湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

【Ⅻ 吊られた男】聖オーバンの紋章―FE風花雪月とアルカナの元型⑲

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「オーバンの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅷ 力」のカード、キャラクター「ユーリス=ルクレール」の対応について考察していきます。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。

以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。

 

 

紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。現在「書籍のみ版」は一時品切れ中、「タロットカード同梱版」のみお求めいただけます。

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 以下、タロットや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

 

『ファイアーエムブレム風花雪月』発売4周年おめでとう!!

4周年を記念いたしまして、上記の紋章とタロットの対応記事の書籍化『紋章×タロット フォドラ千年の旅路』のために書き下ろした灰狼の学級の紋章のうちのひとつ、ユーリスのオーバンの紋章のweb再録です。7/30~8/6の一週間限定公開だったのですが、ユーリスと似たテーマをもつ主人公のドラマ『陳情令』の紹介記事の公開にともない、しばらく公開に戻します!

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DLC「煤闇の章」からはじめて登場した4つの紋章「オーバンの紋章」「ノアの紋章」「ティモテの紋章」「シュヴァリエの紋章」(あとアンナさんのエルネストと『無双』で出た聖マクイル)は、もともと風花雪月本編では「この世にはある?あったらしい?けど登場キャラクターの中にはいない」紋章として世界観に厚みを出していました。

それらのタロットでの対応アルカナは、確かにもともとの本編に最初から出ちゃうと意味が強すぎたり、先生の役割とカブッちゃったりするかもしれない感じの意味深なアルカナだったのですよね。その中でも、「主人公」的なドラマティックな性質を強く持つのがユーリスの紋章に対応するアルカナです。

 

紋章、四使徒オーバン。

対応するアルカナは吊られた男

対応するキャラはユーリス=ルクレールと、彼に紋章を与えた「誰か」です。

「吊られた男」って名前はなんだか不吉で、じゃっかんマヌケなようにも思え、華やかで洒脱なユーリスには一見似合わないようですが……

その物語はユーリス本人のみならず、「ユーリスを主人公としたストーリー」とも呼べる煤闇の章全体の骨にもなっていました。

 

 

「吊られた男」の元型

 「吊られた男」のカードです。

 カードに象徴として描いてあるモチーフは「木」に縛られ「逆さ吊りにされた人」です。彼は「こざっぱりとした身なり」「穏やかな笑み」を浮かべており、手は「三角形」に脚は「4の字」に組まれています。「たいへんな状況」なのに、余裕で踊っているようにも見えます。ウェイト版を基本としたカードでは彼の頭には「光輪」が輝いています。

特にたくさんの日本語の呼び名があるカードです。単に「吊られてる」系の表記揺れだけでなく、「刑死者」「死刑囚」と呼ばれることもあります。「逆さ吊り」は人類のどこの文化でもだいたい拷問や刑罰に使われる方法で、このよくわかんない大変そうな状況が何かの刑罰かもしれないことはパッと見で想像がつきます。

しかし、この人はとてもゴリゴリの悪人には見えないようなシュッとした格好をしており、何よりちょっとほほえんで、頭の後ろが輝いているという仏様のような描かれ方をしています。罰されてしかるべきクズヤローではありません。では、なぜ、何のために……?

 「吊られた男」のカードの中心的な意味は、

 

「完成された世界を次のステージへ導くため、

 生と死、上と下をひっくり返す必要がある」

 

という段階です。以降、「吊られた男」アルカナの意味は赤字で表します。

 

 タロットの読解には「愚者」以外の21枚のカードを7枚ごとに区切って、大きな3つの段階を作って理解する方法があります。このアルカナが属している2番目の段階である「均衡の段階」は、人間が子供時代から社会に向かって出発し、自分と外界、理想と現実のはざまでバランスのとりかたを身につけていく段階です。

8~11番を通して成熟してきた主人公はこの「吊られた男」の12番に至るくらいにはすごくいい感じの「社会的にバランスのとれた大人」になっているはずです。「吊られた男」の腕三角形、脚4の字のポーズは3番の「女帝」と4番の「皇帝」でも描かれた女と男の世界、精神と物質の世界を兼ね備えていることをあらわし、3×4はヨーロッパ哲学的に完全なる数と考えられている12、まさしくこのカードのナンバーです。

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 じゃあもうそれでいいじゃん、いい感じの大人なんじゃん、なんで逆さ吊りにされてんのよ。

 そこで、「すばらしい人物、聖者」が、「特に悪いこともしていないのに」「木に磔にされ」「刑罰を受ける」ということが、ヨーロッパの文化では何を連想させるのか考えてみてください。

それは、イエス=キリストの受難です。ウェイト版の絵で男が縛られているTの字もまた十字架のひとつで「タウ十字(ギリシャ文字のτタウに似ていることから)」と呼ばれます。このタウ十字は天と地、神と人の合流地点をあらわし、その点も神の子イエスに関わりがあります。

しかし逆にこのカードの人物は「金が入ってるっぽい袋」を持って描かれていることもあり、取引で師イエスを売り渡した「裏切り者ユダ」であるともしばしば言われました。

 まったく真逆のようなこの二つのイメージ。いったいどっちなんだ?とも思われますが、確かにどちらもユーリスであるように見えてきます。

どういうことなんだ?

 

ユーリスの「吊られた男」―嗤う救世主

 ユーリス=ルクレール(偽名)はガルグ=マクの地下街アビスのまとめ役、かつ、フォドラの裏社会で勢力を伸ばし、貴族をも脅迫する極道の組織「人喰い燕」のリーダーです。生まれはファーガス貧民街の街娼の子、吹けば飛ぶようなスラムの子供でしたが、あるとき疫病にかかって死にかけて復活してから「生き残った命を使って、理不尽に死ぬ貧しい者たちを一人でも多く助けたい」と思い、手段を選ばずに金や力をゲットしにいくようになったのです。

 この「死にかけて復活」のときにユーリスは神話の時代から存命だった女神の眷属・四使徒聖オーバンらしきヨボヨボのじいさんから血を授かり、オーバンの大紋章を宿しました。「街のみんなを救いたい」という気持ちでそこまで大きなことを為したのも、ユーリスのもともとの性分にオーバンの大紋章が呼応したからでしょう。「吊られた男」にはそういう地を這う弱者のための救世主の性質があります。

刑罰を受けている人が必ずしも悪人なのではなく、何か社会の外圧のせいで(つまり、それに否と言えないたくさんの弱い人間たちのせいもあって)罪のない人が刑死させられることもある、というイメージは、キリスト教文化の中では日本でよりも理解されやすいものでしょう。イエスその人や多くの殉教聖人たちの伝説がそうだからです。彼らは弱く罪深いたくさんの人たちのかわりに刑に処せられました。ユーリスが「自分一人で背負いこもうとする」「守るべき身内や部下たちのため犠牲になる」のは「吊られた男」の性質です。

「一度死んで復活したことによって救世主として覚醒した」というのも、イエス=キリストだけでなくさまざまな救世主伝説に共通する筋書きです。ヨーロッパ思想的な王道物語表現がベースになっている『風花雪月』も例に漏れず、主人公先生が「ザラスの闇」の死の世界にいったん閉じ込められ、闇の中からふたたび生まれてくるときにはソティスの力と融合した救世主として覚醒しています。あのザラスの闇ってるタイミングが「吊られた男」のタームね。閉ざされた空間で身動きが取れず、ソティスにめっちゃ叱られて返す言葉もねえ。

DLC追加コンテンツの目玉「煤闇の章」は実質ユーリスを主人公としたユーリスの人生の物語です。「吊られた男」は「愚者」や「世界」のカードの中の人物のような主人公性、世界を変える力をもっているのです。

 しかし、「吊られた男」の絵には「愚者」「世界」と比べて困ったところがあります。彼はまったく自由に動くことができなさそうではありませんか。それでどうやって世界を変えるつもりなんだ?

 ユーリスは、どうやって世界を救う者なのでしょうか?

 

 

理想と損得、上と下

 「吊られた男」は身動きがとれない、というか、手とかは動かせても移動ができないし周りに通信機器とかもないので実質的に普段やってることがなんもできず、ただ耐える時間を過ごすしかないというときをあらわしています。通信メディア禁止縛りのステイホームみたいなもん。きっつ。しかも吊られてるのでリングフィットもできないし。

 ユーリスも一見自由でなんでもできそうに見えますが、彼や仲間たちの出身階層である「貧困層」「スラム」というもの自体、生まれながらに手足を縛られたようなものだといえます。「人生ガチャオワタ」「詰んでる」というような感じです。

(社会階層から転がり落ちた「終わった」あぶれ者たちの「刑死者」的物語として描かれているのが『ペルソナ5』です。モチーフ読解実況やってるよ!)

「吊られた男」は必ず木に縛られて吊られています。木は地面に根差すものであり、生まれつきの運命の制約から逃げられないことをあらわしてもいます。

貧困や格差の問題の文字通り「根深い」ところは、それが親から子へ、地域社会から次の世代の住民へ受け継がれてしまい、次世代の人たちは自由な考え方や選択肢や生き抜く方法を与えられないまま「世界ってそういうものだ」と当然のように刷り込まれてしまうというところです。正しいとかおかしいとか以前に、「縛られていない人生がある」ということを知らないので自分が縛られていることにも気付かず地に倒され、泥水を飲むしかなく疫病で死んでいったり、他人に噛みついて奪うことしか知らなかったりする。

薄闇の王ユーリスは、そのまま手足を縛られた弱者たちの王でもあります。少なくとも中世・近世の社会において「ならずもの」たちは強いから奪うのではありません。シルヴァン外伝「持たざる者たち」でマイクランの元部下の盗賊たちが「誰だって、好きで盗賊なんざやってねえんだ!」と叫んだように、どうすることもできない貧困や失業や没落によって人はならずものへ、アビスへ転がり落ちてきます。

マイクランと彼を慕った部下たちはあんな感じの結末を迎えてしまいましたが、同じように「持たざる者たち」をまとめるユーリスはどうするつもりなのでしょうか? みんな弱いのに?

 

 ところで、ユーリスや「吊られた男」が救世主の性質をもっていることは述べましたが、ここで「裏切り者ユダ」の性質も兼ね備えているらしいことについても読み解いていきましょう。

 

「なぜ、おれたちに、言わなかった?」

「……すまない。俺は、お前らを利用した。こうしなきゃ……絶対に誰かが死んでいた」

 

ユーリスは他人と協力関係を結ぶとき、普通なら友情や愛情の一言で済むようなことでも「取引」「対価」「利用」という言葉をよく使います。煤闇の章で主人公先生を信頼し、賭けてみるときにも、駆け引きめいた言葉で真実を濁します。いうなればユーリスは行動原理は救世主でありながら、行動の方法はイエス一行の会計係・ユダなのです。

私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。謂わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品の助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。

――太宰治『駆け込み訴え』

 

イスカリオテのユダは商人の出であり、会計によって、つまり対価を出して何かをあがなうことによって人が生きていることをよく知っていました。救い主の気高い精神も、実現にあたっては現実的な取引によって下支えされるもの。ユーリスは貧しい人々を救うためにイエスとユダを一人二役、一人の人間の中に併せ持った存在です。

カードの説明の際に「吊られた男」の12というナンバーは「3と4」で表される精神の世界と物質の世界をかけあわせた完全数だと言いました。ユダは裏切りと不吉の意味から「13番目の使徒」と呼ばれることがありますが、実際はユダが抜けてから12使徒にもう一人補充があったのであって、ユダが使徒であったときには12人の使徒でした。

 

 「精神の救済を支えるために、現実の会計をする」ということは、「現実の会計がなければ、精神の救済もない」ということになります。すべてのことは逆(対偶)もまたしかりで、しかし順調に生きているとき人はそのことを忘れ、まさしく「順風」満帆で生きます。アビスとはそういう順風で生きることができない人間が逆風に吹き溜められた地下街です。ガルグ=マク大修道院という輝く上の建造物があれば、巨大な暗い下の深淵もある。それらは必ずセットであり、どちらか片方だけが育つということはありえません。

ガルグ=マクに限らず、すべての社会、すべてのできごと、すべての人間の精神に共通したことです。すべてのものには上と下、光と闇の面があり、ひとつにつながってはいますが、ふつうは混じり合わないようになっています。フォドラでも社会階層が混じり合わず、地上で暮らすほとんどの人間が足の下に広がる人々の生活をまったく知らないように。気高い精神をもつ貴族でも、ユーリスの出身階層の人々の暮らしには想像が及ばないように。

少年少女だったフェルディナントとドロテアの一瞬の出会いでも、「浮浪孤児、何度か見かけたが……」程度しか下層を知らないフェルディナントは、体を洗うのに街角の噴水しか方法がない現実の人にうまく想像がつかなかったのもあって水に濡れて歌うドロテアを「水の精かと」思ってちょっと配慮に欠ける態度をとってしまいました。そういう誰も悪いわけではない隔絶がほどきがたい確執になっていくことは、フェルディナントやローレンツとドロテアの支援会話を見ての通りです。

そんな「上と下」が交流できるのは、常識が非常識に……、すなわち、地上の人間がアビスに気付いたときです。地上の「門番さん」の「先生! 本日も異常なしであります!」とアビスの「番人さん」の「ああ、アンタですか。ここは今日も異常ありですよ……」といった対照的な言葉と印象で示されているように、地上の常識はアビスではほとんど反転し、地上で見えなかったものが多く目に入るようになります

加藤一二三棋士は「先手・後手の通常の上下をひっくり返して盤面を見る」「相手が席を外したときに相手側から見て考える」という「ひふみんアイ」と呼ばれる思考法で妙手をみつけます。「逆から見る」「視点を変える」ことで見えてくるものはまっすぐ考えているだけでは想像もつかないほど多くあり、ひねくれものであまのじゃくに見えるユーリスは世界を逆さに見ることができる賢者です。

「ひっくり返す」力があるから、ユーリスの基本職は本来「愚者」にふさわしいはずの「トリックスター」なのです。「弱いからこそわかる真理」「制約があるからこそ思いつく妙案」「逆境からこそ湧くエネルギー」で、ユーリスは少しずつでも泥臭く世界を変えようとします。

「吊られた男」は逆さ吊りの刑を受けることで、まっすぐ立っていたのでは見えなかったものを見通しました。イエスは磔にされたことで人の罪を救い、ユダもまた汚名を着ることで世界の精神と物質、光と闇、神のはたらきと魔のはたらき、上と下について人々に議題を示しました。ユーリスには、この両方の役割がそなわっています。

 

 

窮地の智恵

 ユーリスの中には救世主と損得勘定の二面性、それらをひっくり返してみる力が備わっていると言いましたが、本当に「ユダの『裏切り』のはたらきを、イエスの承知の内とする」解釈というのは存在します。

要はイエスは神の子でユダの裏切り予定もしっかり知っていた様子なので、ユダがすることをすっかり受け入れており、むしろ「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と励ますような言葉をかけているし、ユダによって罪人として引き渡され刑死することもイエスの計画通りだったのではないか?……という話です。確かに本気でヤバいやめろと思っていたら「この中に裏切り者がいるよ」とか「その人にパンあげるね」とか濁してる場合じゃないもんな。

「イエスの計画」にいかなる意味があるのかの解釈はちょっと置いておきますが、煤闇の章のユーリス(イエス/ユダ一人芝居)もこれによく似た筋書きを辿ります。ユーリスはアルファルド枢機卿とレアの間で二重スパイのようなことをしており、アルファルドに利用されつつ、主人公先生らや級友を裏切って利用していました。

 

コンスタンツェが「アビスに敵の内通者がいるのでは」と真実に迫りかけたときには、ユーリスは「裏切り者がいるとしても、身内を疑うな」と言いました。これは結局「鼠」がユーリス本人であったことを思えば疑いの目をそらそうとしているということになりますが、この「仲間を信じぬけ」という発言内容自体はユーリスの本心のように聞こえます。

そしてユーリスは「賭け」に出ます。表面上先生と仲間たちをメタメタに裏切って「売り」、罪人のように鎖に繋いで犠牲にしようとするのですが、先生に「最後の一厘は、あんたが俺を 信じて託してくれるかどうか、だな」と謎めいた言葉を預けていきます。

 

「はああ……おれは心底がっかりしたぜ。お前のことを見抜けなかったてめえによ。死にてえなら、おれが殺ってやるよ。ふざけて踊ってんじゃなければな」

「勝手なこと言ってんじゃねえ。どぶの底で泥水啜って、今まで生き延びてきたんだ。ほんっと……誰が死にてえなんて思うかよ」

「なら……何であんな奴に従ってる。 命をどぶ底に捨てる理由は何だ」

「決まってんだろ。 命より大事なものを、守るためだ」

 

 ユーリスは売り渡すユダと犠牲となるイエスの二役で、アルファルドの計画を実行すれば彼本人が死んでしまうことになります。「吊られた男」がみずからを吊ったのだとすれば、それは一見「自殺行為」「ふざけて踊って」いるようです。しかしそこに隠された裏返しの真実は、「命より大事なものを守るために、死の大儀式を行う必要があった」ということだったのです。

その「死の儀式」はユーリスによって迫真の偽装をされた計画であり、ユーリスが死を擬したことによって、「主が舞い降り」ます

 

 模擬的な死を演じる儀式というのが、さまざまな宗教や文化に存在します。何も見えず、何も聞こえない真っ暗な洞窟に行って帰ってくることや、流血すること、人知の及ばないような自然に飛び込まされて引き戻されること……みたいな感じのもので、しばしば共同体の中で一人前の大人になるための通過儀礼(イニシエーション)として行われます。「死んで、より大きな魂として生まれ直す」というわけです。

(↑は日夜自らを「吊」り、死と生まれ直しを繰り返すことでパねえ精神力を得ている聖☆少☆女様です)

船乗りや海賊たちのあいだでは「縄をつけて甲板から真っ逆さまに海の水に落とし、引き上げる」というまさしく吊られた男な通過儀礼が行われていたこともあります。「吊られた男」が逆さ吊りにされ、ユーリスが身内を盾に自由を縛られ、動けない時間を過ごしているのはそういったイニシエーションとなる苦難のときです。そして、その儀式によって神(と言う名の、魂のグレードアップ)は地上に現れます。

これが、ユダの裏切りに関する「イエスの計画」についてのひとつの解釈です。イエスは死の3日後に復活し、神の子としての真の覚醒を果たすことになりますよね。イエスやその父なる神は、一回死んで復活するくらいだったらユダに裏切られ引き渡されても奇跡をおこしてその場を切り抜けることでもなんでもできたはずじゃないですか。

しかし、そうしなかった。人々に本当の奇跡の価値を伝え、その罪を救い、新しく目覚めるためには、イエスはそこで死なねばならなかった、というのです。ユダを動かしたのは悪のささやきではなくて、神の子と人の世をより高い段階へ押し上げるための神の使命だったのだと。

誰も頼れねえとなっちゃ、自分の力でどうにかするしかねえ。だから……
あんたに従うふりをしながら、俺の家族を、仲間を……救う機会をずっと窺ってたのさ。
この“宝杯の儀”に備えて、あんたがこっちに戦力を集中させるその日をな。

――ユーリス

 

 耐え難くいつ終わるとも知れない苦難を受け入れ、ひたすら待つほかない窮地で、ユーリスはそれでも絶望せず、ドブネズミのようにしぶとく、小さな逆転のチャンスの光を狙います

「吊られた男」的な概念を描いた代表的な物語に『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』があります。

近年では『Fate/Grand Order』のアヴェンジャーとしても知られている主人公エドモン・ダンテスは無実の罪により投獄され、絶望の中で老賢者ファリア神父と出会い、精神や学問を授けられます。彼は神父の死によって、その遺体と入れ替わって運び出されるという奇策(これも「死を擬することによる復活」の筋書です)で糸をたぐるような脱獄のチャンスをつかみ、神父に託された財宝と知恵と不屈の魂で自分を陥れた悪に復讐していくことになります。

ユーリスもまた、老賢者であるじいさん……聖オーバンに読み書きを教わり命と力を託され、自分たち弱き者を苦しめる社会と戦っていくことになりました。

聖オーバンはファリア神父と同じく、ユーリス母子から受けた温かい親切の見返りに、命や力の前にまず読み書きを、智恵を授けていました。まあまず、読み書きができないってことなんだよなスラムのキッズは。当然、スラムの多くの大人たちもです。

世界の貧困や人権問題の解消のために「当の住民がそこまで望んでいなかったとしても」学校を作って子供みんなに通ってもらうことが目指されるのは、読み書きや基本的な学をつけることで危険やチャンスの情報を格段にキャッチしやすくなり、策が練りやすくなり、他人と協力しやすくなるからです。下層から暮らしをよくしていくためには、家族や仲間を守るためには、読み書きができることは大きな力になります。逆転のチャンスをつかむためには、モノでもチカラでもなく智恵が必要なのです。智恵が、ファリア神父や聖オーバンがいなければ、「死を擬する儀式」じゃなくてマジで死んでましたから。それは現代だって同じことです。当方も教え子に接するときはいつも、そういう智を子供の人生にあげられたら、とおもっています。

 

 

義侠心

 ユーリスの個人スキルは、味方から離れた状態で敵に隣接攻撃することによって与ダメージをアップするという「単騎で敵の懐に入って奮闘する」ものです。これがオーバンの紋章の一人で皆のためピンチに飛び込み自己犠牲する性質だということはここまで読んでくるとわかっていただけるとおもいます。「一人のほうが強い」という意味ではフェリクスの「一匹狼」スキルとも似ていますが、他人との関わり方をマップ戦闘に反映したこれらふたつのスキルの意味は微妙に違っています。ユーリスのスキルの名前は「義侠心」です。

ユーリスはむしろフェリクスとは対照的に、仲間や家族と助け合い支え合うことを信条としています。弱い者を助け、抱えて歩いていくのが「義侠心」です。なのに、仲間から離れて戦う。あべこべです。これは、煤闇の章でユーリスが体を張って示した「仲間とともに生きるためには、ときに孤軍で戦わなければならないときや、そういう囮の役割が必要だ」という裏返しの真実をあらわしています。

ユーリスの愛し方はあべこべであまのじゃくで、ときに不器用です。人を愛し、にぎやかな団らんを愛しながら、自分はそこから離れて見ているような。

弱者のために戦うことには、そういう切ない裏と表が生まれてきます。

 

VSイングリットくん

「……いけません、ユーリス。食事とは皆で卓を囲み、分け合ってこそのもの。それなのに私としたことが、自分ばかり。食べ終わってから気づくとは……不覚です」

「いいって、何でそんなこと気にするんだよ。お前が貰った肉じゃねえか。それに……良いもんを見られて満足したよ。俺様にとっては、それが一番の収穫だ」

 ユーリスはイングリットのうまそうに飯食べっぷりを愛します。家族を愛し、仲間を愛するユーリスは宴が大好きで、素朴で皆と分け合えるような料理を好むと拙著『いただき! ガルグ=マクめし』でも述べました。

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「取引」を重視するユーリスですが、うまそうに食べてくれるヤツのために料理を作るという仕事には対価を求めません。「幸せそうにメシを食ってる顔」じたいが、ユーリスにはなによりの報酬だからです。ユーリスが危険だったり汚かったりもする「取引」をして得たい最終的なものというのは富でも名声でもなく、「みんなが幸せにメシを食えること」です。

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イングリットはただ幸せそうにメシを食うだけでなく、実直な戦士でもあります。いつバッサリ死ぬかわからないし、本人もそれを覚悟して日々戦場に出かけていきます。ユーリスのように勝てる賭けしかしないのではなく、負けるかもしれない賭けでもかまわず迷わず自分の命を賭けていく命知らずの鉄砲玉です。

ユーリスの仲間たちも、みんないつ死ぬかわからない綱渡りの毎日です。ユーリスは仲間が帰ってくる巣になり、あたたかいごはんの支度をし、今日もなんとか生き残ってきた野郎どもが笑って飯を食うのを見たい。

料理が好きだってのは確かだぜ。ああ、正しくは飯を食ってる奴の笑顔がな。
仲間と勝利を祝う宴で、家族と囲む食卓で、俺の作った飯を食う奴の笑顔を見るのが……俺にとっては、世界で一番の幸せなのさ。

――ユーリス

「吊られた男」の献身には見返りが返ってくるとはいえず、「自己犠牲」に見えます。イエスは復活したとしても仲間たちと同じ人としての人生ではなくなります。しかし、ユーリスはたとえ自分が料理を作るだけでイングリットといっしょに食べなくとも、仲間の宴を一歩離れて見守るとしても、それで十分なのです。本当は、報酬のいらない自己犠牲ではなく、皆が助かり笑顔でいることが、吊られた苦痛の報酬として与えられるのですから。

 

VSドロテアくん

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 アッシュは親が死んで生活が苦しくなってしまうまでは「ふつう」の下町庶民でしたから、ユーリスと一番生まれが近いのがドロテアです。二人は同じようにきわだって美しく、その美しさによって裏通りから士官学校まで這い上がってきました。二人の支援会話は「歌」という「美なるもの」を話題の中心として進みます。

ユーリスのプロフィールで最もなにこれ?と思われるのは嫌いなものの欄の「人前で歌うこと」でしょう。ドロテアの嫌いなもの欄の「自分自身」のように「なんかあったんか?」と思わせます。二人のその「なんか」が明らかになる支援会話でもあります。

二人ともが、高慢な貴族に媚びて成り上がった自分の過去をきったねえと自己嫌悪していました。ユーリスはかつて「歌姫ドロテアの代用」として扮装しドロテアの歌劇の歌を歌ったことがあり、「あの自分自身の力で輝く歌姫と比べて俺はなんてみじめなんだろ、もうこんなこと絶対しねえぞ」と思ったのです。

しかし、ユーリスはよりによって「ドロテアの代役として歌う」という最悪な思い出の再演のようなことをやれと言われても、

今回の歌劇はね、大修道院で引き取った子や貧しい人たちのためのものなの。
街の広場で、小さなお祭りみたいにして。みんなに少しでも楽しんでもらおうって。
彼らの境遇を理解できる貴方なら、きっと力になってくれると思ってるわ。

――ドロテア

て言われたらホイホイやっちゃうんだ。ドロテアと二人で、庶民のための歌劇団作っちゃうんだ。ユーリスにとっては、弱く小さな人たちを救う夢が何よりも大事で、その義のためなら泥に塗れることも厭わないからです。

二人が自分を汚した泥だと思った過去、美しいはずのものを好きだか嫌いだか迷子になった苦しみは、ユーリスの夢を叶える意思によって昇華されます。苦しい暮らしの中で同じように迷子になった人たちを集めて、苦しみを焚き上げる歌を歌うのです。

 

王子様と燕

 「義侠(ぎきょう)」「仁侠(にんきょう)」とは現代では古いタイプのやくざものをあらわす言葉として流通していますし実際ユーリスも極道の人なのですが、本来困っている人を放っておけず弱者のためにときに社会秩序を無視してでも正しいことを貫く、自己犠牲的で勧善懲悪な好漢のことをあらわす言葉です。

義に生きる人は、残念ながら、欺瞞に満ちた世界ではしばしば「まとも」な表通りを外れることになってしまいます。『ペルソナ5』は作品全体のテーマを「星」のアルカナ、主人公たちの置かれた状況を「刑死者(吊られた男)」のアルカナになぞらえて表現していて、主人公の物語はユーリスと同じように「困っている弱者を助けようとして前科者にされる」ことからスタートしました。

また『風花雪月』と同時期に大ヒットして日本でも好評配信しまくりの中国ドラマ『陳情令』(超おすすめ!)の主人公の人生もユーリスと非常によく似ています。仁侠の精神をもつ仙人の家門に育ちその精神を体現する主人公は、周りが「世間体が悪いだろ」「正道に戻れ!」と止めても苦しんでいる弱者を救うことを第一として邪道を駆使し、闇を統べる魔王のように世間から扱われていきます。清らかな正義の救い主でもあり、ちょこまか邪道をゆくネズミでもあるというユーリス的な人物像は多くのドラマティックな物語の主人公にみられる、愛される侠(おとこ)です。

 

 ユーリスが頭領をしている組織「人食い燕」の名は、日本語で「ツバメ」という言葉が「(金持ちや貴族などの)年下の男愛人」をさすことともちょっとかかっていますが、多言語でリリースされていることを考えるとおそらくは燕が「農作物につく害虫を食べる益鳥」として吉なシンボルであることからきています。そしてこの燕が食べる「害虫」は「人」なわけで、「弱者を搾取する害虫である人間を食い(利用し)殺す」というユーリスの意図に通じます。

 燕が登場する物語で「吊られた男」とユーリスに関わるものには有名な童話『幸福な王子』があります。この世の不幸を知らず幸せなまま夭折した王子様を幸福のシンボルとして金箔と宝石で飾った像にその王子様の魂が宿っており、地上の人々の悲惨を見て涙する王子様に頼まれた燕が、王子様の宝石や金箔を貧民街に配って回るという話です。

王子様は像に宿った魂なので「吊られた男」と同じように動けず、しかし博愛と自己犠牲の清らかな魂をもっています。対して燕は現実的に「もうエジプトに越冬しにいかなきゃならないんですよね」とか「来年代わりの宝石を持ってきてあげるしもうやめようよ」とか言いながらもなんだかなんだ王子に寄り添い、貧しい人々に与える奇跡の実行役をつとめ続けます。これはユーリスに宿ったイエスとユダの一人二役のように、善を行いたい一人の義の人の心と現実の二面をあらわしています。

王子は持っていた財をすべて使い果たし、燕は冬の寒さに倒れ、表の明るい社会の人々によって「こんなんゴミじゃん」と言われ同時に廃棄されます。ユーリスもどんなに苦しむ人のため身を粉にしても表の明るい世界からは軽んじられ、その名前は決して歴史には残りません

『幸福な王子』には現実のわかってない理想家の甘ちゃんだ、宝石や金箔をいっとき与えただけで社会は変わらん、おまえの薄っぺらい自己満足のために死ななくてもよかった燕がみじめに死んだだろ、という解釈ももちろんありますし、それも正しいです。ユーリスがもがかなければ、組織の抗争とかで死んだ仲間はもうちょっと長生きできたのかもしれません。そういう思いはいつでもあり、ユーリスは死んだ仲間の名前をいちいち記録します。しかし、たとえ引き倒され刑罰のようにおとしめられて燃やされても、無残に死んでも、理解する人が少なくても、善なることをしようとした心だけは残る

 真に輝くのは黄金でも宝石でもなく、人々より高いところに立っていられることでもなく、人のために煤闇にまみれることをいとわない気高い意思なのです。

 

 

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