湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

『バディミッションBOND』は令和のサクラ大戦Ⅴだ

 本稿は、コーエーテクモゲームス制作のゲームシナリオと『サクラ大戦Ⅴ』をこよなく愛する筆者が『バディミッションBOND』をプレイした感想覚書きです。中盤~終盤にさしかかったくらいなのかな?までプレイしていますが、広報されてる以上のネタバレはしていません。ただしテーマにかかわる話はします。

え?なんて? サクラ大戦?

 

 

あっちがったちがった

 

 

これ、こっちの感想です。2021年の1月末とかに発売した

 

 

 この記事の主旨はすでにタイトルに書いてある通りです。

なぜして、そんな意味不明のことを言い出したのか。

『バディミッションBOND』とは

 おそらくこの記事を見てくださっている方は『バディミッションBOND(以下バディミとも)』のほうをよく知っている可能性が高いのでこれを説明してもしゃあないかもしれないのですが、『サクラ大戦Ⅴ』好きな人やこれからプレイする人が読んでくださることもあるといいとおもうので……。

www.nintendo.co.jp

 『バディミッションBOND』とは、2021年1月29日にニンテンドーより発売された、中身の制作のメインはコーエーテクモゲームスの、完全新作Nintendo Switch専用ソフトです。コーエーテクモゲームス制作の立ち位置的には『ファイアーエムブレム風花雪月』とも少し似ているでしょうか。ジャンルはアドベンチャー。

上のリンクは公式サイトです。サイトのつくりがいいのでぜひご覧いただきたいのですが、見ると、『ワンパンマン』『アイシールド21』の作画担当で当代イチの圧倒的な少年マンガ画力を誇る村田雄介先生の激アツで鮮烈なキャラクターデザインに「アメコミ」風の陰影の演出がなされ、「コマ割り」のようなラインに囲われた疾走感のある構図、「横書きフキダシ」に表示されるセリフなど「ヒーローコミック」にインスパイアされたコンセプトが光る、個性の磨かれた秀作ゲームです。

ゲームの内容やテーマも明快に示されています。『バディミッションBOND』のタイトルのとおり、「バディ(相棒)」とともに「ミッション(任務)」を達成する「BOND(絆、つながり)」のゲーム、というわけです。詳しく言えば、「ミッション(任務)」とは「捜査・潜入」のことであり、平和げで華やかな社会の裏にひそむ真実に相棒と共に迫り、陰謀を打ち砕き人々と絆を守るヒーローとなれ!……という、王道の物語です!

 

『サクラ大戦Ⅴ』とは

 それはいいとして、この記事の筆者は『バディミッションBOND』がなんだって? 令和のサクラ大戦Ⅴだ

 

 『サクラ大戦Ⅴ』とは、1996年からセガが扱っている、美少女アドベンチャーゲームとミュージカル・メディアミックスで一時代を築いた名作『サクラ大戦』シリーズのナンバリングタイトル第五作目で、2005年に発売されたものです。16年前ですね。当然平成ど真ん中に発表された作品です。ナンバリングタイトルとしてその次の新作は制作陣を一新し、2019年に『新サクラ大戦』が出ています。

www.youtube.com

最初の発売から25年を経た今の若い方にも、「走れ! 光速の帝国華撃団 うなれ! 衝撃の帝国華撃団」というサビを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

『サクラ大戦』シリーズの概要をさらっておくと、日本が大正時代だった時代の日本の帝都、フランスのパリやアメリカのニューヨークなどの大都市を舞台に、個性的な美少女たちが大劇場で歌劇やショーを行う(歌劇団)かたわら、その裏では都市を闇から転覆させんとするちょっとオカルティックな魔性の勢力とロボに乗って戦う(華撃団)……!というものです。今回話題にしている『サクラ大戦Ⅴ』はニューヨークを舞台としたもの。

ホラほぼ同じでしょう!?!?

 

『バディミ』と『サクラⅤ』

 いや「アドベンチャーゲーム」しか今のとこ合っとらんわと思った方もいるでしょうしこのままではただの怪文書なので、ここからは項目ごとに二作に共通した味わいについてお話し、整頓されたクソ長怪文書にしたいとおもいます。

 

アーバンなジャズ

 まず当方が「これ『サクラ大戦Ⅴ』じゃねーの!!!!」と叫んだタイミングというのがオープニングムービーのイントロが終わってアップテンポの管楽器が入ってきた瞬間でして(ものの10秒やんけ)……。

www.youtube.com

『バディミ』はアメリカン・ヒーローコミックを演出コンセプトに持っていることから、またリカルド共和国(アメリカがモデルであるとみられる)やブロッサム・シティという都会をメインの舞台とした潜入ミッションゲームであることから、都会的で20世紀風なジャズミュージックを意識した、管楽器がしゃれた印象を与えるBGMで全編彩られています。

www.youtube.com

『サクラⅤ』のオープニングはややダサカッコイイカタルシスに振っているため『バディミ』のオープニングと比べるとオシャレさとアダルトな渋みには欠けますが、聞いてのとおり『サクラⅤ』もアーバンで小粋な管楽器多めのジャズをBGMに多用しています。ジャズミュージックが生まれてちょっと過ぎた20世紀初頭のアメリカ大都市が舞台だからです。

 そしてジャズの特徴は、この二作に共通する「ややレトロで粋でちょい渋い都会的オトナなイメージ」をもつだけではありません。音楽ジャンルとしてのジャズ「らしさ」とは「コールアンドレスポンス」つまり他者どうしの「掛け合い」を「インプロヴィゼーション」つまり「即興的に」行い、その計算できない偶発性や雑味を「スウィング」や「ブルーノート」といったグルーヴ感やもの悲しい渋みをかもしだすテクニックで包み込んで世界に一つしかない音楽を紡ぎ出していく、というスピリットにあるのです。

(というのがテーマなのが、おれの愛する昴さん主役回の第5話だ)(つまりチェズレイは実質昴さん……ってコト!?)


都市にはさまざまな人生の悲しみやままならなさが集い、そこで生きる大人たちは袖をふり合い関わり合いながら、まったく違う魂をぶつけ合い、ときに不格好でもたった一つの楽譜のない音楽を奏でていく。『バディミッションBOND』と『サクラ大戦Ⅴ』においてジャズはそういう使われ方をしています。

 

インタラクティブ・「他メディア」

 ところで、ビデオゲームのもつメディアとしての特徴は「インタラクティブ(対話型・双方向性のある)・メディア」であることです。つまり、メディアの受け手であるゲームプレイヤーがゲームの中に対してアクションをおこすことができ、そのレスポンス(反応・結果)がほとんど即時的に返ってくる、簡単に言えば「参加している感覚をもてるメディア」ってことです。

この特徴がいちばんわかりやすく出ているのがアクションゲームであり、アドベンチャーゲームはセリフを送るだけのものも多かったりしてゲームシステム的にはわりとインタラクティブ性の少ないものです。もちろん選択肢を選ぶことによって小説の展開に参加することはできるんですけど。

そんなアドベンチャーゲームに新しいインタラクティブ性のかたちを示したのが『サクラ大戦』シリーズでした。『サクラ大戦』シリーズは、「テレビアニメーションに参加することができる」ような演出をされていたのです。

画面構成

90年代はセル画アニメの黄金期でした。『サクラ大戦』シリーズは会話画面のキャラクターや背景の作画がまるでセル画アニメのような画面構成に整えられ、キャラクターの口パクさえもセリフに合せて正確に作られていた凝りようを見せたこともありました。当然、実際アニメ化したときも同様の絵柄や塗り!

なにより、絵柄だけでなく「物語の区切り」が「連続アニメの一話」であるように区切られ、チャプタータイトルや「次回予告アニメーション」が毎回挿入されてワクワクのドキドキだったのです。プレイできるインタラクティブ・90年代ロボ戦闘美少女アニメ、それがサクラ大戦だ!

f:id:marimouper:20210624154608j:plain

 そして『バディミッションBOND』はというと、これのヒーローコミック版だということができるとおもいます。バディミは明確にアニメーションで作られているシーン以外すべての会話が「横書きフキダシ」で表示され、それどころか「擬音を演出する描き文字」さえあり、もっとわかりやすいところでは通常の会話シーンでは常に「マンガのコマ割りの枠線と隣のコマらしきもの」が表示されているのです。印象的なシーンでこの枠線が消えるのは「大ゴマや見開きページ」といったところでしょう。躍動感と緻密さ、圧倒的迫力の構図をほこる村田雄介先生の絵の面目躍ぶが如しです。さらにメディアミックスとしてデジタルコミックがすでに公開されていますね。

インタラクティブ・ヒーローコミック、それが『バディミッションBOND』だー!!

 

QTEとLIPS

 そして、今作「あんまりよくないところ」としても話題になっているのが「QTE」要素……、すなわちプレイヤーに画面に表示される指示に合わせたすばやい操作を要求し、その成否でなんか起こったりダメになったりする、というプレイング要素なのですが、これと似たものが『サクラ大戦』シリーズにも存在します。『サクラ大戦』シリーズのユニークシステム、「LIPS」です。

LIPS(リップス)は「Live & Interactive Picture System」の略です。やはり「ライブ感とインタラクティブ性のあるピクチャー(アニメ的な画)」であることが意識されているわけです。これは何かっちゅうと、会話の中の選択肢を選んだり操作をしたりするときに制限時間が減っていくさまがデカデカと表示され、選択肢や操作具合だけでなく残りの制限時間(行動の速さ)によっても結果が違い、「時間切れ」という選択肢も存在する(そしてときには時間切れこそが正解の選択肢だったりもする)というものです。これもまた苦手だなと思っている人がいるクセのあるシステムです。かくいう当方も「好きなんだけど苦手」です。時間がギュンギュン減っていくのって焦るし緊張するしでストレスだからです。バディミのQTEもまったく突然にタイミングのある操作を要求されてパニクるストレスがあり、これと似たところがありますよね。

かといって、LIPSやバディミのQTE要素には「やりこみがいのあるゲーム性」とみられるほどのものはありません。ゲーマーらしいゲーマーからすればヌルいというか毎回場面に合せた違うことさせられるからやりこんで操作に習熟するというアクションや戦略的な楽しみはないし、何やらされとるんじゃ感があり「ゲームらしいおもしろさ」とは違っています。じゃあゲームに慣れてない人にもゲーマーにも微妙に思われてしまうこのシステムはなんのためについてるのか? いやがらせか?

いやがらせではなく、こうした要素はまさしく「プレイヤーにストレスを与えるため」……というと語弊がありますね、言い換えると、「プレイヤーをストーリーに参加させる演出のアクセントとして」、インタラクティブであるためだけに取り入れられているのです。毎回要求される操作が違うのは、操作に習熟すること自体の楽しみは目的とされておらず、「いろいろな印象的な場面にプレイヤーが参加する」ことが目的だからです。ただAボタンを押して相手の手を握るだけ、なんて習熟もタイミングも戦略もありませんからね。逆にタイミングや時間制限があるQTEはそれ自体が「プレイヤーに緊張感をもたせる」という演出なのです。

f:id:marimouper:20210624154552j:plain

実際、その「緊張」の演出効果はスリリングなBGMを流すよりも高かったんじゃないですか? たとえば講演とか授業とかのときにも、聴衆を話に集中させるテクニックとして「質問をして答えを返させる」ことで自分がかけられるかもという緊張感をもたせることや、「アンケートのような質問に手を上げさせる」「その場で〇〇をしてみてください、と簡単な行動をさせる」ことで当事者意識をもたせることはとてもグ~ンと有効な手段なのですよね。

「入り込めるアツいストーリーライン」があっても、マンガやアニメでは基本的に受け手は「外側」にいます。それはそれで良さではありますが、『バディミッションBOND』や『サクラ大戦』シリーズは「その中にプレイヤーを身体的に参加させていく」インタラクティブ・メディアとしてのゲームの性質をいかしたストーリー表現なのです。

 

クサくて王道、かわいい主人公

 さらにバディミが『サクラ大戦』シリーズの中でも『サクラⅤ』と特に似ている要素のひとつが「主人公」、つまりルーク・ウィリアムズくんのキャラクター性です!

 『サクラ大戦Ⅴ』は、実は『サクラ大戦』シリーズの中では売り上げがかんばしくなった、じゃっかんコケた、という世評の作品なのですが、そのポイントのひとつとして挙げられることが多いのが「主人公の交代」です。『サクラ大戦』シリーズは無印~4までの長いナンバリングタイトルで「大神一郎」という男も惚れる立派な漢を主人公に据えており、主に男性向けの美少女ゲームとはいえ大神さんの男性ファンも多かったのですよね(当方も大好きです)。その影に隠れがち、ええ~大神さんじゃないのと言われがちとなったのが、『サクラ大戦Ⅴ』でニューヨーク華撃団の隊長として立つことになった新しい主人公「大河新次郎」くんです。

(画像中央)

新次郎は見てのとおり美少女ゲームの主人公としてはやや珍しい「かわいい少年」の容姿をしており、フレッシュで初々しいタイプの主人公です。しかしその胸には大神さん(新次郎の叔父にあたる)と同じさわやかで熱くあきらめを知らぬ日本男児のド根性、強くまっすぐな正義の心を持っています。ワンコ系ということです。

 

 メインキャラクター4人を操作する中でも特にルークを主人公としたストーリーラインは、新次郎を操作しているときのような楽しさがありました。大神さんにしてもそういうところがありますが、やや天然ボケの入った善良でヒロイックな青年であるルークや新次郎が主人公であることで、物語はややクサくてダサいような王道のアツさを全体に帯びることになります。これこそが若々しい「ヒーロー」の醍醐味です!

また、『サクラ大戦』の主人公が大神さんという「イザというとき頼りがいのある強い男」から新次郎という「ちょっと頼りない少年」に変わったことは不評要素にもなってしまいましたが、実はその「皆に助けてもらう」フレッシャーぶりこそがニューヨーク華撃団の隊長と団員みんなのフラットな関係性を生み、「どこでもバディが発生する」「隊長が部下を守るだけでなく、全員が守り合う」新しい雰囲気を作っていたのです。東洋より明らかに上司と部下の間の封建的な主従関係が薄くフリーダムなアメリカの都市ならではの表現だったといえます。

www.youtube.com

『バディミッションBOND』でも、ルークはチームBONDのリーダーということになっていつつも客観的に見て総合力としては一番ペーペーです。彼は仲間を頼り、周囲の人たちを頼り、ただぶれない心のみでチームを「つなぐ」存在です。チェズレイから「ボス」と呼ばれて持ち上げられても偉ぶるような様子がまったくなく、そんなところが新次郎なんだよなあ~。

 

クセ者ぞろい

 ただでさえ新次郎に似ているルークをさらにさらに新次郎ポジにさせているのが、周りの仲間のクセの強さです。

『サクラ大戦』シリーズは(あかほりさとるなので)もともと登場する美少女キャラクターの味が濃いところが人気なのですが、その中ですら『サクラⅤ』は「さすがにちょっとイロモノすぎでは……?」と敬遠されがちな作品でした。これも売り上げの微妙さの原因のひとつであったと言われます。

下CDジャケット右上から反時計回りに、ハーレム黒人街出身の元ヤンオールバック弁護士年齢経歴性別までも不詳の日本人形系短パンスーツロリータ系でも健気系でもない野生児系童女妄想勘違い系のうえ二重人格のテキサスサムライ娘車椅子に乗ったネガティブでBL好きの医者という、わかりやすくウケはしないだろうコクのある要素ばかりをガン積みした個性大戦争、それが『サクラⅤ』のメイン攻略対象たちだぁ!

 いっぽう『バディミッションBOND』のほうも、「まとも」そうな仲間は主人公のルークくんだけ(まあルークもまともさを貫き過ぎていてまともではないんですけど)、他は「怪物的身体能力の大怪盗」「スネに傷あるっぽい昼行燈忍者おじさん」「知的犯罪と歯ぐき変顔の申し子」といった「蛇の道は蛇」ってレベルじゃねーぞ的なメンツ。Ⅴではないのですが『サクラ大戦3』でもかなり走ったキャラ設定をしていた「懲役1000年超えの大悪党ロベリア・カルリーニ」が死か協力かの取引で華撃団に参加していたシチュエーションを思わせます。アーロンは実質ロベリア(メイン格のまっすぐで善良すぎる天然を振り払えないというところも完全に共通している)

サクラ大戦 ロベリア・カルリーニ

サクラ大戦 ロベリア・カルリーニ

  • マックスファクトリー(Max Factory)
Amazon

『サクラ大戦3』におけるロベリアの場合、わりと意味がわかる他のメンバーの中でアクセントになっていたから良い存在感とバランスだったのですが、さすがにロベリア級が3人とか4人とかいたら普通はやばいわけで、個性を大戦争させた『サクラⅤ』はさすがに美少女ゲーとしてはもうちょっと見せ方とかあるやろという粗削りさにとどまりました。

しかし、『バディミッションBOND』ときたらどうでしょう、まあチームBONDは男性だから「男性キャラには美少女キャラであることを期待される女性キャラより格段にイロモノな個性を魅力的に描くことができる土台がある」というファクターは確実にあるのですが、このイロモノ個性大爆発がバランスとディティールよく仕上がっていることといったらまあ。これだぜこれ。サクラⅤがやれたらもっとよかったのはよ。

この調子でサクラ大戦Ⅴの続編かリメイクをですね……(制作会社が違う)……

 

 また、登場人物などの名づけにダジャレが使われていてダサおもしろい感じになっているのも、クセ感の統一としてはいい感じです。そこも『サクラ大戦』シリーズと似た雰囲気のゆえんですね。サワール・ムラムラ。

 

ジャポニズム

 『バディミ』と『サクラ大戦』シリーズには、「国際色が豊かなのに、なぜか”日本”的な要素の重要性が大きい」という共通点もあります。

これにはもちろん日本人やジャパニーズゲーム好きをメインターゲットとして作っているから、という理由もあるでしょう。しかしどちらも「ほんものの、実際の日本」というより「戯画化された日本」――フジヤマ、サムライ、ハラキリ、ゲイシャ、というような――すなわちオリエンタリズム、ジャポニズム(日本趣味)的な描かれ方がめだつところがポイントになります。だから突然のNinjaのN。

(「Nin、な、なんて?」ってなったわ)

『サクラ大戦』シリーズは毎回いろんな国、いろんな文化圏出身のヒロインを入れるのが恒例になっていて、そこが当方が大好きなところです。しかし日本の帝都を舞台としていなくても毎回日本人はいるんですよね。人口比率や国際人の多さ的には現実的なことではないはずですが。そして日本以外での「日本」要素をよく見ると、「自身はほとんど日本で暮らしたことはないが、日本文化教養を身につけた大和撫子として育てられてきた令嬢」や「日本文化が大好きで所有するビルの屋上に日本庭園作って鯉飼っちゃう大金持ち」といった外から抽出した日本の個性を尊ぶみたいな、ある種奇異の目込みのカリカチュアライズなんですよね。

そして、「ジャポニズムのカリカチュア(戯画)」「ヒーローコミック」を合わせた先に何があるかっつったら、当然ニンジャなわけですよ。それを日本人が逆輸入して面白がってるってのは、つまり『ニンジャスレイヤー』ですよね。サツバツ!

絵面の感じが完全に”それ” 

『バディミッションBOND』でも「戯画化された象徴的日本」としてのミカグラ島の文化の二本柱は「巫女の神楽」と「忍び」であり、よくよく考えると「おかしい」ことになっています。なぜなら忍者というのは本来、異なる勢力どうしの関係や争いにおいて情報戦を得意とする者のことであり、長らく「外界」とたいした交流のなかったミカグラ島の「王が忍者の長」だというのは政略上意味がわからんからです。王がいったい誰にスパイするってのよ。よって、ミカグラ島の文化に「忍び」が大きなウェイトを占めているというのは「ヒーローコミック」で目立つおもしろ要素としての戯画、そして「何かの象徴としての”忍者”」なのです。

また、今作のキーとなる「巫女の歌」など日本風の短調の旋律はパッと聞きもの悲しくてちょっと不穏な印象を人間に与える効果があり、ドラマ『陳情令』などでも日本風の旋律で呪いの音律攻撃をしかけるシーンがあります。しかし一方、この「暗くもの悲しげなメロディ運び」はジャズやブルースの「ブルー・ノート」に通じ、源流となった黒人奴隷音楽の悲しみを乗り越える力強さを思わせるものでもあります。うまいね。

 

f:id:marimouper:20210624154712j:plain

 われわれ日本人は、「フジヤマ、サムライ、ハラキリ、ニンジャ」といった日本像が戯画化されすぎで間違っていることは知っていますが、しかし日本文化の本質についてどれほど知っているでしょう? 外国のスシ・レストランに本職の寿司職人が本物のスシってやつを見せてやりますよ(山岡さんの声で)とする番組を見て笑うのも結構ですが、われわれ自身もまた、伝統的な日本の文化や誇りといったものとうまい「つながり」をもてていないのではないでしょうか?

……と、「現代においてあえて戯画化された日本伝統文化」に心惹かれるたびに自省させられるわけです。そういうとこも『バディミ』と『サクラⅤ』は似ています。

 

人の心に迫る捜査

 『バディミッションBOND』には「捜査パート」と「潜入パート」があります。「捜査パート」では街の各所を周り、解決すべき問題のヒントを集めていくことになります。これが『サクラ大戦Ⅴ』に酷似していておれは初回の捜査でもう泣いた

(いつも泣くのが早い)(『風花雪月』もデモムービー10秒で泣いた)

 

f:id:marimouper:20210624154617j:plain

 『サクラ大戦Ⅴ』では第二話、つまり操作説明の終わった通常のストーリーがはじまった一番最初の話『人民の人民による人民のためのLAW』で、まさしく「街の各所を周って解決すべき問題のヒントを集める捜査」をしたんですよ。建物の3Dの感じとかもそれと似ていて懐かしく、また『サクラⅤ』にも行動回数(時間)制限があるんですよね。

それで関係ないようなところの関係ないような人から思わぬ情報が得られたりして、それらの情報は話のテーマへと、そして最終的には物語全体のテーマへのゆっくりと収斂していきます。『サクラ大戦Ⅴ』にあったその感じがさらに鮮やかに洗練されているのがバディミという感じですね!作ってる人違うけど!

『サクラ大戦Ⅴ』で実際「捜査」という名目であったのはその第二話だけなのですが、以降もわりと構成が似ています。サクラⅤの主要ヒロインたちは個性がバリつよなのでみな謎めいた問題を抱えていたり性格自体が謎めいていたりして、主人公新次郎は一人一人と信頼関係を作るため「ヒロインたちの心を解き明かす」という捜査に奔走することになるわけです。

『バディミッションBOND』も、毎回「捜査」ではあるのですが捜査対象の人や人達の心に親身になり、寄り添って解き明かしていくというテーマ性をおびたものが多くなっています。人の心から起きるできごとを解くには、人の心を解くことから。それがチームBONDの周囲に縁の網を作り、のちにその網にすくいあげられることもあるでしょう。

 

光あるところに闇あり、歌劇団の裏には華撃団あり

f:id:marimouper:20210624154641j:plain

 『バディミッションBOND』では、犯罪組織を相手取るチームBONDは表向きの顔として「ショーマン」のふりをして舞台に立つことになります。このことと、それが象徴しているテーマがまた『サクラ大戦』シリーズと共通しています。そもそも『サクラ大戦』シリーズの基本構造のキモになっているのは歌い踊り市民を喜ばせる「歌劇団」都市の闇に潜む魔と戦う「華撃団」のダブルフェイスを表すシャレです。

舞台女優をやるだけで大変な仕事なのに、なぜ同じ人がロボに乗ってヤバいやつらと戦わなければならないのでしょうか? ここには『バディミッションBOND』でなぜチームBONDが「ショーマン」の仮面をかぶることになったのかの、話の都合上でない「テーマ上の意味」も関係してきてるとおもいます。

『サクラ大戦』シリーズでロボに乗って戦うメインヒロインたちは、皆「霊力」と呼ばれる特殊な才能をもち、それによってロボを動かし魔性と戦っています。だから誰でもいいわけではない(そして霊力を持つ人は女性に多い)のですが、これはチームBONDと関係ないので問題はここから先です。「霊力」を持った彼女たちはつまり「巫女」であり、「巫女の歌舞」によって人々の心はストレスや恨みを浄化されて連帯することができます。同時に霊力は魔性と戦う力でもあります。それが一か所に集中して必要とされるのは、「都市」にはさまざまな争いや摩擦があり、人々のストレスや恨みが魔性の潜む闇を生み出すからです。

つまり「歌劇団」が皆の心を和ませることと「華撃団」が魔性を討つこととは同じことの裏と表であり、ちょうどマイカの里で王族が「巫女」と「忍び」になるのと同じ構造なのです。「光あるところに闇あり、栄華の影には忍あり」とニンジャジャンが言うとおり、都市の栄華あるところには邪悪もまた生じます。皆が手をつないだ暮らしを守ってゆくためには、光のショーと闇をゆく捜査の両面が必要なのです。

 

 『サクラ大戦』シリーズのヒロインたちは「花組」「星組」といった宝塚歌劇団のようなチーム名のとおり「花」や「星」の名をもち、美しさと気高い強さで人々を照らす歌姫たちです。『サクラ大戦Ⅴ』の「紐育(ニューヨーク)星組」が乗るロボの機体名は「スター」であり、これは「劇場で輝くトップ芸能人」と「闇を照らす正義と希望の星」のダブルミーニングです。『サクラ大戦Ⅴ』のテーマ曲タイトルは「地上の戦士」ですが、「われら輝く 地上の戦士」と歌われるその意味は「地上の星」だというわけです。

ACEの会社ロゴやマスコットのACEくんは「星」をモチーフにしています。これは隕石が飛来した「流星」を意味しながらも、「皆の心をつなぐ輝き」である星、すなわちショーを尊んだものだと個人的にはおもっています。

 

多様性の都市

 さきほど「都市の栄華あるところには邪悪もまた生じる」と言いましたが、そもそもそれはどうしてなのでしょう? これは、『バディミッションBOND』の舞台であるミカグラ島や、『サクラ大戦』シリーズの舞台である日本の大正時代、そして現代日本の状況に特に関りがあります。

「大正浪漫」といってよく憧れの対象となる大正時代の日本ですが、それはこの時代が他国の文化と日本の伝統文化の混ざり合った独自の美しい「モダン」な文化が花開いた時代だったからです。文化や産物がさかんに輸入・輸出され、全世界的にも多種多様なものや人が各地を行き交うのが当たり前になってきた時代でした。

反面、このころの時代は国家間で大規模な戦争がおこったり、貿易摩擦や外国人差別、異文化との葛藤がおこりはじめた時代でもありました。反面も何も双方向的に人やものが交流するんだから当たり前の話です。現代でも日本は難民や移民、外国人技能実習生などの問題をぜんぜん処理できていません。つまり都市のもつ多様性が急激にアップすることには、繁栄と摩擦の両面があるということなのです。

そういう摩擦の多くは都市でおこり、そして都市は人がたくさん集まっているからこそ繁栄するのに、その密度ゆえに問題がすぐに鬱積してしまい、処理しきれないのです。下水の流れのように、どこかが壊れればいろんな問題が噴出してしまう。それが『バディミッションBOND』作中の、ブロッサムシティとマイカの里の摩擦のすえにアレとかソレとかの問題がパーンしてドーンです。

 

 『サクラ大戦』シリーズに国際問題や文化摩擦を含んだ多様な出自のキャラクターが登場しているように、『バディミッションBOND』にもなにげな~く多様な人々がワンサカ出てきていて、そこも本作のみどころのひとつです。コーエーテクモゲームス制作協力の『ファイアーエムブレム風花雪月』でもモブ兵士や立場のある将にごく当たり前に女性がいたり、同じくコーエーテクモゲームス制作の『ペルソナ5スクランブル』で従来オッサンがついているのが当たり前のような役割や個性に女性があてられていたりしましたが、今作もその流れが自然ですね。

www.homeshika.work

blog.livedoor.jp

まずリカルド共和国にいるときのルークのキャリア警官同期たちの中にブラック系の女性がいます。これは「正義感で動かない(普通の)よくない人たち」であるところもうまいバランスでしたね。DISCARDの息のかかった警官隊の隊長格とみられる、命令を出していた警官も女性でした。女性にも悪い人や汚い人はいるが、それは「悪の女幹部」とか「女の醜さ」みたいにとりたてて描くようなもんじゃないじゃん、ふつうにいいやつにも悪いやつ普通のやつにも男女ともいるよなってだけ、というバランスです。ナイス。

f:id:marimouper:20210624154625j:plain

ナイス新しい価値観、スイちゃん

移民の国である『サクラ大戦Ⅴ』のニューヨークはもちろん、バディミでもミカグラ島に着いてからは日本名と外来名の混ざり具合が顕著で、文化の衝突地点であることがよく表現されています。「ナデシコ・レイゼイ」や「モクマ・エンドウ」は姓名ともに和語あるいは漢語ですが、かつてのミカグラは「姓→名」という日本と同じ順で名前を言っていたとも作中で言われていますから、外のネームルールが伝わってきて数十年経っているってことがわかりますね。「スイ・アッカルド」や「ネラーエ・トクダ」といった名前を見るだけで、(ネラーエさんはダジャレではあるけど)彼らが生まれて名前を授かるまでに両親や家族たちにどんな葛藤やドラマがあったのだろうといちいち思わされます。

 

 都市が多様な人やものや文化を受け入れ、繁栄していくのはいいことです。しかしその裏で「カグラ姫」の伝説のように伝統は変容し、ときには失われ、繁栄の影で潰れていくものたちの声なき叫びが積み重なり、誇りは歪んで頑迷へと変わっていく。

『サクラ大戦』シリーズではその歪みが魔性のものという姿をとって立ちはだかってきましたが、『バディミッションBOND』にそういうのはありません。もちろん、この現実にも。

チームBONDは、現実にいるわれわれはどうやって他者との摩擦が生んでしまう闇と戦い、乗り越えていけるのでしょうか?

 

わかりあえないあなたと、手をつなぐ

f:id:marimouper:20210624154651j:plain

 千年の昔、ミカグラ島は「隕石の衝突」によって生まれたといわれます。

その神秘的な島の誕生をことほぎ、ブロッサムシティでもマイカの里でも、スイの歌でも「隕石によって島ができた」ということは重要視されています。「隕石があったから、島にあるすべての絆が生まれた」と。

しかし、島はそれによって海底が盛り上がってできたので、隕石が衝突したせいで人間が死んだりということはなかったはずですが、普通に考えたら「大型の隕石の衝突で地球がえぐられて」なんて、『アルマゲドン』の映画が始まっちゃうようなヤバい大災害ですよ。『ディープ・インパクト』でもいい。とにかく怖い。

それでもスイは歌う。「隕石が飛来するのは、あなたに出会える奇跡」だと……。

 

 つまり、「他者との予測不可能で危険な衝突、摩擦こそが、絆をつなぐ奇跡だ」というのです。これが、本作の「隕石」のもつテーマ性です。

f:id:marimouper:20210624154659j:plain

われわれが本当に他者と触れ合おうとするとき、他者は他者だからわからないし、価値観は違うし、不都合な面もたくさんあるし、知りたくないこととかもあるかもしれないし、そこにはとにかく、一人で心を閉ざしていれば味わう必要のないストレスがあります。摩擦があります。危険があります。衝撃があります。そういう摩擦が結局人間が争いごとをやめられない理由であり、大きな紛争に結びついてしまう原因なのかもしれないと、『サクラ大戦』シリーズでも『バディミッションBOND』でも描かれています。

しかし両作は、「ぶつかっても、傷ついても、それでも、手をつなぐことをあきらめるな」と言うのです。そのぶつかり合いこそが、最初はなんでもない石である魂という宝石を磨き上げるのだと。そこんとこは同コーエーテクモゲームスの新作『アンジェリーク ルミナライズ』のコンセプトと同じ潮流ですね。

www.homeshika.work

 

 そして「わかりあえない他者との衝突」は相棒やチームの仲間たちに限ったことではありません。程度の差こそあれ、人間は出会ったすべての人と「衝突」しています。つまり、チームBONDが今までの人生や捜査中に出会ってきた人たち、新次郎がニューヨークで出会う人たちすべて……。

ルークが熟考しているとき、背景には「脳神経(ニューロン)のつながり」のような「網目」の動きが表示されます。これはよく考えて脳内に潜って思い出してますよ、という演出なわけですが、ここで思い出す思考材料とは彼らが街の人たちに聞き込みをして得られた情報であり、いうなれば彼らが関わったさまざまな人とのつながり自体が、脳神経のように有機的につながった網なのです。いかに賢い頭脳、いかに完璧な人格、いかに強い力でも、ひとりでこの網にまさることは決してできません。

f:id:marimouper:20210624154634j:plain

最強のヒーローには相棒が、仲間が、他者が必要です。なぜなら、他者というのは自分と違う知識や能力を持っているだけの存在ではなく、自分とは違う視点や価値観を持っている存在で、違う視点や価値観から見るからこそ世界は無限の可能性をもてるからです。

そして自分とは違う他者の視点や価値観は、その他者の人生におこった無数の偶然、無数の出会い、無数の衝突によって形作られたものです。同じものはふたつとありません。たとえぶつかり傷つけ合い血塗られて苦い歴史があろうとも、出会いによって作られた人生の一回性、その人にしかない歪み方、それと出会い続けていけることこそが、人間の絆の強さ!

f:id:marimouper:20210624154535j:plain

そういう『サクラ大戦Ⅴ』なんじゃねえのかなあ、『バディミッションBOND』って……

(未クリア)

 

 

 そういうわけで、これからクリアしていかにサクラ大戦Ⅴなのか(「いかに」じゃないよ)あらためて確かめてこようとおもいま~~す。

 

↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

www.homeshika.work

↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます

 

あわせて読んでよ

www.homeshika.work

www.homeshika.work