湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「恋愛」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑥

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「恋愛(Ⅵ The Lovers)」のアルカナの記事です。歴代の「恋愛」アルカナのキャラ、リサ・シルバーマン、岳羽ゆかり、久慈川りせ、高巻杏の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

 

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。今回の記事では『4』『5』で指定されたことのある公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しますので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、再販してます。

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『ペルソナ』シリーズの中の「恋愛」アルカナ

 ペルソナシリーズは第一作『女神異聞録ペルソナ』からタロット大アルカナになぞらえてキャラクターをデザインしてきました。特に一作で大アルカナすべてにキャラクターが当てられるようになったペルソナ3以降は「今回の〇〇アルカナ枠」みたいな「キャラ枠」の見方をすることができるようになってて、ある程度役割の文脈をみることができます。戦隊ヒーローで赤がリーダー主人公みたいなやつ。

その「役割の文脈」の中で、ペルソナシリーズのテーマど真ん中となる思春期の若者の自意識と、人を惹きつけるを担当するのが、「恋愛」アルカナのキャラクターです。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「恋愛」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

ペルソナシリーズにおいて「恋愛」アルカナのキャラクターは一貫してルックスのいいパーティの「華」です。「女教皇」アルカナと「戦隊もののピンク」的なヒロイン成分を二分する存在といえます(たまに文字通りの「戦車」がヒロインをかっさらっていくこともあったが……)。

主に男性を想定されているプレイヤーにとって目をひく魅力的な客体であり続け、「心の深層」や「教育的で清楚な母」である女教皇アルカナや「グレートマザー」である女帝アルカナへのマザコン的憧れとも違った同世代の異性、未知なる他者との遭遇が、「恋愛」アルカナです。

当然「父母ではない同世代の異性」との出会いは、自分を甘やかしてはくれない辛口のものであることもしばしば……。

 

「恋愛」の元型

 まずはカードを見てみましょう。

 左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「恋愛」のカードです。ペルソナ意外だと「恋人」「恋人たち」と呼ばれることが多いです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。

『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版をベースとしたカードに変わってますが、ペルソナ版タロットはかなり大胆にシンプル化するアレンジがされているので、制作側がカードの本質をどうとらえているのかがダイレクトに伝わっくる~~。

共通して描かれているモチーフは若い男女とそれを上から見る天使のようななにかです。マルセイユ版では三角関係キューピッドの恋の矢が介入しようとしており、ウェイト版とペルソナ版では女性の側にリンゴの木と蛇らしきものが描かれていて、アダムとイヴが知恵の実を食べて男とか女とかの分別を得てしまい原罪を負って楽園を追放されたことを示しています。

 

「三角関係」であれ「楽園追放」であれ、このカードは選択の時が来ていることをあらわしています。しかも自分の意思で

歩き出したばかりの無垢な子供は、「魔術師」のバイタリティ、「女教皇」の神秘、「女帝」の愛、「皇帝」の評価、「法王」の道徳を学習してきて、もはや家族や先生から正しいことを教わるだけの段階を終えようとしています。人間の子供であれば思春期を迎えるころ。親や周りの決めつけへの反抗心をもったり、周りが言うのではない自分なりの答えを選ぼうとしてもがき始めます。

「正しいかどうか」ではなく、「自分が好きかどうか」という尺度で選べるようになるのです。しかもそれは「ヤダー! ごはんじゃなくてパンがいいのー!」と言って親に「はいはい、パンですね」とか「ワガママ言うんじゃない!」とか対応されていた「好き」とは違い、自分で責任を取らなければならない選択です。

三角関係は選ばなかったほうの異性と別れることになり、知恵の実を食べたアダムとイヴはもう何も知らなった楽園に戻ることはできません。不可逆な選択の痛み……それが大人への第一歩です。

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限界/対立物

 タロット大アルカナの中でも「最初のほう」、つまり1番~7番くらいまでの段階のカードは特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)が描かれていてわかりやすく個性的なため、『ペルソナ』シリーズの仲間キャラクターは伝統的にこれらの神話的な元型から作られています。パンチがきいてて誰にでもわかりやすいからな。

「恋愛」アルカナには神話的な「人物」というより「展開」がこめられています。お姫様と王子様が出会い、結合するという多くの物語です。特に、お姫様や王子様が大人になっていく時の流れにつれて妬みや呪いを受け、追放されたり仮死状態におちいったりして、パートナーと一緒になってハッピーエンディングという物語元型に描かれる思春期の限界衝突は「恋愛」アルカナに属するものです。

『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『かえるの王様』『美女と野獣』などなどですね。

 

 タロットは7枚周期で似たテーマがらせん状に繰り返されるという考え方があります。「恋愛」アルカナの7枚後のカードは「死神」で、そのさらに7枚後は「審判」。この3枚のテーマは「限界との直面」「完成された世界を壊して新しい世界へ危険な一歩を踏み出そうとすること」といえます。「恋愛」で出会う限界とは家族でも先生でも幼馴染でもない「異性」「他者」のことです。あるいは、大人になっていく未知の自分自身。自我が芽生え始めたばかりの子供にとって「他者」「変化する自分」というのは「死神(自らの命の限界)」や「審判(人生の総決算を天にゆだねる)」と同じようにオーバーコントロールな脅威だということです。

それらの脅威に少年少女はショックを受け、死の宣告を受けたかのように拒絶反応を起こしわめいて惑い、さなぎを作って仮死状態になったりしながら、やがて自分の選択を受け入れます。もちろん、「さなぎ」の期間が長いことや、さなぎのまま羽化できず死んでしまう蝶もこの世には多くいるでしょう。そのぐらい「恋愛」の段階は危険な挑戦でもあります。

 

『ペルソナ2 罪』リサ・シルバーマン

 リサ・シルバーマン、通称ギンコ。主人公達哉と同じ学校の一年後輩ですがあんまり後輩って感じはしません。タッちゃんたちがあんま高校三年生って感じがしないからな……。ペルソナ使いの仲間です。

アングロサクソン白人の両親をもち、見た目的には完全なる白人なのですが、日本文化を愛する両親が日本に帰化してから日本で生まれ育ったため中身は日本人で、英語がぜんぜん話せません。でも見た目的に周りからの英語ペラペラなんでしょ圧を感じるため、英語ができないことをコンプレックスに思って周りにはできるふりをしてしまうことも。

実は『源氏物語』などの日本文化が好きで着物も着つけできるという日本人平均を大きく上回る大和撫子なのですが、両親への反発心もあって表向きカンフー映画や広東語に傾倒しています。

 

将来の夢はお嫁さん

 ギンコは主人公であるタッちゃんに思いを寄せ、彼を「情人(チンヤン、広東語で愛しい恋人、ダーリン)♡」と呼んで彼のお嫁さんになることを目指しています。

占星術の4つの星座がキーになった『ペルソナ2』の4人の仲間の中ではギンコはおうし座を担当し、おうし座は彼女の後期専用ペルソナである愛と美の神ヴィーナスの守護する星座です。おうし座とヴィーナスの司る愛、執着心がよくあらわれて、愛する人と結婚することをハッピーエンド目標とするとはなんとも「The Lovers」のアルカナの女です。本編の中でなんかアイドルになって歌デビューしちゃうんですけど、人を魅了する美しさと芸術性ももちろんヴィーナスと「恋愛」の司るものです。

また、初期ペルソナの「エロス」は原初の情動を司るギリシア神でありヴィーナスの息子神クピド(アムール)と同一視されます。クピドとはすなわちキューピッドのことですから、

これの上にいるやつですね。

マルセイユ版の「恋人たち」アルカナのキューピッド的な天の使いは、二人の女性のどちらを選択しようか揺れる男のところに矢を放とうとひきしぼっています。キューピッドの神具である弓矢には「見た相手を愛してしまう矢」と「心が鉛のように動かなくなる矢」のふたつがあります。これがそのどっちなのかはわかりませんが、どっちにしても最終的には損得勘定や道徳ではなく、神からもたらされたかのような「情動」の力によって、人生の選択のふんぎりがつくことになるでしょう。

ギンコはタッちゃんを愛し、執着し、結合しようとする情動のパワーによってエネルギーを得ています。そりゃかわいくて達リサ人気出るわこんなん。しかし、親的な秩序への反抗と自立を志向する女の子が「恋」をオトナになることだと考えるのにはもちろん危険な側面もあります。ギンコは父親に対する反発心というある意味での異性親コンプレックスの歪んだ発露としてオッサンたちから美と若さをウリに援助交際的に金を巻き上げて自己嫌悪という、反抗期と「恋愛」の悪用の合わせ技みたいなドツボにも片足をとられています。

ギンコが登場した時期を含む、80年代からケータイ小説全盛くらいまで、少女といっていい未婚未成年の女性の性行動が自由でオトナでカッコいいことのように描かれるのが流行りました。もちろんこれは暴力被害や妊娠などで女性にとって圧倒的にリスキーなだけでなく、大人から見たら全然オトナじゃない何やってんの……的なコドモの挙動なんですけどね……。

 

周囲の勝手、自分の自我

 ギンコは今や輝くばかりに美しく人の憧れを集める自分の容姿に対して複雑な思いを抱いています。小学校くらいのころには「皆と違う」ということでからかわれたり遠巻きにされる原因になった白人の身体的特徴が、高校生になった今はカッコいいとことさらに羨望され、皆の近づいてくる対象となっているからです。また、外見に反した大和撫子教育だけを与え内面と外見の解離をまねいた両親の方針も自分の苦しみの元だと反発しています。

「まわりにどう見られているのか気にしだす」というのも思春期の若者の自我の芽生えを意味する「恋愛」アルカナの特徴です。人から見られる「キャラ」に拘泥したり、ファッションに血道をあげたり……。「恋愛」が若者の社会的仮面を描くペルソナシリーズ「らしい」アルカナであるゆえんです。周囲の目や期待に振り回されて、ギンコはさまざまな違和感をおぼえ、嫌悪します。

「どうして両親は私を皆と違うようになる環境に生み育てたの?」

「見た目が違うだけで仲間外れにされなきゃならないの?」

「急に『変だ』から『カッコいい』に態度を変えるの?」

「私の見た目とか白人でカッコいいとかの外側の印象しか見てないんじゃないの?」

「外見で中身を決めつけないで、本当の私を見て」

「でも、嫌な私は見ないで!」

おうし座とヴィーナスの司るものは愛や執着心のほか、不快に対する拒否感の強さがあります。情動ですからね。人を駆り立てる気持ちは愛のほかに違和感や嫌悪感も大きな力をもちます。ギンコは自分の見た目に過剰に反応する周囲をたいへん不快に思いながら、しかし自分自身も序盤は「ルックスがよくてクールで人気の男子だから」といううわべの価値に惹かれてタッちゃんを好きになっています。そんな自分の矛盾にどこか気が付いていて否定したいから、ますます他人の目線が疎ましい……。

ギンコはカンフー映画を好んで両親へのあてつけ的にインチキ広東語を多用します。友達が期待する流ちょうな英語でも、親が期待する美しい日本語でもない、自分が好きで選んだ言葉がほしくて。親のやり方への反発や、周囲の認識している自分とのズレの違和感、これまでの自分への嫌悪はネガティブ感情のようですが、そうしたシャドウの力こそが自分らしさを選択する原動力になるのです。

はじめの手探りはギンコの広東語のように付け焼刃で浅はかなものかもしれませんが、最初はそれでいいの。

 

『ペルソナ3』岳羽ゆかり

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 岳羽(たけば)ゆかり、高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナ使いの仲間です。

学校では群を抜いてルックスがよいと評判のさわやかでフレッシュな美少女。数年後にはモデル業やアクション女優をやっているほどです。主人公が物語の舞台に越してきて初めて出会った人であり、寮や学校を案内してくれますし初期パーティーメンバーです。最初の戦闘も立ち向かおうとして倒れた彼女を守るための戦い。とてもピンクなので目で追いやすいし、回復魔法も使ってくれるし助かる。ゆかりっちがこのゲームのかンわいいヒロインちゃんってわけかぁ~~。把握~~。

と、そうは問屋が卸さなかった。

 

お母さんみたいにはならない

 順平や風花もそうでしたが、ゆかりは自分のアルカナの逆位置的な性質をもつ親に、自分にもある嫌なところを見せられてイヤだ~と悩んでいます。

ゆかりの母親は資産家のご令嬢で、研究者であったゆかりの父親と結婚して経済的に支えたり、ゆかりを授かって大切に育てたり、とても仲良く幸せに暮らしていました。父親が不名誉な死を遂げるまでは。「恋愛」アルカナのあらわす「結婚」「結合」の幸せは、好きな相手に何かあれば瓦解してしまうものでもあります。

しかも、ゆかりの母の場合、実家が太いので別に生活は瓦解しません。ヘロヘロになってしまったのは、心。ゆかりの母は大好きなお父さんがいなくなって傷ついている娘の心をケアするのではなく、自分の心を埋めてくれる新しい恋人を求めてしまいました。パートナーを求める心はけっこうですが、愛を求める娘心が大人としての道理や責任にまさるようでは子供はすごく傷つきます。たとえ生活に不自由がなくても。

深く愛し合った夫のことを忘れたふりして付き合う男とは長続きもせず、自分をごまかすために次々男にすがりついて生きる心の弱い母親をゆかりは「最低な人」と呼んで嫌悪します。ゆかりが弓道をやっているのは「かわいいだけでなく強くてりりしい女性」になりたいという母親への反発を含んだ理想の自己像があるからです。

しかし、ゆかりのペルソナ「イオ」は強くて自立したりりしい女性とかではなく、巨大な牡牛の仮面に鎖や枷でつながれた哀れで華奢な巫女の姿。ギリシャ神話の娘イオはゼウスに犯されたためにゼウスによって牡牛に姿を変えられ、放浪するはめになったという恋や男に翻弄されるか弱い女性そのものです。ゆかりも本当は心細くて、お化けとかもダメで、「大好きなお父さんのことを知るためにがんばる」という柱にすがらなければ怖くて戦えない女の子なのです。でもそれを否定したくて、バランスを崩すほど背伸びをする……。

 

激情

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 個人的な話をすると……まあ「恋愛」アルカナは個人的なことをあらわすからいいよな……実は当方は最初ゆかりのことすごい苦手でした。ゆかり、怒るから。

そのときの当方は嫌いな人とか嫌いな作品とか特になくて、イライラして拒否感をあらわにすることは無益だとおもっていたんですよね。でもゆかりは優しくされたことにも違和感があればキレるし、理屈とかじゃなくて不快なことには遠慮なくギスるし、「苦手なものは特にないと思ってきたが、『嫌なものを嫌と言うゆかり』が嫌なんだ自分は……」と気付かされたのでした。

つまりそれがそのときの僕の限界だったんですよね。「正しいこと」「優しいこと」「道理に合うこと」だけを生きていて、まだ自分の好き嫌いをスパークさせていないイイコちゃんだった。

え~~~ッ!「傷ついて心細い思いをしている女の子にそっとよりそって優しくしようとした(ボディタッチなし)」という特に怒られる要素のない状況でいきなり怒鳴られ、しかもどう選択しようが絶対に怒鳴られ、イイコちゃんだったおれは理不尽にたいへんなショックをうけた 大人の階段である。「悪いことしてなければ怒られないはず」なんて子供の世界ですからね。

「限界/対立物」の項で、「恋愛」アルカナは思春期に家族でも先生でもない他者や自分の変化に直面してショックを受ける段階を意味していると述べました。

そういった意味では「恋」とは自分の限界や対立物、言ってしまえば「敵」「恐怖」に出会うことと似ています。そして自分を受け止める親でも適切に導いてくれる先生でもない、自分の好きなことも嫌いと言い手を差し伸べても気持ち悪いと言う惣流アスカラングレーこそが他者で、ボーイミーツガールは決してホワホワしたものではなく戦いじみてもいます。

 

 ペルソナ3の後日談にあたる『エピソードアイギス』では、ゆかりの「激情」「対立物」の性質がさらに大輪の花を咲かせます。詳細は省くのですが苦しみを捨て去るために人の心を無くしたいと無意識に思うようになったアイギスと対置する存在として、ゆかりは同じく目をそらそうとしていた心の傷に勇気をもって目を向け直し、思う存分苦しんだり怒ったりなりふり構わない態度を見せたり泣きわめいたりします。その激情、事実上のラスボス(刹那五月雨撃、メギドラオン)。「対立し合い、痛みを感じることも絆」というエピソードアイギスのテーマにおいてまさしくゆかりはヒロインでした。

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「ゆかり」という名は「縁」を、人と人とのつながりを意味します。対立するからこそ、限界があるからこそ、たとえそれが罪や痛みであっても、人は自分とは違うなにかに恋をするのです。

「恋愛」アルカナの司ることに「性(セックス)」「美への愛(エロス)」がありますが、性とは根本的には生殖行動や淫蕩のことではなく、「ちがい」「対立性質」のことです。男と女でなくとも、身体的接触に対する欲でなくとも、「自分とは違うなにか」にその違いがゆえに心を惹かれそれを美しいと思うとき、そこには「恋愛」が、ロマンティックがあるといえます。

だから、ゆかりの怒りや拒絶がイイコちゃんだった自分にはない鮮烈なピンクスパークの炸裂なんだって気付いたときから、僕はすっかりゆかりに恋をしたのでした。

ブルーのテーマカラーの中でのこの目に痛いほどのピンクさ! カッコいいぞゆかり!

 

『ペルソナ4』久慈川りせ

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 久慈川(くじかわ)りせ、高校一年生でアイドル。一時休業し、主人公の通う学校の後輩となります。ペルソナ使いの仲間です。家は商店街の豆腐屋。お豆腐は美容にいいんだなあ。

「ナビとして応援してくれるのがアイドル後輩だったらいいよね」発想で誕生した「恋愛」アルカナのナビゲーターキャラ。初期ペルソナの「ヒミコ(卑弥呼)」は「神の声を受け、人に届ける者」としてナビに合っていますし、「鬼道に仕え、能く衆を惑わす」という多くの人の心をひきつけ扇動するアイコンの性質もなんともアイドルらしいです。

 

「私」って誰?

 主人公との初対面時、りせはアイドル業に疲れて田舎の祖父母の豆腐屋に引っ込んできて、ダウナ~~な感じになっていました。オーラが消され、彼女をよく知らない者からはアイドルの「りせちー」だと気付かれないほど。別にクソデカメガネをかけているわけでもなく、髪型すら変わっていないのに。

この場面には、彼女が放つことのできる「アイドルの美」というものがいったい何なのかが端的に示されています。それは顔や体の美しさをさらに大きく覆う、「見る人を意識した、適切な愛想」「注目を集め、心をとらえようとする意志」です。それをまるで出したくなくなったりせはどんなに顔がかわいくプロポーション抜群でも存在感的にはふつうの女の子以下となります。ふつうの女の子でもちょっとは周りを意識してよく見られようとするものなので。

りせが仕事を田舎に休んで帰ってきたのは、そういう「見る人への魅せ方」を完全にプロデュース(生産)された「つくりもののお人形」であるアイドルをやっていてアイデンティティがわけわからなくなったからでした。アイドルなる仕事は自分の気持ちを出すのではなく言われた通りの「つくり」のキャラを演じて人に見せ、しかもお芝居ではなくそういう人格の人間だと思われるわけで、ローティーンの子供が膨大な人間にそういう目を向けられるのって心によくない商売だよねっておもう。りせも、

「言われたままの人間になって周りにそう思われて、私ってなんなの? 演じてばっかりで本当の自分を誰も見てくれないし、自分でもわからなくなってきた……」

と心の調子を崩したのです。

りせのペルソナ「ヒミコ」の「仮面」に当たる部分が、顔を刺し貫くようなアンテナになっており、そのうえでヒミコが手に持った「王冠」がりせにバイザーのような仮面として被せられるのは象徴的です。つまり卑弥呼にとって女王である仮面と情報をキャッチするアンテナと王冠は同じものだということです。古代社会の王って人気商売なところがあり、世の流れや民の気持ちをうまく汲み取って支持されなければ廃され殺されて食べられちゃうことさえありました。それは、アイドルと同じ……。

 

豆腐屋りせちー

 りせは「仕事の作り物じゃない、本当の私というものがあるはず。私をもっとちゃんと見て、誰か本当の私をみつけてよー!」というシャドウの主張と向き合い、「『本当の私』なんてものは『もとからある』ものじゃないのかも、それでいいんだ」と認めてペルソナに目覚めました。

このりせの気付きこそは、ペルソナシリーズ共通のジュブナイル的テーマを端的にあらわしています。90年代からゼロ年代にかけて若者の間で「自分探し」という言葉が流行しましたし、自我に目覚めつつある少年少女は「親の前での自分」「クラスの中での自分」「親しい友達といる自分」「好きな相手に見せたい自分」などの顔が違ってきていることに気付き、一体どの自分が本当の自分なのか、「本当の自分を探して悩む」段階を踏むものです。大人になっていろいろ諦めると本音と建前でフワッとごまかしちゃうようになるから、こういう時期の悩みのパワーこそがペルソナの力の出どころなのです。

しかし、生まれつき決まっている「本当の自分」や「天職」、「運命の人」などというものは、実のところ世界のどこを探しても存在しないのです。生きていく中で偶然出会った状況や、他人や、たまたま求められた役割に応じようとして選んだ仮面……すなわちペルソナの積み重ねで、何物でもなかった自分に結果的にカタチが与えられていくだけのことです。

飲み込みの早さ、空気を読む力、時には強く、時には弱く見える繊細な笑顔…
何より、歳離れした演技力…
他の子がどんなに望んでも行けない高みに、君は行けたハズだ…
――『ペルソナ4』元りせのマネージャー 井上実

選択に運命的な意味がある必要はありません。逆に、すでにあった過去の自分のあり方をすっかり捨てて本当の自分に生まれ変われることもありません。なんかなりゆきでそうなったのであっても、その選択のタイミングやパターンが絶対に人生によって違う固有のものであるがゆえに、人はとりかえのきかない唯一無二のものに「なっていく」のですし、なんか人から求められてやって喜ばれたことがその人のかけがえのない仕事になっていくのです。

 

 仲間になったりせはパーティー内の力関係を瞬時に感じ取り、「この人に頼って好かれるのが一番いい立ち位置そう!」とばかりに主人公に甘え媚びる後輩キャラを素早く確立します。それは悩んだりせが求めていた「まったくの素の自分」ではないそういう「キャラ」ですが、確かに「マネージャーさんに言われた」からでも「みんなが求めてくる」からでもない、「自分がそこで生きていくのにいい感じと思って選んだ」仮面でした。

りせは個人コミュの中で「高校卒業したら先輩と結婚してお豆腐屋やって、アイドルとは全然違う私になるんだもん」という嘘設定への逃げや「自分はいろんな自分を否定して、そうありたい自分に次々逃げてるだけなのかも」という悩みを抜け、「全部の顔が本当の私」と認めて心から芸能界に戻ることを選びました。

りせのおばあちゃんはりせのことを「お豆腐みたいだね」と言いました。「もろくて崩れそうなのに、案外しっかりしてる」「他の食べ物と似てなくて個性があるのに、どんな食材にも味にも上手に馴染むお豆腐はすごい」と。お豆腐であるりせが外界と接して応じたときにできる味こそりせそのものであり、グルメの世界はそれをマリアージュ(結婚)やペアリングと呼ぶんだぜ。

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

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『ペルソナ5』高巻杏

 高巻杏(たかまき・あん)、高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナ使いの仲間です。

ホワイトアメリカ系クォーターで、アンという名前のスペルも「Anne」。怪盗団の中のコードネームは「パンサー」で個人カラーは赤とピンクということで、いやがおうにも怪しげな泥棒的シーンにお決まりの↓あの名曲↓を生んだアメリカ映画『ピンク・パンサー』を連想させられます。あれに「怪盗ファントム」というキャラクターが登場していたのでしたね。アルセーヌ・ルパンと並ぶ怪盗の元型です。

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反逆者や革命児のイメージの人物をモチーフとしたネーミングのペルソナ5の中では「伝説の女海賊アンとメアリー」の片割れアン・コーマック(アン・ボニーとして有名)から名前がとられています。

 

美の化身

 豊かで明るいアッシュブロンドの地毛、澄んだアイスブルーの瞳、すらりとした手足の骨格、均整のとれたボンキュッボン、独自のファッションセンス……。

杏は周りが引いてしまうほど際立った容姿を生まれ持ち、ファッション関係で働く両親のイベントでなんとなーく代役で服を着たことからモデルの仕事が来るようになったほど意識せずとも人の視線を集めてしまう美です。ギンコと違って自分の美しさを人にポエーっと見られることには慣れっこで凄味がありますが、やっぱりその容姿から周りに特別にやいのやいの好き勝手言われてしまって孤独であるというところはギンコの再話構造になっています。

ギンコがオッサンたちと援助交際的なことをしていたことと重なるように、杏は学校いちの権力者といえる教師・鴨志田となかば交際状態にありました。あからさまに鴨志田にかまわれ、甘やかされ、車に乗せられたりして、鴨志田に憧れている生徒たちからすれば特別な寵愛を受けている遠巻きな嫉妬の対象になっていました。「鴨志田先生の女」だからいい女だけど手を出せない、対等に扱って鴨志田先生の機嫌を損ねたら大変だから付き合いづらい、「そういう誘惑」によって権力のある男から特別扱いされるなんてずるいし汚らわしい……そんな視線が常に杏を刺し続けます。杏自身の気持ちなんて、置き去りで。

鴨志田以前にも、杏はその美しさに寄って来る羽虫のような権力者の男たちからちやほやされてきました。「女はちょっとかわいいだけでちやほやされて男になんでもやってもらえるんだから人生イージーモードだよな~」みたいなインセルの怨嗟もよく聞くものですが、性的な「下心」によって目を血走らせたやつらが「やってあげるよ!!」と押し寄せることは杏にとって恐怖であり、余計なお世話であり、人間ではない「獲得」すべき価値ある物品扱いされている屈辱でもあります。学校という鴨志田のお城の中の生徒たちは杏を寵愛を受ける妃のように思うけど、客観的に見たら力関係がおかしくて到底個人と個人の好ましい恋愛関係を結べるような場ではないはずです。おまけに杏を「手に入れよう」とする男たちのやることは杏を社会から孤立させる囲い込みでもあります。そのおかげで杏が本心を話せる人はほとんどいない。

ちょっと前の社会では「結婚」というものはそういうものだったんだけど。男の「あなたを守ります」というのは「価値のあるモノを他の男から守ります」という所有と独占の宣言にすぎないところがあった。「十分にお金を渡してるんだから外に働きに出る必要なんてないだろう、君はいつもきれいな笑顔で、家で僕を待っていてくれればいいんだよ(^^)」みたいな。

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そんなわけで、「不自由のない地位、保護、寵愛」を与えられた「お姫さま」は安心して王子様に従属して、昔は普通それがハッピーエンドでした。それを『少女革命ウテナ』では「薔薇の花嫁」と呼び、美しい棺の中で死に続けているも同然だと描いた。しかし杏は鴨志田の支配にあくまで嫌悪感と違和感を抱き続け、ついにおとなしいお人形として耐えているのをやめました。花嫁として棺におさまっているタマではなかったのです。

 

 「晴れがましそうでみんなが安泰な幸せだと褒めそやす道があっても、自分の心に反し、心を縛るものであるなら、激情をもって反逆しろ」というのがペルソナ5のテーマであり、それがペルソナ5における「本当の美しさ」です。

「人の欲望が生む、意志の結晶であるオタカラ」にメロメロになるモルガナは杏に一目惚れをし、祐介もまた杏を見て「君にはパッションを感じる」とモデルとして求めました。欲望嫌悪支配への反逆の意志を司る「恋愛」アルカナの杏こそは、ペルソナ5世界の美そのものなのです。

 

私だけの美学

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 杏の個人コープは「強くて本当にキレイな人になりたい」という目標にそって進みます。

その「強くなるためのトレーニング」ときたら、最初は笑っちゃうくらい稚拙で無軌道なものでした。しかしそのアホさかげんも、大人がこうするといいと言うのではない成長の道を自分なりに探そうとするがゆえの迷走なのです。杏は制服にものすごい赤いタイツを合わせていたりして、モテとか定石とか悪目立ちしちゃうかな……とかに縛られずに、自分が着たい服を着るんだぞ!というファッションに対する気合いを感じさせます。

コープの中で杏は自分の目指す女性像として「小さい頃見てたアニメの女悪役」を掲げます。世の中に支持される正義でなくとも、自分の中に持つ独自の正義、折れない心、悪いと言われることをしてでも信念をつらぬく気概とたくましさ……それが美学であると。なんか同じ真っ赤なタイツの皇女様を思い出すな……。

この皇女様のアルカナは「女教皇」なんだけど

 

 コープの中で杏は「強い人」という能力のようなものがあるのではなく、苦しくても頑張っている人、必死にもがき這い上がろうとしている人、人に格好いい自分を見せたくて心を奮い立たせる人こそが強く美しいのだということに気付きます。

自分の頭で考えて選んだ信念、自分で試行錯誤してきた過程への誇り、周りに流されない凛とした立ち姿、美しいものをたくさん吸収してきた心、理不尽への怒りと抵抗に燃える瞳。その美しさは輝く炎となり、弱き人の心に光と熱を伝えるでしょう。「モデル」とは、「ファッションリーダー」とは、人の心を美しさへ導く人のかたちをした星のことなのですから。

 

 

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ペルソナ5ロイヤルを読解実況中です。再生リストからアーカイブが見られます。

↓おもしろかったらブクマもらえると今後の記事のはげみになるです。今後もswitch版のプレイによって参考画像とか引用とか加筆充実してくかなっておもいます。

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