湖底より愛とかこめて

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『金色のコルダ』とアール・デコの世界

本稿では、『金色のコルダ』シリーズと装飾様式「アール・デコ」の関係についていろいろしゃべっていきます。

シリーズ作品ストーリーの大筋に関するネタバレを含む可能性があります。

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アール・デコ様式の星奏学院

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 ゲーム『金色のコルダ』シリーズのメインの舞台となっている「星奏学院」の建築・装飾には「アール・デコ」という様式が多く取り入れられています。上『金色のコルダ4』のジャケットの背景に描かれている星型や円形を組み合わせた飾り図形もそれです。つまり、校舎だけではなくゲームグラフィックなどの装飾のベースにもなっています。

このことは学院の校舎や装飾を見てわかるだけでなく、たぶん無印『金色のコルダ』だったとおもうのですがサブキャラ生徒のくれる「場所の情報」ポイントのたまるメッセージでもはっきりと述べられています。恥ずかしながら当方はそこで初めてアール・デコがどんなものなのか知ったんですよね。

そんで、この「アール・デコ」様式が校舎やゲームグラフィックに採用されていることは、『金色のコルダ』シリーズのテーマを表現するうえで効果的であり、かなり関係の深い要素でもある、っていうような話をします。

 

アール・デコ様式とは

 「アール・デコ(フランス語)」とは日本語に訳してしまえばそのものズバリ「装飾美術」の意味となります。

これだけだと意味が広すぎてよくわかりませんが、「トレンディドラマ」が語義的には「最新流行のドラマ」という意味だけど実質日本バブル期のテレビドラマっぽいやつのことをさしているように、装飾様式の名前として一定の時代に流行ったものをさします。

特徴は、幾何学的な直線でできた図形や円形を規則正しく反復すること。幾何学図形の反復は美しく、かつ建築の柱や窓のつけ方として丈夫で実用的でもあり、アメリカのクライスラービルやエンパイアステートビルの合理的な美を形成しています。

金色のコルダを象徴する「星」型は一定の角度で交わる直線の規則的反復でできていますね。『金色のコルダ2ff』のホームページの装飾にもアール・デコ装飾が多用されています。

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星奏学院の校舎の装飾を間近で見ることはできませんが、わかりやすいところでは校舎前の敷石の模様がそういう図形ですし、その他、『100万人の金色のコルダ』時代の汎用楽譜の画像や、新作『金色のコルダ スターライトオーケストラ』の演奏中エフェクトなどもアール・デコの装飾図形です。

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アール・ヌーヴォーとアール・デコ

 アール・デコと対比すべき装飾様式が、ひとつ前に流行った様式「アール・ヌーヴォー」です。言葉としてはこちらのほうが有名でしょう。代表するデザインの中で日本で最も有名なのはアルフォンス・ミュシャです。ちがいを見てみましょう。

「アール・ヌーヴォー」と「アール・デコ」はこのように並び称されることも多く、完全にぜんぜん違うものというわけではなくむしろ延長線上にあるともいえるのですが、大きなちがいはアール・ヌーヴォーはすごく有機的・生物的でやわらかい自由曲線で描かれていてアール・デコはそうではなく定規やコンパスでシステマティックに描かれている無機的な図形だってことです。

このちがいが、だから何かっていうと。

アール・ヌーヴォーの有機的な自由曲線は芸術家が依頼人のために作った一点ものなんですよね。ミュシャなどのグラフィック・デザインはこの自由曲線の植物と女性のやわらかい絵を版画や広告ポスターとして無数に印刷してたから完全に一点もの路線ともいえないんですけど。たとえば家の門にアール・ヌーヴォーの唐草装飾をほどこしたら、自然に草が生えてからみついたようにランダム的でアシンメトリーなものになるでしょう。世界にふたつとないナチュラルなゴージャスさがアール・ヌーヴォーのウリで、当然ながらこれは基本的に富裕層のためにフルオーダーメイドされるものでした。

そしてそれは19世紀までの美術の世界では当たり前のことだったんですよね。歴史の中でなが~~~~いこと美術っていうのは富裕層のものか、教会でしか見ることのできないものだった。

それに対して、アール・デコの無機的・幾何学的な図形は設計図を決めれば何度でも再現することができるし、同じ小さなユニットを無数に並べるので工業的に生産することができるんです。「美しい自由曲線を描く」のは才能と感覚にかかっていますが、「決まった場所に定規やコンパスで線を引く」なら計算を律儀に守るだけでいいのです。アール・デコはシステマティックな法則性の美が生む、みんなが同じものを楽しめる装飾だったんです。

これって星奏学院の音楽性と似てませんか?(あとで詳しく話します)

 

 アール・ヌーヴォー時代とアール・デコ時代を経て、その後の大量生産社会は「そもそも生産規格に華やかな装飾とかいらんくね? 時代はツルッとシンプルな四角」という感じになっていき、アール・ヌーヴォーやアール・デコの装飾は古臭いゴテゴテした悪趣味っぽいやつ、と数十年顧みられなくなりましたが、アール・デコは確かに芸術と大衆消費が融合した、芸術史でもまれな瞬間だったのです。現代ではすっかりその芸術性・デザイン性・実用美が再評価され、定番の様式の一つとなっています。

ネオロマンスブランドの他作品で言えば、「緑のサクリア」と「鋼のサクリア」の融合地点みたいな感じといいましょうか。

www.homeshika.work

 

横浜とアール・デコ

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 星奏学院は無印では伏せられていましたがどっからどう見ても横浜にあります。実は、横浜自体にアール・デコの都の側面があります

横浜は歴史的に日本の開国最初期(幕末)から西洋文化に向けて開かれていた土地であり、フィクションの中でも西洋古典音楽を教える星奏学院が横浜に立っているのは偶然ではありません。モデルのひとつとされるフェリス女学院も、西洋からキリスト教が入ってきたことで建てられた学校ですね。

かつ、横浜は最初から要衝都市だったのではなく、開国当初外国人と関東の日本人が多数接触してしまうのを避けるためにわざとちょっと辺鄙な海辺の村を開港したために、あんまり大きな道や建物がないところからの都市計画がさかんに行われた町でもあります。よって、日本初の西洋式の建築街路(現在の日本大通り)がドーンと築かれることになりました。それらの建物が次々にできあがったのが昭和初期。関東大震災などもうけて大正末期から作られたレトロモダンなロマンあふれる建物たちはアール・デコ様式でデザインされています。星奏学院もそのころの建物がベースになっているということですね。

また、『金色のコルダ3』とコラボしたティーカップが老舗陶磁器メーカー「ノリタケ」から発売されたことがありましたが、これもオールドノリタケがアール・デコの代表的ブランドであることとも関連していますね。

 

 で、このように大正・昭和モダン的な装飾に使われるアール・デコは、たんに「そのときアメリカとかで流行ってたから取り入れた」というだけでない、日本文化によくなじむ様式でもあるんですよね。だからこんなになんともいえず美しいんだ。なぜならばアール・デコ自体が、日本の美術の影響を受けているものだったからです。

伝統的な西洋の装飾は植物の曲線美の姿を図案化したものが多く、だからアール・ヌーヴォーはその流れをくんでダイナミックな自由曲線や新素材などを使い新しくしたものという感じでした。そんでそのころの西洋やアメリカって日本の美術がめっさ流行、その中にある目新しい個性が学習された時期で、その中に日本のテキスタイル・デザインなどの幾何学模様がありました。

上の本の表紙の「鹿の子模様」や、今どこでも見る「炭治郎模様」こと市松模様「禰豆子柄」こと麻の葉柄などの多くの和柄は柄の細かい要素を極度に削ぎ落として小さなユニット化し、それを同じペースで反復する美しさをもっています。

日本的なシンプル美といえば「家紋」もあります。多くの家紋もコンパスで描かれるきれいな円形や菱形などの中に、幾何学的に図形を配置したものです。例えば下の本の表紙の家紋は「覗き梅」が3つですが、この中にある「360度の円の中心角を三等分して120度ごとに梅を配置」「梅の5つの花弁を360度÷5=75度でぴったり配置」とかそういう角度の数学的製図技法も、コピー&ペーストのない古来から日本の図柄職人さんに伝えられてきたものです。

このように、数学・幾何学のシステムを反復することで装飾にする「数学は美しい」「宇宙の法則にかなったことは美しい」みたいな感覚が日本文化にはもともとそなわっており、それがアール・デコというかたちで逆輸入されてさらに融合した日本の大正・昭和モダン建築の不思議な魅力として発露しているのですね。

ルービーパーティの新作『バディミッションBOND』でも、日本古来の職人文化と西洋近代的都市文化の融合として作られた時計塔の建築様式は大正・昭和モダンのアール・デコ調に近いものになっていました。ルビーパーティにとって横浜のモダン建築は「日本と西洋」「芸術と大衆」「伝統と革新」「美と理」の融合や調和を象徴するものなのです。

 

星奏学院建学の精神とアール・デコ

 見てきたように、星奏学院の校舎が建てられた時代の横浜の文化からして星奏学院がアール・デコ調なのは街の雰囲気にとてもマッチしていていい感じなんですが、アール・デコは星奏学院の学校としてのコンセプト、そして『金色のコルダ』のゲームコンセプトにもよく合致してくれています。

 星奏学院の、そして『金色のコルダ』の特徴は「音楽学校に普通科が併設されている」という点です。無印の主人公が「それまでクラシック音楽にほとんど触れたことがなかった普通科の一般人」であったことからも、この点は最も重視されているギミックだとわかります。

音楽の妖精と親しくなった学院の創始者が何を思ってそんな学校を作ったのかというと、「すべての人に音楽の祝福を」与えたかったからです。クラシック音楽を専門に学ばない生徒たちにもひろく音楽に触れてほしかったということです。

クラシック音楽を専攻して仕事にしていく若者というのは実際問題、月森蓮のように物心つく前からその世界にいたような一握りの人間がほとんどですが、世界にはその何千倍の人間がいます。放っておけば一握りの音楽人間と何千倍の「ふつう」の人間は、世界が違うかのように隔絶されて青春期をすごすかもしれません。

実際、無印『金色のコルダ』および『金色のコルダ2』の物語では音楽科と普通科の確執や壁、分離が描かれ、それをつなぎとめ和合させることがテーマとなっていました。新作『スターライトオーケストラ』のメインキャラにもさまざまな事情から楽器を手放していた普通科の生徒たちや、自分の望む音楽を披露する場に立てない他校生たちが登場し「音楽の世界に選ばれなかったはぐれ者」たちが「世界一のオーケストラ」を目指すというかけ離れた二つの岸の融合が目指されています。

その異質な、相容れないように思える二種類の人間を融和させることで豊かになるのは、美しい音楽の世界に触れる普通科の生徒だけではありません。音楽科の生徒たちもです。

芸術の美とは専門領域の技を磨くだけのものではなく、それを見る人や、見せている自分との関係、社会、世界のすべてとの出会いの調和だからです。特に、音という目に見えない波が人の心をつなぐ音楽の芸術では。

 

クラシック音楽とアール・デコ

 そもそも、実はクラシック音楽の美しさ自体とアール・デコにもけっこうな共通点があります。

西洋古典音楽にもいろんな時代や形態がありますが、特にヴェートーベンの作風に代表的な小さなモチーフ(日本語名「動機」、曲を構成する特徴的な単位のうち二小節程度の最小のもの)や主題をアレンジを変えつつ反復するというものがあります。「かえるのうた」の輪唱のように同じ旋律を追いかけるように反復したり繰り返し演奏していくことで全体の統一感と水の波紋のような幾何学的美しさを出すことができます。

無印~2のテーマ曲で3のBGMにもなっていた「金色のコルダ」がまさしく同じ動機の異アレンジを4回繰り返すものです。かつ、1,2,4段めと3段めではテクスチャを変化させるという小学校の音楽でも習う基本構成(かえるのうたとかと同じ)にのっとっていますね。

 

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 また、『金色のコルダ』シリーズの人物の名づけ(太陽系の惑星や天体に関する名前)がまさに表しているように、西洋音楽の理論や法則性は宇宙の惑星にも通じているといわれ、横浜天音学園にはそれをあらわす天球儀が飾られています。一定の音の組み合わせが人間皆におおむね似た感情を喚起するのは考えてみるととても不思議なことですが、西洋古典音楽はこうした世界に流れる天の音の法則性を天文学のように観測し、体系化し、読み取った宇宙の法則性を利用して配列する一種の科学技術みたいなものでもあるのです。

惑星や天体の軌道は目で見ることができませんし、とほうもない年月の関わる一個の人間の命を超えた「永遠」のようなものですが、線として表すととても幾何学的で美しいです。西洋古典音楽は永遠に繰り返す宇宙の調和をちょっとつまんできてわれわれの周りに広げて見せてくれる、プラネタリウムのような存在です。

 

 そして、天体の動きと同じように目では見る事のできない「音」の配列とかたちを、システマティックなルールに基づいて記述したものが西洋式の楽譜です。五線譜に白と黒のきわめて単純化された図形が規則通り反復されているさまはそれだけでとても美しく、アール・デコ的な概念だと当方はおもいます。

なんといっても楽譜は目で見て音の組み合わせや流れがわかるのです。当方は「聴力がまったくない人にも『コルダ』の音楽の美しさは楽しめるだろうか」と考えることが多いのですが、わりと楽しいな、っておもいます。「音楽以外のところが楽しい」ってことではなく、「音楽の、音楽的な美しさ」が、随所にほどこされたアール・デコ的な装飾やエフェクトやシナリオで感じとれるからです。特に『スタオケ』ではサイレントでプレイする機会もあると思いますが、演奏中のアール・デコ調のエフェクトの色や図形でそれがどんな感覚の美なのか表現されているのです。

 

オーケストラとアール・デコ

 「クラシック音楽にはアール・デコ的な性質がある」と述べましたが、実はそのなかでも、「アール・デコ的なクラシック音楽」「アール・ヌーヴォー以前(古典)的なクラシック音楽」とでも言うべきものがあります。なんの話かっていうとさっき述べた「アール・ヌーヴォーは富裕層向け一点ものの美」「そこから発展したアール・デコは大衆向け量産可能ものの美」という点についてです。

デザインの世界でアール・ヌーヴォーやそれ以前の王侯貴族・富裕層のための芸術が先にあって、大衆向け装飾の可能性があるアール・デコが発展していったように、古典音楽ももともとは「一点もの」の世界でした。いや、楽譜があれば別の場や別の奏者でも再現性はあるのですが、教会音楽を除けばもともと音楽家というのは王侯貴族の個人宅に雇われた、お抱え料理人たちのようなお抱え演奏家たちだったのです。王侯貴族の宴やサロン、くつろぎタイムに「こういう感じの曲よろしく」とその場に合った曲を流し彼らだけを楽しませる数人の楽団です。なので当時は芸術家というよりなんだろ、使用人とパフォーマーの間みたいな感じで地位が低かったりもしたのですが、その後「大衆向けではない一点ものの美を追求し、研ぎ澄ます」方向に発展したものが「室内楽」の由来になっています。アール・ヌーヴォー以前の古典寄りの音楽ですね。

 

 一方、室内楽が古典寄りならアール・デコ寄りなのは「オーケストラ」ということになりますよ。クラシック音楽をよく知らん人からすると、「オーケストラ」というと高尚で壮大なおゲージツ様の代表みたいに思えたりもするのですが、実はオーケストラは無数の大衆向けに音楽を届けるために生み出された、比較的新しい音楽の形態なのです。

考えてみてくださいよ、オーケストラならではの音の重なりの要素ってのもあるにしても、なんで第一ヴァイオリンだけで10人も20人もおんねん、全部のパートを半分にしてもハーモニーじたいは同じじゃないですか。地方の教会のコーラス隊や合唱コンクールなら一人一人の実力はプロ級じゃなくても合わせることでなんちゃらかんちゃらですが、オケはソロですごいプレイヤーでも混じったりする。なんでそんなに人数を多くするのかっていったら、音をホールいっぱいに響かせる音量と厚みが必要だったからです。

個人的室内楽団が演奏していた貴族の個人宅の部屋の広さは、おもしれーオペラを観にくるそのへんの民衆が詰めかける活気ある大劇場の広さにはとうていかなわないからです! つまり、たとえそれまで音楽を楽しんでいた貴族や教養人からしたらとても「高尚」とはみえないような世俗的なエンターテインメントを通してであっても、それまで限られたほんの一握りの人のぜいたく品であった「美」が、世界のほとんどを占める大衆にも物理的に手の届くものになったのがオーケストラだったのです。

アール・デコもそうした装飾様式だったわけですが、かたちのあるものを所有するために人数分の個数がいる物品と比べて「音楽」はホールに入った人みんなに届くものだから、ひと足もふた足も速かったんですね。音楽にはそういう性質があります。「みんなで楽しむことができる」っていう性質が。

この目的の違いが、「音楽の純粋な高みを求める」天音学園の「室内楽部」と、「すべての人に音楽の祝福を」与える星奏学院の「オーケストラ部」のちがいに、部活の名前からしてありありとあらわれているってわけです。

「オーケストラ」そのものが主題となった『金色のコルダ2』でオケの仲間を集めていく中心メンバーたちの演奏服に共通した「金色の紐が規則的に編まれている幾何学模様」もアール・デコ調の意匠であり、「オーケストラの『金色のコルダ(絆、弦)』が音楽をつむぎ、人々の心を結び織りあげる」というテーマを表示しています。そしてそれは『スタオケ』の演奏服にも通じていますね。

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すべての人に、音楽の祝福を

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 音楽をやっていたからこそ『金色のコルダ』シリーズに惹かれるという人ももちろん多いですが(当方もそうです)、それでもやはり、音楽一本に一生を捧げていく人というのは、ほんの少しです。無印『金色のコルダ』の学内コンクールのメンバーたちとは最初、「全員力のあるソリスト(主役の独奏者)として」出会いますが、それでさえ、そのままソリストとして生きていくのは月森ひとりだけです。

世の中の人口の、つまり『金色のコルダ』シリーズに触れる人のほとんどは、音楽エリートではありません。そしてたとえエリートとして育ち、プロとなって、周囲からは成功したように見られても、道は孤独で、険しく、いつ膝が折れるともしれない。「音楽の道のド真ん中にいない自分」はすべての人の中にあって、とても普遍的なものです。

しかし当然ながら、「音楽に祝福されて生きていく」生き方が主役級のソリストだけなわけはありません。土浦は指揮者、志水は作曲家となり、音楽で生きていきます。でも、「一流の音楽家」と呼ばれる職についていなければ音楽の祝福とともに生きているとはいえないのかというと、どうでしょう。火原は音楽教師として音楽を楽しむことを教え子に伝えていきます。それもまた音楽と生きるということです。

一度は音楽の祝福を憎んだ吉良は学院を経営することで「学院という楽器を奏で」てゆくことになるし、音楽の妖精を感じる才をもたない加地も「音楽を愛し支援する政治家」となり、腕を壊した律も「ヴァイオリン職人」となります。和菓子屋の跡継ぎの八木沢は和菓子屋になるでしょうし。和菓子屋など芸術性のある伝統的職人の跡継ぎは教養や感性を磨くためにもと家に応援されて音楽やその他の芸術で大学まで行ったりすることも珍しくありません(柚木もそれに近かったのですね)が、それでも家やお菓子を愛しているなら家に戻り、お菓子作ります。お菓子作るその心に、美しい音楽を鳴らして。

『金色のコルダ』シリーズには、「音楽とともに生きる生き方」が無数に描かれています。それは門が狭いから妥協点をたくさん用意しているってことではありません。そのすべての生き方が、『金色のコルダ』の音楽の祝福だと描いているのです。

星奏学院はホールいっぱいの音楽科と普通科の全校生徒に音を届けるオーケストラ部だから。幾何学の理が美しい図形を大衆向けに量産可能にしたアール・デコだから。

 

才能がなかろうが、エンタメやイケメンの消費から入ったんだろうが、結局クラシック音楽のことはよくわからなかろうが、そんなことはいい。『金色のコルダ』を愛するプレイヤー自身が、音楽の祝福に包まれてないなんてワケある?

 

ほかならぬルビーパーティが、星奏学院の校舎やユーザーインターフェースを通して、アール・デコの「日本と西洋」「芸術と大衆」「伝統と革新」「美と理」「楽しさと正しさ」の融合と調和で、われわれを包んで見守っています。

 

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(写真は横浜市日本大通りの建築と同時期に建て直された旧帝室林野局木曽支局庁舎(長野県)。アール・デコの意匠で知られています。廊下とか菩提樹寮に似てる)

 

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