湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

蒼き月の亡霊―FE風花雪月考察覚書⑦

本稿では『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「蒼月の章」「剣」「亡霊」に関するテーマ考察を展開します。

 

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 「最ももの悲しく、苦く、微妙な物語」と予想して最後のシメにとっておいた、『FE風花雪月』の青獅子の学級ルートについての序盤考察覚書記事が的を射ているとけっこう評判をいただきまして(なんかグーグル検索でもいつも『いただき!ガルグ=マクめし』の次に人気です)、それから10か月も過ぎて今年も終わろうというのでそろそろルート全体についての話を書いておこうとおもいます。

ファーガスとディミトリの物語は「見当もつかない遠く見えない理想へと、遅々としても『それでも……』の手を伸ばす」ものだろうと、前回そのように予想した結論からいえば合ってたのですが、さらに細かいことについて。重苦しくて難しい話ですよ。いろんな人と永遠に別れてしまいますし。

でも、年の瀬だしね。全体的にズーンとしたトーンの話が続きますが、除夜の鐘かなんかだと思っていただければ。特に今年のような出口の見えない年の区切りと明けには王国ルートの話が合うのではないかとおもいます。

以下、全ルートのネタバレを含みます。

 

 

フェリクス=ユーゴ=フラルダリウスの両断

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 「シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエの繊細」「イングリット=ブランドル=ガラテアの葛藤」とセットです。

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 しばしば公式からも「青獅子学級の問題児」と呼ばれるフェリクスという男はTPOにかかわらず剣術のことを考えまくっていることはもちろんですが、学級という視点から見ると一人だけ級長につっかかっていくところが事案です。他学級でもエーデルガルトにはフェルディナントが、クロードにはローレンツがなにかと絡んで物言いをつけてきますが、フェリクスのようなとりつくしまのなさではありません。何より青獅子の学級は全体に王子であるディミトリを囲み仰ぎ、まとまりのある学級であることが特徴なのでフェリクスがいっそう目立つのです。

序盤の考察随筆『青き獅子の心臓』では、青獅子のクラス全体の雰囲気「主君や秩序に従い、真面目に役目をまっとうするいい子たち」という特徴が「騎士道」ひいては「ファーガス神聖王国」のライフスタイルの特徴であり、それは過酷な環境で生きていくためには集団全体でひとつの生き物のようになり、個人は臓器のようにそれぞれの意思を抑えて役割を果たしていくしかなかったという「古き良き時代」のつらい面を表していると述べました。

フェリクスはこの「古き良き」「集団協調的」な、物語の登場人物の配役に自分をあてはめるような見方や生き方を嫌い、イングリットやアッシュの騎士道ロマンをくだらんと否定します。特にディミトリに対する態度は他の誰に対してより辛辣で、「お前は昔のお前ではなくケダモノ、猪」「その取り繕った顔をやめろキショい」と過激な反応が目立ちます。この「お前が俺の解釈違い」的な数々の暴言の「理由」は、数年前内乱平定の戦にディミトリの従騎士として従軍した際に殺戮を楽しむかのような彼を見、その後ずっとディミトリの様子が微妙におかしかったからなのですが、こういうはっきりしたきっかけがなくてもフェリクスは会話相手にマジレスで「それはおかしい」「それとこれは違う」とぶった切る性格をしています。詳しくは年明けに紋章とタロットの対応記事で解説するのですが、これは彼のもつフラルダリウスの大紋章が対応する「皇帝」アルカナの「父性的な愛」「自然に対する理性」という特性です。

 

無条件に包み込む愛である母性的な愛に対して、父性的な愛は「いい悪いを評価する」カントク的な愛です。おまえのこういうとこはいい、それはおまえの目指してるものとは違うんじゃないのか、と「切り分ける」ということです。自然を切り開き、四角い論理や人工の概念を作る人間の理性もまた切れ味鋭い剣です。タロットのことなんか別に考えなくても、フェリクスが「ディミトリという獣の王にダメを出して監督する」「マジレス両断剣」だとわかるように描かれているとおもいます。

この、青獅子の学級で目立つフェリクスのトレードマーク「剣」は、蒼月ルートのキーアイテム、そしてテーマを表す象徴物でもあります。

 

否定の剣

 「否定の剣」であるフェリクスはしかし、「王の盾」と呼ばれるフラルダリウス公爵家の跡取りであり、彼が珍しい大紋章を持っている(つまり、先祖返り的に源流に近い性質を持っている)フラルダリウスの紋章は「盾竜」という竜に対応します。フラルダリウスの紋章のかたちを見ても盾の形状、対応する英雄の遺産も「アイギスの盾」。フェリクス(そしてロドリグ、ディミトリをかばって死んだグレン、当代のフラルダリウスの血筋たち)が「剣でありながら盾」であるということはストーリーだけでなくバトルシステムを通してもプレイヤーに刷り込まれます。

これはフェリクスがブンブンスパスパ振るう「否定の剣」が、正しく守る盾でもあるということを示しています。フェリクスはまだその使い方が不器用なのかもしれませんが……。ロドリグも主人公先生に「ディミトリを守ってやってくれ」「ディミトリの復讐心を最後まで否定してやってくれ」という旨のことを伝えてきます。

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事実、ディミトリは第一部の時点から復讐というある種自然の暴威のような動力に振り回されてバランスを失しています。トリミングをしてやらねばなりません。自然災害みたいになっている第二部のディミトリに対して、ロドリグが来たよ!というときの安心感というか、一番うまく扱えてるっぷりはすごかったとおもいます。ロドリグは猛獣と化しているディミトリに振り回されずあきらめもせず、「あなたがそう言ってもこうだぜ」とスパスパ適切に否定や力の切り分けを行いました。トリマー。

イングリット、シルヴァン、アネット、そしてギュスタヴ……ディミトリに近しいファーガス軍の主なメンツは生まれ持った地縁血縁への情やディミトリへの心情的近さでどうしても言動行動がモゴモゴになってしまい、理性的になりきれません。ときにプレイヤーは「おいお前らの猪だろ早くなんとかしろ」「まともなのフェリクスだけかい!」とも思うでしょうが、こうして情やしがらみにとらわれて制御がきかないのがゲーム開始時点のファーガスが示す「素朴」で「自然」な人間のかわいさっちゅうもんですよね。現代でさえ感染拡大を防ぐために一時的に一定の活動の制限をしたらいいって算出されてても、なかなか頭で考えるように気持ちを制限できるわけでもないし、ガバナンスさえテキパキ動いたりしないじゃないですか。

でも、人間、「素朴」で「自然」にがんばっていきゃあいいってもんじゃないんだよな。ということをこの王家と常に寄り添ってきた名門フラルダリウス家の存在感が示しているとおもいます。実際感染症拡大の折の今だって、「イヤね~」とか世間話して時が過ぎるのを待つだけではその後の世の中が明るくなったりはしないわけですし。

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青獅子の学級を選ぶときの魅力のひとつとして、キャラクターの個性が伝統的ファイアーエムブレムや「古き良き騎士物語」の構成に近いことが挙げられるとおもいます。特にディミトリは「どこか陰がある」と注意を促されているとはいえマルスやロイのような優しく正しき正統派ロード主人公の系譜にあります。一見保守的で、王道の安定感を与えてくれそうに見えたわけです。事実蒼月ルートは他ルートに比べたら保守的ではありますし、ディミトリも優しくて正しい王です。なんだけど、それだけではない。フェリクスやロドリグの否定の剣は、蒼月ルートのテーマの微妙なニュアンスを彫刻のごとく切り出します。

 

かたちなき愛のために

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 第一部でディミトリがロナート卿の反乱鎮圧やダスカー人差別などの「人間のきったねえ現実」のようなものに大真面目で「こんなの間違ってる!」と否定するのは、あの中世っぽい戦乱の時代の常識とか、彼が王になる者であることとかをかんがみると甘えたイヤイヤのように見えるかもしれません。最終的にどうなるのであれ、どこかで「ディミトリおまえ王向いてないよ」みたいなこと思う人が多いでしょう。エーデルガルトとクロードが革新的な思想を持っているのはパッと見でもわかりますが、このディミトリの謎の高い倫理観や人間愛もこの時代の人間としてはちょっと常軌を逸しています(常軌を逸しているので怒ると四肢もぎもぎ)。

 

 ディミトリの理想はさきほど「イヤイヤ」と書いたように「現実の否定」ともいえます。実はここにも「否定の剣」があるわけです。現実の否定というと現実逃避みたいに聞こえますが、自然を切り分けることで人間が文明を築いてきたように、「現行の自然な現実」への否定がなければ人間的な文明も倫理もこの世になかったのです。現在も世界に差別や非倫理はたくさんありますが、それをみんなが「これが現実だからさ~」とわけ知り顔をしていても進歩があるわきゃありません。僕の後ろに道ができるじゃないですけど、われわれが目指すべき人間的な道徳とか、社会のありようっていうのは本質的にまだこの世に存在しない非現実・非物理的なものだってことを了解しておかなければなりません。

先生と関わらないディミトリの性質は人間というよりも「かたちなきもの」すなわち理想とか人間愛とか、暴虐には復讐が返されるべきだという原理とかのために動いている力そのものです。彼は味覚障害と睡眠障害を患いながらも、生まれ持った無尽蔵の体力と奉仕的な性質で全然フツーで~すみたいに周りに見せてあるべき王子のつとめを果たしています。ひとりの人間としてのあたりまえの欲望の充足を失い、自分では食事のおいしさがわからなくなっているのに「食べている先生が好きだよ」とたびたび言い、周りの人間が健やかに生きていることを喜びます。ディミトリは人間が大好きで、寝てなくてもおいしいものを味わえなくてもみんなのためにがんばれる、善神のような浮世離れした性分をしているというわけです。

まあその善神の性質が、物語終盤にいたる前、死者の嘆きに突き動かされていたときには暴力的な神罰パゥワァーとして敵の首とひとりの人間としての彼自身をへし折りまくってなぎ倒すことになっていたわけなんですけど。

 

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 西洋のシンボルにおいて、蒼月ルートのキーアイテム「剣」とはまさにディミトリが指向している「理想」や「理念」の輝きを意味し、四大元素・地水火風の「風」に対応します。風元素が意味するのはかたちのないもの、夢、理想、美学、何かに向かう人の想い、そういう目に見えず人が意志して語らねばすぐに消えてしまうような理念全般です。

(こんがらがりますが「翠風」ルートはみどりが入っていることやクロードの思想からして「壁を壊して吹き過ぎて、大地を豊かにする交易の風」、地属性をあらわしていることでしょう。『風花雪月』の4ルートと四大元素については詳しくはこちら↓の記事で。)

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剣が表しているものはパワーではありません。剣は武器ですが、こん棒や槍や弓より使い勝手や威力コスパが悪く、しかし前述したようにものごとを切り分け、美しく光り輝く「すばらしい概念の象徴」として扱われてきたからです。

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騎士たちは剣にかけて誓いをなし、剣を魂としました。中世、平民でも一人前の大人はマイナイフを持ち歩き、サバイバルナイフにも食事用ナイフにも使ったものでした。ディミトリがかつてエーデルガルトに贈り、ラストシーンまで登場した「信念で未来を切り開く短剣」はエーデルガルトのくじけぬ魂を助けてきました。その短剣はディミトリとは違う道へ向かう力の一部になったわけですが、「信念」、「未来」「夢」……この蒼月ルートのシナリオやファーガスっ子たちの支援会話に頻出する、一見ボンヤリとした優等生的ワードもまた、「かたちのない非現実・非物理的なもの」なのです。

 

死せる想念

 「かたちのないもの」のソフトな不確かさをかたどる微妙な物語である蒼月ルートでは、騎士道や理想や信念とは別に、もう2面ほど鍵となる「かたちなきもの」が描写されています。

そのひとつが「亡霊」です。

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 ディミトリにだけ見えている謎の「亡霊」たちのほか、『風花雪月』では支援会話などでもオバケ怖い~っていう描写がたくさんあります。しかし、それらを総合して見てみると王国出身のキャラクターにばかり亡霊の話が偏っていることにお気づきでしょうか? 他学級ではお子様のリシテアくらいしかオバケを怖がる様子を見せませんが、アッシュやアネットは幽霊をとても怖がり、メルセデスは怪談を話し、おまけに大人で特別幽霊が苦手だと描写されているアロイスも王国の出身です。これはファーガスの風土感に関連した描写です。

ファーガス神聖王国は現実世界でいう北フランス以北東の北ヨーロッパ、ざっくりいうと昔はゲルマン系などの民族が住み、キリスト教の教化が遅くて土着の民間信仰とまじりあっていった土地にあたります。この事情はフォドラでもおおむね同じだと示されており、ファーガス地域を教化した西方教会は土着の信仰と影響し合って中央から見たら異端になっています。

もともと昔のゲルマン系の土着の信仰の中では、死者は栄誉によって生者とつながっているとされました。死者は物理的な財産を保有してたり、何か申し立てがあるとパワフルにホイホイ起き上がって人を襲ったりして、生死にあんまり別はありませんでした。じっさい、銀雪ルートでは(その時点では生きてたんだか死んでんだかあいまいですが)死にゆこうとするディミトリの想念が不透明度100%で先生のもとを訪れてお気持ちを話していきます。つよい。

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しかし、「死者は魂だけの存在となって天の国入り待ちか地獄行きに振り分けられる」とされるキリスト教ルールが伝わってからは死者は大幅な弱体化を余儀なくされ、生者が弔ってくれるのを待つだけの憐れな存在となりました。「死者は復讐することも許すこともできない」というようなディミトリの主張からさっするに、ファーガスはこのくらいの状況です(まあ女神の眷属関連と魔道以外は現実的なフォドラでは実際問題死者は起き上がらないからな)。

それでも王国民にとって亡霊の話が怖いものなのは、北ヨーロッパ=ファーガスが過酷な土地だからだというのも大きいでしょう。飢饉や戦争で人がバタバタと死ぬと、人は死に物語づけを求めるのです。死者はこんな意味で死んだんじゃないか……こんなふうに恨んでいるんじゃないか……こう望んでいるんじゃないか……と思って怖がる。それは命をかけて戦う騎士が「もしここで死んでも自分は勇敢で誇り高い騎士!」とか思って死の恐怖をマヒさせることと表裏一体です。イングリットがずっと信じ、ロドリグが言ってフェリクスに嫌われた、「グレンは立派な騎士として本懐を遂げて誇り高く死んだ」という物語のようにです。

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亡霊の存在は生者にとっては、過酷な生を生きて死ぬことのつらみを昇華するために編み上げる共同幻想のたぐいというわけです。こういうのフェリクスが嫌いなやつね。「国家」「英雄物語」「騎士の誇り」「栄誉ある死」……。「目に見えない想念が人を動かす」ことにかけては、亡霊がディミトリに要請する復讐も「理想」や「騎士道」と同じようなものです。亡霊もまた、蒼月ルートの「剣」の影といえます。

 

 

代行者

 ここで、ディミトリと「亡霊」たちの関係を整理しておきましょう。

ディミトリが見ている「亡霊」たちとは、ダスカーの悲劇で亡くなったとされる父ランベール、継母パトリシア、グレン、あとドゥドゥーがレギュラーメンバーです。ディミトリの独り言からするに、それらはディミトリに言葉あるいは恨めしげな表情で「しっかり復讐してくれや……」「首謀者の首をとってくれや……」みたいに訴えているようです。他の者からは見えませんし聞こえません。ディミトリ的には、彼らに復讐を誓ってはいますが「もうわかったから出て来んでくれ」的な辟易したトーン。

 

 「復讐」はディミトリの動力となっていた「物語」で、「ネメシス」の名からも風花雪月のキーワードなわけですが、現代のストーリーでは「復讐は何も生まない」という流れがセオリーであり、反論も「何も生まないけど気分がいいぜ!!」というのがメインかとおもいます。ディミトリに同情的でないプレイヤーの多くは「いやそんなエーデルガルトの首にトチ狂ってないで冷静に戦況を判断しろや……」「ディミトリ王向いてないよ……」と思うことでしょう。作中でもリシテアやフェルディナントが「王たるものが感情に振り回されるとかマジないわ」とディミトリの復讐心を評しています。

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 しかし、古い社会における「復讐」には現代人であるプレイヤーや近代的な思考をもつリシテア、フェルディナントの感覚にはない意義があります。特に中世北東ヨーロッパのゲルマンやフランク、ヴァイキングの社会には「血の復讐」という慣習がありました。血讐ともいい、例えば一人を殺された一族は、加害者の一族から一人を殺すことができるという、これはれっきとした「ルール」でした。強い国家によって統制された法律や刑罰がない社会では、権利侵害に対して報復をすることは侵害を防ぐための義務のようなものであり、被害者が深く傷ついていたり死んでたりしたら(まあ状況的にはほとんどそうですよね)身内が必ずそれを行わなければなりませんでした。これを自力救済といい、日本でも戦国時代とかまでそんな感じです。

つまり、ディミトリにとって復讐は「自分の気持ちがスッキリするからぜひやりたーい!」という積極的モチベですることではなく、「身内として死者の代わりに権利申し立てする義務がある」という感覚のものです。死者はもはや権利申し立てをすることができないので、誰かが代行してやらねばなりません。いや、ほっぽり出しても別にいいんですけど、ディミトリにはそれができません。亡霊たちの訴え(とディミトリは感じている)に対する疲れ果てたようなリアクション(?)からするに、よく彼が言う「必ず奴を殺してやるから」という言葉も、一見「殺す」のノリノリ語尾としての「殺してやるゥ!」みたいに聞こえますが、その実「殺す」を「亡霊たちのために、してあげるからね」という意味を含んでいるのです。

 

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そして、そんなディミトリは「不幸にも」心のスケールがバッチリ王であるので、「身内」の範囲は家族たちにとどまりません。戦火によって失われた民たちのすべてが彼の「侵害された身内」であり、大地に横たわるすべての死が彼に「権利の代行」を要請し、かくして第二部までにディミトリは死者たちのための王とならざるを得なくなったのです。

 

利用というRelationship

 蒼月ルートのシナリオ中では「ディミトリの継母(エーデルガルトの生母)パトリシアはダスカーの悲劇の際に逃がされていたかもしれない」ということに触れられます。パトリシアはディミトリの性格に影響を与えた優しく道徳的な女性だったようですが、兄アランデル公やコルネリアといった闇に蠢く者たち幹部との関係が深く、そのスジで事件現場から逃げおおせている可能性があるというわけです。

パトリシアについての事実関係は最後まではっきりしませんが、これがわざわざ匂わされているということは、「ディミトリが見ている継母の亡霊は偽物である」という可能性が示唆されているのですよね。他にもディミトリのイメージの中では不透明度100%の父ランベールの立ち絵が「俺たちを殺した者を殺せーッ」みたいなこと言っており、いやあんた殺されとるわりにやけに不透明度高いなという矛盾が表出しています。きわめつけは「父上も母上もグレンもドゥドゥーも笑ってくれるはず」とか言っており、ドゥドゥーは間違いなく死んでないんですよね。

このことから、ディミトリが見ている亡霊は「マジモンの死者の魂の幽霊」ではなく「ディミトリの妄想から生まれたイマジナリー幽霊」だという説をとることができます。どっちにしろディミトリにしか見えてないし現実にも影響を及ぼさないんだから大きく違わないように思うかもしれませんが、ディミトリが思って幻視しているならば、そこにはディミトリにとっての意味があるのでここはおさえておきたいです。

 

 ディミトリと同様に、ダスカーの悲劇で大事な人を失ってふさぎこんだが現実に戻ってきたのがイングリットです。イングリットはフェリクスやシルヴァンが心配で、彼らを自分がしっかり見ててやらねばという使命感のような気持ちによって社会復帰することができました。心を奮い立たせるために「物語」を杖として使ったわけです。

傷つき、自分も一緒に死んでいたらよかったのにと(今でも)思うディミトリが社会復帰できたのはイングリットと同じように「ドゥドゥーを守らなければ」という気持ちと、そして「死者のために復讐をしてやらなければ」という気持ちです。ディミトリの驚異的な生命力と精神力を支えているのは復讐の使命であり、逆に言えば、彼は立ち上がって生きていくために、亡霊という松葉杖を作り上げたのです。この「道具」の力はあまりにも大きくてディミトリはそれを制御しきれずに憔悴することになりますが、ともかく、おかげでディミトリは立ち上がることができたんですね。

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ディミトリは「死者の言葉を代弁するな」「死者を利用するな」みたいに言いますが、死者の言葉という物語を勝手に考えて利用しているのはディミトリも同じなのです。

 

 「意図が異なる他人の利用」といったら、蒼月ルートにはかなりたくさんみられます。そりゃそうなんですよ。エーデルガルトやクロードや先生にみんながついていくのとは違い、第二部開始時点のディミトリはどこ向かってんだかはっきりしないし未来の展望もないので、みんな寄り集まってそれぞれの目的のために渋い顔して同道することになります。ギルベルトは祖国を取り戻すため、アネットは大好きな王国と王都を守るため、イングリットは自領や家族のため……いろいろな思惑のため、「王家」という旗印があると都合がいいので話が通じないディミトリをとりまトップに据えていただけです。そこにディミトリが何を考えてるかは極論関係ありません。

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ギルベルト(ギュスタヴ)は青獅子ルートでのみプレイアブルとなる珍しいキャラクター(級長と従者以外にそのようなキャラはいない)であり、ディミトリと表裏一体の関係にあります。ダスカーの悲劇を生き残ってしまったという同じ罪を抱えた二人、主人公級の若者らしく活動的に野獣化して大暴れしていたディミトリに対して、ギュスタヴは何もかも捨てて信仰の道に走るという植物化をしていました。このような弱さは「ふつうの人間」らしいものというか、どうしようもないことに傷ついたとき、心の弱い個人は「復讐」や「信仰」や「物語」にすがって自分の個人としての人生を投げちゃうんだよな。これと同じように苦しみから理性的な人間としての生を捨てたがっている弱い人間代表であるマリアンヌがディミトリと支援関係を持っていることもまた、ディミトリの物語が「弱さ」の物語だと示しています。

そんなギュスタヴに代表される、勝手に他人や信仰に役割をおっ被せ、弱い自分の望みのために利用する、卑小でか弱い人間たちの物語が、青獅子・蒼月ルートです。

 

 でも、「他者を利用する」ことは、弱いことではありますが悪いことでしょうか?

ディミトリは「お前たちが俺を利用するなら、俺もお前たちを利用し尽くしてやる」と言いました。言葉面はえーん怖いよーという感じでしたが、これは民が王という機構を使い、王が民という力を使う関係そのものともいえます。行き過ぎた役割分担は個人を殺し自由意思のない全体のための臓器と化させ、シルヴァンとマイクランのような悲劇を生みますが、イングリットやディミトリは他人や亡霊を勝手に利用することで生きることができました。

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はじまりは決して格好のいいものではありませんでした。しかし心弱い者たちが利用し合い、よりかかり合うことで、生きるための力を養い、やがて心を育む関係性がつながれていくのですね。

 

レスバゴリラ

 ところで、第二部の闇ゴリラのまともな会話にならんぶりは彼にキレイなコンボで言い負かされたレスバ最弱将軍ランドルフとともにレスバS+というネットスラングで呼ばれたりもします。

第二部ディミトリは五年間野獣のような暮らしをしてた割には言葉自体はまともであり、「それはそうだけどヨォそれを言っちゃおしまいだぜ……」みたいなこと言ってこちらを黙らせてきます。レスバ、レスバトルとはネット上の意見レス合戦において議論するのではなくとにかく相手を黙らすことを目的とした、会話としては不毛な一種の闇格闘技であり、そういう意味でディミトリをレスバ強ゴリラと言ったネットの反応は当を得ています。仲間に心を閉ざしたディミトリは、言葉を悪用しているのです。言葉の真価は相手を黙らすことではありません。真逆です。

で、この言葉、そしてその真価である「対話」こそは、剣のシンボルがあらわす「かたちなき念」の最たるものなんですよね。手のつけられないレスバ猛獣を囲んでみんな「ハワ……モゴモゴ……」と及び腰になったり「チッ勝手にしやがれ」と匙を投げて遠巻きにしたり(煽りや猛攻によってこのような反応を引き出せたら闇格闘技レスバトルでは勝利とされます)して、レスバゴリラ状態になったディミトリは言葉の使い方において負の状態、テーマの逆位置にありました。

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そこにロドリグが来たことによって、ディミトリは舌鋒が鈍り嵐のレスバ王ではなくなりました。でも、ロドリグはレスバトルでディミトリに勝ったわけではないんですよね。ここ重要です。ロドリグはディミトリに黙らされませんでしたが、別にディミトリを納得とか屈服とかさせたわけではなく、意志を強く持ってまともなレスポンスが返ってこなくても辛抱強く語りかけ続けただけです。

 

結局、ロドリグがディミトリに語りかけ続けた言葉が目に見える形で実ったのは、彼が亡くなった後だったことになります。「言葉」「対話」の本質とはそういうものだということです。

 

ことば・理想・愛

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 人間が「理想」や「死者たち」や「大きな物語」に振り回されるのではなく、その力を正しく活かしいつか善い現実にしていくためには、「理性」と「言葉」の力が必要です。戦い、痛みを麻痺させるための言葉ではなく、形のない想いのことを注意深く語りかけ、聞きとるための言葉です。

青獅子の学級の生徒たちどうしの支援会話は、C~Aまで二人の状況や気付き自体はほぼ変わっていないものが多いです。彼らは他者との対話を通して無意識の自分の理想パワーをとらえ直し、「信念」として統御していっているのです。現実には何も変わっていないように見えるけれど、そこにはことばがある。

ことばがあってそれで何になるのか?とも思えるかもしれません。その問いかけが、最終決戦前のエーデルガルトとの対面の席のシーンです。あのシーンでは「ふたりが武器をもたず、お互いの主張について話し、聞き、質疑応答する」という「対話」以外はびっくりするほど何も起こっていません。

「結局なんも変わらんのか~い」と思ったならそれは正解です。最終決戦の前に大将を引っ張り出せたというのに、何も物理的な状況は変わらないということをこそ、注意深く描かれています。あそこでエーデルガルトがちょっと「改心」したり迷ったりしたら意味がボヤけます。あの会談で最終的にエーデルガルトは「あなたのように恵まれた人にはわからないでしょうね」というレスバの定番止めセリフみたいなことを言ってこれ以上の話し合いは無意味!ってします。そこで話し合いが止まってしまっても、取り返しがつかないような戦いの後でも、エーデルガルトに語りかけようという意志を変わらず持ち続けるディミトリは、ロドリグが生前自分にかけてくれた「言葉」を受け継いでいるのです。

 

百年先の君へ

 

 意見がまったく違うものどうしの話し合いってパッと見は不毛なものですよ。レスバトルがまさにその負の側面を表していますよね。すぐに人の考えを心から変えさせる強い力など、誰にもない。武力とか経済的な力とかでとりあえず言うこときかせたほうが、結果的に世の中は早く良くなっていくかもしれません。

みんな拠って立つ前提も背負うものも違い、話せばすぐわかり合えて笑い合えるというもんではなく、対話をしても何度も壁を殴るように思わしくない反応が返ってきて苦い思いをします。「夢を信じて一生懸命生きればいい」「話し合えばわかってもらえる」なんてことを無邪気に信じられる子供時代は終わりました。この分断多き世界ではそれが当然です。

それでも、自分が生きてるうちに実らないかもしれないすばらしいものを信じぬき、いまのこの現実になんの効果もないかに見える言葉をなげかけ合う。自然な現実に身を任せたくなる愚かさと心の弱さを理性でこらえてふんばり、目に見えない信念を立てて、非力な一人一人の言葉を嘆きの壁に刻む。いつか十年、百年先に、その理想とことばが現実に実る。

その非力なポカポカパンチこそが人間性であると、手槍ゴリラは描いているのです。

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辛口のフェリクス監督もそう言ってる。

 

 余談ですが、「蒼月」ペイルムーンといえば、遊戯王デュエルモンスターズの元ネタとなったカードゲーム『マジックザギャザリング』を代表するカスレア(高レアのくせに効果がカスである残念カード)「蒼ざめた月」を連想させます。このカードはイラストはたいへん美しい月の絵なのですが、使ってもほぼ何も状況が変わらん謎の呪文カードとして有名なんですよね。

人の手の届かない、地上からは見上げるだけしかないまぼろしか亡霊のような光という意味で、蒼月ルートが『風花雪月』の中で最も人間から遠い月を当てられたのだとしたらうまいなっておもいます。

今日なんか東京都の新規観測感染者数が1300人を超えちゃって、いろいろ先の見えない日々が続きます。さまざまな文化、お仕事、命までも焼け野原になってしまって、どうしたらできる限り取り戻せるのか見当もつきません。さらにいえば、どん底みたいに思えるくらいいろんなものが壊れ失っても、「底をついたらあとは上がるだけ」なんてことはありません。人自身がよき世を作り上げていこうとしなければ、底なんていくらでも抜けるでしょう。

でも、見えない理想を、見えない未来を信じてかたちのない言葉を交わすという離れ業ができるのがわれわれ人間の力です。来年、そしてその先の未来に続く、遠い信念はありますか? 今は静かにそれを思い、あるいは近しい人と夢の話をしましょう。非現実的なものでもかまわない。人が言葉にして目指すということじたいが、偉大な心の力なのですから。

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↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

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