湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

フォドラ「お風呂」事情―FE風花雪月と中世の舞台裏③

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「お風呂(体の清潔)」編です。6月26日の同人誌即売イベント「刻印の誇り」で頒布した『フォドラの舞台裏水回り編』とおおむね内容が重複します。

あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。

ノーバード・ショウナワー著 三村浩史監訳『世界のすまい6000年 3 西洋の都市住居』(彰国社・1985年)、ジョン・S・テイラー著 後藤久訳『絵典世界の建築に学ぶ』(彰国社・1989年)、フィオーナ・マクドナルド著 マーク・バーキン画 桐敷真次郎訳『中世の城』(三省堂・1993年)、ジョルジュ・ヴィガレロ著 見市雅俊監訳『清潔になる〈私〉―身体管理の文化誌―』(同文舘・1994年)桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』(角川書店・2005年)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの城の生活』(講談社・2005年)、J.ギース/F.ギース著 青島淑子訳『中世ヨーロッパの農村の生活』(講談社・2008年)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『大聖堂・製鉄・水車』(講談社・2012年)、阿部謹也『中世の星の下で』(筑摩書房・2010年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、イアン・ミラー著 甲斐理恵子訳『水の歴史』(原書房・2016年)

 

 

清潔古今東西

 現代日本ではほとんどすべての一戸建てにバスタブつきの風呂空間がつくられるようになっています。アパートメントにも個別に風呂あるいはシャワー室がついてないほうが特殊です。個人が家族だけの風呂をもつようになる前の昭和の時代にも地域には住民がみんな通える安価な銭湯があり、現在でもスーパー銭湯や健康ランド、日帰り温泉やサウナなどの公衆浴場は多くあります。都会の人口密集地のまっただ中にあってもちょっと探せば体を洗って身づくろいができる施設があって、同人イベント参加のために朝5時に高速バスで知らん都市に着いてもぜんぜん大丈夫だぜ。ほんと助かるなあ~。

しかし、こうした「どこでもお風呂にありつける」利便性はあくまで日本のものすごく良いとこのひとつであって、世界の常識ではありません。特に、今回の話題であるヨーロッパでは現代でもそこまでホイホイと気軽に風呂に入ることはできません。できませんというか、ちょっと昔までは毎日の入浴習慣じたいがない地域が多かったみたいなんですよね。

 はじめてヨーロッパを訪れたとき、まず戸惑ったのは浴場探しであった。風呂もない安宿に泊って公衆浴場を探しに町にでかけ、市営浴場と書いてある看板をみて入ったところプールであったことさえある。(中略)

 ちょうどその頃ハンブルクの新聞でドイツ人の入浴回数の調査があり、かなり多くの人が月一回しか入浴しないという報告がなされていた。私が下宿していた家の人も夜の招待の前に入浴するのが常で、寝る前に入浴する習慣はなかったようにみえる。いわんや混浴とはいわないまでも大勢の人びとが大浴場で共に入浴する機会などは北欧以外では全くないかに思われたのである。

――前掲『中世の星の下で』87-88頁

阿部謹也は、今から40年以上の1981年に、さらに前のことについてこのように回想しています。そうすると半世紀以上昔です……が、いうて20世紀でこれですよ。

 

 そもそも、入浴や温浴施設の管理のためにはある程度の質と量の水、それを排水することも必要なわけですから、それはやっぱ上下水道の問題とつながってきます。上下水道が大変なら当然お風呂文化がワーイワーイするわけがないんだよな。

ヤマザキマリの漫画『テルマエ・ロマエ』がセンセーショナルだったのも、「古代ローマと日本は、世界の他の地域や文化に比べて風呂や水利用の文化が卓抜して豊か」というおもしろ共通点があったからです。

対して、中世・近世のお風呂事情については、トイレ事情と同様に「昔のヨーロッパの人びとは風呂に入らず不衛生だった、貴族でも臭かったので香水が発達した」と語られがちです。

確かに、そりゃー現代の衛生観念と比べたら不衛生だったかもしれませんけど~~、中世・近世ヨーロッパ人だって清潔や温熱を嫌っていたわけでは決してありません。彼らもまたなんかしらの観点で、なんらかの方法で、身辺の清潔や健康を得ようとしていました。

 

 じゃあ、日ごろ体にお湯を浴びるんじゃなきゃ、どんなことをしていたのか? 『風花雪月』で描かれていた浴室は「焼き石蒸し風呂」形式でした。

現代日本に住んでいると「風呂」とはたくさんのお湯で体を洗い流したり浸かったりするものだろと定義しがちですが、世界や歴史をながめてみると風呂、もっとでかい言葉で言うと「沐浴」の中ではああいうのがわりと主流で多いんです。*1「ああいうの」っていうのはつまり、水浴ではなく蒸気・熱気で体を温め汗を流す沐浴ってことです。

ただしあれはあくまでガルグ=マク大修道院という清潔技術の頂点みたいな場所のお風呂なんで、みんなの実家にあれがあるかはわかりません(たぶんどこにでもはない)。石鹸やシャンプーのようなあわあわの出る化学的洗浄剤も19世紀以降なのでフォドラにはないでしょう。さらに、お風呂つまり沐浴の目的も、実はわれわれが思っている「体を清潔に洗うこと」だけではない多種多様な理由があるんですよね。常識だから風呂に入ってシャンプーしているけど、いったいぜんたい風呂ってなんなんだ~!? イヤだ~! 風呂になんか入らない~! 一生に一度も風呂に入らない暮らしの民族だっているんだぞ~!!

youtube.com

現実のヨーロッパの地理や事情をもとにして考えると、フォドラではガルグ=マクのような蒸し風呂以外にも体の清潔や健康を保つためのどんな方法が、どんな感覚で、どの社会階層に、どのくらいの程度用いられてるっぽいんでしょう? お風呂だけにとどまらず、そういう感じのとこについて妄想していきます。

 

日本の歴史との比較

 『テルマエ・ロマエ』は古代ローマの浴場設計技師ルシウスが現代日本の風呂文化にインスパイアされる筋書き*2ですけど、現代でなくとも昔から日本はお風呂文化が発展していました。都市、特に江戸には江戸時代から公衆浴場文化が花開き古代ローマ帝国とも似たお風呂大好き様相でしたし、地方の庶民も温泉に入りました。

なぜそんなことができたのか、しようと思ったのか、既にこれまでの記事を読んできてくださってる方にはもういくつかの「日本の風土」的な理由がわかっているんじゃないですか?

まず、「トイレ編」「上下水道編」ですでにみてきた、おさらい的な理由から確認しましょう。

  • 日本は温暖・湿潤な気候で、べたつきやすく臭いやすい
  • 日本は山地が多く川の流れが速いため、きれいな水がたくさん手に入る

んでしたね。さきほど当方は「風呂になんか入りたくないよォ~!!」と突如として叫びましたが、さすがにいやいや毎日入ってます。なぜなら入らないとオッサン臭くなってしまい日本ではカッコよく社会生活を送れなくなってしまうし、自分でもベタベタして不快になるからだ……。これが日本の夏なんだ……。そして、「金を湯水のように使う」という慣用句も水が豊富に使える風土あってこそなんでしたね。

こういう条件があるってことは、みんな入浴をしてさっぱりしたい! もちろんお湯でなく水浴び(行水)をすることも簡単で、頻繁に行われました。

 

 あと、さきほど「実は風呂には体を清潔に洗うことだけではない多種多様な目的がある」って言いましたね。ローマや江戸の市民たちは「気持ちいい」「社交」という目的ももっていたでしょう。

一方で、江戸の町にお湯で体を洗ったり浸かるタイプ(熱湯浴)の公衆浴場ができるずっと以前から、日本には入浴の文化がありました。その目的は、中世ヨーロッパやフォドラの入浴習慣にもおおいに関係してくることです。それは、「体を癒すこと」です。

京都市の八瀬という地区には古来から「窯風呂」が多く作られました。なんと壬申の乱(672年)の際に背に矢傷を負った大海人皇子(のちの天武天皇)が傷を癒すために作ったという伝説がある*3のですから、飛鳥時代だよ飛鳥時代。この窯風呂は陶器を焼く窯やパン焼き窯に似たかんじの浴室に入って枯葉を燃やした熱気を浴びるもので、他にも仏教とともに伝わり寺院が病人を癒すために「施浴」してあげた焼き石蒸し風呂が古くから日本にはありました。つまり筋肉や内臓をほぐし血行をよくする温熱療法ですよ。

で、この温熱療法にはもっと日本ならではのものがありますよね。

そう、湯治だー!!

行きて~! ゲーム合宿してえ~!

甲斐地方(山梨)まわりには「信玄の隠し湯」といって武将が体を癒した温泉が多くあります。日本ではおサルさんやシカさんも温泉に入って体をあたためます。やはり『テルマエ・ロマエ』でも描かれたように、自然の地熱で温浴する湯治場だってあります。これはまさしく日本の地理的特徴である、

  • 日本は火山帯かつ水が豊富なので、温泉が多い

という奇跡のマッチングから生まれた伝統文化だったのです。温泉文化があるから、日本のお風呂は「①体を温め癒す」「②垢を流して清潔に」「③楽しいレジャー」という多くのお風呂の目的を全部いっしょくたに叶えるように進化し、当たり前になっていったのです。すごく恵まれた自然の条件だったんですよ。

あと、ヨーロッパの冷涼な地域でヘタにお湯を浴びるタイプのお風呂入ると、湯冷めして逆に体に悪いことになりかねないのもあるしさ……。

 

 ということは、ヨーロッパの、しかも中世や近世の「①体を温め癒す」「②垢を流して清潔に」「③楽しいレジャー」などのお風呂目的は、日本ほどいちどには叶えられずお風呂以外にもいろんなあの手この手で叶えられたっぽいことになります。

そういう前提を頭におきつつ、各状況での具体的なようすを考えていきましょう。

 

状況別 現実とフォドラのお風呂

 このシリーズで扱うような「舞台裏」は身分の高低や戦時平時問わず必ず存在するものですが、暮らしのようすというのは身分やシチュエーションによってそれぞれ変わってくるのがおもしろいところです。

違いがおもしろいだけじゃなくて、「こういうときってどうしてたの!?」「カルチャーショックとかあるのかな!?」という疑問湧きドコロでもあるとおもいます。このシリーズでは、『風花雪月』のストーリーやキャラの出身階層にみられる5つの舞台、「宮城」「城塞」「農村」「都市」「戦場」に分け、かつ「in現実(現実)」を知ってから「inフォドラ(推測)」の可能性を探る、という構成にしました。ちなみにガルグ=マクのような大規模な修道院は現実でもフォドラでも最先端の設備を複合的に有していることが多いので、それぞれの「inフォドラ」の項目の中で言及します。

それでは舞台裏を覗いていきましょう。しずかちゃんが入っていないかちゃんと確認したうえで。

 

宮城(近世の貴族)

 『風花雪月』でいう、帝国貴族の宮廷や帝国かぶれの同盟貴族たち、特に文明的な富裕層(都市貴族ともいう)のお屋敷の暮らしにあたります。ガルグ=マクなどの大規模で富裕な修道院も体の清潔技術についてはここにあたると考えられます。

先にことわっておくのですが、この「近世的貴族の水回り」に関する部分は『風花雪月』の世界観設定は現実とはすご~く大きく違う(改善されてる)と考えられます。だから「in現実」の見出しでショッキングなことが書いてあっても、アンヴァルの宮城はそうじゃないからあんしんして読んでね……。

あと風呂は近世貴族についてもアドラステア帝国についても特に重要トピックなのでここすごい長くなりました。ごめん。

in現実

 トイレ編でも述べたように、近世の貴族のいわゆる「宮廷」っていうのは中央都市の王宮を巨大な貴族タワマン化し、何百という貴族と何千という召し使いたちをそこに住まわせているものでした。当然部屋も何千とあり、街に邸宅をもつ貴族もいるでしょうが、けっこうガッツリ宮廷に「住んで」ました。そうするとトイレほどじゃないにしろ、そこで毎日の身づくろいをすることになりますよね。

ヴェルサイユ宮殿などの宮城が現代のタワマンと違うところは、どれほど華美壮麗なつくりであっても、それぞれの貴族たちのお部屋に水回り設備がついてないところです。衣裳部屋のすみっこに美しい細工の椅子式おまるがあるだけでしたね。

上下水道編で、都市の水は飲用にできるほどきれいではなかったと述べてきました。流れる水の絶対量も日本と比べればかなり少なかったのでしたね。とはいえ、世界遺産になってるような近世ヨーロッパの宮城の庭園って、大規模な噴水や人口の滝にぜいたくに水を使いまくってるとこが見どころじゃないですかー。洗う用の水、汲めないわけじゃないんですよ。貴族なら。しかし近世の上流階級には水で体を洗うことが忌避されてました。なぜか? ――伝染病が怖かったからです。

 中世・近世を通して、ヨーロッパではコレラやペストなどの主に排泄物や飛沫を感染経路とする伝染病が多くの命を奪ったことは上下水道編でも述べたとおりです。そのとき、「体に悪いものを入り込ませたくない!」という恐怖が、「肌って毛穴あるじゃん! 毛穴ゆるむとそこから悪い空気が浸透してくるんじゃない!?」というまことしやかな説を生んだのです。

……念のため注をつけておくんですけど、ほんとは人間の皮膚、毛穴がちょっと閉じたり開いたりしたくらいで、外のものを浸透させはしないですからね! 美容液すら基本は表~面の角質層までしか浸透しないんですから。もちろん傷がついてたりすればそこが開口部になっちゃいますけど、皮膚ってこんなに薄いのに宇宙服みたいなもんなんです。だから肌にウィルスを含んだ空気や飛沫が付着しても、それで直接口や目の粘膜をこすらなければ中には入ってきません。

実際には入ってこないんですが、体をあたため汗を流すようなお風呂の入り方すると毛穴とか体がフワァ~オとゆるみますよね。しかも水はどんな悪いものが混じってるかわかったもんじゃないし、水圧だってあるし、体に空いてる穴が開いてペストやコレラがドワーッと入ってきますよ!!入浴は禁止しましょう!!と「衛生指導」がなされるようになったのです*4

さきほど、北部ヨーロッパの気候ではへたに入浴するとかえって湯冷めの危険がある、と言いましたが、こうした「入浴後に悪いものが体に入って来やすくなる」という観念のもとでは、冷えとかよりも浸透してくるなんかヤバいものたちから体を守るために慎重な対策がとられ風呂はもうハッキリ有害な行為でした。*5

 

 というわけで近世ヨーロッパ上流階級では「水」も「温熱」も禁止カードだった(マリー・アントワネットは実家のオーストリアの王宮では風呂入ってたとか、そのころには入浴する貴族も増えていたとか地域的時期的例外はあります)んで、じゃあどうやって体の清潔を保ってたのさ……という話になります。庶民は小汚くてもいいかもしれませんが、文化的な貴族にとっては身だしなみを整えることや着飾ることは仕事みたいなもんですからね。香水とか、化粧を油絵のように重ね塗りしていくだけでなんとかしていたのでしょうか? 

実はそうでもありません。

近世の貴族たちは、第一に白いリネン(薄い亜麻布)の下着を頻繁に着替えていました。お散歩をした、スポーツをした、なんか皮膚が汗で汚れてきた感じがする、これから行事に参列する……そんなときはシャツやズボン下や靴下といったいわゆる肌着を洗いたてのものに替えたのです。ときには一日に何度も着替えました。汗や皮脂や垢の汚れは白い下着に吸着され、着替えるとさっぱりして気持ちいい~!とされ、つまり洗いたての下着に着替えることはシャワーを浴びるような感覚と役割だったのです。

これによってシャツや靴下の驚きの白さが身だしなみのしるしとなり、貴族たちは自分の清潔さをキラキラに見せつけるため競って白シャツの襟もとや袖をゴージャスにし膨大な枚数をもつようになったのです。現代日本の社会においては目の前の人間が清潔かどうかって「におい」や「髪や肌がべとついていないか」「衣服がパリッとしているか」で判断されますけど、近世貴族の場合はもっぱら「白シャツのきれいさ」で判断されました。「清潔さの基準」だって時代や場所によって変わるってことですね。

第二に、肌を直接洗うためには水に濡らすのではなく拭いていました。やはりリネンややわらかいスポンジに香水をつけ、顔とか頭皮とか体の肌とかをにおわなくなるまで丁寧にフッキフキするのです。乾布摩擦じゃねえんだから、濡らしてもいない布で肌を熱心にこするなど、現代の肌知識からすると「摩擦はおひかえくださいー-!」と美容部員さんに殴ってでも止められそうですが、水洗いが体に悪いんだからしょうがないですよね。泥パックとかももってのほかだろうし……。

(宮廷画家ジョセフ・デュクルーによる、嫁いだばかりのマリー・アントワネット像。まだ盛り髪MAXじゃない)

また、「肌」と違って拭きづらい髪については、昔の日本でもそうでしたが、「くしけずる」ことが清潔の方法でした。もちろんシャンプーであわあわはしない。櫛で梳くことでフケやシラミ、よけいなあぶらのべとつきをとったのです。

そこまでは庶民も同じことでしたが、近世の特にフランスの宮廷貴族の場合、肌着を何百枚ももつようにさらなる「清潔のぜいたく」を行っていました。上の絵みたいな、近世貴族の肖像画をイメージしてほしいんですけどー、なんかみんな髪の毛白っぽくないですか? 貴族の髪が白っぽく描かれてることが多いのは、「髪粉」というものが流行していたからです。髪の毛に小麦粉とかでんぷん質の白い粉を振りかけんの。このせいで庶民の食うパンが不足したりもした。

現代には残っていないので狂気の習慣みたいに思えますが、ブロンドが好まれたからだったり、カツラとの境界線とかフケとかごましお白髪とかを目立たなくするためにだったり、香料をまぶすためにも大量にブワー!されたこの髪粉、でんぷんの粉なので、頭皮や髪のあぶらと一体化してコーティングになり、くしけずることで髪の汚れをパラパラ落とすことにもなりますよね。衛生的には「白い肌着」と同様のはたらきをしたのです。

まあカツラの場合だとただ粉だけが残り、ネズミとかの格好の巣になった*6らしいんですけどね……。

 

inフォドラ

 トイレ編上下水道編ときてもうお決まりですが、帝国貴族的な暮らしでは現実の近世ヨーロッパ貴族のようなことはなくわりとお風呂ってたと考えられます。ただし、お風呂はトイレや上下水道のように「ちゃんとした管が通っていれば快適」とかそういう問題ではなく、さまざまなバリエーションがあるので、「お風呂はあります! 終わり!」とはいきません

フォドラのハイソな暮らしではどんな感じのお風呂生活、および身づくろいが行われていたのか、まずそれに関係してきそうな条件を確認しましょう。こんなかんじ。

  • 帝国風の技術を取り入れている都市や住まいには、上下水道管などセイロス聖教会の高度な水の衛生技術が伝わっている
  • セイロス聖教会が、人間の衛生によくなさそうな水の迷信は取り除くと思われる
  • 魔導を使える使用人と燃料をまかなうお金があれば熱エネルギーはクリア
  • 宮城や発展した都市の領主館は人口が密集する
  • 薄い浴着を身につけて集団や男女がともに入浴するのはアリな文化

これらから考えるなら、最低でも帝国風の都市には貴族のための蒸し風呂浴場があります。都市の中の貴族の私邸や特に富裕な商人の家になら個人宅用の風呂があると考えてもよさそうです。もちろん皇帝には専用お風呂があるはずです。

現代的な感覚からすると個人宅用の風呂のほうがイメージしやすいですが、貴族のための浴場が温浴や清潔のためだけではなく古代ローマ帝国のように体を鍛えるジム的な機能や風呂上りに議論を戦わせる哲学バトル広場的な機能、いろんなエンタメを見られる演芸場的な機能を複合的に有し、社交場になっている帝国貴族お健康ランドもありえない話ではありませんことよ。

お健康ランドはちょっとギャグみたいになっちゃいますけど、それにしてもアンヴァルの宮城やデアドラの領主館などは多くの人が社交につめかけ泊まり込むでしょうから、真面目に現実的な話、現実の歴史にはない来客用共用浴場というのも十分にあり得ます。さすがにそれぞれの部屋にユニットバスついてるってことはないですからね。手とか顔くらいは部屋で洗えるだろうけど。だから浴着姿で汗ダラダラになりながら氷菓子を食べつつ貴族の何たるかを語り合うフェルディナントとコンスタンツェはいるんですよ(幻覚です)。

ただし、高貴で富裕な人が風呂に入る場合、ガルグ=マクの浴室とは違い数人の召し使いか侍従がセットでしょう。公衆浴場や宮城のおもてなし風呂には垢すりやマッサージや洗髪をしてくれる専門のサービススタッフがいると考えられますが、暗殺の危険もあるし、飲み物やタオルを運んだりといったお世話も必要だからです。召し使いが身づくろいのお世話をしてくれるのは個人宅に風呂があった場合も同じです。

現実の歴史にはなかったシーンなので妄想をたくましくする必要がありますけど、たとえばヒルダちゃんのような天下一お嬢様がデアドラにでも遊びに行き、ゴネリル公爵令嬢として領主館に滞在してお風呂を借りることになったら、数人の護衛兼使用人の女性が飲み物、タオル、髪や体をトリートメントするオイルや化粧水などを持ってついてきて汗を流したりマッサージを受けたりするのでしょう。

規模が「風呂は共用です」程度なのかそれともテルマエ・アドラステー的な皇帝や領主の威信をかけた大複合社交施設が存在するのか、また、蒸し風呂だけでなく浴槽でお湯に浸かるタイプの風呂も用いられているのかは、どっちで考えてもよさそうです。少なくとも帝国風の技術と財力があればこれまでに述べたどれも説得力アリで可能そうです。浴槽に浸かるタイプの風呂(ファイアーエムブレムifみたいな……)はちょっとこう、ゲームでは公衆の男女共用風呂空間である都合上出せなかったというところもあるとおもうので、あったとしてもゲーム中にはないんだよきっと……。

 

城塞(中世後期の城主)

 『風花雪月』でいう、王国貴族の居城や要塞での暮らしにあたります。

帝国貴族的文化が現実のヨーロッパ中世・近世とは異なっていそうなのに対して、王国貴族(騎士階級)の文化はわりと現実のヨーロッパ中世後期に近いもよう。

in現実

 「水は毛穴から体の中に入ってきて怖いぜ!病気のもとだぜ!」という説が生まれて定着する近世の前、すなわち中世後期は、お風呂で温まることも水浴することも忌避されてはいませんでした。

古代ローマ帝国時代の上下水道は機能しなくなってしまったのでローマ風ほどの大規模な公衆浴場を作ることはできないにしろ、むしろ気前の良さのあかし、豪勢な浪費として貴族は風呂を用意しました。水もそれをあたためる大量の薪も貴重な資源ですからね。日本の「金を湯水のように使う」の逆パターンというか、「湯水を大盤振る舞い」するのは大金持ちムーヴだったのです。

そして中世の騎士貴族階級にとって「気前の良さ」「豪華な宴会」は名誉にかかわる重要なステータスシンボルで、ことさら(その当時風の)贅が凝らされた、というのは拙著『いただき! ガルグ=マクめし』でも書いたとおりです。

www.homeshika.work

今言った条件を総合するとどうなるかわかる方もいるとおもうんですけど、中世後期の貴族階級は風呂を「毎日の衛生や身だしなみのため」ではなく、「豪華な宴会を盛り上げる接待レジャーとして」用いたんですね!*7

「宴会に風呂! スゲエ! こんなにお湯が!! 気持ちいい! 城主様は豪気な方だなあ~(大評判)!!」的な。要はシャンパンタワーですよ。だから水いっぱい使う方が富(とみ)~!って感じしますし浴槽は運べるので、木の風呂桶をそのまま巨大化させたような浴槽に沸かした湯をはり、宴席のど真ん中で、かわるがわる招待客といい湯だなアハハンしたのです。中世の貴族の宴会って城主の奥方以外のご婦人は混ざれず上のアリーナ席みたいなとこから観覧してたんですけど、確かにそれはご婦人は混ざれないわな。

宴会以外にも、近隣の者たちへの気前のよい施しとして風呂を用意する貴族やその奥方もいました。そうすると皆驚いて賞賛し、評判が高まったのです。

 

 でも、風呂が「豪華な浪費」であり「評判が高まる」ってことはですよ、やっぱ普段入るもんじゃなかったってことなんですよね。風呂は気持ちいいレジャーであり、汗を出して体の悪い血や凝り固まったところを浄化する温熱治療であり、日常的な肌のきれいさのためのものではありませんでした。あとは新しい恋人や娼婦のお姉さんとイチャイチャする前に感度を上げる官能目的とか。なので逢引き宿や娼館にはお風呂がある……というか、風呂屋に付属していることが多かったようです。*8

あくまでレジャーなわけですから、中世後期の貴族がお風呂に入る頻度は記録に残っているのでも4~5か月に1回*9。あるいはそれより少ないか……くらいと見積もれます。まあ毎日自宅でドンペリシャンパンタワーはしないからな。

じゃあ汗とか垢とかをどうしてたんよ、近世貴族のようにシャツに吸い取らせて着替えまくっていたんか?というと、そうでもありません。えっ……。

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中世貴族の財産の中では、服ってとても重いウェイトを占めていました。質のよい布自体が高価でしたし、↑上の記事↑でも述べているように発色のいい染料や縫いとり、模様の刺繍、縁取り毛皮などはさらに高価で貴族や富豪の身分を誇示するものでした。

そういうわけで服には資産価値があったので、財産目録とかにちゃんと書かれるんですけど、肌着であるシャツは目に見える上着に比べて極端に数が少ない*10のです。基本的にシャツはめったに替えられず、何か月とほとんど肌身離さず、肌の一部のように身につけられていたようなのです。

(15世紀のキャリー・イエール版タロットの「皇帝」)

近世っぽい貴族の肖像画と中世っぽい貴族の肖像画との違いは、驚きの白さのシャツ襟や袖がキラキラ見えているか、それとも鮮やかな色の上着が描かれインナーが見えないかだとおもいます。つまり中世貴族の気にする「清潔さ」とは、きれいな発色でくたびれいていない、パリッとした上着を着ているという表面の見た目のことであり、服の中のことは問題にされてなかったということです。

「他人に会うときに」「表面に見えているところ」が大事なので、教会に行く前など人前に出る前のタイミング(つまり朝)で顔や手や口は洗面器の水でよく洗います。じゃあ肌は……?というと、すでに想像して怖くなってるとおもうんですけど、当然かゆかゆですし、ノミやシラミにたかられているのが当然でした。当然なのでもう「そういうもん」なんだよな。それが通常運転。

しかもヨーロッパの寒い地方は獣の毛皮の裏打ちをした服をよく使いました。ああいうのはタライの中でフミフミゴシゴシする洗濯ができないし、ふつうに獣の皮(人間の皮脂付き)ですからどっさりノミやシラミがつくわけです。*11また、城や領主館の床はいぐさやその敷物、いわゆる「むしろ」で覆われていてたま~に取り換えられる程度だったため、酒や食べこぼし、イヌネコネズミの糞、吐き捨てられた唾などがグッチャリ固まっており*12そこもいろんなものの巣窟になりました。

こうしたノミやシラミに対しては、動物がお互いに毛づくろいをして親愛を深めるように、中世の人間もそのようにしていました。家族のシラミをとってあげることは親愛行動でしたし、手先の器用な人は美容師のようにシラミ取りをサービス職業としました。なんか今からするとうまく感覚が想像つきませんけど、おばあちゃんの白髪染めするほどでもない白髪抜いてあげるみたいな感じだったのかもしれませんね。

 

inフォドラ

 さて、今までのトイレや上下水道の話題ではわりかし無事で済んできたファーガス貴族の暮らしが、いよいよヤバそうになってきました。メシ以外にもヤバいのかよ。

どこまでノミシラミがいるのかはまず置いておいても、同盟の多くのパリピ貴族たちがファーガス地方の文化を土台にしながらも「帝国貴族の文化って洗練されてるよな!キャッキャ」とミーハーに行ってしまったことからもわかるように、王国の暮らしの文化は田舎っぽくて武骨でモサいということは残念ながら間違いありません。シラミのわきやすい毛皮装備も実際多いしね……。

そこらへんの文化ギャップで、「王国の奴らって貴族でも汗臭いし垢じみてるよな」とか逆に王国騎士らしい側からしたら「帝国風の風呂に頻繁に入ってる奴らはチャラチャラして軟弱ゥ」とかの価値観対立はあるかもしれませんね。

フェリクスはじめ王国出身のメンバーは作中の蒸し風呂でも耐性が低く、帝国風の風呂に慣れていない様子です。寒い地方出身なので煉獄の谷アリルのように気候じたいが暑いのが苦手なのは当たり前ですが、現実では世界一のサウナ大国であるフィンランドはスゲー寒い国なわけで、これは明らかに慣れの問題です。世界的にも熱気浴は共同体の戦士の絆を深める儀式の意味合いをもっていることが多いので、もし王国に蒸し風呂文化があるなら我慢比べに強い騎士が名誉みたいな風潮ありそうじゃないですか? そのため、王国の貴族の城塞や領主館では一般的に蒸し風呂は使われていないみたいだと考えてよさそうです。

 しかし、フォドラには現実とは違って我らがセイロス聖教会がいるので、ファーガス地方の教化とともに最低限の衛生の習慣を伝えてきたはずです。ガルグ=マク士官学校を通じて帝国的な上流階級とも接します。そのため、王国貴族は蒸し風呂施設は作らないまでも、体を水やお湯で拭いたり肌着を頻繁に洗濯したりといった衛生習慣をもっている……というあたりが落としどころではないでしょうか。

イングリットがドロテアに「おめかしするわよ~!」ってアンヴァルの浴場に連れてこられて大量のお湯やオイルでピッカピカにされて「わ、私は体を清拭できればそれで……アワワ……」ってなる(妄想)

 

農村では

 『風花雪月』でいう、ルミール村のような小さな村、ラファエルやレオニーやハピの故郷の村の暮らしにあたります。

in現実

 前回の上下水道編で見てきたように、農村で水道がわりになっていたのは近隣を流れる川ですから、みんなそこで水浴びをし、洗濯をし、家で使う用の水を汲みました。洗顔や手洗い歯磨きといった毎日の身だしなみはやはり朝人に会う前にする朝シャン形式です。そしてもちろんシラミとりグルーミング。

それだけでなく、たまにお湯を使うこともあったようです。

入浴するときは――入浴は頻繁にはおこなわれなかったが――上部をはずした樽を利用した。水を運んだり温めたりする手間を省くため、家族は同じ湯に次々と入ったと思われる。

――前掲『中世ヨーロッパの農村の生活』135頁

このような農村のお風呂形態のほうが、日本のガスが通っていないポツンと一軒家のドラム缶風呂や五右衛門風呂のような感じで感覚がわかりやすいかもしれませんね。のどか。

 

inフォドラ

 農村の暮らしについての描写は少ないですが、農村には「魔道」「聖セイロスが授けた先進技術」などの現実の歴史と違うファクターが存在しないため、体の清潔についても現実の歴史と同様の状況だと考えられます。

教会が体の衛生観念を主の教えとして伝えているなら、水浴びや洗濯の回数は現実より多かったかもしれませんが、それでも農村は家畜といっしょに暮してるからノミシラミがな……。

 

都市では

 『風花雪月』でいう、帝都アンヴァルや王都フェルディア、リーガン領都デアドラほか、城や領主館や教会を中心とした人口密集地の暮らしにあたります。ドロテア、アッシュ、ユーリスが暮らしていた領域です。

in現実

 都市の状況が最も深刻だったトイレから上下水道とは違い、お風呂文化なら都市にもけっこう広まっていました。やっぱり近世に「水、毛穴から入ってヤバいってよ」という話になると指導が入って消えていってしまうのですが……。

水に触れることが忌避されるようになる前の中世都市では、風呂屋は何十件とあり、商売としてギルドを形成していました。蒸し風呂に入って汗をかいて、そのあとでお湯に浸かることもできるといった感じのやつ。お湯は水道があるわけではなく汲んできて温めます。スーパー銭湯に近いもので、古代ローマの公衆浴場ほどではないにしろ保養レジャーを目的とした複合施設でした。食堂やある種の医療とか、寝転がれるところとか、しばしば娼館やおねえさんのサービスが付属しました。*13

混浴だったり女性用の浴場とか男女別の浴室とかがあったり、女性も入ることができました。しかし当然スーパー銭湯なので、しかも現代より水や燃料が高価なので、けっこうな入場料がいります。だから貧しい人は風呂に入ることができませんでしたし、入れる人もたま~に入るものだったはずです。まあそもそも必須の生活習慣じゃなくてレジャー施設だからね。あくまで。

日々の身づくろいとしてはやはり人に会う前に顔と手を洗うことと洗濯。ここは農村と変わりません。

 

 身に着けて汗や垢を吸い取る肌着については、裕福でない庶民はそんなに何枚も持つことができませんしいい素材も使えません。安い麻や羊毛でできたゴワッとした布を頻繁に洗濯してクッタクタになります。貧民や孤児となるともう「肌着」とかそういう概念どころの騒ぎではなく、粗悪な布でとりあえず体を覆い洗濯もろくにできないことになりますから、着てるものの清潔さ・不潔さの感じを見ると階層が秒でわかったのです。現代よりも遠目からでも明らかに。

 

inフォドラ

 フォドラには水に触るの危険やで思想がないので、都市の体の清潔事情に関してはおおむねこうした中世の都市と同じだったと考えられます。疫病が流行れば営業は一時停止したかもしれません。

アンヴァルなどの帝国風都市だとさらに水が利用しやすいので、蒸し風呂以外にいろいろな浴槽をもった風呂屋があったり、富裕層向けのローマ的な健康ランドもあるかもしれません。

ただし、フォドラでもお金がないとこれらの施設は利用できないのは必定ですから、ドロテアやユーリス、親をなくした後のアッシュなどの貧しい暮らしを送っている人々にとっては高級温泉宿くらい手の届かないものだったでしょう。作中でもドロテアは「これからミッテルフランク歌劇団で歌わせてもらえるんだ!ドキドキ!少しでもキレイにしておこう!」というときに街の噴水で水浴びをしたとのこと。孤児にはそんな大切な時でもお風呂施設に入る余裕がないのです。

そして裏通りにいたころのドロテアを蹴飛ばし唾を吐きかけていた貴族たちは、きれいな衣装で着飾り髪を整えてメイクを施されたドロテアを見て夢中になりました。これは、貧しい人はどんな「素材」のよさも吹き飛ぶくらい汚い恰好と汚い生活とその差別的イメージの中で生きることを余儀なくされているということの表現でもあります。「ドロテアさん孤児だったんだって」という噂は現代日本で孤児と聞くよりさらに重くこびりつくような風評だったのです。

また、ユーリスが異様に美しいのはドロテアと同様に素材が優れているだけでなく、水商売シングルマザーをしていた母親が風呂屋のおねえさんとして働くこともあって、そこの下働きをすることで娼婦たちのお風呂での美容法を学ぶ機会があったりした……というエピソードもありえないことではないでしょう。

 

戦場では

 城塞などの建物を基地としない野戦や行軍のときです。『風花雪月』では戦争が始まってからの戦闘や行軍はもちろん、学生時代のグロンダーズ大運動会へ向かう遠足などの遠征も含みます。

in現実

 「上下水道編」でも述べたように、戦争中とはいえずっと行軍しているわけではなく、城塞や都市に滞在する機関も長いです。

したがって、行軍中は定住地と違っていろいろなことが「とりあえず」的な対処になりますよね。排泄したり水分をとったりはどうしても頻繁に行わないと死んじゃうのでちゃんとやりますが、最初に書いたように体洗わなくても人間は死なないので、行軍中は普段の生活よりもっとぜんぜん体洗いません。そりゃそうだ。水や布だっていつもより貴重なシチュエーションなんですからね。ウンコ放置すると伝染病の危険があるけど、体臭やノミシラミがやばくても基本死なない。

戦場ではどっちかっていうと傷の衛生のほうが重要です。従軍僧侶や医者は酒で傷を洗い、なんかしら包帯を巻いたのだとおもわれます。

洗濯してえな~となっても、そんなことに使う水はニー!ので我慢です。少人数の旅人ならテキトーに川の側で休憩して下着替えて洗って……とかできますが、なんといっても軍隊は人数が多すぎですからね。鎧や鎖帷子や剣などは血や糞尿がこびりつくと劣化するし脱ぎ着できなくなっちゃうので洗いますけど、それすらなるべく水なしで手入れしろ!というくらいなのですからとてもシャツをお洗濯してる場合ではないです。

早く味方の都市に入ってお洗濯できるといいね……。

 

inフォドラ

 体の清潔についてもやはり残念ながら、戦場においてはセイロス教会の技術や魔導の力があってもどうにかなるところは少なさそうですね。

ただ、トイレ編で述べた戦闘中のトイレはおむつ説と同じく、「フォドラには現実の中世・近世よりも紙や布が豊富そう」というファクターは戦場でも体の清潔を保つことに少し影響があるかもしれません。

ヒントは作中のこちらの会話です。

カスパル
「お、先生! 訓練で一汗かいたところだぜ! そういや、何か変なもん拾ったんだ。小せえ布っ切れなんだけどよ。ま、汗を拭くのには役立ったな!」

ドロテア
「あっ、先生……。実は肌着が風に飛ばされて、どこかに……。水色のこういうやつなんですけど」

はい、ドロテアの布地の小さいおぱんつがカスパルの汗拭きタオルとして利用された例です。

近世貴族の項でも述べたように、薄くてなめらかな上質な布でできた肌着は汗や垢を拭きとるのに最適です。現実では布はどんなものでも高価でしたが、フォドラの生産技術ならば比較的安価にいろいろな質感の布を作ることができるでしょう。たとえば自前で汗拭きによい布を用意できない兵士にはスポーツタオルや手ぬぐいのような新しい布を支給し、行軍のあいだこまめに体の汗をぬぐうようにしたり、暑めの気候の際の行軍では服の内側に仕込んだりすれば(夏コミとかで汗かき野郎はそういうことするといいって聞いたことあります)、水が使えないとしてもだいぶクオリティオブライフが上がるかもしれません。

まあ日本とちがって高温多湿ではないので、そもそも垢と汗がベタベタした不快感は少なめなのですが、新しい清潔な布があれば包帯代わりになって傷の衛生も守れますしね。

それこそライブタオルみたいにしるしや絵をつけて軍の一体感・忠誠心を高め、旗色のひとつとして使うのもいいかもだし。コーエーテクモゲームス『遙かなる時空の中で4』では亡国の女王となる姫君である主人公のもとに集ったモブ兵たちが「姫様の軍の仲間の絆としてこれをつけようぜ!」と主人公のカラーである青い布を身に着けてたりしましたね……。

まあライブタオルと言うと冗談みたいですが、マジな話、中世世界では上に立つ者の「気前の良さ」の中でも特に、周りの人にドシドシ衣服を下賜できることが実力の証となりました。布が相対的に安価に手に入る世界といえど、庶民出の兵士にとってはかなりうれしく、忠誠のキーアイテムともなりうるでしょう。

ブレーダッドタオル、振り回していこうぜ

 

 

 他に話す予定のある中世・近世の舞台裏としては「情報伝達」、「交通」、「死んだら」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

風花雪月ファン向けに中世騎士社会を解説する別ゲー(別ゲーなの!?)の実況も随時更新してますよ。

 

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あわせて読んでよ

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*1:吉田集而『風呂とエクスタシー』(平凡社・1995年)13頁、「風呂の分布と分類」の頁

*2:フリー百科事典Wikipedia「テルマエ・ロマエ#概要」の頁によれば「古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとしたコメディである。入浴文化という共通のキーワードを軸に、現代日本にタイムスリップした古代ローマ人の浴場設計技師が、日本の風呂文化にカルチャーショックを覚え、大真面目なリアクションを返すことによる笑いを描く」というあらすじ。

*3:フリー百科事典『八瀬童子#来歴』の頁

*4:ジョルジュ・ヴィガレロ著 見市雅俊監訳『清潔になる〈私〉―身体管理の文化誌―』(同文舘・1994年)「浸透する水」の頁

*5:前掲ヴィガレロ17-19頁

*6:YOSHDANCE『さらにカツラについて〜パウダー〜』(2008年)

*7:前掲ヴィガレロ33頁

*8:前掲ヴィガレロ「往時の水の快楽」の頁

*9:前掲ヴィガレロ34頁

*10:前掲ヴェガレロ65頁

*11:前掲池上「中世の衛生概念」の頁

*12:前掲『中世ヨーロッパの城の生活』78頁

*13:前掲ヴィガレロ29-30頁