本稿は2021年6月に発行しました『いただき! ガルグ=マクめし副読本 -フォドラ食物語-』が完売してだいぶ経ったため、SNSフォロワー限定オマケをWeb再録するものです。『いただき! ガルグ=マクめし』の中の関連キャラクターの項と、二次創作小説をセットでどうぞ。
※『カリード王アンヴァル会談録』は照二朗の書いた小説となります。挿絵イラストは表紙と同様マルオ先生によります。末尾にはWeb再録にあたって解説コラムコメントを書きなおしています。※
キャラクターの食の好み分析
今回の再録の主役はクロード! と思ったのですがじゃっかん前回とメインが逆だったような気もするので今度逆に差し替えるかもです。
クロードの基本データ
好きなカテゴリ・苦手なカテゴリ
肉料理と大人の味が好き。
好きなメニュー(16品)
ベリー風味のキジロースト
肉料理すべて
タマネギのグラタンスープ
赤カブ尽くしの田舎風料理
満腹野菜炒め
パイクの贅沢グリル
ガルグ=マク風干し肉炒め
山鳥の親子焼き
ガルグ=マク風ミートパイ
煮込みヴェローナを添えて
ゴーティエチーズグラタン
キャベツの丸煮込み
苦手なメニュー(3品)
ザガルトのクリーム添え
ブルゼン
ザリガニのフライ
特記事項
肉も野菜も好きで、小麦粉のお菓子以外に苦手はないが、魚には基本興味がない。
においの強いものやクセのある味付けを好む。
大地への賛歌
クロードは三学級の生徒たちの中ではレオニーさんに次いで好きなものが多いです。肉が特に好きでチーズやスパイシーなもの、野菜、臭み渋み系も大好き。小麦粉とバターの焼き菓子は苦手ですが甘い味が苦手というほどではないようす。
クロードはイングリットと違って食べるのが好き!エピソードも特にないので、こんなに好きなものが多くて苦手なものが少ないごはん大好きっ子なのは意外に思えるかもしれません。これには彼の生まれからくる信条の、フォドラ人との違いも関係しています。
まず前提としてのネタバレですが、クロードにはパルミラ、つまりアラブもしくはモンゴル的な遊牧民族の血が入っています。クロードが好む「肉」と「チーズ(クロードいわく《乾酪》)」はモンゴルでは「赤い食べ物」「白い食べ物」と呼ばれ、現代でも食生活の中心となっています。スパイスに関してもフォドラよりかなり手に入れやすいはず。故郷に嫌気がさしてフォドラとの間の壁に風穴を開けるためにやって来たとはいえ、その基本的な考え方の土台にはフォドラ=ヨーロッパ人と比べてだいぶアジア的な感覚があります。
フォドラ人が神を天にましますものと考えるのに対し、クロードは神的なものや世界の意思を大地の恵みに見出しています。観念的な詩を作るローレンツはクロードがごきげんで作っている大地を讃える即興詩に対して、「なんだ今の詩は? 地面がどうとか言っていたようだが……」とポカーンとします。フォドラの高尚な貴族にとって地面は卑しいもので恵みは女神が授けてくれるものですが、クロードにとっては草が茂り作物を育む豊穣な大地こそが人間の命の源なのです。
こういう「母なる大地」やいろいろな自然物に神性を感じ、人間は自然に生かされていると考えるのはフォドラの外的な考え方です。精霊信仰のペトラと馬も合うはずです。クロードのもつリーガンの紋章に対応するタロット「月」のアルカナも農業の実りをもたらす気まぐれな太陰の女神を意味します。
「月」アルカナは食べすぎや過食症などの摂食障害も暗示するので、クロードにはメタボらないよう気を付けてもらいたいところです。年取ったらおなか出そうじゃないすか? クロード。また、「豊穣なる地母神」をあらわすのはアネットのもつドミニクの紋章も同様で、二人には「土の下の種が芽吹く」という内容のアネットの歌を中心とした支援会話があります。
フォドラ人は食事にあたって主の恵みに感謝はしますが、貴い身分になるほどに生々しい動物としてのガツガツモグモグを避け、地面の中にできる食材を避けたり、肉がもたらすハッスルハッスルを卑しんだりして、食に対してなんとなく罪悪感を持っているところがあります。しかしクロードは泥のついてたような野菜はモリモリ食べるわ、肉とみるやなんでも好きだわ、まったくローレンツ的なフォドラ貴族の慎ましさとは合いません。
ローレンツが「食事とは、貴族としての作法を優雅におこなう場」と思っているのに対し、クロードときたら「飯を食うってのは、生きることと同義だ。あんたと共に飯を食えて幸せだよ」ときたもんだ。これは帝国文化に傾倒した同盟貴族の中ではかなりギョッとするような異様な発言といえます。
毒耐性
スパイシーな食べ物や臭みの強い発酵食品などが好きなことはおおむねクロードがパルミラ出身であることで説明がつくのですが、余談としてひとつ。
大人の味カテゴリの説明や、同じく大人の味をすべて好むヒューベルトについて、「大人の味を好むことができるのは刺激物への慣れ、微量な毒に対する麻痺である」というようなことを述べてきました。ヒューベルトに限ってはそんなポイズンな自分の生き方をエンジョイしているようでしたが、クロードはどうでしょうか?
策謀家でみずから怪しげな痺れ薬を用意しさえするクロードです、毒に親しんでいることは確かですが、それはつまり彼が毒の流通する環境にいたということでもあるのではないでしょうか? アジアは薬になる香辛料の宝庫であると同時に植物毒の宝庫でもあります。立場がアレなパルミラにいたころのカリード少年は、ちょくちょく毒を盛られ命を狙われていた……のかもしれません。
カリード王アンヴァル会談録-ライス編-
↑前編はこちら↑
――アンヴァル、パルミラ新王カリードとフォドラ統一国外務官僚コンスタンツェ、その従者に扮したフォドラ裏社会の大物ユーリス(仮名)の会談、また別のお話――。
「今度はわたくしのほうの困りごとですわ。もしこれが部分的にでも解決すれば大変なお手柄。悔しいですがクロードとユーリスの知恵を借りるのは非常に有意義だとわかりましたから、この機に話すだけは話してみましょう。こちらをご覧あれ」
コンスタンツェはユーリスに持たせてきた書類の一部を広げてみせた。ヌーヴェル領の農産とそれに対する租税の報告書であった。クロードはわくわくと覗きこんだ。
フリュム領がエーギル公や帝国の胡乱な勢力に治められていた間ひどい有様になっていたのとは違い、ヌーヴェル領はコンスタンツェの家が零落していた期間もまともな管理がされていたらしく、書かれている数字は信憑性のありそうなものだった。
クロードから見て、その信頼度を高めていた情報は皮肉にも「徐々に減っている」小麦の生産量だった。ずさんな捏造の入った報告では、最新の報告までつながるなだらかで確実な下り坂が作られることはあるまい。
「このとおり、我がヌーヴェル領の小麦の収量は減り続けております。少しずつですが、もう十年もすれば危機的状況になるでしょう。旧王国領でさえ農法の改善がなされ、収量が上がってきているのにもかかわらず……です」
「そいつはよろしくないな。このくらいの微々たる減りなら、ヌーヴェル卿のご威光でどうにかできないのか」
「ふざけないでくださいな。確かにわたくしはヌーヴェル家にさらなる栄誉をもたらしてみせるつもりですし、そうなれば当家の地位は安泰、租税収入が減っても官僚としての俸禄もばっちりでしょうけれど、畑の実りが減り領民の心が荒んでいるのに自分ばかり華やかに暮らすなど、そんなもののどこが貴族といえますの。貴族は人心を安らげ模範を示し、民を気高い心持ちに導くものですわ」
コンスタンツェの啖呵にクロードは興味深く感心した。ローレンツにしてもそういう性質が強いが、フォドラには「部族を導く族長」ではない、「土地を治める貴族」というものがいるのだ。それがクロードには面倒くさくもあり面白くもあった。
パルミラでは基本的に、ひとつの部族の全員が草原の戦士とその家族たちで、しかも部族の全ての家族が族長と血縁や密な交友関係で結ばれた親戚のようなものだ。食糧問題や戦などで部族の民に危機が迫れば、族長が戦略をめぐらせ、旗をひるがえすように部族全員を動かして対応することになる。
だがフォドラの民は土地を耕し、土地に根付くものであるから、フォドラの指導者たちはそれを動かしてはたちゆかず、土地の上の暮らしを守ることになる。ローレンツがフォドラの貴族を羊飼いになぞらえていたことがある。それにしても土地から動けない羊を飼うのは難しいだろとクロードは思っていた。
貴族ならぬ薄暗がりの王であるユーリスがコンスタンツェの言葉を引き取って言った。
「パルミラじゃ、畑はあんまりねえと言ってたが……フォドラでそんなことになったら大変なことなんだよ。不作が続いたら、もし運よく飢え死にや疫病を免れたとしたって税や地代が払えねえ。持ってる畑を耕すしか生きてく術がないのに、領主がヘボで魔獣や賊や天災なんかから守ってくれねえこともある。
そうなったら畑やってたやつらは、仕事があるんじゃねえかって都市に夜逃げしてくる。生まれ育った家も全部捨ててな。飢え死にを待つよりゃマシだから。でもそんな奴らは星の数ほどいる。で、都市は夢の楽園じゃない……」
「人心が乱れ賊が跋扈(ばっこ)するのは民草が愚かなせいではなく、彼らが営々と積み重ねてきた生業を貴族が守れず捨てさせてしまうからだと、恥ずかしながらアビスに暮らしてのち考えるようになりました。『善き心は日々の勤労と正しき生活の中でのみ育まれる』と聖キッホルもおっしゃいます。ですから、わたくしはわたくしの民に……、いえ、フォドラすべての民ですわね、に、先祖伝来の土地と仕事を心ならず捨てさせるわけにはいかないのです!」
鼻息を荒げるコンスタンツェに、ユーリスはかすかにだけ微笑んで視線を向けていた。なるほど、この二人の間にはそういう利害関係があるのかとクロードは観察し、いや、「利害関係」というと自分の考え方に寄せすぎかもしれない、とも考え直した。ローレンツに取引も冗談も入り混じった親書をしたためるときの自分も似たような顔をしているのだろうか……とも。
「わかったよ。だめな土地はしばらく捨てていくとか、農業がダメならまったく別のこと、っていうような奇策をうつ問題じゃないってことなんだな。それで、このちょっとずつの悪化の原因はわかってるのか?」
「ええ。主な原因は塩害ですわ」
塩害、というのはクロードにとってはフォドラに来てから学んだ概念だった。正確に言えばパルミラにもあることだが、あまり大きな問題にはなっていない。
農耕のために地下水を汲み上げ続けると、土中の塩が地表の近くにあらわれてくることがある。海辺や、塩の湖の近くであればさらに。塩の強い土で育つことができる植物はきわめて少なく、そしてフォドラの主なる作物である種々の麦や、収量豊かなキャベツもそのうちには入らない。パルミラでも塩の湖がある周辺や、全域でも、雨が少ないために地表の塩が洗い流されない。それも農耕がさかんに行われてこなかった原因の一つなのかもしれないが、そのことについて調べているパルミラ人がいるとは聞いたことがなかった。パルミラには家畜の食む草と、それを求めて駆け巡れる広さがあれば問題がなかったからだ。
コンスタンツェは続けた。
「わがヌーヴェル領、およびブリナック台地の周囲は、温暖で安定した気候ですがフォドラの中では乾燥ぎみの土地です。小麦農業が発展し地下水を汲むほどに土地の表面に塩が表出し、徐々に畑に使える土地が目減りしていくことはこれまでにもわかっておりましたの。かつては開拓を奨励することで減る土地を補って成長していましたけれど、もちろんそれには限界があります」
「塩も、農民に土地を捨てなきゃならなくさせてる原因ってこと。貴族のやつらの無責任や重税ばかりじゃなく、そういうこともあるんだよな。やりきれねえよ」
ユーリスは実際に使い物にならなくなった農地か、それを捨ててきた流民を世話したことがあるためだろう、苦い顔をしていた。
「同じことを聞くようで悪いんだけどさ、それってこう、同じとこで畑をやりすぎて土が悪くなるのの対策みたいに、いくつかの畑をぐるぐる回すんじゃ解決できないことなのか? パルミラでは牧草地をそうしてるわけだが」
「それが、困ったことに数年放っておいても塩害は地力のように回復しないと古くからの調べでわかっているのですわ。実はわたくし、ユーリスに助言され魔道で良質な土を作る研究もしていましたの」
「へぇ! それがうまくいけば王国の農地とかはものすごく助かるんじゃないか? すごいなコンツタンツェは」
「おーっほっほっほ! たかが土とひそかに思っておりましたがやはり? そうでしょうともこのコンス……、
……ではなくて、ええと、肥料の材料と作物を育てた後の土とをさまざまに混ぜ、魔道で『つくり』を変える促進をするのですが、今年塩害の出た土で試してもそれだけはうまく種が育っていないのです。決して諦めてはいませんけれど、連作障害よりも手ごわい問題だということですわ」
コンスタンツェは「たかが土」に対してかなり身を入れて研究体制になっているようだった。ユーリスは庶民の役に立つようコンスタンツェの奇天烈な頭脳をうまく操縦しているのだなあとクロードは感心した。褒めれば炸裂する女コンスタンツェ。
ユーリスは加えて分析した。
「俺が思うに、塩は草木や動物の体みてえに土に還らないんじゃないのかってな。『つくり』じゃなく材料の種類?っていうか……が、はなから違うんだ。皮肉なもんだよな、塩がなくても俺たちは生きていけねえってのに。いっそ土から塩が採れりゃ一気に逆転勝ちなんだが……」
「採れるんじゃないのか? 塩は水に溶けるしフォドラには川があるし、こう、篩(ふるい)に入れて洗うとかしてさ……」
「篩で土を洗うことはできるし塩水とも分けられるけどな、おまえブリナック台地から西をタライでじゃぶじゃぶ丸洗いするつもりかよ? 女神様の手が天から伸びてこなきゃ無理ってもんだな」
「あー」
クロードは頬をかいた。山を裂こうとか海を割ろうとか突飛で大きすぎることを言うのはクロードの癖であった。しかしコンスタンツェは驚かず続けた。
「クロードの言うことにも一理があるのです。土地を『洗う』ことは塩害の有効な対策として行われてきたとのこと。しかしそれにはもちろん大量の真水が必要……。土か水のどちらかを運ばねばならないことも途方もないですが、もともと乾燥した地域だから地下水をひいているのですもの、ブリナック台地周辺の河川の水量で洗い流すのは難しいのですわ。もし我らを憐れに思し召した主の御手が差し伸べられたとしても丸洗いは不可能、というわけですわね」
コンスタンツェは指先でヌーヴェル領の輪郭をなぞった。帝国の西端の半島部に位置するヌーヴェル領は、領地を二又に分かれた川と海とに縁どられている。
「しかも、わが領地はおそらく、河口付近から海の塩の影響を受けています。
わたくしの父母は、これらの川の下流がまれに氾濫して家を流される民を憐れに思い、川底を掘って下げる事業をおこなったことがありますの。幼いわたくしはなんと立派なと誇りに思っておりましたが、今にして記録を振り返ると……その頃に一度急に塩害が進んでいたのです。おそらく、川底の下に海から来た塩が眠っていたのですわね。このわたくしが父母の事業の責任をとらねばなりません」
決然と厳しくしたコンスタンツェの顔をユーリスは目元をしかめて斜めに見た。
「それで洪水から家が守られたやつらがいんだから、おまえのおやじさんおふくろさんは良いことをしたんだろ。それにおまえのとこの土地の河口の周りじゃうまい魚だの二枚貝だの甲殻類だのがとれる。漁師だって領民なんだぜ」
ユーリスが義侠心にあふれた激励をしている一方。
クロードはコンスタンツェの話を聞いて「もしかしたらいけるかもしれない案」をひらめいていた。例によって最終的に自分の得にもなる案を。
「そうだ、そうだ。川の流れに干渉するなんて、さすがは治水に優れた帝国の知識人だよなあ」
「それはそうですとも! ヌーヴェル家は優れた学識で常に……」
「ヌーヴェル家伝来の技術ならさ、俺の前の本拠地のデアドラでおなじみのあれ、『水門』って作れるのか? 海と川の間にさ」
「もちろん、水門は川から勝手に海へ航行する者を取り締まるためにも、高潮や川の水不足の際に海の水が流れ込んでくるのを防ぐためにも当然設置してありますわ。当家の技術は最先端ですのよ」
「おお、よかったよかった。じゃあこういうのってできるか? その水門を、川の水がちゃんと流れてくる季節にも閉めといて……」
「水を余らせてため池を作るっつー話? 人力で水まくぐらいじゃ土を洗うのにはな……」
「まあ聞けよ。で、畑を川の水面より低く作ってな、畑に水を流してって、水浸しにする! できそうか?」
コンスタンツェとユーリスはクロードの言った畑(かもわからぬもの)の状況を思い浮かべてみた。見渡す麦畑が巨大な水たまりの群れ、あるいは泥の湖のように変わっているさまを。
クロードの言っていることとは逆に、ファーガス地方の一部の湿地ではわざわざ干拓をして農地を作るのだ。水浸しの畑など聞いたことがない。確かにそれならば地表の塩の問題には進展があるだろうが、そんな状態では麦を植えても育たない。
「クロード、おまえなあ、さすがにそれは山を裂くみたいな冗談だぜ。そんな大雑把なことしたら結局畑じゃなくなって本末転倒じゃねえか」
「夏の水不足の時期以外は一応可能ですし、塩害には悪くない方法かもしれませんから、ひとつの参考として覚えておきますけれど……。たとえ地表の塩を水で薄めてから水を抜いたとしても、当家の領地はあまり水はけがよくありませんの。きっと作物の根が腐ってしまいますわ」
「ほー! それは最高なんじゃないか?」
「ぬぁんですってー⁉」
人の不幸を喜ぶかたちになったクロードの返答に、侮辱されたと思いコンスタンツェは決闘を申し込まんばかりに立ち上がった。クロードは反応が読めていたのか、あわてず騒がず何やら懐を探った。
「おい落ち着きやがれコンスタンツェ、いくら無礼講でも隣国の王様だぞ」
「そうだぞー、まあこれでもよく噛んで食って落ち着いてくれ」
「なっ、毒薬ですの⁉ あむっ……」
コンスタンツェはクロードが懐中の布袋から取り出した白っぽい塊のかけらを口に突っ込まれモグモグした。口元に指が突き出される一瞬前に、クロード自らも同じ塊からひとかけら取って笑顔で自分の口に入れてみせたので、つい口を開いてしまったのだった。そのまま、クロードの動きを鏡で映したようにもむもむと口を動かしてしまう。
「あ? なんだこの状況……。コンスタンツェ? 大丈夫か? 舌とか痺れてねえか?」
「ユーリスまで毒だと思ってるのかよ、信用ないねえ。俺も同じもの食ってみせてるじゃないか。というかここで突然の毒は利がなさすぎだろ。俺おまえにさっくり殺されるよ」
「毒じゃなくてもおまえの行動は十分意味不明だし、おまえ少々の毒なら慣れてる手合いだろ。……おいコンスタンツェ、普通の毒消しならあるからな? 何食わされた」
「……あまくなってまいりましたわ……」
「ああ?」
コンスタンツェはもはや自分の意思で積極的にモグモグしていた。口の中にものを入れたまま話す不作法を見られぬよう扇で口元を隠しながら一言だけもごもご発してまた噛みはじめ、そうまでして噛むのをやめない。明らかに、あの見た目の量の食べ物を噛む時間として普通ではなかった。干し魚の皮かなんかみたいだな、とユーリスは思った。しかしそれは噛んでも甘くはない。
「そういや、ユーリス甘いの好きだったよな。おまえもよく噛んで食ってみたら? ほいよ」
「……お、おう? ありがとな、……菓子なのか? 砂糖の色……?」
クロードにまたひとかけらちぎって白っぽいものを渡され、ユーリスは軽く眺めてから警戒しつつ口に入れてみた。透けるような白い小さな粒が、細切りの木の実をまぶした焼き菓子のように繊細に寄り集まっていた。口に入れると粒どうしは簡単にほぐれ、粒を噛むと芯がある。モルフィスプラムの中の種のように噛んではいけないものなのかと一瞬ひるんだが、ゆっくりと噛みしめてみると、芯はつぶれ、かすかな甘み。
砂糖が表面にまぶされているのとは違う様子の、やわらかで豊かな甘みであった。これは即効性の毒などではないな、と判断してユーリスは甘みを追ってさらにモグモグ噛んだ。粒をひとつ残らず噛み潰すようにすると、その仕事が終わったころには芳醇な甘味が口の中に満ちることになった。
「んん、……はぁっ……。いつ飲みこむものなのかわからず、おいしいのでずっと噛んでしまいましたわ……。オホン! パルミラの菓子は初めて口にしましたが、たいへん珍しき美味ではありませんか! 求める貴族はおりましょう。これを貿易することと、塩害になんの関係がありますの?」
「……ん、そういう話だったなそういえば。あー、うまいなこれクセになるなァ……。白パンや牛の乳もよく噛めば少し甘くなるけどそんな程度じゃねえし、なんか香ばしくもある。まあお高い菓子の話は置いとくとして今は畑の問題を……」
「これの、今噛んだうまい粒が、さっき言った水浸しの畑で作れる……って言ったらどうする?」
コンスタンツェとユーリスは目をむいて驚いた。ユーリスはまだ少しモグモグやっていた。
「……お話を整理しますわね。先ほどクロードが分けてくれた美味なる菓子は、麦のように実る東方の穀物を蒸して少々発酵させ乾かしただけの保存食で、その穀物は水をたたえた畑でよく実る、と……」
「しかもそれ、コメ、だったか? 米は麦より手間こそかかるが、うまくすりゃあひとつの畑あたり、麦より数倍多い粒が生るってか?」
「そうそう。俺もこれを売ってるモルフィスの商人から聞いた話なんだが」
「それなら塩害で畑にできる土地が減っちまってることにも、世話して食うための畑がなくてあぶれまくってる奴らにも一気に対応できて最高だが……。同盟の笑えねえ笑い話でよく聞く、『いい儲け話を聞いたからおまえだけに話すんだけど……』ってヤツにしか聞こえねえな。うまい話すぎて不審」
試食のつかみから始めて「米」なる穀物の紹介をしたクロードは、話しぶりがよくできすぎていてものすごく疑われていた。
クロードは胡散臭がられることには人一倍慣れているので、笑いながら平気で話した。
「その笑い話は俺も聞いたことがある。ああいうののどこが嘘の見分けかってな、『じゃあおまえがやって儲けてみせてくれよ、それからにしてくれ』っていうのが大きいよな」
「それですわ。クロード、あなたの国に農業の習慣がなく米を育てられそうもないのはわかりますけれど、そんな夢の作物がもしヌーヴェル領でも育てられそうなのだとしたら、なぜフォドラの他の地域にはこれまでの長い歴史の中で伝わってきていませんの! あなたのお話が本当なら、今ごろフォドラの民はパンではなく米ばかり食べているはずですわ。米だらけですわ」
「何か不利益とか副作用があるとか、か? 今までには今までのやり方の理由があるもんだ。状況をひっくり返すのはいいが、やばいもんを引き入れるのはごめんだぞ」
「うーん、例えば、実は俺の父親が昔フォドラから見たことない飛蝗(バッタ)をたくさん捕まえて帰って放しちまったら、その次の年からバッタの大量発生の様子がちと変わったって事件があったらしくて……」
「おまえのおやじさんってことはパルミラ先王だろ。なんだその行動力のデカすぎる悪ガキみたいなのは……」
「まあそういうこともあったらしくてな、生き物をもともといなかった土地に入れるってこと自体の危険はあるかもだ。そこはなんともだな」
実例を挙げて外来の生き物のもたらす思わぬ害があるかもしれないことを誠実に言うクロードに、コンスタンツェはいくぶん疑いの勢いをゆるめた。
「……その危険はパルミラにキャベツを入れるのも、われわれがダグザの作物を調べているのでも同じでしょう。変化は覚悟の上ですわ。わたくしはただ、これまでフォドラに米が伝わってこなかったことに理由がなければ納得しかねると言っているだけです」
聞く耳を持ってもらえてクロードはバッタに感謝し、これまた「パルミラ先王がフォドラから持ち込んだきれいなバッタ」である緑の目を輝かせた。
「それにはちゃんと理由があるぞ。俺はフォドラに来てから考え続けてたんだよな! なんでここには米がないんだろって……」
「あんだけいろいろ頭使いながらそんなこと考え続けてたのかよ。食い意地張ってんな」
「理由は、それこそユーリスの言った『土地の条件の違い』がでかいな。まず、米はファーガスじゃあたぶん育たん」
ユーリスは眉を下げて残念そうな顔をした。麦の実りが少なく砂糖黍(さとうきび)も育たぬ旧王国領の貧しさは、米では解決しないということだった。それでもヌーヴェルやフォドラ南西部で育てることができれば、少し旧王国領の食糧事情にも余裕が生まれるはずだが。
「寒いのが一番苦手な作物らしいからな。それが、パルミラの北部で作れない大きな理由でもある。うちは夜が寒い。その点、ヌーヴェルは気候が穏やかであったかいんだろ?」
「ええ。その点には問題ありませんが……」
「実は同盟でもモルフィス商人の持ち込んだ米が出回ることはあるんだ。でもあまり流行らないみたいでな……大規模に育ててはいない。なぜかっていうと、同盟や帝国南部では放っておいても麦が実る。雨も降るしな。グロンダーズ平野の小麦もあるのに、誰も手間のかかる異国の穀物を主に食おうなんて思わないってわけさ。で、同盟でも帝国南部でも王国でも食わないんだから、さて、ヌーヴェル卿のご領地には……どうかね?」
クロードはモルフィスからの交易路をたどり、地図の各地域を順々に指さしていった。ここでは求められない、ここにも必要ない、ここでは育たない……。当然、東から、西へ、西へ。
そして、交易路の西端にあるのが、――オックス領、ヌーヴェル領。ブリナック台地より西の温暖な、しかし塩害に悩む地域であった。
「なん……と、いうこと。つまり……」
コンスタンツェは扇で口元を隠しながら地図の東西を何度も見渡した。ユーリスは驚いた口元を隠さず、うす菫色の髪をわしわしと掻いた。
「つまり、『うまい儲け話』を……伝えるやつが今までいなかったってことか? 南西部の事情がわかってるやつの周りには、南部のやつと、せいぜい北西部のやつしかいねえ。南西部にとっては都合のいい話でも、周りのやつらには用のない話……」
「確かに、確かにヌーヴェルは帝国の外務をつとめてまいりましたが……、それはフォドラの内やアルビネやブリギット、ダグザとの外務。パルミラやモルフィスは帝国にとって隣国ではありませんでした。東方の異国とこうして会談するヌーヴェルの者は、きっとわたくしが初めて……のはずですわ。『知らぬことすら知らぬこと』……」
興奮に目を丸くしている二人を見てクロードはにっと笑った。パルミラ商人の手引きでモルフィスから輸入された米の種籾(たねもみ)の育成がヌーヴェル領で試験的に始まるのはもうすぐのことであった。カリード王の計算された矢は、今回も見事壁を穿ってみせたのである。
フォドラ統一国成立から時をおかず、ヌーヴェル領は当時珍奇だった農業を成功させた。東方から伝えられた稲作である。
このフォドラ南西部における稲作の開始はパルミラ王カリードの戦略であり、フォドラ統一国の食糧事情に恩を売りつつもうひとつの目的を達成するものであった。当時パルミラでは米の需要が高まっていたが自給は不可能であり、すべてをモルフィスからの輸入に頼っていたため、モルフィスとの関係悪化があれば米の輸出止めを外交上の武器として利用されるおそれがあった。フォドラ南西部との米交易を対外的に示すことで、もしものときの不利な依存を打ち消してみせたのであった。この故事からパルミラでは、依存の危険を分散する選択肢のことを「ヌーヴェルの米」と言う慣用句が生まれた。
稲作のために作られた水田は塩害に苦しめられていた多くの農地と、それ以上に多くの農夫たちの生活を救い、どこから聞きつけたのか、ヌーヴェル領に仕事をみつける流民も多くあったという。
後世にもヌーヴェルの名物料理として残っている、米に香辛料と魚介を混ぜて炊いたものは、海の恵みと塩害の克服を両立した象徴でもある。この料理、およびこの時期作られた米を使った菓子類には、ごくたまに領地を視察に来たC=ヌーヴェルの介添えをしていた、彼女が老貴婦人となっても何十年もまったく年をとっていないように見えた美青年が考案したものであるという、不思議な俗説がある。
今もこの食べがいのある大鍋料理は庶民の胃袋を満たし、にぎやかで幸せな大人数の食卓には欠かせないものとなっている。
コラムーパエリャ
位置的に作中のヌーヴェル領やオックス領にあたるヨーロッパ南西部、すなわち現在のスペインやポルトガルは現実では中世にイスラム勢力の支配を受けていました。食文化や文化芸術の面でも当時のイスラム世界から影響を受け、米食もそのひとつです。揚げ物とかも。洋食のメニューとして一般的なピラフも東方世界の「ピラウ」という鉄板炊き米料理がもととなっています。
稲作には日本のような水田式だけでなく乾田式の方法もあるのですが、スペインの一部では現在も農地の有効な塩害対策として水田式の稲作が行われています。水が張られていることで海水の侵攻を防ぐことができ、さらに土を酸素にさらさないことで土中に稲に必要な無機栄養素ができやすくなるからです。
日本ではパエリャといえばムール貝やエビ、イカなどの魚介とサフランを米と炊いたもののイメージですが、地元では鳥肉と野菜の猟師風もスタンダードですね。
小説裏話
前回の『キャベツ編』ではクロードと中央アジアの話をしましたが、風花雪月にはしかしイスラム世界的な隣人がいないので米の出所はモルフィスということにしました。これはこの短編の独自の設定です。モルフィスは「神秘と魔法の都」であることや「モルフィスプラム」の存在からなんとなく中華っぽいほうなのか?とか、もしかしてもうちょっと文化が混じってイスタンブル的な何かか?とかいろいろ考えられますが、どっちにしても米はあるかな。米の話ちょっと長いですよ。なぜならおれは越後の国人なので。
クロードが持っていた白っぽい米の保存食は、日本語で言うところの糒(ほしいい、干飯)です。乾飯(かれいい)ともいい、保存食としてのその存在は『伊勢物語』の「東下り」の章で在原業平の「からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ」という「かきつばたの歌」にみなが感動して「乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり(乾飯の上に涙を落として乾飯がすっかりふやけてしまったほどだった)」と語られたことでも有名です。コンスタンツェのフリーズドライほどではありませんが、ドライ米。ふやけて食べられる。
糒は風花雪月の兄弟作と照二朗がいつも言ってる『遙かなる時空の中で7』にも宮本武蔵くんの好物として登場しており、腹が減ったときにいつでも食べられて噛んでると甘いし腹持ちもいい!と大好評。そう、噛んでると甘いのです。現代日本でわれわれが食べている炊いたお米もよく噛めば甘いですが、糒はそれとも少し違います。味わいとしてこれに近いものを手に入れるとすれば、「生米糀(なまこめこうじ)」です。塩糀や糀の甘酒の原料になってるやつ。
生米糀はおおむね「アルデンテの米」のような存在です。ふつうに炊いた米との違いは、「炊いてある」のではなく「蒸してある」ということです。戦国時代くらいまでは米はじゃぶじゃぶの水で炊くのではなく給水させてから蒸すのが定番でした。ふつうの生活で蒸し米を見ることはありませんが、酒造に勤める当方の甘党の身内によると、蒸して発酵させた米はたいそう甘いのだそうです。蒸し米を乾燥させた携帯食が戦国時代には兵糧の一種でもあった糒です。ユーリスは米でどんな甘いものを作るかな? ヨーロッパにはライスプディングなどもありますね。もち米ではないと考えるとせんべいとかは難しいのかな……。
ライス編の話の中心となった「塩害」と人類の戦いは現代においても終わってはいません。古くはメソポタミア文明の衰退も地下水のくみ上げによる塩害の影響が大きかったと言うことです。水流豊かな日本の多くの地域では想像しづらいことですが、乾燥地帯の農業は常に地下水の消費の危険と表裏一体です。
今回のヌーヴェル領は水田ができてよかったですが、カリブの島々のサトウキビや南米のアボカドやアフリカのワイン葡萄などの大規模栽培はその土地の水を搾取し続けており、南アフリカとかチリのワインうめー!って言ってる場合じゃないのですよね。農業って地球の表面を使っててそうそう簡単には回復させられないわけですから、彼らが抱えてる問題は今の我々の問題にもつながっています。
という系のフォドラの話を11月23日ビッグサイトで出す新刊でいっぱいします。
今回の話ではクロードが食欲と利害担当、コンスタンツェが理論担当、ユーリスが民衆の困難担当という感じで頭を使っています。これは原作通りなのですがけっこう紋章の対応するタロットの意味を意識して書いたところでもあります。
クロードのもつリーガンの紋章は「月」、紋章タロット記事シリーズでも既に書いていますが正体不明さや摂食を意味します。アビス組は紋章タロット本に書き下ろしましたが、コンスタンツェの聖ノアの紋章に対応する「法王」のカードは高尚で宗教的な教え、精神の理想形を目指すことを表し、ユーリスの聖オーバンの紋章に対応する「吊られた男」は逆境や窮地の逆転、仲間のために犠牲になる聖者を意味しています。クロードとコンスタンツェとユーリスは三人とも統治者であり、民に対する目線というか体感的な姿勢からして三者三様違うところを感じ取っていただけたら最高です。
次回はメルセデスとローレンツの香草に関する短編を再録予定です。
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