湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

月の裏側 無双クロードは「何だったのか」〔3〕ランドルフ見殺し編―FE風花雪月考察覚書⑨

本稿では『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』(以下「無双」とも)におけるキャラクター「クロード=フォン=リーガン」および「黄燎の章」に注目した作中の経緯・『ファイアーエムブレム風花雪月』(以下「本編」とも)との差異の整理と、考察と感慨を展開します。

『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』全体の流れや「黄燎の章」ラストまでのネタバレを含みます。また、本記事は「無双のクロードについて謎なところひっかかったところ等について理解を深めたい人向け」の書き方のため、なんかクロードと制作チームをかばってるっぽい文章になっちゃうので、無双全体および無双のクロードのつくりや描写についてかなり低評価だぜ!許しがたい!とすでに判断をしている方は、数年が経ち……なんか許せそうな気がする……になってから読むようお願いいたします。

 以下、タロット大アルカナの寓意や四大元素についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参照し独自に解釈したものです。

 

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約一年半前に展開していたこちらの記事シリーズ、3部制くらいに分けるわ~と言ってページ1ページ2をお出ししてたいへん好評をいただいたはいいものの、

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ページ3があまりにも話すことが多くてホゲってしまったため、永遠に未完かとおもわれたのですが、きたる2024年5月5日、『無双』風花雪月の同人オンリーイベントが開催される(東7ホールC44bにスペースいただきました)ってんで、じゃあいっちょ本にして完結させっか~!!

とはりきって書いてたら加筆や書下ろしが半分以上になって100ページ本になった。

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お届けは少し先ですが通販予約できます。

これは、その100ページ中の10ページを占める「ランドルフ見殺し作戦」の読解との戦いの記録である……。

(読みやすいようにブログ用の編集をくわえています。書籍では他にも「連邦国と同盟の違い」「なぜ侵略に加担するのか」「王都急襲の謎」など盛りだくさんでお届けします)

 

ランドルフ見殺し作戦

 目的に対する最適解だから帝国に味方して戦うことを決めたのだとしても、なんかすごいモヤる消化不良な描き方になっているのが煉獄の谷アリルでの帝国との共同戦線におけるランドルフ見殺し作戦です。このへんからショッキング超えて胃もたれ。

これはクロード自身がこの作戦にはモヤっているというか、いつもと違う目の死に方をしているしシェズをはじめ将たちもいいのコレ⁉ と反応しているのでプレイヤーがおいおいと心配になるのはちゃんと狙った流れで正解です。

ただ、結局みんなを代表してシェズとジュディットにコラーッ! って叱られたクロードが目の死に方がパッと見はもとに戻ったことが、いったい何を叱られてどうクロードの心持ちが変わったのかいまいちわかりにくい描き方をされています。シェズとジュディット以外の将のみんなだってハァ? と思っているだろうことも流され気味。

「なんか叱られて殊勝に心を入れ替えたようなツラにごまかされ、
 以降やり方を妥協したクロードにみんな本音を言ってもらえなくなっただけなのではないか?」

と気持ち悪く思うのも無理からぬことです。実際シェズとジュディットに叱られるシーンはシェズもクロードも殊勝でキモいと当方も思った。あらゆる作品で起こりがちなことですが、尺や演出力が足らんと人は殊勝になってしまうのです。自分も気を付けよう。

 

 なぜクロードはいつもと違う目の死に方をしてまでランドルフ見殺し作戦を決行し、俺やジュディットは主に何について怒り、クロードは何を反省してその後どう方針を変更したのか?

いまいち味が出きらなかったテーマを読み解いていきます。

 

作戦の経緯

 まず、ランドルフ見殺し作戦にいたるまでの重要な経緯や要素を整理しておきます。

 ランドルフ見殺し作戦とは基本、撃破すべき中央教会勢力の工作部隊の指揮官がよりによってカトリーヌだったせいで、

 

「あ、こりゃ帝国勢を助けながらだと連邦国のみんなにけっこうな犠牲が出るわ、まずい、そんな博打は嫌だぞ」

「ランドルフ隊が攻撃されてる隙をついてカトリーヌの部隊を叩けばみんな無事ですむし、むしろ全員死んどいてくれたほうが死人に口なしで『最善を尽くして助けようとしたんですけどランドルフ将軍には残念なことでェ……』ってことにできるじゃん」

 

という戦法をクロードが選択したものです。みんなにそう伝えちゃうとゴチャゴチャしちゃって危険だからとりあえずみんなには秘密で動いてもらって、結果的にみんなを守って勝利をもたらせればヨシ! ってことであとでみんなわかってくれるよね、という胸算用でした。

「死人に口なし殺法」については、盟約を結ぶ際に先にエーデルガルトが「帝国はアケロン子爵が臣従すると言ったから求めに応じただけよ、彼は残念ながら死んじゃったけど同盟領内に兵を駐留させるもやむなしよね」とうまいことアケロンを侵攻の政治的口実に仕立ててきたことのお返しでもあります。

 

 他の連邦国の将兵たちとしては「同じ側で戦う仲間は大事! 仲良くやっていきたい!」という自然な気持ちになっていたところだったのでクロードにハァ? になったのですが、クロードは帝国と盟約を結んだ最初からこういう事態になれば帝国兵を痛くないシッポとして処分するつもりだったことになります。戦闘中のセリフからして、そのときの状況を見てランドルフを切り捨てて最大限犠牲を利用しようと判断したことがわかります。

ちょうどそういう運の悪いタイミングにいたのがいつもかわいそうな役回りのランドルフ(愛情深い妹の復讐もお得なセットでついてくる!)だっただけで、死んだのがフェルディナントとかカスパルとかであった可能性も十分にあります。

 こういう冷たい心づもりの帝国との盟約にいたるまでに、クロードの気持ちに何が起こっていたのでしょうか。

 

残念だよ、きょうだい

 『無双』黄燎ルートの第一部は、決死の覚悟のフェルディナント侵攻とかベルグリーズ伯とホルストさんの激突キングコング戦争とか、無双戦記ものとしてどアツい見せ場は続いていたもののやっていたことは防戦。クロードはウダウダと保守的で利己的な同盟諸侯との話し合いにうんざりしながらも、マインドセット的には受け身でのらりくらりと対応していられました。それに変化を迫られたのが、第一部最後のシナリオマップである二度目のシャハド撃退です。

 

 本編のクロードは、先生や他の君主たちがみんな親が悲劇的なめにあって死んでいるのに一人だけ両親健在で仲もよくジュディットやナデルの庇護まで持っています。友達の少ない少年時代ではあったでしょうが、身内の大人には恵まれており、おまけに「先生」もいたとなれば、彼が自由闊達なトリックスターだったのはある意味「子供」でいられたからだといえます。これはいい意味で。

それが「子供」ではいられなくなった、青春時代の幕引きが、『無双』でのシャハド殺しです。

同じようにエーデルガルトは強大な後見役であった伯父様に刃を向けて自立することで、ディミトリは仇の一人であることがわかったが唯一の肉親でもあったリュファスの首を刎ねることで大人になるさまが描かれていることからも、「身内殺し」が大人の君主として覚醒するイベントであることがわかります。ましてパルミラのモデルとなった中央~西アジアの騎馬民族では、次代のリーダーを決める際にはしばしば殺し合いがおこるのですから。(パルミラの感覚については以下の記事で)

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エーデルガルトとディミトリが士官学校編でバッサリ大人になっているのに対し、クロードが大人になるのには戦争編第一部の終わりまで待たなければいけないのは特徴的です。本編のクロードが結局子供の自由を持ったまま王者となったことでわかるように、そういうウーパールーパーみたいな大人だか子供だかわからないあいまいさがタロットの「月」のアルカナに表されるクロードらしさでもあるからです。

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一方で「月」のアルカナは脱皮で大きくなり水から這い出るザリガニに描かれているように成長する際の不安定さを表しているカードでもあります。これがランドルフ見殺し作戦まわりに表れている新しいクロードらしさです。新メニュー・脱皮したてのソフトシェルクロード(殻まで食べられる)。

 

 シャハドを殺したことが、「クロードの内面にとっては」どんな意味があったのか改めて読み解きましょう。

シャハドを殺さないとならないのかも……という局面にいたり、クロードはつらそうな顔をしました。このつらみは、例えばディミトリが人を殺さなければならないときの悲しみとは意味が違います

クロードは人殺しを深く悲しんでいるわけでも、肉親を殺すのがつらいわけでも、実はシャハドのことを人間的に好きだと思っているのでもありません。ふつうに兄弟として仲良くしたいと思っているのだったらちゃんと頭も下げてほしいですからね、こんな差別しまくってきた奴。

たぶん個人的な親愛ゲージで言えば、クロード→シャハドのゲージはディミトリ→リュファスほどもなくてマイナスだと思いますよ。クロードはただ「シャハドと自分は協力し合えるはず」とずっと思ってきた、それを永遠に諦めることになるのが何よりもつらかったのです。

 

 クロードのもつ「土」のテーマのゲンキンさの特徴は、理想や信念や恨みつらみ的に相容れないはずの相手とも、利害が一致して手を組めば一緒にメシを食って笑い合えるというところにあります。だから自分を憎み蔑みイジメてくるばかりだった、個人的に言えば人生で一番の敵とさえいえるシャハドとさえ協力し合えないかと手を差し伸べることができる。

そういう身もフタも節操もないヘラヘラしたことはエーデルガルトやディミトリにはできません。エーデルガルトはレアが降伏してきたらメタメタにする必要はないと言いますが手を取り合おうとまでは思いませんし、ディミトリは敵ともあくまで対話しようとしますが深刻な苦痛や恩讐はぼやけさせるわけにはいきません。もちろんレアは一番怖い顔で憎い仇をボッコボコにします。

そもそも信条が異なる相手と軽率に手を取り合うというのはシリアスな物語の本筋としてもいかがなものかと思われるので、クロードの節操のなさはエーデルガルトとディミトリが真面目に戦うテーマを担当してくれているからこそ描ける第三の道です。そして今まで見てきたように、Win-Winになる利用し合いはクロードにとって善意ですし、そうやって手を取り合えることは目指す社会像ですらあります。

本編でクロードは担任になった「先生」のことを「きょうだい」と呼びます。そして本編でも『無双』でも、黄ルートでは最も長年戦ってきた敵同士であるはずのナデルとホルストは義兄弟の杯を交わします。生まれも育ちも感覚も違う敵だった人ともなんやかんやで手を組んで一緒にメシを食って活動するうちに意気投合できることを、クロードは「きょうだい」と呼んで愛したかった。

個人的には嫌な思い出しかない自分を憎むシャハドと、脅してでも利益で釣ってでもいいからいつか手を組んじゃうことは、クロードにとって象徴的な大きな目標だったはずです。それができたら、きっと誰とだって手を取り合い利害調整できるってことだから。

 

 しかしシャハドは応じてくれませんでした。

クロードが「これは俺がやらなきゃならない……」とパルミラ大王を継ぐ者としてのケジメをつけようと決意すると、シャハドはまるで勝ち誇ったようにあざ笑いました。このエピソードのタイトルは『真の王は』。つまり、ここでクロードはパルミラの次の大王の座をめぐる戦いには勝ったけれど、「真の王の流儀」をめぐる戦いでシャハドに負けたのです。あの見下した笑いは、

「戦わずに手を取り合おうなどというおまえの甘っちょろい臆病者のやり方では何もできまい、結局勝者であるおまえはすべての戦いを自分一人で決め、敗者から奪うのだ。王になるならパルミラの戦士の流儀に従え!」

と告げていたということです。

 

 「残念だよ、きょうだい」。クロードはシャハドと手を組めないまま永遠に失ったことによって、異なる主義主張の人たちと協力し合って「きょうだい」になるという大事な夢の限界にぶち当たりました。

シャハドがダメだっただけで世界にはいっぱい協力できそうな人間がいるんだから次だ次だ~と思えればよかったのですが、やはり長年の仮想敵を崖っぷちまで追い込んで手を差し伸べてもダメなんかいというのはクロードを挫折させるに足る威力を持っていたのでしょう。

どうせもう「きょうだい」を殺してしまった。異質な他者とも利害調整してワハハと「きょうだい」になる未来を自分で断ち切ってしまったのだから、もうそんな甘い夢は区切りをつけるしかない……。居直ったクロードがやったことは、「部族の命と利益を守るために部族のすべてを号令一下で指揮して戦う」という中央アジア(パルミラ)の王者のやり方でした。中央アジア遊牧騎馬部族の王者は生き残りをかけた電光石火の戦いや部族移動について長々とみんなの意見を聞いたりしません。結果としてみんなの利益になればよし、勝てばよしの大雑把。

そんなパルミラ流に、「いのちをだいじに」なクロード元来の臆病さが合わさった「大人」に変わろうとしていたのが、シャハドを撃退してから連邦国を設立、帝国と共同戦線の盟約を結んだあたりまでのクロードの心理状態だったのだと思います。命惜しさ、傷つく怖さ、身近な人に痛い思いをしてほしくない優しさで信条を捨てることもまた同盟とクロードの「土」の元素の表す状態であり、ナイショで勝手に話を進めることやごまかしも「月」アルカナの領分ですから、この挫折の仕方はクロードにふさわしいものではあります。

(こうした「土」元素の挫折、ダウナーな面は『ペルソナ5ロイヤル』の三学期ボスでも表現されています)

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でもそんなの、クロードがやりたかったことじゃないし、君主の中でクロードだけは、深刻な顔でやりたくもねえことを義務でやるようなやつではなかったはずです。そういうのはエーデルガルトやディミトリにまかせておこうとさっき述べたはず。

レスターのみんながとりあえずついていこうと思ったクロードはもっと自由で多様でフニャフニャで、自分の生き方も、他人の生き方も好きなようにしていこうぜって危険な誘惑をする笛吹き男のはずです!

 

行きて戻りし、愛しの不安定

 いくら大事に守ろうとされていても自分の意志のない駒同然に扱われることをレスターの将兵は好まないでしょう。気弱なイグナーツやマリアンヌすら、「自分の未来に責任を持ちたい」「もう逃げたくない」という理由で戦おうとし、弱小領主でも自分の意見を円卓会議で出してもらえないのはヤダと思うような国柄ですよ。

ランドルフ見殺し作戦でからがらカトリーヌを討ったあと、シェズは「今日の戦いはなんだ? 初めから帝国軍を見殺しにするつもりだったのか?」と仮にも雇い主でもあるクロードを𠮟ります。

雇用条件的に騙されていたわけではありませんし、シェズはプロ傭兵なのでだまし討ち的な奇襲や皆殺しは戦士の道にもとるぜ! とか言っているのでもありません。

また、状況に応じた変幻自在な判断や敵を欺くために味方もとりあえず欺いてやっちゃうのはクロードの持ち味であるとみんな承知の上でついていっていますから、何事も連絡して同意をとってからやれよな! という意味でもないのもポイントです。レスター流の臨機応変しないといけない戦場では合意形成してる場合じゃないこともそりゃあるよ。

だからこれは、「クロードと共に戦いたいと思っている友達として」の怒りです。クロードが信条を曲げまくってまで仲間を一方的に守ろうとしており、自分たちのことをそれぞれの力と意思を持った人間として信頼に値しないと思っていることにシェズは怒ったのです。俺たちはそんなに頼りないか! バカにしてんのか! おまえらしくないだろ!

王として大人にならなきゃとがんばって眉間にしわを寄せたクロードは、「……仕方がなかったさ」とちょっと言葉を迷います。内心「そ、そういえばこいつらは羊とかじゃなくて仲間で……友達で……。いや、俺は王として全部を一人で守んなきゃだから……」と戸惑い途方に暮れる気持ちだったでしょう。

シェズが「他にもやりようはあっただろう」とけっこう力強く断言するように、普段のクロードならもうちょっとうまいやり方を思いつくはずだし余裕もあるはず。たとえ一時的に騙されキツネにつままれることがあったとしても、そういうところを将兵たちは信頼しています。

クロードはもう味方を失いたくなくてガチガチに硬直してしまったことで、視野の広さと柔軟さという彼ならではの強みをなくしてしまっていたのです。もしフルパワーのクロードの知恵をしぼって周りを頼ってもマジでそのときはそれしか方法がなさそうなら、みんなそれぞれの覚悟で腹をくくるわい。でも今回は全然そうじゃなかっただろと。

シェズの「もっと俺たちを信じろよ。でなきゃ俺たちも、おまえを信じられないぞ」という言葉には、レスターが異質な他者どうしの信頼の交換取引で成り立っているというだけでなくおまえが俺たち将を信じられてないとおまえのINTの値が低下しちゃうから君主として信ずるに足りないだろうがという意味も含まれていると思います。実際、「信頼」とは人を自由闊達にし余裕を生む(自由と余裕こそがクロードの知性です)ものなのですからそれも当然でしょう。

「お前のおかげで、少し心が軽くなった。その礼だよ。ランドルフを死なせちまったあと、お前とジュディットが俺を叱ってくれたろ?
 それで俺も、凝り固まってた考えを捨てて、みんなに相談することができた」

 

 クロードがガチガチになって持ち味を殺してしまったのにはもう一つのテーマ的に重要な理由もあります。実は、ここでのクロードは自分の一番大切な信条を見失っていたのです。

ショッキングなできごとが次々とおこっているのに紛れがちですが、クロードの本来の信条、野望を思い出してみてください。「利害一致して一緒に行動すれば思想の違うやつや憎み合ったことがあるやつとだっていつの間にかうやむやに仲良くなれる」というのが彼の野望だったはずです。クロードの本来の信条からすればランドルフはバリバリの仲間、せっかくこれから仲良くなっていけるチャンスを得た存在なのに、皮肉にも自分でそれをぶち壊すようなことをしたことになります。

そのせいで襲い掛かってくることになったフレーチェだって、本当はあんな恐ろしい形相で捨て身になったりすることなく仲良くやれるはずのいい娘さんだったのに。何より、ネームドキャラの死ではないのでプレイヤーには実感しにくいですが、死人に口なし戦法を確実にするために帝国軍も教団兵もぺんぺん草も残らないように死なせと指示しているのが一番クロードらしくなくて怖かったところです。

 

 シェズは「助けられたかもしれない人を犠牲にして勝ったって、それに何の価値がある」と一見優等生みてえな言葉で説いていますが、これはシェズが突然ディミトリ的な道徳に目覚めたとかではなくクロードの本来の信条を思い出せよという感覚なのだと思います。

クロードは本来、敵だってなるべく殺さないで協力しよう、いつか手を組んで利用しようとする人間だとシェズはそばにいて知っています。レスターの諸侯や将兵も、クロードとそういう気持ちを共有しているからなんだかんだ言いながらともに戦っている。それなのになんで手を組めたやつを殺す策なんか選ぶんだよ。俺たちが手をとり合うべき人間の範囲ってそんな狭かったか?

敵対したり、身近な人を殺されたり、信条が違ったりしても、いつかなんとか協力できることもあります。シェズが「灰色の悪魔」と協力する道もあるように。しかしひどい方法で人を切り捨てるとそういう取り返しはつきません。方法のひどさ加減というより、「ひどい手を使うと口封じのためや報復を防ぐためにたくさん人を消さなければならなくなる」というところがクロードの野望から見たら自殺行為です。たとえ身内の命は守れても、フレーチェがそうであったように、仲良くなれるかもしれない人がどんどん減っていきます。

ジュディットが「皆がついてきてくれる戦をしなきゃいけないよ」「あんたは一人で戦ってるんじゃない。皆で戦ってるんだ」と言うのも、ここまで読み解いてくると両義的な言葉です。このときのクロードは「皆」に誰一人欠けずに損をさせずについてきてほしいがために、今と将来手を組めるはずの皆の心が離れていくようなことをしてしまったのですから。

本当にこのくだりは皮肉ばっかりですが、マジで皮肉なことに、

「一人一人の心や可能性を信じず、尊重せずに、身内と判断した小さな民たちを一方的に守ろうとする」

「そのために切り捨てる戦術的犠牲には冷徹」

というのは、クロードの嫌いなレアのやり方とそっくり同じになってしまうのです。まるで愛する母の心臓を奪い返す復讐に利用するために帝国の祖たちや王国軍を死地に扇動し、自分を信奉するフェルディアの民をも焼いたレアのダークサイド。

そんなガラに合わないまねをしているクロードにレスターの皆がついてくるような魅力があるわけありません。レスター地方の領主はビジネス経営者だから魅力がないと落ち目なんだよ。自分で自分のチャームポイントを全部大破壊していることにこのときクロードは自分だけ気付いていなかったということです。

 

でもクロードはレアのように他者に冷徹にはなれないから、戦いが終わったとき心底メンタルにきたようすでゲッソリと「きついな」とつぶやきました。フレーチェを撃退した後の「ランドルフの妹には申し訳なかったが……とにかく前に進まないと」というセリフの「……」の部分の吐息にもめちゃくちゃつらそうな万感がこもっています。それこそがクロードの魅力ではないですか。

尺がもっとあったら、フレーチェが襲ってくる前に級友をはじめとした連邦国の主な将兵みんなに「ついていけなさそう」って三行半を叩きつけられたクロードがみんなに謝ったり言いたいことを言い合ったりしながら殴り合って回るドタバタマップが挿入されていたりしたらすごくレスターらしい雰囲気だし、納得感が爆上がったとも思うんですけどね。

 

 二人に叱られた後、クロードはいまいち腑に落ちない様子で、「皆で戦ってるって考えてみるけど……それでおまえたちが望む答えが出るとは限んないからな! 決めるのは俺だし!」的なことを言い、次の節からは将たちとの意見交換会をもうけるようになりました。

これも、叱られクロードのブーたれた様子もあって、「一応みんなの不満へのエクスキューズとして意見は交換してるって形式だけ作ったんじゃないの?」と心閉ざしムーヴのようにも見えてしまいますが、意見交換の際クロードはこのように言います。

「そのために、みんなの知恵も借りたい、どう動くのが、俺たちにとって一番か……」

「今まで以上に、仲間の力を当てにすべきなのかと思ってな(困り顔)」

「俺のやり方に意見があれば言ってほしい。協力してくれ、頼む」

このあたりのクロードの口調は普段からするとかなり一生懸命というか、朴訥なくらい不器用な感じで真摯に話しています。

普段口八丁で味方も騙し秘密ごまかしの多いやつなので、こんなふうに「俺は全部を一人で守れる王様にはなれない、弱いから助けてくれ! 頼らせてくれ!」みたいな内容を真正面から言うのはクロードにとっては慣れない、裸を見せるようにいたたまれなくて恥ずかしいことだったと思います。身内を殺してしまって覚悟を決めて、決然とした顔でオトナの王様になろうとしたのに結局それじゃダメだった。俺はジュディットの言う通り坊やでバブちゃんだよと。

クロードがそんなふうに恥をしのんで気づいたこと何でも言ってくれ~い! と言ったそばからラファエルが「オデは腹が減ってることに気づいたぞ!」と発言してズッコケさせるのも実は象徴的です。レスターらしく多様なみんなに頼ると混沌としてしまって、王のコントロール下で確実にみんなを守ることは難しくなる。そこはやっぱりトレードオフです。だからエーデルガルトやディミトリやレアは自分の責任においてみんなを指揮して守り、戦いによって生まれるすべての報いも怨恨も自分一人で受けるつもりでいます。

叱られクロードくんがしぶしぶ「皆で戦ってると考えてみるが、それでおまえたちの望む答えが出るとは限らないからな」と言ったのは、

「おまえたちの意見聞いてやってみるけど、それだとおまえたちのこと守りきれなくてみんな不利益になっちゃうかも。そうなったら何言っても無視するから! おまえたちだって俺を助けたり一緒に考える責任を持つのが嫌になるかもよ?」

という予想にもとづくブーたれ言葉でした。しかし、このクロードのブーたれ予想はいい意味で裏切られることになりました。

 

適当に頼む

 セイロス騎士団やイングリットの部隊のように統制がとれていること、帝国のようにエーデルガルトのカリスマに皆が突き動かされることばかりが将兵の能力を引き出す方法ではありません。

黄燎ラストバトルでクロードは「やり方は知らないが……適当に頼む!」というヤバ号令を発しますが、これがなんとかなっちゃうのです。「適当に頼むわ~!」という混沌な裁量に任せまくった弱いタイプのリーダーシップで、平民なのに強いレオニーさんのようなみんなが「もう世話が焼けるな~クロードは」と言いながらそれぞれがんばる。罪も責任も報いも、みんなで受け持つ。

それが、レスターのみんなが一番力を発揮できる自己実現的なあり方だったのでした。方向がとっちらかって不安定なことはそれと一体で、切り離すことができない。

 

 人は人を信頼し、信頼されたときに心が自由になります。自由な心は頭と体のパフォーマンスを上げ、限界以上の成果を出すものです。理想のために命を燃料にしたり、青ざめた唇をやせがまんで食いしばって立ち往生したりすることで120%奮闘するのも戦記物としてカッコいいことですが、「自由に、適当に」やったことで力が出るのも、なんかいいじゃないですか。そうやって生きていきたいよ。

一時の信条の挫折を経て、自分が本当に頼りにすべき力に気付いて再出発した……、それが、黄燎ルートのランドルフ見殺し事件の顛末です。

本編では他の君主に比べてクロードや同盟のあり方の挫折どころがちゃんと描かれることはありませんでした(そのぶんディミトリが終始ド派手にくじけ続けていた)。その軽妙さもクロードや同盟の個性ではありましたが、こうして挫折と歩みなおしが描かれるのも物語としてアツいことではないでしょうか。

 

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約100ページの無双クロード読解まとめは予約受付中(5月中お届け予定)! 王都急襲の謎読解は18ページあるよ!

 

風花雪月の紋章のタロット読解本も頒布してます。

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5月5日ビッグサイトのイベントもせっかくの風花無双オンリー盛り上がってほしいので来られる方はぜひお運びください。オモロそうな本いっぱいあるよ。当方のスペースは「東7ホール」の「C44b」ね。

 

なんかもうこの機に無双やってない人もやってクロードに混乱するといいよね(呪いではない)(マジおもれ~よ!)

 

↓おもしろかったらブクマもらえるとうれしいです

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あわせて読んでよ

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フォドラ「カレンダー」事情―FE風花雪月と中世の舞台裏⑧

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「暦と年末年始の考え方」編です。

紙の同人誌も分冊で3冊出ているぜ

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あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。

ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著『中世の日常生活』(中央公論社・1989年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、河原温・堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし』(河出書房・2015年)、池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)、河原温・池上俊一著『都市から見るヨーロッパ史』(放送大学教育振興会・2021年)

 

年末年始古今東西

 年の瀬もさしせまってきてからこの記事を書いております。ちなみに12月29日は照二朗の誕生日です!  誕生日でした!

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おねだりは置いておいて、当方は自分の誕生日のあるこの時期が好きです。クリスマスのイケイケワクワクが過ぎ去って、キラキラにぎやかでありつつも神聖でどこか静粛なムードだけが残り、「お正月」の曲がスーパーで流れるようななんともいえないフワフワ感。

お雑煮や正月遊びが地域によって千差万別であることからもわかるように、年末年始ってその国、その地域独自の祝祭習慣を色濃く残しているし、家族でおうちで過ごすことがデフォルトであるため原風景的に個人個人の心に残るものだとおもいます。

 「We wish you a merry christmas. And a happy new year.(よいクリスマスを、そして新年おめでとう)」という歌詞があるように、クリスマスの本場である欧米キリスト教圏ではクリスマスから新年までをひとまとまりのものと考えることが日本でもよく知られています。たんに「ホリデー」「ホリデーシーズン」と言った場合、祝日全般ではなくこの時期をさします。年賀状が日本独特の郵便文化なことはなんとなくみんなわかっているとおもいますが、このホリデー文化圏ではクリスマスカードが「一年お世話になりました、ことよろ」のニューイヤーグリーティングの役割を果たしています。

 

 このように習慣が違い、あと時差的な意味で新年を迎える時間が数時間違っているにしても、現代は全世界的に少なくとも同じ「2024年1月1日」を新年として祝うことになります。

しかし、われわれと暦を共有していない文化の人々にはそれぞれの時間の区切り方があるのが当然ですし、日本にもまた「旧正月です」とか「暦の上では……」といった言葉が残っています。われわれのよく知る世界の中ですら、「学校の年度が始まる月」は国によってぜんぜん違うし、そもそも日本でも「新年」と「新年度」が違う月に始まる面倒臭さですしね。「年のはじめの日」を設定するのは人間であるので、年末年始というのは普遍的な宇宙の決まりとかではぜんぜんないのです。じつは。

そして、暦(こよみ)の設定はその土地の慣習の影響を受けながらまさに「時の」権力者の権威付けをともなって行われるものです。暦を管理することは時空を治めること。古代エジプトではシリウス暦、メソポタミア文明ではバビロニア暦、ローマのユリウス・カエサルがユリウス暦を、日本の平安時代には陰陽寮が暦を発布するというふうに王朝が天文や数学の専門家を擁して、税政やあらゆる管理の基準になる「時」を統一する権威を発してきました。

現代日本を含む多くの国で採用されているわれわれにとって「ふつう」の暦法は、かなり正確なものであったローマのユリウス暦のズレをローマ教皇の名のもとに是正した「グレゴリオ暦」といいます。そういうわけでキリスト教世界や、結果的に欧米の常識を採用することになった世界のスタンダードになっています。いっぽう、中国方面からインバウンドが押し寄せたり中国企業の通販が軒並みお休みしたりすることで日本にも近年多大な影響がある2月の「旧正月」は月の運行を基準とした(太陰暦)中国の伝統的な暦法によるものです。

このように現代でも暦の違いが一年の生活リズムに大きな違いを生んでいます。時代や世界が違うならその違いが大きいことはいうまでもありません。すなわち、違う歴史をもったファンタジー異世界には、その世界なりの暦が、年末年始の習慣があるということなのです。それってなんかワクワクだしホッコリじゃん。

いろんな文化の年末年始に思いをはせていこー。

 

日本の歴史との比較

 この時期って、一般的な現代日本人のクリスマス→除夜の鐘→神社に初詣というスーパー宗教チャンポンタイムがよく話題になりますよね。そうなってからもう何十年も経つので伝統的な日本の年末年始のニュアンスは微妙に想像つかないぜ。

ニュアンスは置いておいて歴史の話をすると、日本に今のグレゴリオ暦が導入されたのは明治6年、今から約150年前のことです。時期からも想像がつくとおもうのですが、これは開国にともない欧米列強と付き合ってくうえでスケジュールの書き方がズレてるとわけわかんなかったからです。なんかほとんどズレなくてべんりそうだし。ざんぎり頭で文明開化だポン。

そうなる前のことをずっとさかのぼると……

もちろん、地域を問わず人間がまだ狩猟採集をしていたころから「なんか、おおむね同じくらいの期間で日が長くなって温かくなったり、短くなって寒くなったりするぽい」とか「暖かい寒いのめぐりにあわせて食べ物のたべごろが来るぽい」とかのことは経験的にわかっていてざっくりした対応を組んでいたでしょう。穀物を栽培するようになってからはそれがより細かいスケジュールとなり、和語の「年(とし)」という音は「稲がよく実ること」と「稲を収穫する刃物のするどさ(利・とし)」をあらわす「禾(いね・とし・のぎへん)」を語源とするともいわれます。

日本に正式に暦が採用されたもっとも古い記録は飛鳥時代・持統帝の御世です。あるいは推古帝の御世という説もあります。いずれにしても飛鳥時代は中国(当時は隋唐)や朝鮮半島から仏教とともに進んだ技術や学問を取り入れまくって政治のやり方を構築していた時期です。広い範囲を律令で治めるために暦は不可欠だったというわけですね。

このころの暦は月の満ち欠けを基準とした太陰暦で、「うるう月(ひと月多い年がある)」というダイナミックな方法でズレ調整を行っていました。かなり正確なユリウス暦さえ何十年も経てばズレてくるのでまだまだ調整と改暦が必要だったのですが、遣唐使船の廃止にともない暦の輸入もストップしてしまい当時の暦「宣明暦」がなんと江戸時代初期までずーーーっと金科玉条化。ズレも予測外れも発行元の違いによる矛盾も多くみんな困っていたところを、ついに地道な天文観測や算術の力で暦を改めた日本最初の日本製の暦法が作られました。これに取り組んだ渋川春海を描いた小説が映画化もされた『天地明察』です。

その後江戸時代には何度か太陰暦で改暦が行われ、明治に太陽暦である現在のグレゴリオ暦を導入して世界水準に合わせることになります。支配者の権威をあまねく世に敷くのが暦なんだけど、それを基本輸入でまかなっているのが日本の特徴ですよね。辺境根性だけど再利用とアレンジが得意。

 

 歴史はこのくらいにして、グレゴリオ暦が採用されるまでの日本の太陰暦での年末年始の考え方について。

現代の日本でも、慣習的に正月のことを「新春」といいますよね。『プレバト!』とかで季語について知られることが多くなってきましたが、「正月」は春の季語なんですよね。1~3月は伝統的な日本の歳時記では春にあたります。2月後半から3月はまだわかるとしても、1月なんて全然春じゃない、むしろ冬まっさかりのはずなので、教え子に「昔は1か月ちょっと季節がずれてたんですか?」と聞かれたこともあります。

これはむしろ順序が逆?ていうか? 昔の文で「1月(睦月)」って呼ばれてる時期は今の1月のことじゃないっていうかで、旧暦では現在のグレゴリオ暦でいう「2月3、4日」を「正月」としていたんですよね。正月そのものが、1か月ちょっと遅いん。

ちなみに、月の満ち欠けを基準としていた(新月に月が開始)ので月は29日または30日周期で31日はなく、一年で最後の日を「おおみそか」と呼ぶのは「三十日(みそか)」の大ボスであるという意味からです。現代では31日ですけど名前は残ってるんですね。

伝統的な日本の歳時を知るために現代でも見ることができるのが、「二十四節季」です。「暦の上ではもう春です」って言ったりするあれ、先ほどの「2月3,4日」いわゆる「節分」は、二十四節季の「立春」の時にあたり、この「春立てる」ことを昔は正月節といったのです。たしかにそのころから近畿以南や関東平野部のあたたかい地域では梅の花がほころびはじめ、命の気配がじゃっかんしてきて、日の短さもちょっとマシになってきたように感じられることでしょう。なるほどなー。

まあ世界一雪降るおらが越後にとっては2月なんて一番雪多い「閉ざされ月」なんですけどね。

このように、暦には為政者の都合や歴史があるだけでなく受け取り方の地域差もあり、それはファンタジー世界でも同じです。

 

 日本の年末年始の習慣で伝統的・全国的なものといえば「大掃除」「正月飾り」「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「おせち料理」「もち」「雑煮」あたりですね。

これらは、「初詣」以外は江戸時代にはすでに行われていた風習です。あと、現代には残ってない「年末に掛け売りのツケを清算する」という風物詩もよく人情噺や滑稽噺になっています。当時は決まった店が身元がはっきりしてる消費者を相手とする日用品買い物や大きな買い物は、その場で現金払いするのではなく、店側が記録しておいておおむねお盆と大晦日に支払いをもらうというのが一般的でした。だから年末はどうにかして支払いをごまかそうとしたり年越し支度も放り出して逃げ回ったりなんてことも……。

初詣が一般的でなかったのは、年始は「家に年神様を迎える」ための時期であるとされるからです。門松を飾ってここに家がありまーすと神様を誘導し、おせちや鏡餅で歓待。米をこねたモチが日本文化の中では神様に通じる神聖な食べ物であることはもちろん、おせち料理も「御節供(年の変わり目の神様への捧げもの料理)」というのが元の言葉。それらを年神様とともに共食したり、おさがりを雑煮にして食べたりすることで新しい年の息吹をいただくのです。「お年玉」というのはもともとおカネではなくこうした年神様の魂の宿ったおモチをいただくことをさしていました。

さまざまな正月遊びが伝わっているのも、かるたも福笑いもすごろくも羽根つきも別に正月じゃなきゃできないような内容じゃないですから、何より「大人の仕事も子供の手習いもだいたい休みである」、家族みんな揃っていて遊べる楽しいホリデーが正月くらいしかないというのが大きかったのでしょう。

現代ではすっかり想像がつきづらくなってしまいましたが、ほんの数十年前ですら正月はどこの店も開いておらず家で遊ぶかおせちをつつくか寝正月かしかできることはありませんでした。それは欧米のホリデーシーズンも同じですし、違う世界でも年末年始はそうかもですよね。

 

現実とフォドラのカレンダー

 今回の舞台裏はいつもとは違って、現実のローマ帝国→中世ヨーロッパ社会とフォドラ社会の暦の制定事情を比較したのちに、地域差がありそうな部分について妄想をふかめていきたいとおもいます。

現実のローマのカレンダー

 最初期のローマの暦「ロムルス暦」は、厳密には「一年全体」を対象としたものではありませんでした

こう言うと何言ってんの?という感じですが、これはそもそもカレンダーを作る目的に関わりがあるよい例です。日本の「とし」という言葉が稲作に直結していたと述べたように、ローマ暦も農耕を中心としたカレンダーだったので、特に農耕やることない時期についてはカレンダーが必要なかったのです。農耕の時期のはじまりとおわりまでにカレンダーがあり、ほかはなんか名前とかない期間。

暦のはじまりを飾るのは、ローマの建国王の祖神とされるマルス神の名をいただく「Martius(マルティウス)」現在のMarchの月(3月)。4番目(現在の6月)までめでたい神の名をいただく月の名前が続きます。拙著『フォドラの舞台裏。-風土編-』でも述べましたが、ローマ帝国でいかに農耕が重視されていたかを示しています。

神の名前をもった月が終わった後は「〇番目の月」っておざなりになります。現在の12月で暦は終わり、1月2月にあたる時期は別にスケジュール切らなくていいから家でおとなしくしてろやという感じです。ちなみに12月をあらわす語Decemberはこのころにもう完成しており、最後の月は「December(デケンベル)」といいましたが、これは神の名に由来するとかではなく「10番目」という意味です。12番目じゃなく。だって今の3月から数えたら12月って10番目だもんね。

 

 一年のすべての時期に月名があてられたのが「ヌマ暦」です。一年が終わり清算して新しい一年の再生に向かう時期である1月と2月には「はじまりと終わりの神ヤヌス神の月(Jānuārius)」「浄罪の神フェルブスの月(Februārius)」と名前をつけ、英語のJanuaryとFebruaryの語源となっています。さらに「ユリウス暦」のころにはユリウス・カエサルや跡を継いだアウグストゥスが神の名の月に次ぐ現在の7月と8月に「ユリウスの月(July)」「アウグストゥスの月(August)」と自分の名をつけ、それが現代のラテン語系の言葉の月名にも残っています。

ローマ帝国で農耕が重視されていたために現在の3月が暦のはじまりだったことは確かですが、「政治年度」はその新年の2か月前(すなわち現在の1月)からはじまる慣習があったために、カエサルの改暦のさいに「政治年度に全体を合わせようよ」と決まり、1月が新年であるという扱いになりました。

この考え方は、ローマ帝国からヨーロッパの世界観を敷く役目を引き継いだキリスト教会組織が広め現在まで続くグレゴリオ暦にも引き継がれていきます。

 

現実のグレゴリオ暦

 グレゴリオ暦でわれわれが普段使っている「西暦」での年数の数え方、90年代とか2024年とかいうやつは「キリストがこの世にあらわれた年」を基準としています。そう考えるとスゲー基準だな。キリスト以前とキリスト以後はこの世の摂理が違うの。神との約束が違ってくるんで。

そして、ローマがなんやかんやあって1月を新年としたことは、キリスト教の伝播のなりゆきとも息が合っていたっぽいです。

年末年始のホリデーな節のはじまりであるクリスマスは「イエスの誕生日」としてよく知られていますが、現実の人物としてのイエスの誕生日はちょっと違くて1月何日とかいろいろ説があります。なんつったってイエス生誕を祝う12月25日のお祭りが制定されたのは4世紀くらい、イエスが地上タウンにさよならバイバイしてから何百年もあとのことなんですから誕生日なんて不確かに決まってます。

じゃあなんでそこを「主は来ませり祭り」にしちゃったのかというと、そこがもともとめでたいお祭りの日だったからです。拙著『フォドラの舞台裏。-ライフステージ編-』とかでもちょくちょく述べていますが、キリスト教はひろく布教するにあたり、いろんな土着の信仰を消すのではなくて吸収してキリスト教の行事ってことに名前を変えてきたという歴史があります。多神教的なウェーイな祝祭をちょっと真面目寄りの守護聖人のお祭りってことにしたり。ハロウィンなんかもそのひとつで、死者が帰ってくるとかいうおどろおどろしい異教的な祭りに「万聖節(すべての聖人の祭り)」というガワをかぶせています。

クリスマスもまた、その代表的なものです。クリスマスのちょっと前の時期は毎年だいたい冬至の時期にあたり、これはみなさんご存知のように一年で最も太陽の出る時間が短くなる時期です。言い換えればここがドン底であとはあったかくなるばかりなので、キリスト教以前のヨーロッパ世界ではしばしば冬至のあとは太陽の復活を祝う祭りが行われていました。これが、これから暗い世を照らすために幼子イエスがこの世に来てくれた喜びになぞらえられ、12月25日はクリスマスとして自然に受け入れられていったのですね。

 

 で、年末年始は冬至付近なもんだから寒いし、不滅の生命力を象徴するモミの木などの常緑樹以外植物はみんな葉を落として死ーん……としているしで、優雅な狩りができる貴族以外はフレッシュな食べ物を手に入れることが難しい時期です。つまりノーベンバーからディッセンバー上旬の「年末年始シーズンの準備」というキラキラワクワク感を帯びたような仕事は実は保存食の備蓄とおこもり体制の構築という冬眠前のクマみたいな事情を含んでいたんですね。キラキラの秋のクマ。

日本人がおモチをついて乾かしたり、昆布やするめやニシンなどの干物、こんにゃく、根菜類をおせち料理のために用意するのと同じような年越しじたくとして、西洋では豚さんをシメました。Novemberをあらわす月の暮らしの絵には、「豚をシメる農民」の図があらわれている例が多くあります。

これをこうして

こうじゃ

塩漬けの豚肉やその他部位のソーセージ燻製のほかに保存がきく栄養のあるものは、バターでしょ、ナッツでしょ、干しくだもの、ベリーを煮詰めた瓶詰、スパイス……。冬は燃料だって貴重なので本格的に無理になる前に一気に調理して保存しておきたいですから、そんな事情を一身に背負ったのが↓これ↓というわけです。

あるいはこれ。

こういうギュムギュムにつまってドライフルーツやバターや酒や香辛料たっぷりのホリデー菓子は、出たなカロリーのおばけ!!汝は罪!!という感じもしますが、本来ちょこっとずつ食べてなんとか生き延びるためのつくりなんですよね。

「クリスマス」という儀式は実は本番の日の一か月くらい前から「待降節」というかたちではじまっていて、この間は来る太陽再生とキリスト生誕の日のため祈りと断食の日々をすごします。だから肉じゃなくて少量でも栄養のあるシュトレンをチビチビ食うわけ。これが中世の年末です。粛々としてる。そういうギリギリ生存戦略を「クリスマスまでじっくり熟成させながら食べる」というホッコリした家族の時間に転化する感じって、なんかファーガスみがあるよね。じっさいファーガスのモデルになったような北フランスから東北部のヨーロッパの習慣なんですけど。

こうしてちょっとずつ冬支度やお菓子熟成をして迎えた12月24日の夜から25日、イエスの生誕を祝い太陽は再生をはじめ、それが新年のはじまりとなります。別にJanuaryにならなくても新年。月的にははじまりの月はJanuaryですけどほんとにメリクリアンドハッピーニューイヤー。断食は明けて冬支度したお菓子などのごちそうを食べ、家族とほっこり過ごします。東方の三博士が幼子イエスに会いに来て公にイエスがおひろめされた日となった、という設定の1月6日の「公現祭」がいわゆる仕事始めの日となり、ホリデー終了となります。

基本的な中世ヨーロッパの「年末年始」はこのようにクリスマスでしたが、春の「イースター」や9月はじめの「世界創造の日」なども一年のはじまりとして認識されることもあります。イースター(復活祭)はキリストが磔にされ刺されたけど復活したことの祭りですが、「タマゴ」と「ウサギ」がシンボルになっていることからもわかるようにクリスマスと同様生命力を尊ぶキリスト教以前の異教の祝祭と集合したものです。神が世界を創造したとされるのが9月はじめになっていることは、キリスト教圏の学校の年度が多く9月はじまりになっていることの元でもあるみたいですね。

 

フォドラの帝国暦

 フォドラの暦である「帝国暦」は、以下の点で現実と類似しています。

  • グレゴリオ暦と同様、制定前にさかのぼって「紀元」をさだめ年号をつけている
  • ローマの暦と同様ローマ的な地方を基準に、農耕ベースの春スタートである
  • キリスト教の時期の名前と同様「〇〇の節」と月に名前がついている
  • 12月25日が特別なパーティーの日である

 まず、作中のフォドラ社会で広く用いられ、庶民まで「誕生日」がわかるほどよく普及している帝国歴は初代アドラステア皇帝ヴィルヘルムの勢いいちじるしい御世に発布されたもので、発布から数十年さかのぼって帝国の建国を元年として「帝国暦〇年」と年号を数えています。しかし、それまで暦が普及していなかったというわけではなく、帝国暦以前の暦もみつかっています。ヴィルヘルム一世はあえて暦をあらためたということです。

これは節(月)の名前をセイロス教に関連した名前にすることで帝国の影響範囲にセイロス教の秩序をいきわたらせることと、帝国建国を基準とした暦によって帝国に特別な権威を付与することを目的として行われた事業っぽい、というようなことがアビス書庫の『暦の謎』に書いてあります。こうした戦略や暦に関する天文知識はセイロスやキッホルが「女神からの神託」というかたちで授けたものと考えられます。

節の名前つけたのもセテスなんじゃないかなあ。「竪琴の節」の「この節に生まれ、あるいは亡くなった」「音楽を好んだ」聖人って、5月には聖マクイルの誕生日があるからマクイルのことか、そうでなければもしかしたらフレンのお母さんのことをセテスが言い伝えに残したのかもしれませんね。他の「亡くなった聖人(女神の眷属)」って赤き谷で大量虐●された人がほとんどなはずなので……。

『暦の謎』には、帝国暦以前にあった暦では「1月」とか「12月」とかいうふうに各月間が数字で呼ばれていたことが奇異なことのように紹介されています。

帝国暦が制定されて久しいが、それ以前の暦では、1年は守護の節から始まり、星辰の節で終わっていたことがわかっている。十二節は存在せず、「節」の代わりに「月」という呼称を用いていたという。

守護の節が1月、天馬の節が2月……というように数字が1ずつ増えていき、星辰の節である12月で1年が終わる。風情はないが、合理的な呼称であることは間違いない。

よく設定された異世界の常識からみて「こちら側」の常識がヘンなものとして分析されるの、楽し~~~ッ! 醍醐味~。

とはいえ、実は「月を数字で呼ばない」というのは異世界レベルでなく実は英語をはじめとした欧米圏もそうなんですよ。「1月」とか月に数字を振るのは日本では当たり前のことですが、日本人向けじゃない英語のカレンダーには「January」と書いてあるだけで「1」とは書いていないのです。さすがに「A first month in a year(一年で最初の月)」と言えば通じはしますけど、数字で呼ばない、フォドラと同じ感じで「〇〇の月」って名前で呼ぶってこと。だから『暦の謎』の内容が英語版でどういうふうに書いてあるのか気になる(Januaryとは書いてないだろうなとか)し、本編のカレンダーシステムに日本人にわかりやすいように月の数字が書いてあるのもなんか変な感じだったのかな……ておもいます。気になる。

 

 そして、現代日本とフォドラとの最も大きな違いが、年末年始の時期ですね。12月25日(にあたる日)が作中で大事な日なのでついヨーロッパと同じ感覚でそこからハッピーニューイヤーな感じがしてしまうのですが、フォドラの新年の節は「大樹の節(現実の4月)」です。

オグマ山脈から吹き下ろす冷たい風が弱まると、フォドラの大地は豊かな緑を芽吹かせ、一年の始まりを告げる。やがてその緑が大樹へと成るように、人々は自らの生が実り多きものとなるのを祈って年始を祝うのである。

ゲーム中最初の節の説明ナレです。このとおり、大樹の節は「寒さが和らぎ、まともに仕事を始められる」「命の芽吹く春」であることを重視され、人々にとって一年の計を抱くお祝いの時期であるようです。ただし、ファーガス北部においてはまだまだ雪も解けきらないかもが否めないので、あくまで帝国の地理ベースですね。ちなみに元日にあたる現実の4月1日にあたる日がアドラステア帝国建国記念日です。元年元日はアドラステア帝国の建国が宣言された日。

孤月の節(3月)のナレなどからも察するに、暦上の年度も士官学校の年度も仕事上の年度もすべて大樹の節はじまりのようです。フォドラの人々は現実でいう3月に新生活への清算や準備をして旅立ったり、4月の頭には家族でのんびりチルしたりするものみたいですね。

春が別れと出会いの季節なのは現実と印象同じですが、現実のホリデーシーズンの感覚も大樹の節(4月)の頭にあるみたいで『無双』では戦争してたら新年が終わっちゃってた帝国兵が「もう大樹の節終わっちゃいましたよ~」と嘆いています。

たとえば家から離れて仕事をしていたギュスタヴやグレンが休暇をもらって家に帰ってきやすいみたいな時期ということでしょう。ふだん帝都に暮らすことが多い帝国の高位帰属たちも年末には実家に帰って年末の大精算をしたりして、大樹の節1日の帝国建国の日に参賀して大宴会するのかも。

孤月の節末とかには新年の準備のための特別な品や服や道具の新調のための市(現代でいう「新生活応援フェア」みたいな感じも混ざる)が開かれて春っぽくなってきた浮かれ調子も手伝って経済が動きそうです。年末年始のどこかでは領主の館でふるまいの宴があって、庶民はそこでもらったおこぼれを家に持って帰ってみんなで食べるでしょう。

その時期の気候から年末年始のごちそうの定番を考えると、現実のヨーロッパの慣習でいう遅めの「謝肉祭」か、時期ジャストの「復活祭(イースター)」に近そうです。時期と雰囲気的にイースターのほうが近そうかな。キリストの復活を祝う意味がなかった民間信仰のころから、三月末〜四月頭は生命のパワーが芽吹く時期として祝われましたから、卵のほかにミルクをふんだんに使ったフワッとしたお菓子(冬支度のお菓子とはまたようすが違いますね)、子羊のローストなどといった若い命を感じさせるフレッシュな感じのお祝いメシが供されました。

イースターっぽいのであれば、孤月の節の春の気配を感じながらも粛々としたムードから考えるに、年末には現実の「四旬節」にあたる断食期間があるのかもしれません。断食といっても魚や野菜は食べていいのですが、「新しい春の復活の祭」に向けて肉を断って祈る時期です。ちなみに断食前にためこんでいた冬の塩漬け肉をワーッて一気に食べまくるのが「謝肉祭」。どっちにしても祭りの前はチビチビ食べる慣習です。

そう考えると、孤月の節31日というド年末のおおみそかにガルグ=マクに攻め寄せてきたエーデルガルトは腹減ってるかもしれないところを狙うみたいなエグ印象も追加になるのかもしれませんね、世間の目的に。年末年始の祭、それもセイロスがアドラステア帝国をフォドラの守護者としてはじめて冠を戴かせた日の前日に何もかもをぶち壊しに来るというのも相当冒涜的です。エーデルガルト的にはそれが「この支配からの卒業」「新しい誕生日」ということなのですが。

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春から一年が始まるのはローマっぽい要素でもありますが、ローマの場合3月から始まりますから、帝国歴が4月はじまりなのはメタ的に「日本の学校の新年度」に合わせてもあるのでしょうね。カレンダーシステムのRPGといえば同様にタロットをモチーフにしてもいる『ペルソナ』の3~5で、あれも学校生活の一年弱をひとつの物語のサイクルになぞらえてますしプレイヤーにわかりやすい。

「学校の年度」なので、天馬の節(2月)末にエーデルガルトが宣戦布告をやらかさなければ本来は孤月の節の上旬から中旬頃には士官学校は卒業式が行われ、生徒たちはそれぞれの家に帰る予定だったのだと考えられます。昨年度はそこらへんでモニカが闇うごに誘拐されたわけで、すでに明らかに帝国軍の伏兵が潜んでいそうな状況なのですから利用価値たっぷりの良家の子弟たちを一気に解散させられません。かくして卒業式も帰宅もしてる場合じゃないまま生徒たちはおうちでチルしてるはずの年末に篭城戦に巻き込まれることに。

 

というわけでフォドラにおける年末年始とは春の出会いと別れと芽吹きの行事ですが、かといって、12月25日から1月にかけての意味がフォドラと現実でまったく異なるかというと、それも違うようにおもいます。なぜならその時期が冬至であることは変わらない気候条件だからです。新年の準備という名目でなくとも冬支度をしなければならないことは同じですし、冬至時期の底から太陽の復活を祈るであろうことも、それこそ日本ででも同じです。

透き通った冬の空に、星辰が瞬く。青海の星はその姿を隠し、女神は遠く天上から、地上の平穏を祈るという。ガルグ=マク大修道院では、落成を記念する周年祭が今年も行われ、5年後の千年祭に向け、人々の祈りは大きくなってゆく。

現実でのクリスマスの日は、フォドラでは「ガルグ=マク大修道院落成記念日」となっています。太陽が死に再生へ向かう時期に現実では神の子の誕生がなぞらえられたように、フォドラでは女神の星が隠れる時期に、女神の加護を現世に示す約束と希望の象徴が落成されたのですね。

寒い時期に、神の加護と神が繋ぐ家族や友人知人とのつながりを確認して飯を食って、ありがたいなあって思う、もう今が一番の闇の底でこれから日も長くなってくばっかり、暗い夜から夜明けへ向かうぜって、つないだ縁を信じる。つめたい空気がその気持ちを洗い清めるみたいに感じる……。

イエスにあたる預言者セイロスが生まれた日よりも、かつて家族と暮らしたお家とお墓を守り、人々の心が集まれる大事な場所が生まれた日のほうが大事って決めたんだ、レアは。ガルグ=マクは「みんなの学び舎」「みんなの家」。

「年末年始」の時期は違いますが、「この時期」にフォドラにも特別なお祭りがあって、みんながなんやかんやありながらも万事繰り合わせて約束を信じて「家」に集まるイベントの時期に設定されたこと……。それはやっぱり我々の知っている、この時期にしかない、あわただしくドサクサにまぎれつつも神に導かれるように厳粛で、それでいてどこかホッコリするような……こんな気持ちに近いんじゃないかなっておもうんですよね。

 

 2024年は風花雪月5年目の同窓会イヤーだ!! みんな集えー!!

『フォドラの舞台裏。』シリーズ、書下ろしをたっぷり含めて5周年記念に発行準備中! ご予約開始時期は当方のX(Twitter)アカウントをチェックあそばせ。

最近表紙のイラストレーターさんが決まったぜ! ちゃくちゃくと進行してます。

入れる予定のある中世・近世の舞台裏としては「交通」、「動物」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

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あわせて読んでよ

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『フォドラの舞台裏。-風土編-』ハンドブック頒布のおしらせ

当ブログの『フォドラ〇〇事情』シリーズは、書下ろしを含みこれまでに3冊のハンドブックに印刷してます。それで今週出す新作がいよいよ『いただき! ガルグ=マクめし』の延長戦みたいになってるのでちょっと宣伝をば……。

紙の同人誌の既刊は↓こちら↓で常時取り扱ってます。ハンドブックは在庫僅少。

shojiro.booth.pm

 

2023年11月23日(木曜祝日)、東京ビッグサイト東6ホールで開催のファイアーエムブレムシリーズ同人イベント「刻印の誇り」内「み25b」スペースにて新刊『フォドラの舞台裏。-風土編-』を発行しま~す

当日はこのポスターがめじるし!

 

 

『フォドラの舞台裏。』シリーズについて

『フォドラの舞台裏。』は、風花雪月の世界観設定が中世・近世ヨーロッパをもとにしてたり作品テーマにあわせたアレンジがされたりしてて絶妙~なので、『いただき!ガルグ=マクめし』で食文化やキャラごとの背景を考察したのと同じようにいろんな生活文化を推察しちゃお!という旨の、テーマごとに分けたハンドブックです。

  • 細かく設定されてるっぽいけど本筋では語られないフォドラワールドにもっと浸りたい
  • 文化や歴史感で表現されている物語の質感を深く味わいたい
  • 妄想や二次創作で生活の現場をイメージしやすくしたい
  • 中世~近世ヨーロッパをモチーフにしたファンタジー創作の世界観づくりの参考にしたい

などの用途で楽しんでいただけます。

現在、上下水道とトイレに関する『水回り編』、書物や学問事情の『学業編』、結婚や誕生や死にまつわる『ライフステージ編』の3種をすでに発行しています。

風花雪月5年目の同窓会的に来年全部まとめて倍くらいに書き下ろしも増やした厚い本を出したいとは思ってるのですが、予定は未定です。

 

 

今回の新刊の内容

今回のテーマは「風土」、地理気候やそれによる産業についての話です。

すでに帝国と王国の気候については↓この記事↓でブログにアップしてありますので、サンプルがわりにどーぞ!

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こんなかんじの話をA5で70ページします。

目次はざっくりですけどこんなの~

特に『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』では本編で抑えめにされていた各国・各地域の地政学的な前提の違い、それによる考え方の違いが多めに表に出されました。

戦争や信念の対立は、人の生まれつきの個性とか完全に自由な意志による決定から生まれるものではありません。誰しも生まれた土地があり、そこの暮らしの習慣があり、余裕のありなし具合も常に何に気を配っているかも違い、それが何十年何百年と積み重なったぐらぐら危機一髪の上に立って手を伸ばす選択の重みを描いたのが、風花雪月の表現の深みだよなっておもいます。そしてそれは、現代のわれわれにもバッチリつながっているわけで。そういう本です。

あと『いただき! ガルグ=マクめし』からさらに食糧事情掘り下げしています。紅茶のフェルディナントVSテフのヒューベルトの対立に『無双』でさらに背景が加わってきたこととか、同盟の食の豊かさと多彩さがはらむ政治的緊張とか。

 

これまでの本のテーマとまとめ本のこと

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ちなみに今回の新刊を含めたハンドブック4冊は、実は↑上の記事↑で書いた『風花雪月』の4ルートの4つの元素・4つのテーマ方向性になぞらえてあるのでした。

『水回り編』は水だけど帝国の得意とする「人為的テクノロジーによる自然制御・利用」の話なので帝国の「火」、
『学業編』は「ことばと物語、目に見えない信念の継承」の話なので王国の「風(天)」、
『ライフステージ編』はもちろん「命と家族共同体のリレー」の話なので教会の「水」、
そして今回の『風土編』が「大地に根付いた人の生き方と経済」の話なので同盟とクロードの「土」です。

分厚い本もこの4つの大テーマに分けてテーマをもうけています(執筆中)。「情報伝達」とか「動物」とか「エネルギー」とかね。

まだ入れるテーマ決まりきってないので、「これについてしゃべってよ~」というご希望ありましたら記事をXにポスト(ツイッターにツイート)したりするついでにおしえてね。

 

通販あんの?

通販もあるでよ! 通販開始になったら当方のXアカウントでお知らせするので、Xのフォロー、もしくは↓BOOTHの通販出張所↓をフォローしておくとよいです。

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ただ、通販はイベント頒布が終わってから開通だし、通販の部数さほど多くないんで、イベント来る方は現地のほうが確実なんかもです。わからん。

 

というわけで11/23はよろしく&今後の『フォドラ〇〇事情』執筆のご愛顧もよろしくです!

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褪せぬ秋の日(メルセデス・ローレンツ)―FE風花雪月と中世の食⑬

本稿は2021年6月に発行しました『いただき! ガルグ=マクめし副読本 -フォドラ食物語-』が完売してだいぶ経ったため、SNSフォロワー限定オマケをWeb再録するものです。『いただき! ガルグ=マクめし』の中の関連キャラクターの項と、二次創作小説をセットでどうぞ。

※『褪せぬ秋の日』は照二朗の書いた小説となります。挿絵イラストは表紙と同様マルオ先生によります。末尾にはWeb再録にあたって解説コラムコメントを書きなおしています。※

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11/23の新刊では『いただき! ガルグ=マクめし』の延長戦的にフォドラ各地域の「気候」と「特産物」の話をたっぷりしますよ!

 

 

キャラクターの食の好み

ローレンツの好み、および紋章の特性についてはこちら

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メルセデスの好み、および紋章の特性についてはこちら

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褪せぬ秋の日

 

 角弓の節の風が夏の終わりを告げてのち、フォドラは葡萄の実りと冬の準備へと向かうための季節を迎えていた。

 

 家督を譲られて初めての領都の葡萄酒祭を無事に終わらせたローレンツは、飛竜の節の下旬、ガルグ=マク大修道院を訪れた。消えてしまった元・盟主からの密書を携え、恩師と今後の旧同盟領のゆくべき道を相談するためだった。師は困った元・盟主(あの生徒)のやっていることをおおむね察していたようで、いつも通りローレンツばかりが彼に振り回されて悩み惑っている心のうちを一人で話してしまった。

 師は最後に静かに「クロードはローレンツを信頼している。自分もローレンツの判断は信じられると思う」と言っただけだったが、聞いてもらううちになぜか不思議と考えはまとまった。今は師の勧めを受けて、懐かしい学び舎でもある大修道院をゆったりと散策しているところだった。主だった場所の補修は終わり、外壁の崩れに対してもさかんに職人たちが仕事をしていて活気がある。

 

 最近再開したガルグ=マク士官学校の生徒たちの、かつてローレンツも着ていた制服とすれ違う。視界に入れるだけでローレンツを名家の貴族であろうと察した貴族の男子が上品な仕草で礼をとってくれ、ローレンツは好感を覚えた。少しばかりあわてた様子なのは、彼が後ろ手に隠すようにした花が原因であろう。大輪の薔薇などではなく、ささやかな花のついたほとんど草のようなものだったが、小さな花束のようにリボン飾りで結ばれていた。星辰の節の舞踏会まではそう時間がない。意中の女性に贈るのだろうか。

 あの小さな草の花を贈るということは、相手は気取らない平民の女性であるのかもしれない、とローレンツは思いを巡らす。しかし、士官学校が再開したばかりの今の世情でここに学びに来る平民の女性とはいかなるものであろう、それはレオニーのように稼ぐ戦士になろうという強烈な女性か、あるいは箔と人脈を作って貴族と結ばれることを親に望まれている女性か……。などと、思い巡らせているあいだに、草花の爽やかな香りを残して彼はゆき過ぎていった。

 

 学生たちが駆け込んでいく昼時の食堂の脇、中庭の薔薇園は変わらずみごとなものだった。いや、戦争が始まって大修道院に人が戻ってくるまでの数年は荒れていたのだから、変わらずというのはおかしい。薔薇は手がかかる植物だとグロスタール家の庭師からの報告にも聞く。変わらないかたちに戻した人の手があるのだ。
今まさに薔薇の垣根に手をかけている修道士にローレンツは声をかけた。

「もし、薔薇の修道女どの。お仕事を手伝わせていただけるかな?」

 修道女は咲き終えた薔薇の実を摘んでいた。やわらかな白いヴェールが透け、薔薇の木の深い緑と、黄から真紅までとりどりの薔薇の実が映えて、花弁はほぼ死に絶えているのに花どきと同じほど美しく見えた。腰をかがめて作業している後ろ姿はゆったりとふくらんだ袖や裾とあいまって白パンのようにまあるく見えたが、不思議と田舎の婦人のようでなくしんとした清らかさがあった。きっと老女になっても同じようであろうと思われた。

 と、ローレンツは彼女が少し動きの遅い方なのを知っていたので、そのように考えるあいだ一拍二拍待っていたのだが、振り向かれないまま六拍めほどを迎えた。

「メルセデスさん、お仕事を手伝うよ」

 気まずいながらにローレンツがもう一度はっきりと声をかけると、今度は修道女は一拍だけで振り向いた。

「あら、あら~。ローレンツじゃない。驚いてしまったわ。もしかして、さっき私を呼んだの?」

 メルセデスはしゃがんだまま前髪をはらいながら振り向いた。心から喜ばしげな柔和な笑顔に、細いうす亜麻色の髪が少し張り付いていた。涼しい秋の空気の中でも汗ばんでいる、働き者の園芸用手袋から枯れ藁の切れ端がひとすじその前髪に絡んだ。ローレンツはそれをつまみ取って髪を整えたいとも思ったが、紳士として適切なときと行動を見計らうことにして我慢した。

「久しぶりだね。もちろん君を呼んだんだが、無視されてしまったのかと思ったよ」

「無視なんて、しないわ。私じゃなく、行儀見習いで来ているもっと若い女の子がいるのかと思ったのよ。薔薇の、なんて柄ではないもの~」

 確かにメルセデスはローレンツの好んで飾る紅薔薇のように生気とみずみずしさにあふれた女性ではなかった。美しい顔かたちに匂いやかに化粧をしているのに、たとえば、咲く薔薇ではなくて今ちょうど彼女が世話しているような、霜から守られるために足元を乾いた藁で温められ、亜麻をなった紐で固定された冬の薔薇の木のような。

 

 冬薔薇の修道女は、その通り冬のために乾かされたものの扱いの達人でもあった。すなわち、大修道院で育てられている香草類への乾燥などの処理を担っていた。「香辛料や香草のことならメルセデスに相談するといい。菓子の専門家だから、もうアッシュと同じくらい詳しい」と恩師に言われてローレンツは彼女をたずねたのだった。

 薔薇の実を摘み終えたメルセデスは、非力な腕でよいしょよいしょと麻袋を荷車に載せようとし、ローレンツは積極的に手伝った。

「ふう、これでいいな。メルセデスさん、もう仕事は終わったのかな」

「手伝ってくれてありがとうローレンツ。ええとね、この後は香草の畑に藁をしいて、それがひとつ終わったら、厨房の仕込みのお手伝いをしようと思っているの~」

 荷車を別の修道士に渡し、優雅に話を切り出そうとしたローレンツはこれは待っていてもだめだとあわてた。そういえば、「メルセデスちゃんは放っとくと際限なく奉仕活動をしちゃうのよー! みんな気を付けてあげて」と、人にものを頼んでやまないあのヒルダさえ戦慄していたのだった。

「メルセデスさん、念のために聞くんだが、それはぜひに今日、君でなければできない仕事なのかな?」

「そうねえ~、まだ霜は降りないだろうから、藁は無理に今日でなくてもいいわ。厨房も、特別忙しいとは聞いていないし~。もしかして、ローレンツが私に何か頼んでくれるの?」

「そう、そうなんだ。頼まれてくれるかい」

 ローレンツは何やら、考えていたよりずっとほっとした気持ちになった。香草について話を聞いて相談に乗ってほしいと伝えて、流れでメルセデスが香草茶をふるまってくれることになった。茶会のような席なら自分も安らげるが、メルセデスも少し休憩ができることだろう。

 


「お待たせ~。いくつか摘んできたわね」

 昼食休みが終わり静かになった中庭にメルセデスは茶器と香草の入った篭を持ってきた。取り落とさないようローレンツが香草の篭をひきとると、頭が冴えるような鮮烈な香りがした。執務をしている部屋にこうして草花を飾れたら仕事がはかどるかもしれないと思う。

「待っていて、今、飲み物を淹れるから。苦手な香りじゃないといいのだけど~。いくつかあるから、遠慮せず言ってね」

「お気遣いありがとう」

 ローレンツは作法として、急がず、飲み物が供されるまで相談を待った。メルセデスが香草茶に使ったのは摘んできた生の香草ではなく、栓のついた壺に入った乾燥した葉だった。茶出しに入れる際、メルセデスの瞳のような青紫色が見え、愁いをおびて清麗な印象であった。

「どうぞ」

「ああ、なんの香草かは言わないでおくれ。……良い香りだ、ありがとう。いただくよ」

 紅茶とは異なる薄い水色(すいしょく)の入った茶器が差し出され、ローレンツは出された香草茶の香りをきいた。どうやら、二つ以上の香草が混合されているようだった。

「ひとつは、ラヴァンドラだね。柔らかで甘い香りだ」

「そうよ~。さすがね。胃痛とか、頭痛とかを鎮めて、心が少し軽くなる香りなの」

「ふむ、他にも、香辛料のような香りがしているが……なんだい?」

「マジョラムよ。知っているかしら」

「品目としては知っているね。料理によく使われているものだろう?」

「そう。食欲が出たり、筋肉が凝って痛いのや攣(つ)るのをよくしてくれる香りよ~」

 効能を聞いてローレンツは内心舌を巻いた。机仕事で胃や肩をやられているのを見抜かれて気遣われているのだ。

 

 メルセデスも香草茶をひと口飲むのを待って、ローレンツは話しだした。

「君は香草や香辛料の効能を知って、よく役立てているのだね。
 知っているかもしれないが、僕は旧同盟領を通る交易を調整する立場にある。香草や香辛料を含めた、ね。しかし僕自身は、そんなに多種多様な香辛料を日常的に口にするほうではなくてね……。もちろん客人の饗応となれば料理人にとりどりのものを作らせるように用意するし、消化や健康のためにとる香草も好きさ。それは貴族として示すべき栄華だからね。ただ、あまり物珍しいものをたくさん、なんでも使ってみようというのは品がないだろう?」

「ふふ。クロードの話をしてるのかしら~?」

「……どのクロードの話か思い出せないな。なにしろ平凡な名前だから。まあそのどこかのクロードとやらの馬の骨がいるとしよう、慎みというものを知らないそいつの持ちかける取引に、唯々諾々と乗るわけにはいかないんだ、僕は。
 値や量を規制するなり、関税やなにかしらの管理を加えていかなければならないのだよ。もっと取引内容について知らねば。当家にももちろん詳しい執政官はいるが、方策を指示するのは僕だからね」

 メルセデスはふわふわと相槌をうちながらほほえんで聞いていた。昔は、いくら気持ちよく話を聞いてくれる人だとはいえ、平民の立場である彼女に何かを求めたり弱みを見せたりするのは好ましくないと避けていた。メルセデスが専門知識のある修道士という俗社会とは一線切り離された人間になったことはローレンツにとって新鮮で、喜ばしい面もあることだった。

「そうなのね。ローレンツは今、昔だったら同盟の盟主様みたいな立場だもの。大変な判断も多いのね~。どんな感じのことが困りごとなの?」

「一番の問題は香辛料の相場だね。需要の変化や流通している量によって値が常に動いているのは当然のことだとしても、香辛料の種類によって単位……というか、一樽(ひとたる)あたりいくら、一定の重さあたりいくらという相場の基準自体が異なっていて非常に管理が難しい。まして今は、これまでフォドラで一般に流通したことがないようなものが次々入ってこようとしているんだ。前例に頼ってばかりでいられないのが難題だ」

「へえ。大修道院や大きな教会ならダグザや東方の珍しい作物も育てているけれど、それがたくさん、街のみんなのための市場でも売られるようになるのね~。きっと混合調味料(シーズニング)もいろいろ作られるわ。お買い物をする側としては楽しいけれど……」

「そうなんだ。僕としても、平民たちの取引が盛り上がるのを止めたいわけではない。ただ、香辛料には皆が求める危険な魅力がある。市場に任せきりで何かあったときに値動きや流通を管理するすべがないのでは、貴族としてあまりにも無責任というものだろう? 事実、同じ品目の香辛料でも不可解なほどの高値と安値があることがあって、既に市場に混乱を呼んでいるんだ」

「まあ。それは、どんな違いがあるの~?」

 眉間が重くなってきた。困りごとの話が盛り上がってきて知らず知らずにまた肩が緊張してきていることに気付いて、ローレンツは香草茶を飲んで一呼吸おいた。

「どんな違い、か……。確かに、根拠になる違いがあるのかもしれないな。調子に乗った商人が、暴利のためや薄利多売のために行き過ぎた値をつけてしまっているのかと決めつけてしまっていたようだよ。どんな違いが考えられるか、君ならわかるだろうか?」

 学生時代に令嬢たちに声をかけて回っていたような、試すような高圧的な聞き方をしてしまっただろうかとローレンツは少し心配になったが、メルセデスはローレンツのぴりぴりした緊張を意に介さず、しばしおっとりと考える仕草をみせた。

「政治やお商売のことは私にはわからないけれど、そうね~。同じ植物からとれる香辛料でも、品質が大きく違うのかもしれないわよ~」

「すまないね。答えてくれてありがとう。……品質、とは、小麦の袋に別の麦や石や虫が混ざりこんでいないかの度合いだとか、加工品が作られる過程や輸送や保管のあいだに劣化していないかどうかとか、あるいは材料自体の格によって決まるものだと理解しているが、そのことかい? 東方で同じ植物を乾燥させた香辛料なら、輸送中の劣化があるくらいかと思っていたのだが……」

「そうね~、たとえば、これを見てちょうだい」

 メルセデスは香草を入れてきた篭から棒状のものを取り出した。ローレンツもよく知っている、よく料理のソースに削り入れたり、茶をかき混ぜて香りを移したりする肉桂(シナモン)であった。フォドラ貴族にとってはごく定番の香辛料だ。

「この、シナモンはよくお菓子やお料理に使うわよね~。これには、実は二種類があるの。これと、これよ」

 メルセデスが示した二本は見た目同じように見えた。しかし、手に取って香りをきいてみると、確かに若干の違いがあった。

 茶や料理の風味に敏感な者なら気付く程度の違いなので、おそらく裕福な貴族の家には両方仕入れられて料理によって使い分けられているのだろう。食べる側は、味の違いには気が付いてもそれが厨房で使い分けられている二種のシナモンによるものだと知ることはないが。

「ほう。ひとつの品目でもいくつかの名前が挙がることが確かにある。多くは特別な品だと思わせようとする無根拠な名づけなので、それをさばくのに神経を使っていたが、こんなふうに繊細な違いがあるものもあるのだね。そして誰にでも判断がつくわけではない」

「ローレンツはさすがね~。この二つはね、かなりお値段が違うと聞いたことがあるわ~。なんでも、こっちのほうはモルフィスよりももっともっと東で南の、妖精の国で作られているんですって」

「イグナーツくんが好みそうな話だ。それほどの産地の違いがあれば、なるほど、似た植物にも違いが出るのかもしれないね。フォドラでいう葡萄の品種の違いのようなものということか……。それは確かに品質が異なる。だがきっと、東方人にフォドラの葡萄の違いは細かくわからないだろうね」

「香辛料の場合は、すごく乾燥していたり、粉のようになっていたりすることもあるんだから、なおさらのことよね~。あとは、そうね~、この三日月茶は……」

 メルセデスは茶壺の栓を抜いてそっとローレンツに差し出した。香りをきくと、三日月茶を特徴づける南国の種子の、あたたかい夜のようなやわらかで甘い香りがした。茶葉の中にもその黒い種子や莢(さや)のかけらが混ざっているのが見えた。

 もう一つメルセデスが差し出した茶壷に身を乗り出すと、ローレンツは同じ三日月茶の香りをより鮮烈により華やかに感じた。香りが強ければいいというものではないが、明らかに品質の異なる茶葉だった。茶壷の中の見た目も少し異なっていた。色が深く、均一だ。「ごみ」のようなものが徹底してないのだった。ローレンツの家の茶棚にあるものもこちらに近い。

「なるほど。学生時代には、一つめのような安価な茶葉をよく見かけたものだ。これはきっと価値がずいぶん異なるのだろうね?」

「ローレンツは、きっとお家では二つめみたいなお茶しか飲まないわよね~。街のみんなは、三日月茶というと一つめみたいな感じのものを飲むわ。お値段は倍以上違ってきちゃうんじゃないかしら~」

「三日月茶の香りづけになっている香辛料にも茶葉のように、銘柄や何番摘みというのによる品質があるのかい?」

「う~ん、それも、ないとは言わないけれど……。一番は、どんなふうに加工するのか……っていうのかしら~?」

 ええっと~、と言いながらメルセデスはまた香草の篭を探った。青々と生の葉の茂った房と、袋をふたつ、小瓶をひとつ並べた。

「これはね~、辛薄荷(ペパーミント)よ。臭みのつよいお肉やお魚を焼くときや、お菓子にも使うスッとした辛い香りのものよね~」

「ああ、これだね。知っているよ。爽やかで怜悧で好きな香草だ。乾燥させていないものはこんなふうに生えているのか」

「生のものも、お酒や夏の飲み物に入れて使うわ~。帝国の氷菓子にもよく使われていたかしら。でも、一番よく使われているのは乾燥のものよね~? この二つの袋がそうよ」

 香り袋を手に取ってみると、先程の三日月茶と同様にひとつは強く鮮烈な香りであった。促されてローレンツは中身も見てみた。比べてみると、やはり香りが弱い方が見た目が均一でない印象だった。

「なんだろうか、香りが弱い方がごちゃついているのだね。混ぜものをしてあるということかい?」

「混ぜもの、というよりはね、混ざってしまうのよね~。ペパーミントの香りが出てくるのは、葉のほんの一部からなの。でも、まとめて収穫をして乾かして……という作業を簡単にすると、茎の部分とか、刈るときに混ざった少しの雑草とかも入ってしまうでしょう? この、香りの強い方は、それを手作業で除いてつくったものなのよ~」

 ローレンツは感心した。確かに、麦の袋にしろ茶葉にしろ、不純物をよく除いたものが良質とされるが、それはほぼ人の手によって検品されているのだ。多くの香辛料は夢物語の楽園のように語られるほどの遠方から仕入れられており、加えて今までは香りを利用することは貴族の栄華の主張の面が強かったために、その品質や純度を高める仕事について想像が及んでいなかったのだった。

「よいことを教わったよ。つまり、この二つは品質が異なるだけでなく、重さや嵩(かさ)あたりの価値が全く違ってきてしまうということになるのだね? 純度を増すほどに軽く、小さくなってしまうわけだから」

「ああ、そういえばそうね~。ローレンツは取引の基準を作りたいんだから、そこが気になるんだったわね。大変なことだわ~。それなら、これもね」

 メルセデスは最後に残った小瓶の蓋を開き、ローレンツに向かって手を伸べた。

「手を貸してくれるかしら~? 香油を塗ってもいい?」
 ローレンツは言われるまま、ちょうど踊りに誘われて応じたご婦人のようにメルセデスの手に手を重ねた。メルセデスの両手はローレンツのてのひらを上向かせ、手袋と袖の間にあいた素肌に小瓶の中身を一滴垂らし、布に染みないようすばやくなじませた。すると、鮮烈だと思った香り袋よりさらに鮮やかで目の覚めるような香りが鼻腔に届きローレンツは驚いた。

「ああ、なんて……体の中で鐘が鳴るように響く香りだね。頭が冴えるよ。これはペパーミントの精油ということかな? いや、ラヴァンドラも混ざっているかな……」

「ええ。ペパーミントとラヴァンドラを合わせて、これでも、精油を希釈してあるの~。今の一滴が、そうねえ~、アンみたいに正確な計算じゃないのだけど、ちょうどさっきの香り袋三つくらい、この生の葉の束だったら十倍からできるくらいになるのかしら~?」

「……なんだって? 嵩が減るどころの騒ぎではないね……!」

 死んだ植物たちを凝縮し、変わらない永遠の本質だけを薫らせる乾燥香草や精油の神秘性は、なにやら目の前の女性にも似ていた。ローレンツは今更に、途方もないものを相手にしているという気がじわじわとしだした。

「ほとんどの香辛料は今まで貴族の嗜好品としてやみくもに高値で取引されていたが、今後流通が増える以上、品質水準のようなものを定めねばならないようだ……」

「そうね~。特に精油は薬みたいなものだし、品質によって使い方が限られてしまう危ないものもあるから、そういうことになると、教会や領主様からみんなに指導してあげないといけないかもしれないわね~。今みたいに使うときどのくらい薄めるのかとか、塗ってはいけない精油とかもあるし……。今までは、街のみんなには手に入らないものだったから、かえってよかったのかもしれないけれど~……」

「しかし、そのためにはメルセデスさんのように香辛料や香草や加工について知識をもっている役人をたくさん雇わなければならない。可能なのだろうか……? もちろん基準についてはっきりと制定しなければならないし……、先生とも相談をして……」

「ローレンツ」

 声とともにふっとペパーミントとラヴァンドラの香が薫った。すっきりと冴えた中に、甘く穏やかにけぶるような優しさの混じった香り。眉間にしわが寄っていたことに気付く。頭痛の感が和らぐ香りであった。自分の中の思考に沈んでいた目を前に向けると、メルセデスが先程ローレンツの手首につけたのと同じ香油を庭仕事に少し荒れた指にまとわせていた。

「私が役に立てるのは、ひとまずこのくらいかしら~?」

「あ、ああ。すまない。とても助かったよ。みっともないところをお見せしたね。忘れてくれたまえ」

「いいえ、なんにも~。お散歩でもしましょう? 植物園を見てもらいたいわ」

 

 

 石畳を下り、土を靴の裏に踏んで歩きながら、伸びた香草の枝を摘む修道女のヴェールが昼下がりの西日に照らされるのを見る。ローレンツはしばし放心してその背中についていった。陽の色はのどかで香草はおだやかに香り、ローレンツの頭痛は癒された。植物園は霜が降りるまでの準備が進められつつも、まだ青々としていた。

 特に常緑のローズマリーの繁茂ぶりはガルグ=マクじゅうにふるまう肉料理に添えても尽きそうにないほどだった。生命力にあふれた花の姿が減っていく季節にあって、ローズマリーは花を咲かせはじめたばかりのようだった。花は華やかな紫みが生のラヴァンドラより少ない、青に近い薄紫だった。乾燥されて香草茶に入っていたラヴァンドラの花にも似た色だ。

 ローズマリーの枝を摘むメルセデスを見ながら、ああ、さっきすれ違った男子学生が持っていた草の花はローズマリーだったのか、とローレンツは思い出した。こんな高い空の彼方のような、静かで深い青紫の似合う誰かに捧げるのだろうか。

「改めて今日はありがとう、メルセデスさん。なんとかやってみせよう。僕の活躍を音に聞いてくれたまえ」

「ええ。元気な消息を聞けるのを楽しみにしているわ~。少し休めたといいけれど」

 メルセデスはあまり噛み合わないような返事をした。関わった人みなが安らかであることを願うこの人は、政治上の栄達には興味がないのだったとローレンツは少し反省したが、言い直すのもおかしく、自分にできることは貴族として広く人を安んじることであろうとも思ってそのままにした。

「続いていた軽い頭痛がすっかりよくなったようだ。まだまだ香辛料の利用や加工のことは勉強せねばなるまいね。また聞いてもいいかい? 君に手紙を書いて」

「もちろんよ。私は、ずっとここにいるから~」

 別の修道院に移ることはあるかもしれないけれど、そうしたら手紙を転送してもらえばいいわね……と、のんびりと言うメルセデスを金色の風が撫ぜていった。遠回しに、どんな男の求婚も受けることはないと言っているようなのをどうとらえればいいのか、ローレンツは複雑な気持ちになった。この人は、苦手だ。見つめていると、俗世を生きる気力を奮い立たせている自分が馬鹿者のように思えてくるから。

 

 淡く輝くこっくりとした真珠の白さのように、植物が傷つけられて流れる透明な血が精油になるように、流転する運命に芳しくほほえんで、彼女はただそこにたたずんだ。手首で温められたラヴァンドラとミントの香が、菜園にさす秋の陽に長く、長く薫った。

 

 

コラムーエッセンシャルオイル

 植物の発する香りは、虫を避けるためや逆に誘引するため、あるいは植物体内の代謝の過程で産生される芳香性の化合物(フェノール)が混合したものです。いわば、動物のように動いて環境を変えることのない植物の生存戦略の結果です。

 現代は人工香料が発達したため安価なアロマオイルが流通していますが、本物の精油は植物の体のほ~んのわずかな部分にだけある芳香腺を蒸留して得られるものです。だからほんと大量の草木からちょっとしか精製されないの。ミントの和名「薄荷」は、大量でも精油にすると小さな瓶に収まってしまいかさばらない(荷が薄い)ことに由来するともいわれています。

 精油にした植物の香りは、揮発することはあっても老いず腐らず、魂の永遠を示す聖なるものと考えられました。キリスト教では病や臨終の床において施される秘跡「病者の塗油」でオリーブ油や香油を用います。

香辛料の交易は同盟やエーギル領の得意とするところで、そのへんのことを11/23の新刊でいっぱいしゃべってます。

 

小説裏話

 いきなり地の文がローレンツの詩(マヌエラ先生に勝手に歌われたやつ)のパロから始まったの気付きました? からかってます。

 シルヴァンと同じく頭の中でグルグル考えながら、よりストイックで内省的なローレンツ視点です。本ではこの話が佐治つや子先生のシルヴァンとレオニーの話の後に収録されているので、はからずもそこの違いが見えるような本になったかな。フォドラ食物語は四貴族(フェルディナント・シルヴァン・ローレンツ・コンスタンツェ)全部盛り!

 ストイックで内省的で自分そのものを追求するプライドをもったローレンツの性質はグロスタールの紋章と「隠者」アルカナの対応記事でも話していますが、今回はメルセデスの紋章の意味を主題に置きました。メルセデスのもつラミーヌの紋章が対応するのは「審判」のアルカナ、主人公先生に対応する「世界」のアルカナを除けば最後の結末のカードです。永遠、天命のゆきつく先、季節でいえば葡萄や夏麦などの収穫後の晩秋から冬……タイトルの『褪せぬ秋の日』を表します。

 ラストはほんのりローレンツ→メルセデス風味です。今後ローレンツがアタックするのかもしれないしずっとほんのりと引け目みたいな憧れを引きずるのかもしれない。どこ吹く風でメルセデスが西部に引っ越しちゃうかも。

 

 『いただき! ガルグ=マクめし』のメルセデスの項でも話したのですが、教会で多く扱われたハチミツや香油や小麦粉などといった保存のきく食材はたんに貯蔵に向いているからではなく、その腐らないしそれ以上枯れたりすることもない不変性を魂の永遠と結びつけたからです。俗世や生きている肉体は時間によって栄枯盛衰したり美しくなったり老いさらばえたり忙しいですが、聖なる世界に向いた魂の真実は時によって変わることなく、永遠の安らぎにつながる。これは仏教の「生老病死」の考え方とも同じところがありますね。

 乾燥させたハーブや香油にはそういう聖性と関係があります。しかし、「時間が経っても腐らない」ということは多くの場合、「もう死んでる」からであることもあります。キリスト教では俗世の肉の体を捨て永遠に近付いた聖なるものとして白い骨を地下の壁に飾りまくってることがありますからね(日本だって即身仏をありがてえ~!ってしますけどね)。生き物の体が老いたり腐ったりするのも、市場の交易品がごちゃごちゃ値動きするのも、ローレンツが俗世に振り回されるのも、みんな一生懸命生きているからです。メルセデスはそれを受け入れて見守り、みんなが一生懸命生きたということを覚えておく……。

 

 さっきのミニコラムのエッセンシャルオイルについての説明で、植物の芳香は「いわば動物のように動いて環境を変えることのない植物の生存戦略の結果」と書きましたが、これはメルセデスの話をしているのでもあります。メルセデスはある種エーデルガルトと対照的に、自分や自分と似た無数の人たちの過酷な運命に対して「受け入れて流される」という姿勢をとってきました。それは一見弱さですが、外から見た行動としては受け入れて流されているメルセデスの心は見れば見るほど堅牢で輝きを失わないマイペースなものなのですよね。

 ちなみにこれは今回の本と関係ない話なのですが、メルセデスとエーデルガルトを対照的な女性だと今言いましたけど、実はこの二人の紋章の対応する「審判」と「女教皇」は(エーデルガルトの生まれ持った紋章と同じレアからもわかるように)どちらも「聖女」的な人物像を意味しています。そのへんの違いはラミーヌの紋章の記事と、紋章タロット本に書き下ろしのセイロスの紋章の内容でですね。

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あわせて読んでよ

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カリード王アンヴァル会談録ライス編(クロード・コンスタンツェ・ユーリス)―FE風花雪月と中世の食⑫

本稿は2021年6月に発行しました『いただき! ガルグ=マクめし副読本 -フォドラ食物語-』が完売してだいぶ経ったため、SNSフォロワー限定オマケをWeb再録するものです。『いただき! ガルグ=マクめし』の中の関連キャラクターの項と、二次創作小説をセットでどうぞ。

※『カリード王アンヴァル会談録』は照二朗の書いた小説となります。挿絵イラストは表紙と同様マルオ先生によります。末尾にはWeb再録にあたって解説コラムコメントを書きなおしています。※

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キャラクターの食の好み分析

今回の再録の主役はクロード! と思ったのですがじゃっかん前回とメインが逆だったような気もするので今度逆に差し替えるかもです。

 

クロードの基本データ

好きなカテゴリ・苦手なカテゴリ

肉料理と大人の味が好き。

好きなメニュー(16品)

ベリー風味のキジロースト

肉料理すべて

タマネギのグラタンスープ

赤カブ尽くしの田舎風料理

満腹野菜炒め

パイクの贅沢グリル

ガルグ=マク風干し肉炒め

山鳥の親子焼き

ガルグ=マク風ミートパイ

煮込みヴェローナを添えて

ゴーティエチーズグラタン

キャベツの丸煮込み

苦手なメニュー(3品)

ザガルトのクリーム添え

ブルゼン

ザリガニのフライ

特記事項

肉も野菜も好きで、小麦粉のお菓子以外に苦手はないが、魚には基本興味がない。

においの強いものやクセのある味付けを好む。

大地への賛歌

クロードは三学級の生徒たちの中ではレオニーさんに次いで好きなものが多いです。が特に好きでチーズやスパイシーなもの、野菜、臭み渋み系も大好き。小麦粉とバターの焼き菓子は苦手ですが甘い味が苦手というほどではないようす。

クロードはイングリットと違って食べるのが好き!エピソードも特にないので、こんなに好きなものが多くて苦手なものが少ないごはん大好きっ子なのは意外に思えるかもしれません。これには彼の生まれからくる信条の、フォドラ人との違いも関係しています。

まず前提としてのネタバレですが、クロードにはパルミラ、つまりアラブもしくはモンゴル的な遊牧民族の血が入っています。クロードが好む「肉」と「チーズ(クロードいわく《乾酪》)」はモンゴルでは「赤い食べ物」「白い食べ物」と呼ばれ、現代でも食生活の中心となっています。スパイスに関してもフォドラよりかなり手に入れやすいはず。故郷に嫌気がさしてフォドラとの間の壁に風穴を開けるためにやって来たとはいえ、その基本的な考え方の土台にはフォドラ=ヨーロッパ人と比べてだいぶアジア的な感覚があります。

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フォドラ人が神を天にましますものと考えるのに対し、クロードは神的なものや世界の意思を大地の恵みに見出しています。観念的な詩を作るローレンツはクロードがごきげんで作っている大地を讃える即興詩に対して、「なんだ今の詩は? 地面がどうとか言っていたようだが……」とポカーンとします。フォドラの高尚な貴族にとって地面は卑しいもので恵みは女神が授けてくれるものですが、クロードにとっては草が茂り作物を育む豊穣な大地こそが人間の命の源なのです。

こういう「母なる大地」やいろいろな自然物に神性を感じ、人間は自然に生かされていると考えるのはフォドラの外的な考え方です。精霊信仰のペトラと馬も合うはずです。クロードのもつリーガンの紋章に対応するタロット「月」のアルカナも農業の実りをもたらす気まぐれな太陰の女神を意味します。

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「月」アルカナは食べすぎや過食症などの摂食障害も暗示するので、クロードにはメタボらないよう気を付けてもらいたいところです。年取ったらおなか出そうじゃないすか? クロード。また、「豊穣なる地母神」をあらわすのはアネットのもつドミニクの紋章も同様で、二人には「土の下の種が芽吹く」という内容のアネットの歌を中心とした支援会話があります。

フォドラ人は食事にあたって主の恵みに感謝はしますが、貴い身分になるほどに生々しい動物としてのガツガツモグモグを避け、地面の中にできる食材を避けたり、肉がもたらすハッスルハッスルを卑しんだりして、食に対してなんとなく罪悪感を持っているところがあります。しかしクロードは泥のついてたような野菜はモリモリ食べるわ、肉とみるやなんでも好きだわ、まったくローレンツ的なフォドラ貴族の慎ましさとは合いません。

ローレンツが「食事とは、貴族としての作法を優雅におこなう場」と思っているのに対し、クロードときたら「飯を食うってのは、生きることと同義だ。あんたと共に飯を食えて幸せだよ」ときたもんだ。これは帝国文化に傾倒した同盟貴族の中ではかなりギョッとするような異様な発言といえます。

 

毒耐性

スパイシーな食べ物や臭みの強い発酵食品などが好きなことはおおむねクロードがパルミラ出身であることで説明がつくのですが、余談としてひとつ。

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大人の味カテゴリの説明や、同じく大人の味をすべて好むヒューベルトについて、「大人の味を好むことができるのは刺激物への慣れ、微量な毒に対する麻痺である」というようなことを述べてきました。ヒューベルトに限ってはそんなポイズンな自分の生き方をエンジョイしているようでしたが、クロードはどうでしょうか?

策謀家でみずから怪しげな痺れ薬を用意しさえするクロードです、毒に親しんでいることは確かですが、それはつまり彼が毒の流通する環境にいたということでもあるのではないでしょうか? アジアは薬になる香辛料の宝庫であると同時に植物毒の宝庫でもあります。立場がアレなパルミラにいたころのカリード少年は、ちょくちょく毒を盛られ命を狙われていた……のかもしれません。

 

カリード王アンヴァル会談録-ライス編-

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↑前編はこちら↑

 

 ――アンヴァル、パルミラ新王カリードとフォドラ統一国外務官僚コンスタンツェ、その従者に扮したフォドラ裏社会の大物ユーリス(仮名)の会談、また別のお話――。

「今度はわたくしのほうの困りごとですわ。もしこれが部分的にでも解決すれば大変なお手柄。悔しいですがクロードとユーリスの知恵を借りるのは非常に有意義だとわかりましたから、この機に話すだけは話してみましょう。こちらをご覧あれ」

 コンスタンツェはユーリスに持たせてきた書類の一部を広げてみせた。ヌーヴェル領の農産とそれに対する租税の報告書であった。クロードはわくわくと覗きこんだ。

 フリュム領がエーギル公や帝国の胡乱な勢力に治められていた間ひどい有様になっていたのとは違い、ヌーヴェル領はコンスタンツェの家が零落していた期間もまともな管理がされていたらしく、書かれている数字は信憑性のありそうなものだった。

 クロードから見て、その信頼度を高めていた情報は皮肉にも「徐々に減っている」小麦の生産量だった。ずさんな捏造の入った報告では、最新の報告までつながるなだらかで確実な下り坂が作られることはあるまい。

「このとおり、我がヌーヴェル領の小麦の収量は減り続けております。少しずつですが、もう十年もすれば危機的状況になるでしょう。旧王国領でさえ農法の改善がなされ、収量が上がってきているのにもかかわらず……です」

「そいつはよろしくないな。このくらいの微々たる減りなら、ヌーヴェル卿のご威光でどうにかできないのか」

「ふざけないでくださいな。確かにわたくしはヌーヴェル家にさらなる栄誉をもたらしてみせるつもりですし、そうなれば当家の地位は安泰、租税収入が減っても官僚としての俸禄もばっちりでしょうけれど、畑の実りが減り領民の心が荒んでいるのに自分ばかり華やかに暮らすなど、そんなもののどこが貴族といえますの。貴族は人心を安らげ模範を示し、民を気高い心持ちに導くものですわ」

 コンスタンツェの啖呵にクロードは興味深く感心した。ローレンツにしてもそういう性質が強いが、フォドラには「部族を導く族長」ではない、「土地を治める貴族」というものがいるのだ。それがクロードには面倒くさくもあり面白くもあった。

 パルミラでは基本的に、ひとつの部族の全員が草原の戦士とその家族たちで、しかも部族の全ての家族が族長と血縁や密な交友関係で結ばれた親戚のようなものだ。食糧問題や戦などで部族の民に危機が迫れば、族長が戦略をめぐらせ、旗をひるがえすように部族全員を動かして対応することになる。

 だがフォドラの民は土地を耕し、土地に根付くものであるから、フォドラの指導者たちはそれを動かしてはたちゆかず、土地の上の暮らしを守ることになる。ローレンツがフォドラの貴族を羊飼いになぞらえていたことがある。それにしても土地から動けない羊を飼うのは難しいだろとクロードは思っていた。

 貴族ならぬ薄暗がりの王であるユーリスがコンスタンツェの言葉を引き取って言った。

「パルミラじゃ、畑はあんまりねえと言ってたが……フォドラでそんなことになったら大変なことなんだよ。不作が続いたら、もし運よく飢え死にや疫病を免れたとしたって税や地代が払えねえ。持ってる畑を耕すしか生きてく術がないのに、領主がヘボで魔獣や賊や天災なんかから守ってくれねえこともある。
 そうなったら畑やってたやつらは、仕事があるんじゃねえかって都市に夜逃げしてくる。生まれ育った家も全部捨ててな。飢え死にを待つよりゃマシだから。でもそんな奴らは星の数ほどいる。で、都市は夢の楽園じゃない……」

「人心が乱れ賊が跋扈(ばっこ)するのは民草が愚かなせいではなく、彼らが営々と積み重ねてきた生業を貴族が守れず捨てさせてしまうからだと、恥ずかしながらアビスに暮らしてのち考えるようになりました。『善き心は日々の勤労と正しき生活の中でのみ育まれる』と聖キッホルもおっしゃいます。ですから、わたくしはわたくしの民に……、いえ、フォドラすべての民ですわね、に、先祖伝来の土地と仕事を心ならず捨てさせるわけにはいかないのです!」

 鼻息を荒げるコンスタンツェに、ユーリスはかすかにだけ微笑んで視線を向けていた。なるほど、この二人の間にはそういう利害関係があるのかとクロードは観察し、いや、「利害関係」というと自分の考え方に寄せすぎかもしれない、とも考え直した。ローレンツに取引も冗談も入り混じった親書をしたためるときの自分も似たような顔をしているのだろうか……とも。

「わかったよ。だめな土地はしばらく捨てていくとか、農業がダメならまったく別のこと、っていうような奇策をうつ問題じゃないってことなんだな。それで、このちょっとずつの悪化の原因はわかってるのか?」

「ええ。主な原因は塩害ですわ」

 塩害、というのはクロードにとってはフォドラに来てから学んだ概念だった。正確に言えばパルミラにもあることだが、あまり大きな問題にはなっていない。

 農耕のために地下水を汲み上げ続けると、土中の塩が地表の近くにあらわれてくることがある。海辺や、塩の湖の近くであればさらに。塩の強い土で育つことができる植物はきわめて少なく、そしてフォドラの主なる作物である種々の麦や、収量豊かなキャベツもそのうちには入らない。パルミラでも塩の湖がある周辺や、全域でも、雨が少ないために地表の塩が洗い流されない。それも農耕がさかんに行われてこなかった原因の一つなのかもしれないが、そのことについて調べているパルミラ人がいるとは聞いたことがなかった。パルミラには家畜の食む草と、それを求めて駆け巡れる広さがあれば問題がなかったからだ。

 コンスタンツェは続けた。

「わがヌーヴェル領、およびブリナック台地の周囲は、温暖で安定した気候ですがフォドラの中では乾燥ぎみの土地です。小麦農業が発展し地下水を汲むほどに土地の表面に塩が表出し、徐々に畑に使える土地が目減りしていくことはこれまでにもわかっておりましたの。かつては開拓を奨励することで減る土地を補って成長していましたけれど、もちろんそれには限界があります」

「塩も、農民に土地を捨てなきゃならなくさせてる原因ってこと。貴族のやつらの無責任や重税ばかりじゃなく、そういうこともあるんだよな。やりきれねえよ」

 ユーリスは実際に使い物にならなくなった農地か、それを捨ててきた流民を世話したことがあるためだろう、苦い顔をしていた。

「同じことを聞くようで悪いんだけどさ、それってこう、同じとこで畑をやりすぎて土が悪くなるのの対策みたいに、いくつかの畑をぐるぐる回すんじゃ解決できないことなのか? パルミラでは牧草地をそうしてるわけだが」

「それが、困ったことに数年放っておいても塩害は地力のように回復しないと古くからの調べでわかっているのですわ。実はわたくし、ユーリスに助言され魔道で良質な土を作る研究もしていましたの」

「へぇ! それがうまくいけば王国の農地とかはものすごく助かるんじゃないか? すごいなコンツタンツェは」

「おーっほっほっほ! たかが土とひそかに思っておりましたがやはり? そうでしょうともこのコンス……、
 ……ではなくて、ええと、肥料の材料と作物を育てた後の土とをさまざまに混ぜ、魔道で『つくり』を変える促進をするのですが、今年塩害の出た土で試してもそれだけはうまく種が育っていないのです。決して諦めてはいませんけれど、連作障害よりも手ごわい問題だということですわ」

 コンスタンツェは「たかが土」に対してかなり身を入れて研究体制になっているようだった。ユーリスは庶民の役に立つようコンスタンツェの奇天烈な頭脳をうまく操縦しているのだなあとクロードは感心した。褒めれば炸裂する女コンスタンツェ。

 ユーリスは加えて分析した。

「俺が思うに、塩は草木や動物の体みてえに土に還らないんじゃないのかってな。『つくり』じゃなく材料の種類?っていうか……が、はなから違うんだ。皮肉なもんだよな、塩がなくても俺たちは生きていけねえってのに。いっそ土から塩が採れりゃ一気に逆転勝ちなんだが……」

「採れるんじゃないのか? 塩は水に溶けるしフォドラには川があるし、こう、篩(ふるい)に入れて洗うとかしてさ……」

「篩で土を洗うことはできるし塩水とも分けられるけどな、おまえブリナック台地から西をタライでじゃぶじゃぶ丸洗いするつもりかよ? 女神様の手が天から伸びてこなきゃ無理ってもんだな」

「あー」

 クロードは頬をかいた。山を裂こうとか海を割ろうとか突飛で大きすぎることを言うのはクロードの癖であった。しかしコンスタンツェは驚かず続けた。

「クロードの言うことにも一理があるのです。土地を『洗う』ことは塩害の有効な対策として行われてきたとのこと。しかしそれにはもちろん大量の真水が必要……。土か水のどちらかを運ばねばならないことも途方もないですが、もともと乾燥した地域だから地下水をひいているのですもの、ブリナック台地周辺の河川の水量で洗い流すのは難しいのですわ。もし我らを憐れに思し召した主の御手が差し伸べられたとしても丸洗いは不可能、というわけですわね」

 コンスタンツェは指先でヌーヴェル領の輪郭をなぞった。帝国の西端の半島部に位置するヌーヴェル領は、領地を二又に分かれた川と海とに縁どられている。

「しかも、わが領地はおそらく、河口付近から海の塩の影響を受けています。
 わたくしの父母は、これらの川の下流がまれに氾濫して家を流される民を憐れに思い、川底を掘って下げる事業をおこなったことがありますの。幼いわたくしはなんと立派なと誇りに思っておりましたが、今にして記録を振り返ると……その頃に一度急に塩害が進んでいたのです。おそらく、川底の下に海から来た塩が眠っていたのですわね。このわたくしが父母の事業の責任をとらねばなりません」

 決然と厳しくしたコンスタンツェの顔をユーリスは目元をしかめて斜めに見た。

「それで洪水から家が守られたやつらがいんだから、おまえのおやじさんおふくろさんは良いことをしたんだろ。それにおまえのとこの土地の河口の周りじゃうまい魚だの二枚貝だの甲殻類だのがとれる。漁師だって領民なんだぜ」

 

 ユーリスが義侠心にあふれた激励をしている一方。

 クロードはコンスタンツェの話を聞いて「もしかしたらいけるかもしれない案」をひらめいていた。例によって最終的に自分の得にもなる案を。

「そうだ、そうだ。川の流れに干渉するなんて、さすがは治水に優れた帝国の知識人だよなあ」

「それはそうですとも! ヌーヴェル家は優れた学識で常に……」

「ヌーヴェル家伝来の技術ならさ、俺の前の本拠地のデアドラでおなじみのあれ、『水門』って作れるのか? 海と川の間にさ」

「もちろん、水門は川から勝手に海へ航行する者を取り締まるためにも、高潮や川の水不足の際に海の水が流れ込んでくるのを防ぐためにも当然設置してありますわ。当家の技術は最先端ですのよ」

「おお、よかったよかった。じゃあこういうのってできるか? その水門を、川の水がちゃんと流れてくる季節にも閉めといて……」

「水を余らせてため池を作るっつー話? 人力で水まくぐらいじゃ土を洗うのにはな……」

「まあ聞けよ。で、畑を川の水面より低く作ってな、畑に水を流してって、水浸しにする! できそうか?」

 コンスタンツェとユーリスはクロードの言った畑(かもわからぬもの)の状況を思い浮かべてみた。見渡す麦畑が巨大な水たまりの群れ、あるいは泥の湖のように変わっているさまを。

 クロードの言っていることとは逆に、ファーガス地方の一部の湿地ではわざわざ干拓をして農地を作るのだ。水浸しの畑など聞いたことがない。確かにそれならば地表の塩の問題には進展があるだろうが、そんな状態では麦を植えても育たない。

「クロード、おまえなあ、さすがにそれは山を裂くみたいな冗談だぜ。そんな大雑把なことしたら結局畑じゃなくなって本末転倒じゃねえか」

「夏の水不足の時期以外は一応可能ですし、塩害には悪くない方法かもしれませんから、ひとつの参考として覚えておきますけれど……。たとえ地表の塩を水で薄めてから水を抜いたとしても、当家の領地はあまり水はけがよくありませんの。きっと作物の根が腐ってしまいますわ」

「ほー! それは最高なんじゃないか?」

「ぬぁんですってー⁉」
 人の不幸を喜ぶかたちになったクロードの返答に、侮辱されたと思いコンスタンツェは決闘を申し込まんばかりに立ち上がった。クロードは反応が読めていたのか、あわてず騒がず何やら懐を探った。

「おい落ち着きやがれコンスタンツェ、いくら無礼講でも隣国の王様だぞ」

「そうだぞー、まあこれでもよく噛んで食って落ち着いてくれ」

「なっ、毒薬ですの⁉ あむっ……」

 コンスタンツェはクロードが懐中の布袋から取り出した白っぽい塊のかけらを口に突っ込まれモグモグした。口元に指が突き出される一瞬前に、クロード自らも同じ塊からひとかけら取って笑顔で自分の口に入れてみせたので、つい口を開いてしまったのだった。そのまま、クロードの動きを鏡で映したようにもむもむと口を動かしてしまう。

「あ? なんだこの状況……。コンスタンツェ? 大丈夫か? 舌とか痺れてねえか?」

「ユーリスまで毒だと思ってるのかよ、信用ないねえ。俺も同じもの食ってみせてるじゃないか。というかここで突然の毒は利がなさすぎだろ。俺おまえにさっくり殺されるよ」

「毒じゃなくてもおまえの行動は十分意味不明だし、おまえ少々の毒なら慣れてる手合いだろ。……おいコンスタンツェ、普通の毒消しならあるからな? 何食わされた」

「……あまくなってまいりましたわ……」

「ああ?」

 コンスタンツェはもはや自分の意思で積極的にモグモグしていた。口の中にものを入れたまま話す不作法を見られぬよう扇で口元を隠しながら一言だけもごもご発してまた噛みはじめ、そうまでして噛むのをやめない。明らかに、あの見た目の量の食べ物を噛む時間として普通ではなかった。干し魚の皮かなんかみたいだな、とユーリスは思った。しかしそれは噛んでも甘くはない。

「そういや、ユーリス甘いの好きだったよな。おまえもよく噛んで食ってみたら? ほいよ」

「……お、おう? ありがとな、……菓子なのか? 砂糖の色……?」

 クロードにまたひとかけらちぎって白っぽいものを渡され、ユーリスは軽く眺めてから警戒しつつ口に入れてみた。透けるような白い小さな粒が、細切りの木の実をまぶした焼き菓子のように繊細に寄り集まっていた。口に入れると粒どうしは簡単にほぐれ、粒を噛むと芯がある。モルフィスプラムの中の種のように噛んではいけないものなのかと一瞬ひるんだが、ゆっくりと噛みしめてみると、芯はつぶれ、かすかな甘み。

 砂糖が表面にまぶされているのとは違う様子の、やわらかで豊かな甘みであった。これは即効性の毒などではないな、と判断してユーリスは甘みを追ってさらにモグモグ噛んだ。粒をひとつ残らず噛み潰すようにすると、その仕事が終わったころには芳醇な甘味が口の中に満ちることになった。

「んん、……はぁっ……。いつ飲みこむものなのかわからず、おいしいのでずっと噛んでしまいましたわ……。オホン! パルミラの菓子は初めて口にしましたが、たいへん珍しき美味ではありませんか! 求める貴族はおりましょう。これを貿易することと、塩害になんの関係がありますの?」

「……ん、そういう話だったなそういえば。あー、うまいなこれクセになるなァ……。白パンや牛の乳もよく噛めば少し甘くなるけどそんな程度じゃねえし、なんか香ばしくもある。まあお高い菓子の話は置いとくとして今は畑の問題を……」

「これの、今噛んだうまい粒が、さっき言った水浸しの畑で作れる……って言ったらどうする?」

 コンスタンツェとユーリスは目をむいて驚いた。ユーリスはまだ少しモグモグやっていた。

 


「……お話を整理しますわね。先ほどクロードが分けてくれた美味なる菓子は、麦のように実る東方の穀物を蒸して少々発酵させ乾かしただけの保存食で、その穀物は水をたたえた畑でよく実る、と……」

「しかもそれ、コメ、だったか? 米は麦より手間こそかかるが、うまくすりゃあひとつの畑あたり、麦より数倍多い粒が生るってか?」

「そうそう。俺もこれを売ってるモルフィスの商人から聞いた話なんだが」

「それなら塩害で畑にできる土地が減っちまってることにも、世話して食うための畑がなくてあぶれまくってる奴らにも一気に対応できて最高だが……。同盟の笑えねえ笑い話でよく聞く、『いい儲け話を聞いたからおまえだけに話すんだけど……』ってヤツにしか聞こえねえな。うまい話すぎて不審」

 試食のつかみから始めて「米」なる穀物の紹介をしたクロードは、話しぶりがよくできすぎていてものすごく疑われていた。

 クロードは胡散臭がられることには人一倍慣れているので、笑いながら平気で話した。

「その笑い話は俺も聞いたことがある。ああいうののどこが嘘の見分けかってな、『じゃあおまえがやって儲けてみせてくれよ、それからにしてくれ』っていうのが大きいよな」

「それですわ。クロード、あなたの国に農業の習慣がなく米を育てられそうもないのはわかりますけれど、そんな夢の作物がもしヌーヴェル領でも育てられそうなのだとしたら、なぜフォドラの他の地域にはこれまでの長い歴史の中で伝わってきていませんの! あなたのお話が本当なら、今ごろフォドラの民はパンではなく米ばかり食べているはずですわ。米だらけですわ」

「何か不利益とか副作用があるとか、か? 今までには今までのやり方の理由があるもんだ。状況をひっくり返すのはいいが、やばいもんを引き入れるのはごめんだぞ」

「うーん、例えば、実は俺の父親が昔フォドラから見たことない飛蝗(バッタ)をたくさん捕まえて帰って放しちまったら、その次の年からバッタの大量発生の様子がちと変わったって事件があったらしくて……」

「おまえのおやじさんってことはパルミラ先王だろ。なんだその行動力のデカすぎる悪ガキみたいなのは……」

「まあそういうこともあったらしくてな、生き物をもともといなかった土地に入れるってこと自体の危険はあるかもだ。そこはなんともだな」

 実例を挙げて外来の生き物のもたらす思わぬ害があるかもしれないことを誠実に言うクロードに、コンスタンツェはいくぶん疑いの勢いをゆるめた。

「……その危険はパルミラにキャベツを入れるのも、われわれがダグザの作物を調べているのでも同じでしょう。変化は覚悟の上ですわ。わたくしはただ、これまでフォドラに米が伝わってこなかったことに理由がなければ納得しかねると言っているだけです」

 聞く耳を持ってもらえてクロードはバッタに感謝し、これまた「パルミラ先王がフォドラから持ち込んだきれいなバッタ」である緑の目を輝かせた。

「それにはちゃんと理由があるぞ。俺はフォドラに来てから考え続けてたんだよな! なんでここには米がないんだろって……」

「あんだけいろいろ頭使いながらそんなこと考え続けてたのかよ。食い意地張ってんな」

「理由は、それこそユーリスの言った『土地の条件の違い』がでかいな。まず、米はファーガスじゃあたぶん育たん」

 ユーリスは眉を下げて残念そうな顔をした。麦の実りが少なく砂糖黍(さとうきび)も育たぬ旧王国領の貧しさは、米では解決しないということだった。それでもヌーヴェルやフォドラ南西部で育てることができれば、少し旧王国領の食糧事情にも余裕が生まれるはずだが。

「寒いのが一番苦手な作物らしいからな。それが、パルミラの北部で作れない大きな理由でもある。うちは夜が寒い。その点、ヌーヴェルは気候が穏やかであったかいんだろ?」

「ええ。その点には問題ありませんが……」

「実は同盟でもモルフィス商人の持ち込んだ米が出回ることはあるんだ。でもあまり流行らないみたいでな……大規模に育ててはいない。なぜかっていうと、同盟や帝国南部では放っておいても麦が実る。雨も降るしな。グロンダーズ平野の小麦もあるのに、誰も手間のかかる異国の穀物を主に食おうなんて思わないってわけさ。で、同盟でも帝国南部でも王国でも食わないんだから、さて、ヌーヴェル卿のご領地には……どうかね?」

 クロードはモルフィスからの交易路をたどり、地図の各地域を順々に指さしていった。ここでは求められない、ここにも必要ない、ここでは育たない……。当然、東から、西へ、西へ。

 そして、交易路の西端にあるのが、――オックス領、ヌーヴェル領。ブリナック台地より西の温暖な、しかし塩害に悩む地域であった。

「なん……と、いうこと。つまり……」

 コンスタンツェは扇で口元を隠しながら地図の東西を何度も見渡した。ユーリスは驚いた口元を隠さず、うす菫色の髪をわしわしと掻いた。

「つまり、『うまい儲け話』を……伝えるやつが今までいなかったってことか? 南西部の事情がわかってるやつの周りには、南部のやつと、せいぜい北西部のやつしかいねえ。南西部にとっては都合のいい話でも、周りのやつらには用のない話……」

「確かに、確かにヌーヴェルは帝国の外務をつとめてまいりましたが……、それはフォドラの内やアルビネやブリギット、ダグザとの外務。パルミラやモルフィスは帝国にとって隣国ではありませんでした。東方の異国とこうして会談するヌーヴェルの者は、きっとわたくしが初めて……のはずですわ。『知らぬことすら知らぬこと』……」

 興奮に目を丸くしている二人を見てクロードはにっと笑った。パルミラ商人の手引きでモルフィスから輸入された米の種籾(たねもみ)の育成がヌーヴェル領で試験的に始まるのはもうすぐのことであった。カリード王の計算された矢は、今回も見事壁を穿ってみせたのである。

 


 フォドラ統一国成立から時をおかず、ヌーヴェル領は当時珍奇だった農業を成功させた。東方から伝えられた稲作である。

 このフォドラ南西部における稲作の開始はパルミラ王カリードの戦略であり、フォドラ統一国の食糧事情に恩を売りつつもうひとつの目的を達成するものであった。当時パルミラでは米の需要が高まっていたが自給は不可能であり、すべてをモルフィスからの輸入に頼っていたため、モルフィスとの関係悪化があれば米の輸出止めを外交上の武器として利用されるおそれがあった。フォドラ南西部との米交易を対外的に示すことで、もしものときの不利な依存を打ち消してみせたのであった。この故事からパルミラでは、依存の危険を分散する選択肢のことを「ヌーヴェルの米」と言う慣用句が生まれた。

 

 稲作のために作られた水田は塩害に苦しめられていた多くの農地と、それ以上に多くの農夫たちの生活を救い、どこから聞きつけたのか、ヌーヴェル領に仕事をみつける流民も多くあったという。
 後世にもヌーヴェルの名物料理として残っている、米に香辛料と魚介を混ぜて炊いたものは、海の恵みと塩害の克服を両立した象徴でもある。この料理、およびこの時期作られた米を使った菓子類には、ごくたまに領地を視察に来たC=ヌーヴェルの介添えをしていた、彼女が老貴婦人となっても何十年もまったく年をとっていないように見えた美青年が考案したものであるという、不思議な俗説がある。
 今もこの食べがいのある大鍋料理は庶民の胃袋を満たし、にぎやかで幸せな大人数の食卓には欠かせないものとなっている。

 

 

コラムーパエリャ

 位置的に作中のヌーヴェル領やオックス領にあたるヨーロッパ南西部、すなわち現在のスペインやポルトガルは現実では中世にイスラム勢力の支配を受けていました。食文化や文化芸術の面でも当時のイスラム世界から影響を受け、米食もそのひとつです。揚げ物とかも。洋食のメニューとして一般的なピラフも東方世界の「ピラウ」という鉄板炊き米料理がもととなっています。

稲作には日本のような水田式だけでなく乾田式の方法もあるのですが、スペインの一部では現在も農地の有効な塩害対策として水田式の稲作が行われています。水が張られていることで海水の侵攻を防ぐことができ、さらに土を酸素にさらさないことで土中に稲に必要な無機栄養素ができやすくなるからです。

日本ではパエリャといえばムール貝やエビ、イカなどの魚介とサフランを米と炊いたもののイメージですが、地元では鳥肉と野菜の猟師風もスタンダードですね。

 

 

小説裏話

 前回の『キャベツ編』ではクロードと中央アジアの話をしましたが、風花雪月にはしかしイスラム世界的な隣人がいないので米の出所はモルフィスということにしました。これはこの短編の独自の設定です。モルフィスは「神秘と魔法の都」であることや「モルフィスプラム」の存在からなんとなく中華っぽいほうなのか?とか、もしかしてもうちょっと文化が混じってイスタンブル的な何かか?とかいろいろ考えられますが、どっちにしても米はあるかな。米の話ちょっと長いですよ。なぜならおれは越後の国人なので。

 クロードが持っていた白っぽい米の保存食は、日本語で言うところの糒(ほしいい、干飯)です。乾飯(かれいい)ともいい、保存食としてのその存在は『伊勢物語』の「東下り」の章で在原業平の「からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ」という「かきつばたの歌」にみなが感動して「乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり(乾飯の上に涙を落として乾飯がすっかりふやけてしまったほどだった)」と語られたことでも有名です。コンスタンツェのフリーズドライほどではありませんが、ドライ米。ふやけて食べられる。

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 糒は風花雪月の兄弟作と照二朗がいつも言ってる『遙かなる時空の中で7』にも宮本武蔵くんの好物として登場しており、腹が減ったときにいつでも食べられて噛んでると甘いし腹持ちもいい!と大好評。そう、噛んでると甘いのです。現代日本でわれわれが食べている炊いたお米もよく噛めば甘いですが、糒はそれとも少し違います。味わいとしてこれに近いものを手に入れるとすれば、「生米糀(なまこめこうじ)」です。塩糀や糀の甘酒の原料になってるやつ。

 生米糀はおおむね「アルデンテの米」のような存在です。ふつうに炊いた米との違いは、「炊いてある」のではなく「蒸してある」ということです。戦国時代くらいまでは米はじゃぶじゃぶの水で炊くのではなく給水させてから蒸すのが定番でした。ふつうの生活で蒸し米を見ることはありませんが、酒造に勤める当方の甘党の身内によると、蒸して発酵させた米はたいそう甘いのだそうです。蒸し米を乾燥させた携帯食が戦国時代には兵糧の一種でもあった糒です。ユーリスは米でどんな甘いものを作るかな? ヨーロッパにはライスプディングなどもありますね。もち米ではないと考えるとせんべいとかは難しいのかな……。

 

 ライス編の話の中心となった「塩害」と人類の戦いは現代においても終わってはいません。古くはメソポタミア文明の衰退も地下水のくみ上げによる塩害の影響が大きかったと言うことです。水流豊かな日本の多くの地域では想像しづらいことですが、乾燥地帯の農業は常に地下水の消費の危険と表裏一体です。

今回のヌーヴェル領は水田ができてよかったですが、カリブの島々のサトウキビや南米のアボカドやアフリカのワイン葡萄などの大規模栽培はその土地の水を搾取し続けており、南アフリカとかチリのワインうめー!って言ってる場合じゃないのですよね。農業って地球の表面を使っててそうそう簡単には回復させられないわけですから、彼らが抱えてる問題は今の我々の問題にもつながっています。

という系のフォドラの話を11月23日ビッグサイトで出す新刊でいっぱいします。

 

 今回の話ではクロードが食欲と利害担当、コンスタンツェが理論担当、ユーリスが民衆の困難担当という感じで頭を使っています。これは原作通りなのですがけっこう紋章の対応するタロットの意味を意識して書いたところでもあります。

 クロードのもつリーガンの紋章は「月」、紋章タロット記事シリーズでも既に書いていますが正体不明さや摂食を意味します。アビス組は紋章タロット本に書き下ろしましたが、コンスタンツェの聖ノアの紋章に対応する「法王」のカードは高尚で宗教的な教え、精神の理想形を目指すことを表し、ユーリスの聖オーバンの紋章に対応する「吊られた男」は逆境や窮地の逆転、仲間のために犠牲になる聖者を意味しています。クロードとコンスタンツェとユーリスは三人とも統治者であり、民に対する目線というか体感的な姿勢からして三者三様違うところを感じ取っていただけたら最高です。

 

 

次回はメルセデスとローレンツの香草に関する短編を再録予定です。

 

 

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