湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「女帝」アルカナのキャラモチーフ―ぺるたろ③

本稿はゲーム『ペルソナ』シリーズとユング心理学、タロットカードの世界観と同作の共通したテーマキャラクター造形とタロット大アルカナの対応について整理・紹介していく記事シリーズ、略して「ぺるたろ」の「女帝(Ⅲ The Empress)」のアルカナの記事です。歴代の「女帝」アルカナのキャラ、黛ゆきの、桐条美鶴、マーガレット、奥村春の描写の中のタロットのモチーフを読み解きます。目次記事はこちら。

 

『女神異聞録ペルソナ』『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』『ペルソナ3』『ペルソナ4』『ペルソナ5』およびこれらの派生タイトルのストーリーや設定のネタバレを含みます。今回の記事では『4』『5』で指定されたことのある公式のネタバレ禁止区域に関するネタバレは含みません。

ちなみに筆者はシリーズナンバリングタイトルはやってるけど派生作品はQとかUとかはやってない、くらいの感じのフンワリライト食感なプレイヤーです。

↓前置きにペルソナシリーズとユング心理学とタロットの関わりの話もしています↓

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2023年1月19日『ペルソナ3』『ペルソナ4』がリマスター発売しましたので、逆に(?)ペルソナ3「フェス」のほうの読解実況動画を配信中です。よかったらチャンネル登録よろしくね。

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 以下、タロットとユング心理学の関わりや大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、鏡リュウジ責任編集『総特集*タロットの世界』(青土社・ユリイカ12月臨時増刊号第53巻14号・2021年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参考として当方が独自に解釈したものです。

風花雪月の紋章のタロット読解本、再入荷してます。

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『ペルソナ』シリーズの中の「女帝」アルカナ

 ペルソナシリーズは第一作『女神異聞録ペルソナ』からタロット大アルカナになぞらえてキャラクターをデザインしてきました。特に一作で大アルカナすべてにキャラクターが当てられるようになったペルソナ3以降は「今回の〇〇アルカナ枠」みたいな「キャラ枠」の見方をすることができるようになってて、ある程度役割の文脈をみることができます。戦隊ヒーローで赤がリーダー主人公みたいなやつ。

その「役割の文脈」の中で、ペルソナシリーズのヒロイン女性の多様な個性のひとつ「情愛」「豊かな女らしさ」の魅力と苦悩を表現するのが、「女帝」のアルカナのキャラクターです。

以降、当方が考える『ペルソナ』シリーズの作中で「女帝」アルカナモチーフとして描写されてるっぽい重要なところ赤字で表記します。

 

 ペルソナシリーズにおいて「女帝」アルカナのキャラクターは「魔術師」「女教皇」と同様パーティーメンバーに配置されやすいですが、その「女性らしさの強さ」ゆえにか、主人公プレイヤーから「近い存在」とはちょっと言い難いです。女教皇の近寄りがたさは「神秘性」でしたが、女帝の場合なんていうかいろいろ存在感がヘビーなのです。その表現として、必ずおっぱいや体格が豊かです。

女教皇が亜美ちゃんなら女帝はみちるさん。

「姐御」「セクシー美女」に我々はなにかと頼り、甘え、寄りかかり、うずもれてしまいます。膨大な人の欲望を受け止め背負い込む、あたたかな海のような彼女たちの胸に……。

 

「女帝」の元型

 まずはカードを見てみましょう。

 左が一般的に「マルセイユ版」と呼ばれるもののひとつ、右が「ウェイト版(ライダー版)」と呼ばれるデッキの「女帝」のカードです。

そして『ペルソナ3』『ペルソナ4』で使われたオリジナルデザインのカードがおおむねこんな感じ(ぼのぼのさんの作成。ゲームで使用されたデザインそのままではありません)。このオリジナルデザインのことを以降便宜的に「ペルソナ版タロット」と呼びますね。

『ペルソナ5』ではUI全体のデザインに合わせマルセイユ版をベースとしたカードに変わってますが、ペルソナ版タロットはかなり大胆にシンプル化するアレンジがされているので、制作側がカードの本質をどうとらえているのかがダイレクトに伝わっくる~~。

共通して描かれているモチーフは「♀」female性金星ヴィーナス生命の力をあらわすシンボルです。また、王冠を戴いていることも共通しています。彼女たちの装身具などのようすをみるに、現実の王妃様や女王様であるだけでなく天の女王、つまりイシュタルやイナンナ、イシスのような偉大な女神であるようです。

さらに、ライダー版とペルソナ版を見ると曲線繁茂する自然の植物が描かれています。これは女性の体の豊かな曲線美自然の恵み、そしてときには自然の恐ろしさまでもが同根のものだということを描いています。

ペルソナ版にかなりわかりやすく描かれているように、女帝は安産型です。「出産」じたいは女教皇の領分でしたが、子を宿したり、たくさん産んで育てたり、ふかふかの胸に抱いたりする「多産」「豊穣」は女帝に属します。「縄文のヴィーナス」ってやつですね。よく似てるでしょ。

"女帝"で出会うのは母性とその生命力。母なる慈愛です。

――『ペルソナ3』保険の江戸川

女帝は近寄りがたい聖母というより「おかあさん(カーチャン)」J( 'ー`)しであり、いつも何があっても愛する身内を見捨てられない、条件のない無償無限の愛です。これは「批評的な愛」である次のカード「皇帝」の父の愛と対照セットになっています。

その愛の大きさと際限なさは、現実のおかあさんがしばしばそうであるように、ときに本人や愛する者たちを苦しめることにもなります……。

 

グレートマザー/テリブルマザー

 タロット大アルカナの中でも「最初のほう」、つまり1番~7番くらいまでの段階のカードは特に誰でも覚えがある神話的な人物像(ユング心理学では「元型」と呼びます。ユング心理学や元型とペルソナシリーズの関わりについて詳しくはこちら)が描かれていてわかりやすく個性的なため、『ペルソナ』シリーズの仲間キャラクターは伝統的にこれらの神話的な元型から作られています。パンチがきいてて誰にでもわかりやすいからな。

そのユング心理学の元型でいうと、「女教皇」とあわせて「グレートマザー」です。

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 「グレートマザー」は産み育てる偉大なる母としての女性像です。「女教皇」に表されているのは肉感を離れた聖処女、聖母、教育する母親のイメージ、それに対して「女帝」に表されるのは増殖する豊かな自然栄養を与え子供を強く大きく育てる母家庭を守る権力を持った母のイメージです。

こういう感じですね(ドラクエ11)。うわーんママぁ~~~~~。

この「グレートマザー」の理解が「女帝」に込められた意味の読みには欠かせません。だからちょっと長くなりますよ。

 

 家庭で財産や食事を管理する主婦は、ガイアやレア、デメテルのような大地の実りをあらわす地母神とか、ヘスティアやヘカテ、北欧神話ならフレイアといったかまどを司る魔術の女神のイメージをもちます。

しかし、かまどを司り子らを大きく育てる乳や粥や薬を食べさせてくれるグレートマザー、偉大なカーチャンは、神話や民話の中で頻繁に悪役に反転して登場します。山姥魔女悪い竜というかたちで。

たとえばギリシア神話に登場する魔女・キルケー(上図)は神の血をひき薬学の知識をもつ麗しく情深い偉大な女性ですが、自らのもとを訪れた気に入った人間に「キュケオーン」という粥的な調合薬を食べさせて動物に変身させ、家畜にして愛玩する鬼女でもあります。森の中のお菓子の家の魔女や毒リンゴを食わして殺しにくる魔女、旅人にメシを食わせといて包丁を研ぐ山姥、人食い竜など、巨大な自然のパワーをもち人間を「食べちゃう」愛し方をする怪物たちは古い物語の敵役としてもっともポピュラーです。よく「女帝」のアルカナに当てられるペルソナ「ハリティー(鬼子母神)」もド真ん中でそう。日本神話のイザナミ神もそうですね。

こうした「母」の恐ろしい側面のことをユング心理学の元型では「テリブルマザー」と呼びます。テリブルマザーはグレートマザーと表裏一体です。

 

 なぜ、自然のパワーや飯盛ってくれる優しいカーチャンとそんな怪物たちに密接な関係があるのか? 理由はいくつかあります。

まずひとつめは、シンプルに、自然は恵みをもたらしてくれる命の源でもあるが、まったく同時に命を奪う制御不可能な災害の源でもあるという事実です。自然の恵みを利用することは、川の氾濫や、森の猛獣の脅威、地震などの被害を恐れなくてはいけないことと不可分ですからね。

ふたつめは、これは元型の問題というより歴史的なアレですが、ヨーロッパで土着の地母神や魔術の女神(魔女)への信仰がキリスト教と対立してきた歴史です。堕天使・高位の悪魔とされるアスタロトはバビロニアの女神イシュタルへの信仰が貶められた姿ですし、キリスト教の聖人ゲオルギウスが悪い竜を成敗した物語にも「異教的な神を倒し、その地にキリスト教の教えを受け入れさせた」という布教の寓話の側面があります。ただ、ヨーロッパの歴史に限らず、理性ですべてを支配しようとする男性的価値観が社会で優位になっていくと、どこでもコントロールできない自然や女性の力は恐れられながら軽んじられていくものですよね。日本でも武家政権樹立からズンドコ女性の地位が下落していきましたし。

みっつめは身近な心の問題です。誰にとってもカーチャン的存在からの無償の愛はありがたいものですが、カーチャンの無償の愛にどっぷり浸かっていると大人になれずに自滅してしまうからです。同時に、カーチャン側としても自分を頼ってくれるかわいい子供を手放したくないと思えばその子を無力化し閉じ込めようともしてしまいます。こうして親離れ・子離れができず子供の人生を骨抜きにしてしまう共依存、現代のカタカナ語ではスポイルと呼ばれるようなことが「呑み込む母」の怪物の正体です。呑み込もうとしてくる怪物を倒す若者の物語は、母親に甘えたい心や未練を断ち切る成長をあらわしているというわけです。

こういうようなわけで、「女帝」の表す元型はふだん理性的な世界に生きている人間にとってはとろけるようなたまらない魅力でありながら、得体のしれない巨大な恐怖でもあるのですね。こうした女性的元型は男社会を混乱させ、「おれたちを救ってくれる聖母」と「みだらで軽蔑すべき娼婦」という両極端の評価に分裂させられてきましたが、本来それはそんな極端なものではなく、ひとつのものです。

そんな愛や魅力や混乱や恐怖を含んだ、美しい混沌が「女帝」キャラクターのエッセンスにもなっています。

 

『女神異聞録ペルソナ』ゆきのさん

 黛ゆきの、通称ゆきのさん。さんをつけなよ。

高校二年で主人公のクラスメート。通称で敬称をつけられているとおり頼れる姐御肌でぶっちゃけスケバンです。スカートが長ぇしカミソリ持ってる。一年のころとかまではけっこ~うヤバ荒れてたらしいんですが、担任の冴子先生が気にかけてくれたことで更生。

バリバリ不良していた経験があるので、修羅場でもどっしり落ち着いている肉体派口で言ってもわからねえ輩に愛のゲンコツをくらわせるというカーチャン的交渉を悪魔にまでやってのけます。

 

雪の女王

【!!注意!!】ゆきのさんの「雪の女王」の項では『女神異聞録ペルソナ』の裏ルートの展開の重大なネタバレをします。ヤベッと思ったら次の次まで飛ばそう。

 ゆきのさんは序盤のパーティーメンバーであり、異常事態に取り乱したり突っ走ったりしそうなみんなをなだめてくれますが、ほどなくイベントで離脱。彼女がメインとなるのは裏ルート「雪の女王編」となります。

メインっていうか、雪の女王編では主人公より彼女がパーティーのリーダーを務めている印象です。異聞録主人公のアルカナは「皇帝」なので、表ルートは「父性のリーダー」、裏ルートは「母性のリーダー」が引っ張っていくというのはよくできた構図です。表ルートはセベク社や神取といった男性的で強大な敵に立ち向かって世界を切り拓いていきますが、ゆきのさんがリーダーとなる裏ルートは異界化した街の中でみんなの安全地帯(セーフゾーン)、基地(ベース)となっている「学校」と心の支えである冴子先生を守るために戦います。ベタな感じもしますが、家を守るというのが肝っ玉おっかさんである「女帝」にとって最も大事なことだからです。

ゆきのさんのペルソナ「ヴェスタ」はローマ神話のかまどの火の女神ウェスタ、ギリシア神話のヘスティア。かまどは家庭の中心、強い主婦による家族の運営の象徴です。

 

 さらに、表ルート「セベク編」のメインヒロインは当然マキちゃんですが、裏ルートではゆきのさんと冴子先生が「裏ヒロイン」ともいえるかもしれません。そのへんもまた「女教皇」と「女帝」の女性性の対比ってかんじでいいですね。

「心の深淵」の物語であったマキちゃんの物語に対し、ゆきのさんと冴子先生の「雪の女王編」は「女たちの情念」の物語です。

 「雪の女王編」には心の闇に呑まれた4人のOGたちが中ボスとして登場します。上図のコイツは心の闇とかいう問題ではない感じなのですが、いかにもテリブルマザー的な呑み込む鬼女ですね。久しぶりに見たら立ち絵がゆきのさんのパロディみたいになっとるなこの美智子。

彼女たちは主人公たちの通う学校の演劇部のOG……というか、たぶん卒業できずに亡くなった人たちで、全員演劇部の伝統劇で「雪の女王」役となりその仮面をつけたことが共通しています。演劇部で仮面をつける、というのはいかにもペルソナど真ん中ですし、人をやさしく招き凍らせてしまう美しく強大な「雪の女王」もテリブルマザー的な女帝ど真ん中です。

雪の女王の仮面には絶望の力が封じ込められており、それをつけた者は呪われると言われています。本当のところ、雪の女王の仮面は普段目を背けている自分の醜さを直視させる力をもっており、それに耐えられなかった女生徒たちが次々に仮面の力に魅入られ命を奪われてきたのです。

「自分が何をしてもしなくても周りは認めてくれない」だったり、「自分の人生は若い今が頂点で、ここから先は醜く落ちるばかりかもしれない」だったり、「大好きな親友と比べて自分は見劣りして、実はそれを哀れまれてるのかもしれない」だったり……若い女性の人生について回る影に食われてしまった女生徒たち。

ゆきのさんは彼女たちに向き合って戦い諭し、昇天させていくわけですが、これはそのままゆきのさんが冴子先生という「女帝」にしてもらったことでもあります。

雪の女王の仮面をかぶらなくても影は人の心を呑みます、冴子先生がいてくれなかったら、あたたかでねばりづよい愛と将来への希望を与えられなかったら、ゆきのさんもまた中ボス女生徒たちのように大人になれずに自滅していたかもしれません。それがわかっているからゆきのさんは強く、冴子先生を助け返そうとします。

 

背の君に添う

 ゆきのさんはなんと直後の続編『ペルソナ2 罪』にもパーティーキャラクターとして登場します。罪のメインキャラの中で唯一の大人である雑誌記者・天野舞耶とタッグを組みカメラマン見習いをしています。学生時代に「ゆきのさん」と畏敬されていた彼女が迷える新社会人となり「ユッキー」とか気安く呼ばれているのがうまい表現ですね。

『罪』でもゆきのさん……ユッキーは異聞録と同じく、自分と同じように自暴自棄になっている若い女子に向き合い諭し引っ張り上げる肝っ玉お母さんをやります。それにプラスして、『罪』で新しく描かれたユッキーの「女帝」の側面はおおむね2つあります。

 ひとつは「才能の限界」。ユッキーは好きなカメラマンの道に進むか、自分を救ってくれた冴子先生のような教師になるか迷っています。本当にやりたいことがたくさんあるというエネルギーの豊かさも女帝ならではですが、ユッキーにとっての問題はどっちに進むも自分の能力が足りないっぽいという見通しです。

教師になるには大学を出なければなりませんが、高校1年まで大荒れだった肉体派の彼女にはかなり学力が足りない。かといってこのままカメラマンの道に進むも、アーティストとしての才能があるとはいえない。女帝は「資源」「資本」「財産」を司る即物的で現実的な倉庫ですから、ユッキーはそのことを自分でよくわかってしまっていますし、現実的なので夢や理念だけで突っ走れもしない。この現実的さは地に足がついていていいことともいえますし、将来に迷う学生たちの物語である『罪』にもよく寄り添えています。

 もうひとつは「ひたむきな愛情」。ユッキーが写真の勉強をしたいのは高校のときからずっとですが、専門を出て見習いカメラマンになってその思いはますます強いものになりました。それはカメラの師匠である藤井俊介氏を愛したからです。愛したから……といっても、それは師への憧れから始まった片思いでしたが。

上記のように自分の才能の限界に立ち向かえない迷いにくじけそうになったユッキーは愛する男にすがってくっついて安らぎたいとも思いましたが、強い女一本!で生きてきた彼女にそんな自分は認めがたいものでした。しかし、そんな迷いや逃げを含んだ気持ちから始まったものでも、尊敬する男への情愛はユッキーをより強くたくましくし、他者への愛ゆえに一人でもまっすぐ生きていける人に育てました。

 

『ペルソナ3』桐条美鶴

 桐条美鶴、高校三年生で主人公の通う月光館学園高等部の生徒会長。ペルソナ使いの仲間たち「特別課外活動部」の部長です。それ以前に世界的企業体「桐条グループ」を治める宗家の一人娘で跡継ぎです。役割設定が盛りすぎです。現代日本には公的な身分制度こそありませんが、『ペルソナ3』の舞台となる人工島地区の学校も病院も会社も研究所もほとんど桐条資本で統治されており、彼女は事実上大王国の世継ぎです。

プロポーションこそ大柄で豊満で髪型も豊かな印象ですが、性格は一見すると自分にも他人にも厳しく果断で理性的。統治者・為政者としてのリーダーシップを完璧にそなえています。ゆきのさんのような血の通った「おっかさん」味はあまりしなくて、タロットの「女帝」の表すものというより女帝という言葉のイメージ通りの「女性版の皇帝」「強い男性のような女性」なんじゃないの~?とも思えてきますが……。

 

財を継ぐ者

 確かに美鶴はグループを治めるため帝王学を学び「王者」として振る舞っているので、「仕事の顔」というかは「皇帝」に近いものがあります。彼女の本質的な顔がはっきり見えてくるのは物語の後半です。女帝は全員ヘビーなので。

美鶴のコミュは、いきなり美鶴をラーメン屋に連れていくことから始まります。その次はハンバーガーショップ。さらに次はたこ焼き屋。お嬢様オブお嬢様である美鶴はそういう手軽な飲食店に行ったことがないため、主人公に案内を頼んだのです。確かに生まれついてのご令嬢がする外食といったらクラスが限られますもんね。荷物置くとことか預かるとことかないけど大丈夫っすか?

こうした市井のことにうといのが自分の弱点なんだ……、と美鶴は語りますが、考えてみたら上流階級の人間がうとい下々のことは食事に限りませんよね。それを「食べること」「暮らしに密着したこと」を体で経験することから知ろうとするところに、すでに美鶴の「女帝」らしさがにじんでいます。

仕事を営んで暮らしていくことを「飯を食っていく」ともいいます。桐条グループという無数の「仕事と財産の集合体」を背負って立つことになった美鶴はいわば「皆に飯を食わせていく」ことが使命の統治者であるといえます。ていうか、これは常に政治の最も重要なテーマですよね。男社会では忘れられがちなことですけど。グループの関係者たち、関連会社に勤める社員たちやその家族たちの生活を守っていくために、美鶴は机上の論を展開するのではなく肌で感じようとします。

 

 「女帝」の「財を継ぐ」性質はまた、美鶴に生々しい運命を突きつけます。政略結婚です。美鶴のお父上お母上もまた絵に描いたような政略結婚だったそうですが、二人で支え合って愛を育み、素晴らしいご夫婦となられたそうです。

古代エジプトなどいくつかの古代文明では王位や家督や財産の継承権を女性が持ち、その女性と結婚した男が権勢をふるうという体制もありました。日本の平安貴族も財産ある家の女性や裕福な未亡人女性に若い男性が盛り立ててもらう体制でした。「女帝」があらわすのはそういう感じのアレです。

それがお決まりの社会体制でなかったとしても、男性が権力を持ちがちな社会では「女性の相続人」というのはただの財産相続人とはだいぶ違った意味をもちます。女性であれば、すでに権力を持っている男性と結婚することができるし、子供もつくれるからです。まさしく「女帝」のあらわす「繁栄」「増殖」そのもの。

「閨閥」っていうのよ(『もやしもん』長谷川遙)

男女が結ばれる、企業同士の結びつきが強まる、財が増える、新しい命が生まれる……。それらは「数字」の観点から言えば、世の中に幸せを「増やしている」かのように聞こえます。しかし昨今、「生産性」という言葉が非難されているように、「生産」されればなんでもいいのでしょうか? そこに生きる、一人一人の生の気持ちや愛は……?

美鶴は、すでに成熟した体で、結婚を急がされる中で、そういうことに向き合っていくことになります。

 

愛おしい家族のために

 美鶴は桐条が観測した初めての安定したペルソナ使いであり、自ら桐条のいろんな実験に協力してきました。その点でも「女帝」のあらわす「人間社会に搾取・消費される資源」です。そして主人公たちが戦い始めるゲーム開始時点よりずっと前からペルソナ使いとしてシャドウのわけわからん危険に身を投じてきました。

統治者の跡継ぎとして生まれたノブレスオブリージュ、正しい責任感もあるでしょうが、よくよく考えるといくらなんでも子供が身を呈しすぎと言わざるを得ません。この痛々しいまでの美鶴の悲壮さはどこからきたものか?

美鶴は、こーんな小さいときから影時間を正視し、タルタロスの調査にも望んでついてきました。もちろん子供らしい好奇心からではありません。この日、危機に陥った父をかばおうとした美鶴にペルソナが覚醒しました。そう、すべては愛する父を守るため、財と権勢とともにいらん罪を祖父から強制的に相続させられてしまい苦悩する(このお父上の状況も「女帝」的といえます)父のそばに寄り添って支えるため

「女帝」の描く人物は、愛情深い母親がまさにそうであるように、身内への情愛のためなら死をも恐れず、無限のパワーを出して励み、愛するひとと苦難を分かち合えないことをこそ何よりも恐れるのです。美鶴の父は美鶴祖父の過ちを止められなかったことを悔い、贖罪を一人で背負い、笑わなくなってしまいました。美鶴が危険な戦場に身を投じるのも、文武に完璧であるように努力するのも、モチベーションはすべて「お父様をお支えするため」「大好きなお父様の笑顔を取り戻すため」でした。

 

 この愛の力は偉大ですが、しかし「愛するひとの負担になりたくないから、一人でなんでも背負い込もうとする」「愛するひとがいなくなってしまったら抜け殻のようになる」という弱点と表裏一体です。

父の存在は美鶴のメインエンジン。中身がぽっかり空いてしまったら、美鶴はただ高貴の義務を遂行するだけの抜け殻として生きていくところでした。そこに、ゆかりが言いました。「私は戦うことにした。お父さんの遺志を継ぎたいから」と。

「女帝」は具体的な存在を重視するので、想うひとが目の前から消えてしまうとまさに火が消えたように惑いがちです。しかし、たとえ命が消えようとも、愛は続いていくはずです。

愛するひとの残した財と、愛するひとが守ろうとした家族たち。そこには美鶴自身も入っています。それらを受け継ぎ、愛するひとがしたように慈しみ守り続けること。それこそが、「お父様を愛し続けること」なのだと気付かされ、美鶴は桐条グループと、この世界と、自分を愛し戦うことを父に誓いました。

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『ペルソナ4』マーガレット

 マーガレット、夢と現実、精神と物質の狭間にあるベルベットルームの住人。ペルソナ全書を管理する役目「力を司る者」で最強のチャレンジボスです。同じく「力を司る者」である次女エリザベス、末弟テオドアの「長姉」であるという設定になっています。

バスガイドさん、あるいは秘書のようなコスチュームですが、要するに人間ではなく、人の心の海から汲み上げられたイメージをもとにした力のかたまり……巨大な女神のような存在です。「女帝」のヘビー級なスケール感ならではですね。

 

大人の女性

 前任者である『ペルソナ3』のエリザベスは、男性プレイヤーの中にあるアニマを表現し黒猫のようにミステリアスでコケティッシュでコンパクトな美女でした。

それに対してマーガレットは豊かに波打つロングヘア、野獣のしなやかさと高貴さを思わせる目鼻立ち、真っ赤なルージュ、ボンキュッボンの堂々たる大人のプロポーション。美女の種類がまるで違います。いかにもな肉感的なオトナの女です。

ペルソナ4主人公は玉虫色で中性的だったペルソナ3男性主人公に比べてかなり力強く男性的なリーダーに描かれていますし、理性の力で謎を切り拓いていくという作品コンセプトからしてもベースとしては「皇帝」アルカナ的なキャラクターデザインといえます。そういう「大人の男っぽい少年」である主人公のアニマとして「大人の女っぽい女」であるマーガレットがデデドンとお出しされるのはなんとも釣り合いがとれているし、「女帝」の位置にふさわしいです。

エリザベスはしいて言うなら「女教皇」的ですね。

 

言葉と行為

 マーガレットは「力を司る者」たちの例に漏れずペルソナ合体の課題を出してきます。この課題をクリアすることによってコミュが進行するしくみになっているのは『ペルソナ5』の双子の看守と同じです。

マーガレットコミュにおいてペルソナ合体課題のクリアは「行動で示すこと」をあらわします。女神や神秘の美女の物語には、「難題を与えられてクリアする」「質問に対して覚悟を示す」ような展開が多いですよね。

『竹取物語』とかもそうかな。かぐや姫は難題を出した貴公子たちの中でも嘘をついて口八丁でなんとかしようとする者たちには冷淡で、たとえブツを持ってこられなくても体を壊すほどガチで課題に取り組んだ者や結婚を断られても歌のやり取りをムカつかずに続ける帝にはさすがにちょっと心を動かされました。女神の前では屁理屈や口のうまさは通じず、ただ誠意によるアクションだけが愛と真実の心の扉を開けるのだということです。

大人の女性であるマーガレットの心に近付くには、相応の成長の果実を捧げ青年の可能性を示す必要があります。

 

 さらに、マーガレットは主人公と関わるようになって「言葉」に興味を持ち始めます。これがまたたまらん「女帝」表現で。

先に述べたようにP4の主人公はやや「皇帝」的な男っぽいデザインがされています。「女帝」と「皇帝」は女性と男性、母親と父親の夫婦関係・対置関係にあり、「女帝」であるマーガレットにとって対照な主人公は自分にない性質を補う「夫」との出会いであるといえます。そして「女帝」の「行動」に対して「皇帝」がもつものこそが「言葉」なのです。

詳しくはまた「皇帝」アルカナの記事で述べますが、「皇帝」の示す大人の男性性は物理的なムキムキさというよりも理屈っぽさ(ロゴス)、人為的な数字や言葉の世界、抽象的さ、形而上の理論をあらわします。つまり「女帝」の性質はその反対。魂を震わすこと(パトス)、自然でワイルドな体感の世界、具体的さ、形而下の実物をあらわすのです。

この「言葉」と「行為」、ロゴスとパトスの両方を備えバランスをとることが、ペルソナ4の世界で謎を解決に導くため必要だった最も根っこのものといえるでしょう。

 

『ペルソナ5』奥村春

 奥村春、高校三年生で主人公の通う秀尽学園の生徒。かなり後半にパーティーインするペルソナ使いの仲間です。

ファストフードチェーンを母艦とした大手外食産業の社長令嬢であり、父親が政財界への雄飛のために組んだ縁談でモラハラな婚約者がいます。数少ない肉親である父親のため、春は己の心を殺すのに慣れてしまっています。……ということで、表面の見た目はだいぶ違いますが、『ペルソナ3』の美鶴の「女帝」を変調した語り直しにもなっています。

仲間の中でも最後の方のパーティーインなので大胆なデザインが許されており、しとやかで女性的なコスチュームでおっぱいたゅんたゅん(マジでモデルが揺れる)ながら武器は斧(ポールアクス)、銃はロケットランチャーという冗談のような殺意の高さとヘビーさが華麗に「女帝」みを演出します。

 

薔薇の花嫁

 公式サイトの春の説明文を引用します。

私立秀尽学園高校3年。
大手外食メーカーの社長令嬢。裕福な家庭に育ち、
上品で世間知らずだが、その反面で人をよく見ている。
おっとりした外見と人あしらいの上手さから、普段は良好な
コミュニケーションをとれるが、生まれ育った環境から
受けた影響か、人間関係に価値を見いだせず、
他者との深いかかわりを避けてきた。

この顔で「人間関係に価値を見いだせず」はかなり珍しい冷や水パンチのきいたキャラクターですよね。春は「父の望む社長令嬢」を生きているため、「どうせ自分は(そして、誰もが)望まれたように使われて生きるしか価値がないのかな」と人間関係に対して諦めており、虚無いとこがあるのです。

「みんな力ある者に気に入られようとして自分を差し出す。人間関係はだいたいご機嫌取りばかり」と……。社会人になれば多かれ少なかれそういうのを経験しますけど、春は子供のころから浴びるように見てきてしまったのですね。じっさい父も婚約者も春を「物」扱いです。

 

 そして、春の普段の社会的ペルソナは「人あしらい」です。「お嬢様」としての上質な教養をひととおり身に付けさせられており、物質的余裕があり、そして人をよく見ているということは、人の性質や欲望を見抜き、それを上品に受けて流すことができるということです。

春のソトヅラに応対された人はだいたいみんなフンワリいい気分になれることでしょう。上流階級の女性に必要とされる資質ではあります。しかし、そこに春の本心はありません。見る人の心が映しだされるだけの、深淵の鏡、夜の海のごとき受け身の女性。まるで姫宮アンシー(『少女革命ウテナ』)のように……。

春の「奥村春」という名前の由来は平塚らいてう(言わずと知れた女性運動家。本名は平塚明(はる)、奥村博史氏と事実婚する)なんですけど、「姫宮アンシー(「anthy」はギリシャ語で「花ひらく」という意味)」と構成が同じでいいよね。一人で植物の世話してるのも同じです。

 

「母」の逆位置

 というわけで春はアンシーとかそれになぞらえられてる『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のミオリネとかと同様に他人とコミュらず一人で植物の世話ばっかしてます。ジャージで。最初は先生に世話を押し付けられたことから始まったそうですが、愛したら成長を返してくれる植物たちとの関係に不思議と癒しを感じドハマリしています。春のコープの取引メリットは「元気が出る作物(消費アイテム)」を育ててもらえること。

「土はお母さん」と春がいうように、生命の種を育み現実的な食物の実りをもたらし、われわれの生活を元気にしてくれる母なる大地の恵みこそ「女帝」のパワーです。

そのトマトはお母さんが作ったんだから(ミオリネさん)

 

 そんな母なる大地としての「女帝」の逆位置性質を表しているのが、春に対応する二人のボス「奥村邦和」「氷堂鞠子」(P5S)です。

 奥村邦和氏は春の父親、オクムラフーズのワンマン社長です。一代で企業を大きくし、次は政界進出を考えています。彼の歪んだ認知の世界では、会社の従業員たちは企業や個人の「成長」「躍進」のお題目のために搾取されては、無限に取り換えのきく「生産機械」として使い潰され廃棄されるというブラック労働の極みが行われまくっていました。

女神がもつこの貪欲な側面は、女性がその本来の王国をないがしろにするとき、すなわち関係性をないがしろにして権力に餓えるとき、いつでも表にあらわれる。そのとき彼女は本当に「人食い」と化すのだ。彼女の強さは、もはや繊細な愛の力パワー・オブ・ラヴではなく、耳障りな力への愛ラヴ・オブ・パワーへと変質してしまう。

――『ユングとタロット 元型の旅』p164

オクムラフーズは食べ物を通して幸せを与える会社という「女帝」そのものなのに、それが社員たちの幸せな生活のワークライフバランスを壊す矛盾。「女帝」があらわすのは「愛の力(Power of love)」であるはずなのに、奥村氏はそれが反転して「力への愛(Love of power)」、権力欲の亡者となってしまっています。亡者という言葉通り、「女帝」を定義づける有機的な生命の躍動を失ったかのように彼のシャドウの胴体部はすっかり機械仕掛けです。顔色も悪い(そういうレベルじゃない)

 

 氷堂鞠子氏は北海道札幌中央市(ペルソナ世界の札幌市)のやり手市長です。元は食品系の会社を営み、オクムラフーズとも取引があったため奥村氏と交流があり春が幼いときから知り合いです。春にとって優しくも厳しく強いステキな女性。表面的には「女帝」アルカナの理想像バッチリ、予告状でも「心が凍った偽りの女帝」と呼ばれ、春と対応させられているキャラクターです。

氷堂氏は市の職員の裏切りときたねえ贈収賄によって市のイベントで幼い子供を死なせることになってしまったことを強く悔い、決して不正を許さぬクリーンな街を作るため市民の心を支配していました。また市の職員たちに対し疑心暗鬼になってしまい(これは春もオクムラフーズの社員たちのご機嫌取りに対してそうなっていました)、「おまえもおまえも不正を働こうと思ってるんだろう! そんな隙がないようどこまでも厳しく酷使する!」と今度は市職員側に人死にが出そうなほど苛烈な指示を行っていました。

そのシャドウの姿はすべてを美しく止めて凍りつかせ、すべてを自分の腹に閉じ込めようとするテリブルマザー・雪の女王そのもの。『異聞録』の「女帝」アルカナの物語雪の女王編がここにきて効いてくる~~~~。

しかし、氷堂氏が完璧な支配と清廉に固執するのは、もとは市民たちを家族のように愛するがゆえ。不正に気付けなかったことで失われた市民の幼い女の子は彼女にとって自分の子どもも同じ、鬼子母神やデメテル女神がそうであるように、自分の愛し子を奪われた地母神は狂乱し、優雅な姿を振り乱してさまよい歩きます。

愛する子供たちをどうしても守ろうと必死になったとき、母は信じられないような大いなる力を発揮しますが、その視野はギュンと狭まります。抱き絞め殺してでも、自らの腹に戻してでも「家族」を守ろうとする狂乱の母が忘れてしまっているのは、それぞれ違う心をもった家族たちとのコミュニケーションです。

家族を少しも傷つけないためにその意思を無視する母は、かつて自分が春に、子らに言った愛の言葉を忘れていました。

「泣いてはダメ。立ち上がりなさい!
 これから辛いこともたくさんあるかもしれない。
 だけど立ち上がれば何度だってやり直せる。それを忘れないでね」

彼女の愛する子供たち、市民たちは、確かに弱く惑うことも多いでしょう。しかしひとつの試練も悲しい思いも与えてはいけないほど、立ち上がれなくなってしまうほど弱くはないはず……というか、たとえどんな結果になっても、母こそが、そういう子の成長を信じてやらなければならないはずです。

自分が責任を取ってでも「子供たち」を信じて本当のことを言うことにした氷堂氏を見て、春はオクムラフーズの関係者として、喫茶店の経営を夢みる者として、そして大人の女性として、また大事なことを学びとった……のだとおもいます。

 

 

 

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