湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

フォドラ「カレンダー」事情―FE風花雪月と中世の舞台裏⑧

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「暦と年末年始の考え方」編です。

紙の同人誌も分冊で3冊出ているぜ

booth.pm

 

 

あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。

ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著『中世の日常生活』(中央公論社・1989年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、河原温・堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし』(河出書房・2015年)、池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)、河原温・池上俊一著『都市から見るヨーロッパ史』(放送大学教育振興会・2021年)

 

年末年始古今東西

 年の瀬もさしせまってきてからこの記事を書いております。ちなみに12月29日は照二朗の誕生日です!  誕生日でした!

www.homeshika.work

↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます。誕生日の前後半年間受け付けています。

 

おねだりは置いておいて、当方は自分の誕生日のあるこの時期が好きです。クリスマスのイケイケワクワクが過ぎ去って、キラキラにぎやかでありつつも神聖でどこか静粛なムードだけが残り、「お正月」の曲がスーパーで流れるようななんともいえないフワフワ感。

お雑煮や正月遊びが地域によって千差万別であることからもわかるように、年末年始ってその国、その地域独自の祝祭習慣を色濃く残しているし、家族でおうちで過ごすことがデフォルトであるため原風景的に個人個人の心に残るものだとおもいます。

 「We wish you a merry christmas. And a happy new year.(よいクリスマスを、そして新年おめでとう)」という歌詞があるように、クリスマスの本場である欧米キリスト教圏ではクリスマスから新年までをひとまとまりのものと考えることが日本でもよく知られています。たんに「ホリデー」「ホリデーシーズン」と言った場合、祝日全般ではなくこの時期をさします。年賀状が日本独特の郵便文化なことはなんとなくみんなわかっているとおもいますが、このホリデー文化圏ではクリスマスカードが「一年お世話になりました、ことよろ」のニューイヤーグリーティングの役割を果たしています。

 

 このように習慣が違い、あと時差的な意味で新年を迎える時間が数時間違っているにしても、現代は全世界的に少なくとも同じ「2024年1月1日」を新年として祝うことになります。

しかし、われわれと暦を共有していない文化の人々にはそれぞれの時間の区切り方があるのが当然ですし、日本にもまた「旧正月です」とか「暦の上では……」といった言葉が残っています。われわれのよく知る世界の中ですら、「学校の年度が始まる月」は国によってぜんぜん違うし、そもそも日本でも「新年」と「新年度」が違う月に始まる面倒臭さですしね。「年のはじめの日」を設定するのは人間であるので、年末年始というのは普遍的な宇宙の決まりとかではぜんぜんないのです。じつは。

そして、暦(こよみ)の設定はその土地の慣習の影響を受けながらまさに「時の」権力者の権威付けをともなって行われるものです。暦を管理することは時空を治めること。古代エジプトではシリウス暦、メソポタミア文明ではバビロニア暦、ローマのユリウス・カエサルがユリウス暦を、日本の平安時代には陰陽寮が暦を発布するというふうに王朝が天文や数学の専門家を擁して、税政やあらゆる管理の基準になる「時」を統一する権威を発してきました。

現代日本を含む多くの国で採用されているわれわれにとって「ふつう」の暦法は、かなり正確なものであったローマのユリウス暦のズレをローマ教皇の名のもとに是正した「グレゴリオ暦」といいます。そういうわけでキリスト教世界や、結果的に欧米の常識を採用することになった世界のスタンダードになっています。いっぽう、中国方面からインバウンドが押し寄せたり中国企業の通販が軒並みお休みしたりすることで日本にも近年多大な影響がある2月の「旧正月」は月の運行を基準とした(太陰暦)中国の伝統的な暦法によるものです。

このように現代でも暦の違いが一年の生活リズムに大きな違いを生んでいます。時代や世界が違うならその違いが大きいことはいうまでもありません。すなわち、違う歴史をもったファンタジー異世界には、その世界なりの暦が、年末年始の習慣があるということなのです。それってなんかワクワクだしホッコリじゃん。

いろんな文化の年末年始に思いをはせていこー。

 

日本の歴史との比較

 この時期って、一般的な現代日本人のクリスマス→除夜の鐘→神社に初詣というスーパー宗教チャンポンタイムがよく話題になりますよね。そうなってからもう何十年も経つので伝統的な日本の年末年始のニュアンスは微妙に想像つかないぜ。

ニュアンスは置いておいて歴史の話をすると、日本に今のグレゴリオ暦が導入されたのは明治6年、今から約150年前のことです。時期からも想像がつくとおもうのですが、これは開国にともない欧米列強と付き合ってくうえでスケジュールの書き方がズレてるとわけわかんなかったからです。なんかほとんどズレなくてべんりそうだし。ざんぎり頭で文明開化だポン。

そうなる前のことをずっとさかのぼると……

もちろん、地域を問わず人間がまだ狩猟採集をしていたころから「なんか、おおむね同じくらいの期間で日が長くなって温かくなったり、短くなって寒くなったりするぽい」とか「暖かい寒いのめぐりにあわせて食べ物のたべごろが来るぽい」とかのことは経験的にわかっていてざっくりした対応を組んでいたでしょう。穀物を栽培するようになってからはそれがより細かいスケジュールとなり、和語の「年(とし)」という音は「稲がよく実ること」と「稲を収穫する刃物のするどさ(利・とし)」をあらわす「禾(いね・とし・のぎへん)」を語源とするともいわれます。

日本に正式に暦が採用されたもっとも古い記録は飛鳥時代・持統帝の御世です。あるいは推古帝の御世という説もあります。いずれにしても飛鳥時代は中国(当時は隋唐)や朝鮮半島から仏教とともに進んだ技術や学問を取り入れまくって政治のやり方を構築していた時期です。広い範囲を律令で治めるために暦は不可欠だったというわけですね。

このころの暦は月の満ち欠けを基準とした太陰暦で、「うるう月(ひと月多い年がある)」というダイナミックな方法でズレ調整を行っていました。かなり正確なユリウス暦さえ何十年も経てばズレてくるのでまだまだ調整と改暦が必要だったのですが、遣唐使船の廃止にともない暦の輸入もストップしてしまい当時の暦「宣明暦」がなんと江戸時代初期までずーーーっと金科玉条化。ズレも予測外れも発行元の違いによる矛盾も多くみんな困っていたところを、ついに地道な天文観測や算術の力で暦を改めた日本最初の日本製の暦法が作られました。これに取り組んだ渋川春海を描いた小説が映画化もされた『天地明察』です。

その後江戸時代には何度か太陰暦で改暦が行われ、明治に太陽暦である現在のグレゴリオ暦を導入して世界水準に合わせることになります。支配者の権威をあまねく世に敷くのが暦なんだけど、それを基本輸入でまかなっているのが日本の特徴ですよね。辺境根性だけど再利用とアレンジが得意。

 

 歴史はこのくらいにして、グレゴリオ暦が採用されるまでの日本の太陰暦での年末年始の考え方について。

現代の日本でも、慣習的に正月のことを「新春」といいますよね。『プレバト!』とかで季語について知られることが多くなってきましたが、「正月」は春の季語なんですよね。1~3月は伝統的な日本の歳時記では春にあたります。2月後半から3月はまだわかるとしても、1月なんて全然春じゃない、むしろ冬まっさかりのはずなので、教え子に「昔は1か月ちょっと季節がずれてたんですか?」と聞かれたこともあります。

これはむしろ順序が逆?ていうか? 昔の文で「1月(睦月)」って呼ばれてる時期は今の1月のことじゃないっていうかで、旧暦では現在のグレゴリオ暦でいう「2月3、4日」を「正月」としていたんですよね。正月そのものが、1か月ちょっと遅いん。

ちなみに、月の満ち欠けを基準としていた(新月に月が開始)ので月は29日または30日周期で31日はなく、一年で最後の日を「おおみそか」と呼ぶのは「三十日(みそか)」の大ボスであるという意味からです。現代では31日ですけど名前は残ってるんですね。

伝統的な日本の歳時を知るために現代でも見ることができるのが、「二十四節季」です。「暦の上ではもう春です」って言ったりするあれ、先ほどの「2月3,4日」いわゆる「節分」は、二十四節季の「立春」の時にあたり、この「春立てる」ことを昔は正月節といったのです。たしかにそのころから近畿以南や関東平野部のあたたかい地域では梅の花がほころびはじめ、命の気配がじゃっかんしてきて、日の短さもちょっとマシになってきたように感じられることでしょう。なるほどなー。

まあ世界一雪降るおらが越後にとっては2月なんて一番雪多い「閉ざされ月」なんですけどね。

このように、暦には為政者の都合や歴史があるだけでなく受け取り方の地域差もあり、それはファンタジー世界でも同じです。

 

 日本の年末年始の習慣で伝統的・全国的なものといえば「大掃除」「正月飾り」「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「おせち料理」「もち」「雑煮」あたりですね。

これらは、「初詣」以外は江戸時代にはすでに行われていた風習です。あと、現代には残ってない「年末に掛け売りのツケを清算する」という風物詩もよく人情噺や滑稽噺になっています。当時は決まった店が身元がはっきりしてる消費者を相手とする日用品買い物や大きな買い物は、その場で現金払いするのではなく、店側が記録しておいておおむねお盆と大晦日に支払いをもらうというのが一般的でした。だから年末はどうにかして支払いをごまかそうとしたり年越し支度も放り出して逃げ回ったりなんてことも……。

初詣が一般的でなかったのは、年始は「家に年神様を迎える」ための時期であるとされるからです。門松を飾ってここに家がありまーすと神様を誘導し、おせちや鏡餅で歓待。米をこねたモチが日本文化の中では神様に通じる神聖な食べ物であることはもちろん、おせち料理も「御節供(年の変わり目の神様への捧げもの料理)」というのが元の言葉。それらを年神様とともに共食したり、おさがりを雑煮にして食べたりすることで新しい年の息吹をいただくのです。「お年玉」というのはもともとおカネではなくこうした年神様の魂の宿ったおモチをいただくことをさしていました。

さまざまな正月遊びが伝わっているのも、かるたも福笑いもすごろくも羽根つきも別に正月じゃなきゃできないような内容じゃないですから、何より「大人の仕事も子供の手習いもだいたい休みである」、家族みんな揃っていて遊べる楽しいホリデーが正月くらいしかないというのが大きかったのでしょう。

現代ではすっかり想像がつきづらくなってしまいましたが、ほんの数十年前ですら正月はどこの店も開いておらず家で遊ぶかおせちをつつくか寝正月かしかできることはありませんでした。それは欧米のホリデーシーズンも同じですし、違う世界でも年末年始はそうかもですよね。

 

現実とフォドラのカレンダー

 今回の舞台裏はいつもとは違って、現実のローマ帝国→中世ヨーロッパ社会とフォドラ社会の暦の制定事情を比較したのちに、地域差がありそうな部分について妄想をふかめていきたいとおもいます。

現実のローマのカレンダー

 最初期のローマの暦「ロムルス暦」は、厳密には「一年全体」を対象としたものではありませんでした

こう言うと何言ってんの?という感じですが、これはそもそもカレンダーを作る目的に関わりがあるよい例です。日本の「とし」という言葉が稲作に直結していたと述べたように、ローマ暦も農耕を中心としたカレンダーだったので、特に農耕やることない時期についてはカレンダーが必要なかったのです。農耕の時期のはじまりとおわりまでにカレンダーがあり、ほかはなんか名前とかない期間。

暦のはじまりを飾るのは、ローマの建国王の祖神とされるマルス神の名をいただく「Martius(マルティウス)」現在のMarchの月(3月)。4番目(現在の6月)までめでたい神の名をいただく月の名前が続きます。拙著『フォドラの舞台裏。-風土編-』でも述べましたが、ローマ帝国でいかに農耕が重視されていたかを示しています。

神の名前をもった月が終わった後は「〇番目の月」っておざなりになります。現在の12月で暦は終わり、1月2月にあたる時期は別にスケジュール切らなくていいから家でおとなしくしてろやという感じです。ちなみに12月をあらわす語Decemberはこのころにもう完成しており、最後の月は「December(デケンベル)」といいましたが、これは神の名に由来するとかではなく「10番目」という意味です。12番目じゃなく。だって今の3月から数えたら12月って10番目だもんね。

 

 一年のすべての時期に月名があてられたのが「ヌマ暦」です。一年が終わり清算して新しい一年の再生に向かう時期である1月と2月には「はじまりと終わりの神ヤヌス神の月(Jānuārius)」「浄罪の神フェルブスの月(Februārius)」と名前をつけ、英語のJanuaryとFebruaryの語源となっています。さらに「ユリウス暦」のころにはユリウス・カエサルや跡を継いだアウグストゥスが神の名の月に次ぐ現在の7月と8月に「ユリウスの月(July)」「アウグストゥスの月(August)」と自分の名をつけ、それが現代のラテン語系の言葉の月名にも残っています。

ローマ帝国で農耕が重視されていたために現在の3月が暦のはじまりだったことは確かですが、「政治年度」はその新年の2か月前(すなわち現在の1月)からはじまる慣習があったために、カエサルの改暦のさいに「政治年度に全体を合わせようよ」と決まり、1月が新年であるという扱いになりました。

この考え方は、ローマ帝国からヨーロッパの世界観を敷く役目を引き継いだキリスト教会組織が広め現在まで続くグレゴリオ暦にも引き継がれていきます。

 

現実のグレゴリオ暦

 グレゴリオ暦でわれわれが普段使っている「西暦」での年数の数え方、90年代とか2024年とかいうやつは「キリストがこの世にあらわれた年」を基準としています。そう考えるとスゲー基準だな。キリスト以前とキリスト以後はこの世の摂理が違うの。神との約束が違ってくるんで。

そして、ローマがなんやかんやあって1月を新年としたことは、キリスト教の伝播のなりゆきとも息が合っていたっぽいです。

年末年始のホリデーな節のはじまりであるクリスマスは「イエスの誕生日」としてよく知られていますが、現実の人物としてのイエスの誕生日はちょっと違くて1月何日とかいろいろ説があります。なんつったってイエス生誕を祝う12月25日のお祭りが制定されたのは4世紀くらい、イエスが地上タウンにさよならバイバイしてから何百年もあとのことなんですから誕生日なんて不確かに決まってます。

じゃあなんでそこを「主は来ませり祭り」にしちゃったのかというと、そこがもともとめでたいお祭りの日だったからです。拙著『フォドラの舞台裏。-ライフステージ編-』とかでもちょくちょく述べていますが、キリスト教はひろく布教するにあたり、いろんな土着の信仰を消すのではなくて吸収してキリスト教の行事ってことに名前を変えてきたという歴史があります。多神教的なウェーイな祝祭をちょっと真面目寄りの守護聖人のお祭りってことにしたり。ハロウィンなんかもそのひとつで、死者が帰ってくるとかいうおどろおどろしい異教的な祭りに「万聖節(すべての聖人の祭り)」というガワをかぶせています。

クリスマスもまた、その代表的なものです。クリスマスのちょっと前の時期は毎年だいたい冬至の時期にあたり、これはみなさんご存知のように一年で最も太陽の出る時間が短くなる時期です。言い換えればここがドン底であとはあったかくなるばかりなので、キリスト教以前のヨーロッパ世界ではしばしば冬至のあとは太陽の復活を祝う祭りが行われていました。これが、これから暗い世を照らすために幼子イエスがこの世に来てくれた喜びになぞらえられ、12月25日はクリスマスとして自然に受け入れられていったのですね。

 

 で、年末年始は冬至付近なもんだから寒いし、不滅の生命力を象徴するモミの木などの常緑樹以外植物はみんな葉を落として死ーん……としているしで、優雅な狩りができる貴族以外はフレッシュな食べ物を手に入れることが難しい時期です。つまりノーベンバーからディッセンバー上旬の「年末年始シーズンの準備」というキラキラワクワク感を帯びたような仕事は実は保存食の備蓄とおこもり体制の構築という冬眠前のクマみたいな事情を含んでいたんですね。キラキラの秋のクマ。

日本人がおモチをついて乾かしたり、昆布やするめやニシンなどの干物、こんにゃく、根菜類をおせち料理のために用意するのと同じような年越しじたくとして、西洋では豚さんをシメました。Novemberをあらわす月の暮らしの絵には、「豚をシメる農民」の図があらわれている例が多くあります。

これをこうして

こうじゃ

塩漬けの豚肉やその他部位のソーセージ燻製のほかに保存がきく栄養のあるものは、バターでしょ、ナッツでしょ、干しくだもの、ベリーを煮詰めた瓶詰、スパイス……。冬は燃料だって貴重なので本格的に無理になる前に一気に調理して保存しておきたいですから、そんな事情を一身に背負ったのが↓これ↓というわけです。

あるいはこれ。

こういうギュムギュムにつまってドライフルーツやバターや酒や香辛料たっぷりのホリデー菓子は、出たなカロリーのおばけ!!汝は罪!!という感じもしますが、本来ちょこっとずつ食べてなんとか生き延びるためのつくりなんですよね。

「クリスマス」という儀式は実は本番の日の一か月くらい前から「待降節」というかたちではじまっていて、この間は来る太陽再生とキリスト生誕の日のため祈りと断食の日々をすごします。だから肉じゃなくて少量でも栄養のあるシュトレンをチビチビ食うわけ。これが中世の年末です。粛々としてる。そういうギリギリ生存戦略を「クリスマスまでじっくり熟成させながら食べる」というホッコリした家族の時間に転化する感じって、なんかファーガスみがあるよね。じっさいファーガスのモデルになったような北フランスから東北部のヨーロッパの習慣なんですけど。

こうしてちょっとずつ冬支度やお菓子熟成をして迎えた12月24日の夜から25日、イエスの生誕を祝い太陽は再生をはじめ、それが新年のはじまりとなります。別にJanuaryにならなくても新年。月的にははじまりの月はJanuaryですけどほんとにメリクリアンドハッピーニューイヤー。断食は明けて冬支度したお菓子などのごちそうを食べ、家族とほっこり過ごします。東方の三博士が幼子イエスに会いに来て公にイエスがおひろめされた日となった、という設定の1月6日の「公現祭」がいわゆる仕事始めの日となり、ホリデー終了となります。

基本的な中世ヨーロッパの「年末年始」はこのようにクリスマスでしたが、春の「イースター」や9月はじめの「世界創造の日」なども一年のはじまりとして認識されることもあります。イースター(復活祭)はキリストが磔にされ刺されたけど復活したことの祭りですが、「タマゴ」と「ウサギ」がシンボルになっていることからもわかるようにクリスマスと同様生命力を尊ぶキリスト教以前の異教の祝祭と集合したものです。神が世界を創造したとされるのが9月はじめになっていることは、キリスト教圏の学校の年度が多く9月はじまりになっていることの元でもあるみたいですね。

 

フォドラの帝国暦

 フォドラの暦である「帝国暦」は、以下の点で現実と類似しています。

  • グレゴリオ暦と同様、制定前にさかのぼって「紀元」をさだめ年号をつけている
  • ローマの暦と同様ローマ的な地方を基準に、農耕ベースの春スタートである
  • キリスト教の時期の名前と同様「〇〇の節」と月に名前がついている
  • 12月25日が特別なパーティーの日である

 まず、作中のフォドラ社会で広く用いられ、庶民まで「誕生日」がわかるほどよく普及している帝国歴は初代アドラステア皇帝ヴィルヘルムの勢いいちじるしい御世に発布されたもので、発布から数十年さかのぼって帝国の建国を元年として「帝国暦〇年」と年号を数えています。しかし、それまで暦が普及していなかったというわけではなく、帝国暦以前の暦もみつかっています。ヴィルヘルム一世はあえて暦をあらためたということです。

これは節(月)の名前をセイロス教に関連した名前にすることで帝国の影響範囲にセイロス教の秩序をいきわたらせることと、帝国建国を基準とした暦によって帝国に特別な権威を付与することを目的として行われた事業っぽい、というようなことがアビス書庫の『暦の謎』に書いてあります。こうした戦略や暦に関する天文知識はセイロスやキッホルが「女神からの神託」というかたちで授けたものと考えられます。

節の名前つけたのもセテスなんじゃないかなあ。「竪琴の節」の「この節に生まれ、あるいは亡くなった」「音楽を好んだ」聖人って、5月には聖マクイルの誕生日があるからマクイルのことか、そうでなければもしかしたらフレンのお母さんのことをセテスが言い伝えに残したのかもしれませんね。他の「亡くなった聖人(女神の眷属)」って赤き谷で大量虐●された人がほとんどなはずなので……。

『暦の謎』には、帝国暦以前にあった暦では「1月」とか「12月」とかいうふうに各月間が数字で呼ばれていたことが奇異なことのように紹介されています。

帝国暦が制定されて久しいが、それ以前の暦では、1年は守護の節から始まり、星辰の節で終わっていたことがわかっている。十二節は存在せず、「節」の代わりに「月」という呼称を用いていたという。

守護の節が1月、天馬の節が2月……というように数字が1ずつ増えていき、星辰の節である12月で1年が終わる。風情はないが、合理的な呼称であることは間違いない。

よく設定された異世界の常識からみて「こちら側」の常識がヘンなものとして分析されるの、楽し~~~ッ! 醍醐味~。

とはいえ、実は「月を数字で呼ばない」というのは異世界レベルでなく実は英語をはじめとした欧米圏もそうなんですよ。「1月」とか月に数字を振るのは日本では当たり前のことですが、日本人向けじゃない英語のカレンダーには「January」と書いてあるだけで「1」とは書いていないのです。さすがに「A first month in a year(一年で最初の月)」と言えば通じはしますけど、数字で呼ばない、フォドラと同じ感じで「〇〇の月」って名前で呼ぶってこと。だから『暦の謎』の内容が英語版でどういうふうに書いてあるのか気になる(Januaryとは書いてないだろうなとか)し、本編のカレンダーシステムに日本人にわかりやすいように月の数字が書いてあるのもなんか変な感じだったのかな……ておもいます。気になる。

 

 そして、現代日本とフォドラとの最も大きな違いが、年末年始の時期ですね。12月25日(にあたる日)が作中で大事な日なのでついヨーロッパと同じ感覚でそこからハッピーニューイヤーな感じがしてしまうのですが、フォドラの新年の節は「大樹の節(現実の4月)」です。

オグマ山脈から吹き下ろす冷たい風が弱まると、フォドラの大地は豊かな緑を芽吹かせ、一年の始まりを告げる。やがてその緑が大樹へと成るように、人々は自らの生が実り多きものとなるのを祈って年始を祝うのである。

ゲーム中最初の節の説明ナレです。このとおり、大樹の節は「寒さが和らぎ、まともに仕事を始められる」「命の芽吹く春」であることを重視され、人々にとって一年の計を抱くお祝いの時期であるようです。ただし、ファーガス北部においてはまだまだ雪も解けきらないかもが否めないので、あくまで帝国の地理ベースですね。ちなみに元日にあたる現実の4月1日にあたる日がアドラステア帝国建国記念日です。元年元日はアドラステア帝国の建国が宣言された日。

孤月の節(3月)のナレなどからも察するに、暦上の年度も士官学校の年度も仕事上の年度もすべて大樹の節はじまりのようです。フォドラの人々は現実でいう3月に新生活への清算や準備をして旅立ったり、4月の頭には家族でのんびりチルしたりするものみたいですね。

春が別れと出会いの季節なのは現実と印象同じですが、現実のホリデーシーズンの感覚も大樹の節(4月)の頭にあるみたいで『無双』では戦争してたら新年が終わっちゃってた帝国兵が「もう大樹の節終わっちゃいましたよ~」と嘆いています。

たとえば家から離れて仕事をしていたギュスタヴやグレンが休暇をもらって家に帰ってきやすいみたいな時期ということでしょう。ふだん帝都に暮らすことが多い帝国の高位帰属たちも年末には実家に帰って年末の大精算をしたりして、大樹の節1日の帝国建国の日に参賀して大宴会するのかも。

孤月の節末とかには新年の準備のための特別な品や服や道具の新調のための市(現代でいう「新生活応援フェア」みたいな感じも混ざる)が開かれて春っぽくなってきた浮かれ調子も手伝って経済が動きそうです。年末年始のどこかでは領主の館でふるまいの宴があって、庶民はそこでもらったおこぼれを家に持って帰ってみんなで食べるでしょう。

その時期の気候から年末年始のごちそうの定番を考えると、現実のヨーロッパの慣習でいう遅めの「謝肉祭」か、時期ジャストの「復活祭(イースター)」に近そうです。時期と雰囲気的にイースターのほうが近そうかな。キリストの復活を祝う意味がなかった民間信仰のころから、三月末〜四月頭は生命のパワーが芽吹く時期として祝われましたから、卵のほかにミルクをふんだんに使ったフワッとしたお菓子(冬支度のお菓子とはまたようすが違いますね)、子羊のローストなどといった若い命を感じさせるフレッシュな感じのお祝いメシが供されました。

イースターっぽいのであれば、孤月の節の春の気配を感じながらも粛々としたムードから考えるに、年末には現実の「四旬節」にあたる断食期間があるのかもしれません。断食といっても魚や野菜は食べていいのですが、「新しい春の復活の祭」に向けて肉を断って祈る時期です。ちなみに断食前にためこんでいた冬の塩漬け肉をワーッて一気に食べまくるのが「謝肉祭」。どっちにしても祭りの前はチビチビ食べる慣習です。

そう考えると、孤月の節31日というド年末のおおみそかにガルグ=マクに攻め寄せてきたエーデルガルトは腹減ってるかもしれないところを狙うみたいなエグ印象も追加になるのかもしれませんね、世間の目的に。年末年始の祭、それもセイロスがアドラステア帝国をフォドラの守護者としてはじめて冠を戴かせた日の前日に何もかもをぶち壊しに来るというのも相当冒涜的です。エーデルガルト的にはそれが「この支配からの卒業」「新しい誕生日」ということなのですが。

www.homeshika.work

春から一年が始まるのはローマっぽい要素でもありますが、ローマの場合3月から始まりますから、帝国歴が4月はじまりなのはメタ的に「日本の学校の新年度」に合わせてもあるのでしょうね。カレンダーシステムのRPGといえば同様にタロットをモチーフにしてもいる『ペルソナ』の3~5で、あれも学校生活の一年弱をひとつの物語のサイクルになぞらえてますしプレイヤーにわかりやすい。

「学校の年度」なので、天馬の節(2月)末にエーデルガルトが宣戦布告をやらかさなければ本来は孤月の節の上旬から中旬頃には士官学校は卒業式が行われ、生徒たちはそれぞれの家に帰る予定だったのだと考えられます。昨年度はそこらへんでモニカが闇うごに誘拐されたわけで、すでに明らかに帝国軍の伏兵が潜んでいそうな状況なのですから利用価値たっぷりの良家の子弟たちを一気に解散させられません。かくして卒業式も帰宅もしてる場合じゃないまま生徒たちはおうちでチルしてるはずの年末に篭城戦に巻き込まれることに。

 

というわけでフォドラにおける年末年始とは春の出会いと別れと芽吹きの行事ですが、かといって、12月25日から1月にかけての意味がフォドラと現実でまったく異なるかというと、それも違うようにおもいます。なぜならその時期が冬至であることは変わらない気候条件だからです。新年の準備という名目でなくとも冬支度をしなければならないことは同じですし、冬至時期の底から太陽の復活を祈るであろうことも、それこそ日本ででも同じです。

透き通った冬の空に、星辰が瞬く。青海の星はその姿を隠し、女神は遠く天上から、地上の平穏を祈るという。ガルグ=マク大修道院では、落成を記念する周年祭が今年も行われ、5年後の千年祭に向け、人々の祈りは大きくなってゆく。

現実でのクリスマスの日は、フォドラでは「ガルグ=マク大修道院落成記念日」となっています。太陽が死に再生へ向かう時期に現実では神の子の誕生がなぞらえられたように、フォドラでは女神の星が隠れる時期に、女神の加護を現世に示す約束と希望の象徴が落成されたのですね。

寒い時期に、神の加護と神が繋ぐ家族や友人知人とのつながりを確認して飯を食って、ありがたいなあって思う、もう今が一番の闇の底でこれから日も長くなってくばっかり、暗い夜から夜明けへ向かうぜって、つないだ縁を信じる。つめたい空気がその気持ちを洗い清めるみたいに感じる……。

イエスにあたる預言者セイロスが生まれた日よりも、かつて家族と暮らしたお家とお墓を守り、人々の心が集まれる大事な場所が生まれた日のほうが大事って決めたんだ、レアは。ガルグ=マクは「みんなの学び舎」「みんなの家」。

「年末年始」の時期は違いますが、「この時期」にフォドラにも特別なお祭りがあって、みんながなんやかんやありながらも万事繰り合わせて約束を信じて「家」に集まるイベントの時期に設定されたこと……。それはやっぱり我々の知っている、この時期にしかない、あわただしくドサクサにまぎれつつも神に導かれるように厳粛で、それでいてどこかホッコリするような……こんな気持ちに近いんじゃないかなっておもうんですよね。

 

 2024年は風花雪月5年目の同窓会イヤーだ!! みんな集えー!!

『フォドラの舞台裏。』シリーズ、書下ろしをたっぷり含めて5周年記念に発行準備中! ご予約開始時期は当方のX(Twitter)アカウントをチェックあそばせ。

最近表紙のイラストレーターさんが決まったぜ! ちゃくちゃくと進行してます。

入れる予定のある中世・近世の舞台裏としては「交通」、「動物」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

youtube.com

中世騎士社会もののゲームによせて中世の文化を解説する実況もあります。チャンネル登録よろしくね

 

↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

www.homeshika.work

↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます

 

note.com

こちらのブログに載せる記事未満のネタや語りは↑こちら↑のメンバーシップでサブスク配信しています。

 

あわせて読んでよ

www.homeshika.work

www.homeshika.work