湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

【ⅩⅣ 節制】聖インデッハの紋章―FE風花雪月とアルカナの元型⑧

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「聖インデッハの紋章」とタロット大アルカナ「ⅩⅣ 節制」のカード、キャラクター「ベルナデッタ=フォン=ヴァーリ」「ハンネマン=フォン=エッサー」との対応について考察していきます。

以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。

 

 

『風花雪月』の紋章がタロット大アルカナ22枚のカードに対応している作中の根拠とざっくりしたタロットの説明、各アルカナへの目次はこちら↓です。

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 帝国貴族たちのもつ四聖人の紋章の性質は、帝国キャラたちが象徴する「近現代的考え方」「個人主義」をそれぞれよくあらわしています。前々回の「聖セスリーンの紋章」の恋愛アルカナは「個人の意思」「選択」、前回の「聖キッホルの紋章」の正義アルカナは「判断」「社会の中でのバランス」、それぞれ表していました。

聖マクイルの紋章を直接的に持って生まれているキャラクターはいないので、四聖人の紋章は今回の「聖インデッハの紋章」で最後になります。ベルナデッタの「連続」スキルは強いもののビミョ~~に地味な印象のあるこの紋章も、やはり帝国の紋章らしい近現代的テーマがあります。銀雪ルートおよび紅花ルート全体のテーマともあわせてお楽しみください。

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紋章、四聖人インデッハ。

対応するアルカナは節制

対応するキャラはベルナデッタ=フォン=ヴァーリハンネマン=フォン=エッサーです。

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「節度」男であるハンネマン先生に対し、

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この暴走列車ぶりをみせるベル。

一体どうしたことなのでしょうか?(本当にな)

そして「節制」という、おそらくタロット大アルカナのカード名の中でも最も「普段の生活であまり使わない抽象的な言葉」にこめられた意味をみていきましょう。意味わかんなくない? 「節制」って。「食べ過ぎはよくない」みたいなときにしか実生活で使わねえよ。

 

 

「節制」の元型

 まず「聖インデッハの紋章」と対応する「節制」アルカナのカードの中心的意味を拾ってみましょう。

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「節制」のカードです。

カードに象徴として描いてあるモチーフは、「翼の生えた人物」「左手の杯から右手の杯へ」「こぼすことなく水を移している」、です。清い水や水辺の花、山からのぼる暁の光や人物の頭の後ろの光輪から、とても聖なる場面であることがわかります。

タロットカードはどれもカードの絵柄の中に象徴が詰め込まれてるもんですが、「節制」のカードはまた『モナ=リザ』のごとく静かな人物の周りに意味ありげなモチーフが配置されまくっています。なにその杯。なにその翼。

この「意味ありげ均等配置」みたいな「節制」のアルカナが中心的に表すのは、

「異なる価値観と出会い、複数の対立するものたちを持って、

 慎重にバランスをとって調和させていく」

という段階です。以下、節制アルカナの意味は赤字であらわします。

 毎回お話しているとおり、タロット大アルカナの各カードの数字は人間の魂の成長段階を比喩的にあらわしたものです。番号がデカければ成熟してるとかそういう単純なものでもありませんが(実際人間は一生の中で大アルカナ何周ぶんも成長や挫折を繰り返すからです)、14番にもなるとだいぶ大人っぽいバランスのとれたことを考えるようになりましたね。

この「バランス」というものが古来からヨーロッパの文化の中では重視されてきました。東洋の思想にも「中庸(偏らない)」というものがありますが、それより積極的意識的に調和をとっていくイメージですね。「正義」アルカナのフェルディナントの項でも「ギリシャ彫刻のように均整のとれた体」という表現の話をしたように、「調和」「節制」はギリシャ哲学以来の重要な美徳のひとつだったのですね。だから「正義(JUSTICE)」という美徳のカードと同じように、「節制(TEMPERANCE)」のカード名にも「THE」がついていません。モノやヒトではなく、徳性の抽象的な概念なんですね。

節制temperanceという美徳は、コトバ的にはざっくり言って「自制」「節度」をあらわし、「飲み過ぎない」とか「早とちりしない」とか「感情的にならない」とか「規則正しく」とか「身の回りをきれいに」とかマヌエラ先生が爆発するようなことを意味しています。

「理性や意思で、自覚的に二者のバランスをコントロールしていく」ということが帝国キャラクターたちの個性に共通しており、その紋章のかたちもすべて左右対称、かつ安定性があります。聖インデッハの紋章ももちろん思いっきり左右のバランスがとれています。

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こういうかんじで絵柄と対応してるんですね。

 さて、今まで中心的な意味を見てきたかんじ、調和のとれた「節制」のカードには動きがなくて地味くせえな」くらいしか悪いところはなく、「めでたく調和がとれました~完~」みたいなキラキララッキー・カードのようにも思えます。しかし、実はそうではない。

タロット大アルカナにおいてマジで「真実の調和」をあらわしているのは「21 世界」アルカナであり、「14 節制」アルカナはまだ旅の三分の二が終わるくらいにすぎません。今回はこの「まだ微妙な調和」の薄暗い世界に分け入っていく、地味~~な探索にお付き合いください。

今回も長くなりそうだな

 

ハンネマンの「節制」―右手に書を左手に薔薇を

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 ハンネマンは、紋章の研究のこととなると急にテンアゲになってしまう以外は完璧な大人であり、完璧な紳士です。教師としての能力も人格も、指導する大人として生徒たちに与える言葉や態度もバランスがとれており、落ち着いていて、理性的、適切です。ハンネマンの大人の落ち着きの前ではあのヒューベルトさえも感情的な少年のように見えるというのがすごいことです。人生経験の豊富さというか、人生経験を整理してきた年月によって醸成された余裕があります。

こういうハンネマンの美点は、わかりやすく「節制」の正の側面そのものずばりです。

境界を跨ぐ者

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 これはマヌエラにも共通することなのですが、ハンネマンには「紋章学者であり、教師でもある」だとか「貴族の当主をやめたけど、貴族的である」とかの複数の異なる世界に足をかけて、しかし安定して立っているという特徴があります(マヌエラ先生は安定と言うにはアレですがそのへんはあとで対比します)。

ドロテアとの会話で顕著ですが、ハンネマンは「貴族の高潔な精神と能力を持ちながら、貴族であることを捨て学者となった」というパーフェクトヒューマンです。フェルディナントやメルセデスと同様、「貴族だけど、貴族でない」という状況におかれたとき、なにか真に貴族たる資質を持っている人はかえって貴族の高潔さが輝いて見えることになります。ハンネマンにおいては「貴族とは『知る者』である」という幅広い教養、それによる責任の側面が浮かび上がって見えました。

ハンネマンは学者として「この世の理を知る」学問である理学以外に、「弓術」「馬術」を得意としており、これは明らかに貴族としての教養」を意識されていると読んでいいでしょう。レオニーのように村が森の管理と狩りの許しを得ている村人でもなければ、弓とは貴族の必須教養としての武芸や高級な娯楽です。FEシリーズの金銭感覚ではあまりそういう感じはしませんが、弓矢とは、矢は特に大量に使う消耗品なので金のかかるしろものなのです。もちろん、馬もそうであることはいうまでもありません。ハンネマンが適性をもつ「ダークナイト」「ボウナイト」のような流鏑馬の技、「馬を操りながら魔法や弓を放つ」なんてことはマルチスキルの極み、教養と余裕の権化なのです。

というような感じで、一般人が騎士になるのがむずかしいのは、第一に必要な馬や鎧や武具をそろえることがそもそも貴族階級でなければマニー的にむずかしいから、第二に必要な技術を身につけることがそもそも貴族階級でなければ教育的にむずかしいからです。ハンネマンは学者で士官学校の教師でありながら、貴族の武芸的教養を体現する存在でもある。だからナイト職というものは貴族階級のある世界観の深いロマンなのですが、今作ではせっかく貴族と平民の描写が細かいのに馬がシステム的に不遇でよォ……。

 

話がずれました。

 

 ハンネマンいわく「貴族とは『知る者』」です。これは生まれつき賢いとかそういうことではなく、ただ日々を生きるだけでは身につかない、自分の生活、自分の人生をこえた広範囲な知識やものの見方を身につけられる立場にある、ということです。だから「知る者」は世の中を広い視野で見ることで発展に資することができますし、せねばなりません。だからこそ貴族となった、とハンネマンは考えています。それがまさに「教養」というものであり、ある意味ガルグ=マク士官学校は生徒をみな貴族=「知る者」にするためにやってるといえます。

人は、「選択肢のない自分の人生」ひとつだけの目から、世界を見なければならないわけではない。ハンネマンのように知によって、また与えられた環境を飛び出すことによって、複数の世界、複数の目をもつことができる。そしてそれは世界を何百倍にも広げるのです。

 

千の名のヴィシュヌ

 「複数の世界、複数の目、複数の持ち物」というと出てくるイメージは↓こういうやつです。

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インドの神様や仏様の像、手、持ち物、めっちゃいっぱいある。

特にヒンドゥー教の三神一体「破壊と再生の神シヴァ」「維持の神ヴィシュヌ」「創造の神ブラフマー」の中のヴィシュヌは現世の維持調和をつかさどるためメチャクチャいろんな化身(アヴァターラ)をもち、人間の王子様や導師になるのは日常茶飯事、半魚人になってみたり半獅子人になってみたり、カメになってみたり千の名をもち、いろんなものの境界にあらわれ出ます

ちょっと大げさですがハンネマンも魔術師キャラかと思いきや、(先述のとおり貴族出身のため)「弓術・理学・馬術」が得意分野で、その多芸多才さ、それでいてみな静かで優雅な調和がとれているところはヴィシュヌい(ヴィシュヌい(形容詞))ものを感じます。そういえば聖インデッハ本人の「水竜」としての姿はカメさん系でしたね。

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インデッハさん(カメのすがた)です。

これはべつに偶然のこじつけってわけでもなく、ヴィシュヌが半魚人や半獅子人やカメさんになったようにカメさんとは「水と陸を行き来できる、半々のもの」としての聖性をもっているので、相反するものの調和であり、「節制」なのです。「節制」アルカナの中心になっている「水」という元素そのものにも「結びつける」という性質があります。

 

 上のヴィシュヌ神の絵とも似た「節制」のカード、さきほど『モナ・リザ』のように意味ありげなモチーフが四方にちりばめられていると言いましたが、もう一回見てみましょう。

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ヒトのような神のような存在(大天使ミカエルであるといわれています)」が、「右足は水を、左足は土を」とらえて立ち、「対極である左と右の杯で水を移し」ています。山の端の太陽は「暁か夕暮れ、昼と夜のあいだの時間」であることを示し、水辺に咲いている花はアイリス(あやめ的なやつ)であり、アイリスは虹の女神イリスをあらわし「水の動きと太陽の光が虹をかける」ことを示しています。

つまりこの絵柄にはとにかく「相反する要素が調和・結合する」というモチーフがこれでもかというほどブッこまれているんですね。

タロット大アルカナは「愚者」を除けば21枚完結なんですけど、大きく7枚ずつ3つの段階に区切ることができます。1~7は価値観を教えられやってみて成功していく「学習の段階」、8~14は世界の中にあるさまざまな対立軸を知りバランスをとっていく「均衡の段階」みたいにいえるんですけど、この「節制」アルカナは14番、均衡の段階の最終カードにあたります。だから今まで均衡の段階でめぐってきた「外界と内面(9隠者)」「栄光と挫折(10運命)」「左と右、重い価値と並列する重い価値(11正義)」「生と死(13死神)」「上と下」「男性性と女性性」「欲望と理性」「見えるものと見えないもの」すべての対立概念がここで和議を結んでいます

 「節制」のカードにはこのように要素が多いのですが、決してとっちらかることなく全体の印象は静かで、やはり『モナ・リザ』のように調和しています。しかも「対立するふたつのもの」がたくさん描かれているだけでなく、中央の人物は例のヨーロッパ哲学の「四大元素」もしっかり全部抱え込んでいます。「節制」カード中央の人物は「水」と「土」を両足にそれぞれ踏みつつ、「風」をあらわす翼をもち、胸にある上とがり三角形は「火」をあらわす記号です。ヴィシュヌの四本の手かよ。

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ハンネマンが「弓術・理学・馬術」という多芸ぶりだったように聖インデッハもグラは勇者ジョブでありながら「弓術・格闘術・重装」という完ッ全に別ッ々の才能を突っ込まれており、それでいて手先が器用とか言ってます。ベルナデッタにしても絵画、文筆、手芸、料理、園芸と非常に多趣味です。

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(↑マヌエラ先生の悪口です)

しかもハンネマンはあわせもっている多数のものをキレイに整理・整頓する性分でもあります。混沌でなく、調和です。お片付けにはすごく見通しと調和の能力が必要だという話は「悪魔」「運命の輪」でもしましたね。

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最近部屋が片付いて思考がひらけてきたのでほめてくれ(私事)

 

世界を継ぐために

 このように、「調和」という意味で「運命の輪」のヒルダちゃんや「正義」のセテスやフェルディナント=フォン=エーー↑ギル!!さんのように、ハンネマンのよくできた有能な人物像をあらわしもする「節制」のアルカナなのですが、ベルナデッタを見ればわかるように、それだけのアルカナではありません。タロットには「逆位置」というものがありますが、よく誤解されがちなのですが逆位置って「正反対の意味」ってわけじゃなく「同じものの負の(不吉カードであれば正の)側面」なんですよね。「理性による静かな自制と調和」にもよくない経緯や性質はあるってことです。

VSマヌエラ氏

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 マヌエラとハンネマンは本当に好対照です。一見するとハンネマンはよくできた大人でマヌエラはチャランポランに見えますが、「多芸多才」な「人格者」であり「豊富な人生経験」を「バランスよく生徒を教えていく」のに適した人材であることは二人に共通しています。

マヌエラは平民出身のため紋章を生まれ持っていませんが、ガルグ=マクのスタッフの中での立ち位置や、外伝で手に入る騎士団の名称からして「聖マクイル」の「魔術師」アルカナに対応して描かれています。

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「魔術師」アルカナに描かれているのは「節制」アルカナの人物と同じように、四大元素をあらわす4つのアイテムを机の上にすべて持ち、多芸で才知に富んだ人物です。そこまでは同じなのですが、「魔術師」の机の上はわりととっちらかっており、「整理整頓」ではなく「混沌からの自由な感情やひらめき」を信条としているのです。マヌエラ~~!!

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同じ多彩なものを持ちながら、ハンネマンは「整理して仕舞う」のが得意な学者であり、マヌエラは「組み合わせて創造する」のが得意な歌姫であるというわけです。有能さは似ているのに、能力を相反する見方で使っている。これはケンカになって当然です。

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ハンネマンがマヌエラにしょっちゅう言っている「感情的」「無礼」「早とちり」「思い付きで行動する」「だらしない」というお小言は、裏を返せば「自由で素直な感情のひらめき」というマヌエラの美徳がハンネマンにはないことを示しています(マヌエラとローレンツの支援にも似たことが描かれていますね)。ハンネマンは好きな女性にも素直に情感を伝えられず、常に神経質にこまけぇことが気になり、心にまかせてダッシュすることができないわけです。

 

VSリンハルトくん

 「調和」だけのアルカナでない「節制」の性質その2。詳しくはもちろんベルナデッタの項で話すことになるのですが、今ハンネマンにも共通していえることはとにかくこのカードが「途中休憩」だということです。「to be continued...」とでもいいましょうか。8~14番のカードの「均衡の段階」が終わり、15番からのカードの流れは完成に向かって怒涛の転に次ぐ転、複雑で困難な道になっていきます。

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いわば「節制」の静かさは最後のエベレストへの旅路への準備をしているところで、老年のハンネマンにとってそれは「これからの世界を生きていくすべての人の旅路のため」の準備なのです。

『風花雪月』にはハンネマンとリンハルト、二人の「学者」キャラクターがおり、ふたりの「学問に対するスタンス」は実はかなり異なっています。それがまた「学問」というものの意味をいいかんじに浮彫りにしているんですよね。

リンハルトと「学問」の関わりについては先に「聖セスリーンの紋章」の記事で書きました。リンハルトは研究を「やりたいからやる」「何の役に立つかなんて気にしない」と言います。「役に立つことだけを研究する」ということはそもそも「研究してみなければ、またそのときになってみなければ、何が役に立つかなどわかるはずがない」というこの世の性質上ムリな話であり、だからリンハルトが社会の余剰資源にあずかって好き~なことを好き~なだけ研究し、人類の知恵袋にただただストックを増やしていくのは学問の本質としてよいことです。

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目的かぁ~~(ありませんね)(釣りが楽しいからじゃ駄目ですか?)

 反面、ハンネマンには「目的」があります。「紋章の有無に苦しむ人をなくすこと」です。世の中に感じた不条理を解消するために学ぶという情熱もまた、学問の世界には必要なものです。リンハルトのようなのよりこういう動機で学者になる人のほうが一般人には理解しやすいですが、これはずいぶんと遠大な夢です。リンハルトとハンネマン、どちらにせよ学問とは今すぐに役立ち実を結ぶものではないのですね。

ハンネマンは紋章を重視しすぎる社会に反感を持ち、しかし紋章をとことん研究する道を選びました。紋章社会を仕方がないと受け入れるのではなく、しかし紋章を嫌いになり目を背けるのではなく、苦しみの根源を冷静に読み解こうとしました。紋章社会を憎む心と現実に紋章がある世界両方に足をつけ、そこに虹の橋をかけようとしました。たとえそれが、自分が生きている間に叶う夢でなかったとしても、あとに続く人にもハンネマンの橋はかかるのですから。

「知る者」である貴族のもつ教養とは、民を救い守るためのものであり、先の世に手渡されるものでもあるのですから。

 

ベルナデッタの「節制」―崩壊後の世界

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 と、ハンネマン先生がイイハナシでまとまったところ恐縮なのですが、ひときわ強烈なキャラクターであるベルナデッタは同じ聖インデッハの「節制」アルカナなのにブレーキもアクセルも壊れているように見えます。「こうしなさい」と言われれば「無理ですううう」、「やめなさい」と言われれば「やってやりますよおおお!!」、「話を聞きなさい」と言われれば「ぎゃああ! ごめんなさいいいい!!」、個人スキル「被害妄想」も少しでもHPが減っていれば大幅に与ダメージアップの「壊れ」ぶり、明らかにバグっています。こんな子に弓矢持たすな(危険なので)

ハンネマンでみてきたとおり、「多趣味」「穴熊」なのはまあインデッハの性質とはいえ、なぜ調和と節度をあらわす聖インデッハの紋章をもつはずのベルナデッタがこんなに「壊れて」いるのでしょうか?

それはもちろん彼女の成育歴のトラウマが原因ではあるのですが、そうではなく、彼女が壊れていることにも、「節制」アルカナのもつ玄妙で重要な意味が隠されています。このベルナデッタの「節制」性質はタロットをモチーフとした作品でもなかなか表現されることのない部分なので当方は一人で大興奮です。

 

 実は、冒頭の「『節制』の元型」でカードの意味を説明したとき、言っていなかった大事なことがあります。タロット大アルカナは人間の成長の旅路の一周ぶんをあらわすので、番号の順序に物語があります。

その物語で、「節制」の14番に至る前に、旅人には大変なことがおこっています

すなわち「12 吊られた男(囚われて死刑を待つ身)」からの、「13 死神」です。

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ギリギリセフト

 まだ対応するゴーティエの紋章の解説はしていないとはいえ、「死神」のカードがヤバいことなんてタロットを知らん人だってわかるでしょう。作中でも「死神」のゴーティエの紋章は「紋章を持ってる貴族はエラい、英雄の遺産はつよくてカッコいい」というフォドラ世界の常識を覆す役割のシーンで使われており、「精神、価値観が一度スッパリ死ぬ」ことをあらわします。「12 吊られた男(ユーリス)」と「14 節制(ベルナデッタ)」は臨死体験の直前と直後であり、「シャーマンは一度死んでみると巫力が上がる(シャーマンキング)」みたいなもんで、ガチで生死の境に臨んだこのふたつのカードの人物のアタマには光輪が輝いています。

いわばベルナデッタは「死んだばっかり」というか、「死ぬところだった」「ほぼ死んだ」「なんとか致命傷で済んだぜ…」という状況にあるということです。一度心が死んで作り替わるくらい大きな傷(トラウマ)をうけた。それはハンネマンにも「妹の無残な死」というかたちでずっと残っています。

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 ベルナデッタにとって「心を殺した大きな傷」とは父親の「躾」とは名ばかりのドメスティック・ヴァイオレンスと度重なる人格否定、その末の大怪我を負うほどの抵抗、そして引きこもることによる父親の完全拒絶です。

ベルナデッタがすごく引きこもることになった経緯の話に「無理矢理引き出されそうになり、抵抗して大怪我をした」ということが語られているように、臨死体験には体や心の大規模な損傷をともないます。そして体や心の大きな損傷は、大病や大怪我、ものすごい抑うつなどを経験したことのある方にはよくわかることだとおもいますが、その前後で生まれ変わってしまったように心身の状態を作りかえてしまいます。

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このとおり父親は「もうベルナデッタの近くにいない」のに、「今ここで暴力を振るわれているように鮮明な恐怖」を植え付けています。トラウマとは傷つけられた瞬間のまま記憶が整理されたり薄れたりすることのできない状態で、いうなればいつでもフレッシュな傷から血が流れだしてしまうのです。貴族のイエ・閨閥主義……許せねえな……。ある意味ベルナデッタは「まだ死んでないハンネマンの妹」のような紋章貴族社会の無数の犠牲者のひとりです。

切れたものをくっつける、崩れたものをなんとかはぎ合わせる、そういうときには修復のためにも外からの雑菌をはじくためにもワーッと熱が出ますし、患部以外でも心身があっちゃこっちゃ誤作動をおこしますよね。ベルナデッタが「外」全般に対してバグりまくるのは、死にそうだった傷をなんとかつなぎあわせている段階にずっととどまっているから、そうせざるを得ないからです。

 

復活へ向かって

 ところでベルナデッタがぎりぎり死んでないことからして、「吊られた男」と「節制」のあいだにある死の象徴、「死神」アルカナは「具体的な死」だけを表しているわけではないことがわかります。

詳しいことはゴーティエの紋章とシルヴァンの記事で書いたんですけど、タロット大アルカナの中でも最も重要ともいえるターニング・ポイント「死神」アルカナが表す「死」というのは、「限界」のことです。

「いつか自分も死んじゃうんだな」

「どうせ全部失っちゃうんだな」

「自分にはできないことがあるんだな」

「この世にはわかんないことがあるんだな」

と気付いてしまい、「自分という世界の果てにぶつかった」と言いましょうか。

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努力しても、これから先時間をかけても、自分にはどうすることもできないことがあるんだなって。

その「世界の果て」は親との衝突かもしれないですし、挑戦してきたことの挫折かもしれないですし、理解し合えない他者との出会いかもしれません。いろいろです。人間は成長し続ける限りタロット大アルカナを何周もしますから、人生の中でそういう死ゾイは何度かおとずれます。

「死神」は世界の果てに直面し、その断崖絶壁を飛び降りた、あるいは分厚いガラスの壁を体当たりでブチ抜けた瞬間です。「節制」のベルナデッタは限界を超えた世界に放り出され、全身を強く打ったりガラスの破片でズタズタになったりしてピクピクしているのです。

それでもなんとか一命をとりとめた、そんな人に必要なのは何か? 絶対安静です。

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しみじみと無菌室絶対安静

ベルナデッタがお部屋を愛するのは、そこに他者という限界との接触がなく、自分だけで完結するからです。彼女には傷口がたくさんあるので、他者とまともに触れ合うのはまだ痛いし、危険です。初対面の相手が苦手すぎるのはそういうことです。先生のことは平気だったのは、先生は「他者」として自己主張してこない、傷に衝突しない静かな水のようだったからでしょう。

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これもダイナミック回避行動です。

重傷の患者はとりあえず静かに傷をふさがなければいけません。リハビリも必要でしょうが、そういう話は血が止まってからです。骨折を治療する手術すら、ひどい腫れがおさまってからでなければできないのです。そういうステイステイ時間は確かに必要なものだということです。

 

 

傷だらけのベル

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 「限界」をムリヤリ突破した傷は深いですが、体が消し飛んでしまったわけではありません。しかもそこは世界の果ての外の広い世界です。ベルナデッタは本当はもう父親から自由です。

ベルナデッタは今、広くなった世界をふたたび旅する英気を養うための入院・リハビリ中

 

VSドロテアくん

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 ベルナデッタの心に刻まれた「死」のひとつは、父によって平民の友達を失ったことです。「平民の男の子」という自分の世界と違う他者に出会ったら死がおこる、悲惨なことになるのだと教えられてしまった。このことでまずベルナデッタは「(特に平民の)友達を作らない」という対人引きこもりになりました。

ドロテアも「平民」であり、「おしゃれで、華やかで、社交的な人気者」というベルナデッタにとってあまりにも自分と違うバリバリ最強の「他者」です。「『他者』と友達になったらお父様が殺しにくる」というトラウマを抱えたベルナデッタはドロテアに惹かれる気持ちと回避したい気持ちに葛藤します。

それを知ったドロテアはさらにベルナデッタへの友愛を深め、優しく接します。ベルナデッタはドロテア自身と同じ、「紋章貴族社会の男に人格を否定され、利用され、深く傷ついた女の子」だったからです。ドロテアもまた自分が嫌いになるほどそういう「限界」にずっと傷ついてきたからです。

ドロテアは傷ついたベルちゃんを奮い立たせるのではなく、「ベルちゃんのお父様が何か言ってきても私は大丈夫、いなくなったりしない」と安心させます。するとあの他者との接触を怖がっていたベルナデッタはドロテアに抱きつき、わっと泣き崩れました。ひとまず「安心」させてあげなければベルナデッタはコミュニケーションがとれないのです。

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こちらは「安心」させてあげられない人です。

そこのところ対照的に不器用なのがエーデルガルトで、こちらも傷ついた女性どうしのチグハグてんやわんやがたいへんいとおしいです。

 

VSシルヴァンくん

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 さっきからずっといる死ゾイこと死ルヴァンくんです。この二人には意味の関連性があったんですね、シルヴァンが手当たり次第に女子と支援Bを築くのでわかりにくいですが。

シルヴァンのゴーティエの紋章に対応する「13 死神」アルカナは先述のとおり「限界」とそれを越える「精神の死」の瞬間をあらわします。限界と衝突して深く傷付いていることに関して、シルヴァンは直後の「14 節制」のベルナデッタと「15 悪魔」のマリアンヌにひそかにシンパシーをもっているようです。同じ責任の重い辺境伯家の子女であり、意味ありげに「俺は君の味方さ」と告げるマリアンヌ支援にはそれはわかりやすいですが、さりげなくベルナデッタ支援にもあらわれています。

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シルヴァンとベルナデッタの支援会話は「ベルナデッタの書いた小説」を中心に展開します。「本」はシルヴァンとベルナデッタの共通の好きなものです。シルヴァンの部屋には借りた本がたくさん積まれており、彼はたいへん要領がいいためすごく多くの本を読んでいることがわかります。

本、ことにフィクションというのは、いつも傷ついた人と世界との間の緩衝材のようになってくれます。孤独な家庭環境にある子どもたち、うまくつきあえる友達のいない子どもたちは、環境さえ許せばしばしば図書館を好み、本の世界に遊びます。本はもうひとつの世界であり、つらい現実の生活からいっとき飛び立つための翼になるからです。根本的解決にならなくても、傷ついた人にとって「今ここにいる自分」だけの世界から浮遊する時間は大切です。そういう退避世界をもつためにも読み書きや教養は大事だよね。

シルヴァン、ベルナデッタはふたりとも「家族」という子どもが最も頼り、愛し、信じたいものから手ひどく加害され、つらい現実との間に壁をもうけました。やり方は真逆ですが、自分の傷に擦れて痛まないように他人と距離をとっているのはシルヴァンも同じです。

だからシルヴァンがベルナデッタに関わるのはおもに「本」「ファンレター」を通してであり、そういった「紙に書かれた文章」「作家とファンという立場」を通してなら、傷ついたハリネズミどうしでもやさしく心を交流させることができるのです。

 

限界を抱いて飛べ

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 限界を知らない子どものころは幸せで、学び、努力すればかなわないことはないかに思えました。未来は希望で、毎日伸びていける若木は小さくても明るく幸せでした。「何も知らなかったあのころに戻れたらなあ」と思うことは、大人ならば一度や二度ではないことでしょう。しかし、逆に言えば、もう戻れないけれど歩いていこうということが大人になっていくということです。

少年のころ幸せだったのは、広い世界を、自分とぶつかる他者を、親の庇護から出た自分を知らなかっただけ。

エリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』によれば、自分の避けられない死を知った患者はおおむね5つのプロセスをたどるといいます。「そんなはずはない」という否認の段階、「なぜ自分が!」という怒りの段階、「助けてくださいなんでもしますから…」という取引の段階、「何をしても無駄だ…」という抑うつの段階を経て、自分の死をそういうものと心が受け入れる受容の段階があります。身体的死でなく、「今までの世界観の死」を受け入れるのにも似た経過があるとおもいます。

嵐のあとに陽がさして虹がかかるように、折れた骨もうまく治療すればより強くなるように、「限界」を越えて傷ついて、そして受け入れることで、人は自分を大きく広げていくことができます。

どうかハンネマンの貴族世界からの出奔と努力の年月が世界に虹の橋をかけ、ベルナデッタの心の傷に自由な翼が生えますように。

オーバー・ザ・レインボー・サンシャイン

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