湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「魔術師」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ①

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「魔術師(ⅠTHE MAGICIAN)」のアルカナの記事です。歴代の「魔術師」アルカナのキャラ、綾瀬優香、伊織順平、友近健二、花村陽介、モルガナの描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

 

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。今回の記事では『4』『5』で指定されたことのある公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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ペルソナ5ザ・ロイヤルのリマスター発売記念に冒頭の読み取り番組をYouTubeで配信しました。重くてセリフが早送りにズレてしまってるアーカイブはこちらから。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、ちょっと再入荷しました。

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『ペルソナ』シリーズの中の「魔術師」アルカナ

 ペルソナシリーズは第一作『女神異聞録ペルソナ』からタロット大アルカナになぞらえてキャラクターをデザインしてきました。特に一作で大アルカナすべてにキャラクターが当てられるようになったペルソナ3以降は「今回の〇〇アルカナ枠」みたいな「キャラ枠」の見方をすることができるようになってて、ある程度役割の文脈をみることができます。戦隊ヒーローで赤がリーダー主人公みたいなやつ。

その「役割の文脈」の中でも特に、「主人公」に次ぐ重要なお決まりの役割を果たすのが、「魔術師」のアルカナのキャラクターです。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「魔術師」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

 ペルソナシリーズにおいて「魔術師」アルカナのキャラクターが担っている重要な役割は大きく分けてふたつ。「はじまり」「起点」「基本のキ」であることと、ある意味での「もうひとりの主人公」であることです。

この二つも根っこはつながってるんですけど。

モルガナや陽介のように物語を駆動する最初のエンジンとなり、アヤセや順平のように「等身大の青少年代表」として異様な状況に驚き戸惑い、プレイヤーに並走する存在である、愛すべき歴代「魔術師」キャラクターの土台を読み解いていきましょう。

 

「魔術師」の元型

 まずはカードを見てみましょう。

 左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「魔術師」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。

『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版をベースとしたカードに変わってますが、ペルソナ版タロットはかなり大胆にシンプル化するアレンジがされているので、制作側がカードの本質をどうとらえているのかがダイレクトに伝わっくる~~。

陽介のこれは魔術師ポーズなワケ。うさんくさい。

"魔術師"は創造、そして積極性…だが、未熟さを表すカードでもあります。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「魔術師」のアルカナはナンバーが「1」であり、「はじまり」を意味しています。ペルソナ版タロットの下の方に描いてある両手が、マルセイユ版・ウェイト版両方に描いてある魔術師だか手品師だかの若者の手であり、彼の手からは奇術のように新たなものが創造されます。マルセイユ版・ウェイト版で机の上に魔術の材料がゴロゴロ置いてあるのの代わりに、ペルソナ版には「炎」が描いてあります。おそらくこの炎は人間の技術がポンと作り出す魔法の象徴なんでしょう。

そしてペルソナ版のほうではさらに、手からエネルギーが滔滔と湧きあがりまくっているのがわかります。炎だってエネルギーのかたまりなのにまだ出んのかよ。「魔術師」はものすごいエネルギーを一方向に放出して止まんねえ「魔法の杖」なのです。

ただし、そのエネルギーで何を達成するのか、善に向かうのか悪に向かうのかを考える段階では、まだありません。暴力的な不機嫌その場しのぎの屁理屈ペテンに陥ることもあります。そういう幼さと危うさをもったカードです。

 

力・行為のアニムス/永遠の少年

 タロット大アルカナの中でも「最初のほう」、つまり1番~7番くらいまでの段階のカードは特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)が描かれていてわかりやすく個性的なため、『ペルソナ』シリーズの仲間キャラクターは伝統的にこれらの神話的な元型から作られています。パンチがきいてて誰にでもわかりやすいからな。

そのユング心理学の元型でいうと、「魔術師」アルカナのキャラクターは「力のアニムス」「行為のアニムス」「永遠の少年」あたりを内包しています。また、「愚者」アルカナと同様の「トリックスター」でもあります。

 

 この記事はユング心理学メインの記事じゃないのでサラッとやるのですが、「アニムス」とは一言で言うと「(女性の)心の中にある男性イメージ」のことです。逆のものは「アニマ」。

女性の心の中の、と定義されてはいますが、要は「男性ジェンダーらしい"よさ"ってこういうものだよな」とみんながイメージしている像のことです。「魔術師」アルカナや、あと「戦車」アルカナの場合、「若き英雄」像にあたります。「力のアニムス」は若々しくパワーみなぎる肉体やバイタリティを意味し、「行為のアニムス」は行動力や意志、向こう見ずな勇気を意味します。ただ、その力がなんのために鍛えられてるのかとか振るわれるのか、なんのために一歩を踏み出すのか、そういう精神的な長期目標はやっぱりまだ考慮に入ってません

 そして「永遠の少年」はなんか、言わんでもわりとわかりますね。日本の昔話や神話にも多く見られる「童子英雄」もこれにあたります。子どもだけが持つみずみずしいエネルギーやトリッキーな戦法、神がかった力、周囲を惹きつける純粋な魅力をずっと曇らせず持ち続ける麦わらのルフィのような人物像です。しかし、こういう人物像にはいつまでもフワフワと夢と冒険を追い求めていたくて、社会の中の自分の居場所に落ち着くことができないという性質もあるのです。

こういう性質、「ピーターパン・シンドローム」こそが、「魔術師」アルカナのキャラクターが「現代の若者が大人になっていく」ジュブナイルの冒険を描く『ペルソナ』シリーズで重要な立ち位置を与えられていることのカギです。

歴代の「魔術師」キャラたちは、われわれプレイヤーみんなが持っている「大人になれなさ」の鏡なのです。

 

『女神異聞録ペルソナ』アヤセ

 綾瀬優香、通称アヤセ。高校二年生で主人公の同級生。彼女は96年当時流行語であった「コギャル」です。

本来、女子大生や若い社会人女性がイケイケして「ギャル」と呼ばれていたのに似たイケイケ文化が女子高生にもブレイクしてそう呼ばれるようになりました。当時、女子高生ギャルたちの間では制服の着崩しやルーズソックス、「チョベリバ(超ベリーバッド)」「~ってカンジ」といった言葉遣いなどの独自のコギャル文化が花開きました。もはや歴史解説だよ。

時代性の強いキャラを作ると作品の賞味期限が短くなっちゃうだろ! と心配になりもするのですが、しかし今見るとかえって、「当時の若者に流行ったコギャルである」というのはまさしくわかりやすい「ペルソナ」であるといえます。「周りで流行っているロールモデルに合わせる」というのは若者の処世の一番の基本だからです。「魔術師」のキャラクターたちは軽薄で、自分を見つめた長期ビジョンがまだなくても、とりあえず表面的には社会に適応して社交的に楽しくやっています

たとえその行動や人間関係が薄っぺらでも、何事もまずはそっからですよ。

 

トラブルメーカー

 アヤセはコギャルらしく「とりあえず今が楽しければそれでいーじゃん」という刹那的・享楽的な振る舞いを見せます。そのため調子がよくワガママ思ったことをすぐ口に出してしまうという悪癖でトラブルを巻き起こします。

作中では、アヤセは自分に好意を寄せる男子(通称トロ)を言葉を選ばずこっぴどくフッてしまい、それがこじれてなんかあの……こんな感じになってしまいました。

自由奔放なトラブルメーカーキャラには「魔術師」の「まだ長期ビジョンが持てない」「あふれ出るパワーの杖」の性質があらわれてますし、「魔術師」が「はじまり」「創造」をするものは良いものとは限りません。アヤセがトラブルを起こすことでストーリーにエンジンがかかっていくのですから魔術師の面目躍如ってカンジ~。マジでマジで~。

 

自己からの逃走

 アヤセは、上でアレなことになっているトロくんをフッたとき、「あんたっていつもヘラヘラしてて何が楽しくて生きてるわけ?」といった感じの辛辣な言葉で彼を傷つけました。しかし、逆にトロくんもアヤセのことを「楽しくもないのに笑っている」「一人になるのが怖いからみんなに合わせているだけ」とかそんな感じに言い、アヤセはカッとなってトロくんにさらなるムチャクチャな暴言を吐きました。完全に図星だったからです。

人が傷つき取り乱すのは「目をそらしている不都合な自分」、つまりシャドウを指摘されたときです。そして若者や、自分について知ることを避けている人にはよくあることですが、そういう都合の悪い自分のシャドウは自分の中に見出すのが怖いから、他人の中に見出して同族嫌悪したり、他者を攻撃するときに無意識に「自分が最も言われたくない言葉」をぶつけたりするのです。『ペルソナ』シリーズに特徴的な若者たちのぶつかり合いの「生々しい痛さ」のキモはずっとここにあります。

また、アヤセがいいかげんに生きているのは他の多くのパーティーメンバーと違って「どうしても好きなもの」「将来なりたい自分像」「取り柄」のようなものがなく「自分は『女子高生』じゃなくなったらどうなっちゃうんだ? 何をしていくんだ? 決められないけど時間は過ぎていく」という悩みから逃避するためでもあります。いろいろ考えているがゆえに、何も考えてないフリをしているのです。

 

 「周りに合わせてヘラヘラする」「何者になるか決められない」というアヤセの「魔術師」の性質は同じ根でつながっています。それは永遠の少年、つまり、大人になるのが怖いのです。

周りと違うことを主張しなければ、ずっと「みんな」の輪の中で守られていられます。おバカで軽薄なギャルだと言われることなんかより、自分の本心を表明して否定されることのほうがずっとキッツいはずです。何にも本気で取り組まなければ、いつまでも「まだ本気出してないだけだし」と言ってプライドを守っていられます。自分は何者になるんだ!と選んでしまったら、なんにでもなれる人生を捨ててしまうことになります。

でも、「自分はこうだ」と真剣に選ぼうとしない者は、本当の友達を作ることも、大人になっていくこともできません。

これがまさしく「大人になることに戸惑うイマドキの若者たちが、仲間とともに社会と向き合う仮面を選んでいくことで、自分らしい人生を得る」という『ペルソナ』シリーズのテーマそのものであり、アヤセの成長物語はその「はじまり」「基礎」を描いています。

 

 異聞録を初めてプレイするプレイヤーがアヤセをパーティーメンバーにする可能性はかなり低いですし、「魔術師」キャラの中では唯一の女性であり見落とされがちでもあります。しかしこういうわけでアヤセは『ペルソナ』のテーマを最も端的に表現しているキャラともいえて、『ペルソナ3』『ペルソナ4』の印象的な男親友キャラたちの人物像にダイレクトにつながっています。

 

『ペルソナ3』伊織順平

 伊織順平、高校二年生で主人公のクラスメイト、ペルソナ使いの仲間です。ちなみに彼のペルソナ「ヘルメス」は「魔術師」が表している少年のずる賢さ、軽々な行動力、口のうまさなどを司る、アルカナにバッチリフィットした元型のギリシャ神です。

明るくおしゃべりでおちゃらけたムードメーカー。デザインヒゲや制服アレンジなどオシャレにもかなり気をつかっています。「無口で反応が淡泊な主人公の代わりにリアクションをとり、状況を説明する」というペルソナ3~5の相棒キャラ枠の礎を築いた記念すべきキャラクターです。アヤセから「等身大の若者らしさ」担当もしっかり引き継いでおり、チャラけた男子としてスケベ担当も担い、ボケもツッコミもこなす名言メーカー。

ただし、同時にアヤセ以上のトラブルメーカー……というか、ギスギスメーカーでもあり、「ペルソナ4、5と比べるとペルソナ3は仲間がギスギスしていてきつかった」という思い出の5割はこいつのおかげ。

しかし、彼の存在が心の痛いところをザリザリしてくるのは、やはり彼が「われわれの見たくない自分自身」を見つめる成長を遂げる、もう一人の主人公だからであり……。

 

お調子者

 順平を一言で言い表すなら「お調子者」。アヤセのように空気に合わせてヘラヘラするのはもちろん、調子に乗るのが得意です。特に男子社会だと「陽キャ」のペルソナをつけて生きる場合ガンガン命知らずに調子に乗っていくことがよしとされますからね(その後ズッコケてイジられるのも含めて)。

この「魔術師」の調子乗り、適度に調子いいときはゴキゲンないい奴なのですが、調子よすぎると出過ぎてピンチになるフラグだし、調子落ちてくると不穏ムード出してくるしで、これがギスギスメーカー順平だ! さすが飽きさせない!(ペルソナ3は「楽しい学生生活」というより「緊張と安堵の繰り返し」みたいなプレイ感です)

順平はアヤセと同じく何も考えてないようでいろいろ思い悩んでいるので、そのお調子のアップダウンはかなりのものです。特別な力の使い手としてスカウトされ秘密のヒーローになれるんだと周囲にドヤったかと思えば、主人公がさらに特別な力の持ち主でリーダーに抜擢されると拍子抜け、表面上はおどけてふざけて友達として過ごしますがジワジワと嫉妬をこじらせます。一方で、そのへんが未解決でくすぶっていても、かわいい謎の女の子と仲良くなれそうとなるとドキドキソワソワ一生懸命に。その浮き沈みのエネルギーを、順平自身はコントロールすることができません。まるで熱気が立ち昇ったり、火が消えたりするように。それがプレイヤーにストレスを与えることも。

趣味に関しても熱しやすく冷めやすく、打ち込めるものはなくいろいろなものに手を出しては飽きています。

自分の機嫌をコントロールできないとは順平はまだまだ子供だなあ、まあ高校生だしな、という幼児性とみることもできますが、それだけ順平は自分の気持ちに敏感で素直で、つい軽々に人に当たってしまうこともあるけれど、走り出したいときに迷わない男であるとも描かれています。

 また、この「お調子者」「アップダウン」「不機嫌で人に当たる」という性質の負の部分は順平の父の設定にも表されています。順平はいつもおちゃらけてゴキゲンでいたいのでめったに家族の話をしません。楽しい居場所ではないからです。順平の父はいっときは成功者となりましたが、調子に乗った投機で財産を失い、以降酒に溺れてときにDVをはたらくなどして、順平に嫌われ避けられています。「男は強くなくちゃ、成功してなくちゃ」という視野の狭い男らしさ意識は順平にも共通しているものです。

DV父を嫌うのはそりゃ当然ですが、順平にとって父親は「見たくない自分」「なりたくない自分」だから直視したくないのでしょう。

 

きっと何者にもなれない

 ペルソナ3では、ペルソナ能力は「死」や「限界」と向き合い「自分は本当はどんな自分でありたいのか?」と意識したときに目覚めます。順平は成功や失敗に振り回されてダメになってしまった父親を避けて家に帰りづらくなり、夜中の街をうろついていたところで、ペルソナ能力を見出されました。おそらく、そのとき「親父みたいになりたくない、何者かになりたい」「でも、自分には特別”どうなりたい”なんてない」ということに葛藤したのでしょう。

ペルソナ使いにスカウトされた順平は「これで自分はヒーローになれる、『特別な何者か』になれるんだ」と実に意気揚々と寮にやってきますが、先述のように早々にもっとすごい主人公が現れて「ヒーロー」「特別な何者か」にはなれませんでした。主人公に対して嫉妬し不機嫌になったり爆発したり謝ったり忙しくしますが、そうしていくうちに、「自分にはペルソナという『能力』はあっても、目指すものが何もなく心が空虚だから苦しいんだ」と自分の「何もなさ」の真実に気付き、虚無感にもがくようになります。

順平が気づいた通り、若者の「何者かになりたい期待はあるけれど、自分にはどうせなれない」という自尊心と劣等感と甘い夢と絶望をコネたような気持ちのつらさは、「能力が足りていない」ことが原因ではありません。まさに順平の子供のころの夢がいい例なんですけど、「野球が好き→メジャーリーガーになりたい」などという単純な夢想をガチで叶えられる人など一握りですし、プロになったところで上には上がいるしきっと大谷くんにだって自分の限界や他人との比較に悩むことはあるだろうしで、無欠の英雄物語など本当はこの世にはないのです。「永遠の少年」が永遠の英雄なのは永遠に大人にならないからで、大人はみな挫折や凋落に向かっていかなければなりません。

自分の無力さに傷ついた子供は、そういう幻を捕まえられずにヤケになったり、「しょせん現実は」とか言って夢を見ることを忘れようとしたりします。しかし、大人になるっていうのは望みを全部叶える力を手に入れることでも、夢を見なくなることでもありません。ヒーローではなく空も飛べない自分を認め、それでも自分のやりたい気持ちに社会の中で関わっていくことです。ヴァイオリンが大好きな子全員がプロのソリストになるのがベストな進路ではなくヴァイオリン職人になったりオケメンバーになったり聴き手として音楽を愛し続けたりするように(『金色のコルダ』)、順平はのちに少年野球チームのコーチをやるようになります。順平の心は「実は特別でもない自分」を認めたことで、「やりたい」のエネルギーに適切に向き合えるようになったのです。

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 順平が「実は特別でもない自分」を認めることができるようになった大きなきっかけは、自分と同じように「自分は何者にもならず、何も残さず消えていく」という焦りと恐怖から逃避し隠している少女・チドリとの交流でした。何も持っていない、あんまり特別じゃない、世界の片隅のちっぽけな二人は、それでも惹かれ合い、お互いを大切に思うようになります。特別な何かを持っているとかいないとかは、人と人が絆を結んで生きていくってことに大して重要じゃないのです。たいていの人はみんな、最初はなんにも持っていないのですから。

「特別じゃない」「何も持ってない」「何も残せない」から、だからなんだってんだ! チドリは、俺は生きてるんだ!

大事だと思えることのため、好きな人のために何かをしようとしたときから、かけがえのない人生は始まるのですから。

 

『ペルソナ3』友近健二

 友近健二、高校二年生で主人公のクラスメイト。ペルソナとかそういうことは知らない一般人で「コミュニティ(通称「コミュ」)」キャラクターの一人です。

「コミュニティキャラクターの『一人です』」と言うよりも、彼はコミュというPシリーズに特徴的なシステムをプレイヤーに提示する最初の存在として登場します。追加シナリオである『P3P』女主人公編では違うのですが、友近は仲間キャラクターでもないのに勝手に話しかけてきて二人きりのイベントを発生させ、システム説明として友近とのコミュは強制的に始まります。

コミュの中には完全にメインストーリーに合わせて進んでいくものやペルソナ使いの仲間相手のものもありますが、ペルソナ3ではコミュは基本的には「ペルソナ使いとしての非日常の戦い(夜)」に対する「普通の人としての日常の人間関係(昼)」として位置づけられています。戦いには直接関係のない、何も知らない人々とのごくごく普通の絆がペルソナ能力の糧になり、彼らを守るためにも主人公は強くなっていく……というリンクが『ペルソナ』シリーズのテーマをシステムから表現しています。

コミュの事始めとして強制的に友達になる友近は、確かに「魔術師」らしいお調子者青少年ではありますが、「友近健二」という「主人公の友達のほぼモブキャラです!」とでも言いたげなネーミングにも表れているように順平以上の一般人オブ一般人にすぎません。容姿も成績も並で大きな悩みもそこまで暗い過去もない、どこにでもいる高校生男子で、普通だったら掘り下げられることのないキャラクターです。だからこそ、「そんなに特別じゃない、でもそれぞれの人生をどっこい歩んでいる人たちとじっくり関わり、絆を築くことが特別な力になる」コミュシステムを代表するキャラだといえます。いつまでも「コミュキャラといえば友近」なのです。

 

年上好み

 友近が主人公(男)に接近してきたきっかけは、主人公が転校初日から校内でも評判の高嶺の美少女・岳羽ゆかりと一緒に親しげに登校してきたことでした。「やるじゃんお前……雰囲気もあるし他のガキっぽいイモ男子どもとは一味違うな……」という感じで「いい女にモテ同盟」的なやつを形成したかったわけです。内容がない。そんなスカスカっぷりがまた「魔術師」。

そんな感じで友近は(順平がそうであるように)軽薄な高校生男子代表として女性への関心が強いナンパキャラではあるのですが、誰彼かまわずではありません。友近が興味があるのは、年上の、大人っぽい女です。同級生とかはガキっぽくて対象にならない、みたいに言っています。

大人の女性への憧れというのも、「魔術師」のもつ少年性の性質です。ピーター・パンがヒロインのウェンディに「お母さん」になってほしがるように。「魔術師」には「力のアニムス」や「行為のアニムス」といった男性性イメージの元型が含まれている、と前述しましたが、逆に憧れの女性性イメージ元型のことを「アニマ」と呼びます。友近はタロットでいうと「女教皇」や「女帝」のアルカナに表されているようなアニマ、「マドンナ」像と愛し合うことを夢見ている少年です。

友近の家は母子家庭で、母親は仕事に誇りをもって働いています。年の近い妹のことをガキだと思う一方で、「強く自立した女性っていいよなあ」と思うようになりました。

それはいいんですが、未熟な男性が抱く「あこがれの、理想の女性像」というのはえてしてフワフワしていて、相手を過剰に美化したり、自分のイメージをかぶせてしまってしっかり見ないことにつながる場合が多く……。

 

子供の妄想

 友近とのコミュは、彼が「年上のいい女」である学園の教師・叶エミリを狙っている、ということの相談を軸に展開します。

「高校二年の男子が美人教師と付き合いたいと思ってる」ってもうこの時点で妄想乙(完)という感じで、まあ文字数を増やすとしても「だいたい勘違いだし、対等にはなれないし、どうしてもって言うなら5年くらい待て」しかないのですが、友近はいたって本気ですしイケそうなら今!今付き合いたいんです。家庭と学校を中心とする自分の周りだけが世界のすべてで人生経験が少ない学生が、年上の大人と今すぐ年の差恋愛できる!と思うのは確かによくある、素直な感情ですよね。でもそれは現実離れした妄想です。

友近は叶先生に憧れ丸出しで近付きます。すると、少年にチヤホヤ好意を向けられてまんざらでもなかった叶先生はちょっと思わせぶりな冗談を言ってしまい、なんと友近は「俺たち付き合ってるんだ!!!!」とブチ上がってしまったのです! 教え子に思わせぶりなことを言ったり個人的な親しさの線を超えさせてしまった叶が一番悪いんですけど、そんなわけねーだろ友近!! ブチ上がった友近は叶先生の身辺に結婚情報誌が置いてあるのを見つけ、「エミリ(付き合ってると思ってるので名前呼び)、そろそろ結婚相手を見つけたいと思ってる……?」→「俺がエミリと結婚して一生守るんだ!! 友近エミリだ!!」とスーパー飛躍妄想までします。

しかしそれは都合のよすぎる一方的な妄想です。友近は一年ちょっとすれば法的には結婚できるようになるかもしれませんが、高校卒業直後の教え子と結婚なんかしたら叶先生の教師人生はメチャクチャです。好きな人の人生がメチャクチャになって、それでも頼ってもらえるような大人の力も友近にはあるはずありません。実際、付き合ってるというのは友近の勘違いで、友近を勘違わせてしまった叶先生は問題になって遠くの学校にトバされました。そんなことになっても友近は無力だし、叶先生は大人だから責任を問われ、友近は子供だから被害者だったということになります。友近はまだ甲斐性も覚悟も社会的責任も全然ない、「大人の女」と対等な恋をできるはずもない子供だったのです。

 

 叶先生に憧れたこと、好きな人と幸せになれる大人になりたいと強く願ったこと、そして自分がまだ子供だと気づいたこと。そんな、誰にでもある恥ずかしい一喜一憂の相談をずっと聞いてくれた主人公と、友近は固い友情で結ばれます。最初のきっかけが内容のない軽薄なものでも、弱く小さく平凡でも、人は関わり合うことでお互いの人生を豊かにし合えるということは「魔術師」的でもあるし、Pシリーズのコミュやコープ全体の重要なテーマです。

 

『ペルソナ4』花村陽介

 花村陽介、高校二年生で主人公のクラスメイト、一番最初のペルソナ使いの仲間です。

主人公と同じく(比較的)都会から来た転校生で、そのことから主人公に声をかけてきます。近年町にできた全国チェーンの商業モール施設「ジュネス」の店長の息子のため、町では少し特異な立場にあります。ある種の異国の王子様です。

『ペルソナ3』を土台としたうえに作られている『ペルソナ4』で「順平ポジション」として作られたキャラクターで、開発スタッフの間ではしばらく「順平」と呼ばれていたほどらしいです。そのため「魔術師」としての基本的なキャラ立ち位置や属性は似通っており、お調子者で主人公の代わりに状況を説明したり物語を引っ張ったりリアクションをとったりしてくれます。

スケベ担当はクマのほうに引き継がれたので順平よりやや上品であり、ルックスも整っています。さらに、『ペルソナ4』は舞台が「連続殺人&行方不明事件」「霧がよく出る田舎」というサスペンスで辛気臭い感じなのもあって、仲間たちとの関係は晴れやかで楽しいものになるように対比がとられて陽介には順平のようなギスギス爆弾が仕掛けられていません。そのためかなり初期から主人公に好意的で協力的で尊敬してくれる「女房役」となってくれて、正ヒロインっぽい流れのキャラクターのいない『ペルソナ4』においてはプレイヤーから「ヒロイン」と呼ばれることもしばしば。主人公の旅路に常に並走する相棒です。

 

一番近い「相棒」

 陽介が主人公の「相棒」を名乗るのは、「推理サスペンスもの」方向の『ペルソナ4』のコンセプトによく合った要素です。刑事ものには相棒がつきものですし。歴代の親友キャラの中で最も主人公との二人のバディ感が強いですね。4主人公が寡黙で渋めで男性的な迫力があるタイプなので、そういう人にはやっぱ人当たりがよくて口がうまい、細やかに頭が回るヤツが相棒として適任でしょ。実際に刑事の相棒である渋い主人公の叔父・堂島と後輩の足立の組み合わせと同じといえます。

 

 閉鎖的で娯楽の少ないノスタルジックな田舎町を舞台とした『ペルソナ4』では、主人公と同じ「都会から来た客人(まれびと)」である陽介がプレイヤーの常識感覚を代弁します。田舎ルールで話が進んで誰もツッコまないとプレイヤーが置いてかれちゃうからな。超~序盤に陽介のシャドウが「こんなクソつまんねえ田舎に放り込まれて」「でも一番つまんねえのは自分自身」「事件が起こってつまんねえ日々が変わるってワクワクしてるんだろ」とプレイヤーも思うかもしれないことをあらかじめ暴き立てることによって、プレイヤーは真剣に事件にも町での生活にも取り組んで充実させてこ!と感じることができます。

ペルソナ能力にもほぼ同じといってもいいタイミングで目覚め、事件解決へのモチベーションもあり、陽介は「しゃべるほうの主人公の半身」ともいえます。実は『ペルソナ4』の作中には陽介と同じように主人公/プレイヤーの鏡像や影として作られているキャラが他にも数名いるため、それを読み解くガイド線にもなっています。

 

特捜隊発起人

 さきほど述べたように陽介は事件解決へのモチベーションが高く物語を駆動してくれます。それは彼が思いを寄せていた人が事件の犠牲になり、犯人の悪行への純粋な怒りがあるからです。ちなみにこれも友近と同じく「年上の女性への片思い」で、よそ者として遠巻きにされる自分に優しく接してくれたことからほのかな憧れを抱いたようです。しゃべらないし因縁もない主人公と違って「旅立ちの明快な目的」を持った陽介によって、主人公パーティーの活動「自称特別捜査隊」はスタートします。

そこには陽介のシャドウが指摘するように「つまんねえ日常を変えてヒーローになりたい」とか、「とにかく悪い奴をやっつける」とかの子供っぽく長期的展望に欠けた欲望も入ってはいるのですが、最初はそれでいいのです。陽介が言い出したことによって何人もの人を助け出すことになり、活動を通して絆が結ばれ、謎を解くこともできます。当たり前ですがどんな動機であれ一歩を踏み出さなければ旅の何もかもは始まらないのです。

P4Gではやはり陽介が言い出して原付に乗ることができ、勇気を高めたり土地勘を得たりしてだんだんと遠出ができるようになっていきます。

 

『ペルソナ5』モルガナ

 モルガナ、怪盗団の仲間でコードネームはモナ。主人公たちが「認知の世界」で出会った黒猫のようななんか……なんかです。「怪盗」を名乗り、主人公たちを怪盗の道に導いていきます。現実の世界ではマジで黒いネコチャンの姿に。

人間で言えば精神年齢は青年くらいなのかもしれませんがそんなんしらんわ、イマドキのフツーの青少年じゃないものが当てられた異色の「魔術師」枠です。しかも声が大谷育江。まごうかたなきマスコットだよ。

そんなわけで「イマドキの若者枠」ではないのですが、「物語を始め、駆動する者」としての「魔術師」性質は高まりました。モルガナによってペルソナ能力について教えられ、「敵のオタカラを盗む」という目的を与えられて窮屈な檻の中だった『ペルソナ5』の物語は動き出します。パレスとは、オタカラとはなんなのか、盗んだら具体的にどうなるのか、モルガナは何者なのか、こまけえことはわからないまま、汚い大人たちに抗う若者たちの挑戦は始まります

その結果怪盗団が快進撃したり、活動があやうげになったりと「お調子」し、モルガナが順平的ギスギス爆弾するのもまた「魔術師」的要素です。

 

狡知の師

 『ペルソナ5』全体の「テーマ」を象徴するのは「星」のアルカナだと公式に言われていますが、一方で『ペルソナ5』の「テイスト」を象徴するタロットは「魔術師」のアルカナだと当方は思っています。「怪盗」というのがもう「魔術師」的存在だからです。

怪盗とは身軽で、巧みで、小ずるく、逃げ隠れやペテンを用い、おしゃれで粋で美学をもち、反体制的で、強者から鮮やかに宝を盗んでのける「永遠の少年」的な英雄像です。本家より現代日本人には親しみのある『ルパン三世』や、『サザエさん』の磯野カツオのような人物像ですよね。もちろん主人公のペルソナ「アルセーヌ(ルパン)」も。

『ペルソナ5』の痛快さである「立場の弱い者が思いもつかない奇策でジャイアントキリングする可能性を秘めている」という神話の元型を「トリックスター」といいます。陽介の項でも「魔術師」のキャラクターは「愚者」である主人公の半身、もう一人の主人公として作られると述べましたが、それは「魔術師」と「愚者」が共通して「トリックスター」的な元型を含んでいるからでもあります。『ペルソナ5』の主人公の特別な力はペルソナ3、4で呼ばれた「ワイルド」ではなく「トリックスター」と呼ばれていますね。

『ペルソナ5』には「ネズミ化」というバッドステータスが演出に効果的に使われていて、これも上記のような「魔術師」特徴を持つ泥棒「鼠小僧」の伝説が意識されているとおもいます。巨悪は曲者のこと「ネズミが入り込んだようだな、駆除しておけ」とか言うのがお決まりだしね。『ペルソナ5』はそういうちょこまかと動いて不意打ちで強者を倒す、ずる賢くて勇敢なネズミになるゲームです。

ネズミなのにネコとはこれいかに(「猫じゃねーよ!」Byモルガナ)って感じなんですけど、そういう『ペルソナ5』のテイストを牽引する「怪盗の師」なのがモルガナです。モルガナの言葉遣いが「ワガハイ」とか言ってわりとハードボイルドにカッコいいのも彼のペルソナ「ゾロ」とリンクした怪盗要素です。これまた「魔術師」的なキャラクターである『かいけつゾロリ』の名前と黒覆面の元ネタでもある『怪傑ゾロ』は、

強きをくじき弱きを助く、大盗賊にして真の紳士。賞金首のお尋ね者でもある反面、虐げられたインディオを助け、フェアに1対1の決闘に臨むなど、まさに正義の味方

――フリー百科事典Wikipedia『怪傑ゾロ』の項

といった物語の登場人物、いうたら、泥棒だけど優しく、美しく、汚れのない正義の心を持ったヒーローです。

『ペルソナ5』のパーティーキャラクターのペルソナのモチーフは共通して「体制や既成概念に反逆し、価値観をひっくり返すダークヒーロー」が引用されていますから、ともすると粗野で品がなくなりがちなところを、モルガナの「怪盗は美学を持ち、スマートな紳士たるべし」という教えが怪盗団に引き締まった信念とカッコよさを与えています。

 

 モルガナは「怪盗のカッコよさ」というコンセプトを決定づけるだけではなく、これまた今までの「魔術師」キャラにはなかった「師」という新しい立ち位置をもっています。

ふつうは「師」というと「女教皇」的なスカアハ師匠や「法王」的な精神的指導者、「剛毅」的な力の管理者、あたりの人物像なのですが、モルガナはそこまで権威的ではない「ワルの先輩」としてテクニックや策や知恵を授け、「魔術師」の創造性奇跡を生み出す知力を示しています。こういう小手先の切り抜けテクニックは深い精神性をもったものではありませんが、お尋ね者がコソコソと裏から目的を達する『ペルソナ5』には絶対に必要なものです。

 

自分探し

 モルガナは自分を「猫じゃねえ」「ワガハイは人間だったはず」と言い、思い出せない自分の正体を求めます。

まあしかし、モルガナの生まれ?が何者であったとしてもだ、最初から何者かである者などいないわけで、その者が何者かは、それを探して生きていく中でしか形成されないんです、結局。モルガナの正体は具体的な謎として物語を引っ張りますけど、「自分って何者なんだろう?」「まだ何者でもないかもだけど、それを探すために生きてるんだよな」というのは、それこそアヤセからずっと続く「魔術師」キャラたちと「イマドキの若者の心をもつプレイヤーたち」の共通テーマです。というか、『ペルソナ』シリーズ全体のテーマ真正面ですよね。

自分が何者であるかっていうのは、人と接したときどんな自分が出てくるか……、つまり、「ペルソナ」を使う積み重ねによって作られます。そしてそれは「他者に対してどんな自分でありたいと望むか」に動機づけられます。モルガナの場合、「アン殿」という憧れのマドンナ(おわかりかと思うのですがこれもいつもの「魔術師」要素なんですね)を心に得て、彼女にいい恰好をするため、彼女に恥じない自分になるため「人間に戻る」ことを目指すのです。

順平のスケベ心や友近の不祥事など、「魔術師」の美しい他者へ突っ走る憧れエネルギーはちょっとマズいことになることもしょっちゅうあるんですけど、モルガナから杏への片思いはモルガナが人間の青少年の体を持ってないせいもあって美しく純化されたもので、「魔術師」のもつ一途な精神性の純粋さが浮き彫りになっています。

幼児は大好きなママにいいカッコを見てもらいたいがために立ち上がって活躍しだします。そこから社会との接点が始まり、誰かのために何者かになりたくなり、はじめて「自分」が、「人間であること」が始まっていくのです。

 

 

↓おもしろかったらブクマもらえると今後の記事のはげみになるです。今後もswitch版のプレイによって参考画像とか引用とか加筆充実してくかなっておもいます。

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P5Rの読み解き実況も好調そうなら冒頭だけじゃなく続きもやるのでよろしくです。年明けからはペルソナ3の移植をやる予定です。

 

 

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あわせて読んでよ

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【目次記事】『ペルソナ』歴代キャラとタロットの対応―ぺるたろ⓪

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」のタロット大アルカナ部分目次記事です。

個別のキャラクターやタロットとの対応については別途記事をたててこの記事からリンク予定です。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのネタバレを含みます。今回の記事では公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓いままでのあらすじ 前置きにユング心理学の話した↓

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考としています。

 

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前置き:ペルソナシリーズとタロット

 ペルソナシリーズ第一作目、『女神異聞録ペルソナ』が発売した1990年代後半、日本には「ノストラダムスの大予言」の流行などでオカルトブームが吹き荒れていました。*1『異聞録』や『罪/罰』にはそれらのオカルト要素や神話、占術、そして「現代の神話」である都市伝説が詰め込まれ、さながらコンビニの本棚の怪しげなムック本の総パロディのような絢爛(?)なストーリーが織りなされました。

現在の最新作まで続く「タロット」の要素も、その当時流行していた神秘主義の一部です。日本にタロットカードが導入されたのはユリ・ゲラーが来日し上記の「ノストラダムスの大予言」に関する書籍がベストセラーとなった1974年*2、そこから90年代のオカルトブーム再燃時にはまた「一部でブームになっている」いわゆるカルト的人気をもっていました。地元じゃ負け知らずのカルト的オタク少年であった当方も例に漏れず、1974年の本*3の付録のマイタロットを引き出しに持っていたものです。

タロットカードは多くの象徴や記号が埋め込まれた「深遠な意味ありげな絵とキーワード」で構成されていて、人生のさまざまな局面や世界の中の役割を暗示します。*4ペルソナシリーズは特に意味の強い「大アルカナ」のカードをペルソナやキャラクターに割り当てて、シリーズの特徴(と当方はおもってるんですけど)である「外面と内面をもった、複雑な奥行きのある人格やそれぞれの個人の物語」の支柱にしています。

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 また、ペルソナシリーズはその世界観や用語においてユング心理学をベースとしてるんですが(上の前置き記事で話してます)、現代のタロットの読み取りにはユング心理学からの理解が役立ったり、ユング自身もタロットに関わったりしています。*5

ユング心理学では「人類みんなが心の奥で共有している普遍的なイメージ(元型)がある」と語られ、そこから神や悪魔の像が生まれ、人間が形成するペルソナのもととなるとされています。*6タロットの象徴的な人物像や物語展開は、ユングのいうその「元型」を描いたものだというつながりがあるのです。*7だからペルソナにはタロットのアルカナが対応してるし、オカルトものがブームでなくなってもずっと変わらない魅力があるってわけ。

 

 この記事シリーズでは、「タロット大アルカナに対応して設定されている歴代のキャラクター」たちが、かなり意識してタロットに表現された元型的性質を組み込まれてできあがってることを、ときおりユング心理学のベースもからめつつ、当方が読みとれる限りで紹介していきます。

また、異聞録~5までの各キャラクターで同じアルカナであっても表現されている部分や側面がそれぞれ少しずつ違うこと、そのアトラスの技アリぶりを見ていくことでタロット大アルカナの各カードへの理解も深めてもらえると幸いです。

それぞれのアルカナを理解すると、今まで見てきたキャラクターのひとつひとつの描写にいちいちなるほど~があったり、これから続編でまたタロットが扱われた場合には読みとれることが増えたりしておもしろいんじゃないでしょうか。自分でキャラ作ってみたりしても楽しいよね。

↓同じようなことを『遙かなる時空の中で』の八卦(八葉)の性質読解でやってる記事

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各大アルカナと対応キャラ

 異聞録~5にいたるまでの大アルカナ22枚とキャラクターの対応表です。タロットのナンバーの並び順には「正義」と「剛毅(力)」が入れ替わる「ライダー版(ウェイト版)」とよばれる解釈がありますが、ペルソナシリーズでは正義が8、剛毅が11のマルセイユ版あるいはトート版解釈が採用されてます(「ライダー版(ウェイト版)」のみ特徴的に正義と力の順番が違っている*8)。ここでは、日本語のアルカナ名は3以降の名前に統一しています。

0番「愚者/ワイルド」と21番「世界/宇宙/永劫」は特別なアルカナで、ペルソナシリーズでも個人の担当というより主人公(たち)の旅路と結末をあらわすので表では省いています。また、大アルカナ22枚にないアルカナとして追加されたキャラも何人かいるんですが、それもこのシリーズでは扱いません。

異聞録&2に関しては「メイン(初期)ペルソナに設定されたアルカナ」を担当とします。(敵キャラに裏設定的に対応してたりはっきりした担当キャラがいなかったりするアルカナもあります)あと異聞録&2はけっこうあだ名で表示される機会が多くて「稲葉正男」とか言われてもパッと見でわからないので通称を表示してます。

3はメインストーリーのキャラクターとコミュキャラが同じだったり別だったり女主人公版(P3P)だと違ったりでめんどくさいことになっているのでメインとコミュを分けました。女主人公版でのコミュ変更要素も個別記事の中では扱っていきます。

 

 以降、3の江戸川先生のタロット大アルカナ集中講義を引用しつつざっとアルカナと対応キャラクターをひとこと紹介していきます。各キャラクターのひとこと紹介は公式の設定・描写を考慮したうえでの当方の解釈です。それぞれの見出しにつけたamazonリンクはそのアルカナのイメージです。

そうすると「見るからにピッタリ」な対応もあれば、「なんでそのアルカナ!?」「このキャラとこのキャラが同じ!?」というひねりのきいた対応もあることでしょう。そういう暗示や奥行きの深さこそが、タロットとキャラクターが対応していることの醍醐味です。そこんとこの細かな読み取りをする個別記事はここから順次リンクしていきますので、これどういうこと?と思いながらお楽しみに。

今日は、タロット。そう、占いに良く使われるあのカードです。
ヨーロッパに14世紀頃から賭け事用に広まった後、占いに使われだしたようですねえ。(中略)
大アルカナは、いろんな象徴の絵柄をつけたカードです。
この"愚者"から始まり"宇宙"で終わる22枚の大アルカナは…
番号順に一つの連続した物語になっていて、それ自身が人間の成長過程を表しています。
人間の苦難や、変節、成功…、文字通り、人生の縮図があります。
カードがそれぞれ、人が人になるため必要な要素をあらわしてんですねえ。
大事ですから、22枚のカードを一つ一つ見てみましょうか。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

ペルソナ3

ペルソナ3

  • アトラス
Amazon

 

0.愚者/ワイルド

  • P3~P5主人公(など)

最初の0番、"愚者"のカードは、始まりを意味し、無限の可能性を示唆します。
つまり、人生の始まり、ですね。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 作中でも「トリックスター」「ワイルド」と呼ばれている元型をあらわすアルカナです。一見最弱そうに見えて何をやらかすかわからない、パルプンテ的に状況を変える力をあらわします。*9

注:ワイルドの能力について

 P3以降は伝統的に「主人公の特別な能力」「主人公たちの旅路」をあらわすアルカナです。

P3以降の主人公たちは一人だけベルベットルームの客人となり、ペルソナを付け替えることができる特別な能力(ワイルド)を持っています。P3とP4においては「なんらかの形で契約を結んだ者」としてベルベットルームの客人となります。

ただし、この「主人公だけが契約を結びベルベットルームの客人となる」「主人公だけがペルソナを付け替えることができる」というのは「ゲームの目的やテーマ」、「主人公がプレイヤーの視点人物であること」、「専用ペルソナの性質や伝説とキャラクターたちが対応していること」をはっきりさせるための演出の一種であり、「社会的ペルソナを付け替える力」自体は他のパーティーメンバーにもあります。戦闘のときに出てくるのが特定のペルソナだっていうだけで、主人公たちといないときにはパーティーメンバーたちもいろんな仮面をつけて社会を渡っていることでしょう。*10

 

1.魔術師(個別記事あり)

  • 「刹那的・享楽的コギャル」アヤセ
  • 「嫉妬するお調子者」伊織順平
  • 「年上女性好きのクラスメイト」友近健二
  • 「八方美人の都会っ子」花村陽介
  • 「狡知を授ける魔術師」モルガナ

"魔術師"は創造、そして積極性…だが、未熟さを表すカードでもあります。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 基本的には「少年」「ずる賢さ」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。そこにしょっぱなからアヤセを置いてくるのが深いよなァ~って昔からずっと感動してます。詳しくは個別記事で。

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2.女教皇(個別記事あり)

  • 「謎多きヒロイン」マキちゃん
  • 「感受性豊かないじめられっ子」山岸風花
  • 「籠の中の若女将」天城雪子
  • 「世間を知らぬ完璧生徒会長」新島真

"女教皇"は精神の成長とそれに欠かせない知識を与える存在。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「少女」「巫女」「聖母」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。清らかで神秘的な女性像で、魅惑的であったり肝っ玉カーチャンである「女帝」のアルカナと対比になっています。*11詳しくは個別記事で。

ウェイト版の系譜のカードでは「白と黒」をあらわす*12ため、「自分の中にはもう一人の自分の顔がある」というテーマを初めて示した異聞録のキーとなったアルカナでもあります。詳しくは個別記事で。

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3.女帝(個別記事あり)

  • 「情をつらぬく姐御肌」ゆきのさん
  • 「大企業の次期当主」桐条美鶴
  • 「大人の女性な力の管理者」マーガレット
  • 「おっとり社長令嬢」奥村春

"女帝"で出会うのは母性とその生命力。母なる慈愛です。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「成熟した女性」「母性」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。清楚で潔癖な女教皇に対し、豊満でエロスを含みます。次の「皇帝」のアルカナとあわせて父母をあらわします。*13詳しくは個別記事で。

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4.皇帝(個別記事あり)

  • 「リーダー/ヒーロー」異聞録主人公
  • 「超高校級正論ボクサー」真田明彦
  • 「高圧的な風紀委員」小田桐秀利
  • 「迷走するマッチョイズム」巽完二
  • 「世界を切り取る画家」喜多川祐介

"皇帝"は、それに対するカード。父性を表し、統率や決断力を示します。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「王者」「父性」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。社会的に成功することや、意識や理論や勝ち負けの世界を志向しています。*14真田や小田桐がそういうストレートボールだったために、完二や祐介が違う角度から描写していますね。詳しくは個別記事で。

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5.法王(個別記事あり)

  • 「日本一財閥お坊ちゃま」なんじょうくん
  • 「一匹狼な上級生」荒垣真次郎
  • 「古本屋のひょうきん爺さん・優しいおばあさん」文吉&光子
  • 「渋くて硬い刑事の叔父」堂島遼太郎
  • 「ことなかれちょいワル保護司」佐倉惣治郎

"法王"は寛容と精神性の充実。宗教や精神世界との出会いを示唆します。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「年長者」「権威」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「皇帝」と同じく「社会的に強い大人」ではありますが、皇帝が「勝ち負け」「正確な理論」の世俗権力的な強さであるのに対して法王は「道徳的、普遍的正しさ」を上から教える宗教権力的な強さです。*15詳しくは個別記事で。

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6.恋愛(個別記事あり)

  • 「金髪碧眼女子高生アイドル」ギンコ
  • 「クラスで一番かわいい子」岳羽ゆかり
  • 「ぶりっ子系人気アイドル」久慈川りせ
  • 「圧倒的ルックス!高校生モデル」高巻杏

"恋愛"は、自分だけの物を選択すること。やっと自我が出てきました。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「恋愛」「エロス」だけでなく、「思春期の変化」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「魔術師」~「法王」は神のような偉大な人物像をあらわしていましたが、ここではじめて「個人の選択」が出てきます。やたらアイドル的人物が多いですが、詳しくは個別記事で。

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7.戦車(個別記事あり)

  • 「直情型ヒップホップボーイ」マーク
  • 「対シャドウ人型兵器」アイギス
  • 「お肉大好きカンフーマニア」里中千枝
  • 「素行不良な切り込み隊長」坂本竜司

"戦車"は勝利…ただし、ここで得る勝利はまだ若く、目に見える勝利を意味します。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「若き英雄」「未熟な勝利」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「戦車」までが神話的なハッキリした元型の世界*16なので、パーティーメンバーの多くがここまでのカードから人物像を作られています。詳しくは個別記事で。

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8.正義(個別記事あり)

  • 「軽薄太鼓持ち」ブラウン
  • 「生真面目な刑事」周防克哉
  • 「大人びた少年」天田乾
  • 「潔癖症めがねっこ」伏見千尋
  • 「天使のような妹」堂島菜々子
  • 「天才高校生探偵」明智吾郎

"正義"はその通り、公明正大さです。自分の中に善悪や理性が出てきたわけです。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「判断」「分別」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナではあります。しかし見ての通りその意味をストレートに表示しているのは2の克哉だけ、しょっぱなの異聞録からひねりのきいた描き方をしているなかなかの曲者カードです。詳しくは個別記事で。人が多いので前後編です。

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9.隠者(個別記事あり)

  • 「復讐代行裏サイト管理人」ジン
  • 「過疎ネトゲの住人」Y子
  • 「浮世離れした年上の同級生」長谷川沙織
  • 「寂れた神社の神の使い?」キツネ
  • 「引きこもり世界的ハッカー」佐倉双葉

"隠者"は探究者。自分自身の内面、その奥深くに入っていきます。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 その名の通りの「隠者」、つまり世を捨てた老賢者、求道者的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「プログラムによってデータ化された神や悪魔を再現・召喚する」デジタル・デビル・ストーリーに立脚する女神転生シリーズ*17の伝統を引き継ぐようなかたちで、このアルカナには「ネット世界の住人」が多く当てられています。なぜ「ネット」が「隠者」なのか? 詳しくは個別記事で。

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10.運命

  • 「陰のあるカリスマ美少年」黒須淳
  • 「終末思想の扇動者」タカヤ
  • 「強運多才な大病院の御曹司」平賀慶介
  • 「謎の転校生」望月綾時(本来は「死神」、P3Pコミュでの特殊配置)
  • 「探偵王子」白鐘直斗
  • 「当たる!怪しい占い師」御船千早

"運命"は人が干渉できない運命、その中で得る、自分の将来の決断。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「運命のドラマティックな転換点」「それを告げる者」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。人智を超えた運命の大きな流れをあらわすため、スケール感の大きいある意味異様な人物像を描いています。詳しくは個別記事で。

 

11.剛毅

  • 「神社のマスコット柴犬」コロマル
  • 「運動部女子マネージャー」西脇結子
  • 「運動部ふたりの男子」長瀬&一条
  • 「双子の看守」カロリーヌ&ジュスティーヌ

"剛毅"は自分の意思と情熱。理性を持った力として描かれます。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 日本では「力」と呼ばれることの多いカードです。「怪力を管理する者」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。キャラクターとしては暴威の力をもった猛獣や戦士じたいとして描かれることも、それを手なずける乙女の姿をメインに描かれていることもあります。おとぎ話の『美女と野獣』はこのカードの元型をあらわしています。*18詳しくは個別記事で。

 

12.刑死者

  • 「復讐の盗聴バスター」パオフゥ
  • 「両親が離婚しそうな小学生」大橋舞子
  • 「連続殺人被害者の弟」小西尚紀
  • 「元"筋者"のモデルガン店主」岩井宗久

そして、一旦は身動きの取れぬ"刑死者"となり…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「犠牲」「雌伏」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。本人に大きな罪がなくても、あるいは他人のために刑罰を受ける悲壮な人やそのために身動きが取れないタイミングをあらわします。*19詳しくは個別記事で。

 

13.死神

  • 「ヴィジュアル系死神番長」ミッシェル
  • 「夢?に現れる謎の少年」ファルロス
  • 「謎めいた転校生」望月綾時
  • 「死神を名乗る喪服の老女」黒田ひさ乃
  • 「ワケありの闇医者?」武見妙

訪れる、精神の死。13番目の"死神"のカードです。これは、転機、ターニングポイントのカードでもありますね。古いものは終焉し、新しいものが生まれるのです。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「あの世からの使者」「死と再生」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「存在している限り避けえない限界」の概念であり、限界から派生したさまざまなエネルギーも司る、ある意味で生命力豊かなカードでもあります。*20詳しくは個別記事へ。

ペルソナ3のメインテーマとなったアルカナでもあります。そのことについても個別記事でお話しする予定です。

 

14,節制

  • 「日本好きのフランス人留学生」ベベ
  • 「都会から来た若い再婚継母」南絵里
  • 「昼は担任教師、夜は……」川上貞代

"節制"は、価値の対立の中で見出す調和。異なる価値観に触れ、人は成長していき…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「異文化の並列」「節度」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。ペルソナ3~4ではシャドウは1~12番のタイプに分類され、特別な13番がまれにいる、という感じだったのでここから先はちょっと扱いが小さめです。「死神」のあとは価値観にひびが入った後の世界であり、社会的な価値が揺らいだからこそ見いだせる自分の心の真実に迫る禅問答のように複雑なアルカナになっていきます*21から、あまりメインキャラになることはありません。詳しくは個別記事で。

ペルソナ4のメインテーマとなったアルカナでもあります。そのことについても個別記事でお話しする予定です。

 

15.悪魔

  • 「孤高の復讐鬼」城戸玲司
  • 「射幸心を煽るTVショップ社長」たなか社長
  • 「蠱惑的な看護師」上原小夜子
  • 「ゴシップ記事ライター」大宅一子

"悪魔"に象徴されるように、甘言と誘惑を受けて様々に迷いながら…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 いわゆる「悪魔のささやき」「まやかし」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。悪魔的な人物とは単なる怪物ではなく、やみくもに真なるものではない欲望を満たすことへの誘惑、それを呼び寄せてしまう人間らしい弱い心が作り出す幻影です。*22詳しくは個別記事で。

 

16.塔

  • 「脱サラ生臭坊主」無達
  • 「周りを見下す優等生」中島秀
  • 「ガンアクションゲーの天才少年」織田信也

"塔"で、価値観が一旦崩壊します。これにより、何も無くなったかに見えますが…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「破局」「崩壊」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。吉凶としてはタロット最大のアンラッキーカード、大凶札といえます。*23なぜそれが「塔」の崩壊にあらわされているのか、なんで生意気な天才少年らと破戒僧のオッサンが同じアルカナなのか、詳しくは個別記事で。

 

17.星

  • 「結婚詐欺にあった女」芹沢うらら
  • 「スポーツ界期待の星」早瀬護
  • 「超高校級正論ボクサー」真田明彦(本来は「皇帝」、P3Pコミュでの特殊配置)
  • 「テレビの世界の謎の着ぐるみ」クマ
  • 「アイドル的高校生棋士」東郷一二三

そこで見つけるのは希望と言う名の小さな光。これが"星"のカード。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「一縷の希望」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。これは塔と逆にきらめくラッキーカードで、セットであるといえます。*24早瀬や一二三はその名の通り「スター選手」です。じゃあうららは一体……? 詳しくは個別記事で。

ペルソナ5のメインテーマとなったアルカナでもあります。そのことについても個別記事でお話しする予定です。

 

18.月

  • 「謎を抱えた朗らかなマドンナ」天野摩耶
  • 「過食グルメキング」末光望美
  • 「一匹狼な上級生」荒垣真次郎(本来は「法王」、P3Pコミュでの特殊配置)
  • 「わがままな運動部マネージャー」海老原あい
  • 「怪盗団の信奉者」三島由輝

"月"に表されるように、不安を胸に、そろりそろりと進んで行き…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「不安定」「不穏」「狂気」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。星からまた一転怖めのカードですね。2のラスボス・ニャルラトホテプのボスとしての名前が「月に吼えるもの」であったり、名君であったローマ皇帝カリギュラが狂気の代名詞となるほどの暴君となったのは「月の女神に愛されてしまった」からとも言われます。*25英語で狂気をあらわすルナティックのルナも月が語源です。*26

よってこのアルカナに当てられた時点でもう不穏の予感がするという様式ですね。詳しくは個別記事で。

「太陽」と対になって2罪罰のキーとなったアルカナでもあります。そのことについても個別記事でお話しする予定です。

 

19.太陽

  • 「寡黙に燃えるアツい漢」周防達也
  • 「余命いくばくもない文学的青年」神木秋成
  • 「吹奏楽部の雑用係」松永綾音
  • 「すごすぎて浮いてる演劇部員」小沢結実
  • 「万年落選の誠実な議員候補」吉田寅之助

暖かい未来を得る…それが"太陽"。真の意味での達成を表すカードです。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 まさに小沢の名前についているように、「結実」的な元型のキャラクターが置かれるアルカナです。「塔」の崩壊のあと「星」→「月」→「太陽」と連なって人間の魂の輝きがどんどん上昇し強くなっていくさまを描いています。*27「審判」や「世界」に近い、物語のフィナーレを飾る輝きのカードなので、スケールの大きな感動を残すことが多いです。詳しくは個別記事で。

「月」と対になって2罪罰のキーとなったアルカナでもあります。そのことについても個別記事でお話しする予定です。

 

20.審判

  • 「オカルト好きな帰国子女お嬢様」エリー
  • 「必勝! 詰める検事」新島冴
  • P3~P4は終盤の真相に挑むパーティーメンバーの覚悟と絆をあらわす

その旅の終わりに待ち構えるのは"審判"。歩んできた道を振り返り、裁かれる時…

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 その名の通り「審判」の元型をあらわすアルカナです。死後、あるいは世界の終わりに際してしてきた行いや魂の善悪が裁きを受ける、総決算される、という元型は世界中のさまざまな文化宗教の中にみることができます。*28

そのスケールのでっかい性質上、本当に個人のキャラに当てられた例はエリーひとりだけ(冴の場合は「主人公が冴に尋問を受けている中での回想」として中盤までのストーリーが進行する自動イベントの仕掛けであるため、P3~P4の終盤のストーリーイベントとしての扱いとも似ている)なのですが、人間の性質や物語としてはどういうことなのか、詳しくは個別記事で。

 

21.世界/宇宙/永劫など

そして最後の"宇宙"。やがてたどりつく、あなた自身の場所です。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

 「真理への到達」「世界との合一」の元型をあらわす特別なアルカナ*29です。P3以降主人公(たち)の到達するゴールとして描かれ、作品を通して担当しているキャラクターがいるという感じではありません。真の自己実現のゴールは「悟り」とか「解脱」「自然との融合」だっていう、ある意味東洋哲学的なエンディングです。*30

「すべて」を包括、統合したカードであり、「何もないし、なんにでもなれる」ゼロをあらわす「愚者/ワイルド」のカードと対をなしています。大アルカナ最後のカードである「世界」でゲームセットを迎えた物語はまたゼロ番の「愚者」に戻り、新たなゲームがスタートして魂は進化し続けていきます。*31ペルソナシリーズでアルカナの旅路と出会い続けるわれわれプレイヤーたちもまた……。

 

 

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*1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ノストラダムスの大予言の頁

*2:前掲『タロットの世界』10頁、177頁

*3:辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)

*4:前掲『タロットの世界』138-139頁

*5:前掲『タロットの世界』128-129頁、前掲ニコルズ5頁など

*6:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』元型の頁

*7:カール・グスタフ・ユングは1933年のセミナーにおいてタロットに描かれる象徴について「さまざまな種類の分化した元型的観念」と述べている(C.G.ユング著 氏原 寛、老松 克博訳 C・ダグラス編集『ヴィジョン・セミナー』(創元社・2011年)1001頁)

*8:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ウェイト版タロットの頁

*9:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』トリックスターの頁フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ワイルドカード(トランプ)の頁

*10:アトラス『ペルソナ3 公式設定資料集』(エンターブレイン・2006年)

*11:前掲ニコルズ152-153頁によれば「この二人の姉妹の肖像を比較対象してみればわかるように、それぞれは別々の側面を強調している」「『女教皇』は、「女大祭司」であって「聖処女(ヴァージン)」であるし、『女帝』は「聖母(マドンナ)」であって「女王(ロイヤル・クイーン)」である」

*12:前掲『タロットの歴史』75頁

*13:『タロットの秘密』皇帝の頁によれば「「女帝」が「母なるもの」であり、自然の豊穣性と結びついているのに対し、「皇帝」は「父なるもの」であり、世俗の政治的な権力と結びついている」

*14:前掲『タロット象徴事典』93頁

*15:前掲ポラック80頁によれば「「司祭」を「皇帝」の対の一方としてみなすことができます。そもそも「教皇」という言葉は「父」を意味し、ローマ皇帝と同様に「教皇」は子供たちを導く賢い父親として考えられていました」

*16:前掲ニコルズ39頁

*17:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』デジタル・デビル・ストーリーの頁

*18:イシャ・ラーナー、マーク・ラーナー著『インナーチャイルドカード』(株式会社ヴィジョナリー・カンパニー ・2010年)では剛毅(力)に対応するカードが美女と野獣として描かれている

*19:前掲『タロットの歴史』154-155頁

*20:前掲ニコルズ376-377頁

*21:前掲ニコルズ40頁

*22:前掲ニコルズ442-443頁

*23:前掲辛島49頁

*24:前掲ポラック168頁

*25:TYPE-MOON『Fate/Grand Order』カリギュラのキャラクター説明に「当初は名君として人々に愛されたが、突如として月に愛された──狂気へと落ち果てたのである。暗殺までの数年間、彼は帝国を恐怖で支配した」(2015年)

*26:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』月#ヨーロッパの伝統文化の頁

*27:前掲『タロットの歴史』197,205,213頁

*28:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最後の審判の頁

*29:前掲ポラック186頁、ニコルズ577頁

*30:うちむら『「ユング心理学」と「マンダラ」 』(2016年)によれば「「曼荼羅」の”manda”とはサンスクリット語で「本質」を意味し、”la”という接尾辞には「得る」という意味があります。曼荼羅とは本質や真理に到達(あるいは回帰)することを著す図表だといえるでしょう。人間全てに共通する本質を求めたユングが辿り着いたのがこの図形であったことは、面白い偶然と言えると思います。そしてもちろん、ユング本人にとっては、偶然以上のものをあらわす一致でした。これをユングは、個人を超え人類に共通している「集合的無意識」と考え、その研究に多くの時間を割いていきました」

*31:前掲ニコルズ582-585頁

付録・『ペルソナ』シリーズはセカイ系なのか?

本稿は、ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズの補足記事です。

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ペルソナシリーズの用語における心理学的モチーフの扱われ方を紹介した前回の記事↑に有意義なブクマコメをいただいたので、今回はそれについて独立した記事にしました。

ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学② - 湖底より愛とかこめて

想像界・象徴界・現実界ってムズいよなー。『ペルソナ』では象徴界が機能しているから、『ペルソナ』はセカイ系じゃないって事になるのかい??

2022/01/11 22:00  - amaikahlua のブックマーク / はてなブックマーク

前回の記事では「ほかに紹介するとよさげな用語あったら言ってね、追記で書くから」と言っていたのですが、この「セカイ系」の話題に関しては作中での心理学の取り扱われ方の前提知識っちゅーより時代性や社会性のある作品批評のはなしなので「記事を書く際あらかじめ外した話題」だったんですよね。せっかくコメもらったので書きます。あざす。

 

 

「セカイ系」とは何か

 まずブクマコメで話題にあげてもらった「セカイ系」という用語がもはやかなり昔に流行った言葉なんでおさらいしておきます。

もとは『新世紀エヴァンゲリオン』の大流行の影響を受けた90年代末~ゼロ年代のオタク文化的作品に流行った特徴を、やや揶揄的に示す言葉です。代表的な作品はエヴァのほかに『最終兵器彼女』『ほしのこえ』などがよく挙げられますが、定義があいまいだし揶揄的な言葉だったこともあって何をセカイ系とするのかは人により、『涼宮ハルヒの憂鬱』とかも代表例として含まれることもあります。

作品例を挙げるだけだと若い子にはなんもわからんので特徴を言いますと、「青少年主人公とヒロインである少女、その周りのごく個人的な人間関係と個人的な悩みの『きみとぼくのセカイ』をナイーブに描く、男性自意識の私小説的な内容」という純文学みたいな話が、「世界全体の存亡」にいきなり直結する、というような感じのものです。エヴァはまさにシンジくんの自意識や個人的人間関係を中心としながらそれと連動するかたちで世界規模のヤバがおこります。従来の戦記物とかの「世界規模の大事の中でもがく個人を描く」のとはフォーカスとか順序が逆で、テーマもまったく違ってきます。

この「セカイ系」を読み解く際に、前回紹介したジャック・ラカンの「現実界・象徴界・想像界」という考え方が使われた経緯があるので、今回いただいたamaikahluaさんのブクマコメにいたるというわけです。エヴァとかみたいなセカイ系の物事のおこりかたは主人公の内面の問題という「想像界」からほとんど象徴界をスッとばして「現実界」に大破壊をおこしたり逆にクライシスから世界を救ったりしているのが特徴とされるのです。

さて、ここで、ペルソナシリーズは「個人の心の問題に端を発し、荒唐無稽に世界が破滅しかける」のはセカイ系に似ているが、一方で「噂が現実になる」など「象徴界がすごく機能している」のはセカイ系とは異なり、何?というズレ感が生じてきます。

まあなんでもかんでもセカイ系か否かに分けなきゃいけないわけじゃないんですけど、ペルソナシリーズ(特に罪罰)がまさにセカイ系流行ってたころの作品の流れだから時代的にね。

 

「社会」の存在

 「象徴界」がスッ飛ばされて「想像界(=個人の自意識やイメージ)」の問題が「現実界(物理的世界のできごと)」に直接大きな変動をおこすというサイコキネシス的展開がラカンの用語からみた「セカイ系」の特徴だと述べてきました。この「3つの世界の真ん中を飛ばす」ということはほかにも「近景・中景・遠景」と呼ばれたり、わかりやすい言葉では「きみとぼく・社会・世界」と呼ぶこともできます。「きみとぼく」のセカイの問題が、世界の問題に直結しており、その間にあるはずの「社会」を飛ばしているということです。意図的な方法として消去しているのか、それとも作者や読者に社会と関わる気がないからそうなっているのかを問わず。

少なくともわれわれが生きる現実と似た世界ならば、個人の問題と世界全体の間には具体的な社会が存在します。たとえば、エヴァの世界にも「シンジくん(自意識)」「学校やネルフの人たち(近い人間)」「ゼーレ(陰謀)」「使徒(世界規模の災害)」だけではなく、ふつ~に政治家や一般の行政やさまざまな思惑でネルフに資金を提供している企業の人たちなどがいるはずです。でもそういうのはほぼ描かれないしじっさい劇場版の後半では死んでる(そして特に話に大きな影響はない)んだな。

そして、社会は個人と世界全体の間に「必ず存在している」だけではなく、個人が世界にはたらきかけ「世界を変える」ためには「必ず通らなければいけない道」です。個人がこんなのおかしいよと思った世界のありようを変えるには、言論を発して同じ志をもった人を集めたり議論をおこしたり、署名運動やロビー活動など政治活動をしたり、次の世代の教育を支援したりと、具体的に身近からやらねばならんことがたくさんあります。さすがに物語作品の中ではそういう地道なことだけやってるわけがないとしても、あまりにも「社会」の道をまるまるとばして気持ちの問題だけでガチの実世界をどうにかできると思ってんのは怠惰でイタいんじゃねーの? 自意識ヒロイックに肥大しすぎか? ……というのが、「セカイ系」に向けられた批判や揶揄であったわけです。

もちろん、「プライベートな悩みや自意識の問題を世界の危機として感じる」とか「悩みが晴れると世界が生まれ変わったように感じる」とかの、心と世界のリンク感じたいはあるあるだし、思春期のヤングたちの心にバーンと訪れる必要な成長過程の過渡的な状態です。別におれぁ嫌いじゃないよ。そこのリンクそのものに問題(?)があるわけではありません。

(余談ですが、だから低年齢層や少年向け作品なら特に揶揄されるモンでもないものの、セカイ系と呼ばれる作品群は美少女エロゲーなどの成人男性向けオタクカルチャーの文脈と結びついていたため大の大人が無責任ナイーブすぎるぜェみたいに言われてたんですね)

 

ペルソナ=社会的接点の模索

 セカイ系が「具体的社会との関わりの不在」に特徴づけられているという見方を確認しましたが、そういう話だとペルソナシリーズはかなり「社会」です。むしろセカイ系から意図して脱色されている「社会の微妙に嫌なとこ面倒くさいとこ」よくばりアンハッピーセットとさえいえます。

ペルソナ能力はセカイ系っぽいワード「心の力」ではありますが、「心の中の力」というより「心が外界に接してできる外的側面の力」なわけですから、いわば「社会に対するソトヅラの力」で戦うんですよね。「外界との境界面に形成される力」といえばエヴァの「ATフィールド(心の壁)(上のやつ)」と類似してますが、ATフィールドが基本的に「他者の侵入を拒む硬いバリアの力」であるのに対しペルソナは「他者とうまく社会を作っていくために多様に変化する力」です。ペルソナは自意識の力ではなく、自己が社会との接点を模索していくこと自体の力なのです。

ペルソナシリーズには特徴として、セカイ系的な自意識に関係の深い「親との関係」「特別な親友や恋愛対象との関係」だけでない多様で微妙で同時並行的なたくさんの人間関係のしがらみのめんどくささがかなり描かれています。たくさんの「つながり」「絆」の網の中に抱きとめられているといえばそりゃ聞こえはいいですが、現実問題としてその「絡みつく人間関係のしがらみ」によって学校では妬みそねみが渦巻き、必要以上にキャラを演じることになり、根も葉もない噂や誤解や中傷があり、いじめが起き、誰も「ほんとうのわたし」を理解してくれないという孤独をみんなが抱えていて特に解決もしない、というのがペルソナシリーズに描かれている「社会」です。こうして書くとひどい。

ペルソナシリーズに描かれているキャラクターが独特なリアリティの魅力を持っているのは、そこに描かれている学校社会や大人の社会がイヤな意味でちゃんと社会しているからです。セカイ系はたった一人の大事な人が理解者になってくれればよくて、自意識が変われば世界も変わり、「自意識天動説」みたいな感じですが、ペルソナシリーズは地動説です。自分は世界の中心ではなく、いろんな問題の中にからめとられている小さな一部にすぎない。

 

世論という社会

 ペルソナシリーズでは一貫して「都市伝説」「噂」が扱われています。ペルソナ2で「噂が現実になる」ことは現実界・象徴界・想像界の中で「象徴界」の力が肥大することで人の想像界のイメージが現実界にもマジモンの影響を及ぼしてしまうってことだ、と前回の記事でお話ししました。セカイ系では「想像界」から「現実界」へ話がスッ飛んでしまうことが特徴なので、象徴界の力が重視されているペルソナシリーズはあんまセカイ系でもないということになります。

実はこのペルソナシリーズで扱われてる「象徴界」ってのは「社会全体でよく口にされるようになった考え方や空気」、いわゆる「世論」ってやつなのです。人々の不安により陰謀論の嵐が巻き起これば大規模なノーマスクデモも起こる。すごく社会。

心の力は世界に大きな影響を及ぼしますが、ペルソナシリーズでは「個々人の心」と「世界」との間にその「社会全体で話されている空気」が介在しまくっている、と描かれています。

セカイ系よりだんぜん「現実的」な描写ではあるのですが、だからといって起こることがマイルドだということではないのでそこんとこ注意が必要ではあります。個人の自意識のクライシスと世界のクライシスを直結させてしまうセカイ系と違ってペルソナシリーズの世界には「社会」というクッションがあるかのように見えて、その「クッション」は個人の不安や悪意を無尽蔵に増殖させる恐ろしい仕組みでもあるのですから……。

 

仲間という社会

 また、小難しくテーマを考えなくとも、げんにペルソナシリーズには多くの「仲間」あるいは協力者たちという社会が存在しています。

セカイ系の主人公にも友達や周囲の人間くらいいますし、RPGである以上パーティーを組む仲間たちがいるのは普通ですけど、ペルソナシリーズの仲間あるいは協力者たちにはけっこう特徴的な社会性があります。セカイ系では多くの場合、主人公の周囲の人間関係は主人公を中心とした天動説的なもの、あるいは「背景のモブ」です。しかしペルソナシリーズのパーティーメンバーは「個性的」というより同質性があまりにも低くてヘンな集団、それぞれ家族や学校、仕事でのつながりに問題を抱えていることが個性の源になっており、非パーティーメンバーを含めて(それこそお店の人なども)皆異なる社会的目的をもって動いています。

自意識の行き着く点に向かってすべてが動いていくというか、その軌道にあるものを描写することにしているのがセカイ系の方法ですが、ペルソナシリーズでは意図的にすべての星がてんでばらばらに動いていること、それこそが重要なのだとということが描かれています。

みんな完全には理解し合えず、同じにはなれず、違いからすれ違い憎しみ合うこともあっても、違うものだからこそお互いを映し合う多面の鏡になり、助け合い高め合うことができる……というのが、人間の社会のポジティブな機能です。

 

「寓話」としてのセカイ系

 「社会」の存在感を意図的にメチャクチャ強くされてることからいえばペルソナは「セカイ系」ではなく、むしろセカイ系であえて捨てられた社会のメンドさを大盛でお出しする二郎系の店だった、と述べてきました。しかし一方で、「心の問題がマジの世界クライシスをおこす超常的なトンデモ展開」という特徴はセカイ系と共通しています。

まあ確かに、個人の心の問題が社会や世論を動かしたからって、いくらなんでも噂が一瞬で現実にはならんし世界の危機に元気玉も発生せんわな。実際問題。ゲームなんだから当たり前だけどこういうところには現実以上の大幅な出来事の拡大がされています。

ここには、セカイ系作品のもつ「寓話」性がかかわってきます。

 

『少女革命ウテナ』および幾原邦彦作品の場合

 ペルソナ2とかと同じセカイ系の時期に生まれ、セカイ系であると言われたり違うと言われたりする作品のひとつにアニメ『少女革命ウテナ』があります。

『ウテナ』は上のビジュアルを見ての通り確かに「きみとぼく」の絶対的な二者関係を主軸にしており、二人の心の問題が結末の大きなクライシスをひきおこします。しかも舞台は「社会」から隔絶された寮制の学園で、二人の心の問題に関わる少数の人物たちしか描写されません。「セカイ系」の要件は満たしているふうに見えます。

しかし、物語を読み解くと、実は「社会から隔絶された学園」とは主人公の一人の閉じた心そのものを象徴する世界であり、物語は人物の心の中(想像界と象徴界)でおこっていた葛藤の比喩であってマジの現実というわけでもない話、つまり寓話のようなものであったことがわかります。そしてラストシーンで彼女は「外界と接しない、閉じていた心」であった学園を出ていくのです。

このように、『ウテナ』以下幾原邦彦作品アニメには「セカイ」的な心と現実を直接つなぐ描写がありますが、その現実もあくまで象徴的現実であり、「心によって現実が変わった」ことを意味しない……という寓話的構造があります。心によって変わるのは心の問題であり、現実のできごとそのものではないのですが、映像的には象徴として現実の容シーンが描かれるのです。

 

四つの層

 そりゃフィクションなんだからフィクションの中の「現実」は現実じゃないのは当たり前なんですが、表現する側や受け取る側がある描写を「物語の中の現実」と意識しているか、それとも「何かの比喩表現」と意識しているかっていうのはけっこう違いがあります。そして物語の中には「物語の中の現実」のストーリーラインの上に「比喩」「作者の自伝」「時事」などのいろんな要素が入れ代わり立ち代わり登場し、ときには同時に重なって語られているものです。

亀山郁夫はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読解するにあたって、物語作品は「物語層」「自伝層」「歴史層」「象徴層」の4つの層から読むことができる、と述べています。こまけえことは上の100分de名著を読んでくれなんですが、つまり物語で描写されているできごとのプロット(物語層)が作品のすべてではなく、それを語ることによって歴史的事実との関連を示唆してることもあるし、象徴的な原理の対立を描いてることもあるよ、というわけです。

そのため、物語でなんか荒唐無稽なトンデモ展開入ったな、と思ったら、それが「マジで『不思議なパワーでこうなりました』と描こうとしている」のか「何かの比喩の層が強いパートに入った」のか、ちょっと焦点を調整して見る必要があります。

ペルソナシリーズの作品のクライマックスの展開はいつもこの「比喩の層が強いパートへの突入」です。例えば、2は全体に「噂が社会の空気を左右し、やがては現実になってしまう」ということの寓話的表現強めですが、『罪』のシバルバーに入ったあとの「考えたこと、口にしたことがすぐ現実になってしまう」という高レベルの超常現象は、「人はなりたいものになれる」という作品の大テーマのまとめに向かうための比喩強めの表現です。

「セカイ系」的な表現が本当に自意識に世界を収束させていく物語の表現なのか、それとも現実のわれわれに対して比喩的に「現実でいうこういうことについて描いてますよ」と語りかけている表現なのか。ペルソナシリーズは明らかに後者が意識されてますが、作り手が特別意識していない場合もあり、ひとつの作品の中でさえ入り混じっていることがあります。セカイ系の祖的な存在であるエヴァに関しても、新劇場版のほうが現実のわれわれの社会の比喩としての描き方が強めに意識されてるなーっておもいます。

 

ペルソナシリーズの生存戦略

 てな感じで、ペルソナシリーズはセカイ系とはパッと見似ているけど根本的にはむしろ正反対のこともしているっぽい、と話してきましたが、「セカイ系」が「社会」という「もはやわれわれを救ってはくれないもの」をあえて捨てたところに生まれた流れだったことを考えると、ペルソナシリーズってめんどくせーんですよね。社会、やはりめんどくさい。

でも、現代哲学全体のベースであるヘーゲルとかによれば、人間の自意識や自己というのは「それ単体で確立するものではない」んですよ。

簡ッ単にまとめると、「ほんとうのわたし」が「どういうものであるのか」が最初からあって部屋にこもって内面を探求していくとみつかる、なんてことはなくて、「何者であろうとするか」「何をなすか」が他者や社会との関係の中で外から評価されることによって、人は鏡を見るように「わたし」について知る、ということです。気付いたとおもうんですが、これってペルソナシリーズのテーマですよね。

 

 今紹介したヘーゲルやマルクスによる人間自己と社会とのかかわりに関する思想は、19世紀から現代にいたるまでわりと有効に生き続けてるんですけど、20世紀末にいたってそれに疑問が生じてきて「もはや社会に所属するタイプの自己実現はオワコン、やっぱ社会より内面の探求だよ!!」となった動きのひとつがセカイ系です。

確かに20世紀末の日本社会では経済成長に翳りが見え始め、「がんばって働けば夢が叶って幸せになれる」という希望がいまいち失われたまま学歴や仕事の成績の競争ばかりが激化し、「社会によって敷かれたレールを走っていてもコースアウトするか、そのまま何者にもなれないのではないか」という不安が「社会の空気」として蔓延していました。それまでの巨大ロボものの正統派主人公は父的な社会にロボに乗りなよと言われて乗り、なんやかんやで英雄になりましたが、シンジくんはエヴァに乗れって言われてもムリだよぉイヤだよぉ自分の中に閉じこもってたいよぉって言う。そんなことして何になるの?と疑問をもったからです。

しかも、この動きはなにも引きこもりがちなオタクにだけ起こったことではありませんでした。同時代のすべての若者たちにも、「自分探し」「占い」「癒し」などの内面に真実を求めるような考え方がトレンディーになったのです。

 

 ここがおもしろい構造なんですが、ペルソナシリーズがヒットしたのもこのような「(社会に所属することの中にではなく)自分の内面に真実を求める」というトレンドがあったからです。

「心の力」「自分の中のもう一人の自分」「オカルト」等の要素は内向的な方向性にぴったりですよね。しかし、ある意味そういうセカイな感じのエサで釣っといて、「心の力」を実現するにはやっぱ「社会の中の自分」が不可欠なんだよ、という正統派マジレスにいつの間にか連れていくというニクい仕掛けがあるのがペルソナシリーズなんですわ。実際1作目の異聞録がもう……あの二人のセカイ系絶望に引導を渡す的な話だったんだな……。

そういう意味で、ペルソナシリーズって一見前衛的というか若者ポップカルチャー的に見えて実はかなり地に足のついた王道な自己実現物語なんですよ。古風。

しかしやはり、若者がこれからの世界をどっこい生きていくためには、この古風な生存戦略が結局のところいちばん有効だし、そしてまだまだ言い足りないんじゃないでしょうか。

「何者でありたいかを示し、他者という社会に対して何かをなせ。他者がそれを評価してくれて、そこからしか『自分』は得られない」

「何者かであろうとし、何かをなしたところに、人との絆は生まれるだろう」

と。

 

 

 付録なのにいろいろめんどい話にしちゃったよ。次こそはタロットの話したいですね

 

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ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学②

本稿は、ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズの第2弾です。

今回はタロットの話の前の長い前置きの2つめ、「『ペルソナ』シリーズで描かれた心理学的モチーフ」について紹介していきたいとおもいます。当たり前ですが作中で描かれたことや公式で直接言われてることだけでなく、筆者の解釈もばりばり入っていますよ。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかウルトラスープレックスホールドとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

 

 

 

前回のあらすじ―ペルソナとユング心理学

 前回はまず「なんでペルソナシリーズはユング心理学をモチーフにしてるのか? どういう効果をねらってるのか?」という話をしました。

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 ペルソナシリーズは「神話・オカルト伝奇終末RPGであるメガテンシリーズの派生作品である、ジュブナイル(青春物語)RPG」として生まれました。その「神話・オカルト伝奇要素」と「ジュブナイル要素」を結びつけるために、タイトルである「ペルソナ」という用語を含むユング心理学は適していましたっちゅう話。

というのもユング心理学の「ペルソナ」とは「外界に接する際に心(自己)が自分の外的側面として形成するもの」のような意味で、そのモデルや材料としてメガテンシリーズに登場するような神や悪魔、神話や伝説の中に登場する元型的人物像が使われるものだからです。

中高生くらいのアイデンティティの確立に悩む青春なボーイズ&ガールズは、学校や家庭の中で「キャラ」として仮面をつけて求められる自分を演じたり、嫌われないよう無理な役割を演じようとしたり、それらと自分の気持ちとの乖離に苦しんだりします。そうして仮面と本心との間でもがき苦しみ、やがて光と影を統合して新しい自分になっていくという青春の成長は、ユング心理学で目指される「個性化の過程」と呼ばれる真の自己実現です。

そんで、そのユング心理学の要素に加えてペルソナシリーズではさらにジュブナイルらしく、「自分と向き合うためには、不自由のもとにもなる他者との関わり、『友情』『絆』が必要」というまとめ方をしているわけです。

てな感じのことを前回はお話ししました。

 

ペルソナシリーズに登場する用語

 前回の記事でも「ペルソナ」「シャドウ」あたりについてはお話ししましたが、今回はペルソナシリーズ内に登場している心理学とかとかモチーフのキーワードの元ネタ?と作中でのアレンジについて紹介していきます。

 

ペルソナ

語義

 いわずとしれたタイトルです。ラテン語の「persona(ペルソーナ)」を語源とする、ユング心理学では「自己(心)が外界に接したときに形成する外的側面」を意味する用語。

ラテン語のペルソーナは演劇において役者の頭部を覆うタイプの仮面を原義とします。そこから転じて俳優が演じる登場人物、役割の概念……つまりは「人格」をあらわす言葉として使われました。ラテン語族の他の言語でもそのように使われてて、たとえば英語の「person(パーソン=人物)」「personal(パーソナル=個人の、私的な)」「personality(パーソナリティ=性格)」の語源となっています。

作中での扱い

 登場人物である学生たち個人個人が「仮面」を通してみずからの人格について問い、確立させていくテーマの話なんだぜと示されてるわけですね。「ペルソナ」がそういう語源の言葉であることは、実は一作目『女神異聞録ペルソナ』で再序盤になんじょうくんが教えてくれています。当時小学生の当方はひとつかしこくなった。

 

 ここで注意したいのが、「仮面」とは「仮面夫婦」しかり「表面上の、にせの」を意味することもある言葉である点です。「表面上の」ものであるはずの仮面が、どうして「人格」「自己実現」をあらわすテーマ・ワードになっているのか? と。

確かに、特に『異聞録』『罪/罰』のジャケ絵などにはお決まりに能面のように美しくしらじらとした「表の顔」とダブッって、やや邪悪で不敵な笑みを浮かべる「裏の顔」が描かれています。「表の顔は実は仮面で、その下に本性である素顔があり、それはあなたの知らない恐ろしいものであるかも……」という絵の演出に従えば、「仮面」でない「裏の顔」のほうが「本当のその人」であるといえます。

嘘くさいきれいごとに懐疑的なヤングたちに響く構成ですし、そして事実でもあります。

しかし、「仮面を脱いだ素顔が本当のその人である」という事実は、事実ではあっても「真実」ではないという、二重入れ子構造をペルソナシリーズは描いています。ペルソナシリーズが「ペルソナ」というキーワードを通して語っているのは「素顔そのものではなく、その素顔の上に身につける『どのような自分になっていきたいのか』という意志こそが、人の真価や他者との関係性を形成していく」というテーマです。

つまり、「ありたいと思う自分」「自分と向き合い生きていく意志」ってヤツ、それがペルソナシリーズの鍵です。「仮面」は自分そのものではなく、当然外れることもあるアタッチメントなのですが、一方で「仮面や役柄を身につけたときのほうが、素顔でいるときよりも自分の感情を解放できる」というのも心理的に真です。仮面をつけたり演劇をしたりの経験がない人でも、化粧や特別な服装、あるいは組織での役割によっていつもと違った自分としてふるまえた……とか、そういうのはあると理解できるのではないでしょうか? 「突然思ってもみない立場につかされ、ふるまいを演じさせられ、カンベンしてくれよと思っていたが、やっていくうちに最初は嘘だったふるまいが『板について』きて、気付けば自分の一部になっていく」というような物語は古今東西テッパンハートフルです。

 このことから、ペルソナシリーズでは登場人物たちやペルソナのデザインにおける服飾ファッションの要素が常に重視されています。中高生のヤングなボーイズ&ガールズが興味津々な「服」こそは、「自分が何者でありたいかを、他者に見せる外的側面」、つまり「ペルソナ」そのものだからです。現実世界の登場キャラクターにおいては制服のそれぞれ違う着こなしや私服のセンスに「どう見せたいか」の意識が出ていますし、ペルソナのデザインもちゃんと「服」「コスチューム」として、より内的な問題を描き出すアヴァンギャルドファッションに作られています。

そもそもメガテンからの悪魔デザインや初期キャラクターデザインを担当している金子一馬氏が、悪魔デザインにおいてかなり前衛ファッションにインスパイアされてるんですよね。神や悪魔の姿もペルソナと同様に人間の内面から描き出される強烈な役割イメージであり、コスチュームとかかわりがあるというわけです。

 

シャドウ

語義

 「影」ともいいます。もちろん影=日の当たる側面と逆側にできる暗い像を語源とします。ユング心理学では「生きられなかった自分」、それがゆえに「認めがたい自分の側面」を象徴する言葉として使われます。影がまるで鏡に映った像のように目に見えるものであるのと同じように、シャドウは人間みんなの人生や想像の中に共通したイメージ(元型)としてしばしば姿をあらわしてきます。普段は絶対しないようなことをしている夢の中の自分や、なんかしらんがムカつく認めがたい他者として。

古今東西の物語の中にも、主人公と姿や立場などが類似しているが逆の行動をする人物や、対照的な人物、はたまた本体の人間と切り離されてトラブルをおこす体の影そのものがよく登場します。これらはまったく別の人格をあらわしているのではなく、その人の「外/明るい世界に向けている面」の逆側にあるその人自身の心の一部です。いわば自己(心)の外的側面である「ペルソナ」とそこに光が当たったときにできる強い影である「シャドウ」は同じものの表面と裏面のようなものです。

作中での扱い

 「ペルソナ」と「シャドウ」は同じもの(心)の表面と裏面である、ということが、ペルソナシリーズでは視覚的デザインに取り入れられています。シャドウは「影」「普段光の当たっていない面」であることから、ペルソナシリーズだけでなくさまざまな物語の中で「黒っぽい、暗い色」で表されます。特にペルソナ3以降のエネミーとしてのシャドウデザインは真っ黒なベースに不気味な(しばしばタロットのアルカナを示す)仮面がついているのが基本です。ちなみに、本人の影面をあらわす精神体として人型をとっているときにはきまって「金色の目」であらわされる慣例になっています。

メインペルソナのデザインにも同様に、「真っ黒い素体を個性的な仮面や服で覆っている」というデザインのルールがあります。これは「中にシャドウが入っていて、その力を意志ある仮面によって制御している」からです。ペルソナ能力とはシャドウという心の中の危険なエネルギーを飼い慣らして使う能力であるといえます。

 一方ペルソナ使いでない一般の人間はそこまで自分のシャドウと向き合う根性をみせるに至らないので、シャドウにさまざまな問題が起こり、作品の原動力となる都市伝説的な事件をひきおこしていきます。これらは現実の世界で自分の影の側面を認められないがためにおこる実際の人生の問題や、社会問題を戯画化したものですね。ナンバリングごとに名前や起こることは違っていますが、中心は常にそんな感じです。以下、それぞれのナンバリングでのシャドウ問題です。

影人間(2罪)

 「影人間」はペルソナ2(罪)に登場する都市伝説です。いわく、「自分の携帯電話番号に電話するとジョーカー様にかかる。そこでジョーカー様に自分の夢や理想を告げれば叶えてくれるが、それが言えない者は影人間にされる」というもの。都市部の高校生に携帯電話が普及してきた当時ならではの、いかにもありそうな都市伝説で技アリです。

「影人間にされる」とは他の都市伝説にもある「呪われる」のように不気味だけど具体的にはどういうことかはっきりしない言葉です。具体的にはジョーカー様に理想を告げられなかった者は「イデアルエナジー」と呼ばれる未来への夢や展望、それによって生きていこうとする気力を根こそぎ奪われてしまい、無気力になって身動きが取れない状態となります。それどころか、黒っぽい影のような姿となり、徐々に付き合いの薄かった周囲の人の認識や記憶からぼやけて消えていきます。「死ぬ」わけではないのですが、「生きてもないし、他者に見えることも影響を与えることもない、忘れ去られた者」となるのです。

影人間と同じようにペルソナ2罪の中で「呪い」として扱われている状態がもう一つあります。「呪われた七姉妹学園の校章を身につけていると、顔がなくなる」という噂の呪いです。学生たち顔のパーツがデロンと溶けだしてのっぺらぼうとなるシーンはすごい気持ちわるショッキングで動揺しちゃうのですが、これもまた「自分が何者であるかを失い、他人に認識してもらえなくなる」という呪いであるといえます。

ペルソナ2罪は「主人公が進路希望調査を避けている」というシーンから始まります。女神異聞録でも再序盤の名前入力シーンでフィレモンが「ここに来て自分が誰であるか語れる者は多くない」と称えてペルソナ能力を授けてくるように、「自分が何者でありたいか他者に宣言する」のは難しいというか、勇気のいることです。なぜなら、それは自分と向き合うこと、普段光の当たる世界での生活の中でまあいいかで済ませている心の中の本当の望みであるシャドウとがっぷり四つに組んで相撲を取ることだからです。

自分の影と向き合って相撲を取り、本当の望みを見つめようとする覚悟のないものは、シャドウを含む心のエネルギーを失い自分が何者であるかをなくしてしまい、生きていても影のような人間となる。それがペルソナ2の「影人間」です。作中で「夢など持たないほうが彼らにとっては幸せ」ともいわれているように、夢を持ち続けることはすなわち自分の不都合な本心であるシャドウと向き合い続ける苦しみと同じことなのです。

 

JOKER(2罰)

 ペルソナ2罪の世界から枝分かれ?つーか移動?したパラレルワールドである2罰の世界では「ジョーカー様」の噂が「JOKER様に電話すると気に入らない人を殺してくれる」という身も蓋もないやつに変わっています。表記も変わり、似て非なるものであると示されています。この「JOKER」が2罰における特殊なシャドウのような役割です。

「JOKER様」を名乗り、紙袋の無貌の仮面(?)をかぶって嘱託殺人をやっていた人物がいたのですが、それは発端にすぎず、彼が退場してからもJOKER騒ぎは続きむしろ悪化していきます。なぜならJOKER様に殺しを依頼した人間が次々にJOKERという概念にとりつかれ、「アイツを殺したい」という「負の本心」とでもいうべきものに支配されてしまうからです。

このJOKERの側面は「ペルソナと同じようなもの」と作中で説明されます。人を殺したい心が仮面となって顔に張り付くと、その人は実際に殺人者になってしまう……というわけです。この作品のみならず呪いとはえてしてそういうものです。そして、悪意は悪意を呼び、呪いが社会の魂をむしばむのです。

そして一時はそれを無意識の海に沈められたとしても、それをまた浮かび上がらせないようにできるかは本人次第、とも言われました。これもシャドウのもつネガティブな力をいかに飼い慣らすかということです。

 

無気力症/影人間(3)

 ペルソナ2罪と同じ「影人間」の用語も関連する、ペルソナ3の「無気力症」とは作品冒頭の数年前からにわかに増えてきた謎の病気(?)です。読んで字のごとく「ある日突然なんもする気が起きなくなり、ほぼ廃人のようになってしまうこともある」という症状です。これに罹患(?)した人のことを影人間とも呼びます。無気力症患者への支援やお世話をする周囲の人たちの負担が深刻な経済活動や労働力の低下の問題につながることも懸念されており、病んだ社会構造がうつ病の人を増やしてしまう実際の社会問題ともリンクしていました。

「他者から忘れ去られる」という要素以外はペルソナ2の影人間と似ていますね。実はその機序も同じです。無気力症は「心の中からシャドウを失うことでおこる」らしいと作中で直接言われています。2罪と違って「奪われている」のではなく、なんらかの原因(作中で明らかになります)で「抜け出ている」状況です。主人公たちは基本的にシャドウを討伐することで「抜け出た」シャドウを人間の心に戻し無気力症患者を復調させることを目的とします。

無気力症には「なりかけ」、つまり「シャドウが抜け出かかっている」ような状態も存在します。さきほど述べた「なんらかの原因」がシャドウを引っぱる引力になっているにしても、しっかりシャドウを心の中に入れておく力を保持できてるなら問題ないんですよ。「自分の心の中の不都合な部分や、人生と向き合うことを放棄しかけている」人からシャドウはニュルンとコンニチワ。うつ病は脳機能障害なのでそういう系の精神論じゃ治りませんが、ストレスが脳機能障害に至るまでにはそういう心の基礎体力の低下や、過酷で希望のない生活、低下した体力を周りに支えてもらえないことなどが大きな要因になってしまうことは事実です。そういう生への慢性的絶望の積み重なりが、心がシャドウを放棄することにつながるというのがペルソナ3の無気力症です。

ゲーム終盤には「無気力症だけど出歩いて活動しており、終末思想を支持する人」というのもみられるようになります。これは「シャドウをなくして自分と向き合うことを放棄したらラクになった、どうせ世界は終わってみんないっしょにド派手に死ぬんだから怖くもないぜヒャッハー」状態になった人をあらわしています。もちろんこれはよい悟りではありません。後述しますが、ペルソナ3のテーマは「死の恐怖と向き合うこと=真に生きること」だからです。

 

連続不審死(4)

 ペルソナ4は町で起こっている連続不審死事件の真相を追うことを目的としています。この不審死、確定してしまっている最初の二件に関しては、主人公たちしか知らない事実ですが、「テレビの中の世界で、自分のシャドウに殺された」というものです。

テレビの中の世界はシャドウが実体化する世界で、テレビの中に落ちたペルソナ使い以外の人間は自分のシャドウに出会い、認めがたい自分を突きつけられて苛まれることになります。一人ではとても自分のシャドウに立ち向かって受け入れることはできず、やがてそのまま「街に雨が続き、そののちに濃霧が出る」とシャドウの暴走に食われて死んでしまいます。マヨナカテレビが移るのが雨の日の深夜であること、雨の日になると出現するエネミーとしてのシャドウが強力になることから考えて、これは「雨の日や霧の日は人の心がどうしても自分の内面や人の噂について不安になり、深く考えざるを得ないし、視界も悪く、悪い方に混迷する」というしくみでしょう。

 ペルソナ4はシャドウとペルソナが一体のものであるというシリーズ共通の設定や、シャドウを否定すると自分の心を害するというユング心理学の要素がわかりやすく表示された作品です。

ペルソナ4ならではのヒネリとしては、テレビの中の世界に現れるシャドウが純粋に本人の心からのみ出たものではなく、「人々がエンタメとして見たい像」にも影響されているというところです。不安や混迷は真実そのものではなくわかりやすくて刺激的な姿を望みます。自分の中の葛藤を「天使と悪魔の言い合い」でイメージするように、自分自身の心もまた、シャドウに戯画化した悪魔的イメージをかぶせて理解しようとするのです。

 

パレスの主(5)

 ペルソナ5のシャドウは「強い欲望やこだわりによって歪んだ認知の自分像」としてあらわれます。

パレスの主やメメントスシャドウボスの本体である人間は普段はそれを自覚して隠してまともな人間であるかのように振る舞っており(金城はまともでもないけど)、ある意味では「ペルソナ」を使いこなしているともいえます。しかし実際は、「正常な認知においては向き合うべき自分の問題や罪を、他人を食い物にすることによってごまかし逃げ続けている」という姿が、ペルソナ5のシャドウです。

よってペルソナ5のパレスボスのシャドウはみな滑稽なまでに「強そう」「偉そう」な姿をとっています。強い人は強さを誇示する必要などなく、じっさい現実世界の彼らは社会的強者らしくいつも余裕そうに振る舞っています。しかし心の中では「自分は強いのだ、自分は偉いのだ、だからどんなに欲望を振りかざしてもいい」と常に思わずにはいられません。そのように歪めなければ、自分の罪を反省しなければならないからです。歪んだ心の力であったパレスボスのシャドウは、自己正当化のよりどころであった「オタカラ」を盗まれると無力化され、シャドウが「やっぱ悪いことしてたよな……」と反省せざるを得なくなると人は本心から深~~く反省したことになります。

しかし、これまでの作品の流れからも察せられるように、シャドウをもっていることはいちがいに悪いことではなく、というかむしろ良いことで、のちのち「シャドウ(本心の欲望の力)をあらかじめ牢獄に囚われた多くの人」が登場します。確かに、他人を食い物にして歪んだ欲望を叶えている人もいれば、逆にその何百倍も最初から野望を持つこと自体あきらめて奴隷根性に浸かりきってしまっている人もいることでしょう。格差社会はそうやって人の心から欲望というシャドウのエネルギーを奪います。

パレスボスたちに関してはやり方がスゲー悪かったにしても、「他者を押しのけてでも、社会に逆らってでも叶えたい欲望」という「罪」を、シャドウを抱いて生きろ、心の中の反骨の炎を消すな、おまえのオールをまかせるな(宙船)、というのがペルソナ5のシャドウの描き方です。

 

ジェイル/ネガイを奪われた人(5S)

 ペルソナ5スクランブルではパレスの主の代わりに「ジェイルの王(キング)」と、彼らに「ネガイを奪われた人」が登場します。

ジェイルの王はパレスの主と同様本人の普段は隠している心のエネルギーをあらわすシャドウです。彼らは現実世界のSNS機能つきAIアプリで「トモダチ」になることで他人を虜にし、知らず知らずのうちに自分に都合のいい行動を起こさせることができます。この「他人を虜にする」しくみというのが、ジェイルの世界でその人から「ネガイを奪う」ことです。ネガイは人の胸部から美しい宝石のようなカタチで取り出され、王のもとに集められます。普段はボンヤリときらめく霧のような姿をしています。

ここまでくると察しがつくとおもうのですが、この「ネガイ」というのは2の「イデアルエナジー」や5の「オタカラ」とほぼ同じ、「心のエネルギーとなる、シャドウ(本心)の願いや欲望の力」です。それを奪われただけでなく王に握られているので、心が望むものを操られた状態となるわけです。

そしてネガイを奪われた人もまた、2や3の「影人間」たちと同じように「そのほうがラクで幸せかもしれない」というふうに描かれています。「自分の望みや人生と向き合って苦しまなくて済む」のみならず、「何をいいと思うのか、何を欲望するのか、他人に決めてもらう人生のほうがラク」という心の問題が描かれているのです。人気のものや良質なものだといって自分で探さずとも次々と情報がサジェストされてくる現代の時代性に即したヒヤリハットといえるでしょう。

 

集合的無意識

語義

 ユング心理学でいう「無意識」とは、心(自己)全体の中で「意識」のスポットライトの当たっていない広大な部分すべてのことです。こう言うと「ペルソナ」の影にできる「シャドウ」と同じようにも聞こえますが、無意識はシャドウよりもーっと広い海のようなスペースです。無意識の中に、特に向き合うべき認めがたい課題としてのシャドウが出現してくるって感じですね。心(自己)は、自分自身で意識しているよりずっと広く、現在の意識ではわからない謎をたくさん隠しているということです。

集合的無意識(普遍的無意識)は、その暗く広大な海のような心の無意識が奥底でつながっている「みんなの心の枝葉の根っこ」「みんなの心の川が流れ込む海」のようなものであるとされます。

ペルソナシリーズでも取り上げられている「オルフェウスの冥府下り」と「イザナギの黄泉下り」の神話の類似のように、人類はまったく違う場所で生まれた物語や神話体系なのに似ている筋書きやキャラクターを共有していることが多々あります。こういう共有イメージを「元型」といい、元型が集合的無意識の中にあるから、それの派生作品がいろんなところで生まれるというわけです。

イメージの型を共有しているだけでなく、人の心や世界のできごとは集合的無意識でのつながりを介して相互に影響を及ぼしあっているといいます。「虫の知らせ」とか「思えば叶う」とかも、集合的無意識のはたらきによるものともいえます。

作中での扱い

 3からははっきりと用語として出てこないかな。しかし、メガテンシリーズが扱う「神話」もペルソナシリーズが一貫して扱う「都市伝説」「噂」も、すべて集合的無意識が大きく関わるものです。2罰ではトリフネで克哉がユング心理学における自我と普遍的無意識について長セリフで説明してくれる。

神話が集合的無意識の中の元型を共有していたり、その物語が人の心や生活に影響を及ぼし続けるのと同じように、「都市伝説」や「噂」もまた「人の心の想念が無意識を介して集合して神話のようになり、ときに現実のできごとにも影響を及ぼす」ものです。

ペルソナ2罪において「噂が即時に現実になる」のは集合的無意識の世界が現実世界にメチャクチャ接近してきてるからですし、ペルソナ3の「タルタロス」や「時の狭間」、ペルソナ4の「テレビの中」「霧深き虚ろの森」、ペルソナ5の「メメントス」などはみんなの集合的無意識(の一部のあらわれ)を表しているダンジョンです。

ちなみに、ベルベットルームは「夢と現実、精神と物質のはざまにある場所」と言われていますね。夢もまた無意識の領分で集合的無意識とつながっており、これは現実世界と集合的無意識の間にあるということもあらわしています。だから集合的無意識の「元型」を汲み出してペルソナを作ることができるんですね。

【追記】Aimさんのコメント「ベルベットルームがなぜ青いか」について

ベルベットルームのイメージカラーである「暗くて深い青」は、鎮静や内向、深層心理の世界への沈降を示す色です。作中で集合的無意識が「心の海」とたとえられていることからも暗い青は「深海」のようなイメージではたらいています。もしベルベットルームが明るくてライトオレンジ色とかの壁してたらとてもじゃないけど無意識に潜っていけないですよね。

また、「ベルベット」というのも毛足のあるシルクの「なめらかで神秘的な手触りの織物」であり、通常暗く深い青やワインレッド、黒などの落ち着いた色で織られます。

 

フィレモン/ニャルラトホテプ

語義

 「フィレモン」とはユングが夢の中で出会った翼ある賢者、「老賢者」や「アニムス(理想的男性像)」の元型をあらわす存在です。一方「ニャルラトホテプ(ナイアーラトテップ)」とはいまや当時よりさらに高名となった、クトゥルー神話の代表的な神格です。

当然もともとは同じ話の中に登場する人物ではありません。なんで突然ニャルラトホテプ出てきたんよといえば、かの神格のもつ「暗黒」という性格と、「顔がなく、よって千の仮面をもつ」という性質によるものでしょう。

作中での扱い

 ペルソナシリーズのフィレモンはユングの夢の中に現れたのと同じように、人々の心の成長を見守り、導き、支援する存在です。その正体は人の心の海(集合的無意識)の中の元型、人類の魂の善なる成長をめざす「ポジティブマインド」の化身でした。仮面をかぶった紳士の姿で現れ、その素顔は見る人の心によって変わります。見る人自身の顔をしていたこともありました。

3以降は直接出会うことはなくなりましたが、ベルベットルームの主人イゴールは彼の部下であり、運命にいどむ若者たちを常に間接的に助け見守っています。「心」をあらわす動物である蝶そのものの姿で現れることもあり、ペルソナシリーズにキラキラした美しい抽象的な蝶が描かれたら、それはフィレモン様がみてるってことです。

 その逆に、2にあらわれたニャルラトホテプは人類の魂を悪意と破滅にいざなう「ネガティブマインド」の化身であり、フィレモンと表裏一体の関係です。

ある意味、フィレモンと共同作業で人類に試練を与えたり助けたり励ましたり突き落したりで人類を育てているような感じですね。ネガティブマインドは容赦がないのでヘタすると育てるどころかふつうに人類滅ぶんですけど。

フィレモンについても同じですが、元型に本来特定の真名はないはずです。だから暗黒神であり、無貌にして千の顔をもつトリックスターであるニャルラトホテプの名を「そのときは」名乗っているというだけです。人に肯定的可能性と意志力を与える存在と否定的な悪意と破滅を与える存在は、たとえば「神とサタン」と呼ばれたり、「お釈迦様とマーラ」と呼ばれたり、どこにでも普遍的にいて人類の魂の葛藤を見守っているのです。

 

胡蝶の夢/異界

荘子原文

昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志與。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。
周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。

(書き下し

昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。)

――荘子

 これはユング心理学じゃないのですが、異聞録から重視されている要素なので書き置きます。

youtu.be

PS版女神異聞録ペルソナのオープニングデモムービーはいわゆる「胡蝶の夢」、上で紹介した荘子の文が紹介されたあとに、前述の通りフィレモンであり我々の心の象徴である蝶がものさびしく不気味ですらある静かな街を飛び回り、物語の真相を暗示する意味ありげなカットで静かッ……に終わります。なんだこのオープニングムービーは(大好き)。

「胡蝶の夢」は要約すると、「蝶になった夢を私が見ていたのか、それともこの私が蝶の見ている夢なのか、そこに絶対的な違いはない、どちらも私である」という意味です。つまり、「いろんな自分」であるペルソナや、「いろんな世界」ともいうべきものの見え方は、違うものでありながら同時に存在しておりどれかが真実という事はない、ということです。

 

現実界・象徴界・想像界

 この見出しじたいはジャック・ラカンの精神分析理論の考え方ですが、ほかの考え方、たとえば物語や神話の読み方に関することなどでも、世界にはいわゆる「現実に存在する確固たる世界」だけでなくいくつもの「界」や「層」が重なって同時に存在していると理解することができ、自分がどのような世界に生きているかは認知のしかた次第です。ペルソナ5の最後の方でも「我々は一人一人が違う認知の世界を生きているのと同じ」的なやつありましたね。

ラカンによれば、「現実界」におこったことを理解したり語ったりする際に人間は言語を使わざるをえないが、言語は現実そのものではない象徴的なものであり、その理解や語る言葉自体がすでに現実界のものではなく「象徴界」のものだということです。要は人間が理性で理解してる世界ってのはホンモノの誰にとっても客観的事実な世界ではなく、個人個人の言葉による理解のフィルターを通したバーチャルなものだってことですね。これは3以外のタイトルには全部直接関連してるようなことですが特に4のマヨナカテレビと5のパレスに顕著ですね。

一方、想像、頭の中に思い浮かべるイメージの世界であってぜんぜん現実ではない層「想像界」も、これを共有したり詳しく考えたりする際に言葉を使います。つまりわれわれが主に生きている世界、言葉の世界である「象徴界」は現実界と想像界の間にある世界なんですね。ペルソナ2で「噂が現実になる」のは、言葉という象徴界の代表的な力が想像界にも現実界にも影響を及ぼすさまを描いてたってわけです。

【追記】これに関連して「ペルソナシリーズは象徴界が機能しているからセカイ系ではない?」というコメントをいただいたので、「セカイ系」と象徴界とペルソナシリーズについて付録記事つけました。

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 ペルソナシリーズには必ず何かしらの、心の力がものを言う「異界」があらわれます。これは決して荒唐無稽な話でも無関係な異世界の話でもなく、実際にこの世界に重なって存在している、違った世界のとらえ方の層を戯画化して描いたものです。物理的な世界として移動できなくても、心の問題の世界では普段の「現実」の力ではなく、心じたいや人間同士の関係性がものを言うのはマジの事実なのですから。

 

 

 ほかにもとりあげるとよさそうなキーワードあったら記事引用とかコメとかでリクエストよろしくです。よさげだったら追記して増やします。

【追記】よさげな質問もらったんで増やしました~~

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 次回はいよいよ(今回の記事に本当は入れたかった)各ナンバリングの仕掛けやテーマの描き方の概観とか、もしくは本題のタロットのアルカナの話しますよ。お待たせしております。

 

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あわせて読んでよ

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ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学①

本稿は、ゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズの第1弾です。

今回はタロットの話の前にまず、大前提となる「『ペルソナ』シリーズと、ユング心理学との関わり」について、いまさらだけど紹介していきたいとおもいます。

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのネタバレを含みます。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかウルトラスープレックスホールドとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

 

今やっとスクランブルやっとるんだわ このシリーズで土台を固めたらまた感想書く

 

 

ペルソナシリーズの骨子

 まず『ペルソナ』シリーズとは、1996年にアトラスから発売された『女神異聞録ペルソナ』を最初のタイトルとするRPGです。「女神異聞録」というサブタイからも察せられるように、ファミコン時代からのアトラスの名門RPG『女神転生(メガテン)』シリーズ(最近新作も出た!!)の派生作品として作られました。

作品の特徴は、『女神転生』シリーズと同様に「エネミーとして神話や民間伝承・都市伝説などに伝わる神や妖精、悪魔が登場し、倒すだけでなくその力を借りることもできる」というオカルト系エンタメな点と、

逆に『女神転生』シリーズとは違って「人間の心理の奥深さや成長、自他を理解しつながり合うこと」というナイーヴなテーマに注目した「ジュブナイル(青春物語)RPG」だという点です。

シリーズ作品は共通して現実・現代の日本の都市を舞台としており、ファンタジックな要素として「ペルソナ能力」「ペルソナ使い」という超常の力が登場します。

『ジョジョの奇妙な冒険』における「スタンド使い」みたいなもので、ペルソナ使いは本人の傍らにすごい力をもった非実体のなんかああいうアレを召喚することができます。能力としては似てる。スタンド能力との違いは、ペルソナは「本人自体の能力もアップさせる」、「伝説の神や悪魔の名をもつ」「ペルソナ使いの『心の仮面』」であるというところです。

スタンド能力も本人の精神性が大きく関係するものですが、ペルソナは「外界に対する仮面の鎧」であるとはっきりと位置付けられています。いわば神の名前という「役柄の仮面」なんですね。神話を演じる劇で神の仮面をつけた人間はそのとき神の権能をを持っているということになり、気分的にも普段の自分とは違ったふるまいができるようになります。ペルソナ能力はそれを拡大したものです。『女神転生』シリーズでは「神や悪魔を仲間(仲魔と呼ぶ)にする」システムでしたが、ペルソナシリーズでは「神や悪魔の力を、人間の能力としてふるう」ようになってるんです。

ほんで、多数あるペルソナを分類する枠組みとして『女神異聞録ペルソナ』からずっと使われているのが、90年代当時若者にもカッコいい神秘の占いカードとして広まっていた、タロットカードの大アルカナ22枚ってわけです。これについては今後の記事でお話ししていくので、今回は置いときます。

 

ペルソナシリーズとユング心理学

 そもそも、ペルソナシリーズの「ペルソナ」という用語とか、『3』以降明確に名付けられた「シャドウ」とか、さまざまのキーワードやテーマはカール・グスタフ・ユングの分析心理学、いわゆる「ユング心理学」の用語や考え方をモチーフにしています。

なんで若者向けゲームを作るのにそんな学問を合体材料に選んだかっちゅうと、「メガテンシリーズがもともと持っていた神話・オカルトモチーフの魅力」と「ジュブナイル(青春物語)」を結び付けるのにたいへん適していたからです。

ユングの代表的な学説に「自我と無意識」があります。人間の心が「こういうものが自分だ」と定義して意識している姿(自我)は実は心全体のほんの狭い一部にすぎず、普段スポットライトの当たっていない広大な暗い海のような部分(無意識)の中には自我を脅かすような「認めたくない自分(シャドウ)」が潜んでいてそれを認めて統合することで心は本当の自己に近付いていく……というようなものです。

特に『ペルソナ4』をプレイした方は、これがペルソナシリーズにおける「シャドウ」の扱いまんまであることがわかるとおもいます。このようにペルソナシリーズはユング心理学のけっこうそのまんまを、ゲームエンタメ的にわかりやすい寓話として描いてるんですね。

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PSP版女神異聞録ペルソナのオープニングは自我の世界とシャドウとの接触の苦しみの心の強烈な二面性、心全体の奥深さ、統合して前に進もうとする青春の疾走感と晴れやかさがよくあらわされていますね。すげーいいゲームなんだよ。でも神話覚醒は流してくれ

 

「ペルソナ」とジュブナイル

 そして肝心の「ペルソナ」という用語、作中では「外界に立ち向かっていくための仮面」や「心の鎧」と説明されています。言葉としてもまさしく「仮面」をあらわし、ユング心理学では「心(自己)が自分の外的側面として形成したもの」のようにいわれています。要は「他人との関わりの中でつける、『役柄』『キャラ』の仮面」てことだわな。

ペルソナの主な登場人物である高校生とか中学生とかの時期の少年たちってのは、自分が学校や家庭という社会の中で「キャラ」を演じていることがあると気付き、「ほんとうの自分」との乖離や、ほんとうの自分が一体どこにあるのか、自分はどんな自分になっていきたいのか……といったことに思い悩むようになる時期です。これこそがジュブナイルの本質であり、そしてそのへんの年頃の少年たちが主にペルソナ使いとなっていることの理由です。多くの少年たちは大人よりも「自分はどういう存在でありたい(どういうペルソナをつけたい)んだろう!?」と問うパッションと勢いのパワーを持っているのです。

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 そしてここからがジュブナイルとメガテンを結びつける本題です。

社会と関わるためのペルソナ=「こうありたい自分の仮面」を意識し、形成していく少年たちは、どこからその材料やレシピをとってくるのか?

それが、ペルソナシリーズでは「心の海」、ユング心理学では「集合無意識」と呼ばれる場所(?)です。

ペルソナシリーズの「我は汝の心の海より出でしもの」という言い方はかなりわかりやすくて、「集合無意識」とは人間の心の奥底にある広大な海のようなもの、ペルソナはそこから抽出されてきたものです。

人間の心は奥の奥~のほうにある集合無意識という「海」でみんなひとつにつながっていて、その「海」っていうのは、共同体の文化全体や人類全体に共通しているイメージの源泉(これを「元型」といいます)が溶け合っている人類の魂のデーターベースみたいなものです。

元型論

元型論

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 例をあげると、たとえば「英雄あるいは神の子を産む清らかな乙女」というイメージはキリスト教の聖母マリア様以外にも地球上のいろんなところの神話に登場します。それは直接マリア様の伝説が伝わってそうなったのではなく、ぜんぜん違う場所で、あるいは太古の共通の神話をもとにして枝分かれして、多発的に似た物語が成立したのです。長い時間他の大陸の生物と離れて進化してきたオーストラリアにも結果的に他の大陸の動物と似た進化をしていた種が多くいるように、人間の文化にいるものみんなが、そういう共通の「偉大なモデル」を心の中に持っているわけです。

現に生きているりっぱな人物にも「若者たちにとってロール(役割)モデルになるだろう」と言ったりするように、ペルソナの材料やレシピとしては集合無意識の中にあるそういった偉大なモデル、「優しいおかあさん」「厳しく強いおとうさん」「老賢者」「正義のヒーロー」等々といった元型が仮面として切り取られます。「神話」「元型」とかっていうと遠いイメージがあるかもしれないですけど、例えば「ディズニープリンセス」や「アイドル」、「特撮ヒーロー」や「ドラマの登場人物」の中に自分の憧れる人物像を見出すみたいなことも、基本はこれと同じです。

つまりペルソナとはユング心理学の用語からして「神話や物語のキャラクターイメージの力を借りて、外界と戦う」という心のはたらきなのです。その姿は神かもしれないし、悪魔かも妖精かもしれないし、単なる都市伝説的な妖怪かもしれないけれども、とにかく人類共通のベースの中から「なんか強そうな仮面」を拝借し、戦う力にする。完全にメガテンなんですよね。

 

心の旅路

 ペルソナシリーズは「社会の中での自分の『キャラ』『立ち位置』」や「ほんとうの自分」について強く意識する青春期の少年たちを主な主人公に据え、その「心の仮面」として神話や物語の元型の力を引き出しているために、ユング心理学の「集合無意識」「ペルソナ」という考え方が採用され、よく合致しているよ~、と、ここまで話してきました。

 ユング心理学がジュブナイル物語に向いている理由はさらにもうひとつあり、そちらもペルソナシリーズには意識して取り入れられています。ユング心理学の用語では「個性化の過程」と呼ばれる、心の成長のプロセスです。「成長」こそはジュブナイルのメインの軸ですよね。

「個性化の過程」という用語のほうは「ペルソナ」や「シャドウ」などとは違って言葉としては作中に出てきてないので耳慣れないとおもいます。

 ユング心理学における「個性化」あるいは「自己実現」というのは、いわゆる「ほんとうの自分になる」とか「悟り」とかに近い言葉です。ただし、ユング心理学においては「ほんとうの自分」ってのはどっかにあって探せばみつかる自分探しみたいなものではありません。

先ほどかるく「自我と無意識」の説明をしましたね。「個性化の過程」にはそのへんの用語が重要なのであらためて話しておきます。

物心ついた人間は「自分ってこういうものだ」「世界ってこういうものだ」という秩序意識をもち、広い心全体の一部にスポットライトを当ててその中で暮らしています。このスポットライト範囲のことを「自我」といいます。

しかし心が成長していけば「自我」の子供部屋は狭くなりますし、社会と接していけば「自我」の外にあるものと出くわすこともあります。スポットライトの外の暗く広大な「無意識」の世界の中には、触れるとひどく不快で認めがたい、心を乱してくるものも隠れています。これを「シャドウ」と呼びます。

「シャドウ」がなぜそんなに不快で認めがたいのかといえば、それが「自我がその範囲を決めるにあたって、『こういうものは自分ではない』と否定した、『生きられなかった自分』だからです。

例えば、本当は親密な恋人がほしい気持ちもあるのに「私は受験生だからそれどころではない、真面目に勉強に打ち込むのが自分だ」と意識し、「でも恋人とかもほしいナ」という気持ちを切り離す、みたいなことです。そして、このシャドウを抑圧しすぎると心は不均衡となります。「自分は本当はこういう望みもある」ということすら自覚できないと、心身のバランスを崩すことになったり、「あいつはやらなきゃならないことがあるのに恋人にうつつを抜かしてけしからん!!」とか「生きられなかった自分を生きている他人」に理不尽な感情の矛先を向けてしまったりするわけ。

『ペルソナ4』はこの個人の自我のシャドウとの直接対峙の形式をとっていました。老舗旅館を継ぐ次期女将として生まれてこの方期待されてきた雪子は「自分はずっとこの小さな町で、古い旅館で、窮屈な和服を着て伝統を守って生きていかなければならない」と自分を定義し、「本当は洋風のものにも憧れがある、はめもはずしたいし、王子様に鳥籠から連れ出してもらいたい」という気持ちを否定して抑圧しており、それがシャドウの姿や言動のベースとなりました。

 

 こういう「狭い自我の範囲」や「シャドウの抑圧」を解消していくのが、心の成長プロセス「個性化の過程」です。何をどうするのか?

当然ながら「認めがたい自分」であるシャドウは本人に強烈な苦痛や恥の気持ちを与えます。だから『ペルソナ4』では本人が苦しみながら「おまえなんか自分じゃない!!」と否定するのが定番の流れになっていました。そして、「おまえは自分じゃない」と否定され、完全に切り離されようとしたまさにそのときに、シャドウは手がつけられないほど肥大化し暴走してしまうのもまた定番の流れでした。現実の心の動きでも同じで、シャドウは抑圧されるほど、ないものとして扱われるほどに強烈なしっぺ返しとして心身のバランスに不具合をおこすのです。『ペルソナ4』では自分の影を否定し、その暴走に食われてしまった人はマジに死亡してしまいましたが、これは決して大げさな比喩というわけでもありません。自分の認めがたい側面に苦しむあまり命を失ってしまう人は、現実にも多くいるからです。

じゃあどうすればいいのか。

『ペルソナ4』のパーティーメンバーたちは最後には自分のシャドウに向き合い、「確かにあなたもまた自分である」「無視して否定して悪かった」とシャドウと一体化します。この、「自我とシャドウが葛藤のすえに統合されてひとつになり、『自分』の範囲が広がり、心の全体性に一歩近付く」というプロセスがユング心理学のいう「個性化の過程」です。

「個性化の過程」はペルソナ能力がなくても人間の一生の中で何度も起こる心の成長です。でも、大人になってしまうと、多くの人は暮らしの中で忙殺されて「そういうもんだ」とあきらめたり、「自分はこれでいいのか?」と問いかけることをサボッてしまいますよね。「自分が何者であるか、選ぼうとする」「ほんとうの自分になろうとする」ためのあてのない荒野の旅をするのは、若者たちの特権……ってわけじゃないですけど、少なくとも若者たちはみんなそのことを考えて生きています。ユング心理学と「ペルソナ」の概念はジュブナイルを描くのにピッタリな土台なのです。

↑ユング心理学の「自我と無意識」「個性化の過程」などの考え方はペルソナシリーズ以外にも多くのフィクションに影響を与えていて、アニメ『少女革命ウテナ』はそれらを代表する象徴的作品です。主人公の二人の少女はお互いに一人の人物の心の中の「生きなかった側面」をあらわし、最期には統合されて広い世界の荒野に歩き出していきます。

 

旅は道連れ

 このようにユング心理学の考え方をベースとして作られているペルソナシリーズですが、いくつかユング心理学の主要部分に独自の解釈を付け足してアレンジしている要素があります。その中でもテーマ的に重要なのが、「仲間」「『絆の力』がペルソナの力になる」という要素です。他者とのかかわりは確かにユング心理学でもだいじですがこういう青春なことは直接言ってないからな。いかにもジュブナイルだしメガテンシリーズとの差別化だなあ(メガテンシリーズでは「あなた」が重要で他の人間って基本思想を対立させる存在なので……)

 

 ペルソナとは自己が外界に対して身につける仮面なわけですが、若者にとっての「外界」とは往々にして「学校のクラスメート」や「家族」「地域の人たち」という、いやに近くて逃れづらいのに、ほとんど自分では選ぶことのできないなんかどうしようもないものです。若者は自分自身についても悩みますが、その悩みの発端の多くは「親にこうしろと言われた」「友達と自分はあまりにも違う」等の外界と接したときのストレスでしょう。

メガテンのダークさを引き継ぐペルソナシリーズには、この「若者たちといびつな『外界』とのつながりの、負の面」に積極的に注目していくという特徴があります。いじめや、スクールカーストの中でおかしくなっていく人たち、情報ネットワークの中で肥大する噂、親との距離感、機能不全家族、周りの人間へのコンプレックス……。

その運命の呪いみたいなつながりの中で、若者たちは身をよじりながら自分の心のあり方を模索していくことになります。ペルソナシリーズがその「心の呪い」を解くためにとっているのが、「『外界とのつながり』が人を苦しめ歪めるが、その苦しみと向き合う力になるのもまた『外界とのつながり』、仲間との絆である」という方針です。これがペルソナシリーズのユング心理学からの独自アレンジ要素です。

 

 このことの表現としてペルソナシリーズでしばしば現れるのが、「キャラクターのシャドウ」と「シャドウボス」との対峙です。

キャラのシャドウは本人が「本当は強く望んでいるけれど認めたくない願望」について露悪的に話し、本人をうろたえさせ否定されます。否定されるとシャドウは醜悪な怪物の姿となり暴走。ここで、本人の心は著しく弱ることになりますから、『ペルソナ4』で一人でその瞬間を迎えた人は死んでしまいます。そこで、「仲間」の出番です。仲間たちが弱りきった本人を介抱し、守り、戦って、シャドウボスの勢いを弱らせるのです。

このことは「自分のこんなに認めがたい、醜い面を見ても、離れていったりせず友達でいてくれる人がいる。自分は一人じゃない」という感覚を本人に与えます。「こんな自分は嫌だ」という強いこだわりは、「そういうことあるよな」と共感してもらえることもあるし、他人からしたら「よくわかんねーけど別にそれでいいんじゃね?」みたいになることも多いし、一人で「絶対引かれる……!」ってグルグルしているときに最も手が付けられなくなるからです。

そして、自分の影をなんとかするのは人任せにしていていいことでもありません。シャドウと向き合うのは並大抵のことではなく、ときに命がけのもので本来誰にでもできることではありません。しかし、ペルソナシリーズのパーティーメンバーたちは、別に並外れた人間でなくても、仲間がともに戦ってくれたことによって「認めがたい面があっても自分は一人じゃないんだ」という何よりの心パワーを得ます。それがあるからこそ仲間が弱らせてくれた自分の影と向き合い、認め、『ペルソナ4』ではそのシャドウの性質とパワーがそのまま、ペルソナ能力の性質とパワーに転化されるのです。

この「シャドウがペルソナになる」「シャドウとペルソナは互いに役割が違うだけの同じもの」という設定も、ユング心理学の言い回しとは少し違うペルソナシリーズでのアレンジです。これもまた「影を認め合い、ともに戦う仲間がいれば、心の闇を心の力に、自分だけの個性に変えていける」というジュブナイル的な力強いメッセージなのです。

 

調和する2つは、完全なる1つに勝る

 見出しは『ペルソナ3』において月光館学園高等部のエントランス奥に飾られた桐条家の理念をあらわす言葉です。桐条家は『女神異聞録ペルソナ』のなんじょうくんのおうち、南条コンツェルンの南条家から昔分家した家で、分家する際に当時の南条家からこの言葉を贈られたとされています。

ユング心理学の「個性化の過程」では自我とシャドウは苦痛をともないながら葛藤し、統合されてより大きな真の自己に近付いていくとされますが、それは白と黒があったのがみんな白に塗りつぶされるとか、間を取って灰色になるということではありません。白は白、黒は黒で異なったまま、対立したままで、ひとつの力になるのです。ちょうど、陰陽太極図のようなかんじで。

異なる対立したものが、異なったままで、ともにあること。これは一見めんどうくさいし、葛藤は続くし、みんな同質化したほうが効率がよく平和なんじゃないのかとも思えます。しかし、自分の中のもう一人の自分、黒い部分を否定し「完全」になろうとする魂にロクな未来はありません。テーゼには、アンチテーゼがあってこそ。

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異なるふたつが協働するとき、ひとつひとつは偏って不完全だったとしても、完全なひとつよりすばらしいのです。そして、3つでも、4つでも。それは人間というものがそもそも偏って不完全なものでしかありえないから仕方なくそうしてるのではなく、マジで、「違うこと」自体に意味があるのです。

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(上記事はアトラスじゃないけどP5S作ってる会社のそういうゲームの話です)

ペルソナシリーズにおいては「異質なふたつ」とは、「もうひとりの自分」だけでなく、自分が生きていたかもしれない別の人生――つまり、仲間たちという他者のことでもあります。他者とはもちろん助けになってくれるだけの都合のいい存在ではありえません。面倒だし、ときに悪気がなくても傷つけ合うことになるし、思いもしない価値観をもっています。それでも、ぜんぜん違うからこそ、いいということです。

ペルソナシリーズのパーティーメンバーには、しばしば「いろんな個性的なキャラがいたほうが彩りがあってエンタメだよね」の度を越した変人や特殊な家庭環境の人物が配置されており、実際かなりの割合でコミュニティから遠巻きにされています。そんな困った個性たちが、「みんな同じ」「完全」「平和」になるのではなく、永遠に葛藤しながら、不完全で異質なものたちが調和しあって、えっちらおっちら生きていく。それが本当の魂の成長で、苦しみの多い世界を生きていくわれわれ人間の戦略なのだ……というのが、ペルソナシリーズの理念です。

異聞録や罪罰はダークな雰囲気が目につきがちですが、とにかく最初からめちゃくちゃ「青春」というものに真面目に取り組んでる作品なんだよな。

ペルソナ - PSP

 

 というわけで、今回はユング心理学がどんなふうにペルソナシリーズのベースになっているのかの基礎編をお話ししてきました。

次回は「シャドウ」「ペルソナ」「フィレモン」「蝶」などのペルソナシリーズのキーワードがどういうモチーフなのか、それぞれの作中でどう描かれてきたのか……みたいなことと、各作品の設定の意味やテーマについてお話しする予定です。その後でタロットの話するわ(道が長い)

【追記】その2のキーワードモチーフ紹介かけたよ~~

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↓記事シリーズを順次更新してくので気になったらブクマとか読者登録とかしてコンゴトモヨロシク…

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ペルソナ好きやってて勉強してきたタロット知識で『ファイアーエムブレム風花雪月』のタロット要素も読解してるよ↓

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