湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

フォドラ「子供」事情―FE風花雪月と中世の舞台裏⑥

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「子供(子供の立場や教育)」編です。5月の同人誌即売イベントで頒布した『フォドラの舞台裏ライフステージ編』の当該部分の簡易バージョンです。

あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。

フィリップ・アリエス著 杉山光信・杉山恵美子訳『〈子供〉の誕生:アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(みすず書房・1980年)、ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著『中世の日常生活』(中央公論社・1989年)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの城の生活』(講談社・2005年)、J.ギース/F.ギース著 青島淑子訳『中世ヨーロッパの農村の生活』(講談社・2008年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの結婚と家族』(講談社・2019年)、河原温・池上俊一著『都市から見るヨーロッパ史』(放送大学教育振興会・2021年)、菊池雄太編著『図説|中世ヨーロッパの商人』(河出書房・2022年)

 

紙の同人誌も分冊で3冊出ているぜ

booth.pm

 

 

子供古今東西

 現在、日本では二〇歳になるまでお酒たばこをのんではいけません。それとは別に一八歳で成年、オトナとなる法が施行されています。成人年齢が二〇歳であったときも社会人としての責任能力を有するのはおおむね一八歳からとされてきました。世界各国でもだいたい成人年齢は一八歳前後です。すなわち、現代日本では一七歳くらいまでの年齢までの人間は扱い上「子供」なのです。

しかし、少し前までは結婚可能年齢が「男性一八歳、女性一六歳」でした。女性を社会のフルメンバーとして見ておらず出産適齢をベースとした昔の考え方の影響ではあったものの、結婚できるということは「大人」とみなされていたといってもいいです。また、アメリカの一部の州では一六歳で自動車を運転することができ、これも「一人前の責任能力を有している」と認められているということです。

このように、大人と子供の境目は自然に決まっているものではなく、そのときの社会が引くものにすぎません。そうであるならば、社会が変われば「子供とは何か」も変わるのです。子供は生まれてから「一人前」になるまでの「間(あわい)」であることだけがわかっています。子供こそを完全なもののとみなす文明もあるけどね。

現代ではない社会の人々はどのように赤ん坊を迎え、「ちいさな人たち」を何者だと遇し、いつ社会に出していたのでしょうか?

 

 古代や中世っぽい文明をベースとしたファンタジー創作の中では、「一人前の大人」ということになる年齢は現実の現代よりも低く設定されがちです。ドラクエⅢやⅪの主人公勇者の旅立ちは16歳の誕生日ですし、他にも15歳とかもよく見ます。

しかし、古い時代ならばだいたい中学校卒業程度で大人になるとも限りません。古いも古い古代ギリシャでは結婚や政治参画が可能な立派な大人の男子の年齢は30歳~40歳くらいからやっととされていました。

これは現代の日本で「このくらいまで見守ればしっかり独り立ちした社会人になるかな」と親が計算する年齢が大学卒業して仕事にもなじんだ二四歳くらいであることと似ていて、「立派な大人」になるためのステップがきわめて高度化していたためです。いろいろな学問で徳と魂を磨いた均整のとれた市民だけが、古代ギリシャでは大人とみなされたのです。

つまり身分や学識卑しい不完全なものたちは年を重ねようと不完全なままであり、「子供」をさす「παις」という言葉は奴隷や「とるに足らない」ものたちをさす言葉でした。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で

事実、欲情のままに子供たちは生きるものなのであって、快というものへの欲求の最もはなはだしいのも彼らなのである。だからもし、彼らにききわけが生ぜず、支配的なるものの下に立つにいたらないならば、その赴くところ測るべからざるものがあるであろう。

とか述べており、中学生ぐらいまでの年齢のガキンチョどもは下等動物といっしょ、ワンちゃんとかのほうがまだ同法を憐れむ徳性があるわ~い、とみなしています。そういうわけで古代ギリシャの都市国家の市民の子供たちは「獣から人間になるために」厳しく鞭打たれて躾けられるのが当たり前でした。

古代ギリシャのように、「理性的であること」に人間としての要件をおく見方をとると子供あるいは半人前の若者とみなされる年齢は延び、そこでは子供とは「教育されるべきもの」です。これはわりと現代と似た考え方ですから、呑み込みやすいんじゃないでしょうか。

www.swissinfo.ch

 一方で、ほとんど現代に近い近代である十九世紀のイギリスなどではえれえヤバい児童労働が行われていました。産業革命以後、工場労働には大人の男の力がいらず、鉱山はいつも人手不足で、孤児は多く、十歳にも満たない子供が工場や鉱山でものすごい長時間労働をさせられていました。もう「大人顔負け」とかじゃありませんよ。彼らは貧しさのゆえに、体が成熟すらしないうちに強制的に大人と同じ扱いにされたのです。

というわけで、産業革命直後のイギリスのように、「労働力になること」に人間としての要件をおく見方をとるなら子供として保護される年齢は縮まり、そこでは子供とは「(まだ)使いものにならないもの」です。5歳とかの。

ヤベー考え方だなと思うかもしれませんが、そういう見方が極端な時代や場所があったからこそ、世界の多くの国では児童労働の制限と子供に教育を授ける義務が設定されているのだということを忘れてはいけません。現代のわれわれが思い描くような「外界の危険からも家族の暴力からも保護されるべき、のびやかに遊び学ぶ子供」は当たり前のイメージではないのです。

 

日本の歴史との比較

 日本では時代や階層を問わず子供は親の所有物扱いでほぼ絶対服従でしたが、「家族の構成員は家長が自由にしていいモノ」というシステムは別に子供に限ったことじゃなかったので、家長と跡取り以外はみんないっしょです。

日本の子供観としてよく知られている言葉のひとつに、「七つまでは神のうち」があります。七つとは七歳のことで、その年齢までの子供、すなわち童(わらわ)は神の側に属する存在として「人間」である扱いをしない、という意味です。「七」は「切る」って字の中に入っていますよね。もともとは「七」こそが切るという意味の字です。大きな区切りをつける、子供を自然のへその緒から切り離してちゃんと人間としてとりあげることができる……と考えられていたのが七歳でした。そのへんのをテーマにしていて風花雪月ファンにもおすすめシナリオな『遙かなる時空の中で7』をみんなぜひプレイしてくれよな(宣伝)! 老若男女問わずオススメの最優の乙女ゲームだぜ

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 この「七つまでは神のうち」は大きく三つの観点で理解することができます。

ひとつめは先ほど述べた産業革命直後の国と同じに、子供を「働き手」とみなせる年齢であるということです。現代のわれわれの感覚からすると七歳(数え年だから今でいうと五~六歳)なんて働き手になるかよって感じですが、奈良時代の「口分田」すなわち口(=人口、人数)のぶんだけ国が田んぼを貸し与えて耕作させる土地制度はじっさい六歳以上が対象でした。そのくらいの年齢になれば大人と同じに働くことはできなくともある程度親の手を離れて雑用をすることができ、理論上親はそのぶん仕事がはかどります。そういうわけで「童」という字はさきほど述べたギリシャの「παις」と同様にもともと下働きの奴隷を意味し、下働きの仕事をしている者もまたおっさんになっても子供と同じ髪型をし「童」と呼ばれることがありました。

ふたつめは、七歳くらいになれば非常に死にやすい状態を脱するということです。『フォドラ「結婚」事情』の記事でも述べましたが昔はどこの社会でも乳児・幼児死亡率が高く、要するに七歳に満たない変動しやすい子供をいちいち人間の数にカウントしてられねーよという感じだったのです。よって、七歳くらいで子供は本格的に社会に存在していることにされました。また、子をなくした親の悲しみも「あの子は神様のところにフラッと帰っちゃっただけだから」と和らげられることもあったでしょう。日本の伝統に残る「七五三」の祝いはそういった「死にやすい節目」を無事に超えることができた祝いだったわけです。現代だってそのくらいまでの子供はちょーっと目を離しただけで百回死にそうになっちゃうものですしね実際……。動いてる自動車に触ろうとするとか……。

みっつめは「神」のとらえ方です。子供の非礼さや理性のなさをアリストテレスは獣に類するものとしましたが、それを日本文化では「神」に類すると考えたわけです。神社の祭礼のときの奉納舞も子供によるものが多いですね。『桃太郎』や『金太郎』『牛若丸』、あるいは聖徳太子の子供時代である厩戸皇子信仰など、日本文化は童子の中に神の力を見出してきました。童子の他にも老境に達して人間離れした「翁」やヨソモノである「まれびと」など、ふつうの人間とは違う挙動に神が宿っていると考えたわけです。古代ギリシャと日本の多神教文化には神々の気まぐれな力のふるい方など共通点が多いのにおもしろい違いですね。もちろん、全能で常に正しい神を設定するキリスト教などの一神教文化とは全然まったく違います。

 七歳を超えて社会的に存在する扱いになったあとも、日本には「子供らしい姿」がはっきり現れていました。寺や神社に奉仕しながら学ぶ稚児、平安貴族の侍従の中にみられる童、牛若丸とかがそうですが元服前の武家の子、そして寺子屋や手習い教室に通う町人児童です。

男の子であれば第二次性徴を迎えた一五歳ごろに、女の子であればお嫁入りと同時あるいはいつでも結婚できる年齢になったら子供ファッションは大人ファッションに完全移行。男の子が貴族や武士ならば元服の儀式をして大人としての正式な下の名前、諱(いみな)を授かりました。子供独特の髪型や服装は、ハッキリと大人のものに改められることで明確に子供と大人の境目を表示しました。

しかし、こうした「七歳からの子供時代」は農村漁村の庶民にはありませんでした。「大人の教養」を修行するタームの必要も余裕もなく、七歳になれば下働きができたからです。

 

 中世ヨーロッパにも、日本の農村漁村と同じく学童期的な子供時代はありませんでした。教育論の古典である『エミール』でルソーは子供という概念を「発見した」といわれます。

中世ヨーロッパでは古代ギリシャと同様の考え方で七歳くらいまでの幼児は動物と同じ扱い、それ以降の現代で言えば小学生くらいからの成長期のヒトは「子供」という特別な保護や教育を必要とするものではなく「小さな大人」でした(貴族の跡取り息子を除く)。一人前になるために修行や大人の教えが必要であるにしろ、それはOJT(オンザジョブトレーニング)方式であり、いわば研修社員として労働力にカウントです。お手伝いってレベルじゃない。なんと七歳から。

なんで中世ヨーロッパ社会は子供をそんな可及的すみやかに仕事社会に追い立てるのよ? というと、「結婚」の項でもちょっと触れたように、中世ヨーロッパの家庭というものは私生活ではなく公の仕事生活としてできていたからです。ボーントゥーワーク(仕事するために生まれた)。それは多かれ少なかれ日本でも同じではあります。そう考えると現代の家庭や生活って「個人の人生を充実させるため」にある(そしてそれは当たり前ではなかった)んだな……としみじみとします。

というわけで、昔のヨーロッパの子供に対する基本姿勢は、ざっくり言って以下の点で現代日本の感覚とは違うと意識する必要がありそうです。

まず、地域を問わず、

  • 七歳くらいまでの幼児の死亡率が高く、「一人」カウントされなかった

そして日本の歴史との違いとして、

  • 欲望のままにふるまう七歳までの子供は「獣」と同じ扱いで、厳しいしつけで「人間にする」ものだった
  • 七歳で「人間になった」ヒトはほとんどの階層で「小さな大人」として扱われ、幼児期と大人の間の子供期は意識されていなかった

 このあたりのベースを頭におきながら、時代ごとの特徴とフォドラの地域・階層差を考えていきましょう。

 

状況別 現実とフォドラの子供

 このシリーズで扱うような「舞台裏」は身分の高低や戦時平時問わず必ず存在するものですが、暮らしのようすというのは身分やシチュエーションによってそれぞれ変わってくるのがおもしろいところです。

違いがおもしろいだけじゃなくて、「こういうときってどうしてたの!?」「カルチャーショックとかあるのかな!?」という疑問湧きドコロでもあるとおもいます。今回は場所というより文化や経済状況の問題なので、『風花雪月』のストーリーやキャラの5つの出身階層、「帝国的貴族」「王国的貴族」「教会」「庶民」「中産階級(都市民)」に分け、かつ「in現実(現実)」を知ってから「inフォドラ(推測)」の可能性を探る、という構成にしました。

今回は字数的なアレもあり、想像しづらい「貴族」たちについて考える部分のみを記事に収録しています。「教会」「村の庶民」「都市民」について詳しくは書籍版で。

それでは舞台裏を覗いていきましょう。

 

帝国的貴族(近世の貴族)

 『風花雪月』でいう、帝国貴族の宮廷や帝国かぶれの同盟貴族たちの暮らしにあたります。

アドラステア帝国には「ローマ帝国」「近世フランスなどの貴族社会」両方の要素が入っているので、それぞれ別に見てから帝国貴族風の推測をしていきましょう。

in現実(ローマ)

 帝国の文化は聖セイロス以来の古代ローマ帝国風の常識がベースになって近世ヨーロッパが乗っかっている描かれ方なので、まずローマにおける子供について。

 ローマ貴族の家族感覚は日本でいうと江戸時代の大農家や中世武士の家族に近いものでした。つまり、家長と奥方と子供たちのほかに家長の親やおじおば、家長のきょうだいなどの血族の者たち、血族でない家人や使用人(奴隷)たちを含んだビッグ家族です。ローマの大家族では日本の氏神信仰と同様に祖先が祀られたり、家族の中で罪が裁かれたりして、家族内の運営に国家権力はほとんど干渉しませんでした。

家族や同じ先祖をもつ氏族集団はひとつひとつの小さな国のようにはたらき、家長はその絶対的な君主。家族のもとに生まれた赤ん坊を抱き上げて名前をつけちゃんと家族にするか、しらんわとポイするかを判断するのも家長の「権利」でした。つまり、赤子を「ご自由にお持ちください」状態にしても誰に罰されるようなことでもなかったのですね。生まれてすぐにわかるような障碍をもった子供や私生児は捨てられがちだったでしょう。幼児殺しもまた容認されていました。なにせ、幼児は獣と同じだと思われていたので……。

捨てられたり殺されたりする可能性があったにせよ、正式な結婚のもとの出産は祖先信仰の中では宗教的な神秘の行事として丁重に扱われました。熟練の助産師と、赤ん坊が「迎え入れ」られしだい気立てが良くて賢い教育係としての乳母が家に雇い入れられます。典型的には「三つの名前」で構成されたネームルールで子供に名前がつけられましたが、まあ帝国貴族の「個人名=フォン=領地名」のネームルールとは関係ないんでここでは置いておきましょう。

 七歳までの小児期から子供期に成長すると、ローマの上級市民の子女は家庭教師によって、男の子の場合は公共広場の講義でも高度な教養を授かりました。男の子はそれ以降も父親について回って仕事を学び、青年期を過ごしました。ちなみに、古代ローマの上流階級の服装は貫頭布をベルトでとめるトゥニカに、デケー布を巻きつけるマントやトーガだったわけですが、あまり型紙とかシルエットとかの問題ではない要するに布なので、子供たちも小さめの布で大人と同じ服装をしていました。

獣と似たようなものなので人間扱いしなくていい、と見られていた反面で、しかし幼児はたいへんラブリーなものとして家庭の中で愛されてもいました。乳母や母親だけでなく家長である父親や祖父までもが幼児と抱擁しチュッチュし、それをスゲー癒し~と思っていました。意外にもそこは現代の家庭と同じ。これはローマ人が家族水入らずで空間的にも余裕のある邸宅の中の生活、私生活に重きを置いてたことによるんだろうなとおもいます。

 

in現実(近世貴族)

 まず、中世や近世のヨーロッパはキリスト教がベースなので、子供は神から授かったものでありローマ家族みたいに家長が生かすも捨てるも好きにしていいものではなくなっていました。まあ公にできなくなったというだけで捨て子や修道院に赤ちゃんポストされた子はいっぱいいたんですけど。

同じくキリスト教(主にカトリック教会)により、子供が生まれるとなる早で洗礼式の予定が組まれました。洗礼とはキリスト教の信者となる儀式なので、事実上の「この世へようこそ新入生歓迎会」です。頭に水をかけられる新歓。(そうやって言うと嫌な意味の洗礼みたいですがふつうにそういう儀式です)

近世王侯貴族の洗礼式は盛大なもので、都市の大司教によって行われ、赤ちゃんが超ビラビラなガウンで飾り立てられたり、頭をつける用の水盤が金細工でできてたり、関係諸侯のお歴々が盛装して駆けつけたりします。このへんは現代のロイヤル・ファミリーにも残っている習慣ですね。

 こうして洗礼式を受けた近世貴族の幼児は乳母にお世話をされ、特に母親にかわいがられ、おくるみを外され動き回るようになると女性のドレスの小型版のようなかたちの子供服を着せられるようになりました。

そう、なんとかわいがられ、子供服を着ていたのです。

中世の話はこの後でするのでちょっと前後しちゃうのですが、近世ヨーロッパは中世と比べて子供をよく見て愛ではじめた時代といえます。ヨーロッパが「ちいさな人」たちを「ニンゲン(小)」としてではなくちゃんと「子供」として「こども……良ッ!」と感じ始めたのは、ルネサンス盛期以降の近世でした。

近世の人々が家庭のなかの子供に「子供ならではの愛らしさ、成長期を見守る喜び」みたいな、現代と似た感情と役割を見出していたことは、そのころの芸術を見てもわかります。神や聖人に類するものを人間的写実的に描いたっていいじゃん! というルネサンスの流れのせいもあるのですが、明らかに聖母子像の幼子イエスが超~かわいくなってます。マリア様の視線や抱く手にも母親っぽい慈しみがみられ、「かわいいものとして描いてる」ことがわかります。天使もルネサンス以降ポヨポヨふわふわの幼子として描かれることが多くなりました。中世までの天使画、とてもカワイイちゃんを「私の天使」と呼べるようなアレじゃなくて常に女神転生みたいな感じですからね。

 

 近世の人々が「子供」を認識し愛し始めたことの大きな理由は、家族が私生活(プライヴェート)の場となってきたからです。特に近世貴族の場合、「仕事」などはしていないか宮廷で官僚をやるものであり家庭とは分離していました。もちろん社交界も家庭の私空間から分離しています。さらに、もはや子供はホイホイ死んでホイホイ生まれてくるものではなく、個々にかけがえのない存在とみられるようになりました。中世に家業の研修社員とみなされていた子供たちが、私生活のために……すなわち、親に愛されるために養育されるようになったのです。

また、学童期が生まれたことも「子供」が見つめられるようになった理由のひとつです。特に貴族の少年は貴族と上級市民専用のブランド学校に通うようになりました。「学校に通う」っていう行為をしだすと、現代でいうランドセルや制服っぽい服のような「学童にふさわしい服装」というものが考えられだしました。学校の内容について詳しくは拙著『フォドラの舞台裏-学業編-』で。

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 こうやって「子供用の」という需要が開発されたことではじめて、子供用の服やオモチャや本、あるいは子供のかわいさと尊みを描いた芸術などが大きなジャンルとなっていったのです。貴族においては子供時代を描いたかわいい肖像画もたくさん描かれました。

 

inフォドラ

 帝国的な貴族の家に生まれた赤ん坊がどのような扱いを受けるかは、かなりのケースで紋章の有無に左右されるでしょう。ときに、現実世界で男女によって左右された扱いの差以上に……。

教会の政治的影響が強くないとはいえセイロス教の倫理はあるので、そうそう簡単に子捨ては行われていなかったとは考えられます。紋章持ちの跡継ぎが欲しすぎて地獄化していたバルテルス家やハンネマンの妹の婚家でも紋章なしの子をたくさん養ってはいましたからね。

しかし、紋章主義が色濃い帝国の中央貴族であれば「この子は紋章なしかぁ、これからも子供作れるし捨てちゃうか~」と考えるクズもわりといた可能性もあります。特にパートナーの発言力が小さい場合は容易にそうなる、という実例がドロテアです。彼女は貴族の青年が平民の侍女との間にもうけた私生児で、紋章をもって生まれていたら母親とともに正規の貴族家族として迎えられていたかもしれませんでしたが、紋章なしであることを確認されて母親ともどもバッサリ捨てられました。

 かなりうがった見方をするならば……ですが、ちょっと怖いことも考えられます。近い血族で紋章の血をロンダリングしている王国の主だった貴族と違い紋章の血が薄まってきている割には、帝国的な大貴族の子キャラは紋章を持ちすぎです。そのうえ、紋章持ちがなかなか授からず粘ったシルヴァンちやイングリットんちなどと違い、彼らにはきょうだいがいるような様子がありません。エーギル家もヘヴリング家もヴァーリ家もグロスタール家もコーデリア家も……。例外は紋章関係ない家であるベストラ家のヒューベルト(妹もいる)、ベルグリーズ家くらいです。もしかしたら帝国的大貴族は暗に紋章持ち以外の子を捨てたり里子に出したりして系図に載せないことがあるのかもしれない……という推測も成り立ってしまいます。名家に紋章なしの子が生まれるのは不名誉というのが常識になっていたりして……さ……。あんまり考えたくないからこの考えは「ゲームのキャラ設定のご都合なんだよ」ということで適宜無視してください……。

 

 帝国的貴族の子は、ローマ貴族の例からみても近世貴族の例からみても、おそらく認知されると実母が育児するのではなく住み込み乳母の手に預けられると考えられます。物理的にお乳をあげる人は女性でなくてはなりませんが、フォドラの帝国的貴族の場合はそれと別に男女問わないお世話&教育係がつけられるかもしれません。男子には男性のお世話係がいいかもしれないしね。じいやです。

帝国的貴族の生活水準ならば、高い衛生技術により乳児死亡率は高くないはずです。生まれて数か月の間に、とりあえず紋章の有無にかかわらずセイロス教の幼児儀礼と、行政上の登録をうけると考えられます。紋章持ちの跡継ぎ候補の幼児儀礼はことのほか盛大になったりするのでしょう。

幼少期から十代くらいの時期には、紋章をもって生まれた子、あるいは紋章はあんま気にせん家の長子は嫡子としてはっきり差別化されて遇されるはずです。具体的には家庭教師から「領地を運営するための教育」や「世襲役職の仕事の教育」を受けます。詳しい教育内容の推測は拙著の『学業編』を参照されたし。ローレンツと『無双』で登場した父との関係や、フェルディナントが家庭人としての父を愛し敬っていることからもわかるように、家長である親も子に直接いろいろと薫陶を授けるでしょう。また、現実の近世貴族と違いほぼ例外なく武芸の基礎教育を受けるようです。

嫡子になる予定のない子はごく基本的な教養や武芸、貴族の子として恥かかない礼儀作法は教わっても貴族の仕事の教育を受けないことが多いということが、カスパルの例で描かれています。カスパルは「俺は武人として身を立てるしかないって決めてる」「俺は兄貴と違って領地を運営する教育は受けてねえ」というようなことを言います。これはベルグリーズ伯がカスパルの教育に身を入れずテキトーに育てたという意味ではなく、適切な振り分けだとおもいます。王国貴族を含みますが領地を相続できない貴族の次子以降は聖職者になるか武人として誰かに仕えるか冒険野郎になるかしか道はなかったわけで、カスパルの性質では聖職者の選択肢はナシです。長子でありカスパルほど体育会系でないっぽいカスパル兄には立派な家庭教師をつけて跡継ぎとしての教育を授けつつ、武を売り物にしていかなければならないカスパルとはいっしょに死にそうな訓練をする、適材適所ですね。

 

 小中学校のような学校はなく家庭教師に教わっているにしても、帝国貴族の場合は頻繁に親にくっついて宮城に出入りし「学校の友達・知り合い」のような関係を形成します。社交界デビュー前の貴族の子が宮城にウロチョロしているということは、カワイイ「帝国風の貴族の子供服」が発展している可能性が高いですね。白いおブラウスにサスペンダーのお半ズボンとかの。夢広がる~。

そして17~18歳ともなると士官学校に行くかもう親の仕事や領地経営を手伝いはじめ(無双リンハルトも手伝わされてる)、場合によっては官職を得て、大人の仲間入りとなります。王国貴族でも庶民でもそうですがガルグ=マク士官学校の生徒たちはあの社会では半分大人扱いだということにはちょっと注意したいですね。研修中の新社会人くらい。リシテアが「子供扱いしないでください」というのも納得。制服着てるからどうしてもみんな高校生に見えるし、テーマ的にも「フォドラの子供たちがレアの作った学び舎を卒業する」感じを狙ってるんだけど一応ね……。

 

王国的貴族(中世後期の貴族)の場合

 『風花雪月』でいう、王国貴族あるいは帝国文化にかぶれていない昔ながらの貴族の暮らしにあたります。

 

in現実

 中世の貴族の家(城塞)はプライヴェートなものではなく、騎士や従者や使用人たち、下働きの近隣農民などじつにたくさんの人が出入りする共同体拠点でした。その中心にあったのが城主夫妻の寝室と、子作りです。

中世は貴族といえども乳児死亡率の高い時代でしたね。父祖伝来の領地を継いでいくためには跡継ぎ候補はなんぼいてもいいですからね、「貧乏子だくさん」などと言いますが、中世では逆に市民や農民の家より貴族の家のほうが多くの子供であふれかえっていたようです。

 

 中世貴族の奥方が妊娠可能な時期をなるべく子作りに費やすためにも、住み込みの乳母が雇われたり乳児が乳母の家に里子に出されたりしました。授乳や夜泣きの対応してたら子作りどころじゃないよ! というだけではなく、授乳の終わりと女性の月経再開(次の妊娠が可能になる)は連動しているようなので、授乳を他の人に任せれば出産後数か月で妊娠可能になるということみたいです。

教育係としての乳母じゃなくてマジでお乳をあげる授乳期の若い乳母がいつでもリクルートできたのも、やはり乳児死亡率の高さのせいでもあります。生まれたばかりの子供をなくし悲しくお乳を余らせている女性はゴロゴロいたのです。

貴族の奥方は産後の満身創痍の身体で赤ちゃんにかかりきりにならなくてよくて優雅な暮らし……というわけでもありません。医療と衛生が発達した現代の先進国ですら妊娠出産は命がけで、出産だけとっても「交通事故レベル」といわれます。死亡率が高かったのは出産前後の女性も同じなのです。王侯貴族のようにまあまあ衛生・栄養状態が良い環境でも産褥熱、つまり出産による負傷や出血や体力低下や感染症、骨盤がうまく復調できなかった……などによる衰弱で亡くなる女性はとても多くいました。とにかくたくさん跡継ぎ候補を産まねばならない貴族の奥方は何度も交通事故に遭いまくり、物語の中にも「彼の母は産後の肥立ちが悪くて亡くなった」という展開がなんと多いことか。

まあ男性は男性で戦争とか武芸の試合とか恐れ知らずの荒々しい生活とかによって死亡率高いので、なんかもうみんな死ぬんですけどね! だからこそウッカリ家族全員が死なないように早く複数の跡継ぎを確保しておくことが大事なんだ~!

 

 赤ん坊が生まれると、まず心配せねばならないのは赤子や母親がすぐ死んじゃわないかどうか。キリスト教徒となる洗礼を受けずに亡くなった人は死後神の国に行けないとされたので、生後五日とかで死んじゃうかもしれないとしたら洗礼は生後三日だ! 対戦よろしくお願いします! という調子で大急ぎで司祭が呼ばれ入信RTAが行われました。この切実な疾走感では近世貴族のような盛大なお式を開いてる場合ではありませんね。

これは近世貴族でも今でも同じなのですが、洗礼式には「代父母」と呼ばれる教会生活での導きを与えるアナザー両親が立てられることも特徴です。このアナザー両親は子供が生まれる前に実の両親とかによって「生まれてくる子の洗礼親になってよ!」と依頼されて請け負い、その子をずっと何かと気にかけ実の両親に何かあったときには後見人となる……というシステムです。『ハリー・ポッター』シリーズのハリーにとってのシリウスですね。その子だけではなく一族にとっても、結婚して血族になる以外で助け合える同盟家族をゲットできるナイスな生存戦略です。

名前は一族おきまりの名前からつけられたので兄弟も親子も同じ名前だったりします。「洗礼名」も別につきます。

 

 中世の赤ん坊に特徴的なのが、その「おくるみ」です。現代では赤ちゃんはベビーベッドの中で自由に手足を動かしてその動き方を学習し、這えるようになれば親は喜び這わせます。おくるみ布を使うとしてもホント首の据わってない新生児の保護と保温の目的くらいですが、中世の赤ちゃんはおくるみ布でぐるぐる巻きの圧迫固定でした。表紙でもベビーフェルディナントがおくるみに包まれていますがそれどころの騒ぎではなく、上の絵のような状態。衝撃。マトリョーシカかよ。自立すんな。

 中世の赤ちゃんは包帯のような布でかなりしっかりと、何重にも巻かれ、当然まるで身動きがとれませんでした。スゲーかわいそう。なぜこんな懲罰のようなシュールなことになったかというと、理由は大きくふたつあります。

ひとつめは単純に大人側が育児を安全にラクにするためです。じっさい、寝てるだけしかできないころの赤ちゃんは泣いてアラームを発しているとき以外は「苦しそうにしてないかな?」「姿勢変えてあげようかな?」など気にかける哨戒をすればいい程度ですが、自分で手を伸ばして何かをつかんだり、あまつさえ移動できるようになった子供ってとんでもなく警戒の手間が増えますからね。目を離すとマジですぐに危険なものに触ったり転落したりする。

まして、中世貴族の住んでいる城塞には子供部屋なんてないし現代のように部屋のあらゆるカドにウレタンを張ったりできません。危険だらけです。貴族の乳幼児は乳母の家に里子に出されることも多くありましたが、乳母の家だって別に「赤ちゃん安全乳母ハウス」とかではないので危険物だらけだし、家事や他の仕事もありますからその子だけにかかりきりになるわけにはいきません。だから、危険なものに触らないように、ヤバい転落とかにつながる動きをしないようにグルングルンに手足を押さえつけておくのは普通に子供を守るためでした。そうしておけば二四時間見守っていなくともとりあえずゆりかごの中にホールドされててくれます。

ふたつめは、おくるみの中で手足を直立不動状態に固定することが子供の成長によいと信じられていたからです。現代の感覚からすると何もよかないよ! という感じですが、当時はそうだと思われていました。そして、この目的で乳児を拘束する傾向は王侯貴族に特に顕著でした。

新生児のひっくり返ったカエルさんのような体勢、地を這う下等な生物のように這いまわるさまを中世貴族は忌避しました。押さえつけてでもまっすぐにさせなければ、子供の脚は曲がったままになり獣のように無様な動き方をするようになると考えたのです。堂々とした直立姿勢の美しさは、見た目の立派さが人物評価に直結する中世貴族にとって死活問題でしたから、男の子も女の子も手足が獣っぽいものから美しい人間に矯正されるよう願ってせっせとぐるぐる巻きにされたわけです。その結果として、逆に手足の正常な発達が阻害され変な方向にゆがんだり発育不全となった例も多かったようですが……。(↓こちらの小説に登場する王妃はおそらく乳児期のおくるみの影響で足を悪くしています)

おくるみの例だけでなく、乳幼児はとにかくやわらかくてぐにゃぐにゃで、いい刺激も悪い刺激もすぐに吸収してしまい、悪くすると獣のように育ってしまうため、乳母がちゃんとした人間の姿に「形を整えて」あげなければならないものとされていました。そのため乳母は中世貴族にとってとても大きな存在で、財産の遺贈を書き残されることもありました。

 

 近世ほど家族がプライヴェートなものではなかったとはいえ、もちろん親が子をさして愛さなかったというわけではありません。愛し方が違っただけです。現代の父母のような身体接触的なお世話をやく親密さは乳母に担当させているので貴族の奥方はわれわれの抱くおっかさん像とはずいぶん違ったでしょうが、父を敬い貴族階級らしくふるまうよう教育しました。父親は跡継ぎをわが身の分身として教育熱心で、よい家庭教師をつけ厳しくあたりました。

貴族の子はふるまいや教養を最低限身に付けなければならないので、さすがに七~八歳から小さな大人となる……というわけにはいきませんでしたが、十歳くらいで思春期を迎えると婚約や結婚を誓う責任能力があると認められ、他家へ修行に出され、社会的に大人として扱われました。貴族の女の子は七歳以上にもなれば縁談が現実的になってくるころ。やはり家を出ての花嫁修業や正式な結婚前に婚家に行っての生活というOJTに従事し、結婚すれば奥方という「大人」の公務に従事する者として扱われました。

それでも、中世では貴族の男子に限り「大人でも幼児でもない、子供時代」という感じの期間がありました。なんで貴族の男子に限ってなのかはここまでくればおわかりですね。中世においては貴族の跡継ぎ以外は、「一人前」に使えるようになるために必要な教育コストが低かったからです。

十代の貴族は跡取りになるために帝王学と、何より騎士や指揮官としての修行を積まなければなりませんでした。帝王学っていっても座学のウェイトは近世以降の貴族よりぜんぜん低め。なにせ読み書きできなくてもいいくらいです(中世の領主には別に読み書きが必要ではなかったことについては『学業編』で詳しく述べています)。騎士として修練しなければならないのは聖職者にならない次男坊三男坊も同じです。馬術や武芸の訓練はもちろん、同輩とともに狩りやスポーツなどの外遊びをして体を鍛えながら軍事行動の連携を身につけ、みんなで雑魚寝し、騎士見習いの若者たちはわりとワイワイ青春していました。

 

inフォドラ

 王国貴族の子もまた紋章をもつかもたないかが人生行路に大きな影響を与えますが、基本的には王国貴族に生まれた子は皆騎士の子として育てられると考えられます。

シルヴァンちやイングリットんちのように、「騎士となれる紋章なしのきょうだいも大事に訓練する」「紋章持ちが出るまでガチャする」、「両方」やらなくっちゃあならないってのが「王国貴族」のつらいところだな(ブチャラティ)。覚悟はいいか? オレは無理だよ。

したがって王国貴族も現実の中世貴族と同じように、ちゃんと成長できず死んでしまう子も含めてわりと子だくさんぎみでしょう。そう考えると、いくら紋章持ちの優秀な子をもうけたとはいえ、滑り止めなし専願状態のランベール王が後妻に望んだのが内縁とさえいえないプラトニックラブなパトリシア(アンゼルマ)さんだったというのは非難ごうごうポイントさらに上乗せです。跡継ぎをもうけて領地の継承をゴタつかせないのも王国貴族の仕事なんだぞ! でもそんな世の中終わりにしてえよな!

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 帝国的貴族もおそらくそうですが、王国貴族の家に生まれた子はまず紋章を確認されてから名前をつけられるのかもです。「イングリット」という名前は少なくとも現実世界の言葉上では「輝かしく強く美しき主人」のような意味合いをもちます。ガラテア家の待望の跡継ぎ、家の希望の光イングリット。現実の中世貴族のようにその家の跡継ぎによく使われる名前というのがある可能性もあります。

何より急がなければならないのはセイロス教の洗礼式でしょう。王国はセイロス教の影響が強いだけでなく、まだまだ帝国的都市のように衛生環境がよくはなく、乳幼児の死亡率もまあまあ高いはずだからです。帝国的貴族がやってそうなのみたいに豪華な洗礼式というわけにはいかないかもしれませんが、代父母と協力関係を結ぶチャンスは貴重です。だから王国貴族に特徴的なミドルネームは洗礼名なのかも。

無事洗礼を受けた子は、フラルダリウスやゴーティエのような大きな居城をもつ領主ならば何人かの住み込みの乳母によって育てられ、城塞に住む小規模貴族なら三歳くらいまで乳母のもとに里子に出されることもあるでしょう。

例のヤバい「おくるみ」ですが、セイロス教のスタンスとして王国貴族にはフォドラ外からの侵入を防ぐ矢面に立っててもらいたい都合上、精神はセイロス教や騎士道で飼い馴らしても肉体は蛮族のままのびのび育ってもらわないといけないのでぐるぐる圧迫固定は禁止して「子供は大人がよく見守ったうえでのびのびと育てましょう」とか教えている可能性が高いです。ベビーサークルフォドラ。(王国と同盟の貴族に対する教会の戦略スタンスについては↓の記事で)

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 ガチで死にやすく動きも言葉も不安定な状態を脱し四歳くらいになると、フェリクスが言うように「筆よりも先に剣」、基礎的な武芸の稽古や軽いお勉強が始まり、きょうだいや同輩の子供たちと遊ぶようになります。このころから青獅子幼馴染はよく会って遊ぶようになったのだと思われます。おおよその傾向としては女の子はアネットのようにおしゃれやお菓子、歌や踊りに関心があることが多く、男の子は外遊びで野山を駆けまわることに関心があることが多いようではありますが、フォドラでは性別より紋章や家柄で進路が制限されるため、たぶん性別にかかわりなく好きなように遊ぶはずです。青獅子幼馴染たちは個人の適性としてもつるむメンバーの傾向からも野山駆け回りまくり。シルヴァンくんはもうちょっとみんなに本とか読んでやりたかったかもしれない。

子供がこのくらいのころに明らかに体が弱かったり気が優しすぎて戦いに向いてなさそうだったりしたら、親は聖職者にさせるように手をまわすでしょう。その場合は六~七歳くらいで家を出て修道院付属学校に入り学び始める感じだと思われます。

このころに見えた才覚で進路や訓練の方向性の大枠が決められると考えていいでしょう。どの子を嫡子にするかとか、肉体派の騎士にするか魔道学院に向けて勉強させるかとか……。おそらくこのころのシルヴァンはなんでも要領よくできてしまい教育係たちにチヤッホヤされ、マイクランの性格をゆがませてしまったのでしょう。イングリットは生まれる前から親同士によってグレンとの婚約をよろしくよろしく~されていましたが、正式に取り結ばれ彼女が理解したのは五~七歳くらいのころだと思われます。

十歳くらいにもなると武芸の訓練は大人と同様のガチのものになり(グレンとディミトリにいたってはギュスタヴから常人離れした特訓を課されていました)、幼いころからともに遊んでいた乳兄弟や下級騎士の子たちは『ファイアーエムブレム封印の剣』のウォルトのように従士となります。血気盛んな若者たちは遊びも「遊び」ではなくなってきます。『無双』のロドリグとシェズの支援会話によれば、

 

「あれはなかなか奥の深い遊びですよ。いくつかの陣営に分かれて戦えば、戦術の重要性が増し、面白くなるんです」
「戦術……雪玉をぶつけ合うだけなのに、相当本気でやってたんだな……」
「私がまだ幼い頃、私と先王陛下、辺境伯の三人で、腕を競ったことがありました。同じ年頃の従士たちをそれぞれに引き連れて冬の山に入り、戦ったのですよ」
「へぇ……楽しそうだな。戦いの行方はどうなったんだ?」
「まず、最初に餌食になったのは私でした。静かに敵の出方を窺っていたのですが……先王陛下は、従士たちを適当に戦わせ、一人で敵将……私に奇襲をかけてきました。結局誰もあいつを仕留めることはできず、当たり前のように敗北を喫しましたね」
「流石はディミトリの父さんというか、一人で斬り込みたがるのは同じなんだな……」

 

外遊びも狩りやロドリグが語ったサバゲー雪合戦などのような戦略性をおびたものが楽しまれるようになり、王国貴族の子たちは摸擬戦的な遊びでもって自分や仲間の戦法や弱点、連携の仕方を学んでいきます。ロドリグと同じようにフェリクスも幼馴染たちの戦い方のクセをよく把握していますが、それもいっしょに外遊びをしてきた効果でしょう。あくまで個人主義・家庭内教育主義な帝国的貴族ではカスパルに連れ出されてきたリンハルトくらいしかそういう呼吸を読んだ連携ってみられないですからね。

 フォドラの王国貴族は読み書き領地経営を自力でするようなので現実の中世貴族よりも少年期は長そうですが、十五~二十歳ともなれば戦場デビューを飾り、そうなったらもう「大人」です。

 

 

 他に話す予定のある中世・近世の舞台裏としては「交通」、「動物」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

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