本稿は、スマートフォン向けソーシャルゲーム『金色のコルダ スターライトオーケストラ』とその属するブランド「ネオロマンスシリーズ」「ルビーパーティー」、それらをとりまく「女性向けゲーム」界や「コンピュータゲーム」界の歴史における「主人公の性別の自由度」について、背景と論点を整理していく記事の序文です。
starlight-orchestra.gamecity.ne.jp
この記事シリーズの概要
結論までが遠くてわかりづらい話です。ここを読むと「ああそういう話なのね」とざっくりつかんでいただけます。5000字程度あります。
この記事の中の「全体の流れを要約すると?」まで読んでいただくと、だいたい全部読んだも同然です。
あとの長い話は「じっくり考えたいとき用」なので、そういうときの気まぐれに読んでいただくくらいのために、ゆ~っくりまとめていこうとおもいます。あと、この記事シリーズは中間発表会みたいな感じなので、途中だと足りない観点もめちゃくちゃあります。そして中間発表会みたいな感じなので、「まだ途中なんだから文句言うなよ!」ということではなく、「この観点もほしい」「この記述は間違ってない?」とういうような具体的なご意見は大歓迎です! コルダファンのよりよい未来のために!
Q.つまりなんの話?
A.
「『スタオケ』に男性主人公も欲しいって言ってる人がいるぞ」という噂が物議をかもしたとき(2021/02/24~)、噂に反応した多くの人たちがそれぞれ違った背景から「それは嫌だ」「あってもいいのかも」などの意見を言いました。
「金色のコルダ スターライトオーケストラ」をApp Storeで より引用
その意見の「前提となる常識、条件」や「どうしてアリ/ナシと思うのか(理由)」や「そう思うから、何がどうなってほしいのか(希望)」などはそれぞれ千差万別でした。しかし、「ナシだよね」寄りの人は「ナシだよね」寄りの意見を見ると安心し、「アリだよね」寄りの意見には警戒してセンシティブになってしまう(逆もまたしかり)、という状態が多く見られました。「アリ/ナシ」の中でもなんの話をしているかは千差万別で、逆に「アリ/ナシ」が違うように見えても似たことを考えていることもあるにもかかわらず、なんとなく「敵味方」のようなきな臭さが漂ったのです。
この記事は、
「この話題は『二つの陣営』の話ではなく、いろんな前提や理由、いろんな希望が関わっている話なので、『敵か味方かのみ』という考え方をやめよう」
「でも、みんなが『おまえは敵か!?』と警戒してしまうのにも、仕方のない現在までの背景があるんだよ」
という話です。
『遙か7』の宗矩ルートや大和ルートで描かれた、マイノリティの苦しみみたいなテーマです。
Q.筆者の意見はどうなの?
A.
「アリ派」か「ナシ派」かという2つだけで言うなら、当方は「『スタオケ』に男主人公はナシ」側ということになります。
しかし、「どういう意味でナシなのか」「だから何がどうなってほしいのか」には自分の中だけでもいろいろあり、まったくあらゆる意味でナシだから少しでもアリかもと思う奴はスタオケから消えるかすみっこで縮こまってろ!と思っているのではありません。そしておそらく、「ナシだよな……」と思う人の中にも、そういう気持ちの人は多いのではないかとおもいます。
いろいろな理由や希望を分解していくのが目的なので、筆者の感情はどうでもいいオマケだからな……と思って①の記事には筆者のスタンスを入れなかったんですね。加えて、①の記事で出した最初のタイトル『『金色のコルダ スターライトオーケストラ』に男性主人公は可能なのか?』が、「コルダに男性主人公ができる可能性があるなんて……!」という不安を煽ることがあったらしく、それによって「この記事書いたやつ、乙女ゲームに男主人公を入れるのがいいと思ってるな!? それで男主人公を入れるべき理由をぐだぐだ挙げてるんだろう」という誤解も招いてしまいました。
「敵か味方か」みたいな話にしないために書く記事とはいえ、やっぱり「こいつは敵なんじゃないか!?」という疑念をもったままどっちかハッキリしない文を読むのって非常にツラいですよね。ハッキリと敵側だ!ってわかったほうが断然気楽なくらいです。「こいつは敵なんじゃないか!?」状態を発生させてしまったことは当方の失策でした。同じものを好きなコミュニティの中に疑心暗鬼を生じさせるのはよくないですね。
ただ今度は「じゃあこの記事書いたやつ、女性向けゲームに性別選択の自由があることに断固反対してるな!?」と逆の極端に思われても困るわけですが。なのでもうちょっと細かく言うと、
「今回の『スタオケ』に男性主人公を入れることには、
商業的、作品テーマ的、社会的にメリットよりデメリットが大きいので、
制作側には女性主人公のみで今後も制作を進めてほしい」
「感想は自由だし、シリーズの糧ともなるので、消費者側にはどのようなものであれ自分の希望を言ってほしい。
ルビーパーティーは消費者の需要をフィルターなしで叶えるのではなく、作品テーマ的、社会的に適切なかたちで作品に昇華してくれると信じている」
という意見を筆者はもっていて、記事の中でその理由を折々話していきます。
Q.なんで長い話になるの? 複雑な背景って何?
A.
もちろん複雑なので一言で言いにくいのですが、この話の何がどうして複雑なのかというと、「女性や、女性向け文化が受け続けてきた差別や抑圧、軽視」と深い関わりがあるからです。
ちょうど先日、女性が「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と話す『報道ステーション』のCMが流され、多方面で問題視されました。日々の生活の中では、「自分にとってあたりまえになっていること」が、ちょっと前の時代でも当たり前であるように思ってしまうことがあります。たとえばこのジェンダーの問題でいえば、「自分の好きな人と結婚できる」「女性が大学で学べる」という現在のあたりまえのようなことも、おじいちゃん、おばあちゃんの世代にはあたりまえではなく、そして「ましになってきて日が浅い」問題というのは、今でも社会のあちこちで人を苦しめている「まだまだ続いている問題」なのです。
記事の話題である『スタオケ』が属している「主人公が活躍する物語ゲーム」のジャンルでいえば、実はそういうゲームを女性がプレイするという想定じたいが、ゲームの歴史の中ではかなり新しいものです。つまり、主人公が活躍する物語ゲームは男性がプレイするものであり、それをプレイする女性もいるかもしんないけど、別にあまり気にしなくていいやとみなされてきたということです。
また、「女性が自由な恋愛を楽しむ」ということさえ、ほんの50年くらい前には進歩的なことでした。現在でも「女性は恋愛に受け身なほうが望ましい」「アイドルやキャラクターとの恋愛を妄想するなんてはしたない、図々しい」という社会の価値観は広く根強く残っています。そういう女性規範と、それ以外にもいろいろな問題があり、まだまだ女性が自由な恋愛を楽しむことには多くの枷があります。
そういう、女性や女性向け文化にとってまだまだ不自由な状況の中で、「乙女ゲーム」や「女性主人公」が果たせる役割は大切なものです。そして、実は「性別が選択できる女性向けゲーム」にもその状況の中で果たせる大切な役割があり、それら二つはちょっとずつ違っていて、どっちもあるべきなのです。そういう話が全体の中でもけっこう長くなります。
Q.全体の流れを要約すると?
A.
細かい言葉は変わってくるとおもうのですが、こんなことを話します。
◆ことのおこり
今回の話題の発端について。
スタオケに「性別を選べるようにしてほしい」というレビューが寄せられたことでさまざまな意見が飛び交ったが、ことは複雑だと思い、関係する論点やネオロマンス、コルダの特性について整理してみようと決めた。
◆問題の背景
「コルダに男性主人公」に関わる複数の観点の整理。
①個人の好み
個人の好みも「女の子/男の子が主人公として活躍するのを見たい」「女の子/男の子のほうが操作キャラとして移入しやすい」などいろいろな好みに分解でき、それらは「こっちのほうが好き」「こうじゃなきゃ嫌」の中でもそれぞれ別のもの。また、好みに関してはどうしても感情的になりやすいが、自分の好みで他人の好みを否定することはしてはいけないため、「こうであるべきだ」のような論調のときには好み以外の理由をはっきりさせて話すべきだ。
②似た客層のゲームの現況
女性向け全体やネオロマンスの客層がもっている常識や、プレイしてきたゲームの違いによって、女性だけが主人公である/主人公の性別が選択できることの慣れが違う。かつての家庭用ゲームソフトや、スマホゲームアプリの中でもドラマアドベンチャー型のものでは主人公の性別で「乙女ゲーム」「BLゲーム」に分かれていることが一般的。一方、『スタオケ』と似た客層とゲームシステムだが主人公の性別が選択可能あるいは不明なゲームが現在は多く、花形となっている。
③ゲーム的・開発的・市場的に成立するか
好みや状況や是非とは別に、『スタオケ』が男性主人公を選択可能にすることは「技術的に可能なのか」。用意する差分などのコストに見合う利益が出せないとは必ずしも言えないが、それにコストを割くことで「乙女ゲー」として『コルダ』として現在持っている魅力が変質したり、顧客にそう思われたりすることのリスクが高いと考えられ、制作側の利益にとってそこまでオイシイ変更ではない。
④「ネオロマンス」および『コルダ』のテーマとの整合
「ネオロマンス」のテーマは「人と人が、それぞれ違う強さを対等に尊敬し合う物語」だと筆者は考える。そこに性別は関係ない。しかし、「性別を問わないからこそ、これまで性別を理由に尊敬し合う人間関係から遠ざけられてきた『男性以外』が参加することができる」のだといえる。そのテーマを描くためには強い女性の主要登場人物が強い男性の主要登場人物と関わる描写を積極的にする必要がある。『金色のコルダ』のテーマである「音楽の絆」も、性別を問わず熱いライバル関係や共闘を実現することのできる特別な舞台である。
⑤「いわゆる乙女ゲーム」でなくなる危惧
「乙女ゲームで男性主人公を選択可能にしたらそれはBLゲームである」という主張がある。しかし、乙女向けとBL好き向けの違いは主人公の性別だけとは言い切れない。それぞれのジャンルはこれまでに独自のカラーを築き上げてきている。とはいえ、男性主人公を選択可能にする判断の結果、その主人公の性別以外の「乙女向け」要素らしいカラーまでも変質する方向に向かってしまう危険性は高い。
◆ネオロマンスの特性
『金色のコルダ』およびネオロマンスブランドのカラーとテーマについて、上記の④の内容を深めていく。過去のネオロマンスブランド、ルビーパーティーの作品の歩みをふりかえる。女性の社会参画や、性別を問わない対等で美的な人間関係が社会に広がっていくために、ネオロマンスは幅広い年齢・性別の人にますますプレイされるべきである。ネオロマンスブランドには独自性のある希望がある。
◆「女性向け」の役割
「女性向け」文化およびネオロマンスブランドが果たしてきた役割と展望、男性主人公が選択できないことがもつプラスの意義について。女性向けゲームには「女子大」のような役割をもったものがあり、ネオロマンスシリーズはその代表である。まだまだ支援が必要な女性という生まれや女性ジェンダー的なものに、社会で公平に扱われて生きていくための特別な学び舎を用意することには大きな意義がある。「性別なんてどうでもいい」と言えるようになるまでには過渡期が必要であり、乙女ゲームもBLもそれぞれ過渡期として機能することは共通している。
また、「選択の自由」はどんな場合でも無欠にすばらしいものではなく、自由に選択できることで見過ごされてしまう重要な問題もありうる。ネオロマンスの内容で男性主人公を選択することは、「女性として生まれた/女性として生きる人でも、強く気高く自由に生きることができる」という強いメッセージを伝えるチャンスをかき消してしまう。
◆「女性向け」とコルダ
女性や女性向け文化がおかれてきた/現在おかれている状況の中で、特に現代ものである『金色のコルダ』は非常によく考えられた時代性のあるテーマの作品である。「音楽」ことにヴァイオリンは筋力など性別の違いの間にある覆しづらい先天的なものに左右されず全性別がまじって活躍している領域だからだ。
しかしながら、ジェンダーギャップは先天的な特徴だけに由来しているわけではなく、性別によって受ける教育や社会規範、社会に進出したときの扱い(いわゆるガラスの天井)などが少しずつ違っている積み重ねによって大きくなるもので、『金色のコルダ』シリーズは作品全体で「音楽」というメタファーを使って現代を生きる女性を縛る見えにくい鎖を描き、エンパワメントしている。『スタオケ』には特にその特徴が大きく打ち出されていると筆者は感じ、期待を寄せている。
……とまあこんな感じの話です。詳しいことを長く書く(詳しいことを長く書きたい性分なので…)のはゆっくりやっていこうとおもいます。スタオケは好調なので書いてるあいだに失速するということはないでしょう。ない。なかれ(命令形)。
楽しもうスタオケ
何はともあれ、この全体的に質のよいスタオケが、いい物語、いいソシャゲとしてこれからも展開していくといいですね。そしてファンが増え、ファンの中でネオロマンスが伝えてくれるものに勇気づけられる人、成長する人がどんどん増えていくといいです。当方はまだ推しキャラっていう推しキャラはわからないのですが、ネオロマンスはだいたいいつも箱推しなので最初からすごい楽しいです。このPVまじ泣いちゃうよな……。
当方はわりとバカ舌っていうか、けっこうなんにでも「すげー!」「たーのしー!」ってなってしまいがちなのですが、今回みなさんのアプリレビューや感想を見て「容量デカすぎ」「アニメ微妙」「ランキングイベントはちょっと」「ストーリーのここ唐突に感じました」など「ほぁぁ確かにそういう見方もあるのか……!」と勉強になりました。当方はスタオケを作ってる人ではありませんが、やっぱりレビューや感想って貴重なものですよね。
思うことをなるべくはっきりとさせてレビューや感想をネオロマに送る人の助けに、この記事がなるといいなあと思って書いていきます。
というわけで本論①です。
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