湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

【Ⅱ 女教皇】聖セイロスの紋章(エーデルガルト編)―FE風花雪月とアルカナの元型⑯

本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「聖セイロスの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅱ 女教皇」のカード、キャラクター「エーデルガルト=フォン=フレスベルグ」との対応について考察しています。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。

以下、風花雪月のシナリオの核心部分に関するネタバレを多く含みます

 

 以下、タロット大アルカナの寓意についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)などを参照しています。
なお、タロットカードの意味については解釈は多岐にわたるため、上記書籍を参照したうえでタロットカードの意味リーディングについて独自の解釈を行っています。これと異なる解釈があることをご承知いただいたうえで閲覧ください。

 

紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。ただいま「書籍のみ版」のみお求めいただけます。物理タロットカードは下記の『「無双」増刊号』の付録でのみお求めいただけます。

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紋章タロット読解の『無双』増刊号(高解像度イラストタロットカードつき)の発行と記事のWeb掲載を記念しまして、上記の『紋章×タロット フォドラ千年の旅路』の書き下ろしだった「聖セイロスの紋章」のページからカードの総論部分とエーデルガルトの部分とまとめ部分を無期限に掲載いたします! 無双の読解記事シリーズから読んでいる方はこっちの前提を確認してからのほうがわかりやすいとおもいます。

 

フォドラ全土にゆきわたるセイロス教のシンボルであり、見守るように作品全体にかかわってくるテーマ的にも重要なこの紋章……

(拙著『紋章×タロット フォドラ千年の旅路』付録タロットカードの「女教皇」サンプル(イラスト:puccapucca02))

紋章、聖教会開祖セイロス。

対応するアルカナは女教皇

対応するキャラはエーデルガルト=フォン=フレスベルグと、レアジェラルト、フレスベルグ皇家やアルファルドらセイロス聖教会枢機卿らです。

 

レアやジェラルトの部分は限定公開終了しちゃっててごめんです。

※本来はカード総論とエーデルガルトの話題の間にレアやジェラルトの話題が入っているため、抜いたせいで流れ的にわかりにくくなるところなどには書籍版の文章から修正を加えています。

 

 

「女教皇」の元型

 「女教皇」のカードです。「女大司祭」とも。

 カードに象徴として描いてあるモチーフは「BとJ」がそれぞれ書かれた「白と黒の柱」の間に座る「神秘的で神聖な女性」です。柱のあいだにはしばしば「ザクロ」などの「植物の茂る深い庭」のタペストリー、あるいは本物の庭があり、「背景に自然の奥行き」があります。女性は「ゆったりとしたヴェール、マントの衣装」を着て「TORAと書かれた書」をひざにのせ、「月」「角のついた冠」が抽象的な図案で飾られます。

 「世界」や「運命の輪」のカードと並んで、タロット大アルカナの中でも現実離れした宗教画的な世界が描かれているカードです。1~5番のカードにはそれぞれ神話的元型をしめす偉大なる人物が描かれていますが、「女教皇」と呼ばれるこの中央の人物はどう見ても三次元の現実の存在ではない、女神です。頭の冠はエジプトの神の絵のようにきわめて抽象的で平面的ですし、足元に三日月は転がっとるし、「TORA」の書はタロットをあらわす「TARO」のアナグラムでもある、柱には意味ありげすぎる「BとJ」。暗号だらけやん。脱出ゲームか?

西洋絵画では神のお決まりの持ち物(アトリビュート)が書かれることで人物が特定の神格であることが示されたり、テーマを暗示するための小道具が置かれたりして読み解きに教養が必要です。「女教皇」は特に意味が一見わからないように、隠されている神秘のカードです。

 それを含めて、「女教皇」のカードの中心的な意味は、

 

「表の世界には一見わからない女性性の神秘によって、

 目に見えない真理を現実のものにする力」

 

と出会う段階です。以降、「女教皇」アルカナの意味は赤字で表します*1

 

 上に示しているウェイト版の「女教皇」は特に「読み解くべき暗号」が盛られているので、個別のキャラクターの話に入る前にこの絵を読み解いて内容の予告としましょう。

まず、「BとJ」は「Boas(ボアズ/神の慈悲)」「Jahkin(ヤキン/神の試練)」という二極をあらわす言葉の頭文字で、どちらも「女教皇」のカードの示す意味です。*2ひざの上の書「TORA(トーラー)」はキリスト教の経典のもととなったともいわれるカバラの律法書で、彼女が奥深い真理と躾を教育する存在であることを示しています*3

また、座って書をひざの上に抱いているようなポーズは聖母子の授乳をあらわす伝統的な図でもあります。ゆったりしたドレープの衣の授乳ポーズは聖母マリアをはじめさまざまな文化の地母神に共通数する元型的イメージですね。頭のミョーに二次元な冠はエジプトの出産と養育の神ハトホルやイシスの冠に寄せてあります。足元に三日月を描くというなんぞ?な構図も、マリア様の宗教画の伝統的スタイルです。女性の生理「月経」の名にもなっているように、月はバイオリズムや潮の満ち引きを司る女性性の神秘の天体だからです。*4

背景タペストリーに描かれているザクロも乳房や授乳や多産、産む女性性のシンボルです*5。仏教にも多産の鬼神「鬼子母神(ハリティー)」が人間の子供をとって食うのでお釈迦さまがそれをいさめてザクロを与え、以降鬼子母神は子供の守護神となったという伝説があります*6し、栄養的にもザクロには女性ホルモンエストロゲンを活性するという噂もありますね。めっちゃ聖母で女性性。これでもか! これでもか!

そして女教皇の衣装は「女帝」と比べてもたいへん露出度が低く、必ずヴェールや掛け布によってカバーされています。肌や体の線を厳重に覆っている大きな布は「隠すこと/隠されていること」、また「庇護の中に入れること」をあらわすシンボルです*7

真実は、隠されている――。

 

エーデルガルトの「女教皇」―世界を継ぐ娘

 「女教皇」のモデルとなった男装の教皇ヨハンナ伝説や、レアが女神を宿した「神の子」を作ろうとしていた禁忌性などを書籍版の書き下ろし部分で書いてるんですが、そういうわけでかくも神聖なる「女教皇」のアルカナは実は「反・キリスト教教会」をあらわすシンボルでもあります*8

べつに悪魔崇拝とかではなく、女教皇は巫女的指導者として現行の権威的な秩序を揺るがす新しい神託弱き者の声なき声を言葉にする存在だからです。そう、つまり――「紋章主義の社会を打破するために、セイロス教を倒すエーデルガルト」です。

 前述したように「女教皇」のカードに「暗号」じみた表現が多いのも、このことに関係しています。既存の権力に抗うときには、抵抗勢力は権力者にバレて粛清や検閲されないために暗号を用いて真意を「隠す」ことになります。『黙示録』というのも黙示、つまり「はっきり言わないで内容を示すこと」を目的としてファンタジックなことが書かれたともいわれます*9。エーデルガルトもまた計画を秘密にし優等生の仮面、炎帝の仮面で素顔を覆い隠していました。先生にはちょっとずつヒントを小出しにしたりしながら……。

今やいかにもな「女の教皇」としてセイロス教のトップに君臨しているレアと、それを打倒するエーデルガルトが同じ聖セイロスの紋章を持っていることは、「女教皇」のアルカナの逆説的なダイナミズムです。エーデルガルトは「世界を神の手から人の手に奪い返す」道を象徴し、ネメシスの再来として描かれている(「世界」のアルカナの項を参照)のでレアにとっては「戦乱を巻き起こす邪王」になってしまったことになり、それが聖セイロスの血脈から生まれることはなんとも因果なことです。

しかし、聖セイロスの紋章の血の性質からエーデルガルトが生まれたのは、何もおかしいことではありません。まさに「因果なこと」こそが、「女教皇」の運命だからです。

 

血の呪い

それはセイロス教団が広めた偽りの歴史。本当は、ただ争ったに過ぎない。人の上に立つのが人なのか、それとも人ならざるものなのか……。
結果は、セイロスが勝った。“白きもの”とその眷属が、このフォドラを支配したの。
なぜそれを知っているかって? 代々の皇帝に伝えられてきたからよ。
セイロスに操られ協力した人間というのが、帝国の初代皇帝なのだから……。

――エーデルガルト

 作中時点でこそフォドラは3つの勢力に分割されていますが、もともと女神に、つまりセイロス教にフォドラの正統後継者であると認められているのはフレスベルグ家のアドラステア皇帝ただひとりです。アドラステア皇帝は地上の人間すべての代表者、女神あるいは聖者セイロスの代行者として、セイロス教大司教(つまりレア)の立ち合いのもと戴冠してきました。

これは現実のヨーロッパの歴史で言うとキリスト教を国教としたあとの古代ローマ帝国や神聖ローマ帝国の皇帝がローマ法王から冠を戴いて「キリストの代理人、キリスト教世界すべての守護者」として立ってきたことをモチーフとしています。大司教レアとアドラステア皇帝はマリア様とイエス様の聖母子関係にあり、世界を継ぐ者として皇帝には一般には濁されている不都合な混沌の歴史が継承されています*10「セイロス教世界を作り、支配しているのは、人間ではない女神の眷属である」ということが。

おそらく、英雄戦争の当時も「聖者」たちが明確に人間じゃねえことを知っている人間はごく少数だったのでしょう。セイロスは自分たちの血を帝国貴族たちの祖に与えて強化する際とかのタイミングでさすがに信頼できる人間の若者ヴィルヘルムに事情を打ち明けたんですね。「自分たちはピンチになったら女神と同じ竜の姿に変身して戦うけど、そこは女神の使いだとかなんとかかんとかごまかしてもらって……」的な感じで人間のリーダーと口裏をあわせておく必要もあったでしょう。

まあ「自分たちの国の後ろ盾が神様である」というのは、もちろんフォドラの貴族社会が「紋章は女神に与えられた支配者の証」とかで動いているように決して悪い気のする物語でもないです。天孫降臨みたいなものですよね。それが神秘的にフンワリした感じではなくより具体的に伝えられてきた歴代の皇帝たちの中には「えっ神様って『人間とは違う巨大生物』とかのことなの? それが支配してるのはちょっと怖いな……」と思う人もいれば、「自分たちに神が力を与えたっていうのは虚構の歴史じゃなくてはっきりした現実なんだ! すごーい」と思う人もいたでしょう。いずれにせよ世に広まってしまうとややこしいことになる真実の情報を、歴代の皇帝たちは胸の中に隠してきました

 ただ、皇帝が次の皇太子や皇帝に伝えるという伝達の性質上、伝言ゲームで内容が変質してしまった可能性はおおいにあります。例えばエーデルガルトが言う「人が創り出した武器である英雄の遺産をセイロスが十傑を殺して集めた」とか「ネメシスは歴史を捻じ曲げようとするものたちと戦った」とかには、誤った解釈あるいは情報の過不足があります。もしかしたらセイロスも、「あの武器は私たちの親戚を殺して遺骨をいじくり回したゴア武器で……」とは言えなかったのかもしれません。口に出すのもおぞましいし、万が一にもこれからの人間にピンとこられてまた材料にされたらたまったもんじゃないからです。

そのせいで、「闇に蠢くもの」にちょっと解釈をいじられたエーデルガルトが過激な陰謀論に目覚める*11ことになっちゃったわけですが。オカルトが陰謀論の温床になりやすいように、神秘の伝達って常にそういう危険をはらんでいるものでもありますよね。

 オカルトのち陰謀論過激派は確かに怖いんですが、この「変質・変容していく危険」じたいは、善いこと……かどうかは場合によるけど……とにかく「女教皇」の力でもあります*12。実際レアはネメシスの支配した世界をがらりと変容させました。さきほど同じ聖セイロスの紋章をもつエーデルガルトがレアを打倒することは逆説的なダイナミズムだと言いましたが、そう考えてみるとエーデルガルトがレアの支配した世界を変容させることに、なんの不自然があるでしょうか?

これは繰り返される流れです。女神の末娘レアが痛み、苦しみ、流血の果てに新しい世界を「産んだ」ように、その「末の娘」であるエーデルガルトもまた血を流してのたうち回りながら新しい世界を出産するさだめなのです。

 

もう、もう良いのです。お父様……私はお父様の目と、拳に救われたのですから。
お父様が私を想って向けるその目を、私は信じていました。お父様が固く握った拳から血が滴るのを、私は見ていました。
私が血を流している時、お父様もまた血を流しているのだと知っていました。

――エーデルガルト

 エーデルガルトの父帝イオニアス9世が改革に乗り出して挫折し苦しんできたように、今までの千年の間の皇帝たちもずっと何かを変えようとし、対等な存在のいない世の人の代理として苦しみ血を流してきたのでしょう。人間すべての罪を代わりに背負って磔にされたキリストの手のひらの聖痕のように。だからこそ帝国は最も古い国ながら科学技術やインフラや政治体制を発展させ続けてこられたのかもしれません。変わらない繁栄のためには、変わり続ける必要がある

レアが「母」と呼ぶソティスに千年もの間執着し続けていることにもあらわれているように、「女教皇」の背後には「母と娘」の関係が連綿と続いています。流血によって出産された娘は初潮を迎え、子を宿して母になり、陣痛の苦しみの果てに生まれたそのまた娘もまた……。

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「女教皇」の「母と娘」性、女性にかけられた血の呪いについては↑上の記事↑でもお話ししています。

 

 人間の月経や出産に特に流血や苦痛がともなうことには、エホバの神の宗教の『創世記』では理由がつけられています。アダムとイヴが禁じられた知恵の実を食べたことの罰として、彼らのすべての子孫には原罪と呪いが付与されました。「イブとその娘たちは血を流して苦しみ子を産まなければならない」という呪いです*13

日本の国産み神話でも国土最初の「死者」として黄泉の女神となったイザナミは「炎」を産んだことによって死んでしまいました*14出産に母体の死の危険さえともなうことは、医学が発展した現代でも同じです。

変革に時間がかかるほど、今の歪んだ世に産み落とされる犠牲者は増えていくわ。
戦争の犠牲者と、それとを天秤にかけて、私は前者を生むことを選んだ。
それが最善の道だと、私は思っている。

――エーデルガルト

 エーデルガルトの王冠につけられた「大きなツノ」はウェイト版カード絵の「女教皇」の冠のツノがあらわす、出産を司るエジプト神ハトホルやイシスの象徴「牡牛の角」*15をモチーフにしていると考えられます。しかも彼女たちが産むのはただの子でなくホルス神、つまり「新しいファラオの後継者」「新しい太陽」の象徴神です*16

レアが女神の、世界の声を聴き、血まみれになりながら新しい世界の夜明けをあらしめたことと、エーデルガルトが「現行の神による支配体制」をどのルートでも打破したこととは相似です。エーデルガルトもまた苦しむ世の人の声、これから産み落とされる子らの声、世界を変えたいという陣痛の中死んでいったすべての人の声なき声を聴く巫女として、戦争という罪の「炎」を産み、命を捧げて、紋章主義が改められた統一フォドラという「新しい神の子」をあらしめたのです。

 

白か、黒か

 エーデルガルトには物語上の役割だけでなく、個人の性格としても「女教皇」アルカナの性質がよくあらわれています。レアやジェラルトに強くあらわれた「庇護する愛」の性質は「皇帝として、すべての人を守り導く」という使命感としてあらわれていてあまり個人的な人間関係には出ませんが、彼女の級長時代のリーダーシップは「教育的な母親」*17の性質によるものです。エーデルガルトの厳しさは怒ってるみたいで怖くもあり、でも見ていると驚くほどキーッて怒りません。理性的で、辛抱強く、常に人を向上の方向に導こうとします。それが向上とか別にしたくないリンハルトには「あなたは僕の母親ですか、ウザい」って言われちゃうんですが。

 ジェラルトやレアにはあまり描写されていない、エーデルガルト的な「女教皇」アルカナの性質は「白黒はっきりさせる」というところです。「女教皇」のカードは「ある」と「ない」のスイッチとして白と黒の二本の柱が描かれています*18。そこは若き日のレアも同じですが、そもそも「戦争に訴える」という方法じたいがディミトリの目指す穏当でウェットな方法に比べてグレーゾーンがダラダラ続くことに我慢ならないドライに決着をつけてスッキリさせるべき、ということです。

「教育的ママ」の辛抱強い無償の愛情の部分は「Boas(神の愛)」の柱、感情をまじえずドライに問い詰め指導してくる部分は「Jahkin(神の試練)」の柱です。エーデルガルトはそこをパキッと分けておりベチャッとはしていません。これが黒鷲の学級全体の個人主義的で決断主義的、「愛はあってもそれはそれこれはこれ」みたいな感じのドライな雰囲気を主導しています。プリミティブな感覚を重視する文化出身のペトラでさえ、帝国の教育とエーデルガルトに学んだ結果「宗教と政治」「ブリギットと自分」を理性的に分けて考えるひときわ理性的でドライな王者の眼力をみせます。

 

 ヒューベルトという皇帝の闇を担う存在を含めてエーデルガルトとするなら、まさに彼らは白い柱と黒い柱です。マジで、ビジュアルとしてそう見えるじゃん。そのヒューベルトにすらエーデルガルトは「言ってないこと、濁してることがあるならはっきり言いなさい」と白黒つけようとします。「女教皇」のヴェールやマントの「覆い隠す」という性質はそもそも「隠れていることと、明らかになっていること」「隠すことと、明らかにすること」という二分法の象徴であり、「まあそこのところはごまかしごまかしうまいことやって……」とか「さてね、どっちだかはまだ微妙なんだけどさ~」とかのクロード論法とは真逆です。

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クロードは人を煙にまいて騙しながらも仮面をかぶることはありません。嘘とまこと、自分の二面性をパッキリ分ける線を必要としないからです。同様にディミトリも幼いころの自分との連続性を保持しておりエーデルガルトとの思い出を大事にしていますが、逆にエーデルガルトは「幼かったころの自分はもういない」自分の中の「少女エル」を皇帝エーデルガルトから切り離して考えます

こういうちょっと極端な認知の方法はエーデルガルトが強いトラウマを残しているがゆえの解離症状の面もあるのかもしれません*19が、どうあれ、エーデルガルトの根本は家族が壊され血の実験を受ける前に戻ることはできません。隠されていたことが明らかになったならば、知らなかったときに戻ることは決してできません。「女教皇」のヴェールは不可逆的なものなのです。

これは『風花雪月』のゲーム自体が、4つのルートどれもが並列でどれを選んでもあとから他のルートでやり直すことはできるけれど、「最初にどのルートを選んだか」ということだけはやり直すことができない、不可逆的な経験であるということとも同じですね。最初に担任した学級から膝に矢を受けてしまい、一生その学級をプレイしてるというプレイヤーの話もよく聞かれます。

 

心を知らぬ心

「それでも弱者が変わらず弱者であろうというのであれば、それは、ただの甘えだわ」
「……そうだな。君のような強い人間ならばそんなことが言えるのかもしれない。
だが、それを他者に強いるな。人は、君が思うほど強い生き物じゃない」

 エーデルガルトのドライでパキッとした物言いと考え方は、ディミトリなどの「人間の弱さ」を象徴するキャラクターには「おまえは強いからそんなこと言えるんだよ」と言われます。「強さ」とか「恵まれてること」とかにもいろんな種類があるので、エーデルガルトからしたらディミトリのほうが強いし恵まれてるよ……っていうところもありますけど。

現実世界でも、心臓に毛が生えてるタイプの人間が厳しく叩かれてもめげず、理屈や行動で叩き返して切磋琢磨していくのを、そうでないヘコみやすい人間が見て「あんなふうに戦って生きられないよあたしゃ」と恐怖する……ということはよくあります。その心臓の毛が生まれつき毛深かったのか生き残ってくるなかでそうなってきたのかを問わず。

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「女教皇」と対照的な「女帝」アルカナのアネットの項でも述べているように、もともとは弱いタイプの人間のほうが実際の人の心を加味すると教育者やリーダーに向いているといえます。大半の人間は弱い人間で、戦場育ち人間がリーダーシップをとるとついていけない人も多く出てきます。当方もどちらかというと「議論の際は自他の感情的な面は無視すべき」とか考えてトラブるタイプの人間であり……、書く文章も基本は硬くて気難しげなので、当たりをやわらかくするために人間らしい擬態をがんばってるんですよこれでも(人間だけど)……。

『Fate』のトリスタンも、苦悩しながらも表面上は理想の王として迷いなくふるまっているように見えるアルトリアに「王は人の心がわからない」と発言して円卓を離れました*20。「女教皇」は「隠された心の神秘」をあらわしていながら、細やかで猥雑なところもある人間の心の実態について世間知らずなところがあります。*21

力のしるしに焦がされた 素顔は仮面で隠したままで

――『フレスベルグの少女~風花雪月~』より

自分の心もまた、ヴェールによって隠されているからです。エーデルガルトの支援会話は彼女が他者とのかかわりを通じて人の心を学び直し自分自身の心ともつながりを取り戻していく過程です。

 

VSベルナデッタくん

 「戦場育ち人間がリーダーシップをとるとついていけない人も多く出てきます」と言ったばかりですが、黒鷲の学級のメンツは(エリートあるいはたくましいサバイバーなのもあって)基本みんな心臓が毛ボーボーなのでエーデルガルトのリーダーシップに思い思いについていっています。他の学級を含め、級長のノリについていけるメンバーだけが学級のメインメンバーとなっているってことでもありますが。明らかについていけねえタイプなのはベルだけ。

黒鷲の学級はエーデルガルトの白黒つける特性から、ほとんど全員がエーデルガルトを中心とした対比構造をもっています。エーデルガルトの意見や行動に反論・対抗してバランスをとるのがフェルディナント、エーデルガルトの炎の向上心の逆を行くのがリンハルト、身分社会の構造は苦しみをもたらすはずだというエーデルガルトの前提に「別に俺はそんなことはねえけど?」と言うのがカスパル……。その中でも、「目的に向かって合理的に即断して即行動、なんて心と体がついていかないですぅ~!」と黒鷲のドライ自己決定じたいに反するのがベルナデッタです。

ベルナデッタの意味不明な挙動不審を、エーデルガルトは「怒っていないから、理由を教えてちょうだい」「人の話は最後まで聞きなさい」と丁寧に聞きとり対話しようとします。こう言えば怖がられる筋合いはないはずですが、ベルナデッタは怖がりまくります。「白です」と言っても「ほほ本当は黒だと思ってるってことですよねえええ!? だって怖いですもん!!」と思われ言葉では通じないのです。

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「節制」のアルカナの項でも述べていますが、ベルナデッタは「死ぬようなダメージを受け、回復中の満身創痍な心」をあらわすキャラクターです。全身どこ触っても痛い状態になっているベルナデッタは多くの人間関係において勝手に過剰反応して転げまわりますし、それを癒すために自室に普段は引きこもっています。

そして実はこの「深刻なダメージから回復中の心」である点はエーデルガルトも同じであり、エーデルガルトもまた「自室でごろごろ読書」「一人で散歩」を好んでいるのです。エーデルガルトの場合はオンとオフをはっきり分けているからオンのときは堂々と外を歩けているだけで、オフの内心はベルナデッタに近いものである、ということがこの支援会話では描かれています*22

 

「それに、私にだって怖いものはあるわ。何ものをも恐れないなんて、無理よ」「ほ、ほんとですか!?」
「随分嬉しそうね」

 ベルナデッタは、何ものをも恐れないエーデルガルトを参考にしよう……とストーキングしてきた割には、エーデルガルトの怖いもの、苦手なものの話を聞くと「嬉しそう」にします。クソ忙しい無比の皇帝となったエーデルガルトといっしょに「お花の世話」などというオフ行為をかまして「楽しいですね……!」と言います。

支援会話Aでお花の世話をしながら、エーデルガルトはベルナデッタに「あなたのおかげで怒りっぽいところが改善した気がする。ありがとう」と言い、ペアエンドを迎えた場合にはずっとベルナデッタを身近に置いてその喜怒哀楽の叫びを愛します。弱くて繊細なベルナデッタはエーデルガルトが閉じ込めてしまった傷ついた心そのものです。皇帝でありながら人間であるために、ベルナデッタがそばにいてくれたほうがいい。

 グロンダーズの戦いで敵帝国軍ベルナデッタはエーデルガルトのために覚悟して戦場のド真ん中に登り、炎に包まれます。涙も流せずベルナデッタを焼き払ったエーデルガルトは、泣き叫ぶ自分の心を皇帝として切り捨てて進もうとしたのです。

 

VSマヌエラ氏

 「信仰心の強い人間」でありながら「神から自立した人間」でもあるマヌエラは、白黒はっきりエーデルガルトからすると不思議な存在です。歌声と容姿という天から与えられた才能があるにも関わらず、マヌエラは歌姫の栄光を「主にお返し」し、自分が努力して身につけられる力によって生きることにしています。しかも、エーデルガルトが自分で立とうとし、他者にも自分の足で立ちなさい!と言うのは神に否定的な気持ちからですが、マヌエラの場合は「主に示すため」、つまり神に感謝する気持ちからだというのです。その発想はなかった、とエーデルガルトは驚き、マヌエラの考え方に興味を抱きます。

 エーデルガルトの考えでは、女神を信仰する人間とは「女神に頼るほかない、弱い人間」だということになっていました。なぜなら人はみな大人になるまでの間に多くのどうにもならん困難に直面し、神は祈っても助けてくれないという経験を必ずしているはずだからです。合理的に考えれば、「神は助けてくれなかったのだから、そんなに神を信じても仕方ない、自分で歩こう」ということになりますし、実際弱い人間代表であるマリアンヌなどは「助けてくれない神」に逃避的に祈っています。

エーデルガルトの世界観では、神とは一方的に与える者、神を信ずる人とは神に与えてもらう者、と二つに分けられていました。これは彼女が「絶対者として民を守り導く皇帝」と「導かれる民たち」という一方通行の二項関係(先述した「二分法」)で考えてきたことともつながっています。しかし、マヌエラは困難な状況でも神に助けを求めることはなく、それでも神に心を支えられていると言う。じゃあマヌエラと神の間にどんなかたちの関係があるのかというと、「立派に歩いている姿を、主に見せる」という、人から神へ下から上への流れです。

 人は神のようにはなれず、エーデルガルトのようにあれとこれとを分けて邁進できる超人も多くはありません。しかし、与えられ、管理され、教えられるだけの存在でもありません。マヌエラが携わっている教育という仕事は、「自分が天から授かったものを、世界のためにお返しする」最もわかりやすいかたちだと当方はおもって日々仕事しています。エーデルガルトがレアを、娘が母を、今が昔を打倒することはつらい戦いでもあるけれども、与えられるばかりだった子供が自分の足で立って歩くことができることを示してあげる戦いでもあります。

 世界に、神に、親に「あれをしてくれない、これをわかってくれない」と苦しんだ娘は、感謝……は必ずしもする必要ないですけど、自分が「自立した姿を見せる」「良いと思うものを返す」側に立ったときに本当に大人になり、マヌエラのように自由な気持ちになることができます。

 

フォドラの子供たちへ

 レアはフォドラの小さき人々のために安全な柵を建設し、危ないものを優しく取り上げ、柵の外の危険な範囲に飛び出さないように守ってきましたが、決して「かわいい赤ちゃんのまま変わるな」とスポイルしてきたわけではありませんでした。規律を教え、道徳を教え、士官学校を作って身を守る力を教えてきました。ソティスにお返しする予定の世界だけど、自分がよいと思える方向に、人がなるべく平和に暮らせるように教団をコントロールし、心を砕き続けてきました。

一対多の講義では、ついてこれない生徒や、逆にもう十分に理解していて時間を持て余す生徒が、どうしても出てきてしまうわ。何か解決策はないかしら?

――エーデルガルト

 エーデルガルトも「誰もがおまえのスピードについていけるわけじゃないよ」と誤解されがちですが、即戦力にならないものを切り捨てるのではなくそれぞれに合った対応で皆をすくい上げることを目指しています。彼女の目指すフォドラの政治のためには身分を問わず適材適所の人材登用を行っていくことが不可欠であり、そのためには広く、かつ多様性を認めるインクルーシブな教育が必要です。無慈悲なすまし顔をしているように見えるけれども、無力で無邪気な子らに教えを授けこの世を正しく、理不尽に遭うことなく生きていけるようとりはからい幸せを願うのが、世のすべての子らへの「女教皇」の熱い愛なのです。自分の愛を、わかってもらえなくても。

 

 ――昔、どうしようもない暴力につらい思いをした幼い少女がいました。傷ついた心を冷徹な指導者の仮面で覆い隠し、血まみれで戦いぬいた少女がいました。仮面の少女は多くの人から信奉され、また多くの人から魔女だと石を投げられもしました。

少女が戦ったのは、神の声を聴いたから。声なきものたちの声、傷ついて死んでしまった自分の声を。まだ見ない、これから生まれてくるすべての子供たちに、自分と同じつらい思いをさせないために。

歴史の転換の隙間に隠されてしまった、ひとひらの雪のように儚い少女たちが、そこに確かにいたのです。

 

 

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あわせて読んでよ

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*1:ただし、他の作品や他の記事では別の解釈を述べる可能性もあります。また、当ブログ独自の解釈であり、他の解釈を否定するものではありません。

*2:前掲『タロットの歴史』74頁

*3:前掲『タロット象徴事典』58,62頁、『タロットの歴史』73頁、ニコルズ126頁

*4:前掲『タロットの歴史』74-75頁

*5:前掲『タロットの歴史』75頁

*6:フリー百科事典Wikipedia「鬼子母神」の頁

*7:前掲『タロットの歴史』73頁

*8:フリー百科事典Wikipedia「女教皇」の頁

*9:サトウナンキ『少女革命ウテナ論 デミアン・オスカル・ユングそして賢者の石』(2004年)「絶対運命黙示録」の頁によれば「革命の第一歩は、支配を受ける者の目を覚まさせる事である。この手の啓蒙活動は、支配者に気取られてはならない。もし気取られれば、支配権を維持しようとする力に潰されてしまうだろう。(中略)本来の目的は、迫害に耐えるキリスト教徒達を励ます為に書かれたものである。迫害される者が迫害する者を非難し、その滅びる日を確信して耐え忍び、抵抗を続けるように呼びかける内容なのである。ただし、弾圧が激しくてとてもストレートに書けるような状況ではなかった。だから黙示という形を取る必要があった。信者達にしか解らない様に書くのである。」

*10:前掲ニコルズ124-125頁

*11:前掲『タロット象徴事典』67頁によれば「独断と偏見による思い込み」「批判的、辛らつになる」「病的な潔癖性」

*12:前掲ニコルズ125頁

*13:創世記三章16節「つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」

*14:古事記上巻「次生火之夜藝速男神【夜藝二字以音】亦名謂火之炫毘古神 亦名謂火之迦具土神【迦具二字以音】因生此子美蕃登【此三字以音】見炙而病臥在」

*15:前掲『タロット象徴事典』59頁

*16:フリー百科事典Wikipedia「ホルス」の頁

*17:前掲『タロットの歴史』73頁

*18:前掲『タロット象徴事典』62-63頁

*19:前掲辛島21頁によれば女教皇の意味のひとつに「ヒステリー」がある

*20:TYPE MOON『Fate/Staynight』(2004年)

*21:アトラス『ペルソナ5』の女教皇アルカナのキャラクター新島真は一般的な学生たちの心の弱さをよく知らず、素行不良の学生との交流で驚きながら理解を深めていく

*22:前掲『タロット象徴事典』68頁によれば「女教皇」の意味の一つに「引きこもり、登校・出社拒否」