湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

ホメロスはかく勘違いき<その2>星光編

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homeshika.hatenablog.jp

「神童編」のつづきです。

 

 

認知の歪み

~これまでのあらすじじゃ~

「ホメロスは正のストロークを受け取れなかった、あるいはそれ以上の負のストロークを受け取ってしまったために、大事にされていることを感覚することができなかった。それは幼少期の神童扱いの弊害ではないか」

というしごく妥当な理解に対し、なぜか「そこは満足しているのでは?」と謎の感覚をおぼえる筆者。

 あまつさえ「ホメロスは大事にされたことを受け取っていたし意志強く夢に向かって努力した。他者に迷惑だったことを除けば全然良い人生なのでは?」などと考えはめぐり、

いやいやゲームの構造的にオールライトなわけねえからよと我に返ってみると、

筆者がホメロスと同じ勘違いをしている可能性が高いことに気付き、

そのなりたちを追うため、我々は話題の「神童の弊害」ジャングルの奥地へと向かった。

~あらすじここまで~

 前回は、神童であること自体がもたらす弊害として

「周りや自分の感覚はそのままの伸び率で伸びると期待しているのに、(人間の成長曲線はそんな単純なものではないので)そうはならない

→それまでの感覚や周囲の期待との齟齬が生まれる」

「幼少期にチカラが有り余っているのでたいていの問題を余裕で解決できてしまった

→『チカラが伸びない・足りない』という状況に対応・適応する感覚を学べない」

ということを整理しました。

 で、マジで前提の整理しかしてないところでその1を終わらせてしまい超しくった なにが神童編だよ!

 上の整理も後で話に絡んでくるのですが、ここからが「ホメロスは大事にされたことを受け取っ(中略)全然良い人生なのでは?」という危険思想の要点になってきます。

 ここからは、筆者の(ホメロスもしているかもしれない)勘違い、認知の歪みについて書きます。

 混乱するので、以降勘違いにかかわる思考部分を赤で表記分けします。

 信頼できない語り手系サイコホラーかな

 

大事にされるということ

 さて、筆者は「ホメロスは大事にされたことを受け取っていた」「情緒的に満足していた」などと考えたわけですが、「大事にされる」ということは、ただ単純に快であることとは異なります。

 マズローの五段階欲求でいえば「生理的欲求」「安全欲求」の上位にある「社会的欲求」、他者から憎まれず、存在することを認められ、所属するコミュニティにいてもいい、できれば必要な存在だと思われていたいという欲求が、満たされた状態です。

 これら3つの外的な要因からの欲求が満たされたのちに、人間は内的な欲求、「尊厳欲求」「自己実現欲求」の満足に向かいます。当然ですが「大事にされる」ということには「外部」からもたらされるもの、いぬっころさんのお父君の考にもあった「正のストローク(あるいは負のストロークがそれより多くないこと)」が必要です。あっても受け取ることができない場合もあります。

 ホメロスは「外部からの『大事だよ』というメッセージを」「受け取ることができていたのか」という二つの点が問題となりますが、

 まずは外部からの大事だよメッセージは多くあります。(赤字が始まりました)

 軍師として讃える声、口が悪くても慕ってくる部下、グレイグと連携できるのは自分だけだという事実、何よりも、ドブネズミどもより優れた生まれと才能、それによって多くの平民が受けるべくもない教育を受け研鑽を積ませてくれた王の恵み。

 そして、ずっと孤独であるはずだった自分に、奇跡のように転がり込んできた薄汚れた泣き虫。

 私は既に多くのものを世界から与えられている。この世には虫けらのような有象無象も人間として生きていて、孤児のようなものだった私もそうならないとも限らなかった。事実、王に拾われ、そしてグレイグが来なければ、私にはやらねばならないことはあっても真にやりたいことなどなかった。私は学び、ドブネズミどもには持つことがかなわぬ、世界を見る目を持った。

 と、思っていたかカケラも思わなかったかはそれぞれのホメロスがあると思うのでそこは問題ではないのです。(このように思ってるところもあるだろうと考えられる根拠は次段で書きますけど)

 たとえば「自分は王にもグレイグにも世界にも見放されている」とだけホメロスが思っていたなら、そっかーそう思えたんだねって感じで大樹を落とす理由としてストレート、勘違いというより愛情的コミュニケーション「不足」だといえるのですが、ホ筆者スはこのように思ってるにもかかわらず大樹を落としちゃうのです。なんでや。そこに「不足」だけではないドラクエ11の重要なとこがあるんだよ(と思うんだよ)。

 私は世界に大事にされている。それは十分すぎるほどに。

 

高貴の義務

 ここで、さっきホメロスが思ってるところもあると推測した「自分は世界にすでに十分に大事にされている」というのに関連して、ドラクエ11のテーマについて触れておきます。

 こまけえことは評論で書きますが、ドラクエ11のテーマは「星」であり、「人の憧れとなる輝くもの」と、「反面、それを世人がただ仰ぎ見て頼ってしまうことの悪性と、『星』である人物の孤独、限界」、それを乗り越えるための何かについて描かれていました。

 かつてのドラクエでは「特別な勇者になり、達成する」ことがよしとされましたが、ドラクエ11ではその裏面を描いたうえで克服しています。すなわち、「特別」に期待される人間(勇者、英雄、王族、指導者、チャンピオン)に周りは無邪気にすべてを背負わせ、この人類悪を呼び起こす点で「勇者は悪魔の子」だというのです。

 この「光と闇は表裏一体」構造、原因は一般民衆の愚かさだけではありません。

 そもそもこういう中世みたいな世界では一般民衆には「特別な人」に疑問を持つような教養もチカラもあるわけなく、王族や指導者は教養やチカラや資源を一身に受ける階級だから実際にできることがすごく多い。そのリソースの集中によって下々を守っていたのだし、それを続けることが支配体制を盤石にする。上は下を同じ人間だと思わないから支配できるし、下も上を同じ人間だと思わないから神のように頼る、「星と大地はいつまでも出会わない」関係です。似たことにドラクエ8でもマルチェロの「王とはなんだ?」演説や伝説の血筋のダメっぷりなどで突っ込んでいます。最近でいうと人智統合真国SINです。

 こういう問題は中世みたいなドラクエ世界で戯画化されていますが、現代の日本で格差が再固定され政治無関心が蔓延しつつある問題に通じており、ドラクエ10での「(勇者ではない)皆が主人公となる」構造の採用と合わせても、なんかそういう方向性のアレなんだなと感じられます。

 

 話を元に戻すと。

 上に立つ者は上に立つだけのリソースの集中を受けており、それによって得たチカラによって、持たざる下々の者を守り、施すという使命があります。それがなければ上は上として敬われるに足らない。

 このことを「高貴の義務」ノブレス・オブリージュ(高貴は強制する)といいます。

 ホメロスは名門の出身であり、かつ、没落してその才をもって王の養い子になるという経路を踏んでいます。

 ただ名門なだけであれば自らが高貴である意味を理解しないボンクラもたびたび出現します(それがドラクエ8です)。しかし、自分に実力が足りないことを知りながら皆の前で魔物に立ち向かう勇気をみせたファーリス王子、誰よりもつらい状況に置かれながらなんとか里を守ろうとする巫女ヤヤク、チャンピオンでなくなりドーピングもなくなっても闘士たちを助けようとする真の強さを得たハンフリーさんなどを見るに、ホメロスも没落してから「のちは国の指導者に」と王に拾われたがゆえに、ただの貴族よりも強く「自分の能力や環境は使命あって与えられているものなのだ」と知っていて気高い人格をそなえることになったのだと考えられます。

 まあ「私は名門の出なんだぞ! 能力があるんだぞ! ワーン」とか言うボンクラではないわな。

 このノブレス・オブリージュ、言葉自体が確認できるのは19世紀初頭のことなんですが、同じ概念は古くからあります。王はもとより共同体を守るものですし、原始的な社会では共同体を守ることができなくなった王は殺されて食べられたりもするので。

 現代的にはいわゆる「セレブリティ」が社会の模範となる姿を示すこと、すなわち「星」として率先垂範することです。

 日本古来の社会にはあんまりなかったので日本の上流階級には当然にある考えというわけではないのですが、そのぶん性質が浮き彫りになるところがあります。それは「高貴だから義務を負う(みんなやってるし)」ではなく「与えられたものの義務を果たすから高貴であるといえる」という自負の心です。

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 私の王がくれた初めての友達
 それは薄汚い痩せっぽちの子供で私は六歳でした
 その子供となんかまあいろいろあって私たちは夢を持ったりなんだりし
 こんな素晴らしいキャンディをもらえる私は
 きっと特別な存在なのだと感じました
 今では私が高貴
 世界にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル

(コピペ)

 もしホメロスが「自分は世界に大事にされているのだ」と知っている(と本人が思っている)のだとしたら、ホメロスは高貴の義務に従い、また、家の没落した自分でもその持つものが誰よりも気高いことを自負するために、そう誰もに認めさせるために、世界に同じくらいの特別を返せる存在にならねばと思うはずです。模範を示さねばと思うはずです。

 「大事にされていない」と不平不満を数えて周りがしてくれないことを恨みつらねるなど、ドブネズミのやることだからです。

 このような自負は「神童編」で例に挙げた李徴にはありません。李徴が頼むところのものは自らの才覚だけであり、その才覚を育てた環境の良さや、トゲトゲしい自分とも温和に付き合ってくれた友の大事さについて彼が気付くことはついぞない。 自分が世界から与えられたものに返さねばならないという使命感をもつ者、あるいは返すことでもって与えられた運命の貴さを証明しようとする者は、李徴のように虎になって逃げたりはしない。

 逃げた方がだんぜん世界のためかもしれませんけどね。

 

 さて。その2では

・ドラクエ11のテーマが「星」とそれを見上げる人々との断絶であること

・ホメロスがグレイグとの出会いなどを大事に思い、その高貴の自覚深さゆえに、それをある種「自分は世界に十分に大事にされている」と思っていた可能性があること

「世界に大事にされている」と思った場合、その帰結としてホメロスは世界に何かを返そう、模範を示そうと強く思うであろうこと

を述べてきました。

 おそらく次でこの勘違いは赤々として空を落とし、終わります。

 ホメロスが世界に返そうとするならば何か?

 ホメロスはどんな模範を、どう示そうとしたのか?

 この勘違いの何が勘違いで、

何が悪くてどうすればよかったのか?

 その3に続きます。

 

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<次記事概要>

・二人で王国一の騎士になろう

・あるべきはチカラ

・圧倒と共同

<その3>へ続く