当方はちょっと異類婚萌えなのでまた別のアレがありますが、カッコいいドラゴンって燃えますよね。
ドラクエ11でも天空魔城でグレイトドラゴンが現れたときにはもう。
恥ずかしながら当方は11まではドラクエのナンバリングタイトルを8しか自分でやったことがなかったので(FC、SFCのもの、および7は母だけが夜中にやっていました)、最近ドラクエ11にいたる文脈を理解するためにロトシリーズをプレイしているのですね。
ロトシリーズは『ドラゴンクエスト』の成立と土台の確定、という感じの変遷があって面白いです。
なんの変遷かというとドラゴンというものの変遷です。
「竜を探索する」の意味
これは当方がもともと持っていた昔の私見の話なのですが、
「なんかドラクエって体制礼賛的な感じのするRPGだよな(食わず嫌い)……」
「ドラゴン、つまり権威を探求しにいくんだろ? 出来レースに乗るということじゃん」
この中二の斜に構えたスネにも実は見るべきところがあって、
ドラゴンな探索(クエスト)とはいったいどのような意味でのドラゴンについての探索なのかというテーマの目のつけどころがあるということです。
中二な当方が言った通り、ドラゴンには象徴として「権威」の意味が確実に存在しています。紋章学においては専制的権力を表し、えーと名前忘れちゃったんですがヨーロッパのどっかの竜頭の神にも「魔法がかけられたような権力」を表す魔法神がいたような。
『FINAL FANTASY』シリーズの何がどう「ファイナル」なのか、もっと毎回明確に課題とされている『女神転生』シリーズでどうやって「女神が転生」するのかが、毎回違っているが確かに「女神が転生」しているわ、となるように、ドラクエも「ドラゴンの意味」「ドラゴンがどうしたのか」がさまざまに示されていると考えられます。
西洋式「ドラゴンの探索」
まず『ドラゴンクエスト』(無印)ですが、この作品はそもそも『指輪物語』『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『ウィザードリィ』等の系譜につながって作られたものであり、したがって西欧ファンタジーの常識の影響が最も直接的で強いです。
「悪い竜がお姫様をさらって閉じ込めており、それを助け出して結婚する」というのはユングも物語原型として分析している西欧の代表的物語パターンのひとつであり、日本にもそれの「鬼」バージョンなら『一寸法師』とかにみられますが、西洋では「鬼」のところに「竜」が入るのです。
日本で言う「鬼」に代入されることでわかるように西欧における「竜」とは常識として「悪」のものであり、東洋と全く違ううえあまり意識されていないので注意が必要です。
『Fate/Grand Order』の第一部一章「邪竜百年戦争 オルレアン」では「フランス」または「竜」にまつわる英霊が召喚されていましたが、その中に「竜退治の聖人」が二人もいます。「聖マルタ」「聖ゲオルギウス(セント・ジョージ)」です。彼らはキリスト教の聖人であり、聖人伝『黄金伝説』には多くの竜退治エピソードが収録されています。つまり「竜を殺す」ということには邪悪と戦って勝ったという聖別された意味があるのです。
また聖邪だけではなく、東洋の竜が「天・(雲や雨や川などの)水」を表している(下記事)のに対し、
西洋の竜は「地・火」を表しています。
西洋のドラゴンは火山の疑獣化だから鉱脈のメタファーたる金銀財宝を溜め込み火を噴き一度暴れると手がつけられないけれど、東洋のドラゴンは河川の擬獣化だから身体は長く水を操り豊穣の証なれど怒りて波濤となる。なのでこれら以外の自然物の擬獣化たるドラゴンがどうなるのか、みんな料理してほしい
— 安価な木材 (@o_dictum) June 1, 2019
(「嵐」の竜に関しては東洋だけでなく東欧にもいます)
さらに上記のツイートの通り「竜は金銀財宝を溜め込んでいる」というのも常識で、そこから「竜は強欲である」→「強欲な意思は竜となる」という『Fate』世界観の「ファヴニール化現象」みたいな概念が生まれてくるのです。
したがって西洋ファンタジーでは「悪い竜を倒しにいって、お姫様を救い出し、財宝を手に入れよう」というのが冒険ものの定番の楽しみとしてあり(桃太郎+一寸法師)、その王道をみごとに再現したものがドラクエ無印であることになります。
東洋式"龍"
一方、東洋……つまりドラクエの対象である日本の価値観における竜(龍)は「天・雨雲・河川」であり、怒ると干ばつや水害なども起こりますが、多く聖性をもつ「神」だと思われています。古来から中華文化圏では王者・皇帝の象徴とされ、金色に輝く龍「黄龍」は東西南北四神の中心を司る長と呼ばれます。
要するにメチャクチャいい方の神様なのです。こういった日本人の常識感覚に合った変遷があったことが、まだ当方はやってないんですけど「天空シリーズ」に見てとれます。黄金の天の竜であるマスタードラゴンが世界を管理する神様的な存在をやってるらしいじゃないっすか? ルビス様もいるけど彼女は地母神であり天空神ではないので。といったところにも日本のフワッとした多神教感覚が取り入れられているのがわかります。
この善なるドラゴンへの転換点が見えるのが『ドラゴンクエストⅢ』の「竜の女王」です。ドラクエⅢはまだやってないんですけど(やってないものばかりだ)……『ロトの紋章』(全部読んだ)でその筋書が再話されてたので知ってます! 「竜の女王」は善なる存在で、たまごが邪悪のものに奪い去られ、息子である竜王が邪悪に染まってしまったのでドラクエ無印のラスボスになりました、という理由がついたのですよね。「基本ドラゴンというのは善い存在なんだよ、まかり間違うとすごい災害にもなるけど」というまさに日本的龍神観がロトシリーズという土台に確定したわけです。
マスタードラゴン
天空シリーズに出てくるという黄金の天の竜神マスタードラゴン(まだ会ったことない)。
検索すると「マスタードラゴン クズ」って出てくるし、このあいだ友達にこの「ドラクエでドラゴンは最初はラスボスだったけどそのうちマスタードラゴンとかダイ大・11のマザードラゴン的な神のイメージになって……」という話したら「クズのマスタードラゴンめ……」てつぶやかれるしで、どんなドラゴンクエストなのか非常に楽しみじゃないですか。むしろ神やテーマなる存在が「クズじゃね?」となる場合、(クソシナリオゲーでなければ)そこに立ち止るべき鉱脈があるわけですからね
「地の邪竜」
ところでこれは余談なのですが、聖人伝の邪竜殺しはさまざまなメタファーで考えられます。
ひとつには「火山」の「金銀財宝」、すなわち鉱産資源を得るために人々が自然と戦ったという見方、
また「ゲオルギウス」の名が農民を表していることから、人が荒れ地を耕して豊かな農地を得たという見方もできます。
もうひとつは、「竜」≒「悪魔」というのはイシュタルがアシュタロスとされバアルがベルゼブブとされたように「異教の神」を表すものでもあるため、「異教徒の平定・教化」を表す(財宝とは異教徒がもつさまざまな資源)という見方です。穏やかでないようですが、これは「キリスト教世界の栄光を世に広めました」という意味ではものすごい「善行」であるわけで、聖人伝に書かれるにふさわしいことです。
「ドラゴン」という言葉にはそういう「見方を変えると」が存在しているわけで、いかにもドラゴンクエストシリーズの楽しみ方にふさわしいではないですか。
↑ブログ主のお勉強用の本代を15円から応援できます