湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

フォドラ「おトイレ」事情―FE風花雪月と中世の舞台裏①

本稿はゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』を中心に、中世・近世ヨーロッパ風ファンタジーにおける「生活の舞台裏」について、現実の中世・近世ヨーロッパの歴史的事情をふまえて考察・推測する与太話シリーズの「トイレ事情」編です。

あくまで世界史赤点野郎の推測お遊びですので「公式の設定」や「正確な歴史的事実」として扱わないようお願い申し上げます。また、ヨーロッパの中世・近世と一言にいってもメチャメチャ広いし長うござんす、地域差や時代差の幅が大きいため、場所や時代を絞った実際の例を知りたい際はちゃんとした学術的な論説をご覧ください。今回は作中の描写から、中世っぽいファーガス神聖王国の文化をおおむね中世後期の北フランス周辺地域として考えています。

また、物語の舞台裏部分は受け手それぞれが自由に想像したり、ぼかしたりしていいものです。当方の推測もあくまで「その可能性が考えられる」一例にすぎませんので、どうぞ想像の翼を閉じ込めたりせず、当方の推測をガイド線にでもして自由で楽しいゲームライフ、創作ライフをお送りください。

あと『ファイアーエムブレム風花雪月』および他の作品の地理・歴史に関する設定のネタバレは含みます(ストーリー展開に関するネタバレはしないように気を付けています)。ご注意ください。

「こんなテーマについてはどうだったのかな?」など興味ある話題がありましたら、Twitterアカウントをお持ちの方は記事シェアツイートついでに書いていただけると拾えるかもしれません。

 

 

おトイレ古今東西

 つるりとして清潔な陶器の便器、座ってもヒエッってしない暖房便座、お尻を洗う温水洗浄、柔らかなトイレットペーパー、使い捨てのペーパータオル、消臭剤、水洗設備、各家庭に備え付けの汚水浄化槽、その先の下水道……。

現代日本のトイレの快適さは世界一ともいわれ、公衆トイレの男性小便器横並びだけはほぼ進化しなくて若干アレですが、そういうプライバシー的なこと以外はほとんど不快な空間ではありません。

対して、昔のヨーロッパのトイレ事情については「女性の靴のハイヒールは地面にベチョベチョに垂れ流されている糞便を避けるために発明された」という俗説も流布しているくらいです(さすがにそれは嘘なんじゃねえのかな……)。おトイレ超先進国に暮らす我々からすると、中世・近世ヨーロッパのトイレ事情はかなりショッキングに感じられるかもしれません。中世が「暗黒時代」と呼ばれがち(実際はそんなこともなかったのですが)なのも、主にトイレや風呂など衛生事情の常識が違いすぎておののいてしまうからでもあるでしょう。

まあ「中世ヨーロッパはとにかく不潔で暗黒なんだな!!」というのは誤解なんですけども、現代の、そして古来からの日本のトイレ常識とはかなり大きな違いがあるのは事実です。多くの中世・近世ヨーロッパ風ファンタジー作品でトイレが話題にのぼらないのは、そもそもトイレの話をする物語自体が少ないのももちろんですけど、そういう常識の違いが大変なのであえて遠ざけているという面もあるとおもいます。

 

 そして、そういうでかい常識の違いがあるために、設定によってそれらを解消している作品もまた多くあります。トイレはじめ身の回りのインフラに関しては魔法やその世界独特の技術を使ったり、独自の歴史アレンジを行ったりして現代人にもとっつきやすい快適さに整えるのです。

例えば、当方が風花雪月目線で解説実況を行っている中世騎士社会ゲーム『パレドゥレーヌ』では、「宇宙人的な先進技術を持った謎の結社が、上下水道などの命にかかわるインフラに介入してくれている」という設定で技術的に清潔が保たれています。

youtu.be

『風花雪月』のフォドラでも、似た歴史アレンジ設定がされています。どう実際の歴史と違う可能性があるのか、詳細はそれぞれの項目で後述しますが、フォドラの暮らし事情のアレンジ特徴はざっくり言って以下の4点です。

  • 中世・近世ヨーロッパをモデルにしている が、
  • 魔道の力が生活にも使われる
  • ローマ帝国的な技術力の優れた国が存続している
  • 中世・近世ヨーロッパの教会以上の先進技術を管理している教会に庇護されている

て感じかな。

 

日本の歴史との比較

 『風花雪月』での世界観アレンジがどう影響してくるのかの細かい話の前に、現実の中世・近世ヨーロッパのおトイレ事情について概観しておきましょう。われわれの無意識の前提を意識するためにも、日本の事情とも比較していきます。

まず、現実の日本にもヨーロッパにも共通した事情として、水洗トイレや浄化槽、下水道網がしっかり整備されだすのは19世紀に入ってからです。*1トイレットペーパーが存在しなかったことも同じですから、おしりふきのためには木っ端やわらや指(そのあと洗う)などを使っていたことになります。

 文明が興隆していた古代ローマ帝国時代には糞便を流す下水道も整備されていたのですが、中世・近世はキリスト教教会の力が強かった時代であり、キリスト教の支配の中ではローマ帝国的な文化は贅沢で淫蕩であると否定されました。*2

フランスのパリでは1370年から下水道が敷設された。ロンドンでは16世紀から下水道の改良が始まり、雨水や汚水は管渠を通じて河川に放流されていた。

しかし、当時の下水道は処理場を有していなかったので河川の水質汚濁は進行し、コレラのような伝染病が大流行した。

処理場を有さなかったのは、当時の下水道の目的が、下水を流すために利用されたことも事実であるが、豪雨の排水や、街を洗い流し清掃するためであったことに起因するものである。

――国土交通省 海外における下水道の歴史 より

つまり、それぞれの家に下水設備があるわけではなく、街路にビシャーされたたくさんのキラキラを水で流し落とすための、あるいは豪雨の際に水が道にあふれないようにするための「捨て場」としての排水溝が一部の人口密集都市に存在していただけというわけです(日本では秀吉の時代に構想されて人口密集都市大阪に高度な下水道「太閤下水」が作られています*3)。

人口密集都市でそんなんなんだから、ふつうの町や村にも流すタイプのお便所設備があるわきゃありません。

 

 しかし、たとえ流せなくても、日本の糞尿の処理は昔からヨーロッパよりしっかりしていました。

日本では、昔からし尿を農作物の肥料として用いており、ヨーロッパのように、し尿を直接川に流したり、道路に捨てるということはあまりありませんでした。

――国土交通省 都市・地域整備局 下水道部 下水道資料室 下水道の歴史 より

古代からし尿は畑の肥料としてガッツリ利用され、室町時代とかには大きな建物にはトイレ(厠、雪隠、手水などと呼ばれる)があり、長屋や市街には公衆便所があり、し尿汲み取り業者や肥料への再利用システム(肥溜め)があったことが知られています。*4ていうか現代でもそういうシステムの家もありますから歴史ってわけでもありません。そのへんの野原や繁みで野キラキラをすることはそりゃあったでしょうが、基本は糞尿はどこにでも放置されるものではなく、しかるべき場所に溜められ、すばやくしかるべき処理をされました。

中世にはいると、ヨーロッパでは,し尿を農作物の肥料として用いるようになり、農耕の発展をもたらしました。その一方で、都市人口の増加に伴い、汚物が街路に投棄されるようになり、都市の衛生状態は悪化し、ペスト等の伝染病が流行しましたが、下水道施設の本格的整備には至りませんでした。

――国土交通省 都市・地域整備局 下水道部 下水道資料室 下水道の歴史 より

それに比べて言うと、ヨーロッパの都市では「そのへんに糞便を投棄する」あるいは「深い縦坑に落としとくだけ」が主流の時代が長く続きました。

 

 こうして聞くとヨーロッパやべえなと戦慄しそうですし、「日本人はきれい好き」とも国民性のように言われることもありますが、古くからヨーロッパ諸国に比べ日本で糞尿の処理ほか衛生観念が発達したのはきれい好きかどうかという「性格」「文化」の違いだけが原因ではなかったと考えられます。重要なファクターは「気候」の違いです。

かつて母なるTwitter川に「ヨーロッパに住んでいた人が日本に来たら自分の体臭にビックリした」という旨のホントかウソかわからぬ話が流れてきたことがあります。本当だったとすると、それは「周りのみんなと比べて」とかではなく、「自分の鼻に届く臭いが増した」という意味です。本人は変わっていないのに。

そもそも、においというのはいいにおいでもいやなにおいでも化学物質が揮発したものが鼻粘膜の受容体に届いて感じるものですから、湿度が高ければよりにおいが空気中にただよいやすくなり、鼻に届きやすくなります。寒くて乾燥した冬よりも梅雨時の方がにおいを感じやすいというわけです。つまり、ヨーロッパの多くの地域は日本よりも空気が乾燥しており、同じウンコでも比較的においにくいのです。

加えて、温暖・湿潤な気候はものの腐敗や微生物の繁殖を活発にさせるため、日本で放置したらすぐデロッデロになるようなものも、同様にヨーロッパの多くの地域では腐り果てにくいといえます。

 日本で衛生的な習慣が発展したのには「そうしなければ(ヨーロッパよりも)被害がでかい土地柄だったから」というファクターもあるというわけですね。そしてこれは逆を言えば、古のヨーロッパのトイレ事情の実際の状況は、比較的不衛生になりづらい気候のため、日本に住む我々が聞いて想像するほどにはきちゃなくはなかった、ということです。

日本では糞便を肥料にしていたのだから、困るくらいなら肥料にすればいいだろ!という疑問に対しても、

  1. 人糞で育てた野菜を食べるなんてキモチワルい……穢れてる……という意識も強かった
  2. ヨーロッパの冷帯は人糞を低コストで発酵させて肥料にできる気候条件ではない

という答えが考えられるわけですね。

 そういう前提を頭におきつつ、具体的なようすを考えていきましょう。

 

状況別 現実とフォドラのおトイレ

 このシリーズで扱うような「舞台裏」は身分の高低や戦時平時問わず必ず存在するものですが、暮らしのようすというのは身分やシチュエーションによってそれぞれ変わってくるのがおもしろいところです。

違いがおもしろいだけじゃなくて、「こういうときってどうしてたの!?」「カルチャーショックとかあるのかな!?」という疑問湧きドコロでもあるとおもいます。この記事では、『風花雪月』のストーリーやキャラの出身階層にみられる5つの舞台、「宮城」「城塞」「農村」「都市」「戦場」に分け、かつ「in現実(現実)」を知ってから「inフォドラ(推測)」の可能性を探る、という構成にしました。ちなみにガルグ=マクのような大規模な修道院は現実でもフォドラでも最先端の設備を複合的に有していることが多いので、それぞれの「inフォドラ」の項目の中で言及します。

それでは舞台裏を覗いていきましょう。コンコン(ノックする音)……

 

宮城(近世の貴族)

 『風花雪月』でいう、帝国貴族の宮廷や帝国かぶれの同盟貴族たち、特に文明的な富裕層(都市貴族ともいう)のお屋敷の暮らしにあたります。

先にことわっておくのですが、この「近世的貴族の水回り」に関する部分は『風花雪月』の世界観設定は現実とはすご~く大きく違う(改善されてる)と考えられます。だから「in現実」の見出しでショッキングなことが書いてあっても、アンヴァルの宮城はそうじゃないからあんしんして読んでね……。

in現実

 さっきトイレのドアをノックしたばっかりなんですけど、ノックすべき「整備された公共のトイレ」って近世貴族の宮廷にさえほぼほぼなかったんですよね。ディズニーランドに行けばちょっと遠くまで見渡したら必ずトイレがあるのに……確かにシンデレラ城の中にはないけど……。

「昔のヨーロッパは汚かった」という悪評の中心となっているのが、まさにこの近世貴族の宮廷の代表格であるパリのヴェルサイユ宮殿でしょう。マンガ『ベルサイユのばら』で描かれた、華やかで美と浪費に満ちた宮殿には中央貴族たちが皆皆部屋を持ち、それらに必ずついてくる召使いたちを含めるとときには三千、四千を超える人が暮らしていました……が、「トイレ」というスペースは王と王妃の専用室を除けば基本存在しませんでした

は? どうしろと? 貴族はトイレとか行かないもん(人体の摂理無視)?

 どうしてたかっつうと、自室の衣裳部屋とか(トイレ個室ってわけではない)や廊下のつきあたり(トイレ個室ってわけではない)のすみっこにこういう「穴のあいたイスに座る」タイプの「おまる」を、ほぼ個人持ちで用意していたのです。

ヴェルサイユ宮殿といえばトイレがないことで有名だが、(中略)274個の太鼓型の「穴あき椅子」があっただけだ。それには赤や青のダマスク織りやビロードのカバーがしてあった。やはり5000人に274個とは、いささか少なすぎる。

――桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』(角川書店・2005年)「ああ、懐かしきヴェルサイユの香りかな」の頁より

個人持ちなので人によってブツが違い、陶器に壮麗な装飾をほどこしたり木彫り装飾をつけたり、座面にビロードを貼ったりいろんなステキバージョンがあり、もはや帽子やバッグのような服に合わせるアクセサリー的なものでした。なんでそんなものを装飾的にする必要があんだよ……というと、社交の場に人が多く集まれば他人におまるを貸してあげる(需要と供給が合ってないのでときには金をとる*5)こともあるわけで、貴族としては人に見えるところは競って豪華にしたいんですよね。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6e/Vaux_le_Vicomte_bathroom_chair.jpg

Prosopee, Wikipedia commonsより

それにしてもおまる式のすみっこトイレ(すみっコぐらしみたいに言うな)も人数に対して数が絶対的に足りておらず、普段は落ち着いて最寄りのおまるをゆずりあって使えても、やはりヴェルサイユ宮殿の華といえば多くの人が集まって食べたり飲んだり踊ったり吐いてまた食べたりする社交界のパーリーなのですから、そういうときは空いているトイレに全然間に合わねえよ!!というケースも一日に数えきれないほど出てくるはずです。どうする!? 3つの方法があります。

  • 男性の小用は庭の端っこに
  • きれい好きの人やご婦人はカレーソースポットみたいな小型おまるに
  • そのへんの地面に

最後に戦慄がはしりますが、まあ、間に合わないとなると最終的にはそうなるしかないですし、人口密度とおまる数の足りなさから3つめの選択肢は特に珍しいことではなかったはずです。

 そこで近くに便器がないときは、廷臣たちは庭の茂みでジャーッとやるか、それとも間にあわないときは、廊下や部屋のすみで用を足した。貴婦人たちでさえ、庭のすみで用を足すなど日常茶飯事だった。それにはあの、釣鐘型の大きなふくらんだドレスが、大助かりだった。

 だから庭の中はもちろん、宮殿の階段や廊下のすみなど、人目につきにくいところには、あちこちゴロゴロへんなものがころがっていたという。

 そこで清潔好きの者は、陶製の携帯用便器を持参した。25センチほどの大きさで、把手がついたカレーライスのポットのような形をしており、把手をもって股にはさんで用を足すのだ。

 だが、携帯用便器で用を足すまではいいが、中身は従者が庭に捨ててしまった。

――桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』(角川書店・2005年)「ああ、懐かしきヴェルサイユの香りかな」の頁より

二つ目のポータブルおまる選択肢で尊厳が保てたようでも、その中身はどうするっつったら結局従者が庭に捨てに行くわけで……。ヴェルサイユ宮殿のような人口密集宮城の場合その量は膨大、美しいフランス式庭園も足元は糞尿まみれとなります。

人間の量がすごい宮城でなければ大きな問題なく庭の土に還ったでしょうが、自然の浄化能力を大幅に超えた場合はいつまでも糞尿は糞尿として存在を主張し続け臭害を発します。ただようニオイの問題をなんとかするためにヴェルサイユ宮殿の庭には現代でも有名ないい香りのオレンジ園が作られたり、ヤベーところを通るときに嗅ぐ用の香水ハンカチやポプリが貴族たちに携帯されたりしました。

 

inフォドラ

 いきなり現代日本の常識とは大きく違う舞台裏を見てしまいましたが、フォドラの帝国貴族的文化の中ではおそらくそういうことはないので『風花雪月』の設定に感謝しまくりです。

なぜ大丈夫だろうといえるのかというと、帝国については建国よりも前から聖セイロスがすぐれた上下水道設備を築かせているという世界観設定が作中で言及されているからです。

アドラステア帝国はイタリアのイメージですが、地名はドイツ語圏のものを使っていますね。
ファーガスはより北方のイメージで、古代ファーガスはガリア的なものをイメージしていて、時代の流れとともに、フランク王国など北ヨーロッパ的な雰囲気に変化していったイメージを取り入れています。
レスター貴族は文化的に優れたアドラステアの様式とファーガスの様式を引き継ぎつつ、目立ちたがりでオシャレにかぶれた感じをイメージしています(笑)。ファーガスから分離して出来た国なんですが、洗練された帝国貴族に憧れていて、様式を積極的に取り入れている…という裏設定があったんです。

www.ndw.jp

 優れた治水などの技術で人々の力を結集し、ネメシス率いる十傑たちの諸部族を平定しフォドラ大陸に大帝制を敷いたという歴史設定、また、上記の公式インタビューで風土的にはイタリアをイメージしていると述べられていることから、アドラステア帝国は「古代ローマ帝国が中世まで継続している国」のようなものだと考えられます。そして同盟貴族や裕福な家はアドラステア帝国の進んだ技術を積極的に取り入れています。

Stefano Bolognini, Wikimedia Commons より

古代ローマの上下水道の治水技術についてはマンガ『テルマエ・ロマエ』でも有名です。貴族や高級市民たちは風呂と同様に公衆トイレを社交の場とし、上の遺跡写真のような穴の開いたベンチ式の便器の下に下水溝を流していました。ただしこれは市民の社交用ということでもおしはかれるように、男性用のものでした。「現在でも、女性用の公衆トイレはローマにはない(桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』)」といいます。

現実の歴史では古代ローマの治水技術は中世や近世まで受け継がれ発展し続けたりはしなかったので、帝国貴族的なトイレがこの感じからどう進化しているのかは推測するしかないですが、あの文化の感じだとおそらく、もちろん下水があって、快適な個室のあるトイレが帝国や同盟の上流階級には普及していると考えていいとおもいます。また、特にセイロス聖教会や性別より紋章重視のフォドラ貴族社会では早くから女性の地位が軽んじられることはなかったので、男性用しかないということはないでしょう。よって、ガルグ=マク大修道院内にも下水道つきの公衆トイレが男女あると考えられます。よかったよかった。壁や個室があるかないかは解釈しだいですが。

ただ、さすがに現代ほど頻繁(?)にトイレが設置されているわけではないはずなので、高貴な方の寝室には夜のう~トイレトイレなどにそなえておまるや壺型のトイレは用意されていたとも思われます。

 

城塞(中世後期の城主)

 『風花雪月』でいう、王国貴族の居城や要塞での暮らしにあたります。ガルグ=マクも建築的には巨大要塞です。

帝国貴族的文化が現実のヨーロッパ中世・近世とは異なっていそうなのに対して、王国貴族(騎士階級)の文化はわりと現実のヨーロッパ中世後期に近いもよう。

in現実

 中世領主層の住んだ城は、防衛のための要塞を基本にして日常生活的機能を充実させたものです。狩猟小屋を住まいとして発達させたものや、各荘園の管理館を屋敷にしたもの(マナーハウス)もあります。ひとりの領主がたくさんの城塞や住まいを持っていることはざらですが、基本的に小規模です。

なので、ヴェルサイユ宮殿(実はここももとは王家の「狩猟小屋」であったものを発展させたので、狩猟小屋といっても我々がイメージする小屋とはスケール違うぜ)のような近世の宮城タイプの城と違ってめちゃくちゃ大勢の貴族がひしめきあってウンコする場所もねえ……という状況には陥りません。城主は城に仕える家中の者たち、功績を褒めたたえたい者などとひとつの長テーブルで食事をともにし宴を催しましたが、収容人数はしれています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Krak_des_chevaliers_-_artist_rendering.jpg

城 - Wikipedia

トイレは、寝室にできるだけ近い場所が選ばれた(が、寝室用便器も広く使われた)。短い曲がり廊下の突き当りの壁か、控え壁の中であれば申し分ないが、壁の厚みが足りない場合は、チェプストー城のようにトイレを持ち送り材で壁から張り出して濠や川の上に持ってきたり、トイレに地面すれすれまで届く縦坑をつけたりしなければならなかった。(中略)トイレをひとつの塔にまとめた城もあった。大広間や大寝室に近い一隅にいくつかトイレを設け、下のひとつの穴に汚物が流れていくようにすると掃除が簡単になったのだ。

――J.ギース/F.ギース著 栗原泉訳『中世ヨーロッパの城の生活』(講談社・2005年)90-91頁

 引用部分の中の、「(トイレは)壁の中であれば申し分ない」という旨の記述は、現代日本人には壁の中にトイレって何?四次元壁?となってピンとこないとおもうので解説しておきましょう。

上の図を見ての通り、ヨーロッパや中国の城塞の外壁というのは壁の上に見張りや弓兵が配備できるようちょっとした道幅のような厚みがありました(諫山創『進撃の巨人』の壁もそうですね)。さらに、「控え壁」という城塞用語が書かれています。これは、城壁のところどころに柱状に張り出しているところのことです。トイレやフロアの端の階段は、こういう壁の中にスペースを掘るみたいにして作られました。

かつ、外壁の直下には濠(ほり、敵の侵入を防いだり物を運んだりするための水路)がめぐらされていることが多いです。なので、廊下の突きあたりの壁の厚みの中に用を足せる広さのスペースを作り、座れる穴を作れば、ブツは真下の水路へボットンすることができます。壁の中に作れない場合は壁から出窓のように張り出して作ってやはり水路へボットンするか、水路の上に作れなければ、地面やそれを溜める用プールに落ちるように縦穴を作らなければなりません。ちなみにこの縦穴は定期的に清掃が必要なので近隣農民にやらせることでしょう。

 

inフォドラ

 ファーガスの領主の住まいや、各種城塞のおトイレ事情はおおむね上記の現実に添っているとおもわれます。そんなにヤバくないね。

ちなみにガルグ=マクには人が多く行き交うようなところには公衆トイレがありそう、という話をしましたが、建築や機能としての基本は要塞なので、濠と壁があるあたりにはこのようなトイレがあるかもしれません。他の大きな修道院も同様です。

 

農村では

 『風花雪月』でいう、ルミール村のような小さな村、ラファエルやレオニーやハピの故郷の村の暮らしにあたります。

in現実

 中世ヨーロッパの(とはいっても、農民の生活にはごく現代にいたるまで大きな変化はなかった)一般的な農民の家の間取りをいくつか見ると、「トイレ」という部屋はありません*6まあ城のように濠や排泄縦穴があるわけないし、逆にヴェルサイユ宮殿にもないものが農民の家にあったらすごいですよ。

じゃあヴェルサイユ宮殿と同様に庭でウンコがドンジャラホイだったのかというとそこは条件が異なりました。農民の家にはしばしば人間より多い家畜が同居しており、家畜部屋があるのです。

www.homeshika.work

 『いただき! ガルグ=マクめし』の記事でも述べましたが、家畜の中で豚は「地面に落ちてるなんでも食べる」ために中世ヨーロッパでは穢れた動物とされ、下の下扱いされていました。この「なんでも」というのは、人間の糞便もという意味です。したがって、家畜部屋はトイレを兼ねていました。*7家畜の住まい兼人間のトイレ兼食糧庫(卵や乳や肉がとれる)だったというわけで、農民の生活にとっての家畜のウェイトの高さが察せます。

ぶたさんは自分自身の身づくろいに関してはたいへんきれい好きなのに、食べるものとなるとなんでもオーケー、おまけに豚糞は乾燥させると畑の肥料になります(人糞を直接肥料にするのは感染症などの危険性が高い)。穢れた動物って言うけどスゲーありがたい動物だよな……ありがとう……。

もちろん、外での作業中に小用を足すときなどはそのへんでジャッです。まあこれはそんなに問題ありませんね。今でもあるわ。

 

inフォドラ

 農村の暮らしについての描写は少ないですが、農村には「魔道」「聖セイロスが授けた先進技術」などの現実の歴史と違うファクターが存在しないため、少なくともトイレについては現実の歴史と同様の状況だと考えられます。

 

都市では

 『風花雪月』でいう、帝都アンヴァルや王都フェルディア、リーガン領都デアドラなどの、城や領主館や教会を中心とした人口密集地の暮らしにあたります。ドロテア、アッシュ、ユーリスが暮らしていた領域です。

in現実

 人口密集都市のトイレ事情は現代日本でもときには大変なくらいです。いわんや中世ヨーロッパにおいてをや。

 農村の家の間取りと同様に、中・近世ヨーロッパの都市の都市の家の間取りにもトイレという部屋はみられません。*8城のように濠があるわけでも、農家のように家畜部屋があるわけでもない都市の家では宮廷と同じくおまるや壺に用を足します。で、その先はどうするかというと……

 18世紀ごろのヨーロッパの人々は、汚水やゴミや糞尿を、昼夜かまわず家の窓から通りに投げた。投げるときはあらかじめ、「ガーディ・ロー!(今から投げますよ!)」と叫ぶのが礼儀だった。(中略)

 当時は糞尿とゴミは道路に垂れながしだったから、通りの不潔さは想像を絶するものだった。雨でも降れば、どの通りも、一度に糞尿とゴミのぬかるみと化した。

――桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』(角川書店・2005年)「投げますよ」とひと声かけて……の頁より

ここに書かれている18世紀といえば近世も終盤(フランス革命が18世紀末)ですから、中世ヨーロッパももちろん道に投げ捨て方式です。路上生活する人ももちろん路上にブンしてポンでしょう。

都市の舗装された道には汚水や雨水を流すための溝が掘られていました。とはいっても現代の排水溝のように道路ときちんと隔てられたものではなく、ぬかるんだ道はさながら汚物の川と化しました。貧しい食生活や雨風をしのげない住環境の人は風邪をひいただけでも死んでしまいますが、このような不衛生な街路の環境が都市の路上生活者の命をさらに軽く吹き飛ばしていました。

道や排水溝の汚物を掃除する職業の人もいましたが、差別を受けましたし、やってもやってもキリがありませんでした。掃除した糞便やゴミを農村まで運んでいって再利用するなんてことは意識的にも効率的にもできませんでした。日本より都市から農村が遠いし。

 ただし、都市でも救いの動物たる豚が放し飼いにされ、ある程度きれいにしてくれました。都市のぶたさんは新鮮な肉も提供してくれて大助かり。

しかしそれも都市人口がほどほどであったときまでで、都市が発展して密になっていくとときおり暴れて人間とも事故るぶたさんの放し飼いが禁止されるようになってしまいます。確かにぶたさんとの接触事故やぶたさんがウッカリ家に入ってしまってなんでも食べてしまうことはたいへん危険なので、人口密集地では妥当な措置です。人口密集地の安全とトレードオフで、道の汚物をどうにかしてくれる豚は都市から姿を消しました。その先にあるのが、「悪臭の都」なるパリの異名です……。

 

inフォドラ

 まず、都市の生活といってもこと水回りに関しては帝国風の都市王国風の都市で事情が変わってきます。先述しているように、帝国(とその文化にかぶれたタイプの同盟諸侯の領地)の都市には現実の中近世ヨーロッパとは異なり聖セイロスに授けられた高度な上下水道技術があるからです。

 帝国風の都市では中流以上の個人宅や各種の飲食店や施設、公衆トイレに下水道が配備されていることでしょう。かつてのドロテアのような下層民も利用できる公衆トイレがあったかどうかは、裏通りの衛生にも関心が高い為政者がいたかどうかによるでしょう。ただ、下層民であったドロテアも噴水を使って行水したりなどアンヴァルの衛生的な水の流れは誰にでも開かれている様子なので、ちゃんとした公衆トイレを使えなかったとしてもアンヴァルでは街路にウンコがぬかるんでいるということはなさそうです。

 王国風の都市に関しては、「かつてのフェルディアは上下水道も未整備な猥雑な都市だった」「上下水道を整備して疫病が収束した」という証言がありますから、現実の中近世ヨーロッパの投げ捨て方式が基本だったと考えられます。

ただ、アッシュの住んでいた、ロナート卿のような小城主の城下は農民の畑とも近く、糞便は豚を飼ったり土に還りやすかったりするでしょう。各領主の城下町も人間の数が中程度で定住商人や職人が少なければ放し飼いの豚や掃除でそこまで不衛生にならずになんとかなります。問題は、王国の中でも人口が多く発展していたであろう王都フェルディアです。

ディミトリが生まれたころのフェルディアは都市として発展して人口が増えるほどに衛生的問題がいよいよいかんともしがたくなっており、それが疫病の大流行というかたちで爆発してしまったのだと考えられます。なぜなら、コルネリアが上下水道を整備させたことで収束しその後流行りづらくなったことからして、その疫病は排泄物を媒介とする感染症だからです。

ユーリスの母が彼を産んでシングルマザーになったころにどの程度過密な都市に住んでいたのかは不明ですが、そういう衛生状況の王国の都市で街娼をして子供を育てることがいかに危険でつらいことか、考えるだに恐ろしいです。そもそもよく出産後に生きててくれたよなレベル。

このへんに関して詳しくは「上下水道」についての舞台裏記事を書くときにゆずりますが、ディミトリの父ランベール王は都市の発展による排泄物の害から、最もその影響を受けてしまう弱く社会の底辺とみられているような人々を守ろうとしたのです。ランベール王の政治については↓下の記事↓でも述べています。

www.homeshika.work

 

戦場では

 城塞などの建物を基地としない野戦や行軍のときです。『風花雪月』では戦争が始まってからの戦闘や行軍はもちろん、学生時代のグロンダーズ大運動会へ向かう遠足などの遠征も含みます。

in現実

 まず、古今東西とか関係なく、小さい砦や臨時の駐屯地であっても軍事拠点には必ず仮設トイレが用意されるものです。なぜなら、軍隊は都市以上に人間が密集しており、そのへんが大量の人糞で汚れていると士気がだだ下がりしますし、なにより病気が流行る原因になるからです。

戦争というのは戦いに勝つことが第一でそのほかは知らんわ、なものだと思われがちですが、士気の低下による兵員の逃亡疫病兵站(食料)の供給不足で戦う前や勝った後にさえ悲惨な結末をもたらします。垂れ流してったウンコのせいで行軍中や帰りの道で疫病大流行りしちゃったらどうしようもないからな。ウンコは城壁から落としたり逆に投げ込んだりして敵に対する恐ろしい武器にもなったくらいです。*9

そういう切実な都合で兵士のトイレはけっこうしっかりと管理されたはずです。管理といっても穴を掘って「ちゃんとここでするんですよ」と徹底させる、というものでしょうが。いっぱいになったら埋め戻し、別の穴を掘ればOKです。

休憩や野営を行うときに天幕を使うような指揮官クラスは、もちろんその中でプライバシーを保ちつつ「なさる」ことができるでしょう。例のカッコいいおまる椅子とかで。

 ただし、休憩中や野営中ではなくまさに行軍中にトイレに行きたくなってしまった場合は大変です。指揮官がもよおしてしまった場合は行軍を止めてちょっと待っててね!できますが、一兵卒がう~トイレトイレと茂みに走っていったら行軍についてこられなくなってしまいますよね。だからメチャクチャ我慢しながらプルプルと歩き続けるか、あえなくドッッしてしまうしかなく、ていうか逆に休憩中に排泄したりしていかに排泄ペースをコントロールするかが行軍の重要な心得だったといえます。

 また、いちど会敵してしまうと補給や治療のために下がってくるまでには何ッ時間も戦い続けていることがあります。戦ってたらもはや我慢してプルプルしてることもできませんから、戦いながらドッッですよね。汗をかいていれば小用のほうはあまり頻繁ではないでしょうし奇襲を受けたのでなければ排泄コントロールもしてるでしょうが、運悪く下痢ぎみだった場合などはしょうがないでしょう。

当時、騎士の鎧の管理や着付けは騎士見習いなどの従士の仕事でしたから、これらの排泄物や血や汗がこびりついてはりついたようになった鎧を脱がせ、きれいにするのもまた従士の重要な仕事だったことになります。確かにきつい・きたない・こわい3Kな仕事ではありますが、ある意味汚さとかを超えた戦士のプロ意識の立派さに憧憬も感じられるところでもあります。

 

inフォドラ

 今の「in現実」を書きながら考えていても、戦場のおトイレ問題においてはセイロス教会の技術や魔導の力があってもどうにかなるところは少なさそうです。現代の戦闘や戦闘訓練においても事情があまり変わっていないくらいですからね。

しいて言うことがあるとすれば、戦争に突入してからは指揮官クラスの貴族たちと平民たちでトイレのプライバシーは変わったでしょうが、学生時代にはほぼ平等だっただろうな、くらいでしょうか。ガルグ=マクは良家の子弟にも平民と差をつけず自分で自分の世話ができるサバイバル能力をつけさせる場なので。

 

 すこし希望があるとすれば~~、ここからは完全に想像なのですが~~、戦闘時のトイレ問題に関しては、オムツが現実よりかなり発達している可能性ならあるかもしれません。

そうとも考えられる理由はふたつあります。

第一に、フォドラは現実の歴史と違って上流階級が男女同権的であるため、バリバリ働いたり戦ったりする女性が多いです。それは作中のモブの男女比を見てもわかります。特に聖セイロスが建国に協力した帝国やセイロス聖教会ではなおさらでしょう。フォドラの人類の生理現象がわれわれヒューマンビーイングと同じであるとするなら(まあそういう前提でこの記事を書いてんだけどさ)、高い需要と当事者たちの権力の高さによって女性の月経用品が現実の中近世ヨーロッパよりかなり高度に発達している可能性があります。下着に装着したり直接オムツっぽくつけたりするタイプの高級月経用品が快適になっていれば、戦ってるときの漏れ対策のための戦士用オムツもまた発達することが可能なはずです。

第二に、フォドラには現実の中近世よりも紙や布が豊富そうです。いうまでもなく、これらはおむつの原料です。ガルグ=マク大修道院には書庫以外にもどえれえ数の本や書類があります。こうした情報伝達手段についてはまた別の記事をたてたいんですが、とにかく現実の中世ではいくら大陸いちの大修道院でも目をむくような紙の量です。布も、清潔なものがたくさん流通しているようです。きっと木綿のような布が効率的に作られているんでしょうね。これらはグラフィックの都合的なとこもありますが、現実の中近世よりも優れた技術・知識を持っているセイロス聖教会が、過剰な文明の発展の危険性(活版印刷や人体の詳細な研究など)を抑えながらもフォドラの人類が牧歌的によりよく暮らせるための技術は積極的に伝えてきたことによるものと考えることができます。

どうっすかね、おむつ説。

 

 

 今回は人間がいるところ必ずある「おトイレ」事情という舞台裏についてみてきました。こんな長くなるはずじゃなかったんだけどおかしいな……どこでも必要で場所によって事情が違うトイレだから特に長くなったんだな、次からはもっとスナック感覚の記事になるはずだきっと(フラグか?)……。

というわけで、他に話す予定のある中世・近世の舞台裏としては「上下水道」や「情報伝達」、「交通」、「死んだら」などがあります。どれに興味があるとか、このほかにこういうこともしゃべってみてよというようなことがありましたら、積極的にこの記事をシェアついでにツイートしてください。見に行きます。

 

 

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あわせて読んでよ

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*1:国土交通省『下水道の歴史』

*2:小林聖『ルイ14世が風呂に入ったのは生涯に一度だけ?汚いほど良いとされた、不潔400年の歴史』「体の清潔は魂の不潔」の頁によれば「そもそもローマから伝わった共同浴場は快楽のイメージと強く結びついていた。もとはコミュニケーションの場であった所以だが、裸という要素も相まって、さらにはキリスト教が広まるつれ、不謹慎で禁欲的な教えに反する場所として否定されるようになっていった」

*3:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』太閤下水の頁

*4:   江戸ガイド『江戸時代のトイレは紙があった?現代とは違う驚きのトイレ事情をまとめた』「捨てるのはもったいない!排泄物もたいせつな「商品」」の頁(2022年)

*5:Naaya Alexis『【ヴェルサイユ宮殿のトイレ事情】世界で最も不潔な場所と言われた理由』賄賂をはらって固定トイレを賃借?の頁

*6:堀越宏一、甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房・2013年)267-268頁、J.ギース、F.ギース著 青島淑子訳『中世ヨーロッパの農村の生活』(講談社・2008年)51頁

*7:池上正太著『図解 中世の生活』(新紀元社・2017年電子書籍版)32頁

*8:ノーバード・ショウナワー著 三村浩史監訳『世界のすまい6000年 3 西洋の都市住居』(彰国社・1985年)

*9:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』千早城の戦いの頁