湖底より愛とかこめて

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【Ⅺ 正義】聖キッホルの紋章―FE風花雪月とアルカナの元型⑦

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「聖キッホルの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅺ 正義」のカード、キャラクター「フェルディナント=フォン=エーギル」「セテス」との対応について考察していきます。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。

以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。

 

 

 『風花雪月』の紋章がタロット大アルカナ22枚のカードに対応している作中の根拠とざっくりしたタロットの説明、各アルカナへの目次はこちら↓です。

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紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。「タロットカード同梱版」と「書籍のみ版」のご注文をいただけます。(品切れの場合は数か月お待たせしますが増刷予定あります)

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 前回は、帝国キャラクター共通の性質である「個人主義」「選択」の代表である「恋人たち」アルカナの聖セスリーンの紋章を解説しました。最初に同盟の紋章から解説してきたのですが、同盟という勢力の性質どおり個性がバラけていることが個性という感じだった同盟キャラの紋章の意味あいに比べて、帝国キャラや王国キャラはテーマに沿った全体の性質があって、リンハルトが個人主義と選択(の猶予期間)を代表してるようにそれぞれのキャラが勢力のいろんな性質を代表しているよ~という感じをおぼえます。

今回の「聖キッホルの紋章」もまた、「帝国を代表する」性質がバリバリに強いので、それがどんなものなのか、紅花ルートおよび銀雪ルートとあわせてお楽しみください。

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紋章、四聖人キッホル。

対応するアルカナは正義(裁判の女神とも)、

対応するキャラはフェルディナント=フォン=エーー↑ギルセテスです。

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わかる……。(好きなもの:セイロス教)

 

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わかる……。(好きなもの:正義

 

もう終わったじゃん

こんなに解説不要なことかつてあった?

 

 

「正義」の元型

 一瞬解説不要な気もしましたけど、よく考えてみると「正義」って難しいんですよ。フェルディナント=フォン=エーギルもこんなにうるさいのに難しい人間性なんですよね実は。だから今回はめっちゃくっちゃ長いしムズい話です。覚悟して何日かに分けて読んでくれ……。

まず「聖キッホルの紋章」と対応する「正義」アルカナのカードの中心的意味を拾ってみましょう。

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「正義」のカードです。

カードに象徴として描いてあるモチーフは、「剣」「天秤」を左右の手に持った「正義の女神」「真正面」を向いてどっしりと座っている、です。

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ペルソナ3、4タロットでは大胆に図柄が簡略化され、「剣」じたいが「天秤」になっています。この剣と天秤は一体のものであり、「正義の裁き」に必要なキットだということになっているんですね。

 このカード、実は番号に二通りの解釈があってですね、紋章アイテム等の並び順をみるに風花雪月での順番はウェイト版の11番のようですが、ペルソナシリーズ等の採用してるマルセイユ版では8番です。ここ、ブレーダッドの紋章の「力」アルカナと入れ替わるんですね。

描いてあるモチーフはあんま変わらないので、番号が入れ替わったからなんじゃいと思うかもしれませんが、タロット大アルカナは人間の成長と自己実現の「旅の過程」だってことを思い出していただきたい。だからどのくらい人間的に成長してるのかが変わるし、ここらへんのカードは前後の順番がだいじになってくるんだな。

「正義」アルカナ、聖キッホルの紋章が11番になったことで、その前の段階であるのは「運命の輪」アルカナ、ゴネリルの紋章です。

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ヒルダちゃんの記事でも書いたのですが、ヒルダのゴネリルの紋章とセテスの聖キッホルの紋章の間の経路には意味があるよーって支援会話で描かれています。ゴネリルの紋章「運命の輪」は「人の手では自由にならない運命の運行」をあらわし、それをうけたうえでの、「正義」のアルカナが中心的に表すのは、

「自由にならない運命があったとしても、

 その時点で正しいことを行い世に残さなければならない」

という段階なわけです。以下、正義アルカナの意味は赤字であらわします。

ヒルダは「運命」が体感できるがゆえに「どうせ頑張ったって最後は運任せで理不尽に失敗するしー、みんないつか死ぬんだから、あたしが頑張ったってムダ。楽しいことしよ!」と怠惰~めんどくさ~いしていましたが、「うまくいかないことも運命の不安定さも受け入れたうえで正しい道を行かねばならんだろう」ドドドド正論をドーーーン!!するのが「正義」の段階です。

前回の聖セスリーンの紋章の記事で1~5番のアルカナは子供が大人からいろんな規範を教わる段階で、6番の「恋人たち」(聖セスリーンの紋章)でやっと自分の自我で選択をするって言いましたが、この11番「正義」までくるともう完全に大人で「自分がたいへんでも世界のために正しいことをしよう」とかいう責任をもってます。

(余談ですが、ペルソナシリーズの8番の正義アルカナは「子どもが大人になる分別をつける」段階を意味し、ことにおませな小学生くらいの子供がその象徴になっています)

 この11番の正義、聖キッホルの力はとにかくドッシリとしていて、脆さとは無縁、絶対に吹けば飛んだりはしません。「力を司る地竜」にふさわしい安定感です。なぜならこのカードは図柄を見てのとおり「天秤の均衡(バランス)」を表すからです。それが紋章の線形にもよくあらわれています。

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字がきちゃなくてセテちゃんに叱られる

聖キッホルの紋章は皿が描かれてないけど明らかにそこに「ある」天秤(吊りでない置き天秤には動かぬ土台がなければなりませんが、それもしっかりついています)と、同時に概形として聖キッホルが持つ両刃の斧槍(アッサルの槍)のかたちが浮かび上がってもいます。しかもセテスの眉毛のかたちだよこれ。

「剣と天秤が裁きキットとして一体となったのが『正義』のカードだ」とさきほど言いましたが、それはつまり正義と不正義を切り分け、執行できる「力」「バランスをはかること」が「正義」のカードがあらわす正義のかたちだということです。

たしかに、「正義」って、明快だけど、考えれば難しい言葉……というか、言葉は難しくないけれど、「正義を行う」のっていろいろと難しいですよね。

正義、「善」って、どうすれば為せるのか? 聖キッホルの紋章はそういう哲学的な、そして倫理学や宗教学なんかにもまたがるクソデカ風呂敷です。だから全体的に難しい話になりますよ。

 

セテスの「正義」―わが神はここにありて

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 セテスは「セイロス教の正しさ」を体現する存在です。レアがセイロス教の秩序の母ならば、セテスは父。レアは聖セイロスその人、セテスは聖キッホルその人ですからふたりは夫婦関係にはありませんし、ずっと昔にはセテスがレアの保護者でもあったような関係ですが、フォドラという子供たちに対する家族の役割概念としてそうだっていう話です。

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レアが女神に代わって腕を広げて信徒を包み、支えとなる象徴であるのと並行して、その隣でセテスは法の条文を作り、眠るフレンと隠棲してたりで自分がいない間も続く秩序を厳しく守らせます。

われわれは(建前上)法治国家ってやつに暮らしていて、法律というものは一度運用され始めたら強力な機械のモーターのようにオートでゴウンゴウン回り続け、プログラムされた結果を吐き出し続けます。信号機の色が一定の時間で変わり、ツタヤでニンテンドードリームとアイスを買ったら消費税は10%と8%に分かれて算出されます。そこに中途半端な慈悲はない。「全部9%でいいか~」とかやろうとしても手が10%と8%を切り分ける裁判の剣に回転ノコギリのようにズシャァアァァと両断されて終了です。このように「正義」の裁判の剣はことによっては「運命」の歯車よりも剛腕なものなのです。なんつっても刃ついてるからな。

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セテスはそういう法そのものなので、実務上の采配を万事執り行なっています。24時間戦えるタイプです。セテスというエクセルには一瞬で数字をはじき出すあらゆる法の関数が仕込まれており、一瞬ですべての事物を迷いなく両断します。以上だ。

しかし法律は最強であっても王や大将ではなく、日本だったら主権者である民に仕えるものです。この法律のように、コンピューターつきブルドーザー(田中角栄)」みたいなバリバリさで実務を推し進める、「王より仕事してる筆頭家臣」のことなんて言うかわかります? 「宰相」です。聖キッホルであるセテスが聖セイロス=レアの副将であり大司教補佐であるように、聖キッホルの紋章を血脈に宿すエーギル家が宰相を世襲して聖セイロスの紋章をもつアドラステア皇家に仕えるのは性質として適した対応構造なのです。

女神の「声」を聴き人々を導くのはセイロスの役割(これは聖セイロスの紋章の「女教皇」アルカナの性質にも一致します)ですが、女神の「正しき法」を体現し人々を管理・教育するシステムはキッホル、つまりセテスの役割なのです。

 

子どもたちのために

 ところで、「女神の正しき法を体現する」って今言ったばかりですが、実はセテスはソティスが「自分たちとかけ離れた絶対神」なんかではないことを「知っている」ほとんど唯一の主要登場人物です。

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レア=セイロスは幼いころ死に別れ遺骸を奪われたソティスを「お母様」と呼びバランスを欠いて慕いまくっていますが、セテス=キッホルや聖マクイル、聖インデッハほか聖ナントカと呼ばれる眷属たちはザナドが襲撃されたころには故郷を出て独立していたもようです。つまり、セテスはいつまでも母にとらわれたレアとは違いソティスという母(?)からふつうに卒業できた大人であり、作中の話しぶりからしてもソティスのことを「私たち眷属を生み出した神祖だったなあ」という事実以上にすごい神聖視はしていないようです。

じゃあなんで「主はすべてお見通しであられる」「日々主に祈りを捧げ己の行いを省み…」とか言うのか? 神様が別に全知全能ってわけでもなく、もう死んでいて蘇らないことを納得してるのに? てめーも狂ってるのか?

 

 このことをひもとくヒントは、セイロス教の真の歴史とセテスの趣味にあります。

セテスの印象的な趣味に「寓話作り」があります。これはフレンと厳正な秩序をひたすら愛しているように見えるセテスの趣味としてはなんとも浮いているからです。これにはどんな意味があるのでしょう?

ヒルダとの支援会話の項でも述べましたが、セテスが作る「寓話」というものは、「子どもたちに、正しいことを教える」ための物語です。

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寓話、つまりセテスが作ってたアリとキリギリスライクなお話だとか、『ウサギと亀』だとかには教訓があります。先人たちが得た経験則としての倫理である「こうしてはいけません」「こうすると善く生きていけるのです」というふるまいを子どもに楽しく学んでもらうため、親は寓話を話して聞かせます。というか親が特に立派な人間じゃなくても、教育目的をもってなくても寓話はオートで道徳教育をしてくれます。この「広まれば自動的に善が為されるようになる」オートマティックさは「法律」や「教義」にも似ています。

寓話は教訓を伝えるための子供向け物語ですから、当然「現実はそううまくいかない」とか「現実では正しいものが報われるとは限らない」みたいなツッコミどころも多いです。しかしそれは人間が(叶わないことはあると知りつつも)信じていくべき理想であり、また、その理想を信じて行動することによって結果的に有利に生きていくことができるという機能もあります。

たとえば『天国と地獄のうどん』という寓話(仏教説話)があります。以下要約です。

ある男が閻魔様に「天国と地獄の違いを見せてください」と聞きました。

地獄を見せてもらうと釜にうどんが煮えていて、みんな箸を持っているのですが1メートルくらいあってとても自分の口にうどんをもっていけるものじゃありません。みんな我先にと無理矢理うどんを食べようとしてボチャボチャ煮え湯に落としてはヤケドするわ、他の人がうどんをとろうとするのを横取りしようとするわで誰も食べられず阿鼻叫喚、なるほどこれは地獄だぜと男は納得します。

次に天国を見せてもらうと、なんと設備は「うどんが煮える釜」に「1メートルくらいある箸」と全く同じなのです! 住人たちは長い箸で自分がうどんを食べようとするのではなく、「どうぞ、うどんはいかがですか」「まあ、先にいただいて申し訳ない。あなたもどうぞ」と他の人の口に箸を寄せたり、「あちらの方がまだ食べていないようですから」「おおありがたい、おいしいおいしい」みたいな譲りあいをしたりで全員がうどんを食べてニコニコしているのでした。

このように、「他人を助け施す」という道徳をおこなうことは短期的には不利益?ですが、社会のみんながその道徳をおこなえば、結果的にみんな安全で幸福に利益を得ることができます。しかもこの寓話があらわしているように「社会の実態」自体は変わらないのに、善を信じて行う人間が暮らす社会のほうが幸せになるということはけっこ~~事実なのです。国民主権、民主主義っていうのもある種のフィクション道徳、幻想物語ですが、「自分には政治に対する責任があるんだ!」っていう幻想物語を信じてる人間のほうが、よりよく生きるパフォーマンスが上がるんですよね。「正義」というのはそれ自体ではなく、それによって世が善くなることのほうが本体なのです。

 

セテスは、「子供たち」に「皆に利益のある社会」を為すための「善き生き方」を学習してほしくて、現実とは違うところもある「教訓物語」を作る者です。

これは、嘘記述も多い「セイロス教の神話」を執筆したのがセテスである可能性を示唆しています。神話というのは巨大な寓話ともいえるからです。しかもその宗教風土のさまざまな条件から自然発生的にだんだん形成されてきた「こうだったんじゃないのかな」という推測の神話ではなく、明らかに「真相を知っている誰かが作った」神話ともなればなおさらです。

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嘘ストーリーテリングおじさん

セテスはソティスそのものが「すべてをお見通しの主」などではないことを知っています。しかし、そういう物語を紡ぎ、教義を守り、「主が見ておられる」と自分を常に見つめる目をもつことで、人がよりよく生きていけると信じているのです。「主」とはソティス本人でなくとも自分や世界に宿っている正義のことであり、確かに人間はその目から逃れることはできません正論ーーーッ

「正義」のカードで裁判の女神が掲げている剣は、いざとなれば重く正確無比な一撃で正義と不正義を裁断しますが、基本的には「掲げられて」います。法の剣の真の役割とは振り下ろすことではなく、権威を掲げることでみんなが法を守り、よりよい生を送るようにすることです。

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お釈迦様が人に真理を教えるためについてみせた嘘が「方便」となったように、セテスがフォドラの子供たちに善なるくらしを教えるためについた嘘は神話となり教義となり、確かに今までフォドラを守ってきたのです。

 

父と子と

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 正義や道徳や善、大人の分別というものは、継承されつつ、更新されていくもので、「正義」アルカナは「親子」を意識させるカードでもあります。正義の天秤が揺れ動くように、正義のあり方や為し方は時代によって変わっていくものです。そういった「世代交代」の意味でも、聖キッホルの紋章の「正義」アルカナと聖セイロスの紋章の「女教皇」アルカナには似通ったものがあります。父VS独立していく青年と、母VS独立していく若い娘。

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だからセテスの娘が「反抗期」「自己決定」を意味する「恋人たち」アルカナの聖セスリーン、フレンであることは実によくできてるな~というところなんですよね。フレンは「お兄様のような方をなんと言うかおわかりになる!? 過干渉! 過保護ですわ!!」とブチ切れて出ていきますが、セテスだって……間違ってるわけじゃないのです……。おまえのことが心配なだけなんだ……。

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「間違っているわけじゃな」くても、正義とは更新されるもの、子は親に手酷い言葉をぶつけてでも巣立っていくものなのです。誰もそこまで悪くなくても克服はおこる。

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この「親と子」の正義の継承と更新はフェルディナントがそこまでドドクソ大嫌いというわけでもない父を「断罪」しようと思っていたことにも対応します。これはヒューベルトが父を感情的にもドドドドドクソ大嫌いそうにしている(塵!芥!人間のゴミ!って言ってる)のと対照的です。嫌いだからとかエーデルガルト様に特定の害があるからとかではなく、正義が更新されるべきだからフェルディナントはやろうとしてるのであり、悪感情があるというよりむしろ「父には貴族として育ててもらったので私が裁く!」とさえ思っています。

実際はその断罪は彼が直接やったのではなくエーデルガルトがやっちゃったのですが、フェルディナントは父の間違いを克服し、彼の思う「真の貴族」という正義をエーギル家に新たに打ち立てていきます。それがその血の運命(さだめ)(ジョジョ)……。

ジョジョ〜その血の運命

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  • 発売日: 2014/10/15
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 セテスもフレンに旅立たれ、そして新たなる段階に進んでいこうとするフォドラのために「何事においても寛大な措置をとるように運営方針を転換」し柔軟に教義を変化させていきます。「正義」はひとつの不変のものではなく、天秤のバランスをとり続け、変わっていくことのできる強さなのです。そして、弥栄に継がれていく。人の世のある限り。

そうだといいよね。

 

天使と人間

 セテスは女神の眷属であり、述べてきたように「変わり続ける法」「永遠の善」LOW属性の擬人化みたいな存在です。だから人間社会のことをよく知っているにもかかわらず、支援会話には「神と人」のような気配や構造があって味わい深いです。

VSレオニーくん

 これはレオニーに限ったことではないのですが、セテスが再婚する可能性のある女性たちを見ると、お互い性質がよく似ているイングリット以外はレオニー、マヌエラ、カトリーヌと、ホラ……わかるだろ……その…………ガ…………

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狩る! 釣る! 食べる! 鍛錬する! 戦う! の実用しかなかったレオニーと、釣りの餌の付け方を知らず何百年と釣れぬ釣り糸を一人で垂らし続けてきた浮世離れした(実際人間ではない)セテス。セテスは聖セスリーン=少女フレンのような女性が理想の女性像だとか言いながら、理想の女性と結ばれる女性が同じとは限らない……とレオニー、マヌエラ、カトリーヌですよ。つまり亡くなった妻ってそういう女性だったんですね。こう……ガサ……豪快……?というか……。

レオニーとセテス、二人はお互いにないものを出し合って、じつに幸せそうに「魚料理」というふたりの成果を分け合うようになります。ともに戦いを終わらせ、いっしょにおいしいものを毎日食べようと、そのために勝とうと言います。

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基本融通のきかない浮世離れした「正義」の法典男と、ガサツ(言った)で生命力にあふれた人間の女、全く違う二人が出会って、補い合って、戦友になって、一緒になる。レオニーとセテスの支援を見ていると、彼と亡くなった妻が結ばれたなれそめを見ているようにおもわれます。そして、「異質な他者の結婚」をあらわす「恋人たち」アルカナの光竜セスリーンが生まれた。

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(そうして見るとレオニーさんいい女だなオイ……)

だからセテスはレアとはまた違うバランスで不完全な人間たちを愛し、人間たちが歩き出すのを助けていけるのでしょう。

 

VSフェリクスくん

フェリクス「……私の剣に、何か注文でも?」

 聖キッホルの紋章の「正義」のアルカナとフラルダリウスの紋章の「皇帝」のアルカナはモチーフや概念がかなりよく似ています。どちらも「正しいこと」の「理性の剣」で世界に秩序・理論だった「切断」をおこなうという意味があるのです。だからフェリクスとセテスの支援では(フェリクス、綺麗に敬語使っとる…ということ含めて)全支援会話の中でも随一に理性的で静かな剣舞のごとき言葉の剣の打ち合いがみられます。

では「正義」と「皇帝」の、セテスとフェリクスの理性の剣の違いはどこにあるのかというのがこの支援会話のキモとなってきます。

フェリクスは騎士道を嫌っています。それはフェリクスの中では「無駄、ときに有害なものの不当な賛美」だからです。確かに王国における騎士道や愛国心は「人に喜んで命を投げ出させるための物語」として機能してしまっている面があり、フェリクスはその不合理にノーを突きつけ切り分けるキャラクターです。

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フェリクスは「戦死=立派な騎士の最期」とかの嘘の結びつけを嫌い、「それはイコールではない」と正しい切り離しをしています。学級の仲間たちとも「価値観が合わないから」距離をとっている、これも正しい理路といえます。フェリクスは正しい。フェリクスには欺瞞を見抜く理性の力があります。しかし、それだけです。

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先生との支援会話にもあらわれていますが、フェリクスは「切り分ける力」である剣技を極めようとするのに、「なんのためにその剣を磨くのか」の理由を持っていません。見つけても、それは兄という死者を追いかけるものでした。「実体のない理論倒れ」というか、「~~すべきだ」「~~のはずだ」という正しい理論ばかりを見て家族の気持ちをないがしろにし、結局すべてを失ってしまう夫の話とかよくありますよね。

そんなフェリクスに先生やセテスは「皆を守る」「皆で勝つために協調する」という「剣を振るう目的」を見ろという話をするのです。セテスだけでなくフェルディナントもよく口にする「大事をなす」という「大事」とは「戦いの先にある視野の広い真の目的」のことです。「皇帝」の剣は理論上のものですが、「正義」の剣は実際の世界を善いほうに変えるために振るわれる、見ている場所が違うのです。同じ「正しい」でもフェリクスの正解は「correct」や「accurate」(正確無比)、セテスの正解は「right」や「moral」(倫理)なのです。

 同じようにセテスは「レア様のそばで働ける今」しか見ていないツィリルにも「将来何を為していくのか」「なんのために生まれてなにをして生きるのか(アンパンマンマーチ)みたいなことを視野広く考えてほしいって伝え続けます。

それは、あるいは「お母様を奪われた復讐をする!」しか見えていなかった幼い日のセイロスに「それで君はどうする、その先に何を叶える」「君の行く道が幸福で善きものになるように私も力を尽くそう」と伝えたかもしれないことと同じように。

 

フェルディナントの「正義」―我ならずして我

 今まで話した「正義」の性質でもって、いよいよこの単純明快のようでいて複雑怪奇なフェルディナント哲学に切りこんでいく時がきました。

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「それが誇り高き貴族の使命であり、

 私が自身に課した天命なのだから!」

いやいやいやいやいやいや

あんたのエーギル家没落してるしエーデルガルトは貴族とかなくしていきたくて戦ってるし、

なにより「私が自身に」「天命」を課したってなんだよ、おまえが天だというのか不敬者

 

エーギルは常に全力をもって貴族たれ

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 しょっぱなからフェルディナントは自分をなんだと思ってんのか案件が出てきてしまいました。なんだと思ってんの?って聞いたら間違いなく「誇り高き貴族だとも!」って返してくる。話が通じてるようで通じてない少し通じてる貴族。

いったんこのわけのわからん決めゼリフは置いておいて、フェルディナントと「正義」アルカナの対応をみていきます。

 

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 フェルディナントは第一部の主要な支援会話、すなわち対先生や対エーデルガルトでことあるごとに自分の能力を「記録」に残そうとします。先生との支援会話が「すぐに大きな記録に残らなくとも為せることはある」というオチだったことでもわかるように、「記録を刻む」というのはフェルディナントにとって中心となる価値のはかり方です。「正義」アルカナの天秤の性質に記録の正確さ、ことに「数値」を計量することはピッタリ合致します。そしてその数量的にはっきりとした記録は裁判の「判例」となって法のプールに貯蔵される財産です。先ほど似ていると述べたフェリクスの「皇帝」の剣は切り分けること自体が本業ですが、「正義」の剣は「のちの世に残る善を刻みこむ」のが本業です。

フェルディナントのこの気質は、宰相を世襲する嫡子として「理想の貴族はこうあれかし」と教える環境に置かれたこと、そしてある程度ダメなボンボンでも紋章があれば全然生きてこられたはずですが、彼が常に環境に課された課題に釣り合う努力、釣り合う成果を出してきたことによっても育ちました。

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「世の中はすべてが正しく報われるわけではない」とか「ククク……現実はもっと残酷……、いいえ、いささか複雑なものですからな……」とかの斜に構えた見方は、確かに一面の真実、必要な視点ではありますが、一種の怯懦まっすぐ体当たりし続ける勇気をもたないということでもあります。いや、これもリンハルトと同じでフェルディナントみたいに全力体当たりの人間ばっかりになってもたぶん困るんですけど。

まっすぐにあるがまま世を見ることができる力は彼が何不自由なく明るい貴族の子としての教育を受けてきたという、幼い頃からの育ちのよさ自己肯定感自己効力感を否定されない子供時代に宿ります。フェルディナントのこのピュワーさが味覚にも表れてると↓貴族ごはん記事↓にも書きました。

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 格差がないというタテマエで実際は格差の拡大があらわに見えはじめている現代社会では、『パラサイト 半地下の家族』のふたつの家族や『グレイテスト・ショーマン』のバーナム、チャリティ夫妻などで「お育ちの対比」のようなものが克明に描かれて話題を呼んでいます。

グレイテスト・ショーマン (字幕版)

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育ちがいいにも悪い(この悪さには貧しさだけでなくエーデルガルトやヒューベルトのような子供のころからの闇の直視も含まれます)にも、それぞれいいところと悪いところはありますが、少なくとも「理想的な貴族のお育ち」というのはフェルディナントが持っているようなピュワーな自己肯定感を育むためにあります。

こういうまっすぐな「自信家」の勇気は、しばしば「育ちがいいヤツは荒波にもまれるとすぐに折れる」とか言われがちですが、5年後のフェルディナントを見てわかるようにこれはまったく逆です。育ちのよさに育まれた自信や肯定感の土台は、子供のころ身につけたら大人になって苦労することになっても決して失われることはありません。逆にベルナデッタのように親に否定されて育つなど幼少期から心を病んだ人間は、苦しめてくる親や環境から離れてもなかなかその幻影から逃れることができません。深刻な精神資源の格差です。だからこそ、セテスが願うように子供には「正しいことが報われる」という世界を提供しなくてはならない。これも「正義」があらわす倫理で、フェルディナントという「子供」自体が正義の結実体なのです。

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掲げよ、その剣を

 セテスの「寓話作り」と同じように、フェルディナントの「貴族らしい」プロフィールの中で浮いて目立っている趣味があります。それは「武具の蒐集」です。これもとても「正義」アルカナの性質とフェルディナントの性質のリンクを表している趣味なんですよね。また、「武力、実行力」をあらわす帝国(紅花ルート)の「火」属性の性質にも合っています。

実はタロットカードの中で剣、近接武具がメイン要素になっているカードは「正義」しかありません。これだけでもなるほどなあと感じるところなのですが、さらにフェルディナントの「武具の蒐集」は「正義」と強くリンクします。

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フェルディナントは趣味の武具の蒐集について、「その土地の風土や歴史、外交などによっても武具はさまざまに違った発展をみせて興味深い」と語ります。「蒐集」というのですから、そういった個性豊かな古今東西の武具をコレクションし観察・手入れしているのでしょう。フェルディナントのこの言葉は、まさに武器というものの本質をあらわした言葉だといえます。

「武器の本質」といったらフェリクスなら「剣は敵を斬るためのものだ(終了)」となるでしょうが、その視野を「そもそも武器とはなんのために作られ、なんのために発展するのか」という社会的・文明的なそもそも論にまで広げていくと、武器とは、道具とは、「用いて目的を達成するためのものだ」ということになります。

そもそもすぎて意味わからんからもうちょっと噛みくだきますね。

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上記事では主に鎧(防具)のことを書きましたが、現実には武器にも防具にも「最強のもの」というのは存在しないといっていいでしょう。すべての装備、すべての状況にはそれに対応した対処法があります。つまり、ファイアーエムブレムの作中でもいつも「レイピア」が重装特攻なわけですが、無敵の防御にみえるプレートメイルでも動かないといけないから関節やあいている部分はあり、そこを細い剣ですばやく刺突することで急所破壊や失血をねらって勝てる……というようなことです。

しかしレイピアは素早く槍を突き出されたり幅広の剣と打ち合われたりしたらダメダメですし、いろんな状況に対応できる強い武器だ!と思っても戦いの終わりまでもつ武器でなければ意味がなかったりします。伝統の「三すくみ」などもそういう弱点を象徴的にあらわしていますね。逆に一回しか使えないし威力も限定的な一見ダメそうな武器でも、暗殺や示威行為に使えばドンパチやらずして目的を達成できることもあります。要は本質的には武器には「強い」ことではなく、「目的を達成するためにその場その場に合ったものである」ことが求められるのです。

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これは「正義」の性質と同じです。正義の法はセテスとフェリクスの対比でも述べたように善なる「目的」のために振るわれ、そのために状況や時代によって変化していかなければならないものだからです。

フェルディナントはお馬ちゃんが好きですが、軍馬は戦場に出て死んじゃう子もいるけどそれがかわいそうだから外に出さないっていうのも違うよね、と言ったりして「用」を貴びます。贈り物の「飾り剣」を渡してもそんなに喜んでくれないのにアレッ?となったプレイヤーも多いのではないでしょうか? ディミトリやフェリクスは喜ぶのに。おそらくフェルディナントは「中途半端に切れる飾り」に「用はない」のです。ハッタリならハッタリという「用」で好きだとおもいますが。美しい理想より武骨な実用。それを見極める力。それが「正義」アルカナ的な正義の武具です。

(ちなみに、ディミトリやフェリクスが代表する青獅子ルートのテーマはフェルディナントの正義とは逆に、「今すぐ叶わない美しい理想」をあらわしているようです。それもまた、人間には必要なものです)

 

不定の天秤

 ここまで見てくると、エーデルガルトにつくにしろ敵対にするにしろ「先生がやるっていうならついていく」という戸惑いを残した黒鷲の学級のメンバーの中で目立って、フェルディナントが紅花ルート(や帝国の敵ユニットとして出てくるとき)では「エーデルガルトの進む道を戦争の先まで助けよう!」とクソデカ声で言い、銀雪ルートでは「エーデルガルトの間違った道は私が止めなければ!」とクソデカ声で言うことの変わり身の鮮やかさの意味が見えてきます。正義は状況や時代によって変化するからです。

フェルディナントは自分のやってることやついた勢力をムリヤリ正当化しているダブスタ野郎なのではなく、「この世界のこの状況でここにいる自分」を正しく計量し、「それに適した正義」をおこなっていく生き物なのです。つまりそれが善なる「目的」を叶えるために必要なことならば「政治的判断」みたいな腹芸もできるんだな。セテスが方便として神話のウソストーリーを語って聞かせるように。黒くない腹芸。

 

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 「正義」のアルカナはこうして「状況の均整をとる」力です。「均整のとれた」といえば「ギリシャ彫刻のように均整のとれた体」とか枕詞がつくことが多いですが、フェルディナントの容姿はまさにそういう「健康な肉体」「強い意志」「充実した精神」(オリンピックの理念)などのバランスのとれた美の方向性です。彼の天秤は彼の置かれた「帝国の筆頭名門貴族の嫡子」という立場の真の意味と価値を読みとり、その重さに釣り合う適切な努力を適切にし続けています。左右の皿の重さを釣り合わせるように。

外から見たらいつでも全力で暑苦しいというふうに見えますが、当の本人はそれって普通だという認識で、役割に釣り合ったふるまいをするのは楽しい趣味です(こういうところも自分としては当たり前のことをしているのに周りから理解されにくいリンハルトと皮肉にも似ています)。たぶんフェルディナントのような性格をしていれば農民の家に生まれたって農民として為すべきを為して大成するでしょう。

フェルディナントは失敗しても平民と対等に口をきいても家が没落しても、きっと麦わら帽子をかぶって野良仕事をしても自信家全力フェルディナントであり、為すべきバランスを実現し続けます。

 

VSドロテアくん、メルセデスくん

 さっき「フェルディナントの天秤は自分の置かれた『超名門貴族の嫡子』という立場を正確に読み取ってる」と言いましたが、彼が口癖のようにキゾクキゾク鳴く「貴族」という言葉は、よくよく聞くとなんか変です。

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ローレンツについての項でも述べたように、フェルディナントとローレンツは「貴族」という概念に対するとらえ方が似ているようで好対照をなしています。二人の支援会話ではもちろんのこと、二人のそれぞれの対ドロテア、対メルセデスの支援で顕著です。ローレンツが「貴族とは」と考えていることはフォドラ社会における貴族の規範そのものなので、それと比べることでフェルディナントのいう「貴族」のおかしさが見えてきます。

ドロテアとの支援会話では、二人ともが「典型的貴族の男(怒)」として(フェルディナントとは因縁もありますが)めちゃくちゃ嫌われハッキリと避けられます。それに対してローレンツは最後まで「典型的貴族の男」のままでありながらドロテアに誠意を尽くしましたが、フェルディナントは「君が嫌いな私とはどんなところだね!? 君の心を理解するためいろいろ行動してみせよう!!」と落ち着かず動きまくり、ドロテアの「貴族らしさとはこういうもの」という観念を驚かせます。

材料を手に入れるところから自分一人で菓子を焼き、平民に頭を下げヤケドしてまで自分を嫌う平民の気持ちを理解しようとする……など、社会通念上とても貴族のすることではありません。前半ローレンツなら「そのような見苦しいこと平民たちのためにも貴族はすべきではない……!」と思うでしょう。フェルディナントは貴族らしくないことも平気でする。なのに、「貴族の中の貴族」であるという矛盾があります。

 メルセデスに対してもフェルディナントは変な「貴族」概念を提唱してきます。ローレンツはメルセデスがすばらしい女性であると知りながら、後ろ盾も権威ももはや失った平民の立場にあることで彼女を恋愛対象から外し、「もし平民の女の子を好きになっちゃったらどうするの~?(・ω・`)」と痛いところを突かれて「どうもしないさ……」と禁欲的にシュンとなります。正しい。正しい貴族です。

一方フェルディナントは彼女にどんな態度をとるかと思えば、

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また「天命は私が自分で決める」みたいなわけわからんこと言っとるぞ…

フェルディナントが平民の立場のメルセデスにどんな態度をとるかと思えば、しょっぱなから当然のように激しく「貴族たるつとめを果たす仲間」扱いして貴族の祈りの責務について熱く貴族トークしてくる。おーい! その人、(今)平民だぞ! 大丈夫か! フェルディナントはしまいには、他人を助けるために危険を厭わない気高さ(これは高貴の義務、ノブレス・オブリージュの中心です)をもつメルセデスを「君の心身は今も貴族」と勝手に叙爵します。

このフェルディナントの言動は、ゲーム時点のフォドラの社会通念的には明らかに常識外れであり、彼の発言する「貴族」とフォドラで一般的に言われている(ドロテアが思うような)「貴族」はかなり意味が違っています。しかし、社会通念的に言う「貴族」とは「そういう規範や特権を持っていて堕落しがちな社会階層」という意味に現在はなってる言葉なだけで、「貴族の本来の用途は」そうではない、そしてフェルディナントは目的を叶えるための本来の用途を愛する男だったではありませんか常識なんか真の正しさに関係ない。

貴族とは、誇り高さ気高さとは、現在の社会でどのように思われ、貴族の位をもつ者たちがどんなにそれを悪用し、たとえ正しい意味について考える者がフェルディナント一人になっても、「本来」「真実の意味では」、人々が善く暮らせるよう、他人のために率先して戦い心をくだき、模範となる知恵や勇気を持てることです。

フェルディナントはなにものをも恐れず、通念と原理の矛盾に本来の原理で真っ向ブチ当たっていきます。フェルディナントは受動的に規範に従う者ではなく、ずっと能動的に貴族という正義を行ってきた者、だからこそフェルディナントという黄金の自信家が築き上げられ、もう常識という枠を外れても崩れることはないのです。たとえ、貴族の位を失っても。

 

VSカスパルくん

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 フェルディナントとともに「正義」の天秤の両皿をなすかのように帝国に配置されているのがカスパルです。カスパルも「正義」が世に為されることを好み、フェルディナント天秤(フンボルトペンギンみたいだな)の評価でもメルセデスと同じように「君は貴族の鑑だ!」と絶賛。これも「人々の争いを止めるため戦うことを厭わない」ノブレス・オブリージュ性質をカスパルの行動に見出したからでしょう。

しかしカスパルは「信念」というスケールに沿って行動するフェルディナントと違って「直感」で行動し、フェルディナントが考えるような政治的判断を考えません。この二人の地味に対照的な性質は紅花ルートで「光の杭」が降ってきたのをとりまレアのせいにしとくエーデルガルトの判断に従って話を進めるフェルディナントと、おかしさを感じ取って「???」となるカスパルのシーンにもよくあらわれています。

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ふたりの毛色の違った「正義」は左右の天秤の皿が揺れながら釣り合うように、「政治的判断→からの殴り倒すカスパル」「直感的に殴ってしまった→のちに正しかったとわかるフェルディナント」のように互いに影響し合います。

フェルディナントが直観的に殴ってしまった貴族の部下は平民の商人に不当な商売を強いたうえ脅迫でもみ消そうとしており、結果的に悪しきほうを殴れたのですが、フェルディナントとしては貴族として平等に双方の言い分を聞いて正しい裁きを……というつもりだったのでしょう。しかし、「平等に、行儀よく、正しい手続きで、時間をかけて」というやり方では守れない正義もある、というのがカスパルのテーマです。

現代においても、差別され息苦しい思いをしている人が耐えかねて声をあげるとき「そんな言い方じゃ誰も話を聞いてくれないよ」「もっとわかってもらえるように説明すべき」という言葉が飛んでくるトーンポリシングという問題があります。殴られた人が「何すんだコラやめろー!」と叫んだらそこだけ見て「『やめろ』なんて汚い言葉遣いじゃなくて『やめてください』と言うべき」とか「何すんだコラなんて言うような下品な人だから被害に遭ったんでしょ」とか言われちゃうのは不正義なことです。

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「平等」に「どっちもどっち」とか「正義の反対はまた別の正義」とか「両論併記」とかしているだけでは正義は行えないのです。フェルディナントが殴っちゃった件でも、もし貴族の部下と平民の商人の言うことを平等に聞いていたら、脅す権力がありもっともらしく話す貴族の部下に有利に話が進んでいた可能性が高いです。権力的・物理的に弱い人や少数者にも「平等」な扱いをすることは「バランスが釣り合う」ことではありません。「平等」だけでなく、状況の偏りにあわせてハンディキャップをつけ、ときには直感の正しさによって正規の手続き絶対主義をゆるめるような「公平」さが正義のためには必要です。「イコール」ではなく「フェア」。このバランスをあらわすために「正義」のカードの天秤の皿はしばしば左右で大きさを変えて描かれます。

 

 

エーギル星騎士団

 そろそろこの変な男の難解な「天命」に向き合いましょう。

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 大司教補佐や宰相といったサポート役の行う政治能力には、バランス感覚が必要です。それは個人の感情の嵐から天秤を守ることもそうだし、自分の間違いをすぐに修正する(君子豹変す、というやつです)ことも、主の間違った判断や足りないところを臣下が正すこともそうです。だからフェルディナントは恨みで我を失ったディミトリや、エーデルガルトを制したり意見を戦わせたりする様子のないヒューベルトにダメを出します。

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これまで見てきたように「均整(バランス)」を司るセテスやフェルディナント=フォン=エーギル!ですから、異なる宗教や貴族と平民の垣根を払って社会のバランスをとることで揺らぐアイデンティティなどありはしないのです。なぜなら、社会に要請されるバランスをとり続けること自体が聖キッホルの紋章の「正義」の中心だからです。

西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)

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  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2019/09/25
  • メディア: ムック
 
私とは何か (岩波新書 新赤版 (664))

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  • 作者:上田 閑照
  • 発売日: 2000/04/20
  • メディア: 新書
 

哲学の話をしますよ。西田幾多郎『善の研究』で論じられた「真の善、真の自己」に至る道は、上田閑照によって「我は我ならずして我なり」、「私とは、私ならずして、私である」と説明されました。このわけのわからん哲学の言葉がフェルディナントのわけわからなさと重なってみえます。

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フェルディナントにとって自分とは、自分の内側から勝手に湧いてくるなにかではなく、社会と環境が与えた課題と正しく関り続けてきた揺るぎない積み重ね、そしてこれからも関わり続けていく揺れる「状態」のまるごとをさすのです。私は、私ではない世界と関わるからこそ、私である。

「それが誇り高き貴族の使命であり、

 私が自身に課した天命なのだから!」(二回目)

「天命」とは本来正義と真理のバランスのために世界から人に課されるものですが、

世界に与えられた状況に対して正しく為し続けていく者のことを彼は「誇り高き貴族」と呼び、

その天命を為し続けていくと選んだことそのものが、たとえ世界がなんと言おうともまぎれもない「私」であると、

ラストバトルのどさくさに紛れて難解で哲学な自己紹介を当然のように叫んだのです。

私がそうと決めたこの私の輝き、私の指差すあの星こそ、貴族の星であると……。

(巨人の星みたいに言う)

 

「正義」のカードに描かれる裁判の女神はしばしばローマ神話の正義の女神アストライアーであるといわれます。しばしばいわれますっていうか、アストライアー神は正義概念の擬人化ですからね。

彼女は人類が豊かな自然に満足していた黄金時代、世界に冬がもたらされ農耕し労働せざるを得なくなった白銀時代、武器を持って争い合うようになった銅の時代を過ぎて、地上から神々がことごとく去っても地上に残り、ずっと根気強く人類に正義を訴え続けました。

やがて糧を得るための争いだけに飽き足らず、人類が欲望のため悪行をなしまくる鉄の時代が来て、ついに人に失望した彼女が地上を去った、それは神々の中で一番最後だったといいます。

正義の、最後の女神アストライアー。その名は「星のごとく輝く者」

たとえすべてを失っても、すべての輝きが地上から消えても、苦境のときも光り輝く真価が、人の心の中の善にはある。

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それが栄光を失った私にもついてきてくれた、私の積み重ねた誇り、エーギル星騎士団なのだよ!

 

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