湖底より愛とかこめて

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卵の殻を破らねば、雛鳥は呪い呪われる―『機動戦士ガンダム 水星の魔女』と『少女革命ウテナ』覚書②

 人類が心を『少女革命ウテナ』に革命されるようになって、既に四半世紀が過ぎていた――――。

これは、生まれて初めてガンダム作品をまともに観ることになった『ウテナ』オタクの、感動の読解覚書き【今作オリジナル用語編】である。キャラクター編も入れようとしたんだけど長くなりすぎたからとりあえず切った。

「なんか序盤からいろいろ世界観用語出てくるな、どゆこと?」状態でもじゅうぶん楽しめるすばらしいアニメなんだが、どゆこと?部分を早めに整理しとくか……という場合用です。

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↑①【プロットとテーマ編】はこちら↑

(『機動戦士ガンダム 水星の魔女』7話までのネタバレ、および今後の展開の予想、『少女革命ウテナ』全編のネタバレを含みます)

『ウテナ』見てない人にも伝わるように書いてるけど水星見てウテナに興味わいたから見ようと思ってる~という人は先に見よう。

 

 

本作の鍵となる用語

 序盤から重要単語がサラーッと出まくっているので、マジで覚えるために覚え書きしておく。

ガンダムエアリアル

 スレッタが駆る今作のメインモビルスーツ。色合いは初代と同様の白ベースのトリコロールカラーに塗り分けられているが、明らかにフォルムが女性的である。

肩の装甲のシルエットは控えめでウエストがキュッと絞られ、肩よりもバストに目が行くようになっている。何より骨盤部や太ももが豊かに発達している。前日譚の小説『ゆりかごの星』でのエアリアルの意識の一人称は「僕」ではあったが、女性の体の美しさそのものの特徴だ。そのため、四角いロボが苦手すぎてすぐに「もう四角くて硬いのは嫌だ~やわらかくてきれいな女の子とか見たいよ~」ってなってしまう軟派な当方も楽しく見ることができる。ありがたすぎる。

動きはフワフワと優美で手先の動きもかわいらしく、頭部デザインもガンダムらしい勇ましいツノつきながらも従来のガンダムの顔立ちに比べて明らかに目の配置や顎などのバランスがカワイく作ってあるのがわかる。武骨じゃない! さながら女騎士!

 

 女性大好き話はこのくらいにしておいて。これまでの作品でも「ガンダムとは何か」は流動してきたわけだが、今回は特にガンダムの定義が話の中心となっていく。舞台となる経済圏、それを中心とした世界全体で、ガンダムは禁止された存在だからだ。

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今作におけるガンダムとは「GUND-ARM」、ガンドフォーマットなる禁止技術を搭載したモビルスーツ兵器のことだと明確に定義されている。だから今作においてはそれがガンダムかガンダムでないかはガンプラ好きの微妙なマニア知識クイズみたいな問題ではなく、社会的にも兵器としての性質的にも重大な差異だということになる。

ガンダムが禁止されたのは、それが強力さとひきかえに敵だけでなく搭乗者をも殺す、倫理的に問題のある「呪いのモビルスーツ」だったからだと、『プロローグ』で描かれている。強力だが使い手に問題をおこす武器のことを「呪われた武器」と呼ぶのは普遍的な表現だろう。これは難癖とかではなくじっさい事実であり、作中の時間軸でも解決されていない問題……のはずだった。

しかしエアリアルは、ガンドフォーマットを搭載しているのに、スレッタの体になんの悪影響も及ぼしていないようにみられる。

『少女革命ウテナ』でアンシーは

女の子は、女の子は結局みんな薔薇の花嫁みたいなものですから。

――『少女革命ウテナ』37話

と言う。女の子は皆生まれたときから「女の子なんだから」「いずれ強い男のトロフィーとなり、奉仕するんだ。それが幸せなんだ」と呪縛され、アンシーと同じように薔薇の花嫁の呪いを受けるはずなのに、ウテナだけが「ボクは王子様になるんだ」とか言ってスカートもはかずピョンピョン跳ね回っている。ウテナは、エアリアルは、なぜ呪いフリーでいられるのだろうか? それはまやかしで、いつか呪いにつかまっていたことが明らかになるだけなのだろうか?

「呪い」はどこへ行ったのか? 呪いを解く方法があるのだろうか? それとも、他の誰かに呪いを着せているだけ……なのだろうか?

その謎を解き明かすのが『ウテナ』と『水星の魔女』の重要な軸のひとつである。

 

GUND技術

 ガンドフォーマットが搭乗者の心身を危険にさらすのは、その根幹技術であるGUND技術が20メートル弱もあるモビルスーツのガチアクションに適用するにはまだまだ無理のあるものだったからだ。

GUND技術とはもともと、『鋼の錬金術師』に登場する機械鎧(オートメイル)技術のような神経伝達可能な義体技術であった。

宇宙という本来人間のすみかではない危険な環境に出ていくことで体は損傷しやすいし、地球上でも現代の現実世界でも身体障碍に対して義体技術の発展がもたらせる恩恵は大きい。それに、パラスポーツ用義体のめざましい発展や介護用などのパワードスーツを見てもわかるように、義体や身体機能拡張技術は人間の可能性を広げ、自由にし、さまざまな不幸な呪縛を解く希望になりうる

『プロローグ』でGUND技術の権威カルド・ナボ博士は

地球という揺りかごで生まれた人類が宇宙へ出るにはこの体は脆弱すぎる。赤子が服を着るように、私たちはGUNDを纏うことで初めて宇宙に出ていける。

と言った。宇宙服が必要なのと同じようなことだ。宇宙服はGUND技術じゃないじゃんと思うかもしれないが、そもそも我々の体の皮膚もまた「宇宙服」であると例えられる。逆に言うと宇宙服とは我々を外界と隔てる皮膚を補助・拡張したものであり、それを皮膚という覆いだけでなく四肢や神経の通う体の部位を補助・拡張するためにも行えるようにしなければ、皆がいろいろな状況下で暮らせるように人類が適応することはできないということだ。

実際、現代の現実世界で宇宙服を着て宇宙で滞在するのは健康で鍛えている宇宙飛行士や、それに準じるほぼ五体満足な人に限られるだろう。宇宙で「人類が暮らす」と言ったとき、健康充実した基準に当てはまらない人や事故で損傷したりなんだりした多様な人体がゴロゴロいるのは当然なのだ。それが本当に暮らしていくということだから。

そんな無理に地球から出ていくなや、地球は出ていくべきゆりかごじゃなく人類の人生のすべてだよ、という見方もできるかもしれないが、見方や主張はどうあれ現実世界でさえ人類は宇宙に進出しようとしちゃっている。それに、『機動戦士ガンダム』シリーズは常に、「人類の革新」とは何かを問い続けている。今作での「人類の革新」の鍵を握るのが、『プロローグ』で一度失われてゆがめられてしまった、「GUNDが作る未来」のすがたである。

GUND-ARMは「ガンド技術による武器・軍事力」という意味の言葉だが、「ARM」が「武器」や「軍事力」「権力」を意味するのは、そもそも「腕」という意味だから。つまりGUND-ARMは人類にとって未来を拓くための、そして共に生きる人の手を掴むための「拡張された腕」であるはずなのだ

GUNDの腕が拓くと願われていた未来は、『ウテナ』でいえば少女のウテナが王子様に言われた「その強さ、気高さを、どうか大人になっても失わないで」という祝福だ。その未来は単純なものではなく謎めいており、われわれはまだそれがどんなものなのかを知らない。

 

パーメット

 GUND技術の鍵になっているのは「パーメット」という宇宙鉱物資源だ。これまでのシリーズ作品でも特殊な鉱物材料の利用がガンダムを定義していたことはあった。格別に強力な装甲の原料であることもあれば、感情に反応して色とか性能とか変わって光る(『機動武闘伝Gガンダム』)こともあったという。おもしれーな。Gガンもロボどうしというより人間どうしの戦いが面白いことになってそうだから見ようかな。

今作の重要資源パーメットは、どっちかっつうとそのGガンのやつに近い。互いに情報を共有する性質を持ち、あらゆる伝達に使われる。あと伝達のとき赤く光る。現代の現実社会でも光ファイバーや5Gとか6Gとかの通信システムが重要な技術として日夜発展合戦をしているわけなので、パーメットがハチャメチャに有用なレアメタルであることは理解しやすいだろう。

パーメットはこの「伝達」というきわめて汎用性の高い用途から、GUNDやガンダム以外のあらゆるものにも普通に使われる。そりゃまあ通信技術なんだからそうだわな。一般的なモビルスーツでもパーメットによる操作伝達が良好であるかチェックされているし、たぶんアスティカシア学園で使われているスマートフォン型の生徒手帳にだって組み込まれているんだろう。

 

 そのように有用な通信用レアメタルであるパーメットが、GUND技術やガンダムの危険性にどう関係しているのか?

GUND技術を用いた義体にはパーメットによる情報共有が使われているが、そこまではおそらくふつうの電動義体でも同じだろう。GUND技術の特徴は、人体にパーメットを流入させることによって人体の神経伝達と義体の動きをつなぐことだ。パーメットが情報を共有する性質をもっているので、自分自身の神経細胞の延長として使うことができるわけだ。これは画期的なことだ! 現代の現実社会では義体自体は動かせないか、意思だけでなく何かしらのコントローラーによる操作を必要とする(それですら下リンクの分身ロボットのように使えば画期的だ)。それに、破壊されたり寸断されたりした神経細胞を再生させつなぐことは残念ながらまだほぼ不可能だ。

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GUNDは義体をふつうの体と同じように、意思だけで動かすことができる。『プロローグ』にはGUND技術が車椅子などにも使われている写真がうつっているが、車椅子の動きや昇降機能にもいちいち操作や他の人の助けなくヌルヌル意思を伝達できたなら車椅子ユーザーが肩身の狭い思いをすることもかなり減るだろう。じつに良いことだ。

ただ、車椅子に使うと良いなら、自動車の操作では? 現実にも足を動かせなくなり手の操作でブレーキをかける車に乗っている人はいるし、さらに逆に足は動かせるけど手は動かせない人だと運転を諦めざるを得なくなったりする。そこを人体と車のパーメット伝達で補っては? ……となると、ちょっと不安になってくる。自動車の速さや大きさやパワーは「人体の拡張」をあまりに飛び越えている気がするからだ。それを、操縦するだけでなく神経とつなげて動かすというのは……。

そういう、「あまりに飛び越えたこと」のあまりにもあまりなやつをいきなりやらされてしまったのが、ガンダム開発だった。人体の補助目的のGUND技術を開発するために得たスポンサーが、技術のモビルスーツ操作への転用を求めたのだ。「力」を作れれば華々しい成果になるから。義体を自分の体のように意志で動かせるのと同じように、モビルスーツやその複雑な武器の操作を全部手でガチャガチャやらなくても直感的にヌルッと動かせるわけだから、GUNDフォーマットを用いたモビルスーツすなわちガンダムはかなり強力であった。3Dモデルのモーションを全部入力するより人間にモーションキャプチャつけたほうがいいことが多いのと同じだ。もともと「モビルスーツ」は「ロボット」ではなく、たぶん、人間の乗り物(モビル)と体に装備する鎧(スーツ)を合わせた言葉なのだから(ぼくが「ロボはだめなんだよ~」と鳴くと友達がよく「ガンダムとかはモビルスーツであってロボットじゃないから」と早口で言ったものだ)、パーメットで自分の体のように制御できるガンダムはまさしくモビルスーツの神髄ともいえる。

ただし、人間の神経、人間の脳はおおむね人間サイズの動きをするようにしかできていない。少なくとも今のところは。モビルスーツの大きさに無理矢理突然拡張させられた神経と脳は巨大な情報の奔流「データストーム」をぶち込まれ、処理能力を超えたコンピューターが熱暴走をおこして壊れるように、過負荷でクラッシュしてしまったのだ。この「人間を拡張しようとした武器が操る側の人間を殺す」事態を生命倫理、戦いの倫理に反する危険なものであるとして、のちのデリング総裁はガンダムを禁止しGUND開発機関ヴァナディースを抹消した。

 

 ところで、「情報が共有され、脳に流れ込んでくる」といえば、「宇宙世紀」の世界観でいう「ニュータイプ」人類の特徴である。「情報の共有」じたいには良いも悪いもない。ニュータイプは良きにつけ悪しきにつけ新しい感受性を発達させた革新的人類だった。人体へのパーメット流入は情報共有感受性を高め、ニュータイプのような新人類に近付いていく技術だともいえる。パーメットのデータストームへの耐性が高いタイプの人間が生来の特性としてはニュータイプに近いってことになるかな。

ニュータイプの情報共有感受性が高いことは、パーメットによるリンクのように感応脳波を用いた制御(サイコミュ)によりモビルスーツを自在に操る才能になるだけでなく、短期予知や敵の考えを読むこともできる。ララァ・スンのような肉体的には非力で古いタイプの人類の戦いでは弱者であったはずの人が、新しい人類の戦いの中では「感受性」によって強い力をもつことになった。アムロ・レイにしてもその当時のヒーローにしてはセンシティブでナイーブである。

そんな「感受性」の強さをもつニュータイプで最高峰の存在が、カミーユ・ビダンだ。アムロ以上のセンシティブさとナイーブさをもったカミーユは非常に高い能力とニュータイプとしての責任感をもつようになるが、それにつれて宇宙にあふれる多くの人の負の思念や死を感じ取るようになってしまった。敵とさえつながり心を感じ取る感受性の力は人ひとりの心にはあまりに重く、彼はアニメの最終回で精神疾患を発するという衝撃のエンディングを迎えてしまった。

ってなことをアニメ見たことないけど歴史として知ってる(ガンダムは歴史)。ガンドフォーマットが人体に与える「パーメットの呪い」はこのカミーユを呪ったニュータイプの負の特性とリンクしている。巨大に拡大する感受性、想いの共有は人の心をつなぎ宇宙規模になっていこうとする人類を革新する新しい希望だが、それは人の手には余る恐ろしい重みでもあるということだ。

 

 パーメットの力である「つながること」は、『水星の魔女』の資本主義偏重世界では単なる通貨のような資源や、情報戦や、「コネ」のかたちしかとらない。個人的な友情や愛情は価値をもたない。人と人が、人と技術が深く「つながる」ことは危険なことだとされているのだ。まあ確かに危険ではある。人間でも技術革新でも深入りせずに利益だけすくうようにしてれば面倒なことにはならずスマートだろう。

「本当に友達がいると思ってるやつは、バカだよ」
「知らなかったのか? ボクはバカなんだよ」

――『少女革命ウテナ』37話

しかし「つながること」の真価は「ミオリネの花婿になった者ベネリットグループを継いで大きな力が手に入る」とかみたいな経済的価値なんかではない。我々はコネのためだけにつながりあうのではない。ともに呪いを解き、新しい場所に走り出すために手をつなぐのだ。「政略結婚」が最初の問題としてドーンと立ちはだかるのはそういうテーマを暗示している。

『少女革命ウテナ』では、真に「世界を革命する力」に至ったウテナはアンシーを解放したが、アンシーを棺に閉じ込めていた世界中の呪いと悪意の剣に襲われて旧来の世界から消滅することになった。カミーユもそうであったように、人を革新する者、呪いを解く可能性を持った気高き者、「王子様」は世界の皆の身代わりになって死ぬ危険な運命も背負っている。「つながり」に呪われたスレッタとミオリネはパーメットの呪いを祝福に変えていくことができるのだろうか?

 

フロント/アーシアンとスペーシアン

 これまた現代の現実社会でもそうであるように、人類はもはやあらゆる場面で通信技術でつながり伝達することなしにはいられず、通信に有用なレアメタル採掘は社会問題を爆発させるほどの経済的価値をもち、奪い合われる。これもまた「人類の革新」のテリブルな側面だ。パーメットの採掘と開発事業は巨大な経済圏を形成し、人類世界の主導権は自然とそちらに移ることになった。

フロントミッション ザ・ファースト

宇宙経済圏の中心において、人間は小惑星を基盤としてその表面に「フロント」と呼ばれる居住スペースを築き上げた。人口増加の結果技官(テクノクラート)を中心として宇宙に追いやられるようなかたちで植民した「宇宙世紀」世界の「コロニー(そのまま植民地の意味)」や、地球に対する大規模「生産」の基地として設計された『機動戦士ガンダムSEED』の「プラント(工場設備の意味)」、ほかにもガンダムではないが『君を死なせないための物語』における保護管理都市「コクーン(繭、さなぎの意味)」などと比較できて、宇宙生活域の呼び名ってのにはけっこうテーマに合わせた意味があるようだ。フロントの人類、すなわちスペーシアンはおめーの席ねえからと厄介払いされて植民したのではなく、ゴールドラッシュで栄える街のように「フロンティア(開拓経済の最前線)」でキラキラセレブ企業しているのだ。ここがサンフランシスコだ。

結果、地球には経済発展にいまいち取り残された地元密着町工場みたいな企業が残り、経済的に重要な地域でなくなった地球と地球居住者アーシアンは政治的にもないがしろにされるようになっていった。現代の現実社会で地方都市の経済が低調になっていく問題とも似てはいるが、それと違って、たぶん『水星の魔女』の地球は人間の数がすごく減ったわけではないだろう。総生産が宇宙のフロントに対して著しく劣り、発展する宇宙企業からの恩恵をあまり受けらず、雇用も芳しくない、でも人口は多い……となれば、みんな慢性的に貧しい。

貧しい者が暮らす場所と富める者が暮らす場所が遠く離れていたら、もう差別感情とか人権意識とかの問題じゃなくて経済の原理として、貧しい者たちが顧みられず差別と搾取を受ける流れを止めるのは難しいだろうな……て暗澹としてしまう設定だ。「あんたらもいつまでも地べたにいないで宇宙で成功すればいいんじゃん?」みたいな。そういう問題じゃねーよ! 現実もこうなったらこうなっちゃうんだろうな~~。というかもうなってる部分がある~~~~……。

『ウテナ』には「力」全般の話はあっても経済格差くらいの具体性がある話はないし、現代の社会問題にも合致しているので注目の要素だ!

 

アスティカシア高等専門学校

 そんな経済格差の上澄みを集めた学び舎が、今回の鳳学園であるなんだっけ(公式サイト見る)……ベネリット立アスティ高専(東京都立呪術高専のリズムで)だ。

このアスティ高専はベネリットグループによる私立学園、略してト立なので、ベネリットグループ傘下の会社の推薦を受けた者しか入学することができない。ひらたく言えば経営者の子女や有望な社員のタマゴとして嘱望されている者など、今後のベネリットグループの利益に資する存在だけを利があるから育てている牧場のような場所だ。当然、グループにとってマイナスであるとデリング総裁に判断されれば学籍はボッシュートされる。学びは個人の人生にとってとても重大な問題で財産だが、経済のための牧場に学生が主張できる権利などなく、病気の家畜は処分で当然だからだ。

そして学生や親的存在の会社としても、その牧場ルールに従うほかなくなっている。経済の力の奔流の中で生きていくためには学んで力をつけなければならないし、何よりグループの中でのコネを作らなければならない。学園内には「ジェターク寮」「ペイル寮」「グラスレー寮」とベネリットグループ内の成績・発言権の大きい「御三家」の会社の名を関した寮があり、ほとんどの生徒がそこに属している。つまり、その寮の設備はそれぞれの会社が出資しており、学生が寮に属することはすなわち推薦企業がその大企業の派閥に属することを表明・援助を受けることになるのだ。地球企業から推薦された学生たちは潤沢な出資を受けられるはずもなく、どんどん拡大していっているだろう御三家の寮と相対的にどんどん小さくボロくなる地球寮でほそぼそと暮らし、それでも地元企業に何かを持ち帰るため学んでいる。

『ウテナ』でも冬芽と西園寺という「強い男になる予定の学生」筆頭は大人の強い男である暁生に従い、マチズモの世界にダイソン吸収されていく。有望な少年である幹も大人の男の音楽教師にパワでアカなセク目線を向けられダイソンされそうになっている。強い大人になるためには強い大人の言いなりの手駒になって何がおかしい、それが社会の流れなのだと、『水星の魔女』1話の時点ではグエルも自分に言い聞かせていただろう。

ト立アスティ高専では学生たちは学びの援助を人質にとられるようにして、将来の働き方や忖度しなければならないボスを決め、それに忠誠を誓わなければならない。なんか日本に顕著な奨学金問題やスポンサー忖度の問題を一気に思わせる。「親の言ったように生きれば安泰~身の程通りに生きない奴ってバカじゃないの笑」と思うタイプにはラクかもしれないが、未来が無限大であるはずの有望な若者たちが15歳かそこらでもう人生を決められて考えないなんて、ここは見た目明るく美しい学園なのに、生きる理由を鎖でシメて殺していく棺なのだ。

だがあの子は、今も柩の中にいる。いや、彼女だけじゃない。俺たちも柩の中にいるんだ。

――『少女革命ウテナ』35話

 『ウテナ』の鳳学園もまた「棺」として描かれていた。学園都市のシルエットはマジで前方後円墳のかたちをしており、そこは王子様の、あきらめず夢を見て何度でも呪縛をはらって立ち上がる気高さのお墓であった。子供のころにもっていた、なんでも叶えられる可能性、なんでも夢見られる自由な心は、ちょうど中高生くらいの時期に「しょせん人生は/大人とはこういうもの」という殻にぶち当たる。

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。
我らが雛だ
卵は世界だ。
世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。
世界の殻を破壊せよ。
世界を革命するために!

――『少女革命ウテナ』生徒会

以上の詩は『ウテナ』における決闘委員会にあたる生徒会が集合するたびに繰り返し唱えられる。

その殻は、破れば自分として生まれ飛び立つことができるが、呪いの重力は重く、苦しく、あきらめた雛鳥はそこを棺として生まれず死んだままに生きる。そして棺の中に生まれてくる子どもたちに同じ呪いをかけることになるだろう。

ちなみにこのウテナのラスボス戦の曲『体内時計都市オルロイ』の「体内時計都市」とは暁生にとっての、そして「棺」「卵の殻」から出られないすべての少年少女にとっての鳳学園の学園都市のことであると当方は解釈している。

ユングは“クロノス”と“カイロス”と言う、2つの時間の概念を使い分けている。クロノスは客観的な実時間、時計で測れる量的で物理的な現実の時間である。これに対してカイロスは、主観的な体感時間とでも言えば良いだろうか。個人にとって何らかの意味を持った出来事の起きている“その時”、質的な時間の事である。
クロノス(実時間)とカイロス(体感時間)。人間は、クロノス(実時間)に従って永遠を感じる事は絶対に出来ない。現在を過去と比較する事で時間の経過を感じている人間は、時系列に沿って経過を追うこと無しには、物事を認識出来ないからである。実時間としての永遠を感じる為には、無限に連続した時間を同時に把握する、神のような全知的な視点が必要になるだろう。しかし、カイロス(体感時間)でなら、概念的な永遠を感じる事があるかもしれない。カイロス(体感時間)はクロノス(実時間)に従わない。本人にとっての意味や重要性によって、長さが変化する。ある瞬間を、永遠に続くかのような印象の中に閉じ込めて、いつもでも振り返る事が出来るし、今感じている喜びや苦痛が、永遠に続くものであるかの様に感じる事も出来る。(中略)

『少女革命ウテナ』においても同じである。鳳学園は、楽園を失った瞬間の苦痛の中に存在する。現実に目を背け、カイロス(体感時間)の狭間に囚われている者達の、逃避する楽園なのだ。永遠に苦痛から目を背けている為に、永遠に苦しみを受け続けなければならない。彼らは、かつてあった楽園が永遠に続くものだと思っていた。既に失われたと言う事実と向き合えず、これを取り戻し、永遠のものとしようとした。失われた楽園は再び戻らない。しかし、これに固着した為に、新たにやってくる喜びが見えなくなってしまう。ウテナ以外の登場人物は、こちらの“永遠”を目指していたのである。

――サトウナンキ『少女革命ウテナ論 デミアン・オスカル・ユングそして賢者の石』(2004年)

『水星の魔女』より抽象的な精神世界の寓話として描かれている『ウテナ』では、暁生や御影が若く美しいまま年をとっていないことが示唆される。おそらく学生たちもループするように時の止まったまやかしの永遠を生きているのだろう。「体内時計」が限界に挫折した瞬間に釘付けになってしまうと、他者や世界と時間を共有することを拒む。この『体内時計都市オルロイ』の時計塔にはりつけになっているのが、『水星の魔女』ではプロスペラなわけである。

 

 アスティ高専は序盤の構図では、ダブスタクソ親父がミオリネを縛るためにも守るためにも閉じ込めている堅牢な卵の殻、そしてプロスペラという「死んでしまった王子様の呪い」が内側から爆発させようと呪いのスレッタ爆弾を送り込んだ敵地である。ふたつがかちあい、親の思惑を超える自分たち自身として、そして親にかかった呪いをも解く光として、比翼の鳥は飛び立つことができるのだろうか。

 

 

 次こそは登場人物の構造をやっぱり『ウテナ』から読んでるのを覚書きにまとめたいとおもう。

 

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↑『ウテナ』の下敷きになってるユング心理学の話とか

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↑「母親」の呪縛を「娘」がブチ切って高く羽ばたくテーマの話