湖底より愛とかこめて

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生者の掟―遙か7長政ルート感想

本稿では『遙かなる時空の中で7』の「黒田長政」個人ルートについて感想を言ったり考察したり八葉「天の白虎」の解釈をみたりしていきます。

 

遙かなる時空の中で7

遙かなる時空の中で7

  • 発売日: 2020/06/18
  • メディア: Video Game
 

 

 未プレイの方向けに『遙か7』をオススメする記事はこちら

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 『遙か』シリーズの中での『遙か7』のテーマ位置づけについてはこちら

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 『遙か』シリーズ全体で「八葉」に共通する核となるイメージについてはこちら

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 『遙か7』一周目のプレイは長政にしました。もとから『遙か』というかネオロマンスには誰が特に好きだぜ!ということを決めてかかることがなく、なんとなく入ったキャラのルートをクリアしては「ハァ~最高の男だったな!」「いや~すげぇ話だったな!」となって出てくることがほとんどなので、今作も例に漏れず誰を推しとかなく始めることになりました。

長政から始めた理由は三つあります。

●理由1:個人的感性

 立花慎之介に叱られるのがめっちゃコエー(小心者)ので、一刻も早くデレを見ておかないと肝がつぶれてしまうから

●理由2:八葉の性質

 天の白虎は「模範」「かくあるべき人間の姿」をあらわし(天の白虎にさだめられた性質についてはこちら)、トリッキーなひねりのない真面目ストレートなストーリーをまず見られるはずだから

●理由3:作品テーマとの関わり

 『遙か7』の全体テーマには「人の神/運命からの自立」があり(『遙か7』の他作品と比べたテーマ性についてはこちら)、人としての正道を地道に進む天の白虎の性質はテーマに近いはずだから

といったところです。理由2、3についてはピッタリと予想が合っていましたので、そのあたりについても話していきます。

 

 

長政のキャラクターデザイン

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 長政のビジュアルに織り込まれた「黒田長政的モチーフ」はみごとです。設定資料集を持っていないのですが、見た感じでわかることについて書いておきます。

まず第一に、近年『刀剣乱舞』のへし切長谷部などを通しても有名になった、黒田官兵衛(如水)からの黒田家の家紋「藤巴」の藤モチーフがあしらわれています。

個別ルートのメッセージウィンドウの地にも藤の絵が美しく、ストーリーでも父・黒田如水の逸話をからめて「見上げるべき美しい理想、希望」の象徴として藤の花が登場します。黒田如水が暗い牢から見上げていた藤の花は希望の太陽のようなものであり、長政の上衣の藤模様の「白地に金」は聖なる光を示す色合いです。「太陽の聖なる光」は天の白虎代々の属性です。

また、藤は白や薄紫で優美と高貴さをもつ花でありつつ、同じかたちの小さな花が規則正しく連なることで大きな美しさを発する花でもあります。個人的にはこれが長政の「統率」「鼓舞」「カリスマ(旗印)」という、一つ一つは小さな人間の力をまとめて強い隊列をなす力にとても合って見えます。

 独特の頭飾りは史実の黒田長政の有名な兜「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」に由来しているでしょう。この超トガッててカッケェー兜をあのスタイリッシュかつ力強くきらびやかなアクセサリーによく落とし込んだものだぜと顔グラ見るたび感動です。 

伊達政宗の三日月前立てが有名なように、戦国武将にとって兜および馬印は家紋以上のトレードマーク、「顔」のようなものです。力ある家の正式な殿様、責任を負うべき立場として、長政が概念上「常に兜を身に着けている」ような権威がアクセを通して常に伝わってきてすごい。顔のまわりにキラキラがあると東金千秋(金色のコルダ)が言ってるような「華」が増す。

 さらには肩のサイドにはこれまた太陽のような色合いの白地に金色の丸、これは黒田家のもう一つ有名な家紋である「黒餅」をあらわしてもいます。ただのベタ塗りの丸なので家紋っぽく見えませんが、それがまた藤とケンカせずデザインがうるさくならくていい感じです。

この黒餅紋は古くから、おモチは日持ちするし実りの豊かさをあらわすだけでなく、「こくもち」とも読め「石高持ち」に通じるため武士の加増を願う縁起の良いデザインとされてきました。

そして黒田家においてはやはり父・黒田如水が後年「両兵衛」と並び称された先輩軍師・竹中半兵衛からもらった、ふたりの絆の家紋です。黒田と竹中の絆は『遙か7』の長政ルートでも描かれていましたね。両家のつながりは特に松寿丸……のちの長政が殺されるところだったのを竹中半兵衛がかくまったことでよく知られていますから、ある意味長政自身が、黒田と竹中のつながりの証の黒餅であるともいえます。

 また、天の白虎のデザインの中では変則的にクセッ毛にデザインされています。これは地の白虎・兼続のデザインと対になる変則です。伝統的に天の白虎はクセのない、模範的にきちんとまとめられた髪形をしており、地の白虎はその逆にウェービーであったりしどけないダウンスタイルだったり、ちょっと風紀に反する髪形をしています。これは天の白虎が「優等生」地の白虎が「ちょい悪大人」の役割なことの表現です。

今回は戦国乱世なので、さしもの「優等生」である天の白虎も時代に合った模範的行動をするとわりと悪辣な手段をとることになります。ある意味今回の天の白虎である長政は「いつもより地の白虎寄り」であるといえ、それとバランスをとるように兼続も「先の時代を築く教育」をアツく志すなどいつもより天の白虎寄りです。長政がクセッ毛、兼続がシュッと整った短い髪形なのはそのバランスを含めたデザインに見えます。

 

長政のシナリオ描写

 長政のストーリーは政治色というか「上に立つ者たらんとする」という心の強さを求める色合いが強いものです。主たる者の覚悟とか突き詰められる乙女ゲーといえばパレドゥレーヌですが、そうした味付けはまあまあ珍しいのではないかと思われます(ネオロマ以外の乙女ゲームってそうそう手が出ないので全体の傾向は知らないのですが…)。

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『遙か4』でも乙女ゲーだと思ってやってるのに王として戦うことになってしまい厳しいよぉ(´;ω;`)という声が聞かれましたし、わりと「厳しい」が前面に出ているのではないでしょうか。共通ルートからバリバリ立花慎之介が煽ってくるので『遙か4』の忍人より厳しいです。

しかしネオロマンスにはわけもなく厳しくいたぶってくるドSキャラとかいないので、がんばってくらいついていくと筋の通った信念が見え、評価され褒められるとすごい重みがある、そんなこの仕事を続けててよかったなあ…と思わせてくれる上司みたいな燃えがあります。しかもこの上司はこちらの力を認めると心強い部下にもなってくれるわけで、ヤバい、激アツ。心の強い者どうしが認め合い、憧れ合い、守り合い、守られ合って戦う、ネオロマンスの真髄がここにあります。

恋としての「甘さ」の部分も「厳しさ」とうまくリンクしていてすばらしいです。デレに入ると厳しくなくなるわけでもなく、「厳しいからこその恋の気持ちの熱さ」「厳しいからこその切なさ」が十二分に描かれています。

『パレドゥレーヌ』の宰相やロドヴィックのシナリオが好きな人にはたいへんおすすめです。『遙か』シリーズでは泰明、勝真、九郎、泰衡、アシュヴィン、忍人、高杉、有馬、ルードのシナリオが好きな方にはよいかと。他ネオロマでいうと『アンジェリーク』のジュリアスやオスカー、エルンスト、『金色のコルダ』の月森、衛藤、吉羅、律、東金、冥加、長嶺が好きな方にはおすすめです。

 では、次項から長政の描かれ方のテーマについて書いていきます。

 

切り分ける父性

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 長政の役割は序盤からずっと八葉の中で最も「否定的」「威圧的」「怖い顔」で、煽りっぷりもこれに拍車をかけています。白虎ふたりともが序盤神子を認めず厳しい基準で試す目をしていました。これは「大人げない」試し行動ではなく、強い大人が安易に子供や弱者を利用しないというモラルです。白虎のもつ「大人」「強さ」という性質、また天の白虎の示す「正義」「父性」という性質です。

子供の欲望をすべて叶えるのがよい大人ではないのは当然のことです。親が子供の偏った食生活を諭してやめさせなくてはならないのはもちろん、子供が親のためにと思って義務教育を放って労働しようとしたり、危険や無残な失敗が目に見えている無謀な挑戦をしたりするのを、「好きにしたらいいんじゃね~」と放任するのは大人として無責任です。大人は適宜、「それはしてはいけません」「あなたは子供だからやめなさい」「あなたにはまだその力がありません」と否定すべきです。

大人や強者には子供や弱者を都合よく利用しない、善い悪いを評価し保護し監督する義務があります。まだ判断力に欠け、自分のことを自分で責任取る力がない未成年に肉体関係とか迫られたら、大人は相手の望みを利用してしまわないために拒否しなければなりません。『遙か6』の村雨は大人として、主人公を争いに巻き込んだり自分と恋愛ごっこしたりすべきでない未成年として守ろうとしました。その言動は子供側からすれば「自分の力を認めてくれていない」「これはだめあれはだめばかり言う」という否定にうつります。

まだ弱い存在である子供に対して、「そのままでいいよ」と弱さを肯定しまるごと抱きしめるのが母性ならば、「それはだめだ」「こうすべきだ」と否定するのが、天の白虎の司る「天なる父性」です。否定はすなわち「それは違う」「おお、できたか。いいな」という評価を切り分ける剣(輝く利剣は天白虎の金属性です)でもあり、この切り分けこそが人を天の白虎の示す「正しくりっぱな、理想をもった大人」に育てます。

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共通ストーリーで長政は主人公を「七つの童女」だ「覚悟が足らん」だ「俺の主にふさわしくない」だの言い、幻の火にたじろぐ主人公を煽り、やる気がねーなら帰れや!死にてーのかオラ!と何度もズバズバ切ってきます。しかしそれは「力も覚悟もない者が上に立ってしまう」ことが下の者にとって迷惑なだけでなく、分不相応な立場にある上の者にとっても不幸なことでしかないと長政が知っているからです。戦国乱世は下剋上の世であり、器量のない主が退かず上に居座れば満足なことをなすこともできず、下の者に無惨に討たれます。そこには血が流れ、誰にとっても不幸です。

現代でも、世の中をよく知らぬ子供を見栄えのいい旗印として大人が神輿にかつぎ出すことなどたくさんあります。だって子供とか弱者とかがチマチマがんばってるの、かわいくて美しくて民衆の溜飲が下がるもん。そうして利用された子供の青春時代は二度と戻ってこないし、たとえ子供が望んでいたとしても、ちっぽけな子供の意思などいつでも大きな力にぺしゃんこにされてしまうのです。そうやって弱い者が調子に乗って大きな歯車に潰されないようにどけるのも強者のつとめであり、優しさです。そして長政はそれを優しさというより「当然の倫理」だと思い、当たり前に行っています。

 

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 だから、長政に恋の相手だと思ってもらえるのは、「強い大人」になったときです。「強い大人」である男性が弱くて可憐な女性を守り、その線の細さにドキドキし、その微笑みに癒される恋物語は星の数ほどもありますが、本当は、恋をして結ばれることができるのは自立した大人と大人どうしだけです。そのことが長政ルートには繰り返し描かれています。

ふつう花を飾って思ったより似合っているぞっつったらキラキラドキドキしたイベントになるところを、「可愛らしいお人形さんみたいにしてたほうが楽なのでは~?(^Д^)」煽りである。徹底している。

恋の相手に「お父さん」や「お母さん」を求めてしまうようなことって、よく陥りがちです。確かにそれは魅力ですが、お父さんやお母さんと結婚することはできません。「お父さんとケッコンする!」と言うのは、「七つの童女」です。「父」のような厳しさとカッコよさをもつ長政と恋をするのは、彼を守るほど強い覚悟、彼と同じ遠い理想を追うたゆまぬ努力を得た、もはや父の壁ドンの影に包まれる童女ではないあなたです。

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ちなみに天の白虎は「父性」でありながら代々「まだ強い権力をもたぬ若造」感も描かれており、黒田官兵衛ファンである当方はニッコリ。さすがコーエーテクモわかってますな! 黒田官兵衛ファンからすると長政は真面目で青い息子のようなものですよ。

 

人の力と未来のみ

 長政のルート固有特技は「鼓舞」であり、味方全員の能力を上げる「カリスマ」の技です。市中に出た南蛮怨霊を一網打尽にする際も家中の兵を余さず使い、軍規違反を許さず、「ただの人間の力を束ねる」というテーマが表現されています。黒田でなく毛利の故事ですが「一本の矢ならたやすく折れても三本を束ねれば折れない」というように、一人一人が凡夫でも規律正しく束ねれば大きなことを成せるというのが、「軍略」や「法」、もっというと「人間らしい力」のひとつの本質です。この「人間らしい正道」「法の力」というのも天の白虎の性質です。

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長政は龍神が守護する世の理として八葉活動(ハチカツ)に参加義務を果たしますけど、人がなんとかできることは人の力でなんとかするんだよという信念をもっています。「人事尽くして天命を待つ」までもなく、天の理は正しく回っててくれればそれでよい、別に天が助けてくれなくても俺たちは見事に生き抜いて見せる、「日輪よ照覧あれ」、という態度です(さっきから毛利元就がちょくちょく出てくるな…)。

さきほど「自立した大人になる」ことが長政との恋のカギだと言いましたが、「ただの人の力で問題を解決する」こと、「自分のことを自分でやる」ということは一人前の大人としてのプライドであり、長政は「これは龍神や八葉の力でなく人間の勝利だ!」と言って黒田武士たちに誇りを与えます。「やればできる」「これは自分たちの力」という誇りを与えるということは教育や民主的な政治において重要なことです。自己効力感、というヤツです。

逆に長政は逃げて隊列を乱したもの、規律に背いたものを感情に左右されずに裁きます。これも「できたことを賞し誇りを与える」のとまったく同じことの裏面で、「一人が逃げたことは大問題である」というのは「一人一人の力が大事だと認めて信頼している」ことにほかなりません。さきほどの「否定し、評価する父性」という天の白虎の性質と同じように、「いいよいいよ」では示しがつきません。「示しがつかない」ってよく言いますけど何を示してんのかって「おまえたちの力を頼りにして尊重しているんだぞ」ってことをですよ。一人一人が、状況を変えていく力がある。戦のあとの論功行賞や裁きはそういう自覚と矜持を家中の全員にもたせるためのものです。

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自分の力が世界に影響を与えることができる、という自己効力感が正しく育たないと、人は前に進めなくなります。行動しても結果が出ると思わなければやる気が起きませんし、勝てるとカケラも思えなければ負けやすくなります。学習性無力感につつまれた人は「どうせ自分が何をやっても…」とどうどう巡りから抜け出せません(上記事は『FE風花雪月』での学習性無力感キャラクターの例です。)「現在」が「未来」を過去とも現在とも違うよりよいものに変えるという意識をもてなければ、生きていても過去の中ををぐるぐるとさまよう怨霊と同じです。

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未来へ進むことが生きている人間にできる唯一のことであり、力であり、誇りでもあると、長政は家中の皆と主人公に示します。光を皆にあまねく示すため輝いてみせるのが、天の白虎の力です。

 

 

生きる者の義務

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 長政は頻繁に「役目」のことを口にします。人間社会の地位や仕事に強く紐づけられているのは兼続同様、歴代白虎の特徴のとおりです。

長浜城での人質生活のことや信長に殺されそうになったことなどが早くから語られるように、黒田長政は綱渡りの出世道をいく父・黒田官兵衛の一人息子として幼い頃から務めを果たすことを求められ、やっと父が帰ってきてできたかわいい弟をやりきれない事件で亡くした…という人物です。長政は主人公にも己の役目を果たせ、覚悟し、投げ出すなと強く求めます。しかもそれは人情がわからぬ仕事ロボだからではなく、主人公を愛しく思いどこまでも二人駆けてゆけたら、離れずにそばに置けたら、と思っていても力強くそう言うのだとちゃんと示されているところが丁寧で、ドラマティックです。

一人一人のただの人間にちゃんと力がある、と長政が信じている以上、逆に言えば一人たりとも人生から逃げ出すことは許されません。自分一人くらい、という甘えを長政は決して許しません。信じて尊んでいるからです。長政が太陽であるのと同じように、人間はみな正しい行いでお互いを照らし合い、立派に生きてみせる義務があります。なぜなら、それが自分たちがよく生きていくための道だからだけではなく、死んでいった者たちへのはなむけでもあるからです。

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死んだ者には何もできません。『遙か』の世界では怨霊としてブイブイやっているようにも見えますが、基本的に怨霊は過去の世界にとどまってグルグル生者の足を引っ張るだけで、新しい未来に行くことはできません。長政はとどまる死者の念ごときに生き残った者が勝てぬはずがない、と家中の者たちを叱咤します。これは乱世を今まで結果的に生き抜いてきた我々のほうが力も運も意思も強いはずだ、という意味でもあるし、そうでなければ死者が浮かばれないだろうという意味でもあります。

長政だって「弟はなぜ死んだのか」とか、周りの者が死ぬたび運命について考えたことはあるはずですが、それに対して彼は「生き残った自分が強く生きていかねばならない」という答えを出したのです。生きている者の力が死者を乗りこえていくことこそ死者の魂へのはなむけであり、死者の無念に対して長政は「勝ってやらねばならない」。それが、屍の上に生きて立っている者の義務です。

 

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 生者には、死者の屍を踏んでその上に築かれる社会をよりよいものにしていく義務があります。その努力を放棄することは許されぬ恥知らずであり、一人前の大人のすることではなく子供のわがままです。「神の力」をもって「最強の力」とか「争いのない楽園」とかそういう非現実的な夢に一足飛びにたどり着こうとするカピタン・モロの誘いに惑わされてしまった黒田家中の若者たちは優しい子たちだったのでしょうが、自分で考え、地道でもくじけず、先人が築いてきたものの上に理想を一つずつこの世に積み上げていくという天の白虎的な苦労から逃げたから長政に怒られたのです。

「楽園など、あってたまるか」。――そんな安易なものがあるなら、なぜ人は今まで幾千年も苦しみながらよりよい世を目指してこなければならなかったというのか? どうして皆もがいて死んだのか? 思考停止して一見楽な道を行こうとすることは死者に対する、人間の文明の営みに対する侮辱です。まさにカピタンは死者を愚弄し、人と神との関係という人が苦心してきた文明を侮辱しようとしたのです。

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理不尽な世界はゴーズオン、しかしそれをひといきに変えようとするのは力ある者の傲慢と邪悪であり、弱い民衆の愚なのです。

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十二国記シリーズ『図南の翼』にも、少女が誰か立派な王が現れてくれるのを待つのでなく自分が王かどうかを問う苦難の旅に出たことを「義務だと思ったからよ!」と言うせりふがあります。「世の中が変わる」というのはどこか遠くで絶大な力をもった誰かがやってくれることではなく、われわれ一人一人がどんなに小さな歩みでもやらなければならない義務です。長政ルートの「『超人的な強い誰か』でなく、一人一人の生きた人間の正しい努力だけが未来を変えていく力である」というテーマはたいへん民主主義的なことです。ここのところは『遙か6』の村雨ルートとも似ています。

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生きている命である限り、われわれには選挙権ももろもろの参政権、デモや言論やらの自由もあります。それがときに重荷で、誰かに投げ出したくなるかもしれない。長政と結ばれた後も主人公が乱世静謐のためにずっと努力していくように、われわれも生きている限り考え続け、キツくても自分の一人の生者としての力を義務を果たしていかなければならないのです。長政がそう信じてくれたのですから。

図南の翼 (となんのつばさ) 十二国記 6 (新潮文庫)
 

 

闇を祓う銀の弾

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 「一人一人の人間の力」で「置かれた状況を生き抜いていく」ことを信じている長政は、すなわち過去をウダウダ思うことをしません。なぜなら過去や宿命や超人間的な力というのはもうど~~~~することもできないし、そんなこと気にしてるヒマがあったら明日が少しでもよくなるように考えろや、時間の無駄、と考えるからです。

この「評価し終わった過去のことはもういいから、前を見て今をどうにかしろ」という厳しさは彼の気性の気持ちのよさにつながっています。長政は厳しいけれど改善されたことは屈託なく褒めるし、過去の因縁を恨まないし、さっきめっちゃ怒っていてもスッパリと切り替えて笑うし、ほんと根に持たないいいやつです。

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こういう根に持たなさは天の白虎共通の、『遙か5』の小松のキャッチフレーズ「合理的」という美点です。「合理的」はときに「誰にでも同じ対応」「冷たい」のような悪い印象をもたれることもありますが、平等であり、晴れやかです。まあこのいいやつに三成はずんぶん嫌われたもんだぜ。なんでそんな嫌いなの?同族嫌悪じゃね?

 

 善悪を切り分ける、鋭く輝く刃物、あるいは矢じりは天の白虎の金属性の象徴です。『遙か3』の譲が破邪の矢で怨霊だらけの壇ノ浦の淀んだ気を貫いたように、長政には悪魔を祓うシルバーバレット…銀の弾丸が託されました。銀はヨーロッパでは聖なる力をもった悪魔除けとして古来から珍重されましたし、実際に銀イオン(Ag+)は悪魔じゃないですけど抗菌作用をもつ「清潔」の物質であることはご存知の通りです。

清潔、すなわち破邪顕正こそ天の白虎の力であり、白く輝く金属性でもある銀の弾丸が長政の銃で放たれることには特別な意味があります。また、長政の武器であるマスケット型の銃は当時最新鋭の技術的な武器であり、銀の弾丸は西洋の宣教師から日本人司祭結城の手を渡って長政に託されたのだと改めて考えると、「小さな人の力の集合」が強大な悪魔を祓ってみせたのだと感慨深いものがあります。

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絶望と哀しみの海から それは生まれ出る
地に希望を 天に夢を 取り戻すために生まれ出る
闇をはらう銀の剣を持つ少年
それは子供のころに聞いた話 誰もが笑うおとぎ話
でも私は笑わない 私は信じられる
あなたの横顔を見ているから

(きただにひろし/突撃軍歌ガンバレード・マーチ)

 

人の時代

 『遙か7』の構成は共通5章までと、個人ルートの章の二部でなっています。共通5章で、いったんエンディング演出が流れるというのが今回印象的です。長政が「俺たちは浮世の務めを果たさねばならん」と言うように、主人公は『無印』の主人公がそうしたように「龍神を呼び、五行の流れを正す」という根治を行って、ざっくり言えばそこで「龍神の神子としての務め」を果たしたことになります。今回はその「大きな務め」を果たした後に、個人的な「その後の物語」が続き、そこではじめて恋っぽい恋が発生してきます。この構成がメッチャいいし現代ネオロマンス的だな~!とおもっていまして。

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「(長政と)恋ができるのは、一人前の大人だけ」とさきほど言いましたが、一人前の大人ってのは長政ルートでわかるように恋で務めを放り出したりしません。「恋か!?野球か!?友情か!?」とかみたいなのは中高生がやることであり(まあ主人公は高校生なんですけど)大人ってーのは最低限のやるべきことを果たして、ちゃんと地に足つけた土台をもって、だからこそ大事な人やものを対等に大事にできるものであるべきです。

ちょっと昔までは女性は一人前の大人としての経済力をもった仕事があんまりできなくて、やむを得ず結婚という進路を選択するしかなく、そんなわけでわりとしょうがねえから結婚相手と愛し合うことがハッピーエンドと教育されてきました。女性の恋愛にはサバイバルのための欺瞞や依存がふくまれ、男性もそれを利用してきました。そういうのを昔は恋愛だって呼んできましたが、時代は変わりました。

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(↑「恋」とは自分だけの選択であり、大人になるということである、みたいなタロットの記事です)

そうするしかないからではなく、人として自立したうえで、本当に大好きなものを、自分の意思で選ぶ。恋とはそういうものであってほしくはないですか? 女性の自由、という観点からだけでなく、男性が人を愛し愛されることからみても、当方はそうあってほしいとおもいます。

『遙か7』は、人と神の問題を調停し、神から自立して、人の足で歩いていく物語です。

それはすなわち、大人として役目を果たし、他者への幻想や依存と適切な距離を取り、そうしてはじめて、一人一人の自立した大人として恋をする、これからの恋物語への祈りでもあります。

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↑同じ「神からの卒業」「自立」というテーマが描かれているのが昨年のコーエーテクモのシナリオ『FE風花雪月』の紅花ルートです。↑

 

白虎の八葉は、強い大人としてつねに主人公を翻弄し、導き、守ってきました。そんな「年上」の「先生」と恋するのに、生徒の女の子のままでいるのはもうおわりです。

「童女」を卒業し、自立した強く艶やかな大人となって、自分の足で走って彼らを助けに行き、くらいついていくのです、長政がどんなに馬を飛ばしても!

それが、長政の夢みる、人が人として手を取り合う世界の恋のおはなしです。

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 この次はむさしくんをクリアしましたので、また忘れないうちに吐き出しにこようとおもいます~! こんどは宗矩やります~!

 

遙かなる時空の中で7 トレジャーBOX

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