湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「正義」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑧-2

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「正義(Ⅷ Justice)」のアルカナの記事です。下の対応キャラを見ていただいてもすごい多いせいで激烈に長くなってしまったので、今回は後編です。分けたのに後編が激烈に長い。

歴代の「正義」アルカナのキャラ、(上杉秀彦(ブラウン)、周防克哉(前編))、伏見千尋、天田乾、堂島菜々子、明智五郎の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

↓前編はこちら↓

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『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。現在『メタファー:リファンタジオ』を読解中です。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、再販してます。

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『ペルソナ』シリーズの中の「正義」アルカナ

 「正義」アルカナは1〜7番の定番キャラクター像からすると配置されているキャラクターの個性の幅がかなりとっちらかっています。ブラウンと菜々子が同じアルカナて。

これは「正義」が反対のものの釣り合いを意識する天秤のアルカナであることと、あと「正義」アルカナに2通りの番号があることにも関係しているんじゃないかなーとおもいます。

広く流通している二種類のタロットカードセット「マルセイユ版」と「ウェイト(ライダー)版」の大きなちがいは、「正義」と「力(剛毅)」の位置の入れ替わりです。古くからある「マルセイユ版」系のタロット(左側)では「正義」が8番、「力」が11番なんですけど、比較的新しく作られたウェイト版(右側)の解釈ではそのふたつの順番が入れ替えられており、「正義」は11番になっています。描かれている象徴はほぼ同じですけどね。

ペルソナシリーズにおいてはどっちなのかっていうと、アルカナ対応キャラクター描写が強化された3以降で8番として扱われている関係上今回の記事は8番にすべてまとめたけど、システム上の表記では異聞録と罪罰の正義は11番になっています。

特にペルソナ3から明確に意識されている、タロット大アルカナの順番が魂の成長過程を表すという「愚者の旅」の見方からすると、「11正義」は「8正義」に比べてより進んだ、成熟した段階を表しています。……というより、「8正義」がまだ幼い正義をあらわしていると言った方が理解しやすいかもしれません。「正義」という言葉から受ける印象にストレートな正義の大人であるのはやはり罪罰の克哉で、むしろ異聞録と罪罰両方に同じアルカナの別キャラがいるのは「正義」アルカナだけなので、ブラウンは「8正義」寄りなのかもしれないですね。

 「8正義」は1〜7番までの「価値観の学習」「守られた子供時代」を終えたすぐあとのアルカナ。

ペルソナシリーズの「8正義」キャラクターの顕著な特徴は、「失われた正義のバランスをどうにかとろうとしている、傷ついた子供」です。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「正義」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

「正義」の元型

徳性「正義」

カードの寓意と伝統的な意味については前半の記事をごらんください。

 

ペルソナ3 伏見千尋

 伏見千尋(ふしみ ちひろ)、高校二年生で主人公と生徒会活動をともにする後輩。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

 縁の太い眼鏡、前髪もセットもないワンレンロングヘア、猫背で腰の引けた3Dモデル、オドオドときどき早口な喋り方、オタク気質、引っ込み思案でものを言えない性格、男性恐怖症ぎみ……と明らかにクラスのイケてない方の地位低め陰女子です。地位低めなので休んでる間に生徒会を押し付けられて何も抗議できなかった。あるあるすぎる。『リロード』ではいかにも面倒臭い長文メールで陰女子の解像度をさらに爆アゲ!!

でもそういうめがねっ子のほうが実はかわいいことを俺だけが知っており……俺だけに気を許してくれる……!のでオタク心をくすぐり、人気キャラクターです。ペルソナ3から「正義」アルカナは明確に「天使」のペルソナのアルカナとなり、コミュキャラクターの清廉さ羊のような幼子のような無辜さをひきたてています。

 

潔癖

 千尋は人付き合い特に男性が苦手、さらに生徒会会計の役割を振られているのに数字が苦手で困っています。これらの困りごとの克服に付き合うことから主人公との関係は始まります。

共学の生徒会なんですから、普通よりも学年性別いろいろな人間と公平平等に堂々と関わらなければならない立場なのは当たり前だし、「会計」という計量と清算を司る役目も「正義」アルカナの天秤と剣に属するものです(ちなみに「千尋」という名前でしかほぼ聞くことのない「尋(ひろ)」という和語も水の深さを測る単位であり、すごく数字な名前なんですよね)。

なのに千尋は苦手な人と好きな人との距離感が極端だし数学もできない。「好きなものにうまく近づけない」克哉とは逆に「苦手なものに不適切に近づくことになってしまう」バランスの崩し方をしているといえます。

 千尋のバランスの危うさは「恋愛(異性交友)」との距離感で特にバグります。

男性全般が苦手で話しかけてくる男性に怯え声も出なくなったり威嚇したりしたかと思えば、親切にしてくれて気を許せた主人公にはいきなり強めのハートマークを出してしまいプレイヤーをビビらせます。はしたなくイチャつく男女を見ると図書館の真ん中で思わず立ち上がって御法度〜!!と大声を出したりなどもします。

自分の立場を悪くしてしまうほどの病的な「潔癖」とは結局距離感やバランスをうまくとれないこと、なのにそれに対して関心やエネルギーを向けすぎてしまうことという、二重の調整失敗から生まれるものです。本当は、望まない向いてもいない役割を振られたなら嫌だと放棄すればいいし、不純異性交友が苦手ならデカ舌打ちしてその場を離れ無かったように振る舞えばいいのです。千尋にはそれができません。真面目な生き方や男女のあるべき姿という「正義」に、トラウマのように釘付けにされて離れられないからです。

 

父の大いなる不在

 千尋を釘付けにしている心の傷は、現在離れて暮らしているダメ父親のことです。

千尋の父親は千尋の母や千尋に暴力的で、別居しても当然千尋には男性の大きさや腕力、大声、不機嫌な威圧などへの恐怖と嫌悪が残りました。かわいそう。千尋が男性への接し方が変でもまったく仕方がありません。

しかもただでさえ弱った父のない母娘に世の中は優しくなく、何かというと怖い思いや差別的な視線のしわ寄せをうけることになります。「あの子が集金袋ちょろまかしたんじゃないの? なんか親やばいみたいだし」とかさ。ブラウンへのいじめがそうであったように、現実の世界は弱い者、傷ついた者に追い打ちをかけるようにできてしまっているのです。

千尋の好きな少女漫画やロマンティックな文学の中では、男性は優しく紳士的で、なんだかんだ言ってもヒロインを守り、一生懸命正しくがんばるヒロインは恋愛的にも社会的にも報われるはずでした。父や自分の弱りにつけこんで追い打ちをかけてくる周囲にその世界の正しさを破壊された千尋は、「正しさの回復」に無意識に躍起になってしまいます。不純異性交友にキレてしまうのも主人公にグイグイ重い好意で迫ってしまうのも、逆のように見えて千尋にとっては同じ「正しいロマンスの回復」の強迫というわけです。

そのバランスの変さは、千尋自身もどうすることもできません。そしてそれって好きな人に愛されることでも解消はされないのです。失敗してコケ回ったすえに、自分の言いたいことをちゃんと言えるようになるまでは。正しい父のいない自分の人生に、自分自身が責任者となれるまでは。

知らんうちに押し付けられて望まなくても断れなかった生徒会の役目も、あとで思い返せば穴に入りたくなるような主人公に対する想いの七転八倒も、彼女自身の肉となり、彼女はエンディングの約一年後みずから選定を受けて生徒会長となりました。

父なくさ迷う被害者であった千尋は、主体的に生きられるようになっていき、『ペルソナ4』のゲストキャラとして落ち着いた決然とした美しさを花開かせています。

 

ペルソナ3 天田乾

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 天田乾(あまだ けん)、小学五年生で主人公の通う学校の初等部の生徒。ペルソナ使いの仲間です。

賢く真面目で行儀も運動神経もいい万能出木杉君なだけでなく異様なまでに覚悟のキマッた目をした「いい子」で、年齢相応の無邪気さや子供っぽさを無理に封じ込めています。実像より背伸びして大人であろうと皮肉を言ったり好きなものを我慢したりすることも。

小学生にして特別課外活動部に志願し、シャドウ討伐や強くなることにいやに熱心。その理由はネタバレである……。

 

天罰の生贄

 天田は2年も前、8才とか9才のときに唯一の近親者であった母親を亡くしています。親戚をたらい回しにされ、他の子の保護者たちにも触れがたいかわいそうな子として気遣われるようになった彼は大人びてしまいました。

元来は普通に聡明で運動神経もよく朗らかで、同級生たちからは英雄的なデキるヤツとしてサッカー一番うまいぜと思われているような、母親を不可解な事件で失う前の天田はまさに「戦車」的な祝福された英雄少年でした。

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ペルソナ3~5において「正義」アルカナは「戦車」の次のアルカナ。「戦車」のキャラクターは宮本や竜司が示すように「(物理的)挫折」を含んではいますが、「正義」の天田はより深い挫折をすでに前提として抱えてしまっています。「世界には、必ずしも勧善懲悪がはたらかないのかもしれない」という挫折を。

天田は勧善懲悪の化身たる「特撮ヒーローもの」が大好きであることを周りに隠そうとします。↑この後↑なども、フェザーマンについて熱く語ったかと思えば「……! って、クラスの他の子たちが言ってましたし(目泳ぎ)」とごまかします。これはコーヒーをブラックで飲もうするのと同じに生き急ぐ背伸びでもありますが、「本当は勧善懲悪の原理がはたらく世界を愛している」のに「そうではないらしい世界に無理をしても適応しなければならない」と思い詰めている葛藤の天秤のあらわれている痛々しい様子でもあります。



 母という居場所、彼くらいの年の子供には無条件に与えられてしかるべき保護者からの生き方の導きを失った天田はシャンと立って歩くための別のエネルギーを求めました。それが母を奪った事件の復讐、つまり正義の回復です。

天田の初期ペルソナ「ネメシス」女神は言葉としては「復讐」という意味で使われがちですが、個人的な復讐ではなく神や世界に対する不正や不敬を罰する天罰の意味の強い復讐の女神です。

「法にも社会にも裁かれない邪悪に天罰が下る」、しかも何十年のゆっくりしたスパンで巡り巡って……とかではなく、雷光のように鮮烈に、スカッとざまあな天罰が下ることを夢見てしまうのは、大人向けの娯楽でも実に多いわけですが、いうたら子供っぽい欲望でもあります。まして思春期くらいの真面目な少年少女って正義の回復の天罰を降らせるために、「自分がこのことで力尽きて死んだら、きっと悪い奴らが裁かれ思い直す、みんな認めてくれる」というようなことを一度は思うものでしょう。正義のために命を消費することは幼稚で愚かではありますが、美しくヒロイックなゴールです。愛や保護に渇き、行き場のない子供が足を引きずりながら目指せるくらいには。

いなくなった母さんのかわりに、正義の回復を神に請うために命を使い人生を完結させる女神の夢に抱かれてやっと天田はしっかり寝たり起きたりすることができました。その大人び方がなんとも言葉にしがたい美しい異様さを帯びるのも当然で、天田は大人になる前に死ぬために自らを磨いている生贄の少年だったのです。

自らを見つめなおした天田は復讐を志したことについて、「僕は僕だけで生きるのが怖かったんだ」と言いました。保護者に包まれず、正義にも包まれない世界を自分の意思と決断で生きていくことは、天田の年齢でなくともどれだけ恐ろしいことか!

間違ってしまうかどうかじゃない。「それでいいよ」って言ってくれる誰かが伴走していてくれなくては……。復讐の夢は彼にとって親代わり、鋭い槍の刃も杖代わりだったのです。

 

正義のヒーローマスク

 復讐という目標はなんとか歩いていくための親の代わりという側面があったとはいえ、母親の事件を不可解にもみ消されたときに抱いた「真実はたやすく歪められる」「正しい手続きがごまかされる『大人』の世界はおかしい」という破邪顕正の意思はその後も天田の善き個性として光っていくことになります。

 後日談である『エピソード・アイギス』では全員がそれぞれの動揺や動揺のごまかし、カラ元気や気まずそうな気遣いなどを思い思いに披露していますが、天田はコロマルと並んで本編中と調子が変わらず、実は誰より早く・持続的に「真相」を見定めるべきことに興味を示しています。母や荒垣が日常世界の中では「ありもしない事件」で消えたことになっている理不尽に関心をもっているからです。もう誰を恨めばいいとかそういうことではなく。

天田は深刻に思いつめやすく辛気臭くももありますが意志堅固で流されづらく、彼のペルソナ「ネメシス」や「カーラ・ネミ」のデザインが表す巨大な天の星々の運行のように冷静に粛々とやるべき正しいことに向かうことができるタイプです。直進する光のような問答無用の聖なる力強さ

 

 天田は因縁ある真田・荒垣、コロさんのほかにはいやに順平との絡みが多く、『P3R』での総攻撃勝利ポーズも「尻餅からキメポーズの順平」と「キメから槍の重さで尻餅の天田」というふうに対のようになっています。制作側が意識しているかはわかりませんが、順平の「魔術師」アルカナと天田の「正義」アルカナには実は関わりがあります。

タロットナンバーを7枚周期×3で並べたとき、縦3枚のセットは元素周期表のように似たテーマが繰り返されるようになっています。ペルソナ3以降のアルカナ順序ではその最初の3枚セットが「魔術師」「正義」「悪魔」です。

これらに共通しているのは子供的な未熟さ、目標や責任の薄弱さ、そしてこれから内面を充実させていくからっぽさだと当方は考えています。「魔術師」は軽佻浮薄に、一方「悪魔」は怠惰無気力に、「意思」というよりも思いつき的な欲望に突き動かされて生きてしまいがちです。意思や目標をもち自分の責任において人生を歩む大人のあり方ではなく、不満足を「誰かが何かをしてくれないせい」「あいつが悪いせい」と考えてしまう癖がある半端者というか、「子供の甘え」的な心の状態が「魔術師」「悪魔」でしょう。

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「魔術師」アルカナの順平の項でも述べましたが、順平の父は一時的成功から落ちぶれて再出発するでもなく酒に溺れるようになってしまったので、「魔術師」から「悪魔」の淵に転落してしまったことになります。順平自身も、嫌悪する父親と同じ「何もなさ」「周りのせい」という弱さを自分に感じてン゛アーッ!ってなっています。

3枚セットの真ん中のカードは、同じテーマの中での「バランスのとり方」を表しています。「魔術師」のお調子と「悪魔」の堕落の真ん中である「正義」はそうした周りの世界に翻弄されてしまう子供の心や自分軸の持てなさを律するため、「じゃあ、僕はどうあればいいんだろう?」と中身がまだなくても、無理があって極端だったりしてもなんとか基準や決断をうちたてようとする意思の力を示しているのですね。声優ネタになってしまうが「逃げちゃダメだ」のカードだといえます。

最初は子供が満身創痍の心をとりつくろうための強がりにすぎなかったとしても、天田の愛するフェザーマン達のように強く正しく羽ばたける心の筋力に変わる最初の一歩は、「正しい大人のようであろう」「公正で潔く格好良くあろう」という「ガワ」をまとう意思のほかにないでしょう。「ペルソナ」とはそもそもそういうものです。

 余談ですが、フェザーマンは『ペルソナ2 罪』の世界のキーワードでもありました。子供はヒーローの仮面をかぶることで「今の自分以上の何者か」になりきり、夢の翼を育てるのです。

 

ペルソナ4 堂島菜々子

 堂島菜々子(どうじま ななこ)、小学1年生。主人公の下宿先の叔父の娘で従妹にあたります。ペルソナとかそういうことは知らない一般人のコミュキャラですが、ペルソナ4(無印)の事実上のメインヒロインです。

たいへん利発で優しく、亡くなった母親、家庭をおろそかにしがちな父親の代わりに家事までこなしている美幼女ヤングケアラー。天田と同じく「いい子」の仮面を頑張ってかぶっています。中身が実は悪い子とかでは全然ないのですがとにかく頑張っていい子にしています。

主人公を「お兄ちゃん」と呼び、実の兄妹のようになっていきます。その無垢で儚い笑顔はまさに「正義」アルカナの大天使、菜々子で味をしめた制作陣は最新作『メタファー:リファンタジオ』でもより洗練された天使の妹をお出ししてきました。もっとやってほしい。

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理想の子供

 菜々子はもちろんかわいくて賢くて素直で健気、どこから見ても180度「えらいわね~」「おりこうさんね~」です。こんな小学校一年生がいるか。いなくていい(いていいけど)。

そりゃ地がいい子なのはいいけどさ、忙しい父親のため、家庭がこれ以上ばらばらにならないためにと感じ取って「いい子でいなくちゃ迷惑かけちゃう」と気を張っていることが多いなんてつらいよ。

 

 天田の項で「魔術師」「正義」「悪魔」の3カードセットについて述べたように、8番の「正義」はまだ中身のない、子供の心のちょっとムリをした背伸びの自律の意味合いももっています。

小さな子供を健やかに生かすことは大変な手間を要することも多いですが、保護者を愛し求め微笑むという面では天使のような存在です。しかし、その無条件の愛情は厳密には愛ではありません。子供は、保護者なしには生きていけない、生存のために保護者の愛が必要だから、保護者を愛し求めているかのような行動になるのです。もちろん子供がそのように意識して計算しているわけではなく、無意識で本能的な生存戦略だし、その生き残るための笑顔は健全な親子関係であればそのうち本当の愛情の笑顔へと育っていくはず。なのですが……

正式な学説というわけではありませんが、「モンロースマイル」という言葉があります。マリリン・モンローの不思議なまでに魅力的な微笑みからたてられた説で、「親の愛情に恵まれないなど家庭的不遇を抱えた子供ほどに、大人に気に入られようと無意識のうちに魅力的な笑顔をふりまくようになる(それゆえに、オーディションで採用される魅力的な俳優やアイドルはすでに家庭に問題を抱えていることが多い)」というようなものです。

菜々子の笑顔は素直にかわいらしいばかりですが儚いようでもあり、通常立ち絵の目は何やらやましい大人の心を見定めるような深さがあるところがまた、不思議な魅力をたたえています……。そして、「大人の愛と期待を集める理想の子供のイデア」のような菜々子の作文がテレビで放送されると、街の皆は実体を知らない匿名の菜々子の天使のごときすばらしさ健気さに異様に熱狂することになるのです。

モンロースマイルや「理想のいい子」もいわば「ペルソナ(社会的仮面)」ではありますが、菜々子のような年頃の子が無意識に「愛されるために、家族を失わないためにいい子をしなければ」と気を張ったりガマンをし続けるのはやっぱつらいことですよね。大人としてゴメンがある。

 子供は勝手に、保護者の都合に合わせてしまいます。教育界では10年くらい前まで子「供」という表記は差別的であるから「子ども」「こども」と書くべしという動きがありました(今はもう「子供」表記は差別にはあたらないとされている)。「供」という字は「お供(オトモ)」など親や大人社会のサブ添え物であるとの考え方が出てるよ~こどもも一人の人間としての人権を尊重されるべき存在だよ~という意図が主の考え方でした。

さらにまたもう一説には、「供」は「お供え(オソナエ)」、すなわち神へ捧げる命として清らかな子供が「供された」ことを想起させ、現代でこどもたちが犠牲になることを許してはならないからだ……とも。

天田の項でも述べましたが、8番の「正義」はカードに子供など描かれていないながら「子供の犠牲」を想起させます。子供が被害者となる展開ばかりでなく、少なくとも「まだ子供でいたい心」はすっぱりと切り分けられるのです。

菜々子は知らぬ間に大人たちの都合のためにすこしずつ身を削ってきて、ついに最も清い理想の子供として祭り上げられた結果、天の国へのぼる犠牲となりました。

 

大人の分別

 母を失い、それでますます仕事に没頭するようになってしまった父を見送り「与えられる子供」であることができなくなっていたいい子の菜々子は、コミュの中で主人公という「お兄ちゃん」を得て家族の中の子供としての自分を出す時間をとれるようになります。「いい子にして待ってろ」ではなく時間をとって話をしてくれるお兄ちゃんとの時間で菜々子が話し考えたのは、父の言いつけを守るいい子であることの意味、「正義の中身」でした。

コミュランク1→2のストーリー。お父さんといっしょに夕飯を食べられることに喜ぶ菜々子は、お父さんの好きなたくあんがなくなっているのに気付き、主人公が一緒に行くというので夜の買い物に行きました。

主人公は「菜々子はお父さんのことを思って」とか「自分がちゃんとついてた」とかそういう選択肢を言って菜々子は悪くないと言いましたが、お父さんは夜に外に出てはだめと約束したんだからダメなものはダメだととりつくしまもなく叱りました。菜々子はいい子であるためにお父さんとの問答無用さとの間で揺れながらも、「お兄ちゃんが『菜々子は悪くない』と言ってる」ことを真実らしいと感じ取り、「どうしてお話を聞いてくれないの、お父さんのバカ」と走り去ってしまいました。

もちろん、堂島が菜々子の夜間外出を厳しく禁じるのはまっとうなことだし、叱るのも菜々子のことを真面目に心配するからこそです。でも、「お父さんがそう望んでるから、お父さんの迷惑になりたくないから」とにかくいい子をやっている菜々子にはその複雑な中身がわかりません。親を喜ばせたいと思っているのに問答無用で叱られた子供は「自分のことより決まりを守ることのほうが大事なのかな? 自分のことなんかどうでもいいのかな?」と感じてしまうものですよね。

 

 菜々子は「お父さんは菜々子より、悪い人のほうが大事なの?」「菜々子はお父さんの"ほんと"の子どもじゃないからお父さん帰ってこないの?」と聞いてきます。

新作『メタファー:リファンタジオ』でも菜々子のポジションにいる妹的存在が、戦いに身を捧げた父について「自分のことを捨てていったのでは」「またここから捨てられてしまうのでは」という不安でいっぱいになっていました。どちらもそんなわけなさすぎるのですが、「いい子」でない普通の子供の心にとっては、親に割かれる時間、一緒に過ごして見つめてもらえる時間こそが愛です。その価値基準からしたら、単純な数量として自分は愛されておらず父は仕事のほうを愛しているのだという天秤の判定が下ってもまったくしかたがありません。菜々子の天秤の問いは、子供だったときそのように自問したことのある人も多い普遍的な問いではないでしょうか?

しかし正義の天秤には、本当は数量だけで測れない「意味」の重さがあります。正義の意味を知るためには、言って聞かせられるだけでなく、正邪に関する疑問や子供らしい気持ちとの齟齬を素直に話して、受け止めてもらって、ゆっくりと考える必要があるとおもいます。それが菜々子が主人公と過ごした時間です。

お父さんがお母さんや菜々子のことを思うがために仕事をしているとか、お父さんもお母さんが死んで寂しくつらいのは菜々子と同じとか……そういう、見えない、量れないものを実感したときに、菜々子の正義の天秤は心で動き始めます。それがただルールを守り適応して諦めるだけでない本当の「大人の分別をつける」ということでしょう。

もう、菜々子がお父さんを支える優等生であるのは愛情不安と生き残りのための悲痛な我慢ではなく、菜々子自身が意味の重みのわかった愛情です。

 

ペルソナ5 明智吾郎

※※※以降の項目には物語の核心にかかわるすごいネタバレが含まれます※※※

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 明智吾郎(あけち ごろう)、主人公とは他校の高校三年生で、高校生探偵。もちろん江戸川乱歩『怪人二十面相』のライバル「明智小五郎」をモチーフにした、怪盗である主人公のライバルキャラクターです。

高校生にして不可解な大事件の謎を華麗に解決しまくっているらしく、クリーンで知的で優しげな王子様然としたふるまいで「探偵王子(の再来)」明智くんと呼ばれています。『ペルソナ5』の5年ほど前にあたる『ペルソナ4』でパーティメンバー・白鐘直斗が元祖・「探偵王子」ともてはやされていたときにはメディアが勝手にネタにして盛り上げている感じでしたが、明智は積極的・継続的にテレビ露出の仕事を増やし、機知に富み悪を憎む正義のヒーローとして世論の支持を固めています。

その、はずですが……

 

神の右手と左手

 名前がバッチリ示すように、明智は作品の大きな構造として怪盗である主人公に対置されていいます。アニメや、『ロイヤル』のとある絵では主人公とチェスをする姿が彼らの白と黒の戦いの寓意(メタファー)として描かれています。

『ペルソナ5』がピカレスク・ロマン(悪漢物語)の側面をもっている以上、体制側的には悪とされることをやってのける主人公たち怪盗団のもつ「黒い正義」は体制的な「白い正義」によって引き立てられ、そのコントラストと葛藤が「本当の正義とはなんなのか」の陰影を刻み出すことになります。

明智は自分の出演テレビ番組のスタジオ観覧者であった主人公と怪盗について談義したことからこのように言いました。

「会えてよかった、お礼が言いたくてね。やっぱりアンチテーゼがなきゃ、アウフヘーベンは起こらない…
 ハハ、ごめんごめん。君との議論が、とても有意義だったってこと」

この明智が突然言い出した横文字は「テーゼ(命題:AはBである)」と「アンチテーゼ(反対命題:AはBでない)」の対立によって「アウフヘーベン(止揚:反するものが統合され概念のステージが上がる)」を起こす……という「ヘーゲルの弁証法」の用語です。

明智と主人公の怪盗談義でいえば、「怪盗団がやっていることは悪だ」という明智の基本テーゼ「怪盗団は一面の正義だ」という主人公のアンチテーゼ対立することで、それらを統合したより高い概念に至るきっかけになるかも……というような意味です。

政治的な保守派と革新派、大きな政府と小さな政府、現行法と改正案など、どちらかの正義が完全であるということはなく、たえざる議論と葛藤と試行のなかですこしでも浮き上がって手を伸ばすことこそが正義です。「正義」のカード、そして正義という徳性にかならず表される「天秤」という象徴物は、正義や公平はその時その時に対立物を見比べたうえでしか見いだせないことを意味しています。

明智は正しくクリーンなことを言いますが、声なき弱き者を助けているわけではありません。怪盗団は悪をくじき人を助けることに成功しましたが、明智に「悪い奴の心を変えて世直しなんてただの私刑ですよ」と言われて反感をもちながらも動揺しました。怪盗団と明智はお互いに痛いところを突きあったのです。しかし、この動揺こそが怪盗団に「悪い奴を感情でとっちめるだけではなく、正しさについて確かな覚悟と信念をもたなければ」という正義のブラッシュアップを確かに与えたわけです。

 

 テーゼとアンチテーゼ、白と黒の葛藤によってより高次の結実をみるアウフヘーベンは、正義のありようを考える以外でもあらゆるところで起こります。

ペルソナシリーズがモチーフとするユング心理学の、「意識」と「無意識の影(シャドウ)」が対立したままに統合し真の自己へ近づいていく……という考え方もそのひとつといえます。よくマンガ的に表現される心の中の天使と悪魔のささやきや、『少女革命ウテナ』の天上ウテナと姫宮アンシーの関係のように、明智にとっての影が主人公、主人公にとっての影が明智です。光と影が拮抗し戦いのダンスを踊ることで、世界は限界の先へと進んでいきます。

ロイヤルのオープニングではこんなウテナ寝をしたぐらいにして

そして実際に主人公と明智は、神の実験において似た境遇で似た力を別ベクトルで授けられた、白と黒の盤面遊戯のコマであったことが、終盤に判明します。

 

決断主義の世界で

 明智が言った「怪盗団がやっていることは正義とはいえない。法によらず勝手に人を裁くなんてただの私刑ですよ」という主張は怪盗団とプレイヤーを「確かにそうかもな……」と動揺させその正義を磨かせるきっかけとなりましたが、実はそれは明智自身の真の信念ではなく、欺瞞の言葉でした

明智はかつて怪盗団と同様にクソ大人の理不尽に踏まれ黙殺され、いずれそれに復讐して世を正してやると怒りを燃やしている子供でした。怪盗団より先に「神」から認知世界に介入する力を与えられた明智は、復讐対象に取り入って自分の力を高めるという方法に出ました。そういう意味では明智は復讐対象に近付きペルソナ能力を鍛えるために特別課外活動部に入った天田の再話になっています。

それがゲーム開始時点から話題になっていた精神暴走事件を含む彼が「探偵」として活躍した多くの事案です。認知世界を介して復讐対象にとって都合のいい事件を起こしつつ明智はマッチポンプでシナリオ通りに解決(?)させヒーローに祭り上げられる、という流れでした。

なんかもう「正義とはいえない」とか「私刑になる」とかいうレベルじゃねーぞ。八百長や出来レースの絵図面で残酷に勝ちながら表面上クリーンそうに振る舞うというのはまったく「正義」アルカナ的な不正のやり口ですね~! 必死で対抗する反対勢力を品よくあしらい「反対している人はなんか唾飛ばして上品じゃないなあ、怖いし」みたいな印象を大衆に与えるとかで権力者が現実によくやっていることです。明智の「表のペルソナ」であるロビンフッドは彼の根っこの反抗と正義の心から生まれつつも、「クリーンに見てほしい、ヒーローをしている自分を見てほしい」というガワをまとっていました。

 

 ただ、「こんなに理不尽が蔓延した世界では、正しいことだけやってよく生きていくなどと甘えたことは言っていられない」「生き残り自分の望みを叶えるためには、人をおしのけ傷つけても前に進むしかない」「怒れ、戦え、勝ち取れ」という根っこの考え方じたいは、怪盗団と明智に共通しているのです。誰をどのように傷つけるか、勝ち取るものが何か、という点に正義の違いがあっただけで……。

怪盗団と明智に共通する上記の『ペルソナ5』全体を駆動する若者たちの鮮烈な意思のような方向性を、宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』において「決断主義」と名付けています(ゼロ年代批評なのでもちろんペルソナ5について論じた本じゃないし、「ちょい前の時代からの文脈」的な話だよ)。

従っていれば幸せになれる「大きな物語」の幻想は90年代までに破綻をみてしまい、90年代後半からの碇シンジくんやセカイ系の「内面世界に閉じこもり完結する」戦略が流行るも限界があった。その後のゼロ年代では、押し寄せる新自由主義や自己責任の流れの中で「道徳に従うのでも、内面に閉じこもるのでも生き残れない、何も叶えられない。『自分の望む物語』の実現のために外へ出て、覚悟してダークな選択もして勝っていくしかない」というヒリヒリした時代の感覚をとらえて『鋼の錬金術師』や『DEATH NOTE』といったキマッた目をした主人公の決断的なダークファンタジーが流行したのだといいます。『進撃の巨人』のエレン・イェーガーなどもこの流れに属するといえるでしょう。

10年代後半ともなると決断主義はもはやとりたてて言うようなことでもない「世間の常識」となり、ジョーカーと明智のダークヒーローぶりは特殊というより時代にとって普通のヒーロー像をカッコよく具現化したにすぎないともいえます。

 

 90年代に失われた「大きな物語」とは、タロットでいう1~7番のおとぎ話的な世界観です。

大人の言うことをきいて正しく成長し正しい勇気をみせればハッピーエンドが訪れるという世界が「そういう子供向けの物語」にすぎず現実は残酷だと知って傷ついた若者が、それでも外へ歩いていくためには、「この世は結局は力だ、勝った者だけが生き残り望みを叶えられるのだ、それが正しいことなんだ」という秩序を定義しなおす(=正義)決断主義的段階がかならず必要とされるということを8番の「正義」は描いているのかもしれません。

なんかいも述べたように、宇野のいう決断主義は今や別にセンセーショナルでもなんでもない、常識や前提、「戦国の世の習い」みたいなものになっています。やだね~。だから明智も怪盗団が現れて復讐対象のケツに火がついたりしなければ「勝ってる奴が正義」の世の中で勝ち続け輝き続けて本懐を遂げられたかもしれません。しかし、そうなったとしても明智は別に幸せにはならなかったでしょう。

「決断」が悪いのではありません。人を傷つけてでも勝って、生き残って、理不尽をいつか壊すという、傷ついた明智が這ってたどり着いた正義。でも、勝って、理不尽を打倒して、それで……? 明智はそこについてあまり考えていませんでした

なぜなら、明智は復讐対象を騙して養分にし、自分のおかげだと感謝させたうえで、ほえ面をかかせて破滅させたかった、それが何よりのモチベ源だったからです。この復讐対象というのは明智を捨てた父だったわけですが、この自分を愛さない親への復讐劇は、駆動しているのが憎しみというだけで、いうたら「お父さんのいい子」でいようとする菜々子と同じです。

父に、支援をもらい、褒められ、重用され、お前が大切だと言われたい。明智は一人でダークにサヴァイヴしているつもりで、無意識に「父の評価するような正しさ」のために生きてしまっていた「お父さんのいい子」になっていたのでした。

昨年、時代的な名作となったマンガ『宝石の国』が完結しました。「誰からも愛され尊敬されたい」「父的な憧れの存在である先生に褒められたい」というメンタリティで痛々しすぎる努力を重ねてきたがどんどん孤独にヤバになってしまった主人公・フォスフォフィライトは「自分は自分の望みを知ろうとしてこなかったために的外れだった」と気付きました。2024年大河ドラマ『光る君へ』の前半で最も精神的に飢え渇いた問題人物であった藤原道兼は、不自由ない暮らしとそれなりの権力を持ちながら「父親に重んじられたい」ということに常に感情を振り回され、誰を踏みつけても依存的な限り人は幸せになれないことを描いていました。どちらも仏教的な無常観の考え方ではありますが。

親に愛され、褒められ、あるいは自分を正しく愛さなかった親や世界に復讐し自分を認めさせることを目標として立ち上がることは、一時的な仮面や松葉杖としてはとても強力ですが、しょせんは他人軸、依存的なものであり、その硬いガワの中の自分の望みを充実させていくことなしには本人の心を幸せにすることは決してありません。

8番の「正義」はそういう「これから」なアルカナであり、天田も、明智も、これからの少年でした。

 

 

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