湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

仰ぎて天に愧じず―遙か7幸村ルート感想

本稿では『遙かなる時空の中で7』の「真田幸村」個人ルートについて感想を言ったり考察したり八葉「天の青龍」の解釈をみたりしていきます。シリーズのネタはもちろん、特に『遙か7』全体に関係するハチャメチャなネタバレがあります。

 

遙かなる時空の中で7 通常版

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 未プレイの方向けに『遙か7』をオススメする記事はこちら

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 『遙か』シリーズの中での『遙か7』のテーマ位置づけについてはこちら

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 『遙か』シリーズ全体で「八葉」に共通する核となるイメージについてはこちら

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 『遙か7』の兄弟作である『ファイアーエムブレム風化雪月』の考察本を書いてたら一年経ってたのでリハビリ状態なのに、「すごい重い」「消化できない」とほうぼうで評判の幸村ルートにいきなりステーキ突入してみました。だって阿国と五月最後に残しといて余韻…て感じにしたくて……。ポンドステーキはデザートに食べちゃダメでしょ……。

しかし正直、天の青龍とはすなわち王道ヒーローのことであり、みんながすごかったと言ってるってことはおれには関係ないってことだなと陰キャそのもののフーンをしていたんですよ。

でも完全に早計だったよね 考えてみたらコーエーテクモに幸村をメインヒーローにされて『無双』ファンがなんも感じないわけがなかったんですわ。それにテーマもどこまでもよくできてて味が深い。遙か7はほんとすごいですよ。

他の感想記事の1.5倍くらい長い話なので注意してください。

戦国無双4 公式設定資料集

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幸村のキャラクターデザイン

 真田幸村といえば、「大名というより武人として」名を残した戦国武将の中では「本多忠勝」や「島津義弘」を上回る最高の知名度をもつ人物です。実際本人が考えていたことはどうであれ、保身のための利害っぽくなく最高権力者に突撃してみごとに散っていった事実は「日の本一の兵(つはもの)」と伝説になり、堺雅人で大河ドラマにもなりました。シブサワ・コウの3Dマップで。

よって、『テニスの王子様』の立海大付属中の真田くんと幸村くんの名前にもなっているように並ぶものなき闘将の代名詞になり、「六文銭の紋」「真田の赤備え」「十文字槍」といった彼のトレードマークはその華々しさもあっていろんなフィクションに繰り返し使われて定着しています。

また、その一騎当千・万夫不当の士ぶりによって、コーエーテクモゲームスの『戦国無双』シリーズを象徴するキャラクターとしてずっとメイン登場し続けています。上記の3つのトレードマークはいつも取り入れられつつ、「無私の義の心をもった、武士の本懐に生きる爽やかな好青年」としてデザインされています。

遙か7の幸村も、その基本要素を踏襲していますね。無双幸村のベースカラーである「赤と白」に天の青龍のカラーである深青を加え、さらに甲冑に西洋っぽいシュッとしたシルエットを取り入れることによって天の青龍らしい清潔な生真面目さと「ナイト」「騎士様」の印象を出しています。

【Switch】戦国無双4 DX

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 幸村・信幸(信之)兄弟の赤い装備や髪型、印象に似ているところはあるが違うたたずまいは、『戦国無双4』をちょっと意識してリフレインさせています。ジャケ絵を見ての通り『戦国無双4』は西軍と東軍に分かれた彼ら兄弟の運命の対決を中心として描いた作品です。別にこの作品をやらんと読み取れることが減るとかではないのですが、テーマにも関わりがあるので知ってると1.2倍くらいおいしい。

あとなんか昌幸パパの顔じゃっかん草刈正雄じゃなかった?(そうやって見ちゃうと幸村は堺雅人に見えてくるし信幸は大泉洋ちゃんに見えてくるしで大変だった)

 

 幸村は兼続とか長政とかと違ってキャラクター化されることが多いですし、武蔵のように今回の変則的な描かれ方でもないため、モチーフの意味はおおむね一般的な真田幸村像と同じと思っていいです。まさに王道です。

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真田幸村の紋として最も有名な「六文銭」は文字通り6枚の小銭であり、これは三途の川の渡し運賃、冥銭をあらわしています。要は緊急時のバス料金的な金額なので、とても財産と言えるものではありません。富貴を望まず、甲冑と死出の旅の最低限の運賃だけを身につけて戦場に出る、という潔い武人の覚悟を示します。

または、緊急時の運賃として常に身につける六文銭は旅人が無事に難所を越えるためのお守りとしても扱われ、困難な道でも前へ進んでいけるようにと願いをこめて旅の衣服に縫い付けられたりしました。

今回の「真田の赤備え(赤を基調とした軍装)」にはファイアパターンが描かれています。和のモチーフにおいては「火焔模様」と呼ばれます。パッと見では幸村の熱い心と、元ヤンっぽさを感じさせます(兄ちゃんは別に元ヤンではないとおもうけど)。『戦国BASARA』など他の作品でも真田幸村と火焔模様が結び付けられていることは多く、その情熱的な生き様と、あとは彼の人生を伝説にした大坂夏の陣で燃える大阪城を背に戦ったイメージが暗示されています。

火焔というモチーフは普段の衣服に大きく使うと派手なのでかぶいた模様となりますが、舞台衣装や神仏の表象にはよく用いられます。生命や感情(特に、憤怒)の燃えさかるエネルギーと、それが常に変化して止まらないこと、そして邪悪を清める神聖さと厳粛さをあらわします。いつもの遙かならば天の朱雀に当てられるモチーフですよね。天の青龍と天の朱雀の卦はこの「噴きあがるエネルギー」「止まらない」「邪を祓う」ということについて似ています。天の青龍の場合「噴きあがる憤怒のエネルギー」の憤怒が自分についての怒りではなく「義憤」的なものであることや、「止まらない」というのがゆらゆらと変化するってより常に前に推進し続けることが特徴です。ジェット噴射で飛んでいくような炎なんだな。

あと『戦国無双』の幸村はデザインコンセプトとして常になんか赤い額当て(鉢金)やハチマキをしててヒーローらしくされてるんですけど、遙か7幸村の場合も赤い頭飾りをしていますね。これは上田の伝統工芸品「真田紐」を示してデザインされているはずです。着物の帯締めやさまざまな梱包に使われているこの緻密な組みひも細工は、真田昌幸・幸村親子が不遇の身である間内職として編み編みしていたとも伝わっています。細い糸を編んで作られるものであるため、美しいだけでなくとてもしなやかで強靭、贈答品のおリボンにも、戦の資材をまとめる縄のようにも使われました。

現在でも真田紐はシンプルな美しさと武人の質実剛健な強さを兼ね備えた和のアイテムとして使われています。特にネモフィラのような「天色(あまいろ)」の糸が使われたものが幸村ルート的にはおすすめですね。和っぽい装いじゃなくてもブレスレットとかにいいよ。

 

幸村のシナリオ描写

 幸村は天の青龍であり、また「戦国の世の終わりを描く作品の真田幸村」である以上、この作品のメインヒーローです。

メインヒーローらしく、彼のルートではひときわドラマティックな運命が描かれます。物語に隠されていた「真相」っちゅうか、そういうものも明らかになるようにできていますから、なるべくなら後半に攻略するとよいでしょう。特に兼続ルートで三成との友情に関する情報量を増やしてからやるといいし、『戦国無双2』『戦国無双4』をやっておくのもおすすめです(ダイレクトマーケティング)。

 「真田幸村」という概念は、「石田三成」と同様にコーエーテクモの『戦国無双』シリーズやその他の戦国時代歴史フィクションの中で無限回の討ち死にをしています。いや、歴史ものなんだから誰だって無限回に死ぬし、ほかの武将がみんな畳の上で死んだわけでもなく非業の死なんていっぱいあるんですけど、歴史のクライマックスで、そこで死んだことこそが歴史に残っているというキャラクターです。

そういう物語は、源九郎判官義経の歴史の悲劇が「判官びいき(もう何も語れない敗北者に対して優しく、ロマンを感じる)」という日本人の性質の名にまでなっているように、日本人の心をとらえて離しません。義経や弁慶にまつわる逸話や歌舞伎とか、『平家物語』とか、南朝への忠義を最後まで貫いた楠木正成の美談など、無数のフィクションで再演され続けてきました。義によって(という名目にすぎなかったとしても)負け戦を最後まで華々しく戦いまっすぐに死んだ真田幸村はまさにそういうロマンと武人の誉れのド真ん中の、ある種神話のような存在です。

しかし、そういう「死んだ王子様」とでもいうべき気高く美しい敗者のロマンは、複雑な気持ちを内包しています。彼らを愛した後世の人間はこう考えます。「かわいそうな彼がここで死なずに生き延びていたらよかったのに……」。しかしそれは「ここで散ってしまった(からこそ)彼の物語はこんなにも胸をしめつけ、美しい」という気持ちがあるから生まれる願いであり、判官びいきはその気持ちが成立した時点で矛盾したアンビバレンツな感情です。戦国無双のファン、毎回「幸村っ……なぜ死ぬっ……」て思う。いや死ぬわいな。幸村なんだから。わかってる。でも思う。

ていうか、判官びいきに限らず、「戦国もの」に対する我々のもののあわれロマンの感情じたいがアンビバレンツなんですよ。幸村ルートには特に顕著ですけど、そもそも「愛する人に危険な戦いをしてほしくない」のであれば、戦国ものになんて接しなければいいのですから。それでも、現代では武力紛争で命を落とすことってどう考えてもいいことじゃないのに、我々は「真田幸村」に、武将たちが戦って生きて死んだことに美しさを感じてしまうのです。この意味で、遙か4の忍人ルートにも通じます。

その、現代のわれわれから歴史の戦いへの、愛の矛盾にひとつのケリをつける、のが幸村ルートです。

言ってしまえば「戦争と暴力と死のロマン」である戦記ものを生業としてきたコーエーテクモゲームスが、その象徴たる真田幸村と恋をすることに本気で向き合ったテーマが幸村ルートにはみごとに描かれています。コーエーテクモの歴史ゲームを愛してきた人だけではなく、戦記ものの小説やゲームを「みんな幸せになってほしいのに」と思いながらも愛してしまうすべての心に届いてほしい物語でした。

 

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 「真田幸村という概念」や「戦記ものへの愛」へのアンサーがあるだけでなく、幸村ルートに描かれている真田幸村物語は遙か7の主人公自身の物語と強くリンクしています

上の記事にも書いたのですが、そもそも天の青龍がメインヒーローの特別な扱いであるのは「若くさわやかなナイト気質の戦士」という卦の人物像がそれに最適であることに加えもうひとつの理由があります。それは天の青龍の「巽」の卦のあらわす「流れる風」「前へ行く」「とどまらない」という性質が、白龍の司る「陽の気」の性質として遙かシリーズで描かれている性質と合致しているからです。(ちなみに、この性質は『アンジェリーク』シリーズのメインヒーローになることが多い「風のサクリア」のもつ性質でもあり、風のサクリアは白龍の神子の位置取りのようにほかの8つのサクリアの中心に位置して表現されます)

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いわば天の青龍は「もう一人の白龍の申し子」です。主人公はプレイヤーのエントリープラグなので主観で描かれ、プレイヤーと完全に分離しませんが、天の青龍は白龍の申し子のテーマを「他者」として見ることができる、鏡のような存在としても描けるのです。今までのシリーズだと遙か3の将臣がそういう役割を果たしてたかな。幸村はその生きざまからして陽の気に愛された人物なので、シリーズの中でも主人公の物語とリンクする性質が最も強い天の青龍です。そこをふまえてプレイすると二重に楽しめますね。

 

 そして、「ナイト気質」である天の青龍ですが、「女性や弱者に優しい騎士様」に「男だろうが女だろうが決意した人間は戦って生きんだよ、守られるばかりではない」と告げるのも天の青龍ルートのルビーパーティーらしい醍醐味です。戦国の世、という戦う男たちの美学、駆け抜ける全力の生命の舞台で、そう宣言して認められるのはロマンそのものです(乙女ゲームのロマンじゃねえかもしれんけど今の時代人間と人間のアツ関係に区別なんてないよな)。

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『パレドゥレーヌ』のアストラッドやヴァルター、エヴァンジル、ヴァン、ユークレース……まいったな、アツい騎士の物語は全部該当するのでパレドゥレーヌの騎士たちのシナリオがおおむね箱推しで好きな人にはおすすめです。『遙か』シリーズでは頼久、天真、イサト、幸鷹、将臣、九郎、弁慶、銀、風早、布都彦、忍人、チナミ、高杉、有馬、秋兵のシナリオ(多い!)が好きな方にはよいかと。他ネオロマでいうと『アンジェリーク』のランディ、ヴィクトール、ティムカ様、ユーイ、『金色のコルダ』の月森、火原、律、八木沢、あとヴァイオリンロマンスの概念が好きな方にはおすすめです。

 

永遠のヒーロー

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 幸村は、主人公と出会った遙か7の作中では完璧なヒーローです。礼節を重んじ、いつも穏やかな笑顔で、乱世の悲しい習いを知っていながらどこまでも正直で素直な善人。それでいて弱者が傷つけられそうなときにはためらわず勇猛に戦います。遙か6の有馬もたいした英傑でしたが、それに人好きのする性質まで加わってまさしく完璧な王子様です。

礼儀正しい天の青龍には珍しく「昔はかぶいていた」「キレるとヤンキー(大和談)」とはいうものの、そのやんちゃな少年時代も関係のない人に迷惑をかける珍走団ではなかったようです。三成、兼続とともに義賊的なヤンキーをやっていたらしいですね。

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礼節を身につけた現在の幸村自身はそのヤンキーな過去を「お恥ずかしい」とか「あのころは不満をもてあましていたのです」とかテヘペロしますが、大阪には当時の彼の無謀なヤンキー行為に助けられた、あるいはともにバカ騒ぎをした名もなき人々がたくさんいるのが描写されています。領地でも民たちの中に入ってともに畑仕事をしたり、作物や酒を持っていってくださいと言われたり。じつに多くの人が幸村の正直さ、まっすぐさを慕い、体を張って助けられたことに同じように心から返そうとします。

兼続はこのことを何かにつけて「幸村は幸せになるべき男だ」「あいつのような善意の塊みたいなやつが幸せになれないんじゃ、世の中のほうが間違ってる」と言います。兼続や三成という計算高いタイプの性格の人間から見ても幸村はどこまでもためらいなくクリアに善すぎて反感とか持てず、三成をはさんで敵同士である長政からさえもあっぱれな男であると高く評価されています。とにかくみんなが「こいつほんといいやつだな」になってしまうのです。

この、人の心にいつの間にか入り込み、善意と好感を与えるという天然タラシ性もまた天の青龍の巽の卦の「風」の性質に関係します。巽の卦の動きをあらわす動詞(卦徳)は「入」。空気の流れはどこにでもするりと入り込み、それが天候を変化させていくという意味です。今作のイメージワードでもある、目に見えぬ無垢な風の流れによって雲が運ばれる「風雲」は、白龍の陽の力に近くもあります。

 

 しかし、兼続の「あいつが幸せにならない世の中なんて…」という言葉は、逆説的にというか、「幸村はその善なる心に見合うようには幸せになれてこなかったし、今後もなれないのではないか、こんな世の中じゃ。ポイズン」という、切ない意味を含んでしまってるんですよね。

あの蒼ざめた海の彼方で
今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ

――中島みゆき『銀の龍の背に乗って』

銀の龍の背に乗って

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そもそも、最初にお話しした「判官びいき」の例でいうと、人の心をギュッととらえ幸せを願われずにいられない「いいやつ」というのは、も~~その時点で構造的に「優れているのに、善良なのに、がんばってるのに、かわいそうなやつなんですよね。

「永遠のヒーロー」は平凡に生きながらえることが不可能です。平凡に生きながらえていたらいずれは汚れて醜態をさらすようになるから、その前に死んだおかげで「永遠」になり美化されることができるから、ていうのもおおいにありますが、それだけではありません。平凡に生きながらえることより義をとり、「誰かの平凡な幸せ」をあがなう代わりに戦いに身を投じてしまった人のことを、「永遠のヒーロー」と人は呼ぶからです。

今までの天の青龍の全員に共通する要素がこの「自己犠牲」というか、「己の保身を捨てた、己をむなしくした献身」です。風は、何も自分のもちものを持たず、地上の矮小な利害や臆病につかまることはありません。

幸村は多くを望まず、無欲で、素朴な幸せに満足します。利がなくても、損をしても、人を助け人の幸せを喜びます。『銀河英雄伝説』のキルヒアイスのように、そういう無私のふるまいを本心からできる強い人はめったにおらず、多くの人から愛される英雄となります。天の青龍は幸村や将臣のように朗らかであれ頼久とかのように寡黙であれ、どちらでも高い人徳をもちます。

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その善と強さはある種常軌を逸していて、幸村が「幸村はそれでいいのか?」と聞かれ「いいのです」と答える場面は作品全体を通してめちゃくちゃあります。八葉は基本的に全員かなりの善なる人間なのに、その中でも心配されるほどの善人ぶりは、もはやこの腐敗した世界に落とされているのが不自然なくらいのゴッズチャイルド。彼のカラーやキーアイテムであるネモフィラの花などの「青」があらわすように、「不可能な存在」なのではないか?……と、矮小で小細工でなんだかんだしつつも保身に走る兼続タイプの当方はおもったわけですよ(善人を見ると不可能って言うのやめろよ!)。

 

 なぜ、何が、幸村を……そして、天の青龍たちを、「あらかじめ犠牲になることが定められた存在」、「不可能なヒーロー」にするのでしょうか? 彼らは美しく死んで人の心に爪痕を残したいバカヤローなのでしょうか?

その答えは、今までのナンバリングタイトルでは当方にはいまいちよくわかりませんでした。ふつうの弱い人間である自分にはよくわかんないもんなんだろうな、それでも天の青龍の無私の強さはカッコいい、とおもってきました。

でも、幸村ルートにはその中身が丁寧に描かれていたような気がするんです。

 

義の炎

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 「幸村はそれでいいのか?」「いいのです」を連発する幸村も、炎のように怒りを燃やすことがあります。作中で幸村がとっても怒ったのは、主人公が傷つけられそうなときや日の本の未来じたいを破壊しようとする各種黒幕に向かっていくときはもちろん、おおむね以下のような場面でした。

  • 女子供が無理やり人買いにさらわれそうになっていたとき
  • 秀頼君が何者かに呪詛されたとき
  • 弟が毒殺される原因となった徳川家康に対して
  • 弟の仇である徳川方につこうとする兄に対して

親友である三成が東軍方に捕らえられ処刑されたこととかにももちろん怒りますけど、そのへんは戦国の世の習い、お互いの信念の違いによる仕方のないことである……といつもグッと我慢しています。それさえグッと我慢できる幸村が怒りを我慢しない上記のタイミングの共通点は、「弱く罪のない者が乱世の犠牲となり、顧みられない理不尽への怒り」です。

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大阪時代のかぶいていた幸村が暴れまわっていたのも、「地下人(じげにん)」、つまり身分が低い庶民たちを救うために「危ない橋を渡って」いたからです。当時、京や大阪などの畿内は応仁の乱以降荒れまくっており、足利義昭や織田政権、豊臣政権に建て直されてもまだまだ庶民レベルでは暮らしが再建されていませんでした。身分や財産や仕事による格差も激しかったからです。このへんの時代感は大河ドラマ『麒麟がくる』にもよく描かれていますね。

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幸村はその理不尽に怒り、世に正しき義が行われることを夢みて、手の届くできる限りを助けようとしました。こういう怒りを義憤といいます。「義侠の徒」とはすなわち社会秩序にそむいてでも理不尽に反抗し、弱きを助け強きをくじくもののことです。

幸村が義によって怒り、利なくとも命を張って他人に助太刀するのは、若き日の幸村自身が乱世に翻弄されたことの怒りから発していたと、のちに察せられます。幸村は上杉の人質になるため家族と引き離され、友達はできたけどおうちに帰れず、その間に無辜なるかわいい弟が毒饅頭を食べて苦しみのうちに死んでしまい、おのれの無力と乱世の理不尽にア゛ーーーッってなり、馬を爆走させました。

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馬を飛ばすのは、わずらわしいことが流れ去っていくようだから好きだと幸村は言います。「風になる」ってよく言いますよね。実は、義によって怒り無私の善意を行うこともこれと同じ、「風になる」ことです。

どういうことか?

 

 兄・信幸が家を割って徳川方につくと言い出したとき、幸村は「なぜだ! 兄上は卑劣なやり方で楽丸を死なせたあの男を許すというのか!」と怒りまくり、信幸が出て行ってしまってからもずーっと納得できない!と怒り続けました。普通の人間ならば当たり前の感情ですが、幸村の場合はあまりにも純粋で、身内相手だから駄々をこねて「なんで!なんで!」と泣いてしまっているかのように見えます。

純粋な幸村が「なんで!」と泣いているのは、本当はここだけではなく、いつもです。

……「こんな世界は間違ってる」と強く感じた人がどうするかには、おおむね4種類あるなっておもいます。兼続や宗矩たち社会的な大人なら、「少しずつ世界のありようを変えよう」と考えます。ターラや大和は「思い知らせよう」と感じ、阿国は「世界に極力参加せず離れよう」と諦めました。そしてもう一つが、「世界が間違っているとしても、自分だけでも正しくあり続けよう」とすることです。これが幸村の、いうなれば、意地なんですよ。「善の八つ当たり」みたいなこと。くそったれ!と叫んでみては?

幸村はずっと、不可能なまでの理想を貫いて生きる無私の「風」になることで、自分や乱世への怒りと苛立ちのせつない涙のすべてを、風圧でブッ飛ばそうとしてきたのです。

 

天の風、地の希望

 無欲で無私の「風」として生き、未練を残さずに吹き過ぎていこうとする天の青龍はいつも、「置いて行かないで」「もっと自分自身の望みを大事にして」という寂しさをプレイヤーにもたらします。

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「真田幸村」という物語は、初めから桜の花のごとく、儚く風に吹き散って空に消えてゆくせつなさが約束されています。あとには乱れた草と人の心以外、なんの痕跡も残さないのが風というもの。

べつに風だって好きこのんで人を悲しくさせてんじゃないんですけどね。龍神の申し子である主人公が戦国の世界のすべてを愛し救いたいと願うように、幸村は地にある小さき人々、小さき幸せを穏やかに愛します。死にたがりってわけじゃないんです。ただ、風なんで、行くべきときにはためらいなくヒューッって行ってしまうだけ。

繰り返しているように、天の青龍のこの「風」の性質は白龍の陽の気の性質に通じるので、幸村ルートでは「風である幸村がどうやって地上の幸せとつながっていられるか?」ということと、「主人公がどうやって人としての心で幸村とつながっていられるか?」ということがリンクして描かれています。

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「主人公は白龍の神子ではなく、白龍そのものが人の身に生まれたものである」という真相が幸村ルートで明かされるのはそのあたりのことを描くためです。幸村のイベントで引用される『甲賀三郎伝説』における「龍になったが愛する春日姫のもとに人として戻ってこられた三郎」という筋書きは、「三郎」と「春日姫」のどちらもが相互に幸村であり主人公でもあります。どちらも「行ってしまう側」であり、「愛によってつなぎとめる側」でもある。この双方向性は宗矩ルートと通じますね。

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 「風を地に、神を人につなぎとめるもの」、それはもちろんラブや、写真に切り取ったり強く心に残った「人としての人生の、思い出の積み重ね」です。写真や大事な記憶の思い返しは風のように消えていく一瞬一瞬の「今」をとどめ、いとおしむことができるものです。

 

 加えて幸村ルートでは「風と地がつながる」もうひと側面が丁寧に描かれています。そのカギになったのが「ネモフィラの花」でした。

幸村は美しい花の咲き乱れる現代の主人公の家の暮らしをすばらしいものだと愛しましたが、「じゃあ花の種を持って行ってください、そっちでも植えたら…」という申し出を最初断りました。乱世では、美しい花の芽もいつ戦で踏み荒らされるかしれず、次の季節に咲く花を自分がそこで見られるかもわからないから、と言って。幸村は勇猛な風として前だけを見て駆け抜けるために、地に未練な心を残すわけにいかないと思っていたのです。

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幸村と心を通わせ、彼の弟の墓に詣でた主人公はそこに二人でネモフィラの花の種を植えることになります。「花の種は明日の世界への希望だ」という主人公の心にうたれ、幸村は今を正しく駆け抜けるためだけでなく、明日咲く美しいものを守るために戦うことができるのか……、と思うようになりました。花の種を植えたことは決心を鈍らせる情けない未練ではなく、未来を切り開く理由になったのです。

大阪城落城に際して、幸村は淀殿と秀頼君をかなりダメっぽい状況なのに命を張って逃がしました。秀頼君は、「花の種」なのです。三成との約束を守るためだけではなく、いつか咲くかもしれない、小さくて美しいものの明日を巨人の足から守るために幸村は奮戦しました。

ただ義に生き義に散っていくためにではなく、死ぬまで義を果たし続けるためにではなく、明日咲く花のために戦える。「花の種」は、たとえやっていることが全く同じでも、幸村の心の中を大きく変えたのです。

地に咲いたネモフィラは空の青を、幸村と主人公の澄んだ心を地上に映して、残された人々の心にその可憐な美しさを届け続けるでしょう。

 

咲くや、この花

 弟の死への怒りをおして自分なりの考えで兄が出ていき、家族で争わなければならなくなったことをどうしても納得できない幸村は、こんなときどう考えたらいいのかと五月に聞きました。五月は、「相手の選択が受け入れがたくても、事実として尊重する」と言いました。幸村はそれを胸に刻み、兄の選択を尊重しようとつとめました。

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幸村の「家族で争い合いたくない」という思いは「正しい」ものだし、素朴に兄を思うゆえの気持ちですが、人生の選択はときとして「正しい」「愛する人と平穏無事に暮らす」だけを目指すものではありません。そういう選択が、兄だけでなく幸村の愛する人、主人公の人生にも起こります。

「人としての姫の心と命を保つため、これ以上龍神の力を使ってほしくない」「ずっと平穏無事に生きてほしい」と頼む幸村に、ありがとうわかったよそうするよ、と言ったならば、物語は「真田幸村は友と約束した義を果たし、主人公とみんなを置いて風のように逝ってしまいました~完~」という、まああたりまえ体操なエンドを迎えます。トゥルーエンドへの道は「心配はありがたいけど信念のために必要な時が来たら私は力を使います、すまん」と答えた先に開けます。

ここで注意したいんですけど、あなたが心配してくれるんだから力を抑えて自分を大事にして暮らすよ……というのが、間違っているわけでは決してありません。ていうか、アナザーエンドだと主人公は無事で生きてて、トゥルーエンドだと二人ともこの世の人ではなくなってるわけですから、どっちが「より良い」とかって話ではないんですよねこれは。あえて「どっちが正解」ということにしないために、トゥルーエンドは神域の彼岸で話が終わっているんだと言ってもいいです。これは「生きながらえるかどうかはメインの問題ではない」と描いた遙か4の忍人ルートと同じ構造です。

ではなんの話なのかっていったら、「その人にとって命を懸けるに足る義があるのか、否か」っていう、そこの話なんです。

 

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 主人公が「私は自分の守りたいと思うもののために命をかけたい」という固い決意を示すと、幸村は苦渋ながらそれを尊重することにし、心を決めます。

「あいつを止めてくれ、おまえなら人としてのあいつを守ってくれると思ったのに」と言う五月に、幸村はもはや晴れやかな顔をして「姫は姫の心のままに生きたらいい。私はそれを事実として尊重し、お守りする」とかつて五月自身に教わった考え方で返しました。

かくして、なるべく龍神の力を使ってムリをしないようにがんばりながらも、「その時」が来てしまい、主人公は人としての命を懸けることになりました。しかしやり切った幸村と決意した主人公の顔に悲愴はなく、恋人たちはビックリするほど晴れやかに微笑んでその時を迎えました。

夢が迎えに来てくれるまで
震えて待ってるだけだった昨日
明日 僕は龍の足元へ崖を登り
呼ぶよ「さあ行こうぜ」
銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んでいこう 雨雲の渦を

――中島みゆき『銀の龍の背に乗って』

 

 幸村は兄の道を理解できなくても、悲しくても、尊重することに決めました。固い信念に生きる人に言うことをきかせて手元に閉じ込めても、その人の心を大事にすることにはならないのだと学びました。だから主人公の選択を尊重できました。命は生きても、心が死ぬというときがある。決意した風を閉じ込めようとしても、風の心が死んでしまうだけ。それは幸村も同じです。

人間はなんのために人生を生きているのでしょうか? いや、ただ生きるために生きる、それでぜんぜん十分で尊いです。でも、「それだけ」が大事なのでしょうか?

幸村は淀殿と秀頼君を逃がす説得に、「いずれ秀頼様が己のすべてを懸けるに足る義をみつけるまでは生きるのです。何も恥じることはありません」と言いました。

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真田幸村、ひいては戦記もののロマンって、「死を美化している」と批判されることがありますよね。そこにひとつのアンサーを返したのがこの幸村ルートの大阪城での問答だったとおもいます。命は、粗末にされてはいけません。人の穏やかな暮らしが踏みにじられることは許すべきではありません。だから幸村は弱者を守り、しかし一方で負け戦を駆け抜けます。

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これはどういう矛盾なのか? 清らかな人は死んじゃだめで、自分は死んでいいのか?

大阪夏の陣で武士として誇らしい討ち死にをしようとする幸村たち豊臣忠義の士の命と、武士の頭領としては恥ずべきとされる逃亡をはかって生き延びろと言われた秀頼君の命の間には、なんの差があったのでしょうか?

幸村にとってそこにあったのは、身分や強さや気高さの違いではありません。投げ出されていい種類の命があるとか弱いものはとにかく守られるべきとかいうことではなく、幸村はすでに命を懸ける義をみつけ、秀頼君はまだそうではなかった、というだけです。

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この場面は、「私は龍神の神子なのに、一人でメソメソしてたら私を信じて戦ってくれるみんなに申し訳ない」と涙を我慢していた主人公を「泣いてもいいではありませんか」と優しくかばった場面と対応しています。「龍神の神子だから」「天下人の跡継ぎだから」「立派な人間であれってみんなが期待するし、そうであらなきゃって思うから」なんてやせがまんの理由で、自然な気持ちを我慢することはありません。そういう素朴な心を幸村はそれでいいんだよって守ってくれます。人がムリをすべきなのはそういうときではないからです。

弱くてもただただ生きるために、そして命を懸けるべきものがみつかったときにだけはまっすぐに走るために、人はこの命を授かったからです。だから幸村は「それ」をまだ持たない人を守り、方向は違えど同じように義をもつ人とともに命を張って戦って生きるのです。そして、「守るべき姫君」だった主人公はいつしか、幸村に見守られ、同じ義をもって戦う強い人となった。

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嗚呼 我が人生 ひとかけらの悔いも見えぬ
此の意地貫き通して 命を咲かせたゆえ
幾多の戦と笑いと 共に過ごした面影
胸に抱き 土煙の中 敵前にいざ進もう

――真田幸村(草尾毅)『青冥之鷹』

 われわれが真田幸村の伝説を、戦記ものを愛し、あこがれを抱くのは、「人がいっぱい死ぬのが楽しいから」という残酷な理由でないとすれば、彼ら武将たちのもつ「命を懸ける理由」の輝きを愛しているからです。命を失うこと自体ではなく、命がかげがえなく大事であってもそれを危険にさらすことも厭わない信念がこの世にあることにあこがれるからです。

幸村ルートは戦記もののその側面を主人公の物語と呼応させて純化し、青くきらめくエッセンスとして示してくれました。

 

人生の光明よ

 白龍の姿となってしまった主人公の背に添って、魂を通わせた幸村は、そのまま神域に連れて行ってくださいと言うことだってできたし、エンディングをふまえればそのくらいのことは可能なはずですが、そうしませんでした。自分は自分の人生でやるべきことをするので、それが終わったら迎えに来てほしい、と言ったのです。

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 さっきの「命を懸けるに足る義」の話とも関係するんですけど、平成の時代って、人と人が仲良くやっていくために「心を一つにする」「同じになる」ことが重視されてたっておもうんですよね。上の引用は、今ふたたび孤立をおそれず自分の心に従う「勇気」を見直すときが来ているんじゃないか……っていう話です。

 男と女が添い、家族になるということは、旧来の物語では「どちらかの道をどちらかに添わせる」「ふたりの道をひとつにする」ことだと思われてきました。それこそ幸村に説得されて主人公が折れ、帰らぬ彼の帰りを待つ恋人になるアナザーエンドが「ふつう」です。しかし、もしふたりともが「曲げられぬ義」をもっていたら、どうなるのでしょう?

いや、どうなるっていうか、旧来は「ふたりは愛し合いながらも一緒にはなれませんでした」あるいは「一人は愛のために意地を曲げ道を変えることにしました」というエンドになってたんですけど。

そのどちらでもない、新しい時代の答えがあるのか?

 

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 「男子にとって愛しい女性は人生の光です」と兄・信幸が言ったこのシーンは、ふつうに考えたら「帰りを待っていてくれる、つらいときに思い出せる女性がいるのはすばらしいことだ」とかそんなかんじの意味です。しかし、幸村にとっての主人公はそれだけにとどまりませんでした。先ほども述べたように主人公は「愛しい姫君」であるのと同時に「それぞれの義に命を懸ける、対等に尊重すべきひと」にもなったからです。

これはもう、概念的には、三成や兼続などといった「男の友情」とも似た、距離や時間や生死をも越える戦友の絆です。

日の本を守り白龍になって神域にゆく主人公はいわば「全身全霊を懸けてみごと使命を果たし、彼岸へ行ってしまった友」みたいなものであり、幸村はそんな友に恥じぬよう人生の義を果たしきる、一択です。主人公の志を閉じ込めても心が晴れなくなるだけだろうと尊重したように、もし一緒になれるチャンスが永遠に遠のく結果になったとしても、幸村が義をあきらめることは主人公が愛してくれた心と人生の積み重ねを無にすることだからです。

天に帰る主人公に愧じることのない、やり切った状態になったときに自分たちは結ばれることができるのだと、ていうか、自分の心に刻んだ義をやり切ることこそが本当に主人公とともに生きるってことだと、幸村は自然に悟ったのです。

今生でそう別れがいつ来ようとも
天に愧じるは何もない
目指すものは光る……
黎明の時

――真田幸村(草尾毅)・直江兼続(高塚正也)・石田三成(竹本英史)『仰ぎて天に愧じず』

幸村ルートはすごい、「真田幸村と戦友として固い絆で結ばれ、お互いに恥じぬよう最後まで戦いぬこうぞと約束を交わすゲーム」ですよ。こんなん無双武将じゃん。誓った人生をやり切ったとき約束を果たして天から光になった好きぴが迎えにくるエンディング、戦国無双3のクロカン(長政のパパ)じゃん。おれ、無双武将化決定。竹中半兵衛。

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義を認め合った戦友に、ずっといっしょにいることはそんなに重要ではありません。いつ道が別れても、もし今生でもう二度と会えなくても、ただお互いのすばらしさ、誇り高さにふさわしく、天に向かってそれぞれの生き様を示すのみ。

それが戦友の隣にいるということであり、そうでなければ顔向けができないのです。まして幸村の愛する人は、天にあっていつも日の本を見守っているのですから!

 

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 幸村が人の世で果たすべき義をすべて果たし、天へのぼる風となった大阪夏の陣は、こっちの世界の史実では1615年。上田で戦った天下分け目の戦いから、実に15年後のことです。だから八葉や大人たちのキャラクターの立ち絵はイメージとしてそのままでも、あやめちゃんの立ち絵は表示されません。きっとすっかり素敵な大人の女性に成長していることでしょう。

こっちの世界の史実と年数が同じじゃなかったとしても、あやめちゃんの立ち絵が出ないのに気付いて、ああ、それだけの時が経ったんだな、幸村はずっとがんばり続けてきたんだ……と、しみじみとわかりました。決して「早く姫に連れて行ってほしいから手早く義理を果たして死ぬゾイ!」みたいに思うことなく、まじめに正直に生き抜いたのです。天下分け目の敗戦の直後はややヤケになってて「これで上田の民への義は果たしたことになるしあとはえーっと……」と義の消化試合状態になって早いとこすべてを捨てて風になりたそうだった幸村が。

(こういう自己犠牲的な心の変化の物語は、2021年発売のルビパ制作ゲーム『バディミッションBOND』のとあるキャラクターにも描かれています。オススメ)

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主人公は幸村の胸をあたためる愛しく美しい光であるだけでなく、それだけの年月天から幸村の人生を導くしるべの光ともなったのです。「男子にとって愛しい女性は人生の光」。ネオロマンスシリーズはずっと、「あなたはすばらしい男性に守られ支える愛すべきお姫様であるだけにとどまらず、彼を導く気高い女王でもあれる」という道を女性に示してきました。決意した人同士の絆は、此岸と彼岸をも越えてこうしてお互いを高め合い導き合う光になり、守り、守られ合う心の剣と具足となります。

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嗚呼 我が人生 武士(もののふ)として生きて散ろう
生き様示す其の為に 乱世に生まれたゆえ
幾多の出会いと別れよ 友よ 彼岸(かなた)にて逢おう
晴れやかに亦(また)笑ってくれ 遠き日に逢った如く

――真田幸村(草尾毅)『青冥の鷹』

 主人公と幸村が人としての人生のあいだに結ばれず、神域の彼岸でやっと抱き合ったことは、「あの世で一緒になる」といって旧来ならメリーバッドエンドというか、喜んでいいのか衝撃を受けるエンドになっていたとおもいます。でもこれはそういうものじゃありません。だって、お互いに人として九度山で(幸村が死にに行くまで)仲良く暮らすことだってできたし、何よりこの神域の二人だけの永遠は、人としての人生をあきらめた先ではなく、人生を生ききった先にこそあったのですから

「人生を走り切ったあとじゃなきゃ結ばれない」ってことじゃないです。ふたり、それぞれの義をつらぬき、慕い合って互いの心を守る。青く光る天を地上に映す可憐なネモフィラの花のように、お互いがお互いの澄んだ導きの光となって、離れても相手という光に向かって生きる。それが彼らが「家族になる」こと、つまり「ともに生きていく幸せ」のいちばん大事なところになったのです。

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まだまだ世の男女や家族たちがたどりつくのは困難で、多くの人にえっと思われるような、理解のむずかしい愛のかたちだとはおもいます。でも、これからの時代は、価値観や信念の違いの摩擦を愛だけでなんとかするのは正直ムリだし、愛でなんとかなるって考えるのはそれこそ、相手の心を無視する不誠実でもあります。それぞれがそれぞれの命を咲かせる権利があり、その花のような、炎のような心をこそ、われわれは愛し合うのですから。

「愛する人でも、家族でも、自分と平和にいっしょに暮らせることより大事な信念があるなら尊重する。それは愛や家族をあきらめることにはならない」というのは、難し~~いメッセージです。

でも、それをこのうえなく晴れやかな青と彼らの笑顔に託して描いた幸村エンドは、ルビーパーティーからこれからの時代のわれわれの人生への、祈りと祝福です。あなたはあなたのままで、思うままに生きて、大事にしたい信念を生きていい。いつまでも輝いて、晴れやかに笑っていてほしい。

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それを幸村は尊重し、愛しているんだよ……と。

 

 

 今回タイトルを最初は「走れ正直者」にしてたんですけど、絶対若い子どころかアラサーもわかんないなと思ったんでやめました。いつだってオレは正直さ 近所でも評判さ

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次はいよいよふつうに個人的に好きなタイプの背の高いおねえさん(男性)である阿国さんルートに突入したいとおもいます!! 背が高くてやさしいおねえさん大好き 風化雪月のメルセデスとか

 

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