本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「お祭のスタイル」編です。
舞台裏シリーズのまとめ、紙の同人誌も4冊完売したやつのまとめ本を11/16スパコミで出します!

shojiro.booth.pm
先行予約もはじめてます。Xのフォロワー様には電子版の閲覧もしていただけるようにする予定です。
www.youtube.com
いや~ニンテンドーダイレクト、毎回毎回「蒼炎をプレイしやすいハードにたのむ!」「聖戦リメイクくる!?」「近親カップル多いから無理では?」と湧きまくっているわけですが、ついにファイアーエムブレム新作が来ましたね。しかも思いっきり英雄の遺産と紋章とソティやんが出てるじゃないですか~。
新作がどの程度の感じで『風花雪月』のフォドラとつながっているのかはまだまだ未知数ですが、ひとつ確かなことがある……。
youtu.be
戦士たちよ
己の技量と力を尽くし
ここに素晴らしい戦いを奉納せよ!
ダグシオン大剣闘祭の開幕をここに宣言する!
(ウォアーーーッ)(喝采)
なんか聖職の名のもとにデッケェお祭が行われるってことだよ!!!!
というわけで今回は「祝祭」の舞台裏をチェックだ!
あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。
また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。
あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。
「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。
以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。
ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著『中世の日常生活』(中央公論社・1989年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、河原温・堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし』(河出書房・2015年)、池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)、河原温・池上俊一著『都市から見るヨーロッパ史』(放送大学教育振興会・2021年)
祝祭古今東西
www.homeshika.work
『「カレンダー」事情』のときには、フォドラがセイロスの神託による「帝国暦」で紀元をあらためられ、帝国とセイロス教の支配のもと時を刻んできたことを見てきました。
暦(こよみ)の設定はその土地の慣習の影響を受けながらも、まさに「時の」権力者の権威付けをともなって行われるものです。「計測」や「単位の制定」には非常~に強い権威性があります。「俺の決めた尺度でおまえらの普段の生活を切って割って指示するぜ」ってことですからね。暦を管理することは時空を治めることで、天空の神に代わるがごとき権能です。
「祭」もまた、暦とセットの社会生活の区切りとして政治的な注目ポイントとなってきました。
「政」を「まつりごと」と訓読みするように、特に宗教をベースとする社会では折々の区切りに適切に「オマツリ」「祭祀」を行うことこそが政治の中心でした。現代的な祝祭のイメージとは行事の感じが違う場合も多々ありますが、どうであれお祭には普段の生活とは違うコストがかかることだけは確かです。現代日本の少子化田舎の地域活動として残ってるお祭の運営、メンドいぜぇ……! 人間の共同体は祭をせずには生きていけないのか……!?
おそらくそうなのでしょうね。
さまざまなコストはかかって面倒くさいし、だけど共同体の大人数に影響する効能がある(と、少なくとも昔は思われていた)からやってるわけで……、しかも多くの人が参加する祝祭はエネルギーが高まりまくってストレートに「危険なもの」でもあり、祭祀中心社会じゃなかったとしても結局その運営の舵を握るのは「政治」の大仕事となります。
祭、つまり祭祀や祭典にはさまざまな目的や型があります。
目的からいうなら、狩猟採集文化であれば自然の豊穣に感謝・鎮め・次も頼むぜという祈願をすることです。捧げものをしたりコミュニケーションをはかったり、仮装によって自然の霊に近しくなって演じたり踊ったりする祭です。このプリミティブな自然崇拝祭はかなりどこにでもあるもので、のちに他の宗教による意味が付与されていったとしても「季節のお祭り」の根っこにはこれが入っていることが多いでしょう。現代日本でも春の田植え時期前の祭や収穫祭、年始に鏡餅をそなえることなどがあるので理解しやすいですね。
冠婚葬祭の「冠・婚・葬」の部分も「祭」の目的になります。結婚式は小さな家にとっても共同体を巻き込む祭になることがありますし、王侯の成婚や葬儀が大騒ぎなのは言うまでもありません。また、「冠」つまり共同体のリーダーの戴冠式というか代替わりの儀式は同時に共同体全体の新陳代謝の祭……すなわち次世代の若者たちの成人式を兼ねることもあります。世代交代にまつわるイベントは大きな節目の祭事となります。
「葬」や世代交代とも似てるのですが、先祖や聖人、死んだものを祀るための祭もあります。「死人」と「祭」って字面だけみると食い合わせが悪いみたいですが日本のお盆やハロウィン、メキシコの「死者の日」もそうだと考えるとだいぶ身近なものです。戦争や種々の災害によって亡くなった人たちへの慰霊祭からはじまる祭も多くありますし、慰霊されるものは人間だけとも限りません。動物に対してとか、人形供養とかもある。
祭でやることの内容としてよくあるのは「供物」と「会食」の儀式です。信仰対象に捧げるものはステキな食べ物や物品のほか、生贄、言葉や歌や踊りや演劇のこともあります。ニンダイのPVでも素晴らしい戦いを捧げろって言ってる。古代のオリンピックはスポーツ競技をゼウスと競争の神エリスに捧げた祭でしたし、「けんか祭」スタイルのものもケンカを神に捧げます。共同体のみんなが信仰対象にかしこまって団結して捧げものをして、しかるのちにごちそうを会食するので、根幹の目的はどうあれ祭は共同体の一体感をいやおうにも高めるものとなります。
さらに、オマツリには「共同体の一体感」「なかよし」とかいう場合ではない狂乱もあります。人が死んだり異常行動したりする祭……多い!
祭には単なる非日常というだけでない、おそろしげなパワーもあると思いませんか? 神や死者といった目にみえない畏るべきものがかかわっているからでもありますけど、本来人間の共同体が「節目」を乗り越えていくことはかなり命がけのジャンプだったことの名残もそこにあるのかなとおもいます。「一人前の男になるぞ」っつって危険な祭で死んでたら元も子もないだろと現代の価値観では思ってしまいますけど、家族や共同体が新陳代謝する、人間が家長になれる大人にメタモルフォーゼする、年が新しくなるっていうのはかつては劇的な「生まれ変わり」、「死と再生」だったのです。

共同体や、豊穣をもたらす季節が生まれ変わるためには、いちいち神話的なエネルギーが爆発しなきゃならない。「ディミトリ」という名前に含まれている豊穣の女神デメテルは毎年冬の嵐の姿になり次の春になる。そこが祭の激しさです。その爆発メタモルフォーゼを遂げるためなのか、それとも単にそういう性質の発散なのか、人間は文化によって程度の違いはあれど定期的に日常とは違った自分になってヒャッハーしたい祝祭エネルギーをもっているみたいです。
自然崇拝の「仮装によって自然の霊に近しくなって演じたり踊ったり」をはじめ、普段の人間社会の理性からみると常軌を逸したふるまいが許容され、奨励さえされる……。お行儀のいい「式典」ではない大盛り上がりの「祝祭」にはそういう性質があります。特に、中世ヨーロッパに花開いた都市文化の大衆たちのなかでは……。
日本の歴史との比較
「ハレ(祝祭)」と「ケ(日常)」のハレ時期代表といえばやはり年末年始でしょう。日本の年末年始の祝祭習慣で伝統的・全国的なものといえば「大掃除」「正月飾り」「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「おせち料理」「もち」「雑煮」あたりですかね。
これらのうち「初詣」は江戸時代には一般的でなかった風習です。年始は「家に年神様を迎える」ための時期であるとされるからです。門松を飾ってここに家がありまーすと神様を誘導し、おせちや鏡餅で歓待。米をこねたモチが日本文化の中では神様に通じる神聖な食べ物であることはもちろん、おせち料理も「御節供(年の変わり目の神様への捧げもの料理)」というのが元の言葉です。それらを年神様とともに共食したり、おさがりを雑煮にして食べたりすることで新しい年の息吹をいただくのです。「お年玉」というのはもともとおカネではなくこうした年神様の魂(たま)の宿ったおモチをいただくことをさしていました。供物と会食が一体化しています。
大王(天皇)の即位を正式に成立させる祭事も、その年の新米を祝う新嘗(にいなめ)祭(即位時のものを特に「大嘗(おおにえ)祭」とよぶ)という収穫祭的なもので、共同体の新生と神の力の更新、お米豊穣祈願が合わさっていることがわかります。おコメ、神と人とをつなぐ。「聖なる食べ物を会食することで神と共同体の人々とのつながりを再確認する」という意味合いの祭はキリスト教文化においては「キリストの血肉をあらわすパンとぶどう酒を食べる」聖餐のミサです。同様に宗教の祭礼の中核になっていますね。
新嘗祭は天皇家の儀式だけでなく「勤労感謝の日」として庶民のカレンダーにも残っています。現在「祝日」とよばれているカレンダーの赤い日は(新設されたものもありますが)もともと「祭日」とよばれ、みんながそれ以外の仕事を休んで祭に参加する日という意味合いでした。まあ近現代になるまでは仕事第一優先の「勤め人」なんていなくて共同体や家族のイベントより大事で有意義なことなんかなく、それが生活の軸点だったので当然の暦です。それはヨーロッパでも同じでした。
新嘗祭や聖餐は「聖なるたべものをみんなで食べ神とコネクトしよう」という平和的なものなわけですが、各地域・各神社で「神に捧げるぜ! 神とコミュって力を授けてもらうぜー!」という目的で行われる行為にはじつにさまざまなバリエーションがあります。怪我人や死人が出る場合もある。
日本の過激祭の多くは神社などの地域的信仰をベースとしていますが、ヨーロッパの祭の場合は教会や支配階層が民衆の過激祭をなんとかなだめよう管理下におこうと苦心してきたという歴史が注目ポイントです。ヒャッハーのパワーがより大きいってことかな? 確かに日本に伝来したハロウィンも今大変なカオスになって危険ですもんね。いやそれは日本人のせいか……。
場所別 現実とフォドラの祝祭
今回は時代感の進行に合わせて「王国的都市」「帝国的都市」「農村」の順に分けるんですけど、長くなっちゃうので記事では王国的都市まで! つづきはまとめ本で。
現実の中世都市の祝祭
中世の都市はかなり多くの祭をもっていました。『都市から見るヨーロッパ史』によると、
宗教的祭日としては、全キリスト教世界のものと地域的なものとがあった。前者には、キリスト昇天と使徒らの祭り、復活祭と聖霊降臨祭、クリスマス週間などがあり、ほかに聖人祭として、毎月さまざまな聖人を祀る祭りがあった。地域的。地方的な祭りの多くは、その地で崇められている聖人にかかわるものであった。中世においては、大きな祭は全部で30くらいあり、それにさらに10ばかりのものが加わり、1年に80~85日が祭日であった。
現代日本の祝日はもはや「祭」のためのものでなくなっているとはいえ20日が関の山なので年に80日はめまいがするほどすごい。祭のために生きてるぜ!

北ヨーロッパの中世都市にはキリスト教以前の異教の、つまり自然崇拝やトランス状態をふくむ祭の感覚が残っており、その多くが内容を残したままキリスト教的な意味のガワをかぶせられることで存続しました。
冬至の後の太陽の祭がキリスト生誕と結び付けられたような感じで、夏至の生命力を称える祭は洗礼者ヨハネの日に。死者を崇めるお盆的な死者の祭日(サウィン)はすべての聖人の祭日万聖節に抱きこまれます。夏至祭ってホラー映画『ミッドサマー』で描かれたあの花冠の祭ですよ。花冠とか樹木を飾るポールとかは自然のエネルギーを称えつながろうとするもので、占いや男女の縁結び、たき火の周りでドンジャラホイとダンスが行われます。すごく……魔女文化です……。
「おいキリスト教に改宗したろその異教的な祭やめろ!」と言っても祭のために生きてますなぁ~な人たちがやめられるワケないし「はえ? そんなら改宗とかやめるんだが?」となられたら困るので、
「この……祭はえーっと……これこれの聖人のための祭なのです。楽しいですね、聖人を称えましょう」
「そうなんだー、聖人ってすげー」
という話にしておくのが穏便というわけです。キリスト教が北ヨーロッパを変えたのと同様、キリスト教も北ヨーロッパに合わせてムニッと変形。これは日本に仏教が採用されたときに「天照大御神というのは仏教の大日如来のとる姿の一つだったんだよ!」と馴染ませる説明(本地垂迹説)をしたこととも似て、宗教や祝祭にはよくみられる変容です。
また、都市の守護聖人や都市の中の兄弟団の守護聖人を顕彰するために聖遺物とか聖像とかをかついで練り歩く宗教行列(プロセッション)というかたちの祭、王侯が都市に入る入市式パレードの祭など社会的なお祭もありました。
起源がどんなものでも、祭の際には街路や広場が舞台となって飾りつけられ、日常にはないさまざまな娯楽が楽しまれました。教会ではイエスや聖人たちの事績を人形展示や演劇、音楽にして皆に見せ、それが拡大して大規模な歌劇が生まれていきました。
中世の祭の娯楽の特徴をみるうえで今回注目したいポイントは「競技のエキサイト」と「カーニバル的ヒャッハー」の二点です。
日常と祝祭とは、「集中して発散する」「節約してパーッと使う」「普段は行儀よく祭の日には大騒ぎ」というグーとパーのような二極の繰り返しのリズムを描いて、娯楽の少なかった中世ヨーロッパでは特に人間社会の生活の鼓動をつくる心臓のような役割をしていました。
だから祭のときには普段は控えるようなごちそうを食べ、普段なら飲まない量の酒を飲み、普段着ない衣装をつけて、普段穏便にやっている近隣住民と競技でエキサイトし、見世物にはしたない歓声をあげるわけです。ロジェ・カイヨワは『戦争論』のなかで戦争と祝祭の周期性と「道徳が逆転する」しくみは同じだと述べています。だから祭は当然暴力的にもなるし、戦争の代わりになるともいえる。
というわけで祝祭で楽しまれた娯楽のなかで特にプログラム的な目玉なのは「競技」です!
当方は『世界の果てまでイッテQ』が大好きなのですが大輔さんの『世界で一番盛り上がるのは何祭り?』のコーナーでもさま……ッざまな競技が行われますからね。『都市からみるヨーロッパ史』は祭の競技についてこのように書いています。
若者の集団は、それぞれが属する街区や小教区の色の豪華な衣装をはおり、旗をもち、行列し、決められた場所で競争・闘争を行う。ルールはしばしば破られ、流血の事態になった。ヴェネツィアやピサの「橋競技」では、市内の党派が対決して橋を占領する争いをした。勝者は勝ち誇って町中を走り、敗者を侮辱する。素手か棍棒の争いだが、怪我人のみか死者も出た。
日本のけんか系の祭でもメンバーはそろいの色はっぴを身に着けますが、ここに書かれた競技に向かう市民たちはいっそう、きらびやかな紋章の盾や旗や陣羽織を身に着けて戦争に向かう騎士にも似ています。
じっさいこの競技は封建貴族たちのナワバリ争いが都市の党派の対立にもちこまれたものだったんですよね。都市の党派っていうのは本当にそういう封建貴族の縁者グループだったり、職業ギルドだったり、どの聖人を奉じてるかだったり。そういう仮想敵との間で本当の戦いがおこったら都市が壊れちゃうのでガス抜きの意味でも、もう一方で党派の団結や一体感の幸福を高める意味でも、定期的に闘争をしたのですね。
競技の内容は引用のようなステゴロ殴り合いもあるし、競馬レース、弓の射的、何かしらのパフォーマンスのできばえを競うもの、騎士階級であれば騎馬槍試合トーナメントなどが人気で、みんなで参加したり応援したりが盛り上がればなんでもあり! 賞品賞金があったり、結果に対してギャンブルが発生することもあります。

競技の党派(チーム)は必ずしも血縁や職業によらない市民の「兄弟団」ごとに形成されることも多く、現代にまで残っています。たとえば、これの成立は近世ですがスペインのカタルーニャ地方の「人間の塔」は同じ守護聖人を戴きお互いに活動コストを払いあったチムメンの団結によってパフォーマンスされます。
こうした団に入ったチムメンは祭のために練習するだけでなく飲み食いの集会をしたりお互いに世話し合ったり、競技しなくても会食をともにしているだけの人や会費だけ払ってる人などもいて、子どもから老人まで日常生活でも幸福を分かち合います。
カーニバルをあらわすイタリア語の「カルネヴァーレ」は「カルネ(お肉)」「ヴァーレ(さよなら)」。ひかえていた肉食を解放し貯蔵肉を食べつくす謝肉祭のことです。関連する「カニバリズム」という言葉は現代では人肉食嗜好をあらわしがちですが、根本的には「他人や獣の肉を食べることによってその力や魂を取り入れる」という呪術的な考え方を含んだものです。
カーニバルの活力解放の感じはギリシャのディオニュソス祭やローマのバッカス祭……つまり、お肉食べて獣のエネルギー充填、お酒飲みまくり踊りまくりで乱痴気ヒャッハー! という文化から続いてきているものです。飲み食いの逸脱だけでなくあらゆる情熱が沸騰し、街は悪魔的な仮面であふれ、過激な仮装や野蛮な行為が爆発。
いうまでもなく、教会の秩序からしたら、秩序壊乱ご禁制のスーパー異教エネルギーです。ヤバしかない。まあ確かにキリスト教の聖餐もキリストの血と肉を……とかで異教のカニみが残されているといえばそうなんですけど、カーニバルはそういう道徳的なお化粧をするつもりもない。
しかも都市ではカーニバルが支配層に対して集団で意義を表明するデモの性格もおびていたので、教会をはじめとした権力者は禁じようにも止められない民衆のカーニバル欲動に痛い頭をユッサユッサされつづけたのでした。
フォドラの王国的都市の祝祭
「戦争の代わりとしての競技と発散」「キリスト教化される前の獣的パワーの情熱」と書いているとなんともディミトリ的な話です。戦闘を好むゲルマン民族がキリスト教に、ブレーダッドパワーがセイロス教にお行儀のよい騎士として馴らされてきた歴史についてはファーガスのテーマカラー「青色」を通じて↓こちらの記事↓でも語っています。
www.homeshika.work
作中ではセイロス教の総本山でお行儀のいい行事しかなかったり、戦争中だったりして、ワチャワチャしたお祭が描かれることはありませんでしたが、おそらくファーガス地方やレスター地方の多くの都市では現実の中世のようなお祭が多く行われています。『無双』のマップ上イベントでも技比べコンペのような遊興に行き合うことが多くあり、ああいうのも祝祭の競技イベントです。

きっとディミトリは(自分が対等に参加すると物理的にもぶち壊しになってしまうことは寂しいけど)民衆の祝祭のエネルギーや競技を見るのが好きなのでしょうね。鷲獅子戦とその後の宴がそういった祝祭に一番近いシーンなわけですが、思えば他の級長よりディミトリが一番「楽しかったあ」「先生の心も感じられて嬉しいなあ」という様子をしていました。
競技の内容はファーガス地方なら馬上槍試合や競馬、武芸大会、力自慢、綱引きなどの運動会ガチ種目的なものが好まれそうですし、レスター地方だと同盟領成立の角弓の節には特に勢力のカラーである弓のコンペがテッパンであることでしょう。競技があるし肉料理多くなるから内心フェリクスはお祭好きだったりして。お忍びで競技大会に紛れ込む公爵家嫡子。

祭のタイミングとしては四聖人の日をはじめとしたいろいろの聖人節、建国記念日、都市にゆかりのある英雄偉人のいさおしにちなんだ祭、名産品に関する祭なんかもあるでしょう。広い地域で大きく祝われていそうなのは以下の祝日です。
- 大樹の節(4月)1日 新年、帝国建国記念日
- 竪琴の節(5月)21日 聖マクイルの日。おそらく音楽の祭
- 花冠の節(6月)夏至 夏至祭にあたる生命と恋の祭がありそう
- 青海の節(7月)12日 聖セスリーンの日
- 青海の節(7月)26日 女神再誕の祭
- 角弓の節(9月)8日 同盟領成立記念日
- 飛竜の節(10月)27日 鷲獅子戦争終戦記念日
- 赤狼の節(11月)21日 王国建国記念日
- 星辰の節(12月)27日 聖キッホルの日。冬至後の太陽の祭と習合しそう
- 守護の節(1月)11日 聖セイロスの日。同じく太陽の祭と習合しそう
- 孤月の節(3月)2日 聖インデッハの日
各聖人の日は彼らの誕生日らしいので毎年日付は動かないはずです。女神再誕の日は風花雪月のゲーム発売日とあわせるシャレを含めて設定されているところもあり、ソティスの「誕生日」ではありませんが、青海の星が夜空に戻ることを基準としているので毎年一定としてもいいでしょう。
現実でクリスマスにあたる日程はガルグ=マク落成記念日となっており、冬至後の「太陽の祭」にあたるものが世間で祝われてるかは不明ですが、聖セイロスの日はそれと感覚が近そうです。現実では1月6日が幼子イエスの世に示された「御公現の日」として年末年始休み終わりの仕事始めとなっているので、フォドラでの聖セイロスの日にもセイロス降臨記念祭のパレードとかがありそうです。「キッホルの日からセイロスの日までは冬休み」とかあったりするかもね。
ちなみに冬至そのものはディミトリの誕生日、エーデルガルトの誕生日は夏至に設定されています。エルサとアナと同じ関係ですね。殺して産む輝き燃える生命の女と、命死に果てた寒さどん底から復活する弱い光の男。
鷲獅子戦争終戦記念日は帝国にとっては版図を分割されたちょっと苦い思い出の日ということになりますし同盟にとってはその後の三日月戦争が本番ですし、勝利を飾ったメインメンバーの末裔である王国にとっても「終戦した→王国が建国」という流れなので建国記念日と意味合いがカブり、どんな感じに祝われているかはちょっと謎です。まあ中世人のマインドにとっては祭なんて何が口実でも10月下旬にも11月下旬にもあれば嬉しいでしょうけどね!
ただ中央教会にとっては割れたフォドラを仲裁してファーガス地方にも布教を行い平和を敷いてきた歴史を記念すべき日であることは間違いないので、フォドラの子供たちよいつまでも助け合っていくのですよ……というメッセージをこめてガルグ=マク士官学校ではグロンダーズ大運動会を開催。

新年が4月、ガルグ=マクだけでなくいろいろな年度も4月はじまりになっていそうなことからして、孤月の節(3月)には新年の準備のための特別な品や服や道具の新調のための市(現代でいう「新生活応援フェア」みたいな感じも混ざる)が開かれて春っぽくなってきた浮かれ調子も手伝って経済が動きそうです。年末には例年はガルグ=マク士官学校の卒業式典もあります。3月2日の聖インデッハの日には工匠であった彼にちなみ職人の技や工業を称えるコンペや大市を中心とした祭があったりするかもしれません。
年末年始のどこかでは領主や名士の館でふるまいの宴があって、庶民はそこでもらったおこぼれを家に持って帰ってみんなで食べるでしょう。その時期の気候から年末年始のごちそうの定番を考えると、現実のヨーロッパの慣習でいう「復活祭(イースター)」に近そうです。
イースターっぽいのであれば、孤月の節の春の気配を感じながらも粛々としたムードから考えるに、年末付近には現実の「四旬節」にあたる断食期間があるのかもしれません。断食といっても魚や野菜は食べていいのですが、「新しい春の復活の祭」に向けて肉を断って祈る時期です。ためこんでいた冬の塩漬け肉をこの断食をする前(2月中ごろ)にワーッて一気に食べまくり「お肉さよなら」するのが例の謝肉祭、カーニバルです。

本編で2月~3月というと、先生の変貌やなんか戦の不穏な気配があることにみんな緊張クライマックス状態でそれどころではありませんが、下界の都市では逸脱的なヒャッハー祭→断食節制期間→年始の祝祭のパーグッパーの流れの時期だったのかもしれませんね。ちょうどそのころってフェリクスも誕生日だし。
帝国的都市の場合
農村の場合
は、まとめ本で!
『フォドラの舞台裏。』シリーズ、書下ろしをたっぷり含めて発行準備中! ご予約はこちら。
shojiro.booth.pm
youtube.com
中世騎士社会もののゲームによせて中世の文化を解説する実況もあります。チャンネル登録よろしくね
↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです
www.homeshika.work
↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます
note.com
こちらのブログに載せる記事未満のネタや語りは↑こちら↑のメンバーシップでモタモタとサブスク配信しています。
あわせて読んでよ
www.homeshika.work
www.homeshika.work