前回記事
↑では、「ロトの子孫」が何者なのかについて、「貴い血筋(貴種)」と「天命」の点からなんやかんや言いました。
「ドラクエⅠで勇者がロトの子孫として旅立つが、結局本当にロトの子孫なのかどうかはあえて明らかでない」ことについて、前回の内容をまとめると、
①「選ばれし血筋の者」というのは誰にでも感情移入しやすいエンタメ王道で
②血筋の特別な優位性があってもなくても「天命」はくだることがあり
➂力をもったものが「そうなんです」と言えば血筋の「証拠」は認められるんだよ
てなところでした。
後半である今回は、「勇者」つまり「勇気あるもの」の、「しるし」としてのロトのしるしというアイテムについて話していきたいと思います。
ロトの「紋章」
ドラクエⅠで件の毒沼で足にひっかかったばっちいやつを拾ったとき、当方はすぐに「金属製のものが浮いてくるわけないし毒沼に沈んでいたとしたら腐食しているわい」と考えました。前回記事のサムネイルのような、金属製である程度重みのある片手大の平たい物体をすでにイメージしていたのです。
それは少年時代『ロトの紋章』を読んでいたからです。

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- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
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このマンガはドラクエⅢとドラクエⅠの間の時代の話で、Ⅰの勇者の子孫がⅡで3つの王国を治めているのとまるで同じように、Ⅲの勇者の子孫が3つの王国を治めているという世界観設定です。
そのあかしとして、主人公であるカーメン王国の王子アルスは上のような「ロトの紋章」のプレートの下半分を受け継ぎ、ライバルであるローラン王国の王子ジャガンは上半分を受け継いでおり、真ん中の赤い玉は地下世界アレフガルド担当の王家が受け継いでいます。この作品ではこうした「ロト朝」とでも呼べる王家の者が勇者の才を持っており、デイン系の呪文を使うことができます。なので血統としても物的証拠としても遺伝的能力としても天命的にも彼らが「ロトの子孫」であることに疑う余地はなかったのです。
これをすぐにイメージできたため、結果的に理解は速く正確だったのですが、しかしこの知識のゆえに不審に思われたことがありました。
ロトの「しるし」なんだ……。と。
ロトの「紋章」じゃないのか!? いや「ロトのもんしょう」は字数制限的にムリだ、だから「しるし」という言葉が選ばれたのです。「ロトのもん」じゃ意味は同じでもわかりにくいから「しるし」はわかりやすい表現ではあります。
しかし、本当に「しるし」以外に言い方はなかったのでしょうか? たとえばその機能(ロトの子孫であることを証明しキーアイテムを預かることができる)としては「ロトのあかし」のほうがかえってよく示していますし、字数やわかりやすさの点でも問題ありません。ドラクエⅡでは「5つの紋章」も出てくるわけですしね。
「しるし」という表現が選ばれていることに示唆があるように感じたのです。
しるし
そもそも「紋章」と「しるし」にはことばの意味するところとしてどう違いがあるのでしょうか?
広義では、どちらも「シンボルマーク」という意味で使われている言葉で、「校章」や「社章」、ロゴデザインなども広く言えば入ります。ドラクエ11Sでも各キャラクターの「紋章」のピンズが一個もらえるセット売りがあり、そのへんの象徴読み解きも今度記事にする予定ですが、あれも実は「紋章」というより「しるし」にあたります。デルカダールの国章以外。
このゴージャス版の赤いカバーも、ロトの紋章の周りに各キャラクターの紋章がちりばめられるように配置されています。勇者一人ではなく、パーティーメンバー全員が対等に絡み合って世界の調和を作っていることが図示されてていいですね。

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ちょっと厳密に言えば「紋章(Cort of arms)」というのは西洋騎士・貴族と日本の公家・武家の者がもつシンボルマークのことです。「家紋」的なものですね。描かれている象徴や体裁で「どういう家格や職能の者か」「どこんちの親戚か」などをある程度読み取ることができ、何より馬装や陣羽織(サーコート)などにつけることで指揮官の識別を容易にします(日本ではこれに加えて「馬印」もありますがこれは「しるし」にあたります)。これのポイントは、ちゃんと出自の読み取りができるようにするために「要点をおさえて世襲する」ということです。『ロトの紋章』はこの意味でちゃんと「紋章」してることになりますね。
というわけで、「しるし(emblem)」というのは「紋章」のようにしっかり世襲される用法ではないシンボルマークを広く表すことができることばなのです。要はより抽象度と範囲がでかいんだな。
まあ上のアマゾンリンクを見ての通り「EMBLEM OF ROTO」いうとるし『ファイアーエムブレム』も「炎の紋章」と呼びならわされてるわけですから、「エンブレム=紋章」というのは響き的にも日本に定着してることではあるんですけど。
なおのこと「しるし」という言葉は聞き慣れずひっかかるものがある。
薔薇の刻印
「出どころがよくわからない謎のエンブレムではあるんだけど、『強者』や『資格』をあらわす特別なしるしとして機能してるっぽいアイテム」としては、『少女革命ウテナ』に似たアイテムをみいだすことができます。
「薔薇の刻印」といいます。
これはアニメ『少女革命ウテナ』の主人公天上ウテナが「子供のころに"王子様"にもらった」とされている薔薇のエンブレムが入った指輪で、彼女はこの指輪をよすがとして、憧れの王子様のごとくなろうとして気高くカッコよい人間に成長しています。まあ明らかに現実ではない過去話ですよ。現代日本に白い軍服を着た王子様がおるわけないやろ。だからこれは最初からトトロにもらった木の実レベルに謎の物体です。
それだけでも夢と現実のはざまにある物体だというのに、なんとこの指輪、持ってる奴が複数存在する。それもウテナのように「王子様にもらった」とかの説明なしにです。
ウテナはまったく知らなかったのですが、この指輪を持っている者は「決闘者(デュエリスト)」と呼ばれ(ちなみに遊戯王より古い)、特別な舞台で「世界を革命する力」をかけた剣の決闘をする資格をもつとされるのです。ウテナ以外の決闘者はみな学園を支配する「生徒会」に属し、学園にいるたくさんのモブ生徒たちの中で並外れた才覚と個性を持っています。
つまり「薔薇の刻印」とは人並み外れた才覚と個性をもち、「世界を革命する力」を欲する少年少女に自然発生的に出現するのです。
また、心の奥の無意識に封じていた正視しがたい感情を喚起することで人為的に決闘者の資格を得る「黒薔薇の刻印」というものもあるのですが、どちらにせよ快適な「普通」をはみ出して痛みを得てでも「世界の革命」を望む者だけに、「薔薇の刻印」はいずこかから与えられるのです。
カインのしるし
先日、「社会の群れをはぐれてでも自分の意思を貫ける強さをもった人間が"悪役"になる」という旨の記事を書きましたが
この「"悪役"=群れはぐれ強者説」について、先述の『少女革命ウテナ』のモチーフとなったヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』に独特な説明があります。
「デミアン」とは主人公ジンクレエルが出会う変わった少年の名です。この作品の背景にはユング心理学やグノーシス哲学があり、ざっくり言うと「明るい世界」しか知らなかった子供のジンクレエルにデミアン少年が疑いをさしはさんでいき、光と闇を統合した真実に導いていくみたいな話です。
ある日ジンクレエルとデミアンは学校の聖書の授業で「カインとアベル」の物語を習います。ご存知人類最古設定の殺人事件である、農業をやってた兄カインの捧げものと畜産業をやってた弟アベルの捧げものとで神がなんかアベルのほうをひいきしたもんだから、家族仲がこじれ、カインがアベルをガッってやってしまったという話です。カインはもう農耕することができないという呪いを受けてパパママのいる土地を追放になるわけですが、この話には続きがあります。
当時、世界にはアダムさんちのほかにも、神がアダムさんちを試作品として量産したらしい人間の営むふつうの地が広がっていました。カインはそこをさまよい歩く者となれと神に言われたのですが、それでは行く先々で「あいつ弟を殺したらしいぜ!」と石を投げられて迫害されてしまうにちがいないので、神はカインが殺されないようにしるしを与えた……という筋です。
この話にデミアンは解釈を加えてジンクレエルに話してくれます。
こういう話は真実だろうが、正しく伝わっているとは限らない。実は、カインは力ある者で、他の人々から恐れられていた。人々はカインが目障りだったが、恐れていたので手出しは出来なかった。ただし、人々はカインに手出しが出来ないのは、自分が臆病者だからだ、とは言わない。自分の臆病の言い訳として、彼には“しるし”があるから手出しが出来ないのだ、と言う伝説を付け加えたのではないか、と。
ジンクレエルは、確かにカインは他人とは違っていたのかもしれないと思い始める。カインのしるしとは、その眼差しに宿る勇敢さ、気高さなのである。そしてジンクレエルは、デミアンにもそのしるしがあると感じた。
(中略)
やがて物語が進むにつれ、このしるしを持つ者とは、目覚めたる者、目覚めつつある者である事が明らかになる。
カインの子孫達は、常識や慣習、権威など、外部からの要請に惰性で従う事をよしとしない気高さを持った者である。
変化に伴う困難を恐れて、現状維持に努める臆病者ではない。内なる自分と向き合い、その本当に望んだ事を成し遂げようとする、気高く、勇敢な者達なのである。
また、ドラクエⅡ本編でも、これは紋章のはなしなのですが、こんなことが言われています。
ロトの「しるし」が狭義での「紋章」とはすこしちがって抽象的なものとするならば、あるいは「ロトの子孫であること」が遺伝関係を絶対としていないとしたら、
それは『デミアン』でいう「カインの子孫たち」のように、常識を外れることをいとわない気高さと勇敢さをもつものの、まなざしや額や手にあらわれているかのように見える「しるし」のことのように読めます。
前編でも述べましたが、本物かどうかなんてほとんど誰にもわからない、ましてそれが血筋を証明するわけがない「ロトのしるし」という物品が勇者の証として機能するのならば、その機能、チカラは持ち主の心の気高さと勇敢さがモノに象徴されたものなのです。
「あなたがたはロトの子孫たちですね?」
やっぱりわかる人にはわかるんやで
(人ではない)
この精霊ルビス様の発言を「(子孫たちがロトの子孫だということは)やっぱりドラクエⅠの主人公はロトの血をちゃんとひいていたんだ」というふうに具体的な話の証拠として解釈することもできるのですが、本稿で読み解いてきたように「しるし」が心にあるものとするならば、ルビス様は
「おや? あなたがたは
気高く勇敢な魂を受け継ぐものたちですね?
私にはわかります」
と言ってくれていることになります。
ルビスのほこらは紋章を集めないで行っても特に何も起こらないことからわかるように、
ドラクエⅩの「キーエンブレム」のように「勇敢さとチカラを示してきた行動の結果」を集めることによってこういうアナウンスをしてくれるわけです。
前編の「貴種」の説明では、「貴種流離譚」がエンタメとして人気があるべき理由として、「貴い血筋」や「神に選ばれた運命」が目に見えるものや具体的能力値といった即物的なものではないことのメリットを挙げました。すなわち、神秘性があって、「自分ももしかしたらそうなのかもしれない」という想像の余地を用意するということです。
それをもっと拡大して、「プレイヤー」ということをぬきにしても、「ロト」とは”勇気を示したあなた”そのものを表しているのです。
そして同時にドラクエをプレイしていた無数の"勇気ある者たち"の魂を共鳴させる「見えざる血族」として、
「ロトの子孫」ということばは事実として機能しているわけです。
鳥とお魚
ここからは次に書こうと思っている記事の予告のようになるのですが、
本稿で扱った「ロトの紋章」って、具体的な図案としては「とりさん」を明らかかつシンプルに描いていますよね。
いや鳥山明って言いたいわけではなくⅢではラーミアさんというでかい鳥が出てくることも承知しているのですが、それでも先に述べたような「勇気あるものたち」の象徴となるシンボルマークに鳥が使われているわけです。
鳥は「魂の自由さ」を意味し、自由に飛び立つことは一般民衆でいられず強くあらなければならない痛みをともなうことですし、先述の『デミアン』や『少女革命ウテナ』など多数の作品で「目覚めた者」の象徴として扱われてきています。かつ、ドラゴンクエストはビデオRPGのはしりとして、「魂を普段の生活から自由にし、想像の翼をはばたかせる」ことに非常に合致している、みごとなシンボルマークを作ったものだなあと感心するものです。
そこでさらにおもしろいことに、ドラゴンクエストシリーズの集大成として作られたドラクエ11では、主人公のシンボルが「釣り針」型になっており、また主人公がお魚になる展開など、「鳥」ではなく「魚」に寄った象徴描写になっています。
魚も鳥と少し意味合いが異なった「魂」の象徴であり、また、実は他の象徴物との絡みもあったり、「鳥」が今度は前半の敵役であるデルカダール国の紋章になっていたりと、なんかハァ~うまいことやったな!ていう織り込まれ方をしているので、
次はちょっと西洋紋章学の話も取り入れつつ、ドラクエ・日本的な文脈におけるそれぞれのキャラクターの「紋章」の話などしたいと思っています。来週もまた見てくれよな。