実はこのブログはドラクエ11の軍師ホメロスについての評論のために作ったんですけど
(アドレスのhomeshikaっていうのは『ホメロスの屍を越えてゆけ』っていうタイトルです)(俺屍)
なんか口語体のブログ書きたくなったんでそれやる前につい使ってしまい……。
昨日ドラクエ11おともだちのいぬっころさん(@innucoro)が、お父君のホメロス考の一部
そして父のホメ…スに関する考察ノートの1ページ分を解読しました…
— いぬっころ31日*ミ07a (@innucoro) March 22, 2019
ホメ…ス好きなので、思考の偏りもあるかと思いますが、一つの考え方として… pic.twitter.com/P2bolfxU6M
を公開してくださり、それと周辺に関して気付いたことがあったので、
評論とかを上げ始めたらこれは消すと思うんですけど、少しホメロスの話題を備忘的に。
自覚的満足度
お父君の考察についていぬっころさんは
ホは確かに大事にされていたのに、それに気づかなかったんじゃないかな。
— いぬっころ31日*ミ07a (@innucoro) March 22, 2019
こう、"大事にされてる"ことが感覚として分からなかったんじゃないかなって。
と言いました。他の周辺意見としても、日頃より「(経路のどこに原因があるにせよ)ホメロスに情緒的満足をもたらすものが十分に届かなかった」ことが言われます。それは客観的に確からしいことと考えられます。
しかし一方でそれらを見て当方が感じたことは、
「いや、大事にされていたし、ホメロスは部下との関係からしても対人的に愚かなわけではないので、それをよくわかってもいる。したがって、そういった情緒においてはある程度満足している」
ということで、
これは反論ではありません。
仮に満足している(と思っている)のだとしたら、じゃあ何が悪かったねんっていう話ですよ。
当方は「ホメロスは十分に大事にされたし、出会いにも恵まれた。意志も強かった。志も一理のあるものだった。叶えるための有効な努力をした。他者への慈しみもあった。方法が他の幸福に反するものではあったが、彼は夢を叶え(ようとし)た」まで考えて、気付いた!
全然悪くないな(人は死ぬけど)……。
全然悪くないな!?!?!?!? 当方は突然戸惑った! よーしウルノーガ様と大樹落とします!いやいやいやいや
当方に何が起こってるのかというと、まさにホメロスと同じところを喜び勇んで勘違いしている可能性が高いらしいことに気が付いたのです。
こいつはオモシロなので、思考の背景と流れを辿ってみましょう。
“神童”の弊害
先述のいぬっころさんのお父君の考察ツイートに対して、別のホメロスクラスタのれうさん(@rw_goron)は
これ、絶対幼少期の神童扱いのへいがいなんだと思うんだ RT
— れう🐁原稿してる時もある (@rw_goron) March 22, 2019
と述べています。RT先を辿ったときにあったのはこちらのツイートですが、ホメロスが幼少期に“神童”とみられていた(作中情報ではなく雑誌公開の設定情報です)ことからくる何かが彼を狂わせる一因になったのではないか、という見方はこれまでにも散見されています。
中島敦『山月記』にもいわく、
隴西 の李徴 は博学才穎 、天宝の末年、若くして名を虎榜 に連ね、ついで江南尉 に補せられたが、性、狷介 、自 ら恃 むところ頗 る厚く、賤吏 に甘んずるを潔 しとしなかった。
曾ての同輩は既に
遥 か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙 にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才 李徴の自尊心を如何 に傷 けたかは、想像に難 くない。彼は怏々 として楽しまず、狂悖 の性は愈々 抑え難 くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水 のほとりに宿った時、遂に発狂した。
このように、グレイグは歯牙にもかけなかった連中とかではないのですが、「往年の儁才」の自尊心がこのように傷つき狂を発する例は古今東西にあり、ホメロスがその類型として理解されやすいことは(その理解の真偽は別としても)間違いありません。
加えて『山月記』は多くの高校現代文の教科書に採用され続け、連綿と学ばれています。それにつけて、この「李徴」的なものに共感する実際の才走った(ことのある)高校生、周囲の多くの人を愚物でドブネズミだと感じた(ことのある)高校生、俺は他の十把一絡げの連中とは違うんだと思いながらも挫折やその気配を感じている高校生はオタクを中心にぶっちゃけほぼ全員なので(そういうのを青年期って言うんだよ)果てしなく増え続けています。
李徴が仮にホメロス側とするならばグレイグ側はその友で今わりと出世している「袁サン(漢字が出ないんだよ)」と置くことができるのですが、こいつは温和で堅実な性格をしているのでふつうに役人になり、ふつうに出世し、グレイグほどではないのですが、要は「往年の儁才」と「パッとしなかった奴の出世」のセットはオタクの魂に焼き付いて離れない運命なのです。王道エモといっていい。
なぜ「儁才」はそうなってしまうのでしょうか?
「大事にされている」ストロークや、肯定感を十分に受け取れないのでしょうか?
ホメロスのリチョみについてはすでに百ぺん考えられたうえでみなさん一瞬で次の段階に進んでると思うんですけど、そういうらへんの考え方のなりたちのほうに焦点をあてていきます。
早熟型の世界
「当方はホメロスと同じ勘違いをしてるらしい」と最初に言った通り、これは自分の話だからなんですね。
まあさっき言ったようにほぼ全員李徴なので全員の話ですね。よろしくー!イエー! おまえは虎になるのだ(呪い)ー!
そんな李徴なおれたちが読んでおくべきなのが
コレや。
早熟型はある時期で頂点を体験しその後伸び悩む。その様子を見て、天狗になって練習を怠ったからだという人もいるし、成功体験から抜けられなくなったからだという人もいる。一時期でも頂点に立ったからいいじゃないか、普通の人はそんな体験すらできないんだから、という人もいる。
人生で最も悩んだのはあの時期だったと思う。なにしろ誰にもわかってもらえない。話しても、それはお前の努力不足だと言われることがほとんどで、周りを振り返ればあんなに周りにいたはずの大人がみんな去っている。去っているならまだしも、遠くからこちらを観察して、うちの選手はあんな風にならないようにしないとと噂をしている。それがこちらにはうっすらと聞こえてくる。
当方はメダリストではないのですが、スケールやジャンルを問わずこういうことは起こっている。10才で身長は止まったし、体の成長とともに精神の大枠もそこでできあがっていました。そのときから当然知識は増えているし、考え方の枠組みも増えているけれども、精神性のようなものの水準は変わっていないように思う。
少なくとも「早熟型」ではない子供の10才~と比べたときの「伸び率」は圧倒的に下回っている。
そんなもんはふつうの子供のほうの最初が低かっただけで、それを「伸び率がいい」というのは数字のマジックにすぎない、とも思われるかもしれません。
しかし問題は伸び率自体ではなくて
伸びの線形にあります。(突然の手書きグラフ)
グレイグくんの線形を見てみましょう。最初遅々としてたにせよずっと伸び続けています。しかしホメロスくんのたとえば15歳までの伸び率の「伸び感覚」からすると、それ以降は物足りないどころか、感覚として・グレイグくんとの比較として「退化してる」ぐらいに感じられるはずです。
比較自体がメチャクチャ勘違いをひき起す最悪ファクターなのですがそれは今日はおいといて、線形について。これは子供の発達において気をつけなければいけない重要な観点で、運動や言葉が遅い子に「発達には個人差があるからあまり心配しないでね」と言うのはよく聞きますが逆もまたしかりなのです。要は「成長が止まる点の高さがそんなに変わらなくても伸びるタイミングはさまざま」だということで、「うちの子は天才だわ!」と思ってもそれは伸びるタイミングが早いだけかもしれず、周りはそのままのペースで伸びていくと思い込むけれど、実際はホメロスくんの線形になることが多い。
伸びるタイミングがいつになるか自体は、伸びてるタイミングで適切な教育があれば、「完成点の高さ」にはさして影響しません。
けれども本人の感覚はどうでしょうか?
グレイグくんは幼少期ホメロスくんの後ろをついてちまちまと歩いた経験があるが、ホメロスくんは、小さいころに遅い成長速度を感じたことがない。
エリートは挫折に弱いってよく言いますけど逆に貧乏人が三億円手にしても破滅するじゃないですか。人間は幼少期から学んできた伸び率が急激に変化したら生き方がわからなくなる。ホメロスくんは「成長タイミングとスケールが常人と大幅に違った」という、それ自体誰にも罪のない運命によって、途中ではしごを外されてしまったのです。
さっきの記事で為末さんはこうも言っています。
早熟型は頭で戦うしかない。不思議と身体が成長している人は、本当の意味で頭を使ってこないことが多い。拡大しつつある人の発想は大雑把だ。徹底的に自分を観察し、効率化し、自分なりの戦い方を考える。拡大だけではなく、無駄を省いて洗練させることによっても成長はできる。
ホメロスは「頭で戦」ってはいるし自分と状況をよく観察して最大限に洗練されて戦うことを得意としてはいる(とグレイグとかからもっぱらの評判)のですがそういうことではなく、ここでいう「本当の意味で頭を使う」ということ、「拡大しつつある人の発想」ではないソリューションにおいて一部欠けていた。
なぜなら、同じような環境にいたとしても、傷つき伸び悩みなかなか自分のチカラで物事を解決できない(グレイグのような)子供は他の方法、すなわち泣くだとか、ホメロスに頼るだとか、今はひとまずあきらめて保留にするとか、そういう対応をよく身に着けているが、早熟な人間はそれを学習する機会にだけは恵まれないからです。
くり返しますがこれはホメロスたち神童だけの問題ではありません。
何かにおいて人より早く伸びていたことのあるすべての人にこれはありうる辛さです。
ホメロスの普遍性の意味については評論本編で書くので今は置いときまして、ホメティカル勘違いの背景2と中身についてはその2に続きます。
<次記事概要>
・大事にされるということ
・高貴の義務
・あるべきはチカラ
・圧倒と協働
<その2>へつづく(その3で終わるんですけど何年もお待たせしてます)