湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「隠者」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑨

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「隠者(Ⅸ The Hermit)」のアルカナの記事です。歴代の「隠者」アルカナのキャラ、ジン、Y子、長谷川沙織、神社のキツネ、佐倉双葉の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。現在『メタファー:リファンタジオ』を読解中です。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、再販してます。

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『ペルソナ』シリーズの中の「隠者」アルカナ

 1~7番+「正義」アルカナまでのカードは元型(人間の文化に共通する神話的な人物像のエッセンス)的な色の濃いキャラクター性・テーマ性が続くのでパーティーキャラとして定番でしたが、「隠者」アルカナからは第一線のヒーローというわけではなくなってきます。

もちろん、「色がバチバチビビッドな原色じゃなくなる」というだけで、意味は深まっていくんですけどね。「濃い」のとは別の混色的な「イロモノ」になっていきます。

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しかも「隠者」って「隠居老人」のイメージなわけですから、「徳の高いおじいさん」の意味であった「法王」アルカナと同様に、高校生の若者が活発に動き回り自己の確立に葛藤してのたうち回る『ペルソナ』シリーズのカメラの焦点からは外れ気味になるのはそりゃそうです。

 「9隠者」は1〜7番までの「価値観の学習」「守られた子供時代」を終え、8番「正義」で「絶対的な正義なんかないのかもしれない、それなら自分は……」とバランスをとりはじめた心が次に向かう先。

ペルソナシリーズの「9隠者」は、「世俗のルールを離れたテリトリーで自分を見つめること」を表します。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「隠者」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

 

「隠者」の元型

まずはカードを見てみましょう。

左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「隠者」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。(『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版ベースのブラックジョーク盛り盛りカードに変わってます)

伝統的図柄では「フードつきのマント」をまとった「ヒゲのじいさん」「カンテラと杖」を持って「左を向いている」「他には何もない」というモチーフを入れるのが定番です。ペルソナ版タロットでは「正義」のカードで裁判の女神自身を描かず天秤と剣を一体化させた方法と同様に、大胆に象徴を単純化して「カンテラの光が深い闇を照らす」「フード(と一体化したまぶた)から洞察の目がのぞく」のみに絞られています。

別作品ですが『ファイアーエムブレム風花雪月』で「隠者」にあたる家柄の標章と紋章も「カンテラとフード」に意匠を絞っています。

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闇と、それを照らすため掲げる理知の光。しかしその光は小さくて、決して「法王」アルカナのきらびやかで高尚な光のように「世を照らす」ものではありません。ではなんのための光なのか……

深く果てしない闇、それは実は「フードの中」から広がっているもの。小さな光の小さいことにも意味があるのです。自分の中の闇を照らし自分だけの真実を「探索する」ためには、どこもみんな光りわたっていて目に入ることはかえって邪魔なだけかもしれないのですから。

 

元型「老賢者」、徳性「賢慮」

 タロット大アルカナの中には特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)があらわれます。主に序盤の1~7番でやっているのですが、「隠者」も元型のアレンジ感というか、「神話」というより「物語」でポピュラーな姿をあらわしています。

ユング心理学の元型でいうと、「隠者」は「皇帝」「法王」でやった「老賢者」の、その陰の側面みたいなものにあたります。

陰っつっても悪い意味じゃなくてね。「陽キャ」に対する「陰の者」とかの陰。悪い意味じゃないって言ってるでしょ。

「老賢者」の元型についてかるくおさらいをすると、ようするに「師」ですね。人生の。ペルソナシリーズでは「集合無意識のポジティブマインドの化身・フィレモン」やその従者イゴールのように精神世界から含蓄ある助言を授け、未熟なわれわれの魂を高次に導いてくれる偉大な存在です。

しかし、人生に助言や導きをもたらしてくれる偉大な賢人は「皇帝」「法王」フィレモンのようにどっから見ても徳の高そうな光り輝くマジェスティック大人だけとは限りません

タロット関係なく「隠者」と言った場合、あんま普段の生活では使わない言葉ではありますが、とにかく世俗を離れて暮らしている人、たとえば劉備に三顧の礼される前の諸葛亮とか、ペルソナチームの新作『メタファー:リファンタジオ』にも引用されたヒエロニムス・ボスの聖アントニウスみたいな荒れ地をさまよう修道僧とか、そういうののことをさします。

世俗を離れてる人、社会的な目を気にしない状態で生きてる人って、当然社会的地位や名誉を認められづらくて無位無官ですし、見た目もボロっちくて全然格好良くないです。しかし、社会の「都市」「群れ」を離れて生きるのってすごく意思や知恵の力を必要とすることですし、ひとりになって自分や世界と向き合うことにスッと耐えられる人は多くありません。隠者は光り輝いてないけど、皆が見ていない真実を見ることができる賢者です。

これはパリピに輝いてるから不適切な例だったな

 

 さらにここで、このオジサンをご覧ください。

ドラクエ7のキャラクター「ホンダラ」です。いや、ホンダラおじさんはぜんぜん賢者じゃなくてむしろスーパー愚者なんですけど。

このホンダラおじさんは島一番のチャランポラン男で定職にもつかずしょうもない詐欺をはたらいたりする「社会的な立派な大人」の対極に存在する大人なのですが、彼のしょうもない行動が世界に大きな影響をもたらしたりします。ホンダラおじさんとその甥っ子である主人公は「フードの先が尖ってる」デザインを共通させてあります。このとんがりフードは「愚者」的な元型をあらわす道化師のモチーフです。でさ、「隠者」もこのとんがりフードかぶってんのよ

「隠者」はフードの愚者性と旅の杖をもっていることから「愚者」の別の顔であるといわれています。社会の外の荒野を旅してることも同じだし。愚者であり、賢者なのです。もてなしたり教えを乞うたりした小汚い浮浪者が実は神の使いや大賢人であった、という物語の類型もありますね。

「皇帝」や「法王」のような社会的にまともな大人には(発想的にとかコンプラ的にとかで)出せないアングラぎみな知恵や、社会ではなく自分の本心に合うオルタナティブなありかたってものがある。それが「隠者」の授ける教えです。

 

 また、「隠者」のカードは「正義」のカードのように擬人化された人間の徳性を描くカードでもあります。「賢慮」という徳であり、「かしこい」の中でも判断力や頭の回転の速さや発想の豊かさとかではなく、軽率な行動を慎み、熟考するというケツの落ち着きみたいなニュアンスの賢さのことです。

 

『ペルソナ3』ジン

 ジン、主人公たちと敵対することになる謎のペルソナ使いグループ「ストレガ」のひとりです。

本作での人間の中でのラスボスにあたるカルトのカリスマ・タカヤに心酔してその活動を支えるブレーンです。影時間の中でのタカヤの「復讐」や物資の略奪などの計画を仕切っています。

 

電脳の住人

 ジンは情報系爆発物系の技術を操り、ダークめなWebの世界ではカリスマ的なハンドルで、タカヤの思想実践のために「復讐代行依頼サイト」を運営しています。誰々をやっちまってくださいよ、という依頼を集め、個人情報を特定し、影時間に「ヨッ! 突然ですがあなたに復讐したいって人がいるのでやります! 今どんな気持ち?(ドーン)」とやるお仕事。

お仕事といっても「殺し屋」のようにそれでビッグマネーを得ているわけではなさそうですし、「影時間の中で起こったヘンなことは影時間が明けるとペルソナ使い以外にとっては不都合が出ないように無意識にごまかされて認識・記憶される」という仕組み上、彼らの暴力も略奪もすべては明るい表の社会の後ろの闇の中に溶けます。

「電脳」という技術の中に人の心の闇と悪魔の力が住まうというのは、ペルソナシリーズのもととなった『女神転生』シリーズの根っこの概念です。ペルソナや「仲魔」のもともとは「悪魔召喚プログラム」なるコンピュータプログラムで悪魔を呼び出すという小説のアイデアからでした。「プログラミングで伝説の神や悪魔の力を呼び出せる」なんて都市伝説的な響きですが、こういう都市伝説には人の心の真相があらわれているものです。電脳空間という、暗く広く網目のように広がってつながる「見えないもうひとつの世界」は、人間の集合無意識とシンクロする神秘であるというイメージが多くの人に受け入れられたってことなんです。

まさに「隠者」の世界とメガテンシリーズの世界観がジャストミートするところであり、特にペルソナシリーズにおける「隠者」は伝統的に「インターネット(の暗めの部分)」の意味をもっています。

インターネットという「顔の見えない、手で触れない、匿名のもうひとつの世界」の暗がりは、いい意味でも悪い意味でも人の心のいつも開けられないトコを解放させます。明るい社会のしがらみの中では出せないし気付くこともないかもしれない「本心」の声が、浮世離れした薄暗いところに一人でいるとやっと聞こえる……というのはいいことのようですし実際場合によってはいいことなんですが、「どうせ実体のないネットだからつい出来心で嫌な奴に復讐してって書き込んじゃった……。まあ自分が手を汚すわけじゃないし」っていうのははたして「本心」といえるのでしょうか?

「露悪的な偏屈ジジイ」であるのも隠遁賢人の逆位置的な相です。「そういうパッションが人間の本質である、隠さず生きろ」というタカヤの思想に従い、ジンは電脳空間の性質を使って人の心の闇を露悪します。

 

『ペルソナ3』Y子

 Y子(わいこ)、ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。さびれたネトゲ『デビルバスターズオンライン』のプレイヤーで、主人公とのチャットを楽しみます。どうやらアバターと同じく女性であるようです。

さびれたネトゲで顔も年齢も身の上もわからない相手と交流するとはまさしくメガテン・ペルソナ的な「体なき者」隠者世界のど真ん中! 「Y子」という名前は主人公に「N島」という名前をつけるのに合わせて自分も改名したもので、くだんのメガテンシリーズの祖『デジタル・デビル・ストーリー』の主人公「中島」とヒロインの「弓子」に由来しています。

※以降、この項目はY子の身バレにつながる情報が含まれます。ネタバレを避けたい方は飛ばそう※

 

クダ巻く大人

インターネットという「顔の見えない、手で触れない、匿名のもうひとつの世界」の暗がりは、いい意味でも悪い意味でも人の心のいつも開けられないトコを解放させます。

とさっき言ったばかりですが、さっそくY子とのコミュは人間の悪くもないが間違いなく輝かしくないとこばっか開陳され続けます。

「デビルバスターズ」のゲームなのにバトルをせずダラダラと大した内容もないチャットをしたいがために主人公を待っていてまるで勝利や栄光がないし、休日のたびにログインして職場の人間のへの愚痴を叫ぶのが楽しそうだし、教職にありながら教え子をちょっといいなーと思うなどという表に出したら社会的に死ぬコンプラ違反な内心を内緒でキャピってしまうし(あまつさえその教え子というのは運悪くおれ本人だ)……

その楽しそうな喋り方というのが(# ゚Д゚)アスキーアート顔文字(*ノωノ)盛り盛りのゼロ年代ネットオタクしぐさだから今見ると痛くて恥ずかしくなってるって? 大丈夫、2007年当時からもうY子のネットオタクテンションは痛かったから。

「隠者」は「実は立派な聖人が、あえて社会から離れた荒野に住み、みすぼらしい姿に身をやつしている」という徳高そうなばかりの存在ではありません。社会にいろいろ不満をもって、でも表立ってバリバリ戦うとかじゃなくて、前線から身を退いたところで「まったく今の世の中は」「俺はまだ本気出してないだけ」的に内輪だけでずーっとクダ巻いてるというモチャモチャ格好悪いネクラオタクしぐさもまた「隠者」の正体です。

でも、大っぴらに出すには格好悪すぎだけどその内輪クダ巻きはあったほうがいいんですよ。大人の心にも、社会にとっても。

 

世をしのぶ仮の姿

 さんざん主人公とたいした内容のない内輪チャットをして癒されたY子は、ネトゲのサービス終了のお知らせをうけて「引きこもれてN島と喋れる大事な場所がなくなっちゃう」と困り、「こんなにゲームを愛して必要としてるプレイヤーがまだいるんだって運営にわかってもらいたい、N島とY子の会話ログを送って嘆願しようと思う」と、まあ錯乱します。

錯乱ですよ。Y子にとってかけがえのない場所と時間なのはすごいわかる。でもおれたちがゲームの片隅で互いの人生をいたわり合い、大切な思い出を積み重ねていたところでなんの利益になる? ゲームの本筋と関係なく、しかも個人的な愚痴とかブタバラ半額タイムセールとか口走ってるばかりのチャットになんの客観的な価値や説得力がある? Y子本人も送るためにログを整理していて客観視し「なにこの会話」と自己嫌悪におそわれています。

大きなゲームの運営というたくさんの人の仕事とおカネで回って前に進んで行く「社会」と、個人の心の大事なことって別の世界だからさ。

 

Y子は会話ログを運営に送らないことにし、ネトゲを卒業していきます。

「大人の社会の前では自分の内面吐露なんてないようなもの、立派な社会活動に帰らなきゃ」と諦めたのではありません。主人公に内面の格好悪さを受け止められたことで、むしろ「目に見える愚痴り場所がなくなってもちゃんと自分の心があるのは変わらない、N島が受け入れてくれた心に自分も向き合って誠実に生きよう」と思えたから、外に向かう気持ちも変えられたのです。

社会的で立派な人間のありかたと、ダラけて褒められたもんじゃなくてオープンにしがたい人間の本心と、どちらが「本物の世界」なのでしょうか? インターネットの匿名性と実体のなさに浮かされて悪しき内心に開き直っていってしまうのは不幸ですし、社会の動きに合わせていくことは「忙しい」という漢字のさすように個人の心を亡くさせてしまいます。どちらも本物ではなくて、Y子の心にとってはネトゲのアバターだけでなく平日の仕事の姿もまた世を忍ぶ仮の姿です。

外の社会と自分の内面のスペース、どちらだけでも「自分」って成り立たないのです。タロット8~14番の段階はそれぞれ異なる「バランス」をテーマにしていて、たとえば「正義」アルカナなら「右と左」と比喩的に呼ばれる場合もあるような正義のありかたのバランス、「隠者」は「自分の心の内側と外側」のバランスを表します。

自分の「内側」って目に見えないものだから、常に見えててせわしなく移り変わる外側の圧を前にすると……普段は存在感をなくして、たまに無意識の抗議として不適切に爆発するみたいな制御不能状態に陥りやすいのです。自分が本当はどんなことを望んでて、どのへんに大事な境界線を置いてるのか、自分でちゃんと把握しようとしてる人って少なく、そのせいでわけもわからないままに自他を傷つけてしまう。だから人には目に見える世界と別に「内面のための、薄暗いもうひとつの世界」を意識してもつ必要があるんだっておもいます。Y子にとってのネトゲとN島への愚痴だったり、趣味の小さいコミュニティだったり、本や創作の世界だったり。「オタク」的なカルチャーって本来的にはそういうものでしょ。内輪なんだからキモくていいのオタクは。

そして、自分ってものは不定形だから、最初からあるべきかたちが決まっているものでも、中身が充実しているものでもありません。ペルソナ3のキーフレーズに「ペルソナとは心の力。そして心は絆によって満ちるもの」とあるように、「外」の他者とかかわり、与え合い受け入れ合ったり、「それはちょっとアレなんじゃないかな……」のラインを考え合ったりすることで「内」である心が「満ち」てくる、内面と外界との「境界面」にこそ自分を描く線画が生まれる。こころを人に伝える言葉にすることで満たすアスキーアート純文学が生まれる。それが、Y子先生が教えてくれる「隠者」の国語です。

 

『ペルソナ3ポータブル』長谷川沙織

 長谷川沙織(はせがわ・さおり)、主人公とはクラスの違う同級生で委員会の仲間。ペルソナとかそういうことは知らない一般人でコミュキャラクターの一人です。

本編には登場しない、『ポータブル』女性主人公編のための追加キャラクター。要はY子の置き換えです。なんで? 主人公への好意が百合になっちゃうとややこしすぎたから? いや普通に女性主人公に女友達との日常生活を用意するためなんだろうけども。ありがとうございます! 好きッ!

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アルカナは違うけどメルセデスも大好きだもんな~~

美鶴さんともまた違った、「豊か」というより「憂い」や「枯れ」の雰囲気を帯びて大人びた淑やかな美女です。同年代の子から遠巻きにされていて友達がおらず、委員会に転がり込んできた転校生の主人公とは普通の友人関係を始められて喜びますが……

 

ドロップアウト

 沙織が遠巻きにされている主原因は、実は2年外国に留学行ってて、同級生より2つ年上だからです。それがなくてももとから老け顔っつーか子供らしくないタイプなのに。

日本の未成年は特に人生がレール状になってて、義務教育に落第や飛び級はないし、高校でも留年するくらいなら辞めるとか、不登校時期が人生に影を落としてくるとか、大学ですら浪人期間があった子はなんかちょっと違う扱いだったりとか……。具体的な配慮を必要とするとかでもない、ほんのちょっとの学年のズレですら扱いかねて「ふつうの人生からのドロップアウト」感が出てしまうものです。集団の同質性も高いしね。

沙織は周りの社会から見て浮いているだけでなく、沙織自身、「私、自分なんてないの」「流されるだけ」と自分の人生からの「浮き」を感じています。「自分の内心を探求する」ことを意味する「隠者」とは逆のようですが、Y子の項で「外界と内面の両方で「自分」が形成される」と述べたように、周りの世界から遠巻きにされていると人間は「自分が自分としてそこに存在している実感」をもちづらくなります。強制的な隠居、強制的な浮世離れです。

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『ポータブル』女性主人公編で追加された「女友達」のキャラクターは「戦車」の理緒と「隠者」の沙織。女子高生のアクティブとパッシブの両極として良デザインなだけでなく、「ちょっと浮いて」しまった女の子が自己と外界のすり合わせに困難を感じがちなケースの2つのあるあるを描いていて秀逸です。

理緒は能力の高さを周りに合わせて和らげられず「出る杭」になってしまったり、自分の中の「女の子」的部分に対処できずに戸惑う女子の尖りを。そして沙織は、周りからすると妙に大人びてしまいキャピキャピの中で「精神年齢が未亡人」「余生」状態になってしまう現実感との乖離を。

 

風の中立って、その心を生きて

 沙織が社会から浮かざるをえない理由には、学年と、雰囲気と、さらに人には言えない悩みまであります。「隠者」は社会から「かくれた者」でありつつ、何かを「かくす者」でもあります。

マジで、誰にも言えない。そもそも友達がいないけど、いたところで、同年代との恋の悩みとかに注目してる普通のみんなにはとても言えない。親にもその件で忌み嫌われてるレベルなので話せるわけがない。沙織は口をふさいで息が詰まっています。

いちばん悩んでることをさ、別にわかってもらえなくてもいいけど、誰にも言えないんだって決まってるのは本当にキツいよ。胸をいっぱいにしてることがあるのに、違うことを話さないといけないんだもん。そりゃ自分の人生から浮いたような感じにもなる。

素直に話す主人公を見て、主人公には「胸をいっぱいにしていること」を少し言えて、沙織は「自分の心を生きる」ことの喜びへ踏み出そうとします。

 

 沙織は委員会で会う主人公以外、普段の学校生活での友達がおらず、親からさえ遠ざけられています。それでいて「自分がないから、受動的にしていて人に求めてもらえるのは好き」

それ自体は何も悪いことではないんですよ。誰かに必要とされることをこそ必要としている、誰かに欲望されることこそ欲望であるというのは正しい。そうやって人は交換っこで心を満たして自分になっていくんです。でも、そこには「社会の中での自分」と、なにより「自分の心に対する責任」も育っていくものなんだな。

沙織の場合、自分の心から離れちゃってる、離れたい気持ちがあって他人の求めに流されるから、自分の心に対する責任を放棄していました。でも人に求められたところには社会があるわけだし、沙織が「無責任」に男子生徒に誘われカラオケに行ったらその彼女が「おまえがユーワクしたんだろ!」ってひっぱたいてくるし、週刊誌と同級生にはめられて撮られた写真が学校の悪評捏造記事に利用される。沙織が社会や自分の心からプカプカ浮いて流されていると、沙織自身が望んでやったわけでもないことで社会のトラブルに巻き込まれる

どうせ社会と関わっちゃって失敗もするし嫌なことにも巻き込まれるんだから、分の心で決めてした失敗とか、望んで言った暴言とかでコケたほうがよくない? 言いたいこと言ってる沙織のこと好きだよ。

そして沙織は、誰にも望まれていない、自分の人生に責任をもった心からの「悪い子」の行動をとって、親に「きれいな牢獄」みたいな環境へ強制的に飛ばされ隔離されることになります。しかしその顔は晴れやかで自由でした。

もう、沙織は本当に沙織ひとり。「周りから浮いていて孤独」という意味のひとりではなく、沙織が自身で人生を踏みしめていくという意味で、ひとり。とても怖くて嬉しいことです。たとえそこが世界の果ての鳥籠でも、自由って心のことなのですから。

 

『ペルソナ4』神社のキツネ

 キツネです。町の商店街のさびれた神社に住み着き、人語を介す知能や薬草による回復能力、なんらかの神通力をもっています。テレビの中にまでついてくる。話の進行はクエスト型であり、回復の泉のランクアップシステムの扱いで、P3Rのコロさん相手のように「心を知り関係を築く」という感じではない特殊パターンではあるのですが、「隠者」のコミュキャラではあります。

 

貯めこみ

 絆エピソードのテーマとかそういうのはあまりないわけですがキツネには「隠者」のモチーフがちりばめられています。

キツネは「古くからあるが今はさびれた神社」のおそらく神の使いです。「隠者」は「法王」と同様老人として過去からの伝統をあらわし、「法王」が「やんごとなき伝統」ならば「隠者」は「忘れられた伝統、零落した神」みたいなことを担当しています。

また、「隠者」は地水火風の四大元素でいうと「地(土)」のエレメントとの結びつきが特に深いカードです。神の化身や神使としての狐、つまり「お稲荷さん」はその漢字を見てもわかるように「穀物(稲)の豊かな実り」をあらわします。「稲荷神」「ウカノミタマ」は穀物、食物を司る豊穣の女神。キツネは日本神話ベースのペルソナ4世界の中で土エレメントど真ん中の象徴的動物です。しかもこいつはメス。

キツネはさびれてまともな管理人もいない神社の復興資金をつくるため、絵馬に書かれた近所の人々のお願いを叶えて神社の「ご利益」を広めお賽銭をしこたま集めようとしています。テレビの中でも回復にしこたま払わされる……。「隠者」の土のエレメント性には「過去の土台」のほかにも「利己的さ」があります。利己的っていってもわがままな俺様だぜ!という方向ではなくて、偏屈に自分のテリトリーに引きこもるので、社会への還元とかよりまず自分の手元に貯め込むんだよ!という方向ってことです。

かつ、キツネは復興資金が欲しいのであって名誉や関係性がほしいわけではないみたいで神社に感謝する参拝者からはスッと姿を隠してしまいます。

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ちなみにスマホ新作『P5X』で「ネトゲプレイヤー」という伝統的「隠者」キャラ的な立ち位置(今回はアルカナに一人キャラ対応とかではないのでアルカナキャラではない)にあたるYUI氏も「特に用途もなくゲーム上の土地を買い占めて喜ぶ」という「貯めこむ偏屈」として登場します。そしてそれは「物欲」や「支配欲」という意味でもないので主人公に共有を提案されれば了承し、そこで「畑」という土エレメントど真ん中活動をやることになります。女帝の春ちゃんも畑だけど隠者も畑だよ。

「隠者」の土エレメント性や「利己」に関しては『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』の描写も良い感じです。

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『ペルソナ5』佐倉双葉

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 佐倉双葉(さくら・ふたば)、ペルソナ使いの仲間です。学校には行っていませんが年齢的には高校一年生に相当します。主人公の保護観察をしてくれている保護司・佐倉惣治郎の養女で、誰も血がつながってない家族の中の「妹」的存在になっていきます。

認知世界について研究していた天才の母親がひとりで産んだ、同じく天才の娘。母親が陰謀のうちに謎の死を遂げ、母親と親しかった惣治郎に引き取られるなどのゴタゴタの後佐倉家でかなりガチの引きこもり生活幻覚・幻聴などの精神症状から抜け出せずにいました。そういうのがなくても生来知能が人間離れしてバカ高く、家族以外の社会にうまくなじめたことはありません

ジンに輪をかけまくって情報技術に最強で、引きこもってる間に世界的な義賊ハッカーとして活動し「メジエド」と呼ばれています。ただ、本人が「自分がメジエドだ」と主張しようとしないのでメジエドの名前は正義を騙って名声を得たい他のハッカーたちに使われるままになっています。う~ん隠者。

メジェド様って「隠者」そのものの象徴的なデザインだよな~~(体が隠されてて「ない」かのようなところからガン見の目)

 

自責の墓

 双葉との接触は、主人公たち怪盗団が「(名を騙る偽の)メジエド」にサイバーな脅迫を受けたことからはじまります。本物のメジエドである双葉は「アリババ」という名前で怪盗(主人公)のSNSをハッキングして連絡を取り、取引をもちかけます。ターゲットの悪い心を盗み改心させる怪盗団の評判を知り、「自分の心を盗んでほしい」というのです。

アリババが何者で目的が何なのか、双葉がどういう人間なのかはじりじりと謎めき続け、なかなか明らかになりません。あっちは盗聴やハッキングをして情報は多いはずなのに、会話も要領を得ないし。最初はSNSのメッセもすぐ切られちゃったり、双葉の実体に近付くまでにかなりの手数を必要としました

最初の双葉とのコミュニケーションが要領を得ないものだったのは、ひとつには双葉がそもそもコミュニケーションが苦手ってこと、あと双葉の精神状態が良くなくて視野が狭くなっていたこと、そしてもっと大きな要因には「言えない」「直接話せない」というロックがたくさんかかっていたからです。

ロックっていっても機械のシステム上禁止ワードがあるとかじゃなくて……、いや、「双葉の精神という複雑な機械」のシステム上の、禁止ワードやファイルロックのようなことになっていたのです。「隠者」とは「かくれる者」かつ「かくす者」だと述べましたが、それはなにももったいぶって隠しているとか意図があって隠蔽しているとかばかりではなく、自分でも容易に取り出せないところに心の鍵を隠してしまった者ということもあるのです。双葉の心はそうなってしまっていました。「隠者」の絵のもとになっている「苦行僧」という存在も別にドMなことに誇りをもっていたとかではなくて、もともとは自分の真実にたどり着けない自分を責めるがために自殺的に荒野をさまようことになったのではないでしょうか?

「自分でも開けられない箱に自分の心を入れてしまい出られなくなった」からメッセでねじれたSOSを発するしかできなくなっていた双葉の心の歪みの様相をあらわすパレスは、ピラミッドのかたちをしていました。いうまでもなく、それは墓です。母の死に自分を釘付けにし、自分を埋葬するお墓。実際「隠者」的な「体なき者」感覚もあって引きこもりの双葉は部屋の中で心だけでなく筋力や体の発育も死にそげになっていっていました。

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「自分の内面の闇を照らし向き合う」という「隠者」の意味には、トラウマと向き合うことも含まれることになります。人間の心はひどい心の傷を受けるとそれをとりあえず箱にギュムギュムッと圧縮してショック死を回避し、しかし、いつかそれを荷ほどきして整理できるまではトラウマの重い箱についた鎖の範囲しか動けないことになります。

その「荷ほどき」「闇を照らすこと」は、自分の心のことなのにひとりではどうにもならないときもある。それが「佐倉双葉の心を盗んでほしい」という願いでした。そして双葉の心の謎を解き明かしたとき、怪盗団は一連の事件の闇に葬られんとした秘密も明らかにするのです。

 

サブカルチャー

 双葉はたいへんオタオタしい性格と趣味をしています。

「ピラミッド」や怪盗服にはコンピュータで使用できる記号のような模様があったり、ペルソナ「ネクロノミコン(クトゥルフ神話に登場する『死霊の秘宝』という架空の書物)」はUFOのかたちをしていたりと、電脳オタク世界と『ムー』みたいなオカルト、陰謀論遊びが大好きです。

インターネッツでオカルトやスピや陰謀論が幅をきかせることはわりとシャレにならない社会問題だし『ペルソナ2罪』の世界では気の弱い優しいお父さんがオカルトと陰謀論に突っ走って書いた本をきっかけにドエライことになったのですが、そういう「表の世界で言われてる定説とは違ってもしかしたら……」っていうのは本来「もうひとつのあいまいな世界」として存在することにでかい意義があるんであってな。「表の世界」に当然なじめない双葉はそちらのフィールドに楽しみを見出していくことにしたんですが、Y子と同じく、「もうひとつの世界」のナワバリに大っぴらにしない内面を遊ばせることで心を癒し、充実させ、それによって「外の世界」とのバランスをとっていけるわけです。

オタク趣味、サブカルチャーの世界ってそういう「多層さ」を心にもてるもので、双葉の場合は特に脳のリソースを持て余してるから世界を明暗多層に見ることが救いになります。でもね凡人の頭ってどうにもひとつのモードでずっと処理して省エネしたがるクセがあるから、「ぜ~んぶ表の社会のルールで処理する」とか「ぜ~んぶ好きな世界に塗り替えちゃう」とかに、ほっとくと寄っちゃうんだよね~……。そうするとインターネッツが悪しき方向に回りだす。

明るい外側、薄暗い内側があるから、心はあって、好きなものや人、自分の歩く道がある。その境界を遊んで考え続ける知恵こそが、「本当の自分」を照らすという「隠者」の灯りです。

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「隠者」のキャラ性は宿命的にモチャッと地味で表に立ちたがらないので、こういった青春ゲームのセンターにいることがなくて当然です。でも「心とセカイの間にある身近な社会関係」や「外にいる他者とすり合わせて心を形成していくこと」っていうのは「隠者」のテーマに強いかかわりがあるから、地味~に大事に扱われています。

 

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noteのメンバーシップのほうでこっちのブログ記事には未満のいろんなメモを投稿してるんですが「女教皇」「隠者」「塔」の縦ラインの意味について興味ある方はこちらもどーぞ

 

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ペルソナ5ロイヤルを読解実況しました。再生リストからアーカイブが見られます。

↓おもしろかったらブクマもらえると今後の記事のはげみになるです。今後もリメイク版のプレイなどによって参考画像とか引用とか加筆してくかなっておもいます。

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あわせて読んでよ

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「正義」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑧-2

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「正義(Ⅷ Justice)」のアルカナの記事です。下の対応キャラを見ていただいてもすごい多いせいで激烈に長くなってしまったので、今回は後編です。分けたのに後編が激烈に長い。

歴代の「正義」アルカナのキャラ、(上杉秀彦(ブラウン)、周防克哉(前編))、伏見千尋、天田乾、堂島菜々子、明智五郎の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

↓前編はこちら↓

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『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。現在『メタファー:リファンタジオ』を読解中です。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

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『ペルソナ』シリーズの中の「正義」アルカナ

 「正義」アルカナは1〜7番の定番キャラクター像からすると配置されているキャラクターの個性の幅がかなりとっちらかっています。ブラウンと菜々子が同じアルカナて。

これは「正義」が反対のものの釣り合いを意識する天秤のアルカナであることと、あと「正義」アルカナに2通りの番号があることにも関係しているんじゃないかなーとおもいます。

広く流通している二種類のタロットカードセット「マルセイユ版」と「ウェイト(ライダー)版」の大きなちがいは、「正義」と「力(剛毅)」の位置の入れ替わりです。古くからある「マルセイユ版」系のタロット(左側)では「正義」が8番、「力」が11番なんですけど、比較的新しく作られたウェイト版(右側)の解釈ではそのふたつの順番が入れ替えられており、「正義」は11番になっています。描かれている象徴はほぼ同じですけどね。

ペルソナシリーズにおいてはどっちなのかっていうと、アルカナ対応キャラクター描写が強化された3以降で8番として扱われている関係上今回の記事は8番にすべてまとめたけど、システム上の表記では異聞録と罪罰の正義は11番になっています。

特にペルソナ3から明確に意識されている、タロット大アルカナの順番が魂の成長過程を表すという「愚者の旅」の見方からすると、「11正義」は「8正義」に比べてより進んだ、成熟した段階を表しています。……というより、「8正義」がまだ幼い正義をあらわしていると言った方が理解しやすいかもしれません。「正義」という言葉から受ける印象にストレートな正義の大人であるのはやはり罪罰の克哉で、むしろ異聞録と罪罰両方に同じアルカナの別キャラがいるのは「正義」アルカナだけなので、ブラウンは「8正義」寄りなのかもしれないですね。

 「8正義」は1〜7番までの「価値観の学習」「守られた子供時代」を終えたすぐあとのアルカナ。

ペルソナシリーズの「8正義」キャラクターの顕著な特徴は、「失われた正義のバランスをどうにかとろうとしている、傷ついた子供」です。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「正義」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

「正義」の元型

徳性「正義」

カードの寓意と伝統的な意味については前半の記事をごらんください。

 

ペルソナ3 伏見千尋

 伏見千尋(ふしみ ちひろ)、高校二年生で主人公と生徒会活動をともにする後輩。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

 縁の太い眼鏡、前髪もセットもないワンレンロングヘア、猫背で腰の引けた3Dモデル、オドオドときどき早口な喋り方、オタク気質、引っ込み思案でものを言えない性格、男性恐怖症ぎみ……と明らかにクラスのイケてない方の地位低め陰女子です。地位低めなので休んでる間に生徒会を押し付けられて何も抗議できなかった。あるあるすぎる。『リロード』ではいかにも面倒臭い長文メールで陰女子の解像度をさらに爆アゲ!!

でもそういうめがねっ子のほうが実はかわいいことを俺だけが知っており……俺だけに気を許してくれる……!のでオタク心をくすぐり、人気キャラクターです。ペルソナ3から「正義」アルカナは明確に「天使」のペルソナのアルカナとなり、コミュキャラクターの清廉さ羊のような幼子のような無辜さをひきたてています。

 

潔癖

 千尋は人付き合い特に男性が苦手、さらに生徒会会計の役割を振られているのに数字が苦手で困っています。これらの困りごとの克服に付き合うことから主人公との関係は始まります。

共学の生徒会なんですから、普通よりも学年性別いろいろな人間と公平平等に堂々と関わらなければならない立場なのは当たり前だし、「会計」という計量と清算を司る役目も「正義」アルカナの天秤と剣に属するものです(ちなみに「千尋」という名前でしかほぼ聞くことのない「尋(ひろ)」という和語も水の深さを測る単位であり、すごく数字な名前なんですよね)。

なのに千尋は苦手な人と好きな人との距離感が極端だし数学もできない。「好きなものにうまく近づけない」克哉とは逆に「苦手なものに不適切に近づくことになってしまう」バランスの崩し方をしているといえます。

 千尋のバランスの危うさは「恋愛(異性交友)」との距離感で特にバグります。

男性全般が苦手で話しかけてくる男性に怯え声も出なくなったり威嚇したりしたかと思えば、親切にしてくれて気を許せた主人公にはいきなり強めのハートマークを出してしまいプレイヤーをビビらせます。はしたなくイチャつく男女を見ると図書館の真ん中で思わず立ち上がって御法度〜!!と大声を出したりなどもします。

自分の立場を悪くしてしまうほどの病的な「潔癖」とは結局距離感やバランスをうまくとれないこと、なのにそれに対して関心やエネルギーを向けすぎてしまうことという、二重の調整失敗から生まれるものです。本当は、望まない向いてもいない役割を振られたなら嫌だと放棄すればいいし、不純異性交友が苦手ならデカ舌打ちしてその場を離れ無かったように振る舞えばいいのです。千尋にはそれができません。真面目な生き方や男女のあるべき姿という「正義」に、トラウマのように釘付けにされて離れられないからです。

 

父の大いなる不在

 千尋を釘付けにしている心の傷は、現在離れて暮らしているダメ父親のことです。

千尋の父親は千尋の母や千尋に暴力的で、別居しても当然千尋には男性の大きさや腕力、大声、不機嫌な威圧などへの恐怖と嫌悪が残りました。かわいそう。千尋が男性への接し方が変でもまったく仕方がありません。

しかもただでさえ弱った父のない母娘に世の中は優しくなく、何かというと怖い思いや差別的な視線のしわ寄せをうけることになります。「あの子が集金袋ちょろまかしたんじゃないの? なんか親やばいみたいだし」とかさ。ブラウンへのいじめがそうであったように、現実の世界は弱い者、傷ついた者に追い打ちをかけるようにできてしまっているのです。

千尋の好きな少女漫画やロマンティックな文学の中では、男性は優しく紳士的で、なんだかんだ言ってもヒロインを守り、一生懸命正しくがんばるヒロインは恋愛的にも社会的にも報われるはずでした。父や自分の弱りにつけこんで追い打ちをかけてくる周囲にその世界の正しさを破壊された千尋は、「正しさの回復」に無意識に躍起になってしまいます。不純異性交友にキレてしまうのも主人公にグイグイ重い好意で迫ってしまうのも、逆のように見えて千尋にとっては同じ「正しいロマンスの回復」の強迫というわけです。

そのバランスの変さは、千尋自身もどうすることもできません。そしてそれって好きな人に愛されることでも解消はされないのです。失敗してコケ回ったすえに、自分の言いたいことをちゃんと言えるようになるまでは。正しい父のいない自分の人生に、自分自身が責任者となれるまでは。

知らんうちに押し付けられて望まなくても断れなかった生徒会の役目も、あとで思い返せば穴に入りたくなるような主人公に対する想いの七転八倒も、彼女自身の肉となり、彼女はエンディングの約一年後みずから選定を受けて生徒会長となりました。

父なくさ迷う被害者であった千尋は、主体的に生きられるようになっていき、『ペルソナ4』のゲストキャラとして落ち着いた決然とした美しさを花開かせています。

 

ペルソナ3 天田乾

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 天田乾(あまだ けん)、小学五年生で主人公の通う学校の初等部の生徒。ペルソナ使いの仲間です。

賢く真面目で行儀も運動神経もいい万能出木杉君なだけでなく異様なまでに覚悟のキマッた目をした「いい子」で、年齢相応の無邪気さや子供っぽさを無理に封じ込めています。実像より背伸びして大人であろうと皮肉を言ったり好きなものを我慢したりすることも。

小学生にして特別課外活動部に志願し、シャドウ討伐や強くなることにいやに熱心。その理由はネタバレである……。

 

天罰の生贄

 天田は2年も前、8才とか9才のときに唯一の近親者であった母親を亡くしています。親戚をたらい回しにされ、他の子の保護者たちにも触れがたいかわいそうな子として気遣われるようになった彼は大人びてしまいました。

元来は普通に聡明で運動神経もよく朗らかで、同級生たちからは英雄的なデキるヤツとしてサッカー一番うまいぜと思われているような、母親を不可解な事件で失う前の天田はまさに「戦車」的な祝福された英雄少年でした。

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ペルソナ3~5において「正義」アルカナは「戦車」の次のアルカナ。「戦車」のキャラクターは宮本や竜司が示すように「(物理的)挫折」を含んではいますが、「正義」の天田はより深い挫折をすでに前提として抱えてしまっています。「世界には、必ずしも勧善懲悪がはたらかないのかもしれない」という挫折を。

天田は勧善懲悪の化身たる「特撮ヒーローもの」が大好きであることを周りに隠そうとします。↑この後↑なども、フェザーマンについて熱く語ったかと思えば「……! って、クラスの他の子たちが言ってましたし(目泳ぎ)」とごまかします。これはコーヒーをブラックで飲もうするのと同じに生き急ぐ背伸びでもありますが、「本当は勧善懲悪の原理がはたらく世界を愛している」のに「そうではないらしい世界に無理をしても適応しなければならない」と思い詰めている葛藤の天秤のあらわれている痛々しい様子でもあります。



 母という居場所、彼くらいの年の子供には無条件に与えられてしかるべき保護者からの生き方の導きを失った天田はシャンと立って歩くための別のエネルギーを求めました。それが母を奪った事件の復讐、つまり正義の回復です。

天田の初期ペルソナ「ネメシス」女神は言葉としては「復讐」という意味で使われがちですが、個人的な復讐ではなく神や世界に対する不正や不敬を罰する天罰の意味の強い復讐の女神です。

「法にも社会にも裁かれない邪悪に天罰が下る」、しかも何十年のゆっくりしたスパンで巡り巡って……とかではなく、雷光のように鮮烈に、スカッとざまあな天罰が下ることを夢見てしまうのは、大人向けの娯楽でも実に多いわけですが、いうたら子供っぽい欲望でもあります。まして思春期くらいの真面目な少年少女って正義の回復の天罰を降らせるために、「自分がこのことで力尽きて死んだら、きっと悪い奴らが裁かれ思い直す、みんな認めてくれる」というようなことを一度は思うものでしょう。正義のために命を消費することは幼稚で愚かではありますが、美しくヒロイックなゴールです。愛や保護に渇き、行き場のない子供が足を引きずりながら目指せるくらいには。

いなくなった母さんのかわりに、正義の回復を神に請うために命を使い人生を完結させる女神の夢に抱かれてやっと天田はしっかり寝たり起きたりすることができました。その大人び方がなんとも言葉にしがたい美しい異様さを帯びるのも当然で、天田は大人になる前に死ぬために自らを磨いている生贄の少年だったのです。

自らを見つめなおした天田は復讐を志したことについて、「僕は僕だけで生きるのが怖かったんだ」と言いました。保護者に包まれず、正義にも包まれない世界を自分の意思と決断で生きていくことは、天田の年齢でなくともどれだけ恐ろしいことか!

間違ってしまうかどうかじゃない。「それでいいよ」って言ってくれる誰かが伴走していてくれなくては……。復讐の夢は彼にとって親代わり、鋭い槍の刃も杖代わりだったのです。

 

正義のヒーローマスク

 復讐という目標はなんとか歩いていくための親の代わりという側面があったとはいえ、母親の事件を不可解にもみ消されたときに抱いた「真実はたやすく歪められる」「正しい手続きがごまかされる『大人』の世界はおかしい」という破邪顕正の意思はその後も天田の善き個性として光っていくことになります。

 後日談である『エピソード・アイギス』では全員がそれぞれの動揺や動揺のごまかし、カラ元気や気まずそうな気遣いなどを思い思いに披露していますが、天田はコロマルと並んで本編中と調子が変わらず、実は誰より早く・持続的に「真相」を見定めるべきことに興味を示しています。母や荒垣が日常世界の中では「ありもしない事件」で消えたことになっている理不尽に関心をもっているからです。もう誰を恨めばいいとかそういうことではなく。

天田は深刻に思いつめやすく辛気臭くももありますが意志堅固で流されづらく、彼のペルソナ「ネメシス」や「カーラ・ネミ」のデザインが表す巨大な天の星々の運行のように冷静に粛々とやるべき正しいことに向かうことができるタイプです。直進する光のような問答無用の聖なる力強さ

 

 天田は因縁ある真田・荒垣、コロさんのほかにはいやに順平との絡みが多く、『P3R』での総攻撃勝利ポーズも「尻餅からキメポーズの順平」と「キメから槍の重さで尻餅の天田」というふうに対のようになっています。制作側が意識しているかはわかりませんが、順平の「魔術師」アルカナと天田の「正義」アルカナには実は関わりがあります。

タロットナンバーを7枚周期×3で並べたとき、縦3枚のセットは元素周期表のように似たテーマが繰り返されるようになっています。ペルソナ3以降のアルカナ順序ではその最初の3枚セットが「魔術師」「正義」「悪魔」です。

これらに共通しているのは子供的な未熟さ、目標や責任の薄弱さ、そしてこれから内面を充実させていくからっぽさだと当方は考えています。「魔術師」は軽佻浮薄に、一方「悪魔」は怠惰無気力に、「意思」というよりも思いつき的な欲望に突き動かされて生きてしまいがちです。意思や目標をもち自分の責任において人生を歩む大人のあり方ではなく、不満足を「誰かが何かをしてくれないせい」「あいつが悪いせい」と考えてしまう癖がある半端者というか、「子供の甘え」的な心の状態が「魔術師」「悪魔」でしょう。

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「魔術師」アルカナの順平の項でも述べましたが、順平の父は一時的成功から落ちぶれて再出発するでもなく酒に溺れるようになってしまったので、「魔術師」から「悪魔」の淵に転落してしまったことになります。順平自身も、嫌悪する父親と同じ「何もなさ」「周りのせい」という弱さを自分に感じてン゛アーッ!ってなっています。

3枚セットの真ん中のカードは、同じテーマの中での「バランスのとり方」を表しています。「魔術師」のお調子と「悪魔」の堕落の真ん中である「正義」はそうした周りの世界に翻弄されてしまう子供の心や自分軸の持てなさを律するため、「じゃあ、僕はどうあればいいんだろう?」と中身がまだなくても、無理があって極端だったりしてもなんとか基準や決断をうちたてようとする意思の力を示しているのですね。声優ネタになってしまうが「逃げちゃダメだ」のカードだといえます。

最初は子供が満身創痍の心をとりつくろうための強がりにすぎなかったとしても、天田の愛するフェザーマン達のように強く正しく羽ばたける心の筋力に変わる最初の一歩は、「正しい大人のようであろう」「公正で潔く格好良くあろう」という「ガワ」をまとう意思のほかにないでしょう。「ペルソナ」とはそもそもそういうものです。

 余談ですが、フェザーマンは『ペルソナ2 罪』の世界のキーワードでもありました。子供はヒーローの仮面をかぶることで「今の自分以上の何者か」になりきり、夢の翼を育てるのです。

 

ペルソナ4 堂島菜々子

 堂島菜々子(どうじま ななこ)、小学1年生。主人公の下宿先の叔父の娘で従妹にあたります。ペルソナとかそういうことは知らない一般人のコミュキャラですが、ペルソナ4(無印)の事実上のメインヒロインです。

たいへん利発で優しく、亡くなった母親、家庭をおろそかにしがちな父親の代わりに家事までこなしている美幼女ヤングケアラー。天田と同じく「いい子」の仮面を頑張ってかぶっています。中身が実は悪い子とかでは全然ないのですがとにかく頑張っていい子にしています。

主人公を「お兄ちゃん」と呼び、実の兄妹のようになっていきます。その無垢で儚い笑顔はまさに「正義」アルカナの大天使、菜々子で味をしめた制作陣は最新作『メタファー:リファンタジオ』でもより洗練された天使の妹をお出ししてきました。もっとやってほしい。

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理想の子供

 菜々子はもちろんかわいくて賢くて素直で健気、どこから見ても180度「えらいわね~」「おりこうさんね~」です。こんな小学校一年生がいるか。いなくていい(いていいけど)。

そりゃ地がいい子なのはいいけどさ、忙しい父親のため、家庭がこれ以上ばらばらにならないためにと感じ取って「いい子でいなくちゃ迷惑かけちゃう」と気を張っていることが多いなんてつらいよ。

 

 天田の項で「魔術師」「正義」「悪魔」の3カードセットについて述べたように、8番の「正義」はまだ中身のない、子供の心のちょっとムリをした背伸びの自律の意味合いももっています。

小さな子供を健やかに生かすことは大変な手間を要することも多いですが、保護者を愛し求め微笑むという面では天使のような存在です。しかし、その無条件の愛情は厳密には愛ではありません。子供は、保護者なしには生きていけない、生存のために保護者の愛が必要だから、保護者を愛し求めているかのような行動になるのです。もちろん子供がそのように意識して計算しているわけではなく、無意識で本能的な生存戦略だし、その生き残るための笑顔は健全な親子関係であればそのうち本当の愛情の笑顔へと育っていくはず。なのですが……

正式な学説というわけではありませんが、「モンロースマイル」という言葉があります。マリリン・モンローの不思議なまでに魅力的な微笑みからたてられた説で、「親の愛情に恵まれないなど家庭的不遇を抱えた子供ほどに、大人に気に入られようと無意識のうちに魅力的な笑顔をふりまくようになる(それゆえに、オーディションで採用される魅力的な俳優やアイドルはすでに家庭に問題を抱えていることが多い)」というようなものです。

菜々子の笑顔は素直にかわいらしいばかりですが儚いようでもあり、通常立ち絵の目は何やらやましい大人の心を見定めるような深さがあるところがまた、不思議な魅力をたたえています……。そして、「大人の愛と期待を集める理想の子供のイデア」のような菜々子の作文がテレビで放送されると、街の皆は実体を知らない匿名の菜々子の天使のごときすばらしさ健気さに異様に熱狂することになるのです。

モンロースマイルや「理想のいい子」もいわば「ペルソナ(社会的仮面)」ではありますが、菜々子のような年頃の子が無意識に「愛されるために、家族を失わないためにいい子をしなければ」と気を張ったりガマンをし続けるのはやっぱつらいことですよね。大人としてゴメンがある。

 子供は勝手に、保護者の都合に合わせてしまいます。教育界では10年くらい前まで子「供」という表記は差別的であるから「子ども」「こども」と書くべしという動きがありました(今はもう「子供」表記は差別にはあたらないとされている)。「供」という字は「お供(オトモ)」など親や大人社会のサブ添え物であるとの考え方が出てるよ~こどもも一人の人間としての人権を尊重されるべき存在だよ~という意図が主の考え方でした。

さらにまたもう一説には、「供」は「お供え(オソナエ)」、すなわち神へ捧げる命として清らかな子供が「供された」ことを想起させ、現代でこどもたちが犠牲になることを許してはならないからだ……とも。

天田の項でも述べましたが、8番の「正義」はカードに子供など描かれていないながら「子供の犠牲」を想起させます。子供が被害者となる展開ばかりでなく、少なくとも「まだ子供でいたい心」はすっぱりと切り分けられるのです。

菜々子は知らぬ間に大人たちの都合のためにすこしずつ身を削ってきて、ついに最も清い理想の子供として祭り上げられた結果、天の国へのぼる犠牲となりました。

 

大人の分別

 母を失い、それでますます仕事に没頭するようになってしまった父を見送り「与えられる子供」であることができなくなっていたいい子の菜々子は、コミュの中で主人公という「お兄ちゃん」を得て家族の中の子供としての自分を出す時間をとれるようになります。「いい子にして待ってろ」ではなく時間をとって話をしてくれるお兄ちゃんとの時間で菜々子が話し考えたのは、父の言いつけを守るいい子であることの意味、「正義の中身」でした。

コミュランク1→2のストーリー。お父さんといっしょに夕飯を食べられることに喜ぶ菜々子は、お父さんの好きなたくあんがなくなっているのに気付き、主人公が一緒に行くというので夜の買い物に行きました。

主人公は「菜々子はお父さんのことを思って」とか「自分がちゃんとついてた」とかそういう選択肢を言って菜々子は悪くないと言いましたが、お父さんは夜に外に出てはだめと約束したんだからダメなものはダメだととりつくしまもなく叱りました。菜々子はいい子であるためにお父さんとの問答無用さとの間で揺れながらも、「お兄ちゃんが『菜々子は悪くない』と言ってる」ことを真実らしいと感じ取り、「どうしてお話を聞いてくれないの、お父さんのバカ」と走り去ってしまいました。

もちろん、堂島が菜々子の夜間外出を厳しく禁じるのはまっとうなことだし、叱るのも菜々子のことを真面目に心配するからこそです。でも、「お父さんがそう望んでるから、お父さんの迷惑になりたくないから」とにかくいい子をやっている菜々子にはその複雑な中身がわかりません。親を喜ばせたいと思っているのに問答無用で叱られた子供は「自分のことより決まりを守ることのほうが大事なのかな? 自分のことなんかどうでもいいのかな?」と感じてしまうものですよね。

 

 菜々子は「お父さんは菜々子より、悪い人のほうが大事なの?」「菜々子はお父さんの"ほんと"の子どもじゃないからお父さん帰ってこないの?」と聞いてきます。

新作『メタファー:リファンタジオ』でも菜々子のポジションにいる妹的存在が、戦いに身を捧げた父について「自分のことを捨てていったのでは」「またここから捨てられてしまうのでは」という不安でいっぱいになっていました。どちらもそんなわけなさすぎるのですが、「いい子」でない普通の子供の心にとっては、親に割かれる時間、一緒に過ごして見つめてもらえる時間こそが愛です。その価値基準からしたら、単純な数量として自分は愛されておらず父は仕事のほうを愛しているのだという天秤の判定が下ってもまったくしかたがありません。菜々子の天秤の問いは、子供だったときそのように自問したことのある人も多い普遍的な問いではないでしょうか?

しかし正義の天秤には、本当は数量だけで測れない「意味」の重さがあります。正義の意味を知るためには、言って聞かせられるだけでなく、正邪に関する疑問や子供らしい気持ちとの齟齬を素直に話して、受け止めてもらって、ゆっくりと考える必要があるとおもいます。それが菜々子が主人公と過ごした時間です。

お父さんがお母さんや菜々子のことを思うがために仕事をしているとか、お父さんもお母さんが死んで寂しくつらいのは菜々子と同じとか……そういう、見えない、量れないものを実感したときに、菜々子の正義の天秤は心で動き始めます。それがただルールを守り適応して諦めるだけでない本当の「大人の分別をつける」ということでしょう。

もう、菜々子がお父さんを支える優等生であるのは愛情不安と生き残りのための悲痛な我慢ではなく、菜々子自身が意味の重みのわかった愛情です。

 

ペルソナ5 明智吾郎

※※※以降の項目には物語の核心にかかわるすごいネタバレが含まれます※※※

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 明智吾郎(あけち ごろう)、主人公とは他校の高校三年生で、高校生探偵。もちろん江戸川乱歩『怪人二十面相』のライバル「明智小五郎」をモチーフにした、怪盗である主人公のライバルキャラクターです。

高校生にして不可解な大事件の謎を華麗に解決しまくっているらしく、クリーンで知的で優しげな王子様然としたふるまいで「探偵王子(の再来)」明智くんと呼ばれています。『ペルソナ5』の5年ほど前にあたる『ペルソナ4』でパーティメンバー・白鐘直斗が元祖・「探偵王子」ともてはやされていたときにはメディアが勝手にネタにして盛り上げている感じでしたが、明智は積極的・継続的にテレビ露出の仕事を増やし、機知に富み悪を憎む正義のヒーローとして世論の支持を固めています。

その、はずですが……

 

神の右手と左手

 名前がバッチリ示すように、明智は作品の大きな構造として怪盗である主人公に対置されていいます。アニメや、『ロイヤル』のとある絵では主人公とチェスをする姿が彼らの白と黒の戦いの寓意(メタファー)として描かれています。

『ペルソナ5』がピカレスク・ロマン(悪漢物語)の側面をもっている以上、体制側的には悪とされることをやってのける主人公たち怪盗団のもつ「黒い正義」は体制的な「白い正義」によって引き立てられ、そのコントラストと葛藤が「本当の正義とはなんなのか」の陰影を刻み出すことになります。

明智は自分の出演テレビ番組のスタジオ観覧者であった主人公と怪盗について談義したことからこのように言いました。

「会えてよかった、お礼が言いたくてね。やっぱりアンチテーゼがなきゃ、アウフヘーベンは起こらない…
 ハハ、ごめんごめん。君との議論が、とても有意義だったってこと」

この明智が突然言い出した横文字は「テーゼ(命題:AはBである)」と「アンチテーゼ(反対命題:AはBでない)」の対立によって「アウフヘーベン(止揚:反するものが統合され概念のステージが上がる)」を起こす……という「ヘーゲルの弁証法」の用語です。

明智と主人公の怪盗談義でいえば、「怪盗団がやっていることは悪だ」という明智の基本テーゼ「怪盗団は一面の正義だ」という主人公のアンチテーゼ対立することで、それらを統合したより高い概念に至るきっかけになるかも……というような意味です。

政治的な保守派と革新派、大きな政府と小さな政府、現行法と改正案など、どちらかの正義が完全であるということはなく、たえざる議論と葛藤と試行のなかですこしでも浮き上がって手を伸ばすことこそが正義です。「正義」のカード、そして正義という徳性にかならず表される「天秤」という象徴物は、正義や公平はその時その時に対立物を見比べたうえでしか見いだせないことを意味しています。

明智は正しくクリーンなことを言いますが、声なき弱き者を助けているわけではありません。怪盗団は悪をくじき人を助けることに成功しましたが、明智に「悪い奴の心を変えて世直しなんてただの私刑ですよ」と言われて反感をもちながらも動揺しました。怪盗団と明智はお互いに痛いところを突きあったのです。しかし、この動揺こそが怪盗団に「悪い奴を感情でとっちめるだけではなく、正しさについて確かな覚悟と信念をもたなければ」という正義のブラッシュアップを確かに与えたわけです。

 

 テーゼとアンチテーゼ、白と黒の葛藤によってより高次の結実をみるアウフヘーベンは、正義のありようを考える以外でもあらゆるところで起こります。

ペルソナシリーズがモチーフとするユング心理学の、「意識」と「無意識の影(シャドウ)」が対立したままに統合し真の自己へ近づいていく……という考え方もそのひとつといえます。よくマンガ的に表現される心の中の天使と悪魔のささやきや、『少女革命ウテナ』の天上ウテナと姫宮アンシーの関係のように、明智にとっての影が主人公、主人公にとっての影が明智です。光と影が拮抗し戦いのダンスを踊ることで、世界は限界の先へと進んでいきます。

ロイヤルのオープニングではこんなウテナ寝をしたぐらいにして

そして実際に主人公と明智は、神の実験において似た境遇で似た力を別ベクトルで授けられた、白と黒の盤面遊戯のコマであったことが、終盤に判明します。

 

決断主義の世界で

 明智が言った「怪盗団がやっていることは正義とはいえない。法によらず勝手に人を裁くなんてただの私刑ですよ」という主張は怪盗団とプレイヤーを「確かにそうかもな……」と動揺させその正義を磨かせるきっかけとなりましたが、実はそれは明智自身の真の信念ではなく、欺瞞の言葉でした

明智はかつて怪盗団と同様にクソ大人の理不尽に踏まれ黙殺され、いずれそれに復讐して世を正してやると怒りを燃やしている子供でした。怪盗団より先に「神」から認知世界に介入する力を与えられた明智は、復讐対象に取り入って自分の力を高めるという方法に出ました。そういう意味では明智は復讐対象に近付きペルソナ能力を鍛えるために特別課外活動部に入った天田の再話になっています。

それがゲーム開始時点から話題になっていた精神暴走事件を含む彼が「探偵」として活躍した多くの事案です。認知世界を介して復讐対象にとって都合のいい事件を起こしつつ明智はマッチポンプでシナリオ通りに解決(?)させヒーローに祭り上げられる、という流れでした。

なんかもう「正義とはいえない」とか「私刑になる」とかいうレベルじゃねーぞ。八百長や出来レースの絵図面で残酷に勝ちながら表面上クリーンそうに振る舞うというのはまったく「正義」アルカナ的な不正のやり口ですね~! 必死で対抗する反対勢力を品よくあしらい「反対している人はなんか唾飛ばして上品じゃないなあ、怖いし」みたいな印象を大衆に与えるとかで権力者が現実によくやっていることです。明智の「表のペルソナ」であるロビンフッドは彼の根っこの反抗と正義の心から生まれつつも、「クリーンに見てほしい、ヒーローをしている自分を見てほしい」というガワをまとっていました。

 

 ただ、「こんなに理不尽が蔓延した世界では、正しいことだけやってよく生きていくなどと甘えたことは言っていられない」「生き残り自分の望みを叶えるためには、人をおしのけ傷つけても前に進むしかない」「怒れ、戦え、勝ち取れ」という根っこの考え方じたいは、怪盗団と明智に共通しているのです。誰をどのように傷つけるか、勝ち取るものが何か、という点に正義の違いがあっただけで……。

怪盗団と明智に共通する上記の『ペルソナ5』全体を駆動する若者たちの鮮烈な意思のような方向性を、宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』において「決断主義」と名付けています(ゼロ年代批評なのでもちろんペルソナ5について論じた本じゃないし、「ちょい前の時代からの文脈」的な話だよ)。

従っていれば幸せになれる「大きな物語」の幻想は90年代までに破綻をみてしまい、90年代後半からの碇シンジくんやセカイ系の「内面世界に閉じこもり完結する」戦略が流行るも限界があった。その後のゼロ年代では、押し寄せる新自由主義や自己責任の流れの中で「道徳に従うのでも、内面に閉じこもるのでも生き残れない、何も叶えられない。『自分の望む物語』の実現のために外へ出て、覚悟してダークな選択もして勝っていくしかない」というヒリヒリした時代の感覚をとらえて『鋼の錬金術師』や『DEATH NOTE』といったキマッた目をした主人公の決断的なダークファンタジーが流行したのだといいます。『進撃の巨人』のエレン・イェーガーなどもこの流れに属するといえるでしょう。

10年代後半ともなると決断主義はもはやとりたてて言うようなことでもない「世間の常識」となり、ジョーカーと明智のダークヒーローぶりは特殊というより時代にとって普通のヒーロー像をカッコよく具現化したにすぎないともいえます。

 

 90年代に失われた「大きな物語」とは、タロットでいう1~7番のおとぎ話的な世界観です。

大人の言うことをきいて正しく成長し正しい勇気をみせればハッピーエンドが訪れるという世界が「そういう子供向けの物語」にすぎず現実は残酷だと知って傷ついた若者が、それでも外へ歩いていくためには、「この世は結局は力だ、勝った者だけが生き残り望みを叶えられるのだ、それが正しいことなんだ」という秩序を定義しなおす(=正義)決断主義的段階がかならず必要とされるということを8番の「正義」は描いているのかもしれません。

なんかいも述べたように、宇野のいう決断主義は今や別にセンセーショナルでもなんでもない、常識や前提、「戦国の世の習い」みたいなものになっています。やだね~。だから明智も怪盗団が現れて復讐対象のケツに火がついたりしなければ「勝ってる奴が正義」の世の中で勝ち続け輝き続けて本懐を遂げられたかもしれません。しかし、そうなったとしても明智は別に幸せにはならなかったでしょう。

「決断」が悪いのではありません。人を傷つけてでも勝って、生き残って、理不尽をいつか壊すという、傷ついた明智が這ってたどり着いた正義。でも、勝って、理不尽を打倒して、それで……? 明智はそこについてあまり考えていませんでした

なぜなら、明智は復讐対象を騙して養分にし、自分のおかげだと感謝させたうえで、ほえ面をかかせて破滅させたかった、それが何よりのモチベ源だったからです。この復讐対象というのは明智を捨てた父だったわけですが、この自分を愛さない親への復讐劇は、駆動しているのが憎しみというだけで、いうたら「お父さんのいい子」でいようとする菜々子と同じです。

父に、支援をもらい、褒められ、重用され、お前が大切だと言われたい。明智は一人でダークにサヴァイヴしているつもりで、無意識に「父の評価するような正しさ」のために生きてしまっていた「お父さんのいい子」になっていたのでした。

昨年、時代的な名作となったマンガ『宝石の国』が完結しました。「誰からも愛され尊敬されたい」「父的な憧れの存在である先生に褒められたい」というメンタリティで痛々しすぎる努力を重ねてきたがどんどん孤独にヤバになってしまった主人公・フォスフォフィライトは「自分は自分の望みを知ろうとしてこなかったために的外れだった」と気付きました。2024年大河ドラマ『光る君へ』の前半で最も精神的に飢え渇いた問題人物であった藤原道兼は、不自由ない暮らしとそれなりの権力を持ちながら「父親に重んじられたい」ということに常に感情を振り回され、誰を踏みつけても依存的な限り人は幸せになれないことを描いていました。どちらも仏教的な無常観の考え方ではありますが。

親に愛され、褒められ、あるいは自分を正しく愛さなかった親や世界に復讐し自分を認めさせることを目標として立ち上がることは、一時的な仮面や松葉杖としてはとても強力ですが、しょせんは他人軸、依存的なものであり、その硬いガワの中の自分の望みを充実させていくことなしには本人の心を幸せにすることは決してありません。

8番の「正義」はそういう「これから」なアルカナであり、天田も、明智も、これからの少年でした。

 

 

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あわせて読んでよ

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「正義」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑧-1

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「正義(Ⅷ Justice)」のアルカナの記事です。下の対応キャラを見ていただいてもすごい多いせいで激烈に長くなってしまったので、今回は前編です。

歴代の「正義」アルカナのキャラ、上杉秀彦(ブラウン)、周防克哉、(伏見千尋、天田乾、堂島菜々子、明智五郎(後編))の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。現在『メタファー:リファンタジオ』を読解中です。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

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『ペルソナ』シリーズの中の「正義」アルカナ

 「正義」アルカナは1〜7番の定番キャラクター像からすると配置されているキャラクターの個性の幅がかなりとっちらかっています。ブラウンと菜々子が同じアルカナて。

これは「正義」が反対のものの釣り合いを意識する天秤のアルカナであることと、あと「正義」アルカナに2通りの番号があることにも関係しているんじゃないかなーとおもいます。

広く流通している二種類のタロットカードセット「マルセイユ版」と「ウェイト(ライダー)版」の大きなちがいは、「正義」と「力(剛毅)」の位置の入れ替わりです。古くからある「マルセイユ版」系のタロット(左側)では「正義」が8番、「力」が11番なんですけど、比較的新しく作られたウェイト版(右側)の解釈ではそのふたつの順番が入れ替えられており、「正義」は11番になっています。描かれている象徴はほぼ同じですけどね。

ペルソナシリーズにおいてはどっちなのかっていうと、アルカナ対応キャラクター描写が強化された3以降で8番として扱われている関係上今回の記事は8番にすべてまとめたけど、システム上の表記では異聞録と罪罰の正義は11番になっています。

特にペルソナ3から明確に意識されている、タロット大アルカナの順番が魂の成長過程を表すという「愚者の旅」の見方からすると、「11正義」は「8正義」に比べてより進んだ、成熟した段階を表しています。……というより、「8正義」がまだ幼い正義をあらわしていると言った方が理解しやすいかもしれません。「正義」という言葉から受ける印象にストレートな正義の大人であるのはやはり罪罰の克哉で、むしろ異聞録と罪罰両方に同じアルカナの別キャラがいるのは「正義」アルカナだけなので、ブラウンは「8正義」寄りなのかもしれないですね。

 「8正義」は1〜7番までの「価値観の学習」「守られた子供時代」を終えたすぐあとのアルカナ。

ペルソナシリーズの「8正義」キャラクターの顕著な特徴は、「失われた正義のバランスをどうにかとろうとしている、傷ついた子供」です。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「正義」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

「正義」の元型

まずはカードを見てみましょう。さっきも見たけど。

左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「正義」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。(『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版ベースのブラックジョーク盛り盛りカードに変わってます)

基本的にはカード名になっていることもある「裁判の女神」が描かれている(彼女のもつ象徴的な意味は次の項で述べます)のですが、ペルソナ版タロットの「正義」アルカナは裁判の女神そのものは描かれていません。「剣」「天秤」という彼女のアトリビュート、ブツのみに図柄をきわめてシンボル化しているんですね。そして剣の中央線を境に白と黒、白と赤を線対称の左右として強調して描いています。

「正義」アルカナの本体は左右のバランスをとることと、それらを「裁断」する剣であることを表しています。裁判の「裁」。

なんだけれども、この天秤は地についているのが剣の切っ先であったり、垂れた鎖で吊られていたり、天秤の両皿が爪楊枝のようなものでチョイと引っかかっているだけであったりとバランスゲーム危機一髪やじろべえです。なんというあやうさ。重い刃物がついてんねんぞ!

この「刃物がついてる危険なやじろべえ」こそ「8番の正義」、子供時代を旅立ったばかりの孤独な少年たちです。

 

徳性「正義」

 「女帝」にあるグレートマザー元型のようなかんじで心の中のはたらきが人物のかたちをとるのとはちょっと違って、タロットの中には「人間の意識すべき理想像」つまり「美徳」を擬人化した人物が描いてあるやつもいくつかあります。「正義」のタロットの別名にしてふつうカードに描かれている人物である「裁判の女神」も徳性の擬人化のひとつです。

この女神は「正義」を、「公正(フェアネス)」という美徳を擬人化したものですね。法治の象徴として一般的にも使われてて、『ペルソナ5』の異世界でカジノ化してすら裁判所にはこの女神の美徳の像が輝いています。

イカサマカジノ化したペルソナ5の裁判所の女神像(もう女神じゃないよこれぇ)は、「WIN」の文字のネオンが片方の皿にデカデカと乗って均衡も何もぶっ壊れでしたが、つまりここでいう正義の美徳とは司法のことだし、法の正義は「天秤の均衡」だということです。

天秤はゆれるから、永遠絶対に正しい法などなく、常にサボらずバランスを考え続けなければなりません。そして永遠絶対の正しさなどないとわかったうえで、その時その時で正邪を剣によって「裁断」する覚悟をもたなければならないのが裁判というものです。特に11番のウェイト版の「正義」アルカナは、そういうバランスの覚悟について描いています。

公正の美徳を描いた11番っぽい「正義」は『風花雪月』のキッホルの紋章のほうに強く現れてるのでそっちもご参考までに。

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女神異聞録ペルソナ ブラウン

上杉秀彦(うえすぎ ひでひこ)、通称ブラウン。高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナ使いの仲間です。

「でひゃひゃ」という底抜けに陽気な笑いとしょうもないダジャレが特徴的なお調子者の道化者。ムードメーカーで、数年後はお笑い系MC芸能人としてわりと人気者になっています。

コイツが「正義」ってマジで言ってる?

 

ゆれる天秤

 ブラウンは底抜けに明るくデリカシーに欠けるようでいて、実はとても繊細で気が小さいやつです。武器が「槍」なのも彼の「カッコよく活躍したいのはやまやまなれど、前衛のみんなのちょっとだけ後ろに調子よくついていってチクチク敵にダメージを与えたいぜ~」という気弱さのあらわれ。武器と銃の性能上、こいつを仲間にしていると自然~とそのポジに配置することになります。

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ところで、「お調子者」といえば「魔術師」のアルカナにも多く登場しましたね。ブラウンの「お調子者」はそれとはちょっとニュアンスが違っています。

運やムラッ気に左右される「魔術師」の少年たちの「お調子」とは違い、ブラウンのそれは「強きを助け弱きをくじく」「虎の威を借る狐」「自分が強者側のときはとことんデカい態度、旗色が悪くなると土下座」という周りの空気と力関係を読んでバランスをとるもの。だから軽薄でも先生や上の立場の人間には案外ウケがよく、生存戦略を展開できているというわけです。調子のいい奴。

まさしく「天秤」ですが、これは基本的には「正義」としては逆位置的な、未熟な天秤の使い方です。じつは「正義」のアルカナには「不正義」「断罪される」という意味もあって、いくら逆位置でもそこまでド真逆に振り切ることなくね?と思ってしまいますが、なぜ「正義の天秤」の考え方が「不正義」につながるのか、ブラウンを見ているとわかります。

ブラウンほど笑えるレベルの極端さでなくとも、「処世術」は「道徳」や「正義」と見かけ上似ているところがあって、われわれはしばしばそれを混同してしまうのです。しかしその精神は逆と言ってもいいもの――つまり、卑怯――だからです。

この曲すき

 

正義なき世の正義の価値は

 ゲーム本編では終盤の一瞬に語られるだけなのですが、ブラウンがこうした未熟な「天秤」の性質を強めたきっかけは中学時代に経験したいじめでした。

授業中にウンコをもらしてしまったことから「(茶色)ブラウン(こ)」とからかわれいじめられ、繊細な彼はひどく屈辱と傷を負いました。「ブラウン」というあだ名自体は諸事情で変えられなかったけれど、彼は同中(おなちゅう)の人間がいない遠い高校に進学し過剰に陽気なオモロ人間として高校デビューすることに決めたのです。

はっきりと意識的なウソとして今のキャラの「仮面」を被っている数少ないキャラクターなんですね。こういうのも元型的な大きな人物像を描く「1〜7番」のアルカナの世界とはひと味違う人間らしさかもしれません。

本当は、授業中に大便を漏らしてしまうなんてめちゃくちゃショックで、心細く、そのときの彼の心は何より守られるべきものであったはずです。もっと小さい子供が家の中で漏らしてしまってショックを受けていたならさ、親が「びっくりしたね、でも大丈夫だからね。着替えだよ。まだおなかが痛かったりする?」とか優しく介抱し励ましてくれたはずでしょ? でもそこは安心な家の中ではなく、彼はもう中学生で幼児ではなかったのです。もう人生の流れも8番とか11番だからさ……。

「傷ついた者は保護されるべき」という正義は教室の中には輝かなかった。それどころか彼は追い打ちを受けまくりました。ブラウンは、正義の味方が自分を助けてはくれないことを知りました。「戦車」のシーンで育った家を旅立った英雄は、もう安全な壁の中の教科書通りの常識に守られない海千山千の道をゆくことになります。子供時代の終わったその先――それが「正義」の世界のそれまでと違うところです。

人が正義について考え、卑怯や保身に惑いながら行動しなければならないのは、皮肉にも現実では神やヒーローが正義を示してはくれないからなのです。

「処世術」はたどり着くべき理想の答えではないでしょうが、どうあれブラウンは絶対の正義が守ってくれない世界でありものの天秤と剣を使ってサバイブしていくという決断をしました。それは確かに自分の人生に責任をもった大人への立派な一歩であり、彼はそれから先も「生存戦略」を調整し続けていけるでしょう。

 

ペルソナ2 周防克哉

周防克哉(すおう かつや)、25歳刑事。『罪』では主人公の周防達哉の兄であるNPC、『罰』ではペルソナ使いの仲間です。

生真面目で正義感が強く優秀有能。悪魔相手にも「現逮(現行犯逮捕)だ!」と言ってしまうほど。逮捕してその後どうするんだよ。シリーズ中最も一般的な「正義」アルカナらしさのイメージのど真ん中にいます。

真面目で優秀な「かっちゃん」と周りに心配をかける「たっちゃん」の兄弟というあだち充『タッチ』由来のネタとみられる関係性も、「二者のバランスをとる正義」を思わせます。


不完全な決断

克哉は今はけっこうデキるデカ(国立法学部卒)として活躍していますが、本当はお菓子づくりが大好きで学生時代にはパティシエになるため製菓学校に進むつもりでいました。

しかし達哉と克哉の父が刑事としてヤバ事件で謎の汚名を負い殉職してしまったので、克哉は早く幼い達哉を守れるようになるため、いつか父の死の謎を解決できるかもしれない日のためにも、大好きなものにかかわる夢の人生を捨ててもうひとつの道に進むことに決めたのでした。この筋書きは『ペルソナ5』の新島姉妹でもアレンジ再話されています。いや冴さんはお菓子作りの人ではないけど。

他にもカレーが大好きなのに刺激物が苦手な体質であったり、猫が好きなのに猫アレルギーであったり、弟を大切に思っているのにうまくいかないとか、好きになった女性が弟の運命の人だったりと、克哉にはなんの非もなくともなんか愛するものに近づけません。克哉の人生はそんなのばっか。

しかし克哉はそれらを内心残念に思いながらも腐らず、夢に見たのとは違う刑事の仕事も社会正義に対する責任感と誇りを持ってマジにやっています。

これは克哉が真面目善良な好人物だからでもありますが、人生は結局「自分のここがこうでなかったら」「あのときあんなアクシデントがなければ」「うまくいくところだったのに、あいつがいるせいで」という不本意な選択の連続でしかありえないのです。完全無欠な「進路」「正解」「正しさ」を選べる人生など、実はどこにもない。人は仕方無しに選んだそのときそのときの最適解の先を自分の人生として引き受けて生きていくしかない。

それが「正義」のあらわす「決断」ということの意味です。

 

人はやり直せる

克哉だけでなく、ペルソナシリーズには警察や公安、ジャーナリズムが出てきがちな伝統があるといえます。中高生の社会的な成長を描くジュヴナイルとして、これらは社会正義の価値や不完全さについて考えさせる役割を果たしています。

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『罰』において現職刑事の克哉は君子的な「法の下の正義」を担当し、公安を辞めて義侠的な「超法規的報復」の象徴であるパオフゥの正義のありようと対照をなしています。

『罰』は大人の現実的社会のつらみを描く物語なので、表社会の法律やきれいごとだけではうまくいかないことを痛感させられる場面も多いです。しかしそれでも法やきれいごとを守り続けることは価値を失わないという覚悟と心の強さで、克哉は輝いています。

超法規的な仕事人の「裁き」は法が裁けない悪を物理的社会的にサツしたり十倍返ししたりします。人に罪を着せた罪悪感にかられ、超法規的に「裁かれること」を求めて自己犠牲のうちに死のうとする人もいます。確かに、そうすれば「スッキリ」はすることでしょう。でも克哉はそれを認めず、同じ警察組織の中で贖罪のため死にゆこうとする人にちゃんと法の下で裁かれ罪を償ってほしいと言う。

それは法の裁きの目的は「スッキリ」「スカッと」などではなく、人に罪と罰を受け止めさせやり直させることだからです。

人の人生は不完全な選択の連続で、それが「正義」アルカナに含まれている教訓だとさきほど言いました。しかし、やむを得ず過ちを選択したからといって、開き直って生きていってはいけない、軌道修正ができるし、しなければならないというのもまた、「正義」の天秤の意味です。間違ったからといって、終わりにするのがいいのではない。終わらせず、向き合って越えるほうがずっと大事で、勇気がいる。それが「11正義」の、「間違いながらも覚悟と勇気をもって社会をやっていく」という意味だ。

それが、『ペルソナ5』に代表されるようにどうしても超法規的な力で世直しをすることになるペルソナシリーズに、あえて無力なように見える警察組織を登場させ続ける理由だとおもいます。また、この「間違いながらも覚悟と勇気をもって社会をやっていく」ペルソナ系社会正義のありようは新作『メタファー:リファンタジオ』のテーマのひとつにもなっています。

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【「正義」アルカナ後編】

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あわせて読んでよ

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「月」の旅人―タロットからみる『メタファー:リファンタジオ』序盤レビュー

本稿はRPG『メタファー:リファンタジオ』(アトラス 2024年)の序盤ストーリーを紹介しつつ、演出のテーマ的意図をモチーフと思われる「タロット」および今作のクリエイターチームの関わってきたここ十数年の橋野ゲーからの流れから読み解くものです。

ほかにモチーフになっている「英雄元型」「英雄の旅」についての解説も書いてたんですけど長くなり過ぎたのでそれは次回で~!!

楽しんでくれるプレイヤーが増えると嬉しいなの紹介意図で書くもののため、体験版や発売前情報の範囲を超えるネタバレは避けていますが、物語のテーマ的なネタバレは多くなっているとおもわれるので、まっさらな状態から自力で解釈を楽しみたい方はご遠慮ください。

いつも当ブログをご愛読くださっている方々には最近めっきり更新が途絶え、「ぺるたろ」の続きも上げられていなくてすみません。

「戦車」の記事でも近況をのべたのですが、まるまる半年体がカチ壊れておりやっとこさ座ってゲームができる状態まで持ち込んだため、今回の記事はリハビリ的なものとなります。みまもってね。

 

 

まず筆者は何者

 当方はしがないペルソナシリーズ好き。ペルソナシリーズをきっかけにユング心理学をとおした物語読解やタロットについて学ぶことになって二十余年、ペルソナシリーズほかユングやタロット絡みのゲーム等の読解記事とか本とか書いております。近年では『ファイアーエムブレム風花雪月』とかも。

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そんな当方がメタファー:リファンタジオの序盤はたぶん過ぎたかなくらいの感慨をのべています。

 

『メタファー:リファンタジオ』とは

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 メタファー:リファンタジオ(以下「今作」とも)は、『ペルソナ3~5』『キャサリン』等にかかわった代表的なクリエイターたちが次回作のRPGとして開発してきた、これまでの現代劇ベースとはまったく異なった完全異世界を舞台としたファンタジーRPGです。いつもとちがったかたちで現代劇とも接続してるのですが、ともかく舞台じたいは現代劇ではありません。

制作の早い段階から「ファンタジーRPGの王道中の王道」を作ることを強調し、公式サイトのドメインときたら「rpg.jp」ときたもんだ。自負がヤバすぎる。

そして、「ファンタジーなるものの真の中核」を求めた結果として、

「幻想の物語に思いをめぐらせる意味とは何か?」
「なぜ『物語』『異世界』の夢想が人の心の中にあるのか?」

という、かえって逆説的に「物語という額縁の枠組み」を疑い、揺るがせる挑戦をふくんだストーリーになっています。

 

物語序盤のあらすじ

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 ゲームを立ちあげるとデモムービーとして流れるのは、なんと王の殺害の場面です。『銀河英雄伝説』のラインハルトじみた天才青年将校・ルイが、理想を失い腐敗した王国を放置するようになって久しい王をブッスリいったのです。

おやすみ中の王を刺したところでただの罪人であり、クーデターが成功するとも思えませんが、「王が亡くなられた!」「王の魔法の継承が途切れる」とアワアワする有力者たちは「間違いなくヤッたのはコイツだろ……」とわかっているのになんとルイを裁くことができないのです! だってそれができる王権は宙ぶらりんだし、ルイの勢力は国教に迫るほど強いので力や権威で平定することも不可能です。

 一方で、王都の近くには馬車に揺られる主人公の姿がありました。主人公は10年ほど前にルイと思わしき賊に死の呪いをかけられた王子の親友です。主人公の出身地の隠れ里にかくまわれた王子はいよいよ容態がかんばしくなくて眠り続けており、もう術者のルイをヤるしかない! 国軍に潜伏していた同志と合流し、王の国葬の人ごみに紛れて暗殺を実行しようとします。

 しかし国葬では「王の魔法」が発動、王宮が空に浮かび上がって巨大な王の顔をなし、王の顔は「国民の信託を最も集めし者が次なる王となる」という選挙魔法を宣言。有力候補であるルイなどへの闇討ちは王の魔法でピピーッてされ防がれる仕組みになってしまいました!

殺して解決ができなくなってしまった王子の呪い。考えられる方策は、複雑な魔法には必ずある「設計図」をルイからちょろまかすこと。力を示してルイの身辺に取り入るため、また王となるべき王子を位につかせるため、主人公は玉座をめぐる「王権競技会」にエントリーすることになるのでした。

混迷に陥る広大な王国全土を駆け抜ける王への旅が始まります……。

 

「月」の物語

 今作は、タロット大アルカナでいえば「月」のアルカナをメインテーマとしているとみてよいでしょう。

どういうことか?

愚者の旅

今作の初期イメージ画と、タロット大アルカナ「愚者」のカードです。

制作のスタジオ・ゼロは、ロゴや初期のイメージ画をみるにタロット大アルカナのあらわす「愚者の旅」を下敷きにする気がまんまんに表れています。上画像のタイトル下にサブタイ的に書かれている"A Fool's Journey Begins"とは「愚者の旅、始まる」という意味です。

「愚者の旅」とは、タロット大アルカナ(「魔術師」とか「死神」とか)のナンバーの順番は人間の成長過程や問題解決の過程の一巡を描いたものであり、ナンバーのない(あるいはゼロ番の)「愚者」の旅人がその段階を巡っていく……という考え方です。

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それは人間の人生の場面の流れにもあてはまるし、それなりの長さを持った「旅」の物語の展開の骨子にもなります。そう、たとえば、長編RPGとか……。今作のクリエイター陣の代表作のひとつである『ペルソナ3』はモロに大アルカナのナンバーの流れを追って物語を展開させてあり、なんと夏期講習で講義までしてくれます(上動画のシリーズで江戸川先生と当方が解説しています)。

今作のクリエイター陣の関わった代表作といえば『ペルソナ3~5』ですが、「13死神」のアルカナをテーマとしていたペルソナ3に始まり、ペルソナ4は「14節制」、『キャサリン』が「15悪魔」と「16塔」、ペルソナ5は「17星」を制作テーマに置いて作られていました。

『ペルソナ5』は、タロットで言うなれば“星”の物語。ディレクター・橋野桂氏が初めて明かした、『ペルソナ3』以降の作品と“タロット”の関係とは?【特別コラム後編】 - ファミ通.com

  • 『ペルソナ3』「死神」のアルカナ:死すべき運命、限界と向き合う
  • 『ペルソナ4』「節制」のアルカナ:死の危機の後で落ち着いてさまざまな情報や視点を並べ精査する
  • 『キャサリン』「悪魔」のアルカナ:欲望と逃避と誘惑、「塔」のアルカナ:破滅
  • 『ペルソナ5』「星」のアルカナ:世界が崩れたどん底の闇の中の小さな希望

ペルソナ5は主人公たちが「トリックスター」と呼ばれ、デザインにも星型が多用されていますね。

 

「月」のアルカナ

今作は発売前は俗に『ペルソナ6』と呼ばれることもあったくらいで同じライン上に存在し、であるならば「17星」のつぎの「18月」のアルカナがテーマとなる可能性が高いと踏んでいたのですが、まさにそんな感じとなっています。

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「月」のアルカナのテーマが今作にどのように表現されているのかは、序盤が終わったくらいの今ですらメチャメチャに語れます。

闇の中の希望のラッキー・スターであった「星」のアルカナの次を歩む「月」のアルカナの意味するものをまず一言で言うと、クリエイターズメッセージで橋野氏が言う通りの「不安」「恐れ」です。

これが「月」のカードです。

守られた砦を出て、野犬などの生き物が徘徊する広大で不明瞭で危険な荒野を行こうとするあなた。夜は暗く、道は曲がりくねり、月は冷たく見下ろしているばかり。月は人の内面の影の部分をあらわす天体です。見る者によって、時によって、そして心の状態によっても見え方が異なるふしぎな光でもあります。

今作の空気中に漂う不安のエネルギー「マグラ」はこのカードの月の下に漂うヒラヒラの雫を思わせます。この雫は右のマルセイユ版タロットでは人の想像力をあらわしているともいわれ*1、それを吸い上げ太る月は町中のマグラ集積機やマグラ結晶、雫を食べる犬たちは序盤から出てくるマグラによって恐化した野犬や軍用犬たちによってなぞらえられています。

先行きの暗さと見通しにくさが恐怖を増幅し、疑わなくてもよいものを疑い攻撃すべきでないものも警戒する狂気を育てる、過ちと変容に満ちた旅立ちのときを示すカードです。ひたすらにあっけらかんとした「愚者」の旅立ちとは、見える景色が違います。

旅の道に踏み出そうとしても不安のあまり慣れた暗い水の中に留まろうとしてしまう小さなザリガニは、あなたの弱さと、進歩への不安と退行を象徴しています。しかし、ザリガニは脱皮して成長することもできるものです。たとえ何度逃げて間違っても……。

タロット大アルカナ21枚の中でも、最も「薄暗い」「複雑微妙」なカードであるともいえ、世の中一般としてはなかなか物語のメインのモチーフになることは少ないのではないかとおもわれますが、それだけにアトラスらしいやりがいのあるテーマです。

(ちなみに、『ペルソナ2罪・罰』はたったひとつのメインのアルカナ……とまではいかなくても「月」アルカナがかなりフィーチャーされていたストーリーでした)

 

序盤からいきなり後半

 詳しくは「愚者の旅」の項のほうに貼った動画の江戸川先生の夏期講習などを見ていただきたいのですが、愚者の旅は
1~7番くらいは幼児から少年のすこやかな成長と旅立ちのターム
8~14番が自分と社会や理想と現実のバランスをとり大人になっていくターム
15~21番は社会とかを超えて「本当の自分の生き方」を実現していくまでのターム
を描いています。

『ペルソナ3』では学生の成長物語らしく「1魔術師」から律儀に愚者の旅をなぞっていたのですが、『ペルソナ5』くらいになるとオープニングがすでに「勝ち目がない閉塞した状況に囚われる」という「12刑死者」を意識した緊張から始まります。

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今作のテーマをあらわす「月」は21番まである大アルカナの中でも18番と、か~なり終わりのほうなので、序盤から「ワクドキの旅が始まる♪」とか「若者の伸びやかな成長♪」とかお気楽なことは言ってません。オープニングから王が死んで王宮がブッコ抜かれ社会のコトワリが変わるという、タロット大アルカナでいう「16塔」の状態。

現代社会を舞台としているこれまでのペルソナシリーズにあるあるの「なんとなく閉塞感をおぼえながらも、裏で起こっているヤバを知らずに平和に過ごす一般民衆」など最初からいなくて、みんなアワアワのもうだめ世モードです。そのへんに普通に死体も転がっとる。

ペルソナ3であれば3学期、ペルソナ4でいえば町が常に霧ってるようになったあたり、ペルソナ5なら獅童撃破後のような世界にいきなり叩き込まれます。じっさいカレンダーの季節感も学生生活ベースのペルソナ3~5でいう「わりと明るい序盤」にあたる4~6月がなく、7月からの風雲急を告げる秋冬に向かうところから始まっています。

 

危険な荒野をゆく

 ペルソナシリーズは精神がつくる異界を冒険するとはいえベースは現代日本なので、まったくの自然や普段から怪物の巣窟である人里離れたダンジョンを探索するという要素はほぼありませんでした。そういう「ファンタジー冒険物語」の王道の醍醐味をたっぷり搭載してきたのが今作となります。というか、むしろ現実ベースの舞台を冒険することになるほうが『メガテン』や『ペルソナ』の特別な強みなのであべこべな感じなのですが……。

王都の外には広大な「トラディア砂漠」が広がっており、ここから主人公を自由に動かせるプレイング部分が始まるのが象徴的です。自由に動かせることは動かせるのですが、ちゃんと感情移入しているなら「よっしゃまずスライムで経験値稼ぎをしてェ……」とかいう場合ではない過酷な雰囲気です。弱くてたった一人で大自然の中では丸裸同然の主人公は、とほうもなく遠いように見える王都へ野生動物たちをヒエーと避けながらオロオロ走っていくことになります。

堅固な壁で囲われた外は危険生物の徘徊する荒野であり、文明を離れて冒険する旅人は弱っちい生き物にすぎず、チョコマカ逃げ惑い相手の隙をうかがいながら進んで行くしかないというのは「月」のカードの絵面の再現です。トラディア砂漠に徘徊してるのも野犬の群れだし。

盗人をやってた『ペルソナ5』同様に、今作では相手が気付いてない背後を突いたり戦いを避けたり嘘こいて潜入したりという誉れ(ゴーストオブツシマ用語)も何もあったもんじゃない戦法が推奨されており、混迷の中で弱者が身をよじるっていうのはそういうことなのだという現実的な戦い方が表現されています。

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序盤が過ぎると鎧戦車(がいせんしゃ)という街宣車とかけたデケェ乗り物でひとまず荒野の移動は便利になるのですが、それでも夜は問答無用で進んではいけないとか、うろつく怪物たちの気配を警戒しながら……とか、毎度毎度のナレーションが「月」の危険な荒野の前では本来人間なんてちっぽけなのだということを強調してくれます。

 

不安、疑心暗鬼、危険

 最初から世界がわりとブッ壊れていることによって、今作の全体には秩序は信じられるものではなく、誰もが社会不安といいようのないフラストレーションを抱え、そこからくる狂気・奪い合い・酷薄が蔓延している「月」アルカナそのものの空気が漂っています。

硬直した秩序が壊れ(「16塔」のアルカナ)、何もかも失った暗闇にひとすじの希望の光(「17星」のアルカナ)があっても、そんですぐに自分の生き方の答えにたどり着けるかって言ったらそんなワケがありません。既存の秩序が信じられるものではなくなったということは、判断基準を自分で作っていかなければならないということ。子供が正しい大人から判断基準を教わるのとは違い、絶対に「もうなんもわから~ん!」という困難な暗中模索をすることになります。

しかも暗い中でさ迷ってるとさー、もちろん陰にまぎれて人から奪おうとするやつもいるし、暗いとこで混乱しながら誰かとぶつかると、その人がなんも悪くなくても「攻撃された!」「自分から奪おうとしてるんだ!」って思いこんだり、過去の恨みが関係ないやつに対して爆裂したりするんだよね。

でも怖くて恨めしくてメチャクチャに腕を振ったら、よく見たら罪もない子供がペチョ……ってなってるかもしれないんだよ。傷つけられることも危険ですが、取り返しのつかない傷を思わぬ誰かにつけてしまう危険もあるのが夜の闇。それで「自分はもう悪いことをしてしまったんだから」ってやり直せないと思って心を閉じたり……。

それが恐ろしい「月」の旅のみちのりです。今作では、誰もがその旅路に投げ出されています。

 

八つの種族、八つの星

 タロットの「18月」のカードの前には、『ペルソナ5』のテーマでもあった「17星」のアルカナがあります。

タロットの終盤段階のカードにはかなり強めの連続性があり、「16塔」で信じた社会秩序が崩壊したのちに、身を守り光ってた塔がない真っ暗闇ゆえに「17星」の小さな希望が見えるようになり、「18月」で希望を追い育てる危険で薄暗い旅をゆくことになる……という感じです。

今作の仲間キャラは能力覚醒の際に、天の声から「王道を照らす輝ける星よ」と呼びかけられています。伝統的構図のタロットの「星」のカードに描かれる星はたいてい八つの輝きのトゲトゲをもつ八芒星で、八つ

主人公の旅の仲間は基本「全員が違う種族」だそうですし、主人公のエルダ族のような少数種族でない王国の主な種族は八つ、鎧戦車の作戦室の円卓も八芒星型。

仲間の一人は永久欠番となるので、主人公を入れて最終メンバーが八人だとするならば、すべての主な種族から主人公の王道を照らす星が出ることになります。

 

惺教

 今作の舞台となっている連合王国では「惺教(せいきょう)」なる宗教が国教とさだめられており、もはや王の権威を飲み込まんばかりの勢力をほこっています。

「星」のアルカナや八芒星の象徴が主人公の王の道を助けるものという話をしたあとだと、「惺」という字の「心の星」という漢字のつくりはステキにも見えます。しかし、惺教はゲームの時点ではあんまり社会にとっていいはたらきをしてないですね……という「限界」として描かれています。

惺教の教義は、「人間は生まれながらにして心に罪を負ってるので、ウダウダ言わず神に祈り許しを請いなさいよ、そうしたら安心だから」って感じのものらしいです。

祈りの文句である「コージュラ」は、使われ方のニュアンスからするに「神よ、許したまえ」みたいなのが近いでしょうか。

祈りのポーズはこんな感じ。

目を伏せ、自分の心の闇に閉じて謙譲の礼をとるのみならず、おびえて身を守るように顔を覆い、他を寄せ付けない手のポーズです。うわーんイヤーッ(´;ω;`)のポーズ(ちいかわ?)。

ハァーッ、仏像がハンドサインで恵みを伝えるように象徴的な手の動きってのはすごいね、いろんなことを詰め込めるんだ。

希望を追って「月」の危険な旅をゆく者たちと惺教の祈りにすがる者たちを対照的な表現だと考えるならば、これは少なくとも今はまだ危険な心の旅に出ることができない弱い者たちがひとまずの安心を求めている……というだけではない、複雑で現代的な意味もあらわしているようにおもいます。

現代社会にも作中世界と同様にさまざまな根深くキツい問題が存在し、それと戦ってもがく人も少なくないですよね。えてして社会問題の解決には「絶対の正解」などなく善意でがんばっても主張に欠けるところは必ずあり、誰かに誹謗されたり誰かを傷つけたり普通にやりすぎたりすることもあります。「正義の暴走」とか「これだから活動家は怖い」とかの言葉を聞くと、それが自分に向けられたものでないときでさえ「間違いたくない、矛盾したくない」「正しさを求めず、他人にはたらきかけず、中立で穏やかに祈ることこそ『正解』なのではないか」と委縮してしまう。そしていつしか社会通念の中で「難しい社会問題」に対しては沈黙が常に金とされるようになる……。

そして、「自分は罪あるものだって自覚して、そんな罪ある自分にはたいしたことはできないのだからおとなしく祈るのが最も正解」という考え方を下々が持っていれば「オカミ」が何をするにも超便利~♪というわけです。オカミのすることしないことで下々に凶事が起ころうとも、むしろおめーらの祈り方が足りないせいとか、分断した社会グループ(作中では種族)のどれかの厄介者たちのせいとか言っとけばいいのですから。

「黙って祈ってればなんかうまいこと救われる」というのはもちろん幻想、夢物語、現実逃避です。「惺」という字のつくり、「心の星」とは人の心に眠る幻想や、輝ける英雄像のことでもありますが、惺教のありようは「幻想をどう使うのか」のひとつの(あまりよくない)例としてテーマを際立てています。

幻想は無力どころか、現実をとらえ直し戦う力にするのに使うこともできるし、人を盲目にさせ理不尽な支配を行う道具にすることだってできる……。

 

星は月へ、そして夜明けへ

 タロット大アルカナの終盤、「月」のカードの周りは強めの連続性があると言いましたね。

「星」の暗闇の中の小さな希望が、惺教の項で述べたような逃避的な使われ方にとどまることなく歩き出して、「月」のおっかなびっくり危険な旅路を迷走しながら進んだ先に迎えるのが、「太陽」……夜明けです。

この天体の名前のアルカナ三連続は人の精神の輝きがだんだんと上昇していくさまをあらわしています。

主人公の人間パラメーターを表示する図形は「星」アルカナがテーマのペルソナ5だと五芒星型であらわされててたいへん秀逸でしたが、今作では主人公の頭の中身が水平線からのぼる夜明けの太陽の輝きになぞらえられています。苦しく気長な「月」の旅の果て、主人公の王の資質といういまはまだ見えない太陽が世を照らすのです。

スゲー!! テーマと象徴をシステムとUIにめちゃくちゃからめて図示してくるじゃん!! これが『ペルソナ3』以来のシナリオとシステムを有機的に融合させる美しいユーザーインターフェースの面目躍如ですよ!

(あと、イベントを進めるために人間パラメーターが必要になるっていうのは『ペルソナ3』以降の定番として、それに「王の資質を鍛える」っていう意味がついているのが個人的に『ネクストキング』で良い)

「国民の信託を最も集めしものが次なる王となる」って銀河万丈が言ったとき最初「ネクストキングってことじゃん」て反応したもんな(女にモテるやつが次の王様になるんじゃ!)

 

次回は今回字数的に入らなかった「英雄元型(アーキタイプ)」「ユング心理学」にもとづく「英雄の旅」元型の解説と今作の表現との関わりの読み解きを書いていきたい~

現在一周目を味わい終わりまして、タロットや心理学や物語元型の面などから味わいポイントを解説しつつ二周目を進む読解実況をやっています。ご興味ある方はぜひ

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「月」アルカナをメインテーマとした物語はけっこう珍しいんですけど、近年ちょうど『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』の黄燎ルートがまさにそれで今作もかなり同じ話しとる!と思うところが多いので「月」のテーマに興味がある方はこちらもオススメ。

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↓おもしろかったらブクマ、「読者になる」をもらえると今後の記事のはげみになるです。

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あわせて読んでよ

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*1:井上教子著『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)210頁

「戦車」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑦

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「戦車(Ⅶ The Chaiot)」のアルカナの記事です。歴代の「戦車」アルカナのキャラ、稲葉正男(マーク)、宮本一志、岩崎理緒、アイギス、里中千枝、坂本竜司の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。今回の記事では『4』『5』で指定されたことのある公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

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『ペルソナ』シリーズの中の「戦車」アルカナ

 ペルソナシリーズは第一作『女神異聞録ペルソナ』からタロット大アルカナになぞらえてキャラクターをデザインしてきました。特に一作で大アルカナすべてにキャラクターが当てられるようになったペルソナ3以降は「今回の〇〇アルカナ枠」みたいな「キャラ枠」の見方をすることができるようになってて、ある程度役割の文脈をみることができます。戦隊ヒーローで赤がリーダー主人公みたいなやつ。

その「役割の文脈」の中で、RPGらしい若者の血気盛んな向こう見ず挫折と成長を担当するのが、「戦車」アルカナのキャラクターです。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「戦車」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

「戦車」キャラはそれこそ戦隊ヒーローものなどの「ニチアサ」世界、低学年向け少年マンガの主人公のような誰もが慣れ親しんだキャラづけです。そういうわけで、思春期より後の「高二病」なちょっとヒネった世界観がウリのジュヴナイルであるペルソナシリーズにおいてはプレイヤーよりやや幼く「あいつが突っ走るからフォローしてやらなきゃ、やれやれ」って状況を作るような重要な役割を担ってくれています。俺らがやれやれして幼かった自分を客観視していくために「戦車」がすげー音をたててオーバーランして大破してくれるんだ。

ペルソナ主人公がちょっとダークであったりクールな格好良さの「ブラック」ならば、「戦車」キャラは愛すべき単純なおマヌケさをもったヒヨコのような「イエロー」です。実際、ペルソナ3,4におけるシャドウのアルカナを表す仮面もイメージ通りの黄色をしています。

 

「戦車」の元型

 まずはカードを見てみましょう。

 左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「戦車」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。(『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版ベースのブラックジョーク盛り盛りカードに変わってます)

かなり構図が決まっているカードですね。共通して描かれているのは二頭立ての戦車に乗った立派な鎧兜姿の英雄晴れた屋外で、戦車には豪華な天蓋がついています。一族に期待された若者が出征するか凱旋しているのでしょう。先ほどイメージカラーっぽいと述べたイエローが多く使われているのもわかるとおもいます。このイエローは黄金色、神の祝福をあらわす色です。

ただ、この二頭立ての馬車、逆方向に走ろうとしている馬相反する色のスフィンクスが動力だわ、よく見たら手綱や軛(くびき)がついてないわ、マルセイユ版にいたっては車輪が横向きについているわでとても実用的な戦車とは思えません

この「戦車」は、儀式用のおみこしかオモチャのゴーカートか何かなのでしょうか?

「戦車」の段階が意味しているのは、この神がかった不思議な戦車での勝利の一幕、それによる子供時代の完結です。

 

英雄の旅

 タロット大アルカナの中でも「最初のほう」、つまり1番~7番くらいまでの段階のカードは特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)が描かれていてわかりやすく個性的なため、『ペルソナ』シリーズの仲間キャラクターは伝統的にこれらの神話的な元型から作られています。パンチがきいてて誰にでもわかりやすいからな。

「戦車」のアルカナが特にあらわしている元型は、そのものずばり「英雄」、あるいは「英雄の旅」と呼ばれる物語類型です。

特別な輝きをもった子供が故郷を旅立ち、勇者として戦い、勝利して何かを獲得して喝采を受けるという、世界のどこにも古くから見られる、ロトシリーズ的な王道の物語。孫悟空やヘラクレスやペルセウス、まさに「元型」の代表的なもので、「戦車」アルカナにはこうした英雄のペルソナが多く属しています。

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 英雄の要素として、輝く若者であり、苦難を乗り越え、何かを達成(アチーブメント)する必要があります。

ペルソナ3以降に特に強く反映されているタロット大アルカナの1番~21番を魂の成長の1サイクルとみなす「愚者の旅」の考え方では、さらに7枚ごとの3段階にテーマが分かれています。その最初の段階のラストのカードがこの「戦車」です。

これまで記事で見てきた「1魔術師」「2女教皇」「3女帝」「4皇帝」「5法王」「6恋愛」はいずれも神話的な濃いキャラクター像(元型)や物語類型をあらわし、ペルソナシリーズでもメインキャラに据えられやすいと述べてきました。この最初の段階は歩き始めたばかりの子供の魂が先生に教わりニチアサを見るがごとく、世界の基本的な摂理や美徳を学習していく義務教育的な段階です。

偉大なものたちに学んだ子供は、学習したことをもとに「6恋愛」で自分の好きなものごとを選択し思春期を迎えました。選択に一歩を踏み出し一人でお家(楽園)を出て、進研ゼミでやったやつをうまく生かして初陣を勝利で飾る成功体験……それが「7戦車」の一幕なのです。

少年ジャンプ作品の連載前の読み切りや、旅立ち編の第一部が完!したときの「俺たちの旅はこれからだ!」という状況ですね。なんだか打ち切りみたいですが、本当にこれからなんですよ。

ただし、「旅立ち編のあたりは面白かったのにな~」とそのうち失速し打ち切りになってしまうマンガの多さが物語るように、「戦車」の若者のエンジンは不穏な挫折の響きを含んでもいます……。

 

『女神異聞録ペルソナ』稲葉正男(マーク)

 稲葉正男(いなば まさお)、通称マーク。主人公のクラスメイトでペルソナ使いの仲間です。

見ての通りB系ヒップホップでストリートファッションな少年で、リュックに入っているのはグラフィティ(落書き)アート用のスプレー。

 

走り出す勇者

 マークはグラフィティアートという不法行為グレーゾーンな趣味だし、ストリート系チームを率いているいわゆる「チーマー」だし、短気でカッとなりやすい直情径行あまり頭が回るタイプでもないし言葉遣いも荒いしで、ちょっと怖い不良のようにも見えます。

しかし、その実強い正義感と行動力とまっすぐな優しさをもった熱い男です。だからこそ理不尽や不正義に怒り、ノータイムのフリースタイルで弱い者を守ろうとし腐敗した大人を告発するようなカウンターカルチャーを好んでいるのですね。優しいいい子のように見られるのはイヤだという照れもあってわざと荒っぽい態度を選択しているところもあります。軽率なアヤセとはまた別の首つっこみ型トラブルメーカー。こうした人物像は『ペルソナ5』の竜司にそのまま受け継がれています。

そのため、クラスメイトたちにはおおむね裏表のない「いいやつ」みたいな好感を持たれており、人間関係は良好。ファッション的な信条で反抗的な態度ではありますが、根はとても優しく、入院がちなクラスメイト・園村麻紀に学校からの届け物などよく気遣って見舞っていて彼女に淡い恋心を抱いています。「社会から忘れられた神秘のお姫様」であるマキちゃんの真の美を見抜いて憧れ、守護し、お姫様の閉じ込められているお城を訪ね外の話を聞かせるマークはおとぎ話の若く純朴な英雄像です。

まあマキちゃんはおれのことを好きみたいなんだけどな。すまんなマーク、このゲームの主人公はおれなんだ

南条くんとは犬猿の仲です。「法王」である南条くんは知識と先例にのっとった理論派でどっしりと落ち着きがあり、思い立ったら即ダッシュしようとする「戦車」のマークからすると常に上から目線でお正論ばっか唱えていて自分の行動に嫌味なケチをつけてくるように見えます。役割的にブレーキとアクセルである彼らが相克するのは当然です。なかよくけんかしな。

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腰の重い大人世界への反発心をバネにして、大人には決してできない身の軽さで、「戦車」の英雄はロケットスタートして誰かを助けようとします。

 

稲葉さんちのマーくん

 マークは他の人物には「稲葉」と呼ばれることが多く、「マーク」という通称は通称っていうより「自称」です(異聞録のあだ名システムはほとんどがそうで、それぞれの「装っている自分像=ペルソナ」を表しているのですが)。

まさおでマークってマしか合っとらんやんという感じなのですが、実はこの自称、彼の過保護な母親が「マーくん、マーくん」と呼ぶことに反発してカッコよくひねり出したものなのです。どうせカタカナ名前なのですから関係のない名前を名乗ったっていいところを、子供のときからのコンプレックスを土台にしてありたい仮面を作り出すのはいかにも「ペルソナ」シリーズらしさです。この次の「正義」アルカナのあのヤローもまた……。

マークの家は「イナバクリーニング」という町のクリーニング屋をやっており、まあそれなりの太さの実家のようです。しかしマークは継ぐ気とか全然なく、むしろ「グラフィティアート」「ヒップホップ」という彼の志向するものはクリーニング屋のイメージとは真逆の「グランジ」「汚し」「反抗」の世界です。マークのスプレー缶はクリーニング屋という、なんにも悪いことはないけれど優等生っぽい白さとどことなく所帯じみた平凡さをまとった家業、「お母ちゃんが守ってあげる、家にいて手伝ってほしい」と言う母から飛び立つために知らず知らずたどり着いた翼なのです。安全な故郷を力強く蹴り出すための反抗の翼

マークはグラフィティアートにもプライドと美意識を持って「ただの落書きとは違う」と言っており、高校卒業後は渡米してグラフィティアートを極めプロフェッショナルになるつもりです。一見ノリの軽そうな「イマドキの若者」に見えることで表面上似ている「魔術師」のアヤセが将来何をしたいのか考えていなくて不安を感じているのとは違った、具体的な手段を含んだ夢の見方です。

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「ヒップホップダンス」というのもまた、芸術的センスや美しさというよりも自分の体を自在に大きく鮮やかに操作する力で魅せて誇るおもしろさが大きいものです。親や社会の言いなりではない、自分で自分の人生の手綱をとる者として、マークは独り立ちしたいのです。

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『ペルソナ3』宮本一志

 宮本一志(みやもと かずし)、高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

最新のリメイク『リロード』では運動部は陸上部に限定されてしまいましたが、陸上部か剣道部か水泳部の期待の次期主将候補です。剣道部だと「宮本一志」って名前が一番よく映えるから剣道部バージョンの宮本飾っとくね。

 

英雄の星は燃え尽きる

 宮本は「いわゆる部活で強い高校生男子」そのもの。もはや顔さえ見たことあるレベル。小さい頃から体格や運動神経に恵まれていてスポーツが好きで、部活一本バカで単純でカラッとしたやつです。高校日本一を目指すことも夢物語ではないくらい大会でも結果を出していて、かつ、なんか格が違う感じの主人公が部に入ってきて「お前には完全に負けた……」となっても嫉妬したりせず明朗に競い合ってもっと強くなるぞ!と思うことのできる、たいへん気持ちのいいスポーツマン

きっとこれまでの宮本の人生は、「練習する→つらくても練習する→強くなる!」という一次関数的な努力と達成を中心にできていたのでしょう。ねじくれていない「戦車」的な「単純だけどさわやかで素直で、腹の底からいいやつ」というのはそうした健やかな幼少期から生まれます。しかし、がんばったら報われる世界観が続くのはせいぜい青年期まで。

宮本はヒザの故障をし、日本一の夢のために走る道の途中で突然脱輪し、それまで順調に成長し意識もせずに操縦できていた体を動かせなくなってしまいます。

日本の中高生の運動部での故障って、事故みたいな特別なことがなくても常にロシアンルーレットのようなもので、「若いんだから身体なんか壊さないはず、壊しても治るはず」「今は無理してでも頑張らなきゃ」という若さへの過信と短慮がある限り、いつでも誰にでも起こります。宮本のように「このぐらい大丈夫だとちょっとの無理をした」以外には何も悪いことをしていなくても、「もう歩けなくなるかも」レベルのことは理不尽に降りかかってきます。この世は「悪い奴にはバチがあたる」「がんばれば強くなれる」という単純な公式ではできていない。「戦車」の若者はそのことをわが身で知って衝撃を受けます。

「戦車」のカードは成功や戦勝だけでなく、若者の単純な「友情・努力・勝利」の直線世界観が挫折するときを表してもいます。

 

 戦車を飛ばして走ってきた直線道路で突然脱輪、足を壊し、走破計画が狂っても、宮本は「日本一になる」を諦められません。「日本一になる」のゴールは、事故で足を壊しつらいリハビリを怖がって歩き出せない甥っ子を励ますためにした約束だったからです。

宮本はまた、故障について自分がどれだけ問い詰められてもダンマリを続けますが、秘密を共有する主人公にまで嘘をつかせそうな状況になったときに潔くゲロります。「戦車」の若者は、自分が痛いとか苦しいとか犠牲になるとかでは全然くじけません。いつも誰かのためにがんばることができます。勇者、英雄とはそういうものです。

しかし英雄である宮本は若さゆえ、その曇りのない強さゆえに、まだ理解できていないことがたくさんあります

たとえば、彼が周りの人を大切に思い、守るためにがんばりたいと思っているように、周りも彼をそう思っていること。

彼がたやすく燃え尽きてしまったら、彼の代わりはいないこと。

そしていまどきはもう、一人の勇者の星にすべてをまかせるなんて流行んないってこと。

かかってねーんだよそんなん。でもおれやみんなが「そういうことかよ」って言うのは、大会がどうこうとかよりおまえの生き方を尊重して支えてやりてえって思ってるからだ。

 

根性、まっすぐ一つの志

 宮本は家族や仲間が自分を案じていてくれること、自己犠牲でゴールしてそれで終わりってわけじゃないことを骨身で感じ、自分はどんな戦いを真にすべきなのか考え深めていきます。

宮本の、そして「戦車」らしいモットーは「根性」という言葉です。

体育会系の根性論は現代ではわりと否定的な文脈で語られます。根性で限界を超えてがんばればうまくいくなんておめでたすぎる想定で、それで成功しても運良く無事だっただけ。苦しいばかりで非合理的なことや、壊れて元に戻らないもののほうが多いと。実際、今まで根性一辺倒でなんとかしてきた宮本は壊れてしまい、今までと同じ「無理をする」作戦では事態を打開することはできません。

しかし、学生がスポーツや勉強に取り組むことで身につけるべき「根性」の力、「戦車」の真の力の本質とは「心身への無理な負荷に耐えること」ではありません。「困難にも諦めず、ねばり強くやり遂げること」だとおもいます。簡単に諦めずに目標にトライし、コツコツと積み上げることで自分をより強いものへ成長させる繰り返し。宮本は「甥っ子を励ますため来年までに日本一になる」という目標ばかりを見ていましたが、「自分自身の膝の治療を乗り越えることで甥っ子を勇気づける」ということももっと根性のいるねばり強い戦いだと気付きました。

リハビリは、練習したら速く強くなれてすぐ報酬が得られる華やかな努力とは違う、成果のわかりづらい苦しい戦いです。自分のできなさや弱さとも向き合わなければならない。でもその先にしか達成の未来はない。それこそが、真に「根性」を試される、本物の勇気のいる戦いではありませんか!

子どもにとって大切な成功体験とは、なんでも褒められることではありません。諦めず頑張った達成を喜ぶ経験を積むことによって、「自分ならやれるはずだ」という自信がつくのです。その姿を見せることこそが、最も甥っ子を奮い立たせる宮本の日本一の根性であるはずです。

英雄

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『ペルソナ3ポータブル』岩崎理緒

 岩崎理緒(いわさき りお)、高校二年生で女主人公編の女子運動部(テニス部とかバレー部とか)のチームメイトで二年生リーダー。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

女主人公編にあたって宮本の代わりに後からつけられたキャラですが「女版宮本」というわけではなく、別視点から「戦車」を描写しています。

スタンドプレーヤー

理緒は真面目で競技も好きで、部活をやってるからには勝ちたいし腕も磨きたいと思っています。しかし、部全体の雰囲気がユルめでほかの女の子はみんな「そんなゴリゴリ頑張らなくても楽しくやろうよ」「部活ばっかじゃなく息抜きに遊んだりしたい」という感じなので、肩をいからせてやる気まんまんの理緒は引かれ孤立しています。

(メガネの女バレ部員にも立ち絵くれよ)(ちなみに夏紀ちゃんのツインテ不良友のマキにはP3Pで立ち絵ある)

チームなのに理緒ばっかりマジで、理緒ばっかり檄を飛ばして、理緒ばっかり「リーダーの私が引き締める!」となっており、実力を固めるための基礎練ばかりで試合して遊べず楽しくない。宮本の英雄的自己犠牲の別側面、「戦車」のスタンドプレー、ワンマン社長ぶりです。スポーツに限ったことではなく班学習とか学級運営とかでもよくみられますが、突出して優秀でやる気があって、でも周囲をやる気にできるような調整リーダーシップがあるわけではない若者ってこうやって空回りに苦しむんですよね。あるある。ぼくもそうだった(隙自語)

そういう空回り優等生は別になんも「間違っては」いないのですが、精神がまだ能力と釣り合うほど大人ではないので、周りのことがちゃんと見えません(周りだって子どもだからおあいこなんだけどね)。理緒が「頑張れば全国だって行けるかもしれないじゃん」「みんながリーダーに推薦してくれたんだからみんなを叱咤しなきゃ」と思っていることは確かにたいへん「正しい」ことです。でも「強くなったり勝ったりよりもみんなと仲良くスポーツしたいだけ」「部活に青春のすべてをかける!とかじゃなくてプライベートを含んだ学生生活を楽しみたい」という他のみんなの考えだって、間違っていることがあるでしょうか? 学校の部活動としては、どちらも正しい目標じゃないですか。部活がどうあるべきかの答えはそのときどきで違い、いつも二つの目標のバランスを考えないといけないんだ。

理緒ははじめ自分にナイショで部活をサボって合コンに行ったりする他の部員を理解できず軽蔑し、「面と向かってはっきり言わずコソコソ隠れてサボるのが腹立つ」「悪いのは向こうだからこっちから仲直りする必要ない」みたいに言います。理緒はいつもストロングでタフです。言いたいことがあったら言う、やるとなったらちゃんとやる。でもそのストロングな世界観は「はっきり言えないような意見には価値がない」「やるべきことをやらない奴が悪い」という息の詰まる、ときに危険な考え方と表裏一体です。理緒もいつも怒ってるみたいで怖くて、「私は間違ってない!」と態度を和らげようとは考えもしない。そういう空気を察して他の部員は理緒から遠ざかり、ますます部活は崩壊。

 

じゃじゃ馬乙女心、理の緒

 「理緒」という名は、彼女の強い理性で人生の手綱をとろうとする性格を暗示するかのよう。「手綱をとる」はまさに「戦車」のキーワードですからナイスなネーミングです。

ただ、「戦車」のカードは馬(?)に手綱がつけられていません。この馬(?)は白と黒の心、人の心のもつ性質の異なるエネルギーをあらわし、それらの「じゃじゃ馬」をうまく操って車を前に進ませるには直接的な手綱のとり方ではない何か不思議の技が必要なのだということをこの絵は示しています。人の心は明快さや強さだけではなく弱さやユルさや「遊び」を含んだもので、手綱を強くピンと張ることばかりでは動かない。「強い」理緒はそのことをまだ知らず、部活のチームという「車」を空回りさせていたわけです。

理緒は部員たちに「なんもわかってない、恋愛したこともない人にはわからない」と言われて不可解と悔しさをつのらせます。理緒は幼馴染の友近(男主人公編の「魔術師」コミュキャラクター)のことを実は恋愛的に好きであることにコミュの中で気付いていくのですが、その恋のストーリーラインの起点であるこのコミュランク4→5のつくりは秀逸です。

友近は「色っぽい大人の女性スキ~♡」つって女子運動部の顧問である叶先生に恋しケツを追っかけまわしており、それに理緒は何のために好きなの?」という朴念仁ここに極まれる歴史的リアクションを返します。「〇〇を達成するために今は△△を頑張る」という操縦的な人生観のみに生きていなければとてもこのセリフは出てこないぜ。これは部員も怖くて逃げる。

そして叶先生は顧問なのに部にほぼ顔を出さず競技ルールも知らず、結婚を考えているパートナーある身で生徒である友近を惑わして楽しんでおり、理緒が腹を立てる「恋愛脳」的非合理ユル楽女子の悪しき象徴のような存在です。つまり叶先生は理緒にとって「こうはなりたくない自分像」、シャドウであり、しかし理緒が好きな友近はそのシャドウに恋をしているというのです。世界、理緒がいくら頑張ってもどうにもならなすぎる~。

しかもそんなど~しようもない女を好きな友近なんてスパッと切り捨てちゃえばいいのに、それができず嫉妬などの嫌な気持ちにも整理がつけられない。宮本が動かない自分の脚に気付いて弱さと向き合うことに苦しんだように。理緒は思うように動かない自分の心に気付いて苦しみます。これらはしくみ的に同じです。

宮本の葛藤では「本当の強さ」「本当の根性」のあり方が描かれていましたが、理緒の場合は「戦車がまた走るようになるとき」の姿が描かれました。理緒が友近への恋心を自覚すると同時にほぼ失恋し、叶先生のことまともに見られないょ(´・ω・`)……という姿を見せたとき、部員たちは無意識にそのトゲつき鎧の落ちたショボン肩を瞬間察知して「自分たちも悪かったと思う」と謝ったのです。

その後部員たちは恋のつらさを知るにいたった理緒の恋バナでどったんばったん大騒ぎして距離を縮めることになったのですが、これは「女子は恋バナで盛り上がるのが好き」というだけの問題ではありません。理緒がよく訓練した白い馬だけでなく黒いじゃじゃ馬、思うに任せない弱く不合理な心を認めたからこそ、「戦車」は円滑に走り出すようになったということです。女主人公編の「もうひとつの戦車コミュ」ならではの、しかし「戦車」アルカナにとって重要な示唆です。

 

『ペルソナ3』アイギス

 アイギス、顔は金髪碧眼のたいへんな美少女のように見えペルソナ使いの仲間となりますが人間ではありません。シャドウの力を利用する研究の中「対シャドウ兵器」として開発された文字通りの「戦車」七号機であり、最優のラストナンバーです。当然タフで、まっすぐで、忠実。足が手塚治虫(足首がない)でかわいい。

「命の答え」「死」をテーマとするペルソナ3において、他とは「命」のあり方が違っている存在としてカギになるキャラクターです。「死ななければ命ではない」のか? そのあたりのテーマについてのアイギスは「永劫」アルカナとして描かれています。永劫アルカナについては↓こちら↓もどうぞ。

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矛盾する命令

 暴走シャドウ殲滅と人類の守護を目標としたアイギスの「姉妹」機たち、最初のほうのナンバーはマジモンの戦車型であったらしいのですが、ラストのアイギスにいたってついにシャドウに完全に対抗できる力・ペルソナを安定搭載することになりました。

つまりそれは「心」「精神」を搭載しているということです。人間にかぎりなく似た高次の精神を搭載するためにアイギスは実在した少女の人格データをベースにデザインされ、人型に作られ人とコミュニケーションをとる機能をつけられています。人間に似た姿形をして、人間から人間のように扱われればその心は自分を人間だと認識するという、赤ん坊が人格を形成していく過程と同じ原理ですね。スピンオフ作品に登場したアイギスの姉妹機は記憶を失って自分を人間だと思い込んでいました。

しかしアイギスは「人間の精神をもて」と命じられながら「おまえは人間ではなく機械である」事実は据え置き。「ヒトを守れ」が至上命令なのにかなわず、自分を含む誰かを犠牲にしなければならないこともあった。矛盾する二つの方向性がある、心がふたつある~ことは人間にとってはわりと当たり前ですが、機械にとってはえらいことです。

アイギスは作中で再起動したとき、部分的に記憶を消去された影響と「大型シャドウを倒せ」「ヒトを守れ」というもともとの命令、そして密かに相反する命令が入力され混濁した結果、主人公に対して「わたしの一番の大切はあなたのそばにいることであります」と不可解な目標を宣言することになります。美少女ロボだから雰囲気に流されてたけどとても対シャドウ兵器の目標じゃないじゃん。

人間にはパーソナルスペースっていうのがあるからやめて

「葛藤仮説」というのは同時に相反する二つの命令を身体に下すと、身体はその葛藤を解決するために「おもいがけないソリューション」を提示する、というものである。
例えば、「一気に斬りおろせ」という命令と、「最後の最後まで最適動線を探ってためらえ」という命令を同時に発令する。
すると、身体はこの二つの要請に同時に応えるべく、実に不思議な運動を工夫し始める。
その意味で身体は妙に「素直」である。
「そんなことはできません」というような賢しらを言わずに、素直に二つの命令を同時に履行しようとする。

内田樹の研究室 ブリコルールの心得(2009)より

アイギスのテウルギアにあたる機能「オルギア」モードとは「陶酔」「トランス状態」を意味し、普段の「意味がわかる」動きのコントロールを離れることでリミッターの外れた力を発揮するものです。そしてその力の源は機械としての機構でなくアイギスの胸部、彼女に精神性を与えているオーパーツ「パピヨンハート」です。

困難で相反するような命令の結果こそが、アイギスに「機械」ではない人間の心を育てていくことになります。

 

心は無敵の矛、無敵の盾

 「アイギス」という名はギリシャ神話の戦女神アテナの持つ盾、イージス艦の語源でもある「無敵の盾」の名を由来とします。アイギスに搭載されたペルソナ「パラディオン」も作中の解釈では「アテナ神を模した石像」のことであり、アイギスがヒトを守護する戦女神を模して作られたことが示されています。アイギス自身も「わたしのペルソナは『盾と矛』ですね」と解説しています。

この沙織さんが持ってる盾のこと。

アイギスは危険なシャドウを倒しヒトを守護する任務により命を吹き込まれた戦女神像であり、その「命」は目標に対して直線的なものでした。ふつうの人間のように怠惰やこまごまとした欲望による妨害をもたない戦士であるアイギスは迷いなく邁進していきます。

仲間との関わりや別れを経て、アイギスは命や心の直線的でない複雑さとかけがえのなさを学習していきますが、その大切なものを守ろうとして彼女は「自分は機械であって同じ仕様のものを作ることができ、『大切な命』の勘定に入らないのだから、それを捨ててフルパワーを発揮し、皆さんを守るのが良いという判断を下してしまいます。

確かに「皆さんの命はかけがえがなく大切」「わたしの捨て身の力なら敵と相打ちに持ち込める可能性がある」「わたしは命ではない」という仮定から導く結論としてはそれはたいへん合理的です。アイギスはまた、「敵と相打ちに持ち込める」の情報に「不可能」という修正を余儀なくされて帰還すると「みなさんは不可能に苦しむのをやめて、終わりの時まですべてを忘れてください」という旨を訴えます。それも、「絶対に解決はできない」「忘れて過ごすことはできる」という仮定から導く結論としては合理的です。でも命は、心は合理的な仮定と結論だけで生きたいわけではない。

だって、敵に自分の力で打ち勝つのがどうやっても不可能だとわかったときにアイギスは「怖い…」と感じたのです。合理的判断ならば、「どうやっても勝てません! 以上!」で特になんの感情もなくカラッと終了するはずではないですか。でもアイギスはどうにもならないことに対してつらく悔しく感じ、何より一人で戦って停止していくことを怖いと感じた。

それこそがペルソナ3におけるペルソナ能力の源、「死」と「限界」に対峙したときの人間の心です。自分のやっているすべてが、自分の命がいつか燃え尽きて消えてしまうことを、限界があることはどうやっても変えられないことをある日ふと知る。表面的には何も残らない無駄だと知っていても懸命に生き、自分が消えて悲しむ人が増えるのがつらいことだとしても、何かを誰かに手渡すため絆を結ぶ。その矛盾を生きることが「限界を超える」ということ、本当に命を生きるということなのだと気付いたアイギスのペルソナはアテナを模した石像パラディオンから本物の魂を宿したアテナ神へと覚醒します。

楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。

(楚の人で盾と矛とを売っている者がいた。商品を誉めて言うには、「この盾の堅さといったら、貫き通せるものはないほどだ」。また、矛のほうを誉めて言うには、「この矛のするどさといったら、貫けないものがないほどだ」。ある人が言った。「おたくの矛で、おたくの盾を貫いたらどうなる?」と。商人は答えられなかった。)

――『韓非子』より「矛盾」(現代語訳は引用者による)

『矛盾』という故事成語は「論理破綻」「つじつまが合わない」という意味で使われていますが、故事の中で「おまえの売っている最強の矛と最強の盾をぶつけたらどうなるんだ?」と聞かれた商人ははたして論理の破綻を突かれてアワワと困ったのでしょうか。――そうとも限らないというのが、「戦車」のアルカナの結論です。そこには表面的な答えにできない答えがあると、無言でニヤリと笑ったのかもしれません。

「戦車」のカードにはこれら「無敵の矛と盾」、一見して両立しないようにみえる相反するスーパーパワーである「白い馬と黒い馬」が協働しています。「白と黒の力」が並んで描かれているのは「女教皇」のアルカナ以来の目に見えた『ペルソナ』らしさの表示です。「女教皇」のマキちゃんは「白い女の子と黒い女の子」というかたちで心の神秘を示す存在でした。アイギスも一度つかんだ心の「矛盾を内包する」バランスを失したとき、また同様に…………

figma ペルソナ3フェス メティス

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アイギスの「白と黒」のさらなる顛末については、9月10日に配信予定の『ペルソナ3リロード』DLC『エピソードアイギス』でぜひ確かめてください。

 

『ペルソナ4』里中千枝

 里中千枝(さとなか・ちえ)、主人公のクラスメイトでペルソナ使いの仲間です。ペルソナ4のイメージカラーと地味レトロな可愛さを最も反映したデザインの田舎娘さん。ペルソナシリーズにおける戦車カラーでもある黄色が似合います。

町いちばんの美しきお姫様・天城雪子にとってのほぼ唯一の友達で、真逆のキャラでもあい通じてるふたりは赤いきつねと緑のたぬき

 

雪子姫の王子様

 千枝は何かと人並みに扱われない孤独な雪子にとって唯一心を許せる親友、大事な心のよりどころでした。千枝のコミュを進めていくとわかるのですが、捨て犬を家で飼えず死んだような顔で犬を抱いてうずくまっていた雪子を必死で笑わせようとし、守ろうと思ったことが二人の友情のはじまりだったということです。か弱く美しい傷ついた心を守ろうとする少年英雄、この「女教皇」と「戦車」の関係性は同性ながらマキちゃんとマークの関係の再話です。

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千枝は小さなころから善なるガキ大将体質だったらしく、カンフーが好きなのも『ペルソナ2』のギンコのような親への反発とかそういう複雑な動機じゃなく、修行・特訓して昨日の自分を超えて悪者を倒し一件落着!」という信念に合っているから。幼馴染の剛史いわく「幼稚園じゃ、チビッコギャング、小学校じゃ正義の味方……中学ん時は給食改革の戦士」という華々しいお役目を歴任されてきたようです。単純なことですが、貴族でもない人間が、見返りもなくただ心から誰かのため、正義のために矢面に立って戦いたいと思えるなんていうのはそれだけで貴い騎士の才能です。

しかし、こうした騎士の美徳をもつ者でも、常に裏表なく英雄的であれるわけではありません。

千枝以外の「戦車」キャラはおバカで短慮で朴訥なところがあっても「あいつなら結局何とかする」みたいな謎の英雄パワーと信頼感がありますが、千枝は普段頼れる強い人間のように振る舞っていてもけっこうすぐにアワアワして弱気になってしまう性質に焦点をあてて描かれています。「非常に女性らしく見えても肝が据わっている雪子」と「ガサツに見えて女の子っぽい弱さのある千枝」という対比でヒロインキャラの魅力バランスをとる意味もありつつ、「自分の正視しがたい弱さと向き合う」テーマの『ペルソナ4』ならではの戦車の描き方です。気持ちのいいピーカン晴れの気質が魅力的な「戦車」の英雄にも、雨の日も霧の日もある。

千枝は、強いヒーローでありたいと欲しているけれど、根の性質としてはそんなに強くない。

だからすぐ動揺してしまうだけでなく、守りたい存在であるはずの雪子に嫉妬を向けてしまったり、雪子の気持ちよりも「価値の高いお姫様に頼られるヒーローである自分」という立ち位置に目が行ってしまうところがありました。しばしば「ヒーローが活躍できるのはトラブルがあり悪者がいるから」という構造が話題になるように、騎士も騎士道のために「無力でかわいそうなお姫様」を必要とする構造といえます。千枝は雪子が「私なんてなんの価値もないのに、千枝は私を守ってくれてる」と悲しみをつのらせているのを知っていながら、どこかで「そうでなくちゃね」と思って放置していたのです。

友達を愛し、守りたいと思っているなら、千枝は雪子が鳥籠から出たくて苦しんでいるのを支えいっしょに考えるべきだったのかもしれません。でも千枝は易きに流れ、共依存関係の「鳥籠を守る王子様」になった。

シャドウ雪子が「千枝は王子様だったけど結局千枝じゃダメなのよ」と言ったのは「女の子だから、自分のシンデレラコンプレックスを恋愛によってさらっていってくれない」という意味ではなく、千枝は王子様ゴッコをしたいだけで自分を自由にしてくれる気がないことに気付いたということでしょう。まあ自分を自由にするのは自分なんだけど。

あとシャドウ雪子が召喚する「白馬の王子」のマッシュカット「いわゆる王子様」でもあるけど千枝っぽさもあって激エモだよね

は~~少女革命ウテナ見るぞ

 

英雄の帰還

 カッとなって暴走したり動揺したりですぐ事態の手綱を握れなくなっていた千枝は、「頼りにされたい」という表面の気持ちの中にあった「守りたい」の気持ちが本物の強い芯であること、一人で戦ってなんとかしようと焦る必要はないことを考えて知らず知らず成長します。

家族や雪子を人質にとられたようになったとき、「あたしにムカついているってことだ、じゃああたしを気が済むまで殴れ」と言ったタンカの切り方は、それまでの単に正義の味方で突っ込まないではいられずカッコつけてケンカ爆買いな千枝とは違う、すっかり肝の据わったオーラでカツアゲ不良どもは気圧されました。ちんちくりんの女の子がいきがっているように見える千枝の肉体の見た目は変わらなくても、心の据わり方が邪なものを圧する本当の強さになる

千枝は高校卒業後、生まれ育った町、愛する隣人たちや雪子のいる町をちゃんと現実的に守り続けるため警察官を志します。いつか八十稲羽のおまわりさんとして戻ってくるでしょう。それは、別に誰から見てもカッコいい錦を飾るとかじゃなくたって、わかりやすい悪者に立ち向かって褒められなくたって、幸せで祝福された英雄の凱旋です。

 

『ペルソナ5』坂本竜司

 坂本竜司(さかもと・りゅうじ)高校二年生で主人公の同級生。ペルソナ使いの仲間です。

「最初のペルソナ使いの仲間」で怪盗の道に導いたのはモルガナですが、主人公が最初のボスと戦うことになったのはまだペルソナももたなかった竜司が孤軍奮闘のケンカを売っているのに巻き込まれたことからでした。

物語が始まった時点の竜司はまぎれもなく短慮で無軌道で人に嫌われるチンピラにすぎなかったにもかかわらず、痛くても怖くても主人公を巻き込むことをきらい当然のように一人で矢面に立とうとする英雄の勇気の片鱗がそのときから光っていました。

 

翼折れたイカロス

 竜司も宮本と同じく「足回りが壊れ走れなくなった戦車」です。しかも竜司の場合、脚と夢が壊れただけではなくそれによって晴れがましい英雄の鎧まで剥ぎ取られた挫折です。『ペルソナ5』の反骨のテーマを最も直接的に表して、主人公と同じく社会的にドロップアウトした状態にあります。

竜司は家族に暴力を振るった父親からだいぶ前に離れており、母一人子一人で暮らしています。それでも、彼には輝く鎧と戦車が――抜群の陸上の才能があった。それがあるから、バカでも陸上に打ち込めばつらかった過去など振り切り、母親と自分を幸せにできる、大学にも行って勝利した人気者にもなって…というのが竜司の人生設計でした。そのプランが考えなしだったわけでは決してなく、そうして大人になってプランを達成するアスリートもたくさんいるでしょう。

しかし、竜司は運悪く、コースに石を置く悪意に出会いました。最初のボスである鴨志田です。

竜司は脚を壊され暴力事件の犯人という汚名をかぶり、陸上部の仲間からも恨まれて友達を失い、くそったれな現実から飛翔していけるはずだった翼をすっかり失いました。それはまだほんの高校生に「うまくやれば避けられた」とか「そんな腐ることないって」とかいうべくもない、突然の墜落でした。

 

転んだ先の青天

 英雄の失墜と明るい世界からのドロップアウト。しかし竜司のペルソナ「キャプテン・キッド」「セイテンタイセイ」は竜司の壊れた足の代わりに海賊船や筋斗雲という自在な乗り物に乗り、晴れがましい立場から「墜落」したあとの世界を飛び回ります。この戦車らしい「乗り物」ってなんなのでしょう? コースアウトしてなお自由に駆け巡れるなんてことがあるのでしょうか? それが竜司の「戦車」のテーマです。

7枚ごとの周期で大アルカナの旅路を区切る考え方だと7番である「戦車」は子供時代の終わりを意味しています。明るい子供時代が終わって……そこから?

鴨志田は竜司と主人公に何度も「お前らの人生は終わり」と宣告してきました。死ぬことや重大な犯罪、依存薬物などではないところでも「◯◯なんかしたら人生終わるよ」「あーあこいつもう詰んだな」などという言葉はよく耳にするのではないでしょうか。この「終わり」が命や存在の終わりでないことは明らかですが、なんとも人を恐れさせ「あわわ終わりたくない〜」と思考停止させる言葉です。この「終わり」というのが子供にもわかる明るい世界からのコースアウトのことです。

 鴨志田もまた英雄的なアスリートであり、祐介にとっての斑目(皇帝)、春にとっての奥村社長(女帝)のように「戦車」アルカナの悪側面をあらわしているところがあります。

千枝が「ヒーローとして頼りにされたい」ために雪子をかわいそうなままにしておいたように、「戦車」の「競って勝って英雄になる」という性質は「自分が英雄であり続けるために、他を下げる」という手段にたやすく堕してしまいがちです。鴨志田もアスリートとしてはもう若くありません。学校という城の中の常勝の英雄でありたい鴨志田にとって、竜司と陸上部というもうひとりの英雄、もうひとつの猿山のボスザルは邪魔だし同族嫌悪だったのです。自分のバレー部のスター選手の自立性さえ邪魔だから志帆さんを従属させようとする。そうすれば全部手柄は自分のものになり、皆自分だけを頼りにするから。もちろん学校全体のためにはなってないので鴨志田は偽の英雄です。

鴨志田のシャドウは「俺は負けた……負けたら終わりだ……」と泣き言を吐きました。鴨志田は「勝っている限り英雄でいられる」という価値観に追い立てられてきましたが、ずっと勝っていられる人間などいないし誰だって歳をとるし、負けることもあっていい。竜司の仲間だった陸上部の部員たちの中にも、かの英雄でありたいがために、居場所をなくさないために間違った勝ちを指向してしまう者がいました。竜司自身も怪盗団の活動の中で勝利に駆り立てられて暴走します。負け=終わりの恐怖に取り憑かれて走り続けた「戦車」のなれのはてが鴨志田の醜悪な悪行でした。

しかし、退学騒ぎの前から鴨志田が「終わってる」と判断したはずの竜司はむしろそこからまた始まっていきました。竜司はコープの中でこのように話しました。

……中岡。俺、最近ようやく分かったんだよな。
終わりなんかじゃねーんだよ。走れなくても、はみ出したって、しがみつく必要ねーんだ。
俺は俺だし、息はできんだよ。

エンディングテーマ曲『星と僕らと』にもこれと似た歌詞があります。

世間はここにある物だけが全てというけど
始まりも終わりも誰にも指図をされずに決めていい

がんばれば好きなことで夢を叶えられて、仲間と暗い心なく笑いあえて、社会に認められた明るい居場所があった「正しい子供時代の世界」「光さす庭」を失っても、そこに戻らなければ息ができないわけではない。楽園の外でも自分は自分で生き続ける。そのことを認めても死なないし、案外自由になれる。誰の目にも見える表面的な勝利だけがすべてではない。そのことに気付いて竜司は「囚われ」を脱することができました。

目に見える勝利を得続けなければ終わると思い込んでいた裸の王様の鴨志田は「子供時代の世界」以外を知ろうとせず固執していたのと同じです。鴨志田は囚われたまま終わった。そんな彼が「英雄王のお城」にしたのが子供のための世界である学校であったのは何重にも納得で、哀れでもあります。なんかまた『ウテナ』の話になってきたな。

 

最近当方も体調を崩していて、アスリートなんかではないのですが実は座っているだけで痛いのでライフワークである記事や原稿が思うように進められず、まさに宮本や竜司のようにご自慢の翼が折れた状態です。だから更新が遅くてマジごめん。

でも翼が不調になってみて思ったのです。ぼくが作品を味わい文章を書いて得たすばらしい幸せって、タイムリーに記事や本を上梓してみんなにほめてもらうことだけなのか? それだけじゃないだろって。まだまだ終わってなんていないし、自分の価値はView数だけじゃない。ポンポン発表できなくてもあきらめずに書くし、粘り強く治療するし、今までの「座って書く」でだめなら立って書いたり寝て書いたりできるよう環境を整えて攻略するのもありじゃん! というわけでこの記事も半分以上仰向け寝で書いています。

体が調子崩れて失われる勝利や成功は、その程度の表面的な勝利や成功にすぎなかったのかもしれないということを知ることができるタイミング。それが、「戦車」のカードの「挫折」という意味に含まれた祝福であるようにおもうのです。

 

 

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ペルソナ5ロイヤルの読解実況完結してます。再生リストからアーカイブが見られます。

↓おもしろかったらブクマもらえると今後の記事のはげみになるです。今後もswitch版のプレイによって参考画像とか引用とか加筆充実してくかなっておもいます。

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