湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

シャディクの永遠黙示録―『機動戦士ガンダム 水星の魔女』と『少女革命ウテナ』覚書③

 人類が心を『少女革命ウテナ』に革命されるようになって、既に四半世紀が過ぎていた――――。

これは、生まれて初めてガンダム作品をまともに観ることになった『ウテナ』オタクの、感動の読解覚書き【キャラクター編】である。

それぞれのキャラクターが『ウテナ』のキャラ役割とどのように対応しているか、また『ウテナ』との対応と作品テーマから、『水星の魔女』の中でそのキャラがどのような小テーマの象徴として機能してるっぽいか、読みどころを整理する。

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↑①【プロットとテーマ編】はこちら↑

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↑②【作品の重要用語編】はこちら

(『機動戦士ガンダム 水星の魔女』8話までのネタバレ、および今後の展開の予想、『少女革命ウテナ』全編のネタバレを含みます)

『ウテナ』見てない人にも伝わるように書いてるけど水星見てウテナに興味わいたから見ようと思ってる~という人は先に見よう。

 

字数がヤバくなったので「サブキャラクター」以降は次に回すこととする。

 

登場人物と背景、ウテナ読み

 『ウテナ』と重ねて見られる部分とずらされている部分、作品テーマの中での立ち位置と今後期待されることなどをまとめておく。

 

主人公たち

スレッタ・マーキュリー 無垢なる紅の魔女

 メイン主人公であるスレッタは、かわいい赤いたぬきである(赤いのにきつねではない……)。序盤のプロットではもちろん『ウテナ』の天上ウテナにあたる。

「学園都市の秩序がしっちゃかめっちゃかになるトリガーとなった転校生であり、たいした力を持っていない道化のように見えて謎の力込みで決闘にめっぽう強く、権力者に対しても自分の信念を通し、ウッカリ「花嫁」の所有者になってしまい彼女とタッグを組むことになる」まで完全に一致している。スレッタはウテナと同様この物語のトリックスター、弱者と強者の線引きをひっくり返す革命のジョーカーである。

おせっかいな王子様

 スレッタは常に堂々とした態度のウテナと比べて非常にオドオドして見えるが、ウテナも状況に流され付き合う主人公だったのでそれはまあ表面的な違いだ。基本肝が太く実力に裏打ちされた自信がある。同年代の子供と会ったことがなかったので対人会話に慣れていないだけだ。そのため、

私もエランの言う通りだと思うよ。実際あんた鬱陶しいし。でもそれがあんたじゃん。鬱陶しいくらいからんできて、私の言うことを聞かずに勝手に動いて!

――『機動戦士ガンダム 水星の魔女』6話 ミオリネ

と、アンシーがウテナを呼んだ「おせっかいな王子様」の特性をもつと評価されている。しかも『ウテナ』ではアンシーは最終話前半にいたるまでウテナのおせっかいの力を信じられなかったが、ミオリネは6話にしてスレッタのこの性質を受容している。令和の主人公タッグは話が早いし強い。

 

罪なき魔女

 しかし、スレッタを表す言葉は『ウテナ』ではアンシーをさしていた「魔女」である。これはもちろん禁止技術であるガンダムを使う者、世界の均衡を壊す呪いを身に秘めた危険分子であることを意味しているのだが、このウテナとアンシーのねじれがなにかと見どころがある。

『ウテナ』と比べて面白いのは、スレッタが「ミオリネに花婿としてああしろこうしろと言われる」「グエルに求婚やツンデレされる」「エランに勝手に期待され勝手に失望される」など、どんどん乙女ゲームハーレム状態になっていくことだ。

しかし、このモテ方、周りの人間の関心を惹きつける様子には仕掛けがある。ミオリネはだんだんとスレッタを尊重するように変化していっているが、上に述べたハーレム状態では誰もスレッタの意思をよく知ろうとせず、勝手な期待を押し付けるかたちで関心を寄せているのだ。これはまさに『ウテナ』においてアンシーが発揮していた魔性の魅力、「望みを投影される女」というモテである。シャディクの

「君が来てから、グエルもエランもおかしくなってる」――6話

「ミオリネ…変わったね。(中略)これも水星ちゃんの魔力かな?」――7話

という言い方も「魔女モテ」を示唆している。シャディクだけウテナ見たことあるんだよたぶん。

 

やりたいことリスト

 それでは「スレッタの意思」とはどこにあるのか、アンシーのようにほぼ死んだ状態なのか? そこはアンシーとは違って、スレッタは意思を隠さず殺さずちゃんと持っている。大目標は「故郷の水星に人を増やし学校を作ること」、小目標は「やりたいことリスト達成」だ。

やりたいことリストとは、同世代の子供のいない水星で学校生活フィクションにあこがれて育ったスレッタが作った、学校生活の楽しそうな行動リストだ。大目標も学校生活のキラキラに憧れるゆえのことで、基本的にスレッタは同性代の若者と学び遊び共に何かをすることに強い関心がある。

リストの中身はごく平凡で、友達と連絡先を交換すること、屋上でご飯を食べることなど、どんな子供の人生にもそのくらいの機会が与えられるべきレベルの小さな幸せだ。つまり「やりたいことリスト」とは誰にでもある人生の希望健康で文化的な最低限度の生活のかたちのことだ。

でも、私とエアリアルは…負けません! だって、だって!
やりたいことリスト、全然埋まってない!

――『水星の魔女』3話

スレッタは「やりたいことリストが全然埋まってない」から負けるわけにはいかないと言う。力で他人に言うことを聞かせるのが常識の決闘世界において、スレッタが戦い勝つ理由は、誰かを支配するためでも力を手に入れるためでもなくただ「自分の人生を生きるため」なのだ。『ウテナ』における、他の皆が失った過去の光(光さす庭)を永遠にする力を求めて戦っている中、ただ一人自分とアンシーが解放され進む未来のために戦っていたウテナのように。

「大きな何かのためでなくとも、ただ自分の人生を生きるために戦う」、それが今作の主人公たちの重要なテーマとなる。実はけっこうわかりにくいというか、「大きな何か」のほうが見えやすくてそっちに注目が集まりがちになるが、自分たちの人生を自分たちで生きるという「だけ」のことが「大義」みたいなことと同じように尊いのだという繊細な真実をくりかえし伝える作品になるだろう。

 

気高さ

 ウテナが王子様にもらった「その強さ、気高さを、どうか大人になっても失わないで」という言葉によって気高い王子様を目指しているように、スレッタはお母さんにもらった「逃げれば一つ、進めば二つ」という言葉で自分を奮い立たせている。

人生には逃げたほうがいい局面というものもある。もしスレッタにとって逃げた方がいい局面が来たとしても、お母さんがスレッタをいろんなことに都合よくけしかけるためにこの言葉はよく役に立つ「魔法の呪文」である。

しかし、はじめに呪いの発動呪文として授けられた魔法だからといって、呪い以外のパワーを発揮しないとは限らない。スレッタはお母さんにもらった魔法を自らの意思の力として踏み出すようになった。親がよかれと思って授けた祝福が呪いに感じられることがあるように、親が子供にかけてしまった呪いを子供が生きていく中で祝福の力に変えることもできる。当方も身分や家柄みたいなものを鼻にかける祖母から階級差別的な呪い教育をうけたが、それを反面教師踏み台にして本当の気高さやノブレス・オブリージュ(高貴の責任)を志してきたつもりだ。そういう意味で祖母には感謝している。

生を祝福するとはそういうことのはずだ。

詳しくはネタバレで言えないが『バディミッションBOND』もそういう話だ。

 

ミオリネ・レンブラン 殻をつつく白い鳥

 パートナー主人公であるミオリネは、白くほっそりと小柄で美しいお姫様であり、序盤のプロットでは『ウテナ』の「薔薇の花嫁」アンシーにあたる……が、アンシーとは別の意味でかなり強烈な女性である

『ウテナ』との違いを出しているのは主にスレッタの運命が「魔女」であることと、「花嫁」であるミオリネの性格と行動がアンシーとはまるで違うことだ。『ウテナ』においてアンシー=花嫁は「個人の本心、尊厳」を象徴していた。そのため、特にミオリネ=花嫁の挙動が「新しい、現代の『個人の尊厳』のテーマ」を浮き彫りにしている。

温室

 ミオリネは「権力者との接続の道具、トロフィーとしての花嫁」にされているだけでなく、「温室で一人植物の世話をしている」ということもアンシーと共通して表現されている。『ウテナ』では温室は鳥籠のかたちをしており、鳥籠に閉じ込められた心、あるいは心のプライベートな安全地帯を意味する。アンシーは心を殺した状態で踏まれてもなんでもないし薔薇に特別な感情もないので薔薇園に人が入ってくることに文句を言ったりしないが、ミオリネは温室を大事にし、入るなと厳しく言う。ミオリネにとっての温室は鳥籠に閉じ込められた内心でありつつ、堅守すべき大事なものだということだ。ミオリネはアンシーと違い、最初から自分の心をものすごく大事にしているのだ!

そこに拒否されてもズカズカ入ってきてミオリネが口答えをすると破壊行為を行ったグエルはミオリネの内心の自由と尊厳を踏みにじったということになる。ミオリネのボディガードはミオリネのボディが外敵に狙われたり逃げたりすることには対応するが、内心や尊厳が傷つけられていても守らない。きっと誰もミオリネの温室を守ろうとしてくれたことはなく、ミオリネは非力でも一人で築き上げ、守り、修理し、丁寧に世話をしてきた。図太いセルフケア精神である。これからのヒロインは自分を軽んじたりしないのだ。

そんな一人でも図太いお姫様の尊厳を守ろうとしてくれた初めての人間がスレッタだった。スレッタはそののち温室の世話を手伝わされるようになり、これはミオリネがスレッタを自分の心に入れたということを表している。本人が意識しているかどうかはわからないが。

 

運命のトマト

 『ウテナ』では温室で育てられる薔薇は気難しく世話の大変な植物だが、心と気高い力の象徴でもあった。『水星の魔女』で薔薇にあたるものは「トマト」である。トメイトゥ。

ミオリネが温室で育てている薔薇もといトマトは特別なトマトで、地球の作物を研究する生物系の学者であったのだろうミオリネの母(故人)が作った品種のものだ。とてもうまい。ミオリネがトマトの温室=自分の心を大事にするのは、愛する亡き母が遺したものでもあるからだということだ。ここには地味に他者を愛することと自分を大切にすることのリンクがある。

その大事なトマトを、ミオリネはお腹が空いたスレッタに分け与えた。まだ契約関係になく、かえって脱出を邪魔されてマイナス感情のほうが多い状態だったが、何も知らず巻き込まれたのに責任を取ると一生懸命なことや一人で心細そうなことを慮ったのだ。優しい娘さんだ(おじさん感想)。

それをスレッタは『千と千尋の神隠し』のおにぎりシーンのような演出でおいしそうに食べた。ここで、『ウテナ』ではないし大河内氏も関係ないが「家族と呪いと祝福」というテーマ的に関わりありそうだと述べた幾原監督作品の『輪るピングドラム』のモチーフが思い出される。『ピンドラ』においてリンゴは「命」「運命」の象徴であり、それを分け与え食べることは命も罪も罰も、運命の祝福も呪いも分け合って共に生きる家族になることを意味していた。

まだお互いを知らなかったあのときに分け与えた特別なトマト。いずれ運命を分け合って共に生きることの象徴として、なんらかの形でまたリフレインされるだろう。

 

暴れ花嫁

 さて、モチーフの解読はこのくらいにしておいて、肝心の花嫁の挙動である。今回の「花嫁」はいきなり逃走しているところから始まる。もうアンシーの最終回からニューゲームの勢いである。話が劇場版よりさらに先に進んでいる。スゲー。でも逆に『ウテナ』の構図を先に進める作品は今まであまり現れなかったってことでもあるんだな。

アンシー=花嫁役として注目すべきミオリネの挙動は多いので、まず箇条書きにする。

  • 自分で鳥籠から脱走しようとする
  • スレッタの手をひいて走る
  • 自分からトマトをスレッタに与える
  • 支配者(クソ親父)に悪態をつきまくる
  • かなわない暴力にも徒手空拳で抵抗
  • 弱いのに代わりに戦ってくれるスレッタからMSを奪ってまで自分で戦う
  • 武力はないが知力的にめちゃくちゃ実力がある
  • 花嫁である自分もスレッタの力であると全力で奔走しサポート
  • スレッタの大事なものを守り返そうとする

ストレートに「前に進んだアンシー」、自分で自分を大事にし、自ら動き、ギャースカ声をあげビチビチ暴れるという、古いお姫様にはできなかったことをする新しいお姫様だ。しかし、全然違うし新しいからこそ、かえって「それでも依然として残るテーマ」が浮き彫りになる。

特に、アンシーは「抵抗する力も意志もない」というナイナイだったが、ミオリネは「抵抗する力はないが意志がある」ナイアルなのだ。「抵抗する力も意志もある」者が戦うのは普通の物語だ。力がないし一発逆転もしないで普通に負けてしまうのがわかっているのに、無様であってもかまわず自分のケンカを戦おうとするミオリネの姿は、彼女が自分の人生を自分で生きることを本当に何よりも大事にしていることを伝えてくる。

当方の語彙力が足りないために、なんだか普通のことのようだが、『水星の魔女』の世界で(そしてこの現実で)「自分の人生を自分の意思で生きること」がどれだけ軽んじられていることか。縛り付けられ、あるいは飼い馴らされ、それぞれの生まれで決まった鳥籠の中で「人生はこんなもんなんだ、これが正しい大人なんだ」と生きて死ぬのが無意識に当たり前になっている世界でミオリネは相当な「変わり者」である。ヘンなのはスレッタではなくミオリネだ。

偽りに満ちた花飾りを捨て
身を包むものは禊の河水
安らけき寿を捨て
あてもなき愛に殉ずる

――中島みゆき『安らけき寿を捨て』(2008年)

上は中島みゆきのミュージカル「夜会」の中で結婚式から逃亡してきた花嫁のシーンで歌われる当方の好きな曲だ。皆から羨まれる、安泰で麗しい、祝福された安らぎを捨てても選びたいものこそが、本当のものだ。普通はそこまで苛烈に「本当」を追い求めることはできないから、白いヒールを脱いで裸足で走る花嫁は美しいし、そして幻想の中だけの存在にならずちゃんとそのまま走って行ってほしいなっておもう。

 

恵まれた者

 しかしミオリネが暴れ「られる」のはミオリネが気高い心を持っていること「だけ」が理由ではない。ミオリネが縛り付けられているのは生まれのせいだが、ミオリネが暴れることが可能なのもまた生まれのおかげだ。ビコーズオブ生まれ。

クソ親父に思う存分クソがー!(ガンバレルーヤよしこ)しても無事でいられるのはクソ親父総裁の娘だからだ。この世界では普通ならそれで人生がほぼオワタしてしまうので誰も言えないだけだ。丁重に扱われ、寮に入らず理事長室で気ままに暮らしているのも総裁の娘だから。そもそも地球脱出屋さんへの報酬も、才覚を花開かせる勉強も、親の提供した環境あってのものだ。

生まれた時点でもうどうがんばってもリソースや勉学の機会や、当たり前であるべき人権だって手にしがたい子供たちが『水星の魔女』の世界には(そして、この世界にも)たくさんいるし、クソ親父はミオリネに何一つ与えないことだってできた(当然虐待にはなるが、力がすべての世界であれば法も正義も一段下だ)。スレッタのモビルスーツを奪い「これは私のケンカよ!!!!」と飛び出して即ダウン2コマしてもたした問題にならないのも彼女が学園のプリンセスだから。たとえば吹けば飛ぶような弱小企業の推薦した学生が同じことをしたらすーぐに企業推薦は取り消し、退学、完全に干されることだろう。ミオリネは「しょせん」恵まれているお嬢様なのだ。あえてそういう言葉を使うなら。

親の言うこと聞かなければ廃嫡されるグエルに「あんたはパパの言いなりだもんね」、たえず構造的差別にさらされているがゆえにスペーシアンに対して攻撃的になる弱者側のチュチュに「アーシアンを差別するスペーシアンと変わらないのね」とミオリネが言うのは、内容が正論でも恵まれた側のおまえがそれを言うのかよ案件である。白人社会側が有色人種の差別反対運動に「暴力はよくない」と言ったり、男性社会側がフェミニズム活動に「それでは逆差別だ」と言ったりするような、強者だからできる無知傲慢無責任発言だ。クソ親父にとにかく反抗・脱出することを目標にしている浅さに加えてこういうところがミオリネの未熟さとして描かれており、作品を通してこの個人を超えた社会問題に向き合うことが示唆されている。

今言えることは、この未熟さや無配慮さはしかし、恵まれた若者のもつ希望でもあるということだ。

確かに、恵まれた立場の者が弱者側や被差別側のもがきにとやかく言っていいものではない。しかし恵まれた若者が最初のグエルのように弱者と関わりをもたず「分を守って」生きていくばかりでは、差別構造はずっと強化され続けるだろう。革命はいつも強者側にある人が弱者に協力することでなされてきた。恵まれた若者が自由と解放のためにそのノブレスオブリージュを使えるとしたら、上からは「そんな下賎の活動に手を貸すな、裏切り者」と言われ、下からは「何もわかってないくせに、お前は本物の仲間じゃない」と言われることに耐えてそれでも進むことだ。

逃げたら一つ、進めば二つ。与えられ恵まれた体力は風雪に抗って進むために。そこには信頼が生まれ、お姫様は父王から与えられたのではないものを得ることになる。

 

「王子様」たち

 『水星の魔女』の初期には「3人の王子様」とでも呼べる地位とルックスぢからの高い男性メインキャラが設定されている。彼らは「決闘委員会」の主要メンバーにして学園都市を支配する主要な会社「御三家」それぞれの御曹司であり、これは『ウテナ』の「生徒会」にあたる。

すべてのキャラが自己投影なんです。どのキャラクターも、大人になれない決定的な弱点を持っている。その「弱点を持ってるが故に世界を変えられない」という部分が自己投影なんです。

――『ぱふ』(雑草社・98年01月号)幾原邦彦インタビュー

『ウテナ』で生徒会メンバーらがそれぞれの心のテーマを象徴する擬人化的存在だったように、『水星の魔女』の3人の王子様たちもそれぞれ作品テーマに別角度から光を当てる役割をもっている。

そのテーマとは「運命」と「支配」である。いかにも「王子様」にぴったりのテーマではないか。

グエル・ジェターク 墜ちる王子様

 グエル・ジェタークは、西園寺莢一である。御三家のひとつジェターク・ヘビー・マシーナリーCEOの跡継ぎ息子であり、今作開始時点でのミオリネの「花婿」であった。ただ、西園寺よりも明らかに失墜後に何かやってくれそうに描かれている。『ウテナ』ではウテナとアンシーだけがあの学園都市のいつわりの永遠を卒業できたが、『水星の魔女』で鳥籠を出られるかもしれないのは主人公たちだけではなさそうだ。

家名がそのまま社名になっている明快な大企業の、たぶん実子である御曹司で、隣に妾腹の苗字違いの弟がいることで正妻の子であると表示されているにひとしい。生まれや立場に文句がないだけでなく、スレッタが現れるまで決闘で並ぶ者がなく、実力でもすべてをほしいままにしてきた。他人に暴力を示しみじめな思いをさせることを悪いとも思っていない。古式ゆかしきタイプのマッチョな王子様である。

ずいぶん古臭く、ミオリネが反発するのも当然……とまずは視聴者に自然に思わせることに成功しているが、なんだかんだこういう力で敵対者を黙らせる王子様ってまだまだ女性には人気のジャンルでもある。相手の女性を愛している場合だけど。

グエル王子はミオリネと同様、生まれによって決まったきらびやかな運命のレールを走らされる、黄金の檻のライオンだった。檻の中での戦いに勝っても、それを実力だと信じ誇っても、結局はほぼ親にお膳立てされたデモンストレーション戦にすぎない。スレッタとの再戦でグエルは自分の誇りを取り戻そうとしたが、父親はグエル自身が真剣勝負でライバルを打ち破ることなどどうでもよく、会社が勝つためにモビルスーツの操縦をグエルから奪った。「子供は親の言うことを黙って聞いていればいいんだ!」と言われ、グエルの運命の操縦桿はグエルのものではないと示されたのだ。

「おまえの意思はいらない。黙って上の言うことを聞き利益をもたらせ。そうでなければ切る」と言われているのはグエルだけではない。グエルの父もスポンサーに同じことを言われているし、たぶんグエル祖父にもそう言われて育ったのだろう。力をかさに着た脅しで言うことを聞かされた者が「成功者」のレールに乗せられても工場の生産ラインのようなもので、そこに本人の意思も誇りも成功もない。しかしそんなむなしい力を本人は「自分は成功者なのだ、子にも同じ成功をさせるんだ」と信じるようになる。それは鎖のように続いていく。「支配」だけが強者である親から子へ孫へつながる運命、絆になってしまうのだ。

グエルはめちゃめちゃ負けたことによって親に捨てられてしまった。マッチョな黄金の鎖と檻から放逐されたという希望だ。西園寺は失墜したあとこっぴどくフッた女のヒモになることで再起をはかるとかいう最悪マッチョムーブをかましていていっそおもしろかったが、グエルはあわてず騒がず堂々と一人でキャンプ生活とかしている。カッコいい。

マチズモの檻に捕まり、それが大人ってものなんだと価値観を内面化した者はなかなか自分では外に出られない。檻が壊れてさえそこに戻ろうとする西園寺のような者も、本当に多くいる。グエルは自分の地位を壊しながらも自分の意思と実力を認めてくれたスレッタに思わずプロポーズをしてしまった。檻を壊した雷を輝く恩恵だと愛せた人の未来は明るい。

 

エラン・ケレス あらかじめ死せる王子様

 エラン・ケレスは、薫幹である。御三家のひとつペイル・テクノロジーズが試作機のために擁立した天才パイロット様だ。おまけに涼やかで神秘的な美形で声も花江夏樹くんだ。グエルとは対照的に優しげな王子様としてスレッタにアプローチし、スレッタはす~ぐにホの字になってしまう。

しかし実はこの薫幹は替え玉、というかペイル社のガンダム開発のための捨て駒「強化人士4号」であり、スレッタにも開発者の意向でエアリアルを探るために近付いていただけだった。ミッキーと同じように非人間的なほど静かで怜悧な「氷の君」なのは、自分が使い捨てで長生きはできないことを知っていて虚無いからだった。しかも「オリジナルのエラン様」に扮するために容姿を変えられ過去の記憶も封じられていた。

恐ろしい人体実験である。こんなことを4人も5人もの若者に。ヴァナディースの魔女も余裕で上回る倫理ぶっ壊れ。さすがにこれがまともに明らかになれば、いくら大会社でもコンプラどころの騒ぎではない。4号くんはなぜこのようなことに体を提供しているのだろうか?

……ところで、4号くん的にはスレッタに近付いたことはただの仕事で特に感情はなかったが、おせっかい無神経ウザ絡みをされるうちに心をかき乱される。そしてスレッタとの戦いの中パーメットの情報共有の混線で、過去の記憶を思い出す。「誕生日を祝ってくれる人が自分にもいた」と。エランくん4号の一瞬の記憶、誕生日を祝ってくれたおそらく母親であろう人は、おせじにも豊かとはいえない生活水準に描かれていた。そして4号くんの協力でペイル社のガンダム開発が無事になんかいい感じになれば、4号くんは「市民番号」を手に入れられるとも言われている。まあ、あと数回しかガンドフォーマットのデータストームに体が耐えられないと言われているからそんな望みは薄いんだけど。

すなわち4号くんの出身階層は貧しく市民権ももたない人々のスラム的なところで、少しでも暮らしをよくするために4号くんになる前の彼?(名前どころか性別すらわからない)は少々ガンダム適性のあった体を差し出したわけだ。これは現実でも起こっていることだ。性産業、人身売買、兵隊、臓器売買、代理出産ビジネス……貧しく人権も主張できない人々は教育を受けて力をつける機会もなく、自分の体と人生しか売れるものがない。こういう無惨なことは表向きは禁止されたり自由意志に任されている扱いになっていたりするが、そうやってカネを手に入れる手段が魅力的に感じてしまうような過酷な環境が放置される限り、強者側にはいくらでもそれを買う手段があり、労せずして「安く買い叩ける家畜」を維持することができる。

過去も失い、未来も失い、誕生日も大切な人とのつながりも失った4号くんは、作品開始時点で「死んでいる」「生まれていない」ようなものだった。4号くんになる前の彼は、大切な人を守るために身を捧げて死ぬことを選んだのだ。スレッタに見せた優しさは仕事で演技のつもりだったろうが、彼は本当に優しい人だった。これは『ウテナ』であれば「見ず知らずの子供を助けるため川に飛び込んで死んでしまった誰か」そして「兄を運命から解放するため犠牲になり世界からの悪意の剣に捧げ続けるアンシー」、『輪るピングドラム』であれば「愛による死を自ら選択した者が林檎を手にできる」こと、また、これは出典がどこかマジでわかんないし誰の発言かもさだかではないが「王子様になれるのは死んだ男だけ」という言葉を考えあわせるに、4号くんは愛のために死んだ本物の王子様だったのだ。

アンシーは、かつて社会のモラルに裁かれたんだろうね。彼女は自分が愛した人を救いたかっただけなのに、ああいうことになってしまった。逆に世界中の人々は、そのモラルによって自分たちは救済されるべきだと言い続けてるわけ。だから、アンシーは心を閉ざし、黙っちゃったんだろうな。
デュエリストっていうのは、その辺のことに薄々気づいてる人達のことなんだね。この現実世界はモラルによる救済はないってことに気がついている。

――『アニメージュ』(徳間書店・98年01月号)幾原邦彦インタビューより

そして子供を助けるために川に飛び込んで死んでしまった気高い王子様のことを、みんなすぐに忘れてしまう。世界は昨日と同じように回り続ける。

「本物の王子様」が、そしてこの作品にはたいへん珍しい「愛によるつながり」がわれわれに名も知らされず、吹けば飛ぶようなスラムの生まれで、あらかじめ死んで忘れ去られていたことはとても皮肉なはなしだ。4号くんが残したのは、愛によるつながりや気高さはこの世に存在はしているが、それは経済の力によってたやすく支配され、音もたてずに踏みつぶされるという事実だ。

そして、そのような悲しい運命は意図的に放置されている。支配と搾取に都合がいいからだ。

 

シャディク・ゼネリ 棺に乗った王子様

 シャディク・ゼネリは、桐生冬芽である。こいつだけ明らかに『ウテナ』を視聴済みである。御三家のひとつグラスレー・ディフェンス・システムズCEOの養子であり、すでに会社の仕事にバリバリ参加しているデキる男だ。声はシルヴァンジョゼゴーティエ。冬芽と同じようにすでに大人世界の権力に片足を突っ込んでいるだけでなく、グエルのような硬派マッチョでなくスマートで女性にモテる。西園寺と冬芽じゃん。

冬芽のように、チャラ色男に見えて巧緻な政治力や胸に秘めた複雑な感情を持っている最もバランスよく強いタイプであることは最初からなんとなくわかるように描写されているが、彼の個人的な過去や考えがチラリと覗くのは7話にもなってやっとである。もとは戦災孤児で、グラスレー社のやっている施設の出身。幼少期から聡明だったようで、早いうちに養子に入ってミオリネとは幼いころからの知り合い、わりと気安く話せる仲なのだった。

徹底して表面的な人当たりの良さだけを見せるシャディクは、7話の独り言で初めてまともに心情に関わることを言う。スレッタのために動いてやるようになったミオリネの後ろ姿を見て、「変わったよ、君は。……残念だ」とつぶやくのだ。

この「残念だ」には意味がおおむねふたつある。一つはスレッタのせいでミオリネに一番近い人間が自分ではなくなってしまったことへの残念さ。つまりシャディクは昔からミオリネにちょっとラブ的な好意をもっているのだ。もう一つは、ミオリネが「変わった」こと自体への残念さだ。シャディクはミオリネが他人との友情のために何かをするような人間に変わりつつあることを残念がっていることになる。こういう変化はふつうならば良い変化、成長であるはずだし、実際ミオリネの心にとって良いことなのに、シャディクは何を考えているのだろうか? それはその後のシャディクの「ミオリネを想う言動」によって徐々に明らかになる。

幼いウテナ「だから、もういいの。私は、もうこの柩から出ないの」
西園寺「あの子が天上ウテナだったとは...柩の中にいた、あの女の子が...」
冬芽「今も彼女は一人きりで柩の中にいる。彼女を救うためにも、俺は彼女に勝つ」

――『少女革命ウテナ』35話

 シャディクはグエルのようにミオリネを物品扱いもしないし、暴力的でもなく、優しい。そして生まれは弱かったのに今やエランのような使い捨ての部品ではなく、強い男として社会の中で手堅い力をもった存在になろうとしている。スレッタと違ってミオリネと同等の上流階級の教養と知能を持ち、話も合う。何よりミオリネのことをかけがえのない人として愛している。冬芽よりも完璧な王子様だ。だからこそ、テーマの焦点がはっきりする。「ふつう」のロマンスなら、シャディクのような王子様と結ばれたらハッピーなはずだ。しかしミオリネはシャディクを切り、スレッタと歩む。完璧なシャディクが持っていない、できないたった一つのことが、ミオリネの人生が求めているものなのだ。いちばん王子様に近かった冬芽が惜しくも持てなかった気高さのように。それは何か?

冬芽「俺は、君の王子様にはなれないだろうか? 俺の王女は君しかいない」
ウテナ「またそんな...」
冬芽「本当だよ。俺は、君が好きだ。心から、君を愛しいと思っている。君の気高さ、美しさに引かれる者は多いだろう。もし俺が君にふさわしくないとしても、どうかこの一瞬だけは、俺と一緒にいてほしい。それだけでいいんだ。....この夜、こうして君と二人でいた時の思い出が、俺の中に刻み込めれば、それでいい。ただそれだけを俺に許してくれないか」
ウテナ「わかった....」
冬芽「ありがとう」

――『少女革命ウテナ』36話

ガンダム開発部を擁する新会社を立ち上げようとするミオリネに対し、シャディクは支援と言う名の事実上の囲い込みを申し出る。内容的にはミオリネにとっては「安全」な渡りに船ではあったが、「俺が守ってあげるから、コントロール下に入ってその中で社長ごっこをしてていいよ」ということに等しい。

そこに悪意はなく、シャディクはマジでミオリネを守る覚悟だ。自分の父からも強大なミオリネの父からも。しかし一方でグエルに「(おまえとの決闘を)避けてたのはおまえになら(ミオリネを)任せられると思ったからだよ」と言っており、たとえそれが「決闘ではグエルに勝てないな」という目算ゆえに自分に言い訳したそれっぽい理由だったにせよ、事実上「ミオリネの意思や尊厳をないがしろにする男であっても、力で彼女の安全や生活を守ってくれるなら最低限オッケー」と思っていることになる。

結局冬芽、じゃなかった、シャディクも力ある者(男性)どうしで女性の人生を勝手に共有したり取引したり任せたりしていいと思っちゃう、マッチョ世界のアキオカーを乗り回す側になってしまっている。それが、ミオリネが最も嫌うものだ。

冬芽「約束しよう。この決闘で君が勝てば、生徒会の者はもう決して薔薇の花嫁を狙いはしない。しかし、もし俺が勝ったら、君は俺の女になれ!」
ウテナ「見損なったよ! あんたが、そんな言い方するなんて」

――『少女革命ウテナ』36話

 シャディクは頑固な古い考えを象徴する父サリウスを「狭すぎる。視野も、思想も」と言い空を見上げる。ミオリネと同じく棺の鳥籠に囚われた大鳥なのだ。「俺は君となら、父さんたちよりいい未来を描けると思ってるよ」と手を差し出すのも、とてもいいシーンだ。シャディクは戦争で親を失い運命を呪われた身でありながら、強い棺を乗りこなしてしたたかに支配の力を利用し、少しでも鳥籠を壊しマシにしようとする道を選んだ。すごい男だ。こんなふうでありたいなあと思う。でもシャディクは棺を乗り回すうちに、なりふりかまわず飛び出すことができなくなってしまった。仕事の実績で信頼を築き上げることを重視し、それでしか人と関われない硬い棺から出られなくなってしまった。

同じ狭い鳥籠の中で翼をもてあます美しい鳥として、隣の鳥籠からシャディクはミオリネを愛した。シャディクとしては望んで努力して入った鳥籠だが、自分たちを閉じ込める大人たち、鳥籠に閉じ込められていることにも気づかず自他を踏みにじる者たちの愚かさをいつか変えてやろうと思ってきた。他を圧倒する聡明さで世の中を見下し父親に反抗する気高いミオリネは、自分と似た存在だと思ってきたのだろう。

グエルがズケズケ踏み入って傷つけた「ミオリネの心」トマト農園にシャディクは踏み入ったりしないし、そんなことはしない奴だとミオリネにも信頼されている。シャディクは優しくて強くていいやつなのに孤独だ。涙出てきた。あくまで鳥籠の中からの流儀でスマートに波風を立てず、誰にも心を許さずにサバイヴすることを選んだシャディクには、誰かを信じ心を預けるようになってしまったミオリネが寂しかったのだ。そんなアキオカーと一体化した王子様は、まことに残念ながら、ミオリネにふさわしくない。

 

字数がヤバくなってきたので後半はまたこんどにする。

サブキャラクター

ニカ・ナナウラ 優しくゆれる棺

チュアチュリー・パンランチ チュチュ⁉⁉

暁生(ラスボス)たち

デリング・レンブラン ダブスタ最強親父

プロスペラ・マーキュリー こどもブロイラー

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