本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』のタイトルと作品テーマの関わりについて考察していきます。
年の瀬なので、それらしい記事を上げて今年のご愛読の感謝を兼ねようかと。
テーマは「風花雪月」です。
なぜ「花鳥風月」ではないのか
『ファイアーエムブレム風花雪月』は『ファイアーエムブレム花鳥風月』とか『ファイアーエムブレム学級崩壊』とかさまざまな四字熟語で書き表されることがありますが、ところでなぜにより通りのよい「花鳥風月」ではないのか?と考えたことはありませんか?
もちろん、「花鳥風月」が「通りがよい」ということは、一般的にもよく使われている単語だということでもあり、ヒットしたい作品タイトルとしては検索性を上げるために一般的にあまり使われていない言葉を選ぶという、マーケティング上の理由は理解できます。「花鳥風月」で検索してすらゲームが出てくるのウケますけど。
そうではなく、「意味」上の表現意図のはなしです。
「風花雪月」は「花鳥風月」とほぼ同じように、諷詠の題材となる自然の美物を総合して呼んだことばです。
今回はこのことばと『風花雪月』のテーマの関連について話していきます。
4つの物語
まず、『風花雪月』のテーマ基礎構成には「4つの物語」があります。
英語版のタイトルは「Three Houses(3つの寮/クラス)」となっており、最初に3学級からひとつを選ぶというポケモン方式から「3つの物語」が基礎だと思われがちですが、ニンダイの初期プロモーションでも「三つの国と、三つの学級、そしてあなたの物語」と言われた通り『風花雪月』には3国+自分の4つのルートがあります。
プレイした人ならば「紅花」「蒼月」「翠風」「銀雪」の4つのルートがあるということを知っていますが、なんで3つじゃ足らんかったんでしょうか?
3というのは序盤から示される「エーデルガルトとディミトリの葛藤」「そしてそれにチャチャを入れるクロード」の関係のように、対立する二者と、二者関係を「社会」や「多数」に広げる第三者の存在をあらわしたバランスのよい数です。これはアニメ『さらざんまい』でも用いられている構図です。
加えて銀雪ルートは黒鷲の学級ルートから分岐したもので、かつ後半のマップ展開はかなり翠風ルートと似ているので、無理に4つにせんでも感をおぼえている人もいるのではないでしょうか。
そこには『さらざんまい』が「皿三枚」であったように表現上の意味があるからそうなっているということです。まず「そもそもなんで4つなのか」を整理してみます。
杖、剣、金貨、杯
『風花雪月』の世界の「紋章」がタロット大アルカナにそれぞれ対応していることをシリーズ記事で解説していってるのですが、その目次記事で「4つのルートが、タロット小アルカナの4つのマークに対応している」ということも話しました。
こちらの記事(外部サイト)でも詳しく解説されています。
「小アルカナ」って何かっちゅうと、トランプのカードのもととなったものだと思ってください。トランプにはクローバー、スペード、ダイヤ、ハートの4つのマーク、マークごとに1~10までの数字がついたカードと3枚の絵カードがありますよね。トランプと小アルカナの違いは
・「絵札」にあたるえらい人が描かれたカードが1枚多くて4枚ある
・1~10までのカードにもストーリー性のある絵が描いてある
・クローバーは「杖」、スペードは「剣」、ダイヤは「金貨」、ハートは「聖杯」
ってとこです。あのマークはもともとは記号ではなくモノで、4つのマークそれぞれに一連のストーリーがあったのですね。
そしてタロットなのでそれぞれのカードに象徴的な意味があります。「4つのモノ」は「世界の四大元素」ひいては「人間性のたどり着くべき4つの目標」を意味しているのです。人間の人間たる輝きとはなんなのでしょうか?技術力でしょうか?コミュニケーションでしょうか?経済でしょうか?愛でしょうか?
この4つの「モノ」は何を意味していて、どれがどのルートに対応してるのでしょうか?……はまあお正月にでも書きますわ。どれがどれなのかみなさんも考えてみてください。
【追記】かけたよ~~
4つの色
『風花雪月』の3学級は古来からのヨーロッパにおける「色」の使われ方の意味としてもたいへんよくできています。
月初めの暦絵がすべて鮮やかに彩色されていくのもでもわかりますが、中世ヨーロッパの本というのは(大量印刷じゃないので)基本フルカラーでしたし、白黒やベージュを基調とする現代のベーシックファッションとは違い、衣服にもはっきりした色が用いられていました。中世ヨーロッパのフィクションで「服の色」というのはかなり重要なキャラ読みヒントだったのです。
↓ドラクエ11のメインキャラの服の色もかなりよくできてましたね↓
黒鷲の学級を実質意味するエーデルガルトの「赤」は最も高貴かつ力ある色、王侯貴族のノブレス・オブリージュの戦いの流す気高い自己犠牲の血の色、そしてアドラステアがなぞらえられているローマ皇帝の色です。
青獅子の学級を意味するディミトリの「青」は戦士の色、信仰とそれを守る騎士の色です。金鹿の学級を意味するクロードの「黄色」は奇妙キテレツ、異端者の卑しい色でありながら、学級の名前が示す通り最も輝く永遠の色である金にも転じます。
この時点でたいへんによく合っていて、しかもこの3色は色の三原色でもあるわけで、3つでええやん感がますますつのってくるところですが、ここでパケ絵を見てみましょう。
こうして遠目で見てみると、わかりますか?
四角□に対角線を書いて上下左右に四分割したみたいな色の配置になっていること。
(環境によって記号見えなかったらすみません)
四分割の左右にはエーデルガルトの赤とディミトリの青が、そしてその第三者となるクロードの黄色は逆さになって上に。
四分割の下には白と紫があり、先生がいます。
色の三原色である赤・青・黄色は、光の三原色である赤・青・緑とちがって白をあらわすことはできず、白がなければすべての色を作り出すことはできません。これはフォドラの歴史的・宗教的常識を知らず、三級長と違ってしがらみのない先生の力を意味しています。
また本作のテーマカラーでもある紫色は神祖ソティスの色であり、中世ヨーロッパでも赤と並んで高貴をあらわし、すべての色を混ぜた至上の力をあらわす色として王者に使われました。炎の紋章は「すべて」をあらわします。つまり白~紫のグラデーションの中にいる先生は「ゼロ」であり「すべて」である物語として「4つめ」に位置して『風花雪月』パケ絵の色の世界を完成させているのです。
年年歳歳、花相似たり
なんで4つに分かれてるのかはこのくらいにしといてやるとして、問題はなんで「花鳥風月」じゃなくて「風花雪月」かです。
またこの記事なんですが『風花雪月』の重要な表現テーマのひとつとして「時間、輪が回る」ことがあります。
戦闘準備画面でも、「PLAYER PHASE」「ENEMY PHASE」と同じ感じで丸いインターフェイスの中心に炎の紋章(「21 世界」のアルカナ)が配置され、時計回りに刻々と回る演出が印象的です。時計回りの回転は人間の心理的に「世界の時が止まらずに進んでいく」ことを感じさせる効果があります。
「天刻の波動」システムや「5年後」「千年祭」というストーリー展開、月初めの中世風の暦絵など、今作には「時の運行」をプレイヤーに意識させる演出テーマがあります。また、丸い回転はとどまらず動きながら、同じ場所に還ります。タロットはこのような繰り返す世界の運行を描くものです。
そして我々日本人の文化にとって「時」とは、季節が繰り返し、歴史が繰り返すように、年年歳歳同じ輪の運行を描いていくもののように感じられています。
ブリーフィング画面など「回る輪」の演出の多さ、太古からのフォドラの歴史、その中で生まれ、生きて死んでいくたくさんの命たち……。教会の年中行事は繰り返し、季節は繰り返し、歴史は繰り返します。
生まれ持った紋章に運命を翻弄されながら生きるキャラクターたちの、歴史の織物の壮大さから見たらほんのちっぽけな個々の人生は、何代も何代も繰り返されてきた苦しみです。
また、ファイアーエムブレムシリーズ全体やコーエーテクモゲームスの諸ゲームでもそうですが、平和と戦乱は繰り返され、そしてその戦乱も邪悪な誰か一人のために引き起こされたものではなく、だいたいの人は周りの愛する人たちと幸せに生きたいだけ、でも目の前の敵を殺さなければ戦いは終わらない……そして今の戦いが終わったとしても、いずれ嘆きは繰り返す……。その一人一人の苦しみも、歴史の中の点描になって流れていく……。
この世界には絶対不変の答え、永遠の真実などなく、あるとすればそれは、何もかもが無慈悲に変わり、かつ無感情に繰り返すということなのです。
風がゆき過ぎていずれ地球をめぐるように。
花が散り落ちてまた芽吹くように。
雪が儚く解けて水となって流れるように。
月が姿を変えまた満ちるように。
「風花雪月」なのは、風も花も雪も月も、「鳥」と違って、みな時とともにあまりにはかなく移り変わり消えてゆき、また同じものが廻ってくる、生者の意思ではどうにもならぬものだからです。
「風花雪月」という言葉は実のない美辞麗句のたとえでもあり、彼らが懸命に生きていることもあの戦争の火も、すべてはフォドラの大地の上にかぶせられた儚く美しい衣のようなもの、きらきらした歴史の砂粒にすぎません。
時のよすがに灯る炎
最後に、「無慈悲に繰り返す儚いもの」の象徴としての「風花雪月」という言葉と、先生のもつ「炎の紋章」の意味の関連にふれたいとおもいます。
先生は第一部と第二部のあいだで仮死状態におちいり、5年弱の季節の巡りののちに復活します。この仮死状態からのソティスのコーリングの場面はちょっとだけ光のさす闇の中です。また、その前の先生が永遠の闇から生還するシーンなど、「真っ暗な闇の中から先生が復活してくる」というモチーフは繰り返されます。
夜明けの手を取り
高く羽ばたく日まで…
エンディング文の先生の二つ名、支援Sエンドの多くの絵の背景をみても、先生の迎えた結末や先生自体は「夜明け」とあらわされています。
そういえばオープニングムービーのタルティーンの戦いも「夜明け」のシーンであり、これはセイロスがネメシスを討ったことでフォドラに「新しい夜明け」、すなわち新しい世界のあり方がやってきたことをあらわしています。
そして、「夜明け」は日がのぼって沈んで夜になって、いずれまた来るものです。このとき夜明けを迎えたセイロスという太陽も新しい夜明けに替わるときがきたということです。「夜明け」もまた、繰り返す自然の美しい現象です。
風や花や雪や月、そして夜明け、「時のよすが」は繰り返されますが、同じものは戻りません。2019年は一度しかありません。2020年もです。セイロスがいくら母を恋しがっても、母とまったく同じものは戻らず、しかし、同じ夜明けは母と同一人物ではなくなったときにはじめてまた巡って来るのです。
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
かへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
柿本の人麻呂、『万葉集』におさめられている有名な歌です。国語で習ったおぼえのある人も多いのではないでしょうか。
この「炎(かぎろひ)」というのは暁の燃えるような光、
すなわち「夜明け」を意味します。
だから「時のよすがに灯る炎…」というのは「元旦(年の繰り返しが新しく夜明けを迎える光)…」と歌っているみたいな話なわけで、今夜はみんなで時のよすがに灯る炎を祝福しようじゃないですか。
新春というにはまだ気候的な春は遠いですが、これからだんだん日が長くなって雪が解けて、いずれ花が咲きます。
来年もご愛読ご支援にお応えできる記事を、たくさん世の中に巡らしていけますように。照二朗の年末のご挨拶とかえさせていただきます。
↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです
↑つい先日、お誕生日でしたので、あたたかいご本代(ほかほか)をいただき感謝しております。誕生日の前後半年間絶賛受付中です。
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