先日『名探偵コナン 紺青の拳』を見てきました。
村に住んでいるもので、劇場ってめったに行かないし、コナンの映画を劇場で見るのははじめて! なぜ初めて劇場で見る気になったかというと京極真さんがすごく好きだからなのですが、キャラクターの魅力だけでなくド迫力あり緻密ありのうえわかりやすい演出やシンガポール行きたみ、テーマのおさまりなどいろんな要素が良く、なんか二回目も行ってしまいました。
またエンディングテーマ曲がいいんですよね。こいつが美容師を半年で辞め、ボーカルスクールやボイストレーニングなどの経験なしでなぜか三代目のボーカルオーディションに一発合格したシンデレラボーイか……と構えて聞いてたのですが、シンガポールらしいエキゾチックでありながら都会的でラグジュアリーなサウンド……スタイリッシュな切なさ……。
エンディングテーマを聴きながら思った……
Secret in the moonlight......闇夜に浮かぶ...BLUE SAPPHIRE......
これはまさにすでに敗北した悪役を賛美する
「悪役かっこいい」のお歌に相違ない……。
(そういう事実はありません)
以下、この記事は映画のネタバレをします。
謎めいた拳
コナンの映画半分も見てないので比較はできないのですが、
今回の映画はハチャメチャ怪しくて絶対に殺人計画の犯人であるヤツがそれこそ映画のテーマを示すべき最初の10分間で明らかに出てきます。
■レオン・ロー/CV. #山崎育三郎
— 劇場版名探偵コナン【公式】 (@conan_movie) February 3, 2019
シンガポールの名探偵と呼ばれる、著名な犯罪行動心理学者。
今は実業家に転身し、経営コンサルタントとして活動。
とある計画のために、ブルーサファイアを狙っており、
コナンやキッドと敵対する。#紺青の拳 pic.twitter.com/cUjhLEb39t
コリャもう100%ダメだ……。
最初の殺人への関与についてはもう演出からして隠す気がないので、今回の映画には「殺人事件の犯人は誰なのか」という意味でのネタバレはあまりないといっていいでしょう(のちにもう一人人が死ぬのでその犯人は誰だ……?というのは考える余地があるのですが、それもコイツだぜ)。
ところで今作のキーワードとなっているのが「拳」です。これは当然京極真さんがメインキャラとなり、彼のカラテがドラゴンボール的エフェクトで炸裂することもさしていますが、もう2つほど意味をかけてあります。
ひとつはテーマ曲のタイトルにもなっている「BLUE SAPPHIRE」、「海賊王の証」とも言われた巨大ブルーサファイア「紺青の拳(フィスト)」。
これを優勝賞品としてシンガポールの支配者的金持ちの道楽の空手トーナメントが開かれ、キッドがそれを狙い、さっきの怪しいレオンさんは警備会社の社長としてセキュリティを担当しながらも、わが物にしようと狙っている……という三つ巴の様相に、京極真さんの強さとキッドに巻き込まれたコナンくんが絡んでくるというわけです。
もうひとつはキッドの言う「握った拳の中にまるで何かがあるように思わせるのがマジシャンで、その拳の中身を開く前に言い当てるのが探偵」「言い当ててくれよ、殺人という謎めいた拳の中身を」という言葉が表す、謎、トリック、心理戦の比喩です。
キッドがマジシャンであるのはもちろん、最初の犠牲者は人に聞かせられない交渉もするやり手の弁護士、それを謀殺したレオンさんは人の心を読みコントロールさえする犯罪行動心理学者、さらにその弟子で犯罪行動心理学者として警察に協力している若者リシくんなど、今回はカラテ無双の裏にそういった「拳」に何かを秘めた頭のいい人間ばっかりいる。
そういった意味で今回は打って出るもスマート悪! 迎え撃つもクレバー悪!
そしてすべてを粉砕する爆発とカラテ!! という感じなので、
本当に破壊されたシンガポールの街が悪役どもが夢の跡…って感じでエンディングテーマがしみるわけですよ。
「犯罪責任」の所在
ところで「打って出るも悪 迎え撃つも悪」ということは、「結局だれか一人だけ悪者がいるわけではない」ということです。
これはシンガポールという「国家」「街」をテーマの舞台にしたことと、現代的な倫理の問題に沿っています。
もちろんいつもの(いつもの)コナンの殺人事件でも、殺される側には恨まれるだけの理由があることも多く、殺された側のほうが人間性として邪悪なことだってままあるんですけど、それでも殺人はダメなので、ダメです、刑罰を受けましょう、という決着になっています。
「殺人」に関してはその決着でひとまずいいのですが、今作では殺人事件とは別の大きなレオンさんの悪い計画が動いており、死んだ人はその計画上邪魔だったので死んだ「だけ」という感じです。さらにレオンさんの悪い計画には2つの悪い組織のトップがついており、それらと利用し合い騙したり裏切られたりしています。
しかしそれでも今作の黒幕はレオンさんではなく、レオンさんの計画上死んだ人の息子であった弟子のリシくんだった!というオチだったわけで、「すべての被害の責任を負う悪者」としての「犯人」がいまいち判然としないつくりになっています。
リシくんは、えーと黒幕配慮なのか公式画像がねーぞ!?

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まあつまりいい人そうな糸目キャラなんですけど(これはポケモンのタケシ)、裏で糸を引いていた本性を表すとき、相当の三白眼にカッ!するため、サラッと見ている人やキッズにも「わあこいつが黒幕だったのかこわい」とわかりやす~く心のおさまりがつくようになっています。
しかし冷静になってこの事件全体でしでかされた「犯罪」「悪」のみを整理してみると、
●レオンさん、海運会社の社長中富れいじろうと共謀しリシくんのお父さんを殺す
●レオンさん、中富れいじろうと海賊首領ユージンと取引しシンガポールの街に石油タンカーを突っ込ませ大破壊をしようとする
●レオンさん、秘書レイチェルに手伝わせ元顧問弁護士シェリリンを殺す
●リシくん、シェリリン殺しの現場にキッドのカードを置き、容疑者に仕立て上げる
●レオンさん、京極さんの力を削ぐためチンピラを雇い園子に危害を加えようとする
●レオンさん、警官に暴行しパトカーを奪ってひき逃げしてまで園子に危害を加えようとする
●レオンさん、秘密を漏洩しようとした秘書レイチェルを口封じに殺す
●レオンさん、レイチェル殺しの罪をキッドに着せようとする
●レオンさん、警備会社として預かっていた紺青の拳を着服、海賊首領ユージンに取引材料として渡す
●リシくん、園子を崩壊するホテルから避難させないよう工作し、海賊首領ユージンに誘拐を教唆
●海賊首領ユージン、手勢を率いてシンガポールの街を大破壊
●海賊首領ユージン、身代金のため園子を誘拐しようとする
●怪盗キッド、全編に渡り不法侵入、器物破損、傷害
●コナンくん、傷害、器物破損、リシくんを騙して家に上がり込みプライバシー侵害
(京極さんは威力は過剰であっても正当防衛的戦闘しか行っていない)
このようにレオンさんがすごく悪くて、「黒幕」と言われたリシくんはそこまでハチャメチャ悪いことをしていないことがわかります。麻酔銃でリシくんを撃ってパソコンの中の捜査資料を見たコナンくんのほうが直接的に犯罪だわ。
むしろリシくんはお父さんの恨みから、レオンさんのシンガポール大破壊計画を阻止することで復讐をはたそうとしており、園子の誘拐にむけて動いたのもレオンさんの計画のはしごを途中で海賊首領ユージンに外させるための策略であり、犯罪教唆は犯罪教唆ですが人の死ににくい穏当な策をとっているといえます。リシくんは「裏ですべてを操っていた」のですが「巨悪を倒そうとしていた」という意味では目的は正義の者であるといえます。
一方、レオンさんに仕える警備主任・ボディガードであり、空手大会に出場する超強豪選手ジャマルッディンは、これはユージンと違いリシくんの差し金ではないのですが「あんたに仕えていたのは京極と戦うためだ、それが(あんたの余計なお世話で)できなかった以上あんたに仕える意味はない」と肝心なところでレオンさんから離反します。
ジャマルッディン選手は「ただ京極真と堂々と戦いたい」というスポーツマンシップある熱い男としてカッコよく描かれていますが、しかし、彼は警備主任としてレオンさんの計画も知るところであり、つまり「京極真と戦いたい」のために悪事を黙認していたという意味で共犯者であるといえます。しかもレオンさんに弱みを握られている弱者である秘書レイチェルや中富れいじろうとは違い、いつでもレオンさんを張り倒すことができたのにそうしなかったのです。ここには「動かないという悪」があります。
そしてリシくんを目的は正義の者であるというのなら、独善的なものではあるのですが、レオンさんにもレオンさんの正義があります。レオンさんはかつてコンサルタントとしてシンガポールの都市計画会議に参加し、シンガポールの完璧な都市計画をしたいと思った。レオンさんはメチャクチャに頭が良く実力も見通しもあり、その案が長期的には皆を豊かで安全で幸せにしたであろうこと自体は間違いありません。しかしくだんのシンガポールの支配者的金持ちとその他財閥の老人たちに「君の考えは急すぎる」「君はまだ若い、もう少し勉強したまえ」的に屈辱的に嘲笑われ、案を棄却されたのです。
レオンさんの邸宅(=レオンさんの警備会社)の金庫とレオンさんの頭脳は紺青の拳を盗みにきたキッドさえも軽くあしらい、彼は「この金庫には私の理想がつまっています」と言います。レオンさんには皆が幸せになれる理想のシンガポールの街を作る夢があり、またその実力もあるのです。したまつげの悪役顔だからってなめてはいけない。
園子と京極真さんがレストランで謎の武闘集団に襲撃されるシーンがあります。冗談みたいにさまざまなアジア武道をやる悪漢たちが出てきては真さんにちぎっては投げられるのですが、わりとシンガポールではよくあること的に流されます。 まあそいつらはぶっちゃけレオンさんの差し金ではあったのですが、要はそういうチンピラがいっぱいいてもおかしくない治安の部分も多いということです。
混沌も都市の魅力のひとつではありますが、混沌によって起こされる犯罪行為、迷惑をこうむる人の数、得られるはずの幸せが得られないこと……、それらの幸せの損失と計画の犠牲となるものを比べたときに、レオンさんの中では計画の収支が合い、「より正しいことのために」と信じられたのでしょう。
まあ当然それで人をそんなサクサク殺しちゃダメなわけでレオンさんは犯罪者だし、レオンさんを追い詰めて復讐しようとしたリシくんもほぼ犯罪者ということになるんですけど、
それでもリシくんの犯罪はリシくんが悪いのか?(レオンさんが悪い)
レオンさんの計画を召喚してしまったのは誰か?(財閥の老人たち、およびシンガポール全体)
さらにはリシくんやコナンくんやキッドが巨悪を止めるために多少の犯罪的行為をいとわないのならば、それとレオンさんの理想の実現との違いは何だというのか?
という、「犯罪責任」を実行者と完全にイコールにするのをためらうべき問いが残ります。
それを印象付けるかのように、レオンさんが中富れいじろうを利用するための貸しをつくるにいたった「中富れいじろうが盗みの疑いをかけられてレオンさんがそれを救った」という事件は「実はそれも最初からレオン先生によって仕組まれていたとしたら…」とリシくんに看破され、中富れいじろうは自分の足場が何も信じられなくなり腰を抜かしています。
加えて中富れいじろうは普段から犯罪的行為もいとわないような人間であり、「もともと悪いやつでさえも、『そいつが悪いやつだから』ではなく、周囲のさまざまな状況に仕組まれたり動かされて悪事をはたらかされてしまう」と示されているのです。
いわんやもともと善なる人間をや。
罪を負う者と非犯罪者の「差」
現在の罪や刑罰の感覚では、「実際に罪を犯した者」が犯罪者であり、それに至らしめたすべての状況や人間は、情状酌量要素とはなっても罪の対象とはなりません。
一方で、昨今の「社会に追い詰められた者の犯罪行為」に対しては、「社会全体の罪」ではないかという見方をしていく必要が出てきています。
こう考えると、今の「不適合者は廃せよ」って言ういわゆる間違った人間を保護ではなく差別対象とされる社会の報いって感じがするね
— よるまち◀︎◁Tsubasa (@qqma6cx9k) May 28, 2019
それが無実の人間に向いたのは悲劇としか言えないけど
そんな社会を形成する自分達が無実とはことさらには言えない https://t.co/LRl1Dw1PAo
レオンさんはまあ財閥の老人たちに笑われてはいましたけどここで言うような「社会に追い詰められた者」とは違うのですが、「社会の要請に応えた者」であるとはいえます。社会が意識無意識に関わらずレオンさんの計画を含めた才を必要としてしまう以上、謎がコナンくんの才を求めてしまう以上、彼らはそこに行って、「多少の障害」をものともせず役割を果たすのです。
犯罪にいたる者といたらない者の違いは実はほとんどの場合行動力の差に過ぎず、倫理観の差が理由ではありません。もちろん強い正義の心によって激しい殺意を思いとどまる人もいますが、多くの場合犯罪という逸脱の一歩を踏み出さない理由は、怠惰の心、保身の心、恐怖の心、面倒なことの忘却、自分の能力への自信のなさ、それらの損得勘定などの、一言で言って弱さのゆえです。この弱さはけっして悪いものではありません。こうした弱さによって、人間はお互いにセーフティネットを作って群れで生きていくことができるのです。
しかしレオンさんが都市を生まれ変わらせることをずっとあきらめず、リシくんが仇に弟子入りしてまでも父親の復讐をあきらめなかったように、たまに群れをはぐれてでも自分の意思を貫ける強さをもった人間がいてしまって、
(昨今の失うもののない人間を「無敵の人」と呼ぶ言い回しは、順序が逆なだけで同じことを指しています。強いから群れをはぐれられたのではなく、群れをはぐれてしまったのと同時にセーフティネットである弱さがなくなってしまったのです)
その強さが踏み出した先が、偶然に罪となる方向だったとき、犯罪者が生まれるといえるのです。
(また、ここで論じているレオンさんのような「巨悪」を行う人間ではなく、個人としては弱い人間が群れの力を使って欲望を果たそうとしてしまう「小悪党」もいるという違いが中富れいじろうとして例示されているのも秀逸です)
「強い人間」がその強さゆえに罪にも踏み出し、
コナンくんという「強い人間」がその罪をあばき刑につかせる。
これはまるで西洋中世の騎士社会で、戦う力を持った騎士どうしだけが戦争をし、民草はわけもわからずたまに略奪され逃げ惑っているだけだったのと同じです。シンガポールには無数のレオンさんがいるけれども、計画の実行に至る強さを持っていたのがレオンさんだったというだけだし、レオンさんを恨む人もたくさんいるけれども、本当にレオンさんを追い詰められたのがリシくんだけだった(たとえば弁護士シェリリンはそれに至らなかったから加害者ではなく被害者となった)というだけです。
強い人間どうしの「加害者」「被害者」は一方的なものではなく、結局どちらがどちらなのかは結果論にすぎないのです。そして弱者が自暴自棄に犯罪を犯すことが社会の問題であるように、強者どうしの葛藤もまた強者が勝手にやってることではなく、「無数のレオンさん」「無数のリシくん」「それを取り囲む私たち全員」の問題なのです。レオンさんとリシくんが罪に問われるとしたら、騎士が領民の代表・代理として戦って傷つくように、「似たような/その強さに甘えている・みんなの代表として」彼らが代わりに罪を負うだけです。
スピード・スター
「似たようなことを考えている人間の中でもレオンさん・リシくんが偶然強くて星に手が届いてしまっただけ」みたいなことを言いましたが、それにしたってレオンさんのやり方はヤバすぎなので、レオンさんが激ヤバを行ってしまった原因を「群れに依存して妥協しない強さ」だけではないもう一つの悪役の魅力を分析することで考えていきましょう。
例えば世界にはレオンさんのような人に恨みをもつ「無数のリシくん」がいると言いましたが、リシくん以外の「復讐をしなかった無数のリシくん」はどうしているのでしょうか。
先ほどの話で言えば、「無数のリシくん」たちはリシくんほどには意志の力や能力が強くなかったので、復讐してやると思いながらも諦めたことになります。その弱さが悪いものではなく人間社会のセーフティネットとしても機能していることは先述の通りです。彼らは復讐を実行に移すことを諦め、できればこれ以上自分のような思いをする人が増えないように祈ったり、そのために働いたりしながら、「いつか奴には天罰が下るだろう」と思っていることでしょう。そして実際に「代表」であるリシくんの働きによってレオンさんは社会的生命を失うのです。
ここでは、リシくんが彼らの「代表」としてすみやかにレオンさんの企てを防いでくれた間、「無数のリシくん」たちはちんたら働き「天罰」を待つだけだったという、怠惰の邪悪であると言うことができますが、それだけなのでしょうか?
コナンくんも目の前の謎を止め、正しく解き明かすために、強い人間なのでいつも犯罪じみた「行動」に踏み切っています。本当は犯罪であれ「為す」ことが善で、非犯罪であれ「為さぬ」ことが悪なのでしょうか?
だとしたらレオンさんが善で、シンガポールの街の変わろうとしないすべてが悪なのでしょうか?
そうかもしれないけれど、少なくともこの作品においてはレオンさんやリシくんのやろうとしたことは「よくないこと」とされ、コナンくんやキッド、無辜のたくさんの人たちのいる側から確かに踏み出してしまっているのだと描かれています。そこには「手段のヤバさ」だけでない何かの違いがあるというのです。
「この街は崩壊し、生まれ変わる!」と楽しそうに悪役顔をしてくるレオンさん。彼は自分の理想を世に顕したいのです。それは善いことです。
しかしレオンさんは「君の計画は急だ。それでは住処を追われるものがたくさんいる」「君はまだ若い」と言われてつっぱねられ、そんなちんたらしたことではだめだと計画をおこしたのです。住処を追われるものが出てくる。壊されるものがある。死ぬ人がいる。これは結局同一線上のことです。
リシくんもそうです。レオンさんが街の遅々とした改善なんだか悪化なんだかわからない変化に意味を見いだせず耐えがたいように、いつ下るんだかわかりゃしないレオンさんへの法的な「天罰」を待ってなどいられず、積極的に超法規的な手段をとった。
「君はまだ若い」。
「間違っていない理想」と「強さ」を持った者が、それでも(それゆえに)罪を犯してしまう「悪」の実体とは、
一瞬に世界を変えたいという、理想のあまりの「速さ」
であり、
美しさや正しさや理知が本来はただちに世界に顕れるべきだと思っている、
少年のように純粋一途な青い心なのです。
世界は彼らのハヤブサのような、閃光のような速さに追いつけず、
その摩擦はときに炎を招いてしまいます。
この街の生まれ変わらせ方
悪役が魅力的な理由は、群れをはぐれることをいとわない「強さ」であり、また妥協を知らぬ少年のような「速さ」なのだと述べました。
しかし彼らの「強さ」と「速さ」は人間社会のかたちを破壊するものであり、もし彼らが人間社会をよりよく変えることを望んだとしても、彼らのやり方ではうまくいくことはほとんどありません。理由は「悪だから」ではありません。そして、それは私たちが悪役の魅力に惹かれることがあるのと同じ理由でもあります。
それは「この世界は、人間の社会は、ゆっくりとしたペースでしか本当には変わらないようにできているから」です。
世界は急に変わりません。それはもう物理法則のようにです。どんどん人間の思考や技術が加速して、世界の変化がそれに底上げされるとしても、宿命的に、その変化のスピードは頭のいい人間の思考のスピードを大きく下回り続けます。そうでなければ世界に夢ものぞみも生まれません。
ちょっと小賢しい大半の人間は世界が遅々として変わらないことに苛立ちながらも、それを「革命」するにいたらない自分の力不足にまた苛立ち、日々をくらしています。そうした苛立ちの闇に強く速い悪役の存在は、ときに流れ星のように輝いて見えるのです。
しかしさらには、世界は一人や二人の人間が大きなことをしたというだけでも変わりません。流れ星が爆発しても変わったりしません。歴史書には特定の偉人の名前が書かれるかもしれませんが、社会がどんなものであるかは、それこそ無数の「草の根」からしか本当には変わっていきません。本当は世界を変える責任があるのはレオンさんでもリシくんでもコナンくんでもなく、私たち一人ひとりでしかないということです。少なくとも現代では。
その責任、その罪、その行動から逃避するとき、私たちはコナンくんの英雄的強さを崇め、あるいは悪役たちの美しさを愛し、「彼を悪とした『世界』が悪いのでは」と、まるで自分が「世界」に対して無実であるかのように、つい思ってしまうかもしれない。
しかしひとつの正しさ美しさを持つ悪役に惹かれることができた人には、世界の中でその理想をアシストする力があります。チームの中で突出した選手にすべてを任せるか、その選手ができる限り動けるよう周りが微力でもサポートをしていくかで、彼が孤独な悪魔になるか幸福な名選手になるかが決まります。その微力がどれだけ微力で、いっそメンタルなものにすぎなくてもです。
理想を持ったかっこいい悪役。私たちの闇夜に浮かぶブルーサファイア。
彼の幸福を扶けるのは、平和な運命でも正義の裁きでも野望の完遂でも一つ二つの愛でもなく、
何百年の年月と幾億の小さな勇気だけです。
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