湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

フォドラ「結婚」事情〔前編〕―FE風花雪月と中世の舞台裏④

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「結婚(家族制度)」編前編です。

あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世盛期~後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 以下、現実世界の歴史や事実に関しては主に以下の書籍を参照しています。これらの書籍を本文中で引用する場合、著者名または書名のみ表記しています。

ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著 轡田収、川口洋、山口春樹、桑原ヒサ子約『中世の日常生活』(中央公論社・1989年)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの城の生活』(講談社・2005年)、J.ギース/F.ギース著 青島淑子訳『中世ヨーロッパの農村の生活』(講談社・2008年)阿部謹也『中世の星の下で』(筑摩書房・2010年)、堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)、ロベール・ドロール著 桐野泰次訳『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社・2014年)、J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの結婚と家族』(講談社・2019年)

 

長くなり過ぎたんで前後編で、今回はこの目次の「帝国風貴族」のトコまでやっていきますね。

 

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結婚古今東西

 現代のいわゆる先進国では、人権に基づく個人個人の結婚の自由が法で認められていることが多いです。現在の日本でも、「身分上結婚できない」とか「親が了承しないと結婚できるわけない」とかそういうことはなくなっています。特別な儀式がなくても行政上の届け出をすることができます。

もちろん、こうした現在の結婚の自由や家族を作ることの自由は最初からあったものでも普遍的にどこにでもあったものでもありません。今の制度が誰にとっても「自由」なものだとも、もちろんいえません。歴史的に社会の常識が変化してきたり、いろいろ戦って勝ち取られたり妥協されたり紆余曲折して「とりあえず今・ここではこんなかたちになってる」くらいのものです。

イエっていうのは政治の基本単位ですから、中世とか、かつて国や宗教などの共同体に比べたら個人なんて大事にされるわけがなかった価値観の時代は今とはぜんぜん結婚の常識が違うはずです。家族という小さな共同体が再生産され続け、支配権や相続の説得力が無事に継がれ続けることは、風花雪月のゴーティエ家に代表されるようにときに人ひとりの人生より重く、そうして社会を存続させるために多くの人の魂をひき潰してきました。さらに、現代日本では結婚と恋愛がわりとつながったもの扱いされていますね。昔はそこのところも違うので、すなわち恋愛の常識も違います

水回りの事情がその土地の風土に強い影響を受けるように、結婚・恋愛・家族のありようは、政治や宗教やライフステージ観に影響を受け、たくさん変動します。結婚や家族づくりはそもそも、少なくとも現代日本の一般人がもつイメージよりはるかに深刻な「生存戦略」でした。まあそういうトコが風花雪月においてはドラマ性を生んでたりしてナイスでもあるんですけどね、ローレンツとか……。

 

 まずわれわれ現代日本人の結婚・家族観の常識をあらためて確認しておきましょう。日本国憲法第24条にいわく、

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

この憲法の条文の「両性の合意」という文言は、他の先進国ではおおむね認められている同性婚を日本でも可能にしようぜの議論において「両性って男女のことだろ? 同性どうしの結婚に対応できんのか~い」というツッコミの的になることもあるのですが、この文言が書かれた背景には「戦前の日本が著しく男女不平等かつ「お家」主義で、結婚する当人同士特に女性の意思が完無視されがちであった」という状況があります。つまり、「ご両人」以外の何者も結婚することやしないことを強制することはできないし、結婚したふたりは平等な立場で結婚生活を運営するべきだよ、というような旨の記述であるということができます。

また、守らないと離婚される正当な理由となる、民法や慣習上の「結婚にともなう義務」とされるものは主に「同居義務」「扶助義務」「協力義務」「貞操の義務」です。そして、一夫一婦制や「お家」主義の影響もあり、法律婚のもとに生まれた子とそうではない子、つまり「嫡出子」と「非嫡出子」とは区別され、相続などの際に差が生じることになっています。*1つまり、現代日本において基本的な結婚とは同居し、経済的家庭生活的に協力し合い、そしてお互いに浮気をしないもの、子供は法律婚関係の家庭で生まれ育つもの、とされているのです。

「されているのです」ってそりゃ結婚ってそういうものですけども、と思うかもしれませんけど、何が言いたいかっちゅうと、「そのようにされてない」社会ってのもバシバシあるわけですわ。

 

 まず「夫婦」「一対の伴侶」が家庭の単位だよ!ということ自体人類に普遍的な価値観ではありません。人間以外の多くの動物の繁殖期がそうであるように、石器時代みたいな原始的な文明ではしばしば「子作り祭り」みたいな野合の宴が行われ、哺乳類(クソデカカテゴリ)なのでさすがに母親のおなかから生まれてお乳をもらうことは共通してますけど、「父親が誰か」ということはあんま気にされずに集落全体で共同子育てをする、という家族形態がポピュラーだったようです。お乳をもらう女の人も直接の母親であるとは限らず、子供はみんなの子供であり、系図があっても母系社会でした。

そのうち多くの文明で戦争をするようになるにしたがって男性が権力を握るようになり、父親が自分の子孫を管理し投資して繁栄させた~い!という欲をもつようになると、一夫多妻という体制が流行ってきます。男性権力と男女の子作り能力の個性が合わさり、力ある男性のみがたくさんの妻を抱えて同時にたくさんの子を産ませ、養育することを可能にする制度です。ところによっては逆に多夫一妻制が採用されていることもあります。

しかしキリスト教を含む一部の宗教では一夫一婦制が道徳とされ、現代の先進国ではそれが覇権ジャンルになっていますね。

一夫一婦制は夫婦自身にとっても政治側にとっても秩序だって家族を管理することがかんたんですが、離婚が大変だったり、非嫡出子や私生児をどうすんのよという問題もはらんでいます。どれも一長一短あるんだよな。それに、女性の立場家長以外の家族にどんな権利があるのか同性婚の状況結婚まわりのライフイベントの流れなどのバリエーションは地域や時代によってすごくいろいろです。めっちゃいろいろ変化がある。だから、フォドラがおおむねヨーロッパっぽく作られてるからって、ヨーロッパとは違う条件もけっこうあるので、結婚や家族については違いもあると考えられるんですよね。

基本中世~近世ヨーロッパをベースにしながらも、フォドラの条件や作中の描写から妥当なセンとか可能性とかを探って妄想していきましょう。

 

日本の歴史との比較

 日本だけでもかなり大きく変遷してきているので、いっちょさかのぼっていきましょうか。

「ひと昔前」っつーか、昭和?の、現代日本人的に見て「古い」日本の結婚観といえば「見合い結婚」です。その場合の対義語は「恋愛結婚」。

「見合い」とは若者が自由に恋をしたり自分で自分の人生のパートナーを決めたりするのではなく、親族や近所の名士や職場の偉い人が「ふさわしい相手」を見つくろい、ちょっとばかし顔を合わせてお話して、感じがよさそうなら婚約の運びとなる、というものです。近年の「婚活のための出会い」とは、「縁者や上司といった体制がセッティングしてくれてる」点が違います。

しかし、現代から見て「古臭い」「個人の意思じゃない」感じの見合い結婚ですが、江戸時代とかには「見合い? 相手の顔を見て結婚するか決めたいなど論外、チャラすぎ」と思われていました。「顔を確認する」程度の見合いの席がもうけられることはありましたが基本結婚相手じたいは親や上司による決定事項。結婚式で初めてまともに相手と顔を合わせ、伴侶との絆は結婚してからはぐくまれるもので、恋愛して好き合った相手だから結婚するなんてことは基本ありませんでした。こういう方式を「命令婚」といいます。これが人類の歴史上はスタンダードだったことが多いとおもう。

命令婚は江戸時代みたいに身分制度や社会体制がキッチリしてくるほどによりキッチリしてきて、「親や上司の決定には決して逆らえない」「家の格が同じくらいの相手と」「女性は幼いときは父兄に、結婚したら夫に、年をとったら子に従う」などという感じになりました。お殿様でも例外ではありません。江戸時代より前のゴッチャリとした社会ではもうちょっとフリーダムで、親の決めた結婚も本人どうしが決めた結婚もどちらもありました。

平安時代の貴族社会くらいまでさかのぼると逆に「恋愛」がバリバリ存在し、女性の地位もそこまで貶められていなかった、というおもしろい逆転現象?もあります。平安貴族は家族形態も現代日本の常識とかなり違い、男性が女性の家を訪ね女性の実家がお婿さんと子供の後ろ盾となる「通い婚」というかたちがとられていました。よって実家の権勢がすごい女性とかお金持ちの未亡人女性とかは夫や子供に対してそれなりに強い立場をもっていたわけです。光源氏に対する葵上とかみたいにね。日本で女性の地位がガン下がりしたのは、鎌倉時代から武士政権の武骨な家父長制世界となっていったからでした。

また、現代日本ではほとんどの女性が結婚とともに夫の家の姓に変わり夫の家に入るのが基本の家族観みたいになっており、いいかげん選択的夫婦別姓できてもいいんじゃないの?という議論が進められています。いうてその「基本の家族観」も日本の伝統的なものとかではなくて、少なくとも江戸時代より前までは女性は結婚しても生まれた家の娘であるという意識と権利をもっており、婚家に従うわけではありませんでした。「北条政子」や「日野富子」などと伝わっている名前も夫婦別姓ですね。「細川ガラシャ」とかも当時としての名前は「明智玉」です。そう考えてみると同姓になったから何っちゅう話だもんな。武田信玄の跡を継いだ息子の武田勝頼ももとは母の家を継ぐ「諏訪勝頼」で、子供が父母のどっちの家を継ぐのかも状況によるわけですし。

 

 というふうに、日本の歴史でもいろいろな理由による変遷があったんですが、日本とヨーロッパの中世~近世を比較したときのざっくり大きな違いは「宗教の教えにもとづく一夫一婦制の固さ」ですかね。

先進国の多くで一夫一婦制と男女平等がタッグを組んで導入されているのも、キリスト教の道徳とそれに関連した天賦人権説(すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想。これはフランス人権宣言とかアメリカ独立宣言とかから)がもとになっています。男女の平等がうったえられる前には、教会は女性は基本的に悪の源であるとみなして忌み嫌い「次世代を生むための一夫一婦制くらいはしょうがねえから許す……グヌヌ……」ぐらいに考えていて、男性は女性との親しいかかわりを極力避け、女性はよく身を慎むべきと教えました。

日本では女性の地位がだんだん低下していった歴史があるということを見てきましたが、それと関わりなくずっと有力な男性が複数の妻や妾をもったり、離婚したり再婚したりがドンドコ行われてきました。それに対して中世~近世ヨーロッパの多くの地域では王侯さえ公式の妻は一人しかもつことができませんでした。相手と死別したときの再婚もそんなにすぐには行われず、あまつさえ相手が生きてんのに離婚しようとすればたいへんな労力を要しました。なにせ、結婚は王が戴冠を神に祝福されるみたいなもので、二人が神によって結び合わされちゃってるんですからね。結び目の重さと硬さが違うわけですよ。

 

 ただ、フォドラにおけるキリスト教っぽいものであるセイロス教は、主に女性の地位の点でキリスト教と大きく違っていることはご存じの通りです。

そのへんのファクターを頭におきつつ、各状況での具体的なようすを考えていきましょう。

 

状況別 現実とフォドラの結婚

 このシリーズで扱うような「舞台裏」は身分の高低や戦時平時問わず必ず存在するものですが、暮らしのようすというのは身分やシチュエーションによってそれぞれ変わってくるのがおもしろいところです。

違いがおもしろいだけじゃなくて、「こういうときってどうしてたの!?」「カルチャーショックとかあるのかな!?」という疑問湧きドコロでもあるとおもいます。このシリーズでは普段、『風花雪月』のストーリーやキャラの出身階層にみられる5つの舞台、「宮城」「城塞」「農村」「都市」「戦場」に分け、かつ「in現実(現実)」を知ってから「inフォドラ(推測)」の可能性を探る、という構成にしています。ただ、「結婚と家族観」という今回のテーマは「場所」というより「社会階層」によるものなので、見出しを「帝国貴族」「王国貴族」「庶民」「裕福な市民」「聖職者」に置き換えたいとおもいます。おおむね場所が人間の階層に変わっただけですが、戦場という非常時は結婚と家族のフィールドではないので代わりに聖職者の結婚と家族についてみる見出しを置きました。

それではそれぞれのご家庭の事情に目を向け、舞台裏を覗いていきましょう。

 

帝国貴族(古代と近世の貴族)

 『風花雪月』でいう、帝国貴族の宮廷や帝国かぶれの同盟貴族たちにあたります。

見出しのカッコ書きが「古代と近世の貴族」とヘンなことになっていますね。中世を飛ばして古代と近世を一緒にするとはこれいかに?

水回りに関する3つの記事では「現実の近世ヨーロッパとアドラステア帝国は特に水回りに関しては大きく違うから安心してくれ」とことわりを入れていましたね。アドラステア帝国が「利水にすぐれた古代ローマ帝国がそのまま存続して近世体制になったみたいな国」だったからです。結婚観に関しても同じファクターがあるため、古代と近世を並べるややこしいことになりました。

そんなかんじですから、現実の歴史を見ていく際にも「古代ローマ帝国時代」「近世貴族社会」の両方のことを参照していきますね。

 

in現実(古代ローマ)

 まず、初期の帝国のモデルとなっているとみられる古代ローマ帝国の帝政時代(おおよそ『テルマエ・ロマエ』くらいの時代がイメージとして適切かな)の貴族の結婚・家族観をみてみましょう。中世の家族観にまでもずっとベースとなった「ローマ法」とよばれる法律がつくられたのもこの時代なので、中世近世や現代と違うところがあるにしてもかなり大事ですよ。

古代ローマと現代の家族常識で最も大きなところは「家族」とよばれる範囲の大きさ家長独裁性です。ローマ人は「夫婦と子供たち」という核家族形態ではなく家長の親族もろもろと同居し、召し使いをもち、同居するそのすべてを家族(ファミリア)と呼びました*2

しかしながら、そのほかは意外なほどわれわれ現代日本人の感覚に近いです。もっと古い時代には花嫁を家に所属させる権利を金で買っていたために女性の地位は低かったのですが、女性がわりと自由に社会参画するようになったり、花嫁が「購入」されるのではなく夫から独立した身分や実家の相続権をもつようになったり、その結果、娘たちが結婚相手を自分で選び、お父さんは別に強制しないという状況に*3。男女「平等」とはさすがにいえないですが、だいぶ女性の地位や発言権が高かった時期といえます。

昔の社会なら当たり前のことながら、ちがう階級の相手と結婚することは禁じられていてペナルティもありました……が、身分違いの結婚をする人はあとを絶たなかったようです。家長が家の繁栄のために相手を選んで命令婚するならこういうことはありえないので、階級を超えた恋愛結婚というのがあったということになります。クレオパトラを含む数々の女性と浮名を流したガイウス・ユリウス・カエサルが代表するように、共和制末期から帝政初期のローマ人、すっごく恋愛するのです!

そんな感じでチャラけすぎて、「正式な結婚とかなんか面倒くさいよね、子供も持たないで恋人関係が楽しい~」と現代の若者のようなことを考えた結果、ローマ貴族はどんどん文字通りの独身貴族になり、娼婦との関係や同性愛もポピュラーで、上流階級の選択的非婚化・少子化が問題に……。マジで現代日本か?

さすがに国家のメインメンバーが再生産されないのはマズいじゃん、と思った時の皇帝によって「結婚しなさ~い!」「子供いっぱい産んでくれた女性には褒賞!」といった旨の法律が整備されたのですが、そんな感じの恋愛パリピ帝国のため、結婚するにしても離婚や再婚もホイホイ行われました*4

 

 婚礼の作法についても、「親族などの前で人前式、披露宴」「誓いのキスをする」「新郎新婦の左手の薬指に指輪をはめる」「白い花嫁衣装とヴェール」「新郎新婦にふりかけるなんかシャワー(当時はクルミ)」という現代日本の洋風ウェディングで一般的ないくつかの要素は古代ローマ帝国時代からあるものです*5。神や行政に誓いを立てるというよりは、夫婦が属している共同体のみんなに結婚を知らせることが主眼だったのです。だからキリスト教の管理が強固でなかったぶん、中世以降よりもかえって現代日本に感覚が近かったんですね。

 

in現実(近世フランス宮廷)

 近世の宮廷貴族文化を代表するロココ時代のフランス貴族には、現代もフランスを「恋愛の国」と呼ばしめるような特殊な恋愛文化がありました。ていうか、現代日本人が「ヨーロッパのお貴族様の結婚や恋愛ってこういうもの」となんとなくイメージしがちな像は、この近世フランス宮廷貴族に近いって感じです。逆に言えば中世の貴族やフランス宮廷以外の貴族は違うので実はけっこう局所的なモデルなのですが、アンヴァル宮城の社交界みたいなきらびやかな中央集権の宮廷はここにあたる可能性も高いです。

近世フランスの貴族たちが結婚相手を決める方法は、とにかく「釣り合いをとる」ことです。家格や財産などが同じくらいの相手から協議して選んだ相手と結婚しました。貴族と平民ほど階層が離れた相手との結婚はもってのほか。なぜなら、家の財産を外に流出させず守らなければならないからです。近世は貴族もおカネにシビアにならなければならない時代ですし、釣り合いポイントには金や土地だけでなく家の名誉の高さや美貌や若さなども含まれます。つまり結婚はぜんぜん恋だの愛だので始まるものではありません。偏差値で行く大学の候補を決めるみたいなもん。そしてキリスト教によって夫婦が結び合わされるので、一夫一婦制で重婚は許されませんでした。まあ大学も同時に一個しか入れませんからね。

ちなみに、男性も女性も結婚してもべつに姓を同じにするとかそういうことはありませんでした。貴族の名前の姓っぽい部分(長い)って、領地や相続関係をあらわす「どういう生まれであるかの説明書き」みたいなもんなので。既婚女性は「〇〇伯爵夫人」というかんじで呼ばれましたが、日本語で「夫人」というだけで原語では「女伯爵」とまったく同じ、つまり〇〇伯爵家の二人代表取締役という感覚だったんですね。主に政治権力をもつのが夫でも、妻も財産権的な意味でしっかりした存在感があります。なにせ同格の相手と結婚してるわけですしね。

そんなかんじで家の運営のためにも神への誓い上もガッチリ結合させられているもんですから、離婚は容易なことではありませんでした。そりゃまあ、神によって結び合わされたもんを人間がほどいちゃならんので、別の相手と再婚するために離婚してえな~となった際は「実はそもそも結婚は成立してなかったんだよー!」「な、なんだってー!」というアクロバティックな理屈を離婚裁判で主張して認められる必要がありました。

ここでは「離婚はスゲー大変だったんだよ」くらいにしておきますが、どういう裁判なのか気になったら↓下の小説を読もう

 

 じゃあこの制度でいつ恋愛の国してんの?っつったら、大学に入ってから恋愛する、つまり結婚してから婚外でバリバリ恋愛してたんですよ。大学に入ったことがうれしくて最初はハシャいでも大学自体に恋をする大学生がいないように、新婚の時期を過ぎ子づくりの義務も果たしたあともずっと結婚相手を熱烈に愛し続ける貴族はダサいどころか非常識だとキモがられました。恋愛はなにも受験中じゃなくても大学に入ってからにしなよ、みたいに恋愛するならとりあえず誰でもいいからそれなりの相手と結婚してからにしなよ、というのが常識。学内サークルで交際相手をみつけるように、社交界のパーティーでおしゃべりしたりゲームに興じたりダンスを踊ったりしながら公式の配偶者以外と恋人関係に陥ったのです。

「政略結婚して跡継ぎを作っちゃえばあとは好きにやれる」みたいな創作の中の貴族観はここからきていますが、それにしても恋愛がむしろ結婚してから・婚外でスタートするっていうのは現代とはかけ離れた衝撃のシステムです。これは「中世」の結婚・恋愛観にも起源があるので、それは中世貴族の項で話しますね。

もちろん釣り合う相手を選ぶことやキリスト教に一夫一婦制を結合されること、恋をするなら人妻にしろやルールは国王夫妻でも同じなので、なんと国王が未婚女性を見初めた場合でも誰かそれなりの貴族の妻にしてから愛人にする、というステップが踏まれたほどです。ただ、国王の場合は特別ルールがあり、王妃の承認があれば「公妾(ロイヤルミストレス)」とよばれる公式の側室をひとり持つことができました*6

公妾は王に囲われているだけでなく公式に国庫からお金を出されてキラキラ女子となり、社交界に出たりサロンを開いたりしました。名高いポンパドゥール夫人(上にリンクを貼った名香智子『ロココの冠』はブルボン朝時代と彼女の前半生がわかりやすく描かれています)のように文化や国政に大きな影響力をもった例もあります。公妾の生んだ子は公式の子なので公や伯といったロイヤルな貴族として叙され、場合によっては王位継承者の候補となることもありました。そうじゃない女が国王の子を生んだ場合も母子ともにまあいい感じの将来を与えられました。

しかし国王以外の貴族の場合は、恋愛は婚外でするものとしても不倫相手とガチで子供ができちゃうのはダサい、とされており、夫との間の子という扱いにするか親戚んちの子ということにするか、それも不都合ならば修道院にやるか……で真実の父母はあまり明らかにされませんでした。そういうので出生のミステリーやドラマが生まれることもあったんだな。これはFEなどの戦記ものでもあるある。

 

inフォドラ

 アドラステア帝国風の貴族たちの結婚・家族文化がどんなあんばいで古代ローマ帝国と近世宮廷の文化を混ぜててどう現実と違うのか妄想するまえに、実際に作中で帝国貴族の結婚について明らかになっていた情報を整理してみましょう。エンディング後はちょっとずつ社会の常識が変わっているはずなので、主にはエンディングテキストじゃなくてゲーム中のほうの記述で……。

  • 皇帝は帝位を継承できる子を多くなすための後宮をもつ
  • 平民と貴族の結婚が忌み嫌われているわけではなく、条件によっては祝福され玉の輿できる可能性はある
  • 一般的には親どうしが釣り合う相手との縁談をまとめる
  • ガルグ=マク士官学校で結婚相手を見つけることも多く、その場合恋愛結婚もあり
  • 同性どうしが結ばれることもないことはないが、血縁の跡継ぎを作らなければならない貴族の場合は事実上無理
  • 当主や配偶者、跡継ぎが紋章をもつことは近年は必須ではなくなってきているが、お家の権勢を保つステータスの一つとなるため、婚外子が紋章をもっていれば当主候補や縁談のカードとして家に迎えられ、もたなければ親子ともども切り捨てられることが多い
  • 相手と死別したあとの再婚や連れ子にペナルティはない
  • 貴族当主の男性の妻は「〇爵夫人」と呼ばれる。逆は不明

ゲーム中で実際に描写があったのはこんなかんじです。全体的な概要としては近世貴族をベースに格差婚や恋愛結婚に関してより寛容めな一夫一婦制、でも血縁に関してはよりシビアみたいな感じでしょうか。

 

 皇帝が後宮を持っているというのはアジア的価値観からするとふつうのことのように思えますが、これはヨーロッパ文化ベースから大きく変えてある部分です。たぶんフォドラでメイン配偶者以外の正式の結婚相手(側室)を何人も同時に持てる制度があるのは皇帝だけのようですね。たぶん女帝の場合もそうなるとおもいます。

繰り返しますが、アジア的価値観では皇帝や天皇以外の有力者も側室や妾をバリバリもっているのが当たり前の時代が長かったのでちょっと感覚がつかみづらいですが、「側室」と「愛人」とは大きく違います。側室やその子は正当な公的権利と相続権をもち、日の当たる場所における発言力ももちます。皇帝だけが継承者を大事にするために側室をもてるのは、本来アドラステア皇帝ただ一人がフォドラの正統なる継承者であるという、セイロス教に定められた運命の重みを感じさせます。

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ちなみにアドラステア皇帝の後宮のイメージは↑上の記事でも書いたように『源氏物語』とかの日本の宮廷もののエッセンスが入ってることからして、かつてあった日本の天皇の後宮江戸城の大奥のような感じと考えられます。

有力者の子が実家の威信を背負って後宮に入れられ、皇帝との間に皇子をもうけて実家を皇家の外戚として権勢を高めるべく、表の宮廷以上のドロドロバトルが繰り広げられるところです。実際、エーデルガルトの母であるアンゼルマさんはたいした身分でないのに皇帝に愛されて後宮入りしたことで「政争に負けて帝都を追われた」、つまりおそらくは上流貴族出身の妃たちに「ここがどこだかわかってんのかァ?」とばかりに陥れられてはじき飛ばされています。

想像するに、アドラステア皇帝は男女問わず皇太子時代あるいは即位とともに正式の配偶者を迎え→即位後皇帝のための後宮が設置されると→幼少期から皇帝の配偶者となる準備を整えてきた大貴族の未婚の異性が鳴り物入りでどんどん入ってきて→皇帝は大貴族の圧力があるとイヤとも言えず迎え→正室・側室たちは後宮内や社交界で権力や皇帝の寵を争って火花を散らすことになる……という流れなのでしょう。

ちなみに後宮と言った場合、皇帝の私的な住まいや配偶者たちの住まいであるだけでなく、皇子たちを守り育てるための場所でもあります。場所的にはたぶん宮城に隣接しており、皇子たちは官職を得て独り立ちしたりするまではそこをおうちにしていると思われます。だから士官学校に来るまでのエーデルガルトは、エーギル公の手の者に監視されて弱っている父、臥せったり精神に異常をきたしたりしているきょうだいたち、嘆くその母妃たちとともに、やみうごがのさばる異様な雰囲気の後宮で寝起きしていたのだと考えられます。ディミトリの環境もひどいけどこっちも相当だよ。

 

 一方、一般の帝国風貴族は一夫一婦制っぽい。権威ある血縁が最も重要なわけなので、家の繁栄が最も重要である現実の近世フランス貴族と違って不倫天国ではないと考えられます。少なくとも結婚相手を愛し貞潔を守ることが美徳の社会ではありそうです。ただ、作中くらいの時代になると紋章をもつ家どうしの血が混線しまくっているため父母と違う紋章持ちの子が生まれても「血液型がおかしいだろオイ!」みたいな話にならずに済むし、女性がワンチャン狙いたい場合とか男性が自分ちの紋章流出してもいい場合とか、あとふつうに不倫の恋をしちゃうこととかもあったでしょう。

基本はフェルディナント・ベルナデッタ支援Aで言われていたように、親が同格の家や互いに利のある家との縁談を持ってきて→子供(本人)は相手の評判によって承諾するか選び(親子関係によっては否やを言えないこともある)→縁談がまとまったら婚約→お互いあるいは片方が官職などに就いたら婚礼をして正式な夫婦になる、という流れのはずです。

士官学校に入った貴族子女の場合はこの「親が縁談を持ってきて、本人が承諾するか選び…」の部分に「士官学校で知り合った相手を親に紹介して、家同士の縁談へ進み…」が代入されることもあるわけですね。

作中の時代にはガルグ=マク士官学校は結果的に「フォドラ全土の有力家の子が、人脈を作り結婚相手を探す絶好の場所」となっています。ローレンツの婚活を見ればわかりますが、ただ評判だけで縁談を進めるよりも人となりを観察したり信頼関係を深めることができれば、恋愛とか置いといてもお互いの家にとってよりよい婚姻が結べるでしょう。外の勢力から三国一丸となってフォドラを守るための支配者教育を授けるための場所として設立された士官学校ですが、結婚を通してときに勢力をまたいだ友好関係が結ばれることは中央教会の思惑としても願ったり叶ったり。

婚礼に関しては、古代ローマから現代の洋風ウェディングっぽい要素があったわけなので、フォドラの帝国風貴族も白い衣装やヴェール、指輪交換、誓いのキス、披露宴というそれっぽい結婚式をすると考えてもオッケーだとおもいます。結婚しても相続上のメインとなる養子になるわけではない場合は姓は変わらない、つまりフェルディナントとベルナデッタが結婚したとしてもベルナデッタはフォンヴァーリであると考えられます。ついでに言えば結婚してもヴァーリ伯を継げます。

離婚についてはよくわかんないけど、相手が家にとって不利な存在になったり紋章をもつ子が生まれなかったりした場合はなにかと理由をつけて離婚することはあるとも考えられます。おそらくセイロス教は「家族を築きしっかりと守るのですよ……」という秩序を奨励しているはずですが、帝国風貴族にはあまりセイロス教の影響が強くありませんから現実の近世貴族の離婚がルナティックモードだったのに比べれば十分いけるでしょう。

相手と死別したらぜんぜん再婚するでしょうし、まして紋章もちならばすぐに再婚相手がつきます。ほとんどの帝国風貴族の場合紋章は「戦う力」ではなく「権威」、いわば「血統書付き」のようなものですから。

ベルナデッタ父が娘を使って財や権勢を得ようとしたように、メルセデスとイエリッツァの父バルテルス男爵家が珍しい紋章をもつ子を大量生産することに固執したように、中央教会の作った秩序のもとでは結果的に皇帝や紋章血統書付きの貴族の結婚がカネや権力で売り買いされることになりました。こういうグロテスクな世界を作り変えるためエーデルガルトは戦ったわけですが、こうしてよくよく見てみるとマジでよしながふみの『大奥』みたいな話なんだよな……(2023年1月からフルでドラマ化するの超楽しみ!!)

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「王国貴族」「村の庶民」「都市民」「聖職者」はまとめて後編に続く~!!

王国貴族(中世盛期~後期の貴族)

村の庶民

都市民

聖職者

 

 

 他に話す予定のある中世・近世の舞台裏としては「情報伝達」、「交通」、「死んだら」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

風花雪月ファン向けに中世騎士社会を解説する別ゲー(別ゲーなの!?)の実況が完結しました!

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あわせて読んでよ

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*1:弁護士法人プラム綜合法律事務所 梅澤康二 【弁護士監修】非嫡出子とは|嫡出子との違いと相続におけるデメリット(2022年・相続弁護士ナビ)

*2:前掲『中世ヨーロッパの結婚と家族』p31

*3:前掲『中世ヨーロッパの結婚と家族』p36

*4:前掲『中世ヨーロッパの結婚と家族』p39

*5:前掲『中世ヨーロッパの結婚と家族』p38

*6:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』公妾の頁