るのがもののわかった日本人。あまりいい性質ではないのも確かですけど。
そんな慎ましやかでわきまえすぎる同調圧力の中で暮らしている日本人女性がドラマに入り込んでいくために使われるのが、「一体私、これからどうなっちゃうの~!?」と呼ばれる(?)手法です。すなわち、「仕方なく巻き込まれた」「強引なカレに無理矢理決定され…」というように不可抗力によって物語が始まってくれれば、「大人の女性として慎まなきゃ…」「自分から活躍や恋愛を求めにいくなんてはしたないと思われるかも…」と思ってしまう、前に出ていかないタイプの人もドラマの中にすんなりと身を置くことができるって寸法です。
アンジュは契約書に名前を書いてしまった手前、しかも自分の住んでいた場所にも現実的な危機が迫っているとあって、女王候補の仕事を「しなければならない」と思うようになります。最初から自分の能力や魅力を信頼し自らの意思で行動を起こしていく女性は、残念ながらまだまだ「出しゃばり」「かわいくない」と遠ざけられることが多くあるのではないでしょうか? 「はじまりは決して自分の意思ではない」という予防線というかエクスキューズによって、プレイヤーは世界最大のリーダーシップ「宇宙の女王」を目指すというアメリカ大統領選立候補の万倍すごい出しゃばり行為に無理なくスムーズに搭乗することができるのです。
かつ、主人公は大人の女性の常識として「残してきた仕事」や「周囲の人間関係」や「あまりに現実離れした状況」のことをちゃんと認識して心配してみせます。「書かされた契約書」に関しても「あの状況ではまともに説明を受けたとはいえない、その契約は無効なのでは」というクーリング・オフ的なことをちゃんとサイラスに言い出しており、アンポンタンな不注意女ではないことがさりげなくアピールされています。「出しゃばり」だけでなく「自分勝手で常識のない女性」にもまた社会とプレイヤーの目は厳しいものですから、そこをうまく解除しつつ導入が進むのはストレス管理です。
(また、主人公は現代の大人女子らしくなんと守護聖たちを呼び捨てで話していくことになります。確かに攻略対象全員を「様」呼びとかいまどきなんなのって感じだものな。そうして親しみをもたせつつの、レイナのほうは「昔から女王信仰の伝説に興味があって憧れていたから」という理由から様呼びと敬語を継続すると選択。初代からのプレイヤーの中にはレイナのような感覚の人もいることでしょうから、古式ゆかしいレイナがいることで「近頃の若い子のフランクさにはまったくついていけないわ……」と放り投げなくてもすむようになっています)
ところが、そんな「自分の意思で参加を選ばなくていい」という受動的な女性に配慮の行き届いた導入でありながら、プレイヤーはゲームのあらゆるシーンを通して「選択すること」に慣れていくようにしむけられます。「教育」というか「トレーニング」というか、丁寧に段階を踏んだ選択のレッスンのようにゲーム全体が作られています。
飛空都市にペガサスでさらわれてきて気絶コンボまでかました後の主人公は、サイラスに「アンケートのようなもの」と言われて6つの質問に答えることになります。「選択肢式アンケート」から始まるというのが実にうまい。現代日本人は自分で選択することを忌避しながらも、質問に選択式で答えるアンケートは大大大好きなのです。これはマーケティング的にも事実です。
心理テストとかみんな好きですよね。出しゃばって自分から話して傷つきたくはないけれど、誰だって自分のことを聞いてほしいしわかってほしい……、確固たる自分は持ててないけど、本当の自分を探したい……、というわけです。その質問の答えが積み重なって「自分がどういう人間か」がかたちづくられ、他人との関係性の相性が決まっていくというのはまるっきり「占い」のカウンセリングを受けるときと同じ心地よさがあります。そして「プレイヤーの選択の入力に対して、適切でなんらかの楽しみのある出力が返される」ということこそが、ビデオゲームという文化の本質なのです。
サイラスのアンケートの後にも、主人公は「大陸の民をどのように導くかあなたが選択していく」と言われてチュートリアルをしたり、守護聖の価値観に関する話題に反応を返し自分の価値観を表明したりといった「自分らしさの絶えざる選択」を簡単操作で行い、適切な反応を返されていくことになります。
『アンミナ』と主人公アンジュは、「自分が何を望んで行動しても、どうせ何も変わらない」といううっすらとした無力感に覆われた今の社会に生きる、自己効力感の低下したプレイヤーにもう一度望む人生を選ぶ筋力を取り戻させる、いわば「リハビリ施設」として設計されているのです。
深化した育成システム
「人が持つ唯一絶対の力。それは自らの意志で進むべき道を選択することだ。
お前は常に人にとって最良の未来を思い、自由に選択していけ」
……『アンミナ』の誰のセリフかって? 竹内良太さんの声だからロレンツォですね……嘘です。これは『エルシャダイ』のルシフェル(CVは本当に竹内良太さん)のセリフです。
主人公は別にすごい人間でなくても、エルシャダイでイーノックが神に愛されたように宇宙意志になぜか愛され、「自分らしい選択をしていく人間」の代表として大陸の未来のために毎日の最適解を探し、道を選択していくことになります。
『アンミナ』には初代アンジェリークを彷彿とさせる要素が多く、明らかに意識されています。性格は違えどレイナの生まれながらのエリートぶりやカラーリングはロザリアを思わせますし、大陸を育成するという課題は初代と同じ、きわめつけに主人公の育成する大陸のデフォルト名前「エリューシオン」も初代のコミカライズなどでアンジェリークが育てた大陸のデフォルト名と同じなのです。
そしてダメ押しにこのセルフパロディをかましてくるしまつ。
(『アンジェリーク』(ゲームボーイアドバンス版)より)
この大陸の神官くんが↑こういうこと言ったんです。
そんなふうに初代アンジェリークを思いながら育成を始めてみて何を思ったかというと、「これ、初代のコミカライズで見たやつだ!」です。「初代のゲームで見た」ではないところがミソ。
宇宙には9つのサクリアのバランスというものが存在します。コミカライズの『アンジェリーク』ではアンジェリークがバランスを失した育成をしたせいで大陸の民に苦労をさせてしまったり、「民の心が技術や文化に追いつかない」「民の望みを叶えてばかりで良いとは限らない」というようなことを守護聖たちにアドバイスを受けて悩んだり、女王の力の衰えとともにバランスを崩しつつある宇宙の問題に守護聖たちが緊迫し目を光らせていたり、はたまた守護聖交代や女王就任にともなう切ない恋や別れのエピソードがあったり……という「宇宙の女王になること」のドラマ性がふんだんに描かれていました。
しかし、初代アンジェには当時の開発の限界もあり、そういうドラマティックなことは「設定としてある」「匂わされる」レベルにとどまりゲーム上の表現としては盛り込まれてなかったんです。だから極端な話仲良くしてる2~3人の守護聖の力ばかりがバカスカ贈られても問題なく建物が増え、そんで女王になるというそんなんでいいのか宇宙の女王って!?というようなことも、極端とは言ったもののスゲーざらにあるプレイ状況だったのです。闇と水の力ばっか送り込まれ眠りと癒しにしか興味のない大陸や、緑と鋼の力だけのものすごい即物的な物質文明とかができてもなんの問題もない育成システムだったんですよね。だからコミカライズを読んでは、「実際はこういうことが起こっていて、あれはゲームの容量上のデフォルメだったんだなあ」と胸をときめかせていたものです(政治歴史経済に胸がときめくタイプ)。
そんなわけで、物語上の心としては大陸の民のことが心配で見に行きたくても、システム上は大陸の民草どもが何を求めてるかなんて関係ねえガハハ!式だったため、「土の曜日の視察」というのもぶっちゃけ「なんか知らんが行かんとならんらしいから行ってる」「パスハとかエルンストがコエーから行く」にすぎなくも思えてしまうところがあり、場合によっては女王候補の仕事の予定を平然と邪魔してくる曜日のわからない守護聖の訪問があれば部屋デートで一日をつぶしたりするよくわからん半ドン(死語)の日だったのです。
それがどうだ、今作ではコミカライズ『アンジェリーク』に描かれ本編では省略されていたあの「刻一刻と変化する民の望みと心の成長」「大陸の力のバランス」「力のバランスが崩れた際の問題解決」というドラマと考えがいのある政治要素がシステムとして取り入れられている。アンジェの世界だ!アンジェの世界にいるんだおれは~!
そしてその結果、あの義務的な存在だった土の曜日の視察で手に入る情報のなんと貴重でありがたく感じられることか! 王立研究院、最高! 情報は最強の武器! そういう「女王として当然の感覚をゲーム性を通じて持たせてくれるシステム」に大感謝!!
どんな力でもとにかく量を送れば大陸が発展し勝てちゃうのではなく、毎日変わる民の望み、力のバランス、民の心の成長、今日、明日、送り込みやすい力があり、プレイヤーは自然とタブレットとにらめっこをしたり王立研究員に積極的に通ったりして毎日の行動を選択していくことになるでしょう。
そこでは「何をしたって変わらない」などということは絶対になく、われわれはさまざまに悩みます。しかし、何をしても取り返しのつかない間違いというわけではなく、あなたの選択はたとえ失敗しても周りの人に支えられ、宇宙に祝福されています。「あなたがあなたらしくある」ことで、宇宙は救われる。
「あなたらしくある」というのは欲望のままにダラダラ過ごすということではなく、「他人からの不当な圧力を受けない環境で自分なりにせいいっぱい考え、自分の選択で仕事を進められる」ということだったのです。
ルミナライズ マイライフ
プレイヤーであるあなたは『アンミナ』において無数の選択をし、それはすべて「あなたはどんな人なのか」「何を望んで、世界にどう関わっていきたいのか」の意思表示を形成していきます。
ところで、『アンミナ』は初代アンジェリークを意識して作られているとさきほども話しましたが、初代と似た特徴のひとつに「守護聖どうしの仲の良い相手の組み合わせが同じ」があります。ジュリアスとオスカーが仲が良かったようにユエとシュリはお互いに信頼できる守護聖と思っており、ロレンツォがルヴァのように鋼や緑や夢の守護聖と相性がよさそうなところまで同じです。
そして、初代アンジェリークでの「選択」といえば、おなじみ「公園デートでの質問」の悪夢です。そこでは育成状況から価値観までさまざまな二択クイズに答えさせられ、その答えがそいつのお気に召さなかったらそのデートはそこでおじゃん、気分を害されて帰宅だったのです。つまり具体的に言えば、ジュリアスに「クラヴィスとオスカー、そなたならどちらを信ずるに足ると思う?」とか聞かれたら全く心にもなくても「オスカー様です!」と元気よく答えてご機嫌をとらなければそこでその日は終了していたということです。それ以外にも、選択肢は基本「相手の価値観に合わせる」というのが当たり前でした。圧迫面接かよ! パワハラだよ!
「相手の価値観に合わせた答えで攻略する」のなんて、恋愛ゲームなんだから常識ともいえるかもしれません。ときメモガールズサイドとかのコナミゲーもそれで容赦なくデート失敗しますしね。しかし、ゲームじゃなくて人間関係だと考えてみるとそれって不自然でパワやモラがハラった関係性なんですよね。人と人との関係って、日々少しずつ関わり合い、お互いの違いを知ったり影響を与え合ったりして、合わないところがあっても親愛の情を深めながら折り合えるポイントを探していくものだと当方はおもいます。
そうした意味で『アンミナ』が革新的なのは、「相手の価値観に異を唱える選択をしても、人間関係としてそれもアリアリ」だということがシステムで表現されているという点です。『アンミナ』の中で繰り返される選択の中には、守護聖の価値観を少しずつ散発的に知っていくイベントで「首を振る(異議)」「黙って聞く(傾聴)」「うなずく(同意)」の3つのうちから態度を選択する、というものがあります。従来の作品であれば基本戦略は「同意」だったわけですが、このようにして3つのアクションを常に提示されると「うなずくだけってのもなんかおかしいな……」と気付きます。そして何より、「異議」の態度をとってもアンジュは感じ悪い反論ヤローになるとかではなく「私は〇〇だから、そうではなくて△△です」と異議なりのコミュニケーションをとってくれて、守護聖はそれに「そういう考え方もあるのか」と「興味」を示す状態にシフトしたことが表示されるのです。ちなみに同意すると「共感」にシフトします。
違う価値観の相手に「興味」をもつのも、似た価値観の相手に「共感」をもつのも、どちらもポジティブなイメージの言葉選びですし、どちらも恋を育みそうなキーワードではありませんか。われわれプレイヤーは、自分の価値観を、自分らしい魅力を、自由に選択していいのです。それがあなたのすばらしさであり、ずっと相手の顔色をうかがって嘘をついたり、本当のことを言ったら嫌われるのではと抑圧したりする必要はない、ただ自分を一生懸命生きればいい――と、『アンミナ』はプレイヤーの背中を翼となって押してくれるのです。だってそれが、人と人が出会って関わり合うということだから。
『アンミナ』のオープニングはマンガアプリのプロモーションみたいな「疲れて先が見えない生活……」「突然の異世界転移!」「私どうなっちゃうの~!?」から始まりました。白黒マンガだった世界は、女王候補の契約書にサインしユエがペガサスに乗って迎えに来た瞬間、宝石の輝きのようにあざやかな色にあふれ、カラーになりました。白黒の世界は主人公の漠然とした不安や疑問や閉塞感や、「自分自身を生きられていない」ことに気付いてさえいなかった世界だったのです。
今作のインターフェースは(やや操作性と統一感が微妙ではありますが)、「宝石のカッティング」をコンセプトとしたデザインが随所にちりばめられています。主人公が大人らしい女性に羽化する年齢であることにもジュエリーは似つかわしいですし、ともすれば魔法少女みたいになりそうなコンパクトタブレットの本物の化粧品のようなカッティングデザインもいい。9人9色のバラバラのカラーやデザインをもつ守護聖たちがとっちらかりがちなのを「色とりどりの宝石」のようにまとめるコンセプトとしてもいい感じです。
そして、主人公・プレイヤーという「灰色だった原石」は、たったひとつのユニークな宝石です。それは価値観や行動をプレイヤーが「選択」していくことで輪郭をカットされ、カッティングの果てに虹色の光を放つ宇宙に一つしかないジュエルとして輝くでしょう。
『ルミナライズ』――とは、英語発音ですが英語的にはあまり聞き慣れない言葉に感じます。常識的に考えれば「luminary(ルミナリー、光輝くもの)」に「-ize(~化する)」という動詞形をつけたものでしょう。
「光り輝くものに変える」――そう、主人公アンジュの人生を、プレイヤーであるあなたを!
「ルミナリー」は物理的に発光するものという意味だけでなく、「輝くばかりの指導者、著名人」というニュアンスも含まれて使われます。最近のゲームでは上の、ドラクエ11の主人公「勇者」を表す英語のコトバとして選択されたことが印象深いです。
さあ、あなたの中のあなたらしい色、眠れる偉大なリーダーシップを切り出すカッティングは、ほかならぬあなたの選択。飛空都市という行き届いた宝石工房で、ひとつ自分だけのハートを磨いた輝きで身を飾り、恋をしたったろうじゃないですか!
【追記】買って一周目女王エンドしてみたよ雑記
↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです
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