湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

奇跡の美酒(マヌエラ・カトリーヌ・マリアンヌ)―FE風花雪月と中世の食⑨

本稿は2021年6月に発行しました『いただき! ガルグ=マクめし副読本 -フォドラ食物語-』が完売してだいぶ経ったため、一部をWeb再録するものです。『いただき! ガルグ=マクめし』の中の関連キャラクターの項と、二次創作小説をセットでどうぞ。

※『奇跡の美酒』は照二朗の書いた小説となります。挿絵イラストは表紙と同様マルオ先生によります。末尾にはWeb再録にあたって解説コラムコメントを書きなおしています。※

booth.pm

www.homeshika.work

 

キャラクターの食の好み分析

今回の再録の主役はマヌエラとカトリーヌ!

マヌエラの基本データ

好きなカテゴリ・苦手なカテゴリ

肉と辛いものが好き、魚もけっこう好き。あたくしお酒を飲むし甘いお菓子は遠慮するわ。

好きなメニュー(18品)

肉料理すべて

満腹野菜炒め

魚と豆のスープ

豪快漁師飯

フィッシュサンド

二種の魚のバター焼き

パイクの贅沢グリル

辛いものすべて

ガルグ=マク風ミートパイ

キャベツの丸煮込み

 

苦手なメニュー(10品)

サガルトのクリーム添え

ブルゼン

桃のシャーベット

タマネギのグラタンスープ

赤カブ尽くしの田舎風料理

煮込みヴェローナを添えて

魚介と野菜の酢漬け

ゴーティエチーズグラタン

雑魚の串焼き

ザリガニのフライ

 

特記事項

甘いものはベリー風味のキジロースト(つまり肉)以外苦手。

好きな食べ物も嫌いな食べ物も多いほうで、つまみ感のあるものだけでなく食いでのあるものを好む健啖家。

 

絢爛なる帝都の酒場

 マヌエラはバルタザールと並ぶ「食の享楽」と「飲兵衛」のグループの代表です。塩辛い肉魚など味濃いめの酒肴料理で酒を飲み、かつボリューム多めの料理を好みます。お菓子、豆もない野菜メインなど、食べごたえがなく旨味が少ないタイプの料理を出すと「センセイ、あたくしの分も食べる? 体型の維持も楽じゃないのよね」と楽しくない食事に割り当てるカロリーはニー! と言ってきます。確かに、おいしくないダイエット食品や健康食品を食べていると「人生でできる残りの食事回数は限られてるのにおれはいったい何を…」とおもう気持ちはわかります。マヌエラ先生は自分の好きに生きるのだ。

「酒飲み」の好みと「大人の味」好みなどは一致するところもあるため、ハンネマンとは好みが完全に真逆ということはありませんが、好き・苦手の全体の傾向を見ると対照的です。ハンネマンが正式なコース料理のようなラインナップだったのに比べ、マヌエラは居酒屋とかバルとかのカジュアル楽しい美食で揃えてきています。どうやら「魚介と野菜の酢漬け」はカルパッチョやシメサバよりも薬膳に寄った料理のようです。

 

 ハンネマンとマヌエラの二人はもともと帝都に住んでいたので、帝都の大人の生活をうかがい知ることができる貴重なサンプルです。同じ都会的な洒脱さでもハンネマンは上流階級の、マヌエラは街場のものであるようですね。どちらも自分の好みに沿ってかなりの選り好みをしており、豊かさを感じさせます。

帝都は(ドロテアのような物乞いの少女がそれなりに生きていけるほど)気候や食糧事情がよく、かつ聖セイロスが授けた上下水道建設などをもとにした高い技術力で貴族屋敷以外でもおいしい料理が発展していると考えられます。その証拠に、マヌエラという「料理や家事を職業にしているわけでもない平民のキャリア女性」が趣味で高い料理の腕前を誇っています。これは調理環境や道具が発達して広く出回っているから可能なことなんですよ。ガルグ=マクは当時最高の調理環境を備えているはずなのでいろんな料理が作れますが、古い調理環境では料理はめちゃめちゃ時間のかかる奴隷のような重労働だからです。

マヌエラの「これは素晴らしい料理ね帝都の店に出しても恥ずかしくないくらい」や、ドロテアの「食事中に口説かれるのは苦手」といった言動からして、帝都には高級な美食レストラン的なものが既にあるようです。当たり前のことを言っているようですが「酒場」以外の外食産業メインの店という文化はかなり新しいもので、なんと現実世界でのまともな普及はフランス革命以後のことです。ペトラとアッシュ、イングリットとユーリスの支援会話やラファエルの後日談で市井の大衆食堂が出てきますが、それらはみな純粋レストランではなく宿場に付属した設備でした。

富裕層は別にそんな店がなくても自分の家か、あるいはゲストとして招かれた席でおいしいもの食べてるんですよ。レストランの発展はすなわち市民文化の発展です。

それに中世の都市社会ではギルドという制約もありました。豚肉ギルドは鳥肉ギルドの、煮込み料理ギルドはパン屋ギルドの領分を侵してはならなくて、つまりカレー屋がカレーパンとか勝手に売れないってことですよ、ギルドの管理が強ければいろんな食材を料理して出すことを商売にするのはムリムリです。もしかしたら帝都では進んだ政策として、織田信長で有名な「楽市楽座」(座とギルドは似たものです)のような独占禁止法を実施しているのかもしれないですね。それならば経済は活性化し、外食文化は大きく発展するでしょう。

 

 マヌエラは生来さまざまな才能に恵まれ、帝都の豊かな資源、学問、技術、市民文化を受けて大人になったダイアモンドのような才媛です。その強い心はドロテアと同じように男たちの熱狂を受けても少しも曇らず歪まず、きっと帝都のいい店でパトロンと接待デートしたとしても遠慮せず食べて飲んだことでしょう(そういうこともあって嫁に行くことはなかった)。マヌエラという一人の市民は救われたり選ばれたりする人ではなく、自ら好きなものを選べる人で、そして世の人を教え救って主に愛を返していく道を選んだのです。

マヌエラは篤い信仰者でありながら、ある意味エーデルガルトがそうであってほしいと願った帝国人の理想の姿なのかもしれません。

 

カトリーヌの基本データ

好きなカテゴリ・苦手なカテゴリ

大人の味と肉魚が好き。甘いものとまずいものは苦手。

 

好きなメニュー(18品)

ダフネルシチュー以外の肉料理すべて

タマネギのグラタンスープ

赤カブ尽くしの田舎風料理

魚と豆のスープ以外の魚料理すべて

激辛魚団子

大人の味すべて

 

苦手なメニュー(5品)

ザガルトのクリーム添え

ブルゼン

桃のシャーベット

雑魚の串焼き

ザリガニのフライ

 

特記事項

基本的に酒飲みおっさんだが、好き嫌いの少なすぎるディミトリと不思議と好みの一致点が多い。

 

活力の酒・濃い味料理

 カトリーヌはダフネルシチュー以外の肉魚、大人の味料理を好みます。ダフネルシチューや魚と豆のスープは普通なことを考えるに、あっさりした素材そのものの味よりバターやラードやチーズを使って旨味を引き立てる濃いめの味付けが好きなのだと考えられます。

例の、お貴族様たちがなにこれ?となりがちな「赤カブ尽くしの田舎風料理」が好きなことだけは浮いているようにも見えますが、おそらく田舎風のニンニクの味付けが好きなのではないでしょうか? 現代ではガッツリした料理の味付けに欠かせないだけでなく台所にマストな香味材料であるニンニクですが、中世ヨーロッパでは田舎の農夫たちはタマネギやニンニクをたくさん食べるから息が臭くて卑しい、とされていました。ネギ系の香味野菜に含まれる硫化アリル、切ってるときに涙出ちゃう刺激物質のせいですね。

タマネギとニンニクはいうまでもなく地面に近い根茎植物でもあり、その点でも貴くない食材とみなされました。しかしその硫化アリル系の香味、酒が進むんだよなあ。ねぎ塩とか。マヌエラは食べるのも飲むのも大好きという感じでしたがカトリーヌは本格的に酒飲み・ガテン系のあんちゃんそのものですね。

 

 カトリーヌが「好きなものを食うと気合いが入るねぇ!」と言うように、肉魚チーズのタンパク質や先述の香味野菜、そして酒には体に活力を与え血行を促進し、人間を活動的にさせる効果があります。すなわちスタミナメニューです。スタミナ効果は「人間を慎みの欠けた行為にはしらせる」としてお上品な層には嫌われた(そういうお上品さ代表のローレンツと真逆のカトリーヌ・マヌエラに支援会話があるのがおもしろい)のですが、カトリーヌは大人の中で最も精力的なタイプです。野外任務が多く、雨にも降られやすく、そんな今の生き方を好んでいるカトリーヌには、たとえ下品でも体を熱く燃やす情熱と活力が必要です。

なおかつ高貴の生まれで美しいものが好き、音楽鑑賞が趣味など地の審美眼が高く、味が良くないものには敏感。ガテン系のあんちゃんなのに、父親のこと「父様」って呼ぶ。このギャップがカトリーヌの魅力的なところです。

 

『奇跡の美酒』

 カトリーヌがその小さな村に到着したとき、季節は春で子供が畑の草をむしりながら戯れる声が聞こえてきていた。

 羊の放牧が再開した村の外の野原を越え、まだ荒野のようにがらんとした麦畑の合間を分け入っていくと、あちこちで何人かずくで草の根を引っこ抜いては土だらけになって笑っている子供たち、畑を耕してむしり終わった草を犂きこんでいる大人たちの姿が見えてくる。

 皮鎧姿に気付くと一瞬騎士におののく人もあったが、カトリーヌと気付くと安心して一礼した。家々の間を敷き詰めるようにところ狭しと区切られた種々の野菜の畑らしきものの向こうに、真新しい教会が見える。その前に、べそをかく子供の洟(はな)をふいてやっている、修道女というにはやたらに派手な風体の女がいた。

「来てやったよ、マヌエラ」

 派手な女は喇叭(らっぱ)の音が聞こえるように顔を上げ、泣きぼくろの目をばちりと見開いた。立ち上がるとカトリーヌと並ぶ長身で、長い羽織の裾が踊った。マヌエラであった。

「待ってたわ、カトリーヌ。どう、あたくしのお誘い? とっても楽しい案だと思ったでしょう?」

「はん、他のセイロス騎士団の男にも声かけて断られてからアタシんとこに話がきたの知ってんだからな。かわいそうだから付き合ってやるけど、長年騎士団にいたやつらはだいたいアンタの性質がわかってるんだから、長旅に付き合う奴がいると思うかねえ」

「あら、ごあいさつだこと! ……まあ、まあつまり、カトリーヌもあたくしの働きを労ってくれたくなった、ってことよね? 女同士ぱあっといきましょうよ」

「……まあ、アンタには世話になってるというか、よくやってくれてるとは思うからね」

 話している間にもマヌエラの手は優しく洟たれ小僧の頭を撫でていた。この洟たれ小僧はカトリーヌがマヌエラの運営する学校に連れてきた戦災孤児の一人で、数年前は物心もついていなかったからそのことはもう忘れている。マヌエラはこの旧王国領と旧帝国領の境目ほどにある村に教会と学校を開き、近隣の孤児や学びたい貧しい子供を集めて教えていた。各地を旅するカトリーヌは、戦後しばらくの間は特に王国で身寄りがなく困っている弱者を保護することが多く、マヌエラのもとに送り届けていたのだった。

「んもう、子供たちを教えるのは楽しいからなにも苦労じゃないのだけれど、あたくしが本当によくやってるのはね、ここの食事に耐えていることよ! そうじゃなくて?」

「ああ、それは手紙でさんざん聞いたってば。しょうがないだろ、ここいらは食べ物が王国なんだから」

「そうなのよ、でも、困っている子たちがたくさんいるのは実際旧王国地域なわけだから、この村を拠点にしたあたくしの判断は間違っていないのよ……。だから、あたくしには華麗な旅行休暇が必要というわけ!」

「先生、行っちゃいやだ~!」

 静かにしていた洟たれ小僧が再び泣き出した。マヌエラはしゃがみこみ、子供のまるい頬を両側からむちっと押さえた。

「シャルル、あなたは今年から先生がいなくてもみんなの畑仕事のお手伝いをするの。先生がそばにいなくても宿題ができる! そうでしょう?」

「うん……」

「一人前の大人になる練習をするのよ。そして一人前の大人には時としてすてきな休暇が必要なものなの。あなたも自立した一人前の大人になったら、先生の結婚相手候補に入れてあげてもよくてよ」

「うぅ……、ウン……」

 シャルルはぐずりながらなんとかうなずいた。こいつの結婚相手候補になるのはなかなか危険だぞ、とも思ったが、何に人生を捧げたいかは個人の好き好きか……と思い直してカトリーヌは流した。

 

 大樹の月からは本格的な農作業が始まるからあたくしはお呼びじゃないのよね、と道中マヌエラは話した。学校を始めてから初めての休暇をとって、カトリーヌを護衛兼道連れの友達としての、美味を求める旅行だ。都市や教会を見物する巡礼の旅や、未知への冒険を求める者や傭兵など、自由な旅自体を住処にする流れ者ならわかるが、完全に娯楽として旅をするという考えはカトリーヌにもなかったので、やはりマヌエラの発想力の豊かさには恐れ入る。

「子供たちは農作業の繁忙期にはその仕事を手伝って学ぶでしょ。秋や冬のあいだはみんなよく勉強したし、今節から新年度の魔道学院と、あとフェルディナントが官僚学校を試験的に始めたでしょう? それに合格するためにがんばっていた子たちも無事、区切りがついてね。畑をみんなが勤勉に耕し始めたらあたくし、汚れるばっかりで邪魔になるもの。みんなが冬の間休んでいたのの代わりにこれから休むことにしたの」

「汚れるのは家の間にあんなごちゃごちゃに畑を敷き詰めるからじゃないのか? あれ、指示したのアンタだろ」

「よくわかったわね、新しく畑の計画を立てるのは得意よ! ごちゃごちゃって言うけどあれで効率よく成果は上がってるんだし問題ないじゃない。皆あたくしに指示を仰ぎにくるんだもの。
 ……その畑のことでね、今回の旅の目的は美味しい食事だけじゃないの」

 マヌエラは幌馬車の中で溌剌と話していた顔を険しくした。御者席にいるカトリーヌは背中を向けているが、それでもわかる表情の大きさだった。さすが元舞台女優である。

「あのね、あたくし料理をやるでしょ? だからある程度食材を美味しくすることはできると思っていたのよね……」

「おお。確かにマヌエラの料理は美味かったよ」

「ありがとカトリーヌ。でもそれって傲慢だったのかもしれないのよね。だって料理で無限の美味しさを作り出せるのは、調理法や食材の組み合わせが無限だからでしょう」

「あ、ああ~……」

 カトリーヌはマヌエラの話の流れを察して半笑いになった。カトリーヌも、名家の育ちとはいえ一応ファーガス人である。

「王国の調理法と食材、いくらなんでも幅が狭すぎよ! 特にこれからの農繁期なんてね、聞いてちょうだい?」

「聞いてる、聞いてるしだいたい言いたいことはわかる」

「キャベツ、豆、タマネギ、雑穀、何かの根茎、川魚、豆、豆、そして、キャベツなのよ。それを煮るの! 味付けは塩と豚脂。もちろん子供たちのおなかを満たすのにはいいわ。あたくしも好きよ。主の恵みに感謝だわ。でも、でもっ……」

「はーいはい」

「お酒が……美味しく呑めないのよ……ッ!」

 カトリーヌは自分が(男騎士の次に)旅の供に呼ばれた人選の理由をよく理解した。カトリーヌはマヌエラと同じく酒呑みである。しかも、食材の豊富でないファーガスの中でも肉や香辛料を不自由なく手に入れてきた名家育ちで、美食家というのでもないが、要するに無意識に「舌が驕って」いるほうなのだった。

「わかった、マヌエラ。アンタ、農繁期で自分の出番はないとかなんとか言ってたが、一番の理由はあれだな? 冬は塩漬け豚と林檎酒なんかがよく出たけど、これからは野菜と豆粥ばっかりになるからだろう」

「もうっ、別に嘘をついたんじゃないけど、ご明察よ。今のうちにこれからのことを考えておかないと、あたくしおばあちゃんになる前に干からびてしまうわ」

「これからのこと?」

「さっき言ったでしょう? 新しい畑を作るの。料理に彩りを出すためのね」

 はん? とカトリーヌは続きを聞いた。後ろでドタバタと音がし、肩の上からマヌエラのらんらんと光る眼が覗きこんだ。

「あたくしたちの村の、葡萄酒(バクス)を作るのよ!」

 かくして旅は、「酒呑み女二匹、バクス紀行」となった。

 


 ――オグマ山脈の麓、まだ薄雪の残る寒い村の酒場。

「ッはー、やっぱり乾酪(チーズ)料理は温まるし、おいしいチーズがあるだけでお酒は格段においしいわよね。うちでもこういうガツンとした味のチーズが作れないかしら?」

「これくらい味と香りが強いと、赤の重みにも合うねえ。なあおやじさん、こういうチーズはやっぱり熟成が難しいのかい? あっアタシは次麦酒(ビール)をもらおうかな」

「熟成~? ど~せ細かい条件と手順を守って理学でじっくりってハンネマンみたいなことしないといけないんでしょ」

「アンタねえ、そりゃたぶんバクスだって同じだっての。無理なんじゃじゃないのか葡萄酒づくり?」

「えっ! や、いやぁねえ、あたくしの教え子にはそういうのが得意な子もいるもの! ところでこの具チーズと燻製豚(ベーコン)と合わさってほくほくでおいしいわね。これ何かしら?」

「皮むいたカブだろ。このへんじゃ大きいのがとれるからさ。アタシはもっと大蒜(にんにく)が入ってるほうが好みかな」
「まーッ、カブ! やるじゃないカブも」

 

 ――ガルグ=マク大修道院近隣の村、狩人の小屋。

「ごちそうしてくださってありがと。お礼に、おみやげにする予定だったこのいい白バクスをふるまうわ。あたくしたちもけっこう呑んじゃうけど」

「へえ、野外用の小鍋やら、串も鉄板まであるんだな。えっ、その鍋、チーズとバクスを煮るのかい? ははっ、昔実家で食べたことあるソースだ。こいつは驚いた。このあたりの料理だったのか」

「まあーっ、野性的な料理だけど、すばらしい高級感じゃない! たき火でこんな帝都の店みたいな凝ったソースが食べられるなんてね。ねえ、このふつふつとしてきたものに、お肉をちょいとつけて……アッ! はふっ、……~~ッハァ~! 白に合うわぁ~!」

「おいおい、食い方が下手なんじゃないのか? よっ、おぉっと……、……うん! なんだか記憶より美味い気がするねえ。兄さん、あんたの狩った肉が美味いせいなのか? ……え? ああ、そっか、アタシたちが持ってきたバクスを入れたもんな。いつもと味が違うのか」

「そうよね、いい白バクスを入れたんだからそりゃあその白に合うはずよねえ。……ということは、よ? 入れるお酒によっていろんな味のおつまみになるってことよね、燃えてきたわあたくし! ねえお兄さん、チーズがどんなものか教えてくださる?」

 

 ――旧同盟領に入ってすぐ、葡萄畑と林檎畑の村の宿場。

「ほら、やっぱりバクス煮にするだけで美味しさが段違いじゃない? 赤も白も呑むだけじゃなく日々の料理に必要よ~。大修道院のウサギの串焼きが懐かしくなっちゃうわ」

「あれは美味かったね! 酒で肉を漬けたり煮たりは柔らかくなるし、甘い香りが移るのがいいね。この煮込みも、間引きした小さい玉ねぎにもよく酒と牛の味が染みてるよ。あ~、明日もマヌエラのお喋りに付き合う気力が湧いてくるねえ」

「ちょっと、馬を御すのよりあたくしと話すほうが疲れるっていうの? 退屈かしらと思って楽し~く話してるんじゃない!」

「悪い、悪い。じゃあさ、アタシが退屈かと気遣ってくれるなら、明日の朝は剣の鍛錬にでも付き合わないか? こんな肉といい重さの赤を飲んだら、なんだか気が昂っちゃってね」

「それはいい考えね! カトリーヌにはかなわないけれど、あたくし子供たちにちゃんと剣も教えているの。体型も維持できるからね。こんなぷるぷるのお肉とよく寝かせた濃い色のバクスで栄養を摂って鍛錬したら、お肌もますます輝くに違いないわ」

「街の酒場の赤のバクスってふつうは色が薄いよな。ちゃんとした教会の醸造所で作ったものはそれぞれのいい色をしてるんだ、くらいにしか思ってなかったが。さすが同盟は平民も質のいいものを競って作るもんだ」

「ここの宿場のとっておきはこの旅でいちばん赤色が濃いわよね。なのに苦くないし澄んでる。高級で、薬としてもいいとされてるのは赤なら色の濃いものよ。傷口の治療や発熱の養生のときには色なんて気にしてられないけど。見てると、この場でも周りのみなさんが注いでるのには、薔薇色だったり、白バクスでもないのに色がないものもあるわね。そういえば、ほんの子供だった時分に周りの大人が飲んでいたのもそうだったものだわ。お安いのかしら? あたくし平民の出だし」

「作り方も違うのかな? ま、これからいろいろ知ってそうなヤツのとこに行くことだし、聞いてみるか。
 ……ところでこれ、宿代の割にはやたらたくさん肉煮込みが来た気がするけど。……おおい! 料理長! この煮込みは牛だよな? ……ええ? 腱の肉なのかこれ? いけるもんだなあ」

 


 食べつ、飲みつ。女二匹バクス紀行は旅の主要な目的地として、フォドラで最も多種の酒の集まる場所へ着いた。それはかつては爛熟の帝都アンヴァルであったものだが、当世となっては、別の港町にその地位を移していた。

「あの、先生方。こっちです」

 街の賑わいの中でそう大きくない声がなぜか耳に届いたと思えば、聞いたことのある声でいやに一生懸命な呼びかけだったからだった。広場から酒場や宿場のある通りのうち一本に入っていくところに、二人ともが見知った貴族の女性が立っていた。周りの市民たちがへりくだって礼を取っていくので、姿も浮かび上がって見えた。

「あら! わざわざ出迎えてくれたの? 忙しいだろうに悪いことをしちゃったかしら」

「いいね、元気そうじゃないか。次期辺境伯どの」

「そ、そんな……わ、私はまだ補佐官の補佐官で、そんなでは……」

 女性は目を閉じ顔の前に両手をかざして額まで赤らめた。正式にエドマンド辺境伯家の嫡子とさだめられた、マリアンヌであった。すぐにマリアンヌは初手で卑屈に恥じらってしまった自分に気付き、改めて姿勢を正し二人に礼をとった。

「マヌエラ先生、カトリーヌさん、お久し振りにお目にかかります。マリアンヌ=フォン=エドマンドが、当家の主に代わりお二人をお客人として歓迎いたします」

「えっ、堅苦しいのはなしにしといてくれよ。なんだい? そんなに話が大きくなってるのか。この女は美味いものと酒を呑みたいってだけなんだよ」

「ちょっと言い方がアレだわね、『だけ』って何よ! ねえマリアンヌ? ほんとに、あたくしたちとっても目立つ美女たちだから市民のみなさんの注目を集めてお邪魔になってしまうわ。どこか店に入らない?」

「あ、はい……! 珍しいお酒のたくさんあるところ、ご案内します。こちらへどうぞ」

 マリアンヌは控えめな仕草で先導をはじめた。「珍しいお酒」から始まる言葉の流れにスイッとついて歩き出してしまってから、客人二人は遅れて目をまるくした。

「マリアンヌが酒場を案内してくれるってさ。家を継ぐことでにっちもさっちもいかなくなってたら、何かの騒動にまぎれて連れ出してやろうかとかも実は思ってたんだが、心配なかったな。立派になったじゃないか」

「背筋も伸びて素敵よマリアンヌ! でも、どうしてあたくしたちを見つけられたのかしら? こんなに大きな港町で白魔法のように目の前に現れるんだからびっくりしてしまったわ」

「お手紙をもらったことを話しておいたので、外門の連絡係の人が先生方を通したのを教えてくれました。それで、ええと……、この時間は、あの通りが一番、なんというか」

「人の流れがあるの? さすが、マリアンヌは補佐官のお仕事で街の兵たちやお商売をよく把握してるのね」

「いえ、あの……。……こんなことを言うのは、ためらわれるのですが」

 マリアンヌは主に懺悔するように胸の前で指を絡ませた。

「この時間、あの通りが一番……肉と香辛料と脂を焼いたりするにおいが強いので……」

 二人は、やり手と名高いエドマンド伯の跡継ぎとして成長しているマリアンヌの読みの確かさと、自分たちの挙動のじゃっかん恥ずかしいわかりやすさに口を開けたまま顔を見合わせた。

 


「……と、まァ珍しい酒の集まる場所に来てみれば、だ。確かにそうだよなあ」

「ちょっと、ちょっと……。結局お邪魔することになっちゃったじゃないの。酒場とか、酒屋に案内してくれるわけじゃなかったのね? ほんとにいいの?」

「いいんです。養父(ちち)は別の仕事で今、邸(やしき)にいないので、ご挨拶できず残念と言っていました……」

 マリアンヌが使用人たちに人波を割らせてあれよあれよと二人を歩かせてきたのは、エドマンド辺境伯の邸の応接室だった。

 部屋の扉を開けさせてすぐ、マリアンヌが奥の壁に駆け出して行ったと思うと、窓掛けのように垂れていた布を横にざららと開いて見せたのだ。その暗所には整然と瓶が並んでおり、マヌエラは思わず縦横の数を掛け算しようとしたが、途中でよくわからなくなったのでとにかくたくさん、と勘定した。言うまでもなく、エドマンドの良港で取引された無数の銘酒の標本であった。

 掛け布を開いた空気の流れで、布の向こうの暗所からほのかな冷気が流れてきた。暗く、涼しく、しっとりとした空気の、バクス倉と同じ環境。布の内側にはマリアンヌの得意な冷気の魔道による加工がされているらしく、マヌエラにはピンときた。あのハンネマンったら学生時代からマリアンヌにちょっかいをかけて、研究している魔道具とかいうのに協力させてるのね、それともマリアンヌが協力させてるのかしら、と。

「念のために確認しておくけど、あたくしたち、別に大口の取引をするとかではないのよ? 社交辞令にしたってエドマンド伯には利益はないと思うのだけど」

「おう、よく確認しとくよ。世の中、調子に乗ると後が怖い」

「あ、すみません……お客様を不安にさせてしまって。
 マヌエラ先生、本当に気にしないで、ふつうに……お好きなお酒を買っていってください。葡萄畑のための苗も、そのお好みに合うものを取り寄せさせます。養父もそれが嬉しいと思っていますので。私もです」

「えっ、素敵、やだ……ッ、もしかして辺境伯、あたくしのことを……? あたくしには学校と子供たちが……」

「いや、葡萄畑をやれって話なんだからその流れはおかしいだろ……」

「あ……、あの、養父は、『マヌエラ先生に葡萄畑をやってもらうのは投資だ』と……」

 マリアンヌはあわててマヌエラの勘違いから話を取り直した。マヌエラは顔を険しくして、その流れではなかったのね、とつぶやいた。

 使用人たちに水とバクスを差配して二人に供させつつ、マリアンヌは続けた。

「養父は最近よく、教育が重要だと言うのです。
 私、マヌエラ先生が学校を始められたことは、頼る人のない子供たちを守って幸せにする、主の御心に沿うことだと思って、すごいと思います。でも、それだけではない……らしい、です。養父が言うには、『若者を育てるのにいい品を贈るのは、土地にふさわしい葡萄の木を植えるのと同じ』と……」

 少し震えながらも、マリアンヌは養父の言葉を言い揚げた。同時にバクスが玻璃(ガラス)の杯に注がれ終わり、水面がなめらかな波紋を描いた。マリアンヌの詩の朗読のようだった声にだか、バクスのみごとな色にだか、カトリーヌはほうと嘆じた。

「……含蓄のある言葉だ。さすが聖人言行録みたいなことが口から出てくるんだな、やり手のエドマンド伯って。よくわからないのになんか感動したぞ」

「あたくしは辺境伯のお心がわかったわ」

「ほんとかよォ」

「つまりね、あたくしが呑むことで……フォドラが変わる! ってことよ!」

 まだ呑んでもいないのに歌劇の振付けのように拳を振り上げたマヌエラをカトリーヌは半目で見上げた。マリアンヌは群生した小さな花がほころぶように笑った。

「ふふっ、たぶん……そうです。なので、いろいろ試していってください」

 

 最初に注がれたのは清水で黄色い花を溶いたような白バクスであった。白といっても色合いはカトリーヌの金髪より濃く、樽での熟成が進んでいることのわかるものだ。当代でもっとも上等な種のバクスとはこういう白である。

「どうぞ。エーギル産の白バクスです。今年で二十年熟成……になるみたいです」

「これよこれ。これは熟成がとっても上等のものだけど、お酒といったらこれのことをいうのよね。帝都で間違いのない種類のものはこれね」

「はーん、帝都じゃそうなのか。確かに上等の酒っていうとこういうものとは思うけど、ファーガスじゃやっぱり酒と言えば麦酒か林檎酒だし、バクスも赤が多かったかな」

「これや、帝国南部産の銘柄の一部は、聖マクイルが帝国の人々にお授けになった技術のひとつだと言われている、伝統的な白葡萄と製法で作る……あの、セイロス教にも大事な、聖なるバクスです。今もずっと貴族に人気があって……」

「そういや、昨日の宿はこれに似た白の辛いのが出たねえ。熟成の若いやつだったのかな。同盟でも作ってるのかい?」

「あ、はい……。ええと、東方教会の司祭様たちは、お酒造りの技術に長けていらして……。力のある商人が知識を授けていただいて畑を作りはじめてるんです」

「へえ。東方教会、中央への発言力やら武力やらがないから影が薄いと思ってたが、同盟じゃそういう方法で影響力をもったほうが強いってことか……。なるほど、塩ほどじゃないが酒なしじゃやっていけないものな。したたかなもんだ」

「桃や焼いた乳酪(バター)みたいな力のある芳醇さだわ。果汁や蜂蜜なんかを混ぜても合うだろうし、こんな豊かなお酒が村にあったら毎日幸せよ……。これの葡萄、育てられないかしら? やっぱり伝統の製法は難しい?」

 マヌエラに尋ねられてマリアンヌは少し顔を曇らせた。あわてて覚書きのための紙と小筆を取り出して、マヌエラに質問を返す。

「あの、それでなのですが、マヌエラ先生。マヌエラ先生が住んでいらっしゃるあたりというのは、その……気候、というか……」

「あ、そうよね! 『土地にふさわしい葡萄』と辺境伯もおっしゃったことだしね。作りやすいものは場所の条件によって違うわよね。うーん、なんて言ったらいいかしら?」

 それからマヌエラは自分の学校のある村の気候風土をあれこれ説明した。帝国と王国の南北のはざまにあること、王都以北ほどではないものの帝国や同盟の平野部よりも明らかに寒いこと、土地の広さや薪や水には現状困っていないこと、現地ではいろいろ混ぜ物をした麦酒と少しの林檎酒や梨酒を作っていること……など。

 マリアンヌは(だいぶごちゃごちゃとした書き方ながら)マヌエラの話をできるだけ聞き書きし、おおかた終わると横に控えていた役人風の男に目配せをした。役人風の男はマリアンヌに耳打ちをし、壁際の保管庫から数本の瓶を運んできた。迷いのない動きに客人二人はおおおと感心した。男はどうやらエドマンド家付きのバクス知識に関する専門家のようなものらしいのだった。

「先生の住んでいらっしゃるところと似た条件の、旧同盟領産のバクスがこちらです。ええと、その……、あまり、いい見本ではないというか……なのですが……」

 注がれた二杯めはうすい薔薇色をしていた。旅の途中でも話題になった「薄い色の赤」で、二人は思わず屈んで色を覗きこんだ。

「これこれ、エドマンドの酒屋さんに行ったら聞こうと思っていたのよ。たいていの赤はこのうす薔薇色で、高級なものはとても赤いわよね。白も熟成させると色が変わるけれど、これはほんとのところ何の違いなの?」

「より赤いものが高級なのはその通りです。ええと……長く発酵をすると、色が濃くなるので、旧帝国の名門の醸造所や、東方教会の修道院の……設備が整っているところでしかできないみたいです。だから、高値で」

「あ、そうなの……。なるほどね、発酵を長くするのは保管して熟成するより難しいでしょうから、庶民には無理ね。どれどれお味は……」

 ひと口でスルリと杯を乾してから、マヌエラは悲しげに肩を落とした。

「うーん。あまりおいしいとはいえないわね……確かに葡萄のお酒ではあるけれど、香りが薄い感じだし。ちょっとベリーのような、同盟らしい華やかさがあるかしら? 贅沢を言わなければこれでもいいのだけど」

「たくさん飲むには悪くないけどね。発酵が短いってどのくらいなんだ? 大修道院では長く発酵させてたってことだよな」

「修道院や、理魔法を調整して使える人がいつもいるようなところだと、たくさん発酵ができます。この薄い色のものだと発酵は一日とか……」

「一日! でも、確かにそれなら手軽な値で流通させられるわねぇ」

「もっと安いものだと、葡萄を二番、三番搾りくらいまで搾って作るそうです。搾りかすで作るものもあるみたいで、街ではそれも売られていますね……」

「それも喉が渇いたときには必要かもしれないわね。でもそれじゃ麦酒と変わりないかしら……」

「それで、今のものに同盟風に加工を加えたものが、こちらなのですが」

 三杯めは二杯めとほぼ同じ色ではあったが、何かの微細な粉のようなものが混じったか少しだけ光を通しにくくなっていた。見た目でいえば少し悪くなったともいえた。しかし杯を手に取った時点でもう感じる違いに、マヌエラは体を揺らして反応した。

「まあ、まあ、刺激的で、とっても官能的な香り! まさしく同盟風だわあ!」

「いいねえ! この干し無花果(いちじく)をつまみにもらっていいかい? はあー、酒に香辛料を入れたことは何度もあるが、こんなに音楽みたいな香りの組み合わせは初めてだよ。甘くて、こくがあって、ぴりっとして……。肉にも合わせたいね」

「よく発酵させたバクスもですが、こうして香辛料で香りづけしたお酒も、流行していて……。香りが弱かったり、あまり評価がよくないお酒も、香料との合わせ方によってはよくなるみたいなんです。養父もお酒を加工して価値をつけることには関心があるみたいで、専門の調香師を募ったり……」

「なーるほどね! それってあたくしの得意分野だわ。もっと聞かせてちょうだ……、ハッ!」

 上機嫌で香酒をパカパカと吞んでいたマヌエラが急に目を見開いて止まった。

「いえいえいえ、だめよ。あたくしたちの村までこんな豊富な香辛料が届くわけなかったわ。届くころにはすごいお値段になっているわ。お料理にさえ肉桂(シナモン)と黒胡椒くらいしか使えてないこと忘れてたわ……」

「そう、なんですよね……。あと……、お話をお聞きしたかんじと、地図からすると……、葡萄の実を熟させるには少し……寒すぎるかもと」

「まあそうだよな。旧帝国領に行けばたいした世話もなくても勝手に実ってる葡萄畑をよく見るが、王国で大きな葡萄畑なんて見たことがないものな。小麦と同じでそこはしょうがないのかもね。昔からやってない畑は向いてないからやってないってことだよ」

「ええー! じゃあ結局あたくしのバクス作り計画は初めからご破算だったってこと? ちょっとばかり大変かもとは思ってたけどどうにもならないとは思ってなかったわ」

 突っ伏しそうになっているマヌエラの反応を見て、マリアンヌはあわてて言葉を探した。出してきた瓶のひとつを手にとり、新しい杯を勧めた。

「あの、すみません、どうにもならないということも、ないかもしれなくて……。これがお気に召せばと思うのですが……」

「どうにかなるかもしれないのね? 飲むわ!」

「忙しい奴だな……」

 マヌエラは音が鳴るほど鮮やかに顔を上げ、マリアンヌに勧められた白バクスを飲んだ。

「ふわ! これは……えっ?」

「なんだなんだ?」

 急にあおったひと口を鼻から出さんばかりの顔をしたマヌエラをおもしろがってカトリーヌも杯を手にとった。見た目はごくふつうの軽い色の白である。杯の中の香りをきいたときに事はおこった。

「ん、ンン? あ、これアタシはだめかもしれん。なんだいこの香り? 絶対知ってる匂いだけど、飲み食いするものの匂いじゃない気が……」

「あたくしわかったわ! これ、樹脂よ!」

「樹脂飲んだらまずいだろ!」

「わあ、お二人ともすごい……。マヌエラ先生、そうなんです。これは、松の樹脂で香りづけがされているみたいで、その……、マヌエラ先生のお住まいより、もう少し寒いところで作られたものなんです。だから……」

 マリアンヌはその白バクスの詳細をくだんのバクス専門家に説明させた。

 いわく、そのバクスはスレンを経由してエドマンド港に入ってくることのあるアルビネ産のもので、アルビネは王国と同等に北にあるため葡萄酒を好んでも葡萄を完熟させることが難しい寒い気候である。完熟していない葡萄は当然甘みが少ないために酒精を作りにくく、したがって保存しづらく酸っぱい品質の悪いバクスになってしまいがちで、それを防ぐために、かつては輸送のため器に塗られていた松の樹脂を添加する製法が伝わっている、と。

「なるほどねえ。やっぱり『なければない!』とか『向いてないから無理!』とかではないわね。人間だもの。教育すればなにかしらできることがあるわ。あたくしはこれ気に入ったわよ。これならうちの村でも作れる可能性があるのね?」

「えー。もの好きだな」

「あら、食べ物は好みだもの。万人向けである必要はないわ。尖ったものでも誰かが好きでしょ。人と人と同じよね。あたくしを好みあたくしに好まれる男性もどこかにいる……カトリーヌだってレア様が大大大好きなわけだし……」

「おい、聞き捨てならないな! レア様は誰にとっても最高のお人だろうが!」

「レア様がだめって言ってるんじゃないわよ! ただレア様はみんなの大司教様だったわけでしょ? ご苦労も誰より多かったし、カトリーヌがレア様を大好きでいることって、どこも無難な選択じゃなかった。きっと大変なことも多かったと思うのよね……、そういう話よ」

「そりゃまあ……、……うん……」

 カトリーヌは黙り、ちびりちびりとだけ松脂酒を舐めるように飲み始めた。

 静かになった二人がしみじみと飲んでいるところに、マリアンヌは緊張しながらも語った。

「養父は、言います。『若者を育てるのにいい品を贈るのは、土地にふさわしい葡萄の木を植えるのと同じ』……。マヌエラ先生の葡萄畑を応援させてもらえば、今まではバクスを諦めていたみなさんの生活に、バクスを作る文化や、……飲みたい気持ちが生まれます。
 先生のもとからフォドラに出ていく子供たちは、きっと……立派な大人になりますから、きっと商品を買ってくれたり、新しい何かを作ったりする人になるはずです。その人たちがいろんな種類の美味しいものやきれいなものを知って、欲しいと思ってくれれば、フォドラに取引が増えます。
 そうしたら、フォドラに富と幸せがたくさん増えて……、少しでも、身寄りのない子供たちや、貧しくてつらくて不安で自分のことしか考えられない……人たちが、なんとか、なれる道が……増えるんじゃないかと。私は、そういうことだと思って……」

 


 マリアンヌ=フォン=エドマンドが、人の欲望と言葉を飼い慣らし自領の経済力をフォドラ内外のため活用する能弁な政治家であったことはよく知られている。そんなエドマンド辺境伯のもとにも、その他フォドラの大小の勢力にも学校長マヌエラ=カザグランダは豊富な人材を輩出した。その中に美食家やバクス評論家といった新しい種の職業の萌芽といえる人物たちもいたことは興味深い事実である。

 彼らはなんと教師であるマヌエラと、かの自由騎士カトリーヌとともにたびたびフォドラの美食を旅し、また失敗を繰り返しながら自分たちの独特のバクス醸造所を発展させた。

 技術や食の愉しみが教会や貴族だけのものでなくなっていった時代、彼らの奔放な試みは人々に少なからず意欲を与えた。その後の時代の華やかな市民活動にも、「松脂飲みも好きずき」というマヌエラの言葉は、あらゆる挑戦をうながす言葉としてたびたび引用されたという。

 

コラムーフレーバードワイン

 中世、近世などには現在よりも頻繁に香料や果汁などを加えた葡萄酒が飲まれていました。水で割るとか、お砂糖を加えるとかも。純度の高い酒を作るのが難しかったこともあるんですが、今よりも飲み方が自由だったともいえます。現代はサングリアかグリューワイン(クリスマスなど寒い時期に飲む、スパイスと甘みを加えたホットワイン)、ワイン系カクテルなどに整備されていますね。

作中のアルビネ地方のモデルとみられるイギリスやその他のヨーロッパの地域では、実際に輸送に使われたワイン甕に保存用に塗られた松脂を起源とする松脂フレーバーのワインが今も作られています。

もちろん、気候土壌による葡萄の育ち方、膨大な数の品種、醸造家のとりくみなどによって、ワイン自体が千差万別のアロマを醸しだします。ワインの味を決めるのはほとんど土地や水やその地に育つ品種で、そうそう自在に変えることはできません。醸造家の人間はそれを乗りこなしたり、活かし方を考えたりします。

まさにこの現代にも、戦争や経済的打撃でヘコんだ土地の復興に関して、ワインに期待がかけられていることがあります。同時に、いわゆる先進国のお金持ちがお金をばらまく代わりに特定の地域から安くていいワインを買いまくることで、その土地の資源を取り返しのつかないレベルで吸い上げてしまう……という問題も現在進行形でおこっています。サトウキビやアボカドのプランテーション農業の問題とも似ています。

ワインは風土であり、困難との戦いの跡を残す歴史だといえます。舵取りの難しい問題を含んでいるからこそ、無二の個性が生まれているのも事実です。

 

小説裏話

 タイトルはマヌエラの二つ名「奇跡の歌姫」より。

 『紋章×タロット フォドラ千年の旅路』のほうでも話しているのですが、マヌエラは平民のため紋章をもたないにしても大修道院のスタッフの位置取りとして「聖マクイル」と対応して描写されているもようです(ハンネマンとマヌエラの外伝でハンネマンに対応するインデッハの名を冠した騎士団ともう一つ、マクイルの名を冠した騎士団が入手できるなど)。マクイルの紋章は「魔術師」のアルカナに対応し、「奇跡」とは魔術師の領分です。

 奇跡っていってもいろいろニュアンスがあるのですが、マヌエラの場合それは宗教的聖人がおこす厳粛なものというより、才能のひらめきや複数のものをフィーリングでミックスさせて新しいものを創造する女優としての力や料理上手さなどをさしています。こういう、混沌からまったく新しいものを作り出す!というのが、「魔術師」アルカナの表す「奇跡」です。「料理」というものにはそういう性質がありますよね。マヌエラ、厳密に軽量とかしなきゃいけないお菓子作りは苦手そう。わかる。

 

 自分照二朗が今回の本のために書いた話はみんな戦後ですが、基本的にどの国が勝ったルートなのかとか先生が男性なのか女性なのかとか、誰と誰がペアエンドソロエンドするのかとかのプレイヤーそれぞれの部分はすべてご想像におまかせできるように書いています。しかし、カトリーヌだけは別です。カトリーヌはレアが生存している場合、ソロエンドだと生涯をレアを守ることに捧げます(「赤き谷の守り手」)。したがってこの話に登場する「自由騎士カトリーヌ」はレアとの死別を経験している「自由の剣」ということになっています。つまり実質銀雪ルートってことか……?

 戦後数年が経ったこの話のカトリーヌは、レアとの別れののち数年を弱きを助け強きをくじく流浪のヒーローとして過ごしています。彼女の心もその暮らしの中折り合いがついたでしょうか? 作中では彼女がレアを大好きであることも軽い話題として出てきます。また、序盤でマヌエラ先生と結婚したがる幼児に「何に人生を捧げたいかは個人の好き好きか……」とギャグ的にカトリーヌが思う場面がありますが、これはカトリーヌ自身が紆余曲折あったとはいえレアにすべてを捧げたかった半生についての遠い感慨でもあります。この「好き好き」である自由が、今作のテーマである幅広い市民活動の自由さです。すでにその上に生きている運命、土を変えることはできないけれど、そのうえでおいしいものを作ろうとどうにかこうにか自由にやっていこうとするワインと同じように。

www.homeshika.work

 後半から登場するもう一人のキー登場人物・マリアンヌはこの二人に取り合わせるには意外なメンバーですよね。多様な葡萄酒のことを聞くには港町の交易所、という実際的な理由もありますが、マリアンヌのもつ「獣の紋章」の性質は「悪魔」アルカナに対応し、それは作中のマリアンヌで描かれた迷う人間の弱さや無力感や妄信だけでなく、後日談に描かれるマリアンヌが活躍したような「弁論家」も表します。なぜなら「言葉を使った交渉」というのは人間の弱さや揺らぎ、「欲望」を喚起してうまいこと飼い慣らすものだからです。フォドラでの葡萄酒の呼び名「バクス」はローマ神話で陶酔の欲望を司る葡萄酒の神「バックス」からきていると思われます。酒や嗜好品は欲望の商品であり、「悪魔」のカードがあらわす欲望は悪いばかりのものではなく明日を生きる活力になるのです。

www.homeshika.work

 さりげなくカトリーヌがマリアンヌのことを案じていたというセリフも入れ込んであります。シルヴァンが特別マリアンヌに寄り添うような支援があったように、辺境伯の子女であるマリアンヌには重い責任の圧がのしかかっています。カトリーヌの実家カロン家もまたもともとは王国の伯爵家の中では特別の名家でした。カトリーヌの場合不運な紆余曲折があって実家を捨てることになったのですが、「築き上げた大きな立場をぶち壊す」ということはカロンの紋章に対応する「塔」アルカナの表すことでもあります。「悪魔」のカードの次が「塔」です。カトリーヌはマリアンヌが塔に閉じ込められどこへも行けなくなっているなら塔に雷を落として彼女をさらい降ろしてやろうかとも思っていましたが、マリアンヌは自分で自分の足枷をとって歩き出すことができるようになっていたのですね。よかったよかった。

 エドマンド辺境伯の言葉を捏造するのもたいへん楽しかったポイントでした。比喩を駆使するのも「悪魔」アルカナの詐欺めいた話術の得意技です。「若者を育てるのにいい品を贈るのは、土地にふさわしい葡萄の木を植えるのと同じ」、ここには、対ローレンツや対レオニーの支援会話でも描写があった士官学校に学びにいくマリアンヌに趣味のよい持ち物をもたせたエドマンド辺境伯のことも入っています。学生時代のマリアンヌは養父の持たせてくれたものが自分にはふさわしくない、趣味が良くても自分に関係はない、と思っていましたが、それでも上質なものを知っているということは、いつか心の畑を育てる助けとなるのです。

 

全キャラクターと各地域の食分析本の読みやす版、頒布してますよ

booth.pm

 

↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

www.homeshika.work

↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます

 

あわせて読んでよ

www.homeshika.work

www.homeshika.work