本稿では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の「ゴネリルの紋章」とタロット大アルカナ「Ⅹ 運命の輪」のカード、キャラクター「ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリル」との対応について考察していきます。全紋章とタロット大アルカナの対応、および目次はこちら。
以下、めっちゃめっちゃネタバレを含みます。
『風花雪月』の紋章がタロット大アルカナ22枚のカードに対応している作中の根拠とざっくりしたタロットの説明、各アルカナへの目次はこちら↓です。
紋章とタロット大アルカナの対応解説の書籍化企画、頒布開始しております。「タロットカード同梱版」と「書籍のみ版」のご注文をいただけます。(品切れの場合は数か月お待たせしますが増刷予定あります)
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FE風花雪月、紋章とタロットの対応記事シリーズの書籍化・頒布時期を決定!
— 湖底より愛とかこめて―ガルグ=マクめし副読本 (@GargMac_meshi) 2021年4月23日
イラスト担当のpuccapucca02(@puccapucca02)さんの描く、華やかかつ重厚な解釈の乗ったタロット大アルカナ22枚の物理カード同梱版も頒布予定。
「死神」のカードの全体像はこの記事https://t.co/0DjQvMcf0fの末尾で! pic.twitter.com/iMoyTXdPe5
現在当方が銀雪・翠風ルートしかクリアしとらん都合上、【ⅩⅤ 悪魔】獣の紋章と【ⅩⅧ 月】リーガンの紋章を書いてきています。ツイッターで行ったアンケの得票数に全部のっとるなら次はグロスタールなのですが、ファンの声にお応えして今日はヒルダちゃんです。
紋章、十傑ゴネリル。
対応するアルカナは運命の輪、
対応するキャラはヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリル嬢です。
かわいいは正義でなく「運命」なのでしょうか? あまりにかわいい。
「運命の輪」の元型
ゴネリルの紋章は、順番が10番目なことにくわえて、レスター諸侯同盟の中のゴネリルの紋章が「車輪のような形のゴネリルの紋章を持つ女性」のかたちで描かれ、これが運命の車輪と運命の女神をあらわしてることからも「Ⅹ 運命の輪」アルカナでばっちりオッケーです。
それでは「ゴネリルの紋章」と対応する「運命の輪」アルカナのカードの中心的意味を拾ってみましょう。
「Ⅹ 運命の輪」のカードです。
カードに象徴として描いてあるモチーフは、「車輪のように動く円形」にアルファベットの「T・A・R・O」、ヘブライ文字の「Y・H・W・H」、等々世界の理のすべてをあらわす記号が時計の文字盤のように均等に配置され、車輪には悪をあらわす「蛇」と善をあらわす「ジャッカル」が巻き込まれてぐるぐる回っています。そして上には車輪の回転から独立して「スフィンクス」がじっと監視しています。カードの四隅には人間・鳥・うし(家畜哺乳類)・獅子の「四動物」が描かれます。雲がただよい、背景は青く、ここは「空の上」です。
実にいろんなものが、いえ、「すべて」が入ったカードです。「T・A・R・O」の文字は輪の上で一周しているのではじめもおわりも読む方向も指定されておらず、「TAROT(タロット)」とも読めますし、「ROTA(輪)」「TORA(女教皇の持つ真理の書の名前)」とも読めます。ヘブライ文字で「YHWH」といえば当然ヤハウェの神のことですし、輪の中にも錬金術の元素の記号が書かれています。この車輪はこの世のすべての理をあらわして回っているのです。
つまりこれ↓と同じってことですね。これも「運命の輪」です。
さらに、世界の四大元素(『風花雪月』の4ルートのテーマモチーフになっていると思われるものです)をあらわす四動物が四隅に描かれている構図といい、宇宙に浮いた円形といい、「運命の輪」のカードは女神ソティスや先生の「炎の紋章」のアルカナ「世界」と非常によく似たモチーフのカードなのです。
車輪が女の人になっとる以外めっちゃ似とる
そういうわけで「運命の輪」が表す中心的な意味は
「この世の理たる運命の、とどまらぬ運行」
です。ヒルダの「自由人」な魂の中には、ソティスや先生のように「世界」の運命を感じる力がつよく宿っています。
しかし、このカードはまだ21番まである10番、まだまだ旅は道半ばです。ならばヒルダがわかっている「運命」とは何のことで、「運命がわかっている」なんてすごい状態に、それ以上何が足りないというのでしょうか?
それでは、作中でどのように描かれたかをふりかえっていきましょう。ヒルダで描かれた「運命の輪」のカードの意味の大事なところは赤字で示していきます。
ヒルダの「運命の輪」―怠惰か?洗練か?
ヒルダとわたしたちの出会いは、おおむねクロード野郎が「貴族の見本みたいに怠惰なやつ」と紹介するところからです。『風花雪月』は「ナンパ野郎」の扱いが丁寧だったように、ヒルダのこともいにしえから伝わってるキャラ属性「ぶりっこ」とか「ギャル」とかなんとかで片付けてもいいようなところをまず何をおいても怠惰ときた。つまりヒルダの「男どもをこき使っちゃお♡」というキャラクター性のキモはこの怠惰なのです。虚栄心とか野望とか承認欲求とか考えなしとかではない。
これはかなり重要なことですよ。なぜなら古来からゴミ屋敷とトイプードルとなんとか港区編まで、女が男の力を利用する動機は「単に先のことを考えてないアホ」でなければ「何かの目的のためにのし上がること」だったり「ほかの女に差をつける権力や財力のため」「自分は価値ある特別な女なのだと感じるため」だったりが多いからです。
なんだったらドロテアが士官学校に来られたのもそれですし、彼女が男を漁ってるのも愛する人と暮らす未来を手に入れるためです。前作『if』のぶりっこキャラ・シャーロッテがモテを志すようになったのも家族を養うためのし上がり玉の輿を狙ってのことでした。もともとの生まれが名家のお嬢様であることもあってヒルダにそういう特定の目的はなく、単に自分の労力を最小化するためにおねだりを行っています。
「おねだり」の理由が「怠惰」であることは実は珍しい描写なのです。
レオニーは村に借金を返すためにケチケチしている効率厨ですが、ヒルダも「人生の無駄遣い」を嫌うという意味での効率厨です。車輪というものはそこだけ見ると同じようにぐるぐる回っているだけで何してんだかわかりませんが、この車輪という技術が人類に与えた効率の恩恵ははかりしれません。タイヤ、歯車、モーターに、遠心分離機……円というものはさまざまな用途でもっとも効率のよい数学的・力学的に洗練された完璧な神のカタチといえます。名家のお嬢様が・かわいくして・人にうま~くものを頼むなど完璧最強といえるでしょう。
ヒルダの「怠惰」もまた洗練された「手助け」「感謝・お礼」のサイクルで成り立っており、いったい怠惰が洗練を生むのか、洗練が怠惰なのか……。
残酷な運行
と、ヒルダのキーワード「怠惰」の話を引きましたが、実は「運命の輪」の主な読み取りに「怠惰」とか「人任せ」っていうものはありません。占いのカードとして出たときの意味は良かれ悪しかれの「運命の転機」のことをさすからです。だから表面的にタロットカードを当てるならヒルダちゃんは占い大好き神秘女子とかになっているはずで、このキャラクター造形は実はワザありなのです。
それはどういうワザか?
さきほど「『運命の輪』のカードは『世界』のカードと似ている」「『運命の輪』は運命のとどまらぬ運行をあらわす」と言いました。タロット目次記事 でもこのように述べています。
戦闘準備画面でも、「PLAYER PHASE」「ENEMY PHASE」と同じ感じで丸いインターフェイスの中心に炎の紋章(「21 世界」のアルカナ)が配置され、時計回りに刻々と回る演出が印象的です。時計回りの回転は人間の心理的に「世界の時が止まらずに進んでいく」ことを感じさせる効果があります。
「天刻の波動」システムや「5年後」「千年祭」というストーリー展開、月初めの中世風の暦絵など、今作には「時の運行」をプレイヤーに意識させる演出テーマがあります。また、丸い回転はとどまらず動きながら、同じ場所に還ります。タロットはこのような繰り返す世界の運行を描くものです。
「PLAYER PHASE」「ENEMY PHASE」そしてブリーフィングの丸の回転はつねに右回り、すなわち時計と同じ向きに回っています。
「一日」や「一年」で繰り返される時の流れは不可逆的だし、こちらの都合で伸び縮みもしないし、自分がどう感じていようと常に一定の速度で刻まれ続け、残酷に幸運不運の結果だけを残していきます。これが「運命の輪」です。
なぜヒルダがこの「運命の輪」の存在を感じとるにいたったかというと、優秀な兄ホルスト卿の無数の成功と失敗を見てきたからでした。
楽しいことに集中していたら時間があっという間に過ぎていたとか、苦しい時間が百年のように感じたとか、そういうことってありますよね。人間のあつかう時間には二種類があり、ギリシャ神話の時間の二柱の神の名をとって「個人の体感時間」のことをカイロス、「普遍的な世界時間」のことをクロノスっていいます。
「運命ってままならないよね~」と人間が言うとき、それは自分のカイロスに世界のクロノスの巡りが合ってないってことです。「タイミングが悪い」「え~よりによって今~!?」っていうやつです。周囲の人間が期待し、ホルスト卿がそれに応えて成功しようとがんばる!というのは人間の都合、カイロスです。でも天運がそれにピタリとはまるかどうかはルーレットです。
「運命の輪」は、どっちかというとこの時計の秒針のように正確に回る天運、クロノスのほうをあらわします。人間の都合なんかおかまいなしで、勝手・無感情・止まらずに回る運命の存在を意味しています。『ルパン三世カリオストロの城』でカリオストロ伯爵が時計塔のしかけにプチッとされて死んだのをイメージしてもらえるとわかりやすいとおもいます。「運命」の歯車は人間がはさまっててもかまわないで「運行」しちゃうんだな。
運命のほうには感情とかないのですが、人間はそれを見て「残酷」だって感じます。だからヒルダは、巻き込み事故にあわないように運命の輪に立ち向かわないことにしたのです。
人生には「がんばれば叶うこと」というのももちろん多く存在します。
タロットカードでもこの「Ⅹ 運命の輪」以前の少年期の世界、たとえば「Ⅶ 戦車(ダフネルの紋章/イングリット)」なんかは「ちゃんと学び力をつけ、きちんと操縦すれば勝てる」を意味しています。ホルスト卿はヒルダいわく「完璧な人」らしいので、「がんばれば叶うこと」はきっとたくさん叶えてきたのでしょう。それ自体はいいことですよ。普通、まじめにやってる人間はこれを目指しています。
でも要求は叶えていくとエスカレートするもので、ホルスト卿は「できた!」の結果もっともっと高いゴールを望まれることになります。だんだん「がんばれば」で常にクリアできるハードルの高さじゃなくなってくる。そうすると「運命の波」の助けが必要になります。うまく波に乗れれば成功します。でも天運は人間が操作できるものじゃないので、そうすると成功するかどうかは最終的に運任せ、ホルスト卿はがんばればがんばるほど、がんばってもどうにもならないことにぶち当たることになります。逆に、ヒルダががんばらなくても、誰かがどっかでなんかどうにかしてくれるし、まあそれなりなことにはなる。
理不尽じゃないですか?
期待されるだけ、兄さんがただただ損じゃないですか?
ヒルダはそういう「運命の輪」の残酷を間近で見てきました。
無心に努力しろっていうほうがふざけてます。
ヒルダの「運命の輪」アルカナが「怠惰」という表出をするのは、そういうワザありなのです。ちなみに、ヒルダの「がんばっても運命がいずれそれをぶっ壊しにくる」ということを知っている頭の良さは「収穫の時・誰でも限界や死にぶち当たる」をあらわす「ⅩⅢ 死神」アルカナのゴーティエの紋章……つまりシルヴァンとも似通っています。
おねだりの時はいま
というわけでヒルダちゃんは「努力」「成功」「期待に応えること」ではなく「楽しいこと」の最大化を求めるようになったのだ!
ヒルダの「おねだり」は「自分がラクをすること」にとどまりません。その課題を「自分より簡単にやれる」だろう向いている人を見抜いて仕向け、その相手にも「好ましいヒルダちゃんのためにやってあげて、お礼されて気分良くなった」という達成感を与えます。いわゆるwin-winです。
このwin-winというのは金鹿の学級(同盟)ルートのテーマである「経済・交渉」という人の営みにもとても合致しています。同盟ルートのテーマについてはクロードの記事を参照だよ。
日本人は「金をもうけること」「自分がトクをすること」を「汚いこと」「誰かに損をさせている」と思いがちみたいですが、元来商売というのは「余っているものを出し合い、お互いの足りないところを埋め、お互いにハッピーやお金を交換する」というもので、商売相手は敵とかではありません。余っているものが余っているまま、誰とも交流せずに腐っていったらみんな損です。こういった意味でヒルダはすばらしい「商売」をいとなんでいるのです。
商売ってのは、男と女の関係と同じだとあたしゃ思うねぇ。
余ってるものを出し合って、お互いの足りないところを埋めていく…
そうやって、人は幸せになるんだよ。だから、あたしは信じてるんだ!
「お金は、愛と同じくらい素晴らしい」ってね!――バンダイ『ネクストキング 恋の千年王国』より
この交換のサイクルというものも「輪」的なものです。ヒルダは男の子たちに頼み事をし→男の子たちはヒルダの頼みを叶えてあげて→ヒルダは男の子たちに感謝しお礼をし→男の子たちはヒルダのことをもっと好きになります。
これは無視されがちなことなのですが、人間は自分を助けてくれる相手に好感をもつだけでなく、自分のことを頼ってくる相手のことも好きになるのです。この好感はどちらも「おねだり」がなければ発生しなかったもので、ヒルダは「助け⇔お礼」の交換サイクルによって世界にハッピーの絶対量を増やしているのです。これぞ経済です。
また、ヒルダの「おねだり」には「いつの間にか、なぜか、気分良く、ヒルダの頼みをきいてしまう」という魔法のような性質があります。これはヒルダが「運命の輪」をもち、「ここだ!」というタイミング、「この人にはこのお礼の言い方!」という勘どころ、「そしてここで……笑顔ーっ!♡」(PERFECT)というあの釣りのときタイミング合わせてAボタン押す丸いやつみたいなのが見えているからです。ふつう釣りしててあんなん見えませんからね。でも人に愛され求められる人にはそういう求められるラインがある種「見えている」のです。スクールカースト上位の女子としゃべったことないので知らんけど。
この「見えている」感じ、万事における要領のよさもまた、同じように運命を客観視できる「ⅩⅢ 死神」のシルヴァンジョゼゴーティエくんと似通ったところです。まあジョゼゴーティエにはナンパ対象の女の心は見えてない(見てない)んですけど。
美は調和なり
ヒルダが「見えているもの」は人の心のタイミングだけではありません。
「運命の輪」があらわす「輪のとどまらぬ回転」というのは、円形の車輪に均等配置された「T・A・R・O」「Y・H・W・H」の文字や元素記号、四隅の四動物などがあらわす宇宙的調和、惑星の自転と公転であり、この調和、バランスのよさというのは普遍的な美の条件です。
キムタクとかの美しい顔は左右対称だったり、一般に美と感じられる顔の特徴とは当代の人間の顔の特徴の平均値だったりします。ヒルダはそこんとこのバランスを体感的にわかっているからスクールカーストが高いのです。知らんけど。
ヒルダとリシテアの支援では、リシテアが「どうしてみんなヒルダの言うことを聞いちゃうんだろう」とヒルダの魅力を分析し、「きっちりし過ぎず、だらしなくもなく、絶妙」と言います。ヒルダちゃんのカワイイはバランスよく洗練されたおしゃれであり、さらにTPOに調和するお化粧まで教えてくれます。美というのは生まれ持った顔立ちとかテッパン最強コーデとかで終了する問題ではなく、調和と洗練のことなのだとヒルダは体現しています。
このように宇宙的調和の美を体得している「運命の輪」のアルカナは芸術的才能のことも示唆しています。クラシック音楽の調和はよく太陽系を運行する宇宙観になぞらえられ、制作協力のコーエーテクモゲームスのゲーム『金色のコルダ』シリーズはそのテーマを下敷きにしています。ちな、「オーケストラでつながる調和」をテーマにした『金色のコルダ2』のキャラたちのステージ衣装に共通したモチーフ飾りはちょっとガルグ=マク士官学校の制服のモチーフ飾りと似ています。名作なのでぜひプレイしてくれ(宣伝)
芸術的才能といえばイグナーツ坊ちゃんですが、彼は風景や人物の中に「美なる色彩を見出す」もの、それに比べてヒルダは「美なるバランスに並べる」力をもっているといえるでしょう。これがヒルダの将来の進路である「アクセサリー職人(の学校長)」です。
はいっ、ここでメリー・クリスマス終了!!自分のためにちょっとしたアクセサリー買おうぜ会を開催するのですが、クラシックなジュエリーデザインというのは基本シンメトリー、左右や上下の対称を美としています。
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そしてヒルダにこのクラシックな調和に対する感覚があるからこそ、コンテンポラリー・アート……つまりクラシックな調和の美を「あえて崩した」驚きや独創性の美を感じることもできるのです。
↑絶妙に「輪」の調和をこなれさせたこれなんかゴネリルの紋章じゃん
調和とカワイイの申し子ヒルダちゃんというわけです。アクセサリー買って気分上げようぜってヒルダちゃんも言ってる。以上メリー・クリスマス終了!!自分のためにちょっとしたアクセサリー買おうぜ会でした。
輪を回すもの
こんなに「絶妙な調和」であるヒルダちゃんに足りないものなんてあるんでござるか~? あります。
それはやっぱり、輪の運行をただ眺めて利用するだけではなく、輪の回転に参入していこうという意思です。
VSセテス氏
ハイ来た。ヒルダが最もあからさまに苦手とする支援相手、こわ~いセテス様です。
苦手なのもむりはありません。セテス(とフェルディナント)の聖キッホルの紋章はヒルダの「Ⅹ 運命の輪」の次のアルカナ「Ⅺ 正義」にあたり、つまりヒルダが進まなければいけない成長を突きつけてくる相手だからです。
詳しくは「Ⅺ 正義」の項でいずれ話すんですけど、セテスの趣味でヒルダとともに絵本を作ることになった「寓話づくり」というやつは「子供たちに、正しいことを教える」ための物語です。「運命の輪」がヒルダに、人に「がんばってもうまくいくかどうかは結局運しだいじゃん、ハーやっとられんわ」と思わせるとしても、「それでも意志をもって、現時点で正しいことを行い世に残さなければならない」と決断していった結果の強く熱いハートが「正義」のアルカナなのです。
ヒルダは「子どもたちのために一生懸命動物さんの寓話を作るセテス様かわいい!(*'▽')」と思い、セテスの絵本作りに協力していくことになります。
運命が残酷に運行していくこの現実の世界では、寓話(アリとキリギリスに相当)の「リスさん(アリに相当)」のように「一生懸命になる」ことは寓話と同じように必ずしもいい結果をもたらすとは決まっておらず、そんな世界なことがわかっているのだから「あたしはキツネさんかも(だってがんばっても報われるかわからないなら楽しいほうがいいしー)」とヒルダは思います。また、「このお話、リスさんがひどくないですか?」と言い、セテスに修正を認めさせます。「努力した者だけが報われ、そうでなかった者は苦しむ」という「正義」の因果応報表現が徹底されることは、本人はそこまで悪くないのにたまたま運が悪くて苦しんでいる人への無慈悲につながることをヒルダは知っているからです。
それにしてもこのセテス様はかわいい。
「なんでもお見通し」なのに、「フォドラの子どもたちが正しきことを学ぶ未来のため」とかいう自分に何のおもしろみもないクソ真面目な目標に目を輝かせるセテスは確かに微笑ましく愛すべき人間性で、ヒルダはその正義に共感はできずとも「あんなに楽しそうにはしゃがれたら協力しちゃうなー」とそのラブリーさによって重い腰をよっこらせします。ヒルダは「一生懸命」なんて人生の無駄遣いだと頭では考えていますが、人間が懸命に運命に立ち向かっていくさまというのは、確かにヒルダの好む「かわいい」「いとおしい」ものなのです。ホルスト兄さんのことだって、ヒルダはほんとは大好きです。
運命の女神ヒルダちゃんも、運命の輪自力で回してくぞ!!という強い意志もつ英雄のことはついつい手伝っちゃうものです。
VSマリアンヌくん
セテスやフェルディナントやホルスト兄さん等の「強い意思もつ英雄」と真逆の人間、それが(ドラムロール)マリアンヌちゃんです!
「【ⅩⅤ 悪魔】獣の紋章」の「無軌道の獣」の項でもマリアンヌの片付け下手の理由withヒルダの話をしました。おさらいすると、マリアンヌの獣の紋章の「悪魔」アルカナは「前を向いて自分の未来のビジョンを描く力」を放棄した視野狭窄の状態にあるのでぜんぜんお片付けが進まないのです。むしろ悪化。
これまでお話してきたようにヒルダの「運命の輪」には世界の理、法則性が直観できるし、「適切に洗練された並び」のスペシャリストなので、やろうと思えば片付けは大得意です。まあものを出し入れするのとかしんどいからやりたくないんだけどー。
このように二人の支援会話の中心となった「片付け」においては真逆の能力の二人ですが、しかし驚くべきことに、悩んでいること自体はかなり似通っているのです。
ヒルダは兄の無数の成功と失敗で「運命」が見えてしまったがゆえに、「あたしががんばったってムダだよ」と思うようになりました。そしてマリアンヌもまた学習性無力感によって、「私なんて何をやってもどうせ無駄なんです」と思うようになりました。二人はそのあきらめと偽の安寧を求める気持ちにおいてよく似ています。
ただその後、ヒルダは運命を客観視し世界の理のラインをとらえられるようになり、マリアンヌは目と耳を閉じてしまったから、二人は他人との関わりやお片付け能力においてものすごい差が出ることになりました。
見た目、ふたりはまったく正反対の女の子に見えます。スクールカースト的にも。しかし違うのはその目の配り方くらいでした。世界が見えないマリアンヌが無軌道にアワアワしているのを、ヒルダは周りが見えているので見つけます。
ヒルダ「あっ、このハムスターちゃん、かわいいー! 回し車をぐるぐるしてる」
マリハムヌ「あっ…アワ……、すみません……、ええと……」
ヒルダ「一緒にお菓子食べないー?」
運命の檻に閉じ込められてどこへも行けないでいる女の子は、自分の姿だったかもしれません。自分のことは頭で諦めていても、友達の運命はいっしょに押しちゃう、そんなことってありますよね。
豪腕!ガラポン大回転
最初の方で「運命の輪」のカードの意味として「運命は人間の都合なんかおかまいなしで一定の速度で回る」と言いました。「人生万事塞翁が馬」とも言いますし、それはほんと、その通りなのですが、運命が本当に人間に1ミリも動かせないものかっつったら、それは違うとおもいます。違う……かもしれませんよ、というのも、この「運命の輪」のカードの意味なのです。
人間は最初のヒルダのように運命から距離をおくか、そうでなければ運命の車輪に巻き込まれて一生引き回されるしかないのでしょうか?
「運命の輪」の上には、輪の回転から独立したかたちでスフィンクスが鎮座しています。スフィンクスは「問いかけ」「試練」を意味する聖獣です。もし人間が運命になんの抵抗もできないのだとしたら、「試練」を課してくるスフィンクスが輪を監視しているはずがありません。
マルセイユ版の「運命の輪」も見てください。
この輪、回すやつついとるやんけ
人間の都合おかまいなしで回るってのは嘘だったのかよ!?
嘘ではありません。この輪には回すやつがついていますが、「戦車」みたいには自分の思うようにはぜんぜん動いてくれないし、UFOキャッチャーしようとしてる幸運は途中で落ちるかもしんないし、それ以前にめっちゃ重いってことです。スフィンクスは
「ン? 動かす? いいよー。
ただし覚悟せよ。運命の輪は重いぞ」
と言ってくるのです。
「運命の輪」は、最終的には、思うようにならぬ運命にそれでも立ち向かっていく、「覚悟と責任」を意味します。
「楽しかった」
「ありがと」
ヒルダは知っています。いかなる努力の行き着く先もどこかでの不運や挫折で、どんな立派な人間もひょっこり死ぬのだということを。だから彼女がいつか決意したならば、どんな最後、どんな不運のはずれクジでもこう思えるように選び取って、その豪腕で輪をブン回すはずです。フライクーゲルは歯車のごとき半円のかたちをしています。
「一度きりの人生を、いかに楽しく過ごすかが大事だと思うんです!」
後悔なんかしないで生きるのです!
誰よりも自由なヒルダちゃんなのですから。
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↓おもしろかったらブクマもらえるととてもハッピーです
↑ブログ主の勉強用の本代を15円から応援できます。おりしも運命の輪が一巡し、なんとそろそろ誕生日ってやつがくるんですよ。
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