湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

「そらごと」の罪の花よ―大河ドラマ『光る君へ』をみる

本稿は、2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第一話感想と作品全体のテーマへの展望とか期待とかをしゃべり、いっしょに見てみようかな~と思う人をガッポガッポ獲得しようともくろむものです。

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もちろんこの期待がかなえられず、途中からダレダレになってしまうパターンの大河だった場合はつきあわなくていいぜ 未来のことはわからん

 

 

まずおまえは誰

 当方は普段ここのブログでゲームの読解をしており、主な観点分野はタロットとユング心理学と料理と歴史(日本前近代史、中世西洋史)。

 大学では国語教育学など専攻し、教養科目の源氏物語人物論では紫式部の作者論とからめた紫の上人物論の論文を書いたりなんだりしていました。なので、まったく研究者とか平安文学専攻とかではないのですが、一般人なりに紫式部には思い入れがあるんだよなあ~程度のフンワリ層です。

その思い入れが今年の大河ドラマではいい感じに花を咲かせてもらえるといいなあとねがってこの記事を書いておくものです。悲しいことになったら消す(予防線)

 

第一話『約束の月』概観

 今回の大河ドラマの主役は「光る君」つまり『源氏物語』の光源氏ではなく、それを書いた紫式部のほう。制作側のインタビューなどをみるに、『源氏物語』を劇中劇で多用したりするのではなく、あくまで現実の平安時代に生きた紫式部という女性を題材としていくようです。

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 第一話は「まひろ」と呼ばれる紫式部の幼少期から始まります。世はまさに藤原氏が他の貴族名家を追い落とし権勢を極めたころ。

下級貴族であるまひろの父・藤原為時は優秀な学者ですが世渡りが上手なほうではなく、5年も任官(仕事)を得られず家計は火の車。屋敷の雨漏りも満足に直せず、母は衣を食べ物に代え、使用人たちも次々と里に帰っていく限界ぶり。母はいつも父の任官を祈ってお参りに出かけ、だというのに父は当時の常識として他の妻のもとへと通っていくことにまひろはイミフを感じます。

一方、対照的に我が世の春状態の摂関家・藤原兼家(かねいえ)の家では、娘・詮子(あきこ)を入内(じゅだい……天皇の後宮に入ること)させることが決まっており、朗らかな長兄・道隆(みちたか)、気性の荒い次男・道兼(みちかね)、ややぼんやりしたひょうきんものの三男・三郎(のちの藤原道長)もいて美人になりそうな孫娘も生まれてスーパーハッピーそう。

同じ貴族、同じ藤原でさえあっても、一番上とギリギリ崖っぷち。そんな対照的な家のまひろと三郎は、あるときまひろが鳥籠から逃がしてしまった小鳥を追いかけているときに川原の道で出会います。父が弟に教えてやっている漢籍を暗唱しており字も書けるまひろを三郎が不思議がると、まひろはなぜだか「私は帝の血をひく姫だから」と嘘自己紹介をしてしまいます。三郎も「自分は貴族の子ではない」と嘘自己紹介したので、ふたりの友情は嘘からはじまりまったのでした。嘘をばらした後もふたりは川原で遊ぶ約束をします。

まひろの父は勢いさかんな兼家に「任官に推薦してもらえないでしょうか……」的なお手紙を書くことで「東宮(とうぐう……次の天皇に決まっている皇族)様のカテキョ」という非正規雇用の枠をゲットすることに成功しますが、そこはコネ非正規、「東宮様のご様子を逐一兼家に報告する」という軽いスパイ業務も申し付けられてしまいます。しかも東宮は先生を蹴ったり変顔でからかってきたりばかりの大変な生徒だったのですが、家族の暮らしのため、父はがまんしてがんばります。

父がめでたく仕事を得たことの御礼参りの帰り、まひろは三郎との約束に急いでおり、貴公子らしき男の馬と事故りそうになって男を軽く落馬させてしまいます。男は三郎の兄・道兼。家の中で自分が軽んじられていることに苛立ち三郎にDVをくわえるわ、「身分の低き者を殴って私の心が治まれば、それでよろしいと思います! 身分の低き者はそのためにいるのではないですかー!?」とか言うわのヤベェ奴でした。まひろをかばった母は道兼のプライドを傷つけたことで道兼に刺し殺されてしまいます。

「ミチカネ様」と聞いたまひろは父に「ミチカネという奴が母上を殺した」と訴えるのですが、父は「それって兼家様の息子の……」と察し、「おまえのため、家族のために、そのことは忘れろ。急な病で死んだということにせよ」と言い聞かせます。

立場の弱い者、強い者に頼るほかない小さな者たちは、強い者に踏まれても「世の中はそういうもの」と泣き寝入りするしか道はないのか――。

そんな理不尽に泣き叫んで、まひろの物語ははじまったのでした。

 

ドラマ全体の抽象度:実在☆☆★★★抽象

 まず、主人公紫式部の本名はこのドラマでは「まひろ」とつけられています。公的な記録以外で名を明らかにしなかった時代の女性の名前ですから全然はっきりしたことはいえないのですが、紫式部の本名は「藤原香子」というのが最も有力な説です。かならずしも有力説に寄せなければならないわけでもないですけど、「歴史に忠実にしたいというよりは、紫式部をモチーフにしたまひろというキャラ」の物語だよという手触りもあります。第一話のまひろの描写は「少女時代の紫式部は漢文をよく覚え、父に『男であったなら』と惜しまれた」ということ以外すべて創作ですし。記録が少ないんだからそのほうがいいよね。

さらに、そもそもあんまり表面上の「歴史に忠実」にパラを振っててもしょうがない事情もあります。

第一話では曲がりなりにも下級貴族の北の方の娘であるまひろがガシガシ床掃除をしたり(当時の物語ではそんなことは「いじめ」にあたる)、虫垂布(むしのたれぎぬ…貴族女性の外出用笠についているヴェール)をつけているとはいえお外で母上の顔メッチャ見えまくりだったりしました。実際はたぶんそんなことは起こらないはずなんですけど、平安時代の貴族女性を主人公としてマジマジに当時の貴族文化を再現しようとしてしまうと、ほとんど顔の演技も出せないしホイホイ外も出歩けなくなってしまうので、ドラマのつくりとしてはそこらへんのところは表層の平安らしさがどうとかではなく、抽象的な意味のレベルで解釈したほうがいいでしょう。

これは江戸時代とかのドラマとかもそうですけど、表層の正しさをちゃんとしようとするとまず化粧がえらいことになってしまう(白塗りまろ眉お歯黒)わけですし、やりたいのは再現ではなく現代人に歴史ドラマのテーマを響かすことだということを肝に銘じていきたい。テーマ表現さえ歴史のポイントがブレブレだとダメなんだけどさ

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言葉遣いの歴史度:歴史☆☆★★★現代

 『鎌倉殿の十三人』で第一話から「首チョンパじゃねーか!!」というセリフが話題をさらったことも記憶にあたらしいです。首チョンパは現代でも非常にわかりやすくキャッチーでオモロな言い回しでありながら、その当時でもあり得ない言葉というわけでもなく、さらに当時の坂東武者たちの格式張らないユルさやカジュアルな野蛮さという作品テーマ上重要な情報を伝えてきさえする、絶妙な三谷幸喜ライン。技あり。

歴史ドラマの脚本の言葉遣いはたんに表面的な言葉遣いの問題にとどまらず、世界観やキャラクターの常識感を伝えるものです。『鎌倉殿』の言葉遣いは言葉じたいはほぼ現代劇でしたが内容に当時っぽい説得力が重めだったので「歴史★☆☆☆☆現代」くらい、『どう家』は「わし」とか「じゃ」とかはいうけどさらに現代って感じでしたかね。

『光る君』は現代寄りだった直近の二作よりはすこーし歴史寄りの言葉を使うって感じですね。平安貴族文化を描くうえでいろんな用語を避け得ないからですね。まあそれでも同時代を描いた『遙かなる時空の中で』くらいの水準なので一般に食べやすい程度の味、ほどよく教養的というかんじです。しかも「除目」とか「東宮」とか簡易説明してくれて優しいぜ。遙かで□ボタン押して事典読むみたいだぜ。

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 ちょっときになっちゃったのは、まひろがいわゆる「てよだわ」の女性役割語を話すことです。「~だわ」「~のよ」といった女言葉は性別によるふるまいの固定化はいまどき古いしダサいというだけでなく、現代ほぼ使われていないフィクショナルな非実在言葉遣いでもあることから、近年けっこう使うのやめようぜになってきていますね。おれたちが住んでいるのは大正から昭和のシティガールの間でだけ流行った言葉をフィクションでは使う慣例がある謎の国なのである。

いうまでもないことですが、平安時代にもてよだわ語は存在しません。ちなみに、もちろん「話し方」「語彙」的な女らしさしとやかさというものはいつの時代もあったでしょうが、会話の文字上の「女ことば」じたい歴史が浅いもので、女っぽい一人称と男っぽい一人称すら明確に区別がついたのは近現代に入ってからのことです。ほんの数世代前まで女性でも「おれは」「われは」と言っていました。さいとうちほの平安物語コミック『とりかえ・ばや』では藤原摂関家の姫たちが「われは…」とか「わが身は…」とかの一人称を使っていて激アツだしバクモエ

女性主人公でフワッとした感じかと思いきやかなり辛口の大河でもあった『おんな城主直虎』も今年は『光る君へ』と並んで語られそうですが、あれも直虎(とわ)は別に男として育てられたとかでもなくても主に自分のことを「われ」と言い、瀬名などの他の女性たちも男性と変わらない言葉で話していました。

『鎌倉殿』でも政子や実衣などがてよだわ語を話したりしたものですが、彼女たちの場合はけっこうオキャンで強烈めな女キャラであることを表示していた味付けだったのであんま気になんなかったのかな(八重さんや千世姫のようなキャラは違ったし)。でもまひろはオキャンで強烈な女タイプとかではないし(むしろジェンダーロールに抗う存在ですらある)まだ世の常識にも合わせていない小さな子供時代なので、てよだわ語はちょっと違和感がありました。

ただ、まひろの将来の夫となる宣孝どのが「そなたは大人のようなことを言うのう……」て言ってたので、年齢に似つかわしくない女性口調も「大人に近い役割語を身につけている早熟な子」という表現としては彼女のテーマにも合ってるんかなーと思ったりもします。

次週からは成長したまひろがてよだわ語を使うぶんには「表面上まともな女ロールを身に着けておるな」的な感じで違和感は少なかろうとおもいますし、三石琴乃さん演じる藤原兼家の正妻格・時姫は子女の前で威厳ある言葉遣いをしていたので、今後そんなに心配しなくていいかなとおもうんですけどね。

 

ビジュアルの完成度:☆☆☆☆★

  第一話は貴族のアゲアゲ栄華とサゲサゲ寒門ぶりの対比がビジュアルで示される、予算のある映像表現ならではのよさみを感じました。まひろの家と上流貴族たちとでは、衣の布が残酷なまでに違うんよ!!

現代で美しい着物の柄として知られている、絵画のような友禅の絵付けや絞り染め、結婚式や大奥もののドラマでも見るような豪華な総柄の打掛とは、平安の……というか公家風の装束はちがっています。公家風の衣の布は今上天皇陛下の即位礼の際にもいっぱい見ることができた、多くは上のような丸文を規則的に並べた有職文様です。色合わせがさかんに楽しまれた時代なのでカラフルなコーデを見ることができるしキャラテーマカラーみたいなのも今後出てくる~。お仕事用の黒い朝服もツヤンと有職文様が織りだされてるし、のりがパリッときいてて折り目もきれい!

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それに比べてまひろの父母の衣は……。母の衣はそりゃ一応きれいな色に染められた糸で有職文様が織りだされてるんだけど、洗いくたびれてすっかりペソッとなり、色落ちしているのがわかります。父の衣もケソケソのふにゃふにゃ。東宮様のカテキョに出仕するって久しぶりに仕事スーツを着るけれど当然のようにカビてたけど拭いたって言う。現代だったら最低限のスーツを紳士服の青〇とかで新調するとこだ。

現代なら「スーツがカビたなら安くて新しいスーツを買えばいいじゃない」と言えますが、そいつはアントワネットだぜ。最低時給くらいのお金でファストファッションの服が買えてしまう現代の常識とは大きく違い、産業革命以前の世界ではずっと布生地は貴重品でした。まして平安貴族の着るようなちゃんとした布ともなれば、金銀宝石のような「資産」です。平安期の文学にはしばしば「ほうび」として「衣を授ける」というくだりがありますし、まひろが「母上はまた着物を食べ物に代えたの?」と言っていましたね。(ちなみに、「衣を食べ物に代える」というセリフにはこの当時の経済が物々交換であり銭などの「貨幣」ベースではなかったという常識感がちゃんとあらわれていて良です)

つまりまひろの家には「資産」がほとんどないことが、服の見た目だけでありありとわかります。対して色あざやかでパリッとした衣を着ている上流貴族たちはなんでそんなパリッとしてんのかといえば洗濯してのりをきかせているというよりはどんどん新調するからです。ガタガタの安い車をなんとか十数年使い続けている家と、毎年高級な新車に乗り換える家みたいなものですが、それが常に着ている「服」というもので示されるなんて残酷です。じっさい、前近代の社会というものはひと目でその人の階級や経済力のほどがはっきりわかっちゃってたんだよな。どんなに心が美しかったり、才知を秘めていたりしても……。

そういう格差を感じさせるビジュアルの表現になってます。

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 平安の装束といえば高貴な姫君や宮中に出仕する女官たちの「十二単」が有名です。戦国時代のドラマの鎧などでも、重い装備は動きやすくするためにクオリティが下がってしまうこともままありますが、上の吉高さんのインタビューをみるにかなり「ガチめ」みたいなので出仕編の衣装もたのしみだなあ~。

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 あ、あと、ぼくは人間の顔かたちの区別とか美醜とかに極端にうといのでそのへんはよくわからないのですけど、三郎役の子役さんは「よく柄本佑さんに成長しそうな子役さん連れてきたな~!!」て感心したのでキャスティングやメイクにも気合がはいっているとおもう。柄本明は好きなので柄本家の顔は比較的わかる。

 

意外な「平安」時代

 平安時代はその「平安」というネーミング的に、一般的には平和でみやびやかで争いを好まないなよやかな時代であったというイメージがもたれています。そのことからすると、「口八丁や流言を弄し、出世や権勢を奪い合い政敵を陥れる貴族たち」もなかなか辛口だし、なにより第一話で最も衝撃な「身分の低い者をすぐ暴行し殺す貴族」というのは、そんなのアリなの!? 道兼がイレギュラーなのか、描写がやりすぎなのか!? と感じられるかもしれないところです。

たしかに、平安後期以降の貴族は血・死・罪の三大ケガレを嫌い、武士たちに実働的な仕事を外注していったことで平家・源氏などの台頭やその後の武家政権時代をまねいたことは事実です。なんだけど、外注的な武家の力と実働しない公家の権威がまだパッキリ分かれていなかった平安中期までは特に、貴族はわりと暴力みにあふれていたっぽいことがわかっています。

『鎌倉殿』では「直前まで笑って会話しててもナメられたら殺す! それが武士」という坂東武者の極道な人生観が描かれ話題となりました。そういうのの前の時代で、しかも身分の低い者を人とも思わぬような格差があるなら、確かに貴族の自尊感情を害したとるに足らぬ者がプチッとされることはあるよな。ふつうは自分の手でじゃなくて下人にやらせるだろうけど……。べつに社会的に罰されたりもしなさそう。

第一話では都の道や河原に生活するものたちもたくさんフレームに入りました。ああいう庶民たちが道端で死んでも、それが自分のせいだったりしても、じっさい上流貴族はなんとも思わない。文句があるならベルサイユにいらっしゃいとすら言わないんだよ。

 

紫式部のもつ普遍的テーマ

 ここからは、第一話をみて「紫式部の人物像の中で、大河のテーマとしてここらへんをみどころにしていくのかなあ~」と期待できたことについて話します。

歴史人物として、そして『源氏物語』の作者としての逸話や受容のなかで、紫式部がはなってきた意味を胸においとくと、よりドラマから味が出るかもしれません。

才覚と愛されのあいだで

 第一話だけで、父が教える漢文にまったく興味がなさそうな弟が読み聞かせを受け、まひろは多くを暗唱するほどなのに熱心に教えられていない様子が繰り返し描かれました。父はまひろに「そなたが男であったなら」と言います。まひろは女に生まれたのでどんなに優秀でも弟と区別され学者である父の仕事を継げないし、女がそこまで漢文に詳しくなっても益はないということです。

益はないどころか、女性が文学のたしなみレベル以上に漢籍に精通していることはこの時代、「男のようで、女としてかわいげがない」とされていました。つい数十年前には、現代の日本でも「女の子には大学なんて必要ない」「女の子があまり頭がいいと可愛げがない、もらい手がなくなる」と言われていたようなことですし、今だって大きな声で言われなくなっただけでま~だそういうのは残っています。

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世の中のジョーシキ
何も知らなくても
メイク上手ならいい
ニュースなんか興味ないし
たいていのこと
誰かに助けてもらえばいい

女の子は恋が仕事よ
ママになるまで
子供でいい
それよりも重要なことはそう
スベスベの
お肌を保つことでしょう?

HKT4874億分の1の君へ収録『アインシュタインよりディアナ・アグロン』(2016)

いや、8年くらい前には秋元康が大声どころか大合唱で女の子たちに歌わせてたんだったな……。

この、「学問が好き」という本当の気持ちと、「学がありすぎる女は愛されない」という現実との葛藤が、紫式部の人生の大テーマとなります。

彼女は知識がありすぎることにドン引かれる経験、かわいくないと言われる経験を通して、人前では字も書けないふりをしたりして控えめにふるまうようになります。過剰適応です。そういう鬱屈があって、清少納言などの才気煥発を世に示して恥ずかしげもないタイプについては自分の生きられなかった人生の影だから舌鋒鋭くディスっちゃうとこがある。「自分の気持ちを封じてでも、愛される女性でなくてはならないのかも」と思う苦しみは、『源氏物語』のメインヒロインである紫の上の苦しみにも映し出されています。

 

 この紫式部の苦しみは女性差別特有のものともいえるし、同時にもっと普遍の苦しみでもあります。

平安中期には貴族たちにすっかり「仏にすがって救われたい」という文化が根付いており、『源氏物語』でも多くの出家が扱われますが、仏教では「女性は成仏できない」とされています。この差別の理由を、紫式部は『源氏物語』を通して「自分のような貴族の女性は依存的な生き方しかできないから、自分の人生を救うことができないってことなのかも」と描いているようにおもいます。多くの妻をもつ夫を待っているしかできないのが当たり前で、夫である光る君に振り回されて苦しんで死にそうになり出家したいと希望した紫の上は、夫の「イヤだ、出家なんか許さない、そばにいてくれ」に縛られて出家できないまま死にました。

つまり、「自分の人生を自分で救うことができない、弱く小さな者たち」はみんな強者に依存してご機嫌取りをして愛されるよう適応していくしかない、たとえ首尾よく愛されたって、それでは救われないんだっていう話です。それは性別に関係なく、みんなおなじ。

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依存的人生の苦しみについては「籠の鳥」の表現の重層性のことをこぼれ感想記事にも書きいたのでご興味ある方はこちらも。

でも、「弱く小さな者」であることはほとんど生まれで決まっていることもあると、第一話で描かれました。現代もけっこうそういう格差社会になってますよね。

じゃあどうしたらいいってのか?

『Fate/Grand Order』に登場する紫式部モチーフの英霊も紫式部の過剰適応的な性質を描いていて、陰陽道の心得があるのに「香子は……呪(しゅ)に詳しくはありませぬ」って言います。でも、そのあとに続けます。「けれど、けれども……心ならば……」

 

物語の翼と、罪

 第二話の予告では、吉高由里子に成長したまひろが「いろんな人の気持ちになって歌を詠む仕事」をしていると楽しそうに言っています。和歌や文の代筆です。当時はけっこう一般的なことでした。

第一話でも、まひろは三郎に「私は帝の血をひく姫だから漢文を読める」とつい嘘ストーリーを言ってロールプレイしてしまいました。べつに見栄を張りたくて嘘をついたわけではありません。「自分ではない人生の物語を、自分が生きているように空想する」ことが紫式部という人物の重要なテーマだから、二人は嘘ロールプレイで出会ったのです。

現代でも、なんかしら孤独だったりつらい人生を送る人にとって「物語の世界」というものはすばらしい友達です。とくに、うちの母とかすごい文学少女なんですけど、「籠の鳥」みたいに飛ぶ能力はあるのに不自由でどこへも飛んでいけなくされている才走った女性とか、そういう人が身動きとれなくても「ここではないどこか」「この人生ではない自分」に乗れる心の翼っていうのが、物語、書物なんですよ。

紫式部はその翼を、すごーく大きな、他のあまたの人の心を運ぶ翼を広げた人。

 

 でも紫式部は、この翼によって地獄に落ちているともいわれることがあります。

第一話にはその気配もあります。三郎との出会いの嘘自己紹介が「自分ではない人生を空想する翼」というテーマを表していたとするなら、「空想というのは人をだます『嘘』である」という裏地もばっちりついているからです。しかも「自分は帝に寵愛されたが身分が低かったため宮中を追われた宮仕えの女官の娘で……」というのは「ありそうな話」ではありますが帝や宮中の女官たちにうっすら不名誉をかぶせてもいます。物語や脚色の嘘にはどうしてもそういう面もある。

仏教には「不妄語戒(ふもうごかい)」という教えがあり、作り話や大げさな言葉、きらきらした言葉で人を惑わすことは罪だとされます。フィクションというのは「そらごと」、つまり実のない嘘のあだ花であり、罪とされたのです。

紫式部は源氏物語とかいう役に立たん嘘を世の人に広め、きらきらしくおまけに好色な虚構の世界にふけらせまくっているのだからきっと地獄に落ちたんだわい、という伝説があります。この伝説はかなりマジメに信じられ、平安時代から室町時代まで「源氏供養」という紫式部のそらごとの罪とそらごとを楽しんでしまう読者たちの罪を供養するための法要がおこなわれていたくらいです。てことは、当時のひとたちにとっても「こんな煽情的なフィクションを楽しんじゃうなんて」という罪悪感があったってことですよね。

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一方で、謡曲『源氏供養』には紫式部についてのもうひとつの対照的な伝説も織り込まれています。「紫式部は、衆生に世のはかなさを教えるために『源氏物語』を授けにあらわれた、観音様の化身であった」と……。なのに地獄にも落ちてるしヤバすぎるよ。人類の罪を背負ってはりつけにされたイエスかよ。

「そらごと」は、現実ではない空想の翼は、罪なの?

それとも、いや、それでも、救いの道になれるの?

それも『光る君へ』のテーマのひとつになるのかなっておもいます。

 

 

 今後も期待~~。ぼくが感想をつぶやいてるXのアカウントは鍵かけてるけどみんな毎週実況してね

終わってみてもいい大河だったな~!ておもったらまた記事書く! 大学の授業で書いた紫の上人物論、手書きで提出だったから残ってないんだよな。いい点数だったから一生擦り続ける。

 

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