湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「戦車」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ⑦

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「戦車(Ⅶ The Chaiot)」のアルカナの記事です。歴代の「戦車」アルカナのキャラ、稲葉正男(マーク)、宮本一志、岩崎理緒、アイギス、里中千枝、坂本竜司の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。今回の記事では『4』『5』で指定されたことのある公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2024年2月2日に『ペルソナ3 リロード』が発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信完結しました(アイギス編含む)。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、再販してます。

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『ペルソナ』シリーズの中の「戦車」アルカナ

 ペルソナシリーズは第一作『女神異聞録ペルソナ』からタロット大アルカナになぞらえてキャラクターをデザインしてきました。特に一作で大アルカナすべてにキャラクターが当てられるようになったペルソナ3以降は「今回の〇〇アルカナ枠」みたいな「キャラ枠」の見方をすることができるようになってて、ある程度役割の文脈をみることができます。戦隊ヒーローで赤がリーダー主人公みたいなやつ。

その「役割の文脈」の中で、RPGらしい若者の血気盛んな向こう見ず挫折と成長を担当するのが、「戦車」アルカナのキャラクターです。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「戦車」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

「戦車」キャラはそれこそ戦隊ヒーローものなどの「ニチアサ」世界、低学年向け少年マンガの主人公のような誰もが慣れ親しんだキャラづけです。そういうわけで、思春期より後の「高二病」なちょっとヒネった世界観がウリのジュヴナイルであるペルソナシリーズにおいてはプレイヤーよりやや幼く「あいつが突っ走るからフォローしてやらなきゃ、やれやれ」って状況を作るような重要な役割を担ってくれています。俺らがやれやれして幼かった自分を客観視していくために「戦車」がすげー音をたててオーバーランして大破してくれるんだ。

ペルソナ主人公がちょっとダークであったりクールな格好良さの「ブラック」ならば、「戦車」キャラは愛すべき単純なおマヌケさをもったヒヨコのような「イエロー」です。実際、ペルソナ3,4におけるシャドウのアルカナを表す仮面もイメージ通りの黄色をしています。

 

「戦車」の元型

 まずはカードを見てみましょう。

 左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「戦車」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。(『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版ベースのブラックジョーク盛り盛りカードに変わってます)

かなり構図が決まっているカードですね。共通して描かれているのは二頭立ての戦車に乗った立派な鎧兜姿の英雄晴れた屋外で、戦車には豪華な天蓋がついています。一族に期待された若者が出征するか凱旋しているのでしょう。先ほどイメージカラーっぽいと述べたイエローが多く使われているのもわかるとおもいます。このイエローは黄金色、神の祝福をあらわす色です。

ただ、この二頭立ての馬車、逆方向に走ろうとしている馬相反する色のスフィンクスが動力だわ、よく見たら手綱や軛(くびき)がついてないわ、マルセイユ版にいたっては車輪が横向きについているわでとても実用的な戦車とは思えません

この「戦車」は、儀式用のおみこしかオモチャのゴーカートか何かなのでしょうか?

「戦車」の段階が意味しているのは、この神がかった不思議な戦車での勝利の一幕、それによる子供時代の完結です。

 

英雄の旅

 タロット大アルカナの中でも「最初のほう」、つまり1番~7番くらいまでの段階のカードは特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)が描かれていてわかりやすく個性的なため、『ペルソナ』シリーズの仲間キャラクターは伝統的にこれらの神話的な元型から作られています。パンチがきいてて誰にでもわかりやすいからな。

「戦車」のアルカナが特にあらわしている元型は、そのものずばり「英雄」、あるいは「英雄の旅」と呼ばれる物語類型です。

特別な輝きをもった子供が故郷を旅立ち、勇者として戦い、勝利して何かを獲得して喝采を受けるという、世界のどこにも古くから見られる、ロトシリーズ的な王道の物語。孫悟空やヘラクレスやペルセウス、まさに「元型」の代表的なもので、「戦車」アルカナにはこうした英雄のペルソナが多く属しています。

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 英雄の要素として、輝く若者であり、苦難を乗り越え、何かを達成(アチーブメント)する必要があります。

ペルソナ3以降に特に強く反映されているタロット大アルカナの1番~21番を魂の成長の1サイクルとみなす「愚者の旅」の考え方では、さらに7枚ごとの3段階にテーマが分かれています。その最初の段階のラストのカードがこの「戦車」です。

これまで記事で見てきた「1魔術師」「2女教皇」「3女帝」「4皇帝」「5法王」「6恋愛」はいずれも神話的な濃いキャラクター像(元型)や物語類型をあらわし、ペルソナシリーズでもメインキャラに据えられやすいと述べてきました。この最初の段階は歩き始めたばかりの子供の魂が先生に教わりニチアサを見るがごとく、世界の基本的な摂理や美徳を学習していく義務教育的な段階です。

偉大なものたちに学んだ子供は、学習したことをもとに「6恋愛」で自分の好きなものごとを選択し思春期を迎えました。選択に一歩を踏み出し一人でお家(楽園)を出て、進研ゼミでやったやつをうまく生かして初陣を勝利で飾る成功体験……それが「7戦車」の一幕なのです。

少年ジャンプ作品の連載前の読み切りや、旅立ち編の第一部が完!したときの「俺たちの旅はこれからだ!」という状況ですね。なんだか打ち切りみたいですが、本当にこれからなんですよ。

ただし、「旅立ち編のあたりは面白かったのにな~」とそのうち失速し打ち切りになってしまうマンガの多さが物語るように、「戦車」の若者のエンジンは不穏な挫折の響きを含んでもいます……。

 

『女神異聞録ペルソナ』稲葉正男(マーク)

 稲葉正男(いなば まさお)、通称マーク。主人公のクラスメイトでペルソナ使いの仲間です。

見ての通りB系ヒップホップでストリートファッションな少年で、リュックに入っているのはグラフィティ(落書き)アート用のスプレー。

 

走り出す勇者

 マークはグラフィティアートという不法行為グレーゾーンな趣味だし、ストリート系チームを率いているいわゆる「チーマー」だし、短気でカッとなりやすい直情径行あまり頭が回るタイプでもないし言葉遣いも荒いしで、ちょっと怖い不良のようにも見えます。

しかし、その実強い正義感と行動力とまっすぐな優しさをもった熱い男です。だからこそ理不尽や不正義に怒り、ノータイムのフリースタイルで弱い者を守ろうとし腐敗した大人を告発するようなカウンターカルチャーを好んでいるのですね。優しいいい子のように見られるのはイヤだという照れもあってわざと荒っぽい態度を選択しているところもあります。軽率なアヤセとはまた別の首つっこみ型トラブルメーカー。こうした人物像は『ペルソナ5』の竜司にそのまま受け継がれています。

そのため、クラスメイトたちにはおおむね裏表のない「いいやつ」みたいな好感を持たれており、人間関係は良好。ファッション的な信条で反抗的な態度ではありますが、根はとても優しく、入院がちなクラスメイト・園村麻紀に学校からの届け物などよく気遣って見舞っていて彼女に淡い恋心を抱いています。「社会から忘れられた神秘のお姫様」であるマキちゃんの真の美を見抜いて憧れ、守護し、お姫様の閉じ込められているお城を訪ね外の話を聞かせるマークはおとぎ話の若く純朴な英雄像です。

まあマキちゃんはおれのことを好きみたいなんだけどな。すまんなマーク、このゲームの主人公はおれなんだ

南条くんとは犬猿の仲です。「法王」である南条くんは知識と先例にのっとった理論派でどっしりと落ち着きがあり、思い立ったら即ダッシュしようとする「戦車」のマークからすると常に上から目線でお正論ばっか唱えていて自分の行動に嫌味なケチをつけてくるように見えます。役割的にブレーキとアクセルである彼らが相克するのは当然です。なかよくけんかしな。

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腰の重い大人世界への反発心をバネにして、大人には決してできない身の軽さで、「戦車」の英雄はロケットスタートして誰かを助けようとします。

 

稲葉さんちのマーくん

 マークは他の人物には「稲葉」と呼ばれることが多く、「マーク」という通称は通称っていうより「自称」です(異聞録のあだ名システムはほとんどがそうで、それぞれの「装っている自分像=ペルソナ」を表しているのですが)。

まさおでマークってマしか合っとらんやんという感じなのですが、実はこの自称、彼の過保護な母親が「マーくん、マーくん」と呼ぶことに反発してカッコよくひねり出したものなのです。どうせカタカナ名前なのですから関係のない名前を名乗ったっていいところを、子供のときからのコンプレックスを土台にしてありたい仮面を作り出すのはいかにも「ペルソナ」シリーズらしさです。この次の「正義」アルカナのあのヤローもまた……。

マークの家は「イナバクリーニング」という町のクリーニング屋をやっており、まあそれなりの太さの実家のようです。しかしマークは継ぐ気とか全然なく、むしろ「グラフィティアート」「ヒップホップ」という彼の志向するものはクリーニング屋のイメージとは真逆の「グランジ」「汚し」「反抗」の世界です。マークのスプレー缶はクリーニング屋という、なんにも悪いことはないけれど優等生っぽい白さとどことなく所帯じみた平凡さをまとった家業、「お母ちゃんが守ってあげる、家にいて手伝ってほしい」と言う母から飛び立つために知らず知らずたどり着いた翼なのです。安全な故郷を力強く蹴り出すための反抗の翼

マークはグラフィティアートにもプライドと美意識を持って「ただの落書きとは違う」と言っており、高校卒業後は渡米してグラフィティアートを極めプロフェッショナルになるつもりです。一見ノリの軽そうな「イマドキの若者」に見えることで表面上似ている「魔術師」のアヤセが将来何をしたいのか考えていなくて不安を感じているのとは違った、具体的な手段を含んだ夢の見方です。

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「ヒップホップダンス」というのもまた、芸術的センスや美しさというよりも自分の体を自在に大きく鮮やかに操作する力で魅せて誇るおもしろさが大きいものです。親や社会の言いなりではない、自分で自分の人生の手綱をとる者として、マークは独り立ちしたいのです。

宙船(そらふね)

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『ペルソナ3』宮本一志

 宮本一志(みやもと かずし)、高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

最新のリメイク『リロード』では運動部は陸上部に限定されてしまいましたが、陸上部か剣道部か水泳部の期待の次期主将候補です。剣道部だと「宮本一志」って名前が一番よく映えるから剣道部バージョンの宮本飾っとくね。

 

英雄の星は燃え尽きる

 宮本は「いわゆる部活で強い高校生男子」そのもの。もはや顔さえ見たことあるレベル。小さい頃から体格や運動神経に恵まれていてスポーツが好きで、部活一本バカで単純でカラッとしたやつです。高校日本一を目指すことも夢物語ではないくらい大会でも結果を出していて、かつ、なんか格が違う感じの主人公が部に入ってきて「お前には完全に負けた……」となっても嫉妬したりせず明朗に競い合ってもっと強くなるぞ!と思うことのできる、たいへん気持ちのいいスポーツマン

きっとこれまでの宮本の人生は、「練習する→つらくても練習する→強くなる!」という一次関数的な努力と達成を中心にできていたのでしょう。ねじくれていない「戦車」的な「単純だけどさわやかで素直で、腹の底からいいやつ」というのはそうした健やかな幼少期から生まれます。しかし、がんばったら報われる世界観が続くのはせいぜい青年期まで。

宮本はヒザの故障をし、日本一の夢のために走る道の途中で突然脱輪し、それまで順調に成長し意識もせずに操縦できていた体を動かせなくなってしまいます。

日本の中高生の運動部での故障って、事故みたいな特別なことがなくても常にロシアンルーレットのようなもので、「若いんだから身体なんか壊さないはず、壊しても治るはず」「今は無理してでも頑張らなきゃ」という若さへの過信と短慮がある限り、いつでも誰にでも起こります。宮本のように「このぐらい大丈夫だとちょっとの無理をした」以外には何も悪いことをしていなくても、「もう歩けなくなるかも」レベルのことは理不尽に降りかかってきます。この世は「悪い奴にはバチがあたる」「がんばれば強くなれる」という単純な公式ではできていない。「戦車」の若者はそのことをわが身で知って衝撃を受けます。

「戦車」のカードは成功や戦勝だけでなく、若者の単純な「友情・努力・勝利」の直線世界観が挫折するときを表してもいます。

 

 戦車を飛ばして走ってきた直線道路で突然脱輪、足を壊し、走破計画が狂っても、宮本は「日本一になる」を諦められません。「日本一になる」のゴールは、事故で足を壊しつらいリハビリを怖がって歩き出せない甥っ子を励ますためにした約束だったからです。

宮本はまた、故障について自分がどれだけ問い詰められてもダンマリを続けますが、秘密を共有する主人公にまで嘘をつかせそうな状況になったときに潔くゲロります。「戦車」の若者は、自分が痛いとか苦しいとか犠牲になるとかでは全然くじけません。いつも誰かのためにがんばることができます。勇者、英雄とはそういうものです。

しかし英雄である宮本は若さゆえ、その曇りのない強さゆえに、まだ理解できていないことがたくさんあります

たとえば、彼が周りの人を大切に思い、守るためにがんばりたいと思っているように、周りも彼をそう思っていること。

彼がたやすく燃え尽きてしまったら、彼の代わりはいないこと。

そしていまどきはもう、一人の勇者の星にすべてをまかせるなんて流行んないってこと。

かかってねーんだよそんなん。でもおれやみんなが「そういうことかよ」って言うのは、大会がどうこうとかよりおまえの生き方を尊重して支えてやりてえって思ってるからだ。

 

根性、まっすぐ一つの志

 宮本は家族や仲間が自分を案じていてくれること、自己犠牲でゴールしてそれで終わりってわけじゃないことを骨身で感じ、自分はどんな戦いを真にすべきなのか考え深めていきます。

宮本の、そして「戦車」らしいモットーは「根性」という言葉です。

体育会系の根性論は現代ではわりと否定的な文脈で語られます。根性で限界を超えてがんばればうまくいくなんておめでたすぎる想定で、それで成功しても運良く無事だっただけ。苦しいばかりで非合理的なことや、壊れて元に戻らないもののほうが多いと。実際、今まで根性一辺倒でなんとかしてきた宮本は壊れてしまい、今までと同じ「無理をする」作戦では事態を打開することはできません。

しかし、学生がスポーツや勉強に取り組むことで身につけるべき「根性」の力、「戦車」の真の力の本質とは「心身への無理な負荷に耐えること」ではありません。「困難にも諦めず、ねばり強くやり遂げること」だとおもいます。簡単に諦めずに目標にトライし、コツコツと積み上げることで自分をより強いものへ成長させる繰り返し。宮本は「甥っ子を励ますため来年までに日本一になる」という目標ばかりを見ていましたが、「自分自身の膝の治療を乗り越えることで甥っ子を勇気づける」ということももっと根性のいるねばり強い戦いだと気付きました。

リハビリは、練習したら速く強くなれてすぐ報酬が得られる華やかな努力とは違う、成果のわかりづらい苦しい戦いです。自分のできなさや弱さとも向き合わなければならない。でもその先にしか達成の未来はない。それこそが、真に「根性」を試される、本物の勇気のいる戦いではありませんか!

子どもにとって大切な成功体験とは、なんでも褒められることではありません。諦めず頑張った達成を喜ぶ経験を積むことによって、「自分ならやれるはずだ」という自信がつくのです。その姿を見せることこそが、最も甥っ子を奮い立たせる宮本の日本一の根性であるはずです。

英雄

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『ペルソナ3ポータブル』岩崎理緒

 岩崎理緒(いわさき りお)、高校二年生で女主人公編の女子運動部(テニス部とかバレー部とか)のチームメイトで二年生リーダー。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

女主人公編にあたって宮本の代わりに後からつけられたキャラですが「女版宮本」というわけではなく、別視点から「戦車」を描写しています。

スタンドプレーヤー

理緒は真面目で競技も好きで、部活をやってるからには勝ちたいし腕も磨きたいと思っています。しかし、部全体の雰囲気がユルめでほかの女の子はみんな「そんなゴリゴリ頑張らなくても楽しくやろうよ」「部活ばっかじゃなく息抜きに遊んだりしたい」という感じなので、肩をいからせてやる気まんまんの理緒は引かれ孤立しています。

(メガネの女バレ部員にも立ち絵くれよ)(ちなみに夏紀ちゃんのツインテ不良友のマキにはP3Pで立ち絵ある)

チームなのに理緒ばっかりマジで、理緒ばっかり檄を飛ばして、理緒ばっかり「リーダーの私が引き締める!」となっており、実力を固めるための基礎練ばかりで試合して遊べず楽しくない。宮本の英雄的自己犠牲の別側面、「戦車」のスタンドプレー、ワンマン社長ぶりです。スポーツに限ったことではなく班学習とか学級運営とかでもよくみられますが、突出して優秀でやる気があって、でも周囲をやる気にできるような調整リーダーシップがあるわけではない若者ってこうやって空回りに苦しむんですよね。あるある。ぼくもそうだった(隙自語)

そういう空回り優等生は別になんも「間違っては」いないのですが、精神がまだ能力と釣り合うほど大人ではないので、周りのことがちゃんと見えません(周りだって子どもだからおあいこなんだけどね)。理緒が「頑張れば全国だって行けるかもしれないじゃん」「みんながリーダーに推薦してくれたんだからみんなを叱咤しなきゃ」と思っていることは確かにたいへん「正しい」ことです。でも「強くなったり勝ったりよりもみんなと仲良くスポーツしたいだけ」「部活に青春のすべてをかける!とかじゃなくてプライベートを含んだ学生生活を楽しみたい」という他のみんなの考えだって、間違っていることがあるでしょうか? 学校の部活動としては、どちらも正しい目標じゃないですか。部活がどうあるべきかの答えはそのときどきで違い、いつも二つの目標のバランスを考えないといけないんだ。

理緒ははじめ自分にナイショで部活をサボって合コンに行ったりする他の部員を理解できず軽蔑し、「面と向かってはっきり言わずコソコソ隠れてサボるのが腹立つ」「悪いのは向こうだからこっちから仲直りする必要ない」みたいに言います。理緒はいつもストロングでタフです。言いたいことがあったら言う、やるとなったらちゃんとやる。でもそのストロングな世界観は「はっきり言えないような意見には価値がない」「やるべきことをやらない奴が悪い」という息の詰まる、ときに危険な考え方と表裏一体です。理緒もいつも怒ってるみたいで怖くて、「私は間違ってない!」と態度を和らげようとは考えもしない。そういう空気を察して他の部員は理緒から遠ざかり、ますます部活は崩壊。

 

じゃじゃ馬乙女心、理の緒

 「理緒」という名は、彼女の強い理性で人生の手綱をとろうとする性格を暗示するかのよう。「手綱をとる」はまさに「戦車」のキーワードですからナイスなネーミングです。

ただ、「戦車」のカードは馬(?)に手綱がつけられていません。この馬(?)は白と黒の心、人の心のもつ性質の異なるエネルギーをあらわし、それらの「じゃじゃ馬」をうまく操って車を前に進ませるには直接的な手綱のとり方ではない何か不思議の技が必要なのだということをこの絵は示しています。人の心は明快さや強さだけではなく弱さやユルさや「遊び」を含んだもので、手綱を強くピンと張ることばかりでは動かない。「強い」理緒はそのことをまだ知らず、部活のチームという「車」を空回りさせていたわけです。

理緒は部員たちに「なんもわかってない、恋愛したこともない人にはわからない」と言われて不可解と悔しさをつのらせます。理緒は幼馴染の友近(男主人公編の「魔術師」コミュキャラクター)のことを実は恋愛的に好きであることにコミュの中で気付いていくのですが、その恋のストーリーラインの起点であるこのコミュランク4→5のつくりは秀逸です。

友近は「色っぽい大人の女性スキ~♡」つって女子運動部の顧問である叶先生に恋しケツを追っかけまわしており、それに理緒は何のために好きなの?」という朴念仁ここに極まれる歴史的リアクションを返します。「〇〇を達成するために今は△△を頑張る」という操縦的な人生観のみに生きていなければとてもこのセリフは出てこないぜ。これは部員も怖くて逃げる。

そして叶先生は顧問なのに部にほぼ顔を出さず競技ルールも知らず、結婚を考えているパートナーある身で生徒である友近を惑わして楽しんでおり、理緒が腹を立てる「恋愛脳」的非合理ユル楽女子の悪しき象徴のような存在です。つまり叶先生は理緒にとって「こうはなりたくない自分像」、シャドウであり、しかし理緒が好きな友近はそのシャドウに恋をしているというのです。世界、理緒がいくら頑張ってもどうにもならなすぎる~。

しかもそんなど~しようもない女を好きな友近なんてスパッと切り捨てちゃえばいいのに、それができず嫉妬などの嫌な気持ちにも整理がつけられない。宮本が動かない自分の脚に気付いて弱さと向き合うことに苦しんだように。理緒は思うように動かない自分の心に気付いて苦しみます。これらはしくみ的に同じです。

宮本の葛藤では「本当の強さ」「本当の根性」のあり方が描かれていましたが、理緒の場合は「戦車がまた走るようになるとき」の姿が描かれました。理緒が友近への恋心を自覚すると同時にほぼ失恋し、叶先生のことまともに見られないょ(´・ω・`)……という姿を見せたとき、部員たちは無意識にそのトゲつき鎧の落ちたショボン肩を瞬間察知して「自分たちも悪かったと思う」と謝ったのです。

その後部員たちは恋のつらさを知るにいたった理緒の恋バナでどったんばったん大騒ぎして距離を縮めることになったのですが、これは「女子は恋バナで盛り上がるのが好き」というだけの問題ではありません。理緒がよく訓練した白い馬だけでなく黒いじゃじゃ馬、思うに任せない弱く不合理な心を認めたからこそ、「戦車」は円滑に走り出すようになったということです。女主人公編の「もうひとつの戦車コミュ」ならではの、しかし「戦車」アルカナにとって重要な示唆です。

 

『ペルソナ3』アイギス

 アイギス、顔は金髪碧眼のたいへんな美少女のように見えペルソナ使いの仲間となりますが人間ではありません。シャドウの力を利用する研究の中「対シャドウ兵器」として開発された文字通りの「戦車」七号機であり、最優のラストナンバーです。当然タフで、まっすぐで、忠実。足が手塚治虫(足首がない)でかわいい。

「命の答え」「死」をテーマとするペルソナ3において、他とは「命」のあり方が違っている存在としてカギになるキャラクターです。「死ななければ命ではない」のか? そのあたりのテーマについてのアイギスは「永劫」アルカナとして描かれています。永劫アルカナについては↓こちら↓もどうぞ。

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矛盾する命令

 暴走シャドウ殲滅と人類の守護を目標としたアイギスの「姉妹」機たち、最初のほうのナンバーはマジモンの戦車型であったらしいのですが、ラストのアイギスにいたってついにシャドウに完全に対抗できる力・ペルソナを安定搭載することになりました。

つまりそれは「心」「精神」を搭載しているということです。人間にかぎりなく似た高次の精神を搭載するためにアイギスは実在した少女の人格データをベースにデザインされ、人型に作られ人とコミュニケーションをとる機能をつけられています。人間に似た姿形をして、人間から人間のように扱われればその心は自分を人間だと認識するという、赤ん坊が人格を形成していく過程と同じ原理ですね。スピンオフ作品に登場したアイギスの姉妹機は記憶を失って自分を人間だと思い込んでいました。

しかしアイギスは「人間の精神をもて」と命じられながら「おまえは人間ではなく機械である」事実は据え置き。「ヒトを守れ」が至上命令なのにかなわず、自分を含む誰かを犠牲にしなければならないこともあった。矛盾する二つの方向性がある、心がふたつある~ことは人間にとってはわりと当たり前ですが、機械にとってはえらいことです。

アイギスは作中で再起動したとき、部分的に記憶を消去された影響と「大型シャドウを倒せ」「ヒトを守れ」というもともとの命令、そして密かに相反する命令が入力され混濁した結果、主人公に対して「わたしの一番の大切はあなたのそばにいることであります」と不可解な目標を宣言することになります。美少女ロボだから雰囲気に流されてたけどとても対シャドウ兵器の目標じゃないじゃん。

人間にはパーソナルスペースっていうのがあるからやめて

「葛藤仮説」というのは同時に相反する二つの命令を身体に下すと、身体はその葛藤を解決するために「おもいがけないソリューション」を提示する、というものである。
例えば、「一気に斬りおろせ」という命令と、「最後の最後まで最適動線を探ってためらえ」という命令を同時に発令する。
すると、身体はこの二つの要請に同時に応えるべく、実に不思議な運動を工夫し始める。
その意味で身体は妙に「素直」である。
「そんなことはできません」というような賢しらを言わずに、素直に二つの命令を同時に履行しようとする。

内田樹の研究室 ブリコルールの心得(2009)より

アイギスのテウルギアにあたる機能「オルギア」モードとは「陶酔」「トランス状態」を意味し、普段の「意味がわかる」動きのコントロールを離れることでリミッターの外れた力を発揮するものです。そしてその力の源は機械としての機構でなくアイギスの胸部、彼女に精神性を与えているオーパーツ「パピヨンハート」です。

困難で相反するような命令の結果こそが、アイギスに「機械」ではない人間の心を育てていくことになります。

 

心は無敵の矛、無敵の盾

 「アイギス」という名はギリシャ神話の戦女神アテナの持つ盾、イージス艦の語源でもある「無敵の盾」の名を由来とします。アイギスに搭載されたペルソナ「パラディオン」も作中の解釈では「アテナ神を模した石像」のことであり、アイギスがヒトを守護する戦女神を模して作られたことが示されています。アイギス自身も「わたしのペルソナは『盾と矛』ですね」と解説しています。

この沙織さんが持ってる盾のこと。

アイギスは危険なシャドウを倒しヒトを守護する任務により命を吹き込まれた戦女神像であり、その「命」は目標に対して直線的なものでした。ふつうの人間のように怠惰やこまごまとした欲望による妨害をもたない戦士であるアイギスは迷いなく邁進していきます。

仲間との関わりや別れを経て、アイギスは命や心の直線的でない複雑さとかけがえのなさを学習していきますが、その大切なものを守ろうとして彼女は「自分は機械であって同じ仕様のものを作ることができ、『大切な命』の勘定に入らないのだから、それを捨ててフルパワーを発揮し、皆さんを守るのが良いという判断を下してしまいます。

確かに「皆さんの命はかけがえがなく大切」「わたしの捨て身の力なら敵と相打ちに持ち込める可能性がある」「わたしは命ではない」という仮定から導く結論としてはそれはたいへん合理的です。アイギスはまた、「敵と相打ちに持ち込める」の情報に「不可能」という修正を余儀なくされて帰還すると「みなさんは不可能に苦しむのをやめて、終わりの時まですべてを忘れてください」という旨を訴えます。それも、「絶対に解決はできない」「忘れて過ごすことはできる」という仮定から導く結論としては合理的です。でも命は、心は合理的な仮定と結論だけで生きたいわけではない。

だって、敵に自分の力で打ち勝つのがどうやっても不可能だとわかったときにアイギスは「怖い…」と感じたのです。合理的判断ならば、「どうやっても勝てません! 以上!」で特になんの感情もなくカラッと終了するはずではないですか。でもアイギスはどうにもならないことに対してつらく悔しく感じ、何より一人で戦って停止していくことを怖いと感じた。

それこそがペルソナ3におけるペルソナ能力の源、「死」と「限界」に対峙したときの人間の心です。自分のやっているすべてが、自分の命がいつか燃え尽きて消えてしまうことを、限界があることはどうやっても変えられないことをある日ふと知る。表面的には何も残らない無駄だと知っていても懸命に生き、自分が消えて悲しむ人が増えるのがつらいことだとしても、何かを誰かに手渡すため絆を結ぶ。その矛盾を生きることが「限界を超える」ということ、本当に命を生きるということなのだと気付いたアイギスのペルソナはアテナを模した石像パラディオンから本物の魂を宿したアテナ神へと覚醒します。

楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。

(楚の人で盾と矛とを売っている者がいた。商品を誉めて言うには、「この盾の堅さといったら、貫き通せるものはないほどだ」。また、矛のほうを誉めて言うには、「この矛のするどさといったら、貫けないものがないほどだ」。ある人が言った。「おたくの矛で、おたくの盾を貫いたらどうなる?」と。商人は答えられなかった。)

――『韓非子』より「矛盾」(現代語訳は引用者による)

『矛盾』という故事成語は「論理破綻」「つじつまが合わない」という意味で使われていますが、故事の中で「おまえの売っている最強の矛と最強の盾をぶつけたらどうなるんだ?」と聞かれた商人ははたして論理の破綻を突かれてアワワと困ったのでしょうか。――そうとも限らないというのが、「戦車」のアルカナの結論です。そこには表面的な答えにできない答えがあると、無言でニヤリと笑ったのかもしれません。

「戦車」のカードにはこれら「無敵の矛と盾」、一見して両立しないようにみえる相反するスーパーパワーである「白い馬と黒い馬」が協働しています。「白と黒の力」が並んで描かれているのは「女教皇」のアルカナ以来の目に見えた『ペルソナ』らしさの表示です。「女教皇」のマキちゃんは「白い女の子と黒い女の子」というかたちで心の神秘を示す存在でした。アイギスも一度つかんだ心の「矛盾を内包する」バランスを失したとき、また同様に…………

figma ペルソナ3フェス メティス

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アイギスの「白と黒」のさらなる顛末については、9月10日に配信予定の『ペルソナ3リロード』DLC『エピソードアイギス』でぜひ確かめてください。

 

『ペルソナ4』里中千枝

 里中千枝(さとなか・ちえ)、主人公のクラスメイトでペルソナ使いの仲間です。ペルソナ4のイメージカラーと地味レトロな可愛さを最も反映したデザインの田舎娘さん。ペルソナシリーズにおける戦車カラーでもある黄色が似合います。

町いちばんの美しきお姫様・天城雪子にとってのほぼ唯一の友達で、真逆のキャラでもあい通じてるふたりは赤いきつねと緑のたぬき

 

雪子姫の王子様

 千枝は何かと人並みに扱われない孤独な雪子にとって唯一心を許せる親友、大事な心のよりどころでした。千枝のコミュを進めていくとわかるのですが、捨て犬を家で飼えず死んだような顔で犬を抱いてうずくまっていた雪子を必死で笑わせようとし、守ろうと思ったことが二人の友情のはじまりだったということです。か弱く美しい傷ついた心を守ろうとする少年英雄、この「女教皇」と「戦車」の関係性は同性ながらマキちゃんとマークの関係の再話です。

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千枝は小さなころから善なるガキ大将体質だったらしく、カンフーが好きなのも『ペルソナ2』のギンコのような親への反発とかそういう複雑な動機じゃなく、修行・特訓して昨日の自分を超えて悪者を倒し一件落着!」という信念に合っているから。幼馴染の剛史いわく「幼稚園じゃ、チビッコギャング、小学校じゃ正義の味方……中学ん時は給食改革の戦士」という華々しいお役目を歴任されてきたようです。単純なことですが、貴族でもない人間が、見返りもなくただ心から誰かのため、正義のために矢面に立って戦いたいと思えるなんていうのはそれだけで貴い騎士の才能です。

しかし、こうした騎士の美徳をもつ者でも、常に裏表なく英雄的であれるわけではありません。

千枝以外の「戦車」キャラはおバカで短慮で朴訥なところがあっても「あいつなら結局何とかする」みたいな謎の英雄パワーと信頼感がありますが、千枝は普段頼れる強い人間のように振る舞っていてもけっこうすぐにアワアワして弱気になってしまう性質に焦点をあてて描かれています。「非常に女性らしく見えても肝が据わっている雪子」と「ガサツに見えて女の子っぽい弱さのある千枝」という対比でヒロインキャラの魅力バランスをとる意味もありつつ、「自分の正視しがたい弱さと向き合う」テーマの『ペルソナ4』ならではの戦車の描き方です。気持ちのいいピーカン晴れの気質が魅力的な「戦車」の英雄にも、雨の日も霧の日もある。

千枝は、強いヒーローでありたいと欲しているけれど、根の性質としてはそんなに強くない。

だからすぐ動揺してしまうだけでなく、守りたい存在であるはずの雪子に嫉妬を向けてしまったり、雪子の気持ちよりも「価値の高いお姫様に頼られるヒーローである自分」という立ち位置に目が行ってしまうところがありました。しばしば「ヒーローが活躍できるのはトラブルがあり悪者がいるから」という構造が話題になるように、騎士も騎士道のために「無力でかわいそうなお姫様」を必要とする構造といえます。千枝は雪子が「私なんてなんの価値もないのに、千枝は私を守ってくれてる」と悲しみをつのらせているのを知っていながら、どこかで「そうでなくちゃね」と思って放置していたのです。

友達を愛し、守りたいと思っているなら、千枝は雪子が鳥籠から出たくて苦しんでいるのを支えいっしょに考えるべきだったのかもしれません。でも千枝は易きに流れ、共依存関係の「鳥籠を守る王子様」になった。

シャドウ雪子が「千枝は王子様だったけど結局千枝じゃダメなのよ」と言ったのは「女の子だから、自分のシンデレラコンプレックスを恋愛によってさらっていってくれない」という意味ではなく、千枝は王子様ゴッコをしたいだけで自分を自由にしてくれる気がないことに気付いたということでしょう。まあ自分を自由にするのは自分なんだけど。

あとシャドウ雪子が召喚する「白馬の王子」のマッシュカット「いわゆる王子様」でもあるけど千枝っぽさもあって激エモだよね

は~~少女革命ウテナ見るぞ

 

英雄の帰還

 カッとなって暴走したり動揺したりですぐ事態の手綱を握れなくなっていた千枝は、「頼りにされたい」という表面の気持ちの中にあった「守りたい」の気持ちが本物の強い芯であること、一人で戦ってなんとかしようと焦る必要はないことを考えて知らず知らず成長します。

家族や雪子を人質にとられたようになったとき、「あたしにムカついているってことだ、じゃああたしを気が済むまで殴れ」と言ったタンカの切り方は、それまでの単に正義の味方で突っ込まないではいられずカッコつけてケンカ爆買いな千枝とは違う、すっかり肝の据わったオーラでカツアゲ不良どもは気圧されました。ちんちくりんの女の子がいきがっているように見える千枝の肉体の見た目は変わらなくても、心の据わり方が邪なものを圧する本当の強さになる

千枝は高校卒業後、生まれ育った町、愛する隣人たちや雪子のいる町をちゃんと現実的に守り続けるため警察官を志します。いつか八十稲羽のおまわりさんとして戻ってくるでしょう。それは、別に誰から見てもカッコいい錦を飾るとかじゃなくたって、わかりやすい悪者に立ち向かって褒められなくたって、幸せで祝福された英雄の凱旋です。

 

『ペルソナ5』坂本竜司

 坂本竜司(さかもと・りゅうじ)高校二年生で主人公の同級生。ペルソナ使いの仲間です。

「最初のペルソナ使いの仲間」で怪盗の道に導いたのはモルガナですが、主人公が最初のボスと戦うことになったのはまだペルソナももたなかった竜司が孤軍奮闘のケンカを売っているのに巻き込まれたことからでした。

物語が始まった時点の竜司はまぎれもなく短慮で無軌道で人に嫌われるチンピラにすぎなかったにもかかわらず、痛くても怖くても主人公を巻き込むことをきらい当然のように一人で矢面に立とうとする英雄の勇気の片鱗がそのときから光っていました。

 

翼折れたイカロス

 竜司も宮本と同じく「足回りが壊れ走れなくなった戦車」です。しかも竜司の場合、脚と夢が壊れただけではなくそれによって晴れがましい英雄の鎧まで剥ぎ取られた挫折です。『ペルソナ5』の反骨のテーマを最も直接的に表して、主人公と同じく社会的にドロップアウトした状態にあります。

竜司は家族に暴力を振るった父親からだいぶ前に離れており、母一人子一人で暮らしています。それでも、彼には輝く鎧と戦車が――抜群の陸上の才能があった。それがあるから、バカでも陸上に打ち込めばつらかった過去など振り切り、母親と自分を幸せにできる、大学にも行って勝利した人気者にもなって…というのが竜司の人生設計でした。そのプランが考えなしだったわけでは決してなく、そうして大人になってプランを達成するアスリートもたくさんいるでしょう。

しかし、竜司は運悪く、コースに石を置く悪意に出会いました。最初のボスである鴨志田です。

竜司は脚を壊され暴力事件の犯人という汚名をかぶり、陸上部の仲間からも恨まれて友達を失い、くそったれな現実から飛翔していけるはずだった翼をすっかり失いました。それはまだほんの高校生に「うまくやれば避けられた」とか「そんな腐ることないって」とかいうべくもない、突然の墜落でした。

 

転んだ先の青天

 英雄の失墜と明るい世界からのドロップアウト。しかし竜司のペルソナ「キャプテン・キッド」「セイテンタイセイ」は竜司の壊れた足の代わりに海賊船や筋斗雲という自在な乗り物に乗り、晴れがましい立場から「墜落」したあとの世界を飛び回ります。この戦車らしい「乗り物」ってなんなのでしょう? コースアウトしてなお自由に駆け巡れるなんてことがあるのでしょうか? それが竜司の「戦車」のテーマです。

7枚ごとの周期で大アルカナの旅路を区切る考え方だと7番である「戦車」は子供時代の終わりを意味しています。明るい子供時代が終わって……そこから?

鴨志田は竜司と主人公に何度も「お前らの人生は終わり」と宣告してきました。死ぬことや重大な犯罪、依存薬物などではないところでも「◯◯なんかしたら人生終わるよ」「あーあこいつもう詰んだな」などという言葉はよく耳にするのではないでしょうか。この「終わり」が命や存在の終わりでないことは明らかですが、なんとも人を恐れさせ「あわわ終わりたくない〜」と思考停止させる言葉です。この「終わり」というのが子供にもわかる明るい世界からのコースアウトのことです。

 鴨志田もまた英雄的なアスリートであり、祐介にとっての斑目(皇帝)、春にとっての奥村社長(女帝)のように「戦車」アルカナの悪側面をあらわしているところがあります。

千枝が「ヒーローとして頼りにされたい」ために雪子をかわいそうなままにしておいたように、「戦車」の「競って勝って英雄になる」という性質は「自分が英雄であり続けるために、他を下げる」という手段にたやすく堕してしまいがちです。鴨志田もアスリートとしてはもう若くありません。学校という城の中の常勝の英雄でありたい鴨志田にとって、竜司と陸上部というもうひとりの英雄、もうひとつの猿山のボスザルは邪魔だし同族嫌悪だったのです。自分のバレー部のスター選手の自立性さえ邪魔だから志帆さんを従属させようとする。そうすれば全部手柄は自分のものになり、皆自分だけを頼りにするから。もちろん学校全体のためにはなってないので鴨志田は偽の英雄です。

鴨志田のシャドウは「俺は負けた……負けたら終わりだ……」と泣き言を吐きました。鴨志田は「勝っている限り英雄でいられる」という価値観に追い立てられてきましたが、ずっと勝っていられる人間などいないし誰だって歳をとるし、負けることもあっていい。竜司の仲間だった陸上部の部員たちの中にも、かの英雄でありたいがために、居場所をなくさないために間違った勝ちを指向してしまう者がいました。竜司自身も怪盗団の活動の中で勝利に駆り立てられて暴走します。負け=終わりの恐怖に取り憑かれて走り続けた「戦車」のなれのはてが鴨志田の醜悪な悪行でした。

しかし、退学騒ぎの前から鴨志田が「終わってる」と判断したはずの竜司はむしろそこからまた始まっていきました。竜司はコープの中でこのように話しました。

……中岡。俺、最近ようやく分かったんだよな。
終わりなんかじゃねーんだよ。走れなくても、はみ出したって、しがみつく必要ねーんだ。
俺は俺だし、息はできんだよ。

エンディングテーマ曲『星と僕らと』にもこれと似た歌詞があります。

世間はここにある物だけが全てというけど
始まりも終わりも誰にも指図をされずに決めていい

がんばれば好きなことで夢を叶えられて、仲間と暗い心なく笑いあえて、社会に認められた明るい居場所があった「正しい子供時代の世界」「光さす庭」を失っても、そこに戻らなければ息ができないわけではない。楽園の外でも自分は自分で生き続ける。そのことを認めても死なないし、案外自由になれる。誰の目にも見える表面的な勝利だけがすべてではない。そのことに気付いて竜司は「囚われ」を脱することができました。

目に見える勝利を得続けなければ終わると思い込んでいた裸の王様の鴨志田は「子供時代の世界」以外を知ろうとせず固執していたのと同じです。鴨志田は囚われたまま終わった。そんな彼が「英雄王のお城」にしたのが子供のための世界である学校であったのは何重にも納得で、哀れでもあります。なんかまた『ウテナ』の話になってきたな。

 

最近当方も体調を崩していて、アスリートなんかではないのですが実は座っているだけで痛いのでライフワークである記事や原稿が思うように進められず、まさに宮本や竜司のようにご自慢の翼が折れた状態です。だから更新が遅くてマジごめん。

でも翼が不調になってみて思ったのです。ぼくが作品を味わい文章を書いて得たすばらしい幸せって、タイムリーに記事や本を上梓してみんなにほめてもらうことだけなのか? それだけじゃないだろって。まだまだ終わってなんていないし、自分の価値はView数だけじゃない。ポンポン発表できなくてもあきらめずに書くし、粘り強く治療するし、今までの「座って書く」でだめなら立って書いたり寝て書いたりできるよう環境を整えて攻略するのもありじゃん! というわけでこの記事も半分以上仰向け寝で書いています。

体が調子崩れて失われる勝利や成功は、その程度の表面的な勝利や成功にすぎなかったのかもしれないということを知ることができるタイミング。それが、「戦車」のカードの「挫折」という意味に含まれた祝福であるようにおもうのです。

 

 

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ペルソナ5ロイヤルの読解実況完結してます。再生リストからアーカイブが見られます。

↓おもしろかったらブクマもらえると今後の記事のはげみになるです。今後もswitch版のプレイによって参考画像とか引用とか加筆充実してくかなっておもいます。

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