本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「カロンの紋章」とタロット大アルカナ「ⅩⅥ 塔」のカード、キャラクター「カトリーヌ」「リシテア=フォン=コーデリア」との対応について考察していきます。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。
以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。
『風花雪月』の紋章がタロット大アルカナ22枚のカードに対応している作中の根拠とざっくりしたタロットの説明、各アルカナへの目次はこちら↓です。
紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。「タロットカード同梱版」と「書籍のみ版」のみお求めいただけます。
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FE風花雪月、紋章とタロットの対応記事シリーズの書籍化・頒布時期を決定!
— 湖底より愛とかこめて―ガルグ=マクめし副読本 (@GargMac_meshi) 2021年4月23日
イラスト担当のpuccapucca02(@puccapucca02)さんの描く、華やかかつ重厚な解釈の乗ったタロット大アルカナ22枚の物理カード同梱版も頒布予定。
「死神」のカードの全体像はこの記事https://t.co/0DjQvMcf0fの末尾で! pic.twitter.com/iMoyTXdPe5
当ブログで読解記事を書く紋章も残り少なくなってきました。「Ⅱ女教皇(聖セイロスの紋章)」「Ⅷ力(ブレーダッドの紋章)」やDLCで登場した紋章、「ⅩⅪ世界(炎の紋章)」などは書籍のために書きおろしますので、今回の記事を入れて残りは3つ……ってことになりますね。
というわけで今回は怒涛の終盤の前の中休み的に、アンナさんと先生というイレギュラーを除けばなにげに唯一「メイン所持者が生徒ではない」珍しい紋章を読み解いていこうとおもいます。
その人は、セイロス騎士団聖騎士・カトリーヌ氏。堂々たる「カロンの大紋章」を持ちます。
紋章、十傑カロン。
対応するアルカナは塔、
対応するキャラはカトリーヌ、リシテア=フォン=コーデリアです。
リシテアの場合はグロスタールの大紋章も(おそらくこっちをやみうごに無理矢理付与されて)もつため、「隠者」のアルカナのほうがどちらかといえば性に合うようですが、それにしてもあまりにキャラの違う二人です。性別ぐらいしか共通点がねえように見える
しかし、「紋章は人を選ぶ」ため、いくら血縁があって遺伝子の表現型が合おうと、性分が合わなければ発現することはありません。そこには、二人をつなぐ「塔」の意味があります。
「塔」の元型
まず「カロンの紋章」と対応する「塔」アルカナのカードの中心的意味をみていきましょう。
「塔」のカードです。
カードに象徴として描いてあるモチーフは、かならず「王冠を戴いた塔」の「頂上部が破壊される」シーンです。「雷」あるいは「天から降る不思議な力」によって塔は壊れ、塔の上層階にいたとみられる「二人の人物が逆さに投げ出され」ています。たいへんな状況なのに、「神の恵みをあらわすポワポワしたもの(マナ)」が中空にたくさん注いでいるのも地味に特徴的です。
明らかに災難をあらわすカードですが、かなり意味深でもあります。普通、建造物としての塔の頂上にデカい王冠があるなどということはありませんよね? 黄金のうんこを戴いたアサヒビールタワーじゃないんだからよ。
つまり、この王冠は比喩です。何の? そしてこの災難に、なぜ神の恵みっぽいものが降り注いでいるのでしょう? 神様見てるなら助けて。
先に「塔」のアルカナが中心的に表すことを言ってしまいますと、
「妄信と傲慢の暴走を、破壊して止めて『もらえる』」
という段階です。以下、塔アルカナの意味は赤字であらわします。
この「塔」が何を象徴していて、王冠はなんの比喩なのかには、すこし異なるふたつの代表的解釈があります。
まずひとつには、この塔は「バベルの塔」的な元型であるというもの。
「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
— 「創世記」11章1-9節
「バベルの塔」は、人間のテクノロジーが神や永遠に届こうとする傲慢を神がうち砕く(そしてそのせいで人間の言語は民族によって異なることになり、意思疎通や団結が困難になった)という神話です。この場合、塔の上の王冠とは「人間が自分の作ったものを神だとして冠をかぶせた傲慢さ」をあらわし、自分じゃその暴走王冠をどうにもできない、もう止まらねえ人間に対して、神の雷がしっかりせえや~(スパパパパン)と叩き落としてくださった、ということですね。雷や周りのポワポワに使われている明るい黄色は黄金の光、いい意味の恩寵を意味する色です。
ちょうどひとつ前のアルカナ「悪魔」では、悪魔とは人間の心の弱さがまねく偽りのよりどころ、偽物の神様であると述べましたが、「塔」では偽物の神様を信じていよいよ突っ走った人間がストップをかけられ、しかしスピードに乗りすぎてたもんだからドンガラガッシャーーンと壊れるしか止まりようがなかった(The END)という状況になってしまったわけです。
「バベルの塔」以外のもうひとつの解釈でもこの「偽物の神様のようなもの」は関係してきます。この塔はもうひとつには「神の家」と呼ばれます。「神の家」といえば、ふつうキリスト教の教会や病院の呼び名ですよね。このカードに描かれている塔はとても教会や修道院には見えませんが、よって、「神の恵みの注いだ建物」と考えることもできます。
塔から転がり落ちていく二人の人物は、この塔で偽物の神様のようなもの、自分たちの心を外から守ってくれる強固なカラとなってくれる依存先(すなわち、それ自体が「塔」という堅固で高層な建物なんですが)を信仰していたんでしょう。つまりここは彼らにとっての「神の家」であったわけですが、ほんものの神の恵みパワーがその家のカラを破壊し、彼らの心を解放した……という、ダブルミーニング神の家になってるんです。
こう見てみると、これだけでもいかにも『風花雪月』作中のセイロス聖教会のてんまつを思い出させる寓画であり、「一貫してセイロス聖教会(レア)のため戦う者」カトリーヌの運命を思わせます。
リシテアの塔ー天才児
リシテアはカロンの小紋章をもっています。もともと当方はリシテアの紋章をカロンのほうがやみうごに付与された後天性の紋章だとおもっていたのですが(①リシテアの家は同盟の名門であり、縁戚関係になりやすいのは同じ同盟のグロスタールの紋章の家であること、②カトリーヌとの支援会話でカロンの紋章を持っていることを言い当てられて驚いていたこと、二点の理由から)、
上記事でコメントでいただいた③カロンの小紋章はプロフィール公開されていること、そしてなにより決め手は④グロスタールの紋章のほうは大紋章であることの二点を加味すると、どうやらカロンの小紋章が生まれ持った紋章であるように考えられます。お詫びして訂正?というか意見替えいたしますね。リシテアが紋章を言い当てられて驚いていたのは、のちにカトリーヌが「誰がなんの紋章もちか雰囲気でわかる」「あんたグロスタールの紋章も持ってるな」と言ってくることへの布石と考えられますね。
同じくやみうごに紋章を付与されたエーデルガルトや十傑たち、あるいは聖人に直接紋章を授けられたジェラルトやユーリスの例をみるに、直接外から付与される本来的な紋章は大紋章であり、小紋章は遺伝的副産物のかたちで出るみたいです。コーデリア家とカロン家はどちらも勢力の中ではフォドラ中央のガルグ=マク大修道院に近しい家なので、長い歴史の中で血縁が結ばれたのでしょう。英雄の遺産をもった本家ではないので別にどこの紋章だろうが関係ないですしね(作中では結局グロスタール用の杖はリシテア砲となり大いに役立ってくれるわけですが)……。
さて、「隠者」のグロスタールの紋章に合った性質としては、リシテアには「この世の真理を見通す力を」という俗世を厭う内面の求道者の性質がありました。コーデリア領およびフリュム領でやみうごの生体実験の実験台になった若者はたくさんいたようですが、かろうじて成功をみたのは強くグロスタールの紋章的な性分をもつリシテアだけでした。
それでは「塔」のカロンの小紋章的な性質は、リシテアのまた別の面をとらえています。リシテアの求道ともうひとつの個性は、「天才児」「神童」であることです。それも、ほっといたら「早逝」してしまう……。
驕れる者
「塔」のカードの読み取りに、「早逝」はともかくとして天才児や神童というリーディングはけっして一般的ではありません。じゃあなんでそのキーワードが出てきたのか?
ここでちょっと別作品を見てみます。
伝統的にタロット大アルカナをキャラクター造形のモチーフとしている「ペルソナ」シリーズには、3~5まで3人の「塔」アルカナモチーフのキャラクターが存在するわけですが、このメンツがみごとにカトリーヌ・リシテア・リシテアみたいなことになっていておもしろいんですよね。つまり『ペルソナ4』と『ペルソナ5』の「塔」アルカナにあたるキャラクターがリシテアっぽいというわけなんですが、その二人は小中学生の才気走った男の子です。
彼らは体が小さく、しかし周りから群を抜いて優秀な才があり、プライドが高く、それゆえに周りと話が合わないし合わせるのもバカらしいと思っており、孤独なところがあります。本当は純真で繊細で理解者を欲しがる子供なのですが、自分が無力な子供であることを嫌っており、早く大人になりたい、強くなって誰にも負けたくない、負けてはならない、という焦りの強いあやうさのある性格です。
ハイ、リシテアと同じですね。
このように、未成熟な体や経験や心の上に頭でっかちな才能や理想の冠を高く高く戴き、その不安定さを堅い鎧で覆っている早熟な少年少女はまさに「塔」だというわけです。
ペルソナ4、5の彼らにはさらに「支配的な親」の要素もあり、子供を自分の成果物や持ち物のように扱う教育ママや毒ママが彼らを覆っている強力なレンガの外殻にもなっているという構成です。リシテアの場合パパママは特に支配的ではないよい親のようですが、話にはけっこうよく出てきます。「苦労続きだった年老いた両親に静かな余生を送らせてあげたい、そのために早く一人前になりたい」と。リシテアが立派な大人になろうとする動機のよりどころは両親であり、また、リシテアの年齢で父母をそんなに年寄り扱いするということはリシテアはけっこう遅くにできた子供で大事に大事に育てられてきたのかもしれません。
そして彼女が「塔」である両親と自分の身の上にしてあげたいことというのが、これまた「塔」の意味である、身分という堅い殻からの解放なのです。
名門貴族という壮麗で堅牢な塔を壊して、領地の支配者であることもなにもかも返上し、彼ら家族はラクに、自由になる。それがタロット大アルカナで最も不吉な災害カードである「塔」のもつポジティブ・イメージです。
地の底の「塔」
実は、リシテアのカロンの小紋章を後天的なやみうご付与のものだと思っていたのには、さきほど述べた「①リシテアの家は同盟の名門であり、縁戚関係になりやすいのは同じ同盟のグロスタールの紋章の家であること、②カトリーヌとの支援会話でカロンの紋章を持っていることを言い当てられて驚いていたこと」以外にももうひとつ理由がありまして。それはカロンの紋章に対応する「塔」の意味が、やみうごによくハマるからだったんです。まあその「やみうごから実験を受けた」というのもリシテア自身の塔エピソードと見ることができるんですが。
やみうごは地底人なのに高い塔とはこれいかに?
そもそも「塔」のカードに描かれている塔、バベルの塔的なアレは、現代でいう「超高層ビル」のような「自然のありかたに逆らって人類の叡智と技術力を誇示するゼ!!」という神をも撃ち落とすような意気軒高(そして傲慢)をあらわすものです。
明治時代に日本各地に建てられた展望塔が「凌雲(雲をもしのぐ)閣」と名付けられ、高層ビルを「摩天(天をこするような)楼」とも表すように、バベルの塔以来高層建築とは天に届き、神に届かんとする人間の意思のあらわれであり続けています。
↑この記事↑でお話したのですが、『風花雪月』の四文字を冠した4つのルートはヨーロッパ哲学の「四大元素」、地火水風に対応してつくられています。さきほど述べた「技術力」「上昇志向」「神に届かんとする人間の傲慢」は天を焼き尽くすがごとく上へ燃え上がる人間の知恵の象徴「火」の属性にあたります。
「火」の属性に対応するのは、もちろん紅花ルート。まさしく「炎」の紋章を持たされた炎の女帝エーデルガルトは、同じ紋章の「解放王ネメシス」と同じように(?)神による支配を打ち砕き、人の意思と合理的な人為を神に代わる道標とする世を拓きました。
ネメシスとエーデルガルトに炎の紋章を与え、覇道の補助をしたのがやみうごであるのは、やみうごこそが「火」の存在だからです。本作のテーマを象徴する言葉であるはずの「炎」の負の側面というか。「火」に属する技術力や科学力はともすれば人間の知性を絶対のものとして人間もまたコントロールしきれない自然の一部たる動物であることを否定し、地に足をつけずにどんどん軌道エレベーターのように上へ上へ、先鋭化ばかりしていくことになります。つまり「塔」ですね。
作中時間よりとほうもなく昔のことなのでおそらくの推測ですが、科学文明の残党であるやみうごたちは、女神とその眷属が地上に栄えるまでは地上の支配者だったと考えられます。たぶん「塔」をたくさん建て、自分たちの知性と技術を絶対の神としていたはずです。そう、近代以降の現実のわれわれ人類と同じように。
そこに、コントロールできない自然の大いなる力、不可思議な神の力の代表である「天災」としてソティスが飛来した。ソティスや伝統的マムクートたちの豊かな緑の髪は「繁茂する自然の神性」を象徴します。大地の自然はみるみる回復しあの古代や中世のような姿を取り戻したのでしょうが、それは科学文明の「塔」の側からすれば、天に届くようだった美しく堅牢な文化財、居住区、コントロールがききほしいままにできたすべての財産が、理解しがたい暴力に破壊されていったということです。当事者からすればとても「自然の/神の恵み」だなどと思えなくても当然です。それでやみうごは地上の代わりに地底に自然の光を必要としない人工的な都、「塔」であるアガルタをつくり、ソティスの民たちを千年恨むことになりました。
しかし、「コントロールがきくはずだ」「自然にある資源は自由に利用していいはずだ」「人間の知性は絶対のはずだ」などというのは、本当は人間の勘違いにすぎないのだと言っていいでしょう。大正時代に帝都(東京)にあった「凌雲閣」は関東大震災によって崩壊し、東日本大震災では福島の原子力発電所が統御しがたい事故をおこしました。原発なんかはまさに現代の「塔」の最たるものといえますね。「人間の知性と技術があればコントロールできる」「無限大の力が欲しい」「無限大に発展繁栄したい」というのは、残念ながら、60年とかせいぜい100年とかのスパンでものごとをとらえるようにできている小さき人間の、傲慢というよりもはや、不安な心を覆ってくれるような強がりの武装です。同コーエーテクモゲームス制作の『遙かなる時空の中で6』は大正時代の帝都凌雲閣についてそういうテーマを描いています。
↑中央上部にそびえたっている塔がキープレイスとなる「凌雲閣」浅草十二階です。
ソティスなんていうマジで神性の災害が飛来しなくたって、地震はおこるし、人間は前触れもなく心不全で明日死んでるかもしれないし、疫病だって流行るし、気候変動は地球の歴史の中では当たり前のことだし、どこにでも自然パワーによる計画破綻は降ってくる可能性がある。
蒼月ルートではディミトリの嵐の進撃によくわかんないままやみうごがプチッと轢き潰されたわけですが、ディミトリもまた「自然の力」を象徴するキャラクターであるため、あのルートでのやみうごはせっかくえっちらおっちら再建した塔に再度ソティスの天災を受けて滅びたみたいなことになります。ダメ押しパンチ! 逆に、紅花ルートでは「作中ではやみうごとの協力関係を壊さないまま終わる(エンディング後にぶっちめる)」構成になっていますが、それは紅花ルートが科学の傲慢たるやみうごの「塔」の性質を含めて人間の「火」の物語だったからでしょう。
「人間の設計図をいじる」遺伝子コーディネートのようなやみうごの「血の実験」技術は、「自然界にあるものはどのような神秘もすべて利用し尽くしていい」「知性で統制されていないものたちは『獣』だから使い捨て実験動物にしていい」という、まあ、そういうのって「邪悪」な行き過ぎだわな……、邪悪な倫理観によるものです。
その技術の犠牲となったリシテアの寿命は、ローレンツの真心で少し延び、あるいはエーデルガルトやリンハルトやハンネマンらの別の科学技術によって回復することになります。科学や技術や自然世界への挑戦がいけないのではありません。それがただ天へ突き上がり天を焼き、てっぺんに王冠をかぶせるためだけの上昇になっていないか、われわれはいつも警戒する必要があるのです。なぜなら、急激な景気の上昇が大暴落の悲惨な振れ幅をおこしてしまうように、そういう上昇をすると、塔が壊れたときに落ちたら死ぬから。
同コーエーテクモゲームス制作『アンジェリーク』シリーズの「自然と科学技術」のバランスを表す属性の話はこちら。すごくディミトリとエーデルガルト(やみうご)の話みたいになった
カトリーヌの塔―嵐の後の荒野へ
リシテアよりもさらにガツンと「塔」の象徴性が入れ込まれているのが、大紋章持ちのカトリーヌです。そもそも彼女が初登場する戦場の「濃霧」という「悪天候」からして塔のあらわすものですしね(それにしても、先生やレア、ジェラルト、級長らメインキャラ以外でムービーがバッチリ作られている仲間は彼女のみです。英雄の遺産の説明であるとはいえやたらにカッコいい)。
本名はカサンドラ、十傑の直系にしてファーガスの名門貴族カロン家の元・嫡子でカロンの紋章に対応する英雄の遺産「雷霆」(実家の家宝)の使い手です。
雷霆はプレイヤーにとって一番最初に説明されることになる英雄の遺産です。上でいきなり赤デカ太字にしたように、「雷霆」とは激しい雷、ゼウスなど天にある高位の神が地上に振るう裁定の奇跡を意味する言葉です。セイロス聖教会にあってカトリーヌはレアという最高神が不届き者らに振るう雷の剣そのものです。神とはなんだ? 雷だ!(ニコラ・テスラ/FGO)
そうでありながら、さらに「雷霆」の七支刀みたいでそうではないほぼ左右対称に枝分かれしたカタチはただの直剣より「塔」のかたちを表しています。3段に枝分かれしてるとこが塔の階数みたいになってるってこと。
紋章のかたちにも左右対称の横枝がありますが、これは今述べたように塔の階と外壁のようにも、そして壊れた塔から落ちていく二人の人のようにも見えます。
「塔」のカードは、「人間の傲慢が生みだした偽りの神の崩壊」でもあるし、「人間を守る強固すぎる外殻」でもあるし、「それを打ち砕いてくれる神の恵みの雷」でもあるし、そして「信じていた世界が崩壊して転落していく人間」でもある。
実はカトリーヌにはその全部が入っているんですよね。
狂信者と雷
カトリーヌはロナート卿によって「間違っている中央教会の走狗、狂信者」と呼ばれました。
ロナート卿には息子をめぐるいろいろな不幸な誤解があったのは確かですが、事実としてカトリーヌはレアの意に沿わない者を粛正する立場にあり、レアを神よりも強く信奉しています。主人公先生の目線からだと「レア様に気に入られてるのかよおまえ(怒)」みたいにつっかかってこられることが多いので短気で怒りっぽい怖い騎士さんのようにも見えますが他の支援会話などを見ると案外冷静で肝が据わって酸いも甘いも噛み分けたタイプで、レア絡みでだけ不機嫌になり、レアを貶められたときだけビキビキに怒るというガチファンぶり。
個人やアイドル的存在、「推し」への一方的で猛烈な信仰もまた、高い「塔」の上に不安定な王冠を乗せることです。多くの場合、それは正しいバランスの人間関係ではありません。相手が間違った方に向かっていてもとにかくついていく「妄信」となれば紅花ルートでレアの指示通りフェルディアの市街に火を放ったように塔と共倒れに罪を負い焼け死ぬことになりますし、抱いていた幻想と齟齬が生まれれば信じていたものが崩壊することになります。そういう猛烈な信仰は、信仰じたいとしてもバランスが悪いし、言ってしまえば間違っているのです。
「妄信」ぶりでいえばカトリーヌよりもツィリルですが、この二人がなぜここまでレアを信奉するに至ったかといえば、一番弱っていたときに優しくしてもらったからです。
カトリーヌの場合、士官学校時代に課題でヘマをして血まみれの大怪我を負ったところをレアに介抱してもらって以来ぞっこんです。大怪我、大病、事故や経済的転落……これらは「塔」の意味でもありますし、「死神」のカードにも含まれる意味です。「死神」のカードの場合、そんな大怪我のあとやっとこさ生還(「節制」)してヒーコラ言っているタイミングで「悪魔」の誘惑にとっつかまります。
心を病んだ人が何かに強く依存しやすいように、大ダメージを負った後というのは全力ですがるワラを求めてしまうのですね。
レアは別に弱みにつけこんで狂信者いっちょアガリ!とかしているわけではなくマジで小さいものや弱ったものに優しいし、士官学校の生徒たちのことも基本的に大好きです。ただ、弱っているところをレアに優しくされた側からすれば、心細く不安な心を美しく素晴らしい大いなるものにまるっと包み込まれたような気持ちになるでしょう。ましてレアは「悪魔」ではなく真に美しくて素晴らしい大いなるものなわけですから。かくして、レアはカトリーヌやツィリルやガルグ=マクの騎士たち、孤児たちの心を守る、壮麗で堅固なる「塔」となったのです。
『ゴールデンカムイ』でこの作品の「熱烈な信仰を集める悪魔的カリスマ」である鶴見中尉が言うことには、最強の兵士団を作り上げるための秘訣とは「愛です」。
ベトナム帰還兵の証言によれば互いの背中を預けた戦友との絆は「強い恋愛関係」と表現され夫婦以上といわれた
第二次世界大戦を含め膨大な兵士から聞き取りした結果「敬愛する上官…愛する同志の期待を裏切る不安」が殺人への壁を乗り越えさせるのだという
『ゴールデンカムイ』227話/野田サトル
「恨みもない、自分を襲ってくるわけでもない人間を積極的に殺しにいく」というのは、人間にとってはふつうすごく抵抗のある異常行動です。戦いの絶えないファーガスでは「国」や「大義」や「騎士道」のためという物語で心を麻痺させる方式が採用されていますが、セイロス騎士団は「主」のため「レア様」のためといって心を愛で守り、武装しているんですね。好きな人のためなら人間は死ねますが、それが「推し」のように触れがたい崇高なもの、自分とはかけ離れた大きなもののためであれば、なおさら死を恐れず罪を恐れず全力を振り回して戦えます。同時にそれはけっして善いことではない……。
そして「塔」には「技術の誇示(眺望塔、尖塔)」「中にいる本当は小さき人間をかたく保護して無限に気を大きくしてくれる(砦)」以外にもじつにさまざまなはたらきがあります。そのひとつが「体制からの広報、プロパガンダ(広告塔・電波塔)」のはたらきです。
そもそも、教会には塔があるものです。仏教寺院の場合の仏塔は仏舎利をおさめるものという名目の役割はありますが、東京スカイツリーという電波塔が五重塔の建築を参考にしているように、「(教えとかの)情報を広める施設の、遠くからも見える象徴」として塔は機能します。
「主」と呼ばれるソティスや世界に宿る神的なものとはもはや無関係に人間が構築した組織とそれが帯びることになった実体のない権威、それが人の弱さを堅牢に覆い隠したり、都合のいい情報や価値観を広めて人を管理したりするガルグ=マク大修道院はまさしく「塔」であり、レアはその塔の上に輝く冠というわけですね。実際「女神の塔」その他尖塔立ってますし。
そして「塔」の運命の巡りのとおり、作中で必ずガルグ=マク大修道院の大聖堂は崩れて「瓦礫拾い」の瓦礫に変わり、当たり前だと思われていたフォドラを覆うセイロス教の秩序は崩壊するのです。
自由騎士
カトリーヌはレアという「塔の王冠」に守られ崇拝する塔の尖兵であるだけでなく、「塔」のもう一つの側面も持ち合わせています。前者のほうが強く表面に出がちですが、むしろこれから言う後者の方が性質としては強いかな……。
ここで、せっかくなので『ペルソナ』シリーズの三人の「塔」アルカナキャラクターの内訳がカトリーヌ・リシテア・リシテアだとさきほど述べたカトリーヌ系のキャラのことも話しておきましょうか。
シリーズで初めて登場した味方側の「塔」のキャラクター、それがこのじいさん「無達」です。見てのとおりお坊さんの袈裟を着ていますが、金ピカの指輪をメリケンサックのごとくはめまくり葉巻を吸って酒も呑んでおり、出会う場所もクラブのバーという「破戒僧」……というか、宗教が葬式や供養に形式的にカネを払うだけのものになっており、無達は宗教のガワをまとってうまいことやっているのです。ここまでは、前の項で述べた「人の弱さを囲う偽りの神の塔」の意味ですね。
しかし無達は案外と世の中を逆さに見たような型破りで含蓄のあるアドバイスをプレイヤーにしてくれます。そこはかえって仏教の本来的な姿に近く見えます。上のヴァイスシュヴァルツのカードにも書かれている「色即是空、空即是色(目に見えるものは必ず変化し失われ、不変のものなどない)」という仏教の言葉は、まさに「塔」の崩壊が人間に教えてくれることです。仏教の中でも禅の精神は常識を破壊し世界を「ほんとうの目で見る」ことを教えます。
なんで無達が破戒僧じみているにもかかわらずそんな禅っぽい説教をしてくれるのかというと、彼が既に崩壊する塔から落ちた身だからです。モーレツサラリーマンとして家庭をかえりみず働いていたら妻子に捨てられてしまい、それをきっかけに仕事をやめ実家の寺を継いだだけ、という過去がありました。なまぐさ坊主生活は信じていた秩序や立場がつぎつぎに崩壊し逆転した自暴自棄も入っていたのですね。
カトリーヌもまた、主人公につっかかる以外は他の若者たちやアロイスに人生経験豊富な根性も目も据わったアドバイスをしてくれる大人ですが、その背景にはガルグ=マクとレアの失墜以前にも実は多くの「崩壊」がありました。
士官学校時代に課題で無理をして大怪我を負い、レアを絶対視するようになったことはもちろん、忘れがちですが彼女は生まれ持った名前さえも捨てています。つまり名門の嫡子の立場を捨てたという(くしくも、リシテアが目指している)ことです。しかも望んで捨てたわけではなく、どうしようもないトラブルのすえにそうなったのです。
作中で明らかになる事実を整理すると、カロン伯の嫡子カサンドラとガスパール城伯の嫡子でアッシュの尊敬する義兄クリストフは青獅子の学級の同期で仲のよい友人でしたが、士官学校卒業後クリストフは人が良すぎてレアの暗殺をたくらむ西方教会に荷担することになり、それを知ったカサンドラは親友を教会に突き出しクリストフは処刑されました。
ただ、地方教会がレアの暗殺を企図したというのはフォドラ秩序を揺るがすヤバ事情なので、当時真相が不明で騒ぎになっていた「ダスカーの悲劇」を手引きした容疑者を処刑したという名目で公表されたのです。当時カサンドラもすでに「ダスカーの悲劇」に関与した無実の罪をかけられて王国を追われており、息子が西方教会に利用されたことを知らないロナート卿は「カサンドラが親友である息子を騙して自分の罪の身代わりに教会に突き出したんだ!」と推測することになりました。やみうご、離間の計がうますぎる。
こうしてカサンドラは運とタイミングの極悪さで立場も家も名前も社会的信用も親友も全部いちどに失い、レアの騎士カトリーヌとして人生をいちから再スタートさせることになったのでした。他にも作中には死にかけたことのある人物はたくさんいますが(「吊られた男」のユーリスや「死神」のシルヴァン、「節制」のベルナデッタなど「死神」まわりの臨死ゾーンは特に顕著です)、ここまでの泣きっ面に蜂百匹ぶりは「塔」ならではです。
カトリーヌはもともと育ちはいいのに名門貴族令嬢の枠におさまらない奔放で豪快な性格をしており、いろいろヤバい経緯はありましたが、結局今の生活は性に合っているようです。カロン家はファーガス貴族の中でも特別に儀礼的な格式(王国建国時に教会との渡りをつけた歴史から、戴冠式などの式典には必須であるなど)の、フラルダリウスやゴーティエに次ぐ名家です。そういう家の家長になって領地に閉じ込められるよりも、カトリーヌはまったく未知の異文化から来た、立場があれば出会うことはなかった相棒シャミアと酒を呑み、雷雨に遭いながら野外任務をこなす生活をおもしろいと思っている。立派な塔が壊れたからこそ、常識がさかさまになったからこそ自由になれることが人生には確かにあるということです。
カトリーヌはエンディングの二つ名とエピローグが「レアの生死によって」大きく変化する珍しいキャラです。レアが生きていれば彼女は基本的にレアという自分の美しい塔から自立しながらも守り続ける「赤き谷の守り手」となり、レアが亡くなってしまった場合は「自由騎士」となります。
今まで述べてきた「技術の誇示(眺望塔、尖塔)」「中にいる本当は小さき人間をかたく保護して無限に気を大きくしてくれる(砦)」「体制からの広報、プロパガンダ(広告塔・電波塔)」以外の塔の使われ方と象徴性、最後の一つは、「罪人を閉じ込めて社会から隔離する(監獄)」塔です。監獄は罪人を束縛するものでありながら、彼に石を投げてくるすべてのリンチから保護するものでもある……。
美しく優しかった監獄が壊れ、その瓦礫を抱きしめておいおい泣いて、カトリーヌは気ままな旅へ歩き出します。
壊れた世界で
対カトリーヌの支援会話は、「レアへの妄信」という頑なさと「常識崩壊を越えてきた先達からの助言」という闊達自在さ…という反対の方向の「塔」性質のバランスが常におもしろいバランスゲームグラグラタワーになっています。今作の大人キャラクターは誠実に若者に対して責任をもち大人の役割を果たしてくれますが、カトリーヌは年齢的にも若者でもあり、大人でもあるといった感をおぼえますね。
VSカスパルくん
特にカトリーヌの「かたくなな塔」と「崩壊した塔」の両方の性質が一気に出ていておもしろいのがカスパルとの支援会話です。
この支援会話はパッと見の性質がよく似ているように見える二人の大きな違いを克明に照らし出すものでもありますね。カトリーヌもカスパルも陽気で豪快、信ずる正しさのために剛腕を振るう猛将です。アッシュを入れてトライアングルの支援会話で「正義三部作」とでもいえるかもしれません。いやそれともカスパル・フェルディナントを入れて四部作なのか……
彼らの違いは、カスパル自身の全体テーマでもある「正義の基準」にありました。
「雷霆のカトリーヌ」は帝都の子供たちにも人気で、ごっこ遊びをする仮面ライダーやウルトラマンのような正義の特撮ヒーロー的存在として憧れていた、あの雷霆と鍛錬してるとかヤベエ、とカスパルは言いました。その実体のない憧れに対してカトリーヌは、他のレオニーやイングリットやローレンツとの支援会話でもしたようにお得意のカトリーヌの雷、「それはどうかな」を突きつけます。「任務に必要であれば子供でも容赦なく斬る」と言ったのです。強く正しいヒーロー像が破壊されたカスパルは「俺、あんたに憧れないほうがいいのかな!?」と戸惑います。スーパー素直。
なぜ命令なら子供でも斬るというのか、カトリーヌは話しました。正義に明確な線引きの基準はないが、その場の判断や情状酌量をしていては公平に裁けないし、迷いが生じてもっと大きな悪いことを招くこともある(実際、これがカスパルと先生の支援で起こったことでもあります)。だから信じるものの判断に全面的に従い、その正義を自分の正義とすることにしている、と。これは良くない妄信と言うこともできますが、カトリーヌのように迷いのない強さを持たなければいけない場面はあり、基準に機械的に従って判断コストやブレを少なくすることが有用で正義なこともあります。使いようです。
そして、カトリーヌがここまで迷いから自由になることができるのは、何もかもを一度失ったからなのです。
VSローレンツくん
ローレンツのまとっているお上品で権威的な貴族の鎧というのも一種の「塔」ってことですよね。ローレンツはレオニーやメルセデスやマヌエラ先生などにもとにかくグラグラ揺らされまくってオモシロな男ですが、カトリーヌには雷ピシャーン脳天直撃されます。
カトリーヌがなんで英雄の遺産を持ってるのか、貴族なのか貴族じゃないのかしつこく聞き、貴族かどうかで対応を変えるというローレンツ野郎の身分制度への妄信、形骸化した差別にカトリーヌは珍しくレア様がらみじゃないのにキレ顔をします。しかしローレンツ野郎には意外と深い考えがあるので、カトリーヌにいちおう及第点を出され、出自と事情を明かしてもらえました。しかしそれは「カトリーヌは由来正しき力を持ち由緒正しき名門貴族出身だが、大罪人の容疑をかけられたお尋ね者でもある」という、ローレンツの常識をふたつに引き裂く事実だったのです。
ローレンツは反乱を起こした貴族には「貴族の責務を忘れている」と断じ、情けをかけず早急に討伐するべきだ~というタイプです。カトリーヌ……カサンドラがそうであるのか、見極めるべきだと使命感を覚え手合わせを申し込みました。このあたりの内面を研ぎ澄まして心の真実を見る様子はローレンツのグロスタールの紋章らしさが全開です。
結果、貴族の地位を失った罪人であるカトリーヌの剣には、真に貴族にあるべき、ローレンツが目指す気高さがありました。しかし、同時にローレンツは知ります。その気高さはカトリーヌが名門貴族の生まれだからではなく、すべてを失い生きてきた世界が壊れてもなお輝く、本物の魂を持っているからなのだと。
打ち砕くべきもの
みてきたとおり「塔」は人間の傲慢や、妄信や、堅いカラや、モンペなど、実にさまざまなものを意味していましたが、総じて言うとその中心は古く使い物にならなくなった価値観、それに頼ろうとする人間の思考停止の堕落です。
しかし、古い価値観にすがる者や、堕落していきつつある者には、自分たちがそうであるという自覚はないし、悪気もぜんぜんないことが多いので、滅びゆく塔から転落していっている二人は「なぜ自分たちがこんな目に~!」「被害者だ~!」と本気で泣くでしょう。それが邪悪なほどの圧倒的愚かさだとはいえない。だれだってそういうことありますよ。
たとえ新しい常識への転換点、天災のように思えるものが身から出た錆でも、それを認めること自体がむずかしく、復興は困難を極めるでしょう。それは東日本大震災と原発事故にいまだに対応しきれていない日本社会の現状がなにより物語っています。
当たり前ですがはっきりさせておきましょう。「医療崩壊」の責任は医療機関にはありません。政治です。
— 清水 潔 (@NOSUKE0607) 2021年8月6日
一年以上の準備期間と何十兆という予算があったのに政府はGOTOと五輪で遊んでいたキリギリスなのです。しかしこの物語が怖いのは、死ぬのはキリギリスではなくアリの方って事です。
ほんとはこの記事を書くころにはこれがズバリ今の時事ネタじゃなくなってるといいナとおもってたんですけど、今の感染症の状況だってそうです。最初はわりと避けがたい災害としてやって来ましたし、今でもだいぶそういう台風みたいな感覚で「早く過ぎ去らないかしらね~」と思ってしまうこともありますが、災害がヤバい災いとして被害をあらわしてくるのは、災害そのものではなくむしろ対応を先延ばしにしてきた内側の人間のせいなのです。
人に降りかかる大きな災いは多かれ少なかれすべてが人災の側面をもっています。その報いを受けるのが、人災の責任者であるとは限らないですけど。貴族の始めた戦争や失政で傷つくのが多くの場合貴族自身でなく平民であるように、そして何百年も積み重なった紋章主義社会に少女のエーデルガルトやその家族が犠牲になったように。
でも、何もかもをなくしたカトリーヌが信念をみつけたように、ひどいめにあったリシテアが本当の自分たちの望みは貴族制を抜けることだと見定めたように、古い常識が壊れ去ったからこそ見えるものが必ずあります。
感染症への警戒でいろんなことが困難になり、今までの常識が通用しなくなったひっくり返った世になったことで、多くの会社が「とりあえず出社してみんな同じ場所で働くべし」という価値観を見直し働き方の選択肢が増えるシステムが普及しましたし、他にも気付いていなかったさまざまなことに光が当たることになりました。「塔」の中にはささなかった光です。
「ピンチはチャンス」っていう言葉はマジでピンチの人に無理させる酷薄な言葉として使われちゃうこともありますから注意してほしいんですけど、何もかもムチャクチャに崩れたときこそ、当たり前の枷を壊せる、崩れた瓦礫を使って新しいものを作れるはずです。われわれの魂が、それを諦めていないなら……ですけど。選挙はいこうな。
塔は崩壊し、たよりないわれわれは瓦礫の中、仕える絶対の神をなくし、それでも光ある方に、歩いてゆくことができるはずです。
レアなき世界で強者をくじき弱者を助ける逆転のヒーローとなった、「自由騎士」カトリーヌの足跡でもチマチマとたどって。
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